エステルがアルスラーンと結婚して、二人の間に生まれた子供が次のパルス王になるという展開にはなってほしくありません。
アルスラーンは即位するとき血統による王位継承を否定しました。そのアルスラーンのあとを彼の子供が継ぐという展開はずるいと思います。
エステルはルシタニア軍の一員でした。エステルが未来の王の母親になればパルスの人々は仇敵の一人に忠誠を誓わなければいけません。ルシタニアのために人生をめちゃくちゃにされた人に対してそれはあまりに残酷なことではないでしょうか。
私はエステルはアルスラーンとの関係はプラトニックで終わり、ザッハークとの戦いが終わったらルシタニアに帰国してほしいです。
そしてルシタニアで、孤児院でも開いて、他の宗教との共存する大切さを子供たちに教えてほしいです。
パルスとの人脈を利用して、孤児院の子供がパルスに留学してパルスの進んだ土木技術などの学問を学びルシタニアの発展に尽くすという展開になってほしいです。
パルスの王位はもちろんアンドラゴラスの血を引くものが継ぐのが筋だと思います。
旧王家は失政はあったものの、完全に人心を失って武力で打倒されたのではないのですから。
アルスラーンは、旧王家と自分の血統との間で、王位をめぐる争いがおきるのを未然に防ぐためにもアンドラゴラスの遺児と結婚する義務があると思います。それなのに第二部ではバカ宰相がアルスラーンに縁談を勧めとる。アンドラゴラスの娘が見つからない、なんらかの理由で見つかっても結婚できないという場合の保険として、側室を勧めるというのなら話はわかるのですが。
アルスラーンは望みの大きさの割には楽をしているのだから、好きな相手と結婚するのもあきらめて政略結婚するくらいの犠牲はあってもいいのではないでしょうか。
私は作者のアスラーンの描写は下手だと思うことがあります。
アルスラーンが立てた作戦で不利な戦いで勝利したということはありません。それどころか、実際の軍事行動はほとんど部下任せです。
それなのに彼がカイ・ホスロー以来の武勲の持ち主といえるのでしょうか。
死刑にすべき罪人を減刑することが公正な裁判官のすることでしょうか。これは賄賂で裁判官が刑を軽くするよりもたちが悪いと思います。なぜなら話を聞いた人がこの事を悪いことだと思わずにいい話だと思うからです。ナルサスの懇願を振り切ってもシャガードを死刑にするのが筋だと思います。個人的な好みではそのほうがアルスラーンが魅力的に見えるのですが。
即位のときに血筋による王位継承を否定したのに、自分のあとを自分の子供が継ぐことに矛盾と罪悪感を感じる描写がないのも読んでて不愉快です。
実際問題として、アルスラーン戦記の世界では血統による最高権力の継承以外の発想が受け入れられるほど文明が進歩していないからアルスラーンが血統以外による王位継承を提案しても、実現はほとんど不可能ですし、そのような提案が仮に実現しても王位をめぐって、血統による継承よりも壮絶な争いが起こるでしょう。
それならばせめて、世襲による弊害が起こるのを最小限にとどめる制度を考えるくらいのことはしてもいいと思います。これはヒッタイト帝国やイングランドでは実際にそのような制度があったのでアルスラーンがそのようなことを考えても不自然ではないと思います。
<エステルがアルスラーンと結婚して、二人の間に生まれた子供が次のパルス王になるという展開にはなってほしくありません。>
<エステルはルシタニア軍の一員でした。エステルが未来の王の母親になればパルスの人々は仇敵の一人に忠誠を誓わなければいけません。ルシタニアのために人生をめちゃくちゃにされた人に対してそれはあまりに残酷なことではないでしょうか。
私はエステルはアルスラーンとの関係はプラトニックで終わり、ザッハークとの戦いが終わったらルシタニアに帰国してほしいです。
そしてルシタニアで、孤児院でも開いて、他の宗教との共存する大切さを子供たちに教えてほしいです。
パルスとの人脈を利用して、孤児院の子供がパルスに留学してパルスの進んだ土木技術などの学問を学びルシタニアの発展に尽くすという展開になってほしいです。>
失礼ですが、上記の批判内容はあまりにも先走り過ぎて「まだ書かれてもいないことを主観的な想像に基づいて批判する」愚に陥ってはいませんでしょうか? エステルは第一部7巻で国王イノケンティス7世の遺骨を抱えてルシタニアに帰国したきり、第二部の8~10巻にかけては1度たりとも作中に登場してすらおりませんが。
それに10巻までの時点では、まだアルスラーンとエステルが結婚することが将来的に確定しているわけでもないのですから、それをあたかも確定事項のごとく決めつけて批判するのは問題があるのでは?
<パルスの王位はもちろんアンドラゴラスの血を引くものが継ぐのが筋だと思います。
旧王家は失政はあったものの、完全に人心を失って武力で打倒されたのではないのですから。
アルスラーンは、旧王家と自分の血統との間で、王位をめぐる争いがおきるのを未然に防ぐためにもアンドラゴラスの遺児と結婚する義務があると思います。それなのに第二部ではバカ宰相がアルスラーンに縁談を勧めとる。アンドラゴラスの娘が見つからない、なんらかの理由で見つかっても結婚できないという場合の保険として、側室を勧めるというのなら話はわかるのですが。
アルスラーンは望みの大きさの割には楽をしているのだから、好きな相手と結婚するのもあきらめて政略結婚するくらいの犠牲はあってもいいのではないでしょうか。>
アルスラーンの結婚問題に関しては、アルスラーン戦記8巻で以下のように語られている箇所があります↓
アルスラーン戦記8巻 P156~P157
<エラムはナルサスから話を聞いたことがある。国王の結婚は政治上のできごとであり、好き嫌いだけではどうにもならぬ。どうせ政略結婚であるなら先王の遺児と、という選択もあろう、と。
アンドラゴラス王とタハミーネ王妃との間に生まれた女児が結婚してさらに子を産み、その子が男児であれば、王位を継承する資格がある。そしてその子の父親がアルスラーンであれば、新旧ふたつの王朝は血によって確実に結びつくことになる。「正統の血脈」などというものを、ナルサスはばかばかしく思っているが、政治的に無意味ではないことを知ってもいた。憎みあい抗争していたふたつの王家が、婚姻によって融和したという例は諸国にある。>
さらには上記内容を元にして、アルスラーンとナルサスとダリューンが次のような会話を交わしている描写も存在します↓
アルスラーン戦記8巻 P172~P174
<ナルサスが一言ありげにアルスラーンを見やった。
「王太后の娘御を探しだして、陛下はどうなさるおつもりですか」
「むろん母上と再会してもらう」
「そのあとは?」
「私にとっても義理の姉妹にあたる人だ。王族としての待遇をあたえ、いずれ幸福な結婚をしてもらうつもりだが」
「結婚とはどなたと?」
「先走るのだな、ナルサスは」
さすがにアルスラーンがあきれると、苦笑まじりにダリューンが事情を説明した。アンドラゴラス王とタハミーネ王妃との間に生まれた娘を、アルスラーンと結婚させ、新旧両王家の血を結びつける、というナルサスの構想があることを。
「そんなことは考えてもみなかった」
アルスラーンは正直におどろいた。そもそも、タハミーネの娘をまったく知らないのだから、むりもない。ナルサスにしても、こういう考えがある、というだけで、強制しているわけではなかった。アルスラーンがその気になったところで、相手が承知するとはかぎらぬし、また相手が容姿はともかく性格が悪すぎたりしたら困るというものである。アルスラーンも迷惑であろうし、そのような女性を王妃とあおぐ国民も迷惑である。
「いま申しあげたことは、すべて政略から来ております。ですが、政略において正しいことが、人倫において正しいとはかぎりませぬ」
「人倫というと?」
「陛下ご自身の御意が問題。お好きな女性がおありなら、その方と結ばれるのが人倫と申すもの」
「そのような女はおらぬ」
「存じてはおりますが今後はどうなるか。政略結婚をおこなった上、お好きな女性は愛妾に、というようなことができるほど、陛下はご器用ではいらっしゃいませんからな」
当人の前で主君をあげつらう。世にこれほどの楽しみはない、というのが、ナルサスの語るところであった。
「むしろ当分、独身であられるほうが、外交的にはよろしいかもしれませぬ。陛下のご結婚を、諸国に高く売りつけることもできますからな」
パルスが今後ますます富強の大国となり、その国王が独身ということになれば、周辺諸国はどうするか、戦って勝つことが不可能であれば、和を結ぶことを考えるであろう。それには婚姻政策が一番よい。諸国列王はあらそってアルスラーンに縁談を申しこんでくるだろう。そうなればパルスがわはよりどりみどり、どこの国の王女でも選ぶことができる。
「なるほど、高く売れそうだな」
アルスラーンは苦笑せざるをえない。
「だがそうなるとむずかしいぞ。どのみち誰かひとりを選ばなくてはならないだろう。とすると他の国からは当然うらまれるし、外交もやりづらくならないか」
するとナルサス波及に何かに気づいたようすで頭をかいた。
「陛下、どうやらわれわれは、まだ咲いてもおらぬ花の色について議論しているようでございますな。ほどほどにしておくといたしましょうか」>
↑とこのように、アルスラーン戦記における作中人物達は、アルスラーン自身も含めて「国王の結婚」というものを結構多角的に考えてはいるようですので、結婚問題について言及するのであれば、これらの記述を踏まえた上で批判するのがよろしいのではないかと。
それからアルスラーンとエステルの結婚についてですけど、これも実は必ずしも「へのへのもへじ」さんが仰るほどの無理難題というわけでもないのですよ。これは人倫的な要素と政略的な要求の双方を完全に満たす方法がひとつありまして、ウソでも良いから適当な証拠をでっち上げてエステルを「彼女こそアンドラゴラス王とタハミーネ王妃の娘である」と「パルス国王の名で」宣言&認定してしまえば良いのです。どうせ「アンドラゴラス王とタハミーネ王妃の娘」なる存在の詳細な情報などは最初から何も分かっていないわけですから、外部の人間が真偽の確認をしようにもできようはずがありません。あとはエステル本人と王太后であるタハミーネを説得し、もっともらしく振舞わせれば全ては円満解決ではないかと。
この策はエステルに限らず、アルスラーンが好きになった女性に対して無差別に当てはめることができますから、結婚問題も案外簡単に解決してしまうような気がしてなりませんね。
<アルスラーンが立てた作戦で不利な戦いで勝利したということはありません。それどころか、実際の軍事行動はほとんど部下任せです。
それなのに彼がカイ・ホスロー以来の武勲の持ち主といえるのでしょうか。>
もちろん言えますよ。王朝に限らず、組織というものは全て「上司は部下に対して決断と命令の責任を負う」を基本原則として成り立っているのですから。
作中でもそのことについて言及されている箇所はいくつか存在します。
アルスラーン戦記3巻 P18
<すべての手配をすませてから、ナルサスはアルスラーンに事情を説明し、彼の手配に対する承諾を求めた。王子は答えた。
「ナルサスが決めてくれたことなら、私に異存ない。いちいち許可など求めなくてもよい」
ダイラム地方の旧領主である若い軍師は、自分を信頼してくれる王子に笑いかけた。
「殿下、策をたてるのは私の役目でございますが、判断と決定は殿下のご責任。ごめんどうでも、今後とも、いちいちご許可をいただきます」
「わかった。だが、今夜のこと、ひとたび城門をでたら、おぬしとダリューンとのやりやすいようにやってくれ」>
アルスラーン戦記9巻 P165~P166
<「陛下には、ここをお動きになりませぬよう」
傍にひかえるファランギースがいう。アルスラーンが血気にまかせてむやみに動くようなことがあれば、ナルサスの軍略がくずれてしまうのだ。
「わかった」
アルスラーンがうなずくと、黄金の冑から雨水が落ちて小さな流れをつくった。彼は実戦を指揮するためではなく、戦いの結果に責任をとるために、ここにいた。ナルサスやダリューンがあえて口にしなかったことを、アルスラーンは承知していた。>
これらの記述を見れば分かる通り、アルスラーンはアルスラーンで、他の誰によっても代替できない「国王ないしは最高司令官としての『判断と決定』の責任」をきちんと果たしているのですし、これは実のところ、実質的に策略を立てて軍を指揮するナルサスや、前線で武勇を振るうその他の武将よりもはるかに重い責任であるといっても過言ではありません。もちろん、万一戦いで敗北するようなことがあれば、その敗戦責任は全て最高司令官であるアルスラーンが背負わなければならないのです。実質的に戦場指揮したナルサスその他の武将に対する処罰などの問題は、それ以降に発生する話です。
「部下に戦闘指揮の権限を全面的に委譲する」という「判断と決定」を、最高司令官としての責任において下し、それによって連戦連勝を重ね、パルスをルシタニアの侵略から解放したという一事において、アルスラーンは「カイ・ホスロー以来の武勲の持ち主」と評される資格があるのです。
<死刑にすべき罪人を減刑することが公正な裁判官のすることでしょうか。これは賄賂で裁判官が刑を軽くするよりもたちが悪いと思います。なぜなら話を聞いた人がこの事を悪いことだと思わずにいい話だと思うからです。ナルサスの懇願を振り切ってもシャガードを死刑にするのが筋だと思います。個人的な好みではそのほうがアルスラーンが魅力的に見えるのですが。>
まあこれに関しては私個人としてもある程度同意するのにやぶさかではありませんが、一方では作中にもこういう記述が存在するんですよね↓
アルスラーン戦記8巻 P163
<「殺すべきところを生かしておいたばかりに後で苦労することになる。今後はさっさと殺してしまうとしよう」
かつてルシタニアの王弟ギスカール公が、難局のなかでそう決意したことがある。アルスラーンにつかえて以来、ダリューンも、ときとしてそう思うことがあった。シャガードにしても、あっさり殺してしまっておけば、外国で策謀をめぐらすような所業もできぬであろうに。だが、アルスラーンが眉ひとつ動かさず、とらえた敵を殺してしまえるような人物だとしたら、ダリューンやナルサスが心をくだいて補佐する必要もないだろう。
「長所と短所はひとつのものだ。陛下の短所をあげつらって長所をつぶしてしまうほうがよほどこわい」
ダリューンはそう思う。その点をむろんナルサスは心えており、「シャガードを殺しておけば」とはいわない。何といっても旧友である。同時に、彼が生きて策動しているとあれば、パルス国のために利用しようという冷徹さもナルサスにはあるのだ。>
とまあこのように作中人物達もまた「アルスラーンは甘い」ということを自覚しており、その上で「長所と短所はひとつのものだ。陛下の短所をあげつらって長所をつぶしてしまうほうがよほどこわい」というセリフが続くわけですから、「アルスラーンの甘さ」を批判するのであれば、これを踏まえた上で批判した方が良いのではないかと。
ちなみに、例のアルスラーンのシャガードに対する「一年間だけ奴隷になれ」という判決は、「教育刑」としての側面が大きいように思いますね。貴族として奴隷制度を全面的に肯定していたシャガードに対して「ではお前自身が奴隷として惨めな生活を送ってみろ」と突きつけ、間違いに気づかせようとした、というわけで。
<即位のときに血筋による王位継承を否定したのに、自分のあとを自分の子供が継ぐことに矛盾と罪悪感を感じる描写がないのも読んでて不愉快です。
実際問題として、アルスラーン戦記の世界では血統による最高権力の継承以外の発想が受け入れられるほど文明が進歩していないからアルスラーンが血統以外による王位継承を提案しても、実現はほとんど不可能ですし、そのような提案が仮に実現しても王位をめぐって、血統による継承よりも壮絶な争いが起こるでしょう。
それならばせめて、世襲による弊害が起こるのを最小限にとどめる制度を考えるくらいのことはしてもいいと思います。これはヒッタイト帝国やイングランドでは実際にそのような制度があったのでアルスラーンがそのようなことを考えても不自然ではないと思います。>
これに関しても、上の方で引用した「アルスラーン戦記8巻 P156~P157」でナルサス自身が明言しているように、彼らは「血筋による王位継承」をバカバカしいとは考えていても否定しているわけではありませんし、政略結婚の可能性だって示唆されています。
そして、彼らがこのような考えでいるからこそ、作中で宰相ルーシャンがアルスラーンに対して執拗に結婚を勧め、新王朝を安泰させようとする描写が存在するのではないですかね? 「バカバカしいけど重要なこと」というあり方は充分にありえるわけで、これは矛盾している話とは言えませんが。
作中にかくのごとく明確な記述が存在する以上、上記文章はそもそも前提条件自体が間違っており、批判として成立していないのでは?
王朝の創始者は大半は非凡な軍事的政治的才能の持ち主です。
そうでないのは劉邦と劉備くらいしか私は知りません。
だから私は、カイ・ホスローも非凡な軍事的政治的才能の持ち主だったと私は推測しています。
最初は一人でザッハーク打倒を打倒する計画を立てたけど、誰もついてきませんでした。
料理人を味方にして、三百六十五人の人々を救出する作戦も自分で考えて実行したのでしょう。
このことからも彼が自身も頭がいいのは立証されます。
統率力も抜群です。徒手空拳の身から最後にはザッハークを打倒したのですから。
確かにアルスラーンは統率力ではカイ・ホスローに引けは取らないと思います。
でも軍の指揮官としての実績は比べ物にならないのではないでしょうか。
カイ・ホスローは自身も優れた武将で、不利な戦いを彼の立てた作戦で勝てたことも何度もあったと思います。
抜群の統率力+自身の指揮官としての実績この二つがなければ私は私はアルスラーンが、カイ・ホスローに匹敵する武勲の持ち主とは認めません。
私がエステルとアルスラーンが恋人同士になるのではと予想したのは次の理由からです。
田中作品では、男女関係については意外性がないからです。
ラインハルト・キルヒアイス・ヤン・ユリアン・ヒルメス・リドワーンみんな大半の読者が予想した女性と結婚・相愛の関係なりました。
だから、今度もそうじゃないかなと思ったんです。
それにエステルはカイ・ホスローの墓にも同行してますし。
二人が惹かれあっていると推測できる描写もしっかりありますし。
やはり私はエステルとアルスラーンの結婚は、エステルが本当にアンドラゴラスの実の娘でない限り困難だと思います。
タハミーネは娘を愛しています。その彼女が偽者を本物と認めるようなことをするでしょうか。
その後に実の娘が見つかったら、彼女の娘は抹殺される可能性があります。アルスラーンが反対しても、部下の誰がが実行する可能性は大です。
タハミーネをだますのですか。でもうそがばれたらどうします。その前にタハミーネを毒殺でもするのですか。
それにエステルをアンドラゴラスの実子に仕立て上げることも無理だと思います。
大抵のパルス人はルシタニア人に対する反感があまりに強いから嘘をついているのではと疑うと思います。
その疑いを打ち消すためにエステルの過去をでっち上げる。例えばエステルはマルヤム人とか。そのような工作は失敗するでしょう。アルスラーンの軍にいたルシタニア人の集団のことを覚えているパルス人は結構いるし、エクバターナにも貸家にいたルシタニア人たちのことを覚えている人たちもいることでしょう。
他の女性をアンドラゴラスの娘に仕立て上げることはタハミーネをだませば可能ですが、エステルは無理でしょう。
アルスラーンの即位に反対するものはアンドラゴラスの遺志をないがしろにするものであるという論理でナルサスは、アルスラーンの即位に反対する意見を封じています。
ということはアルスラーンたちは可能な限りアンドラゴラスの遺志を尊重する義務があると思うのです。
もちろん改革に反するような事はアンドラゴラスの遺志を無視してもいいと思います。
でも王位継承に関しては、将来の内戦の危機を未然に防ぐためにもアンドラゴラスの遺志を可能な限り、尊重して欲しいのです。
アンドラゴラスはおそらく自分の娘とアルスラーンを結婚させるつもりだったと思います。
そうすればタハミーネの立場を守ることもでき、自分の血筋に王位を譲れます。
アルスラーンの志を知った後は、アルスラーンを排除しようとしましたが、アルスラーンが王位を継いだ今、アンドラゴラスの霊はせめて自分の孫に未来のパルス王になって欲しいと望んでいるのではないでしょうか。
それなのにアルスラーンとのその側近は内戦の危険性を除く努力とアンドラゴラスに対する誠意が足りんと私は思うのです。
内輪で色々と検討しているだけではだめです。
アルスラーンの出生の秘密を発表するときに「アンドラゴラス陛下はアルスラーン陛下とご息女とのご成婚を望んでいられた」と言って欲しかったです。
ルーシャンが他の女性との結婚を勧めたら「旧王家に対して不敬である」と謹慎を申し付けるくらいのことはして欲しかったです。
側室を勧めるのはいいです。アンドラゴラスの娘と結婚できなかった場合の保険になりますから。でも正妃はだめです。
シャガードの行為には情状酌量の余地はありません。
アルスラーンが公正な裁判官ならば厳格に法を適用し彼を死刑に処すべきでした。軽犯罪ならば加害者の更生を目的とした判決を下すのもいいでしょう。
彼の判決を聞いた被害者はさぞ無念だったでしょう。それが美談としてもてはやされていることにも納得いかなかったでしょう。
彼の甘さが悪い形で発揮されたならば、そのことを指摘するのも必要なのではないでしょうか。
その程度のことでアルスラーンの長所がなくなるならば彼は王の器ではないのです。
アルスラーンの甘さが招いた災いを指摘し、彼に反省を求めないことは、アルスラーンが優しさを後の災難につなげないような判断力の持ち主になる機会を摘み取るのではないでしょうか。
>アルスラーンの武勲について
<確かにアルスラーンは統率力ではカイ・ホスローに引けは取らないと思います。
でも軍の指揮官としての実績は比べ物にならないのではないでしょうか。
カイ・ホスローは自身も優れた武将で、不利な戦いを彼の立てた作戦で勝てたことも何度もあったと思います。
抜群の統率力+自身の指揮官としての実績この二つがなければ私はアルスラーンが、カイ・ホスローに匹敵する武勲の持ち主とは認めません。>
ではあなたは、アルスラーンが自分の力量をわきまえずに戦場で直接指揮を取ったり、前線に出て戦ったりした結果、戦死してしまったり、戦いに敗北したり、無用の戦死者を出したり、最悪の場合は亡国の憂き目を見たりした方が良かったとでも言うのですか? 言うまでもありませんが、そんなことをするような者は本当の意味で無能な人間でしかないでしょう。
アルスラーンはそのような愚に陥ることなく、ナルサスの意見を全面的に信頼して採用することを「最高司令官としての責任において」決定し、その他武将を十全に使いこなすことができたからこそ、戦争を勝利に導くことができたのですから、彼は自分の力量をわきまえ、自分の役割をきちんと果たしていたと言えるのですし、またいくらナルサスが知略に優れ、その他の武将が武勇に長じていたとしても、アルスラーンという「頭」がなければ彼らの知略や武勇も全く発揮することができず、「宝の持ち腐れ」でしかなくなるのですから、カイ・ホスローに匹敵する武勲の持ち主と評価される資格は充分に存在するのです。
逆に「抜群の統率力+自身の指揮官としての実績」を兼ね備えていたはずのアンドラゴラス王や、パルスに侵攻したトゥラーン国王トクトミシュなどが、作中でどのような敗北を喫していたかを振り返ってみてください。前者は第一次アトロパテネ会戦で、後者はペシャワール城塞攻防戦で、それぞれ敵の姦計にはまり、国家の土台を揺るがすほどの圧倒的惨敗を喫していたではありませんか。「政治は結果のみが評価される」という観点から考えても、アルスラーンの方が彼らよりも優れた最高司令官であることは明白でしょう。
最高司令官としての責任の重みに比べれば、たかが「自身の指揮官としての実績」などどうでも良いようなシロモノでしかありません。むしろ、なまじそれを誇ったアンドラゴラス王やトクトミシュ王などのように、それに溺れて結果として敗北してしまう事の方が余程問題であると思いますけどね。
>エステルについて
<私がエステルとアルスラーンが恋人同士になるのではと予想したのは次の理由からです。
田中作品では、男女関係については意外性がないからです。
ラインハルト・キルヒアイス・ヤン・ユリアン・ヒルメス・リドワーンみんな大半の読者が予想した女性と結婚・相愛の関係なりました。
だから、今度もそうじゃないかなと思ったんです。
それにエステルはカイ・ホスローの墓にも同行してますし。
二人が惹かれあっていると推測できる描写もしっかりありますし。>
「男女関係についての意外性がない」云々の話などどうでも良いことです。私が言いたいのは、いくら精度が高かろうが、現時点ではまだ実現の可能性すらも示唆されていない内容を先読みするだけならまだしも、それに基づいて作品批判まで展開するのは行き過ぎだし、愚かな話でしかない、ということですよ。ましてや、作中で色々な可能性が(たとえ形だけだったとしても)示唆されているのであればなおのことです。
第一、万が一予測が外れてしまうという可能性だってゼロとは言い切れないのですけど。
<タハミーネは娘を愛しています。その彼女が偽者を本物と認めるようなことをするでしょうか。
その後に実の娘が見つかったら、彼女の娘は抹殺される可能性があります。アルスラーンが反対しても、部下の誰かが実行する可能性は大です。
タハミーネをだますのですか。でもうそがばれたらどうします。その前にタハミーネを毒殺でもするのですか。
それにエステルをアンドラゴラスの実子に仕立て上げることも無理だと思います。
大抵のパルス人はルシタニア人に対する反感があまりに強いから嘘をついているのではと疑うと思います。
その疑いを打ち消すためにエステルの過去をでっち上げる。例えばエステルはマルヤム人とか。そのような工作は失敗するでしょう。アルスラーンの軍にいたルシタニア人の集団のことを覚えているパルス人は結構いるし、エクバターナにも貸家にいたルシタニア人たちのことを覚えている人たちもいることでしょう。
他の女性をアンドラゴラスの娘に仕立て上げることはタハミーネをだませば可能ですが、エステルは無理でしょう。>
万が一タハミーネが偽者を「本物」と認めさせる障害になりえると言うのであれば、最悪の場合その「タハミーネ抹殺」をも含めて考える必要はあるでしょう。で、それに何か不都合や問題でもあるのですか? 「人倫にもとる」なんて反論は止めてくださいよ。それを言うのなら政略結婚だって充分に「人倫にもとる」行為なのですから。
それにどうしてもタハミーネの本当の子供も捜したいと言うのであれば、いっそのこと、タハミーネの子供の数そのものを水増しするという方法もありますけどね。二卵性双生児とか3つ子として設定するとか。そうすれば、詐称に何の支障もなく、かつタハミーネの本当の子供を引き続き捜すこともできるわけで、一石二鳥です。タハミーネも納得するでしょう。
それからエステルの出自が問題であるのならば、「アンドラゴラス王に捨てられた後に諸国を流浪した末、ルシタニアにたどり着き、そこの養親に拾われた」とかいった類の「美談」でもついでにでっち上げれば簡単に解決するでしょう。どうせ捨てられた後にどこで何をしていたかなど、母親であるタハミーネも含めて誰にも分かるはずがないのですから、これで特に問題はないかと。
タハミーネの子供に関する詳細な情報が判明しているわけでも、巷に広がっているわけでもない以上、いくらでも詐称する余地はありますし、それで特に問題が発生するようには思えませんが。
>アルスラーンの結婚について
<アルスラーンの即位に反対するものはアンドラゴラスの遺志をないがしろにするものであるという論理でナルサスは、アルスラーンの即位に反対する意見を封じています。
ということはアルスラーンたちは可能な限りアンドラゴラスの遺志を尊重する義務があると思うのです。
もちろん改革に反するような事はアンドラゴラスの遺志を無視してもいいと思います。
でも王位継承に関しては、将来の内戦の危機を未然に防ぐためにもアンドラゴラスの遺志を可能な限り、尊重して欲しいのです。
アンドラゴラスはおそらく自分の娘とアルスラーンを結婚させるつもりだったと思います。
そうすればタハミーネの立場を守ることもでき、自分の血筋に王位を譲れます。
アルスラーンの志を知った後は、アルスラーンを排除しようとしましたが、アルスラーンが王位を継いだ今、アンドラゴラスの霊はせめて自分の孫に未来のパルス王になって欲しいと望んでいるのではないでしょうか。
それなのにアルスラーンとのその側近は内戦の危険性を除く努力とアンドラゴラスに対する誠意が足りんと私は思うのです。>
何か言っていることが支離滅裂ですね。「アンドラゴラスの遺志を尊重する義務がある」と発言したかと思えば、そのすぐ下で「改革に反するような事はアンドラゴラスの遺志を無視してもいい」と述べたり、「アンドラゴラスの霊」などというわけの分からないシロモノを持ってきたり。「アンドラゴラスの遺志」とやらをあまりにもご都合主義的に使い分けしすぎていますし、作中記述に基づかない推測まででっち上げられて批判されても「はあ?」としか思えないのですけど。生前に明らかにされなかった「アンドラゴラスの遺志」を忖度するなど、それこそ霊媒師でも使って「アンドラゴラスの霊」とやらを憑依させて直接尋ねたりしない限り不可能な話ですし、仮にそんなことをしたところで、政治的には全く意味のない不毛な行為でしかないでしょうに。
これに関しては前の投稿でも述べた通りですよ。アルスラーン達は血筋による王位継承を「バカバカしい」とは思っていても否定しているわけではなく、だからこそ宰相ルーシャンなども「新王朝の血筋を安定させるために」アルスラーンに対して結婚を勧めているのだと。第一、作中にも「アルスラーンが新王朝の始祖として認められつつある」といった類の記述がありましたし、旧王朝の血筋に何が何でも固執しなければならない必然性はないのでは?
>アルスラーンの甘さについて
これに関しても前の投稿で「私個人としてもある程度同意するのにやぶさかではありませんが」と主張していますし、また作中にも「アルスラーンの甘さ」を指摘する描写があると述べた通りです。ここで私が特に付け足すことは何もないですね。
ただ、ひとつだけ言っておきますが、作中でも明確に書かれていることと同じ内容を、ただ鸚鵡返しのように述べたところで、それは結局のところ、まわり回って作品の正しさを肯定しているだけでしかありませんので、作品批判論としては決して有効打とはならないでしょう。それでも批判する、というのであればそれはあなたの自由ですので止めるつもりはありませんが。
冒険風ライダーさんは、私がカイ・ホスローが指揮官としてはアルスラーンとは比べ物にならないほど優秀だということ推測していることに反論はしていません。
それならばアルスラーンとカイ・ホスローが戦ったとします。
それもほぼ互角の条件でです。兵力も幹部の質もほぼ拮抗していたら、アルスラーンはカイ・ホスローにまず勝てないでしょう。
戦争で得た成果がほぼ同じの二人の最高司令官の優劣を論じる場合は、最高司令官の資質以外にも、軍の指揮官としての資質も論じるべきです。
最高司令官としての質に甲乙がつけがたいのならば、軍の指揮官として優秀な人物のほうを武将として優秀だと判断してもいいと思います。
お久しぶりです。
ようやく時間がとれたので、久しぶりに書き込みさせていただきます(^-^)。
<冒険風ライダーさんは、私がカイ・ホスローが指揮官としてはアルスラーンとは比べ物にならないほど優秀だということ推測していることに反論はしていません。
それならばアルスラーンとカイ・ホスローが戦ったとします。
それもほぼ互角の条件でです。兵力も幹部の質もほぼ拮抗していたら、アルスラーンはカイ・ホスローにまず勝てないでしょう。
戦争で得た成果がほぼ同じの二人の最高司令官の優劣を論じる場合は、最高司令官の資質以外にも、軍の指揮官としての資質も論じるべきです。
最高司令官としての質に甲乙がつけがたいのならば、軍の指揮官として優秀な人物のほうを武将として優秀だと判断してもいいと思います。>
はじめまして、へのへのもへじさん。
まず初めに、ちょっとお聞きしてみたいんですけど、あなたは田中氏の「銀河英雄伝説」はお読みになっておられないのでしょうか?
その作品の中で、田中氏は主人公の一人であるヤン・ウェンリーに、部下であるシェーンコップから
「もしローエングラム公(ヤンの宿敵でもう一人の主人公です)とまったく互角の条件で戦ったら勝てると思いますか?」
という内容の質問を受けた際に、
「戦略的にまったく無意味な仮定だ」
と、バッサリ切り捨てさせました。個人的に、この台詞は銀英伝の中でもベスト3に入る名言だと思っています。つまり、アルスラーンとカイ・ホスローが指揮官としてまったく同じ条件で競い合うなどというifも「まったく無意味な仮定」だとわたしは思いますけど。
一連の投稿を拝読していると、あなたが主張したいことの大意は「アルスラーンはカイ・ホスローと比べ優秀な部下に支えられているだけで、指揮官としての才能も自分自身の武勲もなく、王としての資質を疑ってしまう」ということのようですけど、そのような解釈は「アルスラーン戦記(もしくはアルスラーン自身)」という作品の魅力を誤読しているだけのように、少なくともわたしの目には見えます。
そもそも、田中氏はあの作品で「真の王の器」というものを「武力」や「戦闘指揮能力」などで量るような意図はなかったと思います。
確かに、ダリューンやナルサスの能力は飛び抜けて高く、他にも多くの勇将がアルスラーンの麾下にいます。トップがアルスラーンでなくとも、数多の戦争に勝ち抜けたかもしれません。しかし、ここには重要な事実として、「それらほとんど全ての人材はアルスラーンという人間の人格的な魅力に惹かれて集まった」というものがあります。アルスラーンがトップでなければ、ナルサスはもちろん、ギーヴといった自由人などは特定の君主に仕えようとは絶対に思わなかったでしょう。ストーリーの展開上、アルスラーンはジャスワントやトゥラーンといった、もともと敵国の異国人であった人材までをも、その人格的魅力からついには敵愾心を忠誠心に変えさせています。こんなことを、カイ・ホスローやアンドゴラス王が実行できたでしょうか?
そして、アルスラーンの功績で最も特筆すべきことは、即位後にパルス国内の奴隷を解放したという「解放王」の異名からくる奴隷制度を撤廃した先見性のある優れた政治的判断でしょう。身一つで蛇王からパルスを救い、武力で国内を統一して祖国を復興したカイ・ホスローも偉大ですが、今まで誰にも成しえなかった古い制度の打破をアルスラーンもやってのけたのです。軍略・政略に長けたナルサスでさえ、アルスラーンの王器には時として驚くことがあるほどでしたよね、確か。
つまり、カイ・ホスローが戦闘指揮官としてアルスラーンより優れていたとしても、アルスラーンにはそれと同等以上に価値のある「人材の発掘と彼らの優れた用い方」や「人格的吸引力(一種のカリスマ性)」という組織の長としての美点をもっていて、後の「国王」となった二人を「軍の最高司令官」として数ある王器の一つ才能の優劣だけで論じる意味はないと思います。「アルスラーン戦記」を普通に読めば、主人公・アルスラーンが仲間とともに幾多の危難を乗り越えて人格的に成長し、当代に冠する立派な国王になる過程が描かれているのがわかるでしょう。戦争による戦闘シーンが多いので軍事面での描写の比重が高い作品でもありますけど、決して戦上手の武将(将来の国王)が天下統一を目指して転戦させる…などいったことが田中氏の真意やテーマの作品ではないはずです。
平たく言うと、
「才能はそれぞれ違うが、成し遂げた業績は両者ともに大きく、カイ・ホスローもアルスラーンもどっちも偉い」
ということではありませんか?
それでも尚、アルスラーンとカイ・ホスローを軍の最高司令官として比較したいとおっしゃるなら、その意味や意義を教えて下さいませんか?今日において、例えば日本史で源頼朝と徳川家康を「最高司令官(武将・指揮官)として比べて優劣をつける」などいった論文や研究が存在することを、残念ながらわたしは寡聞にして知りません。それくらい無意味な論議だと思いますけど、おわかりになれませんか?
あと、最後に。
最終的にご自分が何を言いたいのか、もっとはっきりわかる文章を書かれたほうがいいと思います。アルスラーン戦記を作品として批判されているのか、ただ単に自分の好みに合わないストーリー展開が好きになれないだけなのか。あなたの文章を何度読み返しても、そのどちらなのか理解できないものですから。前者なら、作品テーマに外れた議論であまり意味はないと思われますし、後者であれば、誤読だとは思うけど、好き嫌いは個人の自由なのであなたはあなたの解釈を貫けばいいでしょう、ただし、その解釈を第三者が肯定するかどうかは別問題です。
> >エステルについて
> 万が一タハミーネが偽者を「本物」と認めさせる障害になりえると言うのであれば、最悪の場合その「タハミーネ抹殺」をも含めて考える必要はあるでしょう。で、それに何か不都合や問題でもあるのですか? 「人倫にもとる」なんて反論は止めてくださいよ。それを言うのなら政略結婚だって充分に「人倫にもとる」行為なのですから。
偽者を本物に仕立て上げるためにタハミーネを抹殺したのがばれた場合、あるいはそう疑われても仕方のない状況になってしまった場合アルスラーンは内心自分の即位が正統なものでなかったと認識していたと思われる危険性があります。
「アルスラーンは自分の即位の不当さを知っていた。だから自分の妃がアンドラゴラスの娘という嘘をでっち上げようとした。そのために邪魔なタハミーネ王太妃アルスラーンは非道な簒奪者である。」とアルスラーンに敵対する者たちにアルスラーンを攻撃する口実を与えます。
> それにどうしてもタハミーネの本当の子供も捜したいと言うのであれば、いっそのこと、タハミーネの子供の数そのものを水増しするという方法もありますけどね。二卵性双生児とか3つ子として設定するとか。そうすれば、詐称に何の支障もなく、かつタハミーネの本当の子供を引き続き捜すこともできるわけで、一石二鳥です。タハミーネも納得するでしょう。
タハミーネは納得しないと思います。その提案を認めたら将来彼女の子孫が命の危機にさらされる可能性があるからです。
アルスラーンと偽者に子供が生まれたとします。表向きは旧王家の血を引いている人物です。しかし実際はそうではありません。このような人物は、本当に旧王家の血を引いている者を自分に対する脅威とみなしても不思議ではありません。
もしそうなったら旧王家の血を引くものは、何らかの形で抹殺されるでしょう。
> それからエステルの出自が問題であるのならば、「アンドラゴラス王に捨てられた後に諸国を流浪した末、ルシタニアにたどり着き、そこの養親に拾われた」とかいった類の「美談」でもついでにでっち上げれば簡単に解決するでしょう。どうせ捨てられた後にどこで何をしていたかなど、母親であるタハミーネも含めて誰にも分かるはずがないのですから、これで特に問題はないかと。
> タハミーネの子供に関する詳細な情報が判明しているわけでも、巷に広がっているわけでもない以上、いくらでも詐称する余地はありますし、それで特に問題が発生するようには思えませんが。
ルシタニアに対するパルス人の憎悪は、事の真偽に対する徹底的な調査を実行すると思います。
エステルが住んだことがあると言っている場所にはすべて現地調査がなされると思います。エステルに対しても徹底的な尋問が行われると思います。
その過程で、証言に対する矛盾を発見したりアルスラーンの部下が何か工作していたことを突き止めエステルが偽者であることを見破るのではないでしょうか。
> >アルスラーンの結婚について
> 何か言っていることが支離滅裂ですね。「アンドラゴラスの遺志を尊重する義務がある」と発言したかと思えば、そのすぐ下で「改革に反するような事はアンドラゴラスの遺志を無視してもいい」と述べたり、「アンドラゴラスの霊」などというわけの分からないシロモノを持ってきたり。「アンドラゴラスの遺志」とやらをあまりにもご都合主義的に使い分けしすぎていますし、作中記述に基づかない推測まででっち上げられて批判されても「はあ?」としか思えないのですけど。生前に明らかにされなかった「アンドラゴラスの遺志」を忖度するなど、それこそ霊媒師でも使って「アンドラゴラスの霊」とやらを憑依させて直接尋ねたりしない限り不可能な話ですし、仮にそんなことをしたところで、政治的には全く意味のない不毛な行為でしかないでしょうに。
私は可能な限りアンドラゴラスの遺志を尊重すべきと言っているだけで絶対にアンドラゴラスの遺志を尊重しろとは言ってません。
絶対にアンドラゴラスの遺志を尊重しろと言っているならば支離滅裂と言われても仕方ないと思いますが、私はそんなこと言ってません。
たしかに作中では、王位継承に関してアンドラゴラスははっきりと自分の意思を述べてはいません。
しかし、アンドラゴラスは最終的には自分の血筋に王位を継がせるつもりだったと推測する方が、赤の他人に王位を譲るつもりだったと考えるよりは無理がないと思います。
アンドラゴラスはタハミーネの立場を守ることと自分の血筋に王位を継がせることが両立するように行動していたと思います。
それを実現させる唯一の方法は実の娘と彼らの実子という事になっているアルスラーンが結婚し二人の間に男子が生まれることです。
アンドラゴラスに、実力も生母の身分もほぼ互角で、年齢も近い腹違いの息子が何人もいるのに、誰を王太子にするか決めないうちにアンドラゴラスが急死したというのならばともかく、今のパルス王室の現状ならば簡単にアンドラゴラスの遺志を推測できると思います。
霊媒なんかいりません。
> 冒険風ライダーさんは、私がカイ・ホスローが指揮官としてはアルスラーンとは比べ物にならないほど優秀だということ推測していることに反論はしていません。
> それならばアルスラーンとカイ・ホスローが戦ったとします。
> それもほぼ互角の条件でです。兵力も幹部の質もほぼ拮抗していたら、アルスラーンはカイ・ホスローにまず勝てないでしょう。
> 戦争で得た成果がほぼ同じの二人の最高司令官の優劣を論じる場合は、最高司令官の資質以外にも、軍の指揮官としての資質も論じるべきです。
> 最高司令官としての質に甲乙がつけがたいのならば、軍の指揮官として優秀な人物のほうを武将として優秀だと判断してもいいと思います。
互角の条件って演習?(笑)。互角にならないように政治や経済を整えるのも軍事の内なのよ。軍を動かして戦場で戦うのは軍事の最終段階であって、その局面まで行って互角って段階で仮定として無意味。互角ってのはそっくり同じクローン軍隊ってことなのかな?(笑)。○○?。
兵士に武装を支給し、訓練を施し、戦力を維持するのも軍事的資質なのよ。武将として優秀ってのはその辺も含むのよん。純粋に一武人として優秀だってなら分かるけどね。他にもカイ君が攻めかかろうとした時に、アルスラーンが「勝てないから逃げろ」って命令したら、それはそれで武将として優秀なのよん。兵の根幹は是全勝不闘にありってのを学んでから武将の優劣を語っても遅くはないよん。
こんな曖昧な仮定を持ち出してまで、自己の意見が正しいって証明したがる理由は何なのかな?
>カイ・ホスローとアルスラーン比較の件
これに関しては、私も恵さんと同意見ですね。恵さんが引用されていた銀英伝におけるヤンの言動は私も引用しようかと考えていましたし。
そんなわけで、これに関する反論は割愛させて頂きます。
<偽者を本物に仕立て上げるためにタハミーネを抹殺したのがばれた場合、あるいはそう疑われても仕方のない状況になってしまった場合アルスラーンは内心自分の即位が正統なものでなかったと認識していたと思われる危険性があります。
「アルスラーンは自分の即位の不当さを知っていた。だから自分の妃がアンドラゴラスの娘という嘘をでっち上げようとした。そのために邪魔なタハミーネ王太妃アルスラーンは非道な簒奪者である。」とアルスラーンに敵対する者たちにアルスラーンを攻撃する口実を与えます。>
まあこれに関しては正直言って状況次第というところでしょう。タハミーネと「偽者」との会見でゴタゴタが発生し、その後すぐにタハミーネが病死ないし事故死してしまった、という状況ならば、(仮にそれが事実であったとしても)確かに疑われても仕方のない状況でしょう。
ただ、これだって事前に回避しようと思えばできないことではないのですよ。将来に備えて、今すぐタハミーネを抹殺してしまえば良いのです。そしてほとぼりが冷めた頃合を見計らって、「先王陛下と王妃の遺児が見つかった!」と宣伝し、そのことをもっともらしくタハミーネの墓前に報告するとかいった類の「感動の美談」を作ってしまうのです。これだと状況的に疑われる余地はほとんどなく、むしろ熱狂的な祝福をもって迎えられることでしょう。
まあさすがに私も、現時点ではそこまで切羽詰っていないアルスラーンやナルサスがこんな謀略を画策するとは思いませんけどね。ただ将来、アルスラーンが自分の結婚問題に際して、あくまで「政略」よりも「人倫」にこだわり続けた場合、周囲がこのような非道な策を取らなければならない事態もありえるだろう、という程度の話として受け取っていただければ、私としてはそれで結構ですよ。
<タハミーネは納得しないと思います。その提案を認めたら将来彼女の子孫が命の危機にさらされる可能性があるからです。
アルスラーンと偽者に子供が生まれたとします。表向きは旧王家の血を引いている人物です。しかし実際はそうではありません。このような人物は、本当に旧王家の血を引いている者を自分に対する脅威とみなしても不思議ではありません。
もしそうなったら旧王家の血を引くものは、何らかの形で抹殺されるでしょう。>
こんな懸念材料は、タハミーネの遺児を貴族の一員として厚く処遇することと引き換えに王位継承権を認めないことを宣言してしまえば簡単に解決する程度の問題でしかないでしょう。この条件ならタハミーネも満足するでしょうし、将来の内戦の懸念もなくなりますのでパルス国民も納得するでしょう。
第一、アルスラーンはすでに新王朝の開祖としてパルス国民から認められつつあるのですから、旧王朝の血筋など「必ずしも必要ではないが、あればそれなりに利用できる便利な道具」程度の利用価値しかないでしょう。すでにパルス王国は旧王朝がなくなっても新王朝でやっていける体制が整いつつあります。
何でこんな環境下で、しかも問題を解決できる対策があるにもかかわらず、今更旧王朝の人間を狩り出して抹殺しなければならないのですか? むしろそちらの方がはるかに愚行でしょうに。
<ルシタニアに対するパルス人の憎悪は、事の真偽に対する徹底的な調査を実行すると思います。
エステルが住んだことがあると言っている場所にはすべて現地調査がなされると思います。エステルに対しても徹底的な尋問が行われると思います。
その過程で、証言に対する矛盾を発見したりアルスラーンの部下が何か工作していたことを突き止めエステルが偽者であることを見破るのではないでしょうか。>
前にも言いましたが、そもそも「アンドラゴラス王とタハミーネ王妃の遺児」に関する詳細な情報が何も分かっていない上に民衆に全面公開されてもいない以上、真偽などそもそも誰にも分かりようがないのですよ。極端な事を言えば、仮に「本物」が現われたとしても、タハミーネ本人ですら「偽者」と見てしまう可能性さえありえるくらい、「アンドラゴラス王とタハミーネ王妃の遺児」に関する情報は何も分かっていないのです。「真実」そのものがかくのごとく曖昧なのに、一体どうやって「真偽」なるものを確認することができるというのですか?
それから「現地調査」だの「徹底的な尋問」だのと、現代民主主義社会の警察が手軽にやるみたいなことが、アルスラーン戦記の世界で簡単にできるわけがないでしょう。パルスからルシタニア本国の「現地」に行く「だけ」でも一体どれくらいの時間がかかると思っているのですか? 仮にも「王妃」になることが決まっている人間に対して、下手をすれば不敬罪にも抵触しかねない「徹底的な尋問」ができるとでも思っているのですか? 「真実」が何も分からないことも併せて、危険で重労働な割に何も得られない不毛な結果にしかならないと思うのですけど。
<私は可能な限りアンドラゴラスの遺志を尊重すべきと言っているだけで絶対にアンドラゴラスの遺志を尊重しろとは言ってません。
絶対にアンドラゴラスの遺志を尊重しろと言っているならば支離滅裂と言われても仕方ないと思いますが、私はそんなこと言ってません。
たしかに作中では、王位継承に関してアンドラゴラスははっきりと自分の意思を述べてはいません。
しかし、アンドラゴラスは最終的には自分の血筋に王位を継がせるつもりだったと推測する方が、赤の他人に王位を譲るつもりだったと考えるよりは無理がないと思います。
アンドラゴラスはタハミーネの立場を守ることと自分の血筋に王位を継がせることが両立するように行動していたと思います。
それを実現させる唯一の方法は実の娘と彼らの実子という事になっているアルスラーンが結婚し二人の間に男子が生まれることです。
アンドラゴラスに、実力も生母の身分もほぼ互角で、年齢も近い腹違いの息子が何人もいるのに、誰を王太子にするか決めないうちにアンドラゴラスが急死したというのならばともかく、今のパルス王室の現状ならば簡単にアンドラゴラスの遺志を推測できると思います。
霊媒なんかいりません。>
あなたの言う「可能な限り」とやらが、「改革に反するような事」と「王位継承」とで全く正反対の主張に繋がっていることが「支離滅裂だ」と言うのですよ。「『可能な限り』アンドラゴラスの遺志を尊重すべき」というのであれば、そもそも奴隷制度廃止やその他諸々の改革もまた行うべきではなかったのではありませんか? 何しろアンドラゴラスは生前、奴隷制度を廃止すべきと進言したナルサスに激怒した挙句、宮廷から追放するという行為まで行っていたのですから、あなたの主張に従うのであれば、彼の遺志は「可能な限り」尊重されなければならなかったでしょうに(笑)。
それから、あくまでも旧王朝の血筋を保全したいというのであれば、もっと確実な方法がひとつありますよ。非常に簡単な話で、アルスラーンがヒルメスにパルスの王位を譲渡してしまえば良いだけです。たったこれだけで旧王朝の血筋は完璧に保全できます(笑)。すくなくとも、行方不明の娘などを探すよりも、こちらの方が絶対確実な選択肢であったことは間違いないでしょう。それもせずに、「王太子」という理由だけで勝手に王位を「僭称」してしまったアルスラーンは、まさに「アンドラゴラスの遺志」をないがしろにしているとしか言いようがないではありませんか(笑)。これなどは「可能な限り」どころか、いとも簡単に行えたであろう話でしかないのですけど。
あなたの主張を究極まで突き詰めれば、結局こういう話にまで行き着かざるをえないのです。自分の主張がおかしいことに、いいかげん気づいては頂けませんかね。
それとあなたは、アルスラーン即位の際にナルサスが主張した「先王の遺志の尊重」を「選挙公約」の類か何かと根本的に勘違いしているようですが、そもそもナルサスは、「アルスラーンがカイ・ホスローの血筋を引いてはいない」ということをアルスラーンに対する政治的な攻撃材料として使用されないために、アンドラゴラスの生前にアルスラーンが王太子として立てられたという「事実」を「先王の遺志の尊重」と勝手に定義して自分達の正当性を主張しているだけに過ぎないのです。
したがって、ここで挙げられている「先王の遺志の尊重」が当てはめられるのは「アルスラーンの即位の正当性」に関してだけであり、それ以外の「先王の遺志」を尊重する必要性など、アルスラーンもナルサスも全く認めていないのです。つまり彼らは、自分達のエゴイズムのためにのみ「先王の遺志の尊重」とやらを持ち出しているのであって、それ以上のものでは全くないのですよ。そして、それこそが「政治」というものの愚かしさであり、同時に面白さでもあるのです。
亡霊だの推測だのを持ち出してまで展開しているあなたの作品批判論が、いかに愚劣で、しかも見当ハズレなシロモノであるのか、これから言っても一目瞭然なのではありませんか?
追記・要するに中国大好き田中芳樹はアルスラーンを「若くて御人好しで勇気のある劉兄貴」として設定してるのよ。劉兄貴は一対一で戦ったら項羽に勝てないよ。でもそれで劉兄貴の価値が落ちるかつったらそんな事ないでしょ。
はじめまして。面白そうなのですこしちょっかいをば。
> 私がエステルとアルスラーンが恋人同士になるのではと予想したのは次の理由からです。
私の場合はどちらかというとそうなってくれると面白いなぁという願望に近いものがありますが。
私はまぁ田中氏の気分しだいでできるだろうなと考えています。
といっても、アンドラゴラスの実子という見方ではなくて違う形から。
とりあえず真っ先に考えたのはギスカール(マルヤム王)の養女として人質半分政略半分で来るならと。
> やはり私はエステルとアルスラーンの結婚は、エステルが本当にアンドラゴラスの実の娘でない限り困難だと思います。
> タハミーネは娘を愛しています。その彼女が偽者を本物と認めるようなことをするでしょうか。
> その後に実の娘が見つかったら、彼女の娘は抹殺される可能性があります。アルスラーンが反対しても、部下の誰がが実行する可能性は大です。
> タハミーネをだますのですか。でもうそがばれたらどうします。その前にタハミーネを毒殺でもするのですか。
私もこのあたりの意見には賛成で実際そういうしちめんどくさいことをやると後々面倒になると思っています。
それならいっそ出てこない、もしくは出てきた事実を隠蔽してしまい表向きそ知らぬふりを通すというのが一番後腐れなく処理できるんじゃないかと思っています。
下手に出てくると旧勢力に利用されたり外国に担がれたりとかしそうですし。
> 大抵のパルス人はルシタニア人に対する反感があまりに強いから嘘をついているのではと疑うと思います。
> その疑いを打ち消すためにエステルの過去をでっち上げる。例えばエステルはマルヤム人とか。そのような工作は失敗するでしょう。アルスラーンの軍にいたルシタニア人の集団のことを覚えているパルス人は結構いるし、エクバターナにも貸家にいたルシタニア人たちのことを覚えている人たちもいることでしょう。
これが知られている前提で結婚する手段を考えるとすると先に書いたようにマルヤムを征服しているルシタニアとの相互の不可侵の餌として持ってくるにはいいのではないかなと思いました。
当人同士の思惑はとりあえず向こうに置いておくとして国として考えた場合パルスの歴史上王都まで奪われるというのはかなり異常な事態といえるでしょう。
最終的に追い払ったとはいえルシタニアに対して国民感情が悪いというのは想像つきます。かといって国境を接する隣国といつ戦争になるかわからないという状態を続けるよりはどこかで手打ちにする手段を考えるのもいいのかなと思います。
その場合のひとつの手段として古来より有効な手段? である政略結婚でお互いにこれからは仲良くしようとやることは十分にありえると思うのですがいかがでしょう?
物語の進行している時点においてマルヤム国境に関しては特に要害もなく、国境での防衛が不利なポイントだということもありますし、ギスカール-ボダンの抗争もけりがつきつつありますし。
私がギスカールについて過大評価しているのかもしれませんが、エステルとアルスラーンの関係? をギスカールが耳にしていたらやらないよりはという感じで仕掛けてきそうな気がします。
> 追記・要するに中国大好き田中芳樹はアルスラーンを「若くて御人好しで勇気のある劉兄貴」として設定してるのよ。劉兄貴は一対一で戦ったら項羽に勝てないよ。でもそれで劉兄貴の価値が落ちるかつったらそんな事ないでしょ。
確かにそのとおりです。項羽の戦場における指揮官としての能力の高さで劉邦の人材獲得・活用のうまさを否定することはできません。
しかし劉邦びいきの人たちが、「劉邦は指揮官としても項羽と同じくらい優秀だ」と主張したら、それは違うと言いたくなりませんか。
作中でのアルスラーンがカイ・ホスローと同じくらいの武勲の持ち主という吟遊詩人の評価は、カイ・ホスローがアルスラーンよりもパルス人が戦うことを恐れる相手に、アルスラーンが侵略軍と戦った時よりもさらに不利な状況で戦ったということを考慮に入れていないと思います。
カイ・ホスローは足掛け七年戦いました。それに対しアルスラーンが戦った期間は一年以下です。
だから私はカイ・ホスローの武勲をアルスラーンの武勲より高く評価しているのです。
> 確かにそのとおりです。項羽の戦場における指揮官としての能力の高さで劉邦の人材獲得・活用のうまさを否定することはできません。
> しかし劉邦びいきの人たちが、「劉邦は指揮官としても項羽と同じくらい優秀だ」と主張したら、それは違うと言いたくなりませんか。
ダリューンやナルサスといった有為の人材を獲得・活用し、侵略者の手から祖国を解放させたアルスラーンに対し、「アルスラーンは自分で指揮をしていないのでカイ・ホスローの武勲よりも劣る」と主張する人がいたら、それは違うと言いたくなりませんか。
> 作中でのアルスラーンがカイ・ホスローと同じくらいの武勲の持ち主という吟遊詩人の評価は、カイ・ホスローがアルスラーンよりもパルス人が戦うことを恐れる相手に、アルスラーンが侵略軍と戦った時よりもさらに不利な状況で戦ったということを考慮に入れていないと思います。
解放されたパルスの民衆がアルスラーンの業績を指して「英雄王に比肩する」と見なしてるんだから問題ないんじゃないですか?
大体、カイ・ホスローの苦難が具体的にどれくらいのものだったか、読者には最低限の情報しかわからないでしょ。何であなたはカイ・ホスローの苦難に比べてアルスラーンのそれの方が低いって主張できるのかな?
> カイ・ホスローは足掛け七年戦いました。それに対しアルスラーンが戦った期間は一年以下です。
> だから私はカイ・ホスローの武勲をアルスラーンの武勲より高く評価しているのです。
たった一年で混乱を収めた、だからアルスラーンはカイ・ホスローより優秀だ、と見ることも可能ですよね。
まぁほとんどの人はそもそも、こんな無意味な主張を考慮に入れないでしょうけど。
それから、何とか反論できそうな部分にだけレスして、他は無視っていう態度は如何なものなんでしょうかね?
武勲が単純に戦った期間や撃破数だと思ってる段階でアウトかな(笑)。短期間で戦いを収めるのも立派な武勲です。優劣を論ずるだけ無意味ってか、吟遊詩人の歌なんて根拠が既に○○かな。そこまでしてカイ・ホスローを礼賛したいなら勝手に一人で自分ちでやってくれな(笑)。
> はじめまして、へのへのもへじさん。
> まず初めに、ちょっとお聞きしてみたいんですけど、あなたは田中氏の「銀河英雄伝説」はお読みになっておられないのでしょうか?
>
> その作品の中で、田中氏は主人公の一人であるヤン・ウェンリーに、部下であるシェーンコップから
> 「もしローエングラム公(ヤンの宿敵でもう一人の主人公です)とまったく互角の条件で戦ったら勝てると思いますか?」
> という内容の質問を受けた際に、
>
> 「戦略的にまったく無意味な仮定だ」
>
> と、バッサリ切り捨てさせました。個人的に、この台詞は銀英伝の中でもベスト3に入る名言だと思っています。つまり、アルスラーンとカイ・ホスローが指揮官としてまったく同じ条件で競い合うなどというifも「まったく無意味な仮定」だとわたしは思いますけど。
銀英伝では、その後シェーンコップはたぶんヤンが勝つと言っています。まだ自分の仮定が戦争における戦略の存在を無視したものであることも認めています。
作者がどのような意図でこのような会話を作中に取り入れたかを私は次のように考えています。
シェーンコップに互角の条件ならば、たぶんヤンはラインハルトに勝つと言わせれば、読者にラインハルトが優れた戦術家である可能性が高いと思わせる効果があることを充分に承知した上でこの河合シーンを書いたと思います。
現実の戦争において、戦略のない戦争は存在しない。
そのため二人の軍人が互角の条件で戦うことは現実の戦争では実現不可能である。
しかし、二人の軍人のうちどちらが戦術家として優秀かを論じる場合、この仮定は有効な手段であると思ったからこそ、作者はこの会話シーンを挿入したのだと思います。
> それから、何とか反論できそうな部分にだけレスして、他は無視っていう態度は如何なものなんでしょうかね?
そのように指摘されると私は、ずるい対応をしていたと認めざるを得ません。
すいません。私の反論のない部分については、その正しさを私が認めたとみなしてくださって結構です。
はじめまして、へのへのもへじさん。
ちょっと気になったので、質問させて頂きます。
> 銀英伝では、その後シェーンコップはたぶんヤンが勝つと言っています。まだ自分の仮定が戦争における戦略の存在を無視したものであることも認めています。
> 作者がどのような意図でこのような会話を作中に取り入れたかを私は次のように考えています。
> シェーンコップに互角の条件ならば、たぶんヤンはラインハルトに勝つと言わせれば、読者にラインハルトが優れた戦術家である可能性が高いと思わせる効果があることを充分に承知した上でこの河合シーンを書いたと思います。
> 現実の戦争において、戦略のない戦争は存在しない。
> そのため二人の軍人が互角の条件で戦うことは現実の戦争では実現不可能である。
> しかし、二人の軍人のうちどちらが戦術家として優秀かを論じる場合、この仮定は有効な手段であると思ったからこそ、作者はこの会話シーンを挿入したのだと思います。
恵さんもおっしゃっていますが結局なにがいいたいのでしょうか?
カイ・ホスローとアルスラーンの戦術家とせての優劣を決めたいのでしょうか?
だとしたらおかしな話ですね。
そもそも指揮官(戦術家)としてアルスラーンよりもカイ・ホスローのほうが上ということは同意を得られていたのではなかったですか?
それとも戦術家として優秀だから、アルスラーンよりカイ・ホスローのほうが優秀といいたいのですか?
念のためにいっておきますが戦術家として無能だっとしてもそれが戦略家として或いは王や最高司令官としての評価をさげることにはなりませんよ。
管理者及び常連の方々へ
わざわざ新スレたてるのも何だったのでここで失礼します。
これまでROMをつづけていたるかといいます。
過去ログ大変楽しませて頂いております。
わたしも議論に参加したいところですが、すでにまとまっている内容だったり、知識不足や見識不足で口ださせなかったりで今にいたっています。
機会があればおつきあいくださいませ。
> 恵さんもおっしゃっていますが結局なにがいいたいのでしょうか?
> カイ・ホスローとアルスラーンの戦術家とせての優劣を決めたいのでしょうか?
> だとしたらおかしな話ですね。
> そもそも指揮官(戦術家)としてアルスラーンよりもカイ・ホスローのほうが上ということは同意を得られていたのではなかったですか?
>
> それとも戦術家として優秀だから、アルスラーンよりカイ・ホスローのほうが優秀といいたいのですか?
> 念のためにいっておきますが戦術家として無能だっとしてもそれが戦略家として或いは王や最高司令官としての評価をさげることにはなりませんよ。
私はカイ・ホスローはアルスラーンに匹敵する人格的魅力を持っていたと思います。
彼が命を救った三百六十五人の若者は、その全員が彼についてザッハークを打倒する道を選びました。
三百六十五人の若者はすべてが違う個性と境遇の持ち主です。
勇気のある人、恩義に報いる気持ちが強い人もいたでしょうが、そういう人たちは少数派でしょう。
大半は特に勇敢でもない普通の人たちだと思います。中には臆病者もいたでしょう。
それなのに「せっかく助かった命をまた捨てるようなことはしたくない」「家族のもとに帰りたい」と彼に協力することを拒否するものはいなかったのです。
このようなことがアルスラーンに人格的魅力が劣るものに可能でしょう。
また、カイ・ホスローは人材を発掘し活用する能力も優れたいたと思います。
ザッハーク打倒は、彼自身の能力を最大限に活用するだけで実現できるものではなく、何人もの優れた部下を使いこなさなければできることではありません。
カイ・ホスローとアルスラーンは最高司令官としては少なくとも互角の素質を持っていると判断しました。
勝利により味方の陣営に同程度の戦果をもたらした二人の最高司令官。
このどちらがよりすぐれた武勲の持ち主を判断するには、最高司令官としての功績、戦略家としての功績、戦術家としての功績、これらを全て比較してみる必要があると思います。
アルスラーンは最高司令官としての功績以外は、カイ・ホスローに及ばないと判断されるので、私はアルスラーンの武勲はカイ・ホスローに及ばないと思うのです。
どうも、主張されたいことがことごとく「ずれている」ように見えるのはわたしだけでしょうか?
とりあえず、一つずつ反論させていただきますね。
<銀英伝では、その後シェーンコップはたぶんヤンが勝つと言っています。まだ自分の仮定が戦争における戦略の存在を無視したものであることも認めています。
作者がどのような意図でこのような会話を作中に取り入れたかを私は次のように考えています。
シェーンコップに互角の条件ならば、たぶんヤンはラインハルトに勝つと言わせれば、読者にラインハルトが優れた戦術家である可能性が高いと思わせる効果があることを充分に承知した上でこの河合シーンを書いたと思います。
現実の戦争において、戦略のない戦争は存在しない。
そのため二人の軍人が互角の条件で戦うことは現実の戦争では実現不可能である。
しかし、二人の軍人のうちどちらが戦術家として優秀かを論じる場合、この仮定は有効な手段であると思ったからこそ、作者はこの会話シーンを挿入したのだと思います。>
あのですね…(-_-::)
あなたは、銀英伝で田中氏が繰り返し明言していた戦争の法則をちゃんと理解して発言されていますか?
「戦術的勝利で戦略的敗北をひっくり返すことはできない」
ヤンが「無意味」と言ったのは、あの状況で単に自分とラインハルトを戦術家としてだけの優劣を論じることなど、上記法則の戦略的視点からはまったく意味をなさないことを誰よりもよく理解していたからです。
<その後シェーンコップはたぶんヤンが勝つと言っています。まだ自分の仮定が戦争における戦略の存在を無視したものであることも認めています>
ですから、それでは現実的な論議として何の意味もないじゃありませんか。ヤンの指摘もその意味からですし、戦略を最重要視しているヤンにとって、「戦術家としてどちらが優秀か?」を論じることに何の意味があるんです?
あの緊迫した情勢で「戦略的にまったく無意味な」戦術家として優劣を論じる意味も理由も、ヤンにはまったくありませんでした(本当の「茶飲み話」ならともかく)。自分が戦術家としてラインハルトより優れていると自覚したからといって、ヤン陣営の厳しい戦略的立場はまったく変わりません。あえて意味があるとすれば、その事実をはっきりとした事実として認識したがっている「あなた」にだけでしょう。「アルスラーンVSカイ・ホスロー」論争もそうですけど、これはあなたの個人的願望(カイ・ホスローの方がすごい!、ヤンの方が優秀!)ではありませんか?
前回も言いましたけど、あなたは結局何が言いたいんですか?
「アルスラーンVSカイ・ホスロー」と「ヤンVSラインハルト」は一概に同じ問題ではないかもしれませんけど、武勲はどちらが大きいとか、戦術家としてどちらが優秀とか(これに関しては、はっきりヤンが上だったと読者の誰もが理解しているところでしょうけど)、それらの問題が物語の評価を左右するとは、わたしにはまったく思えません。
あなたは主観的には正当な疑問を投げかけているつもりでも、わたしたちにとっては何のために今更そんなことを強調されているのかが、さっぱり理由がわからないのです。
<私はカイ・ホスローはアルスラーンに匹敵する人格的魅力を持っていたと思います。
彼が命を救った三百六十五人の若者は、その全員が彼についてザッハークを打倒する道を選びました。
三百六十五人の若者はすべてが違う個性と境遇の持ち主です。
勇気のある人、恩義に報いる気持ちが強い人もいたでしょうが、そういう人たちは少数派でしょう。
大半は特に勇敢でもない普通の人たちだと思います。中には臆病者もいたでしょう。>
他の方も言っておられましたけど、カイ・ホスローの過去の非常に記述の少ない「伝説」とそこから想像した憶測を勝手に「事実」として、「現在」の立場にあるアルスラーンと比較すること自体がすでに無茶です。
<それなのに「せっかく助かった命をまた捨てるようなことはしたくない」「家族のもとに帰りたい」と彼に協力することを拒否するものはいなかったのです。
このようなことがアルスラーンに人格的魅力が劣るものに可能でしょう。
また、カイ・ホスローは人材を発掘し活用する能力も優れたいたと思います。
ザッハーク打倒は、彼自身の能力を最大限に活用するだけで実現できるものではなく、何人もの優れた部下を使いこなさなければできることではありません。
カイ・ホスローとアルスラーンは最高司令官としては少なくとも互角の素質を持っていると判断しました。
勝利により味方の陣営に同程度の戦果をもたらした二人の最高司令官。
このどちらがよりすぐれた武勲の持ち主を判断するには、最高司令官としての功績、戦略家としての功績、戦術家としての功績、これらを全て比較してみる必要があると思います。
アルスラーンは最高司令官としての功績以外は、カイ・ホスローに及ばないと判断されるので、私はアルスラーンの武勲はカイ・ホスローに及ばないと思うのです。>
???
失礼ですけど、ここが一番理解に苦しむのです。前回とまったく同じことを言いますけど、あなたの主張は「源頼朝と徳川家康をどちらがよりすぐれた武勲の持ち主であるか?」とまったく同じ(意味のない)論議なのです。異なる時代、異なる状況に置かれた二人を、無理矢理同列に並べて論じることに何の意義があるんですか?
そもそも、カイ・ホスローのほうが武勲が上だからといって、アルスラーンの価値が下がることはまったくないでしょう。しきりに武勲武勲と連呼されていますけど、では「政治家として比べ」ればアルスラーンには「奴隷制の撤廃」という政治的功績もついてくるんですよ?そのあたりを突けば、独創的政策のなかったカイ・ホスローにアルスラーンは勝る、と主張もできます。ただし、あなたの主張と同じく、意味のない主張と論議だとわたしは思いますけど。
もう少し、こちらの論旨を汲み取ってレスしていただけると助かります。でないと、議論の堂々巡りでしかありませんし、あまり非効率な議論を続ける時間は残念ながらわたしにはありませんので。
では、失礼いたします。
> そのように指摘されると私は、ずるい対応をしていたと認めざるを得ません。
> すいません。私の反論のない部分については、その正しさを私が認めたとみなしてくださって結構です。
なるほど、了解しました。
それと、私も所詮は捨てハンでしかないのに、偉そうにあなたを批判したことは礼を失していたと思います。申し訳ありませんでした。
ま、上記のことは置くとして。レスをつける場所がちょっと異なってしまうかもしれませんが、武勲の話についてちょっと。
どうもへのへのもへじさんは「アルスラーンの武勲はカイ・ホスローのそれに匹敵する」という言葉に対してこだわりを持っているように見えるのですが、あれは武勲というより「業績」という言葉に置き換えた方が、パルスの民衆の気持ちを理解しやすいんじゃないでしょうかね?
邪悪な蛇王ザッハークを倒しパルスに平和をもたらしたカイ・ホスロー。
憎むべき侵略者ルシタニア軍を追い払いパルスに平和をもたらしたアルスラーン。
二人がパルスにもたらした業績の重要性は、どっちが勝るとか言えないでしょう? その業績の大きさを測るのに、武人の資質云々はあまり関係が無いように思うのですが。
「武勲」という言葉に拘ってしまうから、本来考慮に入れる必要の無いはずの、総司令官だの指揮官だのの話にまでもつれこんでしまうんだと思いますよ。
以上、再び捨てハンでの投稿でした。お目汚しすいません。
私は、アンドラゴラス夫妻とヒルメス夫妻のファンです。よって旧王家びいきです。
だからアンドラゴラスの子孫にパルスの王統を継いでもらいたいと強く願っています。
カイ・ホスローがアルスラーンよりも優れた武勲の持ち主であると執拗に主張したのもそのためです。
私は自分の感情から、客観的な説得力のないことを言っていたことを認めます。
そのためにみなさんに不愉快な思いをさせてすいませんでした。
なるほどひいきから来る感情の問題でしたか。
気持ちは分からないでもないですが、こういう議論の場ではいけない行為でしたね。
最後にわたしもそして(おそらく)他の方もカイ・ホスローよりもアルスラーンの方が優れている、と思っているわけではありませんよ。
恵さんも優劣を決めること自体が無意味とはっきりおっしゃっていますしね。
恵です。
一応、まとめさせていただきますね。
<なるほどひいきから来る感情の問題でしたか。
気持ちは分からないでもないですが、こういう議論の場ではいけない行為でしたね。>
るかさん、前回から弁護していただくような形でご意見をいただき、ありがとうございます。わたしの言いたいことのほぼ全てを簡潔明瞭に言ってくださり、嬉しい限りです(^-^*)。
<最後にわたしもそして(おそらく)他の方もカイ・ホスローよりもアルスラーンの方が優れている、と思っているわけではありませんよ。
恵さんも優劣を決めること自体が無意味とはっきりおっしゃっていますしね。>
まったく同感ですね。
一概に、両者(カイ・ホスローとアルスラーン)を冷静に一分野の才能(軍事・政治・人格的魅力etc.)として比較する行為自体(考察)を否定はいたしませんけど、それをもってどちらの方が優秀だ、とか一方的に結論づけるのには大いに異論があります。
ただ、へのへのもへじさんにもフォローを入れますと、最初の文章の書き方で随分損をされたようにも思います。
個人的感情でカイ・ホスローを持ち上げたりされることは結構なんですど、それが過剰すぎたり、アルスラーンを不当に貶めたりするのは行き過ぎではないかと思うのです。まして、「旧王家びいき」というご趣向は「アルスラーン戦記」の読み方としては特殊なものでしょうから、普通にアルスラーンやその仲間たちに好意を持つわたし(やその他の人たち)に対し、明確な動機の提示ともう少し穏やかな論調で投稿されておられれば、もっと違った(へのへのもへじさんに好意的な)スレッド展開になったのでは、と思いました。
はじめまして。
へのへのもへじさんはすでに謝罪をされているのに今更なんですけど、ちょっと私にも口を挟ませてくださいね。
「王としてどうか」とか「将としてどうか」といった事柄についてお考えになったりご意見を述べられるなら,マキャヴェリの「君主論」や「孫子」をお読みになる事をお奨めします。
上記2冊の名著は、「なぜアルスラーンたちがあんなに強いのか」についてのヒントがてんこ盛りですから。
誰が言ったのかは忘れてしまいましたけれど「アルスラーン戦記は田中芳樹版君主論である」といった表現をした人もいましたしね。
ちょっと例を挙げてみますね…
「君主論 第22章 君主が身近に置く秘書官について」より抜粋
『君主にとって側近たちの選定は少なからず重要である。彼らが適任か否かは君主が明敏か暗愚かに関わる問題であるから。そして、君主の器量を知りたければ君主の周りにいる者たちを見ればよい。
側近たちが有能で忠実であるなら明君と見なしてよいだろう。なぜなら、有能で信頼できるか否かを見極める眼と忠実に仕えさせる力を君主は持っている、という事なのだから。だが、側近たちが無能で不実ならば暗君と判断してもよい。なぜなら、信頼できる者か否かを見極める眼すら君主は持ち合わせていない、という事だから』
「君主論 第23章 どのようにして追従者から逃れるべきか」より抜粋
『かの君主が善政を行い思慮深いのは君主生来の資質から来るものではなく善き助言者たる側近たちのおかげである、などと言い立てる者も多々いるようだが、これは疑いなく誤りである。なぜなら前章でも述べたように、まずは君主に彼らの能力や信頼できる者か否かを見抜く眼や彼らを従えて仕えさせる力が無ければ彼らからの善き助言など受ける事など叶わないからだ。』
上の二つの記述に基づくと、英雄王カイ・ホスローはもちろん、善き助言者や協力者に恵まれた解放王アルスラーンも「明君の要件を満たしている」のは間違いありませんよね?
君主に求められる能力と将軍に求められる能力は全く別のものです。
他の皆さんもおっしゃってらっしゃるように、アルスラーンが戦闘指揮官あるいは戦士として優れている必要は無い、と私も思います。
むしろ、なまじ君主という立場にいながら腕に覚えがあれば、アンドラゴラスやイルテリシュのように様々な問題を武力によって解決を図りたがる傾向に陥りやすくなる危険性をはらんでいるのでは?
ただ、下記の3469のログのご意見には真っ向から反論させていただきます。
<カイ・ホスローは足掛け七年戦いました。それに対してアルスラーンが戦った期間は一年以下です。
だから私はカイ・ホスローの武勲をアルスラーンの武勲よリ高く評価しているのです。>
「孫子 作戦篇」
『孫子は言う。およそ戦争というものは莫大な費用が掛かるものだ。それ故に戦争を無闇に長引かせればより一層に人命や物資を消耗させ軍は疲弊し士気も衰えさせる事になる。戦力が底をつくばかりか悪くすれば国の財政をも危うくしかねない。たとえ勝利を収める事が叶っても長期に渡って戦争をすればロクな結果を招かないのだ。他国に弱体化した隙をついて攻められる危険すらある。こういった事態に見舞われればどんな知恵者であっても好転させるのは無理というものだろう。
「兵は拙速を聞く」つまり拙いながら短期間で収束させて良かった例は聞いた事はあっても、「巧久」つまり上手いが戦いが長引いて良かった例を知らない。
要するに戦い方が多少拙くても構わないから戦争を出来る限り早く終わらせる事を心がけねばならない、という事だ』
まあ、時代も状況も全然違うカイ・ホスローとアルスラーンの武勲の比較する事自体が無意味だ、と私も思いますけど、「戦いを収束させるのに何年掛かったか、という条件だけで孫子の記述に基づいて見たら、七年掛かったカイ・ホスローよりも一年以下で収束させる戦上手を始めとする有能で忠実な部下たちを得たアルスラーンの方が上」となるのでは?
理由は上記の「孫子」にありますから割愛させていただきますね。
<私は、アンドラゴラス夫妻とヒルメス夫妻のファンです。よって旧王家びいきです。
だからアンドラゴラスの子孫にパルスの王統を継いでもらいたいと強く願っています。
カイ・ホスローがアルスラーンよりも優れた武勲の持ち主であると執拗に主張したのもそのためです。>
これは、このサイトでおっしゃるよりも角川書店経由で田中芳樹氏におっしゃった方が良かったのでは?
<私は自分の感情から、客観的な説得力のないことを言っていたことを認めます。
そのためにみなさんに不愉快な思いをさせてすいませんでした。>
こちらこそ今頃しゃしゃり出てきてご不快に思われたら申し訳ありませんm(_ _)m
では失礼を。
私が謝罪したことで、カイ・ホスローとアルスラーンどちらがよりすぐれた武勲の持ち主かという論争は終了したと思っていました。
だから謝罪後のななみさんのスレッドを読んだときは、非常なプレッシャーを感じました。
論争中私は「反論のない点では私がその正しさを認めたとみなして結構です」と発言しました。
そしてななみさんのご意見に対して私は主張したいことがありました。が、なかなか掲示板に書き込むことができませんでした。
謝罪後、また論争をするのはみっともない。論争相手に必要以上に罵倒されたくない。(もっともこれは私がマナーを守っていなかったため反感を買ったからですが。) 一対多数で論争するのはしんどい。またバカなことを言って恥をかきたくない。今度は謝っても赦してもらえない。そんな思いがあったのです。ようやくそのような思いが吹っ切れたので書き込みます。
異なる時代の歴史上の人物を比較しその優劣を論じることは無意味なことでないと思います。
アクバル大帝、スレイマン大帝という言い方があります。
これはアクバル大帝はムガル帝国、スレイマン大帝はオスマン・トルコ帝国の歴代皇帝と比較し、その業績が優れているとみなされているからこそこのような呼ばれ方をされていると思うのです。
もし異なる時代の人物を比較し優劣をつけるやり方が無意味ならばこのような言い方はされないと思います。
逆説の日本史という歴史ノンフィクションでも、源頼朝、徳川家康、足利尊氏を比較し、政治家としては足利尊氏を前者二名より低く評価しています。(小学館文庫 逆説の日本史第七巻p158)
私は小説における最小限の記述からでもカイ・ホスローは第一部におけるアルスラーンよりも深刻な状況を克服して、ザッハークを打倒したと判断できると思っています。
カイ・ホスローが三百六十五人の兵士を集めたエピソードが史実ではなく伝説でもカイ・ホスローは、ザッハーク打倒の戦いを、秘密裏にザッハークと戦うための軍隊を組織するという段階から始めたことだけは確実でしょう。
さらに当時ザッハークはパルス全土を支配しており、強力な魔力の持ち主です。
アルスラーンは、深刻な打撃を受けたとはいえ最初から敵と戦うための軍隊を持っていました。
追放直後すらアルスラーンは、ザッハーク打倒の活動を始めた時点でのカイ・ホスローより恵まれていたと思います。
アルスラーンは味方の勢力圏で公然と兵を集めることができたのですから。
またアルスラーンが王太子という身分を持っていたこともアルスラーンに有利に働いたことでしょう。彼が王太子でなかったら、グラーゼをギラン総督になどできなかったか、できたとしてもかなりの政治工作が必要だったでしょう。(カイ・ホスローがいかなる身分の青年だったかは不明ですが、王族でなかったことだけは確かです。)
ルシタニアはパルス全土を占領していたわけではありません。
「広い地域を支配している相手と戦う方が、狭い地域を支配した相手と戦うより困難とは言えない。」というご意見があるかもしれないので言っておきます。
ルシタニアはパルスに来たばかりです。短期間に占領した地域を効率よく支配できる行政組織を作るのは困難です。(銀英伝ではローエングラム王朝がやってのけたけど。)
ギスカールの苦労振りを見れば、ルシタニアにローエングラム王朝のような芸当を期待するのは無理だと思います。
さらに、ボダンがパルスを占領するために有益な情報を抹殺してしまいました。
ザッハークは千年パルスを支配していました。
ザッハークは少なくともルシタニアよりは、支配地域を掌握していたと判断できるのではないでしょうか。
カイ・ホスローの場合、強力な魔力の持ち主が一国を支配するにたる軍事力を持っていました。
第一部におけるアルスラーンの敵は強力な軍事力と強力な魔力をあわせ持ってはいません。
これは前にも書いたことですが、パルス人を率いて戦う場合、ザッハークとルシタニア・トゥラーン・シンドゥラではどちらが大変だと思いますか。間違いなく前者でしょう。
以上のことから私は、カイ・ホスローがザッハーク打倒に七年かかったのは、彼がアルスラーンに劣っていたからではなく、アルスラーンよりも深刻な状況にあったためであり、それを克服するのに時間が必要だったからだと主張します。
もっともななみさんが「アルスラーンの方が優れている」と主張したのは元々私がバカなことを言ったのが原因ですから身から出たさびではあると思っています。
アルスラーンファンの方の反感を買うとは思うのですが、やはり第一部における武勲だけでは、アルスラーンはカイ・ホスローに匹敵する武勲の持ち主とは私には思えません。
アルスラーンとその仲間がカイ・ホスローとその仲間に匹敵するあるいはしのぐ武勲の持ち主という評価は、第2部終了時点までお預けではいけませんか。
カイ・ホスローはザッハークを打倒したものの、ザッハークを殺すことはできませんでした。
アルスラーンとその仲間がザッハークを殺す事に成功してアルスラーン戦記は終了するのはもう確定事項です。
ザッハークを殺して、アルスラーンが生き残れば、アルスラーンは目的を達成し、生き残ったのだからカイ・ホスローよりすごいと主張されても私は反論できません。
(カイ・ホスローの最終目標はザッハークの殺害だったと思いますが、彼はそれができず、パルスの災いを完全に取り除くことはできませんでしたから。彼がザッハークを殺すことに成功していれば彼の子孫の不幸もかなり軽減されたはず。でもヒルメスは生まれなかったか。複雑な心境になってきました。)
カイ・ホスローのザッハーク打倒は、それをしのぐあるいは匹敵する武勲というのはアルスラーンとその仲間の第一部と第二部の武勲を合わせてやっと存在するくらいの偉業だったと思います。
<私が謝罪したことで、カイ・ホスローとアルスラーンどちらがよりすぐれた武勲の持ち主かという論争は終了したと思っていました。
だから謝罪後のななみさんのスレッドを読んだときは、非常なプレッシャーを感じました。
論争中私は「反論のない点では私がその正しさを認めたとみなして結構です」と発言しました。
そしてななみさんのご意見に対して私は主張したいことがありました。が、なかなか掲示板に書き込むことができませんでした。
謝罪後、また論争をするのはみっともない。論争相手に必要以上に罵倒されたくない。(もっともこれは私がマナーを守っていなかったため反感を買ったからですが。) 一対多数で論争するのはしんどい。またバカなことを言って恥をかきたくない。今度は謝っても赦してもらえない。そんな思いがあったのです。ようやくそのような思いが吹っ切れたので書き込みます。>
お久しぶりです、へのへのもへじさん。
「アルスラーンとカイ・ホスロー優劣論」の決着はついたと思っておりましたので、またこの話が蒸し返されるとはまったく思いませんでした。
今回の投稿でのあなたの勇気には敬意を表しますけど、あまりにも前回の論争での論旨をつかんでおられない同じ主張の繰り返しには、正直辟易させられます。いい加減にご自分の主張の無意味さに気づいていただけないでしょうか。
<異なる時代の歴史上の人物を比較しその優劣を論じることは無意味なことでないと思います。
アクバル大帝、スレイマン大帝という言い方があります。
これはアクバル大帝はムガル帝国、スレイマン大帝はオスマン・トルコ帝国の歴代皇帝と比較し、その業績が優れているとみなされているからこそこのような呼ばれ方をされていると思うのです。
もし異なる時代の人物を比較し優劣をつけるやり方が無意味ならばこのような言い方はされないと思います。
逆説の日本史という歴史ノンフィクションでも、源頼朝、徳川家康、足利尊氏を比較し、政治家としては足利尊氏を前者二名より低く評価しています。(小学館文庫 逆説の日本史第七巻p158)>
前提となるこの辺りから根本的に勘違いをされておられますね。
「確かに歴史上の人物の比較に意味はある」と、わたしは前回の論争ではっきり明言したはずです。わたしが意味がないと言っているのは、あなたの挙げた例で言うなら「アクバル大帝とスレイマン大帝はどちらが(政治家・戦争指導者・戦術家etc.として )優れているか」ということです。彼らが祖国の歴代の皇帝より優秀であったのは事実ですが、ではこの二人の巨人を具体的に個々の才能や能力等で細かく比較してどうするというのです?
「(業績によって)後世の歴史・世界情勢に与えた影響力などでアクバル大帝とスレイマン大帝を比較する」というような研究なら大いに興味があるところですけど、あなたの場合は、もともと「旧王家が好き」などという個人的感情をベースにしてにアルスラーンとカイ・ホスローに無理矢理優劣をつけようとしているだけでしょう。
「歴史上の人物の比較」自体には意味がありますけど、それはあなたのように「ただ個々の才能や業績に優劣をつけるのが目的」でないことは確かです。
また、わたしが挙げた日本史の人物の比較に対して「逆説の日本史七巻」という持論の根拠となる資料をはっきり提示された態度は評価いたしますが、これは適切な根拠ではないとわたしは考えます。
へのへのもへじさんは「逆説の日本史」をまるで教科書のごとく頭から信頼されておられるようですけど、実はこの本の著者である井沢元彦氏には「史料や論文等を引用する際、大事な部分が抜けている・筋の通らない論証が時々見られる・.時代差を考慮しない断定をしている場合がある・調査不足、検討不十分などが目立つ」という批判の声も上がっている作品なのです。わたしは「逆説の日本史」を頭から否定しているわけではありませんけど、少なからず問題の多いこの本を論拠としたあなたの意見にはとても賛同できません。そもそも、あえて無理矢理な「歴史上の人物の比較」などやっておられる井沢氏の態度もますます信用できませんしね。もし信用するとしても、それはそれでへのへのもへじさんにとっては都合が悪いことになるように思います。
というのも、「源頼朝、徳川家康、足利尊氏を比較し、政治家としては足利尊氏を前者二名より低く評価しています」という比較が妥当ならば、パルスに善政をしいて国力を充実させ、奴隷制を撤廃した(ここ、重要ですよ)アルスラーンは明らかにカイ・ホスローよりも「政治家として」はるかに高い評価ができるからです。前回からず~~~っと「武勲武勲」と連呼されておられますけど、この「政治家」としての差はどうなるんですか?あなたが論拠している井沢氏も、歴史上の人物を「政治家」として比較しておられるんでしょう?
自分の意見に都合のいい資料を引っ張ってこられるのは自由ですけど、それが客観的な説得力としてどれだけ適切であるか、もっとよくお考えになってください。
で、後の部分は前回と同じ主張の繰り返しのようですから、細かい反論は前回と同じ、ということで割愛させていただきます。…というより、上記の前提が根本的に勘違いされておられますので、必要も感じないというのが本音ですけど。
最後に念のため。
「旧王家・カイ・ホスローが好き」
作品の多面的な楽しみ方として、けっこうなことだと思います。ただし、そのために意味もなく武勲などでアルスラーンと比較して貶めるような主張さえされなければ。お気づきですか、あなたに反論している人でカイ・ホスローを低く評価している人など一人もいないということに。ここまで書いて理解していただけなければ、次に投稿する時は最終通告になるでしょうから、その点はご了解くださいませ。
・その1
家庭用ゲーム機のSLGで「パルス国興亡史」シリーズというのがあり、全システム共有で第一部「カイ・ホスロー英雄伝」があり第二部「アルスラーン戦記」があったとします。
第一部の主人公カイ・ホスローは全パラメーターが極めて高く周囲ユニットへの支援効果(命中率・回避率の上昇)も高い数字で広範囲に影響が及ぶ優秀なユニットでした。
第二部の主人公アルスラーンは数字的にはカイ・ホスローに及びませんでしたがそれなりの数値を維持したパラメーターで何より味方ユニットへの支援効果が強力でした。
さて「第一部キャラ対第二部キャラ」のようなお遊びオプションに手を出さなかったとあるプレイヤーA君が「アルスラーンって第一部のカイ・ホスローみたい(使いである)ユニットだよな」という感想をもったとします。
それに「バカじゃん、カイ・ホスローのが強いに決まってんだろ頭悪いなあ」と別プレイヤーB君が言いました。
A君が「じゃあ第二部をカイ・ホスローでやる裏コマンド教えろ。それでやって見てから考え直してやる」とB君に言いました。
勿論そんな方法は(この例え話のこのゲームにおいて絶対に)ありません。
B君はA君や周囲のゲーマーからどんな感想を持たれるでしょう?
・その2
とある国が飢餓に襲われ国や料理人達が必死の努力の果てに何とか乏しい食料をやりくりして次の収穫まで全国民が食べていけて栄養的にも障害が出ないような炊き出し用雑炊の開発に成功しました。
勿論そんな美味いものではありませんが国民は「神の下された甘露である」と涙を流して食べていました。
そこに突然余所の国から現れたボダン大司教が「何を戯言を抜かしておる!真の『神の甘露(マナ)』をこのような粗悪な汚物と並べるなど言語道断、神聖冒涜!」と端からこの国の炊き出し場を壊して歩いていきました。
「真の『神の甘露(マナ)」がこの雑炊より美味である事を事実と仮定して、それでこの国の国民にとってボダン大司教は正しく「真の『神の甘露(マナ)」とやらは『今現在』有難い物とあがめ尊ぶ謂れのある物でしょうか?
カイ・ホスローが本当に「アルスラーンと比較するのも愚かしい位の英雄」ならアトロパテナの会戦を前に稲妻と共に復活しルシタニアを滅亡させヒルメス・アンドラゴラスを和解させパルスに悠久の平穏をもたらすべきでした。
あの私は№3794において、不当にアルスラーンをおとしめているつもりはないのですが。
恵さんは№3794のどの部分を読んで私がアルスラーンを不当におとしめていると思ったのですか。具体的にご指摘ください。
それになぜ反論するのに、アルスラーンの政治面での功績まで持ち出すのですか。
私は、カイ・ホスローとアルスラーンの軍事的な面についてのみ論じているのです。
私が二人の政治・軍事両面について比較しているのならそのような反論をなされるのは理解できます。
意地の悪い言い方をすると、私の主張に対して反論できないから故意に論点をずらしているとすらとれます。
へのへのもへじさん
> あの私は№3794において、不当にアルスラーンをおとしめているつもりはないのですが。
> 恵さんは№3794のどの部分を読んで私がアルスラーンを不当におとしめていると思ったのですか。具体的にご指摘ください。
その前からの御主張「やはりカイ・ホスローの方がすごいと思います」=「アルスラーンは“カイ・ホスローの再来”とまで呼ばれる功績があるのでしょうか?」から何の変化もないからでしょう。
> それになぜ反論するのに、アルスラーンの政治面での功績まで持ち出すのですか。
> 私は、カイ・ホスローとアルスラーンの軍事的な面についてのみ論じているのです。
> 私が二人の政治・軍事両面について比較しているのならそのような反論をなされるのは理解できます。
> 意地の悪い言い方をすると、私の主張に対して反論できないから故意に論点をずらしているとすらとれます。
「王様」を評価するのに武将としてだけ評価してくれと仰る貴方の前提がどうかと思いますが。
その論法で言うならパルス国民はアルスラーンを「『英雄王』カイ・ホスローの再来」と称えているのでへのへのもへじさんの「カイ・ホスローより弱いのに過大評価じゃないか」というのは「王」というものの「政治的側面」を一切無視してどうでもアルスラーンを貶めたい言いがかりになりますけどそうなんですか?
ついでで何ですが強制はしませんがこの期におよんでかく仰るへのへのもへじさんのNo.3798の拙文の御感想、少々興味のある所です。
<あの私は?3794において、不当にアルスラーンをおとしめているつもりはないのですが。
恵さんは?3794のどの部分を読んで私がアルスラーンを不当におとしめていると思ったのですか。具体的にご指摘ください。>
「アルスラーンを不当におとしめている」というのは、今回のNo.3749ではなく、以前のNo.3444/3445/3446/3447の論調を指して言っているのです。(確信犯として)過去とまったく同じ主張の議論をやりたい、という意思に見えたのでそういう表現を使ったのですけど、今回はそういう意思がまったくないとおっしゃるなら、謹んで訂正させていただきます。ただし、わたしにはそういう風には見えませんでした。
<私は、カイ・ホスローとアルスラーンの軍事的な面についてのみ論じているのです。>
本当に、純粋にそれだけをされているなら、わたしからは何も言うことはありません。
しかし、あなたの中で「アルスラーンよりカイ・ホスローが偉い(武勲が大きい)」という最終結論があるからこそ、過去に決着のついた論争を今回またわざわざ掘り起こされたのではないのですか?
<異なる時代の歴史上の人物を比較しその優劣を論じることは無意味なことでないと思います。>
No.3749の冒頭では↑のようにはっきり「優劣を論じる」と書かれていますし。それはNo.3444/3445/3446/3447あたりの論調とどこがどう違うのかまったく記されておりません。見ている方は、主張が変わっていないと判断しても不思議ではないはずです。
<それになぜ反論するのに、アルスラーンの政治面での功績まで持ち出すのですか。
私は、カイ・ホスローとアルスラーンの軍事的な面についてのみ論じているのです。
私が二人の政治・軍事両面について比較しているのならそのような反論をなされるのは理解できます。
意地の悪い言い方をすると、私の主張に対して反論できないから故意に論点をずらしているとすらとれます。>
あのですね…。(はぁ…ため息)
あなたは、人の文章を「ちゃんと読んで理解して」おられますか?
しかも、「自分自身で持ち出してきたこと」まで忘却してしまわれたのですか?
「逆説の日本史という歴史ノンフィクションでも、源頼朝、徳川家康、足利尊氏を比較し、政治家としては足利尊氏を前者二名より低く評価しています。(小学館文庫 逆説の日本史第七巻p158)」
↑この文章をこの掲示板に書き込んだのは、あなた自身ではありませんか。
井沢氏が「政治家」として「歴史上の人物を比較している」とあなたが明言したからこそ、わたしはそれと同じように「アルスラーンとカイ・ホスロー」を「政治家」として比較してさしあげただけのことです(これを書くのは二度目です、いい加減に理解してくださいね!)。
「私の主張に対して反論できないから故意に論点をずらしているとすらとれます」
あなたが「逆説の日本史」を引用されたから、わたしはその引用のルールに則って比較してみたまでのことです。論点をずらしてなどいませんし、このような前提(歴史上の人物の比較)が穴だらけの理論で無意味(としか思えない)な主張をされているからこそ、その根本部分を叩き砕いて差し上げただけのことです。もっと自分自身と人の文章をちゃんと読んで理解してください。
議論の前提部分の崩壊が理解できないばかりか、文章の誤読があまりにひどすぎます。わたしの言っていることが理解できない、もしくは理解したくないのなら、これ以上のコミュニケーションはわたしにとってストレスにしかなりませんので、よくお考えになってレスをつけてください。
私は確かに、「カイ・ホスローとアルスラーンは互角の武勲の持ち主」という評価にこだわりを持ちすぎていると思います。
何でこんなにこだわりを持っているかを説明します。武勲という言葉には、次のような意味も含まれていると思うのです。
1 一戦士として敵の首を取る
2 軍の指揮官として戦い敵の軍隊に勝つ
3 戦略家として味方の勝利に貢献する
私の勝手な推測なんですけど、カイ・ホスローはザッハーク戦でこれら全てに非凡な功績をあけだと思っているんです。
ルクナバードでなければ倒せない魔物は何体もいたろうし、英雄王と呼ばれた人物が、戦術家としての実績がないとはとても思えないんです。
英雄と呼ばれる最低の条件は、戦術家として見事な実績がある事だと思うので。
王朝の創始者は戦術家・戦略家として優秀な人物が大半なので彼も優秀な戦略家だったと思っています。そうでなければザッハークを倒せるわけがありません。
アルスラーンは第一部で、後世に語り継がれるような功績を一戦士、戦術家、戦略家してもたてていません。
そのアルスラーンとカイ・ホスローが互角の武勲の持ち主と言われると、面白くないのです。
「カイ・ホスローの戦士、戦術家、戦略家しての功績なんてアルスラーン並」といわれているような気がするのです。
それはカイ・ホスローを侮辱しているような気がするのです。
だから私はしつこく「アルスラーンはカイ・ホスローに武将としては及ばない」と言ってしまうのです。
そうですね。確かに私は誤読をしているようです。
この掲示板に書かれている内容は理解しづらいものが多いです。
私はこの掲示板に書き込むにはレベルが低すぎるようです。
自分がこれ以上恥を書かないためにも、周りに不愉快な思いをさせないためにももう書き込みません。
私たちはへのへのもへじさんを受容できないほど狭量ではないはずです。
私はへのへのもへじさんのご主張には殆ど頷けないですが、また別の視点としてそれなりに楽しく拝見しました(とは言え、私は恵さんのご意見にほぼ賛成なのですが)。
ひとつの考えに固執するのは確かに好ましくないかもしれないですが、その考えを持つことを低レヴェルと卑下する必要はまったくないです。
正直、カイ・ホスローとアルスラーンの比較はホスローの方のデータが少なすぎて、なかなか成立しないと思いますが、それを敢えて試みたチャレンジ精神は評価します。
おそらくアルスラーンの王器としての資質に疑問を抱いてのことでしょうが、今回はちょっとアプローチ方法がまずかったかも知れませんね(^^)
アルスラーン戦記はカッパノヴェルズとして再スタートして、今後新たに読者がつき、言及される度合いが増えるでしょう。
へのへのもへじさんもこれに懲りずに、叩かれることを恐れず、発言を行ってください。
あなたの書き込みに楽しませていただいた者が少なくともここに1名いることを表明しておきます。