アルスラーン戦記設定擁護論

作品世界の設定&国力分析
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コンテンツの総収録投稿数51件の内、1~19件目の投稿を掲載

収録投稿1件目
board1 - No.1123

ちょっと気づいたこと

投稿者:はむぞう
1999年04月19日(月) 13時01分

このページを見つけてから、久しぶりに田中作品を読もうとアルスラーンの
最初のほうを読み返していて気がついたことがいくつか。

1巻のアトロパテネの会戦に騎兵が85,000とあるのは多すぎではないか?
その人数の人間が一同に集合するところも想像できないが、同数の馬も一緒だとなると
もっと想像が困難になる。単なる馬群ではなく、統制された集団とする場合
約馬6頭で大型トラック一台分の場所をとる。単純計算してもだいたい14000台分の広さが必要となる。しかもルシタニア軍もいるのである。どのような広大な平原なのか。第2時大戦中の中国で日本兵が整列している写真を見たことがあるが、騎馬4000で、見渡す限り埋め尽くされているように見えた。
また馬の餌についても、現代日本では1頭で1ヶ月約10万円かかる。
そうなれば1日で約3000万円になる。これについては物価や社会情勢が違う為
一概には言えないが、人間とは比較にならない程大量の食物が必要になる。
果たして維持できるのだろうか?

2巻には「よほど訓練された馬でなければ側対歩で走らない」とありますが、
馬には様々な種類があり、訓練せずともそうやって走る馬もいます。
たとえば道産子の特徴の1つに側対歩があります。これは過酷な労働のなかで
馬自身が自然に身につけていったものだそうです。
これも単に「アルスラーンの世界ではそのような馬しか存在しない」
というだけのことかもしれません。

またキシュワードが両足だけで馬を操るのは神技のように描かれていますが、
これも多少馬に乗ることが上手い人なら、結構できる人はいます。
(ブリティッシュスタイルの乗馬の話ですが)鐙をはずし手綱を持たずに
初級程度の障害馬術のコースを走れる人を、少なくとも10人は
身近に知ってます。騎馬の民のパルス人なら当然なのでは?
もっとも、両手で剣をあやつるところは、すごいなあと素直に感心してます。

3巻でラジェンドラが馬を走らせながら鞍の皮紐を解いて鞍を捨てるところが
ありますが、鞍の皮紐はそんなに簡単に解けるものではありませんし、
自分が乗ったままは捨てるなんてどうやるのでしょうか?。
走っている最中に解けたり切れたりすると、まず間違いなく落馬します。
だからとても強い素材でつくられ、人間がぶら下がってもずれないくらいに
きつく締めます。もしゆるく締めたら、走らなくても歩いているうちに
馬の背に擦り傷ができてしまい振り落とされるか、動かなくなるかです。
それに全力で走っている馬の脚に皮紐が絡まったり当たって怪我をしたりして
馬ごと転ぶ危険もあります。

4巻でメルレインが白鹿毛に乗って登場というシーンがあります。
しかし白鹿毛ってどんな馬?
鹿毛は茶色の体でタテガミとシッポと四肢の先端が黒い馬です。
茶色の部分が濃いと黒鹿毛になります。
もし全体に白い毛が混生しているのならば葦毛に分類されます。
ちょっと想像がつきません。

とまあ、いくつかあげつらってしまいましたが、どれも些細な話です。
アルスラーン戦記の魅力が損なわれるものではありません。
たわごととお聞き流しください。
このように気になった部分もありますが、読みなおしてみて改めて
アルスラーン戦記は面白いなあと思っている今日この頃です。

収録投稿2件目
board1 - No.1125

三侠五義と水滸伝

投稿者:小村損三郎
1999年04月19日(月) 23時59分

>1巻のアトロパテネの会戦に騎兵が85,000とあるのは多すぎではないか?

アル戦は手許に無いので確認できませんが、騎兵だけだとしたらたしかに多すぎますね。
輜重の隊列だけで一体何kmになるんだろう。
誤記ということで、総兵力と解釈して良いのでは?

収録投稿3件目
board1 - No.1129

小村損三郎 さんへ

投稿者:はむぞう
1999年04月20日(火) 08時35分

>アル戦は手許に無いので確認できませんが、騎兵だけだとしたらたしかに多すぎますね。
>輜重の隊列だけで一体何kmになるんだろう。
>誤記ということで、総兵力と解釈して良いのでは?

誤記ではないと思います。
1巻のP18に「この八名がそれぞれ一万騎を指揮し、「不死隊」と名づけられた国王親衛隊が五千騎、合計八万五千騎の騎兵が歩兵とともにアトロパテネの野に展開したのであった。」とある上に、出陣した万騎長の名前が列記されてますから。

収録投稿4件目
board1 - No.1169

岳飛ネタ&嫌味をちょっと

投稿者:俺様ランチ
1999年05月02日(日) 01時04分

 あのですね、ここの議論、前から見てて今も見続けててやっぱり思うんですが、無理が多いですよ。「他の作家だってそんなところまで突っつかれて人格疑われたらたまんないだろう」と。
 例えばちょっと古い話なんですが、「アルスラーンで騎兵が8万5千もいるのはおかしい」なんて文句つけたって、「それくらい騎兵を揃えられる、馬と草と平原の有り余った世界のオハナシ」なんですから。それ以前に「万騎長ってのが出てくるオハナシ」って事はアルスラーンという作品の基本中の基本なのに、アラを探すのに夢中で作品をよく読んでなかったとしか思えないですよ。

収録投稿5件目
board1 - No.1175

そうかなぁ

投稿者:仕立て屋
1999年05月03日(月) 03時22分

久しぶりにかきこみします。仕立て屋です。

 俺様ランチさんはじめまして。

<あのですね、ここの議論、前から見てて今も見続けててやっぱり思うんですが、無理が多いですよ。「他の作家だってそんなところまで突っつかれて人格疑われたらたまんないだろう」と。
 例えばちょっと古い話なんですが、「アルスラーンで騎兵が8万5千もいるのはおかしい」なんて文句つけたって、「それくらい騎兵を揃えられる、馬と草と平原の有り余った世界のオハナシ」なんですから。それ以前に「万騎長ってのが出てくるオハナシ」って事はアルスラーンという作品の基本中の基本なのに、アラを探すのに夢中で作品をよく読んでなかったとしか思えないですよ>

この部分についてはどうかなって思います。私が戦記物で特に重要視するのが、人間模写の巧みさもいいが、それ以上に戦を彩る脇役的小道具や演出部のリアルさです。そういう意味で佐藤大輔の作品は私のお気に入りのひとつです。かれの作品中での戦の描き込みは、読み手がもうええやろっていうぐらい実際の戦闘シーン以外の部分、特に兵站などにこだわりをみせています。こういう地味な部分というのは読んでてつまらないっていう人もいるでしょうが、その世界観のリアルさを演出するうえで、非常に重要だとおもいます。異世界の架空戦記にしたところで、読み手が現実世界の人である限り、こういった主菜(戦闘シーンや軍師さんの軍略模写?{ナルサスみたいに万能超人てのもねぇ、、})を飾る副菜(兵站シーンに限らず、風土をいろどる食文化にこだわってもいいんですよ)にある程度リアルさがないと、その世界はぶっちゃけた話、うそくさいってことにもなりかねません。
 アルスラーン戦記と仮にも”戦記”をうたうのなら、騎兵を同一戦場でしかも中世的な世界観で(現在ならあり得るかも)、8万もの数を運用するのはリアルさにかけますよ。8千ならまだしも(これでも多いくらいかなぁ)。戦闘の迫力を出すのに8千もあれば十分です。俺様ランチさんのご指摘のように”それくらい騎兵を揃えられる、馬と草と平原の有り余った世界のオハナシ”といわれてしまえば、だったら”戦記”なって題名つけないでねって感じです。いくらストーリーテラーが巧みでもその世界観を飾る小道具類がちゃんと描き込めてない作品は、どうしても登場人物を立体視することができません(生血を感じない/ロードス島戦記も、登場人物は魅力的ですが、所詮、2次元アニメの域を出ない<主観です)。ファンタジーものはとくにそのあたりを注意してくれないと、子供はだませても大人は納得できません。この作品は大人は対象にいたしておりませんっていわれたら、反論できませんが。
 くどくど、述べましたが、上記の意味で、世界観へのいちゃもん(笑<ーーだめですか?)もありでしょう?だめかなぁ。

収録投稿6件目
board1 - No.1177

1175補足

投稿者:仕立て屋
1999年05月03日(月) 03時39分

万騎長ってネーミングを用いるのに騎兵が実際に万単位で存在する必要はありません。”たくさん”を意味するのに、百や万をあてるのは昔からよくあるものです。ちょっとした補足でした。

収録投稿7件目
board1 - No.1178

主に仕立屋さんと冒険風ライダーさんへ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月03日(月) 05時20分

 仕立屋さんへ。
 アルスラーンの騎兵の数、8万5千、多いと言えば確かに多いんですが、現実の歴史でもそれくらいの騎兵が揃ったという事実はあるわけですし。
 チンギスハンの遠征時、蒙古騎兵はおそらく10万騎前後はあったろう、換え馬も入れると50万騎くらいではないか、
 と貝塚茂樹の「中国の歴史」にあったもんで。
 アルスラーンを初めて読んだ時は騎兵の多さなんて気にする程の知識が無かったのですが、最近の書き込みを読んだ時はちょうど最近「中国の歴史」を読んだばっかりだったんで、「まあそれくらいはあり得る話じゃないかな」と。まあ細かく考えればアルスラーンの時代のモデルとされているササン朝とモンゴル帝国の時代は1000年ほどズレてるし、パルスが馬メインの生活の国かどうかも考えなきゃならないんですが。そもそも貝塚茂樹の学説が今ではひっくり返ってる可能性とか考慮に入れてないんですが。
 「万」が数が大きいことの比喩、ってのも確かにありますが、アルスラーンの場合は「千騎長」「百騎長」とかも出てくるんで、この場合は実数を表してる、と解釈するのが自然ではないかな、と思います。
 まあ三国志演義なんかでも「楽進が2万騎を連れてきた」って描写があった気がするんで、昔の方が結構ムチャな数の騎兵を揃えてたりしたかも知れませんよ。

収録投稿8件目
board1 - No.1180

俺様ランチさんへ

投稿者:仕立て屋
1999年05月04日(火) 01時41分

どもども仕立て屋です。眠いです。

 俺様ランチさんがおっしゃってるように、やはり中国ものの戦闘シーンが頭の隅にあってアルスラーン戦記の戦闘風景は構築されたのでしょうか。きっとそうでしょうね。ところでモンゴル人があれほど広大なユーラシアを短期間に征服できたのは、馬あってのものです。そして、それを可能としたのはモンゴル人が馬中心の遊牧生活を営んでいたという事実です。10万の騎兵(予備50万)を運用できたのもユーラシアの広大な大地とそれほどの数の馬を分散して飼育できたからだとおもいます。全然詳しくないので、わかりませんが、そんなモンゴル人も膨張の初期段階で10万も運用できたとはおもえません。50万というのは最終的なイケイケ状態のときでの数値ではないでしょうか。
 一方、パルスはどうでしょう。世界観はササン朝ペルシャですか。パルスが騎馬民族の流れを汲んでいても、定住してかなりの月日がたっているようだし、すでに遊牧民とは言えそうもありません。中世ヨーロッパ風の鎧や城、騎士の類を考えると、おそらく歩兵中心の軍隊ではないでしょうか。ここで、ひとつ問題が。定住となると、遊牧のみが可能とした大量の馬の飼育をある程度決まった地域で飼育せざるを得ません。8万{予備も含めると(まあ、モンゴルより少なくみて2倍ぐらい、適当です。16万はひつようでしょう。それか、国難ということで全投入で}10万としても、10万の馬が一カ所で食べる飼い葉がどれだけ必要か想像できるでしょう。まさに以前、はむぞうさんがおっしゃってるとおりです。アフリカのヌーの群を見たことがあるでしょうか?かれらはいつも草を求めて移動しています。また、歩兵中心だから全軍で50万はくだらないでしょうね。パルスが中央の華的国家としてもモンゴル帝国ほどに膨張課程のイケイケ国家だとは思えませんので、50万も投入できるはずがありません。信長などの戦国末期の大名が何十万と投入できたのは勝ち残り組だからです。しかも、これほどの軍隊を同一戦場で展開させるとなるとかなりの戦場面積と天才的運用が必要です。これも、はむぞうさんがご指摘のとおりです。どうも嘘臭いです。天才的運用ではナルサスという鼻持ちならない天才がいるからよいけど。
 基本的に田中さんのストーリーテラーとしての力量には異議を唱えるつもりはありません。ほんとうにたくみです。そのへんの若手、プチ田中など足下にもおよばないでしょう。でも、最近の田中節ってなんか、悪い意味でおたくっぽいというか、少女趣味なんだよなぁ。ストーリー展開や登場人物の踊らせ方などは才能と経験がものをいうでしょうが、設定、世界観構築となると、それらとはべつに、情熱やめんどくさい作業が必要になってくるはずです。わたくし、ゆがんだ一ファンとして、もちょっと田中さんには若かりし日の情熱を中国もの以外の作品にも注いでほしいのです。もう中国ものしかがんばんないよぉってのならあきらめます。そんでも、結局、次期アルスラーン戦記は買うんだろうなぁ。

 長々と述べましたが、上記のような細かいつっこみはありますが、物語の楽しさを破錠させるほどのものではありません。そんでも、そこで終わっちゃったらこの場は必要ないでしょう。いろんなサイドから田中作品を切って考察するのもたのしいものです。ですから、こまかなとこまで、つっこみいれるのも有りだとおもいます。ただ、俺様ランチさんがおっしゃるように、(私も含めて)はじめに反日田中、共産主義田中ありきの議論ははっきりいってつまらないですね。冷静な姿勢がもとめられているのですね。自戒、自戒。
 それでは、これにて。

収録投稿9件目
board1 - No.1183

パルス馬ネタ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月05日(水) 00時38分

 仕立屋さんへ。
 おっしゃる通りです。モンゴルのアホみたいな騎兵の数は、遊牧民族であること、中央アジアの草原、イケイケ最盛期、の3つが揃ったからこそ可能だった、と言うのはまったくその通りだと思います。
 って私は書き込みに書いたつもりだったんですが、すっかり忘れてたみたいでそこをつっこまれてしまってアホですな。そこを突かれると確かに痛いな、とは前回の書き込みの時に意識してたんですよ。でもなんとかフォローを考えてみます。
 パルスが実際にムチャクチャ広い領土だった、としたらどうでしょう。パルスが中心はイランのあたりだったとして、東はインド、カスピ海の辺りのトルコ系、北西はルシタニアだからバルカン半島のあたりまで、南西のミスルは人名とかからなんかアフリカっぽい国、とすればパルスの領土ってかなり広く見積もっていいと思いますよ。これくらいあれば10万の騎兵は国難時の最大動員って事で無理してでも揃える!
 って解釈すればどんなもんでしょうか?

収録投稿10件目
board1 - No.1184

アルスラーン戦記ネタ

投稿者:はむぞう
1999年05月06日(木) 12時27分

 ひさしぶりにこのページをのぞいたら、以前ちらっと書いたパルス騎兵の話題になっていたのでちょっとびっくりしました。

>アルスラーンの騎兵の数、8万5千、多いと言えば確かに多いんですが、現実の歴史で>もそれくらいの騎兵が揃ったという事実はあるわけですし。
> チンギスハンの遠征時、蒙古騎兵はおそらく10万騎前後はあったろう、換え馬も入>れると50万騎くらいではないか、

 蒙古騎兵の馬の数については、騎兵一人につき馬5~6頭という構成だったためだと思います。理由は皮はよろいの修理及び渡河時のうきぶくろ。肉は非常用食料。血は水代わり。骨は矢じりにするためです。だから基本的に接近戦はできず、軽量で強力な弓で戦っていました。またモンゴルには装蹄技術がなく動物の革の馬用の靴を履かせただけだったので、替え馬が必要だったせいでもあります。ただモンゴルの馬はとても小さく、ポニーより少々大きいかなという程度です。

 余談を承知で装蹄技術について少しだけ書かせてもらいます。
 馬が家畜化して使役に使われるようになって間もなく、蹄について問題が生じました。馬自身の体重は支えられても(現在のサラブレッドには不可能)、人間が乗ったり、重い荷物をつけると支えきれずに磨り減ってしまい歩けなくなる為の対策が必要になったのです。
 古代ローマでは、革や布で靴をつくり靴底に鉄板をつけて履かせていました。もっともこのころは皇帝などの権力の象徴であったようです。
 紀元前後のイラン北東部でイラン系の遊牧民がパルティア王国を建てた頃、ここで蹄鉄をつくる技術が発明されました。これが各地に広がるのは4世紀以降で、一般的な習慣になるのは中世以降とされています。
 しかし東のほうへは伝わらず、モンゴルにも中国にも当然日本にも明治維新頃まで装蹄技術はありませんでした。源義経や武田の騎馬隊なども草や藁の馬沓を履き、多くの替え馬を用意していたといいます。これらの話は原田俊治氏の「馬のすべてがわかる本」に詳しく出ています。

 個人的には、パルスは上記のパルティア王国がモデルなのではと思っています。だから装蹄技術があるとすれば、50万もの馬は必要ないのではと思います。ただ、装蹄技術者をや鍛冶屋を連れて行く必要はあると思いますが。蹄鉄はよくとれます。砂地を走ってもとれるときがあります。砂利道などでは歩いていてもすぐ取れます。しかも馬毎に形も大きさも全く違います。蹄が裂けることもあり、また病気になったり、怪我したりと、替え馬不要というわけにはいかないでしょう。それに荷物の運搬にも必要でしょうから歩兵隊にもいくらかいたでしょう。歩兵が135,000とあるので、だとするとアトロパテネのパルス軍の馬の総数は12~3万くらいかなと思ったのですが、それでもすごい数ですね。そんなにいると、一帯がハゲ山ならぬハゲ野原になりそうだ。その前に戦場に入りきるのだろうか。

>三国志演義なんかでも「楽進が2万騎を連れてきた」って描写があった気がするんで、>昔の方が結構ムチャな数の騎兵を揃えてたりしたかも知れませんよ。

 これについてはゴールデンウィーク中に、6人で「1つの戦場で85,000の騎兵は存在し得るか否か」で議論したときに話題になりました。これ以外にも自分では思いもつかないような意見が出ましたので、載せても差し支えないようなら何点か書かせてもらいたいと思います。

> パルスが実際にムチャクチャ広い領土だった、としたらどうでしょう。パルスが中心>はイランのあたりだったとして、東はインド、カスピ海の辺りのトルコ系、北西はルシ>タニアだからバルカン半島のあたりまで、南西のミスルは人名とかからなんかアフリカ>っぽい国、とすればパルスの領土ってかなり広く見積もっていいと思いますよ。

 これはどうかと思います。そんなに広大な国を維持できるのでしょうか?
 広いとそれだけ気候も違い、従って文化も異なり、言葉も違ってくるでしょう。共通語をつくっても全国民が完璧に話すことはできないだろうし、日常会話に使う中央の人間と自分たちの言葉以外に学ばなければならない地方の人たちでは感覚が違うと思います。同一民族という意識を保つのが難しくなってしまうのでは?そうなると国の一大事という場合に団結できないどころか、これ幸いと独立運動を始めるのでは?たしかローマ帝国が分裂したのは、たくさんある理由の中で広すぎて西と東で言葉が通じなかった点も大きいと世界史で習った記憶があります。

 ぐだぐだと書きましたが、これだけ本筋から外れても議論ができるなんてアルスラーンはすごい作品だなと、改めて思いました。読み終わった後、「おもしろかった」や「つまらなかった」だけで終わってしまう作品も多い中、「これは多すぎでは?」など感じることができるだけ、それだけ他の部分がリアルに描かれており内容が濃い証拠ではないかと思います。

収録投稿11件目
board1 - No.1185

長文失礼

投稿者:仕立て屋
1999年05月06日(木) 17時47分

 ルシタニアにパルスが侵略された次期のパルスの国家規模をちょっと考えてみたいと思います。さすれば、パルスの軍事規模も想像しやすいでしょう。以下はファンサイトにてさんざん論議された当たり前のことかもしれませんが、わたしのオリジナルな邪推ってことで、勘弁をば。

 まず、ペルシアというとペルシア帝国が頭に浮かびますが、その最大版図は東はインダス川、アラル海あたりから西はアフリカ北端部、バルカンのトラキアあたりまでの広大なものです(ちょうど、俺様ランチさんのイメージでしょうか)。軍事国家ペルシアの最大動員兵力は30万といわれています(内、騎馬兵は2万)。戦場での騎馬兵と歩兵の構成比が騎馬兵1に対して歩兵が15から20です。その強力さで有名なペルシア騎兵ですらこんなものです。歴史上ペルシア帝国にて騎馬兵の運用法は完成の域に達したといわわれます。実際、馬は元来臆病な生き物で、よく訓練された軍馬ですら、密集陣形の横列槍歩兵にはびびって突っ込めません。突撃するにしても敵陣形の動揺による、その隙間や、側面にまわって行われないと、手痛い目にあってしまいます。騎馬兵の主な任務は、その機動力を活かした偵察や戦場での敵弱体部への突撃ぐらいのものでした(これがめっちゃ有効だったらしいです)。ですから騎馬兵による突撃とは、適度な部隊規模にてよく統率され、絶妙なタイミングで行われるべきものなのです。モンゴル人たちの戦法は機動力によって相手を翻弄させ突撃を成功させたものではないでしょうか(それには,騎馬が自由に展開できる広い平原が必要か。よく統率された歩兵横隊に正面からぶつかる愚はおかさんでしょう)。ペルシア軍の構成比をみれば、なるほどという感じです。

 いっぽうアルスラーン戦記の舞台となったササン朝ペルシアは紀元前224年あたりからアルケサス朝パルティアの後をうけた形で成立します。このころすでに東ローマ帝国の勢力がおしせまっていました。しかし、ササン朝のホスロー1世、2世(英雄王カイ・ホスローのモデルか)のころには領土を拡張し、シリア、パレスティナ、ヘジプトまで攻め入り、かつてのペルシア帝国には及ばないものの、往年の輝きは取り戻しまた。その後、東ローマに圧迫され、次々に領土を切り取られ、東に追い込まれていきます。弱体化していく一方で王朝内部では次々に王が交代し、いわゆる宮内闘争の類もありました。王位継承の混乱をおさめたのがヤズダギルド3世で紀元後632年です(シリア王国にはアンドラゴラスって人がいますがかれに3世をつけただけか)。混乱のつづくササン朝ペルシアに対してこのころからイスラム勢力がおしよせ(東ローマをも排除し)、国家的危機がおとずれます。637年のカーディシーヤの戦い(アトロパテネ会戦のモデルか)でペルシア軍は敗北し王都クテシフォン(じっさい、エクバターナという地名もあるが別物)も奪われます。ヤズダギルドはメディアにうつり再起をはかるが、642年のニハーワンドの戦いで敗れ、651年、メルブで暗殺されます。このあたりって小異はありますが、なんだかそのまんまという感じがします。で、王子アルスラーンですが、実はヤズダギルドにも王子がいてその名はペーローズ。彼には漢字読みもあり卑路斯です。なぜ漢字があるかというとかれはその後、中国(唐)に逃れて(田中さんほんま,中国好きでんなぁ。物語の題材として採用したのもこのあたりの知識からか)その支援にてササン朝の回復をはかったのです。現実には夢やぶれ、672年、死んでしまうのですが。
 アルスラーンのころのササン朝はいわば、国家の黄昏にさしかかった次期でペルシア帝国とくらぶべきもありません。騎馬兵でその名をとどろかすペルシア帝国軍ですら最大動員30万、内、騎馬2万ですから、黄昏のパルス軍の騎馬12万(アトロパテネ会戦では8万5千)全軍42万がいかに現実離れしているか想像できるでしょう。ます国家財政がもちません。騎馬は非常に維持費のかかる高価な兵種です。ペルシア帝国時期で、すでに兵器類を別とした前近代的な戦争理論、軍事運用論(兵站の重要性はかなり認識されていた)はある程度確立されていたのを考えると、アトロパテネ会戦における騎馬兵8万5千は、実際、ぎゅうぎゅう詰めで、その最大にして唯一の利点、機動力を発揮できないうちに密集歩兵に槍で串刺しってことになりかねません。統率して動かせる騎兵数は数百単位ではないでしょうか。隊長なら百人長(ペルシア帝国の呼称/パルスなら百騎長ってとこか。実際、ペルシア帝国には万人長はいても万騎長はいません)てとこですか。そこで仮に8万5千を部隊別に分けた場合、多めに見て千人隊としても85部隊。各部隊を有効に機動させるとすると天文学的に広大な戦場が必要となります。だいたい、85の騎馬部隊を”使い分ける”ことにいったいどんな戦略的意味があるというのでしょうか。小説では一応、パルスの軍隊は歩兵を軽視した騎馬兵中心の構成ということわりがいれられていますが、このような設定をした時点でパルスの英雄王カイ・ホスローは軍事力的に存在しえなかったでしょう。また、パルス騎馬部隊が古代中国歴史物的?計略でわざわざ全滅させられていますが、ルシタニアにしても、これでは、ウサギを狩るのに大砲を苦労して運んでくるようなものです。しっかし、天才ナルサスっていったい(トホホ)。ナルサス=田中芳樹か?。

 馬の件はこれくらいにして、アルスラーン戦記の舞台設定のつづき。
 まず,ルシタニア。ササン朝ペルシアがイスラム勢力に滅ぼされたことをかんがえると、アラブの民ってことになりますが、文化風習的に見て、東ローマともみれます。キリスト教が国教であるし、キリストの再臨までに世界を統一すべき唯一の帝国を標榜していたからです。しかし、彼らは軍事的な解決は二の次で政治解決を好んだため、ルシタニアのイメージとのずれがあります。おそらく、イスラムと東ローマ帝国に異端裁判や十字軍のテイストを加えたものでしょう。しっかし、イスラムとしなかったのはイスラム原理主義の報復を恐れたためか。じっさい、賞金首にされて殺害された人もいますしねぇ(<-----おもいっきり邪推してますねぇ、スマン)。シンドゥラはインドってことで。絹の国はもちろん中国(唐)。ミスルは思い付きません。俺様ランチさんのいうとおりエジプトあたりかも。トゥラーンは北方の遊牧集団か。

 最後に、アルスラーン戦記の今後の展開ですが、王子パーローズの運命から予想すると、死んじゃうことになりますが、これではおもしろくないので(あとがきにも16翼将だっけか?かれらはどんどん死なされるとありましたので何人かはいなくなるかも)、絹の国(唐)のとってもイカしたナイスな漢(おとこと読め。ナハハ)とお友達になって一緒にルシタニアを追い払って国土を回復した後、名君となりて、友邦国の絹の国などとなかよく暮らしたとさ、なんてのはどうでしょうか。ひょっとしたら、ザーハックの件なんかは絹の国のお友達も力合わせて中国神話的妖怪退治を演じるかもしれません。

 長文失礼いたしました。

収録投稿12件目
board1 - No.1187

パルス国の領土面積とアトロパテネにおける総戦力

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月06日(木) 18時24分

<パルスが実際にムチャクチャ広い領土だった、としたらどうでしょう。パルスが中心はイランのあたりだったとして、東はインド、カスピ海の辺りのトルコ系、北西はルシタニアだからバルカン半島のあたりまで、南西のミスルは人名とかからなんかアフリカっぽい国、とすればパルスの領土ってかなり広く見積もっていいと思いますよ。これくらいあれば10万の騎兵は国難時の最大動員って事で無理してでも揃える!
 って解釈すればどんなもんでしょうか?>

 その解釈は不可能です。アルスラーン戦記1巻と5巻に、パルス国の簡単な地図があり、それからだいたいの領土面積が計算できるからです。200ファルザングを基準とした棒線がありますから、それをもとにパルス国の領土面積を計算してみましょう。かなり大雑把ですけど(^^;)。

 それによると、パルス国の領土は縦が約220ファルザング、横が約220~260ファルザングの平行四辺形の形になっています。アルスラーン戦記によると1ファルザング=約5kmですから、仮に最大面積を計算しても、
   (220×5)×(260×5)=1430000k㎡
にしかなりません。日本の土地面積が約38万k㎡ですから、約3.7倍の領土にしかなりません。しかもパルス北部にはダルヴァント内海があって、かなり平行四辺形の形を削っています。さらにパルス中央部のやや南よりにはニームルーズ山脈があり、この山脈より南は砂漠と岩場と草原が多いとのこと。パルス南東部の旧バタフシャーン公国領は砂漠と半砂漠の土地だそうですし、さらにかつてナルサスが領主をしていたダイラム地方は、南と東に山地があり、ぺシャワールの道(おそらく大陸公路)に出るには山脈ふたつ分も超えなければならないという記述もあることから、パルス国はかなり地形が複雑である事が想像できます。少なくとも、草原だけが無尽蔵に広がっているだけの国ではないでしょうね。
 さらにいえば、アルスラーン戦記初期のパルス国の騎兵総数は12万5千、歩兵が30万で、しかも「全軍」と記されていますから、徴兵ではなくて常備軍なわけです。現にアルスラーン戦記で徴兵に関する記述はありません。これらの兵力の維持だけでも、パルス国は相当な国力を消耗することでしょう。

 ちなみにアトロパテネに展開した戦力は、敵味方、騎兵と歩兵全てを合わせると
       パルス軍     騎兵  8万5千
                歩兵 13万8千    =合計 22万3千
     ルシタニア軍     騎兵  5万8千
                歩兵 30万7千
                水兵  3万5千
    ルシタニア軍が
    マルヤム王国侵略で失った兵数  3万2千    =合計 36万8千
                           =総合計 59万1千
が、アトロパテネの野に展開していたという事になりますね。やはりこれは多すぎます。一平野にこれだけの兵力が入りきれるのでしょうか?

 とまあ、皆さんに習ってこんな矛盾点を指摘してみましたが、こんな矛盾があるからといって、別にアルスラーン戦記の面白さが損なわれるわけではありません。むしろ、こういった矛盾点を指摘できる小説だからこそ、面白いといえるのではないのですか? それを「面白い小説なのだから余計なツッコミをいれるな」というのでは、いかにも狭量に思えるのですが、どうでしょうか。

収録投稿13件目
board1 - No.1192

パルス馬ネタ続き

投稿者:俺様ランチ
1999年05月07日(金) 01時02分

 主に冒険風ライダーさんと仕立屋さんへ。

 まず初めに、お二人の軍事や歴史知識の深さに脱帽です。で、仕立屋さん、ペルシア帝国についての知識とかの参考文献なんかあったら教えて下さい。元ネタ探し、自分でもやってみたくなりました。

 で、馬ネタの続き。
 負けました。冒険風ライダーさんの言うようにパルスの領土が具体的な数字付きで設定されていたなんてすっかり忘れてました。確かにその数値で考えると、騎兵12万は揃えられないですね。
 ところで、実際には騎兵10万が展開できるだけの広さってどれくらいなんでしょう?イメージが全然わかないのでピンときません。

 仕立屋さんへ。
 ルシタニアのモデルにイスラム、ってのすっかり頭から抜け落ちてました。「ルシタニア」って語感と人名などからずーっと十字軍とキリスト教をイメージしてました。そういえばイスラムも一神教だって事を改めて思い出しました。

 誰かが「真のシャーロッキアンは矛盾を解決する都合のいい解釈を作るもんだ」って言ってたのに影響されて頑張ってみたんですが、なんか旗色が悪くなってきました。って事で、なんとか矛盾を解決するようないい新解釈、無いですかね。「そういう世界の話なの!」って以外のうまい方法。

収録投稿14件目
board1 - No.1193

レスなど

投稿者:仕立て屋
1999年05月07日(金) 06時43分

>さらにいえば、アルスラーン戦記初期のパルス国の騎兵総数は12万5千、歩兵が30万で、しかも「全軍」と記されていますから、徴兵ではなくて常備軍なわけです。現にアルスラーン戦記で徴兵に関する記述はありません
---以上、1187 冒険風ライダーさんより---

 全軍という記述だけから常備軍とはいえないのでは?そこで、パルス軍の構成をその階級別に考えたいと思います。パルス軍の細かい組織構成はわかりませんが、万人隊、千人隊、百人隊、十人隊とおおざっぱに分けてみます。万騎長が12人、万人長が30人とします。
 まず、騎馬隊から。騎馬隊は、指揮官が貴族で騎馬兵が自由民ということなので、
 指揮官(貴族)の数が、万騎長を筆頭に
 (1+10+10x10+10x10x10)x12=13,332人
 よって、騎馬兵隊に占める自由民の数は残り
106,668人

次に、歩兵隊。その構成は指揮官が自由民で歩兵が奴隷ということなので
 指揮官(自由民)の数は万人長を筆頭に
 (1+10+10x10+10x10x10)x30=33,330人
 よって歩兵隊に占める奴隷の数は残り
266,670人

集計すると、パルス軍の階級別構成状況は
 貴族13,332、自由民139,968、奴隷266,670となります。貴族は戦闘専門として除外しますが、軍の質を考える上でこの自由民と奴隷がくせもんです。仮に、歩兵隊の指揮官(自由民)を常備兵とした場合、では騎馬隊の自由民はどうなん?常備兵?それとも徴兵?と判断が難しいです。そこで自由民を江戸時代でいうところの町人、農民とした場合を考えたいと思います。騎馬兵がある程度、馬に慣れ、定期的な訓練を要するものだと考えれば、農耕馬を所有している農民と荷役馬を所有する一部の町人を戦時のみ臨時徴兵するというのはどうでしょうか。これならば、週一回くらいの軍事訓練を義務化してそれ以外の日は農業や商工業に励ませるという形で維持費が浮きますし、馬慣れもしているからある程度志気は保てるでしょう(自由民というからには義務もあるはずです。また、農耕馬の類が軍馬になるのか?については旧日本軍が農村から軍馬を徴収したという話を聞きますし不可能ではないでしょう)。奴隷については戦闘奴隷も考えられますが、生産的ではないので一部が貴族の下男、下女、大多数が農村部の使役や町での荷役などでこき使われていたのではないでしょうか(同じく徴兵です)。
 まとめると、職業軍人が44,662人、定期的に訓練された半軍人が106,668人(奴隷も訓練を受けさせられたとすれば、313,332人)となり,なんとか小説通りの規模と騎馬兵数をそろえられますが(俺様ランチさん論の一応の答えになるのでは?)、このような国家総動員ともいうべき戦時体制を常時とるとなると、国家の経済活動に支障が生じるのではないでしょうか。ましてや、ルシタニアの侵攻以前にもいつも他国から侵略を受けてきた歴史を考えると、パルスの繁栄には疑問符をつけざるを得ません。また、上記のような軍構成をながめてみると職業軍人はごく一部で、歩兵に至ってはほとんどが奴隷によって構成されています。歩兵部隊の志気はかなり低かったのではないでしょうか。パルスが歩兵を軽視したというのもあながち嘘ではなさそうです(苦笑)。弱小なり、パルス軍。アトロパテネ会戦の敗北も必定なりかな。まあ、ローマ軍にも奴隷はいましたし、実際にはこのような体制の国が強国たり得たかははっきり申し上げられませんが、、、

 それから
>まず初めに、お二人の軍事や歴史知識の深さに脱帽です。で、仕立屋さん、ペルシア帝国についての知識とかの参考文献なんかあったら教えて下さい。元ネタ探し、自分でもやってみたくなりました
(中略)
> ルシタニアのモデルにイスラム、ってのすっかり頭から抜け落ちてました。「ルシタニア」って語感と人名などからずーっと十字軍とキリスト教をイメージしてました。そういえばイスラムも一神教だって事を改めて思い出しました。
---以上、1192 俺様ランチさんより---

 いえいえ、私に限っては大したことはありません。事実、私など、調べてみるまで、中東の歴史など知らなかったことだし、それ以前に地理選択だったため、特定分野以外は歴史にくわしくありません。買いかぶりですよ(笑)
 参考文献についてはご自分で探されたほうが楽しみ百倍だと存じます。が、わたしの調べ方を申せば、電子百科事典である分野を調べ、その関連事項にひたすらジャンプしていくという手法をとりました。これは非常に便利です。その後、それらについて図書館で探すという感じです。これ、結構、楽しかったですよ。似たような名前やそのまんまやんけ!ってなとこが見つかるたびに顔がニヤケてしまいました。また、小説のあとがきにも参考文献が載せられてませんでしたでしょうか?手元にないのでわかりませんが。
 イスラムの件は正直いうとわたしも、調べる前まで思いつきませんでした。古代マケドニア王国のイメージがあり、ギリシャ世界かなとも考えましたが。まあ、わたしもこんなもんなので、間違いも多々あるものと思いますので、そのときはご指摘ねがいます。
 最後に1185で私が述べた中でのナルサスに対する言及について。よくかんがえたらって考えなくてもアトロパテネの時点でナルサスはまだ作戦指揮官ではなかったですね。ナルサス殿には悪いことしました。ちょっと調子に乗りすぎましたか。スマン。

収録投稿15件目
board1 - No.1198

アル戦ネタについて

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月07日(金) 18時19分

<ところで、実際には騎兵10万が展開できるだけの広さってどれくらいなんでしょう?イメージが全然わかないのでピンときません。>

 私もあまりピンと来ませんけどね(^^;)。はむぞうさんが以前「騎兵八万五千が並ぶだけで、トラック14000台分の広さをとる」って言ってましたけど、アトロパテネの場合、敵味方合わせて59万1千人もの人間と、14万3千頭もの馬がいますからね。少なくとも東京都よりもでかいのでは?

<全軍という記述だけから常備軍とはいえないのでは?>

 これはアンドラゴラス王の紹介の時に「パルスの全軍――十二万五千の騎兵と三十万の歩兵を指揮するにふさわしい男である」(アルスラーン戦記1 P13)から推測しました。さらにパルスの東方国境には8万の戦力が常に臨戦体制で待機しているし、西方国境にも6万が常駐していますから、私は常備軍ではないかと解釈しました。自由民の兵については私も武装農民ではないかと考えていましたけど、奴隷と馬が平時はどうなっているのか、またどうやって生活しているのかがわからなかったので。特にアルスラーン戦記の奴隷は無給ですから、国ないしは諸侯が面倒をみなければならないわけです。奴隷の使い潰しもあったでしょうね。負担がバカになりませんから。

収録投稿16件目
board1 - No.1284

騎兵問題の謎が解けた?

投稿者:新Q太郎
1999年05月26日(水) 23時18分

少し前にあった、「アルスラーン戦記で、数万の騎兵が戦闘するのは戦場の広さからいっておかしいのではないか?」という意見ですが・・・
上級ファンである私は自分なりに、この矛盾を解消する裏設定を考えています。

(答)「アルスラーンの登場人物は皆30cmくらい、馬は50cmくらいなのだ」

・・・いかがであろうか。
(「ラヂオの時間」なみに強引なつじつま合わせだな)

収録投稿17件目
board1 - No.1293

>騎兵問題の謎が解けた?

投稿者:小村損三郎
1999年05月28日(金) 00時25分

>(答)「アルスラーンの登場人物は皆30cmくらい、馬は50cmくらいなのだ」

だとすると・・・
実はあの(アルスラーンの舞台の)惑星はアノ“ソロ星”で、彼らは“第6文明人”の祖先だったのかああああっっ!!!!(爆死)

収録投稿18件目
board1 - No.1294

しまった、間違えた

投稿者:小村損三郎
1999年05月28日(金) 01時00分

“第6文明人は地球人の2~3倍の背丈の巨人”でした(さらに爆)。

収録投稿19件目
board1 - No.1299

トゥラーン軍の騎兵問題

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月30日(日) 23時21分

 騎兵問題といえば、トゥラーン軍がもっと問題ですね。アルスラーン戦記5巻で彼らは16万もの騎兵部隊(先遣隊6万、トクトミシュ親征軍10万)でぺシャワール城を囲んでいるのですが、一体どれほどの広さをともなうのでしょうね。16万の騎兵部隊に囲まれた城のてっぺんから見た光景ってどんなものなのでしょうか。あたり一面騎兵だらけという光景も一度見てみたいものですが。
 それと、いくらナルサスの巧妙な策略に引っかかったとはいえ、13万もの騎兵が戦死したというのも変です。6巻ではたった3万しか残っていないんですよね。これは戦死率80パーセント以上です。しかもパルス軍は10万ほどしかいないのにどうやってそんなに殺したのでしょうか。
 まあこれは多分トクトミシュ親征軍の10万を忘れていたのでしょうけど。親王イルテリシュが「一万をこす死体を、異国の野に残しただけで、手ぶらで帰るのか」なんて言ってますから。
 それとトゥラーン軍のバシュミル将軍って名前だけしか出てきていないんですが、彼はどうなったのでしょうか? 知らないうちに戦死してしまっているようですけど(笑)。

 あと、死体の処理問題もありますね。アトロパテネといい、このトゥラーン軍の戦死者といい、相当な数の死体がありますからね~。放っておくと疫病のもとになりますし、「七都市物語」のジャスモード平原のように白骨だらけになるでしょうから、このあたりにも興味がありますね。
 まあこちらはどうでもいい問題ですけど。

アルスラーン戦記設定擁護論の関連リンク一覧

田中芳樹作品擁護論
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