アク禁で話としては終わってしまっているようですがいくつか。
> ナンバーズの冤罪の可能性をみると良いと思いますよ
唐突に何の話題を出したのかさっぱり分かりませんねぇ。「ナンバーズの冤罪」というのが、何の話なのか分かる方いらっしゃいますか?少なくとも私は何の話なのか理解できませんでしたわ。
> 帝国はエルファシルの研究をして、民衆だけ小集団に別れて逃げればいい。
これも解釈が難しいですねぇ。「若き日のヤンのエルファシル脱出行の真似をしろ」という意味なのでしょうか。それなのに「小集団に分かれて逃げる」に続く意味が分かりません。「若き日のヤンのエルファシル脱出」は「目立つ形で逃げ出した正規(同盟)軍を囮にして帝国軍の目を引きつけ、一つのまとまった集団で堂々と逃げた。帝国軍は脱出するヤン一行を探知していたが、正規軍を降伏させたことでまさかそんな大胆な逃げ方をする筈がないと油断しており、後で逃げられたことに気づいて地団駄を踏んで悔しがった」ものですが、それと「小集団に分かれて逃げる」こととの整合性がありません(言うまでもなく、ヤンは小集団に分かれて逃げさせてはいないからです)。囮にする正規軍をどこでどう調達するつもりなのか(囮の正規軍はやられちゃうので、繰り返されれば被害がどんどん増えていくでしょう)、ということもありますし。「収容先の経済的にも負担が少ない」というのも何でそうなるのか。一回で終わる話ではない(少なくとも冒険風ライダー氏は移動要塞によるゲリラ的攻撃を延々と行うことを提案している)ので、経済的負担が何故少なくなるのか訳が分かりません。何度も何度も繰り返されれば「避難民を受け入れる」側の経済的負担は増えて行く一方ですわな。
それよりなにより、「若き日のヤンが使った方法」を当のヤン相手に使えと主張して何の意味があるのでしょうか。ヤンが30歳代でボケ老人化し、昔のことは綺麗さっぱり忘れてしまったということはいくら何でもないでしょうから、一瞬で見破られて裏を掻かれておしまいでしょう。敵がヤンという状態で「エルファシル脱出」のように相手に探知されている状態で堂々と逃げ出したりしたら、即刻集中攻撃を受けて全滅する羽目になりますわな。
ここまでツッコミどころ満載な書き込みも珍しいのではないでしょうか。論理性やら説得力が全くないんですから。「選択問題は得意だけれど、記述問題は不得意」というのは、これを書いた本人のことですねと評価するしかありますまい。
> 真面目な議論に神やら無限やら持ち出しが許されるなら、宇宙の開闢も、経済問題もそれで説明しますね。
「要塞に無限の補給能力がある」と設定したのは田中芳樹ですから、著者本人に「既存の科学技術の観点からみて、そんなものはあるはずがない!」と抗議すべきでしょうね。ま、そんなことを言い出したら、「ワープなど既存の科学技術の観点からある筈もない!」とか、「FTL(超光速通信)など既存の科学技術の観点からある筈もない!」と抗議せねばならなくなるでしょうな。「神」である語り手(作者)の設定を根本から否定してしまっては、作品を論じる意味などないでしょう。以前の移動要塞論争の時、私が「剣と魔法の世界のファンタジーの類と同様に考えるべき。そういう世界についての議論で、魔法なんか現実には存在しないと言ったところで意味はないでしょう」と主張したのはその為です。
仮の話ですが、とある小説世界で「金は魔法でいくらでも無から生み出すことができるので、この○○世界には経済問題は存在しない」と作者が初期設定していたら、そのルールに従うしかないでしょう。「○○経済学の観点からして、そんなことはあり得ない!」と否定したところで意味はありません。宇宙の開闢についても、冒険風ライダー氏が「ウォッチ」している某SF作家が「この世は神によるシミュレーターなのです」という設定の小説(「神沈」のことです)を世に出していたりしますね。この小説の作品世界を論じようとした時に「真面目な議論なのだから神の持ち出しなど認めない」と主張したら、「だったらこの小説の議論に加わろうとするなよ。お前さんはどこか余所に行ってくれ」で話は終わりです。
> あなたはこの掲示板に書いていることをおおっぴらに言えますか?
「おおっぴらに言えない」という人が居ますかねぇ?もし「おおっぴらに言えない」ことならば、公開掲示板に堂々と書き込んだりしないのではないでしょうか。「お前らが書き込んでいることはおおっぴらに言えないはずだ!」なんで考えている人の方が珍種であるということくらいは分かっているべきでしょうね。
ここまで訳の分からないことばかり書き込む人ってそう滅多に居ないですよね。過去例の「道之介」さんあたりも相当訳が分からなかったですけど、今回はそれ以上ではないでしょうか。
少なくとも、「解釈するのに首を捻る必要がある文章」を書いているような人が、
「あなた方は選択問題は得意だけれど、記述問題は不得意と思いますが、どうですか?」
と大言壮語するような真似は止めた方がいいですよ。失笑されるだけですから。クラゲ氏は自分が「掲示板で議論するようなレベルに達していない」ということを自覚しましょう。先ずはそれからです。
既にご本人がアク禁になってるようですから、
今更こんな事を書いても意味ないのですが……。
『映画にあらかじめ存在するルールなんかない。
だって、創られた作品がそのままルールになるのが映画なんだから』
(押井守『トーキングヘッド』)
『君が読者を納得させうる理屈を構築できさえすれば、
プロペラ飛行機で惑星間旅行をする話だって大手を振って通用する』
(野田昌宏『スペース・オペラの書き方』)
……リアルと(物語の中の)リアリティは別物だし、
物語の作中に於ける全ての法則の決定権は、唯一その作者にのみ帰するものですからねぇ。
それが理解できないなら、そもそもSFなんて読むべきではないでしょう。
どうやら海外ドラマ「ナンバーズ 天才数学者の事件ファイル」の1エピソード「冤罪の可能性」を指しているようですが、はっきり言ってマイナーな作品のタイトルだけをいきなり出されても困る。せめて、どういうエピソードなのか説明して欲しいものです。
見てるだけの人間として発言させてください。
関連のスレッドは削除してください。
アクセス禁止ということは重大事ですし、削除対象になると思いますが。
はっきりいって不愉快以外の何者でもありません。何か益になることがありますか?
以下の投稿を「場外乱闘掲示板」へ転載の上、管理人権限により削除しました。
8413 削除してください ROMしてる人 2010/02/23 09:30
nwtfa-04p3-154.ppp11.odn.ad.jp
繰り返します。
HN「クラゲ」に関する話題を続けたい方や、今回の措置に対する異論や意見がある場合は「場外乱闘掲示板」にて行って下さい。
以後、上記該当投稿と同種の投稿があった場合も「場外乱闘掲示板」へ転載した後で削除します。
HN「クラゲ」の投稿については、アクセス禁止宣言以降にIP制限を掻い潜って行われた投稿を除き、削除を行うつもりはありません。
言論の自由には責任が伴うものであり、掲示板上にて行われた発言の責任は、その内容を問わず、削除ではなく「万人の目に晒される」ことによって全うされるべきものである、という方針の元、現行の「田中芳樹を撃つ!掲示板」は運営されています。
過去に行われたアクセス禁止処分でも、アクセス禁止の対象とされた人物の投稿が、その過去まで遡って断罪された上関連発言全てが削除された、という事例はありません。過去発言まで含めてのアクセス禁止の遡及適用は、他所の掲示板はいざ知らず、すくなくとも「田中芳樹を撃つ!掲示板」では「言論の自由と表裏一体を成す責任を全うさせる」という点においてふさわしくないと私は考えます。
不快と思われる投稿については読み飛ばして頂きますようお願い致します。
また、先にNo.8412でも述べました通り、今後のHN「クラゲ」に関する話題は「田中芳樹を撃つ!掲示板」の議論に寄与することのないネタとして扱うことをすでに明言しておりますし、この話題を続けたい方や管理人の処分に意見がある方は「場外乱闘掲示板」にて受け付ける旨の告知も行っております。
今回の管理人としての処分内容に異を唱えるなとは申しませんので、一連の話題については「場外乱闘掲示板」にて投稿を行って下さい。
>帝国はエルファシルの研究をして、民衆だけ小集団に別れて逃げればいい。
で、「帝国は『リンチ分艦隊役の囮の生贄』をわざわざ差し出してくれて、放棄惑星の帝国資産は悪くて自棄かうまくすればまるまるヤン不正規隊の物」ですか、いや下手な苦労を買うよりこれはオイシイ(笑)。
最後に婉曲な敗北宣言でしたか、お疲れ様。
>ROMしてる人さん
>何か益になることがありますか?
「一応カテゴリー『人類』でここまでの馬鹿が存在する」
「こうはなりたくないものだという教訓材料」
としては中々のものですよ、「荒らし」宣言された管理人さんには申し訳ないですが。
>モトラさん
>ナンバーズって宝くじ? それとも魔法少女リリカルなのはStrikerS?
個人的には1から4の人以外全員免罪されていいと思います。
とくにチンク姉(断言)。
あと古い人だと「ブラックゴーストの試作サイボーグ」という線も。
>黒犬13号さん
>なんつーか……。
ああいう頭のカワイソウな人はそもそもフィクションを嗜んではいけないと思います。
「『現実』に持ち込まれる『妄想』」という悲劇の幾許かはそうした行為をリアル周囲がつい甘やかす事に起因しているのではないでしょうか。
例の彼は悔しかったのか、私宛にメールを送ってきました。
ここやタナウツ掲示板への投稿同様、脊椎反射的に短文で何回に
も分けてというスタイルに変わりはありません。文章の推敲とい
う作業は彼には不可能なようです。
内容については、論評するに値しないレベルであることは同じですね。
さすがにここで晒すつもりはないですが。
「自分のモノの考え方の範疇から外れていることは理解不能」なようですから、これだけは書いておきましょうか。
反発があったところで、別に誰も困ったりしていないんですよ。反発したきゃ勝手にすればいいんです。それこそご自由にどうぞ。
「喧嘩上等。文句があるならかかってこい、誰の挑戦でも受けてやるぞ!」
という人も、世の中には存在しますのでね。
まあ、そういうことです。
自分も移動要塞戦略については懐疑的ですが、それでも今回のクラゲさんの一連の投稿は評価出来ません。
これまでのやり取りを拝見した限りでは、クラゲさんの文章はあまりにも引用や説明が不足しており、議論相手のどの文章に反論しているのか理解し難い箇所が多いというのが正直な所です。他者に対し「あなた方は選択問題は得意だけれど、記述問題は不得意と思いますが、どうですか?」などと仰る前に、まずご自分の記述能力を省みられる事をお勧めします。
空気を読むのは難しい。空気に書き込むことは更に難しい。空気に書いた内容を相手に読んでもらうのはもっと難しい。(自分で空気を書いた経験は無いけれど。)
私も日本語の不自由な者だが、この場で複数の者が主張するように、クラゲという人の発言が未熟であることは何となく感じ取れた。
ついでに、彼(/彼女)の投稿とそれに対する投稿との双方から憎悪や怨恨のような感情を何となく感じた。(個人の感想です)
もしも、下品な奴には下品な言葉しか通じないのであれば、下品な人のしつこい質問を止めるのにはやむを得ず、質問の答えとは別に、「馬鹿は黙ってろ」と言うしかないのだろう。
やり方はわからないけれどこれだけの面子が揃っているのだから、もっとシンプルに収拾がつかなかったのだろうか。(柔道で例えるなら、反則すれすれの事をする卑怯な選手をベテラン選手が綺麗に背負投げ一本で勝つ、みたいな。)
どうしても「相手の頭の悪さ」“も”指摘しなければならなかったのかと思う。
(子どもの口論みたいに「“馬鹿”っていう奴ほど馬鹿なんだぞ!」って言いたいわけではありません。)
私のような半人前ならともかく、今回の様な事例を何度も経験している御方がなぜそんな余計なことを?
今回の相手は「あなたは愚かだ」と言われて喜ぶ人だとは思えない。投稿しなくなるどころかむしろ激昂して冷静さを失ってむやみやたらに投稿してくるとは予想できなかったのでしょうか。
(今回はこれでもまだマシな方なのか、あるいは想像を絶するほど凶悪で「馬鹿」としか言いようが無かったのか。それとも今後同じような投稿をする者たちへの抑止のためか、「バカニサレタクナカッタラダマッテイロ」と。)
べつにいいじゃないか。選択問題が得意で、記述問題は不得意でも。私なんて選択肢が与えられても判断に時間かかるし不正確だし、記述は見ての通り、読みにくくてゴメンネ。
紙に思いついた単語を書きだして丸や括弧で区切って矢印で順番に繋げて、それを清書して、という図式化みたいなことを私は時々やってます。(それでもこの程度な自分が情けない…)
安易な奴は安易なりに(私を含め)がんばるしかない。と思いました。
>やり方はわからないけれどこれだけの面子が揃っているのだから、もっとシンプルに収拾がつかなかったのだろうか
出来ません。
少なくとも、ネット上のクローズドではない=不特定多数に対してオープンな場で行われる議論では、そんなことはまず不可能と断定しても良いでしょう。
何故なら、対象が不特定多数である以上、予め相手の経歴や思考の方向性を知ることは出来ず、それがつかめるのはある程度以上、言葉を交わす必要があるからです。相手が感情に任せて無闇な投稿をしてくるような輩であるかどうかなど、最初から分かるはずもないし、それが分かるのは、相手がそういう行動を起こすからです。これは言語外コミュニケーションを欠いた=言葉だけで進行するネットコミュニケーションにおいては根本的問題であり、古くはパソコン通信時代から幾度も繰り返されつつも、いまだ解消されざる問題でもあるのです。
>柔道で例えるなら、反則すれすれの事をする卑怯な選手をベテラン選手が綺麗に背負投げ一本で勝つ、みたいな
柔道に限らず、スポーツやゲームでそれが可能なのはなぜか。
それは、そもそもスポーツやゲームがルールと言う共通了解の上に行われる競技だからに他なりません。勝ち負けや反則行為に関する規定がきちんとなされ、かつ参加するものがそのルールを了承した上で行われるからこそ可能なのです。
勿論、ディベートの例を取るまでもなく、議論においてもそれは可能です。ただし、上記した通り、それが成立するためには、共通認識となるルールがあることが絶対条件です。
そしてもう一つ大切なのは、議論への参加者があらかじめ決定されている、ということです。後から競技に勝手に参加してくる者がいる状況では、競技自体が成立しません。昔のプロレスで、良く試合中に他の選手が乱入して試合自体が中断になる、なんてことが良くありましたが、それと同じ状況になるだけでしょう。
もし、ネット上できちんとした議論を行いたいのであれば、以下の条件を満たす必要があります。
1)議論のテーマを予め明確化し、その範囲を限定すること
2)議論に参加する人間の他に、議論の進行やまとめを行い、議論の趣旨に反する発言や著しい逸脱を規制する立会人が参加すること
3)議論への参加者を予め決定しておき、他の参加は認めないこと
少なくともこれらを実現するためには、参加者を制限し、かつ場合によっては議論から退出させることの出来る場=クローズドで、管理者が特定人物のアクセス権限を制限できるようなBBS、もしくはチャット等のシステムを用意する必要があるでしょう。実際にそのような環境をシステム的に用意し行われるネット議論も行われていると思います。
しかし、上記したような問題があるにも関わらず、多くのBBSが不特定多数が任意のタイミングで議論に参加することが可能な、オープンな環境の掲示板やチャットが圧倒的に多いのは、不特定多数の人間が参加できることのメリット=常に新しい意見や考え方を持った人が参加できることの大きさがあるからです。
感情論に走り相手を罵倒するような行為は私もどうかと思いますが、いずれにせよこのような問題はオープンな環境で行われる議論が負う、宿命的なリスクであるということは否めません。
勿論、上記したようなクローズドな環境ではない、不特定多数の掲示板で有意義な議論を行うことはまったく不可能、と言うわけではありませんが、それには参加者の自主的な協力が不可欠です。腹が立ったから勝つまで止めない、というような輩を相手には不可能な話ですが。
> やり方はわからないけれどこれだけの面子が揃っているのだから、もっとシンプルに収拾がつかなかったのだろうか
「やり方はわからない」のなら、疑問を呈する資格がありませんね。「自分はこれこれこういうやり方で対処すれば良かったのではないかと思うのだが」ならまだしも。対処方法まで相手側に丸投げした上で相手側の責任追及を行おうとするとは、貴方も相当おかしな人ですね。はっきり言いますが無責任極まりありません。
> 柔道で例えるなら、反則すれすれの事をする卑怯な選手をベテラン選手が綺麗に背負投げ一本で勝つ、みたいな
腹が立ったから「荒らし宣言」したような相手は、反則すれすれではなく反則そのものです。そうでもなければ、冒険風ライダー氏だってアク禁措置など取らなかったでしょうね。
> 今回の相手は「あなたは愚かだ」と言われて喜ぶ人だとは思えない。投稿しなくなるどころかむしろ激昂して冷静さを失ってむやみやたらに投稿してくるとは予想できなかったのでしょうか。
それで何が問題なのでしょうか?激昂して冷静さを失い、無闇やたらと投稿してきたところで、別に誰も困りはしないと思いますが。その状態で感情の赴くままに馬鹿なことを書き込めば、更に袋叩きにされるだけです。「掲示板上のやり取りでは平穏無事であるべきで、可能な限り争いごとが発生しないようにせねばならない」とお考えのようですが、それはあなた個人の考えでしかありません。上にも書きましたが、「喧嘩上等。文句があるならかかってこい、誰の挑戦でも受けてやるぞ!」という人も、世の中には存在するのです。元々、「田中芳樹を撃つ!」なるHPのタイトル自体がそういう意志の現れですし、10年ほど前の「田中芳樹信者ばかり」の状況に「風穴」を開けるべく、敢えてこのようなタイトルにした訳ですから。その流れを受け継いでいるのですから、「平穏無事に喧嘩は起こさないように」という精神とは、「田中芳樹を撃つ!」にしても、この「場外乱闘掲示板」(これもタイトルで分かる話でしょうに)にしても、最初から方向性が違うとしか言えません。
まあ、そういうのが嫌いなのなら、関わり合いにならなければ良いのではないでしょうか。参加を無理強いしている人は誰もいないのですから。
回りくどい長文で読み手を不快にさせ、食い付いてきたところをさらにおちょくってやろう、という意図が透けて見える投稿って、スルーされがちですよね(℃_゜)
> 今回の相手は「あなたは愚かだ」と言われて喜ぶ人だとは思えない。
「痛くない痛くない」とあやして注射してやる歳じゃありますまい。
馬鹿に馬鹿と言う事は「上」を「上」と言う事と同じくらい当然の事であり、要は「そう言われるレベル」と自覚して改善してくれればそれでいいのです。
> 例の彼は悔しかったのか、私宛にメールを送ってきました。
うちにも来たので「親切に」返答しておきました。
何年も前からここは変わりませんね。
挑発すれば誰だって言葉を荒げるでしょうに。
その点はずーっとスルー。彼の事は"芸風"で片付ける。他は"荒らし"。賛同者と反対者の区別ですかね。
そして、自分の論旨に疑問を投げかける相手は邪魔者扱い。
せめてS.Kという人がいなければ、もう少しまともな論客が訪れるでしょうに。しかし、S.Kは変わりませんね。
まあ、そういう私もこの雰囲気に辟易して去った口ですが。
必殺"来なければ良いじゃない"には勝てません。
超必殺"反論があればご自身のサイトでどうぞ"も強力ですね。勝てません…。
"結局何が言いたいの?"
ここは議論を封殺する言葉が多いなぁ。
いつぞやの自称官能小説家さんの様な=端からケンカを売るのが
目的のような相手に対してはともかく、S.Kさんが初手から
貴方の言われるような”芸風”で挑発するようなことは、
見たことがないんですけどね。
議論を封殺と仰りますが、そもそも本当に議論ができるんですか?
あるいは出来るつもりでおられるのでしょうか?
何でも賛成して欲しいってのは、議論に臨む態度じゃないですよ?
>何年も前からここは変わりませんね。
>挑発すれば誰だって言葉を荒げるでしょうに。
何年たっても貴様の様な脳の不自由な輩をも最初から否定せぬ良き慣習である。
そして「事実の指摘」が「挑発」になるような阿呆に発言権も最初からない、弁えろ雑種。
>まあ、そういう私もこの雰囲気に辟易して去った口ですが。
「去る」という程の発言をしてから言え、痴れ者。
大方相応の評価を我から過分にも賜った素性も知れぬ書き捨ての恥さらしの口であろうが。
>黒犬13号さん
>何でも賛成して欲しいってのは、議論に臨む態度じゃないですよ?
まあ昨今にかぎらず「ねーねー、ボキリューコーサッカのタナカヨチキのヒハンができるくらいカチコイのー、ただ聞いてボキを褒めてー」という類のキモい人結構いますから、こないだの腔腸生物とか『地上の楽園の大将軍様の下僕』とか日本語の不自由な神職の人とか。
>何年も前からここは変わりませんね。
>挑発すれば誰だって言葉を荒げるでしょうに。
何年も前から見ていて、問題は「言葉の荒さ」などではないということに、まだ気付けていない人間がしたり顔で何を言ってんだかw
>そして、自分の論旨に疑問を投げかける相手は邪魔者扱い。
「議論」とは本質的にそういう(側面を持つ)ものだからです。「ボクシング」や「柔道」が本質的には、暴力で人を屈服させる「作業」であるのと同じように。日本人のいわゆる「話し合い」とは似て非なるものです。
>まあ、そういう私もこの雰囲気に辟易して去った口ですが。
×→雰囲気に辟易して去った
○→言い負かされて反論出来ず逃げた
独断と偏見によって訂正させて頂きましたw
おそらくそう間違ってないと思いますけどw
>ロム専野郎様
概ねご意見に賛同致しますが、一点だけ気になりましたので。
本来、議論とは止揚(アウフヘーベン)……つまり、相反するAとBの見解から共通点を見出し、
そこからより高次の=AとBの共通点を内包する見解Cを目指して行われるべきであり、
相手を屈服させることが本来の目的ではないと思います。
(ディベートのような、最初から見解の優劣を競う形式は別ですが)
まあ、ここで問題になっている人たちは最初から自分の見解の優位性のみを主張し、
結果的に相手を屈服させることだけが目的なのでしょうから、そもそも論として
議論以下の主張しかしていないわけですが。
> 黒犬13号様
私ごときのいっちょかみ駄文に目を留めて頂けるとは恐縮です(^_^;)
> 本来、議論とは止揚(アウフヘーベン)……つまり、相反するAとBの見解から共通点を見出し、
> そこからより高次の=AとBの共通点を内包する見解Cを目指して行われるべきであり、
> 相手を屈服させることが本来の目的ではないと思います。
柔道やボクシングの試合と違い、議論は勝利そのものを目的としていない、というのはその通りだと思います。
ただ、だからといって議論が本質的に柔道やボクシングと同様のある種の「野蛮」な側面を有していることの否定にはならないと考えます(だから駄目と主張しているわけではありません。念の為)。
ボクシングや柔道においても、究極的な目的は(理念としては)「勝利」ではなく、競争によって共に強くなることだ、と一応は言えると思いますが、その為に行われる試合において目標とされるのは、いかに効率的に相手を屈服させるか(及び屈服させられるのを防ぐか)という事であり、理念的な目的は棚上げされます。
議論における「目的」も、ほぼこれと同様のことが言えると考えます。
端的に言って、「議論」とは、相手より自分の意見の方が(論理的に)正しい事を証明する「作業」(の応酬)であると考えています。
その意味で、アウフヘーベン(ヘーゲルの弁証法でしたっけ?)こそが議論の目的であるとなさる黒犬13号さんとは、やや見解を異にする所であります。
私としては、議論とはアウフヘーベンではなく、「淘汰」を目的に行うものだと考えています。アウフヘーベンはあくまで予期せぬ「副産物」であって、そうなれば理想的ですが、それを目的に行うものだとは思っていません。あくまで私見にすぎませんが。
ROM専の分際で長文失礼致しましたm(__)m
書き込みなれしていませんのでおかしな点等ございましたら是非ご指摘の程お願い致します。
では、もしよろしければご返答お待ちしております。
投稿してみて若干誤解を招きそうな部分があったもので…
申し訳ありませんm(_ _)m
「淘汰」されるべき(と私が主張している)なのは、人間ではなく、「意見」の方です。
また、議論の理念上の目的(と私が考えるもの)は、「真理の追求」です。
以上です。失礼いたしました。
>ロム専野郎様
仰られます通り、確かに一般的には『議論』と呼ばれるものが得てして『排他』もしくは『淘汰』を目的に行われることが多いのは事実ですし、そもそも論旨の優劣を競うための討論(ディベート)という方式もありますので、そうした目的を目指す議論を完全に否定することはできないと思います。そしてこの点に関して触れていなかったという意味で、先の私の意見は誤っていた(不十分だった)ことになります。申し訳ありません。
ただ、ことこの場(タナウツ掲示板や場外乱闘掲示板)における議論のあり方として、ロム専野郎様の仰るような目的を持ち込むことには、一種の危険性があるとも思い、口をはさませて戴いた次第です。それはつまり、議論が『排他、もしくは淘汰を目的とする』という主張が、そのまま現在問題になっている方々の言動を正当化する口実を与えてしまうのではないか、という懸念です。クラゲ氏は明らかに自分自身の見解に正当性を感じており、そうでない主張をする相手を荒らし行為まで用いてでも、『淘汰』しようとしました。議論の目的を”相手を屈服させる”こととするなら、その行為や手法を批判することができても目的意識を否定することはできません。自分が正しいと思う見解を持って、おなじ見解を持たない相手を”淘汰”しようとしたのですから。
恐らくこう思われるのではないでしょうか? 即ち、”クラゲ氏の意見はまるで論理的ではない。よって淘汰されるべきは彼の意見だった”、と。
確かに彼の論理は客観的に見れば破綻していますし、平気で主張や論旨のすり替えを行ったりもしています。しかしそれを持って彼の論理を否定することはできません。なぜなら、極論するなら論理の正当性を決定づけるのはその個人の主観であって、客観基準ではないからです。現代日本に生きる私たちは大体近代西洋医学を正しいものと捉えますが、精霊を信じ、その存在が社会の根幹を成している文化圏にあっては、我々がいかにその医術が間違ってると思おうとも、彼らは病気を治すのに精霊にすがったり、病気を起こす悪しき精霊を身体から追い出そうとしますし、それが当然正しい医術だと信じて疑いません。思考領域が違う以上、この溝はどうしても埋めることのできないものであり、それは何も上記の例えのような極端な事例ばかりではなく、同じ文化圏にある私たち個人の間にも存在するものです。故に、討論(ディベート)においては議論する当事者以外に、その議論をジャッジする第三者=柔道やボクシングの試合における審判を置き、この決定に従うことが求められます。もし、審判がおらず、ただ勝敗を付けて相手を屈服させることだけを目的としてしまえば、おそらくどんな試合でも泥沼になってしまうでしょう。そしてその事が、ネット上で行われる殆どの議論を泥沼化させ、発展性のないものにしてしまう原因になっていると自分は考えています。
明確な優劣決定の基準(ルールや審判)の存在がない以上、勝ち負けを求める議論はまず破綻し、それに費やされた時間は無駄になってしまいます。であればこそ、本来このような場に於ける議論は止揚を目指して行われるべきではなかろうかと私見した次第ですが、いかがでしょうか?
それは単なる理想論だ、と言われてしまえばそれまでですし、そもそも感情論に端を発し、相手を言い負かすことだけを目的として荒らし的行為も辞さない輩に発展性のある議論を期待するのは無理だってことは百も承知のつもりなのですけどね。ただ、どうせ議論に時間を費やすのなら、発展性のある有意義な議論をしたいものだなあ……という、極めて個人的動機に基づく愚痴と捉えて戴ければ幸いです(自爆
>黒犬13号様
お返事有難うございます
> クラゲ氏は明らかに自分自身の見解に正当性を感じており、そうでない主張をする相手を荒らし行為まで用いてでも、『淘汰』しようとしました。議論の目的を”相手を屈服させる”こととするなら、その行為や手法を批判することができても目的意識を否定することはできません。自分が正しいと思う見解を持って、おなじ見解を持たない相手を”淘汰”しようとしたのですから。
ううむ、この様な誤解が生じるかと思って、「淘汰」されるべきは「人間」ではなく「意見」だ、という捕捉をさせて頂いたのですが分かりにくかったですかね。
つまり、今回の「彼」に限らず、(どのように強弁しようとも)論理的整合性を失って破綻した意見というものは、反論に耐える事が出来ずに第三者に対する説得力を失っていきます。私の主張する「淘汰」とはこの事でして、反論の応酬によって意見の非論理性があぶり出されてくる、という事です。
ここで我々(ROM専の身で僭越ですが(^_^;)論者がとりうるべき理想的な対応としては、自分の意見が(相対的に)非論理的であった事を認め、素直に鉾を収める事ですが、人間が感情の生き物である以上、現実にはなかなかそうはいかず、醜い結末になることもしばしばですが、それはそれで「あぶり出し」という目的は達成できているので構わないと考えます。
今回の彼が「淘汰」ならぬ「排除」されたのは、意見が非論理的であったからではなく、反則を行い、これからも続ける意思表示をした為です。その点はきっちり区別しないと判断を誤ることになると思います。
今回の騒動をボクシングに例えてみるとさしずめ”ボクシングのルールをなにも分かっていない人間が勘違いでリングに上がってしまい、ボコボコに殴られた事に腹をたて、ローブローでやり返したところ、それは反則だと指摘され、「だって最初に手を出したのはそっちじゃないか」とゴネた”と言った所になるかと思いますw
> 故に、討論(ディベート)においては議論する当事者以外に、その議論をジャッジする第三者=柔道やボクシングの試合における審判を置き、この決定に従うことが求められます。もし、審判がおらず、ただ勝敗を付けて相手を屈服させることだけを目的としてしまえば、おそらくどんな試合でも泥沼になってしまうでしょう。そしてその事が、ネット上で行われる殆どの議論を泥沼化させ、発展性のないものにしてしまう原因になっていると自分は考えています。
ディベートというのも、なかなか面白いシステムだと個人的には思っていますが、私が感じる問題点としては、
①審判の判断が妥当である保証がない
②しばしばテクニックの追求が目的化してしまう(どうも、本来はそうではないらしいですが、Wikipediaによれば)
と言った所が上げられますね。まあ、人間のやる事に絶対という事は無いと思いますので「議論」も「ディベート」もそれぞれの欠点を持っているという事でいいと思います。欠点を認識した上で運用されるならば。
黒犬13号さんの主張なさる「(止揚を目指して行われるべき)議論」にしても、確かに泥沼化したり荒れたりしにくい、と言う長所は認めますが、相手に配慮するあまり、「真理の追求」、「あぶり出し」と言った点がおざなりになってしまう短所も存在すると思われます。もともと日本人は足して2で割る思考をしがちですし。
この掲示板で行われている、あるいは行われるべき「議論」がどちらのタイプか(あるいは全く別のものであるか)に関しては、もしよろしければ、館長さんや、他の常連諸氏の方々のご意見も伺ってみたい所です。
それでは、ご返答お待ちしております。
>ロム専野郎様
>今回の「彼」に限らず、(どのように強弁しようとも)論理的整合性を失って破綻した意見というものは
ある人の言説が論理的な整合性を持っている、あるいは破綻していると思えるのは、自分が既にある論理系に基づいた思考をしているからですが、裏返して言えば、それが通用するのはその論理系に属する相手に対してであり、違う論理系に属する相手に対して同じ方法で納得させることはできません。そして、ある論理系が一つの体系として成立する(認識する)ためには、自己の系の外にそれとは違う系を必要とします。ある論理系が唯一無二ではない以上、その論理系における論理性の正しさが唯一無二のものとはなりません。故に、ディベートのような『厳格にある論理系に基づいて行われる議論』でない限り、議論で優劣や勝ち負けを決定することは無意味であると、個人的には考えます。よって、論理系の差異を埋めないまま議論を行っても、相手の非論理性をあぶり出すことは不可能(自分から見て、どれだけ相手の言説が非論理的であったとしても)と考えますが、いかがでしょうか?
※相手の論旨がどれほど破綻をきたしているように見えても、基準となる論理系が違う以上、相手の論旨をその系に属さない=系の外の視点から論じても意味がない、ということです。ボクシングの試合に相撲のルールに基づいて批判するのが無意味であるのと同じと考えます。
当サイトで『と学会』が批判されるのも、正にこの点にあるのではないでしょうか? 即ち、彼らの行為は自分たちの都合の良い論理系から、他の論理系にある人を侮辱し貶めているという意味で、ですが。逆に、どれほど我々から見てその論理性が破綻していると思える論理系……例えばカルト宗教に所属する人たちがが、如何に外部から批判されても自己の正当性を信じることが出来るのも、彼ら自身の思考は彼らの属する論理系において整合性を有するからです。
私がロム専野郎様のコメントにレスをしましたのは、ここで問題になっている人たち、もしくはその意見が彼ら自身の論理系に基づいて構築されている以上、ロム専野郎様の仰られる『淘汰』が、そのまま彼らの自己正当化に繋がる恐れがあったからです。その意味では、私も随分と酷いことを言ってますよね。直截に行ってしまえば『論ずるに足らず』として、彼らの言説そのものの無効化を図ろうとしているのですから(苦笑
>①審判の判断が妥当である保証がない
勿論その通りですが、仮に審判の判断が妥当でないにせよ、審判のジャッジに従うというルールがある以上、そのジャッジは正当です。ルールはそれが正しいからルールなのではなく、それがルールだから正しいのです。勿論、ルールは常に改正される可能性を留保する必要はありますが、現時点でのルールは現時点において決定論として機能しなければなりません。
>相手に配慮するあまり、「真理の追求」、「あぶり出し」と言った点がおざなりになってしまう短所も存在すると思われます。
極めて個人的で、かつ極論と言われるかも知れませんが、私は『(唯一無二の)真理』というものはないと考えます。使う言葉や語彙が違えば、その上に構築される論理が異なって当然だと思いますし、そもそも言葉というもの自体が何かと何かを言い分ける=分離することをその基本機能とする以上、言葉で論じられる系は必ずその外側を有することになるからです。
おそらく、自分とロム専野郎様の『系』は異なっており、これ以上議論を進めても、残念ながら交わることはないと思われます。あくまで、私の意見は私個人の見解と思い、受け流して戴ければ幸いです。
>黒犬13号様
お早いご返事有難うございます
> ある人の言説が論理的な整合性を持っている、あるいは破綻していると思えるのは、自分が既にある論理系に基づいた思考をしているからですが、裏返して言えば、それが通用するのはその論理系に属する相手に対してであり、違う論理系に属する相手に対して同じ方法で納得させることはできません。そして、ある論理系が一つの体系として成立する(認識する)ためには、自己の系の外にそれとは違う系を必要とします。ある論理系が唯一無二ではない以上、その論理系における論理性の正しさが唯一無二のものとはなりません。故に、ディベートのような『厳格にある論理系に基づいて行われる議論』でない限り、議論で優劣や勝ち負けを決定することは無意味であると、個人的には考えます。よって、論理系の差異を埋めないまま議論を行っても、相手の非論理性をあぶり出すことは不可能(自分から見て、どれだけ相手の言説が非論理的であったとしても)と考えますが、いかがでしょうか?
黒犬13号さんの言われる「論理系の異なる相手」との議論における「あぶり出し」は、「根拠の提示」と「ダブスタの指摘」でかなりの部分解決可能だと思われます。
それと、そもそも誤解がある様ですが、「優劣」はともかく「勝ち負け」を議論の目的とすべきと主張した覚えは一度もないのですが。拙稿385においても「議論は勝利そのものを目的としていない」と明言しておりますし。
どうも発端の投稿である382におけるボクシングと柔道の例えが誤解を生んだようですが、あの例えで言いたかったのは、”そして、自分の論旨に疑問を投げかける相手は邪魔者扱い”といういちゃもん(笑)に対し、ボクシング(や柔道)でリングに立てば攻撃の対象とみなされるのと同様に議論の場で意見(批判ならなおのこと)を述べれば攻撃(もちろんルールに則ってのものですが)の対象とされて当然、という趣旨の事であり、ボクシング同様に、相手を屈服させる事が議論の目的であると主張している訳ではありません。
ボクサーがリングで人を殴る事が非難されないように、議論の場で論争相手(の意見)を攻撃する事も非難される行いではない」、と言う意味で上手く例えられたかなと思ったのですが、読み返してみると、誤解を招く例えだったようですね。失礼いたしましたm(_ _)m
私の主張を簡潔にまとめると、
「議論の場における主体は「意見」であり、より洗練された意見だけが生き残る(=淘汰)ようにする為に、異論はどんどん攻撃しあうべきだ。しかし、「意見」は自分の分身でもあるのでそれを攻撃されることは、自分自身を攻撃されたのと同様の痛みを負う事になる。その覚悟が無い者は議論の場に立つべきではない。」
という物です。
そして、「アウフヘーベン」に関しては、
「そもそもAとBに共通の見解があるとは限らない。AとBからCが生まれれば理想的であるとは言えるが、Cを生み出す事を目的にしてしまうと、相手に配慮して「攻撃」がおざなりになってしまい、Cもどきである”D”が生き残ってしまう危険性がある。それよりはAとBのうち、より洗練された方が生き残る事を目的にする方が「真理の追求」という目的にかなっている」
と考えています。
> 当サイトで『と学会』が批判されるのも、正にこの点にあるのではないでしょうか?
「と学会」がここまで批判されているのは、主としてその意見や態度がダブスタに満ちた恣意的なものだからだと思いますが・・・
彼らがいかに人を見下した侮蔑的な言動をとろうとも、その論理を自分や身内にも適用しているなら、ここまでは批判されないと思います。(あくまで「ここまでは」です。通常の批判は当然あると思います)
> 私がロム専野郎様のコメントにレスをしましたのは、ここで問題になっている人たち、もしくはその意見が彼ら自身の論理系に基づいて構築されている以上、ロム専野郎様の仰られる『淘汰』が、そのまま彼らの自己正当化に繋がる恐れがあったからです。その意味では、私も随分と酷いことを言ってますよね。直截に行ってしまえば『論ずるに足らず』として、彼らの言説そのものの無効化を図ろうとしているのですから(苦笑
私が知る限り、「タナ撃つ」および「場外乱闘板」において過去アク禁処分になった人と言うのは、数えるほどしかいなかった(現館長さんの代になってからは初)と思います。過去には「彼」に負けず劣らず粘着質で非論理的な方も多くいらっしゃいましたが、それを理由に掲示板から排除された方はいなかったはずです。これは、タナ撃つの公平性の現れであるのと同時に、立場の違う(黒犬13号さんの言葉を借りれば「論理系の異なる」)相手と議論する事によって、自らが独善に陥るのを防ぐ、という実利的な側面でもあると解釈しています。
黒犬13号さんの構想は、その「タナ撃つ精神」(勝手に命名w)を真っ向から踏みにじる危険性があるので、個人的には賛成できません。
> 勿論その通りですが、仮に審判の判断が妥当でないにせよ、審判のジャッジに従うというルールがある以上、そのジャッジは正当です。ルールはそれが正しいからルールなのではなく、それがルールだから正しいのです。勿論、ルールは常に改正される可能性を留保する必要はありますが、現時点でのルールは現時点において決定論として機能しなければなりません。
???
この部分はちょっと意味が分かりかねます。そういうシステム(≒ルール)だから問題がある(長所もありますが)と主張しているのに「ルールはルール」と返されましても・・・
> 極めて個人的で、かつ極論と言われるかも知れませんが、私は『(唯一無二の)真理』というものはないと考えます。
「唯一無二の真理」が現実に存在するとは、さすがに私も思ってはいませんが、だからといって、最初から真理に近付くことを放棄するのは、極めて問題のある考え方だと思います。
というか、これだと全ての結論は「主観の相違」で終わってしまいますよね?
議論とはまさしく、「主観」を「主観」で終わらせない為(普遍的に主張出来る合理性を獲得する為)に行うものだと思うのですけど。
> 使う言葉や語彙が違えば、その上に構築される論理が異なって当然だと思いますし、そもそも言葉というもの自体が何かと何かを言い分ける=分離することをその基本機能とする以上、言葉で論じられる系は必ずその外側を有することになるからです。
前記のとおり、「根拠の提示」や「ダブスタの指摘」でかなりの部分解決出来ると考えていますし、相手が納得しなくても、見ている第三者に伝わればそれで構わないと考えています。
> おそらく、自分とロム専野郎様の『系』は異なっており、これ以上議論を進めても、残念ながら交わることはないと思われます。あくまで、私の意見は私個人の見解と思い、受け流して戴ければ幸いです。
個人的には非常に残念ですが、返答を強要するつもりはありませんので、了解致しました。
ここまでお付き合い頂き有難うございましたm(_ _)m