このホームページは以前から知っていたのですが、今日ようやくじっくり拝読させていただきました。
頭の悪い私には皆さんの討論・議論・熱論のレベルが高すぎて、なんだか理解できたのかできていないのか怪しいところなのですが、せっかくなので感想を書かせていただきます。
田中芳樹先生の「創竜伝」は、先日完読したばかりです。高校の時、友人が持っていたのをちらっと読ませてもらったのですが、文章の攻撃的なことと品のなさ(私がそう感じただけですが)に辟易して、以来10年読まず嫌いをしていたのでした。それを今頃になって全巻通読したのは何故かといいますと、ふと1巻を読んでびっくりしたからです。
現代日本を揶揄する文面への、漠然とした不快感と奇妙な爽快感。これはヤバイ本なのでは、と感じました。論証のない揶揄が連綿と続いていく文面は、巻を勧めるうちにどんどん過激化し、形骸化していく。
田中先生が文面で他者を貶めれば貶めるだけ、その扱き下ろされた他者の姿にこそ、田中先生の実体が憑依していくというか・・・うまく伝えられなくてすみません。
とにかく全部読んでみないと、何も言えないな、と思ってすべて読んでみて、結果的に産まれた読評は、「創竜伝」は貧しい快楽である、に尽きました。
自分の生まれた国をさげずんで喜ぶのは、淋しいことだと思います。私は旅好きで、25になった今でも年の数ヶ月は海外で放浪するという生活を送っているのですが、他国を見るにつけ、日本への憧憬と愛着、諦観が生まれます。色んなことが歪められ、洗脳の多い国だと思いながらも、それでもこんなに愛しい国はないと考えるようになってしまうのです。だいたい、他国にはいわゆる特異な日本人気質である、「自国を貶めて喜ぶ」というパラドックスを抱えた人間が少ない。政府や国が悪い
(暫定的な表現ですが)なら、革命を起こすだけであり、くすぶって悪口を並べるだけではすませない。なぜ日本人がこれほどまでに自国への誇りや執着をなくしてしまったのか、左翼や右翼ではなく、中庸に国を尊べなくなってしまったのかは、ちょっと私の頭と舌には大きすぎる問題なので置いておいて、ともかく。
政治や国家への悪口を並べて喜ぶ、そうだそうだと快哉をあげ、加熱する悪口に溜飲を下げておしまい。それってどうよ!? そんなことで喜ぶなよ! だって貧しいじゃないか!? というのが、私の主旨です。もう、たくさんつっこみ所のある発言ですが、これ以上書くのもむにゃむにゃ、というか脳みそがついていかないのでやめておきます。
そして気づいたことは、田中先生のお話は、全作において「登場人物が成長しない」「基本的に民衆を馬鹿にしている」という共通点があることです。なんかなー、いかんぞ! 田中先生、こんなアジっぽい文章書いてちゃダメだ! 他に面白いものが書ける人なんだから、わざわざ品性を落とさないでくれ、とからかっているのではなく本気で思います。そして、田中先生の作品群のなかで、「薬師寺」シリーズと「創竜伝」シリーズだけが、なぜこんなにも奇異なのか。
収集がすでにつかなくなっているので、このあたりでやめておきますが、よかったらレスください。
はじめまして。少し前からカキコさせてもらっているtinaと申します。
このHPは、肯定的な人も否定的な人も建設的な議論ができる素晴らしい場所だと思います。
まだ日が浅くあまりカキコもしていない私が言うのも僭越ですが、さちぼんさん、これからこのHPでどんどんいろんな議論をしていきましょう!
> 政治や国家への悪口を並べて喜ぶ、そうだそうだと快哉をあげ、加熱する悪口に溜飲を下げておしまい。それってどうよ!? そんなことで喜ぶなよ! だって貧しいじゃないか!? というのが、私の主旨です。
まったくもってそのとおりだと思います。
日本人は、平和ボケしすぎている、というか平和に甘えきっています。
自分は批判するだけ。
この国をどうやってよくしていこうなんてちっとも考えていないくせに、批判する事だけを楽しんでおしまい。
自虐趣味といえるほどではないでしょうか。
でも、これは戦後ずっとそうやって教育してきた事や、そういう報道の仕方をするマスコミに、おおいに責任があると思います。
もちろん、偏った情報に疑義を抱かない人々も悪いじゃないかといわれればそうですが、でも、やはり今のマスコミや、教育体制に「愛国心」を受け入れる余地は無いと思います。
一概に田中氏だけが悪い、とは言えないのではないでしょうか。
> 自分の生まれた国をさげずんで喜ぶのは、淋しいことだと思います。
さらに、この言葉が「創竜伝」に当てはまるかといわれれば、私はそうではないと思います。
もちろんこの言葉にはおおいに納得するのですが、私には創竜伝は田中氏が「あえて」こういう風に書いているとしか思えないのです。
それは、私が田中氏ファンだから、というのももちろんありますが。
私は、創竜伝を読んで、逆にこの国に愛着が湧きました。
田中氏につきおとされ、ケチョンケチョンにかかれている日本。
「そうではないだろう。さすがにここまでひどくはないだろう。」
と、私は逆に反発する形で日本に関して非常に興味を持ち、自分の国に関して色々と勉強しました。
今では、「日本はこんな国なんだ」と胸をはって言えます。
それに、確かにこの国には矛盾した所もたくさんあるので、そういう点をなんとか直していきたいと思っています。
ともかく、私がこういう風になったきっかけは創竜伝でした。
だから、田中氏は、読者がこういう風になる事を考えて「あえて」こういう風に書いたんではないか、と、勝手に想像してしまうのです。
買いかぶりすぎなのかもしれないですけどね。
結局私もなにを言いたいのかわからなくなってしまいました。(笑)
とりあえず、私が創竜伝に対して感じているのはそういうことです。
まぁ結論はなんなのか、といわれれば、「これからもよろしくおねがいします!」ということです!
皆さんの意見を読んでいて思ったのですが、田中さんは小説を書いているのであって、別に歴史書を書いているわけではないのに、皆さん、どうしてそんなに細かく田中さんの小説に正確性求めるんですか?創竜伝のラストにもフィクションと書いてあるのだし、適当に読み流してはいけないのですか?ここ最近田中さんの小説にはまりまして50冊ほどよんでみました。銀英伝、アルスラーン戦記、創竜伝、薬師寺涼子、中国物、アップルフェラント(?)など。なかなかおもしろいですね。私としては銀英伝が最も好きです。次に中国物。私は活字中毒予備軍として育っていますが、それでも皆さんの田中さんに対する思い入れいんは驚きます。凄いですね。
皆さんにひとつ感謝したいことは、私ももう少しで1冊1600円もする隋唐演義に手を出すところでした。買って後悔するのも嫌ですけど、半分寝ながら無理やり読むのも嫌です。とりあえずは古本屋で見つけた安能さんの隋唐演義を読んでみます。では、失礼します。
> 皆さんの意見を読んでいて思ったのですが、田中さんは小説を書いているのであって、別に歴史書を書いているわけではないのに、皆さん、どうしてそんなに細かく田中さんの小説に正確性求めるんですか?創竜伝のラストにもフィクションと書いてあるのだし、適当に読み流してはいけないのですか?ここ最近田中さんの小説にはまりまして50冊ほどよんでみました。
50冊! そんなにありましたっけ(笑)。あるのかも。しげしげと数えてことがなかったものですから。結構書いてるんですねえ。あんまり遅筆と責めちゃ可哀想かな(笑)。M・ミッチェルは「風とともに去りぬ」一作だけですもんねえ。
フィクションとの但し書きの元で書きたい放題しているのを問題視しているのだと思います。フィクションというには元ネタがあからさま過ぎ。詳しくは過去ログを参照されるか、管理人さんも幾つか評論を書かれているのでそちらをごらんになって下さい。
「隋唐演義」、私買っちゃいましたねえ。我ながら何と忠誠心の厚い読者でしょう。いやあ、確かにつまらないです。決しておすすめ出来ません。
中国物の書き手としては安能務が今のところ最上等でしょうね。知識が深く、そうでありながら対象からきちんと距離をとっていらっしゃいますから。
掲示板をご覧の皆様始めまして。
新参者がこんなところへいきなりRe.書き込んでいいのかとも思いながらも書かせていただきます。
私も長年読者をやっていますが、「創竜伝」等には確かに鼻につく表現が多いなとは思っていたクチなんですが。
さちぼんさんは謙遜なさって頭が悪いなどとおっしゃってますが、
別に良かろうが悪かろうが、自分の頭で考えて得た結論であれば、
それはその方の意見として立派なものではないでしょうか?
「時の権力」の腐敗、無能をあげつらうのは、力のない一般市民の不満のはけ口でもあり、瓦斯抜きをすることによって動乱を防ぐという効果もあるなと、私などは考えます。
政府が民間人に知らせたくない内容に突っ込みすぎというのは、確かに思いますが、この程度のことなら時代劇やドラマとかTV番組でやっている事と変わりは無い様に見受けられますが、いかがでしょう?
欧米では、ウィットに富んだジョークを飛ばせる環境があるけれども、日本人にはその練習が足りないというのもあるような気が…しますが、さてどうでしょう?
私は、本集めは趣味ではなく、内容に引かれて買うクチですんで、
作家が書く本全て水準以上とは思い込まないようにしてます。
品性云々なんですが、あなたのジャンルはここと決められてテリトリーをはみ出さないように書いてる作家なんていない(はず)と思いますんで、べつに田中さんがポルノを書いても気持ちよければそれでいいんじゃないでしょうか?
つまらなくて申し訳ないですが、個人的な意見を挙げさせていただきました。
あ、ちょっとこっから先tinaさんへの質問です。
この掲示板で、「新しい」シリーズの宣伝をしておられる方がいらっしゃいますが、他民族を虐殺したことを認めない人がこれからの国際社会で信用されるんでしょうか?
現在の学校の先生はなし崩しに「愛国的」になっているし、読売新聞はバリバリ「愛国心」を煽ってますし、余裕を持って着々と陣地を広げているように見受けられますが、いかがなもんでしょう?
また、この「愛国心」とは? どういう心の動き、どういう考えを指して言うのでしょうか?
「自虐趣味」なんてレッテルを貼るとそこから先その人を理解しようとしなくなるでしょうから、意見の交換なんてできなくなるでしょう?
もっと、幅広く他人の意見を聞いてみてあるいは過去の人の意見も読んでみて、自分の頭でゆっくり考えてみてはどうでしょう?
私などは、自分の人生を他人にひっかき回されるのはいいやなんで、ついついそう考えてしまうんですが、変ですかねぇ?
いやいや、下らんことを長々と書いてしまいました。
田中さんには復活して、ぜひ面白いシリーズを書いていただきたいものです。
それでは、お後がよろし(くな)い様で、ご機嫌よう。
p.s.管理人様、チェックお疲れ様です。「あなたはここに不必要」と判断されましたら、削除してくださってかまいません。
今後も、よろしくお願いします。
<掲示板をご覧の皆様始めまして。
新参者がこんなところへいきなりRe.書き込んでいいのかとも思いながらも書かせていただきます。
私も長年読者をやっていますが、「創竜伝」等には確かに鼻につく表現が多いなとは思っていたクチなんですが。>
はじめまして、恵と申します。
忌憚のないご意見、興味深く拝見させていただきました。少し気になる箇所がありましたので、失礼ですけど横レスさせてもらってもよろしいでしょうか。
<品性云々なんですが、あなたのジャンルはここと決められてテリトリーをはみ出さないように書いてる作家なんていない(はず)と思いますんで、べつに田中さんがポルノを書いても気持ちよければそれでいいんじゃないでしょうか?>
確かにおっしゃる通り、一理あるご意見だと思います。
別に、創竜伝のジャンルがファンタジーでもSFでも伝奇物でも社会評論物語でも、結論から言えばエンターテイメントとしては「面白ければ問題ない」わけです。ただし、そこが極めて肝心なのですけど、創竜伝の場合は「間違ったり、著しく偏向したりの社会評論の存在自体が、かえって作品の魅力を損なっている」というのが実状で、それはこちらの掲示板で何度も繰り返し議論されている通りだと思います。(詳しくは「ザ・ベスト」や冒険風ライダーさんの大作「私の創竜伝考察シリーズ」をご覧になってみてください)
あなたのお言葉をお借りするなら、
「田中さんが社会評論(ポルノ)を書いても面白くないから(よければ)それではダメ(いいん)じゃないでしょうか?」
ということになりませんか?
「小説に社会評論を入れる手法」を擁護なさるなら、肝心の社会評論の存在が作品の質をどれだけ高めているかを論証なさるべきだと思います。
貴方の方こそ自分で物を考えていないような気がするのですが。貴方の言っていることは田中芳樹の言っていることに非常に近いと思いますよ。しいては学校の教師たちが言っていたことにも近いと思います。
「愛国心」は必要だと思いますよ。個人と国家は運命共同体ですから1人なら自分のことだけを考え国家を省みなくても自分の利益になりますが、そういう人間が多くなると国家が傾き結局個人も損をすることになります。これを確か「合成の誤謬」と言ったと思います。
「合成の誤謬」を起こさせないためには「情けは人のためならず」と道理を説くのも一つの方法ですが必ず情けが自分に返ってくるわけでないことを考えれば感情に訴える「愛国心」も必要です。
あのー、やっぱり横レスになってしまうんですが、やっぱり気になった部分が幾つかあったので書き込みます。何だか、この手の書き込みにはいつもレスしているようで、自分が喧嘩好きみたいで嫌なんですが。
あ、もちろん、「どうでもいいや」さんのご意見はきちんとしたまっとうなものです。決して味噌も糞も一緒にしている訳ではありませんので。
> 「時の権力」の腐敗、無能をあげつらうのは、力のない一般市民の不満のはけ口でもあり、瓦斯抜きをすることによって動乱を防ぐという効果もあるなと、私などは考えます。
力のない一般市民? はて、誰のことでしょう。民主主義国家でそんな存在があっていいはずがありません。鈴木宗男を選んだのも、田中真紀子を選んだのも、選挙に行かず行楽に行くのもすべてその「力のない一般市民」がしたことではないですか。自分たちが「時の権力」を作っておきながら、不満を覚えてガス抜きされるなんてのは実に無様な話です。いまさら純粋無垢を気取っても、私にはとうてい容認できません。
> 政府が民間人に知らせたくない内容に突っ込みすぎというのは、確かに思いますが、この程度のことなら時代劇やドラマとかTV番組でやっている事と変わりは無い様に見受けられますが、いかがでしょう?
> 欧米では、ウィットに富んだジョークを飛ばせる環境があるけれども、日本人にはその練習が足りないというのもあるような気が…しますが、さてどうでしょう?
ウィットに富んだジョーク…。政府が民間人に知らせたくない問題というのは具体的にはどういうことでしょう。記者クラブ制度ですか。外国人の犯罪率の高さですか。隣国の敵対的な言動ですか。これらはむしろ「愛国的」な人々が真相究明に熱心なようですが。
腐敗や汚職はもう今更政府がどうしようが国民(民間人とは言いません)は知ってますね。
> 品性云々なんですが、あなたのジャンルはここと決められてテリトリーをはみ出さないように書いてる作家なんていない(はず)と思いますんで、べつに田中さんがポルノを書いても気持ちよければそれでいいんじゃないでしょうか?
作家が気持ちよくてもどうしようもないです。それはただのマスターベーションです。公の媒体で発表される作品はすべて読者の検証に晒されます。それが嫌なら発表してはいけません。
テリトリーをはみ出して書くな、とはおそらくどなたもおっしゃっていません。それが、つまらない、浅薄だとは言っているでしょうが。つまりは作品として。
田中さんのもうひとつの問題点は過去の書きかけの作品に決着をつけないまま、新しいテリトリーに勝手に移行してしまったことです。先日の「灼熱の竜騎兵」の話、私は唖然としてしまいましたが、実際問題としてこの小説は田中芳樹単独のものだと了解して富士見ファンタジア文庫を購入した人にとっては、まあ、とんでもない詐欺にひっかかったようなもんでしょう。そういうことを平然とやる姿勢はどう考えても侮蔑に値します。
> あ、ちょっとこっから先tinaさんへの質問です。
> この掲示板で、「新しい」シリーズの宣伝をしておられる方がいらっしゃいますが、他民族を虐殺したことを認めない人がこれからの国際社会で信用されるんでしょうか?
国際社会ってなんですか。現在の国連常任理事国の中で他民族を虐殺したことがない国ってあるんですか。そしてどの国がその事実を認めているんですか。あったら教えてください。
言っておきますが、私は虐殺を正当化するつもりはありませんし、いわゆる「作る会」に対してはそれなりの不満と危惧を抱いております。
日本の過去が清純無垢だったというつもりはないし、それはそれできちっと反省もし、解明もするべきだと私は考えています。しかし日本を糾弾する諸国の手は大日本帝国以上に血に汚れていることは認識して欲しいと思います。
現状で日本が一方的に過去の問題で外国に譲歩するのは、こうした虐殺を生み出さない方向に向かうのではなく、むしろその逆に至ることを危惧すべきです。
> 現在の学校の先生はなし崩しに「愛国的」になっているし、読売新聞はバリバリ「愛国心」を煽ってますし、余裕を持って着々と陣地を広げているように見受けられますが、いかがなもんでしょう?
> また、この「愛国心」とは? どういう心の動き、どういう考えを指して言うのでしょうか?
私も愛国心をやたら振り回すのは確かに嫌いです。
しかし日本における現状の愛国心は絶対基準で見て、国際的におはなしにならないほど脆弱だとは思いませんか。
韓国のレヴェルにまで至ると確かに愛国心は国を滅ぼすもとになります。しかし国というものが存続していかなければならない以上、最低限、それを支える気持ちが国民に求められるのは当然じゃないでしょうか。今までがむしろおかしかったのだと思いますが。
私はこの右傾化が更に進行するのを確かに憂えてはいますが、その責任はむしろ、まともな議論を回避してきた朝日新聞、日教組、朝鮮総連、旧社会党の面々が負うべきものだと考えますが。
> 「自虐趣味」なんてレッテルを貼るとそこから先その人を理解しようとしなくなるでしょうから、意見の交換なんてできなくなるでしょう?
これは本当にそうですね。同じく、防衛問題を検討するだけで「軍国主義者」と罵るのはやめて欲しいです。
> p.s.管理人様、チェックお疲れ様です。「あなたはここに不必要」と判断されましたら、削除してくださってかまいません。
正直言って、このP.S.以下は管理人さんとこの掲示板に対してかなり失礼だと思うのですが、いかがでしょう。
それこそ自分なりに真剣に思考した結果のご意見でしょうから、簡単に削除を容認するようなことはおっしゃっていただきたくないですが。
これは非難ではなく、意見ですね。
それともうひとつ、これも意見、それもかなり押し付けがましい意見ですが、今後、このような書き込みをされる場合はハンドルネームをもう少し考えられた方がよろしいのではないでしょうか。
いわゆる「捨てハン」と見られて、それだけで論旨の説得力が弱まるように思いますが。
失礼いたしました。
失礼な書き込みに、レスつけていただいてありがとうございます。
いきなりですが。
<非常に近い>ですよ、だからこそ同じものに見られるのは、しかたがないと半分あきらめてます。
<そういう人間が多くなると国家が傾>くのは十分に検証された事実であり、問題ないですよね。
しかし、<必ず情けが自分に返ってくるわけでないことを考え>る人、「反対」勢力ですか、を増やしていては良くないんじゃないでしょうか。
困っているときに助けてくれる、頼れるからこそ、国を愛する、信頼する気持ちを、育めるのではないかと考えてしまいます。
こういう考えでは、新しい国には受け入れてもらえないんでしょうか?
「愛国心」として、国家が個人に具体的に何を求めるのかが不明瞭ですので、変な勘繰りしてしまうだけなんですけど。
大変申し訳ありません。
横レスについては、皆様に深くお詫びします。
管理人様、大変無礼なことを申し上げてしまいました。
軽率さを、反省します。お許しいただければ、幸いですが。
<気になった部分>を発生してしまうのは、書き込みに説明が足りない事が原因と反省しております。
<選挙に行か>ない人は、国政に携わる権利も義務も放棄していると考えられますので、擁護するつもりはありません。
ガス抜きのところは、私のミスです。私がガス抜きしたいから、たまにはそんな小説もあっていいんじゃないか、ということです。
<民主主義国家>ではあっても、立候補するのも他人を推して立てるのも大変ではないですか?純粋でも無垢でもあろうともしないからこそ、不平不満がでてくるんではないでしょうか?
<これらはむしろ「愛国的」な人々が真相究明に熱心なようですが。> まさしく、そのとおりで、ジョークと隠し事については、余計なことを書いてしまいました。真相究明をしていないとは言いませんし、その努力を無視しているわけでもないんですが。
分かってはいるんですが、それでも尚、説明を聞いていると「愛国心」のニュアンスに?があるもので、ついつい聞いてみたくなったので、不必要な修飾をしてしまいました。これは、誤りでした、ごめんなさい。
田中さんはそういうニュースをつかんでいる。田中さんには面白く風刺する描写力がない。という、感じでしょうか、うまく表現できてませんね。
品性がどうのこうのでは、読んでる私が気持ちよければ、ということですので、不備ありでした。
「灼熱の竜騎兵」は読まなくなってしまいましたので、ここで知ったのですが、事実なら問題でしょう。いまだに確認してないので、意見を書きたいのは山々ですが、やめときます。
<日本を糾弾する諸国の手は大日本帝国以上に血に汚れていること>は十分<認識して>います。
ただ、よそがやらないからこちらもやらない、では良くないでしょう、ということです。
<防衛問題>は色んな意味で研究している方が、自民党から共産党までいらっしゃるんで、そういう方たちをひっくるめて、「軍国主義者」と呼ぶと面白いでしょうが、いらない反感を買うので、止めときましょう。くどいようですが、呼んでませんよ。
IKさんのお考えは、私もまさに言いたかったことで、なかなかうまく表現できていません。フォローしていただけたようで、感謝しております。「捨てハン」は、改めます。
管理人様、削除云々の書き込みにつきまして、あらためてお詫び申し上げます。
掲示板を管理しておられる苦労、手間を考えれば、大変失礼な申し様であり、お怒りになられて当然のことと思います。
以後、十分謹んで拝見させていただきますので、お許しいただければ幸いです。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
>困っているときに助けてくれる、頼れるからこそ、国を愛する、信頼する気持ちを、育めるのではないかと考えてしまいます。
一般論としては正しいですが、日本のサポートはまだ足りませんか?無論不足があることは認めますし、政府に向上の義務があることも然りです。ただ国を愛せないほどではないと思います。圧倒的大多数の国のサポートは日本以下ですよ。
「愛国心」として国が国民に求めるものですか?私の考えでは「日本国に対する忠誠を他国に対する忠誠に優先させる」「国のためにほんの少し我慢をする」「国旗を揚げること国歌を歌うことを邪魔しない」この3つでいいですよ。
> 大変申し訳ありません。
> 横レスについては、皆様に深くお詫びします。
> 管理人様、大変無礼なことを申し上げてしまいました。
> 軽率さを、反省します。お許しいただければ、幸いですが。
いえいえ、全体で言えばそう失礼だとも思いません。
確かに、このサイトはいわゆる右派の方が多いように思いますので、今後とも複々線さんが書き込んでいただければ、私個人としてはかなり面白くなります。
> <気になった部分>を発生してしまうのは、書き込みに説明が足りない事が原因と反省しております。
> <選挙に行か>ない人は、国政に携わる権利も義務も放棄していると考えられますので、擁護するつもりはありません。
> ガス抜きのところは、私のミスです。私がガス抜きしたいから、たまにはそんな小説もあっていいんじゃないか、ということです。
うーん、まあ確かにたまにはそんな小説があってもいいかも知れないですね。ただ、創竜伝や薬師寺涼子の評論部分を完全に「フィクション」と定義するのは難しいように思います。以前、フジモリ大統領の件を書いたのですが、 証拠もないのに噂や伝聞だけで、あからさまに人格を貶めるのはどんなもんでしょうか。まして単に意見が違うってだけで政権と癒着しているようにほのめかされた人もいるのですから。しかも「これはフィクションです」という印籠を掲げて反論を封じたまま。
これは作品論以前の道義の問題ですね。これは論理というよりはむしろ私個人の美意識なのですが、道義を感じる人間ならば、小説家としても評論家としても小説という主観的な表現媒体の中であのような「評論」はやるまいと思います。
あと論旨がずれますが、田中さんは全体に実がないですよ。やっぱり学生さんしか経験しないまま花形作家になってしまった方だなあと思います。
> <日本を糾弾する諸国の手は大日本帝国以上に血に汚れていること>は十分<認識して>います。
> ただ、よそがやらないからこちらもやらない、では良くないでしょう、ということです。
私は南京大虐殺の全容についてはぜひ明らかにして欲しいと思います。その存在そのものが議論になっているようでは反省のしようもありません。
確かに、戦前の政治指導者や一般の兵士について理想化するような動きには本当に疑問を覚えます。なんと言っても日本は実際に焦土と化したのですから、その時代の指導者ならびに成人男子(女性は選挙権を有していませんでした)、戦争を賛美した朝日新聞などのメディアの責任は問われない訳にはいかないでしょう。
「祖先が馬鹿な真似をしてくれたから子孫が苦労する」という感情もあります。
それと同時並行してよその国の責任も問うて欲しいと思います。少なくともオランダ人にとやかく言われるのは我慢ならないですね。四百年に渡ってインドネシアを植民地支配しておきながら、インドネシアが独立する時にはそれまでの「運営経費」を要求するような連中には。私が言いたいのは、現状で彼らに対して一方的に白旗を掲げるのは結果としてそういう連中をのさばらせるということです。日本人内部の話とは別です。
> <防衛問題>は色んな意味で研究している方が、自民党から共産党までいらっしゃるんで、そういう方たちをひっくるめて、「軍国主義者」と呼ぶと面白いでしょうが、いらない反感を買うので、止めときましょう。くどいようですが、呼んでませんよ。
「軍国主義者」と呼んで欲しくないと言ったのは一般論です。複々線さんがそうした用語を使っていると言うつもりはありませんでした。これは田中芳樹さんがめずらしくまっとうなことをおっしゃっているのですが、左翼にしろ右翼にしろこうしたレッテル張りはよほど用心して慎んで貰いたいですね。
> IKさんのお考えは、私もまさに言いたかったことで、なかなかうまく表現できていません。フォローしていただけたようで、感謝しております。「捨てハン」は、改めます。
失礼な申し出を受け入れていただき、ありがとうございました。
<政府に向上の義務>?
政府とは具体的に、立法と司法と行政に携わる公務員さんと言う事でよろしいんでしょうか?
<「日本国に対する忠誠を他国に対する忠誠に優先させる」>
自分の住んでいる国土に愛着を持つのは普通じゃないでしょうか?
ただ、「あなたは我々と同じではない、日本国民ではない」なんて言われている人には、理解してもらうのは無理でしょうね。
よその国からお金をもらっている人は、論外ですけど。
<「国のためにほんの少し我慢をする」>
社会で生活している分には我慢は当たり前のことですよね。しかし、改善してほしいことは出てくるだろうし、「誰も言わないからこれでいいんだ」では困りますので、国民の意見はよく聴いて反映していただきたいものです。国民の過半数が嫌がっているものが仮にあれば、それは「国」のほうが変わるべきなのではないでしょうか。
<「国旗を揚げること国歌を歌うことを邪魔しない」>
「愛国心」の行き着く先が、今の「国旗」と「国歌」では、国作りとしては寂しいものがありますね。
現実に、あの旗と詩にマイナスのイメージを持つ人もいますので、
そのまま採用では、無理があったのではないでしょうか?
国の旗、国の歌とするのなら、旗のデザイン・歌詞・曲は公募して、要るか要らないかも含めて、決定は国民投票にするべきだったのではないでしょうか?
「決まったことには従え」と言うためには最低限度の手続きだと思いますが。
> フィクションとの但し書きの元で書きたい放題しているのを問題視しているのだと思います。フィクションというには元ネタがあからさま過ぎ。詳しくは過去ログを参照されるか、管理人さんも幾つか評論を書かれているのでそちらをごらんになって下さい。
元ネタがあからさま過ぎるからこそ、フィクションの面白さがあるのではないですか?97%の事実と3%のフィクションが面白い気が私はしますねぇ。虚構を織り交ぜるのも難しいので、そこを敢えてチャレンジされた文章だと、リアリティーもありますし、歴史と微妙すぎって感じが私は好きです。
安能務さんの「隋唐演義」は、今はまだ半分ぐらいしか読んでいませんが、おもしろいですよ。確かに「田中さんの文章が好き」って理由で田中さんの中国物を読んでいらっしゃる方にはおもしろくないかもしれませんが、私のように、中国の歴史が好きって方には面白いとおもいますよ。「三国志演義」と比べるのもなんなんですが、「三国志演義」のように、いらいらするほど「義」「仁」「忠」にこだわって話の進行が遅いってこともありませんし、「義」「仁」「忠」にこだわりすぎで行動できない人物ってのもいません。まあ、「三国志演義」も「反三国志」に比べると面白いですけどね。「反三国志」の孔明が忠達を倒す場面には興ざめです。「隋唐演義」は登場人物が皆個性的たし、話の展開も早くておもしろいんですけど、宝貝関連の話は遠慮したいですね。その関連の話を女の子が読んでも「ふーん」って感じて面白くないです。でも、唐を創った英雄たちが皆、元はゴロツキだったってのはおもしろいですね。あとは、登場人物、皆金遣いが荒い。そこも面白いですよ。
私は手当たり次第田中さんの本を買ったので正確な冊数を数えていませんが、95%の田中さんの本を古本屋で集めたので数十冊集まったのかもしれません。色々読んでみて、「もうこれはいいわ」って私なりに感じた作品もありましたよ。「アルスラーン」は「銀英伝」と主要登場人物の殺し方が似通ってきそうだし、「地球儀シリーズ」は「アルスラーン」と「マヴァール年代記」を読めば、読む気がなくなります。中国物も「万里よ・・・」以前の3冊は物足りないきがします。まあ、私が田中さんを好きになったのは、「創竜伝」の4巻までと、「銀英伝」のロイちゃんが死ぬ場面からですから、かたよりもあるとおもいますけど。
「白夜の・・・」って作品はおもしろかったですよ。コゴウさんが007みたいに戦う話です。この話を連載してほしいと思います。誰かこの白夜のナントカ(題名を正確に覚えてなくてすみません)って話を読まれた方いらっしゃいますか。
古本屋で時々店のおじさんに「女の子なのに田中芳樹を読むのはめずらしいね」言われるんですが、田中さんの小説って女の子受け悪いんですか?店のおじさんに言われて驚きました。では、失礼。
こんにちわ、恵です。
<無礼な書き込みに対し、丁寧なレスありがとうございます。
掲示板をご覧の皆様にもお詫びいたします。>
いえ、とんでもないです。こちらこそご丁寧なレスをありがとうございます。
前回の投稿では書き足りませんでしたけど、ご意見の内容で少しひっかかったものの、基本的に複々線さんの投稿はきちんと礼儀を守っていらっしゃるので、その点に関して謝罪されるほどのことはないと思っています。「違う目線を持った方」として、有意義な対話と思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたしますね。
<田中さんの手法が<作品の魅力を損なっている>のは意見の一致するところと思います。
<それではダメ>で良くないと思えばこそ激励しておられる方もいらっしゃるんですよね。>
はい、この辺りはおっしゃる通りですね。
わたしに限って言えば、こちらでの田中氏への「批判」は「愛のムチ」(より良くなってほしい)というスタンスでやらせてもらっています。本当に心底嫌いになったら、読むのもやめて「過去の人」として関わりを絶つつもりですから(本気)。
<ただ、私は、「小説に社会評論を入れる手法」は、肯定も否定もできません。読むときの機嫌によって、鼻につくこともあるし、溜飲を下げることもあるので、難しいです。
だから、否定のみで、「こうすれば」というのがない意見には思わず「?」が出てしまうんです。>
<こうすれば」というのがない意見は思わず「?」が出てしまうんです>
こちらに関しては、前回↓と書いたように
(詳しくは「ザ・ベスト」や冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」をご覧になってみてください)
と、過去の議論を参照していただきたかったのですけど、それではさすがに複々線さんが大変だと思い直し、また、否定・批判一辺倒で建設的な意見を行っていないと判断されるのも嫌なので、あらためて具体的に書こうと思います。
まず、わたしは「小説に社会評論を入れる手法」は明確にやめるべきだと思っています。
☆理由1. 本当に真剣に政治や社会を評論をしたいのなら「フィクション小説」に挿入すべきではない。ノンフィクションとして堂々と世に問うべき。「フィクション小説」という時点で、『実際の団体・個人とは~』と、「反論をすべて遮断できる」立場にあることを、おそらく確信犯的に自覚していると思わせる姿勢にも疑問を感じる。
☆理由2. 社会評論の多くは、偏った目線で一方的かつ独善的に展開されることが多く、評論に対する出典もほとんどの場合が明らかにされていない。つまり、評論としてもまともとは思えない。
☆理由3. 社会評論のためだけに、「大国ソ連」が短期間で突然「貧乏国ロシア」に変わるなど、ストーリー面にも悪影響を及ぼしている。(ソ連のロシア変革は、本来ストーリーにはまったく関係がありませんでした)
また、別の機会で議論させてもらったことなんですけど、創竜伝本来の魅力は、
☆四兄弟のかけ合い漫才(+その他、個性的な登場人物たちの魅力)
☆田中氏独特の文体
☆天野喜孝氏のイラスト
という推論も、過去に出たことがあります。その時は触れませんでしたけど、竜種や牛種、四姉妹の創竜伝の「設定」もテーマや素材としては面白いものだったと思います。
で、結論なんですが、
「創竜伝は社会評論を入れる手法を用いなくても、別の要素で面白い、または魅力的と感じている人が多いと思われるので、あえて社会評論を入れるべきではない」です。
思うに、複々線さんご自身もおっしゃっていますど、
「読むときの機嫌によって、鼻につくこともあるし、溜飲を下げることもあるので、難しいです。」
という現象は、創竜伝の社会評論が毒にも薬にもなる「劇薬」であることを示しているように思います。そのような劇薬(社会評論)を扱うには、相当なセンスと技量が必要かと思われますが、どうも田中氏の手には余っているように見受けます。(でなければ、複々線さんも上記のように感じることはないでしょうし)
どうでしょうか?
わたしも創竜伝ファンの一人なんですけど(それも、けっこうミーハーなf(^-^*))、これでは建設的な批判意見になっていませんでしょうか?
こんにちは。そうですか、女性の方だったんですか。
田中芳樹さんの女性読者は少ないとは思いませんけど…。
私は銀英伝を読んだのはけっこう遅くて六、七年前でしょうか。女性の友人に是非にと薦められてからです。それまでは「べるバラ」みたいなもんでしょ、と思って遠ざけていました。
それからですね、田中芳樹さんを読み出したのは。読むとなったら、一気に読んでしまいましたが。だから待たされていると言っても、まだまだキャリアが浅い訳です(笑)。
えーと、虚実ないまぜが面白いということですよね。これ、どこまでが虚構で、どこまでが解釈で、どこまでが事実か、判別が難しいと思いませんか。やられた方にしてみれば、とても「面白い」では済まされる話ではないと思いますが。まっとうな批判であれば反論するということも可能ですが、フィクションであればそれも難しいということで、相手の両手両足を縛りながらぼこぼこにたこ殴りにしているのも同様だと思います。
鈴木宗男容疑者のいう人権はともかく、けれどやっぱり彼にだって最低限の人権は所有しているはずであって、それはそれで尊重すべきじゃないですかね。だいたい、田中芳樹さんは他人に天誅を加える前に、まずわが身を振り返るべきじゃないでしょうか。
創竜伝の最新刊でしたっけ、森前首相の「神の国」発言を揶揄した文章がありました。
「じゃあ、外国はみーんな悪魔の国なんだ」
誰も言ってないって、そんなこと(笑)。大体、神道においては「悪魔」という概念は存在しません。田中芳樹さん自身の言葉を借りれば、他人を批判する時は、義務教育の教科書程度の知識は踏まえて欲しいですね。
こういうので溜飲を下げる人もいるのでしょうが、私は随分、自負心も品性もない話だなと感じますが。
安能務さんの「隋唐演義」…おお、そうですか、面白いですか。今度、ぜひ読んでみましょう。
少し補足すると。
<「日本国に対する忠誠を他国に対する忠誠に優先させる」>
外国に忠誠を誓っているとしか見えない「お前はOO人か!!」という人間をよく見かけます。田中芳樹ですとOOに入るのは、中国もしくはイギリスです。こういった人たちはOOに対して非常に甘くその反面日本に対して厳しいです。外務省にすら居るのが問題だと思いませんか?
<「国のためにほんの少し我慢をする」>
なんというか既得権にしがみついている人たちには目を覚ましてもらいたいです。大は経営者、政治家から小は末端の社員にいたるまで、もうこの国はあなたたちのことを寄生させている余裕はないです。
<「国旗を揚げること国歌を歌うことを邪魔しない」>
うたう自由掲げる自由はあってもそれを妨げる自由がないことを理解していない人たちが多すぎる。よく考えたらこれは愛国心とは関係なかった。
いささか露悪的なことを書くと「愛国心」とは個人に犠牲を強いるための道具でもあります。そのことを警戒するのは当然ですが、個人に犠牲を強いなくても何とかやってこれた幸福な時代はもう終わっています。
バブル崩壊以降の日本の問題はその多くが日本人の忠誠心というものが自分の属している組織にだけ捧げられていることに起因している気がします。問題に気付いた時まずやることは保身、次に組織防衛、社会のことなんて何も考えていない。
>複々線さん
はじめまして。
削除云々の件については気にしておりませんので、それほど恐縮されなくても結構ですよ。
この掲示板では、できるだけ管理者削除を減らしたいと思いながら運営しております。実際には削除せざるを得ない事例があるのが残念ですが…
>「時の権力」の腐敗、無能をあげつらうのは、力のない一般市民の不満のはけ口でもあり、瓦斯抜きをすることによって動乱を防ぐという効果もあるなと、私などは考えます。
もうほとんど終わった件を持ち上げるのは気が引けますが、ひとつだけ。
民主主義国家の市民云々以前に、「力のない一般市民の不満のはけ口でもあり、瓦斯抜き」の代表例的なものである落語では、『「時の権力」の腐敗、無能をあげつらう』以上に、『差別』をテーマにしたものが多いのはご存知でしょうか? 人によっては「古典落語の保存は差別語との戦い」というほどです。
一般市民や民衆が一元的(特にリベラル的)に善・正義であるという前提は間違いですし、この前提が正でなければ「力のない一般市民の不満のはけ口でもあり、瓦斯抜き」が免罪符になると言うこともありませんね(もっとも、私は別の観点から差別落語を擁護・評価しますけれども)。
>困っているときに助けてくれる、頼れるからこそ、国を愛する、信頼する気持ちを、育めるのではないかと考えてしまいます。
以前にも触れましたが、日本は憲法レベルで国籍離脱の自由を認めています。
である以上、その自由を行使しない理由は何なのか? 「愛国」「自虐」と言う前に、まずはその立脚点を明らかにすることが議論の前提だと思いますね。
> 困っているときに助けてくれる、頼れるからこそ、国を愛する、信頼する気持ちを、育めるのではないかと考えてしまいます。
> こういう考えでは、新しい国には受け入れてもらえないんでしょうか?
> 「愛国心」として、国家が個人に具体的に何を求めるのかが不明瞭ですので、変な勘繰りしてしまうだけなんですけど。
複々線さんにはJFKのこの言葉を送りたいと思います。
「国が自分に何をしてくれるかではなく自分が国に何ができるかを考えよ」
理由1について、「真剣」であれば、新聞紙上など討論する場所はいくらでも作っていけるんでしょう。
私はだからと言って、「社会評論を」入れてはいけないとは考えにくいです。田中さんの場合はだめであることは、結論が出ていますが。
理由2について、作家が作品に責任を持てばいいのではないでしょうか?
理由3について、田中さんの場合は明らかに結論が出ていますよね
>天野喜孝氏のイラスト
今となっては、新書や文庫では契約するにも高すぎるでしょうね?
>「創竜伝は社会評論を入れる手法を用いなくても、別の要素で面白い、または魅力的と感じている人が多いと思われるので、あえて社会評論を入れるべきではない」
とは確かに思います。ただ、最後まで責任を持つと言う意味で、今のまま完結して、改めてシリーズを起こしていただいたほうがいいと思いますが。
田中さんには他者の心情には十分配慮してほしいですね。掲示板の意見を見ている限り「毒にも薬にも」なっていないようですね。
私も、一応ファンなのかも知れないけれど、他にも興味を引かれるものもあるので、田中さんにばかり重点を置いてもいられないんで、それでも、角川文庫のコーナーでは確認してるんですよね。
管理人様、はじめまして。
わざわざのレスありがとうございます。
>「時の権力」の腐敗、無能をあげつらうのは、力のない一般市民の不満のはけ口でもあり、瓦斯抜きをすることによって動乱を防ぐという効果もあるなと、私などは考えます。
この意見は、間違い、訂正します。
差別語に関しては、身体的なハンディキャップを背負った人に対しての配慮として、不快に受け取られる語法は謹んでいくものだと受け取っています。
田中さんの作品での事になりますと、批判された側と田中さんとが同じ場で討論することが必要になる(掲示板にて既出の意見)でしょう。
作品の内容を指示する規制については、1・2・3で言及してもいいとは考えにくいです。
何故こんな内容で売るのかという姿勢を問うのなら、責任は1に田中さん個人、2に金儲けに手段を選んでいられれない出版社(既出)でしょうね。
繰り返しますが、作家にとっては「免罪符」にはなりません。国民が愚痴をこぼす分には、日本国憲法に照らし合わせてご容赦いただきたいものです。
「国籍離脱の自由」は、よその国がいいと思ったら国籍を変更することを妨げない、と言ってくれてるんだと長いこと思ってましたが。
いやだったらいつでも出て行ってくれと、明記されるようになったのでしょうか?
「自由」が保障されているのであって、無理やり「使え」と言ってもいいものではないと考えますが。
このあたりの事になると、「国」と「個人」に「主」と「従」の関係を無理やり当てはめたとして、どちらをとるかと言うことになりますんで、「撃つ」趣旨からは外れていってますよね?
えーとですね、自分の国を批判したら即、国籍を離脱しなきゃならんのかということにもなるんですね。そうではないですよね。
やっぱり、言っている内容の妥当性だと思うんですが。
むかし国語の教科書に載っていた本多勝一の文章で、イタリアの鉄道が絶望的なまでに時刻を守らないことについて、「人間本位で余裕のあるライフスタイルだ、それに比べて日本は…」というように書いておりました。子供心にいくらなんでもこの論理は無茶だろうと失笑したものでした。イタリアの場合は左右両派の対立、非効率的な労組などの問題があいまっての結果ですが、それによって生じる社会的コストの膨大さを本多勝一は想像できなかったのでしょうね。だとすれば怠惰な話です。
むかしはこんな馬鹿な文章でさえ教科書に載っていたのですよ。
ただ、思想的云々以前に誠実さと能力の点で疑問を抱かざるを得ないこうした左翼「知識人」がいたおかげで結果的に戦後日本は中途半端なところで自己満足に陥らずに済み、更に上を目指せたということも言えるでしょうね。
韓国などは未だ「ぎりぎり先進国」という程度の状況なのにあの寝そべり方。愛国心の名において国を滅ぼす典型になりつつあります。
こんばんわ、恵です。
では、さっそく。
<理由1について、「真剣」であれば、新聞紙上など討論する場所はいくらでも作っていけるんでしょう。
私はだからと言って、「社会評論を」入れてはいけないとは考えにくいです。田中さんの場合はだめであることは、結論が出ていますが。>
そうですね、わたしも「小説に社会評論を入れる手法」を一概にいけないと思っているわけではありません。
前回挙げた三つの理由は、あくまで「田中氏の創竜伝に限って」の根拠です。例えるなら、「創竜伝という料理が不味いのは、~こういう理由で料理人である田中氏自身の問題なのであって、(社会評論を入れるという)料理方法そのものに罪はない」ということになりましょうか。
一応断っておきますけど、わたしは一般の作品すべてに当てはめて意見しているつもりはまったくありませんので(創竜伝限定です)、その点はご了解ください。
<理由2について、作家が作品に責任を持てばいいのではないでしょうか?>
一般論としては、正しいご認識だと思います。
ただ、「この作品はフィクションであり~」という断りを入れている限り、われらが田中先生に責任をとるつもりは(評論対象からきちんと反論を聞くとか、非を認めて謝罪するとかetc.)まったくないのでしょうね。確か、巻末の四兄弟の座談会でも文部省から来た抗議(?)をただ茶化すようなことしかしてませんでしたし。「作品に責任を持つ」というには、程遠い姿勢ではないでしょうか(ため息)。
<>天野喜孝氏のイラスト
今となっては、新書や文庫では契約するにも高すぎるでしょうね?>
それもあると思いますけど、イラストレーターを変えるのは「目先だけでもを変化させて新たな読者層を開拓する」という意味合いもあると思います。ひどい手法ですけど。
<>「創竜伝は社会評論を入れる手法を用いなくても、別の要素で面白い、または魅力的と感じている人が多いと思われるので、あえて社会評論を入れるべきではない」
とは確かに思います。ただ、最後まで責任を持つと言う意味で、今のまま完結して、改めてシリーズを起こしていただいたほうがいいと思いますが。>
それでも、社会評論がなくなっただけでもずいぶん読みやすい作品になるでしょうし、外伝にはほとんど社会評論が存在しないものもあるくらいですから、「ストーリーに関係ないから」と、切り捨ててくれたほうが「ようやく改善してくれたか~」と、評価できると思います。作品を完結させるということは「ストーリーを完結させること」なのですから、そのことと「社会評論を続けること」は切り離して論じた方がいいと思います。
<田中さんには他者の心情には十分配慮してほしいですね。掲示板の意見を見ている限り「毒にも薬にも」なっていないようですね。>
いえ、ごくたまに正論も書いておられるので、すべてを「毒にも薬にもならない」とは言い切れないのではないでしょうか。事実、「高校生ぐらいの時は(社会評論に)ものすごく影響されていた」とおっしゃる方もけっこういらっしゃいますし。やはり問題は、「偏向した書き方や出典も明らかにせず虚実を織り交ぜること」にあるように思います。
<私も、一応ファンなのかも知れないけれど、他にも興味を引かれるものもあるので、田中さんにばかり重点を置いてもいられないんで、それでも、角川文庫のコーナーでは確認してるんですよね。>
これは同感ですね(笑)
「早く自分で書いた新刊を出してッ!(>_<;)」って感じです(魂の叫び)。
もしそのような誤解を多くの人に招いているとしたら、筆力の不足をお詫びします。
出ていく権利が保証されているのに、それを保留して日本人をやっている以上、「その自由を行使しない理由は何なのか?(なぜ日本人であることを選んでいるのか、という自己責任)」という理由が必ずあるわけです。
日本を肯定するにしても、日本を批判するにしても、その理由こそが「議論の前提」になるのではないか、と言いたいのです。
この前提を捨て置いて、『「愛国心」として、国家が個人に具体的に何を求めるのかが不明瞭』と言ったって、そりゃ不明瞭なのは当たり前です。また、この前提(日本人をやめる気にならないメリット)を提示しないで「サポートが足りない」といっても、それでは議論にならないのです。
あたかも、「田中芳樹を読むメリット(なんで読むのか・読んでいたのか)」が、このサイトでの議論・田中芳樹批判の前提になっているのと同様です。
もう一度書きますが、『(日本が気にくわなかったら国籍離脱の自由を)無理やり「使え」』とは私は絶対にいいませんし、『(田中芳樹が気にくわなかったら読まない自由を)無理やり「使え」』とも言いません。もっとも、後者は、逆にこのサイトが気にくわない人がよく使っているようですが。