すでに『空想科学読本』の話題ではなくなっているので、特別会議室の方から移転しました。
富沢矩広さん、こんにちは。
> この作品の画期的な点は、そうした科学的厳密性をすっぱり捨て去り、艦隊戦を地上戦(それも19世紀以前の騎馬や歩兵による戦闘)の比喩で描いたことである。これは決して作者の無知ゆえではない。
僕がここで述べている「そうした科学的厳密性」とは、この前段の主張、「科学的に厳密に考えるなら、宇宙空間での艦隊戦を想定するのは困難である」ということを指します。当然、「決して作者の無知ゆえではない」というのも、宇宙空間での宇宙船の運動にかぎった話です。 僕も田中氏が完璧に科学的だなんて主張していません。「アルテミスの首飾り」を破壊するのに使った手段なんてどう考えてもおかしいし、ロイエンタールが持っていたレールガンにしても「レールガンを携帯用にして何かメリットがあるのか?」と考えこんでしまいます。 他にも田中氏が犯している多くのミスについて、僕は擁護しません。 しかし、いくら田中氏でも、慣性の法則を知らないはずはない。知らなかったのなら、そもそも『銀英伝』世界に慣性制御システムが存在する(これはちゃんと文中で語られています)という設定自体、考えつかないはずです。 もしあなたが「田中芳樹は本当に無知なのだ。慣性の法則も知らずにデタラメな宇宙戦闘を描いている」と主張されるのであれば、それこそ証拠を示さなくてはならないのではありませんか? そうではなく「慣性の法則ぐらいは知っているかもしれないが、他にも間違っているところがあるだろう」と言われるのであれば、「確かにそうですね。でも面白いからいいでしょ?」と言っておきます。
田中氏の作品(特に『創竜伝』など)では、フィクションの設定と作者自身の生の主張がごちゃ混ぜに出てくるので、混乱することがあります。しかし、読者もそれに引きずられて、「田中芳樹はこんなバカなことを信じている」と安直に信じこむのはまずいでしょう。 たとえば地下鉄サリン事件の頃、オウム真理教の機関誌に「四人姉妹は実在する」という記事が載ったことがあります。その記事を書いた奴は、田中氏が小説を通して真実を暴露しているのだと主張していました。 僕は田中氏に直接お会いしたことがありますけど(文庫版『創竜伝』8巻の巻末対談参照)、「四人姉妹」は実在しないと断言されていました。「実在するんだったら僕はとっくに消されてるんじゃないかと思うけど(笑)」と。そりゃそうですわな。
小説家というのは嘘をつくのが商売です。僕だってしょっちゅう嘘を書きます。 だから、小説家の書くことはとりあえず信じないのが、読者として正しい態度です。先のオウム信者の例のように、安易に信じこまれてしまうのは大変に迷惑ですから。 |
No.8431 - 2003/03/14(Fri) 10:25 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| 山本様。 友人や私の誤読だったようですね。とくに慣性の法則うんぬんはよくわかりました。山本氏のスタンスが非常にはっきりとわかりましたので、カキコしたかいがありました。友達にも山本氏のレスを見せませす。お手数をおかけしました。板のルールがよくわかってなくてすみません。 「空想科学読本」板の参加者のみなさま、お騒がせして申し訳ありません。 以上です。 |
No.8433 - 2003/03/14(Fri) 11:21 [d247096.ppp.asahi-net.or.jp]
| > > この作品の画期的な点は、そうした科学的厳密性をすっぱり捨て去り、艦隊戦を地上戦(それも19世紀以前の騎馬や歩兵による戦闘)の比喩で描いたことである。これは決して作者の無知ゆえではない。 > > 僕がここで述べている「そうした科学的厳密性」とは、この前段の主張、「科学的に厳密に考えるなら、宇宙空間での艦隊戦を想定するのは困難である」ということを指します。当然、「決して作者の無知ゆえではない」というのも、宇宙空間での宇宙船の運動にかぎった話です。 > 僕も田中氏が完璧に科学的だなんて主張していません。「アルテミスの首飾り」を破壊するのに使った手段なんてどう考えてもおかしいし、ロイエンタールが持っていたレールガンにしても「レールガンを携帯用にして何かメリットがあるのか?」と考えこんでしまいます。 > 他にも田中氏が犯している多くのミスについて、僕は擁護しません。 > しかし、いくら田中氏でも、慣性の法則を知らないはずはない。知らなかったのなら、そもそも『銀英伝』世界に慣性制御システムが存在する(これはちゃんと文中で語られています)という設定自体、考えつかないはずです。 > もしあなたが「田中芳樹は本当に無知なのだ。慣性の法則も知らずにデタラメな宇宙戦闘を描いている」と主張されるのであれば、それこそ証拠を示さなくてはならないのではありませんか? > そうではなく「慣性の法則ぐらいは知っているかもしれないが、他にも間違っているところがあるだろう」と言われるのであれば、「確かにそうですね。でも面白いからいいでしょ?」と言っておきます。 > 私はこの前段の銀英伝に関する記述は同感です。
> 田中氏の作品(特に『創竜伝』など)では、フィクションの設定と作者自身の生の主張がごちゃ混ぜに出てくるので、混乱することがあります。しかし、読者もそれに引きずられて、「田中芳樹はこんなバカなことを信じている」と安直に信じこむのはまずいでしょう。 > たとえば地下鉄サリン事件の頃、オウム真理教の機関誌に「四人姉妹は実在する」という記事が載ったことがあります。その記事を書いた奴は、田中氏が小説を通して真実を暴露しているのだと主張していました。 > 僕は田中氏に直接お会いしたことがありますけど(文庫版『創竜伝』8巻の巻末対談参照)、「四人姉妹」は実在しないと断言されていました。「実在するんだったら僕はとっくに消されてるんじゃないかと思うけど(笑)」と。そりゃそうですわな。 > > 小説家というのは嘘をつくのが商売です。僕だってしょっちゅう嘘を書きます。 > だから、小説家の書くことはとりあえず信じないのが、読者として正しい態度です。先のオウム信者の例のように、安易に信じこまれてしまうのは大変に迷惑ですから。
しかし後段のこの創竜伝に関する部分はちょっと違うと思います。 山本先生は創竜伝で田中芳樹がわかってて嘘を書いてると言ってます。 しかし、それは間違いだといえます。 田中芳樹の創竜伝の中の記述には本人が本当だと思って書いてるところもあります。 その証拠はイギリス病のすすめという対談本です。 この本で田中芳樹はイギリスについての対談を行っています。 その中で言ってることが創竜伝のイギリスを舞台にした巻で書かれていることに共通してるものがあるのです。 田中芳樹が創竜伝に書いてることに本当だと思って書いていることもあるという証拠です。 山本先生は対談でも嘘を言うのが小説家だとはいいませんよね。
私は創竜伝の最大の問題は事実をそのまま書いた部分と事実を元にしてるが大幅な脚色を施してる部分とまったくの創作が入り乱れてることにより読者が嘘を本当だと思いやすい構造にあると思います。 記述の前半部分が事実で後半部分が創作というのもあります。 前半が事実だから後半もそうだろうと思ってしまうんですね。 田中芳樹はこれをわかってやってると思いますよ。 この危険性がわかってなかったら問題です。 はっきり言って創竜伝は危険です。 人の思想に影響を与えるという事でいったらはっきりいって小林よしのりのゴーマニズム宣言なみです。 いやフィンクションであるから批判ができない分ゴーマニズム宣言よりたちが悪いです。 あっちは一応は自分の思想を語ってることをはっきり言ってますから批判ができますもの。 創竜伝は山本先生の言うようにフィンクションの小説なんだから作り話に決まってるでしょうと言われたら批判がそこで止まってしまうんです。 |
No.8434 - 2003/03/14(Fri) 13:18 [FLA1Aak156.kng.mesh.ad.jp]
| 初めまして。いつも楽しくROMしていました。
>倉本さん 正直あなたが、田中氏の何を批判したいのかがはっきりしませんが… 事実をそのまま書いた部分と事実を元にしてるが大幅な脚色を施してる部分とまったくの創作が入り乱れてるから、リアリティが出て面白いのでは? ってか、現代を舞台にしたSF、ファンタジー小説なんて、大抵そういう風にフィクションと現実を織り交ぜて作られていると思いますよ。
田中氏が、作中でどんな思想を主張しようと構わないではないですか。 それが明らかに登場人物の主張ではなく、作者本人の主張だと感じ、あなたがそれを間違いだと思うなら、鼻で笑っていればいいんですよ。 山本さんもおっしゃってますが、それを「彼が言っていることは全て正しい」と疑問を持たずに信じてしまうのは、読み手に問題があるんだと思いますよ。
因みに私も、田中氏は創竜伝の前半では、結構オカルト系の与太話信じていたんじゃないかと、文章から感じたことがあります。 それこそ、「トンデモ本の世界」を読んで、目から鱗が落ちたのではないかと。 対談後の新刊では、明らかにオカルトに懐疑的な姿勢が感じられますし…。 |
No.8435 - 2003/03/14(Fri) 14:38 [host099.spring8.or.jp]
| 横から失礼します 言霊師と申します 倉本さんのお言葉にちょっと引っかかりまして、書き込みをさせていただきます (最初に断っておきますが、私は創竜伝は1巻しか読んでいませんので、創竜伝の内容に関してはなにも言いません。その資格もありませんので)
>創竜伝は山本先生の言うようにフィンクションの小説なんだか >ら作り話に決まってるでしょうと言われたら批判がそこで止ま >ってしまうんです
小説というのは、ノンフィクションと銘打ってない限りは創作でしょう。 作者が面白いと思って考えたことが書かれているに過ぎず、それを真実だと信じ込んでしまうのは読者側の問題になります。 また、歴史上の事実などを作中に含ませ、いかにも真実っぽく書くのは特別な手法ではなく、良くあることだと思いますが、それを全部否定なさるんでしょうか? まして、小説(明らかなフィクション)としての形式で書かれているのに、そこにあることを全て真実だと思い込んでしまうのは自らの判断力を使わず、他人の言うことを丸飲みにしてしまっているわけで、それこそ問題のように私は考えます。 また作者である田中芳樹氏が、これは真実の物語だ、と宣伝してるという話も耳にしません。 どこまでが真実で、どこから嘘なのか。 それを見極めるのも小説の1つの楽しみ方でしょう。 倉本さんの言われるように小説のなかに事実を書いてはいけないのであれば、数多の作品が非難の対象となります。 (時代小説なんて特にそうなります) 小説=嘘っぱち(言い方は悪いですけど) という認識は読者側に求められるものです。 また小説とゴー宣を比べるのもおかしな話です。 作者がどんな思想、信条を持っていようと自由です。 それを世に出すに当たって、小説にするのと、評論や報道という形を取るのでは意味合いが全く違います。 内容のトンデモなさに突っ込みを入れたり、設定がおかしいとかなら話は判りますが、小説などのフィクションを真実と思い込む方が間違いです。 そして作者側にしてみれば、いかに読者を騙せたかはステータスになるでしょう。それだけ自分の構築した世界に相手を引き込むことができたということなんですから。 (まあ、読者に判断能力のない子供が多く含まれるようなもので混乱させるようなことを書くのは問題になるような気もしますが。 M○Rなんて漫画とか^^)
最後に断っておきますが、私は田中芳樹氏を擁護する気もないですし、創竜伝ファンでもありません。 ただ、
>私は創竜伝の最大の問題は事実をそのまま書いた部分と >事実を元にしてるが大幅な脚色を施してる部分とまった >くの創作が入り乱れてることにより読者が嘘を本当だと」 >思いやすい構造にあると思います
この部分に関して、小説にとってそういう手法は珍しくもないし、全く問題はない、という意見を述べたまでです。 思想が危険に感じるなどの倉本さんの個人的感想についてはなんら反対いたしません。 (前述の通り、創竜伝は1巻しか読んでないので) 長文、失礼いたしました |
No.8436 - 2003/03/14(Fri) 14:39 [i126028.ap.plala.or.jp]
| aratakさんの書き込み読んでいて、自分の書いたことの妙な部分に気づきましたので、訂正いたします。
>倉本さんの言われるように小説のなかに事実を書いてはい >けないのであれば、数多の作品が非難の対象となります。 >(時代小説なんて特にそうなります)
の部分、()内は余分ですので無いものとお考えください。 |
No.8437 - 2003/03/14(Fri) 14:45 [i126028.ap.plala.or.jp]
| 当事者の一人なので、一応レスをしておきます。 なお、僕は創竜伝を読んだことが無いので、その辺りについては対した言及しませんので、あしからず。
>倉本様
>その証拠はイギリス病のすすめという対談本です。 >この本で田中芳樹はイギリスについての対談を行っています。 >その中で言ってることが創竜伝のイギリスを舞台にした巻で書かれていることに共通してるものがあるのです。 >田中芳樹が創竜伝に書いてることに本当だと思って書いていることもあるという証拠です。 >山本先生は対談でも嘘を言うのが小説家だとはいいませんよね。
・・・・・・あのぉ~、本人が本当だと思い込んでいるのであれば、それはウソでは無いですよ。 それはさておき、そのイギリス対談とやらがどのようなものかは全く知りませんが、作者がイメージしている事とは全く同じ事を小説で書いたからと言って、何か不都合でもあるのでしょうか? 小説家にしろ何にしろ、何かを創出する際に自分のイメージでもって作り出す以上、作者が思っている事や信じている事の影響はあって当たり前でしょう。 それを問題とするのであれば、この世にあるほとんどの創作物は非難の対象になりますね。
>私は創竜伝の最大の問題は事実をそのまま書いた部分と事実を元にしてるが大幅な脚色を施してる部分とまったくの創作が入り乱れてることにより読者が嘘を本当だと思いやすい構造にあると思います。
この辺りに関しては、一理あると思います。 理解力や判断力に欠けている人は、特に思い込む危険性があるでしょう。
>記述の前半部分が事実で後半部分が創作というのもあります。 >前半が事実だから後半もそうだろうと思ってしまうんですね。 >田中芳樹はこれをわかってやってると思いますよ。 >この危険性がわかってなかったら問題です。 >はっきり言って創竜伝は危険です。 >人の思想に影響を与えるという事でいったらはっきりいって小林よしのりのゴーマニズム宣言なみです。 >いやフィンクションであるから批判ができない分ゴーマニズム宣言よりたちが悪いです。 >あっちは一応は自分の思想を語ってることをはっきり言ってますから批判ができますもの。 >創竜伝は山本先生の言うようにフィンクションの小説なんだから作り話に決まってるでしょうと言われたら批判がそこで止まってしまうんです。
・・・・・・そのような暗黙の了解が、批判に関するルールであるのですか? 批判をするのであれば、フィクションであろうとノンフィクションであろうと、「この話の作者の政治的信条について」などと断りを入れて批判すればよろしいのでは無いでしょうか? それに、イギリス対談という例が有ったとしても、全ての作品に全て同じように田中芳樹氏が自分で書いている事を本当だと思っている、などという理屈がサッパリ理解し難いのですが・・・・・・。
・・・・・・では、ここで筆を置きます。 では、また書き込む機会があれば書き込みますので・・・・・・。 |
No.8445 - 2003/03/14(Fri) 20:32 [hrsm2191029867.gemini.broba.cc]
| 一応私は、田中氏の作品は岳飛伝のような翻訳も含め、ある程度は読んでいるつもりですし、銀河英雄伝説は科学的云々を論じてもしようの無い作品だと思いますので、こちらはあまり気にならないのですが…
いやはや創竜伝にそのような感想をお持ちになる方がいらっしゃるとは、正直ビックリしています。 私が知る限り、田中氏はオカルト信奉者ではありません。 創竜伝も純粋にエンターテイメントで、おっしゃるような危険性は微塵も無いと思います
>倉本様 創竜伝の批判とは何なんでしょう。 役立たずの権力者を徹底的におちょくってはいけない、という事なのでしょうか。(笑)失礼。それですら、読者へのカタルシスになっていて、いわゆるサービスシーンで、政治的な思想もそこからは感じられません。
オカルト的な怪物の出てくる小説を書いているだけで、神秘論者だと思われるのも、安直でしょう。 それでしたら、菊地先生や夢枕先生はその道の教祖様になってしまいます。
もう少し具体的な指摘がほしいところですね。 |
No.8451 - 2003/03/14(Fri) 21:14 [P061198131181.ppp.prin.ne.jp]
| 倉本さま お手数ですが「イギリス病のすすめ」に書かれているという間違いとは何であるかお教え願えないでしょうか。当方、ヨーロッパの諸事情に疎く、同書を手に入れてもどこが間違いか分かりませんので。 ところで、「イギリス病のすすめ」に間違いがあるのでしたら、田中氏に手紙を出して知らせることをお勧めします。田中氏は山本先生と同じく自分の間違いは素直に認める人と聞いておりますので無駄にはならないとおもいます。 |
No.8454 - 2003/03/14(Fri) 21:27 [csd-883.osaka.mbn.or.jp]
| 始めまして、C-HOKUと申します。
仕立屋雅楽様 >もう少し具体的な指摘がほしいところですね。
創竜伝ではありませんが、同じ講談社から出ている薬師寺涼子シリーズの「クレオパトラの葬送」からですが
このあたりから、すこしもりっぱでなくなったモリタは、日本からの援助金を着服して私服を肥やし、反対派の大物を反逆罪で逮捕して獄中で暗殺し、批判する新聞を発禁にして記者たちを投獄した。・・・後略
このモリタという人物、南米の日系大統領という設定で誰が見てもある人物がモデルですね。かの人物に対する評価はともかく、ここまであからさまに人を悪し様に書いて、「これはフィクションです。」と、逃げを打つ。これはちょっとどうかと思います。 |
No.8461 - 2003/03/14(Fri) 22:41 [N077093.ppp.dion.ne.jp]
| >C-HOKU様
>このモリタという人物、南米の日系大統領という設定で誰が見てもある人物がモデルですね。かの人物に対する評価はともかく、ここまであからさまに人を悪し様に書いて、「これはフィクションです。」と、逃げを打つ。これはちょっとどうかと思います。
まぁ・・・・・・、確かにどうかと思いますが、これくらいなら大抵のマンガや小説でも見られる事なので、田中芳樹氏だけに目くじらを立てても仕方ないのではないでしょうか。 どこかのトンデモ本で、アメリカの某財閥の当主をそのままの名前で悪役として登場させている小説があるくらいですし・・・・・・。(苦笑 |
No.8466 - 2003/03/15(Sat) 00:04 [hrsm2191029867.gemini.broba.cc]
| すっかり「創竜伝」スレになってますね。
このシリーズ、これはチョット...と思う部分もたしかに幾つかあったんです。 その中で一番、エエーと思ったのが「アポロ計画はヤラセ」ネタ。 手元に本がないので、何巻のどこだったかは忘れてしまったのですが。 例の「真空の月面でなーんで旗がはためいてるのよ」って奴です。 さすがに全肯定はしてません。「こういう考え方もある」と踏みとどまってます。
しかし、これを発言してるのが主人公の一人、竜堂始(りゅうどうはじめ)なんですよ。 この始というキャラ、聡明でやや昔気質、でも甘さ(優しさ)をもった好漢として描写されてます。 田中氏の意見を代弁してると思われる台詞も多く、作品中で完全に「良し」とされてるキャラです。 そんなキャラが「アポロは」とか言ったら、これ作者も半ば信じてるのでは?と思われても仕方ないと思うのです。 他の作品ならそんなことは無いかもしれないですが、既に山本さんも言っいるように、作者の主張がゴチャ混ぜの作品ですし。
突っ込まれる前に言っておくと、「創竜伝」世界に限ってはアポロネタも間違いではないのは知っております。 なにしろ月面は邪神(って言い方はチトそぐわないですが)の領土であり、岩石怪獣が襲ってきたする世界です。 しかし、アポロネタが出た時点でそれを踏まえた台詞だったかは疑問です。 なにしろ途中までは全10巻で完結と言っていたのに、全く終わっていない10巻の終盤で月面のシーンが出てくるのですから。
このシーンを読んだとき、チト落胆したのを憶えてます。 信じてはおらず、たんなる演出だとしても、これじゃ始がバカに見えるじゃんよー、理知的なキャラのはずなのに、と。 |
No.8467 - 2003/03/15(Sat) 00:14 [ymgc-adsl-1320.enjoy.ne.jp]
| 前の私のレス、読み方によっては結構きつい事書いているようにとれるなぁ。そんなつもりじゃなかったんだけど、反省しよう。
>C-HOKU様 D猫6番艦のおっしゃっているとおりだと思います。公人ならある程度仕方がない事でしょうね。 ただ、田中氏の場合はデフォルメがきついので、それを不快に感じる方はいらっしゃるかもしれませんね。
>1本だたら様 私もあのセリフは「あれ?」と思い、本気で手紙を書きかけました。(笑) でもまぁ、次の巻(だったかな)で訂正されていましたし、文庫化や刷新の際に、前の発言がそのまま収録されているのをみると、それもまた田中氏らしいかなとも思います。
山本さんのおっしゃっている様に、田中氏の小説の場合、作者の主張が前面に出てきていますし、それが田中氏のスタイルにもなっています。ファンの人は、本の内容もさることながら、そのスタイルが好きな人が多いと思います。それがいやな人は、ハナにつくんでしょうね。
田中さんを擁護するつもりはないんですけど、本音を言うと好きな作家だし、少し冷静さを欠いているのかな。反省しよう。(笑) |
No.8476 - 2003/03/15(Sat) 08:26 [P061204007056.ppp.prin.ne.jp]
| >仕立屋雅楽様 私も田中芳樹先生の作品は大好きですよ。(創竜伝だけは途中でやめてしまいましたが) おっしゃる通り、公人ならばある程度仕様が無いかも知れません。 ただ、きついディフォルメがかけられる人選に偏りがあるような気がしますけどね。 |
No.8481 - 2003/03/15(Sat) 09:28 [N073207.ppp.dion.ne.jp]
| 田中氏の作品で現代を舞台とする「創竜伝」や「薬師寺涼子シリーズ」などの悪役の描き方は、好みの分かれるところですが、私としてはストレートに書かれている分、罪はないと思っています。 ただ、ストレートすぎるのは洒落の分からぬ人を敵に回してしまうので、少しは捻りを利かせた方が良いかなと思ったりもしてます。 でも「現代物」も「時代物」も「未来物」も読み比べてみると、やっていることは同じなんですよね。ただ、「現代物」は読者の身近な話題から構成している分、生々しいので反応が過剰になっているだけかと。 |
No.8485 - 2003/03/15(Sat) 11:52 [csd-883.osaka.mbn.or.jp]
| 作家がフィクションの中で書くことは、どこまで本気なのか? 実はこの問題、僕は今ちょっと神経質になってます。というのも、先日ちょうど書き上げたばかりの長編小説(現在、編集さんが出版に向けて奔走してくださっています)で、読者が誤解するとまずいなあ、という部分がずいぶんあるからです。 たとえばこの小説には、悪役として「加古沢黎」という天才小説家が出てくるんですが、こいつの主張が僕自身の主張とよく似てるんですね。 なぜかというと、最初、加古沢を自分と正反対の人物として描こうとしたんですが、うまく感情移入できない。彼はその言動によって多くのファンを熱狂させているという設定なんだけど、僕自身が信じられないようなことを彼に主張させたって、説得力が生まれるはずがない。だからあえて、僕が普段から考えていることを主張させようと思いついたわけです。 だからこの小説を読んだ読者の中には、加古沢の主張と僕の主張がそっくりであることに不安を抱き、「加古沢は山本弘の理想像なんじゃないか」と思い違いする人が出てくるんじゃないかと思うんです。 もちろん、そんなことはありません。彼は悪役ですから、最終的には邪悪な本性を露呈し、否定されます。しかし、読者はその結末を信じないかもしれない。なにしろ加古沢が主人公に対して、
>「小説ってのは嘘なんだ。読者が気に入ってくれる結末を書くからヒットする。(中略)そう計算して、俺はあえて信じてもいないことを書いた。本当の考えは違う」
なんて言ったりするぐらいですから。 (なんか「クレタ人のパラドックス」みたいだな(^^;))
僕が言いたいのはこういうことです。 登場人物が作者の主張を代弁することはよくあります。しかし、登場人物の主張は100%作者のそれと一致するとはかぎりません。途中まで同じであっても、途中から違ってくるということはあるんですから。 だから登場人物の台詞を、即、作者自身の信念だと決めつけるのは、大変に危険です。 (たとえば、上の加古沢の台詞を、僕は支持しません。「小説家はストーリーで嘘をついてもいいが、テーマで嘘をついてはいけない」というのが僕の信念だからです)
そうそう、月の話で思い出したけど、僕も『パラケルススの魔剣』の中で、「月は超古代に地球を訪れた異星人の巨大宇宙船である」という説を、登場人物に語らせていますよ。その際、トンデモ系の本からずいぶん引用させていただきました。 もちろん、そんな説なんかまったく信じてないんですが。 |
No.8487 - 2003/03/15(Sat) 16:22 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| みなさん、こんにちは。
私も以前は「作品の方向は作家の信条を表している」と考えていましたが、「虚像の兵団」(1994年、KKベストセラーズ刊)という文庫本を読んだ時に考えを改めさせられました。
これは二次大戦中の兵器や計画がらみの寄稿による本で、荒巻義雄氏、横山信義氏、檜山良昭氏、志茂田景樹氏、谷恒生氏といった名前が並んでおり、基本的に架空戦記ファンのための本です。 架空戦記物といえば、「当時の工業力も財力も無視して正義の日本軍が連勝する」といったイメージが強いのですが、意外なことにこれらの架空戦記作家の大御所の多くが、日本の秘密兵器の実用性や戦争の正当性といったものを疑ったり、日本の勝利などありえないとしたりする文章を寄せています。
荒巻氏は、15年戦争は明確な信念無しに始めてしまった戦争で、戦争目的は神話的に脚色されたとし、侵略者が正義の軍隊となっている神武東征神話に通じるものとしています。 横山氏は、八八艦隊が実現していたらその建造と維持のために日本の財政は破綻してしまい、旧ソ連海軍のように自慢の艦艇を売りに出す羽目になったかもしれないとし、さらにその方が隣国のみならず日本にとっても良かったかもしれないと書いています。 檜山氏は、そもそも日本は精密工作機械の質が悪かったので高性能な兵器を造っても量産ができず、また飛行機どころか車の免許所有者すら満足にいないため、アメリカに比べてパイロットの育成に時間がかかるといったことをあげ、「日本は戦う前に負けていた」と断じています。 志茂田氏は短編小説を寄稿しています。松代の地下大本営が完成したという設定ですが、その結果本土決戦を始めてしまい、非戦闘員に50万の犠牲者を出したあげくに結局無条件降伏という悲惨な話でした。 (谷恒生氏だけはいつものノリで、大和1隻でマッカーサー艦隊を撃破!という短編小説を載せて浮いていましたが、まさか他の人達がこうも現実的な話を寄せるとは思わなかったのでしょう。)
フィクションである限りは、作品と作家の主張が異なるという可能性は考えておいたほうがいいと思います。 架空戦記物もそうですが、特に「正義の味方」と「極悪人」は極端なデフォルメがされる場合が多いようです。 |
No.8493 - 2003/03/15(Sat) 21:40 [p29b583.tkyoac00.ap.so-net.ne.jp]
| はじめまして。 「田中芳樹を撃つ!」というサイトを運営している石井と申します。 このスレの議論については、当方のサイトでも賛成反対入り乱れた議論が蓄積されているので参考になると思います。よろしかったらご覧下さい。 さて、山本先生にお伺いしたいのですが、拙論「管理人の本論7トンデモ本の世界」 http://tanautsu.duu.jp/honron07.html についてどのようなご意見・ご感想をお持ちになられるか、もしよろしければご意見を伺えたら、と思います。 お忙しいところ、お手数をとらせて恐縮ですが、ご返答いただければ幸いです。 |
No.8510 - 2003/03/17(Mon) 00:39 [pl109.nas921.oita.nttpc.ne.jp]
| どの作家さんだか失念してしまいましたが、「テーマや主張を語るだけなら、小説ではなく論文を書きます」というような事を語っていたのを思い出しました。
作品の中で、異なる主張が語られたとしても、そのどちらにも作家さんの考えが入ってるのと同時に、どちらも作家さんの考えそのものではないという事でしょうね。 どうしてそれだけの事が分からない人がいるのかが不思議ですが、「つまらない」か「面白い」かではなく、こんな事で批判される作家さんも大変ですねぇσ(^◇^;)。
劇作家であり役者でもある知念正文さんは、講演会で「若い頃は残酷描写もリアリズムと言う事で描いていましたが、子供が生まれてからは『こんなシーンを入れていいかな』と考えるようになってしまいました」と語っていましたが。 個人的には、作家さんのそうゆう変遷を見ていくのも好きなんですが、中には「言ってる事が前と違うじゃん」と怒る人もいるようで。 “物語”(フィクション)は、しょせん娯楽なんですから、そんなに目くじら立てなくても……。 |
No.8511 - 2003/03/17(Mon) 01:30 [223.119.111.219.dy.excite.co.jp]
| 田中氏に批判する人って、田中氏に限らず 「大勢の人に影響を与えている人は、その力を持つにふさわしい人でなければならない」(知識でも文章力でも) という信条の持ち主のように読めますけど、違います?
「いくら作者が「この話しは全て絵空事です」と言ったところで現実にその内容を信じてしまって 日常生活に支障をきたすような人が大勢いるんだから、 作者はそういった人達のために完璧な人間にならなくてはいけない」 と読めるのです。
で、田中氏を擁護するわけではないけど、そういう批判はちょっと…という人は 「総体と部分を、分けて評価する」という立場で、議論が噛み合わないように思えます。
「社会にとって(自分には?)、面白い、とはどういう事か」という立場(後者)と 「面白い、とは社会にとってどうあるべきか」という立場(前者) に集約されるのではないでしょうか? |
No.8512 - 2003/03/17(Mon) 01:43 [pd30ec3.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]
| 私も創竜伝がそれらの記述によってスト-リーやキャラクターに深みを与えて面白くしてるのであれば文句は言わないんですけどね。 話の内容と何の関係もなくいきなり現実社会に対する作者の考えが語られて話をつまらなくしてると思います。 キャラクターが話の中で自分の思想を語ってる分には私もその内容がどうであれ文句は言いません。 創竜伝は地の文でどう見ても作者の考えとしか思えないものが出てくるから問題なんですよ。 しかも作者の考えが話をおかしくしてるところもあります。 田中芳樹はオカルトを信じていないというのは私も同感です。 ただ創竜伝の世界はオカルトが現実な世界です。 しかも主人公たちは転生した存在でそれゆえに超能力を持つという非常にオカルト的な存在です。 しかし創竜伝では悪の組織側の人間とヒロインとが転生について論じるシーンがあります。 そこでヒロインは転生を否定するんですね。 それでは主人公たちの超能力は転生の賜物ではないというんでしょうか。 現実世界では転生なんて否定するのが正しい常識人の態度です。 しかし創竜伝の世界では転生は現実に存在しています。 ヒロインも主人公たちもそれを知っています。 こういう世界で転生を否定する方がおかしいのです。 たとえ作者が転生の存在を信じていなくてもそれをキャラクターに語らせたらいけないでしょう。 話がおかしくなってしまいます。 同じようなものにすでにあげられてる月の話があります。 この話が書かれた巻では月には秘密があるという伏線だなと誰にも思わせるように書いています。 たぶんこの巻の執筆時には本当にそれを信じていたんだと思います。 しかし次の巻の執筆中にそれが嘘だということに気づいたのでしょう。 そこでいきなりその次の巻では否定してなかったことにしています。 自分で作った設定であり伏線なら現実がどうであれそれを押し通すべきでしょう。 嘘だとわかったからってそれを否定するとはどういうことですか。 しかも否定してる人間が前の巻でそのことについて語っていたのと同じ人間だし。 このように作者の考えが話に入ることで話がおかしくなってつまらなくなっています。 これは問題だと思います。 |
No.8525 - 2003/03/17(Mon) 14:40 [FLA1Aaw135.kng.mesh.ad.jp]
| >倉本さん あの~、これじゃあここまでスレを大きくした皆さんへの返事に全くなっていないのですが…
「創竜伝は田中氏の主張がころころ変わるから面白くない」 なら、単なる作品への感想で、それ自体誰も批判してませんよ。
…ころころ主張が変わって、倉本さんにとって面白くない作品の、何が危険なのでしょう? 私が議論したいのは、その一点だったのですが… |
No.8526 - 2003/03/17(Mon) 15:39 [host099.spring8.or.jp]
| 倉本さんへ
長編もの、それもやたらと長い時間がかかっている小説や漫画なんかだと、たまにありますね。 作者が伏線蹴ってしまうこと。 そういうとき、読者としては、あの伏線はどこへ行った、前の巻と話がかみ合わないじゃないか、なんて感想を抱くでしょう。 私なんかもそうです。 倉本さんの書き込みも、どうも前の書き込みとそれに伴うレスとかみ合ってないように見受けられるのですが・・・・。 それと
>このように作者の考えが話に入ることで話がおかしくなって >つまらなくなっています。 >これは問題だと思います
作家って人間です(当たり前ですが) 作者の考え、主義・主張、そのときの科学知識。 それらが全く入らない作品ってないと思いますよ。 そしてそれらは普遍的なものではありません。
1つの話の中で、ころころと変遷されては判りにくくなってしまうというのは確かに同感です。 |
No.8546 - 2003/03/17(Mon) 21:05 [o168130.ap.plala.or.jp]
| >倉本様 具体的な指摘について、aratak様、言霊師様に被らない所で、私なりの考えを述べさせていただきます。
ではまず。 >話の内容と何の関係もなくいきなり現実社会に対する作者の考えが語られて話をつまらなくしてると思います。 キャラクターが話の中で自分の思想を語ってる分には私もその内容がどうであれ文句は言いません。
この点は倉本様の勘違いでしょう。小説の中で直接田中氏が出てきて、喋ってはおられませんね。内容がどうであれ、それらは「キャラクター」の言葉を借りて語られています。ですから「その考え」は、そのキャラクターの思想になっています。
>こういう世界で転生を否定する方がおかしいのです。 たとえ作者が転生の存在を信じていなくてもそれをキャラクターに語らせたらいけないでしょう。
小説ですからね。作者が信じていようが、いまいが、登場人物が全て同じ考えをしているのは、逆に変でしょう。そんな小説面白く無いですよ。
>この話が書かれた巻では月には秘密があるという伏線だなと誰にも思わせるように書いています。 たぶんこの巻の執筆時には本当にそれを信じていたんだと思います。 しかし次の巻の執筆中にそれが嘘だということに気づいたのでしょう。 そこでいきなりその次の巻では否定してなかったことにしています。
嘘かどうかは別にして(笑)、月の件は田中氏が確信犯だった可能性もあります。これは田中氏しか分かりませんし、あとは読み手の受け止め方の問題としか言いようが無いと思います。 ただ、作家が書いたことが、間違いだったとして、それに途中で気づいた場合、作家として恥を忍んで訂正するのか、そのままほっかむりをして物語を進めるのかは、その方の資質の問題でしょう。 読者として、どちらを選ぶかは、これもその個人の問題ですけどね。
私としては、田中氏はリベラルだと思います。思想的なものが絡んでくるので詳しくはやめときますけど、批評する人の立ち位置によって、右にも左にも見えてくるんでしょうね。 もし田中氏が、どこかの政党の先棒を担ぐような人なら、明日にでもファンをやめますね。 |
No.8549 - 2003/03/17(Mon) 22:56 [P061198131249.ppp.prin.ne.jp]
| 月の話は石井由助さんのページのリンクに当該箇所が引用されてますが 最初に、単純に空気がある、あるいは違う場所での撮影という考察をするのは終です 余が、写真が情報操作目的でわざと異なる解釈が可能なように作成された可能性を示唆します 始は常識的な知識と判断でトンデモ解釈を一蹴します、が、奇説の生じる原因について言及しています
結局の所、奇説珍説はともかく管理された情報は作為的に操作されている可能性がある、といっているだけでは?
結論の出し方にも兄弟の性格がよく表現されている、だけな気がしますけど 続なら、自分の考えを述べるより終の出した考察をぼろくそに言うのかもしれません
これでもって作者が、最初はトンデモ説を信じていたが途中で気付いて修正を加えたとは、私には考え難いです
>倉本さんへ 輪廻転生が現実である世界で、なおかつ自分が転生体であることを自覚しつつ、それでも転生と言う(便利な)事象を否定し現世の自分のみで生きようとする そういう登場人物は創竜伝に限らずいっぱい出てきますが変ですか? |
No.8559 - 2003/03/18(Tue) 04:39 [PPPa4482.tokyo-ip.dti.ne.jp]
| 地の文であっても、それが本当に作者の主張かどうかは微妙でしょう。 ちょっと違う話ですが、『オトナ帝国』で似たような感じを味わった事があります。オタク座談会や映画秘宝の原監督インタビューで悪役のケン側に自分の考えがあると知った時です。それまでは監督はケンには共感や理解は感じても、最終的にはしんちゃんの側に立っているだろうな、と思っていましたので。 悪役に作者の思想心情を仮託するのは、よくあると知ってはいたのですけど。 かといって作品の主張を作者がインタビューで言っていても、それを全て信用する事もできません。ガンダムの富野監督などは発言内容自体がしょっちゅう変わっています。
もちろん、作者の本当の思想が何であるかを別にして、作品に書いてある思想が鬱陶しい、作品の構成を壊していると読者が受け取るのは自由だと思いますが。また、そう読者に思われてしまうのは、ある程度は作者の責任だとも。
>Tallさん いや、荒巻氏は作品でもけっこう日本批判や秘密兵器有用性への疑問を書いていたりします。他にもそういった考えを持ち、作品にも反映させている仮想戦記作家はかなりいます。 『紺碧の艦隊』で問題なのは、連載が続く中で矛盾が大きくなっている(否定した大鑑巨砲主義の同一世界観での復活、華々しく登場した”秘密兵器”が作品内で忘れ去られる)、作者の主張が生で出過ぎているように見える(あとがきの分量の多さ、そこでも地政学等を論じている)等でしょう。 上で争点になっている『創竜伝』の月着陸のようなものでしょうか(『創竜伝』の該当箇所は読んでいないので分かりませんが。 『紺碧の艦隊』・・・初期はけっこう好きだったんですけどね。 |
No.8562 - 2003/03/18(Tue) 06:48 [user100.ehm.enjoy.ne.jp]
| > >倉本さんへ > 輪廻転生が現実である世界で、なおかつ自分が転生体であることを自覚しつつ、それでも転生と言う(便利な)事象を否定し現世の自分のみで生きようとする > そういう登場人物は創竜伝に限らずいっぱい出てきますが変ですか?
私もそういう話なら文句は言いませんけどね。 主人公たちは転生で得た超能力で好き勝手なことしてるんですよ。 しかも主人公たちは自分たちが無事ならあとはどうなってもいいという考えの持ち主だし。 転生の便利なところだけ利用していてそれを否定するなんてすじが通らないでしょう。 |
No.8598 - 2003/03/19(Wed) 11:55 [FLA1Abh026.kng.mesh.ad.jp]
| この問題は、我々が完全に知りうることの出来ない「作者の思想」に絡むので 言及しないでおこうと思いましたが・・・・
倉本様
>主人公たちは転生で得た超能力で好き勝手なことしてるんですよ。 >しかも主人公たちは自分たちが無事ならあとはどうなってもいいという考えの持ち主だし。 >転生の便利なところだけ利用していてそれを否定するなんてすじが通らないでしょう。
好き勝手な事、とは具体的に何巻のどの部分に当たる描写でしょうか。 自分達が無事なら後はどうなってもいいという考えを彼らが述べている部分は、 何巻のどの部分にあるのでしょうか。 これが小説版ではなく、OVA版についての事であれば同意するところ大なのですが あくまで小説版についての御意見であるなら 「それは少し穿った読み方をされているんじゃ無いだろうか」と思います。 彼ら4兄弟(と仲間達・・・むしろ仲間達の方が好き勝手やっているような・・・))が 暴れている(という描写になる)のは外敵から理不尽な攻撃を受けた場合がほとんどです。 超能力を使って(意図的な悪事という意味で)好き勝手絶頂に暴れた事など無いはずです。 また、彼らが「自分達さえ無事ならいい」という考えの持ち主であれば、 終君が、政治犯として捕らえられていた男を殺されたときに「怒り」を覚えるのは変ですし、 そもそも余君の性格とも一致しません。 (始さんや続さんの会話の流れからだと、そう誤解されても仕方の無い部分は確かにありますが) 始終、そう云ったスタンスのキャラクター達の書き方はされていないとかと。
転生の認識に関しては「登場人物」がそれについて触れているだけで、 「作者自身」が登場したり、地の文で言及しているわけではないですよね? その部分についての意見は、くむさんや十一郎さんとほぼ同じなのですが・・・・ そもそもキャラクターが「転生のある世界観」で転生を否定したからといって、 即それを作者の意見とするのはやや性急ではないかと思います。 そういう考え方をするキャラクターなのだな、と認識すればいいだけだと思います。 キャラクターは物語が進むにつれて成長していくものですから、 その考えも変化するかもしれないじゃないですか。 (事実仙人達と会う事で、考え方が少し変化していたように私は読めましたが) その点だけを抽出して田中氏は云々と論じるのは、やや無理があると思います。 |
No.8607 - 2003/03/19(Wed) 19:56 [YGNfi-01p1-238.ppp11.odn.ad.jp]
| > 主人公たちは転生で得た超能力で好き勝手なことしてるんですよ。 > しかも主人公たちは自分たちが無事ならあとはどうなってもいいという考えの持ち主だし。 > 転生の便利なところだけ利用していてそれを否定するなんてすじが通らないでしょう。
何が言いたいのかサッパリわかりません。 創竜伝の人物で「転生を事実として否定」している人間は居ませんよ。 「転生したからといって前世に縛られたり、今の自分の自信の無さを前世の自慢で補強しようとする」事を否定しているんです。 「前世は前世、由来がどうあれ今持っているこの力は今の自分の意志で使う」というのの何が悪いんでしょうか? |
No.8608 - 2003/03/19(Wed) 20:11 [R225114.ppp.dion.ne.jp]
| ただの創竜伝スレッドと化しているようなので、これでレスを止めます。 サッパリ読んだ事がありませんから。 まぁ、名指しで反論された時には、レスをするかもしれませんが。
>倉本様
>私も創竜伝がそれらの記述によってスト-リーやキャラクターに深みを与えて面白くしてるのであれば文句は言わないんですけどね。 >話の内容と何の関係もなくいきなり現実社会に対する作者の考えが語られて話をつまらなくしてると思います。
・・・・・・はぁ、つまらないから「危険」なのですか。 貴方の以前に仰られた意見と比べてみても、サッパリ理解できません。
閑話休題。 結局のところ、何がどのように危険なのでしょうか? 貴方の意見を見る限りでは、「自分が問題に思っていること=危険なこと」として、議論では無く主張しているだけにしか思えません。 「筋が通らない」とか「伏線が消化されていない」とか「作中での真実を、信じていない登場人物」とか「作者が地の文で間違ったことを書いている」とかの何処がどのように危険なのか、ジックリと明解に説明していただきたいです。 これらが、批判の対象になることには全く否定しません。 批判は、個人個人の考え相違によって生じる事もありますから。 ・・・・・・最初から「危険」という表現を使わずに、ごく普通の批判に終わっておけば、ここまで話が大きくならずに済んだでしょうね。
>くむ様
>輪廻転生が現実である世界で、なおかつ自分が転生体であることを自覚しつつ、それでも転生と言う(便利な)事象を否定し現世の自分のみで生きようとする >そういう登場人物は創竜伝に限らずいっぱい出てきますが変ですか?
>匿名希・望様
>「転生したからといって前世に縛られたり、今の自分の自信の無さを前世の自慢で補強しようとする」事を否定しているんです。 >「前世は前世、由来がどうあれ今持っているこの力は今の自分の意志で使う」というのの何が悪いんでしょうか?
神坂一先生の「闇の 運命( さだめ )を背負う者」シリーズの主人公が、このタイプの人物ですね。 作中で転生に関する事柄に触れていますし。 それとは正反対の考え方を持つ人物との論争もありますので、ギャグ要素があるとは言え、この系統の話では良く出来ているでしょう。 |
No.8611 - 2003/03/19(Wed) 21:50 [hrsm21910299177.gemini.broba.cc]
| >倉本さんへ 話を戻しますが 小説には小説の、論文には論文の フィクションにはフィクションの、 ノンフィクションにはノンフィクションの 強みや弱みがあり、それぞれに見合う批判の仕方というのがあるはずです
>フィンクションの小説なんだから作り話に決まってるでしょうと言われたら批判がそこで止まってしまうんです。
のは、それ以上批判する意味がないのか、フィクションをフィクションとして批判する能力が低いのかどちらかではないでしょうか? 例えば小説の文面をそのまま著者の生の意見、論文として考察するようなことをしたら矛盾が出て当然です
小説(に限りませんが)の登場人物の台詞や行動は、なにより劇中の状況と他の人物との関係性を考慮しないと、批判が成立しません 「敵」に対して言った台詞はそのまま一般論にできるとは限りません たとえ >自分たちが無事ならあとはどうなってもいい と言い放っていても、そういう考えの持ち主とは断言することはできません 誰にどういう状況で言ったかが問題だからです ついでに言えば偽悪、自嘲と言う行動もあり得ます 普通に読めば >主人公たちは自分たちが無事ならあとはどうなってもいいという考えの持ち主 と捉えるのは不可能だと思えるのですが、どこでそう思い込まれたのでしょう?
>C-HOKUさんへ 公権力(あるいは行使した人物)に対して悪し様な批判をしておいてフィクションですと言い逃れが出来るのは、逃げというよりフィクションの強みの一つだと私は思います フィクションを本気にされても困る、というのは批判対象者側からも言えることなので、本気でも言っても相手にされない可能性もある弱みも持っていますが キックボクサーと対決したボクサーが蹴りは卑怯だ、とか、柔道家がプロレスラーと闘ってロープエスケープがなければ自分の勝ちだったとかいっても始まらないのと一緒で、そういうルールでしょう プライバシー(特に反論機会の保証がない一般人の)の暴露などはフィクションであってもルール違反になる訳ですが |
No.8625 - 2003/03/20(Thu) 06:42 [PPPa4127.tokyo-ip.dti.ne.jp]
| 倉本さん、こんにちは。
>しかし創竜伝では悪の組織側の人間とヒロインとが転生について論じるシーンがあります。 >そこでヒロインは転生を否定するんですね。 >それでは主人公たちの超能力は転生の賜物ではないというんでしょうか。 >現実世界では転生なんて否定するのが正しい常識人の態度です。 >しかし創竜伝の世界では転生は現実に存在しています。 >ヒロインも主人公たちもそれを知っています。 >こういう世界で転生を否定する方がおかしいのです。
『創竜伝』を読み直すのに時間がかかりました。 倉本さんがおっしゃっているのは、6巻でのクラークと茉理の会話でしょう。確かに「前世というやつを信じるかい」と訊かれた彼女は「いいえ」と答えています。 でも、ちょっと待ってください。この時点で、彼女は転生が存在することを知ってるんですか? この時点での茉理は、自分が太真王夫人の転生であることを知りません。それが判明するのは8巻です。 もちろん彼女は、竜堂兄弟が竜に変身する力を持っていることは知っています。でも、それについての説明を彼らに要求したことはありません。始たちが自分たちの前世について彼女に説明する場面も、1~5巻を読む限り、見当たりませんでした(見落としていたならごめんなさい)。彼らの能力が体内に流れる竜種の血であることは知っていても、「転生」という概念には結びつけていないんじゃないでしょうか? また、7巻で彼女はこう言っています。
>「以前にもいったかどうか覚えてないけど、運命だろうと宿命だろうと、押しつけられるは好きじゃないの。これ始さんの影響だけど」
また、6巻でのクラークとの会話では、
>「自分の前世を知ってると称する人の話を聞くと、ほんとに不思議なのよね。前世では名もない庶民だったという人がひとりもいないんだもの。みんな前世では有名な英雄や芸術家だったり、お姫さまだったりするのよ。家柄自慢もばかばかしいけど、前世自慢だってくだらないわ。現在の自分自身に、それほど自信がないのかしら」
このことから分かるのは、彼女は安易に「前世」などというものを信じこむ人間を軽蔑しているということ。だとしたら、よほどの確かな証拠がない限り、「前世を信じるか」と訊かれて「はい」と答えることはありえないでしょう。(始たちですら、最初のうちは懐疑的だったぐらいです) 僕としては、ここで茉理というキャラクターが「いいえ」と答えることは正しいと思うのですが。 |
No.8654 - 2003/03/21(Fri) 16:21 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| そうそう、3巻を読み直していて、こんな場面を発見しました。 竜堂兄弟が古いゴジラ映画のビデオを見て喜んでいるのを見て、怒り狂う花井夫人と、花井氏の会話。
>「しかしね、お前、あれは映画だよ。現実じゃないんだ。ゴジラが実在して街を焼いてまわったら、そりゃ赦せないが、つくりごとのお話じゃないか」 >「お話でも赦せないわっ」 (中略) >「そういうお話をつくったり見たりするという行為、そういう行為をしようという思想が赦せないのよ! 実際にビルがつぶされたり橋が壊されたりすればいいと思っているから、あんな映画を作ったりするのよっ。ゴジラのような映画をつくる者も見る者も、危険思想の持主に決まってるわっ」 >「…………」 >「だいたい、あなたは何でそう寛大なのっ。ゴジラがこわす橋や道路は、あなたの支払った税金でつくられてるのよっ。それを破壊されて、どうして怒らないのっ」 > お前とちがって、ちゃんと現実とフィクションの区別がつくからだよ、と、花井氏は答えた。心の中で。(後略)
……もしかして、本当にこういうことを言ってきた読者がいるのかな?(笑) |
No.8657 - 2003/03/21(Fri) 17:15 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| 山本様、スレ違いですが質問です。
>>……もしかして、本当にこういうことを言ってきた読者がいるのかな?(笑) そういえば石原都知事の「第三国人」「ババァ」発言や、原陽子議員の「ざまーみろ」書き込みのように、 その言葉を発したからという理由で騒動になることがありますが、 根は同じなのでしょうか? |
No.8660 - 2003/03/21(Fri) 18:15 [pd30ec3.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]
| なんか前に見た映画のアルマゲドンと銀英伝を見るに ダブルスタンダードにしか見えない。 同じSFでデタラメにも関わらず片方は擁護で片方は批判とは。 |
No.9569 - 2003/04/21(Mon) 23:37 [external.s-cnet.ne.jp]
| こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』 P267 <確かにこの映画にはトンデモない描写が多かった。科学が高度に進歩しているはずの異星人のコンピューターが、地球人が一夜で作ったC・ウィルスであっさり麻痺してしまうとか、異星人が意味もなく人類絶滅を企むとか、明らかに頭の悪い奴が書いた脚本だ。>
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― またまた「愛」の話 投稿者:山本弘 投稿日:11月11日(月)16時58分02秒
コンピュータ・ウイルスのくだりが、『宇宙戦争』のパロディだということは充分承知しています。他にも、原爆を投下するのが全翼機であるB-2だ(『宇宙戦争』ではYB-49でした)というのも、明らかに『宇宙戦争』へのオマージュですよね。 ただ、『宇宙戦争』の場合、人類の科学が生んだ最強の兵器である原爆でさえも倒せなかった火星人を「神の創りたもうた最も小さなもの」が倒した、という逆説が感動的なんですよね。今の人類の技術で倒せちゃうんじゃダメじゃん(笑)。 『地球防衛軍』のように、地球側も超兵器を次々に投入して、超兵器同士の戦いになるというならまだ納得できるんだけど。
『ID4』のファンには2種類いると思います。第1のグループは、あれが確信犯的バカ映画であることを認識したうえで大笑いして楽しむ人。第2のグループは、あれを本当にシリアスで筋の通ったドラマだと思って感動している人。 僕は友人たちといっしょに見たんですが、見ている間、何度もゲラゲラ笑いましたし、見終わった後も「すっげーバカ!」とみんなでおおいに盛り上がりました。 嫌いかというと、そんなことはない。バカ映画の傑作だと思っています。 困っちゃうのが、第2のグループとの認識の落差なんですよね。 最近でもやっぱり『サイン』というバカ映画の傑作がありましたが、あれで真剣に怖がったり真剣に感動したりする人がいるというのを聞いて、「なんでー?」と疑問に思います。 どう考えたって笑うしかない話なのに、なんで笑わないの、と。
また「愛」の話になって恐縮です。 作品を愛するのはいっこうにかまわない。ただ、明らかに間違っている部分があることを知ったうえで、それを許容して楽しむのと、間違いに気づかないまま見るのとは、ぜんぜん違うと思うのです。 はっきり言って、後者は作品をぼんやりと見ているのだと思います。そんな人に「俺はこの作品を愛している」と言われても困っちゃうんです。 前に別のところで書いたことなんだけど、「惚れてしまえばアバタもエクボ」 という言葉があります。これは決して「惚れた人間にはアバタがエクボに見える」という意味ではない、と思うのです。 「この娘の顔にはアバタがある。それがどうした。俺はこの娘が好きなんだ。アバタだってかわいいじゃないか。そうだ、このアバタはエクボってことなしといてやるぜ!」 これが本当の「アバタもエクボ」じゃないかと思うのです。
僕は『トランスフォーマー』や『ようこそようこ』の大ファンです。LDボックスも持ってます。しかし同時に、これらの作品には重大な欠点がたくさんあることも知っています。 「第×話のあのシーンに作画ミスがある」とか「あのシーンの描写は矛盾してる」といったことも、いちいち指摘できます。 本当に熱心なファンというのは、そういうものなんじゃないでしょうか? 『ブレードランナー』のファンは、あの映画の中にある設定ミスや撮影ミスを熟知しています。ファンだからこそ欠点まで知り抜いているのです。 その作品の欠点がどこにあるか分かっていない人は、本当のファンではない、と僕は思います。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
また、映画「アルマゲドン」のSFX的な演出や描写などについても、山本弘は以下のようなコメントを自分の掲示板に書き込んでいます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 物語の中での必然性 投稿者:山本弘 投稿日:12月 2日(月)11時18分32秒
しかし、『アルマゲドン』の場合はどうでしょう。べつに隕石が落ちる場所がニューヨークやパリでなくたって物語は成り立つはず。 「ベーリング海に隕石が落下。流氷の混じった大津波がアラスカの港町を襲う」 「タイ奥地に隕石が落下。衝撃で遺跡が倒壊。ジャングルが炎上し、野性動物が炎に巻かれて逃げ惑う」 「カイロ郊外の砂漠に隕石が落下。舞い上がった大量の砂塵が黒く空を覆い、カイロの街に砂の雨が降り注ぐ」 とかだって、充分すぎるほど絵的に迫力あるし、危機感を盛り上げることができたでしょう。(そう言えば『メテオ』という映画では、アルプスに隕石が落ちて大雪崩が発生するシーンがあったっけ) 他にいくらでも選択肢があるだろうに、ニューヨークとパリを安直に選んでしまうのは、やっぱり脚本家の頭が悪いからではないかと。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 現実を見ようよ 投稿者:山本弘 投稿日:12月 3日(火)10時57分16秒
なぜ「『アルマゲドン』の監督・脚本は頭がいい」と主張する人がおられるのか、理解に苦しみます。 だって、問題は隕石の落下だけじゃないんですよ。
・ 宇宙空間でメラメラ燃える流星。 ・ ロシアの宇宙ステーション内部の重力の方向がデタラメ。 ・ 小惑星の上で風が吹き、火が燃えている。 ・ スペースシャトルの腹が開く。 ・ 探査用車輌がなぜか武器を装備。(何と戦うつもりだったのか?) ・ 核爆弾の時限装置の中に赤と青のリード線。(今どきそんな使い古されたネタを……) ・ 脱出寸前にエンストを起こすスペースシャトルのエンジン。(しかもドンと叩いたら直る(笑)) ・ 地球上のどこも昼。
他にも細かいことを言い出せば、何十箇所もツッコミどころがあります。 これって、作ってるスタッフが何も考えてないことの、まぎれもない証明ではないのですか? これだけの証拠があるにもかかわらず、なおかつ「この監督や脚本家は頭がいい」と主張する人は、現実を見失っているとしか思えないのですが。 (言うまでもないですが、「ヒットした作品」=「頭のいい作品」ではありませんよ。バカ映画でもヒットすることはあるし、演出や脚本が練り抜かれた傑作でもヒットしない例はいくらでもあるんですから)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― No.3640 - 2002/12/07(Sat) 12:41 Re: 「アルマゲドン」問題 / 山本弘
たとえば「核爆弾の中に赤と青のリード線」について考えてみましょう。 「時限爆弾の中に赤と青のリード線があって、主人公がどっちを切ればいいか迷う。最初は赤(青)を切ろうとするが、寸前で思い直して青(赤)を切ったらそっちが正解。タイマーは1秒前で停止する」 というのは、これまでアクション映画やドラマでさんざんやってきた、手垢のついたシーンです。ラブコメにおける「遅刻しそうになって走っていた主人公が曲がり角で女の子と衝突」と同様、今やギャグでしかない。それを緊迫した場面で(ギャグでなく)大マジメにやる。 あるいは、 「恐ろしい敵から逃げようとしたら、車のエンジンがなかなかかからない」 「動かない機械をやけになってドンと叩いたら、その拍子に動き出す」 というのも同様。前者はホラー映画の定番ですよね。それを今さらスペースシャトルで堂々とやる。 ある意味、『アルマゲドン』の脚本はアクション映画の教科書にきわめて忠実と言えます。「時限爆弾の中には赤と青のリード線があるものなんだ」「逃げるときには車にエンスト起こさせろ」……。 でも、教科書通りのものを作るのは「才能」とは言わない。 もちろんマンネリ化したパターンであっても、何か違った手法を用いて、新鮮な視点で見せるということもできます。でも、『アルマゲドン』はそんなことやってない。マンネリ化したパターンを忠実になぞり、新しい要素を何も盛りこまないというのは、オリジナリティがない、つまり「何も考えてない」という証拠でしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― No.3764 - 2002/12/08(Sun) 11:32 Re: 「アルマゲドン」問題 / 山本弘
>ただ個人的には、脚本家が頭悪いと言うのは違うと思ってます。(個人的意見ね) >脚本家が、映画を見にくる観客のほとんどが頭悪いと思ってる。こっちが正解かな(個人的意見ね)
>科学的に整合性が取れてることを望んでる観客が極少数だと思ってるから >科学的な整合性についてはあまり気にしていないのだと思われます。
僕もその可能性はないではないと思っています。しかしその場合、「観客はバカだ」と思っている脚本家が書いた話で感動している観客は何なのよ、ということになっちゃうわけで(^^;)。 僕も作家ですが、「読者はバカだ」なんて絶対に思いません。ただ、難しいことを書くとついてこれない人がいるかもしれないので、「ここはこういう理由でこうなるんだ」という初歩的解説を必ず入れるようにしています。 あるいは、ほとんどの読者なら気にせずに読み飛ばすかもしれないけど、分かっている人なら感心してくれるような描写はさらっと入れるとか。 たとえば『プラネテス』というマンガがあります。この作者、宇宙に星を描かないんですよ。真っ黒に塗り潰してる。僕なんか「わっ、すごい。この人、正直だ」と感心しちゃいます。地球や宇宙船が画面内にある場合、露出の関係で星は見えないんだってことを忠実に再現してる。(そのくせ「ガツン」とかいうオノマトペが入ってるのがマンガ的なんだけど(^^;)) でも、大半の読者は、宇宙が塗り潰されていることにも気づかないだろうし、気づいたとしてもなぜなのか分からないでしょう。でも、それでいいんです。 観客の知能にあわせて間違った描写をする――そんな脚本家や監督が本当にいるのなら、僕は軽蔑します。そんな奴は人間として最低。そんな奴が作った映画に感動する観客も問題あり。
でも、『アルマゲドン』はたぶんそうじゃないと思います。だって、いくら何でも「宇宙に空気がある」と思ってる観客はそう多くないだろうし、それに合わせて小惑星の上に風を吹かせたというなら、それ以外の賢い観客にバカにされるであろうことをまったく計算していなかったわけで、これは本物のバカです(^^;)。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 「アルマゲドン問題」スレッド http://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=hiro15&mode=pickup&no=3603
ここで山本弘は、「フィクション映画」であるはずの「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」の演出効果や「絵になるシーン」を狙って作られた描写に対して、「科学考証に全く耐えられない、間違いだらけのありえない描写を描き出した製作者は本物のバカだ」などと述べた挙句、そのような描写を素直に楽しんだり感動したりしている観客に対してまで「お前らは『本当のファン』などではない、バカな映画制作者の思惑通りに動く『問題のあるファン』だ」とまで罵倒するわけです。 ところが、「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」の「バカな描写」に対してここまで主張しているはずの山本弘が、同じ「フィクション」というカテゴリーに属しているはずの銀英伝に対しては、とても同一人物が発言しているとは思えないほどの正反対な主張を展開しています↓
http://homepage3.nifty.com/hirorin/yanagida09.htm 柳田理科雄・作『ぎんがえーゆーでんせつ』の奇怪な世界! <さて、田中芳樹『銀河英雄伝説』の話である。 この作品の画期的な点は、そうした科学的厳密性をすっぱり捨て去り、艦隊戦を地上戦(それも19世紀以前の騎馬や歩兵による戦闘)の比喩で描いたことである。これは決して作者の無知ゆえではない。科学的に正確に宇宙戦闘を行なうのはきわめて困難であり、たとえうまく描けたとしても、難解すぎて読者に理解できないものになる可能性が高い。巨大怪獣映画を作る際に物理学や生物学を無視せざるを得ないのと同じで、どうしても宇宙で艦隊戦をやりたいのなら、科学的厳密さにはあえて目をつぶるしかないのである。 しかし、科学的な不正確さはこの作品の欠点ではない。『銀英伝』の魅力はそんなところにあるのではないからだ。大勢の個性的なキャラクターたちが織りなすドラマ、智将同士が火花を散らす戦いの面白さ、宇宙的スケールの野心や謀略、ヤンがユリアンやフレデリカに洩らす愚痴の楽しさ、現実の政治や歴史に対する作者のアイロニー、そこかしこにちりばめられたユーモア……それらすべてが『銀英伝』の魅力であり、人気の秘密なのだ。>
山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 山本弘の投稿No.8431より抜粋 <もしあなたが「田中芳樹は本当に無知なのだ。慣性の法則も知らずにデタラメな宇宙戦闘を描いている」と主張されるのであれば、それこそ証拠を示さなくてはならないのではありませんか? そうではなく「慣性の法則ぐらいは知っているかもしれないが、他にも間違っているところがあるだろう」と言われるのであれば、「確かにそうですね。でも面白いからいいでしょ?」と言っておきます。>
はて、こんなことが「フィクション作品」に対して述べることができるのであれば、先に山本弘が舌鋒鋭く批判していた「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」の「バカな描写」を描いた「バカな製作者」もまた、山本弘の主張に対して「確かにそうですね。でも面白いからいいでしょ?」と簡単に返すことができるのではないでしょうか? 実際、「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」の「バカな描写」を素直に「面白い」と思ったり、「親子愛」や「自己犠牲」的なストーリーに感動したりした観客は決して少なくはないのですし、そのような観客によって両映画は莫大な興行収益を稼ぐことができたのですから。媒体は違えど、本質的には同じ「SF系フィクション」というエンターテイメント作品に属し、しかも同じくらいに「科学考証無視のバカな描写」が少なからず存在する両作品の間に、何故かくのごとき評価の違いが生じなければならないのでしょうか? また仮に「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」の論評の方が正しいというのであれば、銀英伝に対しても、
<確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。科学が高度に進歩しているはずの未来世界で、宇宙航行を限定する2つの回廊が存在するとか、携帯用のレールガンが存在するとか、宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一であるとか、氷塊が一恒星系内で一気に亜光速航行に達して軍事衛星を破壊するとか、作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視しているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。>
<読者の知能にあわせて間違った描写をする――そんな原作者や小説家が本当にいるのなら、僕は軽蔑します。そんな奴は人間として最低。そんな奴が作った小説に感動する読者も問題あり。 でも、『銀英伝』はたぶんそうじゃないと思います。だって、いくら何でも「宇宙空間であのような形式の艦隊戦が展開できる」と思ってる読者はそう多くないだろうし、それに合わせて作中の様々に矛盾している戦闘描写を描いたというなら、それ以外の賢い読者にバカにされるであろうことをまったく計算していなかったわけで、これは本物のバカです(^^;)>
<他にも細かいことを言い出せば、何十箇所もツッコミどころがあります。 これって、作ってる小説家が何も考えてないことの、まぎれもない証明ではないのですか? これだけの証拠があるにもかかわらず、なおかつ「この小説家は頭がいい」と主張する人は、現実を見失っているとしか思えないのですが。>
↑といった類の主張が間違いなく言えるはずですし、そういった「科学考証無視のバカな描写」に気づかず、「大勢の個性的なキャラクターたちが織りなすドラマ、智将同士が火花を散らす戦いの面白さ、宇宙的スケールの野心や謀略、ヤンがユリアンやフレデリカに洩らす愚痴の楽しさ、現実の政治や歴史に対する作者のアイロニー、そこかしこにちりばめられたユーモア」などを素直に楽しんだり感動したりしている銀英伝読者は、当然のことながら「その作品の欠点がどこにあるか分かっていない人」ということになるわけですから、「本当のファンではなく、バカな小説家の思惑通りに動くバカなファンである」と評されることになるはずでしょう。もし山本弘が「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」に対する自分の評価基準があくまでも正しいと思うのであれば、なぜ銀英伝に対しても同じ基準を当てはめて論評しようとしないのでしょうか? 山本弘の銀英伝評価と、「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」評価は、一方を尊重すれば他方が確実に破綻する関係にあるわけです。こういうのを一般的には「ダブルスタンダード」と呼ぶのではないでしょうかね。
そして、山本弘の創竜伝評価についてですが、こちらに関しても、そもそも「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」の「フィクション描写」と「製作者」をアレほどまでに糞味噌に評価した人が、創竜伝に関して、
山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 山本弘の投稿No.8431より抜粋 <田中氏の作品(特に『創竜伝』など)では、フィクションの設定と作者自身の生の主張がごちゃ混ぜに出てくるので、混乱することがあります。しかし、読者もそれに引きずられて、「田中芳樹はこんなバカなことを信じている」と安直に信じこむのはまずいでしょう。 たとえば地下鉄サリン事件の頃、オウム真理教の機関誌に「四人姉妹は実在する」という記事が載ったことがあります。その記事を書いた奴は、田中氏が小説を通して真実を暴露しているのだと主張していました。 僕は田中氏に直接お会いしたことがありますけど(文庫版『創竜伝』8巻の巻末対談参照)、「四人姉妹」は実在しないと断言されていました。「実在するんだったら僕はとっくに消されてるんじゃないかと思うけど(笑)」と。そりゃそうですわな。 小説家というのは嘘をつくのが商売です。僕だってしょっちゅう嘘を書きます。 だから、小説家の書くことはとりあえず信じないのが、読者として正しい態度です。先のオウム信者の例のように、安易に信じこまれてしまうのは大変に迷惑ですから。>
↑などと述べたところで全く説得力はないでしょう。「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」を評価した手法を用いれば、創竜伝に対してもまた、
<確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。現代世界を舞台にしている小説中で、人間がドラゴンに変身するとか、そのドラゴンが重力制御やソニックビーム・気象制御などの超常的な現象を単体で発生させるとか、現代文明の水準をはるかに上回る技術で動く宝貝やタイムマシンが仙界や天界に存在するとか、人間世界が少数の特定財閥や牛の怪物に支配されているとか、全ての歴史的事件が影の黒幕の陰謀によって操られているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。>
<読者の知能にあわせて間違った描写をする――そんな原作者や小説家が本当にいるのなら、僕は軽蔑します。そんな奴は人間として最低。そんな奴が作った小説に感動する読者も問題あり。 でも、『創竜伝』はたぶんそうじゃないと思います。だって、いくら何でも「輪廻転生が実在する」と思ってる読者はそう多くないだろうし、それに合わせて超常的な力を好き勝手に行使する主人公を描いたというなら、それ以外の賢い読者にバカにされるであろうことをまったく計算していなかったわけで、これは本物のバカです(^^;)>
<他にも細かいことを言い出せば、何十箇所もツッコミどころがあります。 これって、作ってる小説家が何も考えてないことの、まぎれもない証明ではないのですか? これだけの証拠があるにもかかわらず、なおかつ「この小説家は頭がいい」と主張する人は、現実を見失っているとしか思えないのですが。>
↑というツッコミがいとも簡単にできるはずですし、山本弘が「本当に熱心な田中芳樹ファン」を自負するのであれば当然行わなければならないことであるはずでしょう。「その作品の欠点がどこにあるか分かっていない人は、本当のファンではない」などと述べているのは他ならぬ山本弘自身なのですから。 「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」の科学考証ミス程度のレベルであそこまで糞味噌に作品と製作者を叩けるのであれば、創竜伝などそもそも最初から論外であるはずなのですから、本来ならば、「小説家の書くことはとりあえず信じないのが、読者として正しい態度です」だの「作家がフィクションの中で書くことは、どこまで本気なのか?」だのと、能天気なテーマなどを語っている場合などではないはずなのですが。
もちろん、田中芳樹は創竜伝8巻文庫本における山本弘との対談でも言明している通り、創竜伝に書かれているその手のオカルトや陰謀論的な作品設定や作中描写を本心から信じているわけではないでしょう。しかし創竜伝の場合、田中芳樹のその「オカルトや陰謀論を否定するスタンス」が、本来「オカルトや陰謀論が存在する作品」の中でさえ開陳されてしまうからこそ、ストーリーの流れや設定がおかしくなってしまうのではありませんか。そしてその象徴が、「管理人の本論7 トンデモ本の世界」でも言及されている「月と空気のエピソード」であり、また倉本さんが指摘された「ランバート・クラークと鳥羽茉理による『輪廻転生』を巡る会話シーン」なのです。 そしてそれ以外にも、創竜伝では「管理人の本論3・5・8・9・10」の批判内容に象徴されるように、本来のストーリーの流れとは全く無関係の社会評論を大量に垂れ流されることによって、ストーリーや作品設定・世界観などを悪戯に崩壊させられている上、田中芳樹関連のインタビュー記事やエッセイ・対談本などの中には、それらの評論が田中芳樹個人の本心であり、かつ読者に対して社会問題を訴える明確な意図をもって書いている旨を自ら告白しているものすら存在するのです。今更言うまでもありませんが、これらは「フィクション小説」のカテゴリーに到底収まるものではありえません。 まさか山本弘はこれらの描写の矛盾や問題点に全く気づかなかったわけではありますまい? もし気づかなかったというのであれば、「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」評で述べていた論理から言えば、山本弘は「実は田中芳樹の本当に熱心なファンではなく、バカな小説家の思惑通りに動く『問題のあるファン』だ」ということになってしまいますし、気づいていたけどあえてツッコミを入れなかったというのであれば、「と学会」会長の看板が泣こうというものでしょう。 「と学会」会長の地位にあり、「田中芳樹の熱心なファン」として知られ、しかもアレほどまでに「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」のフィクション描写および製作者を舌鋒鋭く批判しただけでなく、ファンに対してまで「作品の欠陥にいちいちツッコミを入れるのが『本当に熱心なファン』である」などといった定義を行ったり、山本弘曰く「『バカな描写』を描く『バカな製作者』が作った『トンデモ映画』」を素直に楽しんでいる人達を一方的に「問題のあるファン」などと罵倒したりしていたはずの山本弘が、何故創竜伝のトンデモ性を全く問題視しようとしないのか、私には非常に不思議に思えてなりません。 まさか、ただ単に「個人的な作品の好き嫌い」を理屈付けするだけのために、作品毎にデタラメな評価基準を当てはめているとは考えたくないところなのですが…… コピペだがhttp://bbs3.otd.co.jp/318375/bbs_plain?base=3951&range=1どうですか。 |
No.9586 - 2003/04/22(Tue) 17:19 [external.s-cnet.ne.jp]
| ・・・・・・久々に銀河英雄伝説にも問題の焦点が帰ってきましたね。
>北魏孝文帝様
>なんか前に見た映画のアルマゲドンと銀英伝を見るに >ダブルスタンダードにしか見えない。 >同じSFでデタラメにも関わらず片方は擁護で片方は批判とは。
「SFで科学考証がデタラメである事」と言われても、銀河英雄伝説は「厳密な科学的考証より、人間の内面やそれが織り成すドラマを最優先で考証したスペースドラマ」であって、「理由もなしに科学的考証を行なわなかった」アルマゲドンとも物語の質が違います。 実際、アルマゲドンでは人間ドラマ自体は見られますが、銀河英雄伝説のように深みも複雑さも何も無い、まるでマニュアル通り人間ドラマしか見ていません。 ・・・・・・まぁ、これはこれで良いと思いますがね。 少なくとも、感動することは出来ますから・・・・・・。 とにかく、「無知」と「わかりやすくするための科学的考証の無視」を同一視しているようでは、これらが全く同じような作品だと思っても仕方が無いでしょうが・・・・・・。
>asai様
ええっと、貴方の意見は要約すると「アルマゲドンやインディペンデス・ディのファンはそれの欠点を指摘しないといけないと主張する山本氏が、田中芳樹氏の小説に関して欠点をどんな理由があって主張しないのか」と言いたいのですね。 この意見に関しては、反論の余地がありませんね。 結局、批判にしろ擁護にしろ、その人の感性と趣味が入りますから・・・・・・。
・・・・・・で、それは置いておいて反論を。
> <確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。科学が高度に進歩しているはずの未来世界で、宇宙航行を限定する2つの回廊が存在するとか、携帯用のレールガンが存在するとか、宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一であるとか、氷塊が一恒星系内で一気に亜光速航行に達して軍事衛星を破壊するとか、作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視しているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。>
これらのツッコミの中で、既に別スレッドで反論済みなのもありますが、「宇宙航行を限定する2つの回廊が存在する」「作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視している」の2点に関しては、物語を構築する上での必然的な科学考証の無視、に該当すると思って間違いないでしょう。 さもなくば、この2点を除外して「銀河英雄伝説」という物語が構築できるか、熟慮してみてください。 なお蛇足ながら、「2つの回廊」の重要性に関しては、物語内においてもキッチリ明記されています。 単純に「ワープ航法の航続距離が短いから、2つの回廊を経由しないと途中でサルガッソースペースに巻き込まれて難破する」だけなのですがね。 いかに、「科学が高度に進歩しているはずの未来世界」でも、出来ない事があるという事を表しているだけでしょう。 「日時」に関しても、「標準時」というものが施行されている以上、人類社会であれば銀河の何処でも同日同時ですよ。 他のご意見に関しては、「携帯型レールガン」うんぬん以外は反論の余地がありませんし、「携帯型レールガン」についても反論する必要性がありませんので、あしからず。
なお、前々から明記し続けましたが、「創竜伝」を全く知らないので、その内容が関わる意見には一切の反論も主張もありません。 したがって、僕に対しての意見や反論で「創竜伝」の内容に関する事を言われても答えようが無いので、言及しないようにお願いします。 |
No.9588 - 2003/04/22(Tue) 19:37 [hrsm2191029855.gemini.broba.cc]
| >「『バカな描写』を描く『バカな製作者』が作った『トンデモ映画』」を素直に楽しんでいる人達を一方的に「問題のあるファン」などと罵倒したりしていたはずの山本弘が、何故創竜伝のトンデモ性を全く問題視しようとしないのか、私には非常に不思議に思えてなりません。
で、その指摘されているトンデモ性と言うのが、
>確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。現代世界を舞台にしている小説中で、人間がドラゴンに変身するとか、そのドラゴンが重力制御やソニックビーム・気象制御などの超常的な現象を単体で発生させるとか、現代文明の水準をはるかに上回る技術で動く宝貝やタイムマシンが仙界や天界に存在するとか、人間世界が少数の特定財閥や牛の怪物に支配されているとか、全ての歴史的事件が影の黒幕の陰謀によって操られているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。
だっていうんでしょ。 本気で相手にしちゃいけません。アホらしい。 |
No.9591 - 2003/04/22(Tue) 22:05 [P061198163123.ppp.prin.ne.jp]
| asaiさんへ
僕自身は「インディペンデンス・デイ」も「アルマゲドン」も見ていないためこれらと銀英伝とで山本さんがダブルスタンダードな評価をしているという意見には何も言えませんが、あなたの以下の書き込み
>(前略)「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」を評>価した手法を用いれば、創竜伝に対してもまた、 ><確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。現代世界を>舞台にしている小説中で、人間がドラゴンに変身するとか、その>ドラゴンが重力制御やソニックビーム・気象制御などの超常的な>現象を単体で発生させるとか、現代文明の水準をはるかに上回る>技術で動く宝貝やタイムマシンが仙界や天界に存在するとか、人>間世界が少数の特定財閥や牛の怪物に支配されているとか、全て>の歴史的事件が影の黒幕の陰謀によって操られているとか、明ら>かに頭の悪い奴が書いた小説だ。>(中略)↑というツッコミが<いとも簡単にできるはずですし…
には賛成しかねます。「ID4」「アルマゲドン」はSFであるのに対し、「創竜伝」は伝奇小説であり作品のジャンルが違う以上、それぞれでやっていい描写(設定)は違うでしょうし、評価基準も違ってくるでしょう。 たとえるなら推理小説における密室殺人は何らかのトリックで人間が行ったものであるべきで、超自然的な手段(存在)によるものであってはならないですが(ノックスの十戒だったと思いますが)、これがホラー小説なら幽霊や未知の怪物による密室殺人でもかまわないわけです。
それと個人的な感想になりますがあなたの書き込みは正確さを期そうとするあまり引用文が非常に多く、かつ長くなっているため、かえってあなたの意見がわかりにくくなっていると思います。もう少し短くまとめられてはどうでしょうか。 新参者の生意気な意見ですいません。 |
No.9597 - 2003/04/23(Wed) 02:55 [ZZ098148.ppp.dion.ne.jp]
| asaiさん、こんにちは。 まず最初に警告しておきます。あなたの発言は不必要に長すぎます。引用箇所は必要最小限にとどめるのがマナーです。 これ以上、このような行為を続けられるようであれば、本掲示板への悪質な妨害行為とみなし、削除いたしますので、そのつもりで。
><確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。科学が高度に進歩しているはずの未来世界で、宇宙航行を限定する2つの回廊が存在するとか、携帯用のレールガンが存在するとか、宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一であるとか、氷塊が一恒星系内で一気に亜光速航行に達して軍事衛星を破壊するとか、作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視しているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。>
はて、「宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一」ですって? 1巻の第3章でちゃんと、惑星によって自転周期が異なることは明言されていますし、そのうえで24時間を1日、365日を1年とする標準暦が使用されているという説明がされていますよ。「全ての惑星が同月同日」なのは標準暦を使っているからです。 田中氏はちゃんとそういう点にも気を使って書いてるんです。
>でも、『銀英伝』はたぶんそうじゃないと思います。だって、いくら何でも「宇宙空間であのような形式の艦隊戦が展開できる」と思ってる読者はそう多くないだろうし、それに合わせて作中の様々に矛盾している戦闘描写を描いたというなら、それ以外の賢い読者にバカにされるであろうことをまったく計算していなかったわけで、これは本物のバカです(^^;)>
じゃあお訊ねしますが、科学的に正確にどうやって『銀英伝』が書けるのですか? 無理である、と僕は断言します。科学的に厳密であろうとするなら、宇宙空間での艦隊戦闘なんてものはとても成立しません。むしろ「賢い読者」ならそれが分かります。 宇宙空間に回廊があるというのも同じことで、ストーリー上の必然性なのです。科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです。 対する『アルマゲドン』はどうでしょう。小惑星の上で風がびゅうびゅう吹いてたり、流星が宇宙空間で燃えたりすることに、いったいどんな必然があるというのですか? なくたって支障はないでしょう?
>確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。現代世界を舞台にしている小説中で、人間がドラゴンに変身するとか、そのドラゴンが重力制御やソニックビーム・気象制御などの超常的な現象を単体で発生させるとか、現代文明の水準をはるかに上回る技術で動く宝貝やタイムマシンが仙界や天界に存在するとか、人間世界が少数の特定財閥や牛の怪物に支配されているとか、全ての歴史的事件が影の黒幕の陰謀によって操られているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。
あなたの論理からすると、「SFやホラーやファンタジーを書く人間はみんな頭が悪い」ということになっちゃいますが、そんなことを本気で主張されているのですか? どうもあなたは、僕の主張をまったく理解しておられない。「現実離れした話を書く奴は頭が悪い」なんて、誰も言ってやしません。創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。 だから「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。 あなたの理屈は言い換えればこうです。
「ウマのことを『大きな動物』と言い、ハムスターを『小さな動物』と言う奴がいるのはおかしい。ウマもハムスターも、シロナガスクジラに比べればはるかに小さいのに。 ハムスターが『小さい』のならウマも『小さい』はずである。なぜ一方は大きくて一方が小さいなどと矛盾したことを主張するのか。これはダブルスタンダードではないか!」
違うのは、動物の大きさと違って、作品の良し悪しは物差しや体重計では具体的に測定できないってことですね。だからと言って、良し悪しが計れないってわけじゃないんですけど。 |
No.9599 - 2003/04/23(Wed) 11:46 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| >山本先生や、asaiさんに返信された方へ。
どうも、お久し振りでございます。
nezu_miさんのサイトでも書かせてもらいましたが、asaiさんがこ書き込まれた内容は このスレッドに(管理人本人が)張られているリンク・・・『田中芳樹を撃つ!』という サイトの掲示板からのコピペです。 (asaiさんも一番最後の行で、そう記述されています) あちらの掲示板の常連さんが書かれた物で、おそらくasaiさんがそれを見て 『こんな事かかれてますけど、どうですか?』と言う意味合いでコピペされたのだと思います。 (asaiさんが書かれた一番最後の行に『どうですか』とあるのが私の推察の根拠ですが)
ですが、コピペとはいえ長すぎますね(苦笑) 『このスレッドにリンクされている『田中芳樹を撃つ!』というサイトで、 こんな発言(ここでURLを貼るなどする)がされています。どうですか?』 とすれば、それで済んだような気がします。
おそらくasaiさんと、向こうでこの長文を書かれた方とは、まったくの別人だと思うので その点を指摘する為に書き込ませていただきました。
また、この文章は17:45に再度編集しております(言葉の使い方が変だった為)。 |
No.9602 - 2003/04/23(Wed) 13:30 [YGNfi-01p2-132.ppp11.odn.ad.jp]
| 謎です。
>asai さん
いろいろ書かれていますが、早い話「ダブルスタンダードである」「勝手な決め付け」と言う部分を問題にされているのかと思います。 確かにその場その場で言うことが違ったり、思い込みで勝手な決め付けをされると腹立たしい物ですが、そういうことをするのが人間の性なんではないでしょうか? 同じような物でも自分が気に入ったものには好意、気に入らなかったものには敵意を持った発言をするなんてのは、多分誰でも行ってと思います。 もちろん常に整合性の取れた発言をし、勝手な決め付けを行わないなどは理想では有るでしょうけど、それを普通の人に求めても無理って物でしょう。 また、自分の考えでは整合性が取れているつもりでも、結局自分自身の価値観でさまざまな判断を行っている以上、価値観の違う他人から見ればダブルスタンダードに映る事も有るでしょう。 例えば、アルマゲの小惑星上の風と、銀英伝の宇宙空間での艦隊戦闘のストーリー上の必然性の厳密な判断を、いったい誰ができるでしょう?できるのは「自分は必然であると思う/思わない」でしかなく、これは厳密でもなんでもない、単なる主観に基く判断でしかないことは明らかです。
要するにそんなことに目くじら立てても仕方ないんでは?少なくとも趣味嗜好などが絡んだ事に関しては価値観の相違が有る事はまず間違いないでしょうし。
ですので、
> まさか、ただ単に「個人的な作品の好き嫌い」を理屈付けするだけのために、作品毎にデタラメな評価基準を当てはめているとは考えたくないところなのですが……
まぁデタラメかどうかは知りませんが、「個人的な作品の好き嫌いを理屈付け」している物だと思って、おおらかに見るのが良いのではないでしょうか? また「勝手な決め付け」に関しても、「決め付け機関」なるものが決定し、おおやけに自分にそのレッテルが貼られると言う訳でもないので、これも「なんか言ってるよ・・・」くらいが良いかと。
ただ大事なのは、自分の言ってることは少なくとも他人から見れば「ダブルスタンダードである」「勝手な決め付けである」と言う事を認識し、つまらない言い訳をつのって、自分は「ダブルスタンダードではない」とか「勝手な決め付けはしていない」等と言わないようにすることではないでしょうか。 好きだから庇う、気に入らないから粗を探す、これを常に行っていることを素直に認めることが重要でしょう。 |
No.9608 - 2003/04/23(Wed) 14:55 [gw.kamakuranet.ne.jp]
| お久しぶりです、わらべです。
>創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。 > だから「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。
なぜです?良いじゃないですか。「お約束通り」な展開のある作品でも。 純粋に物語として楽しめれば、「時限爆弾に赤と青のリード線」や 「脱出寸前に車がエンストを起こす」シーンだって楽しいんですよ。 山本先生は様々な映画やアニメや漫画を沢山見ているから、このような 展開は「お約束過ぎて頭が悪い」と感じてしまうかも知れませんが、全ての人が そうだとは限らないのですよ。仮に今まで映画を見た事が無い人が、 「アルマゲドン」を見て感動した後で、山本先生の 「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。」 …の文章を見たら、彼はどう思うでしょう?これはいくらなんでも 言い過ぎじゃないでしょうか?
「時限爆弾に赤と青のリード線」や「脱出寸前に車がエンストを起こす」 と言うシーン…。山本先生。なぜこういったシーンを平然と書く 脚本家は「頭が悪い」のですか? |
No.9631 - 2003/04/24(Thu) 02:45 [zaqdb734722.zaq.ne.jp]
| 仮にも一つの映画の作品を書いた脚本家に対して、「頭が悪い」とは いかがなものでしょうか?そんな事を言う権利が、山本先生…あなたにはあるんですか?
単に感想文を書くなら、「つまらない」と言うだけで良いですし、 批評するなら「この作品はこう言う所が、こんな風に良かったが、 こう言う所が、こう言う理由で悪かった」…と言う風に、 一つの作品を作り上げた人に対して、尊敬の念をもって評価するのが 正しいはずです。言うに事欠いて「頭が悪い」とは何事でしょう?
山本先生、貴方は作家ではないのですか? 製作者の苦労や努力と言うものを、貴方は知っているはずじゃないのですか? 「頭が悪い」なんて言葉は、「アルマゲドン」を製作したスタッフや 「アルマゲドン」のファンの方々に対する暴言以外、何者でもないはずです。 |
No.9632 - 2003/04/24(Thu) 04:16 [zaqdb734722.zaq.ne.jp]
| お久しぶりです。K-960です。
便乗して一言
> 対する『アルマゲドン』はどうでしょう。小惑星の上で風がびゅうびゅう吹いてたり、流星が宇宙空間で燃えたりすることに、いったいどんな必然があるというのですか? なくたって支障はないでしょう?
アルマゲドンで小惑星が燃えているのは、専門家が『ガスが吹き出していれば小惑星の上でもあり得るので何でもあり』と太鼓判を押したとパンフレットに明記されており、またSF考証に元NASAのスタップ等の専門家が協力をしているという事実をご存知でしょうか?
これらの事を知らずに批判しているとしか思えませんので、 ツッコミ所すべてに気付かなかった「頭悪い観客」からの一言です。 |
No.9634 - 2003/04/24(Thu) 08:39 [ppp44-149.yomogi.or.jp]
| >アルマゲドンで小惑星が燃えているのは、専門家が『ガスが吹き出していれば小惑星の上でもあり得るので何でもあり』と太鼓判 >を押したとパンフレットに明記されており、またSF考証に元NASAのスタップ等の専門家が協力をしているという事実をご存 >知でしょうか?
はじめまして。 専門家の考証が、脚本家に理解されて脚本に理解されるとは限りません。白黒の「8マン」の頃から、考証家の指摘と脚本家の無理解という問題は何回も聞かされていますし、古いアニメファンなら「OUT」や「アニメック」の誌上で、考証に当たった専門家がスタッフに理解されない愚痴を何度か目にしたことがあると思います。 豊田有恒氏の「あなたもSF作家になれる、わけではない」という著作でも、SFと名が付けば整合性も合理性もおかまいなく めちゃくちゃなことができるアリバイとして使われることを 嘆いています。たしか氏が交渉を担当した「宇宙戦艦ヤマト」に 関連した箇所だったと記憶しています。 「ガスが吹き出ている」から「小惑星が燃える」というのは かなり飛躍があります。その間の論理が成立するように設定を 考えるのが考証家の役割だと思いますが、そのような事は行われた気配が見えません。 「ガスが吹き出ている」という一語をアリバイにして「小惑星 を燃える」ことに飛躍したのは、やっぱり脚本家の頭が悪い(それとこれは違うことがわからない)ためではないかと思います。
わたしは映画館で「アルマゲドン」を観ましたが、NASAが監修していてこの程度かと呆れました。 結局NASAが映画に貢献した度合いは、ロケのために施設を提供しただけ位ではないでしょうか |
No.9635 - 2003/04/24(Thu) 09:14 [acykhm006226.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| ・幼女キャプターわらべさん
> 仮にも一つの映画の作品を書いた脚本家に対して、「頭が悪い」とは > いかがなものでしょうか?そんな事を言う権利が、山本先生…あなたにはあるんですか?
全ての観客には、好きなように感想を述べる権利があると思うのですが。
私は『アルマゲドン』はバカ映画だと呆れる一方で、『ID4』は好きな映画です。 その『ID4』を山本先生をはじめとして様々な方が酷評しているのは腹立たしくもありますが、「思ったことを止める権利は誰にも無い」と思います。 自分が好きなら好きだと主張すれば良いわけで、他の人の感想を止めさせたり修正するよう促したり、感想ならとか批判ならとか表現方法を指定する必要は無いと思います。
そもそも山本先生が主催するサイトの掲示板なんですから、「暴言承知」くらいの気持ちで良いのではないでしょうか。 |
No.9636 - 2003/04/24(Thu) 10:15 [206.119.111.219.dy.excite.co.jp]
| 確かに山本氏が言い過ぎているきらいはありますが、 私も見た映画(或いは読んだ本でも聞いた音楽でもなんでもいいですが)に対してどんな感想をもってどんな意見を言おうがその人の勝手で、みんなにその権利があると私も思いますよ。もちろん、山本氏のような人が言うの私が言うのとは影響力が違いますけどね。
もし山本氏にこういう権利が無いとすれば、また他の誰も山本氏の文章を批判する権利も無いことになると思うんですけどねえ・・・
話は変わりますが、前にあかほりさとる氏がラジオで「俺はみんながやらないから敢えてお約束な話ばかり書いているんだ」と言っていました。まあそれがいいという人もいるのでしょうが、私はあかほり氏の最近の作品はちっとも面白いとは感じません。 お約束なシーンというのも使い方次第では有効なものたと思いますが、そればかりというのはねえ・・・ |
No.9638 - 2003/04/24(Thu) 11:10 [Air1Aav196.ngn.mesh.ad.jp]
| 山本先生の辛口批評に異を唱える人たちって、先生がプロの物書きだってことをお忘れでは無いでしょうか。 この世の中、素人目には合格でもプロの目から見れば不合格なんていくらでもあるでしょう。それだけプロの世界って厳しいのですよ。 まあ一度、漫画でも小説でもテンプレート通りの作品をどこかの編集部に持ち込んでください、山本先生みたいにストレートな表現ではないにしても、そこまで言うかというぐらいに超辛口批評をしてくれますから。
ちなみに、私の友人で絵は上手いが物語を構成するのが下手な漫画家が、アマチュア時代に一度だけ持ち込みをして、その一回で月例漫画賞佳作を受賞という成果をあげたのですが、そのときに相手をしてくれた編集者からは、ほとんどお褒めの言葉はなく、延々と辛口の評価が続いたそうです。同席していたもう一人の友人の言う事には「すべて本当の事なので反論出来ないけど、そこまで言うか」といういわば針のむしろ状態だったそうです。 それだけプロの世界は厳しいという見本ですね。
この話には後日談があり、その友人よほどこの持ち込みがこたえたのか、それ以後持ち込みをすることなく誘いがあったアニメ関係の仕事に就く事になります。でも漫画家の夢が捨てきれずに後に漫画家に転身するのですが、アニメ関係時代のネームバリューも手伝ってか、この時はすんなりとデビュー即月刊連載が決まりました。それだけなら、めでたし、めでたし何ですが、友人にとってアニメ関係時代は、ある意味ぬるま湯生活で、以前持ち込みで指摘された漫画家としての欠点は何一つ改善されていなかったのです。 それでも、とにかく絵が上手いので素人目には面白い漫画ということで、そこそこ人気が出ましたが、物語を構成するのが下手という欠点が重くのしかかり遅筆な漫画家として日々苦労してます。 iFは好きではありませんが、友人があのまま持ち込みを続けていれば、漫画家としての欠点をあの時点で克服していれば、もっと大成していたかもしれません。それだけの才能はあったのですから。
つまり、何を言いたいのかというと、否を否のまま拒否する事は簡単ですが、それではその先はありません。否であっても、一度は理解しようと努力しなければ相手の真意は読めませんし、自らの成長もありません。 それで後々、苦労するのは自分なのですよ。
PS.山本先生からは多くの事を学び取れます。それを自分の嗜好だけで拒絶するのは、勿体ない事だと思うのですが。
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No.9639 - 2003/04/24(Thu) 12:18 [218.45.94.176.eo.eaccess.ne.jp]
| 「盲信的」という言い方があるじゃないですか。 なんであれ、ひとつの作品を好きになるということは、その作品の良い所も悪い所も認めたうえじゃないとね。
完璧な作品なんてあるわけないんですから、どう言いつくろっても、山本先生の指摘は事実なんだし、その欠点を指摘されても「だけど私はこれが好きなんです!」と言い切れるのがファンの心意気というものではないかな。
年齢とともに、好みも変わってくるし受け手も成長しますしね。 カミングアウトしますけど、私もむかし「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を酷評された時、カンカンに怒った経験があります。(汗)あぁ、恥ずかしぃ。
十年後も「この作品が好き」と言える自分であるためにも、批判には素直に耳を傾けましょう。そのうえで、論理的な反論が出来るのであれば、ドンドンしていけば良い。感情的なのはダメです。それこそ「頭が悪く」見えます。(笑)
>幼女キャプターわらべ様 >一つの作品を作り上げた人に対して、尊敬の念をもって評価するのが正しいはずです。言うに事欠いて「頭が悪い」とは何事でしょう?
この意見には、賛成しかねます。 これは全ての反論なり、評論なりを封じ込めてしまう意見です。 作品として世に出た以上、そんな気を使う事はありませんよ。(笑) |
No.9650 - 2003/04/24(Thu) 16:54 [P061204002249.ppp.prin.ne.jp]
| > 完璧な作品なんてあるわけないんですから、どう言いつくろっても、山本先生の指摘は事実なんだし、 >その欠点を指摘されても「だけど私はこれが好きなんです!」と言い切れるのがファンの心意気というものではないかな。
その「事実」を「欠点」と見なすかどうかの問題でしょ? 後、私は作家としての山本先生は評価してますけど、評論家としてはあんまし評価してません。 #世の中、別種の才能というものがあるので
> これは全ての反論なり、評論なりを封じ込めてしまう意見です。 > 作品として世に出た以上、そんな気を使う事はありませんよ。(笑)
それはその通りですが、この「頭悪い」はそこまでに行き着く論理展開が「ただの主観」なので問題視されているのでは? #ワシには『トップを狙え!』のチョロチョロ噴射炎と同様の一種の懐古趣味の様に見えるので、 #「頭悪い」ではなく「趣味が悪い」と言う方が適切に思います |
No.9651 - 2003/04/24(Thu) 17:31 [wwwproxy525.kobe-u.ac.jp]
| もう既に「田中芳樹問題」から「批評問題」に移行しているようなので、そろそろ新スレッドの出番でしょうか・・・・・・。 それはさておき・・・・・・。
批評というものは、多かれ少なかれ批評者の主観が入るという事を前提にして、あまり深刻に考えるべきではないと思います。 このスレッドでも、「お気に入りの作品が酷な批評を受けている」と感情的になって反論をしている方も居られますが、例え山本弘先生のように知名度が高い人の意見を聞いても、「自分の考えと違うけど、その意見を否定せずに自分の考えを大事にする」のスタンスを保ち続ける事が大切であると思います。
・・・・・・まぁ、比較的「山本弘先生」寄りのレスをしている僕の言葉ですから安易に肯定できないかもしれませんが、少なくとも、今の僕は相手の主張を撤回させるような事は一切考えていません。 件の「ID4」や「アルマゲドン」でも、ツッコミを入れる事は多々ありますが、少なくとも映画全体を見たうえで相応の評価もしています。
よって、今回のスレッド参加者の皆様には、批評に対して大らかな態度を求めます。 それと、「山本弘」という人の批評は「激辛」であるということを考えてから、その批評を読んでみるべきでしょう。 少なくとも、批評に対する精神的な安定に必要な何よりの特効薬となるでしょうから。 |
No.9655 - 2003/04/24(Thu) 19:35 [hrsm21910298125.gemini.broba.cc]
| 田中芳樹は最低の小説家である。 田中芳樹は最低の人間である。 悲しい、、、 ああ、悲しい、、、この事実がとても、、
以前から思っていたことです。 山本氏のHP、この掲示板で田中芳樹問題のスレッドを見つけた時から書き込もうとしてたことです。。。。
反論はもちろんあるでしょう。 この悲しい結論になった理由をかきこします。
なぜここにかくかといいますと、それは、 山本弘のSF秘密基地・掲示板 だからです。
田中芳樹は最低の人間である。 田中芳樹は山本弘がどのような人物か知らない、理解していない。 対談もした、ここで擁護もされている。 にも かかわらず 田中芳樹は山本弘を知らない 理解していない
あの日、書店で私は1人の偉大な小説家が失われた事を発見した。 喜びと、悲しみと、怒りと、楽しさと、 なににも換え難い至福の時を与えてくれた。 もうその時間を得ることはできない。 悲しい、、、 小説家、田中芳樹を失なったことが アレはもう、ヒトとしてやってはいけないことです
私は小説家、田中芳樹のファンです いままでも、これからも、 でも、、、(泣) |
No.9664 - 2003/04/24(Thu) 23:50 [M029116.ppp.dion.ne.jp]
| 私に対して発言して頂いた皆さんへ。 レスありがとうございます。
■TOSHIさん >全ての観客には、好きなように感想を述べる権利があると思うのですが。
山本先生の発言が、単に「感想」に留まっているのであれば、 (「頭の悪い」発言に対しては、とりあえずは置いておいて) 私は何も言いません。問題は山本先生の発言が、山本先生が意図しているか していないかは知りませんが、単なる「感想」に留まっていないから 問題なのです。
なぜなら、この山本先生の発言は、asaiさんへの反論、 すなわち『「銀河英雄伝説」のフィクションは許すのに、 なぜ「アルマゲドン」や「インディペンデンス・ディ」のフィクションは許さないのか』 …と言う、山本先生の主張として書かれているからです。 もしもこの発言が、山本先生の単なる感想ならば、 山本先生の回答は、「なぜ許さないのかは、私がそう感じたから」…と言う 答えになってしまうでしょう?それじゃあ答えになってないじゃないですか。 感想と言うものは、あくまでもその人個人の「感想」にすぎません。 全ての人が同じ「感想」を持っている訳ではないのです。 そんな「感想」だけで銀英伝はOKでアルマゲドンは駄目と主張されても、 私としては「異議あり」と言わざるをえないのです。
>そもそも山本先生が主催するサイトの掲示板なんですから、「暴言承知」くらいの気持ちで良いのではないでしょうか。
なぜです?仮に私が『ID4』に対して、単なる感想だけで 「この製作者は頭が悪い」…なんて言い出したら、貴方はどう思うのですか? きっと貴方は私に対して言うでしょうね。「それは暴言だ」と。 同じ事を貴方は山本先生に対して言われた場合、貴方は「暴言承知」で済ませてしまうのですか? 貴方の『ID4』に対する愛情は、「暴言承知」で済ませてしまうくらい軽いものなのですか? |
No.9670 - 2003/04/25(Fri) 01:18 [zaqdb734722.zaq.ne.jp]
| ■WASHAさん > 山本氏のような人が言うの私が言うのとは影響力が違いますけどね。
貴方の想像以上に大違いだと思いますよ。山本先生は、自分の発言の「重み」と言うものを もう少し自覚して欲しいと思います。山本先生の意見というのは、 単なる「個人の意見」として留めておくほど、軽いものではないのです。
例えば山本先生は、ここの掲示板の人の何人かに、レッドカードや イエローカード、更に警告文を出されていますよね? そう言う人達に対して、山本先生は義務があります。 「管理者の自分が、ここのBBSのルールを決して犯さない」と言う義務が。 山本先生がこのルールを犯せば、彼等は当然怒って言うでしょうね。 「山本が良くて、なぜ俺達が駄目なんだ」とね。
まだあります。山本先生は「トンデモ本の世界」で、様々な本を馬鹿にしたり コケにしてきてますよね。当然、山本先生は彼等に対して義務があります。 「自身がトンデモ本を書いてはいけない」。
まだまだありますね。「空想科学対戦」を書いた柳田氏や 山本先生が、パソ通時代に反論した人達に対しても。
山本先生の活動&活躍を期待&応援しているファンの方々の期待や応援に対しても。
勿論、山本先生がどんな発言をしようが自由ですが、 問題のある発言をすれば、当然彼等に対して、山本先生は 泥を塗った事になるのです。単純な影響力の問題では無いのですよ。
> もし山本氏にこういう権利が無いとすれば、また他の誰も山本氏の文章を批判する権利も無いことになると思うんですけどねえ・・・
あのですね、私は別に「山本先生が批判する権利は無い」と言いたい訳では無いんですよ。 私はその批判に対する態度が問題だと言ってるんですよ。 元の文章にそう書いてあるでしょう? 『脚本家に「頭が悪い」と言う権利はあるのか』とね。
自分がその作品の内容が気に入らないからと言って、それを武器にして その作品を駄目だと主張するのは、貴方はおかしいと思いませんか? 更にそれのどこが、脚本家が「頭が悪い」と言う事になるのでしょうか? |
No.9672 - 2003/04/25(Fri) 02:06 [zaqdb734722.zaq.ne.jp]
| ■極気楽堂さん > 山本先生の辛口批評に異を唱える人たちって、先生がプロの物書きだってことをお忘れでは無いでしょうか。 > この世の中、素人目には合格でもプロの目から見れば不合格なんていくらでもあるでしょう。それだけプロの世界って厳しいのですよ。
それを「評価」だけで留めておくのなら、問題無いでしょうね。 しかしそれでは、銀英伝のフィクションが良くてアルマゲドンの フィクションが駄目と言う理由にはならないでしょうね。 更には、脚本家が「頭が悪い」と言う理由にもなりませんね。
> まあ一度、漫画でも小説でもテンプレート通りの作品をどこかの編集部に持ち込んでください、山本先生みたいにストレートな表現ではないにしても、そこまで言うかというぐらいに超辛口批評をしてくれますから。
そりゃまぁ、編集部の皆さんは、それを仕事にして食ってますからね。 彼等の批評は、雑誌の今後の売上げや、そしてひょっとしたら将来 有望になるような作家の人々を育てるかもしれないものですからね。
私は彼等のその批評と、山本先生のその批評(もっともこの場合、asaiさんへの反論だと思うのですが)が同列のようには思えないのですが…? |
No.9674 - 2003/04/25(Fri) 02:43 [zaqdb734722.zaq.ne.jp]
| 不思議なんですが、どうして皆さんは山本先生の 「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。」 …と言う話にOKを出すのですか?
山本先生の主張の「アルマゲドン」の部分に、皆さんの好きな映画やアニメ、 漫画やゲームや小説の名前を入れたら、皆さんは凄く不愉快に思うでしょう?
ここでレッドカードを与えられた人の中には、「たかがアニメ」発言で 皆さんから叩かれた人が居るじゃありませんか。 何故同じ判定が、アルマゲドンにも適用されないんですか? |
No.9675 - 2003/04/25(Fri) 03:08 [zaqdb734722.zaq.ne.jp]
| ■幼女キャプターわらべさん (勝手ながら以下では、わらべさんとお名前を省略させていただます。読みにくくなるといけませんので。)
> 山本先生の発言が、単に「感想」に留まっているのであれば、 > 私は何も言いません。 > 山本先生の主張として書かれているからです。
これはつまり、「“感想”に留まっていれば構わない。しかし、“主張”までするのは問題がある」と、わらべさんは考えているわけですね。 そして、主張するからには感じたからというような曖昧なものではなく、論理的かつ合理的に説明をするべきだと、わらべさんはおっしゃられているのでしょうか。
感想と主張の違いについて一応この場だけの定義として、感想は「思ったこと」として静的なモノ、主張は「明確に伝えたいこと」として動的なモノだと仮定します。 で、私としては静から動へ流れる、すなわち感想から主張へとつながっていく事には、なんの問題も無いと思います。 もしその後、動から攻になるとしたら問題でしょう。この場合の攻とは、主張ではなく攻撃(実力行使)、例えば「あんなヤツに映画を作らせるな!」となんらかの圧力をかけると言うような事です。 その点に関して山本先生は著書『こんへん』(略)でも、『「もう本を書くな」とか「本を回収しろ」と要求はしない』と明確に主張しています。 すぐ後のくだりでは、『「もうこんな欠陥だらけの本は読みたくない」と言おう!』などとも書いてありますが、これもあくまで主張であって、実力行使で嫌いな書籍を発行停止にしようとしている訳ではありません。 件の『アルマゲドン』や『ID4』に関しても、感じた事を主張する事にはなんの問題も無いと思います。 そして、“感じる”と言う事には主観や好みが関係してくるのもまた至極当然の事でしょう。
> 山本先生の回答は、「なぜ許さないのかは、私がそう感じたから」…と言う答えになってしまうでしょう?
これに関しては、山本先生は具体的な例を挙げて示していますし、さらに作家として自分はそうゆう手法は使わない事も明言されているので、その批判は妥当ではないと思います。 読者としては、「よーし、これからの作品もじっくり観てやろうじゃないか」と意地悪な事を思いはしますが。
> 全ての人が同じ「感想」を持っている訳ではないのです。 > 私としては「異議あり」と言わざるをえないのです。
もちろんです。 全ての人が全く同じ感想を持つなどありえませんし、それは擁護する人の間でも、批判する人の間でも、完全な一致というのは無いでしょう。 そして、わらべさんには異議を唱える権利があります。他のみなさんにもあります。
私が、わらべさんに一番伝えたかったのは、先のレスの通り「自分が好きなら好きだと主張すれば良い」のではないかと言う事です。 ある意味、“言いっ放し”と言う事になる訳ですが、そもそもが観たり聞いたりした創作物について語ると言うのは、共同作業のための議論でも正解不正解を厳正に決める議論でもないのですから、意見を集約する必要も妥協する必要も無いはずです。そこには、意見の“交換”があるだけです。
> なぜです?仮に私が『ID4』に対して、単なる感想だけで > 「この製作者は頭が悪い」…なんて言い出したら、貴方はどう思うのですか?
えーと、腹が立ちます(^_^;)
> きっと貴方は私に対して言うでしょうね。「それは暴言だ」と。
私の発言を決めないで下さい(苦笑) 「自分はココが好きなんです!」と主張するでしょう、たぶん。 しかも根拠は薄いモノと思います。例えば、「カッコイイ」とか「昔からああゆうのに弱くて」とか、極めて非論理的な思い入れで。 > 同じ事を貴方は山本先生に対して言われた場合、貴方は「暴言承知」で済ませてしまうのですか?
先のレスにも書きましたが、山本先生が管理している場所で暴言を吐くと言うのは、むしろ遊びに来る以上、承知の上です。 もし山本先生が、『アルマゲドン』のファンサイトに出向いて、「あの脚本家は頭が悪い」とか発言した場合は、私も「あんた何様!?」って怒るでしょうね。 > 貴方の『ID4』に対する愛情は、「暴言承知」で済ませてしまうくらい軽いものなのですか?
映画は友達への布教を兼ねて3回観に行きました。2人には馬鹿にされ、1人には気に入ってもらえました。 ビデオも字幕版と吹き替え版の両方を借りました。 お金を貯めてDVDも買いました。 DVDを買ったくせに、テレビで放送する時にも観ました。奥さんに夕飯を部屋に持ってこさせたので嫌がられました(苦笑)
繰り返しになりますが、まず第一に自分が好きだと言う事が重要です。 『うしろゆびさされ組』という歌の歌詞に、「世界で私だけは あの人を好きでいたい」というのがありますが、そんな気持ちです。 腹は立ちます。反論はします。 でも、だからと言って相手が“思う事”を止める事はできませんし、それを主張する事を止める権利は私にはありません。それはまた、自分が主張するためでもあります。 そして何よりも、自分が好きならその気持ちを曲げる気持ちなどサラサラありません。 恋愛モノでもあるでしょう? 友達に「あの女はやめとけ」とか言われても聞き入れないって。 だって“好き”なんだもの。 私の場合は、そうゆう事です。
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ええと、他の方への返信になってる事柄ですが、私も意見があるので触れておきたいと思います。
>そう言う人達に対して、山本先生は義務があります。 >「管理者の自分が、ここのBBSのルールを決して犯さない」と言う義務が。
私は無いと考えます。 何故なら管理者だからです。 理不尽に思われるかもしれませんが、私たち訪問者は“勝手”に遊びに来ている訳で、主催者が気に入らなければ締め出されても仕方がありません。 むしろ、つまみ出す基準を示している訳ですから、律儀な人だなぁと思います。 気に入らないサイトなら、遊びに行かなければいいのですから。
>当然、山本先生は彼等に対して義務があります。「自身がトンデモ本を書いてはいけない」。
これも、その義務は無いと思います。 バードウォッチャーが猟師となって鳥を狩ったり、生育地を荒らしたりすれば問題ですが、鳥になるのは構わないでしょう。 ただ、その時に向けられる目は、“ちゃんとした鳥になっているか”でしょうけど。 つまり、“トンデモ本として魅力的かどうか”が、作家として問われるでしょう。
>不思議なんですが、どうして皆さんは山本先生の「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。」 …と言う話にOKを出すのですか?
OKを出した憶えはありません。 例えば、山本先生は「ダブルスタンダードは用いない」と事あるごとに発言しているわけですが、唐沢俊一先生などは「ダブルスタンダードが平気で出来るくらいにならないとモ ノカキとして一人前にはなれない。」と発言しています。 つまり、山本先生の発言は山本先生の信条な訳ですから、そのこと自体を否定する必要性がありません。 少なくとも私は、「テンプレート通りの物語を書いたっていいじゃん」と思っていますが、山本先生が思ってる事が間違ってるとは思いませんでした。 ただ、山本先生が作家としてそのような姿勢で“取り組んでいる”と言う事を認識はしましたが。
「反論しないから同意した」と言う事には、ならないと思います。 これは同時に、「反論が無いから分かってくれた」と言うことにはならないという事でもありますが………。 |
No.9676 - 2003/04/25(Fri) 03:42 [96.119.111.219.dy.excite.co.jp]
| 質問です。
No.9672 - 2003/04/25(Fri) 02:06 [zaqdb734722.zaq.ne.jp] ☆ Re: 田中芳樹問題 / 幼女キャプターわらべ さんの書き込みで、 >>まだあります。山本先生は「トンデモ本の世界」で、様々な本を馬鹿にしたり >>コケにしてきてますよね。当然、山本先生は彼等に対して義務があります。 >>「自身がトンデモ本を書いてはいけない」。 とありますが、と学会で出している(?)本の中で繰り返し繰り返し、 「取り上げた本や物事を馬鹿にしているんじゃない」という主旨を書かれていますし、 「トンデモ本」の定義も何度も何度も書かれています。 世間がその言葉を信用していなかったり誤解するのは仕方がない事かもしれませんが、 と学会会長の運営しているサイトに堂々と上記のようなことを、 他人に同意を求めるような書き方で書いてよいものなのでしょうか?
以前赤瀬川原平さんのエッセイ書かれていたのですが、 テレビでワイドショーを見ていたら、元気な老人が取り上げられていたんですって。 走ったり運動したり、元気溌剌だそうです。 リポーターも「お元気ですね~」とマイクを向ける。 老人「いやぁ、まだまだ若い者には負けませんよ」 リポーター「そうですねぇ。これぞまさしく、老人力ですねぇ」 …(^^;) で、見ていた赤瀬川さん、 そういう意味で老人力という言葉を作ったわけではないんだけどなぁ。 まぁ、言葉は生き物だから、いっかぁ。 と結んでいました。
個人的に「言葉の定義を廻る主導権闘争」に関わっているので、 こういうことが気になってしまいます。 |
No.9679 - 2003/04/25(Fri) 08:55 [pdd58fe.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]
| >幼女キャプターわらべ様
> 不思議なんですが、どうして皆さんは山本先生の「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。」 …と言う話にOKを出すのですか?
それはね、「テンプレートどおりの物語」というのは明らかに作家の手抜きであり、われわれ受け手を馬鹿にしている行為だからです。
>山本先生の主張の「アルマゲドン」の部分に、皆さんの好きな映画やアニメ、 漫画やゲームや小説の名前を入れたら、皆さんは凄く不愉快に思うでしょう?
私は二十年来の車田正美さんのファンです。彼はテンプレートどおりの作品を書き、キャラクターの書き分けもあまり出来ません。 彼の作品に対する批判も、それこそ星の数ほどありますし、私もその通りだと思っています。 それでも、彼の作品が私は好きです。彼の作品をけなされても、不愉快には感じる事はありません。 前にも書きましたけど、ひとつの作品なり、作家なりを好きになることは、長所も短所もひっくるめて容認しなければならないと考えています。
>ここでレッドカードを与えられた人の中には、「たかがアニメ」発言で皆さんから叩かれた人が居るじゃありませんか。 何故同じ判定が、アルマゲドンにも適用されないんですか?
特定のアニメを擁護や批判して、そのことだけでレッドカードを出されたわけじゃありませんよ。 もう一度考えてみてください。 |
No.9680 - 2003/04/25(Fri) 08:56 [P061198141129.ppp.prin.ne.jp]
| そろそろこの話題も禁止宣言が出る頃かな?
>カンタベリー様 >専門家の考証が、脚本家に理解されて脚本に理解されるとは限りません。 全く持ってその通りですね、でもこれは全然別の話です。 私はこの点に関しては「専門家の意見と演出家の意見が問題になるほど食い違わなかった」と申しているのです。 それともアルマゲドンの隕石の描写で専門家の考証と脚本家の意見が食い違ったという 資料でもあるのでしょうか?
>「ガスが吹き出ている」から「小惑星が燃える」というのは >かなり飛躍があります。その間の論理が成立するように設定を >考えるのが考証家の役割だと思いますが、そのような事は行われた気配が見えません。
まあ、多少の誇張表現はあると思いますが・・・ 現実にあり得ると専門家が太鼓判を押しているのに、他の理由を考える必要があるのでしょうか?。
> 「ガスが吹き出ている」という一語をアリバイにして「小惑星を燃える」ことに飛躍したのは、やっぱり脚本家の頭が悪い(それとこれは違うことがわからない)ためではないかと思います。
私は「専門家があの描写を認めた」と思われる資料の存在(映画のパンフレット)を提示したつもりです。 「専門家の意見と演出家の描写が違う」と仰有るのでしたらばその根拠と資料を明示してください。 |
No.9683 - 2003/04/25(Fri) 11:23 [ppp10-149.yomogi.or.jp]
| ちょっとだけ幼女キャプターわらべ様に
>あのですね、私は別に「山本先生が批判する権利は無い」と言いたい訳では無いんですよ。
言ってますよ。言い方を変えているだけです。 少なくとも私にはあなたが山本氏に 「あなたが批判をすると影響が大きいから批判なんかしないでくれ。」 と言っているようにしか思えません。 ひょっとしたら「批判の仕方を考えた方がいいんじゃないですか」と言いたいのかもしれませんが、それにしてはきついですね。 |
No.9684 - 2003/04/25(Fri) 11:34 [Air1Aav102.ngn.mesh.ad.jp]
| http://bbs3.otd.co.jp/318375/bbs_plain?base=3969&range=1 ここで反論されているみたいですね。 <はて、「宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一」ですって? 1巻の第3章でちゃんと、惑星によって自転周期が異なることは明言されていますし、そのうえで24時間を1日、365日を1年とする標準暦が使用されているという説明がされていますよ。「全ての惑星が同月同日」なのは標準暦を使っているからです。 田中氏はちゃんとそういう点にも気を使って書いてるんです。>
これは山本弘の根拠のない思い込みですね。 実際には田中芳樹本人が、銀英伝10巻あとがきで以下のような主張を展開しています。
銀英伝10巻あとがき P241 <ただ、作者が承知してやっていることもあります。たとえば、一万光年離れた惑星オーディンと惑星ハイネセンとで、同月同年同日ということはありえませんし、第一巻で私は惑星の自転・公転・暦の関係についてすこし書きましたが、後の巻では、よほど特殊な環境の例を除いて、いちいち言及しませんでした。また季節についても、惑星ごとに当然ちがうでしょうし、同じ惑星でも北半球と南半球ではことなります。そもそも地軸が黄道面に対して傾斜していない惑星では、季節の変化がありません。これらをすべてひっくるめて、季節の変化を地球北半球のそれに合わせてしまったのは、この作品においては、とくに回想シーンにおいて、季節感の描写が必要だったからです。フィクションのなかでの約束事として、ご許容ください。>
というわけですので、「田中氏はちゃんとそういう点にも気を使って書いてるんです」という主張は完全に間違いです。 そして田中芳樹は、自分が作った作品設定が「科学考証の観点から見て完全に間違っている」ことを自分でも充分に承知の上で、「とくに回想シーンにおいて、季節感の描写が必要だったから」などという「【科学考証の観点から言えば】さして重要とも思われない理由」に基づき、山本弘曰く「科学考証に全く耐えられないバカな設定および描写」を銀英伝の作中で堂々と描いていたわけですから、これは山本弘がさぞかし忌み嫌っているであろう「観客の知能にあわせて間違った描写をする」に該当するのではないのですか? それから山本弘は、私が銀英伝の作中から「科学考証ミスの実例」として適当に挙げてみた5つの事象のうち、科学考証の観点に基づいた主張としては「宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一である」についてのみ言及しているだけで、あとの4つ「宇宙航行を限定する2つの回廊が存在する」「携帯用のレールガンが存在する」「氷塊が一恒星系内で一気に亜光速航行に達して軍事衛星を破壊する」「作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視している」については何も反論していないようですし、特に「携帯用のレールガンが存在する」「氷塊が一恒星系内で一気に亜光速航行に達して軍事衛星を破壊する」の2つについては、「【科学考証の観点から言えば】杜撰な設定であること」を、他ならぬ山本弘自身が自ら積極的に認めているわけなのですから、山本弘的理論に従えば、これらの「杜撰な」設定が存在する銀英伝という作品を「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」と同レベルの「トンデモ作品」扱いすることに何の問題も生じないはずでしょう。 このような「(山本弘的理論から言えば)読者を愚弄する許しがたい蛮行」が公然と行われており、かつ「(山本弘的理論から言えば)それに見事に騙されている問題のあるファン」があまりにも多いであろう銀英伝に対して、「インディペンデンス・ディ」と「アルマゲドン」を評価した際の、「科学考証に全く耐えられないバカな設定および描写」に基づいて映画制作者や映画ファン達を「バカ」呼ばわりまでする、その舌鋒鋭い山本弘的批判手法が何故展開されないのか、やはり私には非常に不思議に思えてならないのですが。
<じゃあお訊ねしますが、科学的に正確にどうやって『銀英伝』が書けるのですか? 無理である、と僕は断言します。科学的に厳密であろうとするなら、宇宙空間での艦隊戦闘なんてものはとても成立しません。むしろ「賢い読者」ならそれが分かります。 宇宙空間に回廊があるというのも同じことで、ストーリー上の必然性なのです。科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです。 対する『アルマゲドン』はどうでしょう。小惑星の上で風がびゅうびゅう吹いてたり、流星が宇宙空間で燃えたりすることに、いったいどんな必然があるというのですか? なくたって支障はないでしょう?>
「ストーリー上の必然性」であれば、そもそも「インディペンデンス・ディ」のC・ウィルス関連の設定や描写だって、劇中では充分に「ストーリー上の必然性」で発生しているのですから、「科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです」という論法が当然使えるでしょうし、「アルマゲドン」もまた、「大都市を狙ったかのように隕石が【偶然】落下する事態が発生する」とか「小惑星の上で風がびゅうびゅう吹いてたり、流星が宇宙空間で燃えたりする」とかいった描写が「ストーリー上の必然性」として存在しているのですから、こちらも当然「科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです」ということになるはずでしょう。 その「ストーリー上の必然性」に対して、どこからともなく一方的に持ち出してきた「科学考証」とやらを使って「【科学考証の観点から言えば】こんな描写はありえない」などといった御託を並べるのは「科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです」という山本弘自身の主張に明白に反していますし、ましてやそれに基づいて、「ストーリー上の必然性」を「意図的かつ確信犯的に」描き出して映画の雰囲気を盛り上げるように製作した映画制作者や、そのような映画に特に疑問を抱くこともなく素直に感動している映画ファンに対してまで「バカ」呼ばわりするのは、失礼ながらいささか常軌を逸していると言えるのではありませんか? それに、山本弘は映画「ボルケーノ」に対しても、「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」と全く同様のスタンスで評価していましたよね↓
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 今週は『ボルケーノ』 投稿者:山本弘 投稿日:12月 3日(火)10時30分20秒
『spa!』連載の「空想科学研究所」、今週は『ボルケーノ』なんですが……。
ごめん、この映画に関しては、『アルマゲドン』同様、擁護する気がまったく起きません(^^;)。 だいたい、「ロサンゼルスのど真ん中で火山が噴火」って、「地球に巨大隕石が落下」よりもありえないことなんだけど…… まあ、一種の怪獣映画として楽しむべきなのかもしれませんが。
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しかし「ボルケーノ」という映画では、山本弘曰く「ロサンゼルスのど真ん中で火山が噴火」という設定がとても重要な「ストーリー上の必然性」として存在しており(これがなかったら「ボルケーノ」という映画自体がそもそも成立しえない)、それを前提として脚本が書かれていたわけですから、「科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです」というのであれば、当然その辺りは大目に見るべきところなのではないのですか? 第一、「【山本弘的理論に基づいた】ストーリー上の必然性」とやらを判定する「客観的な判断基準」というのは一体どこに、どんな形で存在するというのでしょうか? ここまで自信を持って断言するからには、当然ながら「銀英伝・創竜伝をはじめとする田中作品」には適用されて「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」「ボルケーノ」には全く当てはまらない形での、さぞかし万人を納得させられるだけの普遍的な理論ないしは概念に基づいた判定基準でも存在するのでしょうが、これが何らかの形で、しかも客観的かつ具体的に提示されなければ、「ストーリー上の必然性」という言葉自体が使用者の都合によって、いつでも恣意的に運用されるということにもなりかねないのではないかと思うのですけど。
<あなたの論理からすると、「SFやホラーやファンタジーを書く人間はみんな頭が悪い」ということになっちゃいますが、そんなことを本気で主張されているのですか? どうもあなたは、僕の主張をまったく理解しておられない。「現実離れした話を書く奴は頭が悪い」なんて、誰も言ってやしません。創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。 だから「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。>
本当に救いがたいほどに「頭が悪い」としか言いようのない主張ですね。まさか自分の事を棚に上げて、こんな愚かしい解釈に基づいたレスを返されてしまうとは思ってもいませんでしたよ。 まず「あなたの論理」という言葉自体がそもそも致命的に間違っています。私が使っていたのは正確には「件の『インディペンデンス・ディ』『アルマゲドン』『ボルケーノ』評価の際に使われていた【山本弘の論理】」であって、その主張の醜悪さとダブルスタンダード性を立証するために、意図的かつ確信犯的に「山本弘の論理」を銀英伝や創竜伝に当てはめる変換文章を「あえて」作り出していた、というのがあの文章の実態なのですけど。 私は、ストーリーの流れや作品世界の約束事を無視してまで「科学考証の正しさ」とやらに意味もなく執拗にこだわった挙句、無為無用かつ悪戯に作品と製作者とファンを糞味噌に貶めるしか能のない山本弘などと違って、作品中のストーリーや設定や描写をそれなりには尊重するタイプの人間でしてね。あんな間違いだらけのロクでもない理由で作品と製作者とファンの全てを罵倒するような愚劣極まりない主張が「私の本心」などであるはずがないでしょう。だからこそ、私個人としてはあくまでも「山本弘の論理」に対して否定的であることを「それとなく」臭わせるために、「山本弘自身の主張を当てはめれば……」といった類の文章を何度もくどいほどに強調したのですし、No.3952の最後では、わざわざ「山本弘の論理」の醜悪さと滑稽さを風刺したパロディまで書いていたのですけどね。 しかし、件の「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」「ボルケーノ」評価を行っている山本弘には、その主張の正当性と一貫性を保つ「発言責任」というものが存在するはずでしょう。たとえその主張がどんなに愚劣で醜悪で滑稽なシロモノであったとしても、あくまでその正当性と一貫性を保持したいと考えるのであれば、当然「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」「ボルケーノ」だけでなく、ありとあらゆるエンターテイメント作品全てに対して同一の基準を適用するべきですし、またそうしなければならないのです。にもかかわらず、「銀英伝」や「創竜伝」に対しては何故か同一基準の適用が全く行われていなかったからこそ、私は「あの作品に対しては何でこういった主張を展開しないのですか?」という論を展開することで「山本弘のダブルスタンダード性」を問題にしたわけです。 そもそも、山本弘は自分で書いていて気づかなかったのですかね? 「創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです」という文章が、ただひたすら科学考証ベース「だけ」で論じた自分の「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」「ボルケーノ」評価に対する致命的な大ダメージとなっていることに。いやそれだけでなく、今回の山本弘の投稿内容全てが、実は私の主張に対する反論どころか、鏡に写った「過去の自分自身の発言」に対する攻撃にしかなっていない、ということに。私の主張の核心部分について何ひとつ言及せず、山本弘的理論をベースに作成した「風刺目的の変換文章」に対してのみ大真面目なレスをつけているのでは、当然そうならざるをえないでしょう。 山本弘がやっていることは、端から見たら「どうしようもなく愚劣で醜悪で滑稽な一人ボケツッコミ」を行っている以外の何物でもないのです。3流喜劇としてはなかなかお目にかかれない面白い見世物だとは思いますが、仮にも「と学会会長」ともあろうものがそんな無様な醜態を晒しているのでは、自分の地位や信頼だけでなく、下手をすれば「と学会」という看板そのものにも大きな傷がつくことになりかねないのではないですかね。 |
No.9762 - 2003/04/26(Sat) 19:28 [EATcf-166p249.ppp15.odn.ne.jp]
| いつまで続くのでしょうね、このスレッドも。 絶対に、双方が望む「自分にとって最適な解決」などはありえないと、予言しますよ・・・・・・。
>アルカナム様
> これは山本弘の根拠のない思い込みですね。 > 実際には田中芳樹本人が、銀英伝10巻あとがきで以下のような主張を展開しています。
はい、この事は知っていました。 一応、銀河英雄伝説のファンですから。(苦笑) 僕が反論の際にこの一文を考えなかったのは、「あとがき」に書かれていたからです。 「あとがき」に書かれている事は、ほとんどが作者が作中でおいて書く事が無かった「裏設定」のようなモノが多い以上、どうしても「作品の公式な設定」と認め難いからです。 それに「根拠の無い思い込み」とまで断定しているのであるのなら、貴方は「作中で書かれ、かつ加筆修正された再販本でも修正されなかった記載」は「全く根拠のない無意味なものだ」と考えているのですね? 何故「あとがき」は根拠があって、「作中の設定」には根拠が無いのか、明確な理由を仰ってください。
>「アルマゲドン」もまた、「大都市を狙ったかのように隕石が【偶然】落下する事態が発生する」とか「小惑星の上で風がびゅうびゅう吹いてたり、流星が宇宙空間で燃えたりする」とかいった描写が「ストーリー上の必然性」として存在しているのですから、こちらも当然「科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです」ということになるはずでしょう。
質問です。 これらの描写が無かったら、「アルマゲドン」という映画は絶対に存在しえないのですか? 「核爆弾を止めるために二本のリード線を選んで切断する」と「脱出寸前にアクシデントが起こってしまったシャトル」ならストーリーの構築建材として理解できますが・・・・・・。
> しかし「ボルケーノ」という映画では、山本弘曰く「ロサンゼルスのど真ん中で火山が噴火」~~~(中略)~~~当然その辺りは大目に見るべきところなのではないのですか?
はて? 貴方が引用した山本氏の文章ですが、「間違った科学的解釈で自分勝手な論理を展開する人に対して、正しい科学的な反論が不可能だから流石に擁護できない」という趣旨のように見えますが? 少なくとも、「アルマゲドン」のように酷評されていません。 「まあ、一種の怪獣映画として楽しむべきなのかもしれませんが。」という見方からも、「ツッコミを入れて爆笑しよう」という「アルマゲドン」とは雲泥の差がありますけど。
> 私は、ストーリーの流れや作品世界の約束事を無視してまで「科学考証の正しさ」とやらに意味もなく執拗にこだわった挙句、無為無用かつ悪戯に作品と製作者とファンを糞味噌に貶めるしか能のない山本弘などと違って、作品中のストーリーや設定や描写をそれなりには尊重するタイプの人間でしてね。あんな間違いだらけのロクでもない理由で作品と製作者とファンの全てを罵倒するような愚劣極まりない主張が「私の本心」などであるはずがないでしょう。
僕は貴方が「作品中のストーリーや設定や描写をそれなりには尊重するタイプの人間でしてね。」という性格の人間である事を知りません。 そして、ここの掲示板に書かれている方々で、貴方のオフラインの知己で無い限り、その事を判別できる方は居られないでしょう。 そのため、「「私の本心」などであるはずがないでしょう。」と言われても賛同できませんし、少なくとも前レスを読んでみても、「私の本心」とやらを明確かつ誰もが理解できる場所など全く見当たりません。
>山本弘的理論をベースに作成した「風刺目的の変換文章」に対してのみ大真面目なレスをつけているのでは、当然そうならざるをえないでしょう。
ご自分が書かれた「風刺目的の変換文章」が余りにも酷いという自覚は無いのですか? 上記のご自分の信念を先に明記されておられたら、貴方が批判しているような事は起こりえなかったという事もご理解してください。 「無用なレスを誘発しておいて、それを嘲笑する事が目的」だと認識されかねませんよ。
>仮にも「と学会会長」ともあろうものがそんな無様な醜態を晒しているのでは、自分の地位や信頼だけでなく、下手をすれば「と学会」という看板そのものにも大きな傷がつくことになりかねないのではないですかね。
「と学会」が公明正大かつ私心無心の批評組織という「看板」を掲げているのであれば、貴方のご心配も実に的を得ているでしょうね。 貴方も口汚い言葉で山本氏を責めている以上、それを批判できる立場ではありませんよ。
とはいえ、そろそろいい加減にしてほしい事ですけどね。 元々、「銀河英雄伝説というスペースオペラ小説」と「アルマゲドンというパニックムービー」という2作品を明確に結びつける理由は無きに等しいのに、わざわざ「共通の土俵」を作り上げて、かつそれを長期保存してまで議論に混ぜ合わせようとしている事を見ているのは、「銀河英雄伝説」の1ファン(田中芳樹氏は特に大した感情を持たず)にとっては苦痛以外なにものでもないですから・・・・・・。 |
No.9770 - 2003/04/26(Sat) 23:19 [hrsm21910299154.gemini.broba.cc]
| あー、このアルカナムさんのカキコも、以前のasaiさんのカキコ同様、 他サイトで「冒険風ライダー」という方が書かれた文章を転載したもののようですので、 念のため。 |
No.9771 - 2003/04/26(Sat) 23:43 [p0191-ipad02fukuhanazo.fukushima.ocn.ne.jp]
| >幼女キャプターわらべ様
>まだあります。山本先生は「トンデモ本の世界」で、様々な本を馬鹿にしたり >コケにしてきてますよね。当然、山本先生は彼等に対して義務があります。 >「自身がトンデモ本を書いてはいけない」。
今さらながら、反論します。 山本先生は既に「トンデモ本」を執筆していました。 「モンスターコレクション(旧版)」という本は、山本先生自身が薦めるトンデモ本として、とあるスレッドにレスを打っていました。 トンデモ本の定義は「作者の意図とは違う点で、笑えるor楽しめる本」である以上、山本先生がそれを書いたとしても何ら矛盾することでは無いのですけど。 貴方が仰るような義務が派生するとは、寡聞にして知りませんでした。 |
No.9783 - 2003/04/27(Sun) 03:29 [hrsm21910299154.gemini.broba.cc]
| ■D猫6番艦さん 私の、No.9672の書き込みですが、ちょっと私の「考え過ぎ」の感じがありますね。 貴方の意見に同意したい訳では無いのですが、あのNo.9672の書き込みは 「無かったもの」として頂けるとありがたいです。
ご迷惑お掛けしました。 |
No.9800 - 2003/04/27(Sun) 13:42 [zaqdb734722.zaq.ne.jp]
| > 質問です。 これらの描写が無かったら、「アルマゲドン」という映画は絶対に存在しえないのですか? 「核爆弾を止めるために二本のリード線を選んで切断する」と「脱出寸前にアクシデントが起こってしまったシャトル」ならストーリーの構築建材として理解できますが・・・・・・。
そういう事を言い出せば、銀英伝だって「宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一」「氷塊が一恒星系内で一気に亜光速航行に達して軍事衛星を破壊する」「作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視している」という描写無しに絶対に存在しえないのかって話になりますな。宇宙回廊の問題についてなら、ストーリーの構築建材として理解できますけどね(笑) |
No.9851 - 2003/04/28(Mon) 10:20 [218.223.149.140.eo.eaccess.ne.jp]
| >通行人様
>そういう事を言い出せば、~~~(中略)~~~ストーリーの構築建材として理解できますけどね(笑)
せめて、「作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視している」というのも構築建材に含めてくれませんか。 でないと、民主共和の灯火が消え去ってしまいます。(苦笑 閑話休題。 本気で「外部補給なし」かと言われても、実際には「封鎖破り」と呼ばれる独立商人が出入りしていたようですけどね・・・・・・。 それに、目的は「皇帝ラインハルトに民主主義の存続を認めさせる」であり、手段が「いずれ、帝国軍との決戦に挑み、自分たちが皇帝に意見を言えるだけの力量を持っている事を証明する」なので、本当は「数年くらい篭城」で済むような。 事実、イゼルローン軍の軍事行動にラインハルトは即座に出撃していきましたし。(苦笑
「日時」に関しては、「標準時」があるから解決するとは言え、世の中の小説には「標準時」すらない星間国家が登場しますしね・・・・・・。 まぁ、「標準時」を設けている星間国家も同じくらいありそうですが。 「氷塊」は、「科学が進歩したからです!」という理由しか思いつかないです。 しかも、僕自身すら露にも信頼できない理由ですよ。(苦笑) そう言えば、漫画版では「氷塊」の使い方がより現実的に修正されていましたけど、まだまだですよね・・・・・・。 |
No.9906 - 2003/04/28(Mon) 23:10 [hrsm21910299152.gemini.broba.cc] |