私は創竜伝をこう読んだ
3-A

Merkatzさんの読書感想文(1)

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収録投稿1件目
board1 - No.927

読みましたよ「創竜伝」

投稿者:Merkatz
1999年03月21日(日) 05時16分

「創竜伝」を20ページほど読みました。図書館で、閉館15分前に行って。(^^)
結構面白かった。4兄弟の会話(漫才か?)が良い。
これがどのように変化するのか、すごく楽しみです。
明日図書館から借りて、本格的に読んでみようと思います。
そうしたらまた、感想を書きますね。

収録投稿2件目
board1 - No.969

いち「銀英伝」ファンの感想

投稿者:Merkatz
1999年03月27日(土) 05時22分

私にとって「銀英伝」以外の田中芳樹作品を読むのは初のことです。
その感想ですが「おもしろい」。
竜堂兄弟の掛け合いとかアクションなど、さすがは「銀英伝」の田中芳樹と思わせます。
たくさんの方が指摘なされている社会評論も、1巻はまだ多くはなく、また小説部分がしっかりしているのでさほど気になりません。
確かにちょっと腹が立つ所もありますが、いやこれは日本といっても同名の異世界の話なのだと思えば(笑)、小説部分が面白いので目をつぶることが出来ます。
1巻を読んだ限りでは、エンターテイメントとして面白い。
今のところ私の感想は以上です。
さて2巻以降これがどのように変容していくのか、大変楽しみです。        

収録投稿3件目
board1 - No.990

いち「銀英伝」ファンの感想 2

投稿者:Merkatz
1999年03月30日(火) 16時54分

「創竜伝」1巻は面白かったので、ひょっとしたら
これは結構いけるんじゃあないか、
いろいろ批判されているが、そこを無視さえすれば楽しめるんじゃあないか、
と期待したのが馬鹿だった。
1巻と2巻は別物といっていいくらい変わっていた。

社会評論が急に量を増し、その内容がいちいち不快で、小説部分の面白さを
削ぐこと甚だしい。
おまけにその小説部分もかなり不出来きでいまいちである。
とにかく無茶苦茶である。
船津老人亡き後、権力亡者が襲い掛かるというのはまあ良いにしても、
竜堂兄弟のやり方が気に入らない。
えげつないほど相手を叩きのめすだけでは飽き足らず、
東京の名所を破壊し、一般人を巻き込み、
自分たちの責任じゃあない、相手が悪いんだだと!?

いきなり2巻めで破綻するか。こんなものエンターテイメントであるものか。
正直言ってもう続きは結構なのだが、
何やら3巻は史上最悪らしいので、興味がある。
まったくここで話題になっているから読んでみたいと興味も湧くが、
そうでなければ誰が読むものか!こんな駄文。

こんなものが人気があって飛ぶように売れるなんて、あかほりさとるの作品が
売れることと同じくらいの謎だ。

収録投稿4件目
board1 - No.1085

いち「銀英伝」ファンの感想 3

投稿者:Merkatz
1999年04月12日(月) 06時59分

「創竜伝」3巻は読み始めて2~3分後に茫然自失した。
噂の「花井婦人」登場である。
なにこれ?何の意味あってこんなキャラクター出す必要があるの?道化役ですらなく、読者に不快感を与え、物語りの構築をぶち壊しているだけではないの?

ところで、皆さんご指摘になってないのですが、3巻にはミスがありますよ。107ページ「どうだ、ついでに首相官邸に140ミリ砲弾をぶち込んでやっても・・・」とありますが、90式戦車の主砲は120ミリです。
更に111ページ、続が車載機銃を追手の戦車に発砲しますが、ここの表現も間違いです。戦車装甲は機銃の弾ぐらい屁でもありません。慌てて回避行動を取る必要なんてないんですね。機銃弾ていどなら突進しても大丈夫なんです。おそらく戦車の車載機銃が何のためについているのか知らないから、こんなおかしな事を書いたのでしょうね。
ちなみに車載機銃とは「対人用」であって「対戦車用」ではありません。戦車というのは以外と死角が多いので、歩兵がこっそり忍び寄り、火炎ビンの様な粗末な武器で倒すという芸当も可能なんです。
それを防ぐために機銃で近づく歩兵を倒すわけです。主砲が長槍なら機銃は短刀というところですか。
こんな事ちょっと調べれば解ることです。それをしないとは物書きとして怠慢ですね。

しかし読めば読むほど「これがあの銀英伝と同じ作者か!?」と思わざるをえません。まあ、ステレオタイプな悪役をバッタバッタとなぎ倒す勧善懲悪ものであることはよいとしても、なぜ社会批判を差し挟む必要があるのか、理解に苦しみます。
「水戸黄門」は勧善懲悪の代表ですが、社会批判なんてやりません。そりゃそうです。悪党をなぎ倒すのが醍醐味であって、批判が目的じゃあないんですから。
「創竜伝」の間違いは勧善懲悪ものでありながら、社会批判をやったところにあると思います。
だから竜堂兄弟が日本を否定(あれは批判ではない)しながら、四人姉妹に協力しないという矛盾が生じるんですね。

次は4巻ですか。なんか屈折した楽しみかたしてるよなあ・・・。ところで花井婦人、もう出てくんな!!

収録投稿5件目
board1 - No.1091

田中芳樹は軍事オンチ?

投稿者:Merkatz
1999年04月13日(火) 19時47分

もうひとつ指摘することを忘れていました「創竜伝」3巻。
間違いというほどでもないんですが、ちょっと解せない記述がありまして。
114ページ、ヘリがやってきて「アイアン・ドラゴン」に威嚇射撃を行ないますが、これって威嚇になるの?
というのも戦車装甲の上面は脆いから、結構やばいんですよね。
しかしそれ以前の問題として、この飛んできたヘリの種類は何なのでしょうか?それを書かないことには、ここの描写はおかしなことになりますよ。
軍用ヘリと一口にいっても、大きく分けて2種類あるんですよね。兵員の輸送を専らとする「汎用ヘリ」と、対地・対潜攻撃を専らとする「攻撃ヘリ」です。
で、飛んできたのが「汎用ヘリ」なら問題無いんです。あれの機銃はたいしたことないから。
よく見てみると「路面にバルカン砲の・・・」という記述があります。とするとこれは「攻撃ヘリ」、それもバルカン砲装備となると「AH-1ヒューイコブラ」となります。実際、自衛隊所持の攻撃ヘリはこれだけなので、そこからも同機だと特定できます。
そこで今一度本文の記述を見ると「それほど危険は感じなかった。本気の攻撃なら、対戦車ロケットでも・・・」となっています。
おいおい、攻撃ヘリの装備はすべて対戦車用であって、バルカン砲でも十分「本気の攻撃」なんだよ。ただ一撃必殺でないというだけ。ここでは竜堂兄弟捕獲命令が出ているんだから、戦車の動きを止めるべく、機関砲掃射にとどめているだけなんだってば。

それにしても田中芳樹ってほんとに軍事知識持ってるの?
「本気の攻撃なら対戦車ロケット」というのも、なんだかなあ・・・。攻撃ヘリの主兵装はATM(アンチタンクミサイル)なのになあ。そりゃロケット弾も装備しているけど、基本はミサイル一発!だよ。
こうしてみると「バルカン砲」というのもあやしいよなあ。自衛隊のヒューイコブラだとわかって書いたのかどうなのか。弾丸を連続発射するものは何でも「バルカン砲」だと思ってんじゃあないだろうな。
ちなみにバルカン砲は機関砲の一種で、複数の銃身を束ねて回転させながら弾を発射するものです。
もし、やって来たのが米軍のアパッチだったら完全に間違いだよ。あれは30ミリ機関砲なんだから。

それにしても戦車の件といい、ヘリの件といい、なんで資料を調べて書くという物書きとしての基本的なことをしないのかなあ。
推測するに
1.実は田中芳樹はハードウェア系が苦手
2.戦争の道具を研究することは平和に反する行為だと思っている
のいずれかだと思われます。
みなさんはどう思われます?

収録投稿6件目
board1 - No.1092

筆が早ければ左派が支持を失い始める前に完結できたのに

投稿者:M野
1999年04月14日(水) 00時55分

>Merkatz 様

>推測するに
1.実は田中芳樹はハードウェア系が苦手
2.戦争の道具を研究することは平和に反する行為だと思っている
のいずれかだと思われます。
みなさんはどう思われます?

3.戦車の空調に関する記述でもうかがえるとおり、そもそも
田中先生が自衛隊を小馬鹿にしているため、資料など調べないし、
より矮小に貧弱に描こうとしている。

…だと思います。

収録投稿7件目
board1 - No.1093

田中氏の軍事知識について

投稿者:アッテンBONO
1999年04月14日(水) 12時12分

田中氏のハードウェア知識や軍事知識の不足が取り上げられていますが、
私自身は、対象が小説であるならばそれほどこだわりません。

例えば、銀英伝ではたかだか数百億の人口規模で、数十・数百万単位の戦死者が出る
「小競り合い」を100年以上も、それも毎年のように行っているという設定や、
数十万隻での艦隊戦というのは、素人目に見ても社会規模に対して
オーバースペックであるような気がします。
また、小説では具体的な描写はありませんが、宇宙空間における艦隊運動や、
イゼルローン要塞、ゼッフル粒子といったハードウェアも、
ハードSFマニアから見れば矛盾の塊かもしれませんし、
「空想科学読本」(でしたっけ?ウルトラマンやスーパーロボットの「ウソ」を
現代科学の立場から解説している本)では散々に叩かれるシロモノかもしれません。

軍事知識については、田中氏の功績として「情報と補給の重要性」を指摘したこと、
「戦術より戦略」を重要視したことがあげられていますが、
今冷静に考えてみると、この2つは何も田中氏の独創ではありませんし、
戦史や兵法をちょっとでもかじったことがあるなら当然に触れざるを得ない
基本事項だと思います。
もちろん、そういった軍事的常識を欠いたまま戦争を描いた作品も多い中、
きちんと基本を押さえていた点は立派ですが。
(もっとも、当時の私はそんな知識などなかったので、「さすが目の付け所が違う」
と目からウロコが落ちる思いでした)

ですが、田中氏自身、軍事や科学の専門家というわけではありませんし、
銀英伝は軍事マニアやSFマニア向けの軍事シミュレーション本ではなくSF「小説」ですから、
「銀英伝」においては必ずしも厳密な科学的・軍事的考証は不要で、
上にあげたことも、小説の「ウソ」の範囲内ということで、致命的欠点にはなり得ないと思います。
作品における重要度としては、「改めて検証すれば」多少気になる程度のもので、
作品としての面白さをスポイルする程のものではないと。

しかし、創竜伝は表面上は小説を装いながらも現実社会を題材にした、
(質は劣悪ながらも)社会批評のようなモノです。
批評するからには、当然対象を十分調査することは最低限求められることの一つです。
ところが、創竜伝はロクに調べもせず、時に自分に都合の良い曲解すら施しながら
「批評」まがいのことを行っているように思えます。
きちんとするべきことをしていない創竜伝(というか、創竜伝作家としての田中氏)が
批判されるのは身から出た錆ですが、溯って銀英伝の設定や描写を指して
「やはり田中氏は軍事オンチだ」というのはちょっと酷な気がするのですが、いかがでしょうか?

・・・と、ここまで書いて、やはり自分は今でも銀英伝は好きなのかなあと
再確認した次第です。(苦笑)

収録投稿8件目
board1 - No.1095

アッテンBONOさんに同感。

投稿者:俺様ランチ
1999年04月14日(水) 21時12分

 アッテンBONOさんの創竜伝と銀英伝を分けて考える意見に同感です。創竜伝における、現実に取材しようと思えばできる兵器を間違った書き方をしてしまうのは責められてしかたない、と思います。もっとも日本の戦車が90式かだって事さえ知らないような、軍事マニアじゃない読者には戦車の大砲の口径が2㎝違う事が皆さん大騒ぎするほどの大問題なのか疑問ですが。もともと銃で撃たれても死なないような人間が出てくる話ですし。

 ですが確かに銀英伝のSFな部分の矛盾を挙げて「田中芳樹は軍事オンチ」と決めつけるのは酷だ、と私も思います。銀英伝はイゼルローン回廊なんてウソくさいものがある、3次元の宇宙空間なのに戦闘はやけに平面っぽい、という「世界設定」での話ですし。だいたいSF的設定の真偽を問うこと自体ムチャだし。

 あと、銀英伝の戦闘シーンを「パクリだらけ」と言う人がいますが、これもナンセンスだと思います。確か1巻でのヤンの台詞「古代から戦闘の形はほとんど変わってない。私が偉いんじゃなくて古代の戦術をマネしてるだけだ」と言うような意味の事を言ってるので、パクリ自体は全然否定してないです。
 そもそも銀英伝は「昔から人間のやることなんて大して変わってない」というテーマの話ですから。

収録投稿9件目
board1 - No.1100

アッテンBONOさんへRES

投稿者:Merkatz
1999年04月15日(木) 07時50分

なんかまた誤解与えちゃったようで・・・。
私は熱烈な銀英伝ファンなんですけど、これに関してはアッテンBONOさんや俺様ランチさんと同じく設定に対するツッコミは無意味だと思ってます。スペースオペラにそんなことするのはヤボというもんです。

ですが「創竜伝」は現代ものです。実在するものが出て来ます。ならばきちんと調べて正確な描写を心がけるのが、物書きとしての努めではないかと思うのです。
例えば「アドルフ・ヒトラー」を「アドルフ・ヒムラー」と書き間違えていたら、「おいおい、そのくらい間違えるなよ」と言いたくなりますよね。
だって「ルドルフ・ゴールデンバウム」の設定は作者が作ったものでも、「アドルフ・ヒトラー」は歴史上の人物なんですから。だから間違えれば多くの人に「おいおい」とツッこまれてしまいます。
で、私が指摘したのは事実を間違って書いてますよってことなのです。それだけならまだしも、そこから小説の描写がおかしなことになっているからさあ大変だと。

「田中芳樹は軍事オンチ?」と言った理由は、私は銀英伝を読んだとき「ああ、この人は相当の軍事マニアに違いない」と思った。戦略や戦術なんて素人は書かないから。で、ここのサイトの影響で創竜伝読みはじめたときもその思い込みだけは残っていた。
でも3巻で妙な描写を見て「あれれ」と思った。軍事マニアのくせに何故にこんなミスするかなあと。すでに戦車の空調の件で、皆さんが指摘なさっていたことを考え合わせて、「これはひょっとして・・・」と思ったんですね。
そこで「田中芳樹は軍事オンチ?」と。でもまだ決め付けたわけじゃありません。あくまで疑問形です。
私としては「創竜伝」を読み進めて、またこのような事が出てくるかどうか、確認したいと思っています。

ですから銀英伝の設定や描写を指して「やはり田中氏は軍事オンチだ」と言ってるわけじゃないんです。それに仮に彼が軍事オンチだとしても、それによって銀英伝の面白さがいささかも失われるものではありません。
あくまでも私が指摘したかったのは「創竜伝」における
1.事実が間違ってますよ
2.それによって描写が変になってるところがありますよ
3.物書きとして事実を調べるということは基本ではありませんか
ということなのです。

別に田中芳樹が軍事オンチであろうとなかろうと、面白い小説を書くならばどっちでも構わないんですけどね。
軍事オンチが批判の対象ではなく、物書きとしての態度が問題なんですよね。私はそれを軍事関係の描写から見て取ったよという話なわけです。

収録投稿10件目
board1 - No.1101

melkatzさんへのお返事

投稿者:アッテンBONO
1999年04月15日(木) 12時26分

melkatzさんこんにちは。

>なんかまた誤解与えちゃったようで・・・。
>軍事オンチが批判の対象ではなく、物書きとしての態度が問題なんですよね。私はそれを軍事関係の描写から見て取ったよという話なわけです。

こちらこそすいません、あの文はmelkatzさんや他の特定の方に対する書き込みのつもりではなかったのですが、
私の書き方がちょっとマズかったですね。すぐ下のmelkatzさんのタイトルにある「軍事オンチ」という言葉を
そのまま拝借してしまっていますし、melkatzさんへのレスと取られても仕方ありませんね。失礼しました。
私としても、問題なのはまさしく「物書きとしての態度」だと思っていますので、比較対象として銀英伝を取り上げました。

収録投稿11件目
board1 - No.1119

いち「銀英伝」ファンの感想 4

投稿者:Merkatz
1999年04月18日(日) 06時40分

「創竜伝」も4巻まで読み進みました。
花井婦人、相変わらず飛ばしてますねえ。なんか彼女が出てくるだけでゲンナリします。社会批評部分より醜悪に感じるのは私だけでしょうか?

またまたやってますね。3巻に引き続き妙な兵器描写が出てきます。4巻182ページ、「四〇機のF18E戦闘機・・・空軍のエリートたちだった」という個所。
F-18、厳密にはF/A-18ホーネットですが、あれって海軍所属なんですよね。だから空軍のパイロットが乗るはずがないんです。だいたい防空任務は空軍の仕事ですから、海軍の戦闘機ではなく空軍の戦闘機、F-15やF-16が飛んでこないとおかしいんですよね。
おまけにF-18の武装記述も間違えてるし。32mmバルカン×3門ではなく20mmバルカン×1門です。
「さらに対空ミサイルを保有する」というのも「???」です。戦闘機の兵装に対空ミサイルは当たり前です。「さらに」と強調して、さも特別であるかのように見せる意図が分かりません。
183ページ「バルカン砲が火箭を吐く。一分間に六六〇発の連射能力・・・」。いまどき単身砲でもそのくらいの性能ありますよ。バルカン砲なら毎分700~1000発です。
それから攻撃方法の順序。バルカンを放った後、ミサイルを打ち込んでますが、逆です。ミサイル→バルカンの順じゃないと。長距離用としてミサイル、格闘戦用としてバルカンがあるわけですから、まず遠距離からのミサイルの後、近づいてバルカンを叩き込む。これが正解。
でないと、ドラゴンに対して徐々に戦闘機が近づいているということが表現できなくなりますよ。
186ページ「ありったけの戦車を動員して・・・対空ミサイルと、そして昼夜兼用の対空機関砲。これが彼らの主要武器である」
うーん、確かに戦車と呼ばないこともないが、普通は「装甲車両」と呼ぶんだけどなあ。
一般に「戦車」といえば砲を装備したあの形のものを指して言うんであって、それ以外のものは「装甲車両」と言うのが自然です。「補助戦車」という言い方はたまに見かけますけど。大雑把な分類として「装甲車両」、細かな分類で「対空車両」「自走砲」「歩兵戦闘車」などとなります。
あとこういう車両は米軍にはありません。近いものに「ADATS」がありますけど、武装が違います。というかそもそも「対空機関砲」と「対空ミサイル」両方乗せている対空車両という発想自体がなんとも・・・。
対空兵器として、そうできれば理想的ですが、スペースファクターの都合、簡単にはできないんですよね。「ADATS」と旧ソ連「ボルガー」が実現してますが、帯に短したすきに長しという程度になってますし。
「三七ミリ対空機関砲は、五〇〇〇メートル上空をマッハ一.六で飛行する物体すら撃墜可能である」という表現から、ドイツのゲパルトにミサイルを積んだものを考えているのではないかと思います。
ちなみにゲパルトは35ミリ、射程4000ですけど。こいつは結構有名だと思うんだけどなあ。田宮のプラモデルにもなっているし(笑)。

なんでこういう事をするんでしょうね。わからないんだったら固有名詞を出す必要はないのに。「四〇機の戦闘機」でも全然問題ないと思うんですけどね。「四〇機のF18E戦闘機」と書くことで小説の面白さが増すとも思えません。

3・4巻の兵器表現の間違いを見て思ったことは「読者を馬鹿にしてるのか?」ということです。
もし詳細な兵器表現が小説の面白さに寄与すると考えているのなら、資料をあたる筈ですから、こんな些細なミスを犯すはずがありません。
兵器のスペックなど小説の面白さに関係ないと考えているのなら、知りもしない兵器の詳細を適当に書きなぐることなどするはずがありません。
実は田中芳樹は自慢したがりなのではないでしょうか?
「俺は戦車の主砲が140ミリとかF18Eが米空軍の戦闘機とか色々知っているんだぜ。どうだすごいだろう」
私にはあれらの兵器描写から、彼がこういう態度に思われてならない。
耳学問で学んだことの自慢だから、詳しく調べる気もないし、間違えていても「フィクションです」の一言で逃げることができる。

ほんと、自慢しているようにしか見えないよ。例えば「F18E」という書き方。ふつうは「F18」としか書きませんよ。「E」というのは型番で、いうなれば「85年式のカローラ」と書くのと同じ事です。「カローラ」で十分なところに「85年式」ということまで付け加えることに、どれだけの意味があるのでしょうか。
創竜伝は軍事マニアのための戦記ものじゃないんですから、そこまで詳しく表記する必然性がないじゃないですか。にもかかわらず書いている(しかも間違ってる!)のは、単なる知識自慢にしか思えませんね。
別にするなとは言わないけど、やるんなら間違えるなといいたい。間違いにお構いなく書きなぐるのは、結局のところ読者を馬鹿にしてるのではないか。
「お前らはこんな事知らないだろう。俺は知ってるんだぜ。なんたって天下の田中芳樹様なんだから」
こういう声が聞こえてくるような気がしてならない。
兵器描写の件で私は思いました。ああ、この人は創竜伝を真面目に書く気はないんだなと。

これは批評ではなく個人的感想ね。
前に「軍事オンチ?」って書いたけど、これはそれ以前の問題だわ・・・。彼は軍事オンチじゃありません。単なる「自慢しい」です(^^)。

あ、最後に210ページ「お前をたっぷり(以下、青少年健全化委員会の意向により検閲削除)してやらあ!」
おお、あれだけ権力を批判する人が、「青少年健全化委員会」なる右翼権力の手先に屈服してるわ(笑)。

収録投稿12件目
board1 - No.1124

ちょっと酷では

投稿者:ドロ改
1999年04月19日(月) 14時57分

>Merkatzさんへ
間違った知識をひけらかす田中芳樹の態度は責められて当然だと思いますが、戦闘機の型番や兵器の規格については、あまり言うのは酷ではないでしょうか?創竜伝は「伝奇」ものです。あのジャンルにおいては兵器、武器の名は詳しく書いた方が「それっぽく」なります。その知識が間違っているのでブチ壊しになっていますが、それをさして「自慢しい」というのはあんまりだと思います。前に指摘された「機銃をよけようとして運転を誤る戦車」なども、ドタバタコメディー」の文法からいけば、間違っていないとおもいます。まり、自衛隊員は「三枚目」の役たる以上、機銃におどろいて運転を誤るくらい、不自然ではないと思います。ちなみに私はあのへんのドタバタ結構好きでした。もう一回読もうとは.....ま、ひまな時にでも(思い出は美しいままで)。

収録投稿13件目
board1 - No.1126

Merkatzさんへ

投稿者:不沈戦艦
1999年04月20日(火) 00時21分

>またまたやってますね。3巻に引き続き妙な兵器描写が出てきます。4巻182ページ、「四〇機のF18E戦闘機・・・空軍のエリートたちだった」という個所。
F-18、厳密にはF/A-18ホーネットですが、あれって海軍所属なんですよね。だから空軍のパイロットが乗るはずがないんです。だいたい防空任務は空軍の仕事ですから、海軍の戦闘機ではなく空軍の戦闘機、F-15やF-16が飛んでこないとおかしいんですよね。

 はははは、確かに変ですね。アメリカ以外だったら、F18ホーネットが空軍所属なのはあると思いますが、これは変です。

>おまけにF-18の武装記述も間違えてるし。32mmバルカン×3門ではなく20mmバルカン×1門です。
「さらに対空ミサイルを保有する」というのも「???」です。戦闘機の兵装に対空ミサイルは当たり前です。「さらに」と強調して、さも特別であるかのように見せる意図が分かりません。
183ページ「バルカン砲が火箭を吐く。一分間に六六〇発の連射能力・・・」。いまどき単身砲でもそのくらいの性能ありますよ。バルカン砲なら毎分700~1000発です。

 「バルカン砲」がどういうものなのか知らないのでしょう。ノストラダムス屋の五島勉が昔書いた「超兵器戦争」という小説でも、「バルカン砲3門」とか平気で書いていました。中途半端に軍事知識がある人の悪癖でしょうかね。それと、20mmバルカン砲なら、毎分6600発射可能です。田中芳樹は一桁間違えたのかも。
 回転する6銃身(A10用の30mm対戦車バルカンは7銃身)から、多数の20mmなり30mmの砲弾を打ち出すのがバルカン砲です。それを3門、戦闘機に搭載するのは現実的には無理ですね。

 それから、旧ソ連の対空ミサイル・機関砲車両は「ツングースカ」だったと思いましたが、違いましたっけ?

収録投稿14件目
board1 - No.1130

まとめてレス

投稿者:Merkatz
1999年04月21日(水) 06時33分

>ドロ改さんへ

私は最初に「どうして戦記ものでもないのにここまで詳しく書くのだろうか」と思いました。
ドロ改さんのおっしゃるとおり、ある程度は詳しく書かねばならないでしょうが、創竜伝はその必然性を越えて記述されているように感じられました。
その動機として、「自慢しい」と言ったのですが、これはまあ個人的感想ですね。
問題は「動機」よりも「態度」です。詳しい兵器描写が正しければ、私も文句は言いません。それがことごとく間違えていることが問題なのです。
管理人さんもおっしゃったように「態度と精神性の問題」を、私は兵器描写から感じ取ったわけです。
現代ものですから、実機を登場させてリアリティを与えようという意図はわかります。しかしそれなら資料を調べるのが普通ではありませんか?しかもこれらは小村さんのおっしゃるとおり「素人でも本屋で売ってる資料を調べれば分る程度のこと」です。
それすらせずにいたずらに間違ったことを書き続ける(出てくる兵器描写すべて間違っていると言切ってもよいほど)のは、つまるところ小説家としての誠実な態度が、創竜伝に関しては欠けているのではないかと思ったのです。
ちと混乱させる書き方になってしまいましたが、私が批判したかったのは「動機としての自慢しい」ではなく「態度としての間違った兵器描写」なのです。

それにしても自衛隊がドタバタコメディーの3枚目なんてかわいそー。現実では左翼に叩かれ、小説ではコケにされ、自衛隊って割に合わない職業だなあ(笑)。

>不沈戦艦さんへ

あう、バルカン砲の連射能力は私も勘違いしてました。最小4000から最大7000ですね。うろ覚えはいかんなあ・・・。
ちなみに「バルカン」は固有名詞なんですよね。ジェネラル・エレクトリック社の20mmモーターガトリングの系列のみ「バルカン」と呼称されています。面倒なんで私も使い分けしてませんけど。
A10用は同社の30mmモーターガトリング砲「アベンジャー」。俗に30mmガトリング砲と呼ばれてます。
こいつの大きさって乗用車よりでかいんですよね。フォルクスワーゲン・ビートルと比べた図を見たことがあるんですが、弾倉部分だけで同じくらいの大きさ!!こんなもの3つも積めるわけないですよね。
あと同社には7.62mm弾使用のM134「ミニガン」があります。これは「ターミネーター2」で使われており有名です。
ところでこの「ジェネラル・エレクトリック社」って、家電メーカーの「ジェネラル・エレクトリック社」ことなんですかね?だとしたらまさに「四人姉妹」だな。ゆりかごから兵器までってか。

「ツングースカ」はちょっとわかりません。なんせ私の手元の資料が古いもんで。
かつて旧ソ連の兵器名はNATOコードネームで呼ばれていました。フランカーとかハインドとか。たぶんボルガーもコードネームでしょう。
ロシアになって彼ら自身の呼び名「ツングースカ」になった可能性もあります。
「ボルガー」とはZSU-23-4「シルカ」の後継として作られ、対空ミサイル「SA-19」と30mm対空機関砲を装備するものです。たぶん「ボルガー」=「ツングースカ」でしょうね。
私が兵器のことをかじったのは「大戦略Ⅲ'90」というゲームが出たときだからなあ。そのときは「ボルガー」はまだ公式には出ていない状態でした。

しっかしこういう軍事マニアの会話と中国マニアの田中芳樹の語る蘊蓄って同じだなあ。一般人から「どうでもいいこと」と言われても仕方ないよな。でも分かっていてもやりたくなるのが、マニアの悲しい性(笑)。

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board1 - No.1155

いち「銀英伝」ファンの感想 5

投稿者:Merkatz
1999年04月27日(火) 06時29分

創竜伝5&6巻の感想です。
5巻は外伝ということで、ほとんど飛ばし読み・斜め読みしちゃいました。
だって水戸黄門じゃないんだから諸国漫遊してどうする。おらが町にも竜堂兄弟がやってきただ~って喜ばれるわけないだろ。ただでさえ遅筆なんだから、余計なもの書く余裕があるくらいなら、本編に集中すりゃあいいのにねえ。

6巻、相変わらず兵器描写は間違いだらけです。もういちいち指摘するのも面倒なんでやりませんが、出版当時、読者からの指摘はなかったのでしょうか?ここまで酷いのはちょっとねえ。
そうそう、以前話題になっていた「90式戦車は橋を渡れない」というやつ。130ページにそのくだりがありますね。「日本国内では道路を走ることも橋を渡ることもできない」っておい、そういいながら3巻で市街地の戦車チェイスを書いていたのはどこの誰だよ。なんで「道路を走る」ことのできないものが「道路を走って」るんだ?
適当に書き散らかしているから、こういう矛盾が生じるんだよなあ。

それにしても田中芳樹の軍事に対する態度は、左翼マスコミに通じるものがあるように思われます。
朝日新聞をはじめとする日本のジャーナリズムも、以外と軍事に疎いんですよね。
天安門事件のときも戦車と装甲車をごっちゃにしてましたし。軍事評論家の江畑謙介氏の本にこういう面白い話が載っていました。
旧ソ連でクーデターが起こったとき、新聞に「戦車出動」とあった。マスコミが日常、戦車と装甲車を区別してないことを知る氏はこう考えた。本当に出てきたのは戦車なのか?戦車ならソ連軍が動いていることになる。しかし装甲車なら、単なる治安部隊だ。なぜなら治安部隊は戦車を保有していないから。ソ連軍が動いたとなると、彼らがどちらに付くかでクーデターの正否が決まる。
結局、戦車が出動していてそれが市民側に付きました。
「戦車」と「装甲車」の違いがこのような重要な事実を含んでいるのですから、馬鹿にできないものです。
かたや報道、かたや小説という違いはありますが、間違った情報が間違った判断を生み出し、それに対して責任を取らないという点は、両者とも共通してますね。

ふと思ったんですが、「創竜伝」って社会評論部分がなかったら本の厚さが半分くらいになってしまうのでは?これは言い過ぎかな。

収録投稿16件目
board1 - No.1208

いち「銀英伝」ファンの感想 6

投稿者:Merkatz
1999年05月10日(月) 06時19分

あ、あ、あんまりだぁ。小早川奈津子!
私は名前から「美しい若い女性」を想像していたのに、あんなコメディホラーに出てくるようなキャラなんて・・・(勝手に想像する方が悪いって?そりゃごもっとも)。
「創竜伝」7巻は、こうして大ショックを受ける事からはじまった。

今まで私は創竜伝の社会批評に言及することは避けてきました。
冒険風ライダーさんをはじめ、皆さんが鋭いご指摘をなさっていらっしゃる。そこに私のような素人が口を挟むこともあるまいと思ったので。
ですが7巻は本当に頭に来ました。今までの中で一番酷いと感じた。ですから今回はひとつだけ言わせてもらいたい。

(以下の本文からの抜粋は適宜編集しております)
177ページ「中国はアヘン戦争以来、滅びる滅びると言われながら今日まで健在だ。政府なり国家なりが形としてなくなってしまっても、中国それ自体は立派に生き残るさ」
・・・あれだけ日本は滅びる、この世から消えてなくなると書きなぐっている人の、同じ文章とは思えません。
日本は政府の消滅=日本国土の消滅となっても、中国はそうならないという根拠は何なのですか?日本だって「政府がなくなっても日本それ自体は生き残る」といえるのではありませんか?
中国大好きというのはかまいませんが、だからといって自分の故国を貶めるその精神構造は歪んでいるとしか言いようがありません。
だいたいあなたの大嫌いな日本あってこそ、印税を稼ぐことが出来るのですから、無くなって一番困るのはあなた自身なのではありませんか。

7巻は中国礼賛で塗り固められていますね。「北朝鮮は地上の楽園」という記事や文革礼賛と同類というわけですか。道理で頭にきた筈だ。

一転して8巻はいつもの創竜伝に戻ってますね。時間が過去と現在を行き来するので、なんか分かりずらい構成になってます。「仙界」なるものが登場して、ますます荒唐無稽になってきた感があります。
これ、どうやって結末を出すつもりなんだろうか?

個人的には路線変更して「小早川奈津子対竜堂兄弟」でやってほしいなあ。だって面白いんだもん、小早川奈津子。
コメディホラーの乗りでなかなかいけてると思うけどなあ。現代コメディホラー「大怪獣小早川奈津子対竜人竜堂兄弟」。うーん、これじゃ誰も買わないか(^^)。

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いち「銀英伝」ファンの感想 7

投稿者:Merkatz
1999年05月19日(水) 21時23分

「創竜伝」9巻まで来ました。残りも僅かとなりました。ところで創竜伝って何巻まで出ているんですか?図書館には10巻までしか置いてないもんで。

仙界だの天界だのなんかむちゃくちゃになってますね。1巻を読んだときこんな展開になろうとは想像だにしませんでした。なんとまあ大風呂敷を広げたものだと感心します。どういう風に終わるつもりなんでしょう。

例の月の空気の件、出てますね。まあ見苦しいものです。管理人さん(だったっけ?)がおっしゃってたように押し通すか、あとがきで素直に謝るか、どちらかが作家として誠実な態度だと思いますが。あっそうか。「創竜伝」は所詮、小銭稼ぎに書いているんだから誠実さなんて必要ないんだ。

「楊家将演義」の話が出ていましたが、あれが面白いという意見には賛同できます。かつてNHKのBS放送で「楊家将」という中国製ドラマを放送していたのを見たんですが、すごく面白かった。残念ながら途中から見たので、楊継業の話は知らないんですが、息子の楊袁紹からは最後まで見ました。
機会があったら読んでみたいなあと思っているのですが、出ているんでしょうかね。まあそれは置いておいて、中国文学の紹介が三國志に偏っているからといってそんなに青筋立てて怒ることでしょうか。
だって所詮よその国の文学作品ですよ。まんべんなく人気が出たりするもんですか。それぞれの国の国民の好みというものがあるんですから。
それを無視して「こんな面白いものが受け入れられないのはおかしい!」と力んだところで、日本人に中国人と同じ趣味・嗜好になれといっているのに等しいですよ。
そういう自分の考えを他者に押し付ける行為は、「創竜伝」などで田中芳樹自身が強く非難していたはずですけどね。

余談ですが、5月15日の読売新聞に「陳舜臣中国ライブラリー」という本の広告が載っていたのですが、そこに北方謙三氏に並んで田中芳樹の推薦の言葉が載っていました。以下抜粋。

「歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文化や芸術に無関心な財界人が「曹操タイプ」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、陳先生の作品群が多くの読者によって熱く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。」

(これは新聞に載ったままなんですけど、「熱い支持」って違いますよ。「厚い支持」です。どっちが間違えたんだろ)

(この文章、改変したら創竜伝の批判文に使えそう。冒険風ライダーさん、任せます(笑)。)

ちなみに北方謙三氏の言葉は要約すると「ひとりの人物、ひとつの出来事に、ある作品で光が当てられる。また別の作品で、同じ人物、同じ出来事に翳が与えられる。そうやって著作を積み上げることで、中国の立体性を表現している」ということです。

まあビジネス書の歴史解説が薄っぺらだという意見には賛成ですね。私もあれを蛇蝎のごとく嫌っていますから。

今回は珍しく田中芳樹の意見に賛同できる部分があったなあ。

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board1 - No.1268

久々の投稿

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月21日(金) 01時42分

Merkatzさん、創竜伝は一応11巻まで出ています。これも外伝という設定です。
仙界だの天界だのといった設定も、様々な点で矛盾だらけですので、いずれそのあたりをついた批評を展開しようと思っています。

それとリクエストがあったようですので(笑)、ちょっとその読売新聞の「田中芳樹の推薦の言葉」の批評をやってみましょうか。

<歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文化や芸術に無関心な財界人が「曹操タイプ」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、陳先生の作品群が多くの読者によって熱く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

 相変わらず自分勝手な主張をしていますね~。田中芳樹の怒りは理解できないでもないですけど、その怒りを読者や一般人に向けるのはスジ違いでしょう。田中芳樹と違う考えを持っているからといって、何でここまで罵られねばならないのでしょう。そんなに「三国志以外の中国もの」に目を向けさせたいのならば、自分が「中国もの」を書けばよいだけの話ではありませんか。別の視点で見てみれば、田中芳樹を始めとする少数以外は誰も見向きもしていない分野なのですから、自分が独占管理できるではありませんか。それでベストセラー小説が書けないというのならば、他人を罵るよりも先に自分のいたらなさを反省すべきではないのですか。田中芳樹には「自省」というものがないんですかね。
 自分でできないのであれば、自分の代わりにやってくれる有望な若手作家でも発掘したら良いでしょう。あなただって金持ちなんですし(長者番付作家部門17位なんですから、少なくとも一般人よりは金持ちでしょう)、中国ものをもっと拡大したいという野心ももっていらっしゃるのならば、当然自分が率先してやるべきでしょう。あれほど「文化の育成に無関心」などと批判されている日本の現状から考えると、他人を期待しても無駄のようですからね。
 もっとも私としては、「そんな事よりも既存のシリーズもの(創竜伝・クランは除く)を早く終わらせろ」と言いたいところなのですけど。

で、下が文章改変です↓
<歴史や人物をダシにして現代人に政治・社会問題の暗部をでっちあげてお説教するような「創竜伝の社会評論」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。政治や経済・社会問題の実情に全く無関心な、うわべだけの社会評論を展開している田中芳樹が「小説家」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、「田中芳樹を撃つ」のHPサイトが多くの田中芳樹読者によって厚く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

う~ん、こんなんで良いんだろうか?

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board1 - No.1271

陳舜臣への推薦文

投稿者:水野忠右衛門
1999年05月22日(土) 00時19分

No.1268 冒険風ライダーさん、こんにちは。

>><歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文
 <以下略>

 私もこの推薦文を読みました。感想です。

「歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教」する傾向は、どの国でも昔から行われている事だと思うのですが……。特に中国の古典は、昔から日本では「教科書」として利用されていましたし。
 だいいち、古典や小説をどう読むかというのは、読者の権利であり、他人がとやかく言うものではないのでは? 「ビジネス教訓書」として読もうが「血沸き肉踊る冒険小説」として読もうが読者の勝手でしょう。他人の読書感想文を批判することが推薦文としてふさわしいんだろうかという気がします。
 陳舜臣を誉めるのに、他者をおとしめて相対的に陳舜臣の地位を向上させようとしているのでしょうか。かえって陳舜臣が安っぽくなるだけだと思うのですが……。推薦文なら、陳舜臣のどこばすばらしいのかを説いたほうがいいんじゃないの?
 だいたい「文化や芸術に無関心な財界人」などと人を小馬鹿にしたような表現は、反感を買うだけでしょうに。推薦文を書くときも創竜伝のノリなんですかね。

 ところで冒険風ライダーさん、

>>自分でできないのであれば、自分の代わりにやってくれる有望な若手作家でも発掘したら良いでしょう。

 これはやってるんじゃないですか? 中国物を書く若手作家の本にはよく推薦文が載ってますし、井上裕美子なんかは田中芳樹の関係者(?)でしょう。七都市物語の地図作りに関わっているそうですし。(七都市物語のあとがきにあります)

>>もっとも私としては、「そんな事よりも既存のシリーズもの(創竜伝・クランは除く)を早く終わらせろ」と言いたいところなのですけど。

 これには完全に同意します。

収録投稿20件目
board1 - No.1283

まとめレス

投稿者:本ページ管理人
1999年05月26日(水) 04時04分

><歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文化や芸術に無関心な財界人が「曹操タイプ」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、陳先生の作品群が多くの読者によって熱く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

 実は私の場合は前半部分に関しては全く同感なので、冒険風ライダーさんや水野さんの反発はちょっとあんまりかな、と個人的には思います。
 ですが、後半部分はいただけないですねぇ。「私だけがそうではない」とか、反発を呼びそうな語句が並んでるし(笑)。
 ところで、田中芳樹って本当に「そうではない」んですかねぇ。自分のイデオロギーで歴史を寸詰まりに解釈しているところなんて、ビジネス三国志と大して違わないと思うのだけど。
 だいたい、「近視眼的な実利など求めない」なんて言っているけど、「歴史に学ぶ」とか、よく田中作品に出てきません?
 「ヤンは戦略を過去の歴史に学んでいるのに、どうして田中先生は経営戦略を歴史に学ぶことを嫌うのだろう?」というのは、私がファンであったときですら消えなかった疑問でした。

収録投稿21件目
board1 - No.1302

「歴史に学ぶ」の解釈

投稿者:俺様ランチ
1999年06月01日(火) 00時43分

> 「ヤンは戦略を過去の歴史に学んでいるのに、どうして田中先生は経営戦略を歴史に学ぶことを嫌うのだろう?」というのは、私がファンであったときですら消えなかった疑問でした。

 ちょっと前の書き込みですが、管理人さんの言っていたこと、ちょっと違うと思うんですよ。

 他の作品はおいといて、銀英伝でヤンの言う「歴史に学ぶ」ってのは、あくまで「歴史のある状況でこんな事をした人は大失敗したから、違うことをすれば少なくとも失敗はしない」みたいな「歴史を反面教師的にする」って意味だと思うんです。
 で、田中大先生がナスと同じくらい嫌いな「ビジネス書的に歴史に学ぶ」ってのは「この偉人がやった事をマネすれば経営もうまくいく」って態度を嫌っているんだと思います。
 最近思い出したんですがヤンの台詞にも「常人が偉人のマネをするなんてバカな事だ」なんてありましたし。

 つまり、田中芳樹は「歴史に学ぶ」と「偉人に学ぶ」は別物なんだって事をきっちり分けていたんじゃないでしょうか?ヤンが戦略を歴史から学んだから、ってのも「昔の軍事的天才のマネをすれば勝てる」というよりは「その軍事的天才に負けた相手の轍を踏まない」って事だったんじゃないでしょうか。

 まあプレジデント史観がそういう方法も取っている、というのならごめんなさいですが、見た所は「信長的人材管理法に学べ」ってのがやっぱ主流みたいですし。

 「偉人に学ぶことのどこが悪い。田中芳樹は自分の価値観を押しつけるな」ってのには確かに一理ありますが、この場合の管理人さんの「ヤンの主張と芳樹の主張違うじゃん」ってのは、ちょっと履き違えてる気がしたので。

 例によって、芳樹にかなり好意的な解釈をしてる点は否定しませんので、その辺はお好みでさっ引いて下さい。

収録投稿22件目
board1 - No.1304

田中芳樹とプレジデント系歴史観

投稿者:本ページ管理人
1999年06月02日(水) 01時32分

>俺様ランチさん

>他の作品はおいといて、銀英伝でヤンの言う「歴史に学ぶ」ってのは、あくまで「歴史のある状況でこんな事をした人は大失敗したから、違うことをすれば少なくとも失敗はしない」みたいな「歴史を反面教師的にする」って意味だと思うんです。
> で、田中大先生がナスと同じくらい嫌いな「ビジネス書的に歴史に学ぶ」ってのは「この偉人がやった事をマネすれば経営もうまくいく」って態度を嫌っているんだと思います。
>まあプレジデント史観がそういう方法も取っている、というのならごめんなさいですが、見た所は「信長的人材管理法に学べ」ってのがやっぱ主流みたいですし。

うーん、この両者装いが違うだけでベクトルは同じような気がするんですけど。見た目ほど、本質に差はないと思います。
 私がつっこみたかった本義の方は、
>近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる
の方なんですよ。
 成功に学ぼうと、失敗に学ぼうと、『近視眼的な実利など求めない』姿勢からは程遠いんじゃないかなぁ。

 いつか本論に使おうと思っていたんですが、ちょうど良い実例を挙げましょう。
『民主主義には抵抗権という考え方がある。権力者が国民の人権を侵害したとき、それに抵抗する権利である。また、古代中国の思想家孟子は、いまから二〇〇〇年以上も昔に、権力者の不正と暴虐をただすためには、実力行使が必要であると明言している。始が好きな中国の思想家は、孟子と墨子である。墨子はこれまた紀元前に、「強大国が弱小国を侵略するのは悪で、弱小国がそれに抵抗するのは正義だ」と明言しているのだ(創竜伝2 P61)』

 皮肉を承知で言えば、「中国は2000年前に民主主義を見つけていたんだぞー」といういつもの中国エラいかよ、と言いたくなってしまいますね。
 しかし待ってください。別に孟子や墨子は民主主義の宣伝がしたくて、フランス革命よりも2000年近く前にこんな言葉を残しているわけではないですよ。孟子や墨子の思想は、「自由・平等・友愛」を軸にした民主主義とは全く別の思想です。具体的に言えば、民主主義の抵抗権と孟子や墨子の革命思想は全く違います。民主主義の抵抗権は国家制度に保証された国家へ抵抗する権利ですけど、孟子や墨子は国家に抵抗するのに国家に保証された「権利」をよりどころにするという選択をとりません。
 ともかく、思想の固有性を無視して「抵抗」の一語で民主主義と孟子を結びつけることがOKなら、「戦略」の一語で武田信玄と経営戦略を結びつけることも是であるはずです。

><歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。
>近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

 私はあえてこの言に賛意を表したい。そのとおりです。歴史小説によけいな説教やら評論を付け足して、その説教やら評論があるから高尚な小説だとか、ためになる小説だとか、面白い小説だなんて風潮はまっぴらですよ。歴史は歴史として味わいたいし、小説は小説として楽しみたい。私は以上の宣伝文句をこのように受け取りましたけど、間違っていませんよね?
 まぁ、プレジデント史観に対する批判が全部創竜伝に当てはまってしまうところが田中センセのユニークなところですが。

 創竜伝だって<歴史や人物をダシにして現代人にイデオロギー上の教訓をお説教するような「中国もの」>じゃないですか。

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board1 - No.1305

歴史の解釈

投稿者:Kan
1999年06月02日(水) 03時29分

 どうもはじめまして。銀英伝に影響を受けて,歴史学(の,類いを)専攻している学生です(笑)。

>成功に学ぼうと、失敗に学ぼうと、『近視眼的な実利など求めない』姿勢からは程遠いんじゃないかなぁ。

 もともと歴史学の目的の一つに,歴史を学ぶことによる「実利」が存在するのは自明です。実利(経済的な範疇を越えるかもしれないが)が何もない学問が,存在するはずないですから。ですから,「実利を求めない」というのは決して歴史学の視点にはなり得ないと。「近視眼的」の部分だって,歴史のダイナミズムを考えれば,長期的な視点なんて持ちようがない。本来,歴史学と言うのはそんなもんです。
 にっちもさっちもどうにもならなくなったとき,藁にもすがる思いで過去から参考になる事例を探す。そのときだって歴史は過去の蓄積でしかないし,そこに何らかの正解が存在するものではない……というのが一番真実に近い形でしょうか。
 この点で,プレジデント系の歴史解釈も,田中芳樹氏の故事の利用形態も「歴史信者」という同一の次元にあると申せましょう。過去の真実を現在の真実と同一の地平に置いた時点で,同じ誤謬を犯していると言うことです。この点で田中氏の批判は,ある種の近親憎悪とも解釈できますね。基本的には自分と異なる楽しみ方をする歴史ファンに対する,感情的ないちゃもん……という感じがしてならないのですけど。

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