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“中国古典文学ト云フ事”というコンテンツに、田中芳樹の中国物の書評と並んで「田中芳樹7つの大罪」(笑)というコーナーがあり、これがメッチャメチャオモシロイです。
皆さん是非ご一読を。
見てきました。
いや、本当に面白いです。コレ。
ジャブから入っていって、だんだんと強烈になっていき、フィニッシュで田中芳樹のダメ作家(=ダメ人間?)ぶりを明らかにするところなんて最高です。
私のページを「面白い」と思っていただける方なら、無条件でお勧めです。
余談・今書いていて気づいたのですが、「最低の歌手はただそれだけのことだが、最低の教師は最低の人間だ」というようなことを創竜伝で書いていたけど、そのデンで行けば「最低の作家も最低の人間」ですよねぇ。田中芳樹センセ。
「田中芳樹7つの大罪」見てきましたよ。あれ、本当だとすると、田中芳樹の勘違いは甚だしいですな。読者は「歴史小説家田中芳樹」など求めてはいないでしょ。「SF作家田中芳樹」のファンの方が断然多いですよ。人間、財産が出来ると、次は名誉ってのは変わらぬ真理なのですかね。取り巻きを作って、新書や文庫本よりハードカバーを求め、歴史小説の賞を取った他人には嫉妬し、etcetc・・・(田中芳樹7つの大罪から)おいおい、これは銀英伝や創竜伝で作者が一番嫌っている筈の「俗物」の行動そのものじゃないですかね。自分がやるのはいいのかな。一般的には「ダブルスタンダード」って言いますけど。それに、そんなに歴史小説家になりたいんだったら、何で創竜伝なんぞを書いているんだろう?
>田中芳樹7つの大罪」見てきましたよ。あれ、本当だとすると、田中芳樹の勘違いは甚だしいですな。
>読者は「歴史小説家田中芳樹」など求めてはいないでしょ。「SF作家田中芳樹」のファンの方が断然多いですよ。
まあ、中国歴史物こそ本人の元々の志向に近かった、とは思うんですが。
しかし、世間のレッテルというものは恐ろしいというか、似たような経歴の持ち主でも「出世作」のジャンルが違うだけでその後の立場までこうも違ってしまうものか、という。
恐らく田中芳樹が酒見賢一よりほんのちょっとSF好きだったことが今日の(本人にとっての)悲劇の発端でしょう(笑)。
ただ、「田中芳樹七つの大罪」でも指摘されてたことですが、「彼の小説は戦争か妖怪が出てこないと話が進まない」ってのは言い得て妙で、これでは歴史作家としては明らかに限界がありますね。
あと、何といっても笑えるのが「陳舜臣先生へのすり寄りぶり」の件です。
件の陳舜臣氏との対談本で田中氏は「私は昔から勝手に陳舜臣先生を心の師と仰いでいた」などと書いてますが、はっきり言って、私はあの対談以前の氏のインタビュー等で「陳舜臣氏に私淑している」などという発言を読んだ記憶がありません。
以前の彼がよく引き合いに出していた作家といえば学生時代に専攻していた幸田露伴や中島敦、前に書いた海音寺潮五郎、武田泰淳といった所でした(「「敦煌」を読んだ時井上靖はやっぱりすごいと思った」とは言ってたと思う)。
嫌っている(と思われる)司馬遼太郎はもちろん、その友人であった陳舜臣氏についても殆ど言及したことは無かったと思うんですけど。
しかし、この田中氏の「陳舜臣取込み」策はじわじわと効果を発揮しはじめたようで、この間書店で見かけた陳舜臣・編の中国物短編アンソロジー本に何と司馬遼太郎や井上靖と並んで堂々と田中芳樹の名が・・・!
本当に危ないぞ!陳先生!!(爆)。
私も「田中芳樹七つの大罪」見てきました。ユーモラスでかつ辛辣なあたり、ここの管理人氏とも似ていますね。
ところで、田中氏が酒見賢一氏に敵愾心を燃やしているらしい、という指摘は、ちょっと驚きました。大昔「アニメージュ」誌で対談したときは、とても和やかだったので、そのイメージをひきずってました。
(週末、実家でバックナンバーを探したのですが、見つからなかった)
まあ、才能ある後輩にライバル意識を燃やすこと自体は、健全でしょうね。あの年で達観されても困るし。
もっとも陳氏にすり寄っている(ように私にも思えました、あの本は)のは、どうかなあ。小村さんも指摘されていますが、田中氏が陳氏を評価しているなんて全然知らなかった。
(ひょっとして田中ファンなら常識なのかな)
田中氏は、SF映画やアニメの影響を受けているという点で、それまでの作家と世代的な線引きができるかもしれませんね。本人はそこから脱却したいらしいですが、ムーランをディズニーがアニメ化したり、相変わらずシンクロニティは高いです。そこが魅力だと思うのだけどなあ。
いやー、みなさんのご意見の通りだとすると、悲しくなってきますわ。つまり田中芳樹は、才能ある後輩(田中芳樹が狙っている賞を取った)に嫉妬し、追い落としを狙い、歴史小説の大家にすり寄って、自分の歴史小説界における地位を上げようとしている、という事ですよね。何だかどこかのキャラクターに似ていません?それでは、まるで、
「アンドリュー・フォーク准将」
ですよ。才能ある(さすがに後輩ではないが、士官学校の席次はフォークの方が上)ヤンに嫉妬し、自分の作戦が採用されるようにロボス元帥にすり寄り、軍内部での地位の向上を狙ったのがフォークですよね。それとそっくりじゃないですか。ロボス元帥が陳氏と言う訳です。・・・嫌なキャラクターとして作った人物と同じ行動をして、どうするんでしょう?
確かに私は今の田中芳樹の考え方は好きではありません。でも、それはそれで信念があって、自分としての筋を通して生きているんだとばっかり思っていました。他人に嫉妬するなとは言いませんが、賞が欲しいんだったら、賞の方からすり寄ってくるような作品を書けばいいだけの話です(きれい事かもしれませんが)。屈折を解消するための努力を向ける方向が間違っていると思いませんか。こういう「悔しさ」を何で質の高い作品を出す為のエネルギーにしないんですかねえ。そうでないクリエイターなんざ、何の価値もありはしませんよ。
はっきり言って、「俗物」と化した田中芳樹は見たくなかった。創竜伝の馬鹿げた話も、それなりの信念でやっているんだと思っていましたから。その意味での「誠意」はまだあるんだとばっかり。ところが、実際はファンが望んでいるにも関わらず、「歴史小説家」としての地位を固めたいが為に、もう刊行中のSFやファンタジー作品は書きたくない。憂さ晴らしの創竜伝だけ、という訳ですか。すでにタダの俗物と化していたんですね・・・・
そういう意味で「悲しくなって」しまいましたし、残念ですわ。
不沈戦艦さんへ
> はっきり言って、「俗物」と化した田中芳樹は見たくなかった。創竜伝の馬鹿げた話も、それなりの信念でやっているんだと思っていましたから。その意味での「誠意」はまだあるんだとばっかり。
>ところが、実際はファンが望んでいるにも関わらず、「歴史小説家」としての地位を固めたいが為に、もう刊行中のSFやファンタジー作品は書きたくない。憂さ晴らしの創竜伝だけ、という訳ですか。
>すでにタダの俗物と化していたんですね・・・・
> そういう意味で「悲しくなって」しまいましたし、残念ですわ。
ま、まあそうお嘆きにならなくても(^^;。
「~大罪」に書かれてることはあくまであの作者氏の想像ですから。
田中氏が聞いたら「心外だ」と怒り出すかもしれませんよ。
陳氏へのおべんちゃらも、単に有名作家と対談できたことではしゃいでただけかもしれませんし。
それにしても「俗物になった」とこんなに嘆かれるとは、やはり不沈戦艦さんは何だかんだ言っても心の奥底では田中芳樹が好きなのでわ(爆)。
やぶにらみさんへ
>ところで、田中氏が酒見賢一氏に敵愾心を燃やしているらしい、という指摘は、ちょっと驚きました。大昔「アニメージュ」誌で対談したときは、とても和やかだったので、そのイメージをひきずってました。
>(週末、実家でバックナンバーを探したのですが、見つからなかった)
アニメージュの対談は立ち読みした記憶はあるのですが、詳しい内容は忘れました。
ただ、どっちかと言うと酒見氏の方が田中氏に迎合してたような印象が・・・。
>ところで、田中氏が酒見賢一氏に敵愾心を燃やしているらしい、という指摘は、ちょっと驚きました。大昔「アニメージュ」誌で対談したときは、とても和やかだったので、そのイメージをひきずってました。
これは私も読みました(もう残ってないかも)。私もそのイメージを引きずっていたので、少々意外でしたね。
> 確かに私は今の田中芳樹の考え方は好きではありません。でも、それはそれで信念があって、自分としての筋を通して生きているんだとばっかり思っていました。他人に嫉妬するなとは言いませんが、賞が欲しいんだったら、賞の方からすり寄ってくるような作品を書けばいいだけの話です(きれい事かもしれませんが)。屈折を解消するための努力を向ける方向が間違っていると思いませんか。こういう「悔しさ」を何で質の高い作品を出す為のエネルギーにしないんですかねえ。そうでないクリエイターなんざ、何の価値もありはしませんよ。
文壇だか学会だか判りませんが、ああいう世界は結構ドロドロしたきれい事では無い世界だと思います。地位や賞のためには純粋に文章以外のことにも力を入れなければならないかも知れません。つまり、権謀術数ですね。
それはそれでいいでしょう。賞を取るためにそういうことに力を入れるのは、誉められたことではありませんが、それはそれで健全だと思います。ですが、自分は小説でそういうことを散々糞味噌に批判して置いて、ちゃっかり自分もそういうことをやっているあたりの節操の無さが、見下げ果てたといいますか、不健全なノーミソだといいますか。
「恥知らず」という日本語は、こういう人のためにあるのでしょうね(ちょっと田中節)
ただ、田中芳樹を作家としてここまで腐らせ、今でも反省の契機が必要ないほど著書(しかも範型を変えただけの再録本)が売れているのは、間違いなく盲目的なファンの責任だと思います。
ここのところ、ひよった事ばかり書いてきましたが、機会が出来次第、そのあたりを「撃って」みたいですね。
>管理人さん
まあ、結局それですね。あれほど「俗物」の行動を忌み嫌っていた筈の田中芳樹が、自分は平然と俗物的行動を取る。節操のないところ、まるっきりトリューニヒトでしょう。きれい事ばかりではいかないのは事実でしょうけど、そんな世界に固執しなくてもいいのに、と思います。賞を取ることだけが、作家の評価じゃないのではないでしょうか。「SF小説なんか」って鼻も引っ掛けない雰囲気が歴史小説界にはあるのかも知れませんが、そんな下らない世界なんか放っておけばいいんですよ。「何とかしてしがみついてでも賞が欲しい」などという俗物的行動は、自分で散々非難しているのだからやめて欲しいですな。
以前書き忘れた、田中氏弁護。
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田中芳樹は、世間一般が「中国と言えば『三国志』!ビジネスにも処世術にも役立ちます!!」と言う風潮なのがお気に召さないそうである。なにも私は、安易に『三国志』だけで中国史を理解しようとする方々を弁護する気はさらさらない。が、なんか、機会あるごとに「そういった風潮を打破せねばネバ」と気負っている御仁に直面すると、ビジネス『三国志』よりも遙かに煙たいし、正直うざい
-----(以上「宣和堂」HPより)-----
いやあものすごく分かる、分かるんですが、このパターンは歴史好きの人は大なり小なり言いたがるじゃないですか。
この前清水義範「どうころんでも社会科」のカットでサイバラが書いてたんですが、「(竜馬の)地元・高知出身の私の意見としては、凄いのは竜馬というより司馬遼太郎のフカシでしょう」というのがありました。
実際司馬氏が「竜馬がゆく」を書くまで、彼が(少なくとも勝や西郷に匹敵するような)維新回天の大物だという評価はありませんでした。
「よし、その世間の評価を俺が筆一本で変えてやろう」という野心や「まったくシロートは、華やかな人物にばっかり目を向けやがって。こっちの○○のほうがずっと重要なんだよ」と蘊蓄をしたがるという光景はハタから見てると大いに迷惑ですが(笑)、歴史作家のモチベーションとしてはかなり「健全な野心」といっていいのではないでしょうか。
これはもう釣りバカが魚の大きさを誇り、ゴルフ馬鹿がハンデを吹聴するようなもので。
思い返せば私も「吉宗?あのなあ彼は保科正之の真似だよ」「リチャード王もフィリップも、フリードリヒ(トルコと和平した人のほうね)に比べたら器が違う」
「欧州で一番面白いのは、マリアテレジアとフリードリヒ(大王)とエカテリーナが張り合った時代だよ。ナポレオン時代なんか単純なだけ」などなど、ものすごうく恥ずかしい過去の発言が数々ある。(でも最後の欧州三国志、ほんとに誰か書いてくれないかな)・・・こうゆうこと、言いたくなるのよ。若さゆえの過ちで認めたくないものだが。
というわけで失敗に終わった?とは言え、中国のここが知られざる面白さなんだ!ということを紹介するという彼の初心には拍手を贈りたいと思うのであります。
下訳に任せて、自由な味付けも学術的厳密さもどっちつかずにしてしまい結果的につまらなくする・・・なんてことがこれからでもなくなれば、ですけど。
やあ、宣和堂であります。
新q太郎様、当家頁御閲覧ありがとうございます。
で、新q太郎様の曰く
>というわけで失敗に終わった?とは言え、中国のここが知られざる面白さなんだ!ということを紹介するという彼の初心には拍手を贈りたいと思うのであります。
そーですねぇ。彼が中国史を非常によく勉強しているのは分かるんです(たとえその根本資料が『アジア歴史事典』だったとしても)。自分も彼の初心に対しては拍手を送ります。
が、自分が田中芳樹に云いたいのは「無駄口叩かず面白いモノを書け」です。主張があるなら、作品で示してこそ作家でしょう(勿論、持論を挟み込んだ作品書けってことじゃなく、面白いモノ書けってコト)?素直に面白さを堪能できる作品を彼が書いてくれるのであれば文句なしです。ハッキリ言って、今の態度・姿勢のママでは、少なくとも中国史の好事家からはソッポを向かれたままでしょう。それではせっかく努力している彼も可哀想です。
>下訳に任せて、自由な味付けも学術的厳密さもどっちつかずにしてしまい結果的につまらなくする・・・なんてことがこれからでもなくなれば、ですけど。
まあ、コレに関しては、悪いことは言わないから、訳本だけには手を出すな!としか言えませんね(監修だけしとけばいいのに…)。ハッキリ言って彼の仕事じゃないでしょう(彼のネームバリューがないと企画は通らないでしょうし、批判が起こればそれはそれで、今まで紹介されていなかった文献が世の中に知られるでしょうから、彼の功績があるとすればその点ですね。でもこの人すぐその上に胡座かくから、自分の頁では褒めませんけどね…)。勿論、出れば自分は買うでしょうし、面白ければ家頁で絶賛します。が、つまらなければ、“罪”が又一つ増えるのかも知れないですね…。
ただ、面白いモノ書いてよ…。ホントに…。
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>田中芳樹は、世間一般が「中国と言えば『三国志』!ビジネスにも処世術にも役立ちます!!」と言う風潮なのがお気に召さないそうである。なにも私は、安易に『三国志』だけで中国史を理解しようとする方々を弁護する気はさらさらない。が、なんか、機会あるごとに「そういった風潮を打破せねばネバ」と気負っている御仁に直面すると、ビジネス『三国志』よりも遙かに煙たいし、正直うざい
>-----(以上「宣和堂」HPより)-----
おそらく、田中氏は「ビジネス三国志」だけを各個撃破で批判しておけば、充分に勝ち目はあったはずです。ところが、小説での行動と違い、彼は各個撃破をせず、「三国志が中国文学の代表」だと思っている風潮全部を敵にしてしまった。…勝てるわけないって(笑)。そもそも、「ビジネス三国志」という末端の小物ではなく、「三国志」という超大物に敵対して勝てるわけがない。
だいたい、彼は中国文学の超初心者に興味をもってもらえる小説を書いたでしょうか。
私は否だと思いますね。彼の中国ものの小説は、全然中国初心者向けになっていません。
彼の小説は、三国志とか水滸伝を読んでいることを前提にしているくらいのレベルがないと読むのが辛い。
結局、三国志を否定すると、自分の小説を読んで貰えない袋小路にいるのではないでしょうか。
「諸葛孔明や「三国志演義」なんて中国ではワン・オブ・ゼムでしかない。中国にはもっと沢山のすばらしい物語やヒーローが存在するのに日本人の興味が偏ってるのはけしからん。中国人に「日本の人は岳飛なんて知らないでしょう。」と言われると申訳無く思う。」
なんて趣旨のことを彼は言っているようですが、もしこれが「三国志しか読んでなくて岳飛をしらんのは馬鹿だ」という意味なら、まさにそのとおり。一般人は、岳飛なんか知らないし、知ってても光栄のゲームになってないから意味がない(笑)。
岳飛なんかに関しては、田中芳樹から見たらほとんどの人間は馬鹿ですよ。
ここで、彼がとる行動は、知らない人間を知らないと言うことをもって罵倒するか、啓蒙するしかない。
啓蒙は、前述の理由で大失敗。で、結局は創竜伝なんかの中で「三国志とかを知ったかぶってるけど実は中国について何も知らない」みたいなキャラを作って罵倒するわけですね。
私が引っかかるのはこの部分でして。岳飛を知っているだけで、お前はそんなに偉いのか? などと思うわけです。だって、例えるなら、漁師が趣味で釣りをやっているサラリーマンよりも魚の取り方について知識があるからと言って、サラリーマンよりも偉い訳じゃないでしょう。漁師には漁師の、サラリーマンにはサラリーマンの知識があるわけで、漁師が釣り好きのサラリーマンに「魚の知識が偏っている」「けしからん」だ何だと馬鹿にするのはお門違いというものです。
私が、2「田中芳樹は中国を知っているか?」を書いたのも、そのへんからです。たった一つの間違いをもって田中芳樹に中国の知識が無いと決めつけるなんて、乱暴ですよ。そんなことは、書いた本人だって判っています。しかし、それと同じ精神構造を間違いなく田中芳樹は持っている。敢えて挑発する意味をもって、あの文章を書きました。
(あの文章は、実はあの中で一番古い(かれこれ5,6年くらい前)ので、幼稚なのはカンベンしてやってくださいm(__)m)
どうも初めてかきこませていただきます。
以前ありました田中芳樹と酒見賢一のアニメージュでの対談ですが、
現物が手元にないのであれですが、たしか二人してシバリョーのことを讃えてましたよ。
元々司馬ファンの酒見は「坂の上の雲のヨーロッパの部分が面白かったので今度ナポレオンとか書いてほしい」と言ってましたが、
田中は「今後もアジアものを書いて一般人にアジアを広めてほしい」とか言ってました。
田中芳樹が司馬を嫌うようになったのは、この後書いた司馬の作品が
「街道をゆく台湾紀行」「草原の賦」とアジアものはいいけれど明確に反中共だったためでしょう。
どこかは忘れましたが、田中芳樹は将来台湾は中国に復帰するとか言ってましたし、
中共政府の悪口言うヤツはゆるせないんでしょう。