今回ふと思うところがありまして、再び銀英伝を論じてみる事に致しました。
実は私は、今回の題名の大元となっている「ヤンの民主主義思想」については、政治に関して「結果第一主義」を取っているということもあってそれほど興味を持って考えてはいなかったのですが、前回の「銀英伝考察・ヤン・ウェンリーの思想的矛盾」で論じた「シビリアン・コントロールの矛盾」に触発されて少しシビリアン・コントロールについて調べてみたところ、「実はアレは氷山の一角にすぎないもので、その背後に銀英伝のテーマをすら揺るがしかねないもっと大きな問題があるのではないか」という疑問が出てきました。
そこで今回は、シビリアン・コントロールが本来どのようなものであるのか、そしてシビリアン・コントロールに基づくヤンの行動とはいかなるものなのかを、6項目に分けて論じてみたいと思います。
では始めましょうか。
1.「ヤンが定義するシビリアン・コントロール」の弊害
銀英伝のテーマのひとつとなっている民主主義とシビリアン・コントロール。その民主主義とシビリアン・コントロール下における政府と軍人との関係を、ヤンは次のように定義しています。
銀英伝7巻 P194下段~P195上段
<「ユリアン、吾々は軍人だ。そして民主共和政体とは、しばしば銃口から生まれる。軍事力は民主政治を産み落としながら、その功績を誇ることは許されない。なぜなら民主主義とは力を持った者の自制にこそ真髄があるからだ。強者の自制を法律と機構によって制度化したのが民主主義なのだ。そして軍隊が自制しなければ、誰にも自制の必要などない」
ヤンの黒い瞳が次第に熱を発した。ユリアンにだけは理解してほしかったのだ。
「自分たち自身を基本的には否定する政治体制のために戦う。その矛盾した構造を、民主主義の軍隊は受容しなくてはならない。軍隊が政府に要求してよいのは、せいぜい年金と有給休暇をよこせ、というくらいさ。つまり労働者としての権利。それ以上はけっして許されない」>
これがヤンの民主主義国家におけるシビリアン・コントロールの定義ですが、確かに「軍人が政治に口を出さない」というのはシビリアン・コントロールの重要な一要素ではあります。しかし本当に軍隊は政府に対して「労働者としての権利」以外は何も要求する事はできないのでしょうか? というのも、実はこの定義では国防上、非常にまずい事態が発生しかねないのです。
たとえば銀英伝1巻では、当時の同盟の最高評議会の選挙目的のために、採算性も計画性も全くない帝国領侵攻作戦が政府によって決定され、当時の同盟軍の最高責任者である統合作戦本部長シトレ元帥が反対していたにもかかわらず帝国領侵攻作戦は強行され、その挙句、同盟軍はアムリッツァにおいてラインハルト率いる帝国軍に完膚なきまでに叩き潰され、帝国と同盟の軍事力の勢力均衡(バランス・オブ・パワー)が完全に崩れ去ってしまったのです。
また銀英伝3巻冒頭、2巻で発生した救国軍事会議クーデターで多くの人的資源を消耗した同盟政府は、イゼルローン駐留艦隊の熟練兵を引き抜いて新設部隊に配備し、代わりに新兵を補充しましたが、当時の同盟と帝国との国力・軍事力比較で帝国が圧倒的に優勢であった事、そのためにイゼルローン要塞で帝国からの侵攻を食い止められるか否かが同盟の国家存亡にかかわるほど重大なものであった事を考慮すると、これは純軍事的に見て実に愚劣な配備であったと言わなければなりません。
しかもこれと関連して同盟政府は、救国軍事会議クーデターによって軍部の信望と発言力が低下したのにつけこみ、軍部に対して非常に政治色の強い人事を行いましたが、そんな事をすれば同盟軍の軍隊組織を健全に運営する事ができなくなり、政府の無茶な要求がまかり通ってしまいます。
さらに銀英伝4巻で、ヤンはラインハルトの「神々の黄昏(ラグナロック)」作戦におけるラインハルトの戦略思想を全て見抜いていましたが、当時の同盟政府はビュコックを介したヤンの意見を無視、あくまでもイゼルローン防衛のみに固執してしまい、その結果、帝国軍によるフェザーン占領とフェザーン回廊からの同盟領の侵攻をもたらしました。これが同盟敗北の決定的な一因となったことは言うまでもありません。
ヤンのシビリアン・コントロールの定義に従えば、軍隊や軍人は、上記の例のように軍部が政府からどれほどまでに政治的に痛めつけられても、何も言わずにただじっと耐えることこそがシビリアン・コントロールであるという事になりますが、こんな状況でまともに国防が行えると考える方がおかしいでしょう。ヤンのシビリアン・コントロールの定義は軍人の権力を抑制する事のみに重点を置き過ぎていて「政府の暴走」という点が一切考慮されていないのです。
銀英伝ではこの「政府の暴走」を「民主主義の死に至る病」と定義していましたが、果たして本当にそうなのでしょうか? そしてそれを直す方法は本当にないのでしょうか? それについて考えてみることにしましょう。
2.シビリアン・コントロール下における政府と軍部の立場関係
そもそもシビリアン・コントロールとは一体何なのかということについて、日本ではヤンの定義に代表されるような相当に歪んだ解釈が広まっています。
シビリアン・コントロールは日本では「文民統制」と訳されていて、あたかも昔の君主と臣下の主従関係のごとく、政府が軍部の上位に君臨し、軍隊の何から何まで指揮・統制するのが当然であると考えられていますが、これは全くの大間違いで、本当は選挙民が選んだ政治家が軍人よりも優位に立ち、国家の暴力機関たる軍隊をコントロールする、という以上の意味を持ってはいないのです。つまり、政府は軍部の上位に君臨して管理・支配するのではなく、いかにして軍部を暴走しないようにコントロールするかということが重要なのであって、立場上、軍部は政府の政治決定には従がわなければならないが、国防における軍部と政府との地位は本来は対等かそれに限りなく近い関係であるというのが、シビリアン・コントロール下における政府と軍部の本当の関係なのです。
銀英伝でも、同盟軍の制服軍人の最高峰であるところの統合作戦本部長の地位が次のように定義されています。
銀英伝1巻 P109下段~P110上段
<統合作戦本部長は制服軍人の最高峰であり、戦時においては同盟軍最高司令官代理の称号を与えられる。最高司令官は同盟の元首たる最高評議会議長である。その下で国防委員長が軍政を、統合作戦本部長が軍令を担当するのだ。
残念ながら自由惑星同盟では、この両者の仲は必ずしも良くなかった。軍政の担当者と軍令の責任者は協力し合わなければならない。でなければスムーズに軍隊組織を動かすことはできない。>
このように、国防において軍部と政府はそれぞれが役割分担をしていて、軍部が軍隊の運用や戦力の整備などを行う軍令を、政府が予算などを決定する軍事行政をそれぞれ専門に担当しており、普通両者の関係は車の両輪で地位は等しく、互いの専門部門には干渉しないというのが普通の国防運営というものなのです。
同盟の例のように、普通シビリアン・コントロールを旨とする民主主義国家では、軍の最高指揮官は確かに大統領や首相、同盟では最高評議会議長などといった政治家のトップですが、彼らは当然の事ながら本職の軍人ではありません。そこで軍人の最高責任者(同盟の場合は統合作戦本部長)が彼らを補佐するという形で、実際の軍事作戦を立案したり、国家が行う様々な軍事行動を取り仕切るのです。そして政府は軍部が政治的に暴走することを防ぐためのチェック機能として軍部をコントロールする。これが本来のシビリアン・コントロールです。
しかしここで問題となるのは、政府が担当する「軍事行政」が、軍部が管轄している「軍令」にあたる軍隊運営や戦力増強に対してかなりの影響力を行使できるところで、その結果、地位は両者ともに等しいにもかかわらず、運用上では政府が軍部の上位に立っているわけです。これが構造上、政府の暴走の引き金を引きかねない最大の要因となっているのです。
たとえば、政府が軍事予算を削減したり人員の整理を行ったりすれば当然軍隊の運用にも影響してきますし、戦力増強に必要不可欠な新型兵器を軍部が導入したくても、政府がそれに関する予算を認めなければ何もできません。つまり政府は、軍部に対して「予算」という名の絶対的な権力を握っていることになります。
また国によっては、政府が高級軍人の人事権を完全に掌握し、政治色の強い人事を行うことによって軍部を政府に盲従させ、健全な軍事運営を著しく阻害しているという事例もあります。これはベトナム戦争時のアメリカやキリスト教民主同盟が政権党だった頃のドイツ、そして何よりも戦後日本の自衛隊にその例が見られます。
逆にいえば、政府が軍部の予算や人事権を掌握することによって軍隊の暴走を抑えているという一面もあるのですが、軍部に対してこれほどまでに絶大な権力を握っている政府は、もともとが構造的に暴走しやすいものになっているのです。ではそのような構造的な原因によって政府が暴走してしまった場合、それを「民主主義の死に至る病」などといって諦めてしまうしかないのでしょうか?
そこで出てくるのが、政府に対するチェック機能を持つ議会の存在です。
3.行政権力に対する立法府の存在意義
アメリカではベトナム戦争時のマクナマラ国防長官時代、軍人は専門職に徹し文民行政官の指導に服せば良いとされ、それに基づいて政府による軍部への様々な政治的干渉、具体的には軍事予算への干渉と高級軍人の人事権の濫用、アメリカ軍の軍事作戦に対する軍部への政治干渉などがさかんに行われました。これがベトナム戦争が何の戦争目的もなしにだらだらと長期化した戦争となり、最終的にアメリカが敗北する最大の原因となってしまったのです。
この歴史的敗北が、アメリカ軍の軍事活動に対する政府の過剰な政治干渉にあることを知ったアメリカ議会は、ベトナム戦争の敗北後の1974年、大統領が独断で武力行使を行う権限を制限する「戦争権限法」を上院・下院の合同決議によって制定しました。これは2ヶ月以内に海外派兵した軍隊を撤兵できないと思われる場合の海外派兵には、必ずアメリカ議会の上院・下院の承認を必要と定めたもので、これは議会が政府の暴走に対して異議を唱えることを可能にした法律であるといえます。
またカーター大統領の時代には、ニミッツ級の大型空母の建造を中止した政府に対して、アメリカ議会が海軍の要望を聴取して大型空母建造計画を復活させたりしています。
これらに代表されるように、現代における民主主義の代表格とされるアメリカでは、国の最高機関たる立法府である議会が、行政権力たる政府を暴走しないようにコントロールできるシステムが確立されているのです。そして軍部は、その議会に対して軍事専門家としての意見を報告することが許されています。
同じようなことはEU諸国でも見られ、政府が決定した軍事予算削減に対して軍部の意向を受けた議会が政府に働きかけ、逆に軍事予算を増額させたという例もあります。
つまり民主主義国家におけるシビリアン・コントロールとは、立法府たる議会・行政権力たる政府・軍事専門家たる軍部の3つの相互牽制、いわゆる「3すくみ」によって成り立っているわけです。その「3すくみ」の内容は、
・ 立法府は行政権力の軍事政策と軍部の軍事的要求を検証し、行政権力の政策を是正する
・ 行政権力は軍部に対する軍事行政上の命令権を行使し、立法府のコントロールを受ける
・ 軍部は行政権力の政治決定に従い、立法府に対して軍事専門家としての意見を述べる
と、このようになります。この「3すくみ」によって軍部だけでなく、それに対して絶大な権力を行使できる行政権力に対してもチェック機能が働き、暴走しないようにコントロールすることが可能となるのです。これこそが民主主義国家における本当のシビリアン・コントロールのシステムなのです。
この「3すくみ」のシビリアン・コントロールは何かひとつが欠けても機能しないわけで、その意味で行政権力に対するチェック機能をもつ立法府もまた、民主主義国家におけるシビリアン・コントロールに必要不可欠なものであると言えるのです。
4.シビリアン・コントロール下におけるヤンの軍人としての責任
この観点から改めてヤンのシビリアン・コントロールの定義を見てみると、ヤンはシビリアン・コントロールの本当の意味を半分も理解していない事が分かります。ヤンが定義するシビリアン・コントロールには、軍部と行政権力が本来対等の関係でなければならず、絶大な権力を行使できる行政権力にもまたチェック機能が必要であり、軍人もまた国防に関して軍事部門の専門的見地に立った意見を主張しなければならないという考えが完全に欠如しているのです。このシビリアン・コントロールに対する理解の不足こそがヤンの苦悩の最大の元凶であるといってもよいでしょう。
実は本来のシビリアン・コントロールの主旨からすれば、ヤンはこと政府が決定する国防関係の政策に関しては軍事専門家として口出ししなければならなかったのです。銀英伝前半における同盟政府の暴走行為は、同盟の国益の観点から言っても、民主主義の存在意義から言っても害のある行為であったのですから、そのような愚行を決定した政府に対して明確に反対の意向を主張し、暴走行為を撤回させる事こそが本当のシビリアン・コントロールの主旨にかなう事であったはずです。
さらにアムリッツァや救国軍事会議クーデター以降のヤンは、軍部の信望と発言力が著しく低下したことによる政府の軍部への異常な政治介入を防ぐ事ができる唯一の人物でもあったのですし、その地位と名声を利用する事で政府と軍部に対して非常に大きな影響力と発言力を持つ事もできたはずなのです。特に救国軍事会議クーデター以後、同盟軍の最高幹部であるはずのビュコックやクブルスリーですら、政府の軍部への政治介入に全く無為無力だったのですから、ヤンのシビリアン・コントロール擁護の思想から言っても、政府のシビリアン・コントロールの逸脱を修正する事は理にかなう事であったはずです。
しかしそのような状況においてさえ、ヤンはシビリアン・コントロール下における軍人の義務を怠り、政府の民主主義を冒涜するような暴走行為をひたすら黙認していたのです。こんな自分の軍人としての責任を放棄するような無責任なヤンにシビリアン・コントロールを論じる資格などありません。
シビリアン・コントロールとは軍人が政府の政策にただひたすら盲従する事ではない。このことをヤンはもっとよく知っておくべきだったのです。
5.ヤンの政治不信が引き起こした同盟の崩壊とその後の戦い
さらにヤンには、軍人がシビリアン・コントロールに服するのに絶対必要な条件が致命的なまでに欠如しています。それは政治家との相互信頼関係です。
前述したようにシビリアン・コントロール下における民主主義国家では、軍政の責任者たる政府と軍令を司る軍部の地位は対等であり、軍部は立法府を介して軍事専門家としての意見を主張する事ができますが、その際に重要になるのが政治家との信頼関係です。当たり前の事ですが、もし政治家が軍人に対して何らかの不信感を持っていたら、軍人がどれほどまでに正論を主張したとしても、その意見が受け入れられる事はないのです。したがってシビリアン・コントロール下における軍人は、政治家と何らかの信頼関係を築く必要があるのです。
しかし今更言うまでもありませんが、ヤンはこの事を感情的な理由で拒否しつづけてきました。それどころか、政治家と相互理解を深める努力を行った形跡すらありません。まあいくら何でも、あのトリューニヒトと信頼関係を結ぶ事はさすがに困難であったとしても(これができたら面白いと思うのですけど(^_^;))、せめて政治的・思想的な共通項が多いであろうジョアン・レベロやホワン・ルイあたりと信頼関係を築き、彼らを介して何らかの軍事的アドバイスを政府に対して行う事ぐらいは充分に可能であったのではないかと思うのですが、それすら行っておりません。
実はこのことが後に銀英伝6巻でヤンと同盟政府が決定的に決裂した遠因のひとつとなっていて、レベロをはじめとする同盟政府が、ヤンに対して不信感を抱いていたからこそ、彼らは事後法を使ったヤン逮捕などという愚行に走ったのです。もしヤンが政治家と相互信頼関係を結んでいたならば、あのような事はまず起こらなかったでしょう。
しかもあの銀英伝6巻における同盟政府の事後法を使った暴走行為自体、バーミリオン会戦後におけるヤンのシビリアン・コントロールの逸脱行為(政府の命令と同盟の国内法に背いてまで、独断でメルカッツ提督と自軍の一部戦力を隠蔽した事)が直接原因となって起こったものであり、さらにこのことが同盟の滅亡とエル・ファシルの独立を招いたというのですから、もう笑うしかありませんね。
こんな惨状で銀英伝は「ヤンは民主主義擁護のために戦った」などと主張しているのですから、正直言って理解に苦しみますね。それどころか、ヤンこそがラインハルトをすら超えた「民主主義の破壊者」ではありませんか。あれほどまでにシビリアン・コントロールの重要性を説いているはずの自分自身がシビリアン・コントロールを無自覚に逸脱し、しかもそれによって民主主義国家たる同盟を滅亡させた責任の一端を担っておきながら、その事に対する反省もなしに、ヤンは一体何に殉じて戦っていたというのでしょうか?
6.自称「民主共和政体」の非民主的な実態
ところで同盟をはじめとする銀英伝世界の民主主義国家を見てみると、非常に不思議な事が分かってきます。それは国家の中に議会の存在が全くないか、もしくは存在感が非常に希薄であるということです。
「3.行政権力に対する立法府の存在意義」で説明したように、強大な権限をもつ行政権力を抑え、シビリアン・コントロールと民主主義を健全に機能させるには議会の存在が必要不可欠です。ところが銀英伝をいくら読んでみても、この議会がまともに動いた形跡どころか、議会についての描写すら全くないのです。これではシビリアン・コントロールどころか、民主主義それ自体が全く機能しません。行政権力をコントロールする議会がないのですから、政治は行政権力の思いのままとなり、ルドルフのような独裁体制が生まれやすくなってしまうのです。
それでも同盟の場合、その行政権力の長であるところの最高評議会議長が選挙で選ばれるという形式を取っているからまだ良い方なのですが(ホントは良くないんだけど)、ヤンが同盟に代わる民主勢力として選んだ(正確には「選ばざるをえなかった」)エル・ファシル独立政府とヤンの死後に樹立されたイゼルローン共和政府、アレは一体何なのでしょうか? あの2つは民意を全く反映していない自称「民主共和政体」です。
エル・ファシル独立政府は主席たるロムスキーが半ば独走的にでっち上げた政体であり、イゼルローン共和政府はヤン・ファミリーの完全独裁体制です。もちろん議会なども存在していませんし、国家政体の樹立についての民意を問う国民投票すら実施しておらず、ましてや主席を選挙で公選したという事実も全くありません。このような国家を「民主共和政体」などと呼ぶ事ができるのでしょうか? これが「民主共和政体」であるというのであれば、ルドルフが樹立した銀河帝国だって立派な「民主共和政体」でしょう。すくなくともアレは国民の審判を受けているだけ、エル・ファシル独立政府やイゼルローン共和政府などよりよほどまともな「民主共和政体」にすら見えるのですけど。
ヤンがシビリアン・コントロール下における軍人としての責務を放棄して民主主義国家たる同盟を滅亡に追いやった挙句、ヤンとヤン・ファミリーのお歴々が「同盟に代わる民主主義の後継者」として擁護するために戦った政体は、何とゴールデンバウム王朝銀河帝国以上に非民主主義的な自称「民主共和政体」であったわけです。彼らが掲げてきた「民主主義擁護」というのは一体何だったと言うのでしょうか。
こうして見てみると、ヤンは自分が擁護すべき民主主義とシビリアン・コントロールの概念を完全に理解しないまま「民主主義擁護」なるスローガンを掲げていたとしか思えませんね。ヤンの民主主義とシビリアン・コントロールに対する無理解は、銀英伝のストーリーとテーマを完全に破壊してしまう大矛盾であるといえます。
ここまで民主主義とシビリアン・コントロールの概念というものを無理解と無自覚のもとに破壊し、しかもまともな政治・戦略・謀略構想すらもないままにラインハルトと戦ったヤン・ウェンリーという人物は、後世の歴史家からどのように評価される事になるのでしょうか。