今まで私は、「私の創竜伝考察シリーズ」で田中芳樹の左翼的な論調ばかりを批判してきました。そこで今回はちょっと視点を変え、田中芳樹の右翼的一面を指摘してみようかと思います。
日本においてはあれほどの正論(?)を展開して日本を批判していらっしゃる田中芳樹大先生が、中国になると突然慈愛に満ちた(笑)論調を展開しているのは不思議な限りです。しかもその論調たるや、田中芳樹が日本で批判している「右翼の軍国主義者」も真っ青な主張です。それが最もよく表れているのが田中芳樹の中国小説「紅塵」です。
この「紅塵」という小説を知らない方のために簡単に説明いたしますと、この小説の舞台は後世でいう「北宋末期~南宋」の時代で、金の「侵略」に対する宋の戦いを描いたものです。一応宋の名将という設定になっている韓世忠の息子である韓子温が主人公なのですが、物語の序盤と中盤は思い出話や回想モードなどでしょっちゅう話が過去へ脱線しますので(笑)、宋の時代に関する歴史教科書とでも思えば良いでしょう。
そしてこの小説には、過去の回想モードで岳飛と秦檜も登場します。あれほど岳飛を尊敬している田中芳樹ですから、当然岳飛=善・秦檜=悪の構図で書かれています。「金の侵略に対して戦う正義の岳飛」「その岳飛を無実の罪で処刑した悪の秦檜」と、これまたえらく単純な構図で書かれているんですよね~。
しかし田中芳樹のこの認識は果たして正しいのか? 何か抜けている視点がないのか? それらを少し指摘してみる事に致しましょう。
まず、当時の宋が金を倒す事ができたのか? 金の「侵略」から宋(この場合は南宋)を守る、というならばできたでしょう。攻め手の金は補給線が常に不安定で、しかも長江を渡ってこなければならないし、地の利は守り手である宋の側にあります。さらに田中芳樹の言う「抗金名将(こうきんのめいしょう)」とやらは、「紅塵」を読んだ限りでは無能ではなかったようですから、「侵略者」を撃退する事はできたでしょう。歴史でも、金が宋を完全に屈服させる事はできなかったのですし。
しかし逆に宋が金を攻撃する、となると話は変わってきます。攻め手と守り手が入れ替わるのですから、金にとって不利だった条件がそっくりそのまま宋にかえってくるわけです。しかも水軍はともかく陸の軍事力では金の方が圧倒的に上です。「紅塵」でも、後半部分で完顔亮の「遠征」軍が60万に対して、迎撃する宋軍は20万ぐらいしかありません。多少誇張はあるにしても、金が宋以上の軍事力を持っているという証です。金に「遠征」するとなれば、いくら「抗金名将」でも苦戦はまぬがれないでしょうし、補給や国力の問題があるため長期戦になれば撤退するしかありません。まして、「遠征」で大打撃を受ければ、それこそ金の逆襲によって宋が滅亡する危険性もあります。銀英伝のアムリッツァにおける同盟軍のように。
上の事情を考慮すると、宋も金もたがいを滅ぼす事ができない以上、だらだらと戦いを続けるしかないわけで、これを止めるには和平が一番有効な手段です。だから私は、宋と金の和平を推進した秦檜がそれほどひどい外交をしたとは思えません。彼は彼なりに宋という国のことを考えていたのでしょうし、和平によって宋が経済的に繁栄したのも歴史的事実です。むしろ岳飛の方が現実無視な軍事的冒険を主張していたのであって、彼のいう通りにしていたら、宋はもっと早く滅亡していたかもしれません。だいたい、いくら秦檜が金にたいして屈辱外交をしていたとしても、日本の旧社会党のように宋の「過去の侵略行為」を金に対して謝罪したわけではないでしょう。私はこの一事だけで秦檜を支持しますね。
なんでここで日本の謝罪外交をだしたかと言いますと、1995年の謝罪外交を大半のマスコミ(特に朝日と毎日系)が支持しているのを知ったときに、ふと秦檜の事を思い出し、「秦檜も現代の日本に生まれていれば賞賛されただろうに」と考えたからです。そして、創竜伝で田中芳樹が日本の謝罪外交を支持しているのに、なぜ「紅塵」であれほど秦檜を否定するのかも疑問に感じました。明らかに二重基準だと思いましたからね。「時代背景や歴史が違うだろ」という意見もあるでしょうが、宋だって金に対して「侵略行為」を行っているのですよ。その部分を「紅塵」から引用してみましょう。
紅塵 P119~P120
<宋の政和八年(西暦1118年)、老大国の宋と新興国の金との間に密約が結ばれた。宋の密使は、山東半島から船で海を渡り、遠く金の首都上京会寧府をおとずれたのである。密約の内容は、南の金と北の宋とが同盟し、中間にある遼国を挟撃して滅ぼそうというものであった。両国とも、遼には往古からの怨みがあったのである。
激戦をかさねた末、宋の宣和七年(西暦1125年)に至って、遼は完全に滅びた。共同作戦といっても、宋軍はまるで役にたたず、金軍はほとんど独力で遼を滅ぼしたのである。同盟は成功したのだ。
ところが遼が滅びた後、宋は金が広大な領土や莫大な財貨を手にいれたことがおもしろくない。蔡京や童貫といった『水滸伝』に登場する奸臣たちが陰謀をめぐらした。遼の残党をあやつって、金国の内部で叛乱をおこさせたのである。それも一度でなく二度も、であった。叛乱を鎮定し、陰謀の存在を知って金国は激怒した。実力で謝罪させてやる、とばかり進軍を開始する。あわてた宋では、徽宗が皇太子に譲位して上皇となった。皇太子はここに欽宗皇帝となる。宋は金との間に和平交渉をはじめる。ところが、それを不満とした主戦派が、停戦条約を破って金軍に急襲をかけたのだ。
「礼教の国」と自称する宋が、3度にわたって背信行為をおこなったのである。またもや金は激怒した。すでに遼を滅ぼし、西夏を屈伏させて、武力には自信をいだいている。急襲にもひるまず、猛然と反撃に転じ、宋軍に大損害を与えた。若き太子たち、宗望や宗弼らの勇戦によるものであった。
野心と実力を兼ねそなえた強敵に、宋は口実を与えてしまったのだ。当時の政治の実力者、蔡京や童貫らの責任はきわめて大きい。彼らが亡国の責任者として非難されるのはしかたないことであろう。>
このように、宋にも金に対する「過去の侵略行為」というものがあるわけで(それも3回も)、日本の謝罪外交を支持した田中芳樹の論理でいくと、宋も「過去の侵略行為」に対して金に謝罪しなければならず、「平和外交」を推進した秦檜を賞賛しなければならないはずなんですけど、もちろんそんな主張を田中芳樹はやっていません。
そして責任の押しつけ方が日本の時の記述とは大違いです。日本の場合は、国ないしは国家と国民全体に対して責任を押しつけて「日本は侵略国家だ、国民は反省していない」などと主張するくせに、中国(この場合は宋)になると「当時の政治の実力者、蔡京や童貫ら」のような「権力者」だけしか責任を問われていません。さらに田中芳樹の論理では、中国は昔から革命が乱発している「自主性のある民度の高い国」なのですから、皇帝や臣下だけでなく、金に対して「侵略行為」を起こすような愚劣な政治体制を産み落とした宋の「臣民」の責任も、当然問われて然るべきでしょう。特に「右翼の軍国主義者」である岳飛の罪はたいへん重いものがあります。民衆を煽って金と無益な戦争をし、無用な犠牲者を敵味方双方に大量に出したあげく、さらに金と戦争したいがために秦檜の和平案に反対したのですから。「大量殺人罪」と「平和に対する罪」ぐらいは適用できるのでは?(笑)
それに「紅塵」では岳飛=愛国者=善、秦檜=私利私欲の怪物&売国奴=悪なんて視点で書かれているのも笑止な限りです。田中芳樹は日本の「愛国者」を創竜伝であれほど罵倒しているのに、中国の「愛国者」になると突然賞賛するのですから呆れ果てたものです。要するに、この人は愛国者全てを否定しているのではなく、「日本の愛国者」だけを否定しているのでしょう。思想的には「日本の左翼」というよりは「中国の右翼」なのでしょうね。田中芳樹は。
その「中国の右翼」田中芳樹が展開している、岳飛が殺された当時の事情と岳飛に対する評価は次の通りです↓
紅塵 P183~P184
<惨劇が生じたのは宋の紹興十一年(西暦1141年)冬の事である。
時の丞相秦檜は最終的な決断を下した。金国と和解する、そのために邪魔になる岳飛を殺す。
かなり皮肉な形で、和平は困難になりつつあった。岳飛、韓世忠らの奮戦によって、宋軍は各地で金軍を撃破し、勢いに乗っている。一方、金国では事実上の最高指導者である大太子宗幹が急死して内紛が生じ、また遼の残党が大規模な叛乱をおこしていた。いまや金国のほうが和平を必要としていたのだ。機を逃せばずるずると戦争状態がつづくことになりかねない。
(中略)
岳飛は和平に対して徹底的に反対をつづけていた。彼は原則主義者であったから和平に反対したのだが、鋭敏な感覚で、秦檜が推進する和平案にいかがわしさを感じてもいたのだ。いま和平を必要としているのは宋よりもむしろ金であり、金の指導部と密かに結託した秦檜自身ではないのか。
まだ三十代の岳飛が、韓世忠をすらしのぐ宋随一の名将として、どれほどの武勲をあげてきたか。例をあげれば際限がない。農家の家に生まれ、二十歳で義勇軍の隊長となった。徽宗や欽宗の御宇には、もっぱら各地の賊徒を討伐して功績をあげた。金軍が侵入してくると、黒竜潭や?城などでかがやかしい勝利をあげた。洞庭湖で強大な勢力を誇っていた賊軍を、単独で滅ぼした。わずか八百の兵で五万の敵を撃破したこともある。深く金国の領土に進撃して、かつての首都開封の近くにまで迫ったこともあった。彼のひきいる部隊「岳家軍」は金軍に恐れられ、「山を憾かすは易し、岳家軍を憾かすは難し」とまでいわれたのである。>
はっきり言って岳飛を賞賛しすぎです。創竜伝4巻で日本の東郷平八郎を「一局地戦の指揮官」という一言で斬り捨てたのはどこのどなたですか? 岳飛が「秦檜が推進する和平案にいかがわしさを感じてもいた」のは、私に言わせれば「鋭敏な感覚」ではなく「軍国主義者の妄想」でしかないんですけど。
「いま和平を必要としているのは宋よりもむしろ金であり、金の指導部と密かに結託した秦檜自身ではないのか」
って、この人は宋と金の軍事力の格差を過小評価しているのではないでしょうね。金が騒乱状態にあるからこそ「今が和平の好機」と秦檜は判断したのでしょうし、そもそも「金の指導部と密かに結託した」というのは何を証拠にそんな事を主張しているのでしょうか。
一応その「証拠」の記述はあるのですけど、
紅塵 P46
<もともと秦檜は、徽宗や欽宗が金軍の捕虜となったとき、やはり捕虜となって北方へつれさられたのである。それがやがて無事に帰ってきたので、人々はおどろいた。秦檜自身は平然として、悪びれたようすもない。
「監視の金兵を殺して、生命がけで脱出してきたのだ」
そう秦檜は説明したが、これは誰も信じなかった。秦檜は妻子や従僕を全員ひきつれ、家財道具までかかえて悠々と帰ってきたのだ。兵士を殺して脱出したにしては、追跡者の姿もないではないか。そして帰国直後から宮廷に復帰すると、秦檜は、たちまち和平派の領袖として宰相にのしあがっていった。人々は推測し、結論を出した。秦檜は金国の重臣と密約を結び、和平を推進するという条件で帰国を許されたにちがいない、と。>
「人々の推測の結論」とやらを証拠にするとは、岳飛も相当にヤキが回りましたか。それが完全に正しいという証拠でもあるのですか? もし秦檜が「金の重臣と密約」をしていたのならば、岳飛のいうがままに「遠征」させた上で、その作戦を妨害したり、敵に情報を流して大敗させれば良いのです。第一、宋を一方的に平定し、勝利の勢いに乗っていた当時の金が、なぜ宋と和平を結ぶ密約を秦檜と結ぶ必要があるのですか?
秦檜と岳飛が和解する事など不可能です。話し合いで解決がつかないのですから、当時の常識で考えれば、和平を推進する秦檜が、自分の意見と対立している岳飛を殺したのは当然です。もし秦檜が岳飛を殺さなければ、和平の妨害にもなったでしょうし、逆に岳飛が秦檜を殺していたかもしれません。政治闘争に「完全な善」と「完全な悪」などありません。勝った者と負けた者があるだけです。
一方、秦檜は次のように酷評されています。
紅塵 P127~P128
<異民族に対して頭をさげ、屈辱にたえねばならないのは、秦檜ではなくて高宗皇帝である。平和を買うために多額の歳貢を支払うのは、秦檜ではなくて租税をおさめる民衆である。講和条約のために終生、北方の荒野に抑留されて望郷の涙を流すのは、秦檜ではなくて欽宗皇帝である。同じく講和条約のために無実の罪で虐殺され、一族を流刑に処せられたのは、秦檜ではなくて岳飛である。
何ひとつ秦檜は失っていない。そして和平成立の大功績は、ことごとく彼の手に帰した。秦檜という人物が、他人の犠牲を自分の利益に転化させる芸術家であったことがよくわかる。>
何とまあひどい記述ですね。「右翼の軍国主義者」が喜んで主張しそうなセリフですな。それほど金と和平した秦檜が憎いのですか。ならば日本の謝罪外交を推進した愚劣な社会党も同じように論じてくださいよ。田中芳樹の論理は全く首尾一貫していません。何の理由もなく日本と中国でこれほどまでに違う主張をしていては、「二枚舌」といわれても仕方ないでしょうね。
そして「紅塵」のなかで一番ひどい主張が次の一文です。
紅塵 P199~P200
<平和ほど庶民にとってありがたいものはない。だが庶民にとっても、岳飛の死は傷ましかった。岳飛は不敗の名将であり、軍律は厳しく、たとえば張俊や劉光世の軍のように自国民から掠奪することを厳禁した。それだけでも岳飛は賞賛されるべきであった。庶民は声をひそめて、岳飛の武勲をほめたたえ、一方で権勢をほしいままにする秦檜をののしった。
「両国の和解は私が成立させた。この平和と繁栄は私の功績だ」
秦檜はそう自負していたが、彼に対して感謝する庶民は、おそらくひとりもいなかったであろう。庶民が感謝した相手は岳飛だった。岳飛が侵略者に対して善戦し、ついには無実の罪を負って死んだからこそ、和平がなったのだ。
(中略)
一方で、秦檜を弁護して、つぎのような主張をすることも可能である。
「秦檜の政策によって、南宋は平和と繁栄を手にいれることができた。その功績に比べれば、無実の人間に汚名を着せて殺すぐらい、ささいなことではないか。無知な民衆に憎まれる秦檜こそ被害者というべきだ」
ただし、この論法は、秦檜自身でさえ公言したことがない。詭弁にも限界があるということであろう。>
私が今回、秦檜の弁護のために展開している論法は、田中芳樹が言う「詭弁」なんですけどね~(^_^)。彼の歴史を見る目がこの記述に見事に表れていますね。歴史を見る視点が単眼な上、それ以外の視点を否定しているのがよく分かります。だから創竜伝でも中国礼賛や日本罵倒しかできないし、建設的な批判ができないのでしょう。
それに「庶民が感謝した相手は岳飛だった。岳飛が侵略者に対して善戦し、ついには無実の罪を負って死んだからこそ、和平がなったのだ」って、そこまで岳飛に肩入れする事もないでしょうに。それはあんたの個人的な思い入れでしょう。「侵略者」から宋を守る事は岳飛でなくてもできたでしょうけど(「抗金名将」は岳飛だけではない)、金と和平を成立させる事は秦檜にしかできなかったのですよ。「侵略者」を撃退したから和平がなったのではなく、和平がなったから「侵略者」が侵略してこなくなった、という事が理解できないのでしょうか。政治の方が軍事よりも上であることくらい、田中芳樹も知っているだろうに、なぜこんな記述をするのでしょうね。
それにしても創竜伝であれほど「限界のない詭弁」を弄している田中芳樹が、「詭弁にも限界があるということであろう」などと主張するとは笑止な限りですね。そもそも田中芳樹が創竜伝で展開している社会評論は、「限界のない詭弁」ではないのですか? 創竜伝の左翼論調を当時の宋に当てはめると、下のような社会評論になるのではないでしょうか。
<「異民族に対して頭をさげ、偉大なる宋の名誉を傷つけた」などと民衆から誹謗中傷を浴びせられるのは、高宗皇帝ではなくて秦檜である。金との講和条約を苦労して結んだのは、当時の岳飛の右翼思想に汚染された愚鈍な民衆ではなくて秦檜である。自らの無能のために国を滅ぼすまいと宋のために必死になっていたのは、皇帝としての責任感なき欽宗皇帝ではなくて秦檜である。そして和平によって宋の経済的繁栄をもたらしたのは、自己中心的な誇大妄想にとりつかれて最後まで和平に反対した岳飛ではなくて秦檜である。
宋の平和と繁栄のために非常に多くのものを秦檜は失った。そして「中国の英雄」という名声は、ことごとく岳飛の手に帰した。岳飛という人物が、他人の汚名を自分の名声に転化させる芸術家であったことがよくわかる。なんでこんな人物が「中国の英雄」などと称えられるのか全く理解に苦しむ。本当の英雄とは、人々の反対を恐れずに平和に尽力した秦檜のような人を言うのであって、一局地戦の指揮官の分際で「和平反対」などと絶叫した岳飛などは、「右翼の軍国主義者」「平和の敵」「大量虐殺者」として糾弾されるべきではないか。平和が何よりも大事なのだという事が、岳飛には全く分かっていない。
岳飛の増長を招いたのは、当時の宋の庶民にも責任がある。平和ほど庶民にとってありがたいものはないはずなのに、無知蒙昧なる庶民は、和平よりも岳飛の死の方に関心があったようだ。確かに岳飛は不敗の名将であり、軍律は厳しく、たとえば張俊や劉光世の軍のように自国民から掠奪することを厳禁した。しかしそんなことは軍として当然の事であり、特別に賞賛すべきことではない。むしろ当時の軍隊が「自国民から掠奪」するような羞恥心欠乏症な人間の集団であったことが問題視されるべきであろう。庶民は声をひそめて、「右翼の軍国主義者」である岳飛の武勲をほめたたえ、一方で金との和平の大功労者である秦檜をののしった。それほど秦檜が憎いのならば影でこそこそと陰口を叩かずに、革命でも起こして宋もろとも秦檜を打倒すべきだったではないか。それなのに、結局彼らは秦檜にしたがったわけであり、当時の宋の庶民に自主性がなかったことの、何よりの証である。彼らの罪もかなり重いとみなさなければならない。
一方で、岳飛を弁護して、つぎのような主張をすることも可能である。
「岳飛の善戦によって、南宋は侵略者を撃退することができた。その功績に比べれば、和平を妨害し、無用な戦争によって大量の死傷者を敵味方双方に出した事くらい、ささいなことではないか。民主主義の原則から言えば、民衆に尊敬される岳飛こそ被害者というべきだ」
ただし、この論法は、岳飛自身でさえ公言したことがない。詭弁にも限界があるということであろう。にもかかわらず、岳飛は800年以上にもわたって不当な名誉を与えられ続けてきた。いいかげんに名誉を剥奪し、現在の法律で岳飛を裁く人民裁判を開廷すべきである。そして秦檜の名誉回復をこそ、やらなければならないことではないだろうか。
そして今からでも遅くはない。岳飛をはじめとする軍人どもと、それを熱狂的かつ盲目的に支持した宋の「臣民」たちがしでかした、800年前の金に対する「過去の侵略行為」の罪を、宋の後継者である今の中国政府は、女真族に対して公式の場で謝罪すべきである。「過去の侵略行為」を直視してこそ、自国の歴史と文化に対して誇りをもてるのだから。>
う~ん、我ながらものすごい左翼評論だ(笑)。こんなの出したらマジで発禁になってしまうわな。中国政府から「同志岳飛をそこまで貶める小説など発禁にしろ」なんて内政干渉されたりして(^^;)。
創竜伝といい、紅塵といい、どうも小説の中に田中芳樹個人の主観的な思い入れが入り込みすぎているような気がしますね。日本批判では「日本憎し」の感情が、中国礼賛では「中国大好き」な感情が込められているのがわかりますから。そこまで思い入れがない大半の読者にとってはたまったものではありません。小説としての面白さが損なわれる事はなはだしいのですから。
今回はあえて秦檜の弁護と岳飛の糾弾をやってみました。どうも「紅塵」における秦檜の記述が一方的であると感じたもので。
次からは再び創竜伝の批評に戻ります。
岳飛と秦檜について田中芳樹氏は『中国武将列伝』という本にも書いて(語って?)いますので、参考までに該当部分を引用してみましょう。
(この本、どうやら書いたのではなく、インタビューかなにかで語った内容を編集したものみたい。彼の語りはアレですが、各ページにその名将のイラストが挿入されていて、これがなかなか。中国史が好きな人はこれだけでもまあ買ってもいいかな、という感じ)
<(秦檜について)
ただし、非常に有能な人ではありましたから、たちまち高宗皇帝のお気に入りになって、そこで和平論を唱えはじめました。つまり、金が攻めてくる、それに抵抗してがんばってはいるんだけども、永遠に戦いをつづけるわけにはいかないし、一挙に北上して全国土を回復するというわけにもいかない、もう和平したほうがいいということですね。それはそれでもっともな主張ではあります。実際の話、財政的にもかなり苦しい状態でしたから、和平したほうが良いというのは、けっしてまちがった意見ではありません。
それで、秦檜は朝廷の実権を握って、和平策を推進することになるんですが、当然反対派がいるわけですね。岳飛がその急先鋒でした。
(中略)
結局、秦檜は、トータルで見てみると、どうしても和平を利用して自分の地位を固めたとしか見えないところがあります。とにかくこの和平によって秦檜は何ひとつ失っておりません。たとえば、金の捕虜になって北方につれ去られていた欽宗皇帝なんかは、もうそのままずっと幽閉されて死ぬわけです。岳飛なんかは無実の罪で殺されてしまいます。そういう犠牲の上に和平が成り立ったわけですけど、秦檜自身は何を失ったかというと、何も失っていない。得るものばかりでした。
ですからぼくがちょっとそこらへんの時代を小説に書いたときに(注・『紅塵』)、秦檜というのは、要するに祖国のために涙をのんで悪役を引き受けた自己犠牲的な人物だった、という解釈ができるかどうか、ずいぶん検討してみましたけど、全然無理でしたね。
(中略)
とにかくそれで、平和にはなったので、宋は経済開発に勤しんで、高宗皇帝自身が詔を出して、海上貿易を盛んにせよ、みたいなことをいっています。それで商業も農業も発展して、豊かな国になったわけで、その点では秦檜の和平策というのは、政策としてはまちがっていなかったと思われます。ただし、政策以前に問題になるのが、無実の人間に謀反の汚名を着せて殺してもいいのかということですね。政策さえ正しければ無実の人間を殺すくらいささいなことだ、という見方もできるでしょうけど、これは当の秦檜でさえ、そういうことはいっていないですからね。彼は反対派を弾圧したり暗殺したりしましたが、さらに歴史書を改竄もしております。
(中略)
日本でも、だいたい昔から岳飛というのは、あっぱれ忠臣である、忠義の名将であると誉められていたんですけども、日中戦争が始まると、岳飛といのはいわば外国からの侵略に対する抵抗のシンボルですから、日本にとっては都合が悪くなって、岳飛の悪口を言うようになりますね。それで、当時の外務省のお役人が、「支那は秦檜に学べ」なんてタイトルで論文を書くわけです。要するに日本と和平を結べといっているわけですが。ただこれが根本的にまちがっているのは、秦檜という人は、無実の人間を殺して国を売って、自分ひとり栄耀栄華をきわめた極悪人ということになっていますから、そのときに中国側に日本と和平しようと考えていた人がいたとしても、秦檜に学べといわれたら絶対に応じるわけにはいかないんですね。だから、そのていどのことも、日本の政府はわきまえていなかったということです。つまるところ、まじめに和平しようなんて考えていなかったといわれてもしようがないですね。>
>右翼・田中芳樹
大体、戦時中の“尽忠報国”というスローガンは岳飛が背中に入れていた刺青の文句が元ネタですよね(笑)。
いくらなんでも、歴史小説の世界観にケチをつけるのはあんまりでしょう。歴史小説に書いてある内容から作家の考え方を云々するのは、いちゃもんつけ以上には思えません。
んな事言い出したら、陳腐な反論ですが「日本の戦国時代を書く作家の言うことにもいちいちつっかかるのですか?」となってきます。
「乱世」を書いた歴史小説を読む人とかは多かれ少なかれそんな時代に憧れる気分を持ってるものでしょう。理性では「実際そんな時代に生まれたらたまったもんじゃなかった」とわかってはいても。
だから、歴史小説に書いてある内容から作家に文句をつけるのはナンセンスだと思いますよ。
あと、冒険風ライダーさんへ。
あなたの批判、「秦檜が無実の罪を着せて岳飛を殺した」という部分を意図的に無視あるいは小さく扱おうとしているように思えるのですがどんなもんでしょうか。
田中芳樹だって「秦檜の和平論自体は間違ってない」とキチンと認めた上で、「でも無実の罪で殺すってのはスジが通らない」と言っている訳で、別段見当違いなことを言っているようには思えません。それと「権力闘争だから仕方なかった」ってのはまた別問題でしょう。田中芳樹はあくまで「スジ」の話をしているわけで。
あと、岳飛の入れ墨「尽忠報国・精忠岳飛」ってのは現代で考えると十分アレな内容、ってのは田中芳樹自身が中国武将列伝だったかどうかは忘れましたがちゃんと言ってましたよ。別に岳飛だったらなんでも許す、ってわけでは無かったはず。
小村さん、「中国武将列伝」の本の内容を引用してくださり、ありがとうございます。私は田中芳樹の中国物は3つしか持っていないのですよ。現代物や架空小説はほぼそろえたのですが、中国物は中国アレルギーがあったもので(-_-)。
それにしても「中国武将列伝」における田中芳樹の主張はこれまたひどいものですね~。「紅塵」よりもひどくありませんか? いちおう前半部分で秦檜を評価してはいるようですけど。
<結局、秦檜は、トータルで見てみると、どうしても和平を利用して自分の地位を固めたとしか見えないところがあります。とにかくこの和平によって秦檜は何ひとつ失っておりません。たとえば、金の捕虜になって北方につれ去られていた欽宗皇帝なんかは、もうそのままずっと幽閉されて死ぬわけです。岳飛なんかは無実の罪で殺されてしまいます。そういう犠牲の上に和平が成り立ったわけですけど、秦檜自身は何を失ったかというと、何も失っていない。得るものばかりでした。
ですからぼくがちょっとそこらへんの時代を小説に書いたときに(注・『紅塵』)、秦檜というのは、要するに祖国のために涙をのんで悪役を引き受けた自己犠牲的な人物だった、という解釈ができるかどうか、ずいぶん検討してみましたけど、全然無理でしたね。>
非常に面白い主張です。この田中芳樹の論理を使うと、和平を結ぶ人間は何かを失わなければならない、という事になってしまうではありませんか。こんなアホな主張をよく展開できるものです。だいたい秦檜が和平によって何かを得る事がそんなに悪い事なのですか?
<とにかくそれで、平和にはなったので、宋は経済開発に勤しんで、高宗皇帝自身が詔を出して、海上貿易を盛んにせよ、みたいなことをいっています。それで商業も農業も発展して、豊かな国になったわけで、その点では秦檜の和平策というのは、政策としてはまちがっていなかったと思われます。ただし、政策以前に問題になるのが、無実の人間に謀反の汚名を着せて殺してもいいのかということですね。政策さえ正しければ無実の人間を殺すくらいささいなことだ、という見方もできるでしょうけど、これは当の秦檜でさえ、そういうことはいっていないですからね。彼は反対派を弾圧したり暗殺したりしましたが、さらに歴史書を改竄もしております。>
岳飛を「無実の人間」と最初から決めてかかっている所からすでに間違っていますね。岳飛は一庶民ではなく軍人です。それもかなり高位の。その気になればクーデターでも起こして秦檜を殺す実力をもっているのですよ。現在の価値観を、それもかなりめちゃくちゃな解釈で当てはめる事で当時の政治闘争の勝者を裁くという、歴史の冒涜をやって恥ずかしくないのでしょうか。
「これは当の秦檜でさえ、そういうことはいっていないですからね」
って、それは「当の秦檜」が岳飛を「無実の人間」とは考えていなかったからでしょう。むしろ「自分の地位を脅かす政敵」とでも考えていたのでは? 岳飛は秦檜にとって、少なくとも「無力な人間」ではなかったのですから。田中芳樹は、秦檜の自己防衛という観点はまったく考えなかったのでしょうか。一体何をもって秦檜を「トータルで見て」みたのでしょうかね?
「彼は反対派を弾圧したり暗殺したりしましたが、さらに歴史書を改竄もしております」
またアホなことを言ってますね。それじゃ他の中国の権力者が全く「反対派を弾圧したり暗殺したりしましたが、さらに歴史書を改竄もして」いなかったとでもいうのでしょうか。「反対派を弾圧したり、暗殺したり」なんて中国の歴史では日常茶飯事です。歴史書の改竄なんて中国の歴代王朝全てで当たり前におこなわれていましたし、今現在の中国政府だってやってますよ。「南京大虐殺の犠牲者数」や「日中戦争における死傷者の数と被害総額」がいまだに増加しているという、訳の分からない現象を見ればすぐに分かるでしょうに。
<日本でも、だいたい昔から岳飛というのは、あっぱれ忠臣である、忠義の名将であると誉められていたんですけども、日中戦争が始まると、岳飛というのはいわば外国からの侵略に対する抵抗のシンボルですから、日本にとっては都合が悪くなって、岳飛の悪口を言うようになりますね。それで、当時の外務省のお役人が、「支那は秦檜に学べ」なんてタイトルで論文を書くわけです。要するに日本と和平を結べといっているわけですが。ただこれが根本的にまちがっているのは、秦檜という人は、無実の人間を殺して国を売って、自分ひとり栄耀栄華をきわめた極悪人ということになっていますから、そのときに中国側に日本と和平しようと考えていた人がいたとしても、秦檜に学べといわれたら絶対に応じるわけにはいかないんですね。だから、そのていどのことも、日本の政府はわきまえていなかったということです。つまるところ、まじめに和平しようなんて考えていなかったといわれてもしようがないですね。>
これまた訳の分からない論評ですね。「わきまえていなかった」のはあんたの論理です。あんたの個人的な感情と偏った歴史観で一方的に断罪される秦檜と日本政府もいい面の皮ですよ。
だいたい、たかが秦檜に対する悪感情くらいで中国側が和平を結ばないなんてバカな事がありえるでしょうか。そんなこと、銀英伝で政治を論じている田中芳樹だって分かっているでしょうに。それに、あれほど「愛国者」を否定しておきながら、秦檜を「売国奴」とののしっている姿勢も理解に苦しみます。「タイタニア」のジュスラン公爵ではありませんが、「愛国者でも売国奴でも一方的に弾劾される。一体どう行動したら田中芳樹卿に誉めていただけるのだろうか」と言いたくなりますね(^^;)。
ところで俺様ランチさん、
<いくらなんでも、歴史小説の世界観にケチをつけるのはあんまりでしょう。歴史小説に書いてある内容から作家の考え方を云々するのは、いちゃもんつけ以上には思えません。
んな事言い出したら、陳腐な反論ですが「日本の戦国時代を書く作家の言うことにもいちいちつっかかるのですか?」となってきます。>
私が言いたかったのは、歴史小説の世界観についてではなく、歴史小説の人物評価の中に田中芳樹個人の思い入れが入り込みすぎている、ということです。普通小説の人物評価の中に作者個人の感情が入り込みますか? それも読んでて露骨に分かるほど。田中芳樹と全く同じ考えを持った人間でない限り、「創竜伝」の社会評論や「紅塵」の人物評価には同調できないでしょう。他人が違う見方をしているかもしれないのに、まるで自分の見た視点だけが絶対であるかのような記述が、「創竜伝」にも「紅塵」にもあるのです。私が引用した「紅塵」のP199~P200の文章なんて、その最もたるものですよ。そしてそれが、小説の面白さをかなり損ねています。これは批判されるべき事ではないでしょうか。
<あなたの批判、「秦檜が無実の罪を着せて岳飛を殺した」という部分を意図的に無視あるいは小さく扱おうとしているように思えるのですがどんなもんでしょうか。
田中芳樹だって「秦檜の和平論自体は間違ってない」とキチンと認めた上で、「でも無実の罪で殺すってのはスジが通らない」と言っている訳で、別段見当違いなことを言っているようには思えません。それと「権力闘争だから仕方なかった」ってのはまた別問題でしょう。田中芳樹はあくまで「スジ」の話をしているわけで。>
「権力闘争だから仕方なかった」けど、「でも無実の罪で殺すってのはスジが通らない」という主張は、当時の常識から考えると全く矛盾します。そもそも昔の「権力闘争」というものは、様々な手段を使って政敵を抹殺することで勝者が決まるのです。今だって抹殺とまではいかずとも無力化はめざすでしょう。そこに道徳論など入り込む余地はありません。「勝てば官軍」の世界なのですから。これはアルスラーン戦記や銀英伝でも描かれている事なんですけど、それを田中芳樹が「知らないふり」をして岳飛を擁護しているのがおかしいと考えたのです。だから「これはやはり岳飛に対して相当な思い入れがあるな」と思いました。
それと、私が「秦檜が無実の罪を着せて岳飛を殺した」という部分を意図的に無視あるいは小さく扱おうとしたのはまさにその通りです。上記の理由と、田中芳樹に対するアンチ・テーゼとして今回は秦檜弁護に回ったわけですから。田中芳樹だって、秦檜を「売国奴」だの「他人の犠牲を自分の利益に転化させる芸術家」だのと言っていましたので、そんなに罵倒されている秦檜にだって言いたい事があるだろう、と思ってあえて反対の立場から書いてみました。
後、日本と中国とで、何であそこまで記述が違うのかも疑問に感じました。全面的な否定論調と、いまどきの朝日新聞もやらないような一方的な礼賛です。これもやはり「思い入れ」が大量に小説の中に入り込んでいるからだと考え、あえて秦檜弁護な論調で前回の主張を展開しました。もう一度言いますが、小説の中に作者個人の感情が入っていて、しかもそれが読者に露骨に分かるようでは、小説の面白さは保てません。私が言いたかったのはそれです。けっして「歴史小説の世界観」を否定しているのではありません。
>いくらなんでも、歴史小説の世界観にケチをつけるのはあんまりでしょう。歴史小説に書いてある内容から作家の考え方を云々するのは、いちゃもんつけ以上には思えません。
> んな事言い出したら、陳腐な反論ですが「日本の戦国時代を書く作家の言うことにもいちいちつっかかるのですか?」となってきます。
まあ、ある部分もっともだとは思うのですが(普通の作家などにはね)、田中芳樹には創竜伝で塩野七生氏に対して「いちゃもんをつけて」いるのをはじめ、他の歴史作家の作品の世界観に「つっかかってい」る前科がありますから、許容される要素があると思いますよ。
冒険風ライダーさんへ
岳飛が褒めちぎられてるから秦檜の弁護をしたくなる、ってのもわからなくはないですが「秦檜の像に観光客が唾を吐きかける」なんてのは田中芳樹の創作ではなく実際にあった話ですし。田中芳樹の思いこみではなく岳飛ってやっぱ中国ではヒーローなわけですし。
「作家の思い入れの度が過ぎる」なんてのは田中芳樹に限らず日本の戦国時代ものを書く人には少なからず当てはまりますし、塩野七生だってそうですし。「徳川家康」では秀吉は悪役だし、「太閤記」では家康は悪役なわけで。
ただですね、「歴史小説の登場人物」という絵としてはやっぱり秦檜では主人公にはなれないわけで。権力闘争は確かにどこにでもある話だし、追い落とす為になんでもする、ってのも確かにありふれた話です。が、変な話ですが「無実の罪を着せて拷問で殺すよりも、私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し、の方がカッコイイ」って思う心は誰にでもあるんじゃないでしょうか。「卑怯よりは粗暴を良しとする」という雰囲気もあるでしょう。
「秦檜の自己防衛」もわからんでは無いですが、それでもやっぱ「冤罪被せて拷問で殺す」ってのは一般ウケしませんよ。岳飛が実際にクーデターを起こそうとした、って証拠でも出てこない限り。普通に話の展開を聞けばやっぱり岳飛は「強かったけど可哀想な人」で、秦檜は「やな奴」ですよ。
そんなに秦檜が悪くなかった、と言うなら誰かしら秦檜を主人公にした小説を書けばいいんですよ。「田中芳樹の偏った歴史観」が責められるべきならば、それを十分な説得力を持って否定できるような「歴史小説」を誰かが書けばいいんですよ。
田中芳樹だって中立の学者じゃないんですから、歴史上の人物に贔屓は出てくるでしょうし、それは歴史小説作家全般に言える事でしょう。でもそんな「偏った歴史観」が大手を振って歩いてるのは他の歴史小説作家がふがいないからだと思います。
責められるべきは「偏った歴史観の元に小説を書く作家」だけではなく「そんな作家だけに題材(例えば岳飛秦檜ネタ)を独占させている他の作家」も同様だと思いますよ。
実際にはそれほどすごかったかどうかわかんない坂本竜馬のイメージが「竜馬がゆく」で決まってしまったように、秦檜を再評価する空気を作るような小説を誰かが書かない限り、「田中芳樹的秦檜論」が「一般化」してしまっても仕方ないと思います。
いくら「田中芳樹の中国ネタが間違いだらけ」だろうとも、他に誰も書かないジャンルを開拓している、という点では田中芳樹風歴史小説は評価されていいと思いますよ。間違いがそんなに多いんだったら、それをつっこむような小説を誰かが書けばいいだけの話で。
田中芳樹が言ってましたが、「歴史小説は魅力ある虚像を作ったもん勝ち」ってのはまったくその通りだと思いますよ。
>岳飛について、冒険者ライダー様の意見について
岳飛は異民族に苦しめられた明代では
救国英雄、
金の末裔である清の時代には
忠臣として
評価され、
満州事変後は
抗日英雄とされ
民衆の人気が高い
そうです。
田中氏があえて「愛國者」をとりあげ
たのはそこら辺があるのかもしれません。
創竜伝に記述があり、
前に話題になったベトナムの劉なんとか
という方は晩年台湾で抗日ゲリラやってた
そうですし。
秦檜は中国で売國奴扱いですが
対金講和によって南宋の繁栄を
築いた面もあります。
人気がでるタイプじゃないでしょうが。
臨安の岳飛の墓にある岳飛像の前に
鎖でつながれた秦檜夫婦像あるそうです。
秦檜が嫌われてるのは事実みたいです。
<岳飛が褒めちぎられてるから秦檜の弁護をしたくなる、ってのもわからなくはないですが「秦檜の像に観光客が唾を吐きかける」なんてのは田中芳樹の創作ではなく実際にあった話ですし。田中芳樹の思いこみではなく岳飛ってやっぱ中国ではヒーローなわけですし。
「作家の思い入れの度が過ぎる」なんてのは田中芳樹に限らず日本の戦国時代ものを書く人には少なからず当てはまりますし、塩野七生だってそうですし。「徳川家康」では秀吉は悪役だし、「太閤記」では家康は悪役なわけで。>
これは少し私の書き方が悪かったですね。私は別に「紅塵」の内容が間違っていると言いたいのではなく、小説としての必要以上に岳飛が礼賛され、秦檜が罵倒されていると言いたかったのです。小説なのですから、岳飛が善で秦檜が悪とみなされるのは仕方がないでしょうけど、銀英伝でオーベルシュタインを「冷血な正論家で憎まれ役」と善悪両面を評し、道徳論などで一方的に「悪」呼ばわりしなかった田中芳樹とは思えないような記述でしたからね。秦檜にだって秦檜の立場や考え方があり、岳飛を「悪」と呼べるだけの「正義」があったはずですし、国のために必死になって和平を結んだのでしょうに、一方的に「売国奴」「絶対悪」と決めつけています。小説の中で秦檜が悪く言われるのは仕方がないとは思いますけど、せめてもう少し善悪両面の観点から評価できないのか、と私は言いたかったわけです。銀英伝やアルスラーン戦記ではちゃんとやっているのに、ですよ。
そればかりか、秦檜を弁護する人まで「悪」呼ばわりするありさまです。秦檜を弁護する人に何の罪があるのですか。自分の歴史観が絶対のものだとでも考えていない限り、あのP199~P200の記述はできないでしょう。歴史観なんて国や時代・個人によって変わるものですし、永久不変のものでもありません。私の歴史観が絶対的に正しいわけではないように、田中芳樹の歴史観が絶対的に正しいという保証はありません。その歴史観を小説の中に書くことで絶対性を誇示して異論を封殺し、読者を自分の歴史観で洗脳するような記述を、私は田中芳樹にだけはやってもらいたくはなかったのですよ。銀英伝やアルスラーン戦記・マヴァール年代記を「多面的な視点」で書いていた田中芳樹だけには。
<権力闘争は確かにどこにでもある話だし、追い落とす為になんでもする、ってのも確かにありふれた話です。が、変な話ですが「無実の罪を着せて拷問で殺すよりも、私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し、の方がカッコイイ」って思う心は誰にでもあるんじゃないでしょうか。「卑怯よりは粗暴を良しとする」という雰囲気もあるでしょう。
「秦檜の自己防衛」もわからんでは無いですが、それでもやっぱ「冤罪被せて拷問で殺す」ってのは一般ウケしませんよ。岳飛が実際にクーデターを起こそうとした、って証拠でも出てこない限り。普通に話の展開を聞けばやっぱり岳飛は「強かったけど可哀想な人」で、秦檜は「やな奴」ですよ。>
「無実の罪を着せて拷問で殺すよりも、私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し、の方がカッコイイ」という論理で岳飛を賞賛するのは、文官蔑視でずいぶん不公平ですし、それこそ「右翼の軍国主義者」呼ばわりされても仕方がないでしょう。「私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し」が素晴らしいというのならば、日本の5・15事件や2・26事件を絶賛しなければならないし、文化大革命も賞賛されるべきものになってしまいます。前にも言いましたが、政治闘争に善悪などないし、ましてや軍人と文官の区別などないのです。
それに銀英伝2巻で、オーベルシュタインとミッターマイヤーとロイエンタールの3者が手を組んで、帝国宰相であったリヒテンラーデ公爵を「無実の罪」で逮捕し、処刑しています。これも政治闘争です。さらに銀英伝6巻205ページで、ロイエンタールは次のように主張しています。
「リヒテンラーデ公の粛清は互角の闘争だった。一歩遅れていれば、処刑場の羊となっていたのは吾々のほうだ。先手を打っただけのこと。恥じる必要はない」と。
このとき、リヒテンラーデ公がラインハルト一派を粛清しようとしたという証拠は全くありません。状況判断だけで彼らは「リヒテンラーデ公の粛清」に踏み切ったわけです。しかしそれが間違っていたかといえば全然違います。先手を打たなければ、いつリヒテンラーデ公が牙を剥くか分からなかったし、彼は皇帝を押さえている帝国宰相ですから何とでも言い訳できます。もし、リヒテンラーデ公がラインハルトを粛清していれば、リヒテンラーデ公もロイエンタールと同じことを言ったでしょう。政治闘争では、政敵を陥れるための証拠など必要ないのです。そんなもの、後ででっちあげれば良いのですから。
政治闘争というものはこれほどまでに非道徳的なものなのであって、その勝者を「無実の人を殺すなんて」などという道徳的感情で裁くというのがそもそも間違っています。それを教えてくれたのが他でもない田中芳樹でしたから、こんな岳飛礼賛を読んでびっくりした事は確かです。それをいうなら、唐の太宗李世民の「粛清」もまた、同じように道徳的に裁かれなければならないでしょう。彼が兄弟を殺して帝位についたというのは有名な話ですからね。
結果論をもって過去の罪を問わない、というのならば、秦檜は岳飛を処刑した事によって金と和平を結び、宋の経済的繁栄をもたらしたのですから、秦檜の功績も否定すべきではないでしょう。田中芳樹は秦檜について、「無実の罪」というシロモノばかり強調せずに、もう少し両論併記に論じてほしかったものです。こう考えるのは間違っているのでしょうか?
冒険風ライダーさんへ
>「無実の罪を着せて拷問で殺すよりも、私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し、の方がカッコイイ」という論理で岳飛を賞賛するのは、文官蔑視でずいぶん不公平ですし、それこそ「右翼の軍国主義者」呼ばわりされても仕方がないでしょう。「私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し」が素晴らしいというのならば、日本の5・15事件や2・26事件を絶賛しなければならないし、文化大革命も賞賛されるべきものになってしまいます。前にも言いましたが、政治闘争に善悪などないし、ましてや軍人と文官の区別などないのです。
この「文官蔑視」「私兵を率いてクーデターの方がカッコイイ」ですが、歴史小説や英雄譚のネタとしての話です。
「平和な時代に文官が活躍する話」より「血みどろの悲惨な時代に大量殺人者である名将や英雄が活躍する話」の方を「お話として面白い」と思うのは自然なことだと思います。たとえ頭では戦争より平和の方がよっぽど素晴らしいとわかってはいても。
別に私が5・15事件を起こした将校にロマンを感じているわけではないですよ。
それと「紅塵」のp199~200の秦檜に関する記述がお気に召さないようですが、これってそんなに秦檜を不当に貶めてるとは思えないんですが。p200の
>一方で、秦檜を弁護してつぎのような主張をすることも可能である。
「秦檜の政策によって、南宋は平和と繁栄を手にいれることができた。(略)」
ただし、この論法は、秦檜自身でさえ公言したことがない。詭弁にも限界があるということであろう。
これを読んだ時には「へー、秦檜も自分のやった事に無理があるってのはわかってたんじゃん」って感心したもんですが。
それと、「中国武将列伝」での秦檜に関する記述には一応「有能ではあった」と書いてあるので、その辺までが田中芳樹が秦檜に好意的になれる限界だったんじゃないですか。金国が最も恐れていた岳飛を南宋の側で取り除いてしまうという一種の「利敵行為」を行っているとしても「だから秦檜は無能だった」とは一回も言ってないですし。確かに結果として田中芳樹は「岳飛好きで秦檜嫌い」ですがこの2冊を読んだ感じだと「秦檜に対して好意的になろうとしてはみたけど、やっぱコイツはイヤな奴だ」って結論に至る過程は読みとれたので、一方的な断罪という感想にはならなかったです。
って書いてくると、秦檜は「政治闘争に善悪は無い」云々以前に「岳飛排除という一種の利敵行為」の是非も問われなきゃならないと思います。金をビビらせる事のできる岳飛ありの和平と、岳飛無しの和平では内容も違って来たでしょうし、そうすると岳飛の存在を和平に活かせなかった秦檜の能力に対する評価の限界も見えてくると思います。
・・・なんですが、ここは秦檜に対する歴史的評価をする場ではなくて、田中芳樹の著作内容に責められるべき間違いがあるかどうか、を検討する場なので話を元に戻しますと、秦檜に対する田中芳樹歴史観的な評価は非難に値するほど酷なものではないと思います。まして「歴史小説」という「物語」を作る作家のスタンスとしては、民衆に愛された主人公としての岳飛と、売国奴と罵られる事になる秦檜への評価が正反対になるのは非難されるべき事ではないと思います。
つーか、こんなんは所詮好みの問題。どんな作家にだってある好き嫌いの範囲内。「田中芳樹を撃つ」参加者の議論の為の叩き台としては面白かったですが、こんなんいちいち本気で責めてたらキリないでしょ。その内誰かが秦檜主人公の小説書いてくれるまで待つしかないでしょ。「戦車のスペック」みたいに正解があるのに間違った記述をするのは論外ですが、「個々人の歴史的好み」にケチをつけるのはどうかな、と。「田中芳樹だって宮城谷昌光の史記好きとか他人の好みに文句つけてるじゃん」って論法は、この掲示板でみなさんが戒めている「暴を以て暴に易う」ですし。
う~ん、ちょっと言いたい事からずれてきていますね。私の言い方がまずかったようです。人に自分の考えを伝えるのは難しいものですね。
それでは、なぜ私が秦檜を弁護するような考えを持ったのかということから説明しましょう。
私も「紅塵」を始めて読んだ頃は、田中芳樹を尊敬していましたし、その内容に疑問を持った事もありませんでした。秦檜のことも「悪い奴だな」と何となく思っていたものです。
それが覆ったのは、1995年の謝罪外交の時です。田中芳樹は、非謝罪派をののしることで自分が謝罪派であり、謝罪外交を支持していることを示したのです(創竜伝9・10)。私はこの時始めて疑問に思ったのですよ。「なぜあれほど秦檜を非難した田中芳樹が、どう考えても屈辱的としか思えない謝罪外交を礼賛するのか」って。実のところ、これこそが私の左翼的思想脱却のきっかけになったのです。それで創竜伝や銀英伝を見なおしたら、どうもおかしな主張が多すぎるし、主張が矛盾している所がたくさんある事に気づいたのですから。
それで、私はこの理由を散々考えてみました。そして得た結論は、「中国に対する過剰な思い入れが、こんな二重基準的な違いをもたらしたのではないか」だったのです。井沢元彦氏の「逆説の日本史6」や、岡田英弘氏の「妻も敵なり」(クレスト社)などで秦檜弁護をやっていたので、「秦檜も完全に悪い奴ではないんだな」と考え直し、一方で謝罪外交に対する怒りはつのるばかりでしたから。この二つの違いは「国益を真剣に考えているのかどうか」という事が分かり、金と和平を結んで宋を滅亡の危機から救い、宋の経済的繁栄をもたらしたという点では、秦檜もまた愛国者だったわけです。そう考えると、秦檜に対するレッテル評価があまりにもおかしいではないかと思い、今回の批判となったわけです。
この「紅塵」における中国評価と「創竜伝」におけるめちゃくちゃな社会評論の原因が、ひょっとして同一線上にあるのではないか。私はそう考えて今回の「紅塵」批判に踏み切ったのです。まあ私のように深読みする人もあまりいないでしょうし、書き方もまずかったので、田中芳樹の「個々人の歴史的好み」を非難しているように見えたのは仕方がありませんね。このあたりは私のほうに非があったようです。
それと巷にあふれている、岳飛と秦檜に対する評価が田中芳樹的なシロモノしかなかったので、あえて田中芳樹を「岳飛礼賛・秦檜否定」の第一人者に仕立て上げて、その一元的な評価をたたくというスタンスを取りました。正直言って、秦檜に対する評価が否定的なものしかないために気色悪かったんですよ。この一元的な評価方法が、昨今の歴史認識問題とも関係があると思いましたので。
「中国武将列伝」における田中芳樹の秦檜評価は、「宋の国益と存続」という観点が抜けていると思いました。私は秦檜をオーベルシュタインのような人間だと考えたんです。「嫌われる正論家」という点では両者は共通しているでしょ? 秦檜評価を銀英伝のオーベルシュタインに当てはめると、オーベルシュタインもまた「売国奴」扱いになってしまいます。オーベルシュタインをあれほどうまく描いた田中芳樹が、秦檜を変な道徳論で罵倒するなよな、という私の個人的感情も入っていたんですよね、あの批評は。私は思想的にはオーベルシュタインが大好きなんですよ。あの冷酷な考え方が。
私の考えはこんなところですね。岳飛と秦檜の記述が不満な点を除けば、「紅塵」は面白い小説だと私も思います。だから私は紅塵を「駄作」と貶めるつもりはありません。私はあくまでも「田中芳樹の歴史評価の一元的な視点」を指摘しているのであって、決して「個々人の歴史的好み」を否定しているのではありません。その辺はご理解いただきたく思います。
決してつまらない、ということはないんですが・・・。
個人的には、過去と現在の視点を交互に描いていく手法が、逆に散漫さの方を強く感じさせ、どっちつかずになってしまったような印象がありますね。
もっと頁数があればまた違ったかもしれませんが。(どちらのお話もボリューム的にも内容的にも物足りない)
恐らく、岳飛や秦檜を直接描くのは(自分自身の中でも)時期尚早。しかし、あまりの三国志ブームに業を煮やしていた折でもあり、何とか布教の為の文書はものしたい、というせめぎあいの中で、苦肉の策として彼らの後の世代を「一応の」主人公としたのだと思われます。
事実、主人公・韓子温のキャラは全く立たず(というか、初めから「キャラを立てる」ことを放棄してる)、殆ど『ダグラム』のクリン・カシム状態(笑)。
大体、『紅塵』を読んでない人がここの書込みを見たら間違いなく岳飛が主人公の話だと思うでしょう。
あと、余談ですが井上祐美子の『女将軍伝』は主人公のキャラクター造形といい、過去と現在を交互に描写する手法といい、全てに渡ってこの『紅塵』のパクリにしか見えません。
主人公・秦良玉のキャラは『紅塵』に登場する韓世忠の妻・梁紅玉と全く見分けがつきませんし。(名前まで似てる。まあ、どちらも実在の人物ですから偶然ですが)
しかし、何も女性の作家が女性を描くのが苦手なことには定評のある(?)師匠の作品をパクらなくてもいいと思うんですけど。
(アレ?ひょっとしてこのネタ以前にも書いたかな)
小村損三郎さんへ。
私の場合は、それに加えて「岳飛主人公で書こうと思って資料集めてたらたまたま采石磯のエピソードを知り、アレもコレも詰め込みたくなった」ってのもあるような気がします。
確かに、岳飛と韓子温それぞれで中編2つでも良かったんじゃないか、って気もします。
冒険風ライダーさんへ。
謝罪外交と、オーベルシュタインが元になっての秦檜擁護、ってのはわかりました。ただ2つばかり、つっこみたいところを感じたので書いてみます。
1、謝罪外交の是非を論ずると話がかなりズレるのでやめますが、当時の南宋と現代日本では状況がまったく違うと思います。南宋は「侵略された国」であってそもそも金に臣下の礼をとる必要が無いのですが、日本はあくまで「侵略(進出でもいいですが)した国」であって、謝罪したところで全くの筋違いではないと思います。
ここで言いたいのは謝罪外交の正否ではなく、あくまで「南宋と現代日本の状況を同じとみる事に無理がないか」という事です。
2、オーベルシュタインと秦檜は確かに両者とも「嫌われる正論家」であったかも知れませんが、「嫌味なまでに私利私欲がない(という設定)」のオーベルシュタインと、それなりの権門である秦檜では好かれる要素に違いがありすぎだと思います。
「自ら死間になってもいい」とまで言ってのけるオーベルシュタインと、捕虜になった金から結構いい待遇で帰ってきた秦檜では、やっぱり自己犠牲の度合いがかなり違うと思います。
「秦檜の評価がどれも一緒なのが気に入らない」との事ですが、歴史上「悪人」の評価で固まってる人は他にもいるでしょうし、変に野党精神を発揮しなくてもいいのでは?
<謝罪外交の是非を論ずると話がかなりズレるのでやめますが、当時の南宋と現代日本では状況がまったく違うと思います。南宋は「侵略された国」であってそもそも金に臣下の礼をとる必要が無いのですが、日本はあくまで「侵略(進出でもいいですが)した国」であって、謝罪したところで全くの筋違いではないと思います。
ここで言いたいのは謝罪外交の正否ではなく、あくまで「南宋と現代日本の状況を同じとみる事に無理がないか」という事です。>
まず、謝罪外交と秦檜の外交は、表面的には両者とも屈辱外交であるという共通点があります。そして、「必要が無い」という点では謝罪外交の方がさらに必要性がありません。南宋の場合は、「国の存続」があったために仕方なく「名を捨てて実を取る」外交をしたと解釈できますが、謝罪外交は「名も実も丸ごと捨てたあげく、日本を貶めただけ」の外交でしかないのです。両者は確かに同列には扱えないでしょうけど、外交の例として見比べてみれば、謝罪外交の愚かさが分かるという意味で私はこの2つを一緒に並べて見ていました。だいたい「過去の戦争責任」なるシロモノは、すでに日本はサンフランシスコ平和条約や日中平和友好条約などですでに清算されているのに、なぜ今更罪を蒸し返されて謝らなければならないのですか?
それから、謝罪外交を論ずるのに、「状況がまったく違う」という事を考慮する必要は全くありません。なぜなら謝罪外交とは「現在の価値観をもって過去を裁き、その子孫が謝罪する」という、歴史を冒涜するものであるからです。この論理を使えば、現在の価値観によって岳飛を「右翼の軍国主義者」「大量虐殺者」と断罪できますし、秦檜を「平和の使徒」と礼賛できます。田中芳樹だって中国史でこんな見方をされれば、「現在の価値観でなぜ歴史上の人物を評価するのだ!」と主張するはずです。しかし田中芳樹が創竜伝で展開している日本の歴史評論では、まさに「現在の価値観をもって過去を裁」くという事をやっています(特に戦前)。大好きな中国では比較的まともに歴史評価している(ただし岳飛と秦檜だけは例外)田中芳樹が、なぜ日本の謝罪外交の愚かさに気づかないのか、私は不思議でなりません。
謝罪外交は、創竜伝と田中芳樹を論ずる時に非常に重要な問題だと私は感じていますので、「私の創竜伝考察シリーズ」でも取り上げてみようと思います。そのときに完全な答えを提出する事にしましょう。
<オーベルシュタインと秦檜は確かに両者とも「嫌われる正論家」であったかも知れませんが、「嫌味なまでに私利私欲がない(という設定)」のオーベルシュタインと、それなりの権門である秦檜では好かれる要素に違いがありすぎだと思います。
「自ら死間になってもいい」とまで言ってのけるオーベルシュタインと、捕虜になった金から結構いい待遇で帰ってきた秦檜では、やっぱり自己犠牲の度合いがかなり違うと思います。>
オーベルシュタインも、銀英伝1巻でイゼルローン要塞から「たった一人で悠々と」帰還していましたし、ラインハルトに取り入って自己の安全を確保しています。また、キルヒアイスを間接的に殺したのはオーベルシュタインですし、ローエングラム王朝が成立した時には軍務尚書(←これはかなりの権門でしょう)に収まっています。もし彼を、「銀英伝の後世の歴史家」が評したら、意外に秦檜と同じような評価になってしまう可能性も充分にあります。現に「彼に否定的な歴史家」が、ロイエンタールが死んだ時に「血塗らずして対立者を葬り去った」などと評していますし。
後世の人間にとって、オーベルシュタインに私利私欲があったのかどうかを判断する材料は歴史書しかありません。上記の行動を見て、オーベルシュタインに私利私欲や権力欲がなかったと評する事ができますか? そりゃ銀英伝読者や作品中の人間ならば知っていたでしょうけど、「後世の歴史家」が完全に知る事ができたかというと……。
これと同じことが秦檜にも当てはまるのではないでしょうか?
<「秦檜の評価がどれも一緒なのが気に入らない」との事ですが、歴史上「悪人」の評価で固まってる人は他にもいるでしょうし、変に野党精神を発揮しなくてもいいのでは?>
「悪人」の評価で固まっている人を、別の視点から改めて評価するということも私は重要なものであると考えています。「創竜伝」や「紅塵」における田中芳樹のように「ただ礼賛するだけ」「ただ否定するだけ」では何も分かりはしません。そう考えたからこそ、あえて「野党精神」なるものを発揮したのですけど。
あなたもここのHPが「田中芳樹批判1色」になってしまったら気味が悪いでしょう? それと同じ事だと考えてください。
それと論争を始めてからかなり応酬がありましたし、お互いに考え方が理解できたと思いますので、そろそろ論争を終わらせたいと思いますが、いかがでしょうか。
冒険風ライダーさんへ。
オーベルシュタインの1巻での行動、すっかり忘れてました。ですから私のオーベルシュタイン評、訂正しなきゃならない部分があると思います。そこは私が間違ってました。ただですね、この部分、
> 後世の人間にとって、オーベルシュタインに私利私欲があったのかどうかを判断する材料は歴史書しかありません。上記の行動を見て、オーベルシュタインに私利私欲や権力欲がなかったと評する事ができますか? そりゃ銀英伝読者や作品中の人間ならば知っていたでしょうけど、「後世の歴史家」が完全に知る事ができたかというと……。
ちょっと待って下さい。銀英伝をあなたは「後世の歴史家の視点」で読んでるんですか?小説の読者が作中の人物を評価するにあたっては「作品中の情報全て」を判断材料に使っていいと思います。「オーベルシュタインに私利私欲があったかどうかを判断する材料」は「後世の歴史家」はともかく、読者である我々は作品中の文章から得ているのです。それを判断材料に使って何が悪いのでしょうか?
別に田中作品に限ったことではありませんが、「小説のキャラを好き(嫌い)になる」かどうかの判断は「作中に客観的に表に現れる行動」にのみ影響されるのではありません。「そのキャラの行動と内面世界」を両方天秤にかけて、好き嫌いなり感情移入なりするのです。
小説でもマンガでも物語の「主人公格の人物」ってのは行動型の人間が多いですがその行動は「作中身近にいる第三者」にとっては迷惑でしかないという場合が多々あります。つまり「作中の第三者の立場」になっていたら、その作品の主要人物の魅力を正当に評価する事などできなくなってしまいます。
私もオーベルシュタインというキャラは嫌いでないですが、それはあくまでも「彼の内面」を読者という特権によって知っているからです。
「じゃあ秦檜の内面を知らずに彼を一方的に断罪しているのはどうなる」と返ってくるのでしょうが、それはちょっと違います。
「物語の人物を客観的な行動のみから評価」するのは「内面の情報まで与えられているのにそれを判断に活かさない」という理由で間違いなのですが、「歴史上の人物を客観的な行動のみから評価」するのは「内面の情報は判断材料にしたくてもできないため、客観的な行動からその内面を推し量るしかない」から「正しいのではなく仕方ない」のです。
以上、かなり長くなってしまいましたが、冒険風ライダーさんの小説を読む姿勢にちょっと疑問を感じたので、反論を述べてみました。
次にですね、
>「悪人」の評価で固まっている人を、別の視点から改めて評価するということも私は重要なものであると考えています。「創竜伝」や「紅塵」における田中芳樹のように「ただ礼賛するだけ」「ただ否定するだけ」では何も分かりはしません。
この部分、コレについてはもう歩み寄りは無理でしょう。私は前回「田中芳樹だって秦檜否定一点張りじゃないと思うよ」と書いたのですが、冒険風ライダーさんは「田中芳樹は秦檜についてこっぴどい否定しかしてない」という主張は譲れないようですね。だからこれはもうどうしようもないと思います。
で、冒険風ライダーさんが一番力を入れておられる「謝罪外交の罪」ですが、この部分を読んだ時は正直「最近の掲示板右傾化ネタを読んでくれたのか?」と思いました。
この謝罪外交批判部分こそが「昔田中芳樹ファン(銀英オンリーファン含む)で現在は思想がちょい右(あえてレッテル貼りします)っていう限られた範囲の人間以外には絶対に通じない(by管理人さん)」主張なのですよ。
そもそも私の述べた「南宋は「侵略された国」であり日本はあくまで「侵略(進出でもいいですが)した国」であって・・・」という文章を引用してくれているのに、引用へのレスではなくあなたの歴史観開陳に終わっています。それなら最初から私の文章など引用してくれなくていいです。
>謝罪外交は、創竜伝と田中芳樹を論ずる時に非常に重要な問題だと私は感じていますので、「私の創竜伝考察シリーズ」でも取り上げてみようと思います。そのときに完全な答えを提出する事にしましょう。
この図式がそもそも、多数に対する説得力を持ち得ない理由なのです。「田中芳樹社会評論」への批判は「田中芳樹は社会評論に力を入れすぎて物語部分がおざなりになり、それが創竜伝をつまらなくしている」に止めないと「誰でも納得する」ものにはなりません。そうじゃなければ「実在兵器の性能描写の誤り」や「経済学の知識無しに経済を論じているので文章が意味をなしてない」とか「思想的立場によって意見の分かれるものではない事柄の誤記」です。
おそらく「私の創竜伝批評」中では「謝罪外交の誤りを指摘→それを支持する田中芳樹の誤りを指摘→そんなダメ田中芳樹が書くダメ社会評論満載の創竜伝はダメ小説」と展開される事が予想されますが、それじゃあ絶対に一般にウケる田中芳樹批判はできないったらできないんですってば!
極端なたとえ話ですが、10年経って右も左も謝罪外交を評価しだしたらどうします?そしたら創竜伝は「先見の明のある社会評論が全てのすばらしい小説」になりますか? そうではないでしょう。たとえ謝罪外交支持が正しく「優れた社会評論満載」という評価になったとしても「実在兵器を取材もせずに適当に話を作った」という「罪」は残りますし「そもそもこの作家は経済がわかってないのに経済評論をした」という批判も残るでしょうし、そもそも「どれだけ立派な事を言ってるのかどうかは知らないがとにかくやたら説教臭くてエンターテインメントとして楽しくない」という読者は存在し続けるでしょう。
冒険風ライダーさんが、謝罪外交に対して憤りを感じている事はよっくわかりますが、それはこの掲示板でされるべき話題ではないと思います。そのような話題が盛り上がるようならこの掲示板は「昔田中芳樹ファン(銀英オンリーファン含む)で現在は思想がちょい右(あえてレッテル貼りします)っていう限られた範囲」の内輪ウケの場以上のものにはならないと思います。
この掲示板は思想闘争の場ではないんです。冒険風ライダーさんの書き込みを読んでいると、「この人は田中芳樹批判に名を借りた右のアジをやりたいだけなんじゃないか?」或いは「田中芳樹とは反対の立場での社会批判開陳を(田中芳樹がやってるように)やりたいんじゃないか?」と思えてしまってしょうがないんです。
冒険風ライダーさんには「左批判をよりどころにしない田中芳樹批判」をしてくれる事を切に望みます。「左的考えへの批判」によるレスはしてくれなくて構わないです。が、そうでない意見、反論なら大歓迎です。
ちょっと遅れましたけどレスを。
俺様ランチさん、秦檜に関しては「価値観の違い」ということで和解しましょう。私とあなたとで田中芳樹の主張の感じ方が違った、という事で。ただ、田中芳樹と反対の、秦檜弁護のような考え方もあるのだ、ということだけ理解してくれれば十分です。同意しろとは言いませんから。
ただ、これだけは言わせてもらいたい。
<おそらく「私の創竜伝批評」中では「謝罪外交の誤りを指摘→それを支持する田中芳樹の誤りを指摘→そんなダメ田中芳樹が書くダメ社会評論満載の創竜伝はダメ小説」と展開される事が予想されますが、それじゃあ絶対に一般にウケる田中芳樹批判はできないったらできないんですってば!>
↑私がいつこんな批評を展開するといいました? これはあなたの勝手な想像です。想像に基づいて勝手に人に「右翼」のレッテルを貼るのはやめていただけませんか? それに謝罪外交を論ずる事がそれほど「右翼的」なのですか? 私は「謝罪外交が田中芳樹と創竜伝に与えた影響」と「秦檜評価に見られるような、日本と中国に対する考え方の二重基準」という観点から謝罪外交について指摘しようと思っているのですけど。
あなたが私の主張が嫌いなのも、その主張に同意できないのもよく分かりますし、できるだけ理路整然と書くようにしていたとは言え、私が「右傾化」とみなされるような主張をしていた事は反省しなければならないと思いますけどね、あなたの私に対する態度ははっきり言って「全否定」に近いものがあります。人がやりがいを感じていることを、「この人は田中芳樹批判に名を借りた右のアジをやりたいだけなんじゃないか?」或いは「田中芳樹とは反対の立場での社会批判開陳を(田中芳樹がやってるように)やりたいんじゃないか?」とまで否定する事がそんなに楽しいのですか? 私もこのHPに話題を提供できれば良い、という考えがあって始めたシリーズなんですけど。あなたこそ、田中芳樹的なレッテル貼りが好きなのではありませんか? 私の考えが間違っているというのならば、私の投稿を引用し、どこがどう間違っているのかを具体的に指摘すればよろしいでしょう。それで実際に間違っていたと判断すれば謝罪しますよ。しかし、想像に基づいて非難され、しかも「あんたの投稿は右翼的だ」の一言で斬り捨てられては迷惑です。
<冒険風ライダーさんには「左批判をよりどころにしない田中芳樹批判」をしてくれる事を切に望みます。「左的考えへの批判」によるレスはしてくれなくて構わないです。が、そうでない意見、反論なら大歓迎です。>
私も「左的考えへの批判」はできるだけしないように考えていますし、これからもしないようにしますけど、できれば今までの私の投稿で「左的考えへの批判」というものをどこで展開していたかを教えていただければありがたいのですが。
1週間以上も論争したあげく、得られた結論が「互いに理解しあえない関係であった」というのも不毛な話ですけど、私の方はこれで論争を終わりにしたいと思います。これ以上続けても、対立意見が飛び出すだけで時間の無駄ですしね。お疲れ様でした、とだけ申し上げておきましょう。
冒険風ライダーさんと俺様ランチさんが岳飛と秦檜について論じてましたけど、私は彼らがどのような人物かは知りません。「紅塵」も読んでないので。
ですがひとこと言わせてもらうと、歴史小説の人物が酷く書かれているからといって、批難に値しません。
例えば徳川家康を書いた小説の中で、石田三成が悪く書かれているからといって、「この作者は歴史を知らない」と批難できますか?
出来ませんね。なぜならこれは家康を主人公とした小説なのだから敵対者の三成が悪く書かれるのは当然です。
そして「紅塵」。これは歴史小説です。どうやら岳飛が主人公のようですね(違っていたらすいません)。だったら敵対者の秦檜が悪く書かれるのは当然でしょう。
無論、秦檜を悪く書くことにしたということは、田中芳樹自身の歴史観が関係しているのでしょうけど、面白い歴史小説を書くことと、歴史人物に正当な評価を与えていることとは、別問題でしょう。
秦檜への不当に低い評価が「紅塵」という歴史小説をくだらなくしたのなら、批難に値しますが、これは面白い(らしい)のですから、まったく問題ないと思いますね。
ですが、だからといって冒険風ライダーさんが秦檜に対して弁護したことが無意味だとは思いません。
小説では悪く言われているけど、実際はこうだったんだよという紹介は、小説で一面的にしか知らなかった人物の他方の面を知ることになり、勉強になりますし、また違った角度から小説を読み返すことも出来ます。
冒険風ライダーさんと俺様ランチさんは、それぞれ拠って立つものが違っていたために、すれ違いになったのでは?
冒険風ライダーさんは「歴史の」秦檜を、俺様ランチさんは「歴史小説の」秦檜を述べていらっしゃったのでは?
喩えるなら諸葛孔明は天才軍師か否か、かたや「正史」をもとに、かたや「演義」をもとにという感じです。
私は冒険風ライダーさんの記述から、秦檜という人は本多正信みたいな人物なんだろうなあと思いました。
彼も腹黒い策士として当時からめちゃくちゃ嫌われていて(家康が狸親父といわれるようになった謀略のすべてに関わっている)、今でも彼を良く書いた歴史小説なんてめったに見ません。
しかし彼は徳川幕府誕生に多大な貢献をしていて、彼なくしては家康は天下を取ることはできなかったでしょう。
冒険風ライダーさんの秦檜弁護は意義あるものですが、田中芳樹の歴史観までうんぬんするのは行き過ぎでしたし(紅塵がくだらないのであればそれでよかったのですけど)、俺様ランチさんの秦檜は田中芳樹の言うとおり、有能かもしれないがエゴイストだというのも、歴史小説と歴史を混同しているものでしょう。
というわけでこれは両者痛み分けというところですね。
・・・こんな偉そうなこと書いて自分が一番叩かれそうで恐いなあ。第3者の勝手な見解だからお二人とも怒らないでね(^^;)。
う~ん、うまくまとめられてしまいましたね~(^^;)。
確かにその考え方ならば、私と俺様ランチさんの論争がすれ違いになってしまった理由がわかりますね。まあ私の場合は、巷にあふれている秦檜評価も田中芳樹と似たり寄ったりという状況に風穴をあけられないか、とも考えて、あえて秦檜弁護派として田中芳樹を糾弾する、なんて書き方をしていましたから、「田中芳樹の歴史観を叩いている」と誤解されたかもしれませんね。これは書き方がまずかったと反省しております<m(__)m>。
アンチテーゼ的に書くのならば、「紅塵は秦檜についてこんな酷評をしているが、実際にはこんな評価もある」という書き方の方が良かったでしょうね。
後、田中芳樹は「風よ、万里を翔けよ」という小説で、比較的公平に隋の煬帝を評価していたために(彼も「隋の暴君」として書かれていますから悪役でしょうね)、「それが何で秦檜になるとあんな否定一辺倒になってしまうのか」と疑問に思っていた、というのもあります。田中芳樹はアルスラーン戦記や銀英伝でも「否定一辺倒」という評価はしていませんでしたから、それがかなり印象にあったんですよね。他の作家ならばあんな投稿はしませんよ。
ところで、「紅塵」の主人公は岳飛ではありません。韓世忠の息子である韓子温というのが「一応の」主人公ですが、全く目立っていません(笑)。機会があれば読まれる事をお勧めします。もちろん古本屋で購入して(^^;)。
はじめまして。平素はROMをしておるものです。
「善人なおもて歴史を動かす、況や悪人をや」非常に面白かったのですが、少し気になる点がありました。
文中で用いられている「卑怯」という言葉です。この言葉には「臆病」と「卑劣」という、似て非なる意味あいがあります。
慶喜の行動は「怯懦」でしょうし、家康の行動を卑怯と呼ぶ場合は「卑劣」でしょう(いくらなんでも豊臣家に本気で徳川家を滅ぼせると思っていたほど家康は馬鹿ではありますまい)。
それで気になったのは、新Q太郎さんは、秦檜についてはどう考えているのでしょうか?
「卑怯な人の振る舞いが歴史を~」というところからすると、「臆病」ととっているのかという気もするのですが、一方で前半部では「エゴと利益まみれの悪」という形で持ち出しているようにも見えます。
私の場合、わりとこの両者を分けて考える人間でして、悪辣なチェーザレ・ボルジアや李世民の行動を絶賛する一方で、政権を投げ出す近衛文麿への評価は最悪です。
何だかまとまりがなくなったので失礼させてもらいます。変な書き込みになってすいません。
例の秦檜-岳飛について少し私見を。
(この場合「紅塵」と「中国武将列伝」の記述を厳密に区別しない)
これを考えるときは秦檜と、その和平策が「どれほど無私であったか」と「合理的なだったか」を少し分ける必要があると思う。
筆者はその資料を確認できないが、田中氏も色々な資料を調査したらしいし、陳舜臣先生も対談の中で同意されていたので、秦檜が私的な清廉さに欠けていたことは事実であり、彼の和平策も、自らの利益やエゴをたっぷり含んでいたと思われる。
しかし、ここが面白いのだが、エゴと利益まみれの「悪」が歴史の中でまったく別の効果をもたらすことも多いわけだ。
例えばありとあらゆる謀略によって豊臣家を滅ぼした、徳川家康の対大阪政策があったからこそ、三百年間(同時代のどこと比較しても)一般庶民が安定・安楽に暮らせた「江戸文明」が成立した。
そしてその江戸体制が近代国家に、大規模な内戦抜きで生まれ変わったのは徳川慶喜が、忠義の旗本たちを見捨てて船でこっそりと大阪城を脱出する(しかも小姓の振りまでして見張りを欺いた)という、どっかの貴族連合みたいな卑怯なことをしたからでしょう。
こういう善と悪とのわずかな差――というよりそのまま表裏一体となる不思議なダイナミズム――を作品なり評論なりに組み込むと、それはすごく厚みを増したものになる。少なくとも私はそちらの方を好む。
とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。私が知る限りでは、卑怯な人間の振る舞いが歴史を進ませることを描いて成功したのは
司馬の「最後の将軍」(文春文庫)
フーシェをモデルにした漫画「静粛に、天才只今勉強中!」(潮出版)
塩野七生のローマ教皇伝「神の代理人」(中央公論社)
ぐらいではないかと思う。
しかし、「南宋と金との和平」という題材は、これを書き切るのに千載一遇の好機であったはずだ。だからそれを回避し、普通の活劇風小説に留めた感のある田中氏には私はマージャンに例えると「この配牌なら役満狙えよ!ただのマンガンで喜ぶなっつうの!」というもどかしさを覚えたのだ。
そして、こういう物語でよく見られる傾向が「”悪役”の表現方法に困って、その人物の謀略、(俗流の)人格的欠陥、腐敗を取って付けることで肉付ける」ことだ。
秦檜の場合は事実の裏づけがあるらしいから、そこまでいうのは言い過ぎかもしれないが、本来なら悪役の「主張」というか、彼が拠って立っている中心そのものに対して、ヒーローらがそれを否定することに説得力、説得力を持たせなければいけない。
(たとえば司馬の「翔ぶが如く」を読むと、西郷の人格的偉大さに関わらず「ああ、近代国家にはやはり西郷的なものは有害なんだな」と思わせられる。だからこそ、その後の西南戦争の描写が説得的になる)
それをできず、悪役を腐敗やエゴという観点からのみ造形すると、その悪役自体が二流になってしまい、スケールが小さくなってしまう危険があるのだ。
このへんは佐藤健志も「風の谷のナウシカ」映画版で指摘しており
「クシャナが掲げる巨神兵復活、腐海撲滅…という案に対するアンチテーゼに、宮崎駿は説得力を持たせられなかった。だから、彼は(必要もないのに)クシャナに長を殺させ、『人を殺すのはよくない』という最低のレベルでナウシカや村人の抵抗を理由付けしたのだ」(「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」要約)と論じている。
そういう点が似ている気がするのだ。もっとも田中氏の作品にはこの点、紅塵とは比較にならないほどひどいものがあるが(笑)。
あとはメモ。
*「謀略・残虐・不法殺害」などをした歴史上の人物は、その他の政治的功績があろうとも悪と評価すべき、というのはひとつの考えだが(ヴラドへの評価もそうか)、じゃあ毛沢東は鉄板で極悪人だろうに。
*「秦檜評価論」はチャイナの歴史上皆無ではないはず。どこもインテリはひねくれてるのよ(笑)。まあ、日本の吉良弁護論みたいなもんで四捨五入すれば大悪人扱いされてることも、和平の「プロパガンダ」として引用しても逆効果なのもは間違いないだろうが、一応参考に。宣和堂主人にでも聴いてみたい所だ。
*で、中国武将列伝にあるように、岳飛の墓の前に縛られた秦檜夫妻像が置かれ、参拝者がその像に唾を吐く(もしくは小便をひっかける)……という光景は私も高校の歴史資料集でみた。そして当時、それにかなり薄ら寒さを覚えた。日本も幕末に志士が足利尊氏の木像をさらし首にしたという事件があったが、はっきりいってこれらはヤン・ウェンリー的(竜堂兄弟的?)にいえばヘンテコに歪んだ「愛国心」ではないか。これをグロテスクだと感じないのなら、田中氏が中国と日本(や自由惑星同盟)のナショナリズムについてダブル・スタンダードを用いている、という指摘に反論できまい。(列伝では、それに批判的な記述なし)
*「中国武将列伝」などでは田中氏、金の『侵略』と書いてあるが、どこからどこまでを「統一」といいどこからを「侵略」というのか?この表記を間違うと、イロイロ困るので”ガイドライン”を中国政府もつくっていただきたい気がする。チベ・・・「解放」もありましたね、はい。
それから、近藤崇仁さんに
//「卑怯」という言葉には「臆病」と「卑劣」という、似て非なる意味あいがある。私は(後者の)チェーザレ・ボルジアや李世民の行動を絶賛するが、(前者の)近衛文麿への評価は最悪である。秦檜についてはどう考えている(どちら)か?//
というご質問を頂きました。
私は、秦檜は「自分の意志というものがなく、いやいや流される」という近衛のような形での臆病さはなかったと思います。そういう点で「エゴと利益」を猛烈に求める、という意味での積極性を持った人物だと考えています(把握している資料が少ないんだけど)。ただ、チェーザレ・ボルジアや李世民は基本的に自分のエゴによって「大状況」を変えて主導権を握ったプレーヤーなのですが秦檜は「金に圧迫される宋」という大状況の”枠組みの中で”踊ったプレーヤーであります。
その点で、彼ら大エゴの持ち主とはボクシングでいう「階級」が違うのではないかと思うのです。歴史小説でも彼らのような人物を描くと「大ピカレスクロマン」というちょっと違ったジャンルに分類されるように個人的には感じていますがいかがでしょうか。
塩野の作品で「チェーザレ・ボルジア――あるいは優雅なる冷酷」を前述の文章で成功作品に取り上げなかったのはそういうことでもあるのです。
―――――――――――――――――
ところで皆さんは、「秦檜」とか「岳飛」とかいちいち新語登録してるんですか?
私は漢字探すのにあきらめて、文章で固有名詞を避けることも多いのですが(笑)。
新聞の公式サイトですら「トウ小平」と書いたりしているのに・・・
>しかし、ここが面白いのだが、エゴと利益まみれの「悪」が歴史の中でまったく別の効果をもたらすことも多いわけだ。
>例えばありとあらゆる謀略によって豊臣家を滅ぼした、徳川家康の対大阪政策があったからこそ、三百年間(同時代のどこと比較しても)一般庶民が安定・安楽に暮らせた「江戸文明」が成立した。
>そしてその江戸体制が近代国家に、大規模な内戦抜きで生まれ変わったのは徳川慶喜が、忠義の旗本たちを見捨てて船でこっそりと大阪城を脱出する(しかも小姓の振りまでして見張りを欺いた)という、どっかの貴族連合みたいな卑怯なことをしたからでしょう。
>こういう善と悪とのわずかな差――というよりそのまま表裏一体となる不思議なダイナミズム――を作品なり評論なりに組み込むと、それはすごく厚みを増したものになる。少なくとも私はそちらの方を好む。
>とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。私が知る限りでは、卑怯な人間の振る舞いが歴史を進ませることを描いて成功したのは
>司馬の「最後の将軍」(文春文庫)
>フーシェをモデルにした漫画「静粛に、天才只今勉強中!」(潮出版)
>塩野七生のローマ教皇伝「神の代理人」(中央公論社)
>ぐらいではないかと思う。
非常に面白い論ですね。
歴史というものの面白さと不条理さの本質は正にこれだと思います。
こういう見方をすると、銀英伝でさえ真の
“架空歴史小説”には成り得ていないと言えますものね。
「歴史は時としてそれにふさわしくない人物に鍵を預けることがある」
とは司馬さんが『関ヶ原』で書いたんだったかな。(ひょっとしたら早坂暁脚本のドラマ版の方だったかもしれん)
ところで徳川慶喜についてなんですが、やはり『会津士魂』を始めとする一連の早乙女貢作品も外せませんね。
この人の歴史観も田中芳樹とはまた違った意味でアレだし(笑)・・・。
薩長は言うに及ばず、幕府側の人でも会津に不利な働きをした人は悉く人格低劣な卑怯者にされているという(^^;;)。
勝海舟なんて
「所詮武士ではなかった。金で武士の身分を買った者の子孫だったのである。」
だもんなー(汗)。
片や昨年の大河ドラマ『徳川慶喜』(←駄作。田向正健に長編を書かすのはもうヤメロ)では
「余が頼むに足らぬ卑怯者と見れば多くの者が戦うのは馬鹿らしいと思うであろう。」(by本木)
とか言ってエエカッコさせてたし。
>とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。
てのは本当ですなー。
>ところで皆さんは、「秦檜」とか「岳飛」とかいちいち新語登録してるんですか?
私は冒険風ライダーさんが書かれたのをコピー&ペーストしてます(爆死)。
「檜」の字を捜すのは初めから放棄してるので・・・(^^;;)
↓俺さまランチさまのご意見に賛同したモノでつい…。
前に秦檜と岳飛の件でかなり書き込みがありましたが、調べれば調べるほどワカラン人ですねー秦檜…。岳飛は比較的単純でわかりやすいのですが、秦檜は全く内面が見えてこない。田中芳樹の“妖怪”と言う表現が一番適切かも知れませんね。宋金講和の立て役者で和平家という見方もできますが、岳飛を謀殺したり、自分の権門だけで国勢牛耳ったり、批判記事を禁じるために私家版の歴史書の制作を禁じたり、胡散臭いんですよねー。
田中芳樹も陳先生に「批判を気にしない愛国者」と言う書き方もできないかと思って失敗した、と言ってるのも最もです。イデオロギー云々より、事跡が持ち上げるには胡散臭すぎる!
ちなみに、杭州の岳廟では本当に秦檜夫婦の跪いた銅像はつば吐き掛けられたり、石投げかけられたりしてました。実物は文物として貴重なので何処かの博物館においてあるそうです。
秦檜・岳飛のネタ、結構続いていますね。このネタを出した時には、これほど秦檜否定評価が来るとは思いもしませんでしたよ。
まあそんな風潮だからこそ秦檜評価論は面白いだろうなと考えて投稿したのですけど。
私も以前の論争で、秦檜とオーベルシュタインがよく似ているとは言いましたが、さすがに秦檜に全く欲がなかったとは考えていません。そもそも秦檜にオーベルシュタイン並の「公正無私」ぶりを要求するのは酷というものですから。
ただ、「紅塵」に書いてあるような「エゴイストで岳飛を無実の罪で殺した。だから売国奴だ」ではあまりにも不当な評価でしょう。エゴイストと売国奴というのは全く関係ありませんよ。「自らの欲望を満たすために国を裏切った」と言うのならばともかく、秦檜はそうではないのですから。秦檜にしても、自分のエゴイズムを満たすためには宋に存続してもらわなければならないわけですし、そのために「宋と金の和平」という命題を成し遂げたのでしょう。たとえそれがどれほどエゴイズムな動機であったとしても、それによって宋を金から守ったという実績があるのですから、秦檜を「売国奴」とまでいうこともないだろう、と思うのですけどね(田中芳樹は「妖怪」と評しているようですけど)。
それにアルスラーン戦記や銀英伝、マヴァール年代記であれほど謀略というものを描いていた田中芳樹が「無実の罪で殺したから悪い」と主張するのもちょっとな~……。
「紅塵」における「無実の罪で岳飛を殺したから悪」という秦檜評価は、新Q太郎さんが言うように「秦檜の和平案と経済的繁栄に対するアンチテーゼ」として書かれた、というのが一番事実に近いでしょう。しかし何と説得力のないアンチテーゼであることか。「そんなもの、政治・権力闘争では当たり前に行われている事じゃないか」というのが私の感想だったのですけどね。おそらく田中芳樹は「宋が金に屈してはならない。金を滅ぼせ!」というのをアンチテーゼにしたかったのでしょうけど、これは国力・軍事力の差などからいっても無理な上に非現実的ですし、しかも非常に右翼的な叫びですしね(^^;)。それに和平当時、金が一時的に政治的混乱を引き起こしていたとはいえ、それが治まればまた宋に対する「侵略」を展開する事も可能だったわけですし、仮に一時の政治的混乱に乗じて岳飛たちが金に逆侵攻しても、それによって金が団結して迎撃に出る可能性の方が高いでしょうから、どう見ても宋の方が圧倒的に不利なわけです。だから秦檜も、金に相当譲歩した「屈辱的和平条約」を結ばざるを得なかったわけで(生半可な和平では、金が条約を破る可能性が高い)、これは秦檜が無能というよりも、宋という国の限界だったのでしょうね。そもそも中国では「対等の和平条約」なんて概念自体なかったでしょうし。
そもそも「紅塵」では、「秦檜が岳飛を無実の罪で殺したから民衆に憎まれたのだ」なんて書き方をしてますけど、本当にそうなんでしょうかね? 秦檜が、宋にしてみれば蛮族でしかない金に対して屈辱外交をしたために、それが中華思想を信棒している大多数の庶民のプライドを逆撫でしたから、そのアンチテーゼとして岳飛が賞賛され、秦檜が否定されたのではないでしょうか。秦檜夫婦の銅像が唾を吐きかけられたとかいうエピソードも、それが原因ではないかと思うのですけど。「紅塵」には、どうもこのあたりの事情が抜けているんですよね。これまた物凄く右翼的だったからでしょうけど(^^;)。
それから「紅塵」を読んでいると、秦檜の悪行がまるで秦檜特有の現象であるかのごとく書かれていますけど、「国政を自分の権門で固めた」のも「歴史書の改竄」も、中国歴代王朝のほとんどが多かれ少なかれやっているんですよね。それが王朝公認であるというだけの違いで。特に南宋以降の「歴史書の改竄」では、秦檜の方こそ「悪」を誇張して書かれている可能性が高いし。これは隋の煬帝や金の完顔亮にも言える事ですが、この二人についてはきちんとそういう補記をしているくせに、何で秦檜になると何のフォローも無いんでしょうかね。
「紅塵」の記述については、新Q太郎さんの投稿が一番説得力を持っているでしょうね。変な言い方ですけど、「私がなぜ田中芳樹が秦檜を不当評価したと感じたのか」という疑問がこれでだいたい分かりましたから。アンチテーゼの問題は創竜伝でも出てきていますから、いずれその問題についてもふれる事にしましょう。
ただ、やはり秦檜弁護をする人まで「悪」というレッテルを貼るのはやりすぎでしょう。これは間違いなく田中芳樹の方に非がありますね。秦檜を弾劾するのもひとつの考えでしょうけど、世の中は田中芳樹と同じ考えばかりではないのですから。
それにしても、歴史上の人物評価というものは難しいものです。同一人物に対してこんなに評価が分かれるんだもんな~。まあそれが歴史の面白さなのでしょうけど。
秦檜評価を巡っては意見が大変分かれましたね。マキャヴェリは政治は結果がすべてである、「善悪の彼岸」で行動する君主は手段ではなく結果で評価すべきだ、と言っています。
すべては結果で語られることこそ、歴史上の人物に対するもっとも客観的な評価だと私は思います。
例えば真田幸村は、いかに大活躍をしたといえども、何の「結果」も残せなかったわけですから、大衆に受けても政治的評価はゼロといわざるを得ません。
秦檜も似たようなもので、手段がえげつなかった為、大衆には嫌われたでしょうが「結果」は残したわけですから評価できると言えるでしょう。
銅像につばを吐きかける人がいるから評価できないなんて、感情論でしかない。大衆の感情、つまり「善悪」というものを超えたところに、歴史上の人物の評価を求めることが出来るのではないでしょうか。
三國志なんてそういう大衆感情と歴史評価が攻めぎあっている見本ですよね。
まあ小説家が大衆感情に訴えかける歴史小説を書くのは当たり前のことですから、私は特に田中芳樹が偏っているとは思いませんけど。
彼も「大衆感情に訴えかける岳飛」に惹かれて「紅塵」を書いたのではないでしょうか。
以前、秦檜について議論になったので興味を持って「紅塵」を読みました。
南宋の歴史なんてぜんぜん知らないのですが面白いですね。いやこの小説じゃなくて歴史事実が、です。
歴史小説としてはこれ、出来が悪いんじゃないでしょうか。田中芳樹独自の切り口というものが感じられませんし、ほとんど歴史事実を書き連ねただけですし。
岳飛に関しては興味深かったです。彼はあまり誉められた人物ではありませんね。味方を無能呼ばわりする神経の人では、遅かれ早かれ問題を起こしたと思います。多分に関羽みたいな性格だったと、私は推測しますね。
関羽も兵士は愛したが目上に礼を尽くすことが出来ない性格のため、命を落とすことになりましたが、後日民衆に神として崇められています。岳飛と似ていると思いませんか?
秦檜の横暴については置くとしても、岳飛を殺したのは正解だと思います。のち張浚という主戦派が金に攻めこんで大敗を喫していることから、やはり南宋の国力では攻勢は不可能だと思われます。
南宋の経済的繁栄を築いた秦檜の功績は、やはり評価されてしかるべきでしょう。道徳的に優れていたかはまた別の問題です。
しかしそれにしても「紅塵」は小説というよりは、歴史紹介文といったところでしょうか。
まあ田中芳樹自身、中国歴史の紹介をやりたくてやっているのですから、その役目は果たしていますね。