(http://www.tanautsu.net/kousatsu02_03_ag.htmlより)
どうも、はねだみずきです。何か言う気力がなくなってしばらく引っ込んでましたが、終戦勧告も出てますし、最後に私の小説の読み方に対するスタンスだけ言って終わりにしようと思います。
私も小説を書いているのでわかるのですが、そもそも、文章を書く時は「自分の言いたい事」と「説明しなきゃわからない事」を書くのが普通です。このうち、後者は重要です。つまり、文章として明記されてないことは「存在しない」のではなく、「誰もが知っている」事であるのが普通です。多分、これは田中芳樹氏も同じだと思います。Zeroさんが「給油シーンのない自動車小説・漫画があったとしても、それはその世界で給油をする必要がない事を意味しない」と言うことを仰っていましたが、それは「自動車は給油をしなきゃ動かない」と言う常識を作者も読者も持っているからですね。
ですから、小説を読んでいて特に明記されていない事柄に関しては、作者と読者の共通に持っている「常識」で説明がつくことが大半です。銀英伝の場合、現在の常識で説明がつかないので、ちゃんと説明が書かれている事柄としては超光速航行・通信の存在、世界背景としての帝国と同盟の存在と、そこに至る歴史などが挙げられます。
一方で、質量保存の法則が打ち破られたと言う記述はありませんから、「私たちの知る常識としての質量保存則の存在」は、銀英伝世界においても健在だと考えます。
もちろん、冒険風ライダーさんも膨大な作中の記述を拾い出して「無限の自給は成り立つ」と判断されたのでしょうが、私には暗黙の了解としての質量保存則を打ち破る証拠としては弱く見えたのです。
まぁ、犯罪捜査にたとえれば「(無限自給を肯定させるような)状況証拠はある。しかし、アリバイ(質量保存則)は成立しているから犯人(無限自給)とは断定できない」みたいな状況でしょうか。ちょっとわかり辛いですが。
よって、私の場合、無限の自給能力に関しては「銀英伝世界においても質量保存則は成り立つだろう」と言う判断の元に、否定側に回らせていただきました。
ただ、あくまでもこれが重要なのですが…これらの作品に対する解釈、読み方の方法論はあくまでも私のものです。冒険風ライダーさんには独自の方法論がおありでしょう。ですから、結局は第三者の目でどちらがより説得力があるか、と言う判断を待つしかないのでしょうね。それが分からなかったばかりに、雰囲気がちょっとトゲトゲしいものになってしまったのは残念でしたが、いい経験をさせていただきました。それについては感謝しております。
>はねだみずきさん
<私も小説を書いているのでわかるのですが、そもそも、文章を書く時は「自分の言いたい事」と「説明しなきゃわからない事」を書くのが普通です。このうち、後者は重要です。つまり、文章として明記されてないことは「存在しない」のではなく、「誰もが知っている」事であるのが普通です。多分、これは田中芳樹氏も同じだと思います。Zeroさんが「給油シーンのない自動車小説・漫画があったとしても、それはその世界で給油をする必要がない事を意味しない」と言うことを仰っていましたが、それは「自動車は給油をしなきゃ動かない」と言う常識を作者も読者も持っているからですね。
ですから、小説を読んでいて特に明記されていない事柄に関しては、作者と読者の共通に持っている「常識」で説明がつくことが大半です。銀英伝の場合、現在の常識で説明がつかないので、ちゃんと説明が書かれている事柄としては超光速航行・通信の存在、世界背景としての帝国と同盟の存在と、そこに至る歴史などが挙げられます。
一方で、質量保存の法則が打ち破られたと言う記述はありませんから、「私たちの知る常識としての質量保存則の存在」は、銀英伝世界においても健在だと考えます。
もちろん、冒険風ライダーさんも膨大な作中の記述を拾い出して「無限の自給は成り立つ」と判断されたのでしょうが、私には暗黙の了解としての質量保存則を打ち破る証拠としては弱く見えたのです。>
正直、そんな曖昧な定義に基づいた「私たちの知る常識」などを使って作品擁護論を展開していたとは思いませんでしたよ。道理で作中の記述や作品設定と著しくかけ離れた作品擁護論モドキが展開されていたはずですね。
そもそも、この「私たちの知る常識」なるものは一体どうやって定義するのでしょうか? 一口に「常識」と言ってもたくさんありますし、対象によって適用される「常識」が全く異なる場合もあります。せっかくですから燃費の例で見てみると、「自動車は給油をしなきゃ動かない」という「常識」は確かに存在するわけですが、その一方では「原子力空母は何年も無補給で稼動することができる」も存在します。「燃費」と言う観点から見ると、この2つは全く相反する「常識」ですが、この場合、どちらの「常識」を使用するかは使用者の主観的な価値観や判断によって左右されることになってしまい、使用者にとって都合の良い内容の「常識」のみが恣意的に使われてしまう恐れがあります。
また「自動車は給油をしなきゃ動かない」という「常識」自体、決して永久不変的なものではなく、燃料無補給で稼動する自動車というものが将来出現して「常識」が覆されるかもしれません。このように、「常識」とはたくさん存在し、かつ常に動き続けるものであるということをまず考えなくてはなりません。何しろ、はねだみずきさんの論法に従えば、「常識」を立証するのに作中の記述は必要ないのですから、どこからでも「常識」を持ってくることができるわけで、下手をすればそれによって作品そのものが捻じ曲げられてしまう危険性もないとは言い切れないでしょう。実際、はねだみずきさんの主張は銀英伝の作品設定に基づかない内容が非常に多かったように私には見えました。
さらに、田中芳樹は古今東西のSF作品に色々と精通しているようですし、銀英伝も「スタートレック」「宇宙戦艦ヤマト」「スターウォーズ」などといった「SF作品の常識」や設定をベースにして作品設定が構築されているようなので、銀英伝で特に記載されていない事柄が必ずしも「作者と読者の共通に持っている常識」で解決するとは限りませんし、仮に「私たちの知る常識」で説明できたとしても、「SF作品の常識」という全く別の「常識」でそれが覆されている可能性もありえます。実際、銀英伝世界にさも当たり前のように存在する「超光速通信」だの「3次元チェス」だの「立体TV(ソリビジョン)」だのといったものは、その詳細が作中でほとんど説明されていないにもかかわらず、実は「SF作品の常識」の中でしか存在し得ないシロモノなんですよね。銀英伝世界における要塞の自給自足システムも、これと全く同じ類のものだと私は思いましたよ。
以上のことから、作中に書かれていないことをもって、どこからともなく持ってきた「常識」を当てはめることは、作品論を語る際には不確実かつ極めて危険な行為であると考えます。作品を語る際には、やはり誰もが絶対的に理解できるほどに明確に定義されている作品設定および作中記述を基盤にした上で、それらの内容と矛盾をきたすことなく綺麗に合致する批判論なり擁護論なりを展開するべきでしょう。記述が存在しないからと言って、作品設定や作中記述と矛盾した「常識」を整合性も何も考えずに勝手に引っつけてしまっては、作品論としては本末転倒もはなはだしいではありませんか。
> 正直、そんな曖昧な定義に基づいた「私たちの知る常識」などを使って作品擁護論を展開していたとは思いませんでしたよ。
> 道理で作中の記述や作品設定と著しくかけ離れた作品擁護論モドキが展開されていたはずですね。
冒険風ライダーさんは、私がレッドカードと言った意味がまったく分かっていませんね。
あなたに作品批判を行う資格はありません。
もう二度とここで議論をしないでください。非常に不愉快です。
私たちはあなたにコケにされるために、ここに投稿しているのではありません。
他者を貶める事で自分を偉く見せようとするその精神性は、
田中芳樹が創竜伝で展開しているそれとまったく同じです。
批判する側が実は批判される側と同類であったとは皮肉なものです。
議論しているとき、相手と異なる主張している相手に、多少辛らつな表現を使うことがあるのは、当たり前のことでは?
まして、1対多で論戦を展開されたという事情も考えれば。
この状況での議論中、どこまでも物腰柔らかであることを求めるのは、サッカーのサポーターに「ワールドカップで日本が勝っても、会場を一歩出たら、騒がないように。周辺の住民の迷惑も考えましょう」と言うようなもので、理想ではあるけれど、現実性のないことに思えます。
それに、失礼ながら、今はMerkatzさんご自身、相手を貶める言い方をなされています。
しかも、冒険風ライダーさんが辛らつな言い方をされている時は、傍から読ませてもらっている私から見て、なるほどと思える根拠を備えてられます。(今回Merkatzさんが引用された、私たちの常識を元に、SFの世界を計るのは妥当ではないという見解もそう思います。)
そして管理人さんでもないMerkatzさんが、二度とここでは議論するなとまで言われる理由は、私からはよくわかりません。
冒険風ライダーさんの見解がご不満ならば、1965、1966で指摘されている点ならば、まずはどの辺の理論展開がでっち上げの裏設定なのかお聞きして、その上で再反論や批判なされればいいのでは。
今まで長いこと議論されてきた期間の長さを考えれば、疲労や飽きがあっても不思議ではなく、これこそ第三者だから言える現実性のない案かも知れません。ですが例えば、1966でMerkatzさんは、
> どこで線引きしようが、これらの論者の半分ほどが決めつけでモドキであるという言い草が、
> 極めて失礼な言い草であることは明白ですね。
と言われてますが、少なくとも私にはよくわかりません。
銀英伝をそう読み込んでないので、極端に言えば、具体的な原作の引用のない部分は全部「でっち上げの裏設定」に見えます。反面、どの説もそれぞれもっとものようにも見えます。
原作の読み込み度の違いだけで、こうなるのです。何か不幸な行き違いがあるのでは?
これが本当に最後。
> そもそも、この「私たちの知る常識」なるものは一体どうやって定義するのでしょうか?
そりゃ作者が定義するんですよ。作者が「このくらいのことは読者の人たちは常識としてわかるだろう」と考えたことです。少なくとも私は貴方みたいに明文化されたこと以外理解できない人間のことなぞ考慮してません。
> 燃料無補給で稼動する自動車というものが将来出現して「常識」が覆されるかもしれません。
本気でそんなものができるかもしれんと主張する時点で貴方の知識レベルの底の浅さは知れました。
物理を中学レベルからやり直してください。
> > 燃料無補給で稼動する自動車というものが将来出現して「常識」が覆されるかもしれません。
>
> 本気でそんなものができるかもしれんと主張する時点で貴方の知識レベルの底の浅さは知れました。
> 物理を中学レベルからやり直してください。
未来なら、工場で作られてからスクラップになるまで、ガソリンスタンドに行く必要もなく、燃費はタダ、公害も一切なしのソーラーカーがあるんじゃないかと思うんですが。
確かに中学レベルの理科のテスト今やって点が取れるかと言えば、かなり怪しいものがあります文系ですが。
分数のできない大学生がいる世の中、少なくとも分数はできる私、そうそうバカとも思ってません。
「25歳の独身男と1つ年下の美人部下が一晩一緒に過ごしたら、子供が産まれるかもしれない」みたいな、いつの世も変わらない普遍的な常識とか、「中世騎士道物語風の世界に電気製品はない」みたいな、過去の例から明白なことはともかく、未来技術に関しては、「これが常識」というものはないのでは。
2時間寝れば8時間寝たと同じリフレッシュ効果のあるタンクベッドと書かれれば、原理はよくわからなくても『未来だから』で納得するように、長征一万光年に50年かかったと書かれれば、未来だし50年間宇宙船内で自活可能なんだな、と思いますが。
議論において相手に対し攻撃的な態度を示すのは、うまく作用さえすれば議論内容にいい意味で緊張を含ませ、議論自体を活性化させる契機にもなりえるので、必ずしも悪い事ではないと思います。
そもそも冒険風ライダーさんの考察シリーズなどもこう言った論調で書かれており、こう言った辛口な文体こそがシリーズの魅力の一つとなっていると思いますので、自分としてはそういった姿勢を安易に「駄目」とは言いたくないですね。
ただ冒険風ライダーさんにも、ご自分の紡ぎ出した辛口な文章が議論相手やROMの諸氏にどの様な印象を与え、このHPにどのような影響をもたらすのかと言う事を充分に考慮なさった上で、玉稿を上梓して頂きたい所です。料理を辛くなさるのは結構ですが、味付けが不必要に辛過ぎては素材のよさや調理法の巧緻さが覆い隠されてしまい、その料理の真価が分からずじまいで終わってしまうと思いますので、味付けの見切りは慎重に行なった方がよろしいかと。
まことに僭越ですが、関係諸氏には冷静な対応を切に希望致します。
> 未来なら、工場で作られてからスクラップになるまで、ガソリンスタンドに行く必要もなく、燃費はタダ、公害も一切なしのソーラーカーがあるんじゃないかと思うんですが。
恐らく、冒険風ライダーさんはmnkさん同様ソーラーカーの様な
ものを想定されたのかもしれませんが、はねだみずきさんは、
質量保存の法則の話しをされているのでしょう。
ソーラーカーといえど、「ソーラーエネルギーの変換/補給(蓄積)」が
必要じゃないですか。「無補給」という言葉に引っかかったのでしょうね。
人為的な補給行為はいらないかもしれないけれど、自動補給行為は
あるでしょう。
#違っていたらごめんなさい。
只、僕も文系ながら考えるに、「工場からスクラップまで」人為
無補給は難しいように感じます。
例えば、件のソーラーカーですが、車の大きさや走行頻度によって
エネルギー消費量が違います。また、昼夜の光の度合いでエネルギー
の蓄積量も変わってくるでしょう。これに付随して、足りない
エネルギーの補給スタンドは存在するかもしれません。
勿論、これは僕の現在の技術の延長として想像する未来の技術への
想像で、どんな大型車がどれだけ走行しても再蓄積がそれを上回る
エネルギー変換システムが出来ないとも限りませんが。
まぁ、これも「作品」であれば、作者が「出来る」と規定すれば
全部条件クリアになります。
ですから、「タンクベッド」や「長征の自給」、冒険風ライダーさんの
書かれていた「3次元チェス」や「ソリヴィジョン」「要塞の自給自
足システム」「ガイエスブルグを根拠にした要塞移動技術」は作者が
「ある」と設定したから有りでしょう。
でも、個別にクリアな条件が相互作用するというのは作者が規定して
いないモノは「出来るかもしれないし、出来ないかもしれない」です。
この状況に該当するのが「要塞の自給自足システム」と「ガイエスブ
ルグを根拠にした要塞移動技術」を根拠にした「イゼルローン半永久
移動運用論」ですね。
僕は、作品内でガイエの実績がありつつその後に利用されない以上、
利用されないマイナス理由があると解釈しましたが。
まぁ、これも人それぞれ。
> > 燃料無補給で稼動する自動車というものが将来出現して「常識」が覆されるかもしれません。
>
> 本気でそんなものができるかもしれんと主張する時点で貴方の知識レベルの底の浅さは知れました。
超高効率のソーラーバッテリーカーというのは既存の自動車社会から見てある種の『燃料無補給』という事にならないでしょうか。
トンデモ本などで御馴染みのエマモーターとまで表記された訳ではありますまい故「善意に解釈しましょ(byオリビエ・ポプラン)」。
> 僕は、作品内でガイエの実績がありつつその後に利用されない以上、
> 利用されないマイナス理由があると解釈しましたが。
> まぁ、これも人それぞれ。
帝国サイドに関して言えば、皇帝にして総司令官のラインハルトの思考回路が「常識の極みかつ王道」を行っている代物ですから。
私は3巻のラインハルトは「キルヒアイス死亡の後遺症で若干ウロが来ていた」と思っております(加うるに憂さ晴らしに同盟への八つ当たりですかね)。
斬新さと珍奇さは紙一重ですのであまりラインハルトの好みにそぐわず昔ながらの「物量と状況で敵手を圧倒した正面決戦」に傾斜した部分があるのでしょう。
ただヤンがやらない理由は少々解せないですし、ラインハルトにしても6巻終了直後の最善手は「レンネンカンプの迷走の謝罪とヤンに対する公正な事態の解明と解決の確約の公布」だとは思いますが。
> あなたに作品批判を行う資格はありません。
> もう二度とここで議論をしないでください。非常に不愉快です。
失礼ですが、上記もとても冷静とは言い難いのではないですか?
これでは議論ではなく命令です。
あくまでも、ここは議論の場であることをご理解ください。
>平松さん
>管理人さん
ご忠告ありがとうございます。
不適当な部分は撤回を宣言させていただきます。
どうもすいませんでした。
しかし、約束を破った点については許す事はできません。
彼からの返答を待ちたいと思います。
>自分としてはそういった姿勢を安易に「駄目」とは言いたくないですね。
私も考察シリーズにおけるあの語り口は、
一つの芸(エンターテイメント)として評価できると思います。
しかしあれをそのまま議論に適用するのは駄目だろうとも思います。
>mnkさん
問題は彼の意見ではなく態度です。
過去ログをご覧になってください。
一度その点で目に余ったので忠告しました。
そして彼はそれを受け入れました。
にも関わらずまた同じ事を繰り返したので私は怒ったのです。
自分の議論相手を軽々にモドキ論とかデッチ上げだと断じるのは、
馬鹿にするにも程があると思います。
> これが本当に最後。
>
> > そもそも、この「私たちの知る常識」なるものは一体どうやって定義するのでしょうか?
>
> そりゃ作者が定義するんですよ。作者が「このくらいのことは読者の人たちは常識としてわかるだろう」と考えたことです。少なくとも私は貴方みたいに明文化されたこと以外理解できない人間のことなぞ考慮してません。
どこかで読んだんですが、
SF作品においては特に記述されていない事に関しては、
現在の常識で考えるという決まり事があるそうです。
だから「人間の目は二つで口が一つで・・・」なんて記述がなくても、
作品における人間は、現在の我々と同じ形態であると規定できるそうです。
だから記述に書いてないことを補完するのに、
現在の常識から推測する事は極めて真っ当なSF考証だと言えますね。
Merkatzさん
あらら、過去ログ読んでないように思われてしまいましたね。
過去ログを読みもせず感想を書き込んだりなんてできませんよ(^^;;
そして、怒っている理由が態度か意見そのものかの、2つのケースを考えて、それぞれ意見させていただいたんですが。
それに、一度注意されて反省なさっているのに、Merkatzさんが腹立たしく思うような表現がされたということは、どこかで不幸な行き違いがあるがゆえ、と思うんですが。疑問点のすり合わせもなしに、相手が口先だけで反省しただけで、何も思い直していない無礼者だと決め付けるのは、それこそ無礼なことではないでしょうか。
> どこかで読んだんですが、
> SF作品においては特に記述されていない事に関しては、
> 現在の常識で考えるという決まり事があるそうです。
> だから「人間の目は二つで口が一つで・・・」なんて記述がなくても、
> 作品における人間は、現在の我々と同じ形態であると規定できるそうです。
> だから記述に書いてないことを補完するのに、
> 現在の常識から推測する事は極めて真っ当なSF考証だと言えますね。
? もう一度書かせていただきますが、
> 「25歳の独身男と1つ年下の美人部下が一晩一緒に過ごしたら、子供が産まれるかもしれない」みたいな、いつの世も変わらない普遍的な常識とか、「中世騎士道物語風の世界に電気製品はない」みたいな、過去の例から明白なことはともかく、未来技術に関しては、「これが常識」というものはないのでは。
「人間の目は二つで口が一つで・・・」というのは、普遍的な常識ですよね(クローン技術の発達とかは置いといて)。それと5年も経てば変わってしまう技術的な常識と同列に考えるのは変ではないでしょうか。
それに、そんなコロコロ変わってしまう技術的な常識まで前提にして話を作っては、発表後20年くらい経ってから読んだ場合、不都合なことになりそうです。読者が20歳前後として、自分が赤ちゃんだった頃の常識を知ってから読めというのは乱暴ですし、かといって『現在』の常識を前提にしては、作者が意図から大きく外れてしまうかも。
そんな、作品の賞味期限を著しく短くしてしまうような常識がSFの世界にはあるんでしょうか?
>それに、一度注意されて反省なさっているのに、
>Merkatzさんが腹立たしく思うような表現がされたということは、
>どこかで不幸な行き違いがあるがゆえ、と思うんですが。
>疑問点のすり合わせもなしに、相手が口先だけで反省しただけで、何も思い直していない無礼者だと決め付けるのは、
>それこそ無礼なことではないでしょうか。
そうですか?
私は1823においてはっきりと述べていますよ。
「その人を見下して馬鹿にする議論のやり方は反省してほしい」
「議論の中身じゃなくて、いちいち人を馬鹿にした言い方をそこかしこにして、そこに腹が立つんだけど」
と、彼の態度に問題があることを指摘しています。
それに対する彼の返答(1840)が、
「気が立って結果的に挑発的な論調となってしまっていたようで」
「もう少し文章を抑えていくように努力していきます」
ですから、私の言わんとしている事を誤解している事はありえないですよ。
彼の1960の書き込みは、口先だけで反省しただけで、
何も思い直していない無礼者だと思わせるには充分すぎます。
> どこかで読んだんですが、
> SF作品においては特に記述されていない事に関しては、
> 現在の常識で考えるという決まり事があるそうです。
SF関係の掲示板をウロウロしていたときに見たものだったので、
一字一句あの通りではありませんが、
何でも偉いSF作家が決めたルールらしいです。
「常識」ではなく、「設定or科学orそれに類似した語句」だったかもしれません。
> 「25歳の独身男と1つ年下の美人部下が一晩一緒に過ごしたら、子供が産まれるかもしれない」みたいな、いつの世も変わらない普遍的な常識とか、「中世騎士道物語風の世界に電気製品はない」みたいな、過去の例から明白なことはともかく、未来技術に関しては、「これが常識」というものはないのでは。
倫理道徳と歴史考証と科学をイコールにして扱うのですか?
別次元のものを一緒くたに語ってどうするのですか。
紹介している言は、ワープやモビルスーツなど明記してある設定は、
例え物理法則に反しようとも「あるからある」というのがSFであり、
それ以外の記述の無い設定は、現代の設定で考えるということであって、
SF作品は現代科学の枠から出られないということではありません。
そもそもSF作品における批評とは何でしょうか?
冒険風ライダー氏は聞いたことも無い理屈を出して、これに当てはまらないから我々の論はでっち上げでモドキあり、
より細分化された新たな疑問がほとんど永久機関のごとく飛び出してくるという、常に無限の回答を強いられるお粗末なものだということを言ってますが、
では記述「のみ」を繋ぎ合わせて矛盾が全く無いSF作品なんてあるのでしょうか?
SF作品において完璧に矛盾の存在しない作品は存在しないでしょう。
ヤマトもガンダムもウルトラマンも、突き詰めてゆけば皆最後は崩壊します。
(その辺りはファンサイトなどで散々語り尽くされているし、
より詳しい著書も最近は出ているようで手軽に読める)
例えばワープ一つ取ってみても、諸種物理法則に抵触し、
他の描写まで制約を受ける羽目になりますよね?
それを言い出すと作品が成り立たなくなるので、
「あるものはある」と規定してしまうのがSF(サイエンス・フィクション)でしょう?
(たとえ物理法則無視でも)
では記述にない事項に関しては?
穴埋め補完をしなければ到底無理でしょう。
ここにシャーロッキアンと呼ばれる類いのファンが活躍する余地があるわけで、
初級のシャーロッキアンはただ作品の矛盾を見つけて喜び、
上級のシャーロッキアンは矛盾そのものをうまく説明してしまう、と言います。
私には冒険風ライダーさんは、
都合よく初級シャーロッキアンと上級シャーロッキアンの顔を使い分けているように思えます。
要塞が移動できるという根拠は記述によるものです。
しかし無限補給システムがあるというのは記述にはありません。
どこにも明示されていません。
ただ、「これとあれの記述からそうとしか読めない」と補完しているだけです。
したがって我々もその補完は「うまい説明」かどうかの検証をします。
ここにおいて上級シャーロッキアン同士の「矛盾そのものをうまく説明する」作業の比べ合いのはずが、
一転向こうは、「ただ作品の矛盾を見つけて喜ぶ」レベルに下がってしまいます。
これではこちらと議論が噛み合うはずがありません。
矛盾をいかにうまく説明するかという作業をしている最中に、
ただの矛盾指摘をやられては土俵が違うわけですから。
でもこんな自転車操業的な論理の構築をしていけば、
行き詰まるのは当然の帰結で、
ついには長征一万光年というもっとも記述が少なく、補完がどうとでも出来るものを持ち出して、
自説を補強せざるを得なくなったわけです。
平たく言って長征一万光年はドライアイスの船を作って脱出したと、ただそれだけです。
明示されているSF設定は、ドライアイスで宇宙船が作れるということのみ。
無限補給や要塞用巨大エンジンなど一言も書かれていません。
それは「矛盾そのものをうまく説明してしまう」作業でしかないのです。
もう一度最初の問いに戻ります。
SF作品における批評とは何でしょうか?
冒険風ライダー氏は設定破綻を指摘する事こそ作品尊重だと決め付けていますが、
ヤマトもガンダムもウルトラマンも、突き詰めてゆけば皆最後は崩壊します。
SF設定とはそういう存在です。
作品を破壊する事が作品尊重なのですか?
誰かSF作品の正しい批評の在り方を教えて欲しい。
> 倫理道徳と歴史考証と科学をイコールにして扱うのですか?
> 別次元のものを一緒くたに語ってどうするのですか。
> 紹介している言は、ワープやモビルスーツなど明記してある設定は、
> 例え物理法則に反しようとも「あるからある」というのがSFであり、
> それ以外の記述の無い設定は、現代の設定で考えるということであって、
> SF作品は現代科学の枠から出られないということではありません。
あの~、私が挙げたのは『常識』というカテゴリに含まれるだろう例なんですが。(それとば25歳~はどっちかと言えば倫理じゃなくて生物と風俗)
動物の話をしているとき、動物の例として、カメとウサギを挙げたら、いきなり爬虫類と哺乳類をいっしょくたにするのか、などと言われても困惑するばかりです……。
それと、科学技術の話も『本編に記述のない部分』についてのことだ、というのは、だいたい話の前後の流れから検討がつかなかったですか?
それと……、
> SF関係の掲示板をウロウロしていたときに見たものだったので、
> 一字一句あの通りではありませんが、
> 何でも偉いSF作家が決めたルールらしいです。
をこの議論に持ち込むとして、ぱっと思い浮かぶだけでも
1、そのネット上の情報は信用できるものなのか
2、偉いSF作家の作ったそのルールが相当程度に一般的なものなのか(相当程度に一般的なら、ネット上のしかるべきサイトで簡単に似た記述が見つかるでしょう)
3、銀英伝はSFとして書かれたものか
4、SFだとして、執筆時の田中先生はそのルールをご存知だったか(例えば90年代に作られたルールだったら、ご存知なわけないです)
以上はっきりされない限り、根拠として弱いのではないかと。
議論の一番最初に「確かに冒険風ライダーさんの言われるとおり、記述から推測する限り、移動要塞戦術は可能だし、実際ヤンたちが取った行動よりずっと有用」という点で、きちんと合意しておく必要があったんでは。
そしたら次の段階として「じゃあどうしてその行動が取らなかったと思う?」って話に進むことができたんでは。
「できる」という認められずに「本当にそんなことが可能か~?」と言われては、提案した側は可能だと言う根拠を挙げていかなきゃならなかったのでは? 疑問が無限に湧き出てくる矛盾のつつきあいの段階から出られなくて仕方なかったんでは?
> 「その人を見下して馬鹿にする議論のやり方は反省してほしい」
> 「議論の中身じゃなくて、いちいち人を馬鹿にした言い方をそこかしこにして、そこに腹が立つんだけど」
> と、彼の態度に問題があることを指摘しています。
> それに対する彼の返答(1840)が、
> 「気が立って結果的に挑発的な論調となってしまっていたようで」
> 「もう少し文章を抑えていくように努力していきます」
> ですから、私の言わんとしている事を誤解している事はありえないですよ。
> 彼の1960の書き込みは、口先だけで反省しただけで、
> 何も思い直していない無礼者だと思わせるには充分すぎます。
S.Kさんのおっしゃるように「善意で解釈しま」せんか?
「誤解した」じゃなくて、「基準が違う」だけかも知れませんよ。
少なくとも私は、注意されてからの冒険風ライダーさんの書き込みには、ちょっとマイルドになったと感じましたよ。
それに相手の無礼を責めるのに、そのように高圧的に出ても、大概の場合逆効果ですし、傍からも「どっちもどっちじゃないか」と思われるだけです。
> どこかで読んだんですが、
> SF作品においては特に記述されていない事に関しては、
> 現在の常識で考えるという決まり事があるそうです。
なるほど。
このテの規定に関しては、明文されずともある程度の暗黙の了解が
あると言えそうですね。言ってしまえば、SFに限らず創作品全て。
#それがないと収拾がつかないとも言えますし・・・
只、冒険風ライダーさんの書かれているように、「常識」自体に
対する解釈って場合によりけりのことが確かにあるんですよね。
例えば、ある項目について、「A」と「B」という解釈があるとして、
仮に「A」の方がより多くの人に支持される選択肢だとしても、作者が
「B」を常識と考えている場合、常識通りに読み取ると作品としての
つじつまが合わない可能性がある訳です。
でも読者側がいちいちそんなことを考えながら読むのもつまらない
と思いますし、そんな時僕はこう規定してます。
「その解釈で作品内のつじつまが合わない場合は、解釈間違い」
只、そういう常識解釈(現存しないモノへの想像事項とかも含めて)
とかが作者と無意識化に共有出来ているからこそ、その作品を自然に
受け入れられてるとも思ってますが。
> 議論の一番最初に「確かに冒険風ライダーさんの言われるとおり、記述から推測する限り、移動要塞戦術は可能だし、実際ヤンたちが取った行動よりずっと有用」という点で、きちんと合意しておく必要があったんでは。
この辺りは、結局「移動要塞恒常運用の可不可」のどちらの支持者か
で意見が変わるのでしょう。
ここは個人の解釈ですから、双方が相手を納得させることが難しいです。
「技術的」合意は取れると思います。ガイエという記述証拠がありますから。
が、「運用に関しての」合意は、「運用へのマイナス要素を無い事に
して」という前提を無条件に規定するというif設定をしない限り、
まず取れません。
> そしたら次の段階として「じゃあどうしてその行動が取らなかったと思う?」って話に進むことができたんでは。
これには全く同意です。
上記した「マイナス要素」があると思いますので。
#「キャラクタが愚かだった」とかはナシにしてほしいですが・・・
> 「できる」という認められずに「本当にそんなことが可能か~?」と言われては、提案した側は可能だと言う根拠を挙げていかなきゃならなかったのでは? 疑問が無限に湧き出てくる矛盾のつつきあいの段階から出られなくて仕方なかったんでは?
そうですね。
でも結局の所、「出来る」と「出来るかどうかわからない」の意見の
応酬では充分予測できる結果だったと思います。
日米のロケットの話しがありましたよね。
技術問題クリアしても、アクシデント要素はいつもつきまとう訳で、
「運用ミスったら要塞爆発して民主共和制終了」という結果も有り得
るのに、「現状のままではジリ貧だから」を理由に「論」を肯定して
も意味がないと思うのです。
一つの論であっても、現状の否定根拠にはならないと思うのですが、
とうですか?
再三書いてますが、「論」としてはおもしろいんですよ。移動要塞運用。
作品批判材料として利用している所が「ボタンの掛け違い」の発端かと・・・
とにもかくにも一応終戦宣言をして議論から撤退していたところを無理矢理呼びつけられるのは正直言って不本意ですし、妙な誤解に基づいて難癖をつけられるのも不愉快極まりないので無視したいところなのですが、それではせっかく私の主張を擁護してくださっている人達に申し訳が立ちませんので、とりあえず私自身の回答を書いておきます。
>議論相手に対する礼儀云々の件
何を根本的に勘違いしたのかは知りませんが、平松さんに対する私のあの謝罪宣言は「議論の流れとは何の関係もない『個人的な事情』から、議論相手の主張内容ではなく、議論相手そのものに対して半ば当り散らすような『挑発的・威嚇的発言』を『議論の流れとは無関係に』行ったことで、相手に不快感を抱かせてしまったこと」に対するものですよ。No.1836で管理人さんが仰っていたように、アレは議論進行上必要と判断して確信犯的にやっていたわけではなく、たかだか個人的な事情で「結果として」配慮に欠けた発言ミスを行ってしまったが故の謝罪宣言であり、だからこそ、その後の発言に関しては、あのような失敗を二度と繰り返さないように「できるだけ感情的にならず、あくまでも議論のみを見据えて」議論を進行させるように務めてきたつもりです。
しかしあの作品擁護論云々の件に関しては全く事情が異なるでしょう。あそこに至るまでの議論過程で、私は「作品設定および作中記述と全く矛盾せず綺麗に合致する作品擁護論を展開するべきである」「作品擁護論は作品批判論などよりはるかに難しい」と、その理由も付記して何度も繰り返し述べていたにもかかわらず、平松さんを除いた全ての議論相手がそれを完全に黙殺した挙句、作品設定にも作中記述にも何ら基づかない「空想科学読本」的な論ばかり展開していたではありませんか。そのような愚劣な「作品擁護論モドキ」ないしは「でっち上げの裏設定」、もっとはっきり言えば「作品改竄論」が、とにもかくにも作品設定および作中記述に対して忠実に展開していた私の作品批判論と同列に並べられるのが、私にとっては非常に不本意であったからこそ、あのような物言いを「意図的かつ確信犯的に」行って見せたわけです。
私は今までだって話の分からない議論相手に対しては「意図的かつ確信犯的な挑発的発言」をしばしば行ってきましたし、これからもその考えを変えるつもりはありません(それこそ過去ログを読めばお分かりいただけるでしょう)。ただ、それが相手に対して与える感情的な反発や議論に与える影響はきちんと考慮しなければならないからこそ、そのような発言には慎重さが求められるのであり、平松さんの件に関しては結果としてそれが欠けていた故に、その非礼と配慮不足を詫びたわけです。別に「誰彼問わず、全ての議論相手に対して無制限の礼儀を守り続ける」と誓った覚えなど、私には全くありませんけどね。
どこからともなく持ってきた「謝罪の定義」を、私の主張に無理矢理当てはめて居丈高に私を攻撃するのは止めていただきたいですね。「あの」Merkatzさんならば、この愚劣な思想ないしは常識の押しつけを理解できないはずもなかろうと思いますが?
No.2008
<要塞が移動できるという根拠は記述によるものです。
しかし無限補給システムがあるというのは記述にはありません。
どこにも明示されていません。
ただ、「これとあれの記述からそうとしか読めない」と補完しているだけです。
したがって我々もその補完は「うまい説明」かどうかの検証をします。
ここにおいて上級シャーロッキアン同士の「矛盾そのものをうまく説明する」作業の比べ合いのはずが、
一転向こうは、「ただ作品の矛盾を見つけて喜ぶ」レベルに下がってしまいます。
これではこちらと議論が噛み合うはずがありません。
矛盾をいかにうまく説明するかという作業をしている最中に、
ただの矛盾指摘をやられては土俵が違うわけですから。>
は? あれだけ銀英伝の作品設定と作品記述に基づいた物的証拠が明示されていれば「無限の自給自足システム」の立証責任は充分すぎるほどに達成されているでしょうに。しかも、それを論破する側の理論的根拠が、設定無視の「空想科学読本」的な発想でしかないというのではねぇ~。作品擁護派ともあろう者が、銀英伝の作品設定ごと私の主張を破壊して一体何の意味があると言うのです?
何度も言っていますけど、作品論を語る際には作品擁護派こそが作品批判派以上に作品設定と作中記述を重視しなければならないはずでしょう。それを「SF設定は矛盾が多いから」と既存の作品設定を完全に無視してしまった時点で、作品擁護派としては完全に失格ですね。既存の設定を切り捨てて新たに裏設定が作り上げられた作品は、たとえそれがどんなに精巧にできていたところで、原作の原型を全く留めないものとならざるをえなくなってしまうのですから。
第一、「作品批判論は詳細な検証が行われなければならないが、作品擁護論はたとえどんなものでも受け入れられるべきだ」なんて御都合主義的かつ甘ったれた主張などいいかげんに止めていただきたいですね。作品擁護派の考えついた裏設定とやらがことごとく叩き落されていったのは、作品設定と作中記述を無視して裏設定が考えられているがために作品世界との整合性が全く取れておらず、そのために新たな矛盾が出現してしまうという致命的欠陥が存在したからです。私に言わせれば、たかだかあの程度の作品設定・記述検証にも耐えられない低レベルな裏設定しか考えられない作品擁護派の方にこそ問題があるのですよ。何しろ、記述解釈論争のレベルにすら至っていないわけなのですから。
作品設定と作中記述を重視し、作品世界との整合性が綺麗に取れていた作品擁護論と言えば、要塞の「無限自給自足システム」を星間物質で説明したNo.1744のTomoさんの投稿と、あとは平松さんの投稿群くらいなものでしょう。このレベルであれば私も「たとえ最終的に議論が平行線で終わるにしても、それらの論が自分の論と同等の説得力を持つことは認めても良い」と考えられなくもありませんでしたが、その他の作品擁護論はそもそも作品設定と作中記述を完全にないがしろにしていたわけですから、作品論としては全く論外としか言いようがなかったわけです。そのようなものは個人個人で誰にも洩らさず一人で勝手に納得していれば良いのであって、すくなくとも互いの主義主張をぶつけ合う議論の場で持ち出すべきではないでしょう。
たとえどんなに作品設定および作中記述が矛盾していようと、批判・擁護を問わず、それらは決して無視してはならないものなのです。だからこそ、作品擁護論は作品批判論よりもはるかに難しいのであるという事実をいいかげんに受け入れてください。今回の議論における作品擁護派を見ていると、作品擁護論というのは「何も調べずに手軽に作れるものである」という誤解があるように思えてならないのですが。
<SF作品における批評とは何でしょうか?
冒険風ライダー氏は設定破綻を指摘する事こそ作品尊重だと決め付けていますが、
ヤマトもガンダムもウルトラマンも、突き詰めてゆけば皆最後は崩壊します。
SF設定とはそういう存在です。
作品を破壊する事が作品尊重なのですか?>
肝心な部分が抜けていますな。私が言わんとするところは「作品や作者が訴えるテーマに対する言及に関しては、作者の意図も作品設定も全く尊重しない安易な作品擁護論などを展開されるよりも、設定・思想的破綻を素直に指摘するやり方こそが作品および作者に対する最高の敬意の証となる」なのですから、前半部分を故意に削除してもらっては困りますね。
第一、今回私は「SF設定の矛盾」とやらを問題にした覚えなど全くないのですけどね。「無限の自給自足関連」に関しても、私は「その存在自体問題である」と述べていたわけではなく、それが存在するにもかかわらず全く有効活用しようとしないキャラクターの行動や作品テーマの破綻の方を問題視していたわけなのから。SF設定に関しては、むしろ作品擁護派の方こそが「空想科学読本」の論法を使って私の主張もろとも破壊することに熱中していたようにすら見えるのですけど。
SFに限らず、批評の進め方全般の話ですが……
> この辺りは、結局「移動要塞恒常運用の可不可」のどちらの支持者か
> で意見が変わるのでしょう。
そうですね。
その時点で意見が割れるのなら、「その戦術がどうして使われなかったのか」まで話が進まなくても仕方なかったもかも……。
(見落としがあるかも知れませんが)一連の移動要塞の件で議論されたこと、またはされ得たことは
1、移動要塞戦術が成り立つか
2、成り立つとして、なぜ作中でその作戦が使われなかったか
3、使われなかった説明がつかないとして、それが作品にとって致命的な矛盾点か
だったように見えます。
1が成り立ってなければ、2を議論する必要はありません。(戦術自体が成り立たないから)
2の説明がつくなら、3の議論は必要ありません。(キャラの行動が話を破綻させないから)
同じ反論でも、その段階の違いによって、説得力が変わってきます。
例えば「ワープに失敗して要塞消滅する可能性が高すぎる」と反論にありましたが……、
議論が1の時点に留まっている場合、あまり有効な反論じゃなさそうです。1の時点では、とにかく成功の可能性があることさえ証明されればいいんですから。
けど、2の時点で出された反論だとしたら、1の時に比べて遥かに強力な反証になりそうです。例えば「俺はカイザーを引っかいてやりたくてヤン提督について来たんだ。変な実験で犬死したくて来たんじゃない~」って世論が過半数を超えて、イゼルローンは博打戦法に出られなくなった、みたいな可能性を検討してかなきゃならなくなりますし。
1、2、3、どの段階の議論をしているか、はっきりさせず、新しい説を持ち出す人は、その説にとって一番説得力持ちえるものを前提として、反論する側は一番不利になるものを前提にする……、という傾向があったから、各論者のみなさん同士の合意が形成されづらくなったんじゃないかな、と思います。
さらに、ただでさえ複雑なところに、作品批判や擁護のあり方や妥当性みたいな論点まで出てきて、さらに複雑になってしまったんでは?
(個人的には、作品の致命的な構造的矛盾を突く論と、作品を擁護する論と、どっちが格上とか正しいなんて格の差はないと思います。
こちらでは、擁護する方が上級シャーロキアンとか呼ばれて偉いように言われてましたが。
極端な例出しますが、無限に補給する必要ない魔法システムが銀英伝の記述から導き出されてしまうことを発見して、補給の大切さを説く他の数々の記述との矛盾を証明するのと、「食料品会社やエネルギー会社がこんなシステムがあっては商売上がったりだと政府に働きかけたんで、その技術は闇に葬られた」なんていい加減に矛盾に説明つけるのとでは、矛盾発見する方が格上だと思いますし……)
思いのほか長くなりましたが、何を証明しようとしているのかという前提条件を各論者同士確認しながら話を進めた方が、わかりやすいし、必要以上にこじれずに済むんじゃないかな、という意見です。