優馬です。
田中芳樹作品群の特徴をつらつら考えておりましたら、ひとつキーワードを見つけたような気がいたします。皆さんのご意見をお聞かせください。
それは、「葛藤の回避」。
田中芳樹小説に登場するキャラクターたちは、生身の人間であれば避けられない「葛藤」を実に上手に回避しています。そしてそれが、作品としての魅力であると同時に限界になっていると思います。
例えば、銀英伝のラインハルトは、まさにその典型です。
熱愛する姉が、いけ好かない権力者の後宮に入れられてしまう。自分は子どもでそれをどうすることもできない。典型的な葛藤状況です。普通であれば、グレる(逃避的行動に逃げる)か、葛藤を克服して現実と折り合っていく(「大人」になる)かのどちらかなのですが、ラインハルトは違います。「自分が銀河皇帝になる」という破天荒な夢を実現させてしまうのです。このとき、彼はその天才をもってして「外的世界」を改変してしまったわけです。しかし、彼の「内的世界」=自我はそのままであることにご注意ください。凡人は自分を変えることで葛藤を克服するのですが、天才であるがゆえに自分の内的世界は変えずに外の世界の方を変えてしまうのです。彼の分身であるキルヒアイスも、そういえば「悩まない」キャラクターでした。
一方で、ヤン・ウエンリーも頑なに自分のスタイルを守るという点で自分の内的世界から一歩も出ないキャラクターでした。以前「ヤンの政治的責任」という議論があっていましたが、「非政治的存在」であり続けようとするヤンにとって(好きでもない)政治の世界に進出することなど論外だったのでしょう。戦争の指揮はするけれども政治はしない、というのは根本的に矛盾した話なんですが。政治がイヤなら提督なんかになっちゃいけない(笑)。とまれ、「本当は歴史家になりたかった戦術の天才」という枠から一歩も出ません。これが現実の世界であれば、「救国の英雄」となってほしい同盟市民の圧倒的要望の前に、「非政治的存在」であり続けることなど不可能であり、不承不承でも政治の世界に足を踏み入れざるをえないはずなのですが、そのようには話が展開しない。目に見えにくいですが、すごいご都合主義な展開です。ヤンもまた、本質的な「葛藤」に悩まされることなく、得意な戦争指揮だけに専念させてもらえるようなストーリーです。
葛藤に直面しないですんでいる田中芳樹ワールドの住人は、言葉の本来の意味で「子ども」であると言えます。「ピーターパン・シンドローム」という言葉がありましたが、まさにそれ。ただ現実世界のピーターパンたちは、現実の壁にぶつかって、引きこもったりグレたりして不適応をおこすのですが、田中芳樹ワールドの住人には、「天才」であるとか「王器」であるとかいう特権が与えられ、決して破綻しません。終いには「竜種」となって人間以上の存在になっちゃう。こうして「葛藤」が回避された楽園で、ピーターパンたちは気持ちよく遊び呆けることができるわけです。
現実の「葛藤」に悩む思春期の少年(少女)にとって、外的世界の方を改変して葛藤を克服してしまうというのは魅力的です。空想の世界でスーパーマンになっていじめっ子をやっつけるというのは、誰しも一度は経験のあることです。田中芳樹作品は、そういう夢想に具体的な形を与えてくれる、たいへん魅力的な存在であると思います。ただし、それは一時の気休めでしかありませんが。また、葛藤の中にこそ文学が描くべき人間ドラマがあるわけで、そこから抜本的に目を逸らしている田中芳樹作品は、例えどんなに難しい漢字が使ってあっても、文学たりえません。
ところで、いらん心配なのですが、毎回楽しみにさせていただいている不沈戦艦さんの「大逆転!リップシュタット戦役!」について。ここではラインハルトにとって根本的な葛藤状況が提示されていますよね。つまり、帝国を取るか姉アンネローゼを取るかという。本来の田中芳樹ワールドでは、ギリギリの選択に追い込まれることなく、葛藤状況が解決されなければなりません。つまりアンネローゼは必ず救出される。それが、銀英伝世界の「お約束」なのです。個人的には、ラインハルトが七転八倒して煩悶するところを読んでみたいですが(笑)。でもそれやると「反銀英伝」が銀英伝以上のものになっちゃいますんで、ルール違反かな。
長々失礼いたしました。
>彼の分身であるキルヒアイスも、
>そういえば「悩まない」キャラクターでした。
ラインハルトの忠臣として、悩む必要のないキャラクターだったキルヒアイスも、一度だけ悩んでいます。
それはヴェスターラントの虐殺をラインハルトが故意に無視した件です。
「だが、確かめてどうする。虚報であれば、それでよい。しかし、もし真実だったらどうするのか。キルヒアイスは自問した。明快な答えはでてこなかった」(2巻p172ページ)
アニメ版だともっとはっきりしています。「お前自身の正義と、ラインハルト様の正義とが同じものでなくなったとき、お前はどうするつもりだ、ジークフリード・キルヒアイスよ」(キルヒアイスのモノローグより)
この悩みが解決を見ることなく終ってしまうのは、周知の通りです。
田中芳樹自身は、5巻の後書きの中でキルヒアイスの早すぎる死は失敗だったことを言っていますが、
しかし、「葛藤回避」が彼の特徴ならば、キルヒアイスの死は必然だったのではないかと思えてきます。
実は田中芳樹は無意識的にキルヒアイスを殺したのではないでしょうか。
葛藤が書けないのに、偶然キルヒアイスは葛藤を抱いてしまった。そこで「命と引き替えに主君を守る」という行為でもって、解決をうやむやにしたまま2人の関係を永遠のものに昇華してしまったのではないでしょうか。
皆さんの鋭い洞察を横目に、つまらん推測を立ててみました。(^^;;
> しかし、「葛藤回避」が彼の特徴ならば、キルヒアイスの死は必然だったのではないかと思えてきます。
> 実は田中芳樹は無意識的にキルヒアイスを殺したのではないでしょうか。
同感です。
「早く殺しすぎ」の本人発言は、作者本人にとっても意識できない「必然」であったことを示唆していると思います。
あと、オーベルシュタインというキャラクターも、「汚れ仕事一手引き受け」というこれまたご都合主義的な存在ですよね。汚れ仕事を「勝手に」やってくれる忠臣がいてくれれば、ラインハルトは陰謀やら謀略やらを意識に上らせる必要がなくなる。ラインハルトの内的葛藤の回避に非常に有効。彼の「少年性」「純粋性」をキープしてキャラとして「純度」を高めるという効果もあるんでしょうけど。
> この悩みが解決を見ることなく終ってしまうのは、周知の通りです。
> 葛藤が書けないのに、偶然キルヒアイスは葛藤を抱いてしまった。
> そこで「命と引き替えに主君を守る」という行為でもって、解決をうやむやに
> したまま2人の関係を永遠のものに昇華してしまったのではないでしょうか。
同人誌では「キルヒアイスが命をとりとめる」設定はありふれていて、大概がその後ラインハルトとすぐ仲直りできることになっています。
でもそうでない、致命傷から生還した後も互いに心を開くことができないままという設定で書かれたシリーズも読んだことがあります。
「忠実な部下」の線を越えることのできなくなったキルヒアイスの苦悩が真正面から描かれていて、ラインハルトも心理的に厳しい立場になっていて、かなり痛かったです。
二人はその後の「モルト中将」の件でも向かい合わなければならなくなるのですが溝は深まるばかりで、結局原作での8巻あたりでキルヒアイスがやはりラインハルトの意地で起こったような戦闘で戦死してから、ラインハルトが今更かつての友を神聖化して二人の関係を永遠のものに昇華させようとする愚かしさが描かれていました。
原作の二人ならそんなことにならんだろうと思ってましたが、その方が今考えれば同人誌ながら、リアルで文学的だったのかもしれませんね…。
その同人誌のシリーズの一冊に出てきた、ある人物(ラインハルトではない)のキルヒアイスに向けた言葉「お前はあの時(ラインハルトを庇ったとき)死んでしまうべきだった」の意味が今本当に分かった気がします。
キルヒアイスってそういう意味でもラインハルトに殺されたんですね(怒)。
>末次紀子さん
> 同人誌では「キルヒアイスが命をとりとめる」設定はありふれていて
> 、大概がその後ラインハルトとすぐ仲直りできることになっています。
> で
> もそうでない、致命傷から生還した後も互いに心を開くことができないままと
> いう設定で書かれたシリーズも読んだことがあります。「忠実な部下」の線を
> 越えることのできなくなったキルヒアイスの苦悩が真正面から描かれていて、
> ラインハルトも心理的に厳しい立場になっていて、かなり痛かったです。
ふと思ったんですが、ルドルフ的なものを排除するという点に置いては協力しあえた二人ですが、
その後の政体をどうするかについては、キルヒアイスは「皇帝専制」に拘る必要がないのではと思います。
民衆が解放されるなら、民主主義でも許容できたはずです。
ラインハルトは民主主義を軽蔑していましたが、キルヒアイスにはそのような理由はありませんから。
だから、もしキルヒアイスが生き延びた場合、対立が解消されないときはラインハルトと敵対、
キルヒアイス=ヤン同盟がありえたんじゃないかと思います。
>優馬さん
>ラインハルトの内的葛藤の回避に非常に有効。
>彼の「少年性」「純粋性」をキープしてキャラとして「純度」を高めるという効果もあるんでしょうけど。
なるほど。私はオーベルシュタインの謀臣としての不完全さを考察したことはあるのですが、そのような視点は気付きませんでした。