> 「この作品は日露戦争から……」そこが、駄目なんですよ。まず肝心の、弄っていく過程がほとんど欠落しているではありませんか。
そして正しいとか間違いではなく、「そこまで歴史を弄って書かねばならない作品か」というのが最初に感じてしまうんです。
結局、史実を上手いこと弄って、日本とドイツを(安心して?)戦わしたいというのが、見え見えなのです。あれだけ弄れば、「この作品世界では豚が空を飛んでも……」不思議ではありませんね。
豚が空を飛んでロンドンを爆撃したり、ティーガーに乗ってソ連軍を迎え撃ったりする漫画もありますし。
先にも書いたとおり、「仮想戦記」とは書きたい場面が先にあるものですから、そう見えるのが当然です。結局のところ、足つきジオングを作って喜ぶ心性と変わらないもので、あまり高尚な趣味とも思えませんので、ことさら理を唱えて反論することはしませんが。
> それに彼の大陸書房から出した「シミュレーション」には、同様な御都合主義満載で、読んでいて失笑を禁じ得なかったですよ(これは断じて、「小説」ではありませんね)。
小生には、佐藤やファンのそういう甘ったれた考えこそが、歴史を冒涜していると思えるんですよ。
「藤大輔」名義で構成をしている漫画なども、さらにぶっ飛んでますけど、これらは所詮遊びです。歴史に対する冒涜という点では、むしろまじめな歴史書の体裁をとってろくでもないことを書いている本の方が罪は重いと感じます。
> もっとも小生が「レッドサン」を例としてあげたのは「売れ行き」に関してであって、「内容」は個人的な感想を纏めただけだったはずですが。
むしろheinkel氏。「内容」について以上に、どうして途中で文庫(書き下ろし)からノベルズになったのかという小生の考察への感想のほうを伺いたかったですけどね。
これが本題ですね。私も内容についてではなくて、批判手法について書いたつもりです。
まず、ノベルズに関する考察については、あらかた的確だと思います。そのような出版の状況もあるのでしょう。「レッドサン」もその範疇で語れることだと思います。
では他の形態はどうなのかという疑問もありますが、先の投稿はこの状況分析に対する反論が主題ではありません。
まさにファン論争とも関わってくることだと思いますが、先の投稿で言いたかったことは、つまり「甘えることの出来る状況」と「状況に甘える作家」の問題は、厳密に分けてしかるべき、ということです。
まして「状況に甘える作家」の例を出して「甘えることのできる状況」を批判するには当たらないと考えて、その反証として「銀英伝」や「クズなハードカバー」を持ち出したのですが、実際「銀英伝」は古いにしても、今でもその「甘えることの出来る状況」から作家が育つこともある話でしょう。またそのような状況で真摯に作品を書いている作家もいるでしょう。
鶏と卵の話で言えば、「作家」が始まりであると「考えるべき」です。
その逆として、「甘えることの出来る状況」で具体的な「状況に甘える作家」及び作品を説明するのもまた違うと思います。
前にも書いたような気がしますが、例えば小室サウンド隆盛を、音楽業界においてミリオンヒットといえば、かつて広い世代で支持されたものであったのが、現在では、ある特定層に集中的に売れているものになっている、そのような状況下におけるマーケティング手法で説明することは間違いではない。しかしこれでは結局「小室サウンドとはなにか?」についてはなにも語っていない、と思うのです。
つまり、個別の作品に対する評価を行うのに、背景となる状況を強調しすぎるのは、かえってマイナスであると考えるわけです。
heinkel氏へ
おっしゃらんとすることは承知できますが、何か勘違いされているのでは?
小生は「銀英伝」や「創竜伝」、そして「レッドサン」という個々の作品ではなく、ノベルズ全体のあり方について疑問を提示したのです。帰省の直前で長々とは書けません(書いているやないけ!)が……。
>「甘えることの出来る状況」と「状況に甘える作家」の問題は、厳密に分けてしかるべき、ということです。まして「状況に甘える作家」の例を出して「甘えることのできる状況」を批判するには当たらない……
「状況に甘え」ているのは、作家だけではないでしょう。その「状況」を取り巻いているのは、編集者であり、読者でもあるんですから。
「厳密な区分」など、できるのでしょうか?
その「状況」も、結局は人為的なものだと小生は考えていますがね(もうこうなると、価値観の相違だけになっちゃいますけど)。
ともかく一時の邦画界では「不況にならないと映画が流行らない」から不況を期待した制作者がいたり、中小の出版社では「ウチの本は売れない。つまりいい本を出している」とのトホホな考えをした編集者までいたそうですから。
ろくでもない奴は、どこにでもいると言うことですか。
・佐藤大輔について
佐藤大輔のファンには、本当にユニークな方が多いですね。ここで彼を批判するのは場違いなので止めておきますが、かつて残間里江子女史が浅田彰について語った言葉で締めておきましょうか。
「たとえ卑怯者と呼ばれてもいい。
私は、あの顔が嫌いだ」
本年の小生の書き込みは、これで最後です。
管理人氏、冒険風ライダー氏、不沈戦艦氏、Heinkel氏。そして皆さん、良いお年を。
> ・佐藤大輔について
> 佐藤大輔のファンには、本当にユニークな方が多いですね。ここで彼を批判するのは場違いなので止めておきますが、かつて残間里江子女史が浅田彰について語った言葉で締めておきましょうか。
> 「たとえ卑怯者と呼ばれてもいい。
> 私は、あの顔が嫌いだ」
>
> 本年の小生の書き込みは、これで最後です。
> 管理人氏、冒険風ライダー氏、不沈戦艦氏、Heinkel氏。そして皆さん、良いお年を。
主題とは関係ないようですが、一応名前出されましたのでお返事です。
速水右近さん、よいお年を。
まあ私個人の事を書くと、佐藤大輔はそんなに好きでもないです。どっちかと言うと横山信義ファンですね、私は。佐藤大輔について論じるページではないとは思いますが、ちょっと脱線ついでに。
「征途」はそこそこ面白かったと思いましたけど、どうも他はクドすぎるのであまり趣味じゃありません。「読んでいて疲れる」が正直な感想です。「レッドサンブラッククロス」も、人道云々別にしても、「戦争に至る日独の対立点」、ってのがあまり実感的じゃないので、「レッドサン」に限らず日独戦ものは「嘘がうまくない」と思ってしまうので、あんまり関心ないですね。ヒトラーはヨーロッパロシアを欲しがっていただけ。仮に戦争に勝っても、アジアまで来るか、って言うとかなり疑問だと思いますので。逆に日本はヨーロッパの戦いに介入するつもりも国力もありませんでしたし。対立点があるとは思えないので。
まあ、佐藤大輔の顔は私にとってはどうでもいいですけどね。
「不沈戦艦」なんて名乗っていますから架空戦記ファンなのは解りきってると思いますけど、架空戦記ファンだからと言って、全部が全部佐藤大輔ファンではない、とは言っておきましょう。別に嫌ってはいませんけどね。
正論や歴史的事実などは、休日あるいは暇な時間に金を出してまでは読みたくない。ノベルズ作家の一時隆盛の原因はこれではないでしょうか意図して書いておられたのかどうか、私には分かりませんがこの昨今の風潮は
>「たとえ卑怯者と呼ばれてもいい。私は、あの顔が嫌いだ」
まさしくこの言葉に集約されているように思います。ただ、その態度はそれほど悪いものとも私は思いません。特に実生活では真面目にやっている方の趣味がそうであった場合はとくにそうです。そんな方に
「そんなものは無駄だから読むな。」
というのは酷ではないかと思います。起こってしまった歴史や今目の前の現実から目を背けるのは卑怯かもしれません。でも、かまわないんじゃないんでしょうか。受験勉強で疲れた頭を休めるため、爽快な宇宙艦隊決戦を読む。アルバイト先で上司に怒られて帰ってきた夜、代償行為として竜堂兄弟がいやなやつを理屈抜きでぼこぼこにしてくれる。そして明日からはまたがんばれる。そんな方々のためのストレス解消道具の制作者として氏は必要とされ、また、そんな方々に氏は優しく寛容であり、そのニーズをとらえそれに答えるという点では誠実なのではないでしょうか。
>それにしても「現代人のストレスの発散させる目的の文字の連なり」、・・・ロコツですねー(*^^*;
私も銀河英雄伝説のファンサイトであれば、上段の事も含めこんな事は書きません。また、このHPは暇つぶし、議論のための議論に堕しないことを標榜しておられるので敢えて書かせていただきました。
というよりですね。この前、下書きしたものなどはもっとすごかったんですよ。(^^) ちょっと別の話題ですけど。ご希望でしたら24時間限定で公開しようかな。
なんだか、おひさです。
> ノベルズ
論旨には賛成ですけど、創竜伝がよくやり玉にあがるのは単に「無駄」だとかの問題ではないからであって、銀英伝と同列に論ずるのは、ちょっと乱暴ではないかと。
あえて、そうしてるのでしょうけどもね。
> ご希望でしたら24時間限定で公開しようかな。
ご希望ですけど、24時間限定だと見てない可能性もあるなぁ・・・っていうか、いったいなにを書くつもりだったんですか(^^;;
やっぱ、やめとこうという場合も私信ででも見たいです。
あと、全く別の話。
先日発売された佐藤大輔「地球連邦の興亡4」巻末のトクマノベルズの紹介、佐藤大輔と田中芳樹の名前しかない・・・ううっ、お二人で頑張って徳間書店を支えてあげてね(悲)
それから、メガドライブFAN以来10年の歴史を誇るセガ系雑誌、徳間書店「ドリームキャストFAN」が2月号で休刊となりました。ゲーム雑誌のレビューを考えるコーナーなど、有終の美を飾る企画が郷愁を誘います。ゲーマーな方はその最後を看取ってあげてください(泣)
> 正論や歴史的事実などは、休日あるいは暇な時間に金を出してまでは読みたくない。ノベルズ作家の一時隆盛の原因はこれではないでしょうか……
> 「そんなものは無駄だから読むな。」
> というのは酷ではないかと思います。起こってしまった歴史や今目の前の現実から目を背けるのは卑怯かもしれません。でも、かまわないんじゃないんでしょうか。受験勉強で疲れた頭を休めるため、爽快な宇宙艦隊決戦を読む。アルバイト先で上司に怒られて帰ってきた夜、代償行為として竜堂兄弟がいやなやつを理屈抜きでぼこぼこにしてくれる。そして明日からはまたがんばれる。そんな方々のためのストレス解消道具の制作者として氏は必要とされ、また、そんな方々に氏は優しく寛容であり、そのニーズをとらえそれに答えるという点では誠実なのではないでしょうか。
確かに娯楽まで堅苦しい思いをすることはないでしょう。アニメやゲームで顕著なように、剣と魔法でチャンチャンバラバラとか巨乳ねーちゃんのおっぱいボヨヨンとか、そういう思考ゼロ路線のものが、小説におけるノベルスかも知れません。
ならば、徹頭徹尾娯楽で筋を通すべきなのです。
中途半端に社会評論を入れたりするべきではない。たしかに反抗期少年の憂さ晴らしにはなるかも知れませんが、「思考」するものである以上は、自分の売り物に責任を持つべきなのです。
> というよりですね。この前、下書きしたものなどはもっとすごかったんですよ。(^^) ちょっと別の話題ですけど。ご希望でしたら24時間限定で公開しようかな。
ぜひ見てみたいですね。よろしかったら一度お願いします。
どうも、久しぶりです。再度同趣旨の内容を投稿します。
古くからノベルズを読んできた人間にとって、現在のノベルズは、それまでの小説とはあり方が異なっているように写ります。
もともと小説=とくにエンターティメント系とは、不特定多数の読者を相手に書かれていたはずです。ですが今日のノベルズでは、「特定多数の読者」向きに書かれている作品のほうが多いといっても過言ではないでしょう。
そのようなものを「小説」と呼ぶかどうか、これは各自が決めればいいことですから深く追求しません。ただ特定多数の読者が高く評価しているから、それが「いい小説である」とは言えないはずです(それこそエンターティメントにおいては)。
私見ですが、現在のノベルズ作家のファンは、「自分が評価している=いい小説である」という思い込みが、他の小説の読者よりも強いように感じられます。作品世界に過剰に没頭しているから、そう考えてしまうのでしょうか? そんな読者を多く持つ作家は、果報者ですね。
また作家も特定の読者を相手にしているから、「好き勝手なこと」が書けると言えるのではないでしょうか。それこそ『創竜伝』や『紺碧の艦隊』における政治思想ホニャララというのも、作家が「読者に甘えている」から許される行為ではないか、とも考えられます。
こう見ると、ノベルズ作家と読者との相互依存が強すぎるのではないでしょうか。これは「いいOR悪い」以前に、どこか不自然だと感じるのですが。
小生は、どれほどくだらない小説であれ、「読むな」とは言いません。ただノベルズが現状のままであるなら、「あまり読んで貰いたくない」としか言えません。
ドリームキャストFAN廃刊について
ゲーマーじゃありませんが、なにか感慨深げですねぇ。徳間の雑誌(どのジャンルでも)はことさら評判が悪い(売れた雑誌の二番、三番煎じをやるため)んですが、これは編集者の問題ではなく、上層部の体質ですけども。
ともかく、徳間の経営が危ないというのは、単なる噂ではないかもしれないですね。
お久しぶりです。
> ノベルズについて
どう評価するかについては意見が分かれるところでしょうが、現状認識においては、あまり差は無いと思いました。
ただ、私が疑問なのは「創竜伝」についてです。
このサイトを見ても分かるとおり、かなりコアなファンからの不評を買っていて、読者との相互依存関係という言葉とはちょっと違うようです。にもかかわらず売れている。しかも文庫化されている。
この点から見ても「創竜伝」の問題は、ノベルズの構造とはまた別であると感じます。むしろ、通常のノベルズ作家の範疇を越えて売れてしまったが故の悲劇といえるのではないでしょうか。
・・・いや、売れているんだから本人にとっては悲劇でも何でもないんですけどね。
例えて言うならば、一部おたくをねらって制作されたギャルゲーのくだらなさではなくて、大いに売れて、ついに新作で不評を買ってしまったファイナルファンタジーのろくでもなさ、といったところでしょうか。
> ドリームキャストFAN廃刊について
日ごろはソフトバンクの方の読者だったので、徳間の方はライバル誌といった感じだったのですが、いざ無くなるとなると感慨深いです。
「DCマガジン」の前身の前身の前身「Beep」を出していたころのソフトバンクはいくつかのコンピューター専門誌を出しているだけの小さな会社だったように思いますが、それが今や時代の寵児。一方徳間は・・・。
heinkelさんは書きました
> > ノベルズについて
>
> どう評価するかについては意見が分かれるところでしょうが、現状認識においては、あまり差は無いと思いました。
ただ、私が疑問なのは「創竜伝」についてです。
> このサイトを見ても分かるとおり、かなりコアなファンからの不評を買っていて、読者との相互依存関係という言葉とはちょっと違うようです。にもかかわらず売れている。しかも文庫化されている。
ほぼ認識は同一だと思われます。
しかし氏の述べられる「このサイトのコアなファン」と、いわゆる「田中信者」と言われるファンの差は、小さいようで大きいものではないでしょうか?
ここのファン=自分の好きな作品を、批判的に考えられるファンは、まずファンであるよりも、「一読者」であることを重要視していると思われます。他方、狂信的なファンは、自分が「一読者」であること以上に、ファンとして求めるものを優先していると感じられますが。
極端な話、後者のファンは、「自分だけが楽しめばよく」、他の読者はおろか、その作家の持つポテンシャルまで否定しかねないのでは?
しかし、「それでも売れればいいや」と考える作家も、今日では増えている、というのもまた事実です。それが一部読者と作家の悪しき相互依存なのですが。
たしかにそういう状況は、メディアミックスの行き過ぎた某文庫やハードカバーでもありることです。ですがその比率が、ノベルズというジャンルのなかで多いような気がするのですよ。値段的にも部数的にも中途半端な出版形態にとって、「確実に読者をゲットする」(ポケモンか?)のは重要なことなのですから……。
> 「創竜伝」の問題は、ノベルズの構造とはまた別であると感じます。むしろ、通常のノベルズ作家の範疇を越えて売れてしまったが故の悲劇といえるのではないでしょうか。
この部分は、若干認識が異なります。少なくとも私は、「田中芳樹はもっと書ける(書けた)作家だ」と思っています(いました?)から。というか、(ここで指摘されているミスを見逃したとしても)『銀英伝』を書ける作家なら、充分ハードカバーでも勝負できると思っている(これも過去形かな)のですが。
> ・・・いや、売れているんだから本人にとっては悲劇でも何でもないんですけどね。
いや、一番の悲劇は、自分の悲劇を自覚していないことでしょうけど(田中芳樹の好きそうな書き方だなぁ)。
捕捉
ドリフターズ的なおふざけ 『銀英伝』出版シミュレーション
命題1 「もしも『銀英伝』が、最初からハードカバーだったら」
小生の見解 初版は四〇〇〇くらいが御の字でしょう。でも徐々に人気が出て……早めに文庫化されていたかも? 個人的には、こっちのほうが有り難かったな。
命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。
初版刷りきりで済むか。いやいや、それこそ私が編集長だったら、ぜーったい(強調!)出版の許可は出さんよ。
それか反対に、もっと洗練した作品になっていたという可能性も、ないことはないでしょうけどね(一割ぐらいか?)。
> ここのファン=自分の好きな作品を、批判的に考えられるファンは、まずファンであるよりも、「一読者」であることを重要視していると思われます。他方、狂信的なファンは、自分が「一読者」であること以上に、ファンとして求めるものを優先していると感じられますが。
> 極端な話、後者のファンは、「自分だけが楽しめばよく」、他の読者はおろか、その作家の持つポテンシャルまで否定しかねないのでは?
誤解を恐れずにいえば、狂信的なファンというよりは、極度の利己主義者ではないかと思います。狂信的というには、何を信じているのか見えて来ない(以前のファン論争で「別に田中芳樹の思想はどうでも良くて創竜伝が面白いと思うから読んでいる」という話がありました)。むしろ、狂信という意味では、田中芳樹の思想を田中芳樹に当てはめている私や常連の方のほうが田中原理主義的かもしれません。
なんか逆説的ではありますが…
> > ・・・いや、売れているんだから本人にとっては悲劇でも何でもないんですけどね。
> いや、一番の悲劇は、自分の悲劇を自覚していないことでしょうけど(田中芳樹の好きそうな書き方だなぁ)。
実は思想がどうのってことをいちいち書くのを止めればその悲劇の度合いは相当に減少するのでしょうけどね(物語が書けなくなったんだな、で済む)
> 捕捉
> ドリフターズ的なおふざけ 『銀英伝』出版シミュレーション
> 命題1 「もしも『銀英伝』が、最初からハードカバーだったら」
> 小生の見解 初版は四〇〇〇くらいが御の字でしょう。でも徐々に人気が出て……早めに文庫化されていたかも? 個人的には、こっちのほうが有り難かったな。
> 命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
> 絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。
> 初版刷りきりで済むか。いやいや、それこそ私が編集長だったら、ぜーったい(強調!)出版の許可は出さんよ。
> それか反対に、もっと洗練した作品になっていたという可能性も、ないことはないでしょうけどね(一割ぐらいか?)。
これ、おもしろいですね。ハードカバーの権威も解体されたと思っていましたが、なるほど、こう考えるとまだ相応という気もします。確かに「ノベルス界のスーパースター」(by講談社)という称号は言い得て妙ですね。
愛蔵版創竜伝とかあったら笑えるのだろうなぁ。休日一日本屋に張り付いてどんな輩が買うのか観察してもいい!(笑)
すいません。折角「ドリフ」と振っておいたくせに、オチを忘れてました(わざわざ送る私も、律儀というか阿呆だなぁ)。
編集長役のいかりや長介「駄目だ、こりゃ」
(SE)♪ぱらぱらばら~
タイトルは『もしもこんなノベルズ編集部があったら』。
田中芳樹役は、志村けんでしょうね(御髪のあたりが……)。
> 愛蔵版創竜伝とかあったら笑えるのだろうなぁ。休日一日本屋に張り付いてどんな輩が買うのか観察してもいい!(笑)
さすが管理人。ナイスなツッコミですねぇ。講談社に、出すようみんなで嘆願書でも出しましょうか?
しかし「ノベルズ界のスーパースター」といっても、結局自分たちで「ハードでは売れない」ということを認めているようなものでしょう。やぶ蛇ですよね。
個人的には、『銀英伝』を書ける作家なら、ハードカバーで、もっと一般受けする作品を出すべき。いや、出すのが作家としての責任だと思っていましたが。しかし田中は作家として新境地を開くより、ノベルズの居心地の良さに魅力を感じたのでしょうか。
となると、『創竜伝』執筆開始の段階で、田中芳樹という作家は燃え尽きていた=「死に体」だったのかも知れませんね。
追伸 『東京ナイトメア』をいくつかの書店で調べましたが、全部初版でした。やっぱり、特定ファンだけしか買っていないのでしょう。
heinkelさんは書きました
> 例えて言うならば、一部おたくをねらって制作されたギャルゲーのくだらなさではなくて、大いに売れて、ついに新作で不評を買ってしまったファイナルファンタジーのろくでもなさ、といったところでしょうか。
ファイナルファンタジーという優良作品を作ったスクウェアが
趣味で作ったクソゲー(あるいはサガシリーズといった完成度の
低いゲーム)がよりふさわしいのでは?
作者=田中芳樹=スクウェアという図式です。
個人的にサガシリーズは好きなのですが、完成度の面でこのように
書きます。
仕事先で話していて、昔見たニュースの一シーンを思い出したので書いておきます。
たしか新幹線開業何周年かで、どれだけ便利になったか、という主旨のインタビューをやってました。大半の人は「便利になった」と笑顔で語ってましたが、ある年輩の男性だけは、「なくてもよかった」と真顔で言っていました。理由は、「便利になったぶんだけ、それほど親しくないような知人の結婚式や意味のない打ち合わせなど、つまらない用件でも東京に行く用事が増えたから」でしたが……。
「便利」ということが、「豊かになった」ということと等式ではないことをはじめて知り、子供ながらに驚いたものです。
さて、たしかにノベルズという出版形態は(小説好きにとっては特に)便利です。しかしメリットと言えば価格が安く、点数が増えたというぐらいで、他にそれほどないでしょう。「安くて出版点数が多い」から、「読者が得をした=面白い小説が増えた」ことにはなりません。
いや、低価格になれば、つまらないものまで二冊三冊と買ってしまうことだってありかねません。反対にハードカバーだと、買うほうも高価になる分、選択するという行為が必要になります。買い手にも、いままで以上に自己責任が付きまとうはずです。
そうなれば作家のほうも自然と、「選択に耐えられるだけの作品」を供給しなければならないでしょう。書き手もまた、現在以上の責任を負うことになるのですから、田中芳樹も『創竜伝』なんて駄作は、まかり間違っても書けないでしょう。
となると、何のためにノベルズという中途半端な存在があるのか、やはり疑問です。あるとすれば、読者と無関係な部分(あけすけに書けば、小説編集者の新刊ノルマ)ではないでしょうか。
読者が「面白い小説を読みたい」という権利を守るために、私はこういう意見を声を大にして言いたいものです。
「(少なくとも現在の)ノベルズなんかいらない!」
NNGさんは書きました
> ファイナルファンタジーという優良作品を作ったスクウェアが
> 趣味で作ったクソゲー(あるいはサガシリーズといった完成度の
> 低いゲーム)がよりふさわしいのでは?
FF8について、売れていること、批判者も多いが評価している人もいること等の現象面から、この例えにしました。たしかに完成度の面から言えば、不適切きわまりないですね。
>小生は、どれほどくだらない小説であれ、「読むな」とは言いません。ただノベルズが現状のままであるなら、「あまり読んで貰いたくない」としか言えません。
>読者が「面白い小説を読みたい」という権利を守るために、私はこういう意見を声を大にして言いたいものです。
「(少なくとも現在の)ノベルズなんかいらない!」
?
前者ではノベルズを読むなとは言わない(読んでもらいたくないが)と言っているのに後者では”いらない”なんですか? ”いらない”から無くなってしまったら読みたい人が読めなくなってしまいますよね。それとも”いらない”けどあってもいいってことなんですか?
>タナカ・デイリーストアの販売戦略について論じている
ええ、田中氏の執筆方針(戦略)に大幅な変更があったから代表的なこの二つの作品に差異が生じたのだろうか。もしそうであるならば、その原因の究明と対策を論ずることも可能かと考えたもので。まぁ、私は違うと思い(田中氏はずっと市場重視主義と仮定しました。)そう書いたんですが。そうか、お二人にも同意されてしまったか。(^^;)ということはそっち方面からのアプローチは望み薄ですかね。
> ならば、徹頭徹尾娯楽で筋を通すべきなのです。中途半端に社会評論を入れたりするべきではない。たしかに反抗期少年の憂さ晴らしにはなるかも知れませんが、「思考」するものである以上は、自分の売り物に責任を持つべきなのです。
批判すべき主要な部分は本来エンターテイメントであるはずの小説に田中氏が評論もどきを入れているという点ということですね。となると管理人さんに一つ確認したいことがあります。氏以外の作品中でもみられる、ある程度の矛盾点(作中の論理や思想、設定等)についてです。これはこのホームページ(BBS)の本来の批判対象ではないということでよいでしょうか?いや、小説一般に見られるような問題点を批判していくと広くなりすぎちゃうかなと思いまして。さらに、ファンの方から
「その程度のことは**氏も××氏もやっている。田中氏のみをその点をもって批判するのはおかしい。」
と言われたときになんと反論して良いのか私にはわからないのです。
> なんだか、おひさです。
いやぁ、実はですね。途中で横槍を入れては失礼だと思ったので終わるのを待ってたんですよ。なにがって、その…
限定公開しようかどうか迷っていたものの内容は田中氏の想定した購買層(読者像)というやつです。作品中に感情移入するであろう登場人物の設定から導いてみた想定でした。機械的に一項ずつ挙げていったつもりだったのですが、気付いたら田中氏ファンに対する人格攻撃に取られかねない内容になってしまいました。(^^;)具体的な内容は一つだけでご勘弁を。登場人物から才能部分を取り払えばだいたいわかるかと思います。書き込まないで各自でのご想像をお願いします。
1. 文系、読書好き。
heinkelさんは書きました
> FF8について、売れていること、批判者も多いが評価している人もいること等の現象面から、この例えにしました。たしかに完成度の面から言えば、不適切きわまりないですね。
なるほど、売れているという視点がありましたね。
俺のは製作者とシリーズ作品の完成度でしかなかったですね。
そういえば田中芳樹の作品ってどれだけ売れているかって分かるので
しょうか?シリーズトータルでなく、各巻毎に分かるといいのに。
銀英伝と創竜伝ってどっちが売れているんでしょうか?
創竜伝は巻が進むたびに発行部数減っているんだろうなあ。
> 前者ではノベルズを読むなとは言わない(読んでもらいたくないが)と言っているのに後者では”いらない”なんですか? ”いらない”から無くなってしまったら読みたい人が読めなくなってしまいますよね。それとも”いらない”けどあってもいいってことなんですか?
あのぅ、私の書いているのは、「出版形態」についてなのですが。それと「作品」とを、勝手に混同しないで欲しいですね。
「作品」なら、どんな「形態」でも出せるでしょうに。
> 批判すべき主要な部分は本来エンターテイメントであるはずの小説に田中氏が評論もどきを入れているという点ということですね。となると管理人さんに一つ確認したいことがあります。氏以外の作品中でもみられる、ある程度の矛盾点(作中の論理や思想、設定等)についてです。これはこのホームページ(BBS)の本来の批判対象ではないということでよいでしょうか?いや、小説一般に見られるような問題点を批判していくと広くなりすぎちゃうかなと思いまして。さらに、ファンの方から
> 「その程度のことは**氏も××氏もやっている。田中氏のみをその点をもって批判するのはおかしい。」
> と言われたときになんと反論して良いのか私にはわからないのです。
私の本論3に顕著なように、わざわざ不必要な評論を入れることによって、本来の目的である物語部分が破綻してしまっているので、批判の対象にしています。
多少論点が外れるかも知れませんが、例えるなら…
寿司を食べたくて寿司屋に入ったら突然頼んでもいないラーメンが出てきて(しかもまずい)、しかも厨房がラーメン用なっているために寿司が満足に作れなくなっている…みたいな感じだと思います。
この例えで言えば、寿司屋として頑張って寿司がまずい(小説として矛盾があるなど)のはとても残念だけど、しょうがないと思うのですよ。しかし、そうではなく、余計なラーメン(評論)をしたせいで本業をないがしろにしたら、寿司屋(作家)として職業倫理を問われるべきだと思います。
まあ、本当は「寿司屋の寿司が不味い」というのは批判されてしかるべきだと思うので(笑)、批判しますが、決定的な違いはそういうところです。
では一般的なノベルズ(内容)は他の出版形態で採算がとれるでしょうか? ご指摘されるように特定多数の読者である以上、文庫ではいかに単価が安かろうと、一定以上の数は難しいでしょうし、祖利益の高いハードカバーでは
>命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。
のようになってしまう公算が高いと思います。ノベルズ(内容)とノベルズ(出版形態)は不可分とは言えませんが(出版社の予想通りに売れるとは限らないため)、大筋同じではないかと考えています。
確かにノベルズ(内容)をどんな形態でも出すことが出来るという主張は分かりますが、資本主義社会で現実に出版するにはノベルズ(出版形態)を選択するのがベストではないかと。
その辺の前提で書いたことをご理解ください。
匿名希望さんは書きました
> では一般的なノベルズ(内容)は他の出版形態で採算がとれるでしょうか? ご指摘されるように特定多数の読者である以上、文庫ではいかに単価が安かろうと、一定以上の数は難しいでしょうし、祖利益の高いハードカバーでは
>
> >命題2 「もしも『創竜伝』が、最初からハードカバーだったら」
> 絶対売れてませんぜ(哄笑)。それこそ田中信者も、一四〇〇円払っていたら、怒っているだろうね。
>
> のようになってしまう公算が高いと思います。ノベルズ(内容)とノベルズ(出版形態)は不可分とは言えませんが(出版社の予想通りに売れるとは限らないため)、大筋同じではないかと考えています。
>
> 確かにノベルズ(内容)をどんな形態でも出すことが出来るという主張は分かりますが、資本主義社会で現実に出版するにはノベルズ(出版形態)を選択するのがベストではないかと。
>
> その辺の前提で書いたことをご理解ください。
あのぅ、それって、ただ出版社サイドの都合だけではありませんか?
いちばん肝心な、読者の立場はどうなるのでしょう。出版社が採算をとるためにつまらないものを読まされては、たまったものではありませんぜ。
『創竜伝』や『ほにゃららの艦隊』という作品自体出たって私自身構いません。また、それを読む読者の自由も認めましょう。
しかしノベルズという形態が現在のようになってしまった以上、二作のように作者が甘えた作りの作品を産み出した、ということもまた事実です。どこかで悪循環を絶つなら、まずノベルズという形態素のものの見直しくらいしか手を思い付きませんでしたが?
それこそ「『創竜伝』が最初からハードカバーだったら」、著者もああいう無茶な展開も書けなかったでしょうし、ファンも軽々しく買えない=もっと評価を厳しくしたでしょう。無論そんな「IF」を仮定したところで、どうなることでもありませんけどね。
ともかく「まず(不特定多数の)読者(が読める作品)ありき」を最優先すれば、ノベルズという形態がなくなっても、別に構わないのではありませんか? 本当のファン、また「面白い作品を読みたい」という読者なら、価格が倍ぐらいになっても買いますよ。現実にハードカバーのベストセラーだってあるのですから。
それこそ作品の評価は、形態では計れないはずです。
>あのぅ、それって、ただ出版社サイドの都合だけではありませんか?
>いちばん肝心な、読者の立場はどうなるのでしょう。
いいえ。”資本主義社会で実際に出版できる”のは、適正な価格でノベルズ(内容)を手に入れたい特定多数読者(買い手)や才能的に発展途上の作家さん(売り手)等の立場を内包していればこそです。
>出版社が採算をとるためにつまらないものを読まされては、たまったものではありませんぜ。
特定多数の読者達にとってはたいしてお金も出さずに気軽に読めるので別にかまわないでしょう。それ以外の人はそもそも買わないんですし。強いて言うと、表紙につられたとかで、まちがえて買った人ぐらいしか被害者は出ないのでは?
>『創竜伝』や『ほにゃららの艦隊』という作品自体出たって私自身構いません。また、それを読む読者の自由も認めましょう。
しかしノベルズという形態が現在のようになってしまった以上、二作のように作者が甘えた作りの作品を産み出した、ということもまた事実です。どこかで悪循環を絶つなら、まずノベルズという形態素のものの見直しくらいしか手を思い付きませんでしたが?
甘えの構造には同感です。ただ、ほっておいて良いのではないんでしょうか。そのうち腐っていくんじゃないかと。まぁ、あらたに生じてくる分野(特定多数読者群)もあるのでしょうけど。
>それこそ作品の評価は、形態では計れないはずです。
全くその通りだと思います。
匿名希望さんは書きました
> >あのぅ、それって、ただ出版社サイドの都合だけではありませんか?
> >いちばん肝心な、読者の立場はどうなるのでしょう。
>
> いいえ。”資本主義社会で実際に出版できる”のは、適正な価格でノベルズ(内容)を手に入れたい特定多数読者(買い手)や才能的に発展途上の作家さん(売り手)等の立場を内包していればこそです。
>
> >それこそ作品の評価は、形態では計れないはずです。
>
> 全くその通りだと思います。
>
以前も書きましたが、もともとノベルズが出された理由とは発展途上の作家にチャンスを与えたり、それほど需要はないけど良質なアンソロジーを提供するために出されたものでした。ですが現在、その流れを汲んでいるのはどれだけあるでしょうか。それこそ講談社と光文社のミステリーものぐらいではありませんか?
他社=後期参入のノベルズは、ノベルズができた目的からは明らかにずれています。それこそ管理人氏が書かれたような、「田中芳樹=ノベルズ界のスーパースター」って言葉は、矛盾しまくってますね。あのクラスになれば、わざわざノベルズ(というジャンル)に固執する必要もないでしょうに。
「若手にチャンスを与える」ためのジャンルが、いつしか利益優先のために“売れっ子作家”を投入する。これは矛盾ですよね。しかも“売れっ子”やベテランを投入したところで、全体のレベルが上がっているとはお世辞にも言えない。
それなら、現状を一度リセットするためにも、ノベルズをなくすぐらいの荒療治をやってもいいのではありませんか? 少なくとも、読者はさほど困りませんし……。
また『創竜伝』や『ほにゃららの艦隊』にしたところで、作者に自信があれば、最初っからハードカバーで出せばいいのです。そして本当にファンだと言える読者は、買えばいいでしょう。自分たちだけで、勝手に内輪の楽しみをやっていればいいではありませんか。
そちらのほうが、はるかに健全な特定読者の楽しみ方だと思いますよ。○○クラブの適性価格がいくらだろうが、価格が下がろうが、一般人は行かないんですから(笑)。
毎度、お世話になっております。
好き勝手にお馬鹿なことを書いて、御免なさいね(多謝々々)。
さて「ノベルズの存在意義」などを書いたあと、少々自分なりに考えてみたのですが……。現在の「ノベルズ」というジャンルが、いままでの小説とは明らかに別のものになってしまった、という考え方は出来ないでしょうか?
従来の小説は、(いい意味で)読者を不安に陥れ、それから感動させるといった「作家の芸」が必要でしたが、「現在のノベルズ」はそうでは計れないものに変質しつつあるような気がします。
「キオスク文学」〈=キオスクで売っていて、誰でも三時間あれば読めるという意味)という言葉を聞きましたが、これらの読者の求めているものは「感動」ではなく、「安心」なのではないでしょうか。
こう考えると、「ノベルズのなかに間違いがある」のは、「必要悪」というか、やむを得ないことなのかも知れませんね。また「ノベルズ」のミスをつつくのは、逆にこちらが相手を「小説」と見なしているとも言えるでしょう(もっとも、その程度の「ノベルズ」に「政治批評」を入れるのは、そもそも間違いなのですが)。
たしかに『創竜伝』は、ひどい。『ほにゃららの艦隊』は無茶苦茶だ。西村●太郎は、旅行に行ったことがない!(☆)
しかしそれもこれも、「ノベルズ」という特殊な環境のなかだからこそ許されたという表現も、可能なのではないでしょうか?
指名回答のようですが、御意見を拝聴できれば有り難く思います。早々
☆ あたしゃ一冊読んで、電車の窓から投げ捨てましたから(『ミステリー列車が消えた』)。
それに以前放送されたテレビの二時間ものでも、大爆笑しましたよ。
早朝の米原で殺人を犯した犯人が、東京に戻ってアリバイを完成させるため、大雨のなか名神を120キロで二時間ぶっ飛ばし、大阪空港に行くんですから。大雨の名神をそんなスピードで飛ばすのが、どれだけ怖ろしいか(特に天王山トンネルのあたりは、事故が多発している)。しかもそんな雨だったら、飛行機が飛ばない可能性もある。
それなら名古屋か岐阜まで走って、一番の新幹線を捕まえたほうが確実でしょうに。
> 毎度、お世話になっております。
> 好き勝手にお馬鹿なことを書いて、御免なさいね(多謝々々)。
どうも、こちらこそ話題を提供していただきお世話になっております。
> 「キオスク文学」〈=キオスクで売っていて、誰でも三時間あれば読めるという意味)という言葉を聞きましたが、これらの読者の求めているものは「感動」ではなく、「安心」なのではないでしょうか。
> こう考えると、「ノベルズのなかに間違いがある」のは、「必要悪」というか、やむを得ないことなのかも知れませんね。また「ノベルズ」のミスをつつくのは、逆にこちらが相手を「小説」と見なしているとも言えるでしょう(もっとも、その程度の「ノベルズ」に「政治批評」を入れるのは、そもそも間違いなのですが)。
「キオスク文学」=「ノベルス」「ライトノベル」という定義はなかなかいいところをついていると思うのですが、だから腐っててもしょうがないとは私は思いません。
たとえば、立ち食いそばのそばは、そばの名店のそばとは似て非なるものでしょう。しかし、立ち食いそばが名店に絶対かなわないからといって、賞味期限の切れたものを出したり、あげの入っていないきつねうどんを出して許されるはずがありません。
「キオスク文学」というジャンルの需要がある以上、そのジャンルの制限の中で、まともなものが出せるよう精一杯の努力をするのがプロというものではないでしょうか? 必要なのは仕事の中身であり、「小説かキオスク文学か」という入れ物ではないと考えます。
> 「キオスク文学」というジャンルの需要がある以上、そのジャンルの制限の中で、まともなものが出せるよう精一杯の努力をするのがプロというものではないでしょうか? 必要なのは仕事の中身であり、「小説かキオスク文学か」という入れ物ではないと考えます。
おっしゃる通りです。
思うに田中芳樹という作家は、『銀英伝』時代は「一般受けしないが、固定読者も作りたくない」作風だったような気がしますが、ある程度のファンが付くと、「守り」に入ったのような気がするのです。無論、これは西村某や志茂田某にも言えることですが(☆)
「キオスク文学」=ノベルズというのはまず「読者を安心させること」が売りなので、作風も保守的な傾向が好まれています。ハーレクインや「超訳もの」もそうですね(★)。
たしかに「ノベルズだから手を抜いても許される」訳ではありませんが、「守り」に甘んじているクリエイターに、何を言っても聞く耳を持たないのかも知れない気もしますが……。
やはり創造的な仕事とは、常に「攻め」の姿勢を保つべきでしょう。
ですから(現在の)ノベルズという「入れ物」と「作家の姿勢」とは、関係するのではないでしょうかね? もちろん本当は、そうであってはいけないというのは、重々承知ですが。
☆ あまり知られていませんが、もともとの西村某は社会はミステリでデビューしました。また志茂田某に関しては……某宗教団体絡みの問題があるので書けませんけど。
★ 関東地区にお住まいの方は、「FROM●」をよくチェックされるといいでしょう。某出版社が、「アルバイト募集 職種翻訳 一枚一〇〇〇円から」と、広告を出していますから(笑)。
なお「大学生限定」ですので、念のため。
遅ればせながら、レスです。
> ええ、田中氏の執筆方針(戦略)に大幅な変更があったから代表的なこの二つの作品に差異が生じたのだろうか。もしそうであるならば、その原因の究明と対策を論ずることも可能かと考えたもので。まぁ、私は違うと思い(田中氏はずっと市場重視主義と仮定しました。)そう書いたんですが。そうか、お二人にも同意されてしまったか。(^^;)ということはそっち方面からのアプローチは望み薄ですかね。
これは、同意したのではなくて、仮定に乗った上で話しただけのことで、仮定を肯定したわけではありません。当人の市場重視度の割合の仮定は、どこまでいっても仮定の話なので、はっきりとは否定も肯定も出来ません。
> いやぁ、実はですね。途中で横槍を入れては失礼だと思ったので終わるのを待ってたんですよ。なにがって、その…
うっ、すまんです(^^;;
> 限定公開しようかどうか迷っていたものの内容は田中氏の想定した購買層(読者像)というやつです。作品中に感情移入するであろう登場人物の設定から導いてみた想定でした。機械的に一項ずつ挙げていったつもりだったのですが、気付いたら田中氏ファンに対する人格攻撃に取られかねない内容になってしまいました。(^^;)具体的な内容は一つだけでご勘弁を。登場人物から才能部分を取り払えばだいたいわかるかと思います。書き込まないで各自でのご想像をお願いします。
> 1. 文系、読書好き。
うーん…私がよく、自分の持っていない田中作品を借りていた人は、理系で、田中作品以外は漫画しか読まないんですけど(^^;
まあ、「田中氏の想定した」読者層だからかまわないのですけど「文系、読書好き」ならば、ものの本を読んでむしろ田中批判者となって、このサイトに集うような気もするんですけど(笑)…これは想像ではなくて希望ですね(^^;;
それはともかく、「創竜伝」あたりは、むしろ作者自身が感情移入できるようなキャラづくりで、そんな田中氏の「学生気分」に読者も感応した、そういうアプローチも可でしょう。
> これは、同意したのではなくて、
ごめんなさい。確かにこれは私の書き方が悪かったです。
えぇと、つまり、戦略方針にこの2つの作品に差異はないのではないかと言う話なんです。戦略方針というのは、田中氏が何を意図し作品を執筆し、発表しているのかということです。
具体例を挙げると、例えば小林多喜二のプロレタリア文学は”労働者への啓蒙”。スウィフトのガリバー旅行記は”子供のためのファンタジー”ではなく、”当時の英国社会への風刺”を意図して書かれたように評価されています。
もちろん、この二つの作品にも本来の隠された意図があるのではという反論も成り立ちますが、一般読者の了知する範囲ではこれで十分ではないでしょうか。作者に隠れた意図があったにせよ、作品を鑑賞し影響を受けるのは一般の読者だからです。隠れた意図について論ずるのはそれが明白であったり容易に証明可能であるか、あるいは発表されてからにしたいと思います。ってしつこく書くのは太宰治の「走れメロス」のせいです。だまされたよなぁ。(^^;)
さて、戻りまして田中氏は何を読者に伝えたいと考え作品を執筆、発表しているのでしょうか?「銀河英雄伝説」執筆には何らかの意図があるのでしょうか?それは「創竜伝」と異なるものなのでしょうか?
そう考えたときに私の意見は”両者の本質は一緒”エンターテイメントなのです。
ただ、繰り返しになりますが私はエンターテイメントを重視したノベルズ(内容)、思想的ホニャララ本、快楽小説(呼称が増えましたなぁ。)は存在意義があるという考えです。「銀河英雄伝説」はその類の中でも相当出来が良い方だと思っています。
「創竜伝」はNo589で管理人さんがご指摘の通りエンターテイメントを重視したからとか、矛盾点があるからではなく、批判されてしかるべき部分が多いのではないかと。
ちなみにその原因としては
> 思うに田中芳樹という作家は、『銀英伝』時代は「一般受けしないが、固定読者も作りたくない」作風だったような気がしますが、ある程度のファンが付くと、「守り」に入ったのような気がするのです。
このへんの速水さんの分析はさすがだと思うので引用させていただきました。戦術的にこのような変遷があったからと思われます。
>うーん…私がよく、自分の持っていない田中作品を借りていた人は、理系で、田中作品以外は漫画しか読まないんですけど(^^;
まあ、「田中氏の想定した」読者層だからかまわないのですけど「文系、読書好き」ならば、ものの本を読んでむしろ田中批判者となって、このサイトに集うような気もするんですけど(笑)…これは想像ではなくて希望ですね(^^;;
えぇ、まぁ私も吉祥寺で女子高生喰いまくりの茶髪学生ロッカーが「アルスラーン戦記」の大ファンという実例を知って意外な感にとらわれたときもありました、ですが基本的には…ってごめんなさい。この話題はちょっと危険だとおもうので、やめましょう。お願いします。m(_ _)m
> 「創竜伝」はNo589で管理人さんがご指摘の通りエンターテイメントを重視したからとか、矛盾点があるからではなく、批判されてしかるべき部分が多いのではないかと。
どうも匿名希望さんは、わかっていて質問しているようでアレですね(笑)
私も、エロ本読んだら云々なんて例えを書こうかと思いましたけど、下品すぎるのでやめました。
寿司屋に行ったらラーメン食わされてしかも不味い、そんなパターンの創竜伝以外の例は、前に出されてましたけど「美味しんぼ」ですかね。
私が思い出すのは、ある航空専門誌(どれか忘れた)のコラムでよせばいいのにページの半分以上を費やして、自由主義史観やら小林よしのり氏への論以下の罵倒を繰り広げていた方のことです。しかもその関係で来たと思われる匿名の嫌がらせ手紙をことさら紹介するところなんぞ、まるで誰かのよう。飛行機の話はどうなったんだよ!ってつっこみ以前に、ちんけな嫌がらせに対して公のメディアで騒ぐその根性にげんなりです。
あ、いやちょっとずれた話ですね。忘れてください。
それにしてもあの手の方法論も、そろそろ限界だろうと思ってましたけど…売れてますね。「涼子」。少なくとも同時期に出た他の固定ファン獲得系(?)ノベルズ作家らや、もうちょっと一般的な直木賞受賞作家の新作よりは売れています。
匿名希望さんには、読者層の想定があるようなので、「なぜ売れるのか」の分析もできませんか?人任せで何ですけど、わたしにゃあ、もうわかりません…。
片手間の、パクリの、漢字ストレス解消小説でベストセラー取れれば万々歳だね。
あー、ちなみにですね、私の街の紀伊国屋では先週の売り上げ(文庫部門)は3位でした。
ほんとびっくりですね。
「これだから作家稼業は辞められない♪」←田中芳樹の心の声(笑)
> どうも匿名希望さんは、わかっていて質問しているようでアレですね(笑)
いやそんなことはないですよ。(^^;) どちらかというと心の底では待っているのかもしれません。
「そんなことはない。”銀河英雄伝説”にはきちっとした意図を持って書かれた作品であり、歴史に残る一冊だ。」と言って私を論破してくれる方がこのBBSに表れてくれるのを…。
本当に10代の頃は夢中で読んでましたから。それだけに管理人さんが失望したときの気持ちが少しは分かるかなぁと思ってます。
いや、個人的な話で恐縮です。そうそうついでに、以前田中氏の市場主義以外の隠れた意図を後日と書いておいてまだでしたね。
「わざと底の浅い反権力思想をたてて、ある程度ものの分かった人間を権力側に、よく考えない人間を反権力側に」
にという仮定だったんですけど(つまり、田中氏は権力に媚びて書いている。)
よく考えてみれば、ずっと読み続けるならともかく、ほとんどの読者は年齢を経るにつれ気付くか飽きるかするはずですから、この仮定はボツにしました。
>匿名希望さんには、読者層の想定があるようなので、「なぜ売れるのか」の分析もできませんか?人任せで何ですけど、わたしにゃあ、もうわかりません…。
わぁ、ご指名ですか。ありがとうございます。漢字ストレス解消小説(おぉ、新フレーズ♪)の売れる原因ですね。
そぉですねぇ。
「目的意識の喪失」「学歴信仰等既存価値の崩壊」「現代人の心にある空虚」「衣食住満ち足りた人々の求めるもの」「虚構の達成感による充足」「現実の非現実化」「出口なき日常」「昨今の異常事件多発との関連性」「ゲーム産業隆盛との相似性」
このへんの単語を適当につなぎ合わせてどこぞのコラムのようにやってもいいのですがいまいち面白くありませんね。
逆に漢字ストレス解消小説の読者として不的確な人々ってどんな人かあげてみましょう。
・小説を全く読まない人
最近見た活字はスポーツ新聞の芸能記事って人。
は、おいときましょう。とりあえずは読書が趣味な人々(シュミは読書でーすも含む)の中でってことで
・趣味の読書でストレスを解消する必要がない人
生きていることに全くストレスを覚えないのか、他の趣味で完全に発散できるのか、どちらかでしょう。ストレスがないように見えて案外悩んでいる人は多いということだけは最近分かってきたような気がします。
・いわゆる頭のすごくいい人
そもそもその手の本には触ろうともしません。読書に使える時間は有限で、古今の名作は無数なのですから。もちろん、文庫でもハードカバーでも漢字ストレス解消小説や内容のない売れすじ小説を巧みにかぎ分け、それ以外の作品を読破していきます。こういう人と論争は出来ませんや。(T.T)
・趣味(読書)に一定の時間と能力を割くことが出来る人
漢字ストレス解消小説は基本的にそれ(ストレス解消)自体が目的ですから、落ちついてゆっくり何度か読めば、おかしな点がざくざく出てきます。その辺に気付かせないのが技量とも言えますが、注意深く読まれては困る作品群であることは間違いありません。
主なとこで3つ。
で、まぁ上記3つの項目に一つでも当てはまる読者とそうでない読者はどちらが数が多いか?
後者。(私の独断)
∴漢字ストレス解消小説は売り上げで上位にランキングされる。
こんなもんでいいですか?
>片手間の、パクリの、漢字ストレス解消小説でベストセラー取れれば万々歳だね。
>「これだから作家稼業は辞められない♪」←田中芳樹の心の声(笑)
うーん、でも自分の書いているものに自覚があれば(私は田中氏にはあるんじゃないかと勝手に推測してますけど)、悲しいと思いますけどねぇ。それと漢字ストレス解消小説を読者にそうと気付かせない技術はとても片手間で出来るものではないんではないかと。