本日は少しミステリーでホラーちっく(?)なゴシップ系のネタ話を。
田中芳樹のプロフィールについて調べてみると、田中芳樹は1986年に結婚していることが分かります。
田中芳樹読本 P29
<――しばらくは、長篇は「銀英伝」だけですか。
田中 そのはずです。この時期がいちばんよかったかもしれない。年に二冊長篇を書いて、合間に短編を書いていたら、欲しい本も買えるようになったという(笑)。八六年になるとずいぶん忙しくなった感じがしますからね。『七都市物語』『アルスラーン戦記』『創竜伝』と徳間書店さん以外で仕事が始まった頃からかな……。八六年には、「銀英伝」も終わりが見えてきましたので、そろそろ他の仕事もしたいなという浮気の虫が騒ぎだしたんですよ。『アルスラーン戦記』が始まり、『創竜伝』もこの年に話だけはありましたし、そう考えるとこの八六年という年は転換期でしたね。間違って結婚もしてしまった(笑)。>
そして、この田中芳樹の結婚相手というのは、田中芳樹の中国編訳作品のひとつである「隋唐演義」の翻訳にも関わっていたのだそうで、いわば、田中芳樹の仕事仲間的な一面も持っている(た?)わけです。
また、80年代の田中芳樹インタビュー記事やコラムでは文脈の中でしばしば友情出演もしており、その存在は大きくアピールされていました。
……ところが。
21世紀に入ってからというもの、田中芳樹の奥さんは田中芳樹周辺では話題に上がることすら全くなくなってしまっています。
私がこのことに気づいたのは、「らいとすたっふ」社長氏のブログ記事リンク集一覧ページを作成していた時。
あのブログ内にある記事を最初から最後まで全部閲覧し終わり、リンク集をカテゴリ別にまとめていた際、田中芳樹の奥さんについて一言でも言及している記事がひとつとして存在しなかったことが分かり、そのことに違和感を持ったことがきっかけでした。
たとえば、田中芳樹が夏の間に軽井沢の別荘で執筆活動を行っている、という記事が「らいとすたっふ」社長氏のブログでしばしば掲載されています。
奥さんは田中芳樹の過去の仕事に関わっていた経歴もあるわけですし、そうでなくても夫婦関係にあるのですから、田中芳樹の軽井沢転居に同伴しても別に何ら不思議なことではないはずです。
ところが、それらの記事を全て調べても、田中芳樹の奥さんに関する記述がどこにも存在しないのです。
特に軽井沢関連で大きな違和感を覚えたブログ記事がこれ↓
http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2004/10/post_14.html
<田中さんの山荘に着いてみれば、なんと田中さんが事前に荷造りまで済ませていた。うーん、こんなことってあるんだろうか。例年、埃にまみれて荷造りをするのだが。段ボールのなかに隙間がありすぎて、持つと驚くほど軽い。きっと、私が荷造りすれば半分の個数で済むんだろうなあ。などと思うが、そんなことを言ったらバチがあたる。
笑顔で車に荷物を積み込む。
途中、助っ人に参上した赤城さんにもお手伝いいただき、あっという間に準備は完了。来年もこうだといいなあ!>
……田中芳樹の奥さんは荷造りの手伝いを全くやっていなかったのでしょうか?
というかそれ以前に、全く奥さんについて言及すらされていませんし。
これに象徴されるように、あのブログの記事は田中芳樹の奥さんについて完全無視なスタンスを貫き通しています。
しかしだからといって、あの社長氏がその手の個人情報管理を徹底しているのかと言えばそういうわけでもなく、社長氏自身の趣味や息子さんについては素直に言及している記事もありますし、また田中芳樹がよく行くお店の名前や取材打ち合わせ等で使用したホテル名などを伏せ字なしで書いている記事も存在します。
そんなある意味とても「素直」な社長氏に、田中芳樹の奥さんに関する個人情報の、意図的かつ徹底した隠蔽工作が出来るようには、とてもじゃないですけど思えないんですよね(苦笑)。
「らいとすたっふ」ブログに見られるがごとき「21世紀以降における田中芳樹の奥さんに関する完全無言及」なスタンスは、著書の中でも確認することができます。
たとえば、アップフェルラント物語のあとがきで、田中芳樹は1990年元旦頃に当時の旧東ドイツおよび旧チェコスロバキア領ボヘミア地方へ旅行に行っていたことを告白しているのですが、そこではきちんと「妻とともにツアーへの参加を申し込んだ」と明言しています。
ところが、薬師寺シリーズのハンドブック「女王陛下のえんま帳」で言及されている、2001年頃に行ったと推察されるバンクーバー取材旅行では、田中芳樹の奥さんに関する言及は全くなし。
この取材旅行は、田中芳樹・秘書A・編集者Kを含めた6名で行われたとのことなのですが、「私たちスタッフ」という表現があることから、残りの同伴者達も「らいとすたっふ」のスタッフで構成されている可能性が極めて高いんですよね。
つまり、この取材旅行で田中芳樹の奥さんは同伴していなかったのではないかと考えられるわけです。
さらに、私が2009年末のコミックマーケット77で購入した社長氏の同人冊子「とある作家秘書の日常 2009年冬号」によれば、夏の仕事場として田中芳樹が普段愛用していた軽井沢の別荘が工事か何かで使えなくなったことから、田中芳樹・赤城毅・社長氏の【3人】で「らいとすたっふ」所有の「夏事務所」で共同生活を行っていたとのこと。
しかもそこにはこんな記述も↓
とある作家秘書の日常 2009年冬号 P4
<田中さんも赤城さんも、お一人で生活しているときにはそれなりに掃除や選択もしているハズなのですが、私という「おさんどん」がいるとなると、ほぼ、まったくなにもしなくなります(笑)。というか、お二人が選択するやり方を見ていると、そのいい加減さにこちらが耐えられなくなります。料理に関しても同じ。物語のなかでは素晴らしい世界を築き上げる才能を持っていても、実生活では落第点だと思いますわ。>
……ここでもやはり田中芳樹の奥さんについての言及がないですね。
というより、どうも今現在の田中芳樹は一人暮らしをしていると言わんばかりなのですが。
では田中芳樹の奥さんは今現在どうしているのか?
その手の情報については、別居・離婚・死別といった事象も含め一切公表されていません。
しかし、1999年や2009年に田中芳樹が体調不良になった、という一種の「個人のプライバシー」に属するかもしれないであろう話は、社長氏のブログや同人冊子ではっきりと言及されていたりします。
ましてや、田中芳樹の奥さんは一種の「仕事仲間」でもあるわけですし、あえて鬼畜な発想で言わせてもらえば、奥さん絡みの問題を理由に己の遅筆の言い訳と正当化を主張する、という手法だって田中芳樹的には取れないこともないのですから、本来ならば大々的に公表されても不思議ではないことなのではないでしょうか。
果たして田中芳樹の奥さんは今現在、生きているのか死んでいるのか?
また生きているとしたら、その所在は何処にあるのか?
そして生死を問わず、その安否は何故全く公表されないのか?
実在しているはずの人間が、周囲によって存在自体すらも「なかったもの」として扱われる。これはちょっとした寒気を感じる怪談系ミステリーなお話であると言えるのではないでしょうか。
まあこういうネタって、もし今後真相が公開されたら「何だ、そんなことか」の一言で終わってしまうシロモノでしかないのですけどね(苦笑)。