緒言 関連議論集1

田中芳樹の影響力について(1)

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収録投稿1件目
board1 - No.1062

書いてみました。

投稿者:satoko
1999年04月09日(金) 04時23分

はじめまして、こんにちわ。書き込みが少ないといわれている田中ファンのがわに立って、感想を少しだけ言わせてください。実はこのペ-ジの掲示板はほとんど読んでないのですが、メインページの中で読んだ事への感想です。

私は石井さんのご意見に対して意見を言う権利はあまりないと思います。創竜伝は読んでいませんので。ですから、書かれている事に関して思った事を少し、それを言ったら終りとかそんなのなら来るなと言われるのが恐いのですが・・・。

「田中芳樹は権力者である。」という意見に関して。私も2,3年前までは制服のスカートを短くして、髪を染めてルーズをはいていた高校生の一人でしてその頃、「銀英伝」にはまって「ああっ・・・、ミュラー。」などといっていた一読者です。世間の事やまして政治などには興味もない一女子高生でした。ですが、その中の田中思想というものに関して、作品の中にいる人物の思想としてしか捉える事はなくそれが即、洗脳(?)とかになった記憶はまったくありません。こんなまずい文であなたの考えを否定するのは、恥ずかしい限りですが作者の思惑はどうであれ、読者が賢明で、それはあくまで小説という考えがあれば田中氏は創作者であって、権力者にはなり得ないと考えます。

田中氏は作家であって思想家ではありません。それに「フィクション」と名がつけば、その中のものは架空の話と捉えて楽しめばよいと考えています。

小林よしのり氏の話が出ていたので、彼の言葉を借りて言うならば「視聴者(または読者)はそれの中にやらせがある事をわかっていながらその事にだまされている自分に酔って楽しむべきだ。」ということで、銀英伝や読んでいないのでわかりませんが、創竜伝の中にある矛盾も話の流れとして捉えてあげるべきなのではないでしょうか。

ただ、同感できる点を言いますと・・・「最近の田中作品はつまんないものもおおいんじゃん。」というところです。更に言わしていただきますと「あんなに探し回ってやっと手に入れた隋唐演技・・・。なあんじゃこりゃ。」といった所でしょうか。

雑文になって申し訳ありませんが、はっきり言って強烈に反論されるのが恐いですが、田中芳樹という作家が好きなのでここまで書かれているのを黙っていれなかったんです。後少し気がついた所があったんですが、それは創竜伝を読んでみてからの次回にします。長々とすいませんでした。

収録投稿2件目
board1 - No.1064

satokoさん&俺様ランチさんへのレス

投稿者:本ページ管理人
1999年04月10日(土) 02時10分

>satokoさん

 こんにちは。ファンの立場からの書き込みありがとうございます。

>読者が賢明で、それはあくまで小説という考えがあれば田中氏は創作者であって、権力者にはなり得ないと考えます。

 satokoさんは銀英伝がメインで創竜伝の方はノータッチと言うことですが、そうだったらこのように言いたくなる気持ちも分かります。私も、田中芳樹が銀英伝しか書いていなかったら(私の言っていることが正しいとしても)そんなことを言うのは野暮なことだと思いますから。
 それでも、私がわざわざあざとくあのようなことを緒言で述べたのは、田中芳樹が創竜伝で病的なほどの反権力思想を展開している事へのカウンターとしてです。ついでに説明しておけば、
>小説という考えがあれば田中氏は創作者であって、権力者にはなり得ない
と言うのはむしろ逆で、権力を補強するための有効な手段として物語・儀式が使われてきたのは、政治人類学で政治と儀式の関係が指摘されているのを見ても明らかです。実際ナチスの独裁政策などはゲッベルスに顕著なように「物語に始まり物語に終わる」と評されていますしね。
 残念ながら、現在の思想家で、マンガや小説に勝てる影響力を持つ人はまず居ないでしょう。

>「視聴者(または読者)はそれの中にやらせがある事をわかっていながらその事にだまされている自分に酔って楽しむべきだ。」

 創竜伝の場合は、やらせと現実が曖昧になっている点が問題であると思います。

>後少し気がついた所があったんですが、それは創竜伝を読んでみてからの次回にします。長々とすいませんでした。

 期待しています。またよろしくお願いします。

収録投稿3件目
board1 - No.1072

創竜伝を読みました。

投稿者:satoko
1999年04月11日(日) 00時45分

こんにちわ。創竜伝を読みました。といっても2巻までですが・・・、おもしろいです、なかなか。

とりあえず何で今まで創竜伝読まなかったかという事を書いておくと、本の帯見ただけで「超能力持った美少年4人が悪役国家権力に立ち向かうファンタジー小説で大学生が読むようなもんじゃないだろう。」とおおよそ判断したからです。期待は裏切ってませんでした。(笑)

管理人の石井さんがあれほど、勉強なさってるので批判者側の意見は納得できたので、ただたんに「創竜伝」が好きな私の中2(いや、進級したから3年か)のいとこに電話しました。そこまでしなくてもいいかと思いましたが、意外に面白いはなしになり、発想を転換させてくれたので小話程度に聞いてください。
彼女に電話して、26分も「終クン」について聞かされ、ずいぶん彼について詳しくなった所で聞きました。
私「で、創竜伝をおかしい、左翼思想だって言ってる人がいてね。」

いとこ「左翼って何?」

私「・・・右翼の反対だよ。」

いとこ「右翼は人がたまの休暇に昼寝してんのに変な街宣車で騒音撒き散らす人でしょ。左翼は?」

私「・・・人がのんびり学食で飯食ってんのに、ヘルメットかぶってなんで学費上げに反対しないんですか!とか怒鳴ってくる人たちだよ・・・。」

いとこ「へー、でも終クンはそんなことしないよ。怒鳴ったり、すねたりよくするけど。」

この会話でわかってもらえるとは思わないのですが、従妹にとって「創竜伝」は「終クン」の話であり、「銀英伝」は「ミッターマイヤー」のはなしなんです。従妹にはもうちょっと他の面にも目をむけてほしい所ですが(笑)娯楽小説として田中作品が好きな人はこの程度(いや、もう少し深いだろうけど)のとらえ方でもいいのではないでしょうか。もちろんここのように、なかなか興味深い批判文をのしているとこを見ていろいろ考えるのも面白い事だし、こういう事が好きな人はここで、意見などをぶつけたり、それでも田中作品が好きなんだーと再確認するのもよいと思います。ですが、ファンに対して「批判を甘んじて受け入れるべし。」というのは違うと思います。(石井さんごめんなさい。私がよく行く田中関連のHPでそういう風潮が最近あったので、これは私なりのそれに対するアンチテーゼです。)ミーハーで田中作品が好きな人や、嫌な言葉ですが「田中信者」といわれる批判を受け入れれないという人が、批判を聞ける人に比べて狭量とは思いません。これは娯楽ものですから、好きなものは好きでわざわざ好きなものの事で不愉快になる必要はないと思うのです。もちろん世の中の事には広い視野を持つべきでしょうけど。あくまで趣味の一つという人に押し付けるものとは違います。

ちょっと話がそれちゃったんですが、愛読者の多くはあの設定に対して、柔軟に作品上の設定、架空の話だと理解してると思います。あれを読んで「おお、そうか。権力に立ち向かわなければ!」と思う人はなかなかいないと思います。従妹はせりふを覚えきるほど読み込んでますが彼女の将来の夢は左翼の運動家ではなく、ソフトボールのオリンピック代表になる事です。石井さんが政治人類学の見地からの意見をくださっていたので、それに対する答えなのですが、影響力を大きく与えるという意味で物語りは有効であるというのは歴史を見ればわかるというのは、私も賛成です。ですが、それは教育が今ほど発達してなかった時代であるとも感じるのです。現代の読者がそれに影響を受けるほど浅はかではないと思うのは甘いでしょうか?

「現代の思想家が漫画や小説以上の影響力を持たない。」という石井さんの発言を見て、あなた自身が気がついているのではないでしょうか。石井さんの鋭い洞察力と思考力を使って批判するべきは、田中芳樹氏や小林よしのり(はしてないのか?)氏ではなく、大衆娯楽である漫画や小説程度に負けてしまう、思想家に向けられるべきだと。

創竜伝なんで面白いと感じたかは簡単に言えば「単純」だから理解し易いのです。悪役と正義の味方がはっきりしてて、アニメチックで気楽に読めました。こんな、大衆受けするのも(深く考えなくていいという意味で)それはそれでいいんじゃないかと。以上あいかわらず、まずい文で申し訳ありません。長くなるので(それを書くつもりだったのに)メインページでの感じた事は次にします。ほんとにあつかましい、意見すいませんでした。

収録投稿4件目
board1 - No.1096

レス1

投稿者:本ページ管理人
1999年04月15日(木) 02時18分

 とりあえず、サブマシンを日常的にネットに繋げられるようにしました。仮復旧です。

>「超能力持った美少年4人が悪役国家権力に立ち向かうファンタジー小説で大学生が読むようなもんじゃないだろう。」とおおよそ判断したからです。期待は裏切ってませんでした。(笑)

 でも、新刊が発売される度に大学生協の売り上げランキング一位を取るんですよねぇ。

>ファンに対して「批判を甘んじて受け入れるべし。」というのは違うと思います。

 こういう批判サイトをやっていると、このようなことを言いたくなる誘惑は最上に甘美なものとして、常につきまといます。
 ですが、これを言ってしまうとすべて終わりなんですよね。批判にも議論にもならなくなってしまうわけですよ。一方的断定に基づく思考停止なんですから。
 私も、それなりに優れた批判をしながら「こんな低レベルのもので喜んでいる人たちって、高レベルのものに触れたことがないんでしょうね。もっと視野を広げた方がいいですよ」などと書いてしまったばっかりに、みんなパーになってしまった批判本とか批判サイトをいくつか知っています。この一言で、多大な影響力に対する負け犬の遠吠えになってしまうのですね。
 正直言って、私は創竜伝を日本小説史上に残せる駄作だと思っているし、その駄作がベストセラーになる状況に忸怩たる感情を持っています。だからこそ、「批判を甘んじて受け入れるべし。」とは絶対に言いたくありません。
 緒言にも書いたように、読んだ人の意識の中に楔として打ち込めればそれでいいのです。その楔に対する反応にまで口を出すとしたら、それはきっと思い上がりですから。

>あれを読んで「おお、そうか。権力に立ち向かわなければ!」と思う人はなかなかいない

 とは私も思いますけど、なんか日本ってやな国だなー、警察とか自衛隊ってやな集団だなーという、理屈抜きのイメージ(ちゃんとした理屈があればそれなりの見解だとは思うのだが)を持ったりとかしてないでしょうか。理屈抜きの愛読だと、理屈抜きなだけにこういうのがちょっと気にかかるところですね。
 ただ、こういう影響って言うのは、所詮「はしか」みたいなものなのかなって思うときもあります。

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