唐沢俊一P&G博覧会
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最新追加用語


3ヶ月ルール (さんかげつるーる)
解 説 発売後3ヶ月は書籍の論評を控えた方が良いとする、一般人どころか出版業界の人間でさえ誰も聞いたことがないルール。
「ごま書房新社」の見解として伝えられていたが、元々は

「本が流通して行き渡るまで内容を確かめる楽しみを読者から奪わないで欲しい。『3ヶ月』とはあくまで一つの目安で決まりきった期間は指していない」

という意味合いで発言されたものだった。
しかし芝崎淳はこれを悪用し、「唐沢俊一検証blog」に対する圧力要求の道具として活用していた。
この論理をマトモに適用すると、著書の刊行後間もない新聞の書評やアマゾンレビューなども軒並み営業妨害に該当するため自粛しなければならないとされることになるため、ネット上で多大な物議を醸すことになった。
芝崎淳 (しばさきあつし)
解 説 唐沢俊一の新刊「スコ怖スポット・東京日帰り旅行ガイド(以下「スコ怖」)」のプロデューサーにして「と学会」の事務局長を務めていたこともある「と学会」会員。
2011年6月、日本トンデモ本大賞2011で先行販売されていた「スコ怖」の検証記事が「唐沢俊一検証blog」に掲載された。
これに対し芝崎淳は、「正式発売前の内容紹介は営業妨害にあたる」と「唐沢俊一検証blog」の管理人であるkensyouhan氏に抗議。
さらに「スコ怖」の刊行元である「ごま書房新社」が、kensyouhan氏の問い合わせに対し「出版社の権利関係上発売後3か月は書籍の論評を控えた方が良い」との見解を述べたことに乗じ、「唐沢俊一検証blog」に対し検証記事の公開自粛を求め始めた。
これに対しkensyouhan氏は、該当の検証記事を非公開にすることで対応したが、これに味を占めたのか、芝崎淳の暴走と要求は一挙に加速する。
芝崎淳はさらに、「スコ怖」とは全く何の関係もない、「と学会」のメーリングリスト問題に関係したエントリーの削除・データの破棄・情報提供者の氏名の提示を要求。
ついには、これまで刊行された唐沢俊一検証同人本の回収・ブログ自体の閉鎖までもが要求事項に追加されたのである。
これらの要求は「ごま書房新社」にも無断で行われたものであり、当の「ごま書房新社」からして「強圧的要求」と評するシロモノだった。
あまりに一方的過ぎる要求のため、kensyouhan氏は「当ブログの問題点を具体的に教えてくれれば対応する」旨を伝えたが、芝崎淳は「問題点が多すぎて指摘できない」と誠意のない回答を寄越してきたため、両者の交渉は決裂。
芝崎淳の要求に疑問を覚えたkensyouhan氏は、「と学会」の会長である山本弘に対しても芝崎淳の行動についての問い合わせを行ったが、山本弘は攻撃的な口調で対応した上、「芝崎氏の行動には何ら関与していない」「問題はあなたと芝崎氏の間で解決していただきたい」などという責任回避かつ事なかれ主義な回答に終始する始末だった。
さらに芝崎淳は、「山本会長はkensyouhan氏からコミケで謝罪をされた覚えがないと述べていた」などと事実関係を無視した証言をも披露していた。
唐沢俊一を擁護しようとするあまり言論弾圧的な所業に走った芝崎淳と「ごま書房新社」、そして「と学会」の代表でありながら責任回避に汲々としていた山本弘はウォッチャー達の嘲笑を買い、さらには「と学会」自体もまた、その評価を大きく下げることになった。
なお、芝崎淳はそれまで無名の存在だったためか、ウォッチャー達の間でも「柴崎」「柴田」と名前を間違える事例が続出した。






あ~お行


あ、惚れたな、と聞いていてもわかった (あ、ほれたな、ときいていてもわかった)
解 説 2009年10月17日付の裏モノ日記における、加藤和彦死去の訃報書き込みの際に飛び出したフレーズ。
唐沢俊一は、加藤和彦の死について
「晩年は木村カエラを売りだすためにミカバンドを再結成するなど、かなり頑張っていたようだ。あ、惚れたな、と聞いていてもわかった」
と、加藤和彦と木村カエラの関係について的外れなことをのたまった挙句、
「……それが自殺に結びついた原因でなければいいが、と思ってしまう」
などという電波なトンデモ推論を書き綴っていた。
これがウォッチャーの怒りと笑いのツボを刺激し、このフレーズはウォッチャー達の間で流行語として使われるようになった。
R-1ぐらんぷり (あーるわんぐらんぷり)
解 説 吉本興業が始めたピン芸コンクールで、誰が一番面白いかを競う大会のことを指す。
2011年1月上旬、R-1ぐらんぷりの公式サイトにある予選Gグループの出場者リストの中に「唐沢俊一(㈱東文研)」という表示があることが確認された。
この情報はウォッチャー達に大きな衝撃を与え、「多忙なのにそんなものに出場するのか」「俺も見に行こう!」と話題になった。
しかしその後、唐沢俊一本人がmixi上の発言で大会の出場を否定していることが判明。
それに呼応するかのように、R-1ぐらんぷり公式サイトの出場者リストから唐沢俊一の情報が消え、この問題は「ガセ」として決着がつくかに思われた。
ところが、出場キャンセルに際して、唐沢俊一は自分で行ったと述べているのに対して、R-1ぐらんぷり側は「大会に出場を申請した本人がキャンセルしてきた」と矛盾する発言を行っている。
また、大会出場の際には出場者本人の顔写真が必要とされているが、偽者が一体どうやって唐沢俊一の顔写真を入手したのか?
これらのことから、
「大会に参加を申請したのは唐沢俊一本人で、騒ぎになりそうだったからニセモノをでっち上げて参加をキャンセルしたのではないか?」
という疑惑が新たに浮上するに至った。
新年早々、笑いのネタを盛大に披露してくれた唐沢俊一の「お年玉」に、ウォッチャー達は嘲笑混じりの敬意を払った。
あぁルナティックシアター (あぁるなてぃっくしあたー)
解 説 唐沢俊一が入れ込んでいる「うちの劇団」。
唐沢俊一はこの劇団で脚本を書いたり、「緑色の変な生き物」として出演したりした経歴を持つ。
2010年4月には、この劇団が運営しているブログに「特別出演」と称して記事をアップし、ウォッチャー達とバトルを展開する事件が勃発している。
青山学院大学 (あおやまがくいんだいがく)
解 説 唐沢俊一が卒業した…………とされている大学。
だが、唐沢俊一の自己申告では、卒業した学部の情報が文学部だったり教育学部だったりと一貫性がなく、また青山学院大学に在籍していれば知っているはずの情報について無知を曝け出すなど、その学歴には常に詐称疑惑が付きまとっている。
アスペクト (あすぺくと)
解 説 唐沢俊一と村崎百郎の鬼畜系対談コラム「社会派くんがゆく!」の出版元となる会社。
この会社の社長は唐沢俊一のファンであるらしい。
アフリカという国 (あふりかというくに)
解 説 唐沢俊一の書評で騙られた架空世界の国。
2008年6月15日の朝日新聞紙上で、レドモンド・オハンロン著「コンゴ・ジャーニー」の書評を行った唐沢俊一は、その書評の最終段落を、
「その迷彩的文体こそが、アフリカという国をまるごとそのままに描く、最適の文体なのだということに気づかされる」
という言葉で締めくくったが、言うまでもなく「アフリカ」という「地域」はあっても、「アフリカ」という名を持つ「国」は過去にも現在にも存在しない。
唐沢俊一の無知を象徴するフレーズとしてこの事例はよく持ち出されている。
綾波書店 (あやなみしょてん)
解 説 2009年冬コミおよび2010年夏コミで「唐沢俊一検証blog」運営のサークル「西理研」の隣のスペースに位置していたサークル。
2010年夏コミに「西理研」が出店した際、猫遊軒猫八氏の大声による呼び込みが行われたが、コミケ終了後に「唐沢俊一検証blog」でコミケ参加レポートがアップされると、このことが問題としてクローズアップされた。
これに対し猫遊軒猫八氏は「近在のサークルさんに何度も確かめた」と主張したが、その発言に「西理研」の隣にいたサークル「綾波書店」が「唐沢俊一検証blog」に直接乗り込み「弊サークルには一言も確認はありませんでした」と発言。
その発言を受けて「西理研」の運営責任者であるkensyouhan氏はすぐさま謝罪文を掲載したが、猫遊軒猫八氏は中途半端な拙い対応で非難を浴び、ブログは炎上状態となった。
しかし、綾波書店の発言には不可解な点も多く、またウォッチャー達の追跡調査の結果、過去に綾波書店が唐沢俊一と親しげに話していたり、唐沢俊一検証サイドをあてこすったりしている発言を行っていることが明らかとなった。
「西理研」サークルの隣が唐沢シンパであったという事実はウォッチャー達を大いに驚愕させた。
アンチ (あんち)
解 説 唐沢俊一のみならず「と学会」の面々が自分達を批判する者に対して貼り付けるレッテル。
「と学会」の内部で脳内定義されている「アンチ」は、十字軍時代の一神教を信奉しない異教徒のごとき存在であり、ただそれだけで絶対的な悪であるとされている。
その起源は古く、唐沢俊一の盗作問題が話題になるはるか前から、山本弘問題連絡会や当サイトに対して、山本弘による「アンチ」のレッテル貼りが行われていた。
現在唐沢俊一サイドで使用されている「アンチ」のレッテル貼りは、この前例をそのまま踏襲しているものと考えられる。
市橋くんは白いカンバス (いちはしくんはしろいかんばす)
解 説 語学学校「NOVA」の英語講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の首謀者とされる市橋達也に対する唐沢俊一の礼賛評価。
2009年11月に、2年にわたって逃亡を続けてきた市橋達也が逮捕されると、唐沢俊一は何を思ったのか
「身一つで千葉県警の取調べから脱走した市橋はその行動力のみから言えばルパンなみのヒーローだ」
などと裏モノ日記で市橋達也を礼賛する発言を繰り出し始めた。
そして唐沢俊一は、市橋達也が女性の間で人気になる理由についてガセを交えて色々を御託を並べた挙句、2009年11月18日付裏モノ日記で
「こんなつまらん事件、つまらん犯人でなぜ騒ぐ、と言う人も多いが、つまらん犯人だからこそ、女性たちはそこに自由に絵(妄想)が描けるのだと思う。市橋は白いカンバスなのである」
という結論を導き出すに至った。
その後さらに唐沢俊一は、自身の連載コラムにおいても市橋達也萌えな妄言を発し続け、その熱烈な求愛活動はウォッチャー達を苦笑させている。
伊藤剛 (いとうごう)
解 説 元「と学会」会員のマンガ評論家。
かつて唐沢俊一に乞われてスタッフとして参加していたが、1998年7月に出版された光文社刊「国際おたく大学」における「サブカルのパンドラの箱~伊藤(バカ)くん問題」という記事が名誉毀損等に当たるとして同年11月、版元の光文社、および岡田斗司夫・唐沢俊一・ソルボンヌK子を相手取って東京地裁に提訴。結果、翌1999年7月23日、裁判所の勧告により「誹謗中傷的」という文言を含む謝罪文を被告が掲載するのを条件に和解することとなった。
また2008年9月には、NHKの「BSマンガ夜話」へのゲスト出演を岡田斗司夫によって一方的にキャンセルされる事件が発生。紆余曲折の末、両者は和解したが、一連の事件から派生したNHKディレクターの「ともだち」な対応や山本弘の公式コメントなどは、唐沢俊一&「と学会」界隈にも大きな影響を与えた。
唐沢俊一の過去を語る際には欠かすことのできない存在と目される人物である。
うちのうちの詐欺 (うちのうちのさぎ)
解 説 自分を大きく見せたい唐沢俊一の詐欺手法。
初出は、唐沢俊一は楽工社刊「オタクアミーゴスの逆襲」の中で、自分が「特別に所属させてもらっている」劇団「あぁルナティックシアター」を
「私も劇団とかやってるけど」
「うちの劇団」
と表現したことから。
これに対して「お前の劇団じゃないだろ」「うちのうちの詐欺」という批判が寄せられると共に、「うちの○○」がウォッチャー達の間で流行語として定着することになった。
うちの劇団ブログ炎上事件 (うちのげきだんぶろぐえんじょうじけん)
解 説 唐沢俊一を外注している劇団「あぁルナティックシアター」運営のブログ上にて、唐沢俊一とウォッチャー達の間で勃発したブログ炎上騒動。
唐沢俊一はブログ「あぁルナ本公演「悪役照会」稽古場日誌!」の2010年4月4日付記事にて「特別出演」と称し相も変らぬP&Gな記事を書き綴っていた。
このブログのコメント欄が管理人の承認等を必要としない無条件掲載OKの設定となっていたため、2010年4月6日、このことを知ったウォッチャー達の一部が該当ブログ記事のコメント欄に突撃を敢行した。
これに対し唐沢俊一は、ウォッチャー達のコメントにいちいち熱心に長文を綴って回答するマジレスラーぶりを披露。この反応を見たウォッチャー達は、過去の検証で問題となった盗作事件や学歴詐称問題について質問をここぞとばかりにまとめて繰り出し、互いの応酬がエスカレートしてめでたくブログは炎上した。
その応酬の中で唐沢俊一は、盗作事件の被害者たる漫棚通信氏や「唐沢俊一検証blog」のkensyouhan氏を名指しで直接誹謗する発言を展開。結果、2010年4月7日に漫棚通信氏本人が炎上ブログに降臨し、唐沢俊一に対し盗作事件当時の交渉メールを全て公開する用意があるとの投稿が行われるまでに至る。
ここまで来てようやく危機感を抱いたのか、ブログを運営する「あぁルナティックシアター」の管理人は、翌2010年4月8日に漫棚通信氏の問い合わせ投稿3通を強権発動で削除する一方、唐沢俊一側の問題投稿はそのまま残すという処置で対応。しかし、この片手落ちかつ一方に肩入れした対処法は、却ってウォッチャー達の神経を逆撫でし、劇団に対する批判まで自ら求めて招く愚行でしかなかった。
この騒動の結果、唐沢俊一ウォッチャーにとってネタとなる様々な新情報が数多くもたらされると共に、劇団「あぁルナティックシアター」の評価を大きく失墜させることとなった。
裏モノ日記 (うらものにっき)
解 説 唐沢俊一の公式サイトに設置されている、トンデモと笑いのネタを配信し続ける唐沢俊一のメインコンテンツ。
その起源は1999年まで遡り、以来、唐沢俊一は多忙に明け暮れた時代でも裏モノ日記の更新「だけ」は滞りなく続けてきた。
しかし漫棚通信氏からの盗作発覚事件以降、ウォッチャー達から際限なくウォッチされて笑いのネタとして晒され続ける唐沢俊一は、その事実についに音を上げたのか、遅まきながら対策を施そうと考えたのか、2010年2月27日付裏モノ日記で事実上「日記の更新停止」を宣言するに至った。
なお現在、日記の本体はmixi上にあり、公式サイトの裏モノ日記は、唐沢俊一が委託している業者がmixi上の日記を定期的にアップするという形が取られている。
HとGの間にIがある (えっちとじーのあいだにあいがある)
解 説 2010年10月6日放送のTBS系列番組「ジュニアラマタの世界ウィット遺産」に出演した唐沢俊一の発言。
番組の中で唐沢俊一は飛行機の座席番号にまつわるエピソードを紹介したが、その際、アルファベットの「G」を9番目の文字と定義した挙句、

ローマ字の「I」っていうのが、これ「1」と間違えられやすいので、それは外して「H」と「G」になってるんですね

と、アルファベットの配列について完全に間違ったガセネタをのたまった。
言うまでもなく、「G」はアルファベット7番目の文字であり、「I」は「H」の次に来る文字で、さらに「G」は「H」は連続しているので間に文字自体存在しない。
この件は2chの番組実況スレッドでも散々なまでにツッコミを入れられまくり、またウォッチャー達の間でも、アルファベットの順番すら間違える唐沢俊一のガセの脅威に打ち震える事態となった。
NC赤英 (えぬしーあかひで)
解 説 2010年1月4日にガンで逝去した、劇団「あぁルナティックシアター」所属の劇団員。
本名は赤堀清英。
唐沢俊一はNC赤英の死に際し、裏モノ日記でその通夜と葬儀の実況役になると宣言。早速、故人の名前を「清秀」と何度も間違え、得意のガセを振りまくことになった。
さらにNC赤英の死を口実に静岡へ旅行に行くことができたと大はしゃぎした挙句、在来線の車内ではドンチャン騒ぎをして他の乗客に迷惑がられ、静岡の街を歩けばラーメン屋がないとクレームをつけ、遺族から挨拶され際には有頂天になって
「こういうときには虚名を売っておくのもある種ベンリである」
などとのたまうありさまだった。
故人を悼むどころか、故人を利用して旅行に宴会と大いに楽しみ、しかもその様を公式サイトで公言する唐沢俊一の「鬼畜を装う小心な家畜」ぶりは、唐沢俊一の醜悪な所業に慣れ親しんでいたウォッチャー達をも呆れさせた。
エンサイスロペディア (えんさいすろぺでぃあ)
解 説 白夜書房発行の雑誌「パチスロ必勝ガイドNEO」で連載されている唐沢俊一のコラム。
パチスロの台を飾っている元ネタの作品を解説するという主旨の連載であるはずだが、唐沢俊一は自分で取り上げている作品についてロクに調べもしないままにコラムを書いていることが多く、自称「オタク第一世代」としてはあってはならないレベルの醜態を常に晒してしまっている。
また、プロフィール欄に「学生時代、パチンコ・パチスロの鬼だった」とあるが、「玉」や「射出」といった、パチスロの経験者ならばありえない表現およびそれにまつわる記述があり、ウォッチャー達の失笑を買っている。
おさえるつけ (おさえるつけ)
解 説 二見文庫刊「唐沢先生の雑学授業」で発覚した盗作のマヌケぶりを象徴するパクリ事例。
唐沢俊一は、この本のイギリス式スパゲティの食べ方について語っている部分で
http://blogs.dion.ne.jp/gene_memories/archives/646315.html#more
のページから記事を盗用したが、その際、元のページにあった
「1.左手のフォークで、適当にお皿の中のスパゲティのかたまりを【おさえるつける】」
という【】部分の誤記もそのまま転写してしまう失態を演じた。
唐沢俊一の手抜きなパクリ手法を象徴する事件としてこの事件は語り継がれることになった。
落ち着こうよ、みんな (おちつこうよ、みんな)
解 説 2010年1月にTwitter上にて発生した唐沢俊一糾弾祭りに対する唐沢俊一の魂の悲鳴。
2010年1月29日、「ライ麦畑でつかまえて」の著者であるジェローム・デヴィッド・サリンジャーの逝去に伴い、かつて同書を書評した「訃報マニア」の唐沢俊一がサリンジャーの追悼記事を書くことを忌み嫌った町山智浩氏が、自身のブログとTwitterにて唐沢俊一を糾弾する記事を発表した。
その反響は大きく、Twitterでは一種の祭りのごとき様相を呈することとなり、結果としてこれまでの唐沢俊一の所業がTwitter上にて大々的に宣伝される形となる。
この騒動の拡大と自身に対するネガティブ評価の頻出に激しく動揺した唐沢俊一は、公式サイト上の裏モノ日記の更新を大きく遅らせた挙句、サリンジャー逝去が報じられた2010年1月29日付裏モノ日記に「日記予定地」と称した手抜きでスカスカな文章をアップするに至り、町山智浩氏の糾弾記事の前に事実上屈したチキンぶりをウォッチャー達に晒すこととなった。
それだけでも恥晒しなところにトドメの追い討ちでもかけたかったのか、2010年2月5日深夜に更新された2010年1月28日付裏モノ日記で唐沢俊一は、

一方で某所、展開が早すぎて発言についていくだけで大わらわ。
今、どこで誰がしゃべっているんだ? という感じで
ある。落ち着こうよ、みんな。

とハリボテな虚勢ぶりと内心ビビりまくりな心情が丸分かりな発言を披露し、ウォッチャー達を更なる感動と爆笑の渦に叩き込むという曲芸を成功させるに至った。






か~こ行


ガウディ型 (がうでぃがた)
解 説 二見文庫刊「唐沢先生の雑学授業」で発覚した盗作のマヌケぶりを象徴するパクリ事例。
唐沢俊一はこの本の中で天才建築家ガウディに関する雑学を披露しているが、それは知泉氏のメルマガからそのままパクったものだった。
しかもそのパクリは、知泉氏のメルマガで箇条書き用の記号として使用されていた「☆」マークまでそのまま転写して掲載するというスバラシイ手抜きぶりだった。
この事例から転じて、パクリ元で使用されている特定用途の記号や誤記をもそのまま流用している手抜きな盗用文章のことを指して「ガウディ型」と呼ぶようになる。
カシャカシャ (かしゃかしゃ)
解 説 唐沢俊一の頭の具合を的確に表現している擬音。
2009年のトンデモ本大賞ノミネート選定騒動の際、唐沢俊一はバーバラ・アスカと「と学会」の間で発生した諍いを収拾すべく対応に追われていたが、その最中
「頭がカシャカシャ働くというのは私の特技でもあるが」
と裏モノ日記で自身の対処能力の高さを大いに誇る発言を裏モノ日記で行った。
ところがその直後、一連の騒動の内情がバーバラ・アスカによって外部に公開されたことから、事態は収拾どころか一種の「祭り」状態と化してしまい、ますます混乱が拡大することに。
このため唐沢俊一の発言は「無能なトラブルメーカーが問題を解決したつもりになってバカを晒した低能発言」と見做されるようになり、「(頭が)カシャカシャ(働く)」はその象徴的な用語として広く知れわたるに至った。
合唱 (がっしょう)
解 説 唐沢俊一が有名人を追悼する際に行う礼拝の仕草。
2010年3月7日、唐沢俊一は自身の公式サイトの「ニュース」欄の「同人誌」カテゴリに有名人の訃報記事をアップしたが、その中のひとりである南方英二の追悼文で、本来「合掌」と書くべき締めの文を「合唱」と書き間違えてしまい、せっかくの追悼文を台無しにしてしまった。
唐沢俊一の追悼記事が故人に対して失礼極まりないシロモノになっていること自体はこれに限った話ではないが、これに先立つ2010年2月27日付裏モノ日記で日記の更新停止を宣言した後での追悼文アップだったこともあり、「一体何を歌うつもりなんだ」「日記の更新を停止してまでアップした『追討記事』がこれか」とウォッチャー達の嘲笑を買うことになった。
カラサーテンテー (からさーてんてー)
解 説 2ch唐沢俊一スレッドで主に使用されている唐沢俊一のニックネーム。
派生語に
「カラサー」
「テンテー」
「カラシュン」
などがある。
唐沢俊一のトンデモクロペディア (からさわしゅんいちのとんでもくろぺでぃあ)
解 説 かつてワールドフォトプレス社の雑誌「フィギュア王」に掲載されていた唐沢俊一の連載コラム。
例によって例のごとく、大量のP&Gを撒き散らし続けていたコラムだったが、それをウォッチャー達に指摘され続けてやる気が失せたのか、「フィギュア王」No.142およびNo.144では裏モノ日記の記事を流用、さらにNo.145ではNo.125で掲載していた同連載のコラムを使い回すなど、手抜きな原稿作成スタンスが露呈していた。
「唐沢俊一検証blog」にてこのことを知った唐沢俊一の元担当編集者・額田久徳氏は、「フィギュア王」編集部に対して直接働きかけ、問題点を指摘。結果、編集部は「フィギュア王」No.146にて唐沢俊一の連載コラムを終了させる措置を取るに至った。
唐沢俊一の自業自得な連載打ち切りは、多くのウォッチャー達の溜飲を下げることになった。
唐沢スルーの法則 (からさわするーのほうそく)
解 説 唐沢俊一が雑学を披露すると、何故か面白いネタをスルーしてしまい、話の面白さを大幅に損ねてしまう謎の現象のこと。
唐沢俊一は自身のことを「オタク第一世代」や「雑学王」などと自称しているが、その割にはひとつの事象に対する深い造詣と言ったものが存在せず、ウィキペディアの記事などで誰でも手軽に分かる「にわか」もいいところの表層的な知識の披露しかできていないことが判明している。
P&G問題に付属する唐沢俊一の特性を的確に表した法則といえる。
唐沢なをき (からさわなをき)
解 説 唐沢俊一の実弟。
本業は漫画家。
以前は兄である唐沢俊一と共に「唐沢商会」として活動していた。
唐沢俊一の盗作事件後、エンターブレイン発行の雑誌「コミックビーム」で連載している「まんが極道」で盗作をネタにした「パクリ!!」「トレース!!」を掲載。「兄の事件と関係があるのか?」と一部で話題を呼んだ。
唐沢俊一は自身の連載コラムや書評で弟が書いた「まんが極道」について言及しているが、件の「パクリ!!」「トレース!!」については一切触れない態度に終始している。
また2009年9月には、NHKの番組「マンガのゲンバ」の取材を受けた際に現場スタッフの態度に辟易した唐沢なをきが、NHKの取材を拒否する事件が発生。ニュースで報じられ、NHKは非難を受けて唐沢なをきに謝罪することになった。
また、2024年9月24日に唐沢俊一が死去した際には、「晩年は金の無心がひどかった」などという兄に対する無慈悲かつ見事な「追討文」を発表し、長年のウォッチャー達を感動させた。
「愚兄賢弟」というあり方を実地で体現した兄弟関係といえる。
ガンダム論争 (がんだむろんそう)
解 説 雑誌「ぴあ」の1980年12月5日号~1981年8月28日号までの間、読者投稿欄「YouとPia」で繰り広げられた論争。
唐沢俊一は一連の論争で、手塚治虫から「人の創ったものをファンが批判する権利などない」と批判されたことを若き日の武勇伝であるかのごとく語っており、この論争後も何かにつけて手塚治虫を目の仇にした言動を繰り広げていた。
しかし、「唐沢俊一検証blog」が当時の「ぴあ」について検証した結果、実際には手塚治虫が唐沢俊一を批判していた事実は存在せず、また「観客サイドも、色々な見方が出来て、もっと、様々な議論が出てくるといいね」とファンが作品について意見を述べることを歓迎していることも明らかになった。
さらに、唐沢俊一が主張する「人の創ったものをファンが批判する権利などない」的な発言は富野由悠季(当時は富野喜幸)と松本零士から発せられ、特に富野由悠季からは直接名指しでクレームまでつけられていたにもかかわらず、それについてはスルーを決め込むという不可解な事情も確認された。
唐沢俊一は、この論争で一体何を誇りたかったのだろうか?
気圧 (きあつ)
解 説 天候を左右する「大気の圧力」を指す言葉。
唐沢俊一は気圧の変化に敏感で、気圧の変化で体が不調になることを裏モノ日記でしばしば告白している。
だが、具体的にどのような気圧の変化で体の不調が発生するかについてはそれを発言した日付毎に異なっており、ある時は「梅雨の時期」だったり、またある日時では「気圧が停滞して雨がいまにも降り出しそうな空模様」だったり、さらに別のケースでは「低気圧から高気圧への移行時」だったりと、とにかく「気圧の変化」自体が駄目と言わんばかりの広範囲にわたっている。
気圧の変化によって体調が影響を受ける症例自体は「気象病」「お天気病」という名で実際に存在するので、唐沢俊一が実際にそういう病気に罹っている可能性自体は、ウォッチャー達の間でも全否定まではされていない。
唐沢俊一の場合、気圧の変化を仕事をサボる口実として使ったり、実際に「気圧のせい」で仕事を休む日でも飲み会には積極的に参加したりしている事例が複数存在するなど、病気と直接向き合う姿勢が感じられないことが問題視されている。
菊池誠 (きくちまこと)
解 説 疑似科学批判を中心に活動している「と学会」の会員。
mixiやTwitterでは「きくまこ」というHNを名乗っていることが多い。
2010年6月28日より行われた伊藤剛氏とのやり取りの中で、菊池誠は唐沢俊一のP&G問題について

「唐沢問題について僕はよく知らない」
「唐沢さんの本は読んでないので、評価しようがないですよ」

などという、一種の官僚答弁的な発言を繰り返していた。
ところが実際には菊池誠は、「と学会ML」でゴタついていた唐沢俊一の処分問題で発言を行っていることが確認されており、唐沢俊一の問題について知らないという発言はこれと大きく矛盾する。
一連のやり取りは、他者には厳しいくせに身内には甘い「と学会」の事なかれ主義的ともだち体質をよく表している事例のひとつとして記録されている。
緊急事態 (きんきゅうじたい)
解 説 これを使えばmixi限定公開日記を他所に転載できるという、唐沢俊一御用達の魔法の言葉。
2009年のトンデモ本大賞ノミネート選定騒動の際、バーバラ・アスカのmixi限定公開日記が「と学会ML」に転載されたことが問題となった。
ところが、バーバラ・アスカがそのことについて唐沢俊一に問い合わせた際、唐沢俊一から返ってきた回答は
「緊急事態なんだから、しかたないだろう」
というものだった。
もちろん、mixi限定公開日記を暴露しなければならない「緊急事態」とは一体何なのかについては全く説明されることがなく、唐沢俊一の対応はバーバラ・アスカを憤慨させると共に、
「ならば唐沢俊一のmixi限定公開日記も外部に公開してかまわないだろう。唐沢俊一のP&G問題は常に緊急事態なのだから」
とウォッチャー達に格好の笑いのネタを提供することになった。
この事件以降、唐沢俊一のmixi限定公開日記に何らかの記事がアップされたという情報がもたらされる都度、「緊急事態!」という名の転載要求が慣習として行われるようになっている。
ケアレスミス (けあれすみす)
解 説 漫棚通信からの盗作発覚事件の際、盗作の事実を否定するために唐沢俊一がでっち上げた言い訳理論。
「新・UFO入門」における盗作が発覚した際、唐沢俊一の対応自体は非常に早かったが、盗作の事実については
「悪意または盗用という意はまったくありません」
「大いに参考にさせていただいた」
と最初から全く認めようとせず、公式サイトに掲載した謝罪文でも、
「原稿執筆時、当方のケアレスで、ほぼそのままの形のものをペーストしてしまい」
と、あくまでもケアレスミスであるとの立場を崩そうとせず、これが大きな要因のひとつとなって漫棚通信氏と唐沢俊一の交渉は決裂してしまった。
また、このことに疑問を抱いた藤岡真氏が、山本弘に対し「と学会」としての見解についてメールで問い合わせを行った際も、
「ケアレスミスという釈明を信じる」
などという回答が返ってくる始末だった。
他者の盗作行為を口を極めて罵りながら、自分達の盗作行為については「ケアレスミス」と言い繕う、唐沢俊一のみならず「と学会」の不誠実かつダブルスタンダードな態度は広く世間一般に知れわたることとなり、唐沢俊一検証第一の発火点がここで生まれることになる。
kensyouhan (けんしょうはん)
解 説 2008年7月11日から活動が続けられている「唐沢俊一検証blog」の管理人。
その精力的な活動は、唐沢俊一のありとあらゆる著書に関する精緻な検証のみに留まらず、リアル世界でも東大のウルトラマン講義に出席したり、コミケのために検証本を作成して唐沢俊一本人および「と学会」関係者へ贈呈したりと多岐にわたる。
唐沢俊一側も「唐沢俊一検証blog」を熱心に読んでいることが確認されており、ジュンク堂トークセッション中止問題や「むしろラッキー」発言など、唐沢俊一がkensyouhan氏を意識的に避けているかのごとき行動を取っているフシも見受けられる。
容貌は一言で言えば「強面のイタリア風イケメン」。どことなく日本人離れした外国人的な顔を想起させる端整な顔立ちだが、人当たりはお世辞にも良いとは言えず、低い声の調子も相まって、話しかけると常に強面な表情で不機嫌な応答が返されているかのような第一印象を相手に与えてしまうのが玉に瑕。
また、美人で評判の3姉妹がおり、コミケで「西理研」サークルが出店する際には彼女達も参加してサークルに華を添える。
ネット上でもリアルでも唐沢俊一の評価や動向に大きな影響を与えている、唐沢俊一検証の筆頭的な存在である。
コレハコレハ (これはこれは)
解 説 2008年8月23日に大阪の岸和田にて行われた「DAICON7」でのイベント「大阪国際児童文学館の収蔵物を語る」に参加した唐沢俊一が、同イベントに参加していた藤岡真氏に対して放った第一声の挨拶。
藤岡真氏は、唐沢俊一と会う前に事前にメールを送っていたが、藤岡真氏に話しかけられた唐沢俊一はそんなものお構いなしで早々に会場からの離脱を図り、とっととタクシーに乗り込んで逃走。
しかもその際、普通に考えたら理解に苦しむ支離滅裂な逃避行ルートを選択した挙句、本来間に合う予定だったはずの落語勉強会に遅刻するという醜態を演じる羽目になった。
一連の事件の象徴として、唐沢俊一の第一声の挨拶「コレハコレハ」はウォッチャー達の記憶に焼き付けられることになった。
なお、この日のことを書いた裏モノ日記で唐沢俊一は
「私は人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なのである」
などとのたまっていたが、2008年冬コミでkensyouhan氏が自分をネタに検証テストを行ったところ、そんな事実は確認されなかったという。






さ~そ行


妻子ある女性 (さいしあるじょせい)
解 説 唐沢俊一発表の「最近の研究」で明らかになった、芥川龍之介の不倫相手の実態。
唐沢俊一は、雑誌「月刊ほんとうに怖い童話」2008年7月号の連載コラム「唐沢俊一が選ぶアブナイ奇書」の中で芥川龍之介について触れた中で、
「最近の研究では、芥川の自殺は、妻子ある女性との不倫、その不倫相手が自分へのストーカーと化したことへの恐怖(中略)が原因と考えられている」
と書き綴っている。
しかし、日本では当時も現在も同姓婚は一切認められておらず、実際、芥川龍之介の不倫相手の女性には、夫と子供はいたが妻は当然のごとくいなかった。
誰の目にも分かりやすいインパクトという点において秀逸なこのガセビアは、ウォッチャーの間で大いにウケることになった。
3ヶ月ルール (さんかげつるーる)
解 説 発売後3ヶ月は書籍の論評を控えた方が良いとする、一般人どころか出版業界の人間でさえ誰も聞いたことがないルール。
「ごま書房新社」の見解として伝えられていたが、元々は

「本が流通して行き渡るまで内容を確かめる楽しみを読者から奪わないで欲しい。『3ヶ月』とはあくまで一つの目安で決まりきった期間は指していない」

という意味合いで発言されたものだった。
しかし芝崎淳はこれを悪用し、「唐沢俊一検証blog」に対する圧力要求の道具として活用していた。
この論理をマトモに適用すると、著書の刊行後間もない新聞の書評やアマゾンレビューなども軒並み営業妨害に該当するため自粛しなければならないとされることになるため、ネット上で多大な物議を醸すことになった。
サントク (さんとく)
解 説 東京都新宿区に本部がある株式会社三徳が経営するスーパーマーケット。
唐沢家行きつけのスーパーとして裏モノ日記で何度も名前が登場する。
唐沢家最寄の店舗は新中野店。
唐沢家ではサントクのタイムセールを狙って食品の買い込みが行われるため、夕食の時間が非常に遅い。
この遅い夕食が唐沢俊一の健康に悪影響を与えているのではないかと、ウォッチャー達の間では心配されている。
芝崎淳 (しばさきあつし)
解 説 唐沢俊一の新刊「スコ怖スポット・東京日帰り旅行ガイド(以下「スコ怖」)」のプロデューサーにして「と学会」の事務局長を務めていたこともある「と学会」会員。
2011年6月、日本トンデモ本大賞2011で先行販売されていた「スコ怖」の検証記事が「唐沢俊一検証blog」に掲載された。
これに対し芝崎淳は、「正式発売前の内容紹介は営業妨害にあたる」と「唐沢俊一検証blog」の管理人であるkensyouhan氏に抗議。
さらに「スコ怖」の刊行元である「ごま書房新社」が、kensyouhan氏の問い合わせに対し「出版社の権利関係上発売後3か月は書籍の論評を控えた方が良い」との見解を述べたことに乗じ、「唐沢俊一検証blog」に対し検証記事の公開自粛を求め始めた。
これに対しkensyouhan氏は、該当の検証記事を非公開にすることで対応したが、これに味を占めたのか、芝崎淳の暴走と要求は一挙に加速する。
芝崎淳はさらに、「スコ怖」とは全く何の関係もない、「と学会」のメーリングリスト問題に関係したエントリーの削除・データの破棄・情報提供者の氏名の提示を要求。
ついには、これまで刊行された唐沢俊一検証同人本の回収・ブログ自体の閉鎖までもが要求事項に追加されたのである。
これらの要求は「ごま書房新社」にも無断で行われたものであり、当の「ごま書房新社」からして「強圧的要求」と評するシロモノだった。
あまりに一方的過ぎる要求のため、kensyouhan氏は「当ブログの問題点を具体的に教えてくれれば対応する」旨を伝えたが、芝崎淳は「問題点が多すぎて指摘できない」と誠意のない回答を寄越してきたため、両者の交渉は決裂。
芝崎淳の要求に疑問を覚えたkensyouhan氏は、「と学会」の会長である山本弘に対しても芝崎淳の行動についての問い合わせを行ったが、山本弘は攻撃的な口調で対応した上、「芝崎氏の行動には何ら関与していない」「問題はあなたと芝崎氏の間で解決していただきたい」などという責任回避かつ事なかれ主義な回答に終始する始末だった。
さらに芝崎淳は、「山本会長はkensyouhan氏からコミケで謝罪をされた覚えがないと述べていた」などと事実関係を無視した証言をも披露していた。
唐沢俊一を擁護しようとするあまり言論弾圧的な所業に走った芝崎淳と「ごま書房新社」、そして「と学会」の代表でありながら責任回避に汲々としていた山本弘はウォッチャー達の嘲笑を買い、さらには「と学会」自体もまた、その評価を大きく下げることになった。
なお、芝崎淳はそれまで無名の存在だったためか、ウォッチャー達の間でも「柴崎」「柴田」と名前を間違える事例が続出した。
しばらくの間、笑 (しばらくのあいだ、わらい)
解 説 「うちの劇団」ことあぁルナティックシアターのブログ記事におけるコメント欄の中で唐沢俊一がのたまった新造語。
(しばらくの間、笑)とカッコをつけて書くのが正しい。
唐沢俊一はブログ「あぁルナ本公演「悪役照会」稽古場日誌!」の2010年4月4日付記事におけるコメント欄で、ウォッチャーのひとりから札幌時代のアニメファンとしての活動について質問された際、質問者の「その時代に札幌ではモンティ・パイソンは放映されてないとか」という文章について、

第一“あの時代モンティ・パイソンが放映されてなかった”って
(しばらくの間、笑)。
こんな人たちに経歴詐称だと言われてもマジに反論するのもアホらしいでしょう。

と「札幌では」の文言を意図的に省いて引用し罵倒を繰り出すというアクロバティックな離れ業をやってのけた。
この引用元の微妙な改竄と高飛車な罵倒は、当然のことながらウォッチャー達に格好のネタを提供することとなり、それに付随する嘲笑的表現である(しばらくの間、笑)も一躍流行語としてウォッチャー達の間で多用されるようになった。
社会派くんがゆく! (しゃかいはくんがゆく!)
解 説 アスペクトONLINEで連載されている唐沢俊一と村崎百郎の鬼畜系対談コラム。
その実態は、ただの鬼畜気取りの小人2名が鬼畜モドキな台詞を衝動のままにしゃべっているだけのシロモノでしかなく、しかも身内の問題についてはマトモなツッコミすらできないときている3流以下の家畜対談コラムである。
2007年末に本として刊行された「社会派くんがゆく!復活編」では、盗作問題の被害者たる漫棚通信氏をクレーマー扱いするサマを披露し、ウォッチャー達の怒りを買う結果となった。
その後もダラダラと連載は続いていたが、2010年7月23日、村崎百郎が自著の読者に刺殺され死去してしまい、なし崩し的に連載が中断したまま今に至っている。
謝罪のレベルを大きく超えた範囲の要求 (しゃざいのれべるをおおきくこえたはんいのようきゅう)
解 説 アスペクト刊「社会派くんがゆく!復活編」における『「新・UFO入門」事件顛末記』の中で、唐沢俊一が漫棚通信氏からなされたと主張している要求。
しかし、その要求の内容については一切触れられていない上、漫棚通信氏側は「唐沢俊一に対してそのような要求はしたことがないし、するタイミングもなかった」とこれを全面否定。
唐沢俊一が主張する要求とは一体何なのか、現在に至るも謎に包まれている。
ジュンク堂トークセッション中止問題 (じゅんくどうとーくせっしょんちゅうしもんだい)
解 説 2009年6月18日にジュンク堂書店池袋店で予定されていた、創出版刊「オタク論2!」発売記念トークセッションが中止された問題。
このトークセッションでは、「唐沢俊一検証blog」のkensyouhan氏が現地へ向かい、盗作問題について話を聞くと共に質問も行うことが事前に宣言されており、ウォッチャー達の期待を一身に集めると共に唐沢俊一の動向が注目されていた。
しかし、6月6日に行われた日本トンデモ本大賞では元気に出席してトンデモ本の紹介をやっていたはずの唐沢俊一は、日本トンデモ本大賞終了後に突然入院してしまい、その煽りを食らってトークセッションは中止されてしまった。
しかも唐沢俊一は、ジュンク堂トークセッションに関する開催および中止の情報を公式サイトでは一切告知しておらず、「最初からトークセッションは開催するつもりがなかったのではないか?」という疑惑と共に客に対する不誠実ぶりが批判されることになった。
その上結局、唐沢俊一はトークセッション予定日よりも前の6月15日には退院している上、退院直後から演劇の稽古をやっていたり、暴飲暴食を始めたりしているため、「トークセッションを中止する必要はなかったのでは?」という声まで上がる始末だった。
なお後日、唐沢俊一の入院報告およびその経過を記録した日記が公式サイトにアップされたが、入院した日付からして6月8日と6月10日に分かれていて一貫性がない上、その内容もガセだらけかつ信憑性が疑わしい記述に満ち満ちており、ウォッチャー達の笑いのネタとなっている。
縄文人は古墳を造った (じょうもんじんはこふんをつくった)
解 説 ラジオライフ2010年1月号の唐沢俊一連載コラム「唐沢俊一のトンデモ都市伝説探偵団」で披露されている縄文人論。
このコラムで唐沢俊一は、「4~5世紀頃の建造といわれる芝丸山古墳を縄文人が使っていた」という突拍子もない新説を発表した。
しかし、「縄文時代」というのは1万3000年前から紀元前4世紀までの時代のことであり、古墳が造られるようになったのはそれよりも後の時代である。
小学校高学年レベルの歴史的知識すら備わっていない唐沢俊一の常識感覚に、ウォッチャー達は感動のまなざしを送った。
なお、問題の文章はその後も全く訂正されることなく、ごま書房新社刊「スコ怖スポット・東京日帰り旅行ガイド」にそのまま収録されている。
「新・UFO入門」事件顛末記 (しんゆーふぉーにゅうもんじけんてんまつき)
解 説 アスペクト刊「社会派くんがゆく!復活編」に掲載された、漫棚通信からの盗作事件に関する唐沢俊一の見解を記したコラム。
このコラムでは、唐沢俊一および幻冬舎側から見た漫棚通信氏との交渉の経緯について書かれているが、この中で唐沢俊一は、漫棚通信氏が一連の交渉の経過と内容を公開しようとしたことに対して訴訟恫喝を敢行し交渉を決裂させた自分達の所業を
「これを認めると、今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例として相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない。私自身の反省や意識だけでどうこうという問題をすでに超えてしまったのである」
などという大仰な社会正義でも背負っているかのような論理でもって正当化を謀り、あたかも交渉決裂の原因および全責任が全て漫棚通信氏のモンスターな対応にあると言わんばかりの主張を展開した。
さらにその延長で、漫棚通信氏を支持する人達に対しても
「世の中には素直な人間が多いものである。大丈夫だろうか、そんなに素直で」
とこれみよがしに罵倒・挑発する発言すらやってのけた。
盗作事件の被害者たる漫棚通信氏にマトモな対応をせず交渉を決裂させたばかりか、得手勝手な屁理屈をこねてクレーマー扱いさえした唐沢俊一にウォッチャー達の怒りは爆発。これが盗作問題そのものよりもはるかに巨大な燃料投下となり、唐沢俊一検証は全面的に本格化、第二ステージへと突入することになる。
スーパーバイザー (すーぱーばいざー)
解 説 監督者、監修者を意味する言葉。
唐沢俊一はフジテレビ系列のバラエティ番組「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」にスーパーバイザーとして参加していた。
もう決して訪れることのない、唐沢俊一の今は亡き栄光の時代を飾る言葉である。
西理研 (せいりけん)
解 説 「唐沢俊一検証blog」がコミケに出店しているサークルの名称。
名前の由来は唐沢俊一のコミケ出店サークル名「東文研」を「東→西」「文→理」に変えたもの。
2009年夏のコミックマーケット76が初のサークル参加。
サークルでは、イケメンだが仏頂面のkensyouhan氏と、人当たりの良い美人3姉妹が訪問客を華やかに出迎え、ウォッチャーの間で好評を博している。
しかし、コミックマーケット78ではサークルに美人3姉妹の姿はなく、代わりに売り子を買って出た猫遊軒猫八氏の呼び込みが、小さからざる問題を引き起こすこととなる。
世界の三面記事・オモロイド (せかいのさんめんきじ・おもろいど)
解 説 2008年10月に勃発した唐沢俊一第二の盗作発覚事件における盗作被害者のブログ。
ラジオライフ2008年11月号の唐沢俊一連載コラム「唐沢俊一の古今東西トンデモ事件簿」第38回「作家と食人」で、該当ブログの2007年10月13日付記事からの盗作があることが発覚した。
この盗作は、問題を指摘した「唐沢俊一検証blog」のみならずJ-CASTニュースでも報道されることになり、漫棚通信からの盗作事件に次ぐ二回目の盗作発覚事件にまで発展する。
これに対し、唐沢俊一およびラジオライフ編集部は、前回の盗作発覚事件の時と同じく盗作の事実関係を否定し、これまた前回と同じ言い訳理論である「無断引用」論を使い回すことで事態の収拾を図った。
唐沢俊一の盗作事例は数え切れないほど無数に存在するが、二度にわたって盗作が報道されたという事実はさすがに前代未聞で、盗作側の唐沢俊一の周章狼狽ぶりはウォッチャー達の笑いを誘うことになった。
また、この騒動は意外な方向にも波及し、「と学会ML」では山本弘が提起した唐沢俊一の処分を巡り紛糾することになる。
世界ヘンタイ人列伝 (せかいへんたいじんれつでん)
解 説 東京三世社発行の雑誌「熱写ボーイ」2009年4月号から2010年9月号まで連載されていた唐沢俊一のコラム。
唐沢俊一はこの連載について公式サイト上で一切情報を出していない。
ロバート・ケネディ大統領というありえない間違いや、文章がごっそり抜け落ちているなどのミスが際立っており、編集のチェックが甘すぎるのではないかという疑惑の声が上がっていた。
東京三世社の営業停止に伴う掲載雑誌「熱写ボーイ」の休刊決定により連載は終了。
終了の際には、終了を知らせる簡略な告知さえも雑誌上では全く行われないという、まるで最初から存在すらなかったかのような扱われ方をされ、ウォッチャー達の憐憫の涙を誘……うわけもなかった。
ソルボンヌK子 (そるぼんぬけいこ)
解 説 唐沢俊一の妻で漫画家。
本名は唐沢景子。
謎の株式会社「東文研」の代表取締役。
かつては群馬県高崎市の創造学園大学の漫画コースにて講師を勤めていた。
夫である唐沢俊一の盗作問題についてはノーコメントを貫いている。






た~と行


大丈夫だろうか、そんなに素直で (だいじょうぶだろうか、そんなにすなおで)
解 説 アスペクト刊「社会派くんがゆく!復活編」における『「新・UFO入門」事件顛末記』の中で、唐沢俊一ウォッチャーに対して投げつけた喧嘩売りフレーズ。
件のコラムで漫棚通信氏をクレーマー扱いしたことはウォッチャー達の怒りを買うことになったが、それにさらに油を注ぐことになったのがこのフレーズである。
このフレーズは盗作事件その他のトラブルにおける唐沢俊一の対応の悪さの象徴として、以後、唐沢俊一を揶揄することを目的に、ことある毎に持ち出されることとなった。
ありとあらゆる詭弁を駆使して自分を守ろうとする唐沢俊一の隠されない本音の吐露はウォッチャー達を大いに笑わせてくれるのだが、大丈夫だろうか、そんなに素直で。
高森400円 (たかもりよんひゃくえん)
解 説 唐沢俊一シンパのひとりである自称漫画家・高森圭のニックネーム。
高森圭は「唐沢俊一検証blog」の管理人であるkensyouhan氏に対し、唐沢俊一の検証を止めるよう要求するメールをしばしば送信していた。
それが高じた挙句、2010年夏コミ開催直前には、

「夏コミ三日目にトラップをしかけました」
「逆にあなたの身の安全も確保してあるので安心して評論スペ参加してください。」

などというシャレにも何にもなっていない脅迫メールを送りつけるまでに至った。
折りしも村崎百郎刺殺事件が発生した直後ということもあり、高森圭はたちまちのうちに「マジモンのキチガイ」扱いされることとなり、kensyouhan氏自らコミックマーケット準備会に通報する事態にまで発展した。
また、高森圭自身も夏コミ1日目にサークル参加を行っていたが、その時の売上がわずか400円であったことからウォッチャー達の嘲笑が叩きつけられ、その栄誉を讃えて「高森400円」の名誉ある称号が賜られることとなった。
追討記事 (ついとうきじ)
解 説 訃報マニアの唐沢俊一が、死者を追悼すると称して書き綴った記事のこと。
元々唐沢俊一の有名人向けの追悼文は、そのいいかげんな知識と自分語りでファンの怒りを買うものが多かったが、2010年1月18日付の裏モノ日記の中で唐沢俊一はついに
「小林繁、浅川マキ、そして郷里大輔と訃報立て続け、とても追討記事、追いつけるものにあらず」
と、自分が書いている文章が「死者を悼む」のではなく「死者を追い詰めて討ち取る」ことを目的として作成している低劣な本音を明らかにした。
唐沢俊一が何故ああいう文章を書いているのかという長年の疑問に回答が与えられたウォッチャー達は、以降、唐沢俊一の追悼文を「追討記事」と呼ぶようになった。
また、2024年9月24日に唐沢俊一自身が死去した際には、弟である唐沢なをきから「追討文」が発表され、有終の美を飾った。
つくねバーガー (つくねばーがー)
解 説 唐沢俊一のメシ休み用の食べ物。
唐沢俊一的には、購入後、2日間バッグに押し込んだものを齧って食べるのが良いとされる。
衛生的な問題についてツッコんではいけない。
鉄砲豚玉 (てっぽうぶただま)
解 説 2009年夏のコミックマーケット76で「唐沢俊一検証blog」の出店サークル「西理研」を襲撃した、自称痛車評論家・ドラゴン山崎の別名。
コミケ76では、「唐沢俊一検証blog」のkensyouhan氏による、唐沢俊一への検証本贈呈が行われたが、その直後、唐沢俊一とドラゴン山崎の間で以下のような会話が交わされた。

山崎「検証ブログってもう来た?」
唐沢「あぁさっき来て本を置いていったけど、別になんともなかったな」
山崎「ちっ、そこに立ち会えたら面白かったのにな」
唐沢「しょせんその程度だよ」
山崎「じゃ、今度は俺が殴り込みにいきましょうか?」
唐沢「ぐははは、それおもしろいな」
山崎「マジ行っちゃいますけどぉ」
唐沢「あんましムチャすんなよ、ぐははは」

この会話が交わされた数分後、黄色いアロハのシャツを来たドラゴン山崎の姿が「西理研」サークルにお目見えした。
kensyouhan氏の姿を確認したドラゴン山崎は開口一番
「こんにちわっ! 遊びに来たよ! 俺のこと知ってるよね!?」
と、異様にテンションの高い声で、相手が自分のことを知っていて当然であるかのような前提で喚き散らしながらkensyouhan氏と握手を交わした。
その後、ドラゴン山崎は「西理研」の売り子の女性にも挨拶し、手を握り続けつつ意味のない会話を繰り出すという「これじゃ嫌われて当然だよ」と言わんばかりの迷惑行為を振りまき続けた。
当時「西理研」で不測の事態に備えていた藤岡真氏が見かねて間に割って入り、ドラゴン山崎を「西理研」サークルから引き離したが、ドラゴン山崎はあろうことか藤岡真氏に殴りかかる素振りを見せた。
藤岡真氏が防御の姿勢を取ると
「冗談冗談。本気で殴るわけないでしょ、平和的にいきましょう」
などと、本人以外には全く意味不明な挑発行為を行いつつ、藤岡真氏の肩に手を回し、
「ま、みんな頑張ってね」
と言い放って現場を後にした。
ドラゴン山崎が立ち去った後、現場ではドラゴン山崎の行為に失笑する声が、その場に居合わせたギャラリー達から沸き返っていた。
この間、ドラゴン山崎は一切自分の名を名乗らなかったため、kensyouhan氏はドラゴン山崎のことをただのトリッキーな一般客と勘違いしており、2chの唐沢俊一スレッドで話題になっているのを見て初めてドラゴン山崎の存在に気がついたという。
一連の顛末はドラゴン山崎自身、声を大にして認めるところであり、ドラゴン山崎のmixi公開日記でも同様の襲撃話が披露されている。
黙っていれば何事もなく終わっていたであろうコミケイベントでわざわざ笑いのネタを自ら率先して作り出し、3流ヤクザ映画の喜劇な鉄砲玉のごとき役回りを積極的に演じてのけたドラゴン山崎の功績は「鉄砲豚玉」という新名称の誕生と共に大いに讃えられ、それまで唐沢俊一検証の中では端役的な位置付けでしかなかったドラゴン山崎の名は、「お笑いキャラクター」として一躍不動の地位を確立するに至った。
なお、ドラゴン山崎を制止どころか煽りすらした唐沢俊一は、ドラゴン山崎の「西理研」サークル襲撃の間にコミケを離れており、こちらもまた
「鉄砲豚玉を突撃させている間に自分は逃げたか」
「ドラゴン山崎を止めないなんて唐沢はひどい。信じられない」
と非難を受けることとなった。
韜晦趣味 (とうかいしゅみ)
解 説 劇団「あぁルナティックシアター」運営のブログ上にて本人より披露された唐沢俊一の自称な趣味嗜好。
「韜晦」とは、自分の才能・地位・身分・行為などを包み隠し、人の目をくらますことを指す。
唐沢俊一は件のブログで記事をアップした際、自身の学歴問題について
「青山学院大学の卒論のタイトルと指導教官の名前を教えてください」
とウォッチャーのひとりから質問された。
それに対して唐沢俊一は、当初は無視を決め込んでいたものの繰り返し言及された末、以下のような説教じみた回答を返すに至った。

韜晦趣味、という言葉をご存知でしょうか。
海外の作家さんにはわざと自分の履歴をぼやかして、あちこち食い違いを残しておく人が少なくありません。
私にもその気があるようです。
(中略)
研究者なら、ファンというのなら、韜晦趣味の作家をつついてもあまり意味がない、とお気づきください。

しかし、実際の唐沢俊一は「韜晦」どころか、自分の日常や仕事について何でも日記や著書で言及するほどに地位も身分も行為も、さらにはP&Gな才能に至るまで何でも「露出」したキャラクターであり、学歴にしても「青山学院大学卒」と自ら率先して披露しているので「韜晦趣味」というあり方からは最もかけ離れた存在であると言える。
この唐沢俊一の回答後、ブログではツッコミが続出し、窮地に陥った唐沢俊一は、

これ関係も公演と関係ないので次から無視しますね~。
ちなみに、今、「こんなことはいいかげんにして原稿書いてください」と催促メールが(笑)。

などと今更のような回答で「韜晦」した。
せっかくの質問に正面から回答することなく「韜晦趣味」などを持ち出して逃げに徹した唐沢俊一の不誠実な言動により、唐沢俊一の学歴詐称疑惑は解消どころか、ますますもって混迷の度を深めることとなった。
東京警察病院 (とうきょうけいさつびょういん)
解 説 東京都中野区中野4丁目22-1にある病院。
元々は東京都千代田区富士見町に開設された病院だったが、2008年4月に現在の場所に新築移転した。
2009年6月のジュンク堂トークセッション中止問題の際、唐沢俊一が入院した可能性が最も高いとされる病院である。
東文研 (とうぶんけん)
解 説 正体不明の謎の株式会社にして、唐沢俊一のコミケ出店サークルの名称。
正式名は「(株)東京文化研究所」。
元々はコミケ出店サークルとしてのみ知られた名前であったが、2009年9月に唐沢俊一が裏モノ日記で特許自慢を行ったのをきっかけに株式会社でもあることが判明。
コミケの規則では株式会社の一般サークルとしての参加が禁じられているため、唐沢俊一の「東文研」名義での一般サークル参加が問題となった。
そのためかどうかは不明だが、その後行われたコミックマーケット77の審査で「東文研」は落選。唐沢俊一はコミケ不参加となっている。
さらにその次のコミックマーケット78では、唐沢俊一はそれまでの「東文研」ではなく「NO&TENKI商会」という名義でコミケの当選を果たしている。
ζ学会 (とがっかい)
解 説 山本弘が会長を務めていた、トンデモ本の選定・批評を行う日本トップクラスのキチガイ頭脳集団。
「ζ学会」の「ζ」はギリシャ文字「ゼータ」の小文字で、唐沢俊一ウォッチャーの間では「とんでも」の「と」として読まれる。
その陣容は会長を名乗っていた山本弘・運営委員だった唐沢俊一を筆頭に頭のおかしな人間ばかりが軒を連ね、特に唐沢俊一絡みの騒動における彼らの八面六臂な大活躍はまさに目を覆わんばかりの味わいがある。
今後もウォッチャー達に笑いのネタを提供すべく、その奇抜な活動に期待される集団である。
と学会バッヂ (とがっかいばっぢ)
解 説 2008年9月に起こった伊藤剛氏のNHK「BSマンガ夜話」ゲスト出演を岡田斗司夫によって降板させられた事件で、NHKの番組担当ディレクター・弓削哲矢が伊藤剛氏を訪ねた際につけていたバッヂ。
「バッジ」ではなく「バッヂ」と表記するのが正しい。
NHKの職員ともあろう者が何故「と学会」のバッヂを、しかも「と学会」と少なからぬ因縁がある伊藤剛氏の前でつけているのかが話題となり、一連の問題はJ-CASTニュースでも報じられた。
徳川家康 (とくがわいえやす)
解 説 日本の戦国武将・江戸幕府の初代征夷大将軍。徳川氏の祖。
唐沢俊一の紹介では、三河国岡崎が出生地なのに何故か駿河国の出身になっていたり、日光東照宮ではなく東京タワー直下にある増上寺が菩提寺にされていたりと、色々間違ったガセビアが振りまかれている不幸な人。
トテカワ&トテキモ (とてかわ&とてきも)
解 説 漫棚通信氏からの盗作事件で問題となった幻冬舎刊「新・UFO入門」の元担当編集者・山田京子を巡って考えられたニックネーム。
唐沢俊一は、山田京子に対して「トテモカワイイ」の略称「トテカワ」というニックネームをつけ、裏モノ日記で何度もしつこく言及していた。
その記述に辟易した唐沢ウォッチャーは、唐沢俊一の新しいニックネームとして「トテモキモチワルイ」を略した「トテキモ」という名称を与え、その栄誉を半ば投げやりに讃えた。
ともだち (ともだち)
解 説 2008年9月に起こった伊藤剛氏のNHK「BSマンガ夜話」番組降板問題の際、NHKの番組担当ディレクター・弓削哲矢が伊藤剛氏を訪ねる際に「と学会バッヂ」をつけていたというエピソードから考え出された、唐沢俊一および「と学会」関係者の宗教信仰のごとき人間関係を一言で表現するネーミング。
漢字の「友達」ではなく、ひらがなで「ともだち」と表記するのが正しい。
元ネタは1999年~2006年までビックコミックスピリッツで連載されていたマンガ「20世紀少年」に登場する「ともだち」。
伊藤剛氏の番組降板問題当時、実写化された「20世紀少年第一章」が映画館で公開されており、そのコミカルで不気味な演出とイメージが件の「と学会バッヂ」と重なったことから、唐沢ウォッチャーの間で一躍流行語として広まることになった。
唐沢俊一および「と学会」会員の内輪な人間関係、および両者と親しい人物を揶揄する意味で使われることが多い。
なお、「ともだち」から派生した「と学会」を揶揄する単語として
「ともだち互助会」
「BK(バードキング)団」
「山本怪鳥」
などがある。
トリビアの泉 (とりびあのいずみ)
解 説 フジテレビ系列のバラエティ番組。
元々は深夜枠で放送されていた番組だったが、深夜枠としては高い視聴率を記録し、2003年7月からはゴールデンタイムで放送されるようになった。
2006年9月の番組改編で放送は一旦終了したが、その後も特別番組扱いで断続的に放送されている。
唐沢俊一は一時期、この番組のスーパーバイザーとして参加しており、このスーパーバイザー時代が唐沢俊一の全盛期といえる。
ドンファン (どんふぁん)
解 説 プレイボーイの代名詞として使われる言葉。
2000年頃に立てられた初期の2ch唐沢俊一スレッドで、唐沢俊一の友人と称する人物が
「あのころの彼はまあ、ドンファンでしたよ」
と、学生時代の唐沢俊一が女性にモテていたと証言している。
証言者の言う通りに唐沢俊一が学生時代ドンファンであったかについての真偽は現在のところ不明。
なお、問題の投稿では「札幌在住の高名文学者の娘」が唐沢俊一のおっかけをやっていたと証言されているが、その後のウォッチャー達の追跡調査により、「札幌在住の高名文学者」が北海道在住の中国文学者・作家で北海道大学名誉教授の中野美代子であることが判明。また当時の裏モノ日記では「娘」ではなく「姪」と記載されていることも確認された。






な~の行


1/7 (ななぶんのいち)
解 説 唐沢俊一の心臓および頭でマトモに機能している部分の比率。
2009年6月に唐沢俊一が病院に行った際、レントゲンを見た医者から「心臓が通常人の1/7しか働いていない」と診断され、即時入院するよう通達されたという。
しかし唐沢俊一は、そんな身体でありながらその後タクシーで自宅を2往復して入院手続きを2回行ったり、入院中は果物をむさぼり食ったり、退院直後から演劇の稽古を再開したり暴飲暴食にふけったりと、診断内容から考えれば耳を疑わざるをえない行動を披露するに至った。
このことから、唐沢俊一の健康状態の不安と、その不安がありながら自身の健康について全く顧みることのない食生活を続ける唐沢俊一の節制のなさ、さらにはそんな状態で常にP&Gを世に送り込み続ける頭の具合を揶揄するフレーズとして「1/7」が多用されることになった。
なまくライター (なまくらいたー)
解 説 ミリオン出版から刊行された「怖い噂」VOL.4の紹介文から生まれた唐沢俊一の肩書。
「怖い噂」VOL.4では、「怖い本エトセトラ」というコーナーで「唐沢俊一検証本VOL.1盗用編」を紹介。
その時の紹介文の中で
「検証といえば、その膨大な知識量と徹底的な調査の度合いにおいてネット上で話題になったブログの書籍化『唐沢俊一検証本VOL.1盗用編』(kensyouhan編著、中野タコシェにて販売中)の凄みは、なまくらタレント・ライターを恐怖のどん底に突き落とす」
と「恐怖のどん底に突き落とされる【なまくらタレント・ライター】」として定義された唐沢俊一にウォッチャー達は大ウケ。以後、「なまくらなライター」と「なまくラでイターい人間」という2つの意味を込めた肩書として、唐沢俊一は「なまくライター」という肩書で呼ばれるようになった。
額田久徳 (ぬかだひさのり)
解 説 唐沢俊一が連載を持っていた雑誌「フィギュア王」の元担当編集者。
2009年10月~11月にかけて、裏モノ日記で全く同一の文章が複数日にわたって使い回される問題が2回も発生。以前に入院報告が行われた前歴もあり、唐沢俊一の頭の状態が心配された。
そのため、額田久徳氏は唐沢俊一のことを心配して直接問い合わせを行ったが、それに対して唐沢俊一は、2009年11月20日付の裏モノ日記で
「これですっかり寝端を失い、4時近くまで。迷惑な話である」
などという無礼な発言を叩きつけていた。
この唐沢俊一の対応を受けた額田久徳氏は、自身のブログで一連の経過を公開し、編集者としての立場から唐沢俊一の盗作問題を取り上げるようになった。
2010年2月には、唐沢俊一の「フィギュア王」連載コラム原稿使い回し事件に際して編集部に直接働きかけ、コラム連載の終了に一役買っている。
熱写ボーイ (ねっしゃぼーい)
解 説 東京三世社発行のエロ雑誌。
2009年4月号から2010年9月号まで、唐沢俊一はこの雑誌で「世界ヘンタイ人列伝」という連載コラムを担当していた。
東京三世社の営業停止に伴い、2010年9月で休刊となることが決定した。






は~ほ行


バーバラ・アスカ (ばーばら・あすか)
解 説 唐沢俊一の取り巻きのひとり。
本名は大内明日香。
娘がひとりいる。
出版評論社と私的に称して文筆業モドキな仕事に携わる傍ら、マクドナルドのアルバイトで生計を立てていたがクビになり、仕事が忙しい中で新しいバイトを探している。
2008年12月に若桜木虔との共著で「すべてのオタクは小説家になれる!」という本を刊行するが、山本弘に酷評された挙句、2009年度のトンデモ本大賞候補作品としてノミネートされた。
このノミネート選定を巡っては一騒動が持ち上がり、騒動の元凶だった唐沢俊一とは縁が切れるかと思われたが、その後再びヨリを戻し、唐沢俊一のひとり語りで構成された「博覧強記の仕事術」の編纂にも関わった。
容貌は「ソバージュをした岡田監督」。そのことから「ソバージュ岡田」「ソバ岡」というニックネームを冠されている。
ハッシー (はっしー)
解 説 唐沢俊一が入り浸っている劇団「あぁルナティックシアター」の座長・橋沢進一のニックネーム。
生年月日は1965年12月15日。
唐沢俊一は2009年12月13日付裏モノ日記の中で「あぁルナティックシアター」のことを
「私のようなユルユルのコメディばかりやっている劇団に関わっている人間が恥ずかしくもなる」
などと言い放ち、劇団の座長である橋沢進一の怒りを買った。
翌日の劇団での稽古終了後、
「金がないから今日は帰る」
と不機嫌な態度で自分に接した橋沢進一を見てうろたえた唐沢俊一は、橋沢進一44歳の誕生日を祝う2009年12月15日付裏モノ日記で必死にヨイショ記事を書き綴ってご機嫌を取り、ウォッチャー達から生暖かい目で見られることになった。
母の室 (ははのへや)
解 説 唐沢俊一の母親が生活している部屋のこと。
唐沢俊一は2006年11月28日付の裏モノ日記で、「室」という書き方を田川水泡の「蛸の八ちゃん」で覚えたが、「へや」と読むのか「しつ」で良いのかで37年以上も悩んでいることを告白している。
ただその一方で、裏モノ日記には「母の部屋」と素直に表記されている記事もあることから、唐沢俊一的には「室=へや」として読まれているのではないかと推察されている。
ここで唐沢俊一が食事を取っている様子が、裏モノ日記でしばしば書き綴られている。
P&G (ぴーあんどじー)
解 説 アメリカ合衆国に本拠を置き、「暮らし感じる、変えていく」をキャッチコピーに洗剤や化粧品などの製造販売を行う世界最大の一般消費財メーカー「プロクター・アンド・ギャンブル」の略称。
…………ではもちろんなく、唐沢俊一の文章から頻出するパクリ&ガセの総称。
唐沢俊一の検証過程では、あまりにも多くのパクリネタとガセネタが休む間もなく頻出し続けたため、その実態を一言で表現できるキャッチフレーズが必要と考えられるようになった末、「プロクター・アンド・ギャンブル」の略称P&Gと語呂を合わせる形で作成された。
その使い勝手の良さと分かりやすさから、唐沢俊一ウォッチャーの間では広く愛用されている。
藤岡真 (ふじおかしん)
解 説 漫棚通信氏からの盗作事件以降、唐沢俊一の動向を追っているミステリー作家。
「藤岡真blog」の管理人。
漫棚通信氏からの盗作事件の際には、山本弘に対して「と学会」としての公式見解を問うメールを送付し、「ケアレスミスという釈明を信じる」の迷回答を得た。
その後一旦は唐沢俊一のウォッチを止めていたが、アスペクト刊「社会派くんがゆく!復活編」における『「新・UFO入門」事件顛末記』をきっかけに再びウォッチを再開。
さらにその後、今度は唐沢俊一本人に対して盗作事件についての問い合わせメールを送付したところ、唐沢俊一は藤岡真氏への返信で挑発的な表現を駆使して喧嘩を売ってきたため激怒。以後、精力的に唐沢俊一の検証活動を行っている。
そして2008年8月、大阪の岸和田にて行われた「DAICON7」でのイベント「大阪国際児童文学館の収蔵物を語る」に参加した藤岡真氏は、同イベントに参加していた唐沢俊一と直接対面し、さらに上戸ともひこ氏のmixi日記に降臨した唐沢俊一とバトルを繰り広げた。
2009年8月に行われたコミックマーケット76では、「唐沢俊一検証blog」のコミケ出店サークル「西理研」に藤岡真氏も顔を出し、不測の事態に備えてサークルの様子を見届けた。
唐沢俊一検証における重要人物のひとりと目される存在である。
訃報 (ふほう)
解 説 人が死んだという報せのこと。
唐沢俊一は、有名人の訃報がニュースで報じられる度に追悼文を書き綴り、有名人の訃報をネタにした同人誌を製作したり、mixiで訃報を専門に扱うコミュニティに参加したりするなど、熱心な「訃報マニア」としての一面を持つ。
だが、ここで書かれる追悼記事も唐沢俊一の著書と同じくP&Gまみれな惨状を呈しており、またここぞとばかりに自分褒めのための宣伝を行うため、訃報が報じられた有名人のファンからの怒りを買っている。
芳醇な文章 (ほうじゅんなぶんしょう)
解 説 バーバラ・アスカが唐沢俊一のP&Gな仕事を評した言葉。
バーバラ・アスカは、「すべてのオタクは小説家になれる!」の2009年トンデモ本対象ノミネート選定騒動の後、一旦は最悪の関係となった唐沢俊一とヨリを戻すべく活動を行い、唐沢俊一に対するオベンチャラを並べる作業に従事した。
そして苦労の末、何とか以前の関係に戻ることに成功したバーバラ・アスカは、狂喜乱舞のあまり筆が滑り、唐沢俊一の原稿を
「ああいった芳醇な文章は、私にはとても書けません」
とまで絶賛するに至った。
唐沢俊一のどこがそんなにスバラシイのか、また何故あんなのと人間関係を維持し続けなければならないのか、余人には全く理解できない話ではあるのだが、あ、惚れたな、と聞いていてもわかった(笑)。
暴力は恐れません (ぼうりょくはおそれません)
解 説 2008年8月に唐沢俊一が上戸ともひこ氏のmixi日記に降臨した際、同じく降臨した藤岡真氏に対して言い放った捨て台詞。
これに先立つDAICON逃走事件ですでに醜態を晒していた唐沢俊一は、ここで劣勢を挽回しようとでも考えたのか、他所様の家でひたすら逃走の言い訳を展開。そこに藤岡真氏が降臨すると、今度は
「すいません、私、暴力をにおわせるメールよこして人を脅かそうとするようなメンタリティの人間のところに書き込んだりする主義は持たないのです」
などと藤岡真氏に言い放った挙句、mixi日記から撤退する際には
「あと、暴力は恐れません。連れてくる人間の空手の段数まで書き込むような幼稚な方とは席を同じうはできないなと考えるまでです」
という言葉で締めくくった。
下手な虚勢を張ったことで、本人の意図とは逆に「暴力に対する恐怖」を読む側に伝えてしまったマヌケな唐沢俊一の言動は、多くのウォッチャー達の感動を呼ぶことになった。
ホッピー (ほっぴー)
解 説 ホッピービバレッジ株式会社が1948年に発売した麦酒様清涼飲料水。
唐沢俊一の好物で、裏モノ日記で愛飲している様がしばしば記載されている。
本を捨てる! (ほんをすてる!)
解 説 2010年3月19日に朝日新聞出版より刊行予定だった唐沢俊一の著書名。
そのあまりにも悪い意味でインパクトがありすぎるタイトル名と、担当編集者が「新・UFO入門」の時と同じトテカワこと山田京子だったことから、刊行予定の発表と同時にウォッチャー達の間で一躍話題の本として取り沙汰された。
ところが裏モノ日記ではこの著書絡みの執筆の様子や原稿渡しなどといった記述が一切なく、また唐沢俊一の公式サイト上でも新刊発表が一切なかったことから、不安に駆られたウォッチャーのひとりが朝日新聞出版に直接問い合わせたところ、
「発売が延期になりました。正式の発売予定日はまだ決まっておりません」
との回答がもたらされた。
オンライン書店「e-hon」などでは刊行を前提とした予約受付まで始まっていたことから刊行自体は確実に行われるであろうと見られていただけに、刊行直前になっての発売延期は様々な憶測を生むことになった。






ま~も行


マッコリ (まっこり)
解 説 韓国の大衆向け醸造酒。日本のどぶろくに相当する。
唐沢俊一の好物で、裏モノ日記で愛飲している様がしばしば記載されている。
漫棚通信 (まんだなつうしん)
解 説 唐沢俊一のP&G大量生産伝説の起源となった、唐沢俊一による第一の盗作発覚事件の被害者。
2007年6月4日、幻冬舎刊「新・UFO入門」を閲読していた漫棚通信氏は、自身のブログからの盗用があることを発見、唐沢俊一宛に抗議のメールを送った。これが読売新聞・産経新聞・週刊新潮で報じられ、唐沢俊一の盗作が初めて世間一般に知れわたることになる。
だが、この盗作事件の本当の問題は盗作発覚後における唐沢俊一および幻冬舎側の対応にある。
抗議メールを受けた唐沢俊一および幻冬舎の対応は素早く、漫棚通信氏のブログを「大いに参考にさせていただいた」ことは認めたが、唐沢俊一はあくまでも「無断引用」「ケアレスミス」であったと主張し、盗用の事実については全面否定。
この対応に納得できないでいる漫棚通信氏を尻目に唐沢俊一は交渉の全権をさっさと幻冬舎に全面委託。以後、漫棚通信氏と幻冬舎による交渉が行われることになった。
漫棚通信氏は1ヶ月以上も粘り強く交渉を続け、紆余曲折を経て7月13日頃にはとにもかくにも交渉はまとまり、以下の合意が一旦は成立する。

(1)「新・UFO入門」の幻冬舎社内在庫分の断裁。
(2)問題部分を書き直した版を至急作成し、刊行する。差し替え部分については漫棚通信の確認、了解を取る。
(3)書き直された「新・UFO入門」にその理由文を付記する。
(4)ネット上に謝罪文を掲載する。期間は六か月。
(5)漫棚通信に対する文書による謝罪文の提出。
(6)漫棚通信は慰謝料の請求をおこなわない。
(7)唐沢俊一および幻冬舎は、漫棚通信による交渉の経過と内容の公開を容認する。

この時点で、後は合意の履行だけで問題は解決する、という状態になっていた。
ところがそれから10日以上経った7月24日、幻冬舎側はこれまでの合意を全て白紙に戻すよう漫棚通信氏に対し一方的に通告、さらに交渉の経過・内容および通知文書を外部に公開した場合、法的措置を取るという訴訟恫喝まで行ってきたのである。
盗人猛々しい上に突然のこの通告に直面した漫棚通信氏は交渉継続を断念。その旨を幻冬舎側に伝え、かくして両者の交渉は決裂となった。
その後、唐沢俊一および幻冬舎はそれぞれ独自に盗作事件への対応を行ったが、それは被害者たる漫棚通信氏の了解を得たものとはなっておらず、この盗作事件は今も尚解決していない。
緑色の変な生き物 (みどりいろのへんないきもの)
解 説 2009年9月に開催された劇団「あぁルナティックシアター」の演劇イベント「ホラリオン2」千秋楽における唐沢俊一の配役。
「緑色の怪物」、または簡略に「緑色」とも呼ばれる。
この演劇で唐沢俊一は「宮崎県の変な生き物」という配役で出演したが、それは緑色の全身タイツを着用した帽子男が「クエーッ、クェックェッ」「パオーッ!」と叫びながら女の子に飛びつくという何とも奇妙奇天烈なシロモノだった。
下記がその時に撮られた画像である。
緑色の変な生き物 その1緑色の変な生き物 その2緑色の変な生き物 その3

裏モノ日記では「あぁルナティックシアター」を「うちの劇団」呼ばわりするほど大物ぶっている唐沢俊一の、演劇のド素人丸出しな端役ぶりと滑稽なコスプレ姿にウォッチャー達は大爆笑。
以後、「緑色の変な生き物」というキャラクターは、唐沢俊一のステータスシンボルとして定着するに至った。
眠田直 (みんだなお)
解 説 「と学会」会員にして「オタクアミーゴス」のメンバー。
本名は太田宏一朗。
ネット上では「mindy9」というHNを名乗っている。
「オタクアミーゴス」の3人の中では最も知名度がなく、唐沢俊一・岡田斗司夫の腰巾着的な役割を担っている。
2008年9月に起こった伊藤剛氏のNHK「BSマンガ夜話」番組降板問題の際には、伊藤剛氏のブログに直接乗り込み、「mindy9」のHNを使い罵倒を展開する荒らし行為を行った。
この書き込み当時は眠田直の名を騙る偽物の仕業であるとされていたが、2009年7月、「唐沢俊一検証blog」のkensyouhan氏による「と学会ML」の過去ログ部分公開により、この「mindy9」が眠田直本人であることが立証され、眠田直は非難に晒されることになった。
またその際、眠田直の伊藤剛氏ブログの荒らし発言を受けた山本弘も、

あ、あかん、こいつほんまにバカや(^^;)
「バカ」と言われただけで、いちいち「発信者の確認」って……そこまで過剰反応するかー。

と眠田直の発言に便乗した陰口を叩いており、そのことをkensyouhan氏に暴露された山本弘は、kensyouhan氏に逆ギレな八つ当たりをしながら、自業自得な後始末の対応に追われることになった。
なお、かつては日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の事務局長に太田宏一朗の名が記されていたが、現在ではJAniCAから送付されるメールマガシンから太田宏一朗の名が無くなっていることが確認されている。
むしろラッキー (むしろらっきー)
解 説 コミックマーケット77の落選を確認した唐沢俊一が放った喜びのお言葉。
唐沢俊一のコミケ出店サークル「東文研」は、2009年9月に株式会社であることが判明しており、また前回のコミケ76の際にドラゴン山崎を煽りたてた件もあったことから、コミケ77の当選は当初から疑問視されていた。
案の定、「東文研」はコミケ77で落選していたが、その事実に対し唐沢俊一は
「しかし今年は公演の稽古しながら同人誌づくりはまあ無理だし、公演あとも予定ぎっしりだし、スタッフは産休だし、むしろラッキーだったかもしれぬ」
などとのたまい、コミケ落選をむしろ喜ぶ始末だった。
しかも「同人誌づくりはまあ無理だし」などと言っておきながら、コミケ77出展用の同人誌はしっかり製作されており、別のコミケ出店サークル「アンド・ナウの会」にて販売も行われていた。
唐沢俊一がコミケ77に参加していた場合、「唐沢俊一検証blog」のkensyouhan氏による2回目の検証本贈呈が行われたのは確実であり、その姿がウォッチャー達の目に晒されるのは必至だったことから、コミケ落選をこれ幸いと喜んでいたのではないかと推察されている。
なお、落選していなければ参加していたであろうコミケ77最終日の大晦日当日、「むしろラッキー」な唐沢俊一は終日家の大掃除とゴミ捨て作業に慌しく奔走していたという。
無断引用 (むだんいんよう)
解 説 盗作行為における唐沢俊一御用達の言い訳理論。
引用を無断でやっただけだからこれはケアレスミスであり、よって盗用ではないという結論に誘導するために編み出された用語である。
漫棚通信からの盗作事件、および世界の三面記事・オモロイドからの盗作発覚事件の際に積極的に活用された。
しかし盗作と違い、引用は元々無断でするものであり、それ自体は正当な行為である。
村崎百郎 (むらさきひゃくろう)
解 説 アスペクトONLINEで連載されている鬼畜系対談コラム「社会派くんがゆく!」における唐沢俊一の相方。
唐沢俊一の盗作問題が発覚した当時、「唐沢俊一が悪い」というスタンスを比較的早い段階で公表し、連載時にカットされた盗作問題に関する発言を掲載すると公約。
しかしその後、公約が一向に履行されない点や、唐沢俊一の知ったかぶりな寝言をフォローする発言がしばしば繰り出されるなどといった問題が、ウォッチャー達の間でたびたび物議をかもしてきた。
そんな中で2010年7月23日、自著の読者に住所を洗い出されて自宅に押しかけられて刺殺され、48歳で死去。
相方であった唐沢俊一はここぞとばかりに「追討文」を自サイトに掲載した。
村崎百郎の死に伴い、「社会派くんがゆく!」の今後の連載がどうなるかが注目される。
明治安田生命 (めいじやすだせいめい)
解 説 東京都千代田区に本社を置き、四大生保の一角を占める、日本最初で最古の生命保険会社。
この会社の営業企画部から隔週刊毎に一括送信されているメールマガジン「明治安田ホットニュース」に、唐沢俊一が「唐沢俊一のオフィスの雑学」なる2ヶ月に一度の連載を持っていることが、ウォッチャー達の追跡調査により判明している。
「明治安田ホットニュース」は明治安田生命の個人契約者向けに配信されているが、それ以外の人でも、個人契約者からの紹介があれば購読することができる。
メディアファクトリー (めでぃあふぁくとりー)
解 説 唐沢俊一が連載を持っている雑誌「幽」、および唐沢俊一初の長編小説「血で描く」の版元出版社。
2009年6月の唐沢俊一入院日記の中で、唐沢俊一がメディアファクトリーの担当編集者にポメラで書いた原稿を渡そうとしたところ、
「ここの編集部ではmicroSDが使えない」
という返答が返ってきたことから、
「カードリーダーも持ってないのか」
「そこの編集部はどれだけ遅れてるんだよ」
とウォッチャー達に笑いを提供することになった。






や~よ行


山本弘の長文 (やまもとひろしのちょうぶん)
解 説 「と学会」会長・山本弘が、唐沢俊一の盗作問題について書くと公約している文章。
2008年9月に起こった伊藤剛氏のNHK「BSマンガ夜話」番組降板問題の際に起こった「と学会バッヂ」問題について伊藤剛氏がブログで記事にしたことについて、山本弘は自身のブログで「と学会」としての公式見解を述べるための記事をアップしたが、その際、コメント欄にて
「唐沢氏の盗作問題にも一言お願いします」
という書き込みが行われた。
これに対し山本弘は、
「その問題については「一言」ではコメントできませんので、いずれ別のエントリーで長文でお答えさせていただきます」
という旨のコメントで返答し、唐沢俊一の盗作問題について言及する姿勢を明らかにした。
しかしその後、唐沢俊一の盗作問題について山本弘が公の場で言及した形跡は一切なく、公約は未だ果たされていない。
伊藤剛氏は「と学会バッヂ」問題の記事の中で「と学会」および山本弘のダブルスタンダードな態度について言及・批判しているが、自分の公約について沈黙を守る山本弘の言動は、はからずも伊藤剛氏の批判が正当なものであることを実地で証明するものとなった。
なお、山本弘の公約宣言後、「と学会ML」で唐沢俊一の処分について討議が行われたものの、ゴタゴタの末に結局処分は撤回されていたことが「唐沢俊一検証blog」のkensyouhan氏による「と学会ML」の過去ログ部分公開で明らかとなっている。
ゆうこりん (ゆうこりん)
解 説 山形大学准教授にして「と学会」会員番号110番である天羽優子の愛称。
もちろん、女性タレントの小倉優子とは全く何の関係もない。
2009年5月、2009年度トンデモ本大賞の候補作品にバーバラ・アスカの本がノミネート選定されたことについて一騒動が持ち上がり、「唐沢俊一検証blog」でネタとして取り上げられた際、天羽優子は自身のブログで「唐沢俊一検証blog」の記事に対して言及。
その文章がおよそ支離滅裂なシロモノだったことに加え、天羽優子が「と学会」の会員だったことから、唐沢俊一ウォッチャー達の間では「こいつはネタとして遊べる」と天羽優子の言動が注目されるようになった。
ここで天羽優子の愛称として「ゆうこりん」という新ニックネームが誕生すると共に、一部のウォッチャー達が天羽優子のブログで直接意見を述べに遠征する事態にまで発展する。
そのウォッチャー達の期待に天羽優子は見事に応え、相手からの質問や指摘に対して「私は知らない」「私は関係ない」「私に聞くな」という三種の神器を絶叫しながら振り回す姿は、当事者をも含めたウォッチャー達に多大な失笑をもたらすこととなり、無名の存在から一躍お笑いネットアイドルとしての地位を確立するまでに至った。
また2009年7月に「唐沢俊一検証blog」で「と学会ML」の過去ログ部分公開が行われた際にも、よせば良いのにまたも無用の口を差し挟んでしまい、そのあまりのトンデモ言動の数々にまたしても自身のブログにウォッチャー達を自ら進んで招き入れる事態となっている。
天羽優子ことゆうこりんには、今後もその言動で大いに楽しませてくれることが、ウォッチャー達の間で期待されている。
夢日記 (ゆめにっき)
解 説 唐沢俊一が睡眠中に見る夢の内容が描写されている文章のこと。
唐沢俊一はしばしば裏モノ日記で自身が見た夢の内容を記述している。
常日頃はP&Gを披露しまくる唐沢俊一が、夢日記では夢の中で聴いたという歌詞の内容を一字一句間違えずに書き綴ったり、一度夢から目覚めた後に再度同じ夢に戻って続きを見ることができるなど、卓越した能力を発揮する様が描かれている。
酔いを調節 (よいをちょうせつ)
解 説 唐沢俊一が実践している酒酔いのコントロール法。
裏モノ日記でしばしば登場する表現。
その文脈から素直に解釈すると「酔い醒ましの一種」となるはずだが、肝心の「酔いの調節」に際しては、定番である冷水などではなく、焼酎割りなどに利用されるホッピーがよく多用されている。
ホッピー自体は基本的にノンアルコールだが、焼酎をホッピーで割った飲み物も同様に「ホッピー」と呼ばれることや、アルコール含有のホッピーも売られていることなどから、唐沢俊一が飲むホッピーもアルコール入りのそれであろうと、ウォッチャー達の間では推察されている。
酔い醒ましで酒を飲むという方法は通常ではありえないため、実際には「酒の飲み直しを言い換えただけ」なシロモノであろうと考えられる。






ら~ろ行


ラジオライフ (らじおらいふ)
解 説 三才ブックス発行の雑誌。
唐沢俊一はこの雑誌で「唐沢俊一の古今東西トンデモ事件簿」というコラムを連載した経歴があり、同雑誌2008年11月号では第二の盗作発覚事件を引き起こした前科がある。
その後、唐沢俊一の連載コラムは「唐沢俊一のトンデモ都市伝説探偵団」と装いも新たにリニューアルされ続けられていた。
盗作発覚事件まで引き起こされたラジオライフ編集部が何故唐沢俊一を起用し続けるのか誰にも分からないまま、ラジオライフの無駄な努力と謎の奮闘は1年の長きにわたって続けられていたが、あまりの不毛な行為にさすがの「ラジオライフ」も根を上げたのか、ついに2010年12月号をもって唐沢俊一の連載は完全に終了。
以後、唐沢俊一と「ラジオライフ」の関係は切れたままである。
裏亭 (りてい)
解 説 唐沢俊一がSNSサイト「mixi(ミクシィ)」で名乗っているHN。
唐沢俊一はmixiを頻繁に閲覧していることが知られており、2009年6月の入院の際にも平時と同様かそれ以上の閲覧形跡があることが確認されている。
ロバート・ケネディ大統領 (ろばーと・けねでぃだいとうりょう)
解 説 東京三世社発行の雑誌「熱写ボーイ」2009年11月号の唐沢俊一連載コラム「世界ヘンタイ人列伝」第8回「ボストン絞殺魔-謎の二重人格殺人者-」に掲載されていたアメリカ第35代大統領の名前。
以下、問題箇所の記述。

ボストン警察は徹底してこの犯人にふり回された。アメリカは実はこの時、大変な騒ぎになっていたのだ。捜査が続行していた最中の1963年11月23日、ロバート・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたからであった。国中がその悲しみに包まれている中、犯人はそんなことにおかまいなしに、その葬儀が執り行われた翌23日にも殺人を犯した。

最も有名なアメリカ大統領であるジョン・F・ケネディの名前を間違える、11月23日がエンドレスに続く時間概念など、そのあまりに桁外れなガセネタぶりは、唐沢俊一ウォッチャー達のみならず各出版社の編集者達にも大きな衝撃を与えた。
さらに問題のコラム自体も「殺人博物館」というサイトのパクリであることが「唐沢俊一検証blog」の検証により判明。見事なP&Gを達成するに至った。
ロバート・ケネディ大統領の名は、唐沢俊一の一般知識が問われる事例として「ワシントン殺人事件」と並ぶ地位を獲得することとなった。
ロフトプラスワン (ろふとぷらすわん)
解 説 東京都新宿区にあるトークライブハウス。
かつて唐沢俊一はここで、著作権違反の疑いがある司馬遼太郎の朗読会イベントを開催しようとして中止されたり、自身の蔵書を売り飛ばすイベントを執り行ったりした経歴がある。
2010年1月、唐沢俊一ウォッチャーのひとりである猫遊軒猫八氏が「唐沢俊一検証イベントは開けないだろうか」とTwitter上にて軽く提案したところ、ロフトプラスワンの関係者から本当に唐沢俊一検証イベント開催の依頼が舞い込んでくるという出来事があった。
ところが、その交渉の経緯を猫遊軒猫八氏がネット上に公開した途端、ロフトプラスワン側は態度を一変。自分から行ったイベント依頼を白紙撤回すると共にネット上に掲載した情報も全て削除するよう猫遊軒猫八氏に圧力をかけ、イベント開催記事を削除させてしまった。
この騒動は、ロフトプラスワンの評価を著しく低下させると共に、却ってウォッチャー達のやる気を奮い立たせ、半ば冗談話だったはずの検証イベント開催が本格的かつ真剣に検討されるきっかけとなった。






わ~ん行


ワシントン殺人事件 (わしんとんさつじんじけん)
解 説 2007年11月26日放送のテレビ朝日系列番組「Qさま!」で起こった唐沢俊一の珍回答事件。
この日、「Qさま!」の名物企画「プレッシャースタディ」に文化人として出演していた唐沢俊一は、「歴史上の人物を漢字一文字で表せ」というクイズでジョージ・ワシントンが出題された際、他の解答者が「桜」「米」「初」「大」などといったワシントンに関係する漢字を書いていた中、何を考えたのか「殺」の一文字を回答した。
唐沢俊一の回答は番組の中でも多数のツッコミが入れられ、ヤングチームの芸能人からは「この人殺されたんですか?」という質問が投げられ、司会進行の男性アナウンサーも「このヒントはあてにならないかも知れません」とコメントし、ついには「この偉人は暗殺されてはいません」というテロップまで出される始末だった。
他にも唐沢俊一は、算数の計算式の穴埋め問題で失敗し「す、すみません……」と力なく謝る姿をTVの前に晒している。
だが唐沢俊一はこの間違いに対し、番組収録後の2007年11月7日付裏モノ日記の中で
「ひねりすぎて、ちょっと見には間違えているような回答をしてしまう」
と言い訳じみたコメントを行い、さらに番組放送後の2007年12月2日付裏モノ日記では、
「あれはもう、扱いに腹が立って超いいかげんにやって帰ったんです」
と前の日記のコメントと全く異なる虚勢な主張を披露した。
常日頃から雑学の知識を吹聴している唐沢俊一がTV番組の中で一般常識レベルの問題をミスって醜態を晒したこと、それに対してロクでもない言い訳を繰り返したことがウォッチャー達の間で大いに受けることになり、一連の騒動は「ワシントン殺人事件」と呼ばれることになる。
その後、アスペクト刊「博覧強記の仕事術」においてこの問題について再び触れられており
「あいつは何でも知っているだろう、とよくクイズ番組などからお誘いがかかる。一度出てみたのだが、簡単な常識クイズにすら答えられないありさまで、嫌になって今では全部断わっている」
と、「素で間違えていた」ことを唐沢俊一自身が告白していることが明らかになっている。
私のハートはドイツ製 (わたしのはーとはどいつせい)
解 説 2007年2月23日付裏モノ日記に掲載された、唐沢俊一が夢の中で聴いたと称する歌。
夢であったにもかかわらず、唐沢俊一は何故かその歌詞の内容を一字一句間違うことなく「正確に」記憶するという離れ業を達成している。
歌詞の内容は以下の通り。

高度400メートルから落としても平気なのよ 私のハートは傷つかない
だって私のハートはドイツ製 だって私のハートはドイツ製 ドイツの製品は傷つかないのよ
恋をするならドイツのハートが最高よ

重量20トンのトラックに轢かれても大丈夫よ 私のハートは新品同様
だって私のハートはドイツ製 だって私のハートはドイツ製
ドイツの製品は頑丈無比よ 恋をするならドイツのハートが最高よ

このあいだアメリカ軍がやってきて バズーカ砲の的に私のハートを使ったわ
だけど将軍もあきれてた 私の胸にはかすり傷ひとつつかなかったのよ
やっぱりドイツのハートは世界一なのよ

だから失恋も大丈夫 冷たくされても平気
あきらめずどこまでもついていく 私のハートは私のハートは
ドイツ製なんだもの





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