山本弘トンデモ資料展
2006年度版9-A


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[懐疑論者の集い-反擬似科学同盟-] トピック
2006年12月05日
18:24
 懐疑主義者の用語辞典
  mixiを忍ぶ仮の名
コミュニティ内で頻出する関連用語について考えたり、
定義してみたり、意見を述べ合うトピックです。

「wiki」風も「悪魔の辞典」風も良しとします。
定義を一意に定めることを目的としません。
コンセンサスを探ったり、意味の揺らぎを実感したり、
語り合う過程を楽しめれば本望です。

無用な論争を防ぐため
実例にコミュニティ参加者やその意見、文章を挙げることは禁止とします。

書き込み
全てを表示  [ 1 2 ]  最新の10件を表示
2006年12月05日
18:30
    1:  mixiを忍ぶ仮の名
最初はトンデモさん、ビリーバー、トリの違いなどいかがでしょう?
「トリ」って単語が出てきたとき、最初意味がまったく分からなかったんです(^^;
2006年12月05日
18:35
    2:  雪崩式上手投げ
<自己懐疑>
自分がどれほど愚かであるかを知る手段。
だが、これを持ち合わせない人間の愚かさには及びもつかないため、自分が愚かでない事にも気付いてしまう。

こんな感じ?
2006年12月06日
00:04
    3:  babycute
<鳥さん>

僕が「鳥さん」という言葉を初めて目にしたのは、パソコン通信Nifty-serve上で、各フォーラム内の論争をまとめた「バトルウォッチャーPATIO(最初はHPだった気もする)」でした。

NIFTYは匿名ではありません。その会議室上で堂々の戦いを繰り広げていた猛者達を、ウォッチャー達は「鳥さん」と呼び、生態観察に勤しんでいたのです(笑)
別の言い方ですと、ネット上の論争を「能動的に見て楽しむ」という遊び方をバードウォッチングになぞらえ、観察対象となる「イタい人」を鳥さん認定してたんですねー。電話代に恐れつつも(笑)

#閑話休題:初期2ちゃんねるに代表される匿名掲示板上での論争ですと、イタタな人を特定するのが難しい為に、そういった「イタタな発言それ自体(=特定人物とは限らない)」を「荒らし」と呼んで区別してた様な気がします。
その点、ミクシィ内抗争はいわば「先祖がえり」と言った趣で、この先大変興味があります。
       なんてね^^;

<トンデモさん> 

同時期、SFフォーラム(FSF3)の8番会議室「超科学お笑い劇場よ永遠に」などでは、ハンドルネームいろもの物理学者さんや山本弘さん等の参加者達が、コンノケンイチ氏やドクター中松氏の検証を行っていました。
当時、「トンデモ」と並列して「ちょ~」という言葉も使われていたと記憶しています。「これって"ちょ~"だよね?」みたいな。いうまでもなく、「"超"科学」から取った言葉でしょう。ある人物について、その人が疑似科学やオカルトにどっぷりである場合、その人は「トンデモさん」あるいは「"ちょ~"な人」と呼ばれていました。

今でもそうですが、こういった話題はえてしてビリーバーさんや張本人を呼び込む事態になりがちで、会議室で論争が起これば、「懐疑論者vsトンデモさん」すなわち「常連vs鳥さん」となる訳です。
これが今に至って、鳥さんとトンデモさんの区別がつきにくくなっている原因ではないかと思います。
これが疑似科学の場ではなく、例えば哲学だったり政治思想だったりしたら、鳥さん=疑似科学信奉者とは言えない訳で。(逆に言えば、見ていて楽しいのはやっぱ疑似科学近辺の論争だと^^;)

ですから、「鳥さん」は本来疑似科学云々とは関係なく、あくまで「ネット上の論争の張本人」であり、主にウォッチャーから認定されることが多いと僕は捉えています。

#まぁ、SNS内でトンデモさんをやっている方はすべからく鳥さんだったりしますけど(逆はないですが)


以上、記憶を辿って書いていますので、間違い、補足等あればお願いします>ALL
2006年12月06日
00:20
    4:  babycute
自分で補足^^;

>ですから、「鳥さん」は本来疑似科学云々とは関係なく、あくまで「ネット上の論争の張本人」であり、主にウォッチャーから認定されることが多いと僕は捉えています。

に対して、
「トンデモさん」「"ちょ~"な人」は主に懐疑論者から認定される、「疑似科学や超科学を自説としている人」と捉えています。

活動フィールドがカブっている(「トンデモな自説を根拠にネットでバトルを繰り広げる」)為に区別がつきにくいですが、認定する側が違う、言い換えると本人の言説が取り上げられている理由が違うと。

あと、
>これが疑似科学の場ではなく、例えば哲学だったり政治思想だったりしたら、鳥さん=疑似科学信奉者とは言えない訳で。

政治思想と言っても、歴史修正主義や陰謀論は別格です^^;
つっ込まれそうなので、一応。

長々失礼しました。
2006年12月06日
00:21
    5:  涼宮
すべからく、はすべて、ではなく、
為すべきこととして、是非とも、と言った意味です。
2006年12月06日
00:28
    6:  G
>babycute さん

秘密結社「ザ・バトルウォッチャー」のPATIO「ザ・バトルウォッチャー」ですね。

開設者の哭きの竜さんは、私がmixiにお誘いしました。
今は日記で実験的な試みをなさってるので、一度覗いてみてあげてくださいまし。

哭きの竜さんはシャイなので、自分からはいっさいマイミク申請をしていないようですが、マイミク申請されれば全てOKされているようです。この発言を読んでマイミク申請して下さる方が多いといいのですが。

それはさておき、問題の発言はこのあたりですね。
TTTTTTTTTT
00525/03262 JBH01506 哭きの竜 RE:鳥とは
( 1) 98/05/22 23:37 00518へのコメント

<中略>

【バードウォッチングの歴史】
=語源=
「鳥さん」という概念の起源には諸説あるが,定説とされているのは,
と学会会長・山本弘氏のUFO研究研究家・大田原治男氏(故人)に対する
以下のセリフである。

お笑い“裏”モノ探偵団(11)#428 唐沢 俊一(CXP02120)議長の発言より引用
> TV番組では大槻教授などとの派手などなりあいで有名な方
>でしたが、日本UFO研究の初期からのメンバーで、星新一氏
>などともおつきあいがあったとか。
> と学会に入会を希望されておられましたが、山本会長から、
>「あなたがと学会へ入会されるのはバードウォッチングの会に
>鳥が入るようなものです」
> という後代に残る名文で拒否され、それ以来、と学会を目の
>敵にされていたようです。

トンデモさんに対して最初に「鳥」という言葉を用いて表現したのは,
と学会会長・山本弘氏である。
これが,現在一般に用いられるところの「鳥さん」の語源となったと思われる。
しかしながらこれは,実社会におけるそれであり,現在我々の用いるところの
ネット社会における「鳥さん」とは異なる概念である。

=前史=
ネット社会において一般にタブーとされる他のフォーラムを話題とする試みは,
昔から悲喜こもごものドラマを残しながら行われてきたが,
これを「裏モノ」という視点で初めて行ったのは,FCOMEDYと考えられる。
その起源について,もっとも有力な説は「裏モノ(裏芸人)」(1)における
1996年1月7日に行われた三枝師匠のフオーラムをネタにした平ちゃん(PXU16635)
さんの発言(#445)とされている。
さらにこれを体系づけたのが「オタクアミーゴス」における1996年4月3日の
岡田斗司夫(GFG04070)氏のFKYUSHUをネタにした発言(#052)である。
しかし,この段階では特定の「鳥さん」ではなく一つのフォーラムまるごと
ネタにしており,ネットにおける特定人物を対象とした「鳥さん」という概
念が生まれるには今暫く時を待たねばならない・・・

<以下略>
LLLLLLLLLL

この辺、ここまでの関連発言もこれ以降のツリーも大変面白いですし、さらにこの発言の引用元となった「お笑い“裏”モノ探偵団」にも同様に興味深いツリーがあります。それ以外の発言も大変面白いモノが多いですが。

こういう、電子資産が今後公然とやりとりできないのは大変もったいないことではあります。
必要に応じて適宜引用するしかないですね。
2006年12月06日
00:32
    7:  babycute
予想外のツッコミが!

>涼宮さん

ありがとうございます。「すべからく」今調べてきました。
「べし」で受ける語、と覚えておくと良さそうですね。

「月極」をげっきょくと読んでいたのを指摘されて以来の衝撃だ(他にも沢山あるけど、、、ほんとバカ^^;)
2006年12月06日
00:41
    8:  babycute
6: Gさん
補足ありがとうございます。
そうかぁ、、、「鳥さん」概念の発端は山本弘さんだったんですね。

wikiでの解説、また、「トンデモ本の世界」でのご本人の文章によれば、山本氏が会長を務めると学会も、疑似科学に限らず広い分野で「著者の意図とは異なる視点から楽しむことができる本」を楽しむ団体=出版業界のウォッチャー集団ですから、この事は大変納得がいきます。ありがとうございました。


哭きの竜さん懐かしい!マイミク申請してきます(笑)
2006年12月06日
02:04
    9:  UFO教授
>「鳥さん」という概念の起源には諸説あるが,定説とされているのは,
と学会会長・山本弘氏のUFO研究研究家・大田原治男氏(故人)に対する
以下のセリフである。


 じゃあ、「鳥さん」と呼ばれたのは、一番はじめが、大田原氏だったのですか。

 こういうのも何なんですが、大田原氏とは、ずいぶん長いつきあいでした。最盛期は、週に2~3回は会っていたかと。なんというか、不思議な人で、今の一般の疑似科学者とはちょっと違ったタイプの人でした。相対論が間違っている、なんて、ことは言わないのですが、それでも、変わった人でした。

 実験による超能力の検証をしようという姿勢はあるのですが、行っていることに、意図的あるいは、意図しないでも物理的に起こりうる偏りとかの可能性がある事象に関しては、検証が甘くなる、という性格の人で、非常にしつこくてうっとうしいようなタイプなんですが、なぜか憎めない人柄でした。数学者らしいんですが、どんな数学の研究をしていたのかは不明。トランプの絵札を期待値より多く出すことができる、という実験を何万回もやって、記録ノートをつけていたんです。一緒にやったことも、何百回もあります。なぜか我々がやると何も不思議な値が出ないのに、大田原氏が近くにいると、普通の確率的に考えられないような現象が起こる。
 どうも、話術にごまかされているのか、本当に何かが起こっているのか。当時の私たち、学生研究家グループは、そのことを巡って、かなり、議論を重ねてきたのですが、どうも、どこかにだまされているレトリックがありそうでてよくわからなかった。
 亡くなったという知らせを聞いてすぐに我々は、実験データや、集めた資料が散逸しないように、研究仲間で集まって、遺品を調べ、その保全と、管理の方法を話し合ったのですが、不思議なことに、何百冊もあるはずの記録ノートが存在しない。かろうじて、見つかった数冊と、実験に用いたトランプなどは、私が保管していますが、なぜ、多量の記録ノートがなくなったのかは謎です。
 こういった、研究家(というより、収集家や実験家)が亡くなったとき、大抵は、家族が無理解な場合が多く、その貴重な資料が処分されてしまうことが多いのですが、多量の書籍などが手つかずで残っているのに、記録ノートだけが残っていない。まさか、死期を察して処分したとは思えないし、(事故死なので)未だに不思議です。

 ちょっと、本論とそれた、思い出を語ってしまいました。
 当時の学生の研究会活動を振り返る上で、忘れることの出来ない人でしたからつい。お許しを。

 ここでの本論は「鳥さん」の定義ですよね。
 大抵の人は、他人にそのように扱われることを嫌うはずなんですが、大田原氏は、どちらかというと、積極的に実験台になっても良い、むしろ、実験台にしてくれ、という姿勢の人だったと思うので、ちょっと、ニュアンスが、違うような。まあ、多くの人に取っては、うっとうしいと感じられるような人であったことは事実ですが。
 どうなんでしょう。山本さん。

 まあ、それも含め、いろいろな、言葉の定義を考えていくことは良いことだと思いますので、私も、参加させてください。大田原氏の話は、個人的主観が入ってしまうので、発言するのが適切かどうかわからないのですが、一般論として、こうしたことを考えて行く活動には参加したいと思いますので、よろしくお願いします。
2006年12月06日
02:44
   10:  UFO教授
>自己レス 補足

 そういえば、UFO目撃24日説 (UFOの目撃報告は、偶数月の24日にピークがある) や、地震発生24日説などを唱えたのも、大田原氏です。
 地震発生については、理科年表を元に調べたデータなんですが、彼の抽出したデータを信じるなら、確かに、地震の発生には特異日がある。
 しかし、そもそも、自然現象が、人為的に定められた日付と相関関係があるとは思えない。そこで、私たちが調べてみると、やはり有意な偏りはない。理科年表は毎年出版されていて、年ごとに、掲載されるデータの基準が違ったりするのですが、なぜか、彼がたまたま選んだ年の年鑑では偏りが出るのに、私たちが選んだ年の年鑑では偏りが出ない。
 あらかじめ、偏りの出る年の年鑑だけを選び出して居るのかと思い、こちらで、ランダムに用意した年鑑を、ランダムに選ばせても、彼が選ぶと偏差がでるのに、我々が選ぶと出ない。という、不思議な人だったんです。
 彼自身が超能力を持っているのか、トリックが旨いのか、よくわからない。そうした、彼の実験をやっていた頃、「人間の心が自然現象に影響を及ぼす」というような、様々な仮説が提出され、実験者自身が対象に影響を及ぼすのではないか、ということまでも考えるに及び、自分たち自身が疑似科学の道を進んでいるのではないかと、わけがわからなくなった時代でもあります。(もちろん今でも、科学的な研究とは何か明確にわかっている訳ではありませんが。)

 結局そうした仮説は、その検証の困難性から暗礁にのりあげ、世の中のいわゆる「ブーム」の衰退と共に、長い停滞期を迎えたのではないかと思います。
 現状では、大学で、こうした研究を行う団体は、宗教系の団体を除けば皆無に等しい状態でしょう。(いくつかの民間研究団体はありますが。)

 ここは、研究の歴史を振り返る場でも、研究そのものの活動を行う場でも無いことは承知しておりますが、おそらく、こうした歴史は、言葉の定義の上でも検証に値するのではないかと思うのですが。しかし、この場がそれにふさわしくないということもあると思いますので、あまりそれにこだわろうとも思っていません。
 もし、皆さんが、そうした方向性は避けた方が良いと考えられるのでしたら、控えるようにしたいと思います。
2006年12月06日
03:39
   11:  涼宮
>UFO教授さん

>おそらく、こうした歴史は、言葉の定義の上でも検証に値するのではないかと思うのですが

わたしもその意見に賛成です。
研究の歴史を議論相手が知っているだけで、
言葉の定義に限らず、
懐疑主義者的にはだいぶ手間が省けますから。
2006年12月06日
10:28
   12:  山本弘
「鳥」の命名者からの補足です。
 大田原さんはなぜか、と学会を超常現象を研究する会だと誤解されてたんですね。だから自分も超常現象研究家だから入れてくれと言ってきた。
 僕はその時すでに、大田原さんの特異日仮説やカードの実験を知っていましたし、こういう思いこみの激しいタイプの人に遠回しに言ってもかえって誤解を招くだけだろうと思い、きっぱりお断わりするために、
「あなたがと学会に入会されるのは、バードウォッチャーの会に鳥が入会するようなものです」
 と言ったんです。
 その後、大田原氏は『と学会白書』(イーハトーブ出版・1997年)に「と学会に反論する」という文章を寄稿されたんですが、その中で、

>と学会会長の山本弘氏は、夢で予知するなどとはトンデモない事であると、以前トンデモ本に載せたことがある。

 と、僕がどこにも書いてないことに対して反論を書かれ、
「と学会を批判する者は、山本弘が言ってもいないことを『引用』する」
 という、その後も次々に現われる法則の最初の例となりました。

 ちなみにカードの実験、目の前で見たことがあります(確かと学会が発足する前の、SF大会でのことでした)。「カードを伏せたまま、あなたの望む絵札を探し出してみせます」というんですね。
 まずカードをシャッフルし、次に僕に何回かカットさせ、それを何かの規則性に従ってテーブルの上に並べていくんです。その手順は複雑で、1回ではとても覚えきれません。
 最後に残った数枚のカードを選り分け、「この中にかなり高い確率であなたの指定したカードがあります」と宣言して裏返すと、確かに僕が最初に指定した絵札がありました。
 大田原さんの言うには、これは「シンクロニシティ」なんだそうです。
「じゃあ、次はハートの7を出してください」
 と頼むと、
「それはできません」
「どうしてですか?」
「探し出せるのは絵札だけなんです」
「えー、でも絵札は探せるのに字札は探せないって変じゃないですか?」
 と疑問を口にすると、

「そのような考え方は非合理的です」

 と言われてびっくりしました。
 大田原さんの主張によれば、「絵札は探せるのに字札は探せない」という現象がげんに目の前にあるのに、それを認めないのは非合理的だ、というんですね。(僕は「認めない」と言ったんじゃなく、理屈に合わないんじゃないかと言ったんですけどね)
 非合理的なことを言う人に「非合理的だ」と言われてショックを受け、ああ、この人には何を言っても無駄なんだと思いました。

 家に帰って自分でもカードを使って実験してみました。
 すぐに気がついたのは、カットする際、ランダムに分けているつもりでも、同じカードからカットされることが多いということです。実はカードによって吸着力に差があり、持ち上げた際に何枚かの特定のカードから分かれる傾向があるんですね。
 大田原さんのやっていたことは、その原理を応用し、絵札だけを選り分けて、ひとつのグループに集中させるものだったようです。意識的にやっていたのか、本人も「シンクロニシティ」だと信じていたのかは永遠の謎ですが。

 で、この時の体験は大変に面白かったんで、『パラケルススの魔剣』の第2章にそのまま使っちゃいました。(^^;)

 ちなみに、「バードウォッチャー」という言葉には、「鳥はあくまで観察対象であり、攻撃するものではない」「鳥には近づかない」「鳥との共存を考える」というニュアンスもあります。増えすぎるなどして社会に大きな害を与える場合は別として、基本的に鳥さんを愛し、温かく見守っていきたいと思っています。
 世の中にはやたらに鳥さんに対して攻撃的な人がいますが、そういう人は「ハンター」であって、バードウォッチャーではありません。
2006年12月06日
13:52
   13:  UFO教授
> ちなみに、「バードウォッチャー」という言葉には、「鳥はあくまで観察対象であり、攻撃するものではない」「鳥には近づかない」「鳥との共存を考える」というニュアンスもあります。増えすぎるなどして社会に大きな害を与える場合は別として、基本的に鳥さんを愛し、温かく見守っていきたいと思っています。
 世の中にはやたらに鳥さんに対して攻撃的な人がいますが、そういう人は「ハンター」であって、バードウォッチャーではありません。


 ここの所は、人それぞれであって、「鳥さんを静かに見て楽しもう」という人と「害になる鳥は駆除すべき」という人がいると思います。
 おそらく、ここにも、そういう様々な人が集まっていて、おそらくは、山本さんは、前者であって、私は後者であるような気がします。
 (間違っていたら済みません。私だけ?)
 それと、最近私は、それほど、攻撃して無いじゃないかと思われるかたもいらっしゃると思いますが、攻撃するときには、こちらも少なからぬダメージを受けるので、無防備な攻撃はあまり得策ではないと思っています。ただ、実際上、「疑似科学者」の増殖は、害獣の域に達しているような気もします。

 この辺で、トンデモウオッチャーの方の考えと、私の考えは異なるところがあると思いますが、しかし、そうした考えの違いを超えたところで、話しが出来れば望ましいと思います。
 (実は、私も、大田原氏のように、以前は「と学会」を、超常現象研究団体と勘違いしていた一人です。いまは、違いを理解していると思っているのですが。)

 話題は変わりますが、

 大田原氏の「トランプマジック(失礼)」は、私たちも、絵札と、それ以外の札の印刷面積の違いによる、吸着力の違いについて、考えました。そして、そのことを大田原氏自身にも話しをし、そのことは本人も自覚したと思います。
 しかし、任意に開けた場所のカードの、「上でも下でもどちらでも指定してください」と言われて、指定しても、そうした、絵札が、多く出るようになりました。このとき、もう一方が絵札であるかどうかも確認しました。指定したのは、こちらなので、彼のトリックと思えないのですが、手品師が、参加者を巧みに誘導して自分で選んだ気にさせる方法なのかとも思うのですけれど、わかりませんでした。
 また、絵札とそれ以外の区別は吸着力の差で説明できると思うのですが、「スペードのキング」と「ダイヤのクイーン」の違いが、吸着力の差で説明できるとも思えず、(わずかの差があるとしても、字札との違いは、桁違いのはず。)わかりませんでした。

 話しを元に戻すと、

「鳥さん」が、観察対象なのか、攻撃対象なのかによって、言葉の意味が違ってくることが、早くも、問題提起されたような気がします。
 ここを、どう区別するべきか、あるいは、区別せずに、使い方のニュアンスで分けるのか、どのような方法が良いのでしょう。
 早くも、話しに混乱する要素を持ち込んでしまったようで申し訳ありませんが、おそらく、この辺が、「共通認識」の違いを考察するヒントになるのではないかと思います。
2006年12月06日
14:16
   14:  たえ
区別をつけるならきちんと定義をした方がいいのではないでしょうか。
両方きちんとやるか、Aについて定義(例えば観察対象としての鳥さん)することによって、Aでない場合B、などの区別でもいいと思うのですが。

どうしてもさまざまな年代の人がいると考えてる定義に大きな差があると思うのです。
トンデモなどもそうですよね。
2006年12月06日
14:20
   15:  デバンカー♪
僕も今は亡き大田原さんと、SF大会会場で「対決」(笑)を致しました。

それで大田原さん、次々と絵札を出すんですが、でも時々、間違って数字のカードも出してしまう。間違ってでちゃった数字のカードは、脇にどけておくんですね。

で、カード出しが終わってから、脇にどけてあったはずの外れたカードをみると、それがもうどこかに片づけちゃってないの。

「大田原さん、外れたカードを隠しちゃズルイでしょ~~」
といってしまいましたヨ。

たぶん、同じようなマジックをいつもやっているんじゃないかと思いました。
これやっていいならば、的中率は100%となるでしょう。
2006年12月06日
17:32
   16:  UFO教授
 確かに、大田原さん、はずれた場合には、「あ、これは、ちょっと違いますけど」とか言って、さっと次に入っちゃう癖がありました。
 これも、ちゃんと、統計的に記録しないとならないのですが、厳密な実験の時でないと、そういうことにならなくて、そういう意味で、ちゃんと実験したことは、あまり多くありません。
 当時は、家庭用ビデオなんか無かったから、映像での記録が残せなかったのが残念ですが。

 本題からそれて、すみません。
 いろんな人が、言葉をどのように捉えているのか、わからないと、話が進行しませんね。
 ただ、この問題は、懐疑主義の問題だけでなく、言語全般にいえることで、どんな言語も、おそらく、個人個人で受け止め方に微妙な違いがあるだろうと。
 しかし、微妙な違いはさておき、大きな違いから把握していかないと仕方ないと思いますので、少しずつ考えていきましょう。
 あまり、厳密さを求めたり、細かい定義を考えたりするとわからなくなるので、少しずつ状況を示して考えていった方が良いと思います。それから、科学的事実の探求とは違うので、厳密な定義や解釈を作ろう、というのも、うまくいかないと思います。ただ、そうした方向性を模索する努力は捨てちゃいけないと思いますが。
(また、何言ってるかわからなくなってきたような気もしますが。)
2006年12月06日
22:40
   17:  mixiを忍ぶ仮の名
なるほど。「トリ」とは
(バード)ウォッチングの観察対象の意味だったのですね!

そっと見守るか追い払うかは人それぞれ、というのも
(意図していなかったとはいえ)面白い符合です。

大先輩が多く、興味深いお話がたくさんお聞き出来たのは思わぬ収穫でした。

ビリーバーは学説信仰の人(理屈で説得されたりしない)

トンデモさんは…wiki読んだ方が早いかな、トンデモ説を信奉する人。

自分の中で各用語がかなりすっきり整理できました(^^)

-×-×-×-×-×-×-×-×-×-

「リンゴ」について喧々諤々の議論をした結果、実は相手は「梨」のことも「リンゴ」だと思っていた…なんてのはよくある話ですね(^^;

ふと用語の意味に自信が無くなった時、このトピック自体が用語の事例集として機能していくのはないかと思っています。
2006年12月07日
02:27
   18:  G
>バードウォッチングについて

6で引用した文章の後半を引用しておきます。

TTTTTTTTTT
00525/03262 JBH01506 哭きの竜 RE:鳥とは
( 1) 98/05/22 23:37 00518へのコメント

<中略>

=最古の「鳥さん」は誰か?=

 最古の鳥さんは三枝貴代さんであるという説を学会に発表したところ
”もっと古い鳥さんはいる”とズタズタに論破されたわたしは,汚名挽回(笑)
を賭けてFCOMEDYSの更に古い地層の発掘作業を行った。膨大な過去ログ断層を
掘り進むうちに遂にわたしは最古の鳥さんのとおぼしき化石を発見したのである。
あ~何と云うことだ,最古の鳥さんとは・・・最古の鳥さんとは・・・
 大堀&フリージアだったのか~!

FCOMEDYS「裏モノ」において、最初に「鳥さん」とおぼしき人物の観察と報告が
なされたのは、1997年5月からの「裏モノ」(5)#954 から、「裏モノ」(6)
#43 にまたがってのツリーである。このツリーの第一発言者はTAKA-O(VZZ04412)
さんであるが,具体的に特定人物をネタにしたのはひらりん(RXT04155)さんの発
言(#973)であり,更にこれを体系づけ現在行われているような観察活動を始め
たのがValle(QZH00375)さんの「サファリパークツリー」である。
そして,ここで語られていたのが・・・あの,あの大堀&フリージアであった!
この段階では,彼らは「ライオン」または「けもの」と呼ばれているが,彼らは
現在語られている「鳥さん」としての特徴を兼ね備えており,
彼らこそが最古の「鳥さん」そう「始祖鳥」と思われる。


=不健全な趣味としてバードウォッチングの成立=
大堀&フリージアの愛のコンビを対象とした「サファリパークツリー」を皮切り
に,多くの人々が「鳥さん」の観察の魅力にとりつかれ,現在行われている形で
の特定人物を対象とする観察活動が行われるようになった。
1997年10月,東(QYZ10345)さんが「裏モノ」(8)#222からFBOOKRの「あの方」
を対象とする「詩人ツリー」を始め,「あの方」の素晴らしい詩がFCOMEDYS「裏
モノ」の人々の心を打ち,たちまち大好評を博す。
やがて,FBOOKRから叩き出された「あの方」がFBUNGAKUへ活動拠点を移すと,
「あの方」を慕う人々がレス欲しさに大挙してFBUNGAKUへおしよせるという事態
に発展した。
レスを欲しがって相手に群がるなぞ,これでは「観察」ではなく「狩猟」になっ
てしまう!
この事態を憂慮したひえだ(VEV01507)さんが#670で人々をたしなめ,
さらに,金成 由美(CQE05307)女史が以下の忠告を発した。

>お笑い“裏”モノ探偵団(8)より,
>677/999 CQE05307 金成 由美 RE:みなさま、ようこそ!
>( 4) 97/11/20 11:56 670へのコメント
>
>> 文学ツリーのみなさま
>>大挙してFBUNGAKUへおしよせたのはなによりですが
>>RES欲しさ、と ゆうのが丸見えですね

> そうです。いいかげんになさいませ、あなたがた!
> あのかたはBLでもないのに、わざわざレスをつけてくださっているのですよ。
> その優しさにつけこむなんて。
> 大切なのはと学会の山本会長が言われた「バードウォッチング」の心です。
> バードウォチャーたるもの、鳥に「卵をよこせ」だの「羽をくれ」だのと
> 言ってはなりませぬ。
> 我々のたのしみ、いえ、尊敬の対象であるあのかたを疲弊させ失っては
> 当会議室、ひいてはニフティ全体の損失となりかねません。
> これからごあいさつに行かれる方はこのバードウォッチングの心を胸に
> くれぐれも失礼のないように。

このとき初めて「鳥さんの行動の邪魔をしない」という基礎原理が確立したのである。
ここに現在ある形での不健全な趣味として「バードウォッチング」は成立した。
「バードウォッチングの母」は金成女史である。
現在「バードウォッチング」を楽しんでいる人々は金成女史に感謝し尊敬せねばなら
ないのである。

                Oo。(-。-)y-゚゚゚/哭きの竜
LLLLLLLLLL

トンデモに対峙するのに、大きく分けて「デバンキング派」と「面白がり派」の2つがある、というのは私の尊敬する方からの受け売りですが、バードウォッチングは主に後者。相手に影響を与えずに相手の様子をそっと観察するのが要点ですね。自衛のため以外で相手と関わらない&余計な挑発しないのがあるべき姿でしょう。そして仲間内でこんなに面白いモノがあるよと紹介しあうわけです。

一方でデバンキングはデバンキングで必要な場合もあると思うのですが、その時「トンデモを笑い飛ばす」というのは最良の手段です。第三者に対するアピールという意味で特に。

そういう意味で「デバンキング派」も「面白がり派」も究極は「如何に面白く紹介できるか」という紹介芸に昇華するのが理想であるのではないでしょうか。
2006年12月07日
10:23
   19:  たえ
理想的な「バードウォッチング」ですね!

ということは「バードウォッチング」も用語辞典に掲載しないと!
2006年12月07日
13:33
   20:  G
あと、補足ですが、例えばと学会がトンデモ物件を出版物として発表する事と、ネットでの「バードウォッチング」には大きな差があります。それはネットでウォッチ情報を交換していると、その場に行ってちょっかいを出す者が出てきやすい、ということです。しかも、一人がちょっかいを出せば他の人もどんどん参入していってしまう正のフィードバックが働きやすい。
だからこそ、ネットの場合には「ウォッチ相手には不介入」という原則がどうしても必要になるわけです。



ここまでで私が書いた文章に「何かが違う」「何かが間違っている」という違和感を持たれている人も少なくないだろうと思います。実は私もそうなんです(笑)

なぜかを自分なりに考えた結論をいうと、純粋な懐疑主義と「バードウォッチング」のような(悪く言えば)「面白ければそれでいい」という考え方は本来相容れないからですね。

もちろん懐疑主義はあらゆる局面で有益です。懐疑主義は目の見えない方の持つ白い杖みたいなもので、目の替わりに周りを探り、悪い足場や足腰が弱い場合に転ばないために体を支え、危急の場合には武器にもなる。
だから「バードウォッチング」の際にも有益な道具なんですが、最後のところで正しさより面白さを優先させてしまうのが「バードウォッチング」なのですから。
むしろ、懐疑主義はデバンキングと相性がいいと言えるでしょう。
2006年12月09日
13:42
   21:  UFO教授
 どうも、ここまでの話しで、言葉について考えるとき、その人が、何をしようとしているのかによって、使い分けをするか、別の言葉を定義しないと旨く行かないように思えてきました。

 観察して楽しむ
のと
 害獣は駆除する
のとを、同じ言葉で表現しようというのは、無理があるのではないかと。
 言葉は、だんだんその使われ方が変わってくるものであるとは思いますが。(全然・・大丈夫。 みたいに。尤も、これは、本当は、そういう意味の使い方でも良いという話しもあるようですが。)、元の使われた意味での「鳥さん」「とんでもさん」は、主として、「観察対象」であるとするなら、「駆除対象」については、別の言葉を定義するというような必要があるのではないかと思います。

 私は、他人に珍説を流布する、懲りない人々のことを、勝手に、「こまったちゃん」と呼んでいるのですが、より、適切な用語は無いものでしょうか。

 もちろん、言葉としては「疑似科学者、エセ科学者、ビリーバー、UFO信者」といったような言葉がありますが、これは、思想体系や行動体系を意味するもので、必ずしも、攻撃、駆除の対象として断定しているわけでは無いでしょうね。もっとも、こういう言葉で表現されるときは、大抵、世の中に於いて困った行動をする、攻撃、駆除の対象として扱われているとは思いますが。
 もちろん、そうした人に、正しい知識と、まっとうな判断力を身につけてほしいという、優しい心も必要とか思うのですが、実際例として、そうした試みが成功した例は、ほとんどありませんよね。であれば、害悪を流す人は駆除しないといけないと思うのですが。あ、これは、言葉の話しではなく、私の個人的心情の話しになってしまいました。
2006年12月09日
13:48
   22:  UFO教授
 あと、大田原氏のことや、ネット上での論争の話しなど、歴史的な話しについて、ここで、いろいろ話しがされていますが、本来は、こういうときは、「懐疑主義者の歴史」のような、別トピを立てるべき、という考えもあるのですけれど、あまり、新しいトピを乱立させるのもどうかと、思いますし、このまま、このトピで、「言葉の定義のために、歴史的な考察も必要」ということで、続けていく、ということで、よろしいでしょうか。

 NIFTY の時代には、私は、ちょっと、ネットを離れて居たんですが、それ以前の、 ASCII ネット時代や、NIFTY と提携の COMPUSERVE から、怪しげな文書を探し出したりとかやっていた頃の話しなんかも、いろいろあるんですけど、ここで話すのが適切かどうか、わからないので、ちょっと置いておきます。
2006年12月11日
12:37
   23:  山本弘
 えー、別トピでの不快な一件があるので、あんまり人間に対して「駆除」という言葉は使いたくないんですが……。

 本物の鳥と同じで、ただそこに棲息しているというだけなら、遠くから観測するにとどめ、こちらからは手を出さないのが原則だと思います。
 ただ、やはり本物の鳥と同じく、増えすぎてその害が目に余るようになってきたら、放置しておくわけにいきません。対抗する必要が出てきます。
 僕が「目に余る」と判断するのは、こんな例です。

・肉体的被害や、高額の金銭的被害を発生させている(インチキ霊能者、エセ代替療法など)。
・身障者、特定の民族、特定の集団に対する誹謗中傷(アポロ疑惑などもこの例)。
・明らかに間違っているにもかかわらず、教育現場にも浸透し、学校で子供たちに教えられている(水伝、ゲーム脳など)。

 ただし、鳥のアナロジーが通用するのはここまでです。迷惑なトリさんに対しては、害鳥のような「駆除」を行なうわけにはいきません。どのみち、(何度も言っているように)彼らはいくら論破されても主張を撤回したりはしません。
 彼らに喋るのをやめさせるには、それこそ殺す以外に手はないんじゃないかと思います。もちろん、そんなことはできません。
 そうではなく、トリさんの悪影響が広がらないよう、トリさん自身に対してではなく、その主張を信じそうになっている人たちに対して警鐘を発するべきです。

 僕が何度も「トンデモさんと議論するな」と言っているのは、そんな行為に意味がないからです。いくら相手をやりこめられたからって、そんなのは単なる自己満足。それどころか、西岡氏のようなタイプの人は、相手をしてもらって喜ぶだけです。
 訴えるべき相手は、トンデモ説に影響を受ける可能性のある人たちです。

 だから今後、どこかのコミュにまた西岡氏のような人が現われても、その人自身に議論を挑むんじゃなく、「○○さんはこう言ってますが、本当はこうですよ」という風に、それ以外の人に語りかける形で論破するのがベストではないかと思うのです。
2006年12月11日
20:01
   24:  ワカシム
mixiでの議論に参加していない者としては恐縮なのですが。
 ※ちなみにmixiでは発言していませんが、特に2001年から2004年あたり、Yahoo掲示板では廃人ペースで、疑似科学批判や関連する領域の議論をしていたことがある者です。

msg23
>だから今後、どこかのコミュにまた西岡氏のような人が現われても、その人自身に議論を挑むんじゃなく、「○○さんはこう言ってますが、本当はこうですよ」という風に、それ以外の人に語りかける形で論破するのがベストではないかと思うのです。
 
 まず、世に広まる似非科学的主張に抵抗する啓蒙活動の一環として、あるいはそれほど明確でなくとも、原則として「疑似科学の万延を防ぐ」という目的が前提にある立場にとっては、正しい方向付けだと思いますし、賛成です。
 ※とはいえ、実際にその目的意識をはっきりと持って、きちんと行っている人は少なそうです。

 ただ、疑似科学批判という文脈にある議論ですら、目的意識ではなく、自分の哲学のためであったり、好きで興味深いから行う、という立場も成立しますし、少数派のようですが、私はソレです。
 ※だからといって、相手をやりこめることが目的、という立場に価値を認めているわけではありません。

 で、違う観点、立場については・・・

「一懐疑論者の啓蒙意識」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=274448931&owner_id=253369
 で、日記という以上に詳しく解説したことがあるので、上記ご参照お願いします。

 なぜ、立場の違いを大きく二つに分けたかというと、現実を観察してというのはもちろんですが

「目的意識を持った活動は、立派で必要なことなのは確か、というか、まさに誰かがキッチリやっていかないといけないことだと思うんですが、少なくとも、そういう活動に意義を見出すならば、私が好きでやっているようなこととは、かなり別物にならざるを得ないと思うし、自分の内なる声や、好奇心という以上に、戦略という観点や、活動の意義という観点も持たなくてはいけないと思うのです。」

 という考え方(msg23山本様の書き込みも同様の背景だと思います)を持っていることが一つあります。

 加えて、

「さらに、啓蒙活動を目的にするなら「目的にする」という立位置を明確に打ち出して、はっきりと意識していないと、それこそ、ウォッチャー気取りで中身もなければピントもずれた突っ込みをするだけの連中のようになってしまいかねないと思うんです。」

 と、素朴に感じているということがあります。

 NET上の懐疑主義的議論者の書き込みを読むと、それを意識して議論しているとは思えないのに、さも目的意識があってやっているかのように、自分を後合理化している場合が目に付くんです。(具体例は挙げません。)
 そして、私にはどうしてもそれが、私の求める知的誠実さからは逸脱しているように見えます。
 つまり、そういった知的不誠実さは、懐疑主義者が持つべき知的倫理観とは相容れないと思うので、目的意識の有無について、はっきりと「自覚」している二つの立場と、そうではない人を分けました。
 
 私は戦略的観点を持ちたくない立場なので、たとえば「反証不可能性」についての誤用を見れば、雰囲気とは関係なしに、その誤りを指摘したいときは、指摘するでしょうし、「立証責任の転嫁」を不容易に指摘している懐疑派に対しても同様です。
 そして、それが結果としてビリーバー側の人に燃料を送りこむことになっても、です。

 さらにいうと、自分の主張が不利になることも厭いません。
より求道的な感じです。

 この立場は「影響なんてしったことか」というヒネた立場ではなく、疑似科学的主張や非合理的信念、明らかに誤った知識が、好意的に流布されていく現状に憂いを感じる、という問題意識を共有しながらも成立可能だという点は強調します。
 
 で、懐疑主義を、スタンスの総称という慣例的な用い方をする場合でも、懐疑論者は啓蒙派だけではないということを述べておきたいと思います。(当然、不毛な議論をする立場、とも違います)

 この辺の観点は、まだUPしていないのですが、Scientific skepticismを土台とし、現代的な意味での「懐疑主義」の定義と、「懐疑論者」を、デバンカー、啓蒙派、求道派、のような現実の存在と対応した区分で解説する予定です。書きおわったらここにも報告します。
2006年12月12日
18:58
   25: 
>24:ワカシム さん
私が20で言いたかったのも、まあそういうことです。

同じ懐疑主義者を任ずる者であっても、それぞれの目的によって、行動は自ずから違ってくるのではないか、
あるいは
懐疑主義を道具として使う人でも懐疑主義者と呼びにくい人もいるのではないか、
という点について、そのうち考えてみたいと思っています。

個人的には、もう一つ考えてみたいこととして、
「自らの属するコミュニティに、トリさんが来襲してきたらどうすればよいのか?」というのがあります。
これはバードウォッチ論とは別なものになるのではないかと。
究極は「法に任せる」ということになるのでしょうが、場の維持に関する問題として検討してみたいところです。
2006年12月13日
09:45
   26:  にゅー
> 「自らの属するコミュニティに、トリさんが来襲してきたらどうすればよいのか?」というのがあります。

 一応、自称「啓蒙派」ということで…。個人的には、半信半疑の人に話をするネタとして利用…がいいのではないかと思っています。

 たとえ、カール・セーガンの『科学と悪霊を語る』のような、とても読みやすくすばらしい語り口であったとしても、掲示板上で読まれるかどうかは別です。

 みんな火事場が好きなようで、もめてそうなところには野次馬(←悪い表現ですね)が現れます。娯楽のために火事場を眺めているわけですから、普段より何が書かれているのか読もうとするのではないかと思っています。

 結果、半信半疑な人に伝える効果が上がるのではないかと考えています。
2006年12月18日
00:39
   27:  G
>26: にゅー さん
見事な回答だと思います。

私個人がいろいろと失敗をした結果学んだ、

・トリさんの来襲で壊れてしまうようなコミュニティなら、それは幻想だ。
・特定の場は単に場でしかなく、コミュニティではない。
・特定の場が何年も面白くあり続けることはほとんどない。

などなどを総合した結果「自分の属するコミュニティを守るための戦いなどネット上ではあるべきではない」ということでした。言い換えると、「結局は個人単位で自分を守るしかない」ですね。

もしも、にゅーさんのように啓蒙という目的があるなら、自分のホームグラウンドだろうがアウェイだろうがやることは同じですよね。


全然違う話になりますが、かつてPC-VANはnifty以上にトラブルの多いネットでした。無法地帯、というか、開拓期のアメリカ西部のように、おのれの正しさをとことんまで主張しあう風土がありました。むろん平和な場所の方が圧倒的に多かったのですが。
「火事と喧嘩はVANの華」と呼ばれ、罵倒合戦における罵倒巧者の罵倒芸や、トンデモさんを論理的に追いつめる手際だったりを、こっそりと別の場所で論評する集団が自然発生していました。そういう場所と人たちのことを、

論争やトラブルの発生している場所:「火事場」
火事場の好きな人たち:「野次馬」

という、まあ身も蓋もない通称で呼んでいました。
火事場に対して、野次馬たちが集うウォッチングのベースを「火事Bar」と呼び、野次馬たちのことを「火事場er」と呼ぼう、なんていう提案もあったようですが根付きませんでした。

「火事場」に対するウォッチングのベースに対する名前が何か欲しいところです。ウォッチングのベースにも火がついたなら、また別のウォッチングのベースを探すまでです。
これが、私なりの結論だったんですが、もう一つ大事なことを忘れていました。

ある時、ウォッチングのベースを提供してくれていた方が言った言葉が、私の座右の銘になっています。それは、「何をやってもいいけど、責任は自分持ち」です。
仲間が助けてくれる、とか、誰か責任者が助けてくれる、というのは通用しない。まあ、当たり前のことなんですけどね。

とりあえず、用語論的なことに絡めて書いてみましたが、どうにもまとまっていないし、ほとんど自分語りみたいですね(^^;
2006年12月18日
00:53
   28:  munou
27: Gさま
>「火事場」に対するウォッチングのベースに対する名前が
>何か欲しいところです。
ふと浮かんだのですが「火の見櫓」はどうでしょう?
実際には火の見櫓は火災を発見し広報するための基地らしいので
そこはかなりニュアンスが違うのが難点ですが、
火事場からの距離感は出るんじゃないかと思います。
2006年12月18日
00:55
   29:  涼宮
わたしは啓蒙主義からは一定の距離を取り、
二次災害の防止と知的好奇心から懐疑主義者をやっています。
現行の数学体系では1+1は2だと決着が着いている事が理解できない痴愚の輩に同情も議論もしたくありませんが、
議論の体裁を取りつつ標本作りに勤しむのはアリかと。
無論わたしは戦術的にまずい状況になれば破棄して別の手段、別の策を取ります。
わたしに取って一つの失策は常に次への布石です。
2006年12月18日
13:45
   30:  G
>28: munou さん
「火の見櫓」というのは、割と良い呼称だと思います。
あくまで火事場の存在そのものの情報を伝える場、というニュアンスが強くなりますから。
「火事」の発生を知った個人がどう行動するかは個人の責任ですしね。

これが2ちゃんねるのように、スレで盛り上がったあげく「祭り」として火事場をさらに荒らすようになっては問題ですが、mixiではそれは起こりにくいのではないかと愚考します。

2ちゃんねるの問題は「匿名性の問題」だと思われがちですが、むしろ「無名性の問題」と言い換えるべきだと個人的には思っています。

mixiは実名推奨とはいえ、匿名での参加も認められています。しかし、それでも2ちゃんねるの無名性とは明らかに違うレベルで個人の顔が見えるようになっているからです。
2006年12月21日
13:23
   31:  G
例外が頻出するのは承知の上で、ウォッチャー的な立場に立った場合の原則論を。

基本的には奇説・奇論の類を笑うことは問題ないけれど、それを唱える人物までを笑いの対象にするのは問題があるといえそうです。

いうなれば「トンデモを笑ってトリを笑わず」の原則。
あるいは「奇説を笑って奇人を笑わない」の原則。

トンデモを商売にしている人とか、なにを話題にしてもトンデモになってしまう人の場合は、例外にしていい気もしますが、あくまで原則として。

かつて、niftyのFCOMEDYSに来襲したトリさんの一人として、左巻健男さんという方がいました。その方が投稿された文章は見るからに頭の悪そうな日本語としてもおかしなものが多く、この人が理科教育に携わることができるとは日本の将来も危ういとまで思ったものです。
しかし、そこでも指摘されていたように、左巻健男さんは理科教育を推進する立場では立派な仕事をされているようです。
ですから、別人説とかなりすまし説とかもあったのですが、ご本人であったのは間違いないところでしたが、これは余談。

人は場が異なれば違うスタンスで関わるものでしょう。とある場でのスタンスがその人の全人格である場合はむしろまれなのかもしれません。とすれば、「奇説を笑って奇人を笑わない」スタンスは、笑う側の保身の意味からも原則とすべきではないかと思うのです。
2006年12月21日
13:38
   32:  たえ
私もGさんに賛成です!
2006年12月23日
14:05
   33:  フィロ
 ぼくもGさんに賛成です。
 大学の文化人類学の先生に「フィールドワークされる側の人権」なんて講義を受けたことがあります。観察も必要なことだが、相手が人間であることを忘れて人間の尊厳を無視するようなことをしてはならないって内容でした。

 民俗学やってる友人からも、「他人の信仰の冒涜は絶対にだめ!」と力説されたこともあります。

 もちろん何事にも例外はある、という点でもGさんに賛成です。

 主張や説への批判と、人格攻撃の混同というのは、トンデモ以外の論争でもよくあることなわけですが、やはりこれには気をつけるべきかと・・・

 ぼく自身オカルティスト(?)だからわかるんですが、単にオカルト説を肯定的に見てるってだけで、やたら敵愾心を燃やす人、軽蔑してくる人っているんですよ(TT)
2007年01月07日
00:26
   34:  ワカシム
トンデモの定義に関する記事を暫定版ながらUPしました。
http://www.geocities.jp/wakashimu/setsumei/yotatondemo.html
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とんでも トンデモ

 「と学会」が採用したことで、特別な意味が付与された言葉である 。

 日本語としては「とんでもない」が正しい言葉であるという指摘も存在しているが、その指摘が造語として独特な意味を持つことを肯定しているともいえる。
 当初は「著者の知識の欠如や妄想により、著者の意図とは異なる楽しみ方ができるようになってしまった本」のことを「トンデモ本」として定義 していた。
 たが『トンデモ本の世界』などのシリーズで、基本的に擬似科学・ヨタ話を指す風に使われていたことから、「トンデモ」という語が「疑似科学的主張と思しきしタワゴト」といった意味合いで、自然発生的にも使用されていったようである。そのため、「擬似科学」とほぼ同義で使用されることも少なくない。
 しかし、私は「とんでも」という語を、本当に愉快で「ぷっ」と吹き出してしまうようなタワゴトのみに限定して使うべきだと考えている。というのも、明らかに敬意を払うべき―しかし蓋然性の低い―研究などにも「と」のレッテルを貼り 、不快かつ不適切な用い方をする人が散見され、そういった論者との区別をはっきりしておきたいからでもある。
 また、なんでもかんでも「と」と命名して茶化す人は、驚くほど「にわか」の場合が多く、 現状では「トンデモ」という言葉の使用方法を見ることで、その論者のスキルをある程度まで量る要素にもなっている。とはいえ、近年では「と学会」 が「トンデモ」という語を「擬似科学 に関わるデタラメを表現する便利な日本語として定着していけば、『と学会』としてこんなに嬉しいことはない。※」と、その用法を公認しているため、ある意味では私の用いる「与太話」と同義と考えて良いのかもしれない。

 ※『トンデモ世紀末の大暴露』p24,と学会こぼれ話・1 唐沢俊一 より
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