銀英伝のジェシカ・エドワーズの反戦運動。ベトナム反戦運動から取ってきたものだ、という意見を読みましたが、だとすると田中芳樹の「戦争」に対する認識は無茶苦茶ですな。
なるほど、ベトナム戦争はアメリカ人にとっては現実感の薄いものでした。「なぜ、自分たちの夫や息子が、ベトナムなどというどこにあるかも解らないような地の果てに行って死ななければならないのか?」という問いかけに有効に答えられる者はいませんでした。実際、アメリカが南ベトナムを見捨てた後、アメリカの安全が脅かされた訳ではありません。
しかし、銀英伝の自由惑星同盟はどうでしょう。ジェシカたちの主張が通って(民主主義の国だから、あり得ない話でもない)同盟が軍縮に踏み切ったらどうなります?チャンスとばかりに帝国軍が侵入してきて、ほとんど戦わずして降伏、という事態に陥るでしょう。
そう、自由惑星同盟は、ベトナム戦争当時のアメリカではないのです。北ベトナムは、いくら張り切っても米本土まで攻め込む力は無かったし、目的もアメリカをベトナムから追い出して、南ベトナムを北ベトナムに併合する事だけでした。銀英伝の世界では、自由惑星同盟は、銀河帝国の軍事的圧力に常に曝されています。少しでも油断したらすぐに征服されてしまう、この状況下で反戦運動を行う神経は異常ではないでしょうか。作中の反戦運動家たちは、何を根拠に同盟の安全が確保されていると考えているんだろうか。
田中芳樹は、自分であのような世界を拵えておきながら、何でこんなに矛盾した存在を出すんでしょうね。こういうところ、「日本人」だと思いますよ。「日本人は安全と水はタダだと思っている(イザヤ・ベンダソン=山本七平)」。そのままですね。クリスチアン大佐(ちょっと暴力的過ぎますが)をはじめとする軍人たちの反戦運動に対する苛立ちの方が、よっぽど理解できますよ。「こんなことをしていたら、同盟が滅ぶ」って考えるのが普通でしょう。
銀英伝を英訳してアメリカ人にでも見せたら、ここのくだりは笑われるんじゃないかと思いますが。
不沈戦艦さんの指摘は、非常に鋭いものだと思います。まるで、空想科学読本の軍事版のような趣ですね。
同盟のモデルは当然アメリカですが、その置かれている状況は、民主主義国としては、むしろ旧西ドイツや韓国に近いものであると思います。
>銀英伝を英訳してアメリカ人にでも見せたら、ここのくだりは笑われるんじゃないかと思いますが。
いや、むしろ韓国語訳をして韓国人に読ませてみたいですね。創竜伝が韓国語化されているということは、銀英伝もされているのでしょうか。
とりあえず、脅威というものをリアルに捉えている(捉えざるを得ない)韓国人が、日本人と同じような受け取り方をするのか否か、単純に興味がありますね。
でも、銀英伝はアニメ化されているから、他国に知られている可能性はずっと高いのかも。
先ずは管理人氏へ。確かに、韓国人に読ませた方が面白いかも知れません。それと台湾人ですね。どこかの国(たって北朝鮮に中国なのは解りきった話ですが)から、領土的な野心を日常的に持たれている国はそのくらいでしょうから。
それとですね、反戦運動=軍縮か、についてですが、まあここは正直言って端折って書きました。正確に書くと、「銀河帝国と和平交渉を行って戦争を終結させ、平和を到来させる」ってところでしょう。これでも、銀英伝世界では、あまりに甘い認識です。ジェシカたち反戦運動家は、同盟政府を和平の方向に持っていけば、銀河帝国と一定の条件で停戦する事が可能、とでも考えているんでしょうけど、大甘ですな。相手が受けなかったらどうなるのか、客観的に見て、相手が和平交渉を受ける条件が整っているのか、という観点が見事に欠落しています。
ジェシカが反戦運動に身を投じたのは、婚約者のラップ少佐がアスターテ会戦で戦死したことから始まっています。その時点でなら、両国の軍事バランスは拮抗している訳ですから、帝国に「皇帝に逆らう愚かな叛乱軍を懲らしめる」という意図を捨てさせれば可能だったかも知れません。
ところがその後、事態が徹底的に変わります。アムリッツア会戦の同盟軍の惨敗で、軍事バランスは完全に崩れました。イゼルローン要塞無しには同盟の防衛がおぼつかない状況にまでなってしまっているではありませんか。特にアムリッツア後は、帝国が和平の提案を受ける訳はありません。軍事的バランスが崩れて、チャンスが訪れたのですから。しかも、帝国にはラインハルトといいう「全宇宙をこの手に」などと考える野心家もいることですし。そのような状況下において、反戦運動が継続しているという事は驚異的でしょう。まさか反戦運動家たちは、ヤンのように「国など滅びても構わない」と考えている訳じゃないでしょう?帝国に征服されて自由も民主主義も失ってしまうことは悪夢の筈です。それなのに、反戦運動が終わった訳ではない。実際クーデター時に「平和的な市民集会」を開くだけの力があるのですから。
どうもジェシカ以下の反戦運動家この辺の行動は、実際に他国の軍事的脅威を受けている国の国民の行動と言うよりは、日本にかつて跳梁跋扈していた空想的平和主義者を彷彿させるものがあると思います。曰く「憲法第九条を守ろう」「自衛隊はなくすべきだ」「日米安保反対、米軍基地は撤去せよ」などなど。軍事バランスに関する論理的把握など気にもせず、現在の平和がどうやって保たれているかを考えもせず、ただただ「戦争と軍隊は嫌」という気分だけで平和を叫んでいた連中そっくりではありませんか。田中芳樹も、こういった連中にまだ共感しているのかも知れません。カエルサル氏の意見では「田中芳樹の頭の中はまだ70年代」という事ですから。
これなら、ベトナム反戦運動の方が遙かにましでしょう。彼らは、自らの安全を考慮しないでやっていた訳じゃないんですから。前にも言った通り、アメリカ合衆国自体が北ベトナムの軍事的脅威に曝されていた訳ではありませんので。「何でアメリカ人の血を流してまで、ベトナムを助けねばならないのか」というだけの話でしたから。
不沈戦艦さんの批判を読んで思ったのは、「二人の英雄の闘争」を描く作品で反戦を謳うのは原理的に無理があるのではないか、ということです。『ガンダム』に対して、メカ戦を面白おかしく描いておいて、反戦風メッセージを入れるのは矛盾だ、といった批判があったのを思い出しました。
もちろん、さんざ好戦的にやっておいて、最後に、それは全部無駄だった、とやる手はあります。確か『ヤマト』は「僕たちはもっと愛し合うべきだった」とか演説するんでした。
ただ『銀河英雄伝説』通読したときは「人の営みって空しいなあ」なんて感慨にふけったりもしました。諸行無常があの作品のテーマだ、と言ったら、田中芳樹は心外に思うのかな。褒めているつもりなんだが。