最近、興味があって狂牛病について色々と調べていますが、そこで狂牛病騒動を煽っている人達と田中芳樹の論に共通点を見出しました。割と汎論的な共通項だと思いますので、言うまでも無く気づかれている事かもしれませんが、一応挙げさせて頂こうと思います。
狂牛病騒動を煽っている人達の論には、以下の3つの特徴的な共通項があります。
1.物事の事実の内、一面的な事実のみを記述する
狂牛病騒動の場合、「致死率100%のクロイツェルト・ヤコブ病の原因になる」「イギリスでは、すでに死者が107人」「肉は大丈夫と言われているが、確認されている訳ではない」「すでに狂牛病の牛の肉が市場に流れている可能性がある」といった事は頻繁に挙げられています。これらは全て事実ですが、その一方で、クロイツェルト・ヤコブ病の原因が異常ブリオンのみとは限らないことや、107人の死者が狂牛病が人間に伝染することが発表されてから現在までの5年間の合計だということ、肉が大丈夫といわれる根拠には動物実験の結果がある事などは触れられていません。まれに触れられていても、その事実を否定する書き方をされています(「人間とラットを同一視することは出来ない」など。人体実験をしろと言うのでしょうか?)。
2.事実の分析を行わない
先に挙げたように、107人の死者は狂牛病が人間に伝染することが発表されてから、つまり何の対策もされていなかった時から現在までの5年間の合計です。イギリスの全人口が5300万人ですから、これは全人口の0.0002%に過ぎません。イギリスよりも牛肉消費量・牛飼育量共に低い日本では、より比率は下がるものと思われます。これだけ考えても、狂牛病は大騒ぎしなければいけないようなものではありません。
とまあ、素人が少々ネットをあたるだけでもこの程度の分析が出来るにもかかわらず、彼らはそれすら行おうとしません。
3.一面的な事実のみを材料に推量を行う
狂牛病騒動では、「乳製品も危ない」「肉骨紛を食べた豚や鶏も危ない」「牛コラーゲン配合の化粧品も危険」という話が、まことしやかに罷り通っています。しかし実際には、牛乳の危険性は動物実験で否定されていますし、豚や鶏が牛の異常ブリオンを蓄積していたと言う報告もありません。コラーゲンに至っては、量が少ない上に異常ブリオンは経口感染しかしませんから、論外です。
これらの話は、全て騒動を煽っている論者が、前出の「事実」から推量したものです。確かに可能性だけはありますが、それが実際に起こりうる可能性は極微小です。
さて、以上の特徴を、ザ・ベストの田中氏批判と見比べていただければ一目瞭然でしょう。これらの特徴は、全て田中氏の社会批判にも共通しているのです。こと論の構造に関する限り、田中氏の論と騒動を煽っている人達の論はほぼ同一のものと言っていいと思います。
では、彼らはなぜこのような論を張るのでしょう?意図的に世間を煽ろうとしているのでしょうか?私は違うと思います。彼らは本気で、世間に警告を発しているのです。それが煽りになってしまうのは、彼らがリスクの計算を行わないためです。
彼らが良く使う言葉に、「わずかでも可能性があればそれを放っておくべきではない」と言うものがあります。結論から言うと、これは間違いです。なぜなら、どんなリスクでも、それを0にする事は出来ないからです。リスクの発生率を0に近くする事は可能ですし、それは日々行われています。しかし、それを行うためには時間や経費、労働力といったものが必要になります。そのため、我々はリスクの発生率とそれにかかるエネルギーとを秤にかけ、バランスを取りながら調整を行っているわけです。
ところが(田中氏を含む)煽り論者は、リスクの存在そのものを問題視し、それを0にする様求めます。リスクそのものが問題だと思っているわけですから、リスクの発生率がどれだけ低かろうと彼らは満足しません。勢い、彼等の論にはリスクの危険性を示す証拠のみが挙げられる事になります。そしてそれが嵩じると、今度はリスクの原因そのものを排斥しようとします。動物性タンパク質を採る事をやめるよう薦めたり、日本そのものを否定するようになったりするのです。
もっとも、彼ら自身がそういう考えを持つこと自体は、何が悪いと言うわけでもありません(私個人としては、不健全な発想だとは思いますが)。問題は、彼らが自分たちの考えを世間に知らしめようとした時に起こります。彼らの論は、先に挙げた理由からリスクの危険性のみを訴え、可能性を無視したものになります。その結果、それを読んだ人間は、そのリスクが起きる可能性を自分で判断せざるを得なくなります。そこに書かれている事実を分析できる人間ならばまだ良いのですが、それだけの知識や時間を持たない人がその可能性を大きく見積もったからといって、誰が責められましょうか?これが広く世間一般で起こると、風評被害やマスヒステリーが発生するというわけです。
では、我々はこれらの論に対して何をすればいいのでしょうか?それは、可能性がはっきりしないリスクは分析すること。自分でそれが出来ない場合は、分析された情報を探し、確認することです。そのためにも、分析した人は、その結果を広く世間に知らしめるべきです。
ところで、田中氏の論が原因でマスヒステリーが起こるリスクは、かなり低いものと思われます。よって、先のリスクのバランスから考えると、多額の金や時間をかけて反田中キャンペーンを張らねばならないほどではないでしょう。しかし、我々が行う議論程度なら、充分採算が合うレベルです。我々が楽しみながら行う議論でマスヒステリーが起きるリスクがわずかでも下がるというのなら、これは喜ばしいことだとは思いませんか?
> 1.物事の事実の内、一面的な事実のみを記述する
> 2.事実の分析を行わない
> 3.一面的な事実のみを材料に推量を行う
旧ソ連のずさんな運転が引き起こしたチェルノブイリ事故を引き合いに出して、日本の原発を危険と決め付けた「危険な話」を契機に起こった反原発運動や、一面的なデータの羅列で特定商品を槍玉に挙げた「買ってはいけない」騒動、卑近な例ではマンガ等絵の表現まで規制対象にしようとする児童ポルノ規制法改正案(児童ポルノ規制に異論はありません。しかし、すでにあちこちで指摘されていますが「性犯罪を誘発する可能性が少しでもある限り取り締まる必要がある(リスクの排斥)」という理屈で、たとえ大人の女性の性描写でも、取り締まる側が「絵柄が子供っぽく見える」と判断すれば逮捕されるという、無制限の拡大解釈を引き起こしかねない。いわゆるアニメ絵はほとんどアウトでしょう)が、まさにそのパターンですね。こういう問題で議論になると、どうも声のでかい方(おして知るべし)有利に傾きがちなのがアレですが。もっとも、例に挙げたような主張が一時的に注目を集めることはあっても、比較的短期間に騒動が終息し忘れ去られる傾向にあるようですから、日本の大衆の常識的判断力は評価されて良いと思います。楽観的に過ぎるか?
>もっとも、例に挙げたような主張が一時的に注目を集めることはあっても、比較的短期間に騒動が終息し忘れ去られる傾向にあるようですから、日本の大衆の常識的判断力は評価されて良いと思います。楽観的に過ぎるか?
田中芳樹やサヨク系の方々にすれば、そうした態度こそ「熱しやすく冷めやすい、長いものには巻かれろ式の権力に飼いならされた奴隷根性」と映るのかもしれませんが。でも、当時あれほど原発の危険を訴えていた広瀬は最近まるで音沙汰ナシ、「買っては~」も、毎年度版を発表するような動きもなく…どうなってるのかな、熱しやすく冷めやすいのはお互い様ってコトですかね。
> 田中芳樹やサヨク系の方々にすれば、そうした態度こそ「熱しやすく冷めやすい、長いものには巻かれろ式の権力に飼いならされた奴隷根性」と映るのかもしれませんが。でも、当時あれほど原発の危険を訴えていた広瀬は最近まるで音沙汰ナシ、「買っては~」も、毎年度版を発表するような動きもなく…どうなってるのかな、熱しやすく冷めやすいのはお互い様ってコトですかね。
そういう態度を利用しているのが皮肉ですが左翼系の人間ですね。
自分たちの過去の発言との整合性を一切無視、とりあえずその場その場での反権力的な言動を連発して庶民感情に訴え、支持を得る。
おお、田中氏の遅筆その他の矛盾も説明できる(笑)。