皆さん、こんにちは。 竹原幸雄といいます。
私は原作小説に劣らず、アニメ版の銀英伝も大好きなのですが、
先日「要塞対要塞」を見ていて、おや? と首を傾げることがありました。
既出かもしれませんが、ご意見いただけますでしょうか?
オペレータ「敵要塞の流体金属装甲が厚くなっていきます!」
キャゼルヌ「なにぃ? そんなことが…」
オペレータ「司令官代理! トゥールハンマーが水没します!!」
キャゼルヌ「何だと!?」
ムライ「どういうことだ!」
オペレータ「敵要塞、さらに接近!」
オペレータ「映像出します!」
キャゼルヌ「…これは…!」
ムライ「……ああっ! 引力か!」
キャゼルヌ「なにっ!?」
シェーンコップ「満ち潮というわけか!」
ムライ「敵の狙いはこれだったのか! ガイエスブルグ要塞の巨大な質量そのものを利用してこちらの主砲を封じると同時に、自らの装甲を強化するとは…!」
キャゼルヌ「しまった! 後ろだ!!」
オペレータ「敵艦隊!急速接近!!」
(衝撃音と振動)
キャゼルヌ「…うわっ!…くっ、やられた!」
今まではこのシーンも何の疑問も持たずに見ていたのですが、よく考えるとキャゼルヌのセリフがおかしいと思えるのです。
私は文系なので詳しいことはわかりませんが、小学生のときに読んだ(笑)学研マンガ「宇宙のひみつ」では地球で起こる潮の干満は月の引力と公転運動によって起こるものでした。
その時、地球の潮の干満状態は月のある方向で潮が満ちると同時に、地球を挟んで反対側の海も満潮になると説明されていたのです。
その本には何故そうなるのかは書かれていませんでしたが、後日、他の本では
「海水が月に引っ張られると同時に地球自身も月に引っ張られている。この場合、質量の大きいものほど引力は強く働き、また距離の遠いものほど引力は小さくなる。地球をはさんで反対側にある海水を引っ張る月の引力は、地球に対するものより小さくなり、海水はそこに取り残される形で満潮になる」
と書いてありました。←それでもいまいちよくわかりませんが(
苦笑)
つまりキャゼルヌは敵の攻撃ポイントは「後ろだ!」といいましたが、そこは満潮なので艦砲どころか要塞主砲でも傷すらつかないのではないかとおもうのです。
ということはミュラーが攻撃したのは干潮となる位置。ガイエスブルグ要塞の反対側ではなく、ガイエスブルグ要塞の方向を12時方向と呼んでいいのなら、3時もしくは9時方向だったのではないでしょうか。
> つまりキャゼルヌは敵の攻撃ポイントは「後ろだ!」といいましたが、そこは満潮なので艦砲どころか要塞主砲でも傷すらつかないのではないかとおもうのです。
自分もそのとおりだと思います。
それからあれだけの潮汐力が働くほど近づいたらイゼルローン要塞の軌道も大きく変わると思います。
ヘタすりゃスイングバイして回廊の壁にぶつかる危険性だってありえます。
(まあぶつかるまで何年もかかるだろうけど)
綿密に計算してやってれば、イゼルローン要塞は回廊の壁にぶつけて破壊して後にガイエスブルグ要塞だけ残るようにする事も可能です。
なんでやらなかったんだろう。
> ということはミュラーが攻撃したのは干潮となる位置。ガイエスブルグ要塞の反対側ではなく、ガイエスブルグ要塞の方向を12時方向と呼んでいいのなら、3時もしくは9時方向だったのではないでしょうか。
でもビデオで見る限り6時方向の流体金属が無くなっちゃってたんですよね。
自分の想像ですが、
ラグナロックの時のロイエンタールも部分的に流体金属を薄くしようとしていたので、「要塞を攻めるには流体金属をどうにかしなきゃ」とスタッフが要塞vs要塞にピッタリな方法として安直に思いつき、仕事が忙しくて深く考えずにやってしまった、というのが真相ではないでしょうか。
この手の話こそ、山本弘氏に意見を聞くのがいいかもしれません(笑)
はじめまして、Hiro参と申します。
この件については、10年前に存在した銀英伝&創竜伝公式ファンクラブ「共和倶楽部」の会誌「DEN」1992年10月号の読者投稿にて同様の指摘がありました。
そのときの編集部の回答は、
「ハードSFではない『銀英伝』では設定があまい部分もあるかもしれませんが、ガチガチのハードSFというのも面白くないと思います」
というものでした。
> この手の話こそ、山本弘氏に意見を聞くのがいいかもしれません(笑)
http://homepage3.nifty.com/hirorin/yanagida09.htm
すでに言及しているみたいです。
> > この手の話こそ、山本弘氏に意見を聞くのがいいかもしれません(笑)
>
> http://homepage3.nifty.com/hirorin/yanagida09.htm
>
> すでに言及しているみたいです。
見事なダブスタぶりですねぇ。これがアルマゲ系のトンデモ認定作品なら
ケチョンケチョンなんでしょう。
> アルマゲ系のトンデモ認定作品なら
アルマゲドンに代表される様なハリウッド的ご都合主義をいくらケチョンケチョンにしてもダブルスタンダードには到底なり得ません。
単純に「科学的間違いがあるから」程度で同列に語る近視眼的な物言いはどうかと思います(笑)
お、いかんいかん。
単純に「『どちらも』科学的間違いがあるから」程度で同列に語る近視眼的な物言いはどうかと思います(笑)
『「質」の問題をすっ飛ばせるなら世の中誰も困りません』
ちょっとヌケがありましたので補足。
質の判定が所詮は本人のお好み次第なのを普遍的な常識扱いしているのが、山本の問題点なのです。
それから、他人の意見を茶化して喜ぶようなまねは、いい加減無しにしてくれませんか。これまで何度も目にしてきましたが、不愉快です。
> 質の判定が所詮は本人のお好み次第なのを普遍的な常識扱いしているのが、山本の問題点なのです。
普遍性や常識の基準を問い直す程グレーゾーンにある映画じゃありません(笑)
> 不愉快です。
最初に結論が存在し、その為に根拠を探す賎しい文章よりは愉快です。
> 普遍性や常識の基準を問い直す程グレーゾーンにある映画じゃありません(笑)
何の根拠も示さずに「論外だから論外なのだ」のバカボンのパパ理論で済ませられれば楽でしょうね。
まあ山本氏はあなたよりは遥かに論理能力が高いのでそれなりに説得力のあるアルマゲ批判を繰り広げてはいます。
私は批評家は、自分なりの基準を絶対化して作品に当てはめて批評することは(それが芸になっていれば)構わないと思います。
ただし一度その基準を公表した以上、それを作品によって当てはめたり当てはめなかったりすればダブスタと言われるのは当たりまえでしょう。
> 最初に結論が存在し、その為に根拠を探す賎しい文章よりは愉快です。
いやーあなた以外は誰も愉快ではないと思いますよ。
> バカボンのパパ理論で済ませられれば楽でしょうね。
「質の問題」とわざわざ補足したのは無視出来る視聴覚能力を駆使して「コンキョコンキョコンキョーッ!」と囀る方が楽でしょう。
冗談はさておき、嘘偽り無く本当にアルマゲドンのダメさが観ても理解出来ませんでしたか?ハリウッドの持病、アクションのため「だけ」の考証無視とか。(注1)
・宇宙には大気が無い、・小さいから重力も低い、・赤と青のコードは恥ずかしい(笑)
これらを山本氏が挙げた時点で一々根拠を挙げる必要性は感じませんが。
銀英伝とアルマゲドンの間違いの差は「水戸黄門の飛脚」と「ベストキッド2の沖縄」くらいありますが、それを同列としないのはダブルスタンダード・・・?
こっそりお教えしますが、山本氏の挙げた例えと全然釣り合わない事柄を持ち出して「これ『も』科学的間違いなのに指摘しないのはオカシイ」と言い張っても徒労です。幼稚すぎて詭弁にもなりません。
必要なのは、まず、それが(山本氏が取り上げたくらい酷い)アルマゲドンの欠点と同じ位に重大な欠陥である事の証明です。
注1:
更にブルースウィリスをヒーローにするため「だけ」に前半と後半はドラマすら断絶。それを観ている最中の観客に悟られるレベルの低さ。
> ・小さいから重力も低い
これはマズいですかね。
「軽いから」「質量が低いから」に変更しといて下さい。
日本語の能力の不自由な方にこれ以上付き合うのも苦痛なのですが・・・。まあ人生経験ですからね。(「差別だ!」といわれるなら甘んじてお受けしますよ(笑))
わたしはアルマゲを擁護しようなどというつもりはさらさらありません。別に嫌いな映画ではありませんが、あれが科学的にむちゃくちゃでご都合主義だ、というのはそのとおりでしょうし。
しかし映画の本筋ではなく「科学考証」という1点に絞り込んで映画をぶったぎり、製作者を罵倒し、あまつさえその映画を評価した客に対する侮蔑まで隠そうとしない(それ自体はひとつの見解でしょうが)のであれば、その基準がなぜ他の作品に適用されないかという自らの見解を明確にするのが批評家としての誠実さというものでしょう。
しかるに山本氏は「銀英伝はおもしろいからいい」と言っているに過ぎません。
いや、それですらわたしは許容範囲だと思っています。山本氏は「アルマゲは嫌いで銀英伝は好き」なんでしょう、おそらく。完全に客観的な視点などというものは幻想でしょうから、好みが批評に影響するのはやむをえない。山本氏の文章はまだ芸になってますからあれはあれでいいと思っています。
問題はあなたのような人が意味不明な論理で山本氏のダブスタを擁護することです。
「水戸黄門の飛脚とベストキッド2の沖縄」????
その根拠は?恣意的なたとえをいくつ持ち出したって、自論を補強することにはなりませんよ。
とにかくあなたにはもうちょっとわかりやすくまともな文章をお書きになることをお勧めします。
あとですねえ、興奮されてるのかどうか知りませんが、自分の文章くらいちゃんと見直してから送信ボタンを押されたらどうですか?
「補足」されてもちっとも文章がわかりやすくなってませんよ。
> 普遍性や常識の基準を問い直す程グレーゾーンにある映画じゃありません(笑)
この件は、すでに國臣さんが言い尽くされておりますのでそちらを。
> 最初に結論が存在し、その為に根拠を探す賎しい文章よりは愉快です。
卑しい文章が、私のものであると仮定して。
ザ・ベスト収録「と学会と田中芳樹 と学会と戦争論」の議論において
小林よしのりが思想的には左から右へと軸足を移したとはいえ、その表現手法や読者への影響力、記述内容の間違いの多さは過去となんら変わっていないのに、無印ゴー宣は放置していた(むしろ好感を抱いていた節もある)山本が、なぜいきなり「戦争論」に対して強い批判をするようになったのか。
との疑問が生じ、
タカ派的な内容を、山本が気に入らなかっただけなのではないか
と推論しましたが、この時点では結論が出ませんでした。
その後、「考察シリーズ 田中作品を巡る山本弘論争顛末記」にて「アルマゲ」がらみの議論を閲覧し、やはり、これは氏の好き嫌いの感情に端を発したダブスタであると確信しました。
これのどこが、「初めに結論ありき」なのでしょうか。きちんとコンテンツを読んでいますか。
それと、真剣に言葉を選んでやり取りをしている多くの皆さんに対して、気に入らない意見と見るや、つまらない茶々を入れ続ける(あなたは寸鉄人を刺す一言居士を気取っているつもりなのでしょうが、あまりにも言葉が足りな過ぎて、ちっともこちらには伝わりません)その姿が、どのように見られているか想像出来ませんか。 現実世界でそのような輩がそばに居たら、腹が立ちませんか。それとも、普段からあなたはそうなのですか。
これからも、この場に参加されようというのでしたら、その点ご一考ください。
> しかし映画の本筋ではなく「科学考証」という1点に絞り込んで
だから「水戸黄門の飛脚とベストキッド2の沖縄」って例えを出したのに・・・。
本筋に大幅に関わって全面に出てる考証ミス(沖縄)と全然関係ない隅っこの考証ミス(飛脚)を同列に語れと言ってもダメですね、と言う事なんですが。
(事実、本筋に関係ないミスは挙げてるだけでほとんど言及しないか茶化す程度。いくつかはむしろ作劇的にOKと擁護すらしている。「科学考証の基準」が大体どこにあるのか明白)
「山本氏は好き嫌いで語ってる」つー結論が先にあると、やっぱり賎しいトンデモ理論が生まれるなぁ、と思う次第であります。
> 疑問が生じ~その後~閲覧し、
・・・普通、何かに結論付けようってなら、最低「そうである」「そうでない」「あるいはこうかもしれない」の3つ以上の視点からそれぞれ色々目を通したり調べたりするものですが。
1つの視点で書かれたモノを1つっきり読んで出た結論を常に当てはめて「始めに結論ありき」じゃない、ですか?
では、ここのコンテンツに無い事柄を3つ挙げてみましょう。
a:「戦争論」と同時に「買ってはいけない」にも言及している。
b:ゴーマニズムは『左』、戦争論は『右』寄りと見られている。
c:買っては~は『左』に位置する本と見られている。
・・・これだけだといきなり「左右のバランスとっただけじゃない?」と、全然異なる結論が出ます(笑)
> あれが科学的にむちゃくちゃでご都合主義だ、
> しかし映画の本筋ではなく
今までの失礼をお詫びします。今やっと解りました。
しかし~、と続いているのだから当然
【アルマゲドンの科学的ミスは本筋に関係無い部分なので、銀英伝にも適用するべきだ】
と言う事ですね。
改めてレスします。
『その前提が間違ってます。
もう1度山本氏の指摘に留意しつつ観直して下さい。
アルマゲドンの科学考証ミスは本筋に関わってる上目立ってます。』
なるほど、少し面白くなってきましたね。
というわけで、わたしの前発言での非礼についてはお詫び申し上げます。
しかしやっぱり「お説ごもっとも」とはいかないようで・・・。
山本氏は銀英伝について、このように述べています。
―科学的な不正確さはこの作品の欠点ではない。『銀英伝』の魅力はそんなところにあるのではないからだ。大勢の個性的なキャラクターたちが織りなすドラマ、智将同士が火花を散らす戦いの面白さ、宇宙的スケールの野心や謀略、ヤンがユリアンやフレデリカに洩らす愚痴の楽しさ、現実の政治や歴史に対する作者のアイロニー、そこかしこにちりばめられたユーモア……それらすべてが『銀英伝』の魅力であり、人気の秘密なのだ。
さらに、銀英伝の科学的ミスを指摘する人にはこう答えるそうです。
―「確かにそうですね。でも面白いからいいでしょ?」
しかしこれが許されるのであれば、アルマゲについてだってなんとだって言えます。あれは徹底的に視覚的派手さを優先した映画で、隕石がニューヨークに落ちねばならなかったのも、小惑星の上で風が吹いているのも全て画面上の迫力を優先した結果だ。アルマゲの魅力はそんな区々たる科学的な問題にあるのではない。あくまで親子愛、同僚愛、人類愛、自己犠牲の精神と人間ドラマ、そしてスクリーンに映し出される迫力ある映像、それら全てが『アルマゲドン』の魅力であり、人気の秘密なのだ・・・とかね。
更に言えば、最近山本氏が高く評価している「キル・ビル」はアルマゲと同等、もしくはそれ以上に荒唐無稽で整合性のない、科学的にむちゃくちゃな映画です。
この両者の違いといえば多分「製作者が分かってやってるか否か」というところにあるのでしょうが、マイケル・ベイが「分かってない」という証拠はどこにもありませんし、そもそも製作者の主観が作品の批評に決定的な影響を与えるのもおかしな話です。
つまりこの場合、山本氏がアルマゲの作品としての質の低さを主張したいのであれば、それらの演出が作品に与えた影響をこそ問うべきであり、個々の演出の整合性や科学的厳密さだけに重きを置くのであれば、それは必然的に「銀英伝」の記述にも波及せざるをえないのです。
しかしまあ・・・こういう相対主義はわたしもあんまり好きではありません。慎重なだけの批評なんて面白くないですからね。
ですが立場を変えればこういう見方だってあるのは事実です。そういう見方をする人に「近視眼」「幼稚」「賎しい」という人格的批判は不当だと思いますよ。
個人的には山本氏と同じく
銀英伝は好きで、アルマゲドンは嫌いだ
という”好み”を表明したうえで・・・・
「本筋」に絡むかどうかで判断するなら
銀河英雄伝説で田中氏が(おそらく承知の上で)記述した「宇宙空間という3次元的に移動できる場所なら、本来ありえない戦術や戦闘シーンが頻発する」という科学的マチガイは、かの物語の本筋に絡んだ問題であると思われますが。
しかしなんか、山本弘氏の名前を出したら
話が盛り上がったなあ。
余談でスがその昔、三田村鳶魚という人が江戸研究家の立場から戦前の伝奇小説、時代小説を当たるを幸い切って捨てていましたが、彼は古典として今高い評価を受けているものも箸にも棒にもかからぬものも、ほぼ同じ基準で扱ってましたね。
だもんで非常にゴリゴリエグエグで、それがまた面白いんですが、
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ところで、実は最初読んでよく分からなかったのは「水戸黄門の飛脚」と「ベストキッドの沖縄」ってどっちがどっちのことかてこと(笑)。水戸黄門って、飛脚以外にもそれこそトンデモ的な視点でも相当なもんですからね。
そこで、さらによく分からないのが後一点。
「本筋に絡む間違いと、本筋に関係ない間違いはどちらが問題なのか」ということです。
これについてはさすがに疲れたので後日。
> 科学的な不正確さはこの作品の欠点ではない
ここのログから見る限り、映画好きなら誰でも言いそうな事を書いているとしか読めません。
a)銀英伝は「現実」と比較して「作品世界」の科学は不正確だが~
b)アルマゲドンは「作品内」で「カット毎に基準が変わる」から駄目~
c)一方はそれなりの知識がないと解らないが、もう一方は子供でも解る(映像なのでバレやすい)
何故、銀英伝の「現実に対する不正確」が、アルマゲドンの「作品世界内での不正確、統一性の無さ」と同じ事になるのか。
未来の設定なので空想的な技術を出しやすい作品と、現実の延長線上にある作品では許される限度もまったく違います。
(前者では許されても、後者では無理な事が多い)
・基準が統一されていない
・作品の諸条件が考慮されていない
・相手の言っている事が理解出来ていない
これに賛成しろってのはさすがに無理です。
> 「分かってない」という証拠
竹書房から出ているノベライズが証拠になるでしょう。
(ノベライズは上映に合わせる必要がある関係で、
削られた場面が残っていたり作者がわざわざフォローする)
> 演出が作品に与えた影響
「映画館での爆笑」とラジー賞の栄誉でしょう。自分は怒りましたが。
>映画好きなら誰でも言いそうな事を書いているとしか読めません。
?ここちょっと意味がわかりません。
「映画好きなら誰でも言いそうな事だからわざわざ取り上げるな」ということですか?
それでしたら話の進めようがありません。あなたの勝手な都合で山本氏の発言を没にされたりしては困ります。
> a)銀英伝は「現実」と比較して・・・
なるほど、なるほど。つまり「現実世界」と「作品世界」の科学が齟齬をきたしているのは構わないが、「作品世界」の内部で矛盾があるのは駄目だと。
では「ワープ航法」が確立されている世界で拠点防衛のための「要塞」が戦略的に巨大な意味を持つのは矛盾ではないのですか?
三次元の宇宙空間に「回廊」が存在するのは?
これらは作品の根幹に関わる部分であり、アルマゲのガトリングガン問題などよりも遥かに本筋に関わる矛盾です。
更に言えば、アルマゲにおいて狙ったように大都市に隕石が落ちたり、宇宙空間でメラメラ流星が燃えていたりしても、作品内の矛盾とは言えません。「あれはそういう世界のお話」なんですから(笑)
未来と現在の物語の問題についても、反論はありますが、たとえそれが正しかったとしても、山本氏が「アルマゲドン」と「銀河英雄伝説」の差を「一方は限度を越え、もう一方は限度を越えてない」などという程度の問題として主張したことはありません。
またそういった恣意的な線引きは、結局のところ他にいくつでも作り出せるのです。
例えば、「迫力ある映像のため」という免罪符がある映像作品においてよりも、「論理」だけが勝負の文章作品のほうがより科学的厳密さを求められるのは当然だ、とか。(わたしがそう主張しているのではないですよ。)
>「映画館での爆笑」とラジー賞の栄誉
んーと、これはつまり「映画館で周りがみんな爆笑していたし、ラジー賞も受けた。だから『アルマゲ』の演出は失敗だったんだ」ということでよろしいでしょうか?あなたは本気で山本氏がこのような主張をしていると考えているのですか?
「映画館で周りがみんな号泣していたし、アカデミー賞も受けた。だから『タイタニック』の演出は成功だったんだ」と主張する批評家がいたら「馬鹿じゃねーのか」と思いませんか?ちなみにわたしがアルマゲを観た渋谷の映画館では、若い女の子が結構泣いていましたが(笑)
> ?ここちょっと意味がわかりません。
普通の台詞なので「一方を語らないのは好きだから」と言う結論には結びつかない、と言う事ですね。
> 「作品世界」の内部で矛盾があるのは駄目だと。
「2つを比べるなら、より駄目」と「山本氏がいっている」ですね。
> では「ワープ航法」が確立されている世界で~
ガイエスブルグを動かすのにわざわざ実験が必要な程度の確立ですが。
> これらは作品の根幹に関わる部分であり、
銀英伝のジャンル「スペオペ」でのワープは基本的なお約束ですが。
ミステリの「盗まれた宝石の価値、種類」、アルマゲドンなら「石油掘りが宇宙で大活躍」の部分です。
> 主張したことはありません。
「明確な文章にした事が無い」です。
ここに残っているログを読む限り、他の結論は出ません。
> 「馬鹿じゃねーのか」と思いませんか?
思いません。基準が明らかで、結論との間に矛盾がありません。
(ついでに言うなら、タイタニックは全て「失われたモノへの郷愁による泣かせ」で統一されています。アルマゲドンで泣くのとは違います)
「この評論家は『タイタニックは泣ける』と評論しているのに、『レイズ・ザ・タイタニックは泣けない』と評論している。同じ船を扱っている映画なのにこんな違いが出るのはダブスタだ」
と言う人なら馬鹿だと思います。
もはや脊髄反射ですね(苦笑)
>普通の台詞なので「一方を語らないのは好きだから」と言う結論には結びつかない、と言う事ですね。
???なんとも理解に苦しむ見解ですねえ。
わたしとしては山本氏の「銀英伝観」を知るにもってこいの発言であると思いますが・・・。(ちなみにわたしはここでの山本氏の主張にほぼ同意いたします)
> 「2つを比べるなら、より駄目」と「山本氏がいっている」ですね。
山本氏がはっきりとそう発言しているのですか。それは知りませんでした。
> ガイエスブルグを動かすのにわざわざ実験が必要な程度の確立ですが。
だからなんですか?あれは単にエンジンの同期の問題などという瑣末なことで、ワープ技術そのものは完全に確立されています。現に作中で実現しましたし。
> 銀英伝のジャンル「スペオペ」でのワープは基本的なお約束ですが。
> ミステリの「盗まれた宝石の価値、種類」、アルマゲドンなら「石油掘りが宇宙で大活躍」の部分です。
「ワープ」がいけないと言っているのではありません。「ワープ」の存在する世界で地球上と同じような概念の国家間戦争が起こることがおかしい、と言っているのです。例えば「星界シリーズ」などではこの点作者がいろいろ頭をひねった形跡があります。「お約束だから」ですませるのは山本氏が最も嫌う創作の姿ではありませんでしたか?(だからと言って「銀英伝」が「星界シリーズ」より低レベルの作品だ、などというつもりはありませんよ。)
ところで「石油堀りが宇宙で大活躍」ってお約束なんですか?他にどういう作品があるのですか?
> ここに残っているログを読む限り、他の結論は出ません。
いいえ。それはあなたの思い込みです。
> > 「馬鹿じゃねーのか」と思いませんか?
> 思いません。基準が明らかで、結論との間に矛盾がありません。
あのねえ・・・。自らの論理も評価も示さず、他人の評価の尻馬にのって作品を批評するような批評家が本当に「馬鹿だ」と思わないんですか?とにかく自分の間違いを認めたくないのは分かりますが、もう少し考えてからレス打ちなさいよ。あなたはわたしなんかより遥かに山本氏を侮辱しているんですよ?
> > では「ワープ航法」が確立されている世界で~
> ガイエスブルグを動かすのにわざわざ実験が必要な程度の確立ですが。
でも、そんなに信頼性がなかったらそもそも皇帝陛下をはじめとする
要人を乗せてワープするのはそれだけでリスクが大きいのでは?
「あのイゼルローンのペテン師はどうした!」
「ワープ失敗で、艦隊ごと消滅したようです!!!」・・・銀河の歴史が、また1ページ。
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>「ワープ」の存在する世界で地球上と同じような概念の国家間戦争が起こることがおかしい
たしか、宇宙にはとにかくブラックホールだか星間物質?だかがあって、回廊以外は通れない、という設定だったっけ?個人的には「へーなるほど」と納得しちゃいました(笑)。
タイタニアで使った、ブラックホール-ホワイトホールだか何かを使ってのワープだけは可能で、そのためワープの場所は限定される、というネタを銀英伝でも使えばよかったのかもしれませんね。
> なるほど、なるほど。つまり「現実世界」と「作品世界」の科学が齟齬をきたしているのは構わないが、「作品世界」の内部で矛盾があるのは駄目だと。
話が前後しますが、創竜伝はこのHPで指摘されているようにとにかく作品世界での矛盾がひどいわけですね。時はまさに世紀末なのか、新世紀なのか、民主主義は牛種の力によるものなのか、中国は混乱しているのか経済発展しているのか・・・
http://tanautsu.duu.jp/honron03.html
「アルマゲドンと同じ基準で判断して」この作品のトンデモ認定は可能なんだろうか?
> 山本氏がはっきりとそう発言しているのですか。それは知りませんでした。
それだと「自分はダブスタです」とはっきり書かない人間は全て首尾一貫している事になります。
知らないというより「読み取れませんでした」が適当でしょう。
【何故「アルマゲドンの科学考証内で山本氏の指摘した部分」と「このHPで指摘されている銀英伝の科学考証部分」が同レベルなのか】
自分が最初からずっと聞いているのはこれですが。
他は結構です(所詮は余談です)
文章(例えに挙げた事例)から容易に読み取れる基準を無視した、
単語(科学考証)に反応しただけの前後の文脈と矛盾する反論
(つまり、ここのログにおけるここの住人の反論部分)は無意味(むしろ有害)です。
例えから類推すると「基準自体の頓狂さ」でその評論家を測っている様ですが、それは「現実の科学考証で映画中を測る」でしかありません。
自分は「映画の中で矛盾しているかどうか」に相当する「基準から導かれる論理と結論の矛盾の無さ」で測っているので判定が違うわけです。
あれだけ明快な短から「判定の違いは脊髄反射の結果」しか出ないなら、文章がはるかに長い他の問題に対する答えはまったく検討違いの可能性が大きいと考えられるべきでしょう。
> それだと「自分はダブスタです」とはっきり書かない人間は全て首尾一貫している事になります。
うーん、全くもって意味不明ですね。理解力不足で申し訳ない。
わたしは山本氏が「銀河英雄伝説」と「アルマゲドン」の両者を「同質の誤りを犯しているが、限度を越えているアルマゲは許せず、限度を越えていない銀英伝は許せる。なぜなら未来の物語である銀英伝はより誤りが許される限度が広いからだ」などというふうに考えているとは思っておらず、山本氏がそうはっきり主張しているとするならば、「それは知らなかった、申し訳ないなあ」と思ったのであのように書きました。
しかしあなたはわたしの読み取れなかった文意が読み取れるようです。行間を読むっていうんですかね(笑)
ではあなたが山本氏の発言のどこから「未来の物語と現在の物語では許される限度が違う」という主張を読み取ったのか、教えていただけますか?
> 【何故「アルマゲドンの科学考証内で山本氏の指摘した部分」と「このHPで指摘されている銀英伝の科学考証部分」が同レベルなのか】
>
> 自分が最初からずっと聞いているのはこれですが。
> 他は結構です(所詮は余談です)
それは話が逆です。「なぜ山本氏がこの両者を別物と考えるのか」というのがそもそもの問題提起でしょう。
・銀英伝の魅力は科学考証部分以外にあるから?→アルマゲだってそうだろう。
・銀英伝の間違いは本筋に関係ないから?→基本設定の部分で科学的に問題を抱えている。
・銀英伝の間違いは現実世界との齟齬であり、アルマゲの間違いは作品世界内部での矛盾であるから?→銀英伝にもワープ問題など、作品世界内部での矛盾は見られる。
・銀英伝は未来の物語であり、未来の物語は現在の物語より多くの間違いが許されるから?→恣意的な区別であり、根拠がない。そもそも山本氏がこのように主張している箇所が見当たらない。
というふうに、議論は推移してきたわけですね。で、これに対する反論をお待ちしているわけです。
> 例えから類推すると「基準自体の頓狂さ」でその評論家を測っている様ですが~
違います。わたしは批評家も自らの批評を独立した作品として作るべきだ、と言っているのです。
どんな素っ頓狂な基準を用いたって構いませんが、基準は一貫しているべきだし、その基準がよそからの借り物であるような批評家は批評家の名に値しない、と言っているのです。
賞を貰ったから、あるいは映画館で受けが悪かったから、作品の評価を上げたり下げたりするような批評家は「馬鹿だ」と言っているのです。
山本氏がそんな批評家だとは思えないんだけどなあ、と言うのがわたしの主張です。お分かりになりましたか?
あとひとつ、皮肉でなくて純粋な質問なんですが、アルマゲ以外の「石油堀りが宇宙で大活躍する作品」というのが知りたいのです。教えていただけないでしょうか。
最近全然返事が無いようですが、遅ればせながら。
> ・・・普通、何かに結論付けようってなら、最低「そうである」「そうでない」「あるいはこうかもしれない」の3つ以上の視点からそれぞれ色々目を通したり調べたりするものですが。
>
> 1つの視点で書かれたモノを1つっきり読んで出た結論を常に当てはめて「始めに結論ありき」じゃない、ですか?
繰り返しますが、何を言ってるのかさっぱり分かりません。
> では、ここのコンテンツに無い事柄を3つ挙げてみましょう。
>
> a:「戦争論」と同時に「買ってはいけない」にも言及している。
> b:ゴーマニズムは『左』、戦争論は『右』寄りと見られている。
> c:買っては~は『左』に位置する本と見られている。
>
> ・・・これだけだといきなり「左右のバランスとっただけじゃない?」と、全然異なる結論が出ます(笑)
「買ってはいけない」は左右がどうこう以前に、記述内容がめちゃくちゃなのだからトンデモ認定も納得できます。だったらなおのこと、「『ゴー宣』が左寄りだった時も、右寄りになった現在でも、そのスタイル(問題点)は変わっていないのに、なぜ『戦争論』が出るまでトンデモ本として取り上げなかったのか」という、私の疑問は深まる一方です。
山本弘氏とその愛読者の方々は非常に繊細なのであまり刺激なさらない事をお勧めいたします。
「どうにも納得がいかない」という場合下記のHP(以前こちらで拝見
した投稿から引用させていただいた事もあります。この場にて感謝)で
『多様な意見』をご覧になるのも宜しいかと。
まあ「仕方ない」というものはあるという事でひとつ。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/5254/