> 不安です。
うーん、私が聞きたいです(笑)。「灼熱の竜騎兵」「タイタニア」についてはもうとっくに諦めていますが。
銀英伝外伝と七都市物語についてはかろうじて望みがあるかもしれません。
漫画であればたくさんの連載等をもってもアシスタントに任せられるが、小説はそういう事にはいきませんからね
一人で処理できる分以上の仕事量と、作者本人の路線変更などにより、「尻切れトンボで終了です」との可能性もなきしもあらずなのでは
> 漫画であればたくさんの連載等をもってもアシスタントに任せられるが、小説はそういう事にはいきませんからね
> 一人で処理できる分以上の仕事量と、作者本人の路線変更などにより、「尻切れトンボで終了です」との可能性もなきしもあらずなのでは
「野望円舞曲」や「KLAN」形態が増えたりして・・・
人気作家と呼ばれる様になると多いですが、生産能力以上に
手を広げる傾向が多いのには辟易してしまいます。
結局、一作品の進展が遅れるだけですしね。
作者として、数年以上も同一作品に対して創作意欲を
保てるモノなのでしょうか?
#読む側の興味の方が先に尽きてしまいそうです(^^;
> 「野望円舞曲」や「KLAN」形態が増えたりして・・・
「野望円舞曲」はかなりいいですよお。文体は一番いい頃の田中芳樹さんのものを思わせます。文章担当の方が、おそらく相当な田中信者なのでしょうね。「嘆きの宙峡」という設定も素晴らしい。やはりこうしたスペオペを書かせれば田中芳樹さんは非凡なものがあるのですが…。
福田和也さんの「作家の値打ち」でも田中芳樹さんは取り上げられていて、対象作品は例の中国歴史小説でしたが、60点代の半ばというまずまずの評価でした。銀英伝だったら何点つけてくれたんでしょう。興味のあるところです。
私としては平凡な歴史小説家よりも傑出したスペオペ作家であって欲しいと思うのですが(社会評論家としては最低ランクですね)。
> 作者として、数年以上も同一作品に対して創作意欲を
> 保てるモノなのでしょうか?
> #読む側の興味の方が先に尽きてしまいそうです(^^;
それがなかなか尽きないから困り者なのです(^<^)。執筆が遅れていることを作者は冗談にしてしまっていますが、私は冗談でなく本気で怒っています。彼ほど読者との信義を守らない作家が他にいるでしょうか。「タイタニア」は帯に「半年に一度(一年に一度だったけ?)会える」とまで書いてあったのですから、細かく言えばこれは詐欺にあたると思います。
いや、どうしても書けないというならば仕方ないですよ。しかし中国歴史小説執筆、隋唐演義などの翻訳などの仕事を考えれば総力的に言って、彼は決して「遅筆」ではないと思うのですが。要は配分の問題です。ひとつのシリーズが終わるか、目途が立ってから新しい仕事を始めれば何の問題もないはずですが。
下らない警察伝奇小説を書く暇があったら先にやることがあるだろうということです。
「アルスラーン」なんかもよせばいいのに第二部を始めたものだから、これも未完入りするのは目に見えていますね。
でも新刊が出れば買ってしまう読者の悲しい性。田中芳樹さんはちょっとそこに甘えていると思いますね(ちょっとどころではないか)。
> 中国歴史小説執筆、隋唐演義などの翻訳などの仕事を考えれば総力的に言って、彼は決して「遅筆」ではないと思うのですが。要は配分の問題です。ひとつのシリーズが終わるか、目途が立ってから新しい仕事を始めれば何の問題もないはずですが。
中国史系の仕事を通じてライトノベル作家田中芳樹から、批評家や評論家への本格的転向を考えているのではないでしょうか?
> 中国史系の仕事を通じてライトノベル作家田中芳樹から、批評家や評論家への本格的転向を考えているのではないでしょうか?
おそらくご本人にはそうした野望がおありになるのでしょうねえ(ーー;)。現在、作家兼社会・文明評論家のポジションにある方々、司馬遼太郎さん亡き後は塩野七生さんが代表でしょうか(他に曽野綾子さん、林真理子さん、ちょっと見劣りするけれど田中康夫さんと言ったところですかね)、そうした人たちに不満がおありになるようです。例の警察伝奇小説では明らかに曽野綾子さんと思われる人をくさしていましたから。
でも肝心の評論があれでは…。銀河英雄伝説で築いた「こいつはすげえ!」というアドヴァンテージを活かしきれず、愛読者たちをもこうして懸念させているのですから。
所詮、ライトノヴェル出身という偏見とともに鼻で笑われているだけだと思いますよ。
ま、だからこそライトノヴェルと決別したいと思ってらっしゃるのかも知れませんが(ご本人は否定なされるでしょうが、現状を見る限りそうと以外受け取れませんね)。
それならきっちり決着をつけて、彼の思う次のステージに進まれればとやかく言うこともないのですがね。
彼の印税収入を支えているのは誰なのかということをきちんと認識して欲しいものです。
同人小説ならいざ知らず、ちゃんとした商業作品として出版したものを途中で放棄するなんて、プロの作家として一番やってはいけないことだとオレは思うのだが……。
> 同人小説ならいざ知らず、ちゃんとした商業作品として出版したものを途中で放棄するなんて、プロの作家として一番やってはいけないことだとオレは思うのだが……。
この意見、全く同感なんですが、そういう小説家が多いのもまた事実。
…というか、十代後半から二〇代はじめくらいを相手にした小説家で
売れても遅筆にならない例はかえって少ないような気もします。
田中芳樹、佐藤大輔、森岡浩之、…みな遅筆になっていきました……(涙
果たして彼らの作品は完結するんでしょうか。
> 同人小説ならいざ知らず、ちゃんとした商業作品として出版したものを途中で放棄するなんて、プロの作家として一番やってはいけないことだとオレは思うのだが……。
私個人の意見としては、作品をどうするのかを決められるのは、作家と出版社だけの権利だと考えています(読者の権利は買う買わないの判断と作品の批評だけだと考えます)、ですので作品を途中で投げ出すのも作家(と出版社)の権利のうちだと思います。
それに、ヤン・ウェンリ-のような人物を理想視している人が、一生遊んで暮らせるだけのお金を持っているんです、まともに働くと思う方が間違ってますよ。
> 田中芳樹、佐藤大輔、森岡浩之、…みな遅筆になっていきました……(涙
> 果たして彼らの作品は完結するんでしょうか。
佐藤大輔といえば、彼は著作「レッドサン・ブラッククロス パナマ侵攻1」の195~196ページにおいて以下のように述べています。
「きちんとした報告や研究は莫迦を評論家にする」真田を言った。
「それが理由だ。連中、整ったものを目にすると、それがなにを話っいるかではなく、そこにある瑕瑾を見つけだして自分の卑小な優越感を満足させることに喜びを見いだす」
「莫迦、ですか」
中略
「おるおる。迷惑で仕方がない。特に物事を自主的に判断するという点でね。奴らは他者を認識する基準として、信仰と憎悪の二種類しか持っていない。莫迦というよりは、狂人だな」真田は罵った。
「他人へ勝手に自分を仮託した末に、なにか自分の思い通りならないとなると莫迦な女子供のように裏切られたのどうのとわめきちらす。それでいて、自分はいっぱしの理屈を通していると信じて疑わないのだから始末におえない。堀君、そんな屑どものことをなんと表現すべきかわかるか」
「莫迦や無能ではおっつきませんね」
「ああ、おっつかない」真田はうなずいた。
「女の腐ったような奴、というのさ」
まぁ、そういう訳ですので、商業作家に幻想を抱くのは、ほどほどにしましょう。
> まぁ、そういう訳ですので、商業作家に幻想を抱くのは、ほどほどにしましょう。
失礼ながら、あなたは少し誤解していらっしゃるようだ。
オレは何も田中芳樹に対して「幻想」を抱いているわけじゃない。
小説かも人間である以上、中には名作もあれば駄作もあるだろう。それは仕方のないことだ(それが様々な批評を受けるのもまた仕方のないことではあるが)。
だが作品、それも商業作品として一旦世間に出したものを、途中で何の理由もなくやめてしまうというのは、名作とか駄作とかそういう以前の問題だと思うんだ。
ましてや作品中であれだけ政治批判や社会批判をやっている人間ならなおさら自分自身が物書きとしての最低限の「倫理」や「責任」を全うすべきだろう。
百歩譲って、極度のスランプに陥って一筆も書けないというのならまだ情状酌量の余地もあるが、一方では続き物を何年もほったらかしにしておいて、もう一方では別の出版社から新作を何本も書いて出すという姿勢は「人間」としてあまりにも無責任だし、糾弾されてしかるべしとオレなんかは思うが。
実をいうとオレは「アルスラーン」は結構評価してたんだ。俺が厨房、工房の頃は本格的な国産ファンタジーというのがまだまだ少なかったし(今でも少ないが)、ひょっとしたら「アルスラーン」は「銀英伝」と並んで田中芳樹の二枚看板になっていたかもしれない。その重要な作品をあんな風にしてしまったのは、他人事ながらとても惜しいことをしてしまっていると思わざるを得ないのだが。
私が言いたいのは、商業作家が読者に対して何らかの責任を持っていると思う事が幻想ではないかと言うことです。
読者が「続きを書いてください」とお願いしたり、「続きを書くって言ったじゃないか」という風に文句を言う事は納得できますが、「おまえはプロの作家なんだから話を完結させる責任がある」というのは違うのではないか、そもそも、そんな責任を作家は背負っているのでしょうか。
作家の責任は、代金と引き換えに本を渡した段階で終わっていると思います(本の内容についての社会的責任はまた別の話です)、たとえ話が終わってなくても、その事に対して作家が責任負う必要はないと考えます(そんな作家が高い評価を受けるとは思いませんが)。
既刊のすべてが完結することはないでしょう。
続きが気になっている読者をどう思っているのかな?
聞いてみたいものです。
> 既刊のすべてが完結することはないでしょう。
> 続きが気になっている読者をどう思っているのかな?
> 聞いてみたいものです。
オレをはむしろそのこと(作品放棄)を半ば当然のことのように思っている読者の方に対して苛立ちを感じるのだが。
みんな解脱しちまっているのか?(特にアル戦ファン)
> 既刊のすべてが完結することはないでしょう。
> 続きが気になっている読者をどう思っているのかな?
> 聞いてみたいものです。
既刊のすべて……
not all なのか not at all なのかで意味が違ってきてしまいますが(^^;
個人的にはタイタニアと銀英伝外伝はもはやあきらめ。
創竜伝とアルスラーンはまだ望みがあるかな、という感じです。
しかし、田中氏は作品の刊行ペースそのものはそれほど遅いわけではないのですよね。
彼の「書きたい」ものと読者が「読みたい」ものが乖離しているから
遅筆と言う罵声をあびるわけで…
僕は、「作家側はどのような作品を発表(開始)するかを決められる
権利(自由)」の対として「完結させる責任」が有ると思います。
逆に読者側は「数多くの作家(作品)からの選択する自由(権利)」
を持つ事に対し、対価を払う責務を負っていると思います。
この「発表作品」と「対価」がトレードされると思っているのですが・・・
作者側の「発表の自由」の対になる責任が「読者に(対価を払って
もらって)読ませる事」というのはちょっと違うような気が・・・
読者が作品を購入するのはシリーズのその巻だけを欲しているのでは
なく、ひと纏まりの作品を求めているのではないですか?
#除く「短編」「一巻完結の連作シリーズ」
場合によっては、読者に受け入れられなくて作者の意に染まない結果
を強いられたり、予定外に短くなるとしても「完結する」という暗黙の
了解があったればこそ商業作品は商品足り得るのではないですか?
誰かに強制されたでもない、作家の自由に於いて発表し、読者にも
受け入れられ、続刊を望まれているものを放り出すというのは、
やはり無責任と言えるのではないでしょうか?
勿論、これは法的拘束力を持つ「義務・責任」があるという意味でなく、
読者と作家間の信頼関係の問題です。
吉良国 育生さんも「そんな作家が高い評価を受けるとは思わない」と
書いてらっしゃる、まさにその事なのだと思うのです。
いくら優れた文章を生み出す作家でも、「必ず未完」だと分かって
いれば、読者は(少なくとも僕は)手を出しません。
以前、友人とこんな笑い話をしたことがあります。
「田中芳樹って、もし今死んだら惜しまれるより恨まれるんじゃないか?」
・・・笑い話にならないかもしれない。
確かに田中芳樹には続巻を書く法的・物理的な義務はないでしょうけど、道義的・倫理的な責任があるはずなんですよね。
なにしろ、銀英伝10巻のあとがきで、あれだけのことを言ったのですから。
続巻を書かないで道義的・倫理的な責任を果たす方法は、「当時の私は青臭いことを言っていて、あの銀英伝のあとがきは間違いでした」と謝罪するか、「私はあれだけのことを言いながら、現実には続巻を果たす能力もプライドもありません」と総括するかしか無いと思うのですが…