はじめまして。わたしは駆け出しの作家です。人気作家として確固たる地位を築かれた田中氏にくらべれば、塵のようなものです。その塵からも一言。
私にも担当というものがおりまして、その担当に田中氏の業界および同業者の評判というのを聞いてみました。ちなみに担当のつとめる出版社はS社で、田中氏の本は一冊も発刊していません。
で、結論なんですが、評判はよくないですね。編集者にもプロ中のプロという人がいるんですが、そういう人たちからみると、文章がなっていないそうです。小説の基本である視点の固定化さえなされていない。形容詞や副詞の多用による無意味な修飾が多く、評価に価しない。出したいところは出せばいい。でもうちはいらない、ということでした。田中氏本人は歴史作家を標榜しているそうですが、大人が読まないよ、あのていどじゃあ、と件の担当に言われました。
たとえば同じ衒学的であるにしても京極夏彦くらいのすごみが欲しいとか。
「練達の作家の文章は修飾語をすべて取っ払っても、読ませる。しかし、田中の文章から形容詞、副詞、比喩を取ったら何が残る?」
「読者、ことに女性にこびるような文章を書きつづけていると、すぐにも作家としての生命は尽きる」
「大学出て、社会にも出ることなく作家になった人だ。もともと大した人生経験もないうえに、ものごとに対して粗雑で尊大なんだから、真に人の心を打つ小説なんか書けっこない」
手厳しいものでした。
駆け出しさん、初めまして。優馬と申します。
> で、結論なんですが、評判はよくないですね。編集者にもプロ中のプロという人がいるんですが、そういう人たちからみると、文章がなっていないそうです。小説の基本である視点の固定化さえなされていない。形容詞や副詞の多用による無意味な修飾が多く、評価に価しない。出したいところは出せばいい。でもうちはいらない、ということでした。田中氏本人は歴史作家を標榜しているそうですが、大人が読まないよ、あのていどじゃあ、と件の担当に言われました。
> たとえば同じ衒学的であるにしても京極夏彦くらいのすごみが欲しいとか。
> 「練達の作家の文章は修飾語をすべて取っ払っても、読ませる。しかし、田中の文章から形容詞、副詞、比喩を取ったら何が残る?」
> 「読者、ことに女性にこびるような文章を書きつづけていると、すぐにも作家としての生命は尽きる」
> 「大学出て、社会にも出ることなく作家になった人だ。もともと大した人生経験もないうえに、ものごとに対して粗雑で尊大なんだから、真に人の心を打つ小説なんか書けっこない」
> 手厳しいものでした。
あっはっは、いけませんよ、そんなに「本当のこと」ばっかり言っちゃあ(絶苦笑)。
「元ファン」であり、「実は心の底で田中芳樹の『再起』を密かに願っている」隠れファンである私としては、いったいどんな顔すればいいんでしょうかね?
まぁ出版業界というところは、もともと文芸的才能に秀でた方が集まってできている世界なので、こと売れっ子の陰口とかいうことになると、本当に寸鉄肺腑を剔る凄まじさですね。今後、この業界で生きて行かれる「駆け出し」さんも、売れるようになるとたぶん、陰で同じようなこと言われますよ。覚悟の上ではいらっしゃるのでしょうけど、大変ですねぇ。お察し申し上げます。
ただ、「大人は読まないよ」というご評価については、ご本人が意図しておられる単なる貶し言葉以上の含蓄があると、私は勝手に思っております。
田中芳樹は本質的にジョブナイル作家であり、「大人が読むに耐える文学」を書ける人ではないし、またその必要もない。田中芳樹作品は、中高生くらいの世代(及び年は食ってもモラトリアム的心性を残した人々)にとって切実に必要とされる何物かを、確かに供給しているのです。例え現実逃避でしかなくとも、人間にはそういうものが切実に必要な時期というものがある。そして凡百の類似「商品」の中では、田中芳樹作品は非常に高い「品質」を持っていると思います。(出世作「銀英伝」が品質のピークだったのは実に残念!なのですが。)
従って、「読者、ことに女性にこびるような文章を書きつづけていると、すぐにも作家としての生命は尽きる」というのは、「女子どもにこびるような」の省略形だと思われます。こういうご発言、高邁な「大」文学を探求する元文学青年の尊大が感じられて少しイヤなんですが、もともと違う世界にいるんですから、「文学」の基準で斬られても、ちょっとねぇ、という感じです。
たぶん、田中芳樹作品の魅力には、作者のダメさ加減も含んでいると思うんですよ。主人公がモラトリアムのまま「英雄」になれるモラトリアム人間の楽園。いったんそれに気づく(卒業する)と、とても読むに耐えなくても、はまっていればこんなに魅力的なものはないわけです。モラトリアム人間のまんま年を重ねている田中芳樹氏は、いわば「歩くモラトリアム」。氏の社会経験の不足も、作品のマーケットを考えれば、有利にこそなれ、何の不利にもなっていないと思われます。
あと、田中芳樹の本質的な「善良さ」というのも魅力のひとつに加えてもいいんじゃないかなーと思っています。「小市民性」とも言えますが。田中芳樹作品には、絶対に「読者に本当に嫌悪感や恐怖感を与える」描写というものは出てきません。非常に安心して読めて、ちょいと小市民的に意地悪なユーモアでまぶしてあって。このへんの「芸」は、十分木戸銭に値すると思っています。
さてさて、「田中芳樹のダメっぷり」自体が田中作品の魅力の一部になっていると、私は思います。このへん、みなさんのご意見を、是非うかがいたく思います・・・。
優馬さん、どうもです。駆け出しです。
>「元ファン」であり、「実は心の底で田中芳樹の『再起』を密かに願っている」隠れファンである私としては、いったいどんな顔すればいいんでしょうかね?
いやはや、実は私もそうでして。銀英伝を読んで腰が抜けるほど感動してくちなんです。あはは。
>覚悟の上ではいらっしゃるのでしょうけど、大変ですねぇ。お察し申し上げます。
ええ、まあ…。けっこうきつい世界です。根っこのあたりでこうなんですから、天辺ちかくはどんな強風が吹いているのか、おそろしいです。
> 田中芳樹は本質的にジョブナイル作家であり、「大人が読むに耐える文学」を書ける人ではないし、またその必要もない。
親しい編集のかたには「子供相手の小説はもううんざり」といった発言もなさっとか。それについては、どう思われますか?
>出世作「銀英伝」が品質のピークだったのは実に残念!なのですが。
同感です!
> こういうご発言、高邁な「大」文学を探求する元文学青年の尊大が感じられて少しイヤなんですが、もともと違う世界にいるんですから、「文学」の基準で斬られても、ちょっとねぇ、という感じです。
文学青年ですか…いや、ありがとうございます。うれしいですよ。私は中卒でして、小説といえば、SFと冒険小説と歴史小説と推理小説しか読んだことないんです。銀英伝もアシモフの「銀河帝国の興亡」と同じようなものかと思い手に取りましたもので。文学青年ぽかったですか?
>絶対に「読者に本当に嫌悪感や恐怖感を与える」描写というものは出てきません。
同感ですね。その点は見習いたいものです。
ただ……。「創竜伝」の何巻だったかは失念しましたが、続が「役不足」と「役者不足」の誤用について手厳しく糾弾する場面がありましたが、覚えていらっしゃいますか。
そのていどの区別もつかないやつは、日本人として失格だ、みたいに書かれてありました。
実は、北方謙三さんの「破軍の星」のなかにそのまちがいがあるんです。むろん、見直さなかった北方さんや担当編集者にも、また校正にも責任はあるとおもいますが、知れば知ったで業腹ってやつで、気分はよくないでしょうね。
しかも、なにかのインタビューで、「三国志を書いてはどうかとよく言われますが、生半なことで取り組める題材ではない」といった発言をしてらっしゃいましたな。ちょうど北方謙三さんが春樹事務所から「三国志」を上梓した前後のことですが。
「田中は北方に喧嘩を売ってる」
業界のもっぱらの評判です。
長々と失礼しました。
> 業界のもっぱらの評判です。
有名な話でしょ。
だいたい、あの人、ジュニア小説家とか言われるのがいやで、それで中国物書き出したんじゃないんですか。もちろん、好きだったということもあるだろうけど。
でも、面白くないよね。たとえば宮城谷正光に比べたら、登場人物への洞察や切り方ひとつとっても、あまりに稚拙で、こりゃコメディかと思いましたよ。紅塵にしろ、長江落日賦にしろ。柴田錬三郎や海音寺潮五郎が生きてたら、なんと批評したか、ぜひ聞きたかった。
ま、本人の思惑はさりながら、いまのところジュニア作家という垣根から半歩も出られないわけでしょうね。
桐野夏生、岩井志摩子、渡辺容子、小野不由美、宮本昌孝などなど。みんなジュニア作家から出発して、研鑽と努力の末、本物になったんです。田中さんにもいまの人気に、それも落ち目の三度笠なんだから、満足せずに、ぜひ努力して本物になってほしいものです。なんだかんだっても、あれでジュニア小説界の第一人者、旗手なんですから。
田中さんの業界内での評価が上がれば、ジュニア小説の評価も上がり、過去にジュニア小説を書いていたことを、あたかも人生の汚点ようにひた隠しにする作家も減ることうけ合いです。
> たぶん、田中芳樹作品の魅力には、作者のダメさ加減も含んでいると思うんですよ。主人公がモラトリアムのまま「英雄」になれるモラトリアム人間の楽園。いったんそれに気づく(卒業する)と、とても読むに耐えなくても、はまっていればこんなに魅力的なものはないわけです。モラトリアム人間のまんま年を重ねている田中芳樹氏は、いわば「歩くモラトリアム」。氏の社会経験の不足も、作品のマーケットを考えれば、有利にこそなれ、何の不利にもなっていないと思われます。
なんちゅうか、100%自らの想像力の産物である(モデルはあるにしても)架空世界モノの魅力と、一応現実の世界を舞台にした現代モノや歴史モノに感じる不満とのギャップを解くカギはやっぱりその辺にありそうです。
銀英伝その他の宝塚的美学の世界(ベタな言い方だな)を、歯の浮くようなセリフと装飾過剰な文体を駆使しながら何の照れもなく大胆かつ緻密に描ききれるのは、やっぱりセンセが世俗の垢にまみれたことがないからこそだと思います。
そう考えると、あらゆる面で対極に位置する作品は実は
『ナニワ金融道』
なのかもしれない・・・。
明らかに稚拙な画力と表現技法が、逆に読者の肌を粟立たせるような説明不可能の迫力を醸し出す武器になってるというあの摩訶不思議な作品。
もちろん資本主義社会の裏表とそこに生きるニンゲンの生態を知り尽くした青木氏の人生経験が土台にあってこそそれが十全に機能するんですね。
両者比較してみるとなんとなく面白くないですか?
優馬です。駆け出しさん、レスありがとうございます。
> >「元ファン」であり、「実は心の底で田中芳樹の『再起』を密かに願っている」隠れファンである私としては、いったいどんな顔すればいいんでしょうかね?
>
> いやはや、実は私もそうでして。銀英伝を読んで腰が抜けるほど感動してくちなんです。あはは。
おお。そうしたらば貴方も我が友ですな。
いつか「昔は良かった」と愚痴を垂れあいましょう。
> ええ、まあ…。けっこうきつい世界です。根っこのあたりでこうなんですから、天辺ちかくはどんな強風が吹いているのか、おそろしいです。
ほんとに。でも私は組織人ですけど、組織内の妬み嫉みもまぁ似たようなもんです。内攻しているだけ始末に悪いかも。
> 親しい編集のかたには「子供相手の小説はもううんざり」といった発言もなさっとか。それについては、どう思われますか?
本当ですか。本人のことなのに、本人が一番盲目なんですね・・・。
年を取ると「俗物根性」が出てくるのかなぁ。
私は「三流の歴史小説家」よりも「一流のジョブナイル作家」を尊敬するのですが。確かに、田中芳樹はジャンル的に座りの悪いところがありましたよね。SF作家じゃないし、「架空歴史小説家」というジャンルは確立してないわけだし・・。(でもSF大会には来ることもあるんですよね)
> > こういうご発言、高邁な「大」文学を探求する元文学青年の尊大が感じられて少しイヤなんですが、もともと違う世界にいるんですから、「文学」の基準で斬られても、ちょっとねぇ、という感じです。
>
> 文学青年ですか…いや、ありがとうございます。うれしいですよ。私は中卒でして、小説といえば、SFと冒険小説と歴史小説と推理小説しか読んだことないんです。銀英伝もアシモフの「銀河帝国の興亡」と同じようなものかと思い手に取りましたもので。文学青年ぽかったですか?
いや、すみません。文芸雑誌の編集者って「作家になりたかったけどなれなかった」文学青年くずれが多いじゃないですか。編集者氏の田中芳樹への酷評に、そういう「大」ブンガク側からの娯楽小説に対する蔑視があるような気がしちゃったもので。当方の被害妄想かもしれません。
> > 「田中は北方に喧嘩を売ってる」
> 業界のもっぱらの評判です。
そんなことやってないでさっさと原稿書けばいいのに(sigh)。
田中芳樹にしか書けない「三国志」があるじゃないですか。
「少年三国志」
劉備も曹操も孫権もみーんな少年。
もちろん孔明は絶世の美少年で、幻術、妖怪なんでもありの世界。
劉備・関羽・張飛なんてぇのは、そのまま「創竜伝」の上三人のキャラが使えると思うんですが、ダメ?(笑)
それではまた。駆け出しさん、今後ともよろしく。
(あの、「駆け出し」さん、と呼びかけをするのはなんだか失礼な感じがするのですが・・・。良かったら違うHNをお使いいただけませんでしょうか。)
優馬です。小村さん、的確なレスをいただき、感謝です。
> なんちゅうか、100%自らの想像力の産物である(モデルはあるにしても)架空世界モノの魅力と、一応現実の世界を舞台にした現代モノや歴史モノに感じる不満とのギャップを解くカギはやっぱりその辺にありそうです。
架空歴史モノだと当方には全く知識がないわけですから、「薄さ」が気にならず逆にエグゾチックな魅力になるのだと思います。架空歴史モノに散りばめられた「世界史こぼれ話」的エピソードが私、大好きでして。断片的なエピソードを積み上げてその「世界」を想像していくって作業が、なんかこう、ゾクゾクするくらい好きなんですよ。
> 銀英伝その他の宝塚的美学の世界(ベタな言い方だな)を、歯の浮くようなセリフと装飾過剰な文体を駆使しながら何の照れもなく大胆かつ緻密に描ききれるのは、やっぱりセンセが世俗の垢にまみれたことがないからこそだと思います。
同感です。青少年にわかりやすい文体がベストです。
> そう考えると、あらゆる面で対極に位置する作品は実は
> 『ナニワ金融道』
> なのかもしれない・・・。
なるほど。
ただ、作者どうしの思想的位置は、意外と近いみたいですよ。
青木雄二は筋金入りの叩き上げのマルキシストで、田中芳樹は山の手ぼんぼんの「うす甘い」サヨク思想という違いはありますが。
どっちもアメリカのタリバン征伐には反対なんでしょうが、実際に顔突き合わせると、肌合いが違いすぎてお互いに嫌いあうんでしょうねー。
(実際、青木氏は「ゼニ」の汚濁にまみれ尽くしながら、共産主義思想の「初心」を失っていない希有な方で、それゆえ朝日新聞が熱愛するところです。)
駆け出しです。
優馬さん、本当に駆け出しですので、遠慮はいりません。そう呼んでください。
>年を取ると「俗物根性」が出てくるのかなぁ。 私は「三流の歴史小説家」よりも「一流のジョブナイル作家」を尊敬するのですが。
私も同感です。
ただですね、業界の内情をゲロしますと、日本の文壇というところは、純文学>推理・歴史・時代小説>冒険・恐怖小説>SF>ジュブナイル(ここにはジュニア小説なんかもふくまれますが)というふうに、力関係が成立しているんです。
これは作家対作家、作家対編集者という関係において、とてつもない影響力を発揮します。
具体的に申しますと、ジュブナイルやSF作家というのは、ゴミ扱いですよ。はっきり言って。たとえば寄稿家(出版社は自分のところで書いている作家をこう呼びます)のパーティとかに出席すると、編集局長やら部長やらというお偉いさんが作家のところに挨拶にくるわけですよ。
「これは○○先生、いつもお世話になっております。先だって先生の書かれた作品を拝読いたしました。いやぁ、すばらしかったです」てなぐあいです。
でも、SF作家やジュブナイル書きのところには、来ません。本当に見事なくらい。無視するか、担当編集者が気をつかって紹介しても、目も合わせずに「ああ、いつもどうも」ていどです。
ジャンルを問わず作家という人種はプライドの高い人が多いですから、この仕打ちには耐えられないわけです。それで、多くのジュブナイル作家が歴史や推理や恐怖小説を書き、書いて認められるようとするのでしょう。
どれほど良いものを書いていても、ジュブナイルなどしょせん色物なんです。
まして、田中氏の場合、「銀英伝」はともかくも、あの方の名を成さしめた「創竜伝」が業界、とくに同世代の作家のかたがたの評判がすこぶる悪いので、ご本人も苦しいところなのではないでしょうか。
「この本(創竜伝)に書かれていることはたしかに本当だろう。日本はせいぜいこのていどの国かもしれない。でも、おれが許せないのは、作者もそういう日本にしてしまった大人のひとりなのにもかかわらず、口をぬぐって、自分は高見に立って、批判だけを繰り返している。なにさまのつもりだと言いたくなるね」
出版社のパーティーでお会いした作家のかたに、創竜伝を読んでいただき、感想を述べていただいたものです。
作家の世界は唯我独尊に見えて、実は縦横のつながりがとても大事なんです。ある意味こてこて体育会系です。同業者やに認められないというのは辛いことなのだとおもいます。
たくさんの読者がいるのだから、いいと思うのですが、素人の評価なんて、百万あったってだめみたいですね。その点でも、読者のことはどうでもいいと思っている証拠だったりするのでしょう。
>編集者氏の田中芳樹への酷評に、そういう「大」ブンガク側からの娯楽小説に対する蔑視があるような気がしちゃったもので。当方の被害妄想かもしれません。
私の担当の名誉のために申しますが、彼は娯楽小説を軽視したりはしていません。いま売りだし中のミステリー作家の担当もしていますし。むしろ、純文学に対する偏見はあるようですが。
>「少年三国志」
>劉備も曹操も孫権もみーんな少年。 もちろん孔明は絶世の美少年で、幻術、妖怪なんでもありの世界。 劉備・関羽・張飛なんてぇのは、そのまま「創竜伝」の上三人のキャラが使えると思うんですが、ダメ?(笑)
いやいや、ぜひ、読んでみたいですね。でも、ご本人ははやく一流作家のお仲間に入りたいのですから、永遠に書かれることはないでしょうね。
>それではまた。駆け出しさん、今後ともよろしく。
こちらこそ、よろしくおねがいします。
優馬です。
駆け出しさん、興味深いお話をありがとうございます。
> ただですね、業界の内情をゲロしますと、日本の文壇というところは、純文学>推理・歴史・時代小説>冒険・恐怖小説>SF>ジュブナイル(ここにはジュニア小説なんかもふくまれますが)というふうに、力関係が成立しているんです。
> これは作家対作家、作家対編集者という関係において、とてつもない影響力を発揮します。
>
> 具体的に申しますと、ジュブナイルやSF作家というのは、ゴミ扱いですよ。はっきり言って。たとえば寄稿家(出版社は自分のところで書いている作家をこう呼びます)のパーティとかに出席すると、編集局長やら部長やらというお偉いさんが作家のところに挨拶にくるわけですよ。
> 「これは○○先生、いつもお世話になっております。先だって先生の書かれた作品を拝読いたしました。いやぁ、すばらしかったです」てなぐあいです。
> でも、SF作家やジュブナイル書きのところには、来ません。本当に見事なくらい。無視するか、担当編集者が気をつかって紹介しても、目も合わせずに「ああ、いつもどうも」ていどです。
> ジャンルを問わず作家という人種はプライドの高い人が多いですから、この仕打ちには耐えられないわけです。それで、多くのジュブナイル作家が歴史や推理や恐怖小説を書き、書いて認められるようとするのでしょう。
ふーむ、そう言えばSFから出て歴史小説も書いた光瀬龍さんなんかは、この階梯でいくと二段階も「出世」したことになるんですね。
その昔、SF作家たちは「士農工商○○××犬猫SF」と言っていたものですが、その下にジョブナイルができたわけですね。SF作家ももって瞑するべしですなぁ。
> どれほど良いものを書いていても、ジュブナイルなどしょせん色物なんです。
> まして、田中氏の場合、「銀英伝」はともかくも、あの方の名を成さしめた「創竜伝」が業界、とくに同世代の作家のかたがたの評判がすこぶる悪いので、ご本人も苦しいところなのではないでしょうか。
「創竜伝」は、私どもの間では「名を失墜させた」作品ということになっているのですが・・・。初めてメジャー出版社から出た作品、という意味でしょうか?
今気づいたのですが、ひょっとすると、「創竜伝」というのは田中芳樹が「大人向け作家」に脱皮しようとした(そして失敗した)試みなのではないでしょうか?!
だとしたら、(元ファンとしては)悲しいなー。
「社会派」を目指して余計ハチャメチャになっているだけ。だとしたら、情けなさすぎ。とほほのほ、です。
> 「この本(創竜伝)に書かれていることはたしかに本当だろう。日本はせいぜいこのていどの国かもしれない。でも、おれが許せないのは、作者もそういう日本にしてしまった大人のひとりなのにもかかわらず、口をぬぐって、自分は高見に立って、批判だけを繰り返している。なにさまのつもりだと言いたくなるね」
>
> 出版社のパーティーでお会いした作家のかたに、創竜伝を読んでいただき、感想を述べていただいたものです。
>
> 作家の世界は唯我独尊に見えて、実は縦横のつながりがとても大事なんです。ある意味こてこて体育会系です。同業者やに認められないというのは辛いことなのだとおもいます。
> たくさんの読者がいるのだから、いいと思うのですが、素人の評価なんて、百万あったってだめみたいですね。その点でも、読者のことはどうでもいいと思っている証拠だったりするのでしょう。
このサイトは「大人の評価」だと思うのですけどね。
ここを見てくれたら、とても役に立つと思うのですが。
それにしても「こてこて体育会系」というのは面白いですね!
人口の小さいムラ社会っつうこともあるんでしょうね。
だから、爺様たちが権力を握りがちなわけですね。
これからもよろしくお願いします。それでは。
優馬さんへ。
>SFから出て歴史小説も書いた光瀬龍さんなんかは、この階梯でいくと二段階も「出世」したことになるんですね。
そういうことになりますね。ただし、現、元を問わずSF作家への文壇、出版社の評価はおっそろしく低いですよ。まともに相手しているのは、早川書房くらいなんじゃないでしょうか。
むろん、日本のSFが市民権を得られないのには、SF作家たちにも責任はありますが。
かつて、推理小説もSFと並んで、色物あつかいをされていました。猟奇的な事件、奇抜なトリック、神がかり的な探偵の推理等々。それが悪いとは言いませんが、やはり、大人が読むには、いささかためらわれるものがありました。
ところが、松本清張という巨人が現れ、推理小説は一変します。
犯罪の奥にある人間の業。清張さんがこれを描いたときに、推理小説は市民権を得たのだとおもいます。その後追随者が簇出し、推理小説は、ついに、多くの人が読むものとなり、出版社と作家のふところを膨らませるものになりました。
残念ながら、SF界には、松本清張はいなかったのです。
「わいろを受け取った役人を糾弾するのは新聞記者。作家は受け取ってしまった人間の弱さを描かねばならない」
清張さんのこの言葉は、そっくりそのまま田中氏に当てはまりますね。中学生的正義感と揶揄されている氏の思考は、まさに作家よりは、ジャーナリスト向きなのかもしれませんね。
>「創竜伝」は、私どもの間では「名を失墜させた」作品ということになっているのですが・・・。初めてメジャー出版社から出た作品、という意味でしょうか?
そう理解していただいてよろしいかと思います。
なんといっても、大講談社。巨額の赤字を抱えて、今日には倒れるか、明日にはつぶれるかと右往左往していた徳間とはものがちがいます。
「創竜伝」が講談社より出たことにより、田中芳樹の名は全国区になったのでしょう。
>今気づいたのですが、ひょっとすると、「創竜伝」というのは田中芳樹が「大人向け作家」に脱皮しようとした(そして失敗した)試みなのではないでしょうか?! だとしたら、(元ファンとしては)悲しいなー。 「社会派」を目指して余計ハチャメチャになっているだけ。だとしたら、情けなさすぎ。とほほのほ、です。
おっしゃるとおりです。
田中氏が真に社会派の小説が書けないのは、やはり、人生経験のうすっぺらさにあるとおもいます。
粗雑な生き方をしていては、真に人の心を打つものは書けない」
私の座右の銘でもあります。
悲劇なのは、それなのにもかかわらず、氏がジュブナイル作家から脱出しようとしているところではないでしょうか。多くのファンを切り捨ててでも。
多くのファンが待っているにもかかわらず、作品を途中で投げ出してしまうような者を、作家とは呼びません。
タイタニアを終わらせ、アルスラーンを完結させ、創竜伝を決着をつける。それから、新しい作品にとりかかるべきでした。書けないとか書くことができないというのは、莫大な印税をもらっているプロとして、けっして口にしてはいけない言葉です。
書かなきゃいけないのですよ。プロならね。その意味で、すでに田中氏はプロ失格であり、多くの同業者、出版業界人に認められないのも、実はそこのところみたいです。
みんな、書けないんです。すらすら書ける作家なんて、存在しません。それをなんとか机にかじりついて、脂汗にまみれて原稿用紙のマス目を埋めているんです。
小説をなめるな! 田中氏の創作態度に触れた作家は、みなきっとそう言うと思います。
駆け出しさん、横レス失礼いたします。
> 田中氏が真に社会派の小説が書けないのは、やはり、人生経験のうすっぺらさにあるとおもいます。
>
> 「粗雑な生き方をしていては、真に人の心を打つものは書けない」
> 私の座右の銘でもあります。
駆け出しさんのご主張も信条も実に正しいのですが、もう一歩踏み込んで言及した方がより妥当性が増すと思います。
私ごときがプロの駆け出しさんに申すのも何ですが、人生経験の薄さは人間考察の鋭さと知識の広範さもしくは『表現』に対するセンスをもって代替可能であると考えます。
また、「自分に甘いふやけた生き方」をもって「粗雑な生き方」と仰るなら否やはありませんが、「傍目に映りの悪い自らを追い込む生き方」を原動力に創造を行うクリエイターも居ない訳ではあるまいと思われます。
尤も、これら例外中の例外のカテゴリーに田中芳樹氏が加わるとは駆け出しさんの投稿の下記引用に全く同意する身として私も思いません。
> 多くのファンが待っているにもかかわらず、作品を途中で投げ出してしまうような者を、作家とは呼びません。
> タイタニアを終わらせ、アルスラーンを完結させ、創竜伝を決着をつける。それから、新しい作品にとりかかるべきでした。書けないとか書くことができないというのは、莫大な印税をもらっているプロとして、けっして口にしてはいけない言葉です。
> 書かなきゃいけないのですよ。プロならね。その意味で、すでに田中氏はプロ失格であり、多くの同業者、出版業界人に認められないのも、実はそこのところみたいです。
>
> みんな、書けないんです。すらすら書ける作家なんて、存在しません。それをなんとか机にかじりついて、脂汗にまみれて原稿用紙のマス目を埋めているんです。
> 小説をなめるな! 田中氏の創作態度に触れた作家は、みなきっとそう言うと思います。
大変悲しい話ですが、“『小説』をナメてるナルシストで不平屋の新人作家や作家の卵”にとって田中氏は「希望の星」なのでしょうね(たとえば「と学会」の山本弘氏などにそうした気配を個人的に感じます)。
駆け出しさんの志の高さを貴く思いますので、どうか今後御活躍されます事を願います。
あと差し支えなければ作品の刊行の折はご宣伝いただければ幸いです。
微力ながら「今後」のためにも購入しようと思っております。
S.Kさんへ
拝読いたしました。
>人生経験の薄さは人間考察の鋭さと知識の広範さもしくは『表現』に対するセンスをもって代替可能であると考えます。
無理です。
いやはや、のっけから身も蓋もない言いかたですみません。
でも、知識も人間考察の鋭さも、これすべて人生経験がもたらすものです。センスではどうにもならないものがあります。これに関しては、反対する編集者や作家はいないとおもいます。田中氏はセンスと知識に恵まれた、数少ない作家だと私は思っています。しかし、氏が書かれた歴史小説作品群が、業界内において、ひとつとして高い評価を受けられず、人間が描けていない、子供だましといわれてしまうあたりに、氏のセンスや知識がいかほどのものでもない証拠だと思われるのですが。
> 大変悲しい話ですが、“『小説』をナメてるナルシストで不平屋の新人作家や作家の卵”にとって田中氏は「希望の星」なのでしょうね(たとえば「と学会」の山本弘氏などにそうした気配を個人的に感じます)。
申しわけないことですが、私は「と学会」の本を読んだことがなく、山本弘氏のこともまったく知りません。
また、「銀英伝」が最盛期のころならばともかく、いま現在田中氏が新人作家にとって希望の星ということはないと思いますが。
宮部みゆきさんを見習えとは言われるでしょうが。
「ああはなるな」
実際、そう注意されたことはあります。
ただ、ナルシストで不平屋では小説を書くのがつらいことでしょう。新人は、それはもうコテンパンにけなされますし、それに耐え抜いてこそ、次の段階があるわけでから。
>駆け出しさんの志の高さを貴く思いますので、どうか今後御活躍されます事を願います。
ありがとうございます。うれしいです。編集者はこんなこと言ってくれないものですから。
「やめたければ、いつでもやめていいよ」
ですからね。
> あと差し支えなければ作品の刊行の折はご宣伝いただければ幸いです。微力ながら「今後」のためにも購入しようと思っております。
はい。そのときにはメールでお知らせいたします。よろしくおねがいいたします。
駆け出しさん、優馬です。
非常に興味深いお話をありがとうございます。
> そういうことになりますね。ただし、現、元を問わずSF作家への文壇、出版社の評価はおっそろしく低いですよ。まともに相手しているのは、早川書房くらいなんじゃないでしょうか。
んで、早川書房はSF作家を丁稚扱いするとんでもなく封建的な社風なもんで、いよいよ「SF」というジャンルが閉塞しておるわけですな。
> 残念ながら、SF界には、松本清張はいなかったのです。
筒井康隆や小松左京はどうなのでしょう?
作家の個人的業績の影響ももちろんあると思うのですが、それよりも日本では娯楽たるエンターテインメントと芸術たる文学表現の業界が分離していないことが問題じゃないのでしょうか。「ブンガク」の価値観で差別されるエンターテインメントが可哀想です。芸術たる文学は、読者が喜ぶかどうかはとりあえず二義的で、自己表現する芸術家として文章を綴るのに対して、娯楽たるエンターテインメントは、「読者を喜ばせる」ことを第一義とする職人の世界だと思うのです。生きざまとして波瀾万丈なのは芸術家の方でしょうから、芸術家が職人よりも世間的に尊敬されるのはかまわないと思います。でも、違う価値観で仕事しているということを自覚できないで、優れた職人があたら芸術家の真似をするのは(そして恥をかくのは)悲しいことです。
> みんな、書けないんです。すらすら書ける作家なんて、存在しません。それをなんとか机にかじりついて、脂汗にまみれて原稿用紙のマス目を埋めているんです。
> 小説をなめるな! 田中氏の創作態度に触れた作家は、みなきっとそう言うと思います。
駆け出しさんのプロ根性に、拍手!です。
ところで、駆け出しさんの作品は芸術系ですか娯楽系ですか?
単なる好奇心ですけど・・・。
どっちにしても出版されたらお教えください。
私も、買って読みます。
駆け出しさん、お返事有難うございます。
> >人生経験の薄さは人間考察の鋭さと知識の広範さもしくは『表現』に対するセンスをもって代替可能であると考えます。
>
> 無理です。
> いやはや、のっけから身も蓋もない言いかたですみません。
> でも、知識も人間考察の鋭さも、これすべて人生経験がもたらすものです。センスではどうにもならないものがあります。これに関しては、反対する編集者や作家はいないとおもいます。
いえいえ、私の話がこの場合「“天才”というのも存在するのではないか」という限りなく絵空事に近い仮定に立脚しておりますので。
ただ、「順境にふやけず逆境に挫けずただひたすらに己を磨く事が出切る」所まで私は“センス”の範疇に勘定しております。
> また、「銀英伝」が最盛期のころならばともかく、いま現在田中氏が新人作家にとって希望の星ということはないと思いますが。
> 宮部みゆきさんを見習えとは言われるでしょうが。
> 「ああはなるな」
> 実際、そう注意されたことはあります。
すみません、私の時系列の判断が少々大雑把に過ぎました。
5~8年ほど前の「銀英伝」人気が盛り上がり「アルスラーン戦記」もまだまだ第一部完で第二部に希望が抱けていた頃、雨後の筍の如くに田中氏の亜流やモドキを良く見かけた物で。
> ただ、ナルシストで不平屋では小説を書くのがつらいことでしょう。
いや、書くだけは楽しいのではないでしょうか。
神様として自意識を満たせる訳ですから。
ただ、駆け出しさんの言われる通りそうした手合いが「人に認めさせて世に送り出す」のは至難かつ業苦でしょうが。
いや旧知にそうした者がおりまして、誼という事で堪忍袋の尾が切れるまで愚痴と八つ当りの標的を引き受けていた過去なぞあるものですから。
余談ですが、そんな彼も今や作家センセイです。
正直「いつまで持つやら」という気分ですが。
> ありがとうございます。うれしいです。編集者はこんなこと言ってくれないものですから。
> 「やめたければ、いつでもやめていいよ」
> ですからね。
厳しいですね。
どうか挫けず「先生、お願いいたします」と言わせてやって下さい。
その時は是非「どぉーれ」と掛け声を一つ、などと言うと「それは火縄銃以下という事ですか」とツッコまれそうですが(「七人の侍」ネタです、すみません)。
> はい。そのときにはメールでお知らせいたします。よろしくおねがいいたします。
いや、本当に楽しみにしておりますのでこちらこそ宜しくお願いいたします。
S.Kさんへ
>いえいえ、私の話がこの場合「“天才”というのも存在するのではないか」という限りなく絵空事に近い仮定に立脚しておりますので。
いえ、そのお考え、けっして絵空事ではないです。
事実、小説界において天才といわれるかたはいます。
一例を挙げますと、京極夏彦さん。または、1998年に「日蝕」で芥川賞を受賞した平野啓一郎さん。
彼らは若年であり、人生経験の不足を天与の才能でおぎなっている希有な作家だと思います。
芥川賞作家―つまりは、純文学の世界には、天才と呼ばれ、その名に恥じないかたが多いですね。
ですが、大衆小説においては、天才は活躍しにくいようです。皆無といってもいいとおもいます。
山本周五郎、海音寺潮五郎、吉川英治、柴田錬三郎、松本清張、司馬遼太郎、藤沢周平、陳瞬臣、宮城谷正光、北方謙三、浅田次郎等々。天才ではなく、努力と自己錬磨によって第一級の作家となったかたがたです。
飛ぶ鳥落とす勢いの宮部みゆきさんも、とあるインタビューのなかで「すらすら書けるときなんて一年に二日もない」というようなことをおっしゃってました。正襟危座のおもいがいたしました。
>5~8年ほど前の「銀英伝」人気が盛り上がり「アルスラーン戦記」もまだまだ第一部完で第二部に希望が抱けていた頃、雨後の筍の如くに田中氏の亜流やモドキを良く見かけた物で。
恥をさらすようですが、私もその亜流のひとりでした。私の場合、幸いにも、その後すぐれた指導者にめぐりあい、模倣者でしかなかった自らの不明を悟ることができましたが。
>いや旧知にそうした者がおりまして、誼という事で堪忍袋の尾が切れるまで愚痴と八つ当りの標的を引き受けていた過去なぞあるものですから。
私もまわりの人に少なからず迷惑をかけています。慚愧にたえません。
>余談ですが、そんな彼も今や作家センセイです。正直「いつまで持つやら」という気分ですが。
同道の者としては、そのかたのご活躍を、やはり、祈らないではいられません。
> 厳しいですね。どうか挫けず「先生、お願いいたします」と言わせてやって下さい。
ありがとうございます。実はそれを夢見ております。くだらないことかもしれませんが、自分を支え、原稿用紙に向かわせてくれるならば、金銭欲でも、名誉欲でもなんでもよいと開き直ってります。
優馬さんへ。
>筒井康隆や小松左京はどうなのでしょう?
おふたかたともSF小説界の重鎮ですね。
しかし、人間というものを描いてこなかった――つまり、SF小説を一部の好事家から大衆へと開放しなかったという点では、清張さんが推理小説に果たした功績とは比ぶるべくもないと思います。
> 作家の個人的業績の影響ももちろんあると思うのですが、それよりも日本では娯楽たるエンターテインメントと芸術たる文学表現の業界が分離していないことが問題じゃないのでしょうか。
出版社内部では明確に分かれているのですが。
たとえば講談社ですと、純文学は第一編集部(だったとおもいますが)、推理や時代、歴史は第三編集部といった具合です。編集部間の対抗意識もかなり高いようです。
>「ブンガク」の価値観で差別されるエンターテインメントが可哀想です。
おっしゃるとおりです。
ただ、名作といわれるものの中には、そういった柵を飛び越してしまっているものも少なくないと思います。
マンガの原作となった吉川英治さんの「宮本武蔵」
あれは、大衆小説であると同時に、一級の文学作品でもあります。
「芥川龍之介がいま生きていたら、まちがいなく直木賞作家だ」
ある作家の言葉です。まさに名言ではないでしょうか。
つまるところ、小説というものは、人間が書き、人間が読むものでして、そこには人間が描かれていなければ、何の意味もないと思います。
純文学だろうと、推理小説だろうと、歴史小説だろうと、はたまたジュブナイルだろうと、人間の生きる姿を描写することこそが作家の務め。言葉をつくして人物を説明することではありません。しかし、この描写と説明のちがいのわからない作家のなんと多いことか。
以上は私の担当の受け売りです。失礼しました。
> 駆け出しさんのプロ根性に、拍手!です。
ありがとうございます。いまのところ、根性だけで実がともなっておりませんが。
> ところで、駆け出しさんの作品は芸術系ですか娯楽系ですか?
> 単なる好奇心ですけど・・・。
私は司馬遼太郎さん尊敬してやみません。司馬さんの作品についてはさまざまな意見がありますし、また、それが当然だともおもいます。
ですが、あのかたの作家としての小説に対する取り組みかたには見習うべきことばかりです。
「鵠を刻みて成らざるも、なお、鶩に類す」
この精神を忘れたくありません。
> 私も、買って読みます。
ありがとうごさいます。なによりの励みとなります。
この掲示板の主旨とはちがった書き込みになってしまったことを深くおわびいたします。