こんばんは、
私も、銀英伝世界では宗教の勢力が強い、と考えます。
ただ、地球教の描き方にみられるように、作者自身が宗教を否定的に捉えており、ヤンやラインハルトのような主役たちが、この点で作者の考えを代表していますので、つい、宗教の影響が小さいような印象を受けるのでしょう。
それでも、ラインハルトなどは、アムリッツァの戦いに諸将を送りだすとき、次のように激励しています。
<「勝利はすでに確定している。このうえはそれを完全なものにせねばならぬ。叛乱軍の身のほど知らずどもを生かして還すな。その条件は充分にととのっているのだ。卿らの上に大神オーディンの恩寵あらんことを。プロージット!」(黎明篇第八章-4)>
この例だけでなく、帝国人がオーディンに祈ったり訴えたりする場面は枚挙にいとまがありません。
<「大神オーディンも照覧あれ。ケンプ提督の復讐は必ずする。ヤン・ウェンリーの首を、この手につかんでやるぞ!」(雌伏篇第八章-6、ミュラー)>
<彼(ミッターマイヤー)の妻エヴァンゼリンにしても、夫の出征のつど、信頼と不安を交錯させつつ無事を大神オーディンに祈念する必要はなくなるにちがいない。(乱離篇第七章-3)>
<マリーンドルフ家の家令ハンス・シュテルツァーは、前夜から大神オーディンに晴天を祈念したが(落日篇第一章-3)>
<ミュッケンベルガーは、理由のない不安が胸中に蠢動するのをおぼえた。
「大神オーディンよ、心あらば、わが正義の軍をして凱歌をあげさせたまえ」
ミュッケンベルガー元帥は声に出して祈った。(外伝1第七章-4)>
自由惑星同盟はどうでしょう。
同盟人が神に祈る直接的な描写は、銀英伝を通じて登場しませんが、それでも推測は可能です。例えば次の部分ですが、
<彼(ヤン)が神について発言したとき、新妻のフレデリカは思わず彼の顔を見なおし、彼女の夫が神とインフレーシヨンとを同一視していることに、多少の不安を禁じえなかったものである。(飛翔篇第五章-1)>
フレデリカが何をどう不安がったのか、具体的な説明がないのですが、なにかといえば神を揶揄するヤンの言動に不安を抱いたのではないでしょうか?彼女はヤンよりもはるかに「常識人」ですし、この点で同盟人の多数を代表していると思われます。
さらに、外伝2「ユリアンのイゼルローン日記」には、より直接的な描写が出てきます。
<ぼくの経験では、ヤン提督はけっこう怪談や恐怖小説のたぐいが好きだった。むろん話として好きなので、神秘主義を真剣に奉じている人とは友人づきあいする気がないそうだ。(第二章七九六年一二月一六日)>
言いかえれば、神秘主義を真剣に奉じる人がいる、ということです。
<「すべての人類が統一された精神体の一部となり、まったくおなじように考え、おなじように感じ、おなじ価値観をもつようになれば、人間の種としての進化が達成できるのです」
そうとなえる宗教家の主張を立体TVで聞いたとき、ヤン提督は不愉快そうにそっぽをむいてつぶやいた(第三章七九七年一月四日)>
そういうことを訴える宗教家が立体TVに出てくるほど、宗教の影響が強いということでしょう。コーネフとポプランの以下のかけあいもあります。
<「無思慮、無分別、無鉄砲、無節操、無責任、無反省」
「だいじなものを忘れているぜ、無神論と無欲と無敵」
三杯めのコーヒーをまずそうに飲みほして、ポプラン少佐が口をはさんだ。
(第三章七九七年一月一三日)>
ポプランが、わざわざ「無神論」を入れたのは、無神論ではない多数派への反抗でしょう。
> 私も、銀英伝世界では宗教の勢力が強い、と考えます。
>
> ただ、地球教の描き方にみられるように、作者自身が宗教を否定的に捉えており、ヤンやラインハルトのような主役たちが、この点で作者の考えを代表していますので、つい、宗教の影響が小さいような印象を受けるのでしょう。
「宗教の勢力が強い」とはどういう基準で言っているのでしょうか?
わたしは現実の世界と比較して「銀英伝世界では宗教の勢力が弱い」と考えています。
帝国では、葬式、結婚式、戴冠式において宗教色が全く見られず、(地球教以外の)聖職者ならびに宗教施設も存在せずしばしば見られる「オーディン信仰」も単なる神頼みにすぎません。
キャラクターが神を畏れるといった描写もありませんし、日常的な宗教行為(食前の祈り等)も有りません。
よって宗教の影響は部分的には現代日本よりも強いと思わせるところは有っても総合的に言えば同レベルですので、「弱い」と判断します。
同盟については地球教以外の宗教を信じているキャラクターが一人も出てきておらず、いかなる行事においても宗教色がないことから明らかに現代日本と比較しても宗教の勢力は弱いので、こちらも「弱い」と判断します。
> <彼(ヤン)が神について発言したとき、新妻のフレデリカは思わず彼の顔を見なおし、彼女の夫が神とインフレーシヨンとを同一視していることに、多少の不安を禁じえなかったものである。(飛翔篇第五章-1)>
>
> フレデリカが何をどう不安がったのか、具体的な説明がないのですが、なにかといえば神を揶揄するヤンの言動に不安を抱いたのではないでしょうか?彼女はヤンよりもはるかに「常識人」ですし、この点で同盟人の多数を代表していると思われます。
無宗教の現代日本人であるわたしから見てもヤンの発言は不安なんですが?
> <ぼくの経験では、ヤン提督はけっこう怪談や恐怖小説のたぐいが好きだった。むろん話として好きなので、神秘主義を真剣に奉じている人とは友人づきあいする気がないそうだ。(第二章七九六年一二月一六日)>
>
> 言いかえれば、神秘主義を真剣に奉じる人がいる、ということです。
「神秘主義を真剣に奉じる人」くらい現代日本にもいますけど?
> <「すべての人類が統一された精神体の一部となり、まったくおなじように考え、おなじように感じ、おなじ価値観をもつようになれば、人間の種としての進化が達成できるのです」
> そうとなえる宗教家の主張を立体TVで聞いたとき、ヤン提督は不愉快そうにそっぽをむいてつぶやいた(第三章七九七年一月四日)>
>
> そういうことを訴える宗教家が立体TVに出てくるほど、宗教の影響が強いということでしょう。コーネフとポプランの以下のかけあいもあります
日本でも宗教家がTVで発言することくらいあります。発言内容については社会がそれを受け入れられるかどうかだけの違いでは?
当事の同盟ではこのような全体主義的な発言も許容範囲だったと思います。
> <「無思慮、無分別、無鉄砲、無節操、無責任、無反省」
> 「だいじなものを忘れているぜ、無神論と無欲と無敵」
> 三杯めのコーヒーをまずそうに飲みほして、ポプラン少佐が口をはさんだ。
> (第三章七九七年一月一三日)>
>
> ポプランが、わざわざ「無神論」を入れたのは、無神論ではない多数派への反抗でしょう。
ポプランのキャラクターなら無神論が多数派でもこのくらい言うでしょう。
蜃気楼さん、
そもそも「宗教とはなにか」という点で、あなたと私では定義が異なるのかもしれません。
>帝国では、葬式、結婚式、戴冠式において宗教色が全く見られず、(地球教以外の)聖職者ならびに宗教施設も存在せずしばしば見られる「オーディン信仰」も単なる神頼みにすぎません。
冠婚葬祭に宗教が持ち込まれたり、聖職者や宗教施設が存在するのは、宗教の一つの形態ですが、その本質ではないでしょう。お坊さんを呼んでお葬式をやりなさいと、お釈迦さんが教えましたか?
私は、「宗教」を次のように解釈しています。
*宇宙には、人間の理解と支配が及ばないことがある
*それを支配する「超越的存在」がある
*そのような超越的存在とは交信可能である
いいかえれば、あなたが「単なる神頼み」と呼ぶものの方が、冠婚葬祭や聖職者などより、宗教の本質に近いのです。帝国人のオーディン信仰がこれに該当します。
>キャラクターが神を畏れるといった描写もありませんし、
いいえ、あります。ロイエンタールが生まれたときの、神罰を恐れる彼の母親を思い出してください。彼女の夫は青い目、愛人は黒い目、そして生まれた子供は青と黒のヘテロクロミアでした。このとき、
<彼女は神の悪意を信じ、恐怖に駆られた。(雌伏篇第二章-4)>
のです。
>無宗教の現代日本人であるわたしから見てもヤンの発言は不安なんですが?
あなたが、宗教とは無関係のどういう理由でヤンの発言を「不安」に思われるのか、説明いただけますでしょうか?
>日本でも宗教家がTVで発言することくらいあります。発言内容については社会がそれを受け入れられるかどうかだけの違いでは?
>当事の同盟ではこのような全体主義的な発言も許容範囲だったと思います。
もちろん許容範囲です。しかし許容されることとTVで発言できることは同じではありません。現在の日本でもファシズムやコミュニズムを支持する自由はあるし、実際に支持する人もいるでしょう。しかし、TVに出演してそれを主張する人を見つけるのは、いまや非常に難しいのではありませんか?ある程度の支持者がいる思想でなければ、TV局が発言者を登場させることはないと思います。(「ヘンなことを言う奴」を見世物的に出演させるのは、別ですよ。)
なによりも、宗教者が自分たちだけの世界で信仰を抱いているのなら、ヤンのように個人主義性向の強い人物が「不快」に思うはずがありません。「他人は他人、自分は自分」と、気にもとめないでしょう。
ヤンが不快になるのは、宗教者が社会的な影響力、とりわけ信仰を強制する力をもつからです。銀英伝における「宗教」はそのように描かれており、その代表が地球教なのです。
>ポプランのキャラクターなら無神論が多数派でもこのくらい言うでしょう。
そうでしょうか?ポプランのキャラクターなら、自分が無神論でも、そちらが多数派ならわざと反対を言うと思いますが。
以前にも書きましたが、銀英伝世界の人々に宗教を受け入れる素地がなくては、地球教が勢力を伸ばすことも不可能という点をお考えください。
こんにちは、Kenさん。
いずれ蜃気楼さんがお答えになるでしょうが、私なりにいくつか気になったので反論させていただきます。
> 冠婚葬祭に宗教が持ち込まれたり、聖職者や宗教施設が存在するのは、宗教の一つの形態ですが、その本質ではないでしょう。お坊さんを呼んでお葬式をやりなさいと、お釈迦さんが教えましたか?
それはその通りですが、しかし宗教の支配力の強い世界で、そういった儀式や施設がほとんど見られないというのも考えにくい話ではないでしょうか。
基督教とて元来は別に結婚式や葬式を司る宗教ではありません(マタイ伝 19:10~12など)が、現在基督教の支配力が強い地域でこういった儀式が基督教と無縁であることはないでしょう。
そういった儀式があるからといって宗教の支配力が強いとはいえないということはある(現在の日本もそうですね)でしょうが、逆と言うのは考えにくく、もし銀英伝世界がなんらかの宗教に支配されていると言うのであれば、もう少し明白な記述があって然るべきだと思いますが。
> ロイエンタールが生まれたときの、神罰を恐れる彼の母親を思い出してください。彼女の夫は青い目、愛人は黒い目、そして生まれた子供は青と黒のヘテロクロミアでした。このとき、
>
> <彼女は神の悪意を信じ、恐怖に駆られた。(雌伏篇第二章-4)>
>
> のです。
この場合の神は特定の宗教に基づくものではなく、いわば「運命」と同義語のようなものではないですか?
私は現在無宗教ですが、それでも「神の悪意を信じ」たくなるときはありますよ(笑)
> >無宗教の現代日本人であるわたしから見てもヤンの発言は不安なんですが?
>
> あなたが、宗教とは無関係のどういう理由でヤンの発言を「不安」に思われるのか、説明いただけますでしょうか?
あまりにも常識はずれの夫の感覚に、穏健な常識家のフレデリカは「不安」に感じた、と言う解釈でよいかと思いますが。
> >日本でも宗教家がTVで発言することくらいあります。発言内容については社会がそれを受け入れられるかどうかだけの違いでは?
> >当事の同盟ではこのような全体主義的な発言も許容範囲だったと思います。
>
> ある程度の支持者がいる思想でなければ、TV局が発言者を登場させることはないと思います。(「ヘンなことを言う奴」を見世物的に出演させるのは、別ですよ。)
「ある程度の支持者がいる」という状況と、憲法の前文に前提として書かれるほど支配力が強い、という状況にいかなる因果関係があるのか、ご説明願えれば幸いです。現在の日本でも基督教の布教番組はTVで放映されていますが(「暗いと不平を言うよりも・・・」ってやつですね)宗教の勢力が強いとは感じられないのですが。
> そうでしょうか?ポプランのキャラクターなら、自分が無神論でも、そちらが多数派ならわざと反対を言うと思いますが。
これについては、特に反論はありません。が、あえて無粋なことを言えば、SF的感覚の薄い田中氏が、ポプランの無頼漢としてのキャラクターを考えた時に現在の感覚でつい「無神論」と入れただけ、という気がしますね。
なお宗教については第6巻で「統一政府が誕生した後の人類史が、それ以前の歴史と異なる最大の点は、宗教の支配力がいちじるしく低下したことにある」と明記されています。
もちろんこの記述の時代から本編の時代までは長い時間が経っており、再びのパラダイムシフトが起こった可能性も0ではありませんが、それはかなり無理のある説明ではないでしょうか。
> そもそも「宗教とはなにか」という点で、あなたと私では定義が異なるのかもしれません。
そこは大差ないと思います、「霊魂の存在を信じたり、葬式を行うだけでは”まだ”宗教ではない」とは考えていますけど。
むしろ、私が「銀英伝世界では宗教の影響は全くないか無視できるほど小さい」と主張していると勘違いなさっているのでは?
私は「現代の世界平均と比較して相対的に宗教の影響力が”かなり弱い(日本と同レベルかそれ以下)”」と主張しているんですが。
> いいかえれば、あなたが「単なる神頼み」と呼ぶものの方が、冠婚葬祭や聖職者などより、宗教の本質に近いのです。帝国人のオーディン信仰がこれに該当します。
宗教の本質に近いからこそ「単なる神頼み」は宗教の勢力の弱い地域でも行われるし、信仰の薄い人も行います。
「単なる神頼み」だけでは、「宗教の勢力が強い」とは言えませんし、「単なる神頼み」しかないのでは「宗教の勢力が弱い」とすら言えます。
> > キャラクターが神を畏れるといった描写もありませんし、
>
> いいえ、あります。ロイエンタールが生まれたときの、神罰を恐れる彼の母親を思い出してください。彼女の夫は青い目、愛人は黒い目、そして生まれた子供は青と黒のヘテロクロミアでした。このとき、
>
> <彼女は神の悪意を信じ、恐怖に駆られた。(雌伏篇第二章-4)>
>
> のです。
これは言葉が足りなかったですね。要するに「そのようなことは大神オーディンがお許しにならないでしょう」と言って他人を諌めたり自戒したりするキャラクターがいなかったと言うことです。
ロイエンタールの母親は「神を恐れた」のであって「神を畏れた」わけではありません。
> > 無宗教の現代日本人であるわたしから見てもヤンの発言は不安なんですが?
>
> あなたが、宗教とは無関係のどういう理由でヤンの発言を「不安」に思われるのか、説明いただけますでしょうか?
「あしたから突然、年金の額が10倍になったら、神様を信じてもいい」などと”公言”する人間は大人気ない上に自分の発言によって傷つく人間がいることを想像できない人間だと思います。
> > 日本でも宗教家がTVで発言することくらいあります。発言内容については社会がそれを受け入れられるかどうかだけの違いでは?
> > 当事の同盟ではこのような全体主義的な発言も許容範囲だったと思います。
>
> もちろん許容範囲です。しかし許容されることとTVで発言できることは同じではありません。現在の日本でもファシズムやコミュニズムを支持する自由はあるし、実際に支持する人もいるでしょう。しかし、TVに出演してそれを主張する人を見つけるのは、いまや非常に難しいのではありませんか?ある程度の支持者がいる思想でなければ、TV局が発言者を登場させることはないと思います。(「ヘンなことを言う奴」を見世物的に出演させるのは、別ですよ。)
件の宗教家の演説とほぼ同内容の全体主義的演説をトリューニヒトがアスターテ会戦戦没者慰霊祭において行い熱狂的な支持を受けていますので、ファシズムやコミュニズムと同列には語れません。
当時の同盟において「全体主義」は「ある程度の支持者がいる思想」です。
ところで、kenさんが銀英伝の世界を「宗教の勢力が強い」と考える根拠と基準はなんでしょうか?今までの議論で出された根拠は「宗教の勢力が存在する」ことを示す物であって「強い」ということを示す物ではない気がします。また基準は未だに示されていません。
私の根拠と基準は4567ですでに示しました。
國臣さん、こんにちは。
面白い議論になってきましたね。「ザ・ベスト」に収録してもらえるようにがんばりましょう。
はじめに、今回の発端となった同盟憲章前文についてですが、神への言及があるとは、私も思いません。私は自由惑星同盟を米国型の国家と考えているからです。米国人の9割は神を信じていますが、同時にあれほど政教分離にうるさい社会もありません。
さて、銀英伝世界の人々がどれほどの宗教心をもっているかですが。私は、「人々に宗教を求める気持ちがなければ、地球教が布教しても受け入れられない」という主張をしてきました。
地球教がどれほどおかしな教義をもっているかは、現代の世界に置きかえてみれば分かります。彼らはいわば、「ホモ・サピエンスはアフリカで発生・進化したのだから、これからはアフリカを盟主にして世界を支配させよう」といっているのです。こんな宗教が現在の世界で広まる可能性はゼロに等しいことを思えば、それだけでも銀英伝世界の人々が、我々の世界の住人とはまったく異なる宗教観をもっていることが分かるでしょう。かれらは、信仰対象を求める気持ちが我々よりもずっと強いのではないでしょうか。
>宗教の支配力の強い世界で、そういった儀式や施設がほとんど見られないというのも考えにくい話ではないでしょうか。
この点は、國臣さんご自身も認められるように、冠婚葬祭や宗教施設は宗教の本質ではありませんので、原理主義に近い信仰であれば、むしろそのような「不純物」を排除するかもしれませんよ。
私は思うのですが、冠婚葬祭を仕切るのは、宗教の「強さ」の証明というよりは、「歴史の長さ」の証明ではないでしょうか?宗教が住民の生活と長く共存すれば、(今の日本のように)信仰心が希薄でも儀式に入り込むし、歴史が浅ければ、原始仏教やキリスト教のように、強い信仰心があっても、葬式や結婚式を司ったりはしません。
あなたが言われるように、90年の戦乱の後、宗教は衰えました。しかし、それはヤンやラインハルトの時代から1500年も昔のことです。現代の我々にとって、1500年前といえば聖徳太子よりも昔の話で、日本には仏教すらなく、その頃の事情をもって現代の状況を類推することこそ無理があるのではありませんか?
地球統一政府時代よりもはるかに本編に近い時代の記述として、銀河連邦後期の「中世的停滞」があります(黎明編序章)。皇帝を「神聖不可侵」とする銀河帝国は、いわばその産物であり、自由惑星同盟は帝国に反旗をひるがえした帝国人が作った国です。民衆の中に「中世以来の伝統」が残っていても、驚くにはあたりません。
個々の問題を論じましょう。
> この場合の神は特定の宗教に基づくものではなく、いわば「運命」と同義語のようなものではないですか?
私は特定の神(オーディン)だと思いますが、仮にあなたの言うとおりでも、「運命」自体がすでに宗教的な概念です。人間の理解も支配も及ばないが、それでも「なにか」の因果にしたがう、という意味で。
> 私は現在無宗教ですが、それでも「神の悪意を信じ」たくなるときはありますよ(笑)
國臣さんが、字義どおりの意味で上記のことを言われるのなら、私はあなたが「無宗教」とは思いません。あなたは、ただ特定の宗教に帰依していないだけではありませんか?
いずれにせよ、ロイエンタールの母親とあなたでは、まったく事情が異なるはずです。あなたがいくら「神の悪意を信じ」ても、まさか子供の目をえぐるほどの恐怖には駆られないでしょう?
>あまりにも常識はずれの夫の感覚に、穏健な常識家のフレデリカは「不安」に感じた、と言う解釈でよいかと思いますが。
はたしてそうでしょうか?フレデリカがヤンと結婚するまでの経緯をお考えください。ヤンの「常識はずれ」をいうなら、もっと甚だしい例がいくつもあったはずです。32歳で元帥になるほどの武勲を立てながら「退役したい」と言い続けたことが最も端的な例でしょう。ラインハルトをたおせる状況にありながらそうしなかったこと。帝国元帥の地位を約束されながら断ったこと。危険を冒してメルカッツを逃したこと。
そしてフレデリカはそれらをすべて受け容れているのです。バーミリオンの後の、おそらく全編で最もロマンティックな部分をご存知でしょう。
「ごめん、フレデリカ」
ふたりきりになると、ぎごちなく、黒髪の若い元帥は言った。
「他人がこんなことをしたら、あほうにちがいないと私も思うだろう。だけど、私は結局こんな生きかたしかできないんだ。かえって、私の好きな連中に迷惑をしいるとわかりきっているのになあ……」
フレデリカは白い手をのばして、ヤンの襟もとからのぞくスカーフの乱れをなおしてやった。ヘイゼルの瞳に、相手の黒い瞳を映しながら彼女は微笑した。
「わたしにはわかりません。あなたのなさることが正しいのかどうか。でも、わたしにわかっていることがあります。あなたのなさることが、わたしはどうしようもなく好きだということです」
フレデリカはそれ以上言わなかった。言う必要もないことだった。自分がどんな男を好きになったのか、彼女はよく知っていたのだ。
(風雲篇第九章-4)
そんなフレデリカにすら「不安」を生ぜしめるものの正体をもう一度お考えください。
>「ある程度の支持者がいる」という状況と、憲法の前文に前提として書かれるほど支配力が強い、という状況にいかなる因果関係があるのか、ご説明願えれば幸いです。現在の日本でも基督教の布教番組はTVで放映されていますが(「暗いと不平を言うよりも・・・」ってやつですね)宗教の勢力が強いとは感じられないのですが。
私が最も指摘したかったのは、TVに出てくる宗教者の発言を、ヤンが「不快」に感じ、わざわざユリアン相手に、反論を開陳している点です。
ご存知のとおり、ヤンは自由主義・個人主義のチャンピオンです。人民が悪徳政治家を選出して、その結果不幸を招いても、それは人民自身の責任だから仕方がないというほど自己責任論の強い人物です。その彼が、おかしな教義を信じている人たちがいても、ただ存在するだけなら、「不快」になって反論するでしょうか?「ヘンなことを信じるのはそいつの勝手」と突き放すのではありませんか?
彼が積極的に反対の立場をとるのは、トリューニヒトのように、「悪い」だけではなく、それをもって他者に「影響を与える」力をもつ相手でしょう。地球教の勢力拡大とあわせて、私はこの点からも、宗教の影響力は同盟においてすら強いのだと考えました。
>SF的感覚の薄い田中氏が、ポプランの無頼漢としてのキャラクターを考えた時に現在の感覚でつい「無神論」と入れただけ、という気がしますね。
ポプランの問題の発言は「ユリアンのイゼルローン日記」の中で、物語のタイムラインとしては、彼がユリアンたちと地球へ行くよりはるか前です。しかし、作者の執筆順としては、銀英伝の本伝が終わったか、終わりかけている頃の作品で、地球教が本伝中で猛威をふるっており、それにかこつけてキリスト教史の暗黒部分が繰り返し述べられていますから、ポプランの「無神論」を書いた作者も、それを意識していたと想像しますが。
こんにちは、Kenさん。
そうですね、実りある議論になるといいと私も思います。
まず教義の問題についてですが、これはどうでしょう。
世界に冠たる無宗教国家ニッポンで、100万人を超える信者を集めた某宗教団体の教祖様は、「将来日本とアラブの某国以外の国は全て滅び、この2国が覇権を争うが、最後は日本が勝つんだよう」という「預言」をなさいました。
発泡スチロールの本尊を仰いで毒ガスをまいた宗教団体や、電磁波を怖れて白装束をまとって全国を行脚する宗教団体が、無視できない数の信者を集めたことも記憶に新しいでしょう。
このように、我々体系外の人間から見ればどうみても「でたらめ」としか思えない教義を持っている教団が、ある程度の勢力を獲得することはよくあることです。
というより、宗教が常に「失せたる1匹」のために存在するとすれば、その教義が我々の常識や良識からかけ離れたものになるのはむしろ当然なのです。「狂信」なくして宗教は語れないのですよ。
> 私は思うのですが、冠婚葬祭を仕切るのは、宗教の「強さ」の証明というよりは、「歴史の長さ」の証明ではないでしょうか?宗教が住民の生活と長く共存すれば、(今の日本のように)信仰心が希薄でも儀式に入り込むし、歴史が浅ければ、原始仏教やキリスト教のように、強い信仰心があっても、葬式や結婚式を司ったりはしません。
そうでしょうか?原始仏教はやや特殊で、死者を丁重に弔ったりする思想はないらしいですが、それでも「あえて弔わない」というところにその宗教思想の強い影響力を感じます。
初期基督教においても、信者内部においてはやはり死者は天国にいけるように弔われたでしょう。
いかに原理主義の宗派であったとしても(いや、原理主義であればこそ)「死」がその宗教と無縁に扱われると言う可能性はまずないと思います。
銀英伝ではたくさんの人たちが死んでいきました。そのひとりとして、自らの神に祈りながら死を迎えた人がいたでしょうか?(神話の神としての「大神オーディン」に祈った人はいたかもしれませんが、これはあなたのいう「社会的な影響力、とりわけ信仰を強制する力をもつ」宗教とは別の次元で描かれています。)
> あなたが言われるように、90年の戦乱の後、宗教は衰えました。しかし、それはヤンやラインハルトの時代から1500年も昔のことです。現代の我々にとって、1500年前といえば聖徳太子よりも昔の話で、日本には仏教すらなく、その頃の事情をもって現代の状況を類推することこそ無理があるのではありませんか?
それはそうかもしれません。しかし、作品中の記述が「その後の人類史」と書かれていることにご留意ください。
いうまでもなく、全世界的に宗教の影響力が著しく低下するなどと言うことは大変なパラダイムシフトです。だからこそ、田中氏はわざわざ自らの構築する可能世界の特徴として、この記述を入れたのでしょう。
しかし、その後再び宗教が勢力を盛り返したと言うのならば、いったい何の為にこの記述がなされたのか分からなくなってしまいますし、そもそもそうであれば、作品中になんらかの記述があるのが自然ではありませんか?
なお、私個人の見解では、このように簡単に宗教的影響力が減退してしまうことも、その後ずっとそのまま減退したままであることも、世界の可能性としては低いと思います。ただ、銀英伝の記述を基にする限り、とても宗教の影響力の強い世界として描かれているとは思えない、と主張しているのです。
> > この場合の神は特定の宗教に基づくものではなく、いわば「運命」と同義語のようなものではないですか?
>
> 私は特定の神(オーディン)だと思いますが、仮にあなたの言うとおりでも、「運命」自体がすでに宗教的な概念です。人間の理解も支配も及ばないが、それでも「なにか」の因果にしたがう、という意味で。
「運命」を感じることがある人間も全て宗教の信徒、となると、この世界で無宗教の人間は大槻キョージュとジェイムズ・ランディくらいしかいなくなってしまうかもしれませんね(笑)
自らの力の及ばない現象に「運命」や「神」を当てはめて祈ったり恨んだりすることは人間として当然の営みで、これをもって宗教の影響力と言うのなら、そんなものは減退したりするわけがありません。
これはそもそも「形而上的思考」とでも言うべきもので、先述した「社会的な影響力、とりわけ信仰を強制する力をもつ」宗教とは明らかに別物でしょう。
> そんなフレデリカにすら「不安」を生ぜしめるものの正体をもう一度お考えください。
はて?過去に何があろうと、夫の常識外の感覚に軽い「不安」を感じるくらいのことがそれほど不思議ですか?
フレデリカがヤンを全面的に信頼していることと、彼の言動にささいな不安を感じることは、まあ矛盾と言えば矛盾ですが、この程度の矛盾は誰でも犯しながら生きるのが普通でしょう。
まあ私はフレデリカではないので正確なところはわかりませんが、これをもって「宗教的畏怖心の表れ」とするにはいくらなんでもこじつけが過ぎると思いますよ。
> 私が最も指摘したかったのは、TVに出てくる宗教者の発言を、ヤンが「不快」に感じ、わざわざユリアン相手に、反論を開陳している点です。
あなたの言うように、「ヤンは自由主義・個人主義のチャンピオン」なのでしょう。だからこそ、「すべての人類が統一された精神体の一部とな」るなどという思想は彼にとって最もおぞましいものに感じられたに違いありません。その偽らざる感想を、彼がもっとも心を許すユリアンに打ち明けた、と考えれば決して不自然ではありません。実際にこの宗教家に抗議したとか、圧力を加えようとしたとかいうのであれば、確かに彼の思想に反するでしょうが、不快な思想に対する反論を被保護者に漏らすくらいのことは別に不思議でもなんでもないでしょう。
ポプラン「無神論」発言に関しては、ただでさえ論点が拡散しているので引っ込めます。
以上です。あー疲れた^^;
横レス失礼します。
> >あまりにも常識はずれの夫の感覚に、穏健な常識家のフレデリカは「不安」に感じた、と言う解釈でよいかと思いますが。
>
> はたしてそうでしょうか?フレデリカがヤンと結婚するまでの経緯をお考えください。ヤンの「常識はずれ」をいうなら、もっと甚だしい例がいくつもあったはずです。32歳で元帥になるほどの武勲を立てながら「退役したい」と言い続けたことが最も端的な例でしょう。ラインハルトをたおせる状況にありながらそうしなかったこと。帝国元帥の地位を約束されながら断ったこと。危険を冒してメルカッツを逃したこと。
>
> そしてフレデリカはそれらをすべて受け容れているのです。バーミリオンの後の、おそらく全編で最もロマンティックな部分をご存知でしょう。
>
> 「ごめん、フレデリカ」
> ふたりきりになると、ぎごちなく、黒髪の若い元帥は言った。
> 「他人がこんなことをしたら、あほうにちがいないと私も思うだろう。だけど、私は結局こんな生きかたしかできないんだ。かえって、私の好きな連中に迷惑をしいるとわかりきっているのになあ……」
> フレデリカは白い手をのばして、ヤンの襟もとからのぞくスカーフの乱れをなおしてやった。ヘイゼルの瞳に、相手の黒い瞳を映しながら彼女は微笑した。
> 「わたしにはわかりません。あなたのなさることが正しいのかどうか。でも、わたしにわかっていることがあります。あなたのなさることが、わたしはどうしようもなく好きだということです」
> フレデリカはそれ以上言わなかった。言う必要もないことだった。自分がどんな男を好きになったのか、彼女はよく知っていたのだ。
> (風雲篇第九章-4)
>
>
> そんなフレデリカにすら「不安」を生ぜしめるものの正体をもう一度お考えください。
これについては、大阪人的会話に翻訳すると
ボケ役「今月から給料10倍になったらええのになあ~」
ツッコミ役「いや、それただのインフレやから」
という小ネタを田中芳樹的レトリックで表現しなおしただけで
あって宗教認識に関する議論の材料とするにはいささか不適切
だと思われます。フレデリカの不安も「ほんま、この亭主は
いっつも与太ばっかりとばして」くらいではないかと。
こんにちは。
次のように論点を整理してみました。
論点1.地球教の勢力
地球教は社会から孤立したただのテロ集団か、あるいは世界の支配を狙えるほどの存在か。地球教はオウムか、アル・カイダか、あるいは中世の教会か、戦国時代の本願寺か。
すでにお分かりと思いますが、私は銀英伝の地球教を、世界の覇権を目指せるほどに強大な存在と考えます。20世紀末のオウム真理教ではありません。千年前のカソリック教会です。
なぜそう思うかというと、作品中で、地球教による支配権の確立が、現実的な可能性として論じられているからです。
ただし「総大主教」やデグスビイのような人物がそれを信じているだけなら、狂信者の妄想と片付けられるかもしれません。問題は、ド・ヴィリエやルビンスキーのような、卓絶した頭脳と冷徹な現実感覚をもつ人物まで、その可能性を認めている点です。ド・ヴィリエはその実現をめざし、ルビンスキーは地球教の力を利用して、最後は裏切ろうともくろむわけですが。
そして、作中で地球教が、なにかといえばローマ帝国以来の中世キリスト教会と比較されるのも、両者が同質のものであるという作者の意図がそこにあるのではないでしょうか?
これは、「銀英伝世界が我々の世界よりも、宗教の勢力が強いとなぜ考えるか」という蜃気楼さんの問いへの、私の回答でもあります。我々の世界で、地球教のような教団が天下をとるなどただの妄想ですが、銀英伝世界ではそうではないという点が、私が指摘したいことなのです。
論点2.宗教とはなにか?
蜃気楼さんと國臣さんの主張を伺っていると、お二人とも、宗教をあまりに狭い意味で捉えておられませんか?
他人を諌めたり自戒したり、死後のたましいを救済したりすることは、宗教の当然の仕事のように思われるかもしれませんが、これは私たちが現代の仏教やキリスト教に慣れすぎているからではありませんか?歴史学者のトインビーは、このような宗教を「高度宗教(higher religion)」と呼びましたが、世界には高度宗教でない宗教も多いし、それが大きな社会的影響力をもつこともあるのです。早い話が、わずか60年前に、多くの日本人に「神風が吹く」と信じさせた神道はあなた方がいうような意味での宗教ではなく、むしろ帝国人のオーディン信仰に近いでしょう。
私の手元に、クリス・リチャーズという人が編集し、エレメント社が出版した「World Religions」という本があります。タイトルどおり、世界の諸宗教の解説をしていますが、その中では、ヒンズー教、仏教、キリスト教、イスラム教などとともに、神道や道教も取り上げられています。また、ローマ教皇を記念して、カソリック教会が作ったワシントン市のジョン・ポール2世大学の附属博物館へ行くと、ここでも「世界の宗教」の展示コーナーで、神道が取り上げられています。オンライン百科事典の「Microsoft Encarta」(http://encarta.msn.com/)で「religion」を引いてみましたが、「霊的な存在と信じられるものとの、神聖な関わり」という、非常に一般的な定義しかしておりません。
世界は、宗教を、このように非常に広い意味でとらえているのです。「神頼みばかりしている」オーディン信仰は、まぎれもなく宗教です。
論点3.フレデリカとヤン
私が覚えている限り、ヤンのどんな言動も受容するフレデリカが、唯一「不安」を抱いたのは、例の「神とインフレーション」発言だけです。やはり、私としては、この部分を軽々に見逃すことはできません。
ただし、それが彼女自身の宗教的畏怖心の表れか、となると私にもわかりません。なんと言っても、彼女はヤンの妻というだけでなく同志ですから、宗教心があるほうではないでしょう。むしろ、信仰をもつ人が多い中で、ヤンの発言が不必要に敵をつくることを案じた、という方が説得力がありますね。「自分の発言によって傷つく人間がいることを想像できない」という、蜃気楼さんの解釈と共通するかもしれません。
TVで発言する宗教者へのヤンの反論は、外伝2に登場しますが、これは本伝の乱離篇で彼自身が地球教に殺された後に書かれた作品ですから、物語の時系列的には「伏線」と考えられるでしょう。
繰り返しますが、個人主義者のヤンは、たとえ他人が彼自身の信条と合わないことをしても、その人が自己責任で、プライベートな世界でやるかぎりは、非難をしたり関係を絶ったりはしません。たとえばシェーンコップやポプランは多数の女性と関係をもち、シェーンコップにいたっては子供までつくりながらほったらかしにしています。「大量殺人者の自分に家庭の幸福を求める資格があるか」と真剣に悩むような人生観のヤンからみれば、彼らの行為は彼の信条と反する点で、宗教的絶対主義といい勝負ではありませんか。
それでもヤンが彼らと友人でいられるのは、シェーンコップたちの行為が、相手の女性も含めて、すべて自己責任で、私的な範囲でのみ行われ、間違っても他人に強制しないからでしょう。だからこそ私は思うのです。外伝2に登場する、ヤンの宗教者への強い非難は、単に彼の信条と合わないことを言っているだけでなく、それを他人に強制する力をもつことが、問題の本質なのだと。
論点4.宗教は「ずっと」衰えたままだったか
地球統一政府樹立後から銀英伝本編の時代までには、長大な時間が経過しているだけでなく、社会の基本的なパラダイム・シフトが起こっていると私は思います。
前にも書きましたが、銀河連邦後期に進行した「中世的停滞」の意味をどうぞお考えください。ただの「停滞」ではない「中世」という言葉にはどんな意味があるでしょうか?そこには宗教(私が論点2で指摘したような意味での宗教です)の影響力が強いことが含まれませんか?黎明篇序章のこの部分の記述として、
人々はよるべき価値観を見失い、麻薬と酒と性的乱交と「神秘主義」にふけった
(「」をつけたのは私です)
とあります。そもそも宗教的背景なくして、「神聖不可侵」の銀河帝国皇帝がどんな基盤の上に成立するのでしょうか?「神聖」とはどういう意味でしょうか?歴代皇帝の中にはカスパーのように、暗愚なだけでなく、そもそも権力維持に無関心な人物もいたのです。それでもラインハルトの登場まで五百年、簒奪は起こりませんでした。
こんにちは。kenさん。
予想通り、結論がでることはないようですね。
論点1
繰り返しますが、規模の問題ではないのです。
基督教とて、始まった時はイエスという妄想狂がわけの分からぬ寝言をほざいていただけの代物でした。
その体系外の人間が、一般社会の常識を基にして「あの教義はでたらめだ」といってもほとんど無意味なんですよ。
論点2
さてさて・・・。習慣、文化のひとつとしてとしか描かれていない「オーディン信仰(北欧神話)」と戦中の「国家神道」が社会に与える影響において同じ様なものだと言うご意見にはまったくもって驚愕いたしましたが・・・。
まあ「神頼み」は全て宗教だ、仰るならそうなのでしょう。しかし「神頼み」をする人がいない社会ってあるのかねえ・・・。
旧ソ連においてだって「今日はパンが手に入りますように」くらいのことを考える人はいたと思いますけど。
論点3
父や夫が非命に倒れた時ですら、彼らの冥福を祈ったり、その運命について神を呪ったりする描写のない一女性が、夫に対して一度軽く抱いただけの不安の念(それも冗談っぽい描写で)をもってして、「宗教的畏怖心」の表れとしてしまうあなたの想像力には脱帽いたします。
自分の大嫌いであろう思想について、被保護者に(おそらく教育の意味もあったでしょうが)その反対意見を述べることが、彼の「個人主義」に反するとはとても思えないのですが、まあ私の銀英伝とあなたの銀英伝は違うものなのかもしれませんね。(しかしTVでおおっぴらに主張することってプライベートな世界なんですかねえ?)
論点4
前回言ったことの繰り返しですね。
最後に、総論的にちょっとだけ。
山田花子さんは生まれた子供の鷲鼻が、浮気相手の太郎さんに似ているのはお釈迦様の悪意だと信じ、その鼻を削ごうとしました。
鈴木一郎さんは、「明日からパートの時給が一気に5千円になったら神様を信じてもいい」と奥さんが言ったことに対して(こいつ何言ってんだ?)と不安になりました。
さて、これらのことが現代日本に起こったとして、これをもって「日本は宗教の影響力の高い社会だ」と言われるようになるでしょうか?
前者は精神病理の範疇に属する話。後者は単なる夫婦の日常の風景でしかないでしょう。
あなたの主張していることは外人さんが競馬場で「頼むで、神さま。わしはヒシミラクルの単勝に有り金全部賭けとんのや!!」と拝みながらターフビジョンを観ているのを目撃して「そうかー、日本は宗教的影響力の強い社会なんだなー」と主張するということと同じようなものです。
例えば本編の描写の中に、現代ドイツのように就職時には「就業規則と基本法の精神に違反しないことを『神の名において』誓約させられる」とか、義務教育開始時に子供の宗教が厳重に確認されるとか、あるいはトリューニヒトが演説で「唯一の神の名において異教徒を倒せ!!」とアジるとか、そういう描写があったならば、私もこの世界が宗教的影響力の強い世界であると認めるに吝かではありません。
しかし現実は、明らかな異物として描かれている「地球教」以外の宗教はほとんど出現せず、登場人物の中に宗教への傾倒を口にする人物もおらず、宗教的儀式も施設も登場しない。こんな世界がどうして「宗教的影響力が強い」などと言えるのですか。銀英伝世界がそうなのであれば、現代日本などはさしずめ「原理主義国家」です。
と、いうわけで、私のほうの論点は大体出揃ったかな、と思います。
これ以降は「千日手」にならないと判断した場合にのみ、レスをさせていただきます。お付き合いくださり、ありがとうございました。
> 論点1.地球教の勢力
>
> 地球教は社会から孤立したただのテロ集団か、あるいは世界の支配を狙えるほどの存在か。地球教はオウムか、アル・カイダか、あるいは中世の教会か、戦国時代の本願寺か。
>
> すでにお分かりと思いますが、私は銀英伝の地球教を、世界の覇権を目指せるほどに強大な存在と考えます。20世紀末のオウム真理教ではありません。千年前のカソリック教会です。
地球教が千年前のカソリック教会?
数百年も前にローマの国教となり11世紀の時点で、ヨーロッパの宗教をほぼ完全に征服し、世俗権力と結びつくことで、経済的にも軍事的にも強大な勢力を持っていた千年前のカソリック教会と地球教の間にどんな共通点があるというのですか?
キュンメル事件の直後にラインハルトが地球教の討伐を決定した時のことを思い出してください、誰も反対しませんでしたし、地球教を討つことによる社会的影響を気にした人間もいませんでした。
これは、ヴァチカンやメッカに攻め込むときの様子ではありません、オウムやアル・カイダの本拠地を攻ようとするときの様子です。
地球教には世俗権力との結びつきもなく、信者の数もたいしたことはありません。結局のところ陰謀を巡らすしか能のない小勢力です。
> なぜそう思うかというと、作品中で、地球教による支配権の確立が、現実的な可能性として論じられているからです。
>
> ただし「総大主教」やデグスビイのような人物がそれを信じているだけなら、狂信者の妄想と片付けられるかもしれません。問題は、ド・ヴィリエやルビンスキーのような、卓絶した頭脳と冷徹な現実感覚をもつ人物まで、その可能性を認めている点です。ド・ヴィリエはその実現をめざし、ルビンスキーは地球教の力を利用して、最後は裏切ろうともくろむわけですが。
陰謀によって銀河を盗れると考えるあたりがこの2人の限界と考えます。結局この2人は優秀な陰謀家ではあっても優れた政略家ではありません。この2人の立てた「銀河の覇権を握るための方策」がどのような物か検証した上での発言でしょうか?
ルビンスキーは「ラインハルトに一旦覇権を握らせ、ラインハルトを殺して帝国をのっとる」
デグスビイは「陰謀をめぐらせ、部下を離反させることでラインハルトを疑心暗鬼に陥らせ、暴君と化したラインハルトに対する民衆の反感を利用して地球教が覇権を握る」
というものです、どちらも実現できそうには見えません。
そもそもこの2人を私はあまり評価していません。本拠地を奪われ、流浪のテロリスト集団と化した地球教を率いて銀河の覇権を握ろうとしたド・ヴィリエは論外ですし、ルビンスキーもラインハルトにフェザーンをプレゼントしています。
結局、ド・ヴィリエはただの一度も表舞台に立つことが出来ず、ルビンスキーも自治領主の地位を追われてからは死ぬまで表舞台に出てこれませんでした。
> 論点2.宗教とはなにか?
>
> 蜃気楼さんと國臣さんの主張を伺っていると、お二人とも、宗教をあまりに狭い意味で捉えておられませんか?
「神頼みばかりしている」オーディン信仰や神道が「宗教ではない」などといった覚えはありません。