はじめまして 国士無双会総裁です
私はヤンが起立しない自由と答えない自由を行使する場面が好きですが
ある知人に、「官吏が公式セレモニーにおいて首脳部の作戦を公然と非難したり国歌を敬わない態度を示すのはおかしい」との指摘をうけました。
私は彼の指摘も一理あると感じましたが、同時に
官吏の首席にあるトリューニヒトの煽動に対する正当防衛ないし緊急避難としてヤンの行為は正当であったと思います。
どうでしょうか?
はっきりいえばおかしいです。軍人としてやってはいけない
ことです。ヤンの態度は正当と感じた理由があれば、命令に
逆らってもいいという、軍にとって絶対認められない
考えです。命令に逆らう自由なんて言い出されたら
軍は崩壊します。
さらにいえば、そういう場面で起立せず国歌を歌わないというのは
世界中どこの国でも非国民扱いされること間違いないです。
作戦の批判といい、帝国の回し者呼ばわりされてもおかしくない
行動です。
初めまして、ずっとロムだけしていた者です。
「日本と言う国で戦後教育を受けてきた」
作者の発想って限界を感じますね。
おそらく、銀英伝執筆のころには通用したのかもしれませんね。
ごもっともです。
ただそうなると
自由惑星同盟、そしてそのモデルと思われるアメリカの
自由と民主主義とは実質的にどのようなものでしょうか?
トリューニヒトやブッシュが無謀な戦争をあおってわめいているときにも軍人には起立する義務がある、
そこに矛盾があるように思います。
あの国は自由民主教という宗教の宗教原理国家だと考えると
じつにわかりやすいです。宗教の教義と同じように、
自由民主主義の理念がそのまま現実にあるわけではないし、
すべて実現可能なわけでもない。
平時でもそうなんですが、戦争中ともなればあの国は民主主義国家
ではないです。
リンカーンは反対派を裁判無しで監獄にぶち込み、ルーズベルトは
日系人を砂漠の真中の強制収容所に送り込み、ブッシュは逮捕令状
もなしに疑わしい人間を逮捕し、秘密裁判を行っている。
こんなものです。
> はっきりいえばおかしいです。軍人としてやってはいけない
> ことです。ヤンの態度は正当と感じた理由があれば、命令に
> 逆らってもいいという、軍にとって絶対認められない
> 考えです。命令に逆らう自由なんて言い出されたら
> 軍は崩壊します。
帝国領への侵攻作戦などヤンの考えでは到底認められない
作戦でも軍司令部に従って出陣しています。
つまり従わなければならない状態と従う必要がないと
考えられる状態をきちんと区別し、その上で従う必要がない
状態であると判断したのでしょう。
トリューニヒトの政治宣伝の場に反発を感じて起立しない
ことをもって、ヤンがすべてに対して命令に逆らう自由を
持つ人間であると断じることはおかしいです。
そもそもあの集会での起立は軍人として、軍の体系の元で
命令されたものではないでしょう。
これに従う従わないは私人としての態度であり、軍人として
やってはいけないという批判にはあたらないのでは
ないでしょうか。
後半の愛国心の有無として批判されるのは分かりますが、
軍人の態度ではないという批判は的外れだと思います。
> ごもっともです。
> ただそうなると
> 自由惑星同盟、そしてそのモデルと思われるアメリカの
> 自由と民主主義とは実質的にどのようなものでしょうか?
> トリューニヒトやブッシュが無謀な戦争をあおってわめいているときにも軍人には起立する義務がある、
> そこに矛盾があるように思います。
拙い文章にレスありがとうございます。
自由惑星同盟の自由と民主主義についてですが、
作者がアメリカをモデルにしていると言っても
氏はアメリカ人ではありません。
ですから、「あの時代の左翼的な日本人からみた、
アメリカ」がモデルなのだと思います。
それと、例え無謀な戦争をあおってわめいている時で
あっても軍人は政治指導者に従わねばならないと思いますよ。
それが文民統制だと思いますので。
彼は集会に私人として出席したのでしょうか?
私は軍人として出席したのだと思いましたが・・・。
だから、どんなに気に入らなくても従うべきだったと思いますよ。
我々が気にくわない上司の不当な命令に従わなければならないようにです。
横槍失礼します。
そもそも職業軍人は官吏(国家公務員)なのでしょうか?
確かに国から給料をもらってはいますが・・・。
イマイチピンときません。
私には、官吏とは国の公務に従事する文民であり、国が民主政治の形態
を取っている場合、軍隊の政治への介入から民主政治を守るため、文民
の下に軍隊がある事を推奨しているというイメージがあるのですが・・・。
私としては、このときのヤンには起立しない自由があったと思われます。
> 彼は集会に私人として出席したのでしょうか?
> 私は軍人として出席したのだと思いましたが・・・。
> だから、どんなに気に入らなくても従うべきだったと思いますよ。
> 我々が気にくわない上司の不当な命令に従わなければならないようにです。
このときの状況は、トリューニヒト氏の情熱的な演説に感動した軍人たちが、
感動のあまり思わず立ち上がって「帝国を倒せ!」と叫んだものだったはずです。
つまり、命令されたわけではなく、立ち上がった人は自発的な意思で立ち上がっています。
よって、立たないということが非難されるべきこととは思いません。
なお、ヤンも軍人ですので、
「総員、起立せよ」
と「命令」されれば、彼も従ったものと思われます。
ROMなのに口出ししてしまってすいません。
私はこの場面、ヤンという人物の人柄がよく描けていると思うので、非常に印象的ですし、好きでもあります。
私も、常識的に考えるならあの場面において軍人ならば立つべきである、と考えます。たとえ気に沿わないとしても。
事実、キャゼルヌだったかユリアンだったか、どちらかがその話をヤンから聞いたとき「とりあえず起立しておけば波風立たなかったのに」と言っていたと思います。
しかし、ヤンはおそらく自分の子どもっぽさを理解していながら、それでも立とうとはしなかった。だからこそ、この場面からヤンの人物像を掴み取ることができるのだと思います。
ヤンが規範的な軍人ではないことは作中で何度も語られています。そして、その規範的でないところがヤンという登場人物の個性なのではないかと思います。
なるほど、そうでしたか。
確かに命令されたのでなければ、
立ち上がる義務は無いですね。
まあ、社会人としてどうかとは思いますが、
キャラクターの個性を出すと言う事なら分かりますね。
ま、確かに命令されたわけではありませんが。個性をだす
描写だというのはそのとおりでしょう。ヤンはよっぽどの
変人(笑)だということが表現されてます。
小説よんでますから、熱狂して立ち上がるほうが変に見えますが、
あの状況にいたら熱狂して立ち上がるのが正常で、ヤンの
態度が異常です。
平時と戦時の正気は違い、戦時においては熱狂こそが正常です。
平時の正気と狂気の狭間に戦時の正気はあります。
軍人としては、変なような気がしますが考えがまとまらないので
反論はしませんが、同盟市民としてはあきらかに変だと思います。
文官であれ武官であれ政治(意思決定)には関与せず
テクノクラートとしての職務(執行)に専念するのが
原則であると思います。
文民統制のあり方は国によっても違うと思いますが
私は、
「軍は官僚であって政党でもサブカルチャー(国家の中の国家)ではない」
という制度であると考えています。
> それと、例え無謀な戦争をあおってわめいている時で
> あっても軍人は政治指導者に従わねばならないと思いますよ。
> それが文民統制だと思いますので。
これは文民統制の趣旨という点から疑問です。
軍が軍事行動(執行)において政治指導者に従うのは当然ですが
人心操作・政略的扇動(意思決定への干渉)に協力する義務は
ないと思います。
時の当局者が軍人をセレモニーに動員して大衆の宣伝に利用することは
文民統制によって正当化されないのみでなく、むしろ趣旨に反しているのでは?
起立しない自由?と関連して。
軍人には、戦時の扇動を受容する義務はあるのでしょうか?
「戦争は殺人である」という思想の人より「この戦争は正義である」という思想の人が戦場では強いかもしれない。
その差が生死を、国家の命運を分けるかもしれない。
しかし軍人に人を殺す義務はあっても、戦争の正義を信ずる義務はないと思います。
> これは文民統制の趣旨という点から疑問です。
> 軍が軍事行動(執行)において政治指導者に従うのは当然ですが
> 人心操作・政略的扇動(意思決定への干渉)に協力する義務は
> ないと思います。
> 時の当局者が軍人をセレモニーに動員して大衆の宣伝に利用することは文民統制によって正当化されないのみでなく、むしろ趣旨に反しているのでは?
ヤンは良く言えば「損得抜きで純粋な」、悪く言えば「大人気とか分別に著しく欠けた」人物なので、あの行動自体はごく自然なものだと個人的には思います。
ヤンに対してはむしろ外伝2巻でトリューニヒトがそれぞれに努力する若者4人を褒め称え国民へのプロパガンダに利用した事に「あの4人は立派だがトリューニヒトが何の関係があるのか」という趣旨の発言をした事にこそ問題を感じております。
「国防委員長は目的はどうあれ地道な努力をしている若者に脚光を当てそれなりの栄誉と報酬を与えた訳だが、ヤン・ウェンリーはそのプロパガンダがあるまでその若者たちの事なんて何も知らなかったし何かしてやった訳ではないだろう。下心のある人間に対して常に斜に構えれば正しいという事はないだろうに」という意味合いで。
> 文官であれ武官であれ政治(意思決定)には関与せず
> テクノクラートとしての職務(執行)に専念するのが
> 原則であると思います。
意思決定を自らの主観的な意見で誘導することはしないという事
であれば同意できますが、自らの意見・意思を発表・発言する場
で無い所でも非難してもよいという意味であれば同意できませ
ん。
> 文民統制のあり方は国によっても違うと思いますが
> 私は、
> 「軍は官僚であって政党でもサブカルチャー(国家の中の国家)
> ではない」という制度であると考えています。
了解しました。
官僚であるならば、テクノクラートとして、自らの発言・行動に
ついて細心の注意を払うべきではないかと私は思います。
若かりし頃、あの場面は痛快に感じました。
しかし、現在は・・・。諸手を上げて賛同できないです。
式典が、政治ショーである事をヤン及び軍部は知っていました。
であるあらば、正当防衛ないし緊急避難として、キャゼヌル(軍
部)からの式典出席要請を拒否するのならば筋は通ると思うので
すが(ヤンの性格上ありえないような気がしますが・・・)、公衆の
面前に出た上であの行動は官僚としてあるまじき行為なのでは?
私なりなりに、なるべく客観視した場合(多少主観が入っている
事は認めます)帝国侵攻作戦前後のトリューニヒト氏と被って見
えてしまいます。
ヤンのそのような子供っぽさや矛盾に悩む姿、等々結構好ですしヤンの
言動は、感覚的には正しいような気がします。
しかし、現実に当てはめて考えて見ると・・・。
結構トンデモナイ人のような気もします。(天才の行動は、凡人
には計れない!?)
# まぁ物語の中の人ですから、そう目くじら立てる事もないよう
# な気がします。但し、現実で彼のような行動を目の前で取られ
# ら・・・。多分友達にはなれないでしょう。
基本的に「時の政府に服従する 」のが軍人の義務だと思うのです。
これについては従うがそれについては従わないと言う、
選択権と言うか判断する権限すらないとも思っています。
それに戦時と平時の違いもあります。
「時の当局者が軍人をセレモニーに動員して大衆の宣伝に利用する」と言うのも戦争政策の一つだと思いますしね。
「人心操作・政略的扇動」も平時には許される事ではないですが
戦時の話ですから、政府の仕事と考えます。
私は、官吏は政略ではなく能力によって選ばれ(スポイルズシステムではなくメリットシステム)もっぱら執行を司るべきものであり、官吏が時の政府に従うのはあくまでも執行においてのみであると考えています。
政変のたびに将校や高級文官が総辞職していては官僚制は成り立ちません。
それと、国軍とは主権者の軍隊であり、
時の当局者のプロパガンダのための私兵ではありません。
ある社会状況では身を守るために、あるいは軍務を執行するために人を殺すことはやむをえない。
しかしそれは殺人者たる軍人に一個としての主体があってはじめて
自衛・軍務・他国との政争のための戦闘=体系的殺人が許されるので
はじめから時の執権者の宣伝に基く戦時の正気=熱狂という心理状態を肯定するのはおかしいと思います。
> 私は、官吏は政略ではなく能力によって選ばれ(スポイルズシステムではなくメリットシステム)もっぱら執行を司るべきものであり、官吏が時の政府に従うのはあくまでも執行においてのみであると考えています。
なるほど。
しかし私は軍人に関してのみは絶対の服従を求めるべきだと思います。軍隊には暴力によって政府を転覆する力があります。
ですから一般の官吏とは区別されるべきだと思うのです。
> 政変のたびに将校や高級文官が総辞職していては官僚制は成り立ちません。
確かアメリカでは一部の高級官僚は大統領が代われば交代したはずです。
「アメリカでは数年に一度明治維新が起こる」
と言う文を読んだことがあります。
> それと、国軍とは主権者の軍隊であり、
> 時の当局者のプロパガンダのための私兵ではありません。
時の当局者と選挙で選ばれているはずですね。
主権者=国民の代弁者のはずです。
それとプロパガンダ=悪と言う風に考えられていませんか?
私は民主国家(主権者が多様な意見をもつ)で強力な政治運営を行うにはある程度必要だと思うのです。
戦争についても国家の利益になるのならば、考慮するのが
当たり前だと考えている私は異端なのかもしれませんが。
是非善悪の問題ではありません。人間はそういう生き物
なんです。戦時になればそうなるんです。これは
理性の問題ではありませんから、理性的に考えても
無駄です。
疑問に思うなら歴史を学んでください。そういうものですから。
戦時には人間は熱狂する、そこからはじめないと何も
始まりません。
戦争を遂行するためには国論を統一せねばなりません。多様な
意見など認められない。簡単にいえば、戦争中に戦争反対と
言わせることは認められないんです。民主国家だろうが
なんだろうがこれは同じです。
プロパガンダは軍が国民を戦争に協力させるために軍の方で
望みます。本編のあのシーンも創設いらい、攻め込まれて
ばかりだった同盟軍にとって帝国侵攻は軍人たちの悲願で
あったと考えられます。だからフォークの杜撰な計画が
通ったし、トリューニヒトの演説に軍人たちが熱狂したと
思います。トリューニヒトも国防委員長を経験していますから
軍人達が何を望んでいるかわかってたはずです。
> なるほど。
> しかし私は軍人に関してのみは絶対の服従を求めるべきだと思います。軍隊には暴力によって政府を転覆する力があります。
> ですから一般の官吏とは区別されるべきだと思うのです。
戦争が長引き、予算や人員が最優先で配備される状況では
軍に国家が従うという状況になってしまいます。
必要以上に軍に力を与えると国をのっとってしまう。
文民統制というのは、軍による国の乗っ取りが横行しているから
制度で禁止せねばならなくなった、というのが真相です。
禁止されてることは実は何が横行しているかを教えてくれます。
> 確かアメリカでは一部の高級官僚は大統領が代われば交代したはずです。
> 「アメリカでは数年に一度明治維新が起こる」
> と言う文を読んだことがあります。
あれはセレモニーです。一部の高級官僚や大統領が変わったところで
何も変わりません。そもそも数年しか居ない人間が、行政の実務が
できるわけないのであって、変わらない人間が実務をつかさどります。
変わる人間はいわば,お飾りです。
第一、行政は連続性が必要なのであって、数年ごとに変わられたら
国家運営ができません。