はじめまして、俺様ランチさんに紹介されてここに来たんですが、とても興味深いですね。とりあえず過去ログ以外は読ませていただきました。
田中芳樹氏の著作はアルスラーンから入って、銀英伝、創竜伝と読みました。アルスラーンはそれ以来(!)新刊が出てません・・・。まぁ、いくら遅れても、面白い物を出してくれれば文句はないんですけどね。しかし最近の氏の著作を読むにつれ、出さないでくれた方がいいのかもと思うこともあります。あたかも北方領土が日本に返ってきたら環境汚染されちゃうだろうから返ってこなくていいや・・・と一人密かに思うぐらいに。
冗談はさておき、本当に最近は氏の新刊が出るのが怖いんですよ。もっとも最近といっても、過去の作品の焼き直ししか出てないですけど。そのこと自体については特に感想は持ってません。ハードカバーだろうが文庫版だろうが何度焼きなおそうがいいじゃあないですか。出版社の兼ね合いもあるし、氏もそりゃお金は重要でしょう、糧食がなければ戦争はしてはいけませんし。戦略的にOKです!ってね。(でもそんなにお金を稼いでなにするのかは謎だけど。アニメのLDに消えてるのかしら?)ハードカバーを重視し文壇を意識して・・・なのかな?氏の中国ものは全てハードカバーですけど(おかげで出費がァァッ!)、中国ものって他の作家も大抵そうじゃありません?出版社側の事情なのではないでしょうか。新書→文庫の焼きなおしはほとんどの作品でなされましたけどね。最近は新書の売上がかなり落ちているそうなので、文庫版への移行はやむを得ないと思います。いや、もっともらしく意見を述べて見たけど、そのへんの事情は詳しくはないので誰かご存知の方がいらっしゃったらお教えください。ただ、新作書かないから尚更焼きなおしが目立ちますね。(日本ファルコムみたいだ・・・)
さて、話を元に戻しましょう。とにかく薬師寺のアレ・・・クラン、ウエディングドレスに紅いバラにも相当つまらなさを感じたけど、薬師寺は集大成という感じで、その為新刊恐怖症です。あれ、ジュニア小説で絶大な支持を集めてるスレイヤーズのパクリと思わせる箇所がありませんでした?「ドラよけお涼」って・・・田中氏は富士見ファンタジアの選考委員だったと思うから、スレイヤーズ読んでないはずないけどな?どうなんだろう。隋唐演義のまんま直訳にも閉口、歴史ロマンシリーズはこんな調子でずうっと続くのか?と恐怖を覚えましたが、原文で読むよりましか、本邦で初めて約したことに意義があるんだしな・・・と自ら言い聞かせたものです。個人的には鄭和航海記(三宝太監西洋記)なんかには期待してるんですけどね。嗚呼、自分で訳して読むか。あ、そうそう今思ったんだけど、説岳全伝を岳飛伝に変えた件については、三宝太監西洋記を鄭和航海記にしたように名前入れた方がわかりやすいからじゃないかなあ。確かに単なる訳文なんだから、タイトルを変えるなんて言語道断だけど、商業ベースに乗った場合わかりやすい名前の方が良いでしょうし。新釈漢文体系とかみたいに浮世離れした学者様がやるのならそういう心配もないんだろうけどね。まぁこれは田中芳樹に対するひいきのひきたおしだな。
おっと、また話がずれた。薬師寺は絶望に近いものを感じ、確かその直後に出た創竜伝11に薬師寺と似た雰囲気を感じ、そのつまらなさにげんなりしてました。創竜伝だって、10巻までは私は好きでしたよ。細かなとこで論議したいですけど、それはまた別の機会に譲るとしましょう。宮崎学氏とかが政治ネタ専門に協力して書いたら、もっと凄そうだけど。先の国会は、12巻の話題だらけで田中芳樹は大喜びだっただろうなあ、盗聴チョット許可局。
そんなこんなで田中先生の新作は、一応読むけど博打に似た気分です。アタリハズレが大きすぎるように思う。アルスラーンがあんな調子で出されたら絶対やだなあ。ひょっとしたら田中芳樹自身もそう感じてて、アルスラーン書いては破り書いては破り状態なのかなぁ。角川と喧嘩してるのかと邪推した時もあったなぁ。もう・・・何年前でしょうか、内容忘れちゃいました。全部読みなおすのもなぁ。
あ、なんだか長文になって申し訳ありません。どうにも要旨をまとめて述べるのが苦手で感じたままダラダラと書いてしまいました。最後まで読んでくれた方ありがとうございます。いや、今回は過去ログまったく読んでないからどういうことが議題になってるのかもわからない始末で。こういう段階で書くのは失礼なんだけど、なにか書かずにいられない気分だったので・・・許してください。あとまともに議論するならまた作品読み返さないとなあ。とにかく今後ともよろしくお願いします。
>東方不敗さん
初めまして。よろしくお願いします。
>過去の作品の焼き直ししか出てないですけど。そのこと自体については特に感想は持ってません。ハードカバーだろうが文庫版だろうが何度焼きなおそうがいいじゃあないですか。出版社の兼ね合いもあるし、氏もそりゃお金は重要でしょう、糧食がなければ戦争はしてはいけませんし。戦略的にOKです!ってね。
私も、焼き直しそのものを否定するわけではありません。私が否定するのは焼き直しをする田中芳樹の態度です。
では、なぜ田中芳樹に限って否定するのか。
それは、創竜伝(を始めとする現代物)のスタンスと矛盾しているからです。もし、彼の小説に「新しい創造もせずに、かつての威光とノベルス界に対する影響力をタテに焼き直しだけで荒稼ぎしている」なんてキャラクターが出てきたら、間違いなく三流の俗物悪役扱いじゃないですか。評論部分でもさんざんけなすじゃないですか。
自分だけは別格で許されるのか、自分を客観的に把握するという人間を人間たらしめる想像力に欠けているのか、はたまた彼は文章にウソを書いているのか、理由がどれなのかは知りませんが、いずれにしてもとてもこのような事をする人間に信を置くことは出来ませんし、肯定することは出来ません。
私は田中芳樹の論理を田中芳樹に当てはめているだけです。こういうことは、本当は現役のファンにこそやってもらいたいですよ。
田中芳樹の論理をもって田中芳樹を非難することは、田中芳樹を貶めることではありません。むしろ、田中芳樹の論理が田中芳樹自身にすら適用されるという論理の普遍性の証明であるはずです。
>管理人さんへ
横から質問して申し訳ありません。あなたのおっしゃる「田中芳樹の理論」とはいったい何を根拠にそれをおっしゃっているのでしょう?「何度も焼き直し~、というキャラクターが出てきたら・・・」はあくまであなたがそう想像しているに過ぎないのでしょう?
小説家なんて読んでもらってなんぼです。それに自分も含めた小説家が本の販売形態に関してなど口をそんなに出せない事ぐらい(もちろん個人事務所なんかを持って、其処で出版している場合は別)田中氏だって重々知っているはずです。その事を理解している田中氏がそんな事で他人を批判するでしょうか?もちろん、販売形態に関して口を挟めない状態にある事を自分も含め情けなく思う事はあるかもしれませんが。
小説を書く事と小説を売る事はまったく別のものであると言う事を、もうすこし理解していただきたいです。
失礼します。
管理人様、早速レスを頂きましてどうもありがとうございます。
なるほど、確かに田中氏の著作の内容になぞらえれば、焼き直しの行為は認められませんね。ただここで確認したいのは、版元、形態を変えての焼き直しが誰の意思で行われているかだと思います。そこで考えられるのはもちろん田中芳樹氏自身、各出版元、そしてらいとすたっふでしょうか。出版社側は企業である以上儲けるのに情熱を燃やすのは当然ですし、事務所だって食っていかないといませんからね。創竜伝で理想を語ったところで、霞を食って生きられるわけじゃないですし。Np1651でsatokoさんがおっしゃっているように、個人(作家)の意思のみでそういったことが決められるとは考えにくいです。
しかし氏が自らの利益を追求するにすぎず、一連の焼き直しを自分主導の元でやったのなら、管理人様のおっしゃる通り弁解の余地は無いように思います。従って、この三者の意思がどこでどの程度介在しているのかが極めて重要でしょう。それが確認されるエッセイやインタビューの箇所はありますでしょうか?ご指摘頂けるとありがたいです。
もちろん結果として「創造もせずに荒稼ぎをしている」をしており、それは管理人様のおっしゃるとおりだと思います。創竜伝に田中芳樹がでるとすれば、そう揶揄されてもしかたがないでしょう。遅筆がゆえに、既存の作品で儲けなきゃいけないっていうのは、みっともないですよねホント。趣味で小説書いてるわけじゃないんだろうから。それこそがきっちり批判されてしかるべきだと思います。「売れる小説」すなわち「面白い小説」を定期的に出していかないと。プロなんでしょ田中芳樹、アルスラーン書けとはもう言えないからさ・・・
でも自分が遅筆であって、それが他方に迷惑をかけている旨は創竜伝のあとがきの座談会(だっけ?)でしばしばネタにしているようですが。でもあんなモノでごまかされないですよね、悪徳政治業者(凄い言葉だなこれ)に対するソレと同じぐらい真摯な態度の反省を要求したいところです。
それでは今回はこのへんで。あ、えっと、9月まで所用ででかけねばならず、お返事が書けない場合があります。ご容赦ください。でも戻ってきたらかならず書きます。お見捨てなきようお願い申し上げます。
>小説を書く事と小説を売る事はまったく別のものであると言う事を、もうすこし理解していただきたいです
>ただここで確認したいのは、版元、形態を変えての焼き直しが誰の意思で行われているかだと思います。そこで考えられるのはもちろん田中芳樹氏自身、各出版元、そしてらいとすたっふでしょうか。出版社側は企業である以上儲けるのに情熱を燃やすのは当然ですし、事務所だって食っていかないといませんからね。創竜伝で理想を語ったところで、霞を食って生きられるわけじゃないですし。Np1651でsatokoさんがおっしゃっているように、個人(作家)の意思のみでそういったことが決められるとは考えにくいです。
私もこの焼き直しラッシュの影には出版社の意向が強く絡んでいると思います。田中芳樹の意に反していると言うことも、もしかしたらあるでしょう。
しかしですよ、これが仮に出版社やライトスタッフの意で田中芳樹の意に反していたとしても、「田中芳樹」という名をもって焼き直しをしているのは事実でしょう。それで労なく稼いでいるのも事実でしょう。そして、もしそうならそのことに対して忸怩たる気持ちがあって当然でしょう。金儲けしていると言うだけで他人サマをあれほど罵っているんですから(このあたりは冒険風ライダーさんの私の創竜伝考察シリーズなどを参照のこと)。
しかし、田中芳樹がその忸怩たる気持ちを感じているところを私は少しも見たことがないんですよ。バカみたいにくだらなく思い上がった言いがかりで人を罵って喜んでいるサマなら最近の創竜伝文庫本でも見られるようですが。
加えて言えば、田中芳樹が遅筆なのは出版社やらいとすたっふのせいではなく、彼自身の責任です。
>NO.1653
う~ん・・・、難しいのですが田中氏が遅筆であるとか、金もうけしてる人をちょっとしつこいくらいののしってるとかそういう事はファンでも分かってるんです。実際ファンサイトでも少ないけどそういう事を指摘する人はいるし。
私がNO.1648を読んで・・・というか、おそらくここにきた田中ファンがあきれる原因って田中芳樹像を管理人さんが作り上げ過ぎてるんじゃないかって感じる所だと思うんですよ。もちろん、その人それぞれが田中氏に対してさまざまな印象を持つ事はかまわないし、それをもって批判を推し進めるのも個人レベルでならかまわないと思うのですが、NO、1648で書いておられたように「ファンにこういう部分を指摘してもらいたい。」と考えるのであれば、明確に「田中氏のこの発言から考えて」とかではないと納得できないと思います。
管理人さんやその他の皆さんが本文の内容などを検証している時にはすごく説得力を持つのですが、田中氏の実像みたいなものを(旨く言えないのですが)かきこまれてるのを見ると「結局は想像に過ぎないんじゃん。」以上の感想をもてません。
「つまらない作家、作品」と批判する事と「つまらない人間である」とさげすむ事が同列になっていると感じるとこが多々あるので、ついこれを機に突っかかってしまいました。すいません。
>おそらくここにきた田中ファンがあきれる原因って田中芳樹像を管理人さんが作り上げ過ぎてるんじゃないかって感じる所だと思うんですよ。
おっしゃることは分からないでもなく、確かに過去においては、管理人氏だったかどうかは覚えてないですが、そんなことがあったかもしれません。ですが、この場合には違うような気もします。
少なくとも、作品中に使っている論理と本人の行動が矛盾していると指摘しているだけなので「作り上げている」とは微妙な気がします。
もちろん、いくら作品中であっても、古い作品であるとか現在の傾向と違う作品、あるいは過去1回しか行っていないことであるとかを用いて行っているのであれば「作り上げている」もしくは「歪めている」と言うべきだと思います。
が、創竜伝における金持ち批判的な部分はそれには該当しないと感じます。
ただ、
>実像みたいなものを(旨く言えないのですが)
という部分からすると、私が言おうとするところとsatokoさんがいわんとするところは全然違っているのかもしれません。
作品を批判することとそれを書いた人を批判することは違うのでしょうが、「作家としての姿勢」に問題があると指摘する場合、「人間性」を攻撃しているように見えるケースがあるかもしれません。
すごいですねぇ、ここまで、議論がおきてるなんて。
今日初めてこのHPをみつけたんですでど
あちこち、読ませていただきました。確かにって内容ばかりですね。かなり、面白かったです。田中先生サイドからの反応とかってあるんですかぁ?
個人的には 田中作品のあの世界観、胡散臭さも含めて、娯楽として好きなんですけどね。最高作品だなと思えるのは銀河英雄伝説ですけど、創竜伝も嫌いじゃないけどなぁ(10巻買っちゃったし)。
私個人の性格として、大変冷めてるとこがありまして、ここまで熱くなって参加することはできないんですが、後の白熱した議論楽しみにしています。
>あちこち、読ませていただきました。確かにって内容ばかりですね。かなり、面白かったです。田中先生サイドからの反応とかってあるんですかぁ?
反応があればいいのですが、今のところありません。見ているかどうかも不明です。少なくとも、見ていればアルスラーンの件のような読者をナメきった態度はとらないと思うんですがねぇ。いや、無力さ故にナメられているのかも知れませんね。残念なことに、今の状況では、田中芳樹が危機感を感じる要因がないのでしょうね。
管理人さんがちょっとこられなかったので、辞めてたのですが一つ聞かせてください。
前回管理人さんはおっしゃっていた「何だかんだいっても、田中芳樹はそれで儲けてるんでしょう。」らしき発言にはっきり言ってかなり抵抗を感じます。
あなたにとって小説家の小説とは金もうけの道具なんでしょうか?
いろいろ言いたい事はあるのですが、御返答を聞いてからにします。近藤さんのレス大変理解しやすかったのですが、やはりここを焦点に管理人さんが論を進めているように感じてならないので、敢えてもう一度書かせて頂きました。
書きこむのは久しぶりですが、ロムはしていました。
なんか1689の管理人さんのレスは
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的なもの、田中芳樹ならなんでもけなす、というような感情的な物を感じます。
もっと理論的に説得力のある物をお願いします。
また管理人さんの言う通り田中芳樹が最低な作家だとしたら、それでもなぜ田中芳樹の本はよく売れるのでしょうか?
読者に見る目がないからでしょうか?それだけでしょうか?
そのあたりの管理人さんの意見をお聞きしたいです。
例えば創竜伝ですが
成人した今となっては、作品の中の政治表論的な部分が非常にうざったく思えますが
これを最初に読んでいた中学生当時、ちょうど反抗期の時期の
親や世間(この場合の世間は学校などの非常に狭いもの)に対する鬱屈した気分が
この本を読むことでだいぶ解消されたように思えました。
私は、主に創竜伝を読んでいるのは中学・高校生ぐらいの年齢で、わりと優等生タイプで親や学校に反抗してみたいがそれが出来ない
(やってみたいが度胸がない、反抗する理由が見つからない等)人達が好んで読んでいたのではないかと思います。
これは私自身の体験と、高校・大学に上がってから創竜伝が好き、もしくは好きだった、と言う人達の話を聞いた上での考察です。
恐らく田中氏は創竜伝は中学・高校生あたりをターゲットとして書いているのではないでしょうか?
そのため、作品の中の政治家の描写が分かりやすくデフォルメされた、ステロタイプの物
(悪徳政治家、金のことしか考えていない)として書かれているのだと思います。
また、創竜伝が売れるのもそういった新規読者、これから中学・高校生になって行く人達が購入するためで、
幾度も再版されて行くのは漫画文庫と同じで、そういった新しい読者層のさらなる開拓
(同じ内容の本でも新しい装丁の方が売れやすい)をねらったものでしょう。
また、こういった商法はベストセラーになった本ならば、必ず一度はやることで、特に珍しくもないと思います。
(ハードカバーで売れた本を文庫で出してさらにヒットさせる。)
これが私の考えですがいかがでしょうか?
私が言いたかったことは、近藤さんがNo.1655で書かれた内容と被るのですが、
>あなたにとって小説家の小説とは金もうけの道具なんでしょうか?
に関しては、「小説家」ではなく、「現在の田中芳樹」にとっては、です。
まあ、厳密に言えば、ほぼすべての作家にとって小説がメシの種という側面があるのでしょうけど(プロなのだから)、同時に創作意欲の発露という側面も大きいですよね。要はこの両者の割合のバランスなんでしょうが、現在の(<ここ重要)田中芳樹は前者に偏りすぎている気がします。問題にしている読本の類は小説じゃないですし、版型の焼き直しともども、創作意欲はないですよね。
別に読本出すのも焼き直しも勝手なんですけど、プロとして本職で稼いでいるわけじゃないということだけは何か感じて欲しいですね。彼が創竜伝であげつらっている政治家じゃあないですが、もうすこしシュクシュクとしたってイイでしょう?
>また管理人さんの言う通り田中芳樹が最低な作家だとしたら、それでもなぜ田中芳樹の本はよく売れるのでしょうか?
実はこれが田中芳樹を語る上で難問のひとつであると私は思っています。
私の仮説では…
一つには、田中芳樹は『過去に於いては』優秀な作家であり、銀英伝が読者(特に思春期の少年少女が多い)の思想面やパラダイムにまで影響を与えうる作品であったことがあると思います。銀英伝を読んでいないファンも多いようですが、アルスラーンにも創竜伝にもこのような傾向はありますね。銀英伝ほど深くも洗練もされてはいませんが。
ついつい惰性で買ってしまう傾向の強いノベルスでは、このようなファーストインパクトがあると、だんだん駄作になっていっても、何となく買ってしまいますね。少なくとも私個人の経験では、そうです。
maskeさんの言われるように思春期の反抗気分というか、ある意味尾崎豊的な要素は私も感じていました。私も昔は創竜伝を読んでいたわけですが、要ははしかみたいなものですよね。ですが、はしかにかかるという「経験」は意義のあるものですが、はしか「そのもの」に意義があるわけではありません。創竜伝が青少年に読まれることは納得できても(どうせ他の同じような傾向のものにハマるだろうから)、創竜伝そのものに対して納得することは、私には無理です。
前にも言ったと思うのですが、私は版型の焼き直しや読本のすべてに反対するわけではありません。繰り返しますが、責めているのは、プロの作家が本業(新刊)をおろそかにして、焼き直しや読本でお茶を濁して恥じない、プロとしてあるまじき態度です。また、そのくせ、他のプロ(政治家とか)が本業をおろそかにしていることを批判している態度が不誠実で笑止だといっているのです。
作家が新刊出さないで読本や焼き直しで稼ぐのが許されるのなら、役人の天下りだってOKでしょうが。
まず最初に「読本」は田中先生の管理下ではありません。それをもっての田中批判は省いていただきたいと思います。
で、新作を出すのが作家の本業ということに関してですが、ものをつくりだす仕事がそんなに定期にできるものではないということは、以前にも書いたと思いますし、その期間が長すぎるではないか、ということに関してもそんなものは個人差であるし、連続ものの続きはなかなかでないにしろ、細かいものはぽつぽつ出ているじゃありませんか。それが、管理人さんや他の方が気に入る気に入らないという理由で「怠慢だ!」というのはおかしいのでは?
他の方との話で申し訳ないのですが、上の話と関連していうなら「田中氏が最低の作家というなら何故その本が売れているのか」という答えに「不思議だ。」と書かれていたのにはっきり言って唖然としました。貴方は自分と感性が違う人がいると言うことを当然分かっていらっしゃいますよね?現在の田中作品私も必ずしも面白いとは思えませんが、別にそれを面白いと思って喜んで買う人が馬鹿だとか、変だとか思わないし、全ての人が惰性で買っているなんて間違っても思いません。作品を理解する能力の優劣の問題ではなく、感性が違うというだけの話じゃありませんか。こういうHPにいれば、周りの人もきっと最近の田中作品に文句があるんだろうとかんじてしまうのかもしれませんが、もう少しファンがどう感じているか、もっと広い範囲で聞いてから発言なさった方がいいのではないかと僭越ながら思わずにいられません。
で、前置きが長くなってしまったのですが本題にはいると、小説家の側面として「創作意欲の発露」ということをおっしゃっていたのですが、それはそれとして私はやはり「プロの小説家なんて読まれてなんぼ」と思います。収入云々が問題ではなく、普通その作品に自信があるから、「もっと多くの人に読んでもらいたい」という気持ちから再販とかになるのでは?(ちなみにもう一度言わせてもらいますが再販とかは出版社が決めることで、田中氏をこれで攻めるのもまたお門違いです)、実際田舎の方で古本屋なんかがない街の中学生や高校生がハードブックや古く高い方のノベルズ買うのがどんなに負担だと思います?再販で値段もおさえられて、若い子達が買いやすい表紙になっていれば、ありがたいことだとは思いませんか?(ちなみに私も銀河英雄伝説は高校時代に再販で安いノベルズ版を買って、おこづかいちょっと助かった)
過去の作品を愛して、それをより多くの人に読んでもらおうとすることがそんなに良くないことでしょうか?
もし「そんなのきれい事でなく金儲けのためにやってるとしか思えない。」とおっしゃるのであれば、インタビュー記事なりあとがきなりを示して実証していただけないでしょうか?お手数ですが、他の小説家をそういった意味で批判されている部分も示していただければ幸いです。それらをもってしての田中芳樹という人物を批判ししている、ということでないのであれば残念ながら、「結局は全部勝手にイメージづけた人に勝手におこっているだけじゃん。」という判断を私のみでなく田中ファンはすることになると考えます。
とりあえず時間が余り無いので、ひとまず簡潔にお伺い、お答えします。
>「田中氏が最低の作家というなら何故その本が売れているのか」という答えに「不思議だ。」と書かれていたのにはっきり言って唖然としました
どこでしょうか。私は出来るだけそういう発言をしないように心がけているつもりです。ですから、「難問」であるとは言いましたが、「不思議だ」とは一言もいっていません。もし、「難問」と「不思議」が同義だとおっしゃられるのであれば、よほど納得できる説明をしていただかない限り、論争は打ち切りたいと思います。あまりに強引な結び付けで議論にならないですから。
もし、私が不思議だといっているのであれば、その箇所を示していただければ訂正し、お詫びします。
>まず最初に「読本」は田中先生の管理下ではありません。それをもっての田中批判は省いていただきたいと思います。
どうしてでしょうか。田中芳樹の名前で売られ、田中芳樹の利益になるのですから、批判対象から外す理由はないと思いますが。
それから、何回も書いているとおり、私は読本や再版そのものを批判しているわけではないですよ。ですから、
>もし「そんなのきれい事でなく金儲けのためにやってるとしか思えない。」とおっしゃるのであれば、インタビュー記事なりあとがきなりを示して実証していただけないでしょうか?
田中芳樹は自分が述べてきた文脈から考えると、現在の自分の有様に恥じ入ってしかるべきなのに、恥じ入るどころか調子に乗ってはしゃいでいる姿が不誠実だ、といっているのです。自分の論理が自分に適用されないと言う、普遍性も説得力も何もないことの証明ですからね。
最初に「難問」と言う言葉を「不思議だ」と曲解してしまった事、おわびいたします。私の理解としては「理解しがたいので難問だ。」と認識していましたので、それが「不思議に思っている」と言う風に捉えてしまいました。本当に申し訳ありません。重ねてお詫び申し上げます。
本来、あの部分で聞きたかった事はその部分ではないのですが、おそらく他の田中サイドに立つ人がくれば、いずれ出る話だと思いますので御腹立ちであれば、あの部分は議論を止めて頂いてもいいです。
>読本
これに関しては、何度も言うようですが「小説家と出版社は違う」自分がどう思っていても、企業のやり方に普通は口を出せる物ではないと言う事を述べて質問に行かして頂きます。どうも長く書くと論点がぶれて、答えて頂きたい事からづれてしまうので再度質問さして頂きますと
「田中氏がこういった稼ぎ方をしている小説家をどこで非難しているのでしょう?」
文脈から判断するとかでは、私がもっている田中氏の著作やインタビューなどを読んでも、他の小説家の内容や思想に対しての意見などはたまにみかけますが、こういった金儲け方法をしている小説家を非難している部分を見つけられないのです。この場合政治家の批判に置き換えて考えてと言うのは根本が違いますし。
結局の所、管理人さんがおっしゃっている「再版が良くないと言ってるのではなく田中氏の態度の問題だ。」という事に私が歩み寄れないのは結局の所それが想像の域を越えてないからではないかと感じてしまう所なんです。ですので、その根拠となる物を示して頂きたいと思うのです。
先のレスがとりあえずと言う事でしたので、これから答えようとしていた事を再度聞いているような事がありましたら、ご容赦ください。
と、言うわけで宣和堂であります。
う~ん、なんだか、田中芳樹のハードカバーコンプレックスについては自分が早くから言ってきたことなのでナントモいわれのない責任感を感じて、つい書き込みます。
>satokoさま
えーっと、田中芳樹がハードカバーについて語ってる文章を読んでから発言なさった方がいいのでは…。
「『女将軍伝』が世に問うもの(『チャイナイリュージョン』中央公論社 収録)」
「中国のルパン、颯爽と登場(『楚留香 蝙蝠伝奇』下巻 小学館文庫 収録)」
ココで彼はハードカバーに対する熱い思いを語ってくれています。コレを読んでからじゃないと話にならないと思います。ファンなら最低コレぐらいよんどいてください。ちなみに自分は購入して手元に置いてます。ファンですから投資してます(半分以上はけなし代ですが…)。
また、再販については、管理人さまはどうかは知りませんが、自分は
ハードカバー→文庫
新書→文庫
と言う流れはsatokoさま仰るとおり、安価になって手に入れやすくなる点別に構わないと思います。
このパターンは、『銀英伝』や『マヴァール年代記』、『創竜伝』、『長江落日賦』、『紅塵』、『纐纈城奇譚』が相当します(あえて入れるなら『夏の魔術』や噂だけなら『タイタニヤ』もこのパターンです)。
が、最近は版型を変え出版社を変えてやってくるのは
新書→ハードカバー
文庫→新書
という逆行ですね。例を挙げると
ソフトカバー→新書→ハードカバーが『風よ、万里を翔けよ』(例外:『銀英伝』・『マヴァール年代記』の豪華本)
文庫→新書が『摩天楼』と『西風の戦記』ですね…。
どうでも良いんですが、まあ、『摩天楼』については特殊な事情があった旨『「田中芳樹」公式ガイドブック』等に書かれているのでいいのですが『風よ、万里を翔けよ』に関しては、以下のサイトで田中芳樹自身がハードカバー(初版はソフトカバーであってハードカバーではない)で出版したい旨、編集者に働きかけていたことが当の編集者によって語られています。
http://dcc.kyodoprinting.co.jp/nonburu/butaiura/novels/09/
別に出版社から話があって決まった話ではなく、田中芳樹が常々編集者に「出した出したい」と言っていて、うまく『ムーラン』に引っかかった形であったというのが真実です。
他の作家さんや他の小説に関しては知りませんが、こと『風よ、万里を翔けよ』については、まず、田中芳樹の働きかけがあって新書からハードカバーの逆行をしています。
読本に関しては“らいとすたっふ”が関わっているモノに関しては、全く無責任とも言えないのでは?ま、コレに関しては自分はどうでも良いです。笑わせてくれるので(あんまりにも不勉強なので大笑いできる)…。田中芳樹本で読めたのは七都市の時の『田中芳樹読本』と『銀英伝』の《我が征くは星の大海》のアニメが出たときのムック本だけですね。あとはクズ。
何か不明な点があったら、どうぞ。
例えば宣和堂さんのように
「田中芳樹がこのような場所でこのように語った事に関して私はこう考えるに至った。」
というように。
過去ログを見てください、と言われるかもしれませんが、あの膨大な量のログを見るのは
けっこう大変なことですし、それがこの掲示板に馴染の方以外の人が参加しにくい理由にもなっていると思います。
また、本業をおろそかにして、とおっしゃいますが、ある程度人気があり、
また売り上げも安定している作家としては、発刊ペースは普通だと思います。
私はむしろ発刊ペースよりも、ひとつのシリーズが終わっていないのに次々と新しいシリーズを立ち上げていることのほうが問題だと思います。
それが結果として発刊ペースを遅らせ、作家自身の首をしめている事になるからです。
私としては管理人さんの意見は論理が飛躍しすぎていて納得できない物が多すぎます。
ぶっちゃけた話、私は相手の意見が納得できなくてもなぜ相手がこのような考えに至ったかが理解できれば別にそれでいいのです。
あと、まったく関係ないですが、過去ログを読みましたところ宣和堂さんは自分のHPをおもちだそうで
そのHPに大変興味がありますので、差し支えなければページのURLを教えて頂けないでしょうか?
宣和堂さんの家頁を孫引きにしようか考えていたのですが、それよりも直接見てもらった方がいいですよね。
宣和堂さんの家頁へは、当サイトのリンクから行くことが出来ますよ。
>文脈から判断するとかでは、私がもっている田中氏の著作やインタビューなどを読んでも、他の小説家の内容や思想に対しての意見などはたまにみかけますが、こういった金儲け方法をしている小説家を非難している部分を見つけられないのです。この場合政治家の批判に置き換えて考えてと言うのは根本が違いますし。
全然「根本が違」くないですよ。私が田中芳樹の不誠実さにおいて問うているのは小説家が金儲けをしているという枝葉の部分ではなく、職業倫理という、それこそ「根本」の部分だからです。
簡単にいくつか例を挙げましょう。
創竜伝5巻P85下段~P86上段
国民を喰いものにして血と脂で肥え太っているのは政治業者ばかりではない。日本の大企業がいかに国内の消費者をばかにし、反社会的な手段で暴利をむさぼっているか。
仮に田中芳樹のこの論理が正しいとしたら、出来の悪い読本の連発や手を変え品を変え版型を変えて同じ本を何度も出す会社だって消費者をバカにし、暴利をむさぼっていることになるでしょう。そして、(仮に結果的にだとしても)その片棒を担いでいるのは自分なのですよ。
P110上段
>汚れた金銭のおこぼれにあずかることを喜び、自分自身の人格と権利を嘲笑する有権者も、数おおくいる。
こういう事を書く以上は、少しは自分の現状を恥じてもらいたいと言っているわけです。
ついでに、実際に田中芳樹の言説を持って田中芳樹擁護の理論を見てみましょうか。
>まず最初に「読本」は田中先生の管理下ではありません。それをもっての田中批判は省いていただきたいと思います。
>ちなみにもう一度言わせてもらいますが再販とかは出版社が決めることで、田中氏をこれで攻めるのもまたお門違いです
創竜伝5巻P127上段~下段
<もともと日本は個人の責任というものが厳格に追及されることのない社会であるようだ。第二次大戦の指導者から、いじめの主謀者に至るまで、みんなが決めたことに自分はしたがっただけで自分に責任はないと主張する。その結果、「みんなが平等に悪かった、みんなで反省しよう」といいだす者が出てきて、責任の所在は不明になり、まともな反省もおこなわれず、事態もさして変わらず、誰も罰せられずに終わってしまう。
「みんなが決めたことに自分はしたがっただけで自分に責任はない」という事にしたら、田中芳樹に失礼です。
職業倫理はプロ意識と言い換えた方が通りが良いかも知れないですね。
ところで、余談なんですが、
創竜伝5巻P86上段~下段
そのように歪んだ醜怪な経済界をささえる日本のサラリーマンは、賃金が世界一高いといわれている。嘘である。それは残業や休日出勤などで労働時間が欧米よりはるかに多いからであり、一時間ごとの給与を比べれば、たちまち世界一から転落する。さらに、購買力平価、つまり同じ金額でどのような商品が買えるかを比較すると、世界で二〇位以下になってしまう。物価が異常に高いからである。日本とアメリカ、両国政府の共同調査によれば、東京の物価はニューヨークの物価より40パーセントも高い。それは土地や住宅の価格を除いてのことである。普通のサラリーマンが一生勤勉に働いて、自分の住む家を買うこともできないような社会がまともな社会といえるかどうか、考えてみるのもたまにはよいかもしれない。
というのなら、読本や再版でサラリーマンの年収よりも稼ぐ作家がいる社会がまともな社会といえるかどうか、考えて欲しいですね。ちなみに私はそういう社会が必ずしも悪いとは思いませんが、田中芳樹の理屈では自らが絶対悪でしょう?
P86上段
古今東西、社会性や協調性を欠くうえにお説教好きの成金が、他人に好かれた例しはない。
自分の身につまされないのでしょうか。
創竜伝2巻P80下段~P81上段
>バランス感覚を失して、大金をかかえたまま一輪車にまたがり、他の人々を突きたおして走りまわっている。いずれ必ず転倒するだろうし、そうなったとき、誰も助けてくれないだろう。
そういう風に自分がならないようにね。
……イヤミ度高い(__;)
ちなみに冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」を参考に使わせてもらっています。感謝。
お願いですから、次の質問の部分を答えていただけないでしょうか?全然聞きたいと思っていることが帰ってこないのです。他の方のページを見たならみたでかまいませんし、それが宣和堂さんもHPのものとダブっても構わないんです。私は管理人さんに質問しているんです。
「田中氏がどこで他の小説家がこのような形で再版して稼いでいるのを批判したのでしょう?」
物語の中から引用するのは、もう止めて下さい。根本が違うと言ってもそれが理解できないと言うのであれば、そこの部分は議論を続けなくてもいいです。とにかく、上記の質問だけに答えていただきたいのです。
ぶっちゃげた話、わたしもMaskeさんと同様、考え方の根拠が見えないと言うただ一点が気になってるのです。
物語の中に書かれていることが正論だから作者もそうでなきゃいけない。というのはだれが決めたのですか?田中ファンの中にはあんなに素晴らしいことをかけるのであるから田中先生も素晴らしい人であってほしい、という人は多いですがそんな必要ないでしょう?純文学書いてる人だって悪どい人はいるし、ピュアな歌詞が売りだったまっきーだって薬をやってたじゃないですか。だから、物語の中にあるもののみで人物像を作り上げてそれが反することやってたから怒るというのは、アイドルが乱交パーティーに行っていたのでイメージを壊されたとか騒いでる子供と同じです。
管理人さんは以前「こういう販売のやり方で稼ぐのを、他人に非難しているくせに、自分ではやっているから田中芳樹の論法で代えしただけ。」といったたぐいの発言を何度かなさっていたと思います。しかし、それが上に書いたように物語の中での事をのみ根拠にしていらっしゃるのなら、何度もいうようですが「結局は想像の域を越えてないんじゃないか。」ということになります。だってそうでしょ、もし田中氏がこういう販売方法を全然悪く思ってないのだとしたら、私や管理人さんがどう思うかは別にして、やったって構わないじゃないですか。反論するなら「私はこういう売り方は気に食わない。」とだけ言えばいい訳で田中氏が言ってることとやってることが違うなどと言う必要はないでしょう?
特に創竜伝の場合、最初に来た時に書いたと思いますし、再版の様式を考えれば、あれはお子様向けに書かれたもので必要以上に悪役を絶対悪かのように印象づけることで話を明快にしていると言うことを考えれば、あの本に書かれていることが田中氏の必ずしも真意であるとは考えにくいと思います。
ですから、もう一度言わしていただきますが
「田中氏がどこでそのような販売形態をした小説家を批判したのでしょう?」
これが示されれば、管理人さんがいう「田中良樹の論法で代えした。」ということが成り立ち、ここに来る田中ファンの人が「結局は想像だけで物を言ってるんでしょ。」と馬鹿にすることもないと考えます。
管理人さんとsatokoさんの意見、両方を見て思ったのですが、どうも、お二人の間で「創竜伝」に対する認識の違いが行き違い(あえてそう言うならば)の原因になっているのではないかという気がしました。
過去ログなどから考えると、管理人さんの考えとしては、「『創竜伝』は、小説のふりをした本の中に、《田中芳樹》による社会評論が大量に含まれている」、となると思います。
一方、satokoさんの場合、「創竜伝」はあくまで小説であり、社会評論部分もエンタテインメントの一種ないしはあくまでも小説の一部だと考えているのではないでしょうか。
少なくとも私にとっては創竜伝の社会評論は「小説」を損なっているとしか思えませんでした。小説的な必然性で含まれているとはとても思えませんでした。
ですが、ではそれが《田中芳樹》先生による思想の開陳と解していいかとなると、断言する自信はないです。
話は逸れますが、個人的には創竜伝は「はしかのようなもの」だと思うので、存在自体が悪だとまではいいませんが、銀英伝なりアルスラーンなりを書いた/書いている人が書くのは才能の浪費もしくは労力の無駄遣いだと思っています。関係ない話ですいません。
と、言うことで、自分の家頁を宣伝していただいて恐縮ですが、現在『田中芳樹 七つの大罪』は一時閉鎖中です。ちょっと誤解が多いのと、“概ね好評”と書いただけで人の背中に冷や汗を垂らすような家頁を書いちゃならんなと後悔したからですね。ですから、今ココのリンクから辿って私の家頁を見ても、『運命』の文章ぐらいしか田中批判の記事はありません。悪しからず。
で、satokoさま曰く→
>お願いですから、次の質問の部分を答えていただけないでしょうか?全然聞きたいと思っていることが帰ってこないのです。他の方のページを見たならみたでかまいませんし、それが宣和堂さんもHPのものとダブっても構わないんです。私は管理人さんに質問しているんです。
えーっと、横からで済みませんが、私は田中芳樹が他の作家を「あいつは新作も書かずに再販と読本だけで喰ってるケシカラン作家だ!」と非難している文章には巡り会ったことはないので、私の家頁でも嘗てこのような文章が掲示されたことはないです。ただ、今の田中芳樹の様な作家が『創竜伝』に出てくると仮定したなら…
小早川奈津子に媚びを売り、竜堂続に罵倒され、ランバート・クラークに軽蔑され、最後には竜堂兄弟が変身した龍に踏み倒されて「おたすけー」と言う辞世の句を残して茄子に埋もれて屍を晒す今世紀最大と言われる小説家(?)
と言う役どころかな?とは漠然と思いますけどね…。
まあ、自分は『創竜伝』に関しては中国史に関する記述に関しても「コレは伝記物だから」と、受け流すことに決めてます。政治評論の部分は自分は興味がないので「まあ、中学生向きの文章(ジュビナイル)だからなー」と読み流してます。
自分が突っ込むのは「私はこれだけ中国に詳しいのだー」という態度で臨んでいる中国モノに関してだけです。めんどくさいので、中国の文献をわざわざ訳さなくても日本語で読める範囲で「知ってて当然のこと」を指摘するにとどめています。まあ、それだけで彼のメッキは剥げてしまうので、中国史に関してはその程度の人です。コレに関しては「田中芳樹の程度にも達してない人が多いのだから、まあ、ほっとけ」と言う御仁もいらっしいますけど…。中国史の世界でも中国文学の世界でも評判は良くないんですよね…。条件抜きに好きだ!と言う人が出たら、みんな引いちゃうくらいですから(みんな条件付きで好きなんですけどね…)。
>物語の中に書かれていることが
>正論だから作者もそうでなきゃ
>いけない。というのはだれが
>決めたのですか?
>物語の中にあるもののみで人物像
>を作り上げてそれが反すること
>やってたから怒るというのは、
>アイドルが乱交パーティーに行って
>いたのでイメージを壊されたとか
>騒いでる子供と同じです。
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近藤氏の文章および石井論文の「小説か?評論か?」にほとんど書かれているのだが、
「創竜伝」の地の文章は田中芳樹が現実の日本社会を論評したものなのか、それとも竜堂兄弟が暴れ世界を四姉妹が牛耳っている架空世界のあれこれを語っているものなのか。
で、後者ならsatokoさんの言われるように、「語っている、あるべき姿」も架空世界のものだからそういう論法もなりたつでしょう。
しかし残念ながら、あれはどう見ても「ナマミの田中芳樹が現実世界を論評している」ものです。
ゆえに、「言ってる事とやっていることが違う」という批判は成り立つと思います。
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ついでにいうと、この前引用した「村上春樹は文章を練っていない、手を抜いている」といううおような発言は思いきり今は自分に跳ね返ります。
まあ、作品みんながみんな「銀英伝」のような文体というのもアレだが(笑)、それでも現在の田中氏が「過去の田中氏」と同じだけの努力を文章に払っていると思える方はすくないであろう。
それでは、そろそろ論点がはっきりしてきたようなので、順を追って確認してみましょうか。
まず、satokoさんが問題にした箇所は、私の書き込み1648にある次の箇所ですね。
>もし、彼の小説に「新しい創造もせずに、かつての威光とノベルス界に対する影響力をタテに焼き直しだけで荒稼ぎしている」なんてキャラクターが出てきたら、間違いなく三流の俗物悪役扱いじゃないですか。評論部分でもさんざんけなすじゃないですか。
これに対して、「田中氏がどこで他の小説家がこのような形で再版して稼いでいるのを批判したのでしょう?」「田中氏がどこでそのような販売形態をした小説家を批判したのでしょう?」と疑問を投げかけたわけです。
しかし、上記の私の書き込みをよく見てもらえれば解りますが、『もし、彼の小説に…』と書いてあるとおり、これは仮定です。これが仮定であることによって、私が『坊主憎けりゃ袈裟まで』的な思いこみによる田中芳樹ケナシをしているという意見が出たわけです。
そこで、私は次のような書きました。
>これが仮に出版社やライトスタッフの意で田中芳樹の意に反していたとしても、「田中芳樹」という名をもって焼き直しをしているのは事実でしょう。それで労なく稼いでいるのも事実でしょう。そして、もしそうならそのことに対して忸怩たる気持ちがあって当然でしょう。金儲けしていると言うだけで他人サマをあれほど罵っているんですから(No.1653)
>責めているのは、プロの作家が本業(新刊)をおろそかにして、焼き直しや読本でお茶を濁して恥じない、プロとしてあるまじき態度です。また、そのくせ、他のプロ(政治家とか)が本業をおろそかにしていることを批判している態度が不誠実で笑止だといっているのです。(No.1695)
つまり、私が田中芳樹を批判するのは、焼き直しや読本で稼いでいるという「現象面」を越えて、その現象が証明し、その原理となっている、「理念面」に対してなのです。故に、『「新しい創造もせずに、かつての威光とノベルス界に対する影響力をタテに焼き直しだけで荒稼ぎしている」なんてキャラクターが出てきたら、間違いなく三流の俗物悪役扱い』であることを、田中作品の中から一言一句探し出す必要はありません。理念面がはっきりしていれば、現象面でそうなることは導き出せるわけです。公式がはっきりしていれば、正しい数式がいくらでも作り出せるのと同じことです。
ですから、
>物語の中から引用するのは、もう止めて下さい。根本が違うと言ってもそれが理解できないと言うのであれば、そこの部分は議論を続けなくてもいいです
のではなく、問題はそこの議論 -根本とは何か- なのです。そこの議論をしなければ何も解決しないのです。
そういうわけで、田中芳樹の理念面をはっきりさせる意味で、1703で嫌みなくらい田中芳樹の評論部分の理念を検証し、その田中芳樹の理念に基づくと、問題になっている田中芳樹の態度がどのような評価になるかを証明したわけです。あの創竜伝の記述の検証は、田中芳樹の理念では『新しい創造もせずに、かつての威光とノベルス界に対する影響力をタテに焼き直しだけで荒稼ぎしているキャラクター』が『間違いなく三流の俗物悪役扱い』になるという証明です。
考え方の根拠が見えましたか?
>物語の中に書かれていることが
>正論だから作者もそうでなきゃ
>いけない。というのはだれが
>決めたのですか?
>物語の中にあるもののみで人物像
>を作り上げてそれが反すること
>やってたから怒るというのは、
>アイドルが乱交パーティーに行って
>いたのでイメージを壊されたとか
>騒いでる子供と同じです。
これに関しては近藤さんや新Q太郎さんが触れていますが、「物語」は適用されないと思います。私が挙げた部分はいずれも評論部分だからです。
仮に私が「田中芳樹は竜堂始と態度違うじゃねえか」とイチャモンつけたのなら、一歩譲ればsatokoさんのおっしゃるとおりかも知れません(ホントは始発言には問題が多いのですが、それは置いておきましょう)。ですが、私は物語にイチャモンを付けているのではなく、物語とは何故か全く関係ないのに挿入されている評論を批判に使用しているのです。
それと余談なんですが、
>物語の中に書かれていることが
>正論だから作者もそうでなきゃ
>いけない。というのはだれが
>決めたのですか?
というのは田中氏にとってあまりフォローになっていない気が…(-_-;)
>私は田中芳樹の論理を田中芳樹に当てはめているだけです。こういうことは、本当は現役のファンにこそやってもらいたいですよ。
> 田中芳樹の論理をもって田中芳樹を非難することは、田中芳樹を貶めることではありません。むしろ、田中芳樹の論理が田中芳樹自身にすら適用されるという論理の普遍性の証明であるはずです。(No.1648)
今回の発端になった一文です。冷静に、じっくり読んでみてください。
シャブ中や乱交アイドルに例えてまで作品の思想と作者の論理の乖離を強引に擁護するのと、本人の理屈を持って間違いを間違いだと指摘すること、どちらが本当に本人の為だと思いますか?
まあ、私のようなアンチ田中芳樹のオヤダマに指摘されて腹立ちする気持ちは分からないでもないですが(ちなみに私の動機は純粋な善意のみではないですしね)、本当に田中芳樹のためになることは何なのか、感情的にならずに見つめてみてください。
完全に誤解なさっているようですが(って前回言うべきだったのかな・・・)これは、田中氏をフォローしているわけでも、田中氏のためでもありません。むしろ言うなら、管理人さんのための方が大きいでしょう。
はっきり言って、ここまで言ってきた事って私のみの意見ではなく、複数の人にこのHPを勧めての意見の統括なんです。
つまり、私やその人たちと管理人さんは根本的に近藤さんがおっしゃったように創竜伝に対するとらえ方が違うのでしょう。私やここのHPを薦めて読んでもらった人たちは共通に「あくまで娯楽小説じゃん」以上に捉えておらず管理人さんは田中氏がまじめ(?)に書いた社会評論であると考えていらっしゃると言う事ですよね。ただ、田中ファンに読んで欲しいと書いておきながら、田中ファンがこう捉えているのに「あれは本気で書かれた社会批評の部分であるから!」と押し切られて納得すると思われますか?
何度も言うようですが、これは田中氏のための物でも、田中氏をフォローしようとしているわけでもありません。だから敢えて書かして頂きますが、田中氏の実像が拝金主義だろうがヤク中だろうが(ただ、あのたとえは田中氏を指した物ではなく、イメージをもって他人を批判するのがどういった物であるかと言う事を書いたので、冷静に読んで頂けばわかると思いますが?)ぜんぜん関係ないんです。前回もチョコっと書いたのですが、田中氏本人がこういう販売形態自体を悪く思ってなかったら?実際ハードブック好きなのはそうですし、そうやって売り出している事にほくほくなんでしょう。でも、かまわないじゃないですか。内容がつまらなければ、ファンははなれていくだけの事ですし。それをもって逆に考えれば、田中氏が小説の中で書いてる事がやはり田中氏の全面的な真意と言うわけではないのかもしれないでしょう?(これは暴論です。)
創竜伝の中に書かれてる事を批判する事自体が駄目といっているわけではないのです。冒険風ライダーさんの「創竜伝考察」など面白く読ませて頂いてますし、その他の方の意見もとても有意義な物です。これらの意見を田中氏は十分に受け止めるべきでしょう。それはなぜか?小説家は自分が書いた小説の内部においては責任を持つべきだからです。ですが、それを持って実生活の上での行動まで縛られるべきなのでしょうか?私はそのようには思いません。だからこそ、実生活での行動に批判を与えたいなら小説の中での事以外の部分での田中氏の発言やその他を持って言うべきでしょう。(特に管理人さんが書いておられた「もし私が竜堂始の行動~」の部分納得行きません。私はそういう風に創竜伝を捉えているわけではないのです。)たとえば、今回のまっきーの事だってやたらと感傷的になって「裏切られた!ひどい!」と叫んでるファンが多いですが、そうではなく今回の行為に対して社会人として守るべき事を守れなかったと言う点を批判するべきでしょう。残念ですが管理人さんが、田中氏の実像を述べている時に限りですが、このファンと大きく差があるように感じられないのです。
小林よしのり氏が今回のゴー宣で激しく「少年H」を批判していますが、それは作者である妹尾氏が「ノンフィクションである。」と言ったにもかかわらず、違う部分が多いからですよね。よしりんは少年Hが売れまくっていて、正しい認識を謝らせる事になる事は嘆いてはいても、そのやり方(再版、舞台化、ドラマ化)などそのものを批判したりはしてないはず。増してや、妹尾氏に作品以外の個人的な批判などはまったく加えていません。本来批評ってこういう物なのでは?
もし、あくまで田中ファンがどう捉えていようが創竜伝が「真実の田中氏の言葉」と言うのであれば、私や少なくとも私が薦めた人たちはここに来て書き込みに参加する必要などありません。「創竜伝を田中氏の真実の言葉として捉えているファンの反撃をお待ちしています。」と書かれればよろしいのではないでしょうか。
なんだかとても悲しい気持ちになってしまったのでこのくらいにしておきます。
satokoさんの文-----------
つまり、私やその人たちと管理人さんは根本的に近藤さんがおっしゃったように創竜伝に対するとらえ方が違うのでしょう。私やここのHPを薦めて読んでもらった人たちは共通に「あくまで娯楽小説じゃん」以上に捉えておらず管理人さんは田中氏がまじめ(?)に書いた社会評論であると考えていらっしゃると言う事ですよね。
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小説か?評論か?から孫引きしますが
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このような書きかたをすると、「世の中はそれほど単純なものではない」という言いかたで反論してくる人がいるものだが、複雑な議論というものは、単純な疑問を解決してからおこなうものだ。世のなかに、生命よりたいせつなものはたしかにあるかもしれないが、それはひとりひとり異なる。権力者の美辞麗句にだまされないほうがいいだろう。むろん世の中には、「だまされたいの、だましてェ」という趣味の人もいるだろうから、そういう人は勝手にすればいい。ただし、破滅するのは自分だけにして、「だまされないぞ」と思っている人をけっして巻きこまないことだ。
(創竜伝4巻P185)--------------
ここでいう
>このような書きかたをする
というのは普通に読んで、現実世界の田中芳樹氏であり、
>「世の中はそれほど単純なものではない」という言いかたで反論してくる人がいる
という、この人も現実世界の読者ですよね?
すくなくと「創竜伝も」のこういった部分において、彼の意見を「あくまで娯楽小説の文章=本当の自分の意見とは異なる」と見なすのは無理があると思われます。
もっとも田中氏が「これ、小説を盛り上げるための技法でしたあ。ホントの私は保守党支持で、アメリカ大好きなんです」とか言ったらスゲー面白いというか、そういうのもアリかと降参するけど。
>ただ、田中ファンに読んで欲しいと書いておきながら、田中ファンがこう捉えているのに「あれは本気で書かれた社会批評の部分であるから!」と押し切られて納得すると思われますか?
>田中氏本人がこういう販売形態自体を悪く思ってなかったら?実際ハードブック好きなのはそうですし、そうやって売り出している事にほくほくなんでしょう。でも、かまわないじゃないですか。
>それをもって逆に考えれば、田中氏が小説の中で書いてる事がやはり田中氏の全面的な真意と言うわけではないのかもしれないでしょう?(これは暴論です。)
「暴論」と自ら認めておられますが、重要なのであえて指摘。
私は本論や掲示板で、「創竜伝の一部の記述=評論=田中芳樹の真意」であることを実証していますし、私以外にも新Q太郎さんの書き込みなども、その証明になっています。そして、1703にて、『「こういう販売形態」を「悪く思う」』思想であることを実証したわけです。
もちろん、これらが完全無欠の真理であるなどというつもりはありませんが、一貫性のある論理で証明しています。
>田中氏本人がこういう販売形態自体を悪く思ってなかった『ら?』
>全面的な真意と言うわけではないのかもしれない『でしょう?』
と言うことで私の論理を否定するのであれば、これらが私の提示した論理よりも一貫していて説得力があることを証明して見せる必要があります。
田中ファンがどう捉えていようと、根拠のない『if』に依拠して根拠を打ち砕こうというのは、それこそトンデモ本的「暴論」です。
現在のままでは、「意見の相違」や「捉え方の違い」などではなく、圧倒的に私の方が正しい(あえて断言しますよ)。
田中氏本人がこういう販売形態自体を悪く思ってなかった『ら?』
全面的な真意と言うわけではないのかもしれない『でしょう?』
という事の『ら?』『でしょう?』の根拠を提示してはじめて、「意見の相違」や「捉え方の違い」として議論になるのです。
>小説家は自分が書いた小説の内部においては責任を持つべきだからです。ですが、それを持って実生活の上での行動まで縛られるべきなのでしょうか?
まず、上記にも書いたとおり私が指摘している部分は小説ではなく評論です。そして、田中芳樹は評論部分で現実社会の人間や現象を批判したり貶したりしています(余談を言うと某歌手Mは歌で現実の人や社会を批判したりバカにしたりはしていません)。また、現実世界の読者に呼びかけたりもしています。これを見ると、小説の中で表現が完結していると主張するのには無理があります。要は、評論がどういうワケだが創竜伝という小説中に紛れ込んでいるわけです。更に言えば、創竜伝という小説の中に、創竜伝という小説とは全く関係ないことが書かれているわけです。
>だからこそ、実生活での行動に批判を与えたいなら小説の中での事以外の部分での田中氏の発言やその他を持って言うべきでしょう
というsatokoさんの要求は満たしているでしょう?
少年Hの例に関しては、私が1703で何故執拗に田中芳樹の矛盾を指摘したのか、その理由を考えてみてください。そうすれば、自ずと少年Hの件と田中芳樹の件のテーマが違うことがおわかりになるはずです。
それから、余計なお世話なんですが、
>田中ファンに読んで欲しいと書いておきながら、田中ファンがこう捉えているのに「あれは本気で書かれた社会批評の部分であるから!」と押し切られて納得すると思われますか?
に関してですが、私の言葉が田中ファンに向いているのと同時に、satokoさんやsatokoさんが統括しているファンの言葉が、数百人のアンチファンや非ファンに向いていることをお忘れなく。「納得させてくれ」ではなく「納得させてやる」でなくては! 差し出がましい口をきいて恐縮ですが、老婆心から。
>管理人さん、新Q太郎さん
自分がはじめておいて本当に申し訳ないのですが、このまま続けていると学会に論文が間に合わなくなりそうなので、2週間ほど後まで待っていただいてもよろしいのでしょうか?もちろん、この期間にもう少し田中関連の資料なり関係者なりに意見を聞いてみようと思います。
その前に、ひとつだけ聞かせてください。管理人さんは要するに小説の評論といわれる部分以外の所で、他の小説家の販売形式などに口を出している田中氏というものの資料をまったく判断材料には入れてないのですね?あくまで小説の評論部分だけなのでしょうか?
とりあえず、そこの部分だけをお聞かせください。
ちなみに余談ですが、某歌手の例えは本人が同という実態ではなく、イメージを壊されたと言うことを攻撃の対象にしていることの例えで、彼が社会問題にうんぬん(実はこういうう歌もあるんですけどね)言ったということが問題ではないのですが。当然わかっててお書きになったと思うのですが。
私は自分がここまで他人に対して厳しく意見を言った以上、それ以上に激しく攻撃される覚悟はあります。それは、当然田中氏に対してあれだけ意見を言っておられる以上その覚悟はあると思うのですが、どうでしょうか?ただ、私が聞いた意見を率先して率いているようなかかれ方でしたが、あくまでここまでかいてきたことは、彼らの意見で一致した部分に過ぎませんのでそこのところをよろしくお願いいたします。
>宣和堂さん
上記のような理由で、管理人さんの意見を書いてからハードブックについてかくとかきこんだのですが、もう少し待っていただけるでしょうか?
ちょっと感情的になりつつあり、お腹立ちになることをかいてしまって申し訳ありませんでした。
satokoさんと管理人さんが議論しているけど、ちょっとだけ言わせてもらえば、やっぱり田中芳樹の態度って問題大有りだと思う。
べつに創竜伝の中から評論部分持ち出さなくても、続きを書かないって事実自体がすでにプロとしての倫理観を問われることだと思う。
私の街の紀伊國屋書店に「週間ベストセラーズ」って張り紙がしてあったけど、そこの文庫部門の1位が「創竜伝10巻」だったのを見て驚いた。
これ、新規よりもリピーターによるものではないのかな?だとしたらこの人達は何を思って買っていくのだろう。
たぶん、「ファンの私たちはしっかり田中先生を支えているよ。だから続きを書いてね」っていうメッセージではないのかな。
だったら田中芳樹はそういうファンに答える義務があるんじゃないかな。
続きを書くなら書く、書かないなら書かないで、はっきり態度を表明すべきだと思う。
その辺を曖昧にしてファンをヤキモキさせ、版形を変えた再版ばかりでは、そりゃ非難されて当然でしょう。
芳樹は続きを書く気がないのに再版で金を儲けてファンを食い物にしてるって。
そう後ろ指指されたくないのなら、中国物にうつつを抜かしていないで、今どこまで書いているとか、いついつ出す予定とかアピールすべきでしょう。
もっともアルスラーンの例もあるけど・・・。
プロのエンターティナーなら客を満足させてなんぼのもんだと思う。小説家であるなら作品を完結させる。これこそが問われるものであり、ここが出来てないところに、田中芳樹のプロとしてのいい加減さがあるんでしょう。