最近は岡田斗司夫との掛け合い漫才(+ゲストの鼎談)が好評の山本氏だが、なんとついに作ったようです、公式HPを。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/index.htm
このHPの初期、「山本氏は田中氏を『と』評価するのかしないのか?それはなぜか?」で盛り上がったものですが、いつかネット上で接近遭遇するかもしれませんね。おもしろい。
僕は「銀英伝評価」の「アンチ田中」です。このサイト大好きで以前からカキコしたいとは思っていたのですが、もともとわたしゃアホなので手が出せず...ふう(^^;
さっき友達からメール来て、「山本弘のSF秘密基地」で掲示板に書き込んだところ本人からこんなレスもらったぞな、とURLが送られてきました。貼りたくないので、山本弘のレスをここに要約してみますです。直接見たい人は検索してくらはい。
「僕は田中氏の科学的知識の欠落は擁護しない。しかし『世界』をつくったSFとして銀英伝は評価すべきだと思う。また、作家は嘘をつくのが商売なので、例えば創竜伝を読んで『田中はこんな馬鹿本気で信じているのか』と鵜呑みにするのはいかがなものか(こっからオレの解釈:→鵜呑みにする読者が悪い)」
...これってみなさんどう思いますか?あの、あの、おれが山本の発言ねじ曲げたと思われるのやだから、なるべく元ネタみてちょうだいね。
てやっ!さんはじめまして。
> 「僕は田中氏の科学的知識の欠落は擁護しない。しかし『世界』をつくったSFとして銀英伝は評価すべきだと思う。また、作家は嘘をつくのが商売なので、例えば創竜伝を読んで『田中はこんな馬鹿本気で信じているのか』と鵜呑みにするのはいかがなものか(こっからオレの解釈:→鵜呑みにする読者が悪い)」
> ...これってみなさんどう思いますか?あの、あの、おれが山本の発言ねじ曲げたと思われるのやだから、なるべく元ネタみてちょうだいね。
上記の通り山本弘氏は「『創竜伝』はエンターテイメントなんだから勢いを楽しめ、整合性なんか考えるんじゃあない」と極論すれば宣言している訳ですね。
で、てやっ!さんは御存知と思いますが映画「アルマゲドン」のある意味演出効果であるハッタリ(例:世界中の中枢都市を『狙ったように』落ちてくる大隕石)を「ありえない、頭悪い、面白いけどバカ芸の類」と掲示板上で評価する訳です(けっこうな顰蹙も一部にあったようですが)。
そこにはやはり「評価対象の作為的選択」があるでしょうね。
ただし山本弘氏は御自分の掲示板で御自分の名前でやっておられる訳でその点では「言論の自由」を行使する権利があると思います。
ただしそういう評論姿勢や、その掲示板での(私の主観ですが)ささやかな異論相手の「疑問があるなら見るな聞くな」的対応はその言説の妥当性や正当性を疑わしくするのではなかろうかとは感じます。
以前に私がタナウツ掲示板にて行った山本弘関連の投稿についてですが、それに対して山本弘掲示板の方で何やら反応があったようです。どうやら私の投稿(No.3951)をあちらの掲示板に転載した人がいたらしく、それに対して山本弘本人をはじめとする幾人かが反論を返しているという図式です。
その詳細および全容については、No.3950に記載しておいた「田中芳樹問題スレッド」のリンクを参照してもらうことにして、ここでは山本弘本人の投稿のみを再び取り上げてみたいと思います。
あちらの掲示板に掲載された山本弘の投稿内容は以下の通りです。ちなみにここで名前が挙がっている「asai」というHNの人が、私の投稿を転載したようです。
No.9599 - 2003/04/23(Wed) 11:46
Re: 田中芳樹問題 / 山本弘
asaiさん、こんにちは。
まず最初に警告しておきます。あなたの発言は不必要に長すぎます。引用箇所は必要最小限にとどめるのがマナーです。
これ以上、このような行為を続けられるようであれば、本掲示板への悪質な妨害行為とみなし、削除いたしますので、そのつもりで。
><確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。科学が高度に進歩しているはずの未来世界で、宇宙航行を限定する2つの回廊が存在するとか、携帯用のレールガンが存在するとか、宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一であるとか、氷塊が一恒星系内で一気に亜光速航行に達して軍事衛星を破壊するとか、作中人物が孤立した要塞で何十年間も外部補給なしで籠城することを当然視しているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。>
はて、「宇宙の全ての惑星が同月同日で季節の変化も同一」ですって? 1巻の第3章でちゃんと、惑星によって自転周期が異なることは明言されていますし、そのうえで24時間を1日、365日を1年とする標準暦が使用されているという説明がされていますよ。「全ての惑星が同月同日」なのは標準暦を使っているからです。
田中氏はちゃんとそういう点にも気を使って書いてるんです。
>でも、『銀英伝』はたぶんそうじゃないと思います。だって、いくら何でも「宇宙空間であのような形式の艦隊戦が展開できる」と思ってる読者はそう多くないだろうし、それに合わせて作中の様々に矛盾している戦闘描写を描いたというなら、それ以外の賢い読者にバカにされるであろうことをまったく計算していなかったわけで、これは本物のバカです(^^;)>
じゃあお訊ねしますが、科学的に正確にどうやって『銀英伝』が書けるのですか?
無理である、と僕は断言します。科学的に厳密であろうとするなら、宇宙空間での艦隊戦闘なんてものはとても成立しません。むしろ「賢い読者」ならそれが分かります。
宇宙空間に回廊があるというのも同じことで、ストーリー上の必然性なのです。科学を無視する必然があるなら、無視してよいのです。
対する『アルマゲドン』はどうでしょう。小惑星の上で風がびゅうびゅう吹いてたり、流星が宇宙空間で燃えたりすることに、いったいどんな必然があるというのですか? なくたって支障はないでしょう?
>確かにこの小説にはトンデモない描写が多かった。現代世界を舞台にしている小説中で、人間がドラゴンに変身するとか、そのドラゴンが重力制御やソニックビーム・気象制御などの超常的な現象を単体で発生させるとか、現代文明の水準をはるかに上回る技術で動く宝貝やタイムマシンが仙界や天界に存在するとか、人間世界が少数の特定財閥や牛の怪物に支配されているとか、全ての歴史的事件が影の黒幕の陰謀によって操られているとか、明らかに頭の悪い奴が書いた小説だ。
あなたの論理からすると、「SFやホラーやファンタジーを書く人間はみんな頭が悪い」ということになっちゃいますが、そんなことを本気で主張されているのですか?
どうもあなたは、僕の主張をまったく理解しておられない。「現実離れした話を書く奴は頭が悪い」なんて、誰も言ってやしません。創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。
だから「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。
あなたの理屈は言い換えればこうです。
「ウマのことを『大きな動物』と言い、ハムスターを『小さな動物』と言う奴がいるのはおかしい。ウマもハムスターも、シロナガスクジラに比べればはるかに小さいのに。
ハムスターが『小さい』のならウマも『小さい』はずである。なぜ一方は大きくて一方が小さいなどと矛盾したことを主張するのか。これはダブルスタンダードではないか!」
違うのは、動物の大きさと違って、作品の良し悪しは物差しや体重計では具体的に測定できないってことですね。だからと言って、良し悪しが計れないってわけじゃないんですけど。
> 何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。
まあ、よりによって山本氏がこんなことを言うとはね。言うに事欠いて、とはこのことですね。
せっかくなんで、いつか推敲して発表しようと思っていた文章を出してしまおうかと思います。
基本的には高校生の時に書いた文章なので、影響を受けた文が背後に透けていたり、いろいろ荒いですが、ご容赦を。今見ても結構そのまま通じるかな、と思います。未熟な部分も多く、恥を忍んで…と言うのが正直なところですけれども(笑)
ファンタジー【fantasy】
1、空想。幻想。夢。
2、形式にとらわれず作者の自由な幻想によって作り上げられた曲。幻想曲。
3、幻想的・夢幻的な文学作品。
(大辞林)
ファンタジーとはなんであろうか?という問いに対して、辞書を用いて答えると、こうなる。
そう、ただこれだけのことでしかないのだ。
この問いを向けられたとき、多くの人が剣だか魔法だかが出てくる西洋中世的な世界を思い浮かべるに違いない。その傾向は特に青少年で顕著であろう。
だが、もう一度繰り返す。
ただそれだけのことでしかないのだ。
○
空想や幻想といった『ありえざるもの』を描いてきたがために、ファンタジーは、「現実を直視せず、空想へ逃避する退廃的なもの」として、長いこと扱われてきた。『逃避文学』とさえ、呼ばれていた時代があった。
空想や幻想を取り扱ってはいるが、ファンタジーは現実を直視しないわけではない。
それどころか、直視する手助けになる手法であるとも言える。
元来、多くのファンタジーが、現実に対する諷刺として描かれてきた。
スウィフトの『ガリバー旅行記』には、小人の国リリパットが描かれている。この小人達は、タマゴの割り方という、実にくだらない理由で戦争をしている。だが、肌の色や主義主張、信仰や利益のために争いをしている現代人が、はたしてそれをくだらないと言えるだろうか。
ミヒャエル・エンデの『モモ』や、古典的な所ではアンデルセンの『裸の王様』など、同様に諷刺しているファンタジーは無数にある。
現実を舞台にすると複雑になりがちな出来事を、ファンタジーという形を取ることで簡略化して表現できるからだ。
戦争や社会の歪みなどは、現実で描いていると、どんどん暗く悲しくなってしまう。これをファンタジーに置き換えることによって、暗い側面にとらわれずに、テーマを捉えることが出来るのだ。
○
さて、冒頭でも述べたとおり、ファンタジーと聞いて『モモ』や『不思議な国のアリス』を思い浮かべる人は少数派になってしまっている。
トールキンの『指輪物語』やハワードの『コナン』シリーズ、ムアコックの『エルリック・サーガ』シリーズなどの先達が作り上げた、いわゆる『剣と魔法(ソーズ・アンド・ソーサリー)』『ヒロイック・ファンタジー』の系統を組むものがほとんどだからだろう。
なにも、それが悪いというわけではない。
誤解されそうなのであらかじめ断っておくが、私はこのようなファンタジーが嫌いではない。むしろ、好きである。ムアコックなどは、独特の世界を造りあげた偉人として、尊敬すらしている。
私が気にくわないのは、それに群がる『ライトファンタジー』というジャンルである。
ライトファンタジーの特徴は、トールキンやハワード、ムアコック、ラブクラフトなどの先達が、自らのアイデンティティを賭けて造りあげた世界を、すでに共通認識としているところだ。
例えば、いま中学生にもっとも読まれている小説『ロードス島戦記』(管理人注 1995年当時。ちなみに山本氏は『ロードス島戦記』と同じ世界を舞台にした『ソードワールド』の小説を書いている)において、魔法やドワーフ、エルフなど、(トールキンの築き上げた)幻想の産物が出ていても、驚きはない。
ライトファンタジーの多くでは、魔法使いがいて、常人には理解できないものの魔法が使われているのが当たり前であり、ドラゴンがいることさえ前提無しで理解されている世界が舞台になっているのだ。その世界は、『アーサー王物語』のような世界をベースにしていると、判を押したように決まっている。
○
確かに、ライトファンタジーは空想から造られてはいるが、それは先達の造った空想を先達の造ったファンタジー世界の常識に従って、並べたものでしかない。
こんなものがファンタジーと呼べるだろうか?
そして、こんなものが本当のファンタジーを駆逐しているのである。
ファンタジー(と言っても、ライトファンタジーだが)は、今度こそ本当に『逃避文学』に堕してしまった。
○
私が、ライトファンタジーを『逃避文学』と断ずる理由は、それだけではない。
まず挙げられるのは、常識の無さである。
「常識がないのがファンタジー」とは言うが、この常識とは「現実世界」での「決まりごと」の事であり、ファンタジー中の常識ではないのだ。
ライトファンタジーでよくあるシーンを思い浮かべてみよう。
鋼鉄で全身を覆うような鎧を着て、「冒険者」という名のゴロツキが街を歩いているシーンである。
そう、こいつらは馬にも乗らず、数十キロはあろうかという鎧を着込んで、街を歩いているのである。ドン・キホーテも真っ青だ。
しかも、その鎧は考証なんぞ全くなく、アニメ的かっこよさを追求したあまりに、動くかどうかも怪しいシロモノだ。
その鋼鉄の鎧を着た人間が、細身の剣(たいていレイピアと呼ばれる)を持った人間なんかと闘うと、愚は骨頂に達する。
そして、ほとんどの場合、「細身の剣で鎧の隙間を突く」等という大バカな説明がつくのだ。
歴史的に見ると、鋼鉄の鎧は、当時の新兵器である銃弾を防ぐために生まれた。
銃のない中世に、鋼鉄の鎧はなかった。
この鎧は、確かに効果を挙げたが、銃の進歩や戦術の変化により、次第に無効化されていった。
重い鎧を着ても無駄。それどころか重くて邪魔なだけ不利だということで、鎧自体が無くなり(フランス革命の兵士で鎧を着ているものはいない)、それに応じて剣が簡略軽装化されたものが、細身の剣なのだ。
鎧の隙間を突く? やってみろ。剣が折れるのがオチだ。
以上の例は、ヨーロッパの中世風な風景を想像するからいまいちパッとしないが、これを日本に直してみると、そのバカさ加減がよくわかる。
武家でもない、どこの馬の骨とも知れない浪人が、飛鳥時代の鎧を着込み、明治のサーベルを腰に差して、江戸時代・大坂あたりの街中を闊歩している姿である。
この姿は、どこか可笑しい。鎧などの風俗がぐちゃぐちゃにアレンジされているからである。その鎧が、その剣がどのように成立したかという「論理」がすっぱり抜けているからである。
アメリカ人の描く、ミスティックなジャパンに似ている。
日本人は、もうアメリカ人を笑えない。
○
先程のシーンで出てきた「冒険者」。一体どういう職業なのか?という質問を、思わずしたくなる。
こんな職業は、世界中のどこにもない。
なんでも、宿無しの「他人の面倒事を解決したり、古代遺跡を探索したりするいわゆる何でも屋」ということらしい。
無職をフリーターと呼ぶのに似ている。
所詮はゴロツキ、それもチンピラなのだ。
ライトファンタジーの世界では、こんなヤクザくずれのような連中が、英雄として祭り上げられている。
まあ、それはそれでいい。その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描けば、それはむしろ立派な文学といえる。
だが、ライトファンタジーでは、当然そうではない。年端もいかない小娘や小僧どもが冒険者だったりしている。それも、「冒険したいから」などと訳の判らない理由からだったりする。
生活に苦しんで仕方なく出稼ぎ、生活すら出来ないでホームレス…という人間が、この現代日本にすらいるのに、その百万分の一の悲壮感すらない。
世の中を舐めているとしか言いようがない。
ライトファンタジーには、まったく生活の匂いがしない。脱臭化した除菌製品に囲まれているような世界が、そこにある。 このようなライトファンタジーを書いている人間や、読んでいる人間から、もし現実にいるとしたら乞食同然に臭い冒険者が排除されるのは当然といえよう。
このような人間に、「実際の冒険者はクサいんだよ。ゴロツキなんだよ」と説いて回っても、無駄である。彼らはこう反論するだろう。
「ファンタジーだからいいじゃん」、と。
> > 何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。
>
> まあ、よりによって山本氏がこんなことを言うとはね。言うに事欠いて、とはこのことですね。
この後、管理人氏のファンタジー論が続きます。内容を私なりに解釈しましたが、今回の議論との関連からすると、『ライトファンタジーの世界観そのものが、判で押したようなテンプレートではないか。それもひどく出来の悪い』というようなことを仰りたいのだと思います。
ただ、どうも私はこの主張に納得できないのです。論点がずれているような気がしてしかたがない。それについて、思うところを述べたいと思います。
(1) テンプレートという言葉の意味
山本氏の発言をもう一度引用したいと思います。
<どうもあなたは、僕の主張をまったく理解しておられない。「現実離れした話を書く奴は頭が悪い」なんて、誰も言ってやしません。創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。
だから「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。>
ここで山本氏はテンプレートという言葉を、"「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーン"という意味で使っていることは明らかです。山本氏が批判しているのは、それに工夫やヒネリを一切加えることなく出すことでしょう。
山本氏は、そのような所で創意工夫を付加することが、自分自身も含めた創作者の能力の見せ所であり、使命と考えているのでしょう。だから、何も考えていない(ように山本氏には見える)アルマゲドンの脚本家を失格呼ばわりした。
本当にアルマゲドンの脚本家が何も考えていないのかは分かりません。「頭が悪い」「創作者として失格」という表現が適切なものかどうかも意見が分かれるでしょう。
しかし、山本氏が上のような発言をした背景(=職業倫理?)は分かります。そして、それはそれほど間違ったものとは思えません。
ソードワールドと言うシェアード・ワールドものの仕事をしているのですから、山本氏は料理の素材(例えばライトファンタジー世界)がテンプレートであることには、それほど否定的ではないと思うのです。その素材の調理法(プロットやシーンの構成)に創意工夫があるか否かにこだわって、上のような発言をしているように見える。どうもこの辺りで論点がずれているように思えるのです。
(2) 細かい論理がよく分からない
言うに事欠いて、という管理人氏の書き込みからすると、管理人氏は山本氏の著作の内容を把握した上で、上の『創作者失格』発言との間に、ダブルスタンダードとの結論を下したのだと思います。
しかし、それはその結論に至った詳細を論じていただけないと、読んでいる側としてはその結論について是とも非とも言えないわけです。今回のファンタジー論のような一般論を出されても、山本氏との関連が大づかみすぎてよく分からない。
もっとはっきり言ってしまえば、今回の管理人氏の書き込みは、
『ライトファンタジー作家風情が創作論を云々するなどおこがましい』
と言っているようにすら取れるということです。
確かに、山本氏はいわゆるライトファンタジー作家に分類される作家だと思います。しかし、著作からではなく、肩書きから評価を下されたのでは、不本意極まりないでしょう。
ですから、『山本氏に創作者失格発言をする資格などない』という主張がしたいのであれば、『ここがこうだから山本氏には資格がない』というような細かい議論が必要だと思うのです。
(3) ファンタジー論について
管理人氏のファンタジー論にはうなずけるところも多々あるのですが、今回の山本氏関連の議論の流れで出てくるものにしては、関連性が薄いように思えます。
> 歴史的に見ると、鋼鉄の鎧は、当時の新兵器である銃弾を防ぐために生まれた。
> 銃のない中世に、鋼鉄の鎧はなかった。
> この鎧は、確かに効果を挙げたが、銃の進歩や戦術の変化により、次第に無効化されていった。
> 重い鎧を着ても無駄。それどころか重くて邪魔なだけ不利だということで、鎧自体が無くなり(フランス革命の兵士で鎧を着ているものはいない)、それに応じて剣が簡略軽装化されたものが、細身の剣なのだ。
> 鎧の隙間を突く? やってみろ。剣が折れるのがオチだ。
ライトファンタジーの世界は、我々の世界の過去とは異なる世界なのですから、あまりこの辺りの武具の歴史について詳細を云々しても意味がないのではと思います。少なくとも、我々の世界の中世には、魔法も怪物もなかったのですから。
鎧の重量についても、我々の世界とは金属の性質が異なると言われてしまえば、それまでです。(強引と思いますか? しかし、銀英伝世界では我々の世界と異なる物理法則が働いているのでは、という議論だって似たようなものです)
なお、鎧については、山本氏自身が「ジェライラの鎧」というソードワールドの短編を書いています。鎧職人の話ですが、板金鎧の構造や軽量化の問題について、山本氏が色々と考えて書いたことが分かります。
> 先程のシーンで出てきた「冒険者」。一体どういう職業なのか?という質問を、思わずしたくなる。
> こんな職業は、世界中のどこにもない。
> なんでも、宿無しの「他人の面倒事を解決したり、古代遺跡を探索したりするいわゆる何でも屋」ということらしい。
> 無職をフリーターと呼ぶのに似ている。
> 所詮はゴロツキ、それもチンピラなのだ。
> ライトファンタジーの世界では、こんなヤクザくずれのような連中が、英雄として祭り上げられている。
> まあ、それはそれでいい。その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描けば、それはむしろ立派な文学といえる。
> だが、ライトファンタジーでは、当然そうではない。年端もいかない小娘や小僧どもが冒険者だったりしている。それも、「冒険したいから」などと訳の判らない理由からだったりする。
> 生活に苦しんで仕方なく出稼ぎ、生活すら出来ないでホームレス…という人間が、この現代日本にすらいるのに、その百万分の一の悲壮感すらない。
> 世の中を舐めているとしか言いようがない。
山本氏が短編を書いているソードワールドで、冒険者に関して書かれた記述を引用したいと思います。(ソードワールドRPG完全版P308)
<(略)主に、古代王国の遺跡の探索をなりわいとして、宝物を見つけだして生活をしている者たちをさします。(略)トラブルを解決するための何でも屋として使われることもよくあります。(略)
場所や地方によっては、ならず者と同一視されている場合もありますし、実際には(好むと好まざるとにかかわらず)犯罪に手を染めているものも決して少なくはありません。>
「こんな職業は、世界中のどこにもない」のは当たり前です。我々の世界には古代王国の遺跡などないのですから。(我々の世界の遺跡とは比較しないでください。量も性質も全く異なります)
その仕事の性質から言って、冒険者の社会的地位は低いです。英雄として祭り上げられる人間はいるかもしれませんが、全体から見ればわずかにすぎません。ですが、不安定である代わりに一攫千金も望めますし、自由が利く仕事ですから、志望者もいるわけです。(むしろ、山本氏の書く小説で多く取り上げられているのは、世界的な英雄ではなく、身近な等身大の冒険者達の方です)
また、冒険者に、ならず者と同一視されている連中も多いことは、上のように世界観の中できちんと説明されています。よって、
> このような人間に、「実際の冒険者はクサいんだよ。ゴロツキなんだよ」と説いて回っても、無駄である。彼らはこう反論するだろう。
> 「ファンタジーだからいいじゃん」、と。
上の質問を山本氏に尋ねたら、「ええ、そういう輩も多いでしょうね」と答えて終わり、という気がしてならないのです。
要するに、管理人氏がこのファンタジー論で取り上げている問題は、山本氏関連では解決されていることが多いのです。これも、論点がずれているように感じる原因の一つです。
以上です。
もともとが今回の為に書かれた文章ではないので、補記が必要だったかも知れません。
1)2)について
> ソードワールドと言うシェアード・ワールドものの仕事をしているのですから、山本氏は料理の素材(例えばライトファンタジー世界)がテンプレートであることには、それほど否定的ではないと思うのです。その素材の調理法(プロットやシーンの構成)に創意工夫があるか否かにこだわって、上のような発言をしているように見える。どうもこの辺りで論点がずれているように思えるのです。
> 確かに、山本氏はいわゆるライトファンタジー作家に分類される作家だと思います。しかし、著作からではなく、肩書きから評価を下されたのでは、不本意極まりないでしょう。
そもそも創作者としての山本氏には、「小説家」「評論家(と学会)」「ゲームデザイナー(グループSNE)」という多数の側面があります。
そして、彼はグループSNEというゲームデザイナーの側面から、ソードワールドの制作に一枚どころか二枚も三枚も噛んでいます(中心人物の一人ですし)。
ただの小説家であれば私の言うことは酷な部分もありましょうが、俎上に乗せたのはそうではないからです。
Nightさんの例で言うなら、彼は料理人であるだけではなく、素材の制作者でもあるのです。
「テンプレートにはテンプレートの意味がある」という認識があって初めてライトファンタジーというジャンルに価値が見いだせる訳ですが、それを本人が否定している以上、自分で自分の首を絞めているに過ぎません。
3)について
> ライトファンタジーの世界は、我々の世界の過去とは異なる世界なのですから、あまりこの辺りの武具の歴史について詳細を云々しても意味がないのではと思います。少なくとも、我々の世界の中世には、魔法も怪物もなかったのですから。
> 鎧の重量についても、我々の世界とは金属の性質が異なると言われてしまえば、それまでです。(強引と思いますか? しかし、銀英伝世界では我々の世界と異なる物理法則が働いているのでは、という議論だって似たようなものです)
> なお、鎧については、山本氏自身が「ジェライラの鎧」というソードワールドの短編を書いています。鎧職人の話ですが、板金鎧の構造や軽量化の問題について、山本氏が色々と考えて書いたことが分かります。
確かにあの世界にはミスリルやら魔力付与やらあることは十二分に承知しています。それと同時に、何の細工をしていない鉄板鎧がごろごろしているのも。
前の投稿にある通り、その妙ちくりんな装備に至った「論理」があれば、別にそれはそれでいいんですよ。もしかして後付けで創作されているかも知れませんが、あの文章を書いた時点ではそのような設定は無かったと思いますが(ちなみに当時私はソードワールド関係のものは全部揃えて一通りプレイしています)。
そんなことを考えないで、ただ漫然と現実世界の武器を導入したから、あんなていたらくになっているんでしょう。
> 山本氏が短編を書いているソードワールドで、冒険者に関して書かれた記述を引用したいと思います。(ソードワールドRPG完全版P308)
一方で『サーラの冒険』みたいなのも書いているんですよね。
> 身近な等身大の冒険者達の方です
現代人に「身近」な「等身大」で、その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描いているとは思えませんでした。まあ、元がTRPGの場合が多いんで、そうなるんでしょうけど。
> 私が、ライトファンタジーを『逃避文学』と断ずる理由は、それだけではない。
> まず挙げられるのは、常識の無さである。
> 「常識がないのがファンタジー」とは言うが、この常識とは「現実世界」での「決まりごと」の事であり、ファンタジー中の常識ではないのだ。
> ライトファンタジーでよくあるシーンを思い浮かべてみよう。
> 鋼鉄で全身を覆うような鎧を着て、「冒険者」という名のゴロツキが街を歩いているシーンである。
> そう、こいつらは馬にも乗らず、数十キロはあろうかという鎧を着込んで、街を歩いているのである。ドン・キホーテも真っ青だ。
> しかも、その鎧は考証なんぞ全くなく、アニメ的かっこよさを追求したあまりに、動くかどうかも怪しいシロモノだ。
> その鋼鉄の鎧を着た人間が、細身の剣(たいていレイピアと呼ばれる)を持った人間なんかと闘うと、愚は骨頂に達する。
> そして、ほとんどの場合、「細身の剣で鎧の隙間を突く」等という大バカな説明がつくのだ。
> 歴史的に見ると、鋼鉄の鎧は、当時の新兵器である銃弾を防ぐために生まれた。
> 銃のない中世に、鋼鉄の鎧はなかった。
> この鎧は、確かに効果を挙げたが、銃の進歩や戦術の変化により、次第に無効化されていった。
> 重い鎧を着ても無駄。それどころか重くて邪魔なだけ不利だということで、鎧自体が無くなり(フランス革命の兵士で鎧を着ているものはいない)、それに応じて剣が簡略軽装化されたものが、細身の剣なのだ。
> 鎧の隙間を突く? やってみろ。剣が折れるのがオチだ。
> 以上の例は、ヨーロッパの中世風な風景を想像するからいまいちパッとしないが、これを日本に直してみると、そのバカさ加減がよくわかる。
> 武家でもない、どこの馬の骨とも知れない浪人が、飛鳥時代の鎧を着込み、明治のサーベルを腰に差して、江戸時代・大坂あたりの街中を闊歩している姿である。
> この姿は、どこか可笑しい。鎧などの風俗がぐちゃぐちゃにアレンジされているからである。その鎧が、その剣がどのように成立したかという「論理」がすっぱり抜けているからである。
> アメリカ人の描く、ミスティックなジャパンに似ている。
> 日本人は、もうアメリカ人を笑えない。
私はTRPGをプレイするときはたいてい鎧はチェインメイルにしてます。
それは置いといてここは少しおかしいと思います。
冒険者が着ている金属製の全身鎧はプレートメイルです。
ですが管理人さんが言ってるのはスーツアーマーのことです。
この二つはまったくの別物です。
プレートメイルはその名の通りプレートで重要な部位の防御力を強化したチェインメイルです。
つまりプレートメイルはチェインメイルの強化型です。
それに対してスーツアーマーは完全に金属板だけを使って作られた鎧です。
当然のことながら重量も違います。
プレートメイルは基本がチェインメイルですから鍛えた人間なら何とか徒歩で使用することも可能です。
さらに管理人さんが言ってる細身の剣とはレイピアのことだと思いますが。
普通はあれは主に街中で活動する人間で基本的に護身以外で戦闘をしないようなキャラクターが使う武器ということになってるはずです。
したがってそんな武器を使ってプレートメイルのような重装備をした人間と戦うということは普通はありえません。
管理人さんの言うところのテンプレートに従った話ならそういうことはありません。
さらに管理人さんの言うプレートメイルを着ていながら武器にはレイピアを装備してるキャラクターなどはテンプレートからは大きく外れた存在です。
普通にファンタジーのテンプレートに従えばプレートメイルを着るような重戦士の武器は同じようにそれなりの重量の武器を両手で持つかまたは片手で持って楯を持つということになります。
レイピアを装備するような人間は防具らしい防具は装備せず装備しても軽い皮鎧程度というのがテンプレートに従った装備ということになります。
したがってそんなテンプレートに従えばありえないようなことをあげて批判するのは的外れです。
私があれを書いたときに念頭に置いたのは、たとえばこんな奴です。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~oniki/urusiharasonota04.html
まあ、今にして思えばうるし原氏の暴走を持って全体とするのは可哀想だとは思いますが。
> さらに管理人さんの言うプレートメイルを着ていながら武器にはレイピアを装備してるキャラクターなどはテンプレートからは大きく外れた存在です。
そんな装備は私は挙げていませんが?
> 普通はあれは主に街中で活動する人間で基本的に護身以外で戦闘をしないようなキャラクターが使う武器ということになってるはずです。
> したがってそんな武器を使ってプレートメイルのような重装備をした人間と戦うということは普通はありえません。
> 管理人さんの言うところのテンプレートに従った話ならそういうことはありません。
結構あると思いますが、現在では手元にライトファンタジーの小説がないためあえて反論はしません。
> そもそも創作者としての山本氏には、「小説家」「評論家(と学会)」「ゲームデザイナー(グループSNE)」という多数の側面があります。
> そして、彼はグループSNEというゲームデザイナーの側面から、ソードワールドの制作に一枚どころか二枚も三枚も噛んでいます(中心人物の一人ですし)。
> ただの小説家であれば私の言うことは酷な部分もありましょうが、俎上に乗せたのはそうではないからです。
> Nightさんの例で言うなら、彼は料理人であるだけではなく、素材の制作者でもあるのです。
> 「テンプレートにはテンプレートの意味がある」という認識があって初めてライトファンタジーというジャンルに価値が見いだせる訳ですが、それを本人が否定している以上、自分で自分の首を絞めているに過ぎません。
??? まだ論点がずれているような気がするのですが……。
私の前回の書き込みの内容は次の通りです。
・山本氏は「テンプレート」という言葉を、「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーンという意味で使っている。
・山本氏が批判しているのは、テンプレートに工夫やヒネリを一切加えることなく出すことである。
山本氏が否定しているのはテンプレートそのものではありません。テンプレートの使い方です。山本氏は、『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という行為を否定しているのであって、教科書そのものを否定しているわけではないでしょう。
ですから、管理人氏の『そういう山本氏は教科書の執筆者だったではないか』というような批判は的外れではないかと思うのです。
> 確かにあの世界にはミスリルやら魔力付与やらあることは十二分に承知しています。それと同時に、何の細工をしていない鉄板鎧がごろごろしているのも。
そういうことではなく、鉄という金属の重さが違うのでは、ということを言いたかったのです。
ただ、これはさすがに強引な説だと思い直しましたので、申し訳ありませんが取り下げたいと思います。(私は、銀英伝宇宙でも我々の世界と同じ物理法則が働いていると思いたい人間ですので)
あと、「ジェライラの鎧」を読み直しましたが、やはりここに出てくる板金鎧は、No.3891で倉本さんが仰っていたようなチェインメイルの上に着る部分防御タイプのようです。
> 一方で『サーラの冒険』みたいなのも書いているんですよね。
> 現代人に「身近」な「等身大」で、その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描いているとは思えませんでした。まあ、元がTRPGの場合が多いんで、そうなるんでしょうけど。
私は『サーラの冒険』こそ、管理人氏のファンタジー論の
<だが、ライトファンタジーでは、当然そうではない。年端もいかない小娘や小僧どもが冒険者だったりしている。それも、「冒険したいから」などと訳の判らない理由からだったりする。>
の部分に対する一つの回答になっていると思うのですが。
確かに、サーラ少年が冒険者を志望した理由は『冒険したいから』ですが、別に彼は浮ついた気分や、現実をなめた気持ちからそう決心したのではありません。先輩冒険者から、冒険者という職業がつらくて危険なものであることは諭されていますし、最初の冒険で殺されそうになったりもしています。
それでも彼が平穏無事な田舎の生活を捨て、危険な冒険者の道を選んだのは、その道こそが彼の人生を充実させうることを悟ったからでしょう。彼にとってそれは決して『訳の判らない理由』ではないのです。
あと付け加えるとすると……。
私も山本氏の作品を全て肯定しているわけではありません。格好良さを優先しすぎて、生活臭や生きざまをしっかり書いていないと思ったことも結構あります(ソードワールドRPGアドベンチャーはその良い例です)。それは明言しておきたいと思います。
> > さらに管理人さんの言うプレートメイルを着ていながら武器にはレイピアを装備してるキャラクターなどはテンプレートからは大きく外れた存在です。
>
> そんな装備は私は挙げていませんが?
それはこれのことです。
> 武家でもない、どこの馬の骨とも知れない浪人が、飛鳥時代の鎧を着込み、明治のサーベルを腰に差して、江戸時代・大坂あたりの街中を闊歩している姿である。
> この姿は、どこか可笑しい。鎧などの風俗がぐちゃぐちゃにアレンジされているからである。その鎧が、その剣がどのように成立したかという「論理」がすっぱり抜けているからである。
こういう装備をファンタジーの世界の装備に置き換えるとプレートメイルにレイピアのような装備にあたるわけです。
> > 普通はあれは主に街中で活動する人間で基本的に護身以外で戦闘をしないようなキャラクターが使う武器ということになってるはずです。
> > したがってそんな武器を使ってプレートメイルのような重装備をした人間と戦うということは普通はありえません。
> > 管理人さんの言うところのテンプレートに従った話ならそういうことはありません。
>
> 結構あると思いますが、現在では手元にライトファンタジーの小説がないためあえて反論はしません。
私はそういう小説がないとは言いません。
ただそれらはファンタジーの常識すなわち管理人さんの言うところのテンプレートからは外れた存在だということです。
ですからテンプレート批判に使うことはできないのです。
まあファンタジーの常識すなわちテンプレートが現代の常識にしたがっており本来の中世ヨーロッパの風俗はほとんど無視されているということは同意しますけどね。
でもまあそれは話を作る都合の上で仕方ないことでしょう。
それにその方が読者にはわかりやすいですしね。
> > 一方で『サーラの冒険』みたいなのも書いているんですよね。
そういえば『サーラの冒険』も続きが全然出ませんね。
山本弘が田中芳樹をかばうのは実は遅筆な作家としての共感からだったりして。
ちなみに『サーラの冒険』にはこんな批判がありました。
何巻だったかは忘れましたが凄腕の盗賊が娘をさらわれて悪人から脅しを受けるという話についての批判です。
盗賊なんて危険な仕事してるくせに危機管理がなっていない。
そのせいで凄腕の盗賊がただの間抜けなおっさんに見える。
確かそんな批判だったと思います。
ちなみにこの話も典型的なテンプレートにしたがった話ですよね。
肉親を人質に取られて脅しを受けるというやつです。
> ・山本氏は「テンプレート」という言葉を、「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーンという意味で使っている。
> ・山本氏が批判しているのは、テンプレートに工夫やヒネリを一切加えることなく出すことである。
> 山本氏が否定しているのはテンプレートそのものではありません。テンプレートの使い方です。山本氏は、『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という行為を否定しているのであって、教科書そのものを否定しているわけではないでしょう。
> ですから、管理人氏の『そういう山本氏は教科書の執筆者だったではないか』というような批判は的外れではないかと思うのです。
ドワーフやエルフが何のひねりもなく出てくるのは? ホビットがグラスランナーになっていれば創意工夫ですか?
山本氏の論法に従えば、ライトファンタジーそのものに致命的なダメージがあるんですよ。
しかも、これらの例はほんの一例だけなんです。
作家山本氏ではなく、ゲームデザイナー山本氏にとって(どちらも創作家には違いありますまい)『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という論法は自殺行為なのです。
鎧と冒険者の件については、今回の例には蛇足と思いますので、こちらから取り下げたいと思います。
>でもまあそれは話を作る都合の上で仕方ないことでしょう。
>それにその方が読者にはわかりやすいですしね。
この擁護は『観客の知能にあわせて間違った描写をする――そんな脚本家や監督が本当にいるのなら、僕は軽蔑します。そんな奴は人間として最低。そんな奴が作った映画に感動する観客も問題あり。』という山本氏の持論に思いっきり引っかかってしまいますね。
もっとも、別に倉本さんが山本氏の擁護をしているのでなければ良いのですけれども。
> そういえば『サーラの冒険』も続きが全然出ませんね。
> 山本弘が田中芳樹をかばうのは実は遅筆な作家としての共感からだったりして。
> ちなみに『サーラの冒険』にはこんな批判がありました。
> 何巻だったかは忘れましたが凄腕の盗賊が娘をさらわれて悪人から脅しを受けるという話についての批判です。
> 盗賊なんて危険な仕事してるくせに危機管理がなっていない。
> そのせいで凄腕の盗賊がただの間抜けなおっさんに見える。
> 確かそんな批判だったと思います。
> ちなみにこの話も典型的なテンプレートにしたがった話ですよね。
> 肉親を人質に取られて脅しを受けるというやつです。
これは以前に私もここで触れた気がします。小説家の山本氏を見限ったのがこれでしたから。
平和な現代の日本ですら、ヤクザが「そういやアンタには娘がいたな」というのは鉄壁の脅し文句なんですがね。
幼い娘が犯されるなんて人間の所行じゃない、というのは平和な日本の小市民的感情であって、中世並み社会でアウトローやっている人間がそんな認識を持っていること自体クロマティ高校なみのギャグなんですが。
性格は甘ったるいけど凄腕の盗賊、という設定があればまだ納得もできましたが、そんな描写はどこにもなかった気がします。
> ドワーフやエルフが何のひねりもなく出てくるのは? ホビットがグラスランナーになっていれば創意工夫ですか?
> 山本氏の論法に従えば、ライトファンタジーそのものに致命的なダメージがあるんですよ。
> しかも、これらの例はほんの一例だけなんです。
> 作家山本氏ではなく、ゲームデザイナー山本氏にとって(どちらも創作家には違いありますまい)『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という論法は自殺行為なのです。
ROMしてたけどあまりに目に余ったので書きこみさせてもらいます。
……あのね、これ非難するんだったら、
まずダンジョンズ&ドラゴンズを非難するべきじゃないの?
ソードワールド関係の本をを集めていたんなら、
もともとロードス島がダンジョンズ&ドラゴンズだったことは
知っているでしょ。
> この擁護は『観客の知能にあわせて間違った描写をする――そんな脚本家や監督が本当にいるのなら、僕は軽蔑します。そんな奴は人間として最低。そんな奴が作った映画に感動する観客も問題あり。』という山本氏の持論に思いっきり引っかかってしまいますね。
> もっとも、別に倉本さんが山本氏の擁護をしているのでなければ良いのですけれども。
私はファンタジーの弁護はしても山本弘の弁護はしてませんから別にかまいません。
> ドワーフやエルフが何のひねりもなく出てくるのは? ホビットがグラスランナーになっていれば創意工夫ですか?
> 山本氏の論法に従えば、ライトファンタジーそのものに致命的なダメージがあるんですよ。
> しかも、これらの例はほんの一例だけなんです。
> 作家山本氏ではなく、ゲームデザイナー山本氏にとって(どちらも創作家には違いありますまい)『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という論法は自殺行為なのです。
色々と考えてみたのですが、ここから先の議論をするには、議論の前提を拡張しなければならない、というのが私の結論です。再三引用している通り、今回の議論において、山本氏は「テンプレート」という言葉を、"「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーン"という意味で使っているのであり、それ以上でも以下でもないからです。
ソードワールドRPGおよびその背景世界フォーセリアが、それ以前のRPGや小説(D&Dや指輪物語など)から大きな影響を受けていることは明らかです。上の種族の話以外にも、怪物は各地の伝承から、武器防具は我々の世界の中世からネタを取ってきていることも。
しかし、それを上で山本氏が言っているような「テンプレート」と同一視していいのか、という疑問が私にはあるわけです。山本氏が再三問題視しているのは独創性の欠如ですが、ソードワールドRPGやフォーセリアに独創性がないとは私には思えないのです。(私の知識不足なのかもしれませんが……)
例えば、銀英伝を含め、宇宙を舞台にしたSFには良くワープが出てきます。最もポピュラーな超光速航法として、それこそ手垢が付いて擦り切れる程使われた「テンプレート」ですが、これを新作のSF小説なりSF-RPGにそのまま使ったからといって、それでその作品の独創性が大きく損なわれるとは、山本氏を含め誰も言わないでしょう。
ライトファンタジーにおけるエルフ、ドワーフがこれと全く同じとは言いませんが、少なくともこちらの「テンプレート」は、最初に定義した「テンプレート」(=教科書に載っているような使い古されたシーン)という意味からは、一段拡張された形になっていることは確かです。
ですから、『ソードワールドには既存の種族や怪物や道具がさしたる工夫もなく使われている』という問題について山本氏がどう考えているのか確認してみないと、これ以上は何とも意見が言えないというのが正直な感想です。
ただ、この掲示板はあくまで「田中芳樹を撃つ!」であり、上記の話題はもう田中氏と全く関連がないと言っていいでしょう。ですから、私としてはこの掲示板での議論はこの程度で終了するべきかと考えております。
> ROMしてたけどあまりに目に余ったので書きこみさせてもらいます。
> ……あのね、これ非難するんだったら、
> まずダンジョンズ&ドラゴンズを非難するべきじゃないの?
> ソードワールド関係の本をを集めていたんなら、
> もともとロードス島がダンジョンズ&ドラゴンズだったことは
> 知っているでしょ。
議論の主旨を理解していますか?
山本弘が「テンプレートをただなぞるのは莫迦だ」と発言したから、莫迦は貴様だ、という言葉が返ってきたのです。
D&Dのデザイナーがそんな発言をしていますか?
通りすがりに斜め読みしただけで口を出すんじゃありません。
それならSW持ち出さずに別の題材持って来いといいたかったんだけどな。山本批判するのにSWの根幹の設定を持ち出すのは筋が違うだろ。SW関係で山本が関わっているのは西部諸国だから、その方面で批判するのはまだ分かるが、あそこはどう考えてもテンプレートから逸脱した設定の地域だし。
> 色々と考えてみたのですが、ここから先の議論をするには、議論の前提を拡張しなければならない、というのが私の結論です。再三引用している通り、今回の議論において、山本氏は「テンプレート」という言葉を、"「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーン"という意味で使っているのであり、それ以上でも以下でもないからです。
これは私も同感ですね。
確かに世界設定とストーリーのテンプレートは別に解釈するべきだと思います。
ただ前にも書きましたけど山本弘も『サーラの冒険』の例の盗賊のシーンのようなシーンを書いてるんですよね。
あれなんかは典型的なテンプレートにあるシーンですよね。
自分でそういうシーンのある小説を書いているのに批判する資格があるのかという気はしないでもありません。
その点では管理人さんの言ってることもわからなくはないんですよね。
> それならSW持ち出さずに別の題材持って来いといいたかったんだけどな。山本批判するのにSWの根幹の設定を持ち出すのは筋が違うだろ。SW関係で山本が関わっているのは西部諸国だから、その方面で批判するのはまだ分かるが、あそこはどう考えてもテンプレートから逸脱した設定の地域だし。
山本弘がSWの基本設定には絡んでいないということは同意しますけどね。
ただ西部諸国がテンプレートから逸脱した世界というのは同意できません。
あそこも基本的にテンプレートに従った世界です。
テンプレートから外れた世界というのはSWなら清松みゆきの混沌の地みたいなやつのことをいうんですよ。
> それならSW持ち出さずに別の題材持って来いといいたかったんだけどな。山本批判するのにSWの根幹の設定を持ち出すのは筋が違うだろ。SW関係で山本が関わっているのは西部諸国だから、その方面で批判するのはまだ分かるが、あそこはどう考えてもテンプレートから逸脱した設定の地域だし。
そういう意味でしたら納得します。
ただ、最初の書き込みからではそうは読み取れなかったもので。
SWはよく知らないので言及しませんが妖魔夜行(小説)を見る限り、どうも山本はテンプレート通りが好きそうに思えます。にもかかわらずああいった発言をするのはなんなんでしょう。所詮心が15才児に過ぎないということでしょうかね。
> 倉本氏
個人的な意見だけど、確かに初期の西部諸国は
テンプレート通りかつ、個性的な都市国家群であった
理想的な冒険舞台だと思う。
ここまではいい意味でテンプレートが用いられた例。
だが、途中から読者参加の設定を入れたおかげで見るも無残な
オチャラケ設定の温床に……。
あれは悪い意味でテンプレートから外れた代物となった例だと思う。
> 膝枕ばか氏
いや、こちらも誤解を招くような書き方をして申し訳ない。
私のスタンスは山本擁護ではなく、
SW等のライトファンタジー擁護なので。
> 色々と考えてみたのですが、ここから先の議論をするには、議論の前提を拡張しなければならない、というのが私の結論です。再三引用している通り、今回の議論において、山本氏は「テンプレート」という言葉を、"「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーン"という意味で使っているのであり、それ以上でも以下でもないからです。
この部分ですが、原文はこうなっています。
<あなたの論理からすると、「SFやホラーやファンタジーを書く人間はみんな頭が悪い」ということになっちゃいますが、そんなことを本気で主張されているのですか?
どうもあなたは、僕の主張をまったく理解しておられない。「現実離れした話を書く奴は頭が悪い」なんて、誰も言ってやしません。創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。
『だから』「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。>
(『』は私がつけました)
つまり、「時限爆弾に赤と青のリード線」「テンプレート通りの物語を書く奴」というのは一例に過ぎず、本質は『だから』の直前の文脈にあるわけです。どうも「テンプレート」という言葉が一人歩きしてしまっていると思うのですけれど(その責任の一端は私の説明不足にもあるでしょうが)。
> 例えば、銀英伝を含め、宇宙を舞台にしたSFには良くワープが出てきます。最もポピュラーな超光速航法として、それこそ手垢が付いて擦り切れる程使われた「テンプレート」ですが、これを新作のSF小説なりSF-RPGにそのまま使ったからといって、それでその作品の独創性が大きく損なわれるとは、山本氏を含め誰も言わないでしょう。
> ライトファンタジーにおけるエルフ、ドワーフがこれと全く同じとは言いませんが、少なくともこちらの「テンプレート」は、最初に定義した「テンプレート」(=教科書に載っているような使い古されたシーン)という意味からは、一段拡張された形になっていることは確かです。
> ですから、『ソードワールドには既存の種族や怪物や道具がさしたる工夫もなく使われている』という問題について山本氏がどう考えているのか確認してみないと、これ以上は何とも意見が言えないというのが正直な感想です。
不適切な比較ですね。架空ながらも一理論として成立するワープと、一人の作家が創作した設定(伝承としてのエルフやドワーフではないですよ)では、普遍性に置いて天と地ほどの差があると思いますが。
『創作者の頭の良さ』という点から見たとき、一人の作家が創作した設定の流用はマイナスにこそ働けど、プラスになることはまず無いでしょう。もし万が一あるとしたら、流用したことによって未だかつて無いほどの画期的創作性が発生したときですが、ソードワールドにそこまでの価値や完成度はとてもありません。
いわゆる「ハンバーガーのマニュアル」としては、それなりの完成度と価値はあると思いますが。
> ただ、この掲示板はあくまで「田中芳樹を撃つ!」であり、上記の話題はもう田中氏と全く関連がないと言っていいでしょう。ですから、私としてはこの掲示板での議論はこの程度で終了するべきかと考えております。
同感です。
とりあえず、私からは以上をもって終わりとしたいと思います。
> それならSW持ち出さずに別の題材持って来いといいたかったんだけどな。山本批判するのにSWの根幹の設定を持ち出すのは筋が違うだろ。SW関係で山本が関わっているのは西部諸国だから、その方面で批判するのはまだ分かるが、あそこはどう考えてもテンプレートから逸脱した設定の地域だし。
これは「ソード・ワールド・カードRPG 著=清松みゆき/グループSNE」「ソード・ワールドRPG 西部諸国ワールドガイド 著=山本弘/グループSNE」という所から判断されているんでしょうか?
いま手元に無いので正確な引用は出来ませんが、大意として「私の名前が入っているが私一人で作り上げたわけではなく、グループSNEとして作ったもの」というようなことを清松氏か水野氏が書いていたと思うのですが。
もっとも、万が一山本氏が根幹設定にまったく関わっていないとしても、グループSNEという自集団を免責しているどころか積極肯定しているダブルスタンダードは変わりありません。
> これは「ソード・ワールド・カードRPG 著=清松みゆき/グループSNE」「ソード・ワールドRPG 西部諸国ワールドガイド 著=山本弘/グループSNE」という所から判断されているんでしょうか?
> いま手元に無いので正確な引用は出来ませんが、大意として「私の名前が入っているが私一人で作り上げたわけではなく、グループSNEとして作ったもの」というようなことを清松氏か水野氏が書いていたと思うのですが。
> もっとも、万が一山本氏が根幹設定にまったく関わっていないとしても、グループSNEという自集団を免責しているどころか積極肯定しているダブルスタンダードは変わりありません。
言うと思った……。山本批判の結論を先に出して、
その理由付けとしてSWにまで批判の矛先を向けるのは甚だ心外だな。
SWの根幹設定には山本弘よりも共同執筆者としての度合いが強い
清松みゆきですらほぼ口を出せない現状で、どうしろというのか。
大体、ひねりもないテンプレート使用と言うのは何をさすのか。
第一、エルフにしたって指輪のエルフとは作品中のイメージが
まるで異なるはずなんだが。
> 言うと思った……。山本批判の結論を先に出して、
> その理由付けとしてSWにまで批判の矛先を向けるのは甚だ心外だな。
> SWの根幹設定には山本弘よりも共同執筆者としての度合いが強い
> 清松みゆきですらほぼ口を出せない現状で、どうしろというのか。
素直にハンバーガーとして認めれば有効活用も出来ると思いますが。
> 素直にハンバーガーとして認めれば有効活用も出来ると思いますが。
ん? 何が言いたいのかわからないんだが……。
私の主張は
・山本が特に関わってもいない部分で批判するのは筋違いだ。
なんだから、SWをハンバーガー扱いするのは個人的には業腹だが、
特に言うべき意見はないんだけど。
それとも彼の関わった部分での論評なのかな?
> もっとも、万が一山本氏が根幹設定にまったく関わっていないとしても、グループSNEという自集団を免責しているどころか積極肯定しているダブルスタンダードは変わりありません。
山本弘は今はグループSNEのメンバーではないはずですけど。
> > 倉本氏
> 個人的な意見だけど、確かに初期の西部諸国は
> テンプレート通りかつ、個性的な都市国家群であった
> 理想的な冒険舞台だと思う。
> ここまではいい意味でテンプレートが用いられた例。
> だが、途中から読者参加の設定を入れたおかげで見るも無残な
> オチャラケ設定の温床に……。
> あれは悪い意味でテンプレートから外れた代物となった例だと思う。
実は私は西部諸国ワールドガイドは持っていないんですよね。
ですからリプレイの設定しか知らないんです。
ワールドガイドではそんなことになってるんですか。
知りませんでした。
読者参加のことは知ってましたけどあれはただの遊びで正式設定とは無関係だと思ってました。
しかしそのせいで西部諸国がテンプレートから外れた存在になったとしてもそれは読者のアイデアが元なんですから山本弘のアイデアじゃありません。
山本弘が出した基本的な部分はテンプレート通りであることにかわりはありません。
> この部分ですが、原文はこうなっています。
>
> <あなたの論理からすると、「SFやホラーやファンタジーを書く人間はみんな頭が悪い」ということになっちゃいますが、そんなことを本気で主張されているのですか?
> どうもあなたは、僕の主張をまったく理解しておられない。「現実離れした話を書く奴は頭が悪い」なんて、誰も言ってやしません。創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです。
> 『だから』「時限爆弾に赤と青のリード線」とか「脱出寸前に車がエンストを起こす」なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い、と言っているのです。何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格。それを田中芳樹作品と同列に論じるのは暴論でしかありません。>
> (『』は私がつけました)
>
> つまり、「時限爆弾に赤と青のリード線」「テンプレート通りの物語を書く奴」というのは一例に過ぎず、本質は『だから』の直前の文脈にあるわけです。どうも「テンプレート」という言葉が一人歩きしてしまっていると思うのですけれど(その責任の一端は私の説明不足にもあるでしょうが)。
直前の文脈を読みましたが、『創作者の頭の良さは、プロットの組み立て方、キャラクター描写、オリジナリティなど、様々な要素から判断されるべきです』という箇所でしょうか。
でも、これはごく普通の意見のように思えます。作家なり編集者なりに『創作者の頭の良さとは』というお題でアンケートを取ったって似たような結果が出てきそうなくらい普通です。
その後に続く意見にしてもそうです。頭が悪いとか、創作者失格とか、山本氏が使っている言葉が悪いから多大な反発を招いているようですが、『何も考えずに使い古された展開を使うべきではない』というようなことも、良心的な作家や編集者だったら、多かれ少なかれ心がけていることだと思うのです。(例外があるとしたら、使い古された展開が来ることを読者自身が期待している場合でしょうか。いわゆる「お約束」というのがこれに該当すると思います)
それで、山本氏が上のようなごく普通なことを言っていることと、氏がソードワールドRPGの製作者に名前を連ねていることが、そんなにも相反することとは、やはり私には思えないというのが正直な感想です。
あと、原文で山本氏はストーリー作り(=脚本や小説)の話をしているわけですが、これとテーブルトークRPGの背景世界作りという作業は、同じ創作でも少々異なる評価基準が必要なように思えます。例えば、オリジナルのモンスターの代わりに、メデューサやケンタウロスやペガサスといった神話や伝承でお馴染みのモンスターを使うことは、オリジナリティには欠けるかもしれませんが、その分、多くの人が親しみやすく、使いやすいとも言えるからです。
これ以上は脱線になりますので、私からもこれで終了としたいと思います。お付き合いくださって、どうもありがとうございました。>管理人氏