山本弘トンデモ資料展
「神は沈黙せず」感想&批評集(8)


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山本弘問題連絡会掲示板


 こんな山本信者は嫌だ!! Part4

3流星sage:2003/12/28(日) 01:08
 私が言うのも何なのですが、スレ立て乙! です。
夜遅くて眠いので、お返事はまた明日にでも。

 これだけでも芸がないので、情報提供を。
ザ・スニーカー誌の2月号で、「神は沈黙せず」が取り上げられてます。ネタにしたい方はチェックされるとよろしいかと。
4名無しさんsage:2003/12/28(日) 01:45
>>3
> 夜遅くて眠いので、お返事はまた明日にでも。

誰もあんたの生活なんて知りたくないってw
ねこピーもそうだけど、なんでこう聞かれもしない私生活をしゃべりたがるかねえ
5名無しさんsage:2003/12/28(日) 05:06
そりゃ、本当は議論したいんじゃなくて単に相手して欲しいからでしょ。
6名無しさんsage:2003/12/28(日) 05:15
>>3
> ザ・スニーカー誌の2月号で、「神は沈黙せず」が取り上げられてます。ネタにしたい方はチェックされるとよろしいかと。

どんな風に取り上げられているのか書いてくれ。そんなマイナーな雑誌すぐには手に入らん。
7名無しさんsage:2003/12/28(日) 13:49
大体アニオタってのは不親切でいかんよねえ。
わざわざ山本ごときの提灯記事を探すなんて、(たとえばKURZ並の)ねちっこさは
持たんよ。
8名無しさんsage:2003/12/29(月) 02:16
替わりと言ってはなんだけど、グループSNEのかわら版での、山本のインタビューを紹介しましょう。

http://www.groupsne.co.jp/htm/htm/new/kawara/03-11/kawara0311-1.htm

安田氏が山本を慰めてる様に読めるのは、気のせい?
9名無しさんsage:2003/12/29(月) 03:04
>>8

> 山本 「どちらかというと、ぼくはフレドリック・ブラウンが好きです。つまり妄想を妄想として描くんじゃなくて、
>きちんと論理的に描いてほしい。

神沈のどこに論理があるのか答えてもらいたいところだ。神沈の妄想は2点。

1. この世界は量子コンピュータによる神のシミュレーションである。

神沈の説明)

なぜなら(小説の中の)現在の科学では説明できない現象があるから。

おかしな点)

いつの時代にも科学で説明できないことは沢山ある。それを説明可能なように
科学は自分を次々に発展拡張させてきた。その当時の科学で説明できない現象が
あるからそれは神の仕業というなら、大昔からいわれてきたことと変わらない。


2. 神はこのシミュレーションでグローバルブレインを作ろうとしている。

神沈の説明)

なぜなら神のような超越者の研究対象としては、個々の人間などは問題外で、惑星規模の知性こそ
神の興味の対象だから。

おかしな点)

この小説にでてくる神に関するしっかりとした設定(能力や知性のレベル、実体の規模、など)がほとんどないので、
どういう解釈も可能。つまり方程式が一意の解をもたない「不定」の状態。

だから山本のこの説明は矛盾を生じないが、他の説明でも矛盾は生じない。
ひらたくいえば、この説明のみが正しいという山本の主張は全く説得力がない。

思うに山本は矛盾が生じなければそれが正しいと思っていうのではあるまいか。矛盾を生じない説明が
3つも4つもあれば、「この説明こそが唯一正しい」と声高に叫ぶ登場人物の姿は読者にとって虚しいだけ。

登場人物たちは読者を置いてけぼりにしてどんどん先に進んでしまうので、読者にとっては登場人物が
妄想にとらわれているとしか感じられない。
10名無しさんsage:2003/12/29(月) 03:36
>山本 「最近のSFを読んで、突っこみが足りないなあ、と――つまり嘘を書くのはいいけれど、もっとその嘘を信じさせてくれ、
>と思っていましたから。"現実はコンピュータのシミュレーションだ"という話はよくあるけれど、いまのコンピュータの容量でそんなことは
>不可能じゃないか、とそこでシラけちゃう」

で、その結果山本は量子コンピュータを持ってきたわけだ。あまりにも…あまりにも…安直だ…
そもそもSFの中にでてくるコンピュータの性能を、なぜ「いまのコンピュータ」と比較しなければならないのか…

山本のいってることを要約すると次のようになる。

 作品内で単に「コンピュータ」と記されている場合
  このコンピュータは今のコンピュータの延長のものだから、この世界をシミュレートするなんてできっこない。シラケる小説だなあ。

 量子コンピュータと記されている場合
  このコンピュータは今のコンピュータとは違うから、この世界をシミュレートするのも出来て当然。なんてよく考えられた作品だ!

別に単に「コンピュータ」と記されている作品のコンピュータも、名前が作品中で現れないだけで、
量子コンピュータやもっとすごい技術によって作られたコンピュータなんじゃないの?

例えば神沈でこの世界をシミュレートするためのコンピュータの具体的な性能や既存のコンピュータや
量子コンピュータの具体的な性能の比較があり(比較の内容は別に作り話で構わないわけだが)、
その結果から「これは量子コンピュータを使っているに違いない」と結論しているなら、少なくとも
説得力を持たせるための手間をかけた、と評価して上げるんだけど、全然そんな手間をかけてないじゃん。

神沈の量子コンピュータの説明を要約すれば、

 この世界全体を現在のコンピュータでシミュレートすることは無理。量子コンピュータなら
 可能かも知れない。それでも難しいかも知れないが神の寿命は長いかもしれないから
 多少計算に時間がかかっても待ってられるだろう

これだけだ。寿命がどれくらいなのかは説明されていない。といかこの結論を導き出した「兄」は
それを決定する情報を持っていないはず。つまり

 シミュレーションに必要な計算量 = 神の寿命 X 神の使ってるコンピュータの性能

このうち計算量だけが分かっているだけなのだ。神の寿命とコンピュータの性能の配分を
この小説の登場人物は知ることが出来ない。

これなら「神の寿命はすごく長いから、この世界は神が紙と鉛筆による手計算でシミュレートされている」と
してもよいわけだ。

にもかかわらず「量子コンピュータを使ってるに違いない」と強引に結論してしまう「兄」の意見で
読者が納得すると思っているのだろうか。

>山本 「それで、現実世界そっくりのシミュレートができるコンピュータってどんなものだろうって考えたときに、
>ものすごい知性体が作ったんだろう、って発想から神に結びついたんです」

つまり量子コンピュータを完成させれば、我々も神と同じになれる、ってことなのかなぁ。
山本は神の知性をグローバルブレイン(地球規模の集合意識(?))に想定しているようだが…
つまり「神」の脳細胞の一つ程度の存在にも満たない我々には量子コンピュータは完成できない、と?

我々だって100年前は現在のコンピュータを作れなかったのだが、この100年間で人間の知性は
それほど進歩したのだろうか?科学技術の発展のレベルと生物としての人間の知性のレベルって
別なんじゃないの?

なんか「それっぽい」ことをその場の思いつきでいってるだけで、脈絡がないですな。
もちろんファンタジーとしてはそれでいいんですけどね。
11名無しさんsage:2003/12/29(月) 03:50
>安田 ところがこの『神は沈黙せず』がうまかったのは、"トンデモ世界"を巧みに逆説的に用いたところ。
>トンデモっていうのはばかばかしくて、現実にはないだろう、と思えることなんだけど、じっさいには真実めかして世の中に氾濫している――
>ある意味、トンデモは永遠かもしれない――そのへんが妙にリアリティがあるんだ。これを並べることで、読者に逆に興味深い現実世界と感じさせ、
>感情移入させていく。トンデモがすごく効果を発揮していたと思う。

悪いが俺には全くそんな効果はなかったけどね。あちこちのWebに書かれてる神沈の感想を読んでも、
神沈を好意的に評価している人でさえ、トンデモ蘊蓄部分の評判は芳しくなさそうだけどね。

一つ明らかになったことがある。既存のトンデモはずっと騙し方がうまく、とても山本に真似できるしろものじゃないってことだ。
山本本人も含めて山本信者は、山本弘がトンデモ本を書けばすごいものが出来る!と思っていたようだけど、それが
幻想であることがこの小説でよく分かったことだろう。

今回のことで山本は、自分が考えていた「これがトンデモ本の論法だ」という手法が全く実態を捉えていないことがよく分かったことだろう。
何事も端で見て推測しているほど簡単なものではないってことだ。しかし怪我の功名として、これで「なぜ自分がこんなに批判してもトンデモを信じる
人が後を絶たないのか」という疑問の一つの答えが得られたんじゃないのかな。まだまだ山本はトンデモの本質を捉えていないから、
的を射た批判になっていなかった、ということだ。
12名無しさんsage:2003/12/29(月) 04:07
>安田 「というわけで、山本弘は理科系作家だけど、しっかりホラーを書ける作家だと思うよ」

山本が理科系作家…なんかすごい文章読んじゃったな…

>安田 「読んでるときは、あんまり長さは感じないよ」

もしかしてウンチクの部分全部斜め読みしてない?(w

俺は自分を律して丁寧に丁寧に読み通したぞ。流し読みして後から読み返すのだと、
「初めて読んだ」時の印象と違ってしまう恐れがあるからね。ほとんど苦行のようだったよ。

>山本 「唐沢俊一さん(作家、評論家、「と学会」会員)がいいことを言ってくれてました。福島正実さん
>(SF作家、翻訳家、『SFマガジン』初代編集長)は"SFである前に小説でなくてはならない"と言ってたけれど、
>『神は沈黙せず』は"小説的にどうこう言う前にまず、SF小説としてどうこう言わなければならない作品なのである"って」

つまり「小説として失格」ではあまりにも山本が可哀想だから、「SFとしては失格。小説としてはノーコメント(小説と
いえば言えなくもない。俺は同意しないが)」ぐらいにお茶を濁して上げよう、ってことだね。

>山本 「ネットの掲示板では、この本から薀蓄をのぞけば10分の1の厚さになる、なんて言われたりしてるんですけど(笑)」

ワラタ。まあ10分の1は言い過ぎだったかもね(これがこの小説の適切な分量だと今も思っているが)。
でも3分の1以下にはなるだろうね。それでも何の違和感もない作品になると思うけどね。
13名無しさんsage:2003/12/29(月) 04:13
>安田 「薀蓄の部分こそ、リアリティを補強しているんだけどなあ」

だからそうなってるなら誰も文句を言わないの!そうなってないから文句が出るんだよ。

>山本 「ハンバーガーに肉がたっぷり入っていると文句をつけるようなものですよね。
>いろいろ混ざってるからこそおいしいのに。玉ねぎとパン粉だけじゃ……」

いやいや、タマネギの分量が多すぎると文句をいってるんだよ。適度な量なら肉やパンの味を
引き立てるが、多すぎて味を損なってるだけだとね。

山本「このハンバーガーはタマネギ大盛りバーガーです。これがこのハンバーガーの特徴です」
客は「タマネギが多すぎてマズいだけ。余分なタマネギを減らせば、中の下程度の普通の
ハンバーガーぐらいには評価してもいい。」
14名無しさんsage:2003/12/29(月) 05:23
>>12
> もしかしてウンチクの部分全部斜め読みしてない?(w

神チンの書評には「普段本を読み慣れない私でも一気に読めました」ってのが多いが、こんな仕組みだったんだな(藁
15名無しさん:2003/12/29(月) 12:21
>山本 「ハンバーガーに肉がたっぷり入っていると文句をつけるようなものですよね。
>いろいろ混ざってるからこそおいしいのに。玉ねぎとパン粉だけじゃ……」

この発言を読んでわかることは、山本には批判意見を真摯に受け止めて今後の作品作りに生かそうという姿勢が根本的に欠落していることやね。
キャリアが長い割に山本作品に大ヒットが一つもない理由は、どうやらここらへんにあるようだ。
16名無しさんsage:2003/12/29(月) 14:47
別に山本氏を攻撃する気はないんだが……。

>山本 「ぼくが好きなSFは、小説や文学としては価値がないかもしれないけど、SFとしては抜群におもしろいものなんです。だからこの本も最初から、小説らしさ、小説としての構造は捨てていこうと思いました」

自分がそういうのが好きだというのはかまわないが、「プロの作家」としての姿勢ではないよなぁ。
プロの作家ならば「SFとしても、小説としても面白いもの」を目指すべきだと思うし、そのどちらかを切り捨てなくてはならないとしたら迷わず「小説としての面白さ」を優先させるのがプロだと思うんだが。
福島正実もそういうプロとしての姿勢を言っているのだと思うよ。
17名無しさんsage:2003/12/29(月) 15:29
何かと比較される「ブレインヴァレー」は、上下2巻の神沈以上の大著で、読んでて「もっとシェイプアップしろよ」とは
思ったが、神沈のようにウンチク部分を読むのが苦痛ではなかったけどな。ウンチクが多いとは感じたけどそれなりに
ウンチク部分も楽しめた。神沈はウンチク部分は退屈で仕方がなかった。

神沈は思うにウンチクにすらなってない来たしてきた。ウンチクを百科事典の知識の引き写しにたとえれば、
神沈は○○年鑑のデータ部分の抜粋といったところ。無味簡素な数字の羅列を読まされているようなものだ。

何年にどこそこでどんなUFOが目撃されたかという事例の羅列が数ページ続く。コメントや評価もない。
同じ事は空からの落下物とか、オカルトのそれぞれのカテゴリー毎に繰り返される。一つ一つに対して
丁寧な解説が付いているなら楽しめるかも知れないが、こんな年表みたいなデータの羅列を読者に
読ませて何が楽しいのだろう。出典も記されていないからデータ集としても使えない。

戦記物の小説がリアリティを持たせるという理由で軍事年鑑のデータを何ページにも渡って転載するようなものだ。
そんなものでリアリティが増すと考える山本は小説家と呼ぶことすらはばかられる。リアリティは緻密な描写や考証に
よって生まれるもので、著者が如何に大量のデータを参考にしたかを宣伝したところでリアリティは生まれないんだが。
18K.Ksage:2003/12/29(月) 15:53
「ネギダク・大盛り・玉」のハンバーガーっていやだなあ。マニュアル通りにやって欲しいものだ (^^;。
19名無しさんsage:2003/12/29(月) 16:22
>>8のリンク先

>山本 「でもときどき、無意味にディテールを書き並べて話を長くしている作品もあるでしょう? 
>安田 「納得させようとして、効率の悪い方法をとってるよね。昔は裏から見せるなどして、効率よく表現するのがSFらしかったんだけど」
>安田 「それがいまは、現実をべったり描くという感じだね」
>山本 「ちょっと見方を変えたら、もっと簡単に描けるのに。だから最初に言ったように、『神は沈黙せず』はふつうの小説のようには書かなかったんです」

彼らは私たちとは別の宇宙に生きているんだろうな。
普通は最後に導き出されるのは「神沈も話を無用に長くしている好ましからぬ小説である」だと思うんだけどね。
20名無しさんsage:2003/12/29(月) 16:31
>安田 「それはSFを好きな人には伝わったと思うよ。ただ書店ではなぜか、トンデモ本の棚に置かれたりしてるみたい。いまの人はSFを知らないのかなあ」

これこそトンデモ思考炸裂。「神沈がSFの棚ではなくトンデモ本の棚に置かれている」→「今の人はSFを知らない」。
彼の説では「本屋に現在もSFの棚がある」事実が説明できないのだが。。。

「神沈がトンデモ本の棚に置かれている」「SFの棚は別にある」この2つから導き出されるのは「著者の山本が
SF作家として扱われていない」だと思うのだが。。。

きっと彼は「現在本屋にあるSFの棚は数十年前から店主によって存在すら忘れ去られ放置されているから」
21K.Ksage:2003/12/29(月) 18:49
小説らしさを捨てたって今頃言われてもねえ。書き上げてから「やばい、小説の体をなしてない。」とでも気づいたのか知らん。

「SF秘密基地」の「神沈」解説ページ。
ttp://homepage3.nifty.com/hirorin/messaagecm.htm
「これは神をテーマにした小説である」
  …しかし、この小説ではそんなことはありません。…
「これは超常現象を扱った小説である’
  この小説の中では、…
「これはハードSFである」
   …小説の中で起こる超常現象や、神の存在には、…
「これは一人のヒロインの半生を描いた物語である」
  …最初にお約束しておきますが、この小説はハッピー・エンドです。…
「これは未来予測小説ではない」
  … ですからこの小説では、「正確な未来予測」という幻想をきっぱりと捨て、…
「これは堅苦しいだけの小説ではない」
  …これはエンターテインメントです。… (そうかあ??旧約聖書の民数記みたいなエンターテイメント?)
22名無しさんsage:2003/12/29(月) 19:06
>>3
ザ・スニーカーを探し回って買ってみたら、単に読者の皆様におなじみの山本弘がこういう本が出しましたっていう紹介だけじゃないか。
無駄足させるなよ。
23名無しさんsage:2003/12/29(月) 19:10
客「タマネギが多すぎで不味い」
店主「タマネギが多いのは俺の意図通りだ」

山本流は変な会話だね。
24名無しさんsage:2003/12/29(月) 19:35
>>21
「これはこんなすごい小説です!」といっておいて、小説としての欠陥が指摘されると「実は小説ではありません」か。
なるほどさすがトンデモの大家だね。つまりこれは小説に書かれたトンデモを楽しむものではなく、この小説を巡って
リアルワールドで山本が炸裂させるトンデモを楽しむものなわけだ。おぉ、確かに斬新な手法かも知れないな。
見直したぞ、山本弘。
25名無しさんsage:2003/12/29(月) 19:45
ちなみにザ・スニーカーには、

 「山本弘のトワイライトTV」が来年2月に発売予定。
 「トンデモ本の世界S」、「トンデモ本の世界T」も続けて出ます。
 さらに小説の短編集も鋭意執筆中。

だそうだが、トンデモ本の世界って2冊も続けて出るほどネタがたまってんの?
26名無しさん:2003/12/29(月) 20:03
>>23
店主A「ちょっとタマネギを多めに入れたタマネギバーガーです。味はどうですか?」
客A「店主!タマネギが多い!これはハンバーガーでは無い!」
客B「タマネギが多少、多くても気にならない。てか俺はこの位がちょうど良いな」
店主B「タマネギと肉とパンのちょうど言い割り合いを守らない奴は馬鹿だ。
   そんな不出来な物に満足している客もまた、馬鹿だ。」

客B「店主B!貴方の作ったハンバーガー、タマネギだけが多過ぎです!」
客A「タマネギを多くするのが店主Bの意図したハンバーガーでしょ?」
店主B「その通り!タマネギが多いのは俺の意図通りだから良いのだ!」

客B「タマネギと肉とパンのちょうど言い割り合いを守らない奴は馬鹿なのでは?
  と言う事は、店主Bは馬鹿?」
客A「いきなり他人を馬鹿呼ばわりとは客Bは無礼な奴だ(怒)」
店主B「不味い。と言うのなら無理して食べなくても良い!
    不味いと思ってる物を無理してでも食べなくてはいけない。
    と言う義務は貴方には無いのだから」

山本流はこんな感じか?
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 こんなにヘンだよ山本弘(アニメ・SF論)

862名無しさんsage: 2005/07/05(火) 02:59:53
ちょっと神沈での山本の教育論について再び。

山本は学校の授業など受けずにひたすら本を読めという。
まあ中にはそれだけで自分の思考力を鍛えられる人間もゼロではないだろうが、
おそらく大部分の人間はそれでは学校の授業によって養われる思考力以下しか身に付かない。

ここでいう思考力とは知識ではない。物事を考える力だ。問題提起が行われている本を読み、
その問題について考え、また著者の考え方からその思考方法をまねてみる。そういうことが独力で
出来る人間ならそれでいい(というかそういう人間ならそもそも山本のアドバイスなどいらないはず)。

実際それを実践した山本の思考力はどれほど養われたというのだろう?SF作品を読み、そこに
込められたアイディアに驚嘆し自分も同じような作品が書けるようになるといいな、と思う。
そんなところだろう。しかしこれでは本に書かれている知識をコピーしているだけだ。

知識を本から学ぶのは大切だが、それ以上に大切なのは「考え方」を学ぶこと。著者がたどり着いた
発想よりも、著者はなぜどうのようにしてその発想にたどり着いたのかを学び真似をして自分の
力にすることが重要なのだ。

SF作品を読んで著者が生み出した発想を読み取ることは容易だし、それはそれで価値のあることではある。
しかしその発想を著者がどのような苦悩の結果生み出したのかを読み取ることがSF作品からできるだろうか?
俺は非常に難しいと思う。

これは科学の啓蒙書も同じで、たしかに啓蒙書にはしばしば発見者や発明者の苦労談などが書いてあるが、
それは実際の発見者や発明者の思考過程の詳細からはかけ離れている。大長編を数十行に要約するようなもの。
アドバイスにたとえれば抽象的一般論的な大味のアドバイスに堕してしまっている。目の前のこういう問題に
突き当たったときに具体的にどういう場所から切り崩していけばいいかという実践的なノウハウを啓蒙書や
偉人の伝記から学ぶことは、これも難しい。

シュリーマンのトロヤ遺跡の発見を例に出せば、偉人の伝記や啓蒙書は「彼は他人からいくら馬鹿にされても
自分の信念の信ずるままにひたむきに努力しました」というおおざっぱなことしか読み取れない。
実際にどうやって位置を絞り込み、どのような発掘計画をたて実行していったかということは読み取れない。
だから伝記や啓蒙書をいくら読み込んでも力はつかない。せいぜい「あきらめるな」という精神論ぐらいしか得るものがない。

山本の作品から読み取れるのもこれと全く同じ。聞きかじりの知識と精神論。
そしてもうしわけ程度の幼稚な中高生レベルのストーリー構成のセンスだけ。
山本の作品からはどっしりと地に足のついた経験や思考の深みが何一つ感じられない。

山本が学んできたことは張りぼての知識とはりぼての経験(つまり精神論)だけだ。
それでも山本は自分の過去をすばらしいと思っているのだろう。何しろ人にも自分と同じ事をしろと勧めているのだから。
ということは山本は本気で「思考する」「新たな考えを生み出す」ということがどういうことか理解していないのかも知れない。
自分が科学的業績を上げた科学者と同じ事が出来ないのは、単に分野が違うからであって、
思考能力が劣っているわけではないと考えているのかも知れない。

ではなぜSF小説の分野でも自分は一流として業績を上げられないのかということになるが、これも山本は
「たまたま自分の選んだジャンルが大衆ウケしないだけ」で、能力的には一流作家に引けを取らないと考えているのかも知れない。
山本の「僕は売れなくても書きたいものを書く」というのは、山本の心の防波堤なのだろう。能力は劣っていないが
自分の選んだジャンルが不虞なため世間から認められないだけなのだ、と。
863名無しさんsage: 2005/07/05(火) 03:37:05
SF小説を読んで著者がどうやってこの着想にたどり着いたのか著者と一緒に考えられる人間、
啓蒙書を読んだだけで自分で同じことを(たとえ出来なくても)やってみようと具体的に
第一歩を踏み出せる人間、そういう人間なら「山本流」の学び方をしても考える力はつくだろう。
しかしそれができる人間は少ない。

完成品を見せられただけで人は同じものを作れない。苦労談を聞いたところで人は同じノウハウはつかめない。
野球選手のホームランを見ただけでホームランを打てるようにはならないし、野球選手の苦労談を聞いたところで
(精神的な励みにはなるかも知れないが)野球が上手くなるわけではない。当人のレベルに応じたステップ毎の
適切なノウハウの情報こそがその人間の能力を向上させる助けになる。
864名無しさんsage: 2005/07/05(火) 08:52:57
>>862
>山本は学校の授業など受けずにひたすら本を読めという。
>まあ中にはそれだけで自分の思考力を鍛えられる人間もゼロではないだろうが、

彼の場合、放っておけば授業も聞かず本も読まないDQNになっていたわけだから、本の効果絶大。きっとここだけは譲らないだろう。

その勢いで娘を義務教育どまりに出来るかどうかが次の試練だ。
865名無しさんsage: 2005/07/05(火) 12:54:38
まあ、山本の言ってるSFで学んだことって、
小説のオチや決めぜりふから、生き方の指針や思想を学んだってことにすぎないからね(SFだを読む限り)。
別に高校生にもなって教師からそんなことを学ぼうってのがおかしいわけだし、どんな小説にも多少なりの含蓄は含んでいるからね。
金太郎を読んでどんな状況下でも努力を惜しまなければ最後は立派なお侍さんになれると学んだり、
平成ライダーから公としての正義と個としての正義について自分なりに学んでもいいわけだし、
ほとんどの人間(小説や映画や漫画が自分の人生に影響を与えたってのは多くの人間が言っていることだからね)はそれをしている。
866名無しさんsage: 2005/07/05(火) 13:32:49
「こういう状況ではこう行動するのが正しい」というのを学んで「同じ状況で同じ行動をする」というのは、
学習には違いないが、あまり深い学習じゃないんだけどね。

本当の学習というのは「そういう状況でそう行動するのが正しいという結論にどうやってたどり着いたか」を
学ぶのがもう一段深い学習。

行動原理を真似するのではなく、行動原理を生み出す思考の方を真似しなくては応用が利かない。
というか同じ状況なんてのはそうそうあるわけないんだからそこに留まっているだけでは何も役に立たない。

ただ「こう行動した」というのは表面に出てくるからわかりやすいが、「なぜそう行動した」のかを読み取るのは
難しい。実際にそれに近い状況(同じ状況でないのがミソ)でどう行動するかを体験したり頭の中で
シミュレーションしたりすることで始めて「なぜそう考えたのか」は学ぶことが出来る。

陳腐な言い方ではあるが、実践とトライ&エラーによって始めて他人の「思考過程」というのは学べる。
必ずしも実体験する必要はないが頭の中でシミュレーションする場合、別な答えになるような状況を
設定してシミュレーションを行わなければ意味がない。算数の問題にたとえるなら、例題とその答えを
見たあと、数字をちょっと変えた問題をいくらやっても力はつかない。機械的にできるんだからね。
例題のやり方そのままでは解けない問題をやることで始めて例題の解き方の理解が深まる。

人間は同じものをだけを見ていたのでは「同じ」ということすら認識できない。違うものがあって始めて
「同じ」ということが認識できる。さまざまな変化をこなして始めて変わらない部分が見えてくる。
その変わらない部分こそが「思考」なのだから。

小さな子供に鶏を指さして「あれは鶏だ」と教えるだけでは、本当の意味で鶏というものを教えたことにはならない。
その子供に鳩を指さして「あれは何だ?」と問えばおそらく「鶏だ」と答えるだろう。鶏と鳩の区別の仕方をまなんで
始めて鶏というものを理解できたといえる。

主人公の行動パターンを暗記しただけではその思考を理解したことにはならない。主人公の行動パターンが
当てはまる場合と当てはまらない場合の見極めが出来て始めて理解したことになる。

SFを漫然と読んでいるだけでここまで深く自分の思考を詰められるかは疑問だね。
SFを読んでそれを人生の糧としているというのは、いってみれば教科書や参考書に載っている例題を
丸暗記しているようなものじゃないのかな。それだけでは応用問題は解けない。実際に自分で数多くの
問題を解いてみなければね。一見鳩に見える鶏や鶏っぽい鳩を区別できて始めて鶏というものの
本質が理解できる。
867名無しさんsage: 2005/07/05(火) 13:54:22
山本はフィクション賛美が高じて、最近は「現実の世界ではフィクションのように正義が成されていないのは
恥ずべき事だ!」などと言い出した。「幼稚な考え」と一言のもとに切って捨てるのは簡単だが、少し論じてみよう。

仮に現実の世界でフィクションで「正義が成された」といえるような状況が起こったら、果たして山本が悲観するように
正義は成されないだろうか?誰がどう弁解しようと悪としか判断できない悪人。あるいは多少異議があっても
それを口にすることがはばかられるほど圧倒的な力をもった正義の味方。こういう状況であれば現実の世界でも
「正義は成される」んじゃないのかな。たとえばアメリカは現在圧倒的な力を持っている。だからアメリカの主張する
「正義」に世界の他の国は容易には逆らえない。「正義は成される」わけだ。

現実の世界もフィクションの世界も特に違いはない。一方の世界の住人が他方の世界の住人よりも
正しい判断ができる優れた人間というわけではない。フィクションとはわかりやすいように単純化してあるだけだ。
科学の実験で空気抵抗や床の摩擦を無視するのと同じ。実際にはそういったよけいなものが存在するから、
まるで物理の法則が成り立っていないように見えることもあるが、それはより広く複雑な意味で物理の法則に
従っているだけのこと。現実の世界が思考実験の世界のようにシンプルでないのは恥ずべき事だろうか?
空気中で重いものも軽いものも同時に落ちないことは恥ずべきことなのだろうか?

円と円の交点は比較的単純な計算でも求まるが、楕円と楕円の交点を代数的に求めることは
現在の数学では出来ない(むろん一方が円だとかの拘束条件を加えればできる)。
楕円がこの世に存在するのは恥ずべき事なのだろうか。
あるいは現在の数学のレベルが低いことを嘆き、「なんでそんな簡単そうなことができないんだ!」とヒステリーを起こすのが
人間として正しいのだろうか。

山本がいう「フィクションのように正義が行われる世界こそ理想」「そうでない現実を我々は恥じるべき」というのは
この程度の幼稚な発想なのだ。
868名無しさんsage: 2005/07/05(火) 18:50:12
バリ島の伝統的な世界観では、正と邪が共に存在してこそ世界が完全であるそうな。
かように世界各地、各民族ごと、世界観はさまざまなのだが、どうも山本の世界観はモノトーンでつまらないだ。
つまらないだけならいいが、「フィクションのように正義が行われる世界」なんてものは恐ろしい世界だ。
水清くして魚住まず、とか、コインには裏があるというが、その通りで要はトータルバランスの問題。
正しければ何をやってもいいというものではない。
山本の理想とする世界は、「悪」とレッテル貼られたら粛清される恐怖の世界。
そんなものは、フィクションの中だけでいい。
869名無しさんsage: 2005/07/05(火) 19:27:31
>>868
> バリ島の伝統的な世界観では、正と邪が共に存在してこそ世界が完全であるそうな。

まあ人間の基本思考パターンの一つが「2つのものを対峙させて考える」ことだからね。
幼稚園児や小学校で「反対の意味の言葉を探しましょう」というのを習うのは、
それが人間の思考の基礎だから。

いくつか動物の絵が並んでいてその中に一つだけ自動車の絵がある。そして「仲間はずれはどれ?」と
問いかける。これも「同じもの」「違うもの」を探すという人間の思考の基本パターンの練習。

「正義」と「悪」は人間の認識力が使用している道具に過ぎない。人間は両極端のものを並べ
それを対峙させることでさまざまな思考を生み出していく。

したがって「正義が栄え悪が滅びるのが正しい」という主張は、人間の脳の自己満足というか自作自演に過ぎない。
この考え方は「では何を成すべきか」を考えるためのモデル(=道具)としてのみ有効であって、モデルを現実の世界に
実現したり、実現できないからと言って恥じるのは、「摩擦がゼロの床」を現実に用意できないと嘆くのと同じぐらい
意味のないことだ…。「摩擦がゼロの床」とは思考のためのモデル(=道具)に過ぎず、それ以上の価値はない。
870名無しさんsage: 2005/07/05(火) 19:45:34
>>868
> 山本の理想とする世界は、「悪」とレッテル貼られたら粛清される恐怖の世界。

デスノートのキラの思考も同じようなもんなんだよね。「犯罪者はすべてデスノートで殺してしまえばよい社会が実現できる」と。
それで本当によい社会が出来るなら別にデスノートなどなくても現在の警察力で十分出来るんだけどね。

犯罪者を過度に取り締まれば、それらがより見つかりにくい形に姿を変えて地下に潜るだけ。
表面から必要以上に犯罪者を排除すると現在の社会システムでは検知できない部分に犯罪が潜り、
既存の社会システムを形骸化させてしまう。

つまり犯罪を撲滅すると言うことは社会システムを変えてしまうことであり、それはあらたな社会システムの
構築を余儀なくされることでもある。結局犯罪をいくら追いつめたところで蜃気楼と同じく前方に逃げていくだけ。

そして人間がやるべきことは何も犯罪を撲滅することではない。経済や文化を反映させることが本来の
目的であって追えば逃げる蜃気楼との追いかけっこにエネルギーを費やしていれば、経済や文化が
煽りをくって退廃してしまう。

たぶん「正義が正義である世界」というのは共産主義社会の末期のように、建前だけがきっちりと実現されていて、
社会の活力は失われ、人間の活動の場はアングラな社会が中心になるだろうね。

共産主義社会や独裁国家の末期が経済や文化の破綻なのは、社会の表層から社会に本来必要不可欠な
要素を追い出したためそれらがアングラ化し、二重構造を形成するため。アングラ社会に逃げ出した文化や経済活動は
政府のコントロールが効きにくくなるし、逃げ出した側の文化や経済活動も公認されないから中途半端にしか機能しない。
こうして精神分裂に陥る。

犯罪はコントロールすることが重要なのであって、排除することが重要なのではない。排除してしまえばコントロールできなくなるのだから。
871名無しさんsage: 2005/07/05(火) 20:03:09
ま、その言動自体神沈で加古沢をご都合主義で殺したことに対してのいいわけな訳だが。
加古沢のような絶対悪(これも見方にもよるが)が現実社会ではのうのうと生きていることに対して山本は憤っているわけだが、
作中の神の神たる山本が加古沢に制裁を加える時点で宗教だと思うんだけどね。
人の法では裁けなくとも、お天道様は必ず見ているっていう。

まさか、山本は現実の世の中に神様がいないことを恥じているとか(笑

シンプルに絶対正義者たる者(仮面ライダー)が絶対悪たる者(ショッカー)を裁く世の中を望んでいるのなら、
単純に主人公が加古沢を裁けばいいのだから。
872名無しさんsage: 2005/07/05(火) 20:23:37
>>871
> まさか、山本は現実の世の中に神様がいないことを恥じているとか(笑

ワラタ
873名無しさんsage: 2005/07/06(水) 00:47:46
http://homepage3.nifty.com/hirorin/
| 『ミステリーズ!』にて次号より怪獣小説『MM9』連載開始。

怪獣小説?なんかもう時代に取り残されるんじゃないのかなあ。
山本板みてても、もうアニメの話について行けてないのがひしひしと感じられるし。


トンデモ→ネタ切れ。山本の文章読むよりネットを見回した方がよほど面白い。
SF→デビュー当時から一歩も進歩なし。人気も原稿料も頭打ち。むしろ「将来への期待」のサービス分がなくなって仕事ももうこないんじゃ?
アニメ→としとともにそろそろついて行けなくなってる
SF評論→唯一なんとか現状仕事がもらえる分野だが、この収入だけでは一家を支えていけず。

ってことで「怪獣」ですか?(笑

マジで山本はもうやばい気がするんだけどね。「SFだ!」も結局自分が若い頃読んだ作品を褒めてるだけだし、
ほめ方も下手。読んでて全然もとの作品を読みたくならないんだよね。批評も馬鹿の一つ覚えのように
「この時代にこの作品を書いたのはすごい」だし。いやさあ、別にそれに続けてその詳細な解説が続くんならいいんだよ。
山本の批評ってのは本当に*それだけ*。

山本って作品を褒めるのも貶すのも下手だということがよく分かった。山本が上手いのは「揚げ足取り」だけだ。
875名無しさんsage: 2005/07/06(水) 16:10:57
どうも山本は自分は常に深い思慮のもとで作品を創ったり、批評したりしているって思いこみたいんだろうね。

だから加古沢の死をNOVAに突っこまれたときも、
「いやー、悪党を生かしとくわけにはいかないし、主人公の手を血で染めるのも嫌だったんですよ(^^;)」
ぐらいに答えておけばいいものを、理屈の上に理屈を重ねていくから、失笑ものの屁理屈になってしまうんだよね。

「怪獣小説」もインパクトとか遊び心で付けただけだと思うけど、山本板で突っつけば、
「よくぞそこに気付いてくれました。この小説はSF小説でもファンタジー小説でもなく云々・・・」
って楽しい屁理屈を聞かせてもらえるのじゃないかな(笑。

でも屁理屈は、攻めているときより守っているときの方が狂気がまして面白いか(山本にかかわらず)。
877名無しさんsage: 2005/07/06(水) 21:09:25
唐突だけどウルトラマンAのゴルゴダの星の回のビデオを見た。

冒頭、新聞配達をしている兄とそれを手伝う弟のほのぼのした光景。
そこに突然、超獣バラバの影(?)が現われ兄を電話ボックスの下敷きにして殺して消えてしまう。
「超獣がでてきて兄を殺したんだ」と必死に警官に訴える弟。
超獣が出たなんて報告はどこからも来ていないと、まともに取り合わない警官。
通りがかった北斗にも「いやあ、子供だから現実と夢の区別がついてないんですよ、ははは」と。
(兄が死んだのは事実なわけで、その弟の前で「ははは」はないだろう(笑))

山本か誰かが以前「我々の世界なら子供の怪獣を見たという話を一笑にふすのは当たりまえだが、
ウルトラマンの世界では日常的に怪獣が現われ、怪獣退治の専門組織までいる。その世界の
大人がいくら子供の話だからといって、まともに取り合わないのはおかしい」と言っていた。

それはそれで同感だ。問題は作品が作品内のリアリティを描くのを重視しているのか、
我々の世界でのリアリティを重視しているのか、だと思う。我々の世界では大人が子供の
話(子供にとっては大まじめで真実そのものの話)を馬鹿にしてまともに取り合わないのが
リアリティなのは紛れもない事実。

これは作品内の「正しさ」と現実の世界での「正しさ」のギャップであり、このギャップこそがフィクションの
存在価値なのだから、安直に「作品内では子供の怪獣の話を信じるのが正しい」といって作品を
その通りつくっていいものでもないだろう。(まあさらにひねくれた考え方をすれば「我々の世界では
泥棒や強盗が日常的に存在しているしそれを取り締まる専門の組織も存在するが、
子供が「泥棒を見た」といっても、相手にしない大人はいる)

SF作品の場合、まったく異質の価値観を持つ世界を構築し、我々の世界とはちがう世界を描いてみせるタイプの作品と、
舞台装置だけを非日常的なものにして、そこに描かれる価値観や問題提起は現代社会のものであるタイプの作品がある。
前者は従来の価値観の破壊することによって現在の社会の価値観の見直しを読者に突きつける。
後者は舞台装置を変えて現在の社会の価値観の問題点をそのまま読者に突きつける。いわば「森のクマさんの交通安全教室」と
手法は同じ。

俺個人としては前者が好きだしSFの王道はこちらだと思っている。価値観の再構築こそSFの魅力と俺は思う。
だからといって後者の作品が劣っているとか出来損ないだとは思わない。単にタイプが違うだけだ。
878名無しさんsage: 2005/07/06(水) 21:44:11
何かのマンガの後書きで、作者が子供の頃に見た夢の話があった。

何か自分がすごいピンチな状況にいるのに、両親は離れたところで平然とニコニコしながら立ち去ろうとする。
自分が必死に助けを求めても意に介さない。そんな夢だったらしい。

これを読んで、言われてみれば自分のある時期そういう夢を何度も見たな、と思った。
なんかすごく怖い場所で、お化けがもうすぐ出そうという予兆満点。最初両親と一緒に自分はいるが、
なぜか両親は自分をそこに置き去りにしよう置き去りにしようという方向に話(自分が見ている夢なんだがw)がすすむ。
そしていよいよお化けが出てきて必死に両親に助けを求めるが、こっちの必死の思いなどどこ吹く風でさっさと去っていってしまう。

自分の周囲の人間に聞いても似たような夢の経験があるらしい。
おそらく成長するに従って自分の行動範囲が両親の保護下から少しずつはみ出していき、
いままで空気みたいに存在すら気づかなかった親の絶対的な保護をはじめて意識する頃なのだろう。

それと同時に「大人にはいくら自分にとっては重要なことでも、親でさえなかなか伝わらない」という日頃の
恨み辛み(笑)が混じっているのかもしれない。

このウルトラマンAの回は子供の頃にも見たが、少なくとも子供の頃、このいい加減な警官の態度に
違和感は感じなかった。むろん「怪獣がでたのをなんで信じないんだよ」という憤りは子供心に感じたが、
それは現実の日常世界で感じる憤りと同質のものだったから特に違和感を覚えなかったように思う。

子供の頃は「人が死ぬ」ということの重みそのものもあまり実感がなかったし。それは「残念」なことでは
あるがペットの死やおもちゃが壊れること、遊んでいた公園がなくなること、中のいい友達が遠くに引っ越して
しまうこと、そういったいろいろな「残念」なことと特に明確な区別があったように思えない。

大人の目で見れば原因はともかく兄が死んだ弟を前にして、TACの隊員にへらへらと愛想を振りまいている
警官というのは「おかしい」。しかしその「おかしい」世界を「特別には」おかしくないと感じるのが子供の視点であり、
ウルトラマンAは人が不協和音を聞いた時に感じる不快さや戸惑いをしばしば意図的にそのまま描いているように思う。

「子供から見れば我々の世界の大人もこんなに『おかしい』んだぞ」と言われているように感じるのは、考えすぎだろうか。
884名無しさんsage: 2005/07/09(土) 00:32:21
>>「現実の世界ではフィクションのように正義が成されていないのは
恥ずべき事だ!」

 なんか真剣にめまいを感じるな。
フィクションの世界でも正義が成されるのはほんの一部だ。
単純な勧善懲悪ものなんてそうそうあるものじゃない。

 例えばONEPIECEとか、主人公のルフィーは海賊なわけだが
当然、悪なんだから縛り首になるのが正しい世の中だよな。
海賊であるルフィー達が正義である海軍本部にケンカ売ってるんだから
まるっきり正義は成されてないよな。

 ウルトラマンとかって町を破壊する怪獣の一種だよな。
ウルトラマンに父親を踏み潰されて路頭に迷った少女とか
めっさウルトラマンを恨むんじゃないかな。
ウルトラマンさえ現れなかったら、うちは踏まれなかったかも知れないのにって

 ルパン三世とかPTAで問題になったりしていつの間にか
人は殺さないってことになってるけど、
最初のうちはバンバン殺してたよね。
人殺しの泥棒がのうのうと人生を謳歌してるのを喜んでていいのか?

 理想のためなら人を殺すのもいとわないのは悪なのだろう。
だが、正義のために悪人を殺すのは悪ではないのか?
悪とはなんだ?法を犯すことか?
ならば、ほとんどの正義の味方が法を破る存在なのはどういうことだ?
今、この国で、正義の味方と同じことをすれば、確実に刑務所行きだ。
(一部警察組織に所属する正義の味方は除く)

 悪とはなんだ地球にあだなす存在か?
なら車も工場も悪だろう。喫煙も悪だ。
人間はすべからく悪の存在だ。
他者の命を奪うことでしか生きられないのだから。

ならば人を滅ぼすものこそが真の正義なのだろうか?
立場が変われば正義は変わる。
結局のところ正義なんて言葉は誰もが自由に使える便利な言葉でしかないのだから。
885名無しさんsage: 2005/07/09(土) 01:34:42
>>884
> 悪とはなんだ?法を犯すことか?
> ならば、ほとんどの正義の味方が法を破る存在なのはどういうことだ?

山本とかはよく「法律を犯さないことが云々」というけど、法律ってのは天与のものではないわけで、
結局他人が決めたこと。善悪を論じる場合に法律云々いうのは逆だと思うんだけどね。
人間が悪だと考えたことが法律で禁止されているのであって、「法律で禁止されている事=悪」って
発想は、「人間が悪と考えたものが悪」というトートロジーに過ぎない。

それは法律を作る立場側の立場になって考えれば自明のこと。これは何も一国の法律に限らず、
職場の規則や掲示板の運営ルールだって同じ。だからまともに考えれば

 僕は最低限法律に反しないことがルールだと思います

とかなんとかは、恥ずかしくていえないと思うんだけどね。はっきり言おう。善悪を議論する場合に
法律を引き合いに出すのは思考停止に過ぎない、と。
886名無しさんsage: 2005/07/09(土) 21:02:33
>>885
>山本とかはよく「法律を犯さないことが云々」というけど、法律ってのは天与のものではないわけで、

児ポ法が成立して、児童ポルノ所持禁止になったら、掌を返すと見た。
「悪法に従う必要はない!むしろ法を破って形骸化させよう!」とか。
887名無しさんsage: 2005/07/11(月) 22:35:38
『モンスターコレクション』(旧版)、コウモリの項は山本弘の書いたものである。
それによると、「中南米にしかいいない吸血コウモリを中世ヨーロッパ風ファンタジーに出すのは、作者に動物学の基礎知識がない。例外はバンパイアの化けたもの」だそうだ。
同じ本に、ゾンビ(中米だ)やマミー(エジプトだ)が載ってたりするし、そもそも吸血鬼がコウモリに化けるのは、現実の血吸い蝙蝠発見によるものなわけだ。
888名無しさんsage: 2005/07/11(月) 22:50:12
>>887
山本ってのは得た知識を何か創造的な方向に使うのではなく、
ひたすらひけらかしのためだってのがよくわかるね。

「吸血コウモリは中南米にしかいない」という知識を自分が得た→
その知識の活用方法は?→
それを知らない人間を侮蔑する

この思考パターンにつきる。結局よい作品云々いってるのも、本当に良い作品とは何かを
考えているのではなくて、自分の知識をひけらかすための手段に過ぎないのだろう。
というかそもそも山本が作品を作ったり他人の作品を批評すること自体、自分の知識を
ひけらかすための手段と思えてくるね。

山本の作品も作品評も基本パターンってのは「自分(山本)は知っている」→
「世の中の多くの人は知らない」→「なんと嘆かわしいことだ」がすべてって気がする。

作品の創作や作品の批評というのはそういうもんじゃないと思うんだけどね。
そういうのは2chのしったか君にまかせておけばいい。

もし電車男のように2chの発言をまとめてSFやSF評の本を出したら、山本が書いた本
そっくりの内容ができあがったりして。題して「トンデモ男」。

巨大掲示板で日夜自分の知識こそ正しいと正義感に燃えてトンデモやSF作品の揚げ足を取りまくる男。
彼の前にはさまざまな敵が次々に立ちふさがる。はてしない戦いの中でついに彼が見つけた真理とは…
889名無しさんsage: 2005/07/11(月) 23:03:46
俺が感銘を受けた言葉にこんなのがある。

  デザインとはフォルムの実現ではなくピッタリしないものの排除にある

人間の創造性を否定しているような主張だが、この主張は建築において創造性に満ちた
設計とは何かを突き詰めた人間によって成されている。創造性の本質を究極まで追い求めれば、
それは創造性の消失、「創造」という行為は何かという問題に行き当たる。新たなものを生み出すという
行為は何もないところから徐々に構築するのではなく、すでにあるものの中でアンバランスなものを排除して
いくことによって行われる、と。

まあ「創造とは?」→「創造することである」というのではトートロジーで答えにならないわけで、
創造性を生み出す機構それ自体は創造性を持たないのは自明といえるかもしれない。

山本はSFについてあれこれいう割には表面で言葉遊びをしているだけに見える。
SFの本質を追究するなら、SFという性質が失われるところまで還元・分解してはじめて
見えてくるものがあると思うのだけどね。山本の著述物からそうした境地に至っているとは
とても思えない。

深く考えるにはある程度広い知識は必要だが、いくら広い知識を集めたところで深く考えるという
試みをしなければ、10の知識は所詮10の知識でしかない。つまり集めた意味はない。
890名無しさんsage: 2005/07/11(月) 23:11:22
>>887
だいたい、ヨーロッパに吸血コウモリが(現実には)いない、というなら吸血鬼だって現実にはいないわけで、何を言っているのやら。
山本はおそらく「バンパイアが存在する」というのはウソとして自動的に認知されるが、現実の世界にいる吸血コウモリは
現実の世界に即して語るのがリアリティだということなのだろう(ファンタジーでリアリティ云々についてはここではあえて触れない)。

しかしリアリティというのはそういうものなのだろうか?ウソと本当の境界がはっきりしているのがリアリティなのだろうか?
そんなことはないだろう。現実の世界を少しずつ歪めてウソの世界にすり替えることこそリアリティではないのか?
別スレで「Nジャマーは創作だからウソが許されるが、スティニーの量子通信は現実の用語なのだから現実に即して正しく使うべきだ」
とかいうアホなことを言っている人間がいたが、創作物におけるリアリティとは何かという基本的な部分で勘違いしているとしか思えない。
892名無しさんsage: 2005/07/12(火) 10:55:07
>>886
手のひら返すもなにも今までに反対論をだしてるけど。
確か、法で規制されると性欲をもてあますロリペド山本共が犯罪を起こすから規制するなとか
アメリカの漫画の暴力表現規制は意味が無かったから日本で同様の規制法を作っても無駄だとか。
俺の持ってるロリータ写真集は芸術だから問題ないとか
これも「何を問題にして」規制法を作ろうとしているか全然わかってない例でもあるな。
895名無しさん: 2005/07/14(木) 07:45:35
関係ないが。
「修道士カドフェル」「茂七捕り物長(?)」でも法律と現実の問題を扱っていたな。
悪法と理解しても杓子定規に適用しようとする側とそれを上手くかわして逃がす主人公。
個人的には世知に長けた主人公の手練と力を持ちたいものだ、とは思う。

児ポ法といえば、裸というだけで名画さえも焚書しかねないキチガイも困るし、小学生を毒牙にかけるペドも唾棄すべきだし。
一定の割合でこういうのが出てくるのは避けられない。
それを禁止した場合と禁止したときの弊害の勘定の問題なんじゃないかな。

人間てのは、こんな問題を生きている限りずっと抱えていくだろう。
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