銀英伝考察1-B

ヤン・ウェンリーの思想的矛盾

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board2 - No.502

Re: 悪役の矛盾と謀略否定論について

投稿者:あしだ
2000年01月18日(火) 14時18分

レスありがとうございます。

冒険風ライダーさんは書きました

>  そもそもラインハルトが戦争好きの気質を持っているからと言って、ヤンがそれにつきあわなければならない理由はありません。

というよりも、むしろ積極的に、ヤンは一番くみしやすい戦争相手としてラインハルトを選んだのでは、と私は考えました。確かにヤンは「戦略レベルにおける劣勢を、戦術レベルで挽回する」という考え方は侮蔑していましたが、そのような反則的勝利の実績があるのも事実。ラインハルトが馬鹿正直に (コトバが悪いですね。一本気に、といってもいいですが) 挑発に乗ってくれることに、ヤンとしては一縷の勝機 (戦略目標の達成という意味で) を見出していたのでは?例えば、下手にラインハルトを戦死せしめたとして、それで帝国が一気に全面崩壊してしまう訳ではないですよね。ラインハルト亡き後、ロイエンタールあたりが皇帝を継ぎ、それをオーベルシュタインが補佐して謀略主義が採られたら、それこそヤンとしては対処のしようが無くなるのでは。

...と考えれば、冒険風ライダーさんがおっしゃっている

>  それにしても、「個人的な感情」に基づいてバーミリオン会戦の挑発に応じたり、イゼルローン遠征を開始したりしているラインハルトを、なぜヤンは批判しようとしないのでしょうか? ヤンの戦争否定の思想からしても、これはおかしいと思うのですが。

にも解答が出るのでは。つまり、自分の掌で踊ってくれちゃってるラインハルトに対し、批判するどころか、感謝して花束の一つも贈りたいと。もちろん、この場合でも現実の帝国軍の強さは別問題で、回廊の戦いでイゼルローン軍が全滅の憂き目に遭いかけ、皇帝不予によって九死に一生を得たのも事実。ヤンの見込みの甘さは責められ得るかと思います。しかし、もしも回廊の戦いでオーベルシュタインの献策が容れられ、ハイネセンの市民および政治家を人質に取られてイゼルローンの開城を迫られたら対処のしようがなかったはずです (どこかにそんな記述がありましたよね)。

それから、これは質問なのですが、

>  自らの目的達成のためにも、また自らの思想や感情と整合性をつけるためにも、ヤンは謀略の効用を直視すべきであったと思うのですが。

ヤン (もしくはイゼルローン勢力) があの時期に謀略主義を採るとして、どのような策が妥当だと思われますか?お考えをお聞かせ願えれば幸いです。

(追伸。久しぶりにヤンとかラインハルトとかタイプしているだけでトリハダが立つ思いでおります。)

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board2 - No.503

解決策としては・・・

投稿者:北村 賢志
2000年01月18日(火) 18時24分

冒険風ライダーさんは書きました
>竜堂兄弟の敵対陣営のマヌケぶりの最もたるも
>のは、四人姉妹の機密であるはずの「染血の
>夢」を、わざわざ竜堂兄弟一派に教えてやった
>事でしょうな。黙っていれば竜堂兄弟は何もし
>てこないだろうに、それこそガソリンスタンド
>に爆弾を投げ込むような愚行を、わざわざ自分
>からやらなければならない理由がどこにあると
>言うのでしょうか?

 この矛盾点は結構簡単に「解決する方法はあった」のです。
 ズバリ「一連の竜堂兄弟への干渉や『鮮血の夢』計画はすべて牛種が竜堂兄弟を利用するためにばら撒いたエサである」としてしまうことです。
 ですが破壊しか能のない竜堂兄弟を利用し、しかも「鮮血の夢」より大掛かりなものになると、目的はもう「人類滅亡」しかありません(無論、逆にスケールを小さくしてもいいのですが、それでは小説としての盛り上がりに欠けます)。
 ところがすでに「牛種の世界支配は巧妙だ」といったことを作中言わせている以上、その連中の目的を「人類滅亡」にしてしまったら自家撞着としか言いようがありません。
 この手法を取るにはすでに手遅れでしょう。

 純粋に娯楽小説として見ても「鮮血の夢」の情報は、「普通の人間」が何とかつかんで情報収集能力のない竜堂兄弟に伝えるなり、計画の一部だけをちらほらと出しつつ、しばらく引っ張るなり手は色々とあったと思うのですが、このあたりはもう失敗としか言いようがありません。

>第一、「主人公と敵が関わるに至る明確な理
>由」がなかったら、相手を「悪」とみなして完
>膚なきまで>に叩き潰す、という事自体、全く
>正当化できないで>はありませんか。勧善懲悪
>に必要不可欠であるはずの設定さえまともに
>できていないと言うのでは、創竜伝は「子供向
>け小説」としてさえ失格であると思うのですが。

 全くの私見ですが、ひょっとすると田中氏は現在の世界秩序や日本の実情を本音は支持しているのではないでしょうか。
 創竜伝に出てくる「既存の秩序を代表する存在」が非常に矮小に描かれているのはいまさら繰り返すまでもありませんが、逆を言えば田中氏はそういう手法以外に、既存の秩序を「悪」とするに足る説得力ある描き方を見出せないようにも見えます。

収録投稿19件目
board2 - No.505

Re: Re484/485 謀略否定論の弊害とオーベルシュタインについて

投稿者:ランチ曹長
2000年01月18日(火) 22時13分

 平静の一軍人さんは山県有朋を、冒険風ライダーさんは秦檜を、「史実のオーベルシュタイン」と誉めておられますが、ちょっと私見を述べたいと思います。

 オーベルシュタインというキャラは、銀英伝中、最も無謬に近いところにいる人物だと思います。ヤンやラインハルトさえ、よく指摘されるように「感情」で動く人間として描かれているため、意地を張って失敗する事があるのに、オーベルシュタインは「感情が無い」かのような描かれ方ですから。
 まあそんなわけで、オーベルシュタインは「通好み」の人気キャラですが、史実の謀略型人間をオーベルシュタインに重ねるのはちょっと無理があるかな、とも思うのです。
 作中でも何度も語られていますが、オーベルシュタインはイヤな奴で人徳が有りません。その数多い正論を帳消しにするほどに。
 ・・・というような事は今さら私が言うまでもありませんが、重要なポイントが一つ。
 オーベルシュタインがイヤな奴であり、人徳が無いのに一目置かれる存在である理由として「私心が無い」という点も重要だと思います。確かビッテンフェルトに「私心が無い事すら利用しているのが許せん」みたいな事言われていますが。
 物欲、虚栄心などを全く持ち合わせていない、というのは大きな理由ですし、回廊の戦い直前の「自分が死間になってもヤンをおびき寄せる」発言など、自分の生命にさえ執着しない、という態度も、オーベルシュタイン評価の際の重要なポイントじゃないか、と思うのです。

 個人的には、秦檜にしろ山県有朋にしろ、「功績ある謀略型人間」だとしても、私心が有りすぎる人物なので、「史実のオーベルシュタイン」のようにベタ褒めするのはどうかな、と思うのです。

 と言うよりむしろ、オーベルシュタインという人物は、ラインハルト以上の「現実には絶対表れない、フィクションだからこその完璧キャラ」として書かれている気がするので、歴史上のどの人物もオーベルシュタインに比べる事はできない、と思います。

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board2 - No.506

感情論と言い切るのも難しいのでは?

投稿者:ランチ曹長
2000年01月18日(火) 22時40分

 しばらく興味深くこのツリーに注目していました。ちょっと私見を。

 このツリーでは、オーベルシュタインの評価が高いようですが、現実的に考えると、ヤンやユリアン、ラインハルトがしばしば陥る「感情論」も、そう冷たく切り捨てる事はできないのでは、と思います。

 オーベルシュタインの謀略(と言えるでしょう)の一つに「ヴェスターラントの虐殺」があります。それを誰もが「結果として内線が早く終わり、犠牲者も減ったし」と数字で割り切れるものじゃないと思うのですよ。そして、そういう「納得いかない」って感情は、簡単に無視できないものなんじゃないか、と思います。
 オーベルシュタインに対するミッターマイヤーの反論に「義によってこそ国は立つ」という言葉がありますが、現実に国家を動かす者が言うには「青臭い」のは事実ですが、一概に切り捨てるもんでもないんじゃないかと。

 銀英伝において「ルドルフ的」と言われる論法を完全否定するのは難しいです。しかし、「謀略最高!」ってのも、それはちょっと違うんじゃないか?とも思うのです。

 あと、「ヤンの思想的矛盾」と言っても、ヤンについては作中しつこいくらい「矛盾の人」って書かれている事ですし、叩けばホコリはいくらでもでるので、叩きすぎるのも可哀想じゃないか、と思いますよ。

 全然まとまりませんが、ヤンやユリアン、ラインハルトの「理想論と隣り合わせの感情論」に対する批判もわからないではないのですが、人間の「感情」ってものを完全に仮定から切り捨てた「現実論」もまた非現実的になってしまうのではないか、とか思ったわけです。

収録投稿21件目
board2 - No.509

Re: Re498:ユリアンの謀略否定論とは

投稿者:ふみさとけいた
2000年01月19日(水) 01時07分

軽い気持ちで議論に参加したことを後悔しながら、読み、考えさせていただきました。

残念ながら今の僕では、冒険風ライダーさんの意見に対して効果的な反論は出来そうにありません。
謀略の必要性については彼のおっしゃる通りだと僕も認めざるをえないと考えます。

>同盟の市民がオーベルシュタインの謀略に納得しようがしまいが、そんなものは謀略とは全く関係のないことです。

という部分に関しては「民意」というものを無視するのもどうかと考えましたが、やったのはオーベルシュタインであり、ラインハルトはむしろ反対していたことを考えると、オーベルシュタインに反発するあまり皇帝の評価が上がり、結果的に新帝国の体制は強固になるのでは、という結論にたどり着き、オーベルシュタインのすごさを再確認するだけに終わってしまいました。結局「民意」としてもそれを受容するだけの下地があるからこそ謀略が成功するのでは?と今は考えています。というかそう考えたいです。
そんなわけで民衆が納得してしまうのならば、この議論は最初から成り立たないという結論にたどり着きました。少し悔しい気もしますが…。

ただ、冒険風ライダーさんの意見に納得できない点もあったので、それについても書かせていただきます。

> 「正道を求める」など、ヤンの「信念否定論」からすれば全面否定の対象でしかないではありませんか。「正道を求める」などという「信念」によって、一体どれだけの血が流れると思っているのでしょうか。ヤンの「信念否定論」は、まさに「信念」を持つ事によって争いが起こることを否定しているのですから、ヤンは自らの主張である「信念否定論」から言っても、謀略を肯定すべきだったのです。

という点について、「正道」というのは一体なんなのでしょうか?僕は「市井の倫理」であると考えます。僕は、ヤンという人を「公人になりきれなかった人」であると考えています。なまじ自分なりの考えを持ってしまったために、軍という組織の中でもそれを捨てきることが出来ず、「市井の倫理」を捨てきることが出来なかったために謀略に関することをはじめとした多くの行動が矛盾してしまったのではないでしょうか。また、私人に徹し、物事を作り上げるには信念に対する嫌悪感が強すぎた(これに関しては冒険風ライダーさんのおっしゃる通りだと思います)。それゆえにヤンの後継者であるユリアンもそれを受け継いでしまったのではないでしょうか。

ここニ三日で自分の考えが二転三転し、最初の発言とは全く意見を異にしてしまい我ながら情けないですが、これが今の僕の考えです。

乱文で失礼しました。

収録投稿22件目
board2 - No.511

Re502:反銀英伝・謀略構想私案

投稿者:冒険風ライダー
2000年01月19日(水) 03時20分

<むしろ積極的に、ヤンは一番くみしやすい戦争相手としてラインハルトを選んだのでは、と私は考えました。確かにヤンは「戦略レベルにおける劣勢を、戦術レベルで挽回する」という考え方は侮蔑していましたが、そのような反則的勝利の実績があるのも事実。ラインハルトが馬鹿正直に (コトバが悪いですね。一本気に、といってもいいですが) 挑発に乗ってくれることに、ヤンとしては一縷の勝機 (戦略目標の達成という意味で) を見出していたのでは?>

 この場合「ヤンがラインハルトにこだわる事によって、どのようにして自らの戦略目標を達成するか」という構想が必要になります。しかし銀英伝全編を通じて、ヤンにそのような具体的な構想がありましたっけ? 確かにヤンはラインハルトの感情なり気質なりに一縷の望みを託していたように見えますが、これは実のところヤンが嫌う「戦略レベルにおける劣勢を、戦術レベルで挽回する」よりもはるかに否定すべき考え方である「希望的観測」ないしは「精神論」に似た思想なのではないでしょうか(もちろんヤンはこれらの考え方をさらに嫌っています)。
 それに、仮にこの方法でラインハルトが民主主義の存続を認めたとしても、それは結局のところ「自己の力(軍事力とか国力とか)」に基づいたものではありませんから、ラインハルトの気が変わったり、ラインハルトの後継者なり帝国政府が「そんなものは認めない」などと公言したりしたら、その場で倒れてしまうような極めて脆いシロモノでしかありません。厳しいようですが、それが国家関係の現実というものです。これについては、以前に不沈戦艦さんが主張していた「バーラト自治州の脆さ」が一番説明できているでしょう。
 そもそもヤンの民主主義思想から言っても「皇帝の慈悲なり寛容さによって民主主義を存続させる」などという考え方自体、否定されるべき考え方なのではないでしょうか? その観点から見ると「バーラト自治州」というものについても、どうしても何か皮肉なものを感じてしまうのですが。

<例えば、下手にラインハルトを戦死せしめたとして、それで帝国が一気に全面崩壊してしまう訳ではないですよね。ラインハルト亡き後、ロイエンタールあたりが皇帝を継ぎ、それをオーベルシュタインが補佐して謀略主義が採られたら、それこそヤンとしては対処のしようが無くなるのでは。>

 オーベルシュタインとロイエンタールとが手を組む、というのは、あの二人の対立ぶりを見ても絶対にありえないことだと思いますが(^_^;)、それはさておき、上記の考え方に従うと、ヤンはラインハルトと戦場で戦う事に一体何の希望を見出していたのでしょうか? 戦場でラインハルトを殺す事すら許されないのでしょう? ヤンの選択肢はさらに狭まってしまうのではないかと思うのですが。

<つまり、自分の掌で踊ってくれちゃってるラインハルトに対し、批判するどころか、感謝して花束の一つも贈りたいと。>

 これはまず考えられませんね。「ヤンほどラインハルトを非常に高く評価している人間はいなかった」という描写があちこちにありますし、「自分やユリアンでさえ、ラインハルトに及ばない」という描写もありますから。もしヤンがラインハルトをそのように見ているのならば、自分と比較するような事をするでしょうか?
 ヤンもユリアンも、「民主主義を脅かす存在としてのラインハルト」というものについては敵対し批判もしましたが、「ラインハルト個人」というものについて何ら批判的言動を行った形跡がありません。「ラインハルト個人」にも少なからずの欠陥(バーミリオンやイゼルローン遠征に見られる感情的な行動原理など)があり、しかもそれに自分達が巻きこまれている(特に8巻・10巻のイゼルローン遠征)にもかかわらずです。だからこそ不可解でならないのですよ。

<もしも回廊の戦いでオーベルシュタインの献策が容れられ、ハイネセンの市民および政治家を人質に取られてイゼルローンの開城を迫られたら対処のしようがなかったはずです (どこかにそんな記述がありましたよね)。>
<ヤン (もしくはイゼルローン勢力) があの時期に謀略主義を採るとして、どのような策が妥当だと思われますか?お考えをお聞かせ願えれば幸いです。>

 これはとりあえず、
1. 銀英伝7巻、イゼルローン奪取後の謀略
2. 「オーベルシュタインの草刈り」の対処法
 の2つに分けて、私なりに論じてみましょう。

1. 銀英伝7巻、イゼルローン奪取後の謀略

 まずあの時点でヤンがやるべきだったのは、イゼルローン要塞と自らの武力を背景にして、帝国に「話し合い」を提言する事です。さしあたっては「イゼルローン要塞と帝国の覇権の承認と引き換えに、エル・ファシル独立政府を承認し、民主主義を存続させてほしい」とでも言って。ラインハルトはともかく、帝国政府と帝国軍はヤンの用兵に恐れを抱いていますし、帝国が自由惑星同盟を併合した後ならば、「平和がやってきた。もう戦いたくない」という兵士の延戦気分にも期待できるでしょう。ヒルダやマリーンドルフ伯、カール・ブラッケといった「帝国の穏健派」たちも、これ以上の犠牲を防ぐためにも話し合いに賛成するのではないでしょうか。ヤンが思っている以上にヤンの名声とイゼルローン要塞の戦略的意義は大きいのですよ。
 もちろん、これがそのままうまく行けば儲けものですが、まずそう簡単にはいかないでしょう。しかしそれで良いのです。というのも、これの第一目標は「時間稼ぎ」ですから、これでヤンは自らの勢力の基盤を整え、謀略をめぐらす時間を稼ぐ事ができます。あの時にヤンに一番必要だったのは「時間」だったのです。したがって、交渉はできるだけ長引かせる必要があります。

 次に行うべき手段は「自己勢力の基盤の強化」および「帝国内部の切り崩し」です。

 前者は宣伝工作と懐柔政策を中心に展開します。
 まず、同盟国内において「エル・ファシル独立政府は自由惑星同盟に代わる民主主義の後継者である」と盛んにアピールします。ヤンがエル・ファシル独立政府に身を投じた、というオマケでもつけておけばさらに効果的です。そしてここが重要なのですが、帝国を刺激しないように「我々は帝国と敵対しようとは考えていない。我々は平和を望んでいるのだ」とも宣伝し、自分達が平和主義者であることをアピールするのです。これによって帝国軍兵士の延戦気分を煽る事もできますし、それでもラインハルトが戦争という手段に訴えようとするならば、全銀河の同情を一心に集める事もできます。ラインハルトの方針に対する疑問や批判も発生する事でしょう。こういうことが以外に後々政治的に有利に働くのです。
 また、ラインハルトの支配体制に不満を抱くフェザーン商人との連携をはかって経済力を充実させるという手も使えます。彼らに一定の特権を与えることを条件に自分達に投資させれば、政治的にも経済的にも軍事的にも、帝国から自立する力を得ることができます。経済力というものは政治の根幹を成す重要なものですから、これは非常に重要な事です。これについては、確かヤンも同じような主張をしていましたね。

 そして後者は「当面の帝国軍の軍事行動を制約する」「帝国政府に和平派を台頭させる」に重点をおきます。
 「当面の帝国軍の軍事行動を制約する」で一番効果的なのは、銀英伝10巻冒頭にあるような「経済流通システムを混乱させる事」でしょう。これが実行されれば、帝国は当面その対処に追われて「大規模な軍事行動を行う」どころではなくなります。これでさらに時間を稼ぐ事ができますし、最初で提言した和平交渉をまとめる好材料となり得るでしょう。もっと悪辣な手段としては、地球教徒を煽って帝国に様々なテロ行為を行わせ、帝国政府と帝国軍の怒りをそちらに向けさせるという方法も使えますね。何しろ彼らは銀英伝10巻でオーベルシュタインの挑発に簡単に乗ったほど単純な思考しか持っていませんから、地球教徒について詳しい情報を握っているヤン達が地球教徒を煽るのはとても簡単な事です。もちろん、最終的に「帝国を混乱させた全責任」は全て彼らにかぶってもらいます。
 「帝国政府に和平派を台頭させる」の方は以外に簡単かもしれません。極端な事を言えば、帝国政府と帝国軍内でラインハルト以外の人間が、すくなくともイゼルローン遠征に関しては全て穏健派なのですから、その中でも特にラインハルトに批判的な人物に和平による理と利益を説き、味方にすれば良いのです。候補としては前述のカール・ブラッケとマリーンドルフ親子が最適でしょう。帝国軍内部でも、ミッターマイヤー辺りならば和平を支持するかもしれません。帝国内部から和平の話が持ち上がり、それが多くの穏健派に支持されれば、いくら戦争好きなラインハルトでも聞かざるをえないでしょう。そもそもイゼルローン遠征自体に何の国益もないということは、本当はラインハルト自身も分かっている事なのですから。

 この謀略戦略で一番重要な事は、ヤンの名声を徹底的に利用した上で「ヤンと戦う事は帝国にとって不利益である」と帝国上層部に思いこませることです。ヤンにとっては非常に不愉快な事でしょうが、あの状況下で一番有効に使える武器というのはそれしかないのですから、ヤンは個人的な感情をねじ伏せてでも「自分を利用した謀略」を展開すべきだったのです。「ただラインハルトの来襲を待っているだけ」では、彼我の戦力差で叩き潰されるだけであるということが、ヤンには全く見えなかったのでしょうか。
 また、それと合わせて、この謀略戦略はヤンの存在によって成り立っているようなものですから、ヤンの身辺警護については何重にも考えられていなければなりません。ヤンがいなくなれば全てが終わる、ということは、謀略と全く無縁なミッターマイヤーですら考えた事なのですから。

2.「オーベルシュタインの草刈り」の対処法

 これについては以外に簡単に結論が出ました。オーベルシュタインがヤンやラインハルトの思想的矛盾を突いたように、オーベルシュタインの立場的な矛盾を突けば良いのです。
 そもそもオーベルシュタインがハイネセンに派遣されてきたのは「ラインハルトの全権代理」としてです。「オーベルシュタインの草刈り」も、それに基づいて行われました。そうであるのならば、ユリアンは次のように質問を「全銀河に向けて」発信すれば良かったのです。

「政治犯を収容して無血開城を迫る、という卑怯卑劣な行為は、皇帝ラインハルトの意思に基づいて行われたものなのでしょうか?」

 もちろん「オーベルシュタインの草刈り」は、完全にオーベルシュタインの独断によって行われた事です。だから返答はNOとなりますが、しかしそう返答することは何を意味するか? オーベルシュタインがラインハルトの命令に逆らって独自の行動をとったという事を、自ら公言するという事になるのです。オーベルシュタインの組織論から言ってもこれは非常にまずいことですし、また命令の正当性も失われる事になります。
 ではYESと言えばどうなるか? それはオーベルシュタインの命令における最終責任を、ラインハルトが取らなければならないという事を意味します。そのような不名誉な事を、異常なまでに誇り高いラインハルトが認めるはずがありません。その結果として、彼はオーベルシュタインから権限を取り上げ、「オーベルシュタインの草刈り」を撤回させなければならなくなります。ユリアン達が手を出すまでもなく「オーベルシュタインの草刈り」は帝国自らの手で消滅せざるを得ません。
 なにも返答しなかったらどうか? その場合でも「オーベルシュタインには何か後ろめたい事があるのだろう」という印象を与えることができますし、さらに返答を促すことによって時間稼ぎをする事ができます。そしてそうこうやっている内に、やはりラインハルトはオーベルシュタインに干渉して「オーベルシュタインの草刈り」を撤回させる事になるでしょう。ラインハルトの性格から言っても、立場的な責任論から言っても、ラインハルトは自発的にそうせざるをえないのです。
 「オーベルシュタインの草刈り」の最大の弱点は、ラインハルトとオーベルシュタインの意思疎通が全くできていない事にあるのです。だからユリアンはオーベルシュタインではなく、ラインハルトをこそ謀略対象の相手にすべきだったのです。こういう時こそラインハルトの性格を利用しないでどうするというのでしょうか。

 これが私なりの謀略私案ですが、もちろん現実にはここまでうまくいくとは限りません。特にオーベルシュタイン辺りがそれなりの手をうってくる事は充分に考えられるのですから、その他の要素も絡んでさらに複雑になるかもしれません。
 しかし政治を行い、自らの利益を守るというのならば、あらゆる謀略を振るい、敵の目を欺いたり、誰かを陥れなければならないこともあるのは当然の事ではありませんか。この事を直視せずして、どうして最終的な政治的勝利を達成する事ができるというのでしょうか。
 イゼルローン勢力が最終的に「バーラト自治州」を獲得したのは、結局のところ彼らが相当に運が良かったからであるにすぎません。「自らの命運を運に頼る」など、それこそヤンの思想から言えば全否定されるべき事ではありませんか。民主主義勢力が自らの足で立つためにも、ヤンは謀略を積極的に使うべきだったのです。

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board2 - No.512

Re503:田中芳樹の本音とは

投稿者:冒険風ライダー
2000年01月19日(水) 03時22分

>染血の夢
 何でも「染血の夢」には「牛種の真の目的」なるものがあったそうですが、それが何であるか提示される事なしに、「染血の夢」は創竜伝10巻で自然消滅してしまいました。アレは結局何が言いたかったのか私にはさっぱり分かりません。ストーリー破綻のために存在したとしか思えないのですが。
 それにしても、今時の小説なりゲームなりで、あそこまでストーリーの基本設定が破綻しまくっているものは私が知る限り他に見た事がありません。あそこまでいくと、「ひどい」を通り越して逆に賞賛に値するのではないでしょうか(笑)。

<全くの私見ですが、ひょっとすると田中氏は現在の世界秩序や日本の実情を本音は支持しているのではないでしょうか。
 創竜伝に出てくる「既存の秩序を代表する存在」が非常に矮小に描かれているのはいまさら繰り返すまでもありませんが、逆を言えば田中氏はそういう手法以外に、既存の秩序を「悪」とするに足る説得力ある描き方を見出せないようにも見えます。>

 小説のストーリーのみに限定できるのならば、確かにそのような解釈も成立しえるかもしれません。しかし対談やあとがきでまで似たようなことを主張をするというのは一体どういう事なのでしょうか?
 創竜伝は言うまでもないでしょうが、アルスラーン戦記5巻のあとがきにも次のような主張があります。

アルスラーン戦記5巻 P250
<*この文章をゲラを見ているときに、手塚治虫先生の訃報がもたらされました。つつしんで御冥福をお祈りさせていただきます。ほんとうに、ひとつの時代が終わってしまいました。それにしても、この戦後最大の創造家のトータルの業績に何ひとつ公的に報いることのなかった日本という国は、ほんとうに文化国家といえるのでしょうか。もっとも、今の政府から勲章なんかもらっても、手塚先生が喜ぶとは思えませんけど……。>

 故人の冥福を祈るということ自体は結構な事なのですが、その故人をダシにして必要も必然性もないのに日本を貶め、さらに故人を代弁するというスタンスを取った上で、「今の政府から勲章なんかもらっても、手塚先生が喜ぶとは思えませんけど」などという自分勝手な思いこみを主張する行為が、田中芳樹にとっては「つつしんで御冥福をお祈りさせていただきます」ということなのでしょうか。むしろ故人に対する冒涜なのではないかと私は思いますけど。
 これは「小説のあとがき」であって、別にストーリーの必要上盛り込まれたわけではありません。創竜伝のような主張が「ストーリー構成上やむをえずやっている」というのであれば、創竜伝文庫本における対談や上記のあとがきのような主張は一体何なのでしょうか? 田中芳樹は読者を欺いているのでしょうか?
 もっとも、田中芳樹の本音はどうであれ、田中芳樹には自らの好き勝手な言動に対して責任を取ってもらわなければならないでしょう。それこそが田中芳樹の大好きな「言論の自由」というものです。

収録投稿24件目
board2 - No.513

納得です

投稿者:あしだ
2000年01月19日(水) 13時13分

> この場合「ヤンがラインハルトにこだわる事によって、どのようにして自らの戦略目標を達成するか」という構想が必要になります。しかし銀英伝全編を通じて、ヤンにそのような具体的な構想がありましたっけ?
> 戦場でラインハルトを殺す事すら許されないのでしょう? ヤンの選択肢はさらに狭まってしまうのではないかと思うのですが。

これに関しては、ヤンの死後にイゼルローン勢力がとった行動規範 (まず皇帝を戦いに引き出し、その上で今度は交渉の席に引き出す) が当てはまるのではと思っておりました。しかしながら、冒険風ライダーさんがおっしゃる「そのような方法で認められた民主主義の存続が極めて脆弱なものである」という視点が不足していたようです。また、

>  そもそもヤンの民主主義思想から言っても「皇帝の慈悲なり寛容さによって民主主義を存続させる」などという考え方自体、否定されるべき考え方なのではないでしょうか?
というのもご尤も。そう考えれば、10巻終了以降の「バーラト自治州」っていう形態は、草葉の陰から見ているヤンにとって必ずしも望ましい結果ではなかったのでしょうか...不勉強につき、

> 以前に不沈戦艦さんが主張していた「バーラト自治州の脆さ」

は存じませんでした。ログをあたってみます。ところで、

> オーベルシュタインとロイエンタールとが手を組む、というのは、あの二人の対立ぶりを見ても絶対にありえないことだと思いますが(^_^;)、

はははっ、そうですね。でも、オーベルシュタインとソリが合う人って、(ラインハルトも含めて) そんなにいないと思いますし、あえて極端な組み合わせを持ち出してみました。実際、目的のためなら理想ばっかり求めていてもしょうがないと割り切って考えられそうなロイエンタールは、オーベルシュタインにとって仕えやすい上司なのでは。

> 1. 銀英伝7巻、イゼルローン奪取後の謀略

うーん、遠大な謀略、ホントに「反銀英伝」が書けてしまうのでは...。あ、でも、これだとヤンが厭うような「謀略」とは趣が違うのでは。むしろ、「地球教を操ってテロに走らせる」という辺りを実務レベルで推敲すれば、まんま (別世界の) ヤンが構想する「政略」になり得るような気がいたします。

> この謀略戦略で一番重要な事は、ヤンの名声を徹底的に利用した上で「ヤンと戦う事は帝国にとって不利益である」と帝国上層部に思いこませることです。

死後のヤンでさえ、あれだけの影響力があったことです。まして生きてるヤンならば...

> 2.「オーベルシュタインの草刈り」の対処法

なるほど、そうですね。ラインハルトにしても、こう訴えられたら理の上からも情の上からも人質の解放を命じざるを得ないですね。オーベルシュタインとしては、それを防ぐための徹底的なイゼルローン通信封鎖をするというところですか。あの世界では、そういう技術的なところってどうなっていましたっけ?

:
:
ご教授いただいて、(最初に戻って) 冒険風ライダーさんがご指摘なさた「ヤン・ウェンリーの矛盾」がわかってきました。ご指摘の点にも留意しつつ、久しぶりに再読したいと思います。

収録投稿25件目
board2 - No.515

この思想的矛盾に関しては

投稿者:本ページ管理人
2000年01月20日(木) 01時48分

>  実は恥ずかしながら、新Q太郎さんと管理人さんのこの主張の部分が私にはよく分からないのですよ。私は基本的にストーリー矛盾については、
> 「作品中のストーリー矛盾というのは、それについて考えたり議論したりする事には意義があるが、矛盾それ自体はあくまでも矛盾でしかない」
>  という考え方を持っていますので。私が銀英伝を「名作」と考えるのも、ストーリーの面白さや問題提起もさることながら、こういった「思想的矛盾」について「いろいろと考える事」こそが面白いものであると思うからでして。
>  新Q太郎さんや管理人さんの主張を私なりに解釈してみると、
> 「あの矛盾は田中芳樹が銀英伝の重要な一テーマとして『故意に作り上げて放置しておいた』のであり、銀英伝のストーリーの根幹を支える要素の一つとなっている」
>  となったのですが、この解釈で正しいのでしょうか? この解釈なら納得できますが、それとも何か他に別の解釈なり理由なりがあるのでしょうか? 教えていただければ幸いです。

 すっかり忘れていたあのユリアンのセリフを見てしまうと、「書いた時点で田中氏は気づいていたのではないか」という私の主張は怪しくなってくるのですが(汗)、しかし、それにしても「意図せざる矛盾」として物語としての評価になると思うんですよ。
 この矛盾というのは、「ストーリー矛盾」と別のものである、もっと言えば、思想的矛盾のあることが意図によるものか否かに関わらずストーリーの完成度を高めている、というのが私の判断なのですが、如何?

収録投稿26件目
board2 - No.516

Re509/513:謀略論あれこれ

投稿者:冒険風ライダー
2000年01月20日(木) 01時48分

>ふみさとけいたさん
<「民意」というものを無視するのもどうかと考えましたが、やったのはオーベルシュタインであり、ラインハルトはむしろ反対していたことを考えると、オーベルシュタインに反発するあまり皇帝の評価が上がり、結果的に新帝国の体制は強固になるのでは、という結論にたどり着き、オーベルシュタインのすごさを再確認するだけに終わってしまいました。結局「民意」としてもそれを受容するだけの下地があるからこそ謀略が成功するのでは?と今は考えています。というかそう考えたいです。
そんなわけで民衆が納得してしまうのならば、この議論は最初から成り立たないという結論にたどり着きました。少し悔しい気もしますが…。>

 確かにオーベルシュタインは、ある程度ラインハルトの性格をも考慮し、ラインハルトが自らの謀略を撤回することも計算に入れた上で「オーベルシュタインの草刈り」を実行したのでしょう。しかし、もし仮に「オーベルシュタインの草刈り」がそのまま実行され、ユリアン達が処断されたとしても、オーベルシュタインは何ら痛痒を感じなかった事でしょうし、その場合、オーベルシュタインの権限行使の元である「ラインハルトの全権代理」という立場的な地位によって、最終的にはラインハルトの責任も問われることとなるでしょう。オーベルシュタインの独断専行ということが明らかにならない限り、ラインハルトはオーベルシュタインの行動を追認している事になるのです。これは「ヴェスターラントの虐殺」の被害者が、オーベルシュタインではなくラインハルトを暗殺しようとした事からも明らかでしょう。
 No.511における「オーベルシュタインの草刈りの対処法」の極意は、その弱点を専制攻撃で突き、オーベルシュタインの権限自体に疑問を生じさせることにあります。そうすれば、ユリアン達は、法的に「オーベルシュタインの独断専行」などに従う必要はなくなるのですし、謀略の効果も現れないうちに「オーベルシュタインの独断専行」に対する非難が殺到し、自動的に謀略は消滅せざるをえないのですから。
 ところで謀略というものは「民意」というものを必要とするのでしょうか? そもそも謀略というものが民衆の圧倒的多数によって支持されるということはまずありえないですし、結果を見れば非難が集中するに決まっています。秦檜の岳飛殺害、徳川幕府の豊臣家に対する策謀なども、はっきり言って一般ウケするものではありませんし、当時も散々非難を受けた事でしょう。
 しかしその結果、民衆はその謀略の結果である「平和と統一」を享受しましたし、謀略をめぐらした黒幕の行為を散々非難しても、その事に基づいた国家に対する反乱などはほとんど起こっておりません。このことは私が主張した「政治責任は結果が全てである」という事を証明していますし、謀略の過程に起こる「民衆の反感」なども、長期的に見れば何ら問題ではない事も証明しているのではないでしょうか。
 ただ、その謀略に最高権力者が関わっているとなると、ある程度政治的にマイナスになるという事も起こり得ます。「ヴェスターラントの虐殺」の被害者が「最終責任者」であるラインハルトの暗殺を企図したように。だからこそ、オーベルシュタインのような「汚れ役」が必要になるのです。
 オーベルシュタインについては、No.487で紹介したMerkatzさんのHPにも詳しい解説がありますので、そちらも参照する事をお勧めします。

<「正道」というのは一体なんなのでしょうか?僕は「市井の倫理」であると考えます。僕は、ヤンという人を「公人になりきれなかった人」であると考えています。なまじ自分なりの考えを持ってしまったために、軍という組織の中でもそれを捨てきることが出来ず、「市井の倫理」を捨てきることが出来なかったために謀略に関することをはじめとした多くの行動が矛盾してしまったのではないでしょうか。また、私人に徹し、物事を作り上げるには信念に対する嫌悪感が強すぎた(これに関しては冒険風ライダーさんのおっしゃる通りだと思います)。それゆえにヤンの後継者であるユリアンもそれを受け継いでしまったのではないでしょうか。>

 「正道」の解釈はまさにその通りだと思います。また、ヤンの「市井の倫理観」が様々な所で矛盾をきたし、ヤンの戦略目的を阻害していることも確かでしょう。
 しかし、ただ「市井の倫理観」を持っているだけでは、ヤンの行動があそこまで矛盾する事はないのです。ラインハルトがその良い例でしょう。ラインハルトも「市井の倫理観」を結構重要視していましたが、ヤンに比べれば謀略の必要性を理解していましたし、実際、嫌っているはずのオーベルシュタインの献策をかなり受けいれています。つまり、双方とも「市井の倫理観」という物を持ち合わせておきながら、ラインハルトは謀略を展開するために「市井の倫理観」をある程度無視する事ができたのに対し、ヤンにはそれができなかったという違いが発生しているのです。
 このヤンとラインハルトの違いは何か? それは「市井の倫理観」をどのくらい絶対視していたかです。その観点から見ると、ヤンはまさに「市井の倫理観」を絶対視しており、その結果として謀略を嫌っていると言えるでしょう。実はこのヤンの「市井の倫理観の絶対視」こそが、私が「信念」と呼んだ部分なのです。
 ヤンの「信念」の定義によれば、「信念とは願望の強力なものにすぎず、なんら客観的な根拠を持つものではない。それが強まれば強まるほど、視野はせまくなり、正確な判断や洞察が不可能になる」ものなのだそうですが、これに従えば、ヤンが「市井の倫理観」を絶対視し、謀略を否定する姿勢こそ、まさにヤンが定義する「信念」そのものなのではないでしょうか。政治に謀略が必要であるということや、謀略が味方の犠牲を少なくする事ができることを、ヤンが理解しているであろうにもかかわらず、「市井の倫理観」に基づいて謀略を否定するというのですから。
 ヤンが本当に戦争による犠牲者を減らしたいと思うのならば、感情や倫理観が大事であるなどという「信念」などさっさと捨ててしまうべきだったのです。ヤンの思想的にも感情的にも、ヤンの謀略否定の姿勢が全く理解できないというのは、そのためなのです。

>あしださん
<でも、オーベルシュタインとソリが合う人って、(ラインハルトも含めて) そんなにいないと思いますし、あえて極端な組み合わせを持ち出してみました。実際、目的のためなら理想ばっかり求めていてもしょうがないと割り切って考えられそうなロイエンタールは、オーベルシュタインにとって仕えやすい上司なのでは。>

 オーベルシュタインにとって理想の上司というのならば、私はオーベルシュタインが一番嫌っているであろうルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを挙げますね。あの御仁ならば、オーベルシュタインの献策に感情的な反発を示す事はまずないでしょうから。
 このあたり、オーベルシュタインにも矛盾を感じるのですけどね。

<うーん、遠大な謀略、ホントに「反銀英伝」が書けてしまうのでは...。あ、でも、これだとヤンが厭うような「謀略」とは趣が違うのでは。むしろ、「地球教を操ってテロに走らせる」という辺りを実務レベルで推敲すれば、まんま (別世界の) ヤンが構想する「政略」になり得るような気がいたします。>

 実際には、ヤンはエル・ファシル独立政府の宣伝工作すら嫌がったぐらいですからね(銀英伝7 P128)。あれでは謀略を振るうどころか、そもそもまともに政治を行うことすらできないでしょう。
 政略すら嫌うようでは、謀略などに手を出すことなどできようがないですね。ヤンは政治の場に感情を持ちこみすぎるのです。それが政治的にいかにまずい事であるか、まさか理解できなかったわけではなかったでしょうに。

収録投稿27件目
board2 - No.518

Re: 超能力者と謀略

投稿者:NNG
2000年01月20日(木) 01時56分

冒険風ライダーさんは書きました
> <創竜伝の御一行に一人くらいこういう御仁がいても良いような気もしますがねぇ…そもそも、世界的な謀略組織に暴力だけで勝てるのかどうか疑問ですね。>
>
>  そもそも政治的・経済的な影響力という観点から見れば、竜堂兄弟も市井の庶民と全く異なる点はないのですからね。現に四人姉妹の政治的・経済的世界戦略に対して竜堂兄弟は全く無力です。
>  あそこまで絶望的な力の格差を超人的な暴力だけで埋めようなどという発想自体、トンデモであると言わざるをえないのですが…………まあ「感情によって行動する」などと自ら公言しているような連中に謀略の意義を分からせる事など、まず不可能でしょうけどね(笑)。

 竜堂兄弟に謀略は必要なのでしょうか?犬神明は超人的な力を持ちつつも権力者には敵いませんでした。このような作品に対し生み出されたのが竜堂兄弟だったと言うようなことをどこかで読んだ気がします。

 謀略の重要性は分かるのですが、竜堂兄弟には必要ないと思います。逆に超能力者が権謀術数を駆使するのは、超能力者として設定した意味がなくなってしまうと思います。

 こういう権力者に屈しない超能力者がいてもいいと思います。ただし何度も使える手ではありませんが。

 ところで創竜伝で賞賛される点ってどこなんでしょう?あるのならば教えてください。1巻の評価はまずまずのようですし。

収録投稿28件目
board2 - No.519

ただ強いだけでは権力に抗するのは難しい

投稿者:本ページ管理人
2000年01月20日(木) 02時14分

 それがたとえ竜堂兄弟のような白兵戦で核以上の戦闘能力を持つ超人であってもです。

 たとえば、銀行に人質を取って立てこもっている強盗3人と1000人の武装した警官隊、純粋な戦闘力だけ見れば警官隊が劣る理由が全くありません。正面からぶつかれば30秒以内にカタが着くでしょう。
 ですが、実際このような状況だと、強盗側は何時間、何日も粘ります。
 これは極端な例ですが、人質のような卑怯な手を使えば、圧倒的に自分より強大な相手であっても、ある程度制御することが不可能ではありません。

 こうしてみると、竜堂兄弟は超人かも知れませんが、スキだらけですよね。
 敵の悪党側がめちゃくちゃお人好しだとしか思えないんですが、これが卑怯な手を使い出したらとんでもないバイオレンス小説になってしまいますね、きっと(^^;。

収録投稿29件目
board2 - No.520

Re: Re503:田中芳樹の本音とは

投稿者:本ページ管理人
2000年01月20日(木) 02時27分

> <全くの私見ですが、ひょっとすると田中氏は現在の世界秩序や日本の実情を本音は支持しているのではないでしょうか。
>  創竜伝に出てくる「既存の秩序を代表する存在」が非常に矮小に描かれているのはいまさら繰り返すまでもありませんが、逆を言えば田中氏はそういう手法以外に、既存の秩序を「悪」とするに足る説得力ある描き方を見出せないようにも見えます。>
>
>  小説のストーリーのみに限定できるのならば、確かにそのような解釈も成立しえるかもしれません。しかし対談やあとがきでまで似たようなことを主張をするというのは一体どういう事なのでしょうか?

 第三者からなので適切かどうかわかりませんが、北村さんがおっしゃられているのは「日本を批判しているつもりの田中氏は逆説的に日本の懐の深さに甘えている」と言う皮肉なんじゃないでしょうか。
 ですから、アルスラーンあとがきの引用や「ストーリー構成上やむをえずやっている」云々は少々議論がはずれていると思います。

収録投稿30件目
board2 - No.522

バスに乗り遅れ~♪

投稿者:Merkatz
2000年01月20日(木) 11時28分

ああっ、なんてこった。
ここんとこ時間の余裕がなくて覗き忘れていたら、面白い議論をやっているではないですか。
遅ればせながら私も一言。

私もヤンの思想的矛盾についてはいくらか気になっていたのですが、
さすがは冒険風ライダーさん、よくまとめていますね。
たぶんヤンは小市民的でありすぎたんでしょうね。年金生活を夢見ているところなんか特に(笑)。
小市民に不釣り合いな巨大な才幹を持っていたことが、思想的矛盾になって表れたのではと思います。
諸葛孔明の何十分の一かでも「信念の人」であれば、自身の正しさを問う場面も、もっと凄味がでたのでは?小市民がそういうことをするのはちょっと滑稽ですよね。

謀略にしても戦争にしても、それは政治目的のための手段に過ぎない。であるならそれらは等価であるはずですが、なぜか≠になるところが変です。
個々の場面においてどちらがより有効な手段であるか、ヤンの立場で言うなら民主主義擁護という目的のために謀略と戦争どちらがより有効か、検討されねばおかしいのですが、端から謀略を除外しています。でも政略ならOKというのはどうにも理解に苦しみます。

オーベルシュタインについては私は本田正信と類似していると思います(というよりモデルとして正信が思い浮かぶ)。しかし決定的に違う部分もある。
オーベルシュタインは完璧ではありません。私に言わせれば「フィクションだからこその完璧キャラ」なんてとんでもない話で、これは作者の田中芳樹の謀略に対する認識にも関わってくるのでしょうが、私が謀略家に必須だと考えている要素がごっそり抜け落ちている不完全キャラです。
そのためにオーベルシュタインの謀略は中途半端なものになっていると思えるのです。
詳しいことは冒険風ライダーさんも紹介して下さっている私のHPでも見て下さい。(^-^)ゞ

ヤンがラインハルトの気質を熟知した上であえて戦ったということに関しては、私はそう思います。
注意すべきは5巻まで(バーミリオン会戦まで)と、それ以降では目的が変わることです。
つまりバーミリオンではラインハルト個人の首を取ることにより帝国新体制を瓦解させ、もって同盟の危機を救うというものでした。戦略の選択肢が極端に少ない状況下、ラインハルトの首を取るという戦術が、唯一戦略的勝利に直結していたわけです。
ですからこれはヤンの否定する「戦術的勝利でもって戦略的劣勢をあがなう」というものではなく、きちんとした裏付けのある戦略なのです。
そのためにラインハルトの勇に逸るという気質を利用する点は、さすがヤンと言えるでしょう。
同盟亡き後は民主主義擁護のためにラインハルトと戦うわけですが、ここが苦しいところですね。
バーミリオンと違ってラインハルトの首を取ることは御法度です。最終的にラインハルト個人の意思に委ねなければならないのですから。その理由として「カイザー、戦いを嗜む」とあります。つまり、ヤンはラインハルトの苛烈な信条(守る価値があることを見せてみろ、ということ)に答えて、自身が戦うことにより民主主義が価値のあるものだと分からせる必要があった。
その意味でラインハルトの気質を熟知した上で相手をしているとは言えるわけです(謀略で勝ち取ったものなどラインハルトは絶対に認めないでしょう。そんなものは武力で踏みつぶしに掛かる可能性大)。
ただ、結果の維持が甚だ心許ないという弱点があるというわけですね。身も蓋もない言い方をすれば作者もそこまで考えが及ばなかったのでしょう(笑)。

しかしロイエンタールとオーベルシュタインという取り合わせは、絶対ないとは言い切れないかも。
なぜならロイエンタールはオーベルシュタインの「下に」立たされるのを嫌っていたわけで、彼の「上に」立てるのなら、部下として迎えるのもあり得るかも。
正副帝ロイエンタール&ミッターマイヤー。下っ端オーベルシュタイン。(^◇^;)

いずれにしても、謀略に倫理観など持ち込むのは無意味です。
政治は結果がすべて。それはマキャベリスト(謀略家)の語源となったマキャベリ自身が明らかにしているところです。

(いかんなあ。(笑)やフェイスマークは冒険風ライダーさんの専売特許なのに結構使ってしまった。(^^; (^^; (^^; )

収録投稿31件目
board2 - No.523

Re515/518:短レス

投稿者:冒険風ライダー
2000年01月20日(木) 22時05分

>管理人さん
<この矛盾というのは、「ストーリー矛盾」と別のものである、もっと言えば、思想的矛盾のあることが意図によるものか否かに関わらずストーリーの完成度を高めている、というのが私の判断なのですが、如何?>

 なるほど、了解しました。
 確かにあの思想的矛盾は、創竜伝などのように一方的価値観をひたすら押し出すようなものではありませんし、たとえ結果的にとはいっても一種の問題提起にはなっているのですから、銀英伝におけるストーリー矛盾と考えることもないですね。
 ただ、やはり作家論として見ると納得できないものがあることも確かです。あのオーベルシュタインの謀略論を読んで、かつて私は「田中芳樹は政治の現実を直視できる面白い作家だ」と感心したものだったのですがね~(--;;)。

>NNGさん
<謀略の重要性は分かるのですが、竜堂兄弟には必要ないと思います。逆に超能力者が権謀術数を駆使するのは、超能力者として設定した意味がなくなってしまうと思います。
 こういう権力者に屈しない超能力者がいてもいいと思います。ただし何度も使える手ではありませんが。>

 「権力者に屈しない超能力者」という設定を貫くのならば、なおさら謀略が必要であると思いますけどね。たとえば創竜伝1巻で、竜堂兄弟は敵側から銀行預金封鎖という手段をやられた事があります。こういった事は竜堂兄弟の超人的パワーなどではどうにもなりません。
 何も正面から攻めこむだけが戦法ではありません。兵糧攻め・人質・法を使った合法的逮捕など、敵はその気になればあらゆる戦法を使う事ができるのですから、自己防衛のためにも謀略は必要なのです。
 創竜伝がそうなっていないのは、結局のところ悪役があまりにも低能かつお人好しであるからであって、別に竜堂兄弟が偉大なのではありません。

収録投稿32件目
board2 - No.524

Re522:来ましたか♪

投稿者:冒険風ライダー
2000年01月20日(木) 22時09分

 おお、Merkatzさん、ようやく来られましたか。お待ちしておりましたよ。
 今回は以前そちらのHPで展開されたオーベルシュタイン論争が結構参考になると思いましたので、積極的にCMしておきました(^^)。
 ところで、ひとつ反論なのですが、

<同盟亡き後は民主主義擁護のためにラインハルトと戦うわけですが、ここが苦しいところですね。
バーミリオンと違ってラインハルトの首を取ることは御法度です。最終的にラインハルト個人の意思に委ねなければならないのですから。その理由として「カイザー、戦いを嗜む」とあります。つまり、ヤンはラインハルトの苛烈な信条(守る価値があることを見せてみろ、ということ)に答えて、自身が戦うことにより民主主義が価値のあるものだと分からせる必要があった。
その意味でラインハルトの気質を熟知した上で相手をしているとは言えるわけです>

 この部分ですが、ヤンがラインハルトに民主主義の価値を分からせるのは良いとして、その場合、ヤンは一体いつまで戦えば良いのですか? 「ここまで戦ったのならば認める」という明確な基準がなければ、ヤンは死ぬまで戦いつづける事になってしまうではありませんか。
 また目的上、ヤンは戦略的格差をひっくり返せる唯一の活路ともいえる「ラインハルトを殺す」という選択肢がとれないのに対し、ラインハルトはヤンを殺す事もイゼルローン軍を壊滅させる事も可能です。この格差は、はっきり言って彼我の戦力差と戦略的格差以上に巨大かつ絶望的です。この状況ではヤンの側に一発逆転の可能性すらありません。これでヤンはラインハルトに勝てるつもりだったのでしょうか? 私にはヤンが勝てる可能性は全くないようにしか見えませんがね。
 かくのごとく絶望的な彼我の戦略的・状況的格差を承知していながら「ラインハルトの来襲を待っているだけ」というのでは、むざむざ叩き潰されるのを待っているようなものですし、現にそうなりかけました。この事がヤンに分かっていなかったとは思えないのですが。
 さらに言えば、民主主義をラインハルトに認めさせるために、わざわざラインハルトを満足させる必要はないのです。前述のように勝率は絶望的に低いですし、オーベルシュタインが主張するように「帝国は皇帝の私物ではなく、帝国軍は皇帝の私兵ではない」のですから、ラインハルトではなく帝国政府と帝国軍を対象にして外交交渉なり謀略なりを展開すれば良かったのです。帝国側にも「イゼルローンに遠征する必要があるのか」という意見を持つ穏健派がいたのですから、こちらの方がはるかに現実的だったと思うのですがね。

PS
<(いかんなあ。(笑)やフェイスマークは冒険風ライダーさんの専売特許なのに結構使ってしまった。(^^; (^^; (^^; )>

 別に専売特許にはしてませんって(笑)。
 それにしても、私も「田中芳樹を撃つ!」に初めて来た頃に比べると、ずいぶん性格が変わってしまったな~(^^;;)。

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