皆様お久しぶりです。 投稿者:ILY 投稿日: 6月12日(木)08時32分48秒
先日、近くの大きな書店に出かけました所、「と学会年鑑BLUE」なるものが発売されておりました。 その書店には「と学会」関連の本がちょっとしたコーナーに配置されており、あの「トンデモ本の世界R」もなぜか数冊積み上げられておりました。 何気なく「R」をめくって見ると、著者・発行者の欄には第六刷(2003年5月14日発行)と書いてあるではありませんか。 つまりは、 ――――――――――――――――――――――――――――― ☆ Re: 出なきゃいいのに… / 山本弘 [近畿] [ Home ] MSZさん、こんにちは。 >異論・反論は謹んでお受けしますが、根拠のない「荒らし認定」だけは勘弁していただきたいです。 あなたの文章は(内容が正しいかどうかはともかく)いちおう論理的ですし誹謗中傷の意図もないので、「荒らし」とは思いません。 まず最初に謝っておきます。すみません! あの文章の中では確かに何箇所か大きなミス(自衛隊員の数とか)をしています。それについては何人もの方からご指摘をいただきました。ここで書きはじめると長くなりますので、『トンデモ本の世界R』が文庫化される機会があれば全面的に改稿しようと思っています。 (略) No.5760 - 2002/12/25(Wed) 15:15 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp] ――――――――――――――――――――――――――――― や、 ――――――――――――――――――――――――――――― 繰り返しますが、これは僕のミスです。訂正しなくてはならないのですが、『トンデモ本の世界R』はもう重版の予定がありません。文庫化されることがあれば、全面改稿しようと思っています。 ――――――――――――――――――――――――――――― で見せた、一見誠実そうな答弁はやはり全て口先だけのものだったようです。
拙文でした。 |
No.11532 - 2003/06/17(Tue) 20:42 [FLA1Adi175.tky.mesh.ad.jp]
| 1:重版の予定が無かったが、出版社側が急遽、予定を入れた。 2:おこん様の仰るとおりであった。
発言から第六刷が発売されるまで、ゆうに半年もありますからね。 1番であっても何ら疑問は無いです。
ちなみに、第六刷とやらで全面改稿おられましたか? 全面改稿がなされているのであれば、2番では無いことが確定ですけど。 |
No.11533 - 2003/06/17(Tue) 20:56 [hrsm21910298137.gemini.broba.cc]
| > 皆様お久しぶりです。 投稿者:ILY 投稿日: 6月12日(木)08時32分48秒 どこかの掲示板の転載ですか?
> 何気なく「R」をめくって見ると、著者・発行者の欄には第六刷(2003年5月14日発行)と書いてあるではありませんか。
ええと。 手元の「トンデモ本の世界R」には、刷数の前に「版数」があり、 「2001年10月8日 第1版第2刷」 とあります。 ちなみに、第1版第1刷は同じ年の10月2日です。
正確な定義は知りませんが、どうみてもこれ、「第○刷」とは同じ版型から印刷しなおしてるだけで、その間に著者が文章に手を入れなおしてるようには見えませんね。 というわけで、「第○版」までご確認の上再度異議申し立ててみては? 正確な日付まで記載しているのですから、「第○版」が確認できないことはないですよね。 |
No.11541 - 2003/06/17(Tue) 21:48 [eatkyo018046.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| おこんさん、こんにちは。 僕はあの時点では「重版の予定はない」「訂正するのなら文庫化を機会に」と認識していたのですよ。それが突然、増刷がかかったので、対応する暇がなかったのです。 なお、改稿した文章はずっと前に完成しています。お疑いのようですので、全文をアップしておきます。
---------------------------- 歴史的事実無視のベストセラー
戦争論
小林よしのり 幻冬舎 1998年7月10日 1500円+税
僕がこの本を読んだのはかなり遅い。確か初版が出てから半年以上経ってからだったと思う。「あれはひどい本だ」という風評は耳にしていたが、どうせ右翼的なイデオロギーを主張する代物なんだろう、ぐらいにしか思わなかったのだ。 誰がどんなイデオロギーを唱えようと自由だ、というのが僕の信条である。小林氏がどんな思想を信じ、どんなことをマンガに描こうが、僕としてはとやかく言う筋合いではない――そこに描かれていることが間違っていないかぎりは。 ところが、一読して驚いた。イデオロギーがどうこうという以前に、歴史的に間違いだらけであるうえ、論理が破綻しまくっている! いきなり第一章から事実誤認と論理の破綻がある。ある日、タクシーに乗った小林氏は、三〇代ぐらいの運転手が「自衛隊でパイロットになってりゃ、戦争の時、戦闘機でまっ先に逃げられますもんね」というのを聞いて、こう断言する。 「まさにこれが今の若者の平均的な姿なのだ」 「今の日本に祖国のために死ねる者などいない」 平均的な姿だって? いったいどんな統計を根拠に、この軽薄な運転手(僕もこいつはバカだと思うが)を「平均的」などと決めつけるのだ? 今の日本にも祖国のために死ねる者は大勢いるのだ。これは二四万人の自衛官に対する侮辱である。自衛官が全員、戦争がはじまったら逃げ出すつもりだとでも思っているのか? さらにひどいのは歴史的事実の歪曲である。 『戦争論』に対する批判本は何冊も出ているが、その多くはサヨク的視点によるイデオロギー批判にすぎず、歴史的間違いを中心に論じているものは少ない。例外は、『太平洋戦争の基礎知識Ⅳ/小林よしのりの「戦争論」を斬る!』(S.D.B.F.)という同人誌だ。著者らは純粋な戦史マニアで、イデオロギーに曇らされることなく、「あの戦争における事実はどうだったか」を研究している。この原稿を書くのにも、他の資料とともに、おおいに参考にさせていただいた。 小林氏のデタラメぶりを示す一例として、『戦争論』の一三三ページを挙げよう。 【引用開始】 南京戦の時、英国の砲艦レディバード号が日本軍の砲撃で撃沈される事件が起こった。なぜこんな誤爆が起こったかといえば、レディバード号の船上には、なんと脱出する軍服姿の支那兵をぎっしり乗せていたからである。 (中略) 米国のパネー号もまるでいやがらせのようにそんな戦場を航行していて誤爆され、松井大将と広田外相が謝罪し、賠償した。 【引用終わり】 このたった一ページの中に、実に多くの間違いがある。レディバード号は確かに誤って砲撃されたが、沈んではいない。レディバード号に中国兵が乗っていた事実もない。たとえ乗っていたとしても、事件当時は朝霧がたちこめていたので(それで英国旗が見えず、中国艦と誤認されたのだ)、艦上の兵士の姿が小林氏のマンガのようにはっきり見えたはずがない。パネー号が砲撃を受けている絵が描かれているが、実際は海軍航空機による爆撃で沈んだのである。また、パネー号は南京在住の米国人保護のために活動中で、事件が起きた一九三七年一二月一二日には、戦火を逃れて揚子江を遡り、南京の上流五二キロの地点に投錨していたのである。「いやがらせのように」「戦場を航行」していたわけではない……いやはや、ここまで盛大に間違えるかね。 どう考えたって両事件は日本軍のミス以外の何物でもない。こんなデタラメを根拠に、中国人を「ルール無視」「国際法違反」と非難するのだからたまらない。そもそも「ルール無視」をうんぬんするなら、正式な宣戦布告もなしに南京まで攻めて行ったこと自体、問題なのだが。 一四五ページもひどい。小林氏は、日本人が植民地を人道的に支配していたのに対し(じゃあ、朝鮮人の労働者を強制連行したり、創氏改名を押しつけたのは何なのだ?)、白人はアジア人を家畜として扱った、と非難する。 【引用開始】 そしてあわれなことにアジアの民は“家畜慣れ”していた。白人に対して勝てるなどとは夢にも思わないほど骨抜きになっていたのだ。 【引用終わり】 事実はどうだったか? フィリピンでは一九世紀末から独立運動が活発に展開していたし、ビルマ、インド、ベトナム、インドネシアでも、二〇世紀初頭から一九三〇年代にかけて、急進的な民族主義運動が起きていた。アジアの民は決して「骨抜き」になどなっていなかったのだ。 はて? 東南アジアの人々を蔑視しているのは、いったい誰だろう? 事実を無視した「家畜慣れ」などという表現は……? このページに限らず、このマンガの中では、日本人や日本に好意的な人物はおおむね端正な顔で描かれているのに対し、欧米人や中国人は悪鬼のような顔で描かれている。その他の東南アジア人にいたっては、まともに顔さえ描かれない。人格が否定されているのだ。いやー、絵ってこわいもんだね(笑)。描いた人間の意識がさらけ出されてしまうんだから。 さらに目立つのは、日本人の戦争被害が大幅に水増しされていること。「(航空機による特攻で)6000人の命が失われた」(実際は約三九〇〇人)、「『マルレ』(特攻艇)だけでも1636名が死んでいった」(実際は一九二人)、アメリカ軍の本土空襲では「60万人の死者が出た」(広島・長崎の原爆被災者を含めてもせいぜい五〇万人)、「戦場の空に散った数十万にのぼる少年兵たち」(そんなにいるわきゃない)……。 どうも小林氏には、祖国の被害を少しでも大きく見せたいという奇妙な願望があるらしい。マゾなのか? これこそ「自虐」というものではないのだろうか。 四万人に満たない航空兵の犠牲者数(少年兵はそのさらに一部)を「数十万」などと書くようでは、南京大虐殺の犠牲者数を「三〇万」と主張する中国を非難できないと思うのだが。 さらに一九四五年三月一〇日の東京大空襲について、小林氏は「人類史上空前の戦争犯罪であり、大虐殺であった」と書く。僕も以前、小説の題材にするので東京大空襲の資料を調べたことがあるので、あれが「大虐殺」であり、司令官カーティス・E・ルメイが「鬼畜」と呼ぶにふさわしい人物であったことは同感である。しかし、「人類史上空前」という表現はいかがなものか。その一か月前に行なわれた連合軍のドレスデン空襲の方が、爆撃機数でも、爆弾の量でも、東京大空襲を上回っている。小林氏は白人の日本人に対する差別意識が大量虐殺を生んだように書くが、実際は白人同士でも同様の虐殺は行なわれているのだ。 そもそも市街地を無差別爆撃することを「戦争犯罪」だと非難するなら、日本軍の重慶爆撃はどうなるのか。重慶市街は一九三九年から五年間にわたって日本軍の爆撃を受け、一万一八八九人が死亡した。そうした歴史的事実を無視して、アメリカだけが非道な行為をしたかのように書くのは、絶対に変だ。 (揚げ足を取られる前にお断りしておくが、僕はアメリカがやったことを擁護する気はさらさらない。非道な行為を行なった国すべてが等しく非難されるべきだと思っているだけだ) 小林氏は南京大虐殺についても、とてつもないデタラメを書く。「外国人ジャーナリスト、日本の新聞記者もそこにいっぱいいたのに、だれも虐殺など見ていない」というのだ。 誰も見ていないだって? ニューヨーク・タイムズのダーディン記者の第一報を知らんのか? 陸軍嘱託カメラマンの河野公輝氏、朝日新聞の今井正剛記者、同盟通信の前田雄二記者らの目撃証言は? 中島今朝吾中将の日記にある、大量の捕虜殺戮についての記載は? 飯沼守少将の日記に記された、日本兵による掠奪や強姦事件は? 虐殺を行なった日本兵の日記の数々は? それらのいくつかは、小林氏が巻末で引用文献として挙げている偕行社の『南京戦史』にも載っているのだが。 しかし、小林氏はそうした信頼できる証拠の存在をすべて黙殺する。一方、虐殺などなかったという証拠として彼が採用するのは、当時の朝日新聞に載った「平和蘇る南京」「皇軍を迎へて歓喜沸く」という見出しの写真だ。 「こののどかさは一体なんだろう」と不思議がる小林氏。分からないのなら教えてあげよう。そりゃ、日本軍のプロパガンダ写真だよ(笑)。虐殺現場の写真が新聞に載るわけないじゃないか! さらに小林氏は、「南京の安全区の中に2万人の国民党軍ゲリラが入り込み、日本兵に化けて略奪・強姦・放火を繰り返し、これをすべて日本軍のしわざに見せかけていた」と、それこそ『南京戦史』をはじめどんな資料にも出てこない仰天の珍説を平然と書く。二万人ものゲリラがいたなら、日本軍に対して組織的な抵抗を示したはずだし、日本側の資料にもその存在が書かれていなければおかしい。何の撹乱工作もせず、せっせと同胞を襲撃してばかりいたというのか? 小林氏の資料の選択は、かなり偏っていると言わざるを得ない。たとえば、中国人の対日ゲリラの卑劣なやりくちを非難するくだりで、例として挙げるのが「昔見た映画のシーン」だったり、大井満『仕組まれた“南京大虐殺”』(展転社)なんて本だったりする(大井氏の本は僕も読んだが、資料をそのまま引用せず、脚色を加えまくっているひどい本だった。小林氏が一二八ページで「事実」として描く呉淞桟橋事件にしても、問題の多い大井氏の本を信用し、さらにそれを誤読したために生まれたフィクションである)。 ゲリラを激しく憎む小林氏は、「国際法ではゲリラは殺してよい。ゲリラは掟破りの卑怯な手段だからである」とも書く。実際には、昔も今も、「ゲリラは殺してよい」などと書かれた国際法など存在しない。確かにゲリラ行為は交戦法規違反だが、捕らえたゲリラは軍律裁判にかけたうえで処刑するのが正しい手続きである。勝手に殺してよいわけではないのだ。 さて、ここで重大な疑問が生じる。『戦争論2』の五四~五六ページで、小林氏は「例えば中国が侵略してきて巧妙に日本を支配したとする」と仮定し、そうなった場合、真綿でくるむような「平和な支配」に甘んじるのか、真の自由と独立のために戦うのかと、読者に二者択一を迫る。小林氏の答えはもちろん後者である。五六ページには、「戦争を選ぶ! 死ぬのも殺すのもやむを得ない!!」と叫びながら、普段着姿で銃を構える小林氏自身の姿が描かれている。 だが、そうした状況で平服の民間人が銃を持って支配者に立ち向かったら、普通は「ゲリラ」または「テロリスト」とみなされるのではないか? こうしたダブルスタンダードは、この本の随所に見られる。たとえば一二九ページでは、小林氏は敗走する中国兵が一般市民の服を剥ぎ取る場面を描き、「なんという卑劣さ……!」と憤る。ところがあきれたことに、二七七ページでは、敗走する日本兵が倒れた仲間の服を身ぐるみ剥ぐ場面を描いている。同じ行為でも、日本人がやると「卑劣」ではないのだ! 結局、小林氏の想像力は「日本」という枠を超えることができない。中国人も日本人と同じ人間であること、祖国を侵略する敵にゲリラとなって立ち向かう勇猛さと、命が惜しくなれば同朋を犠牲にしてでも逃げる卑劣さを併せ持っていることが、どうしても理解できないのだ。 「欧米諸国は植民地から搾取した」「アメリカ軍は無差別爆撃をした」「イギリス軍は捕虜を虐待した」「中国人は捕虜を惨殺した」「イスラム過激派は民間人を殺傷した」……確かにそれらは事実である。しかし、「それに比べて日本はこんなに立派だった」と考えるのは誤りだ。日本人も同じことをやってきたのだから。 現実から目をそむけてはいけない。小林氏の美しい「戦争論」は、歴史上の醜い事実を無視したフィクションにすぎないのだ。
追記:ここでは書ききれなかったが、『戦争論』にはまだ多くの重大な歴史的間違いがある。詳しくお知りになりたい方は、『太平洋戦争の基礎知識』を発行しているサークルのHP「戦史研究所」(http://homepage1.nifty.com/SENSHI/index.htm)を参照されたい。 |
No.11584 - 2003/06/18(Wed) 13:08 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp] |