おそらく、創竜伝が売れる理由は、登場人物が、やたらと自分の主義、思想が正しいと声高に断言しているからだと思います。
例えば、竜動兄弟が「自分達の方が正しいような気もしないでもないけど、敵の言ってることも正しくはないと断じることは出来ないなあ。そう考えると自分達はいったい何のために戦っているんだろう」などと苦悩していては、暇つぶしとストレス解消のために、娯楽小説を読んでいる大半の読者に余計なこと考えさせるな、はっきりしろと怒られてしなうでしょう。
このHPでは、田中芳樹氏を盲目的に信奉している読者が、近年の田中芳樹氏をだめにしていると、論じている節がありますが、僕が思うに、そんなに田中芳樹氏の熱烈ファンが売上に影響を及ぼしているとは思えません。
何だかんだいってマニアックな小説ですから。
じゃあ、創竜伝を面白いと思って買っているのは誰?
それが先述した、暇つぶしとストレス解消のために小説を買っている人たちなんです。
「彼ら」とは、「沈黙の艦隊」が、どんぱちの戦闘モノから、政治思想のごっちゃまぜにストーリーが移行した段階で「わけわからん」と怒って読むのをやめる人であり、「エヴァンゲリオン」の「わけわからん」設定を楽しんでいても、本当に「わけがわからなくなる」と、これは駄作だと決め付ける人たちのことです。
つまり、楽をしたいんですね。
銀英伝のように、「自分が正しいのかあいつが正しいのか、断定することはできません」という読者まかせの小説よりも、近年ヒットした「不夜城」「賭博黙示録カイジ」みたいな、「違う、俺の方が正しい。なら、勝った方が正しいことにしよう」という読者に押し付けるもののほうが考える手間が省けていいのかもしれません。(両作品とも好きですが)
創竜伝を読んで、ストレス解消して、今度は他のことして遊ぼうというのが大半の読者である以上、なかなか論理的な訴えは届きにくいでしょうね。
(注意)ここまで、あたかも、暇つぶしとストレス解消のために、ろくに内容を吟味せずに小説を買って楽しんでいる人たちを批判するような文を書いてきましたが、別に非難する気はありません。
個人の自由だと思いますし、例えば、僕は小説にはうるさいほうなんですが、他の分野(車だとか洋服)に関して言えば、流行ってるから、よくわかんないけど買ってしまおうという、その分野を真剣の考えている人にとっては激怒ものの行動をとっているので、文学とかをあんまり重要視しない人を露骨に非難はできないですね。
映画「タイタニック」はいいですよ。
単純に泣けるから、楽でいい。
・・・というようなことを書くと、映画ファンは怒るのでしょうか。
はじめまして。私も銀英伝にはまって、自動的に創竜伝も
読んでましたが、ハッキリ言って3巻以降は不愉快になりました。
作者の信念も結構ですけど、話をとっとと進めて欲しい。
でも、創竜伝売れてますね。何ででしょう?
「暇つぶしとストレス解消」の割には、やたら出刊ペースが空きまくっているように思えますが…(笑)
これだったら、シリーズものなどにせず、一巻完結で出した方がいいのではないでしょうか?
確かに、この側面もあることはあるでしょうが、次の巻を出るまで長い間待ち、出た瞬間に爆発的な売れ方をするというのは、単なる暇つぶし以上のものがあるように思えます。
>「彼ら」とは、「沈黙の艦隊」が、どんぱちの戦闘モノから、政治思想のごっちゃまぜにストーリーが移行した段階で「わけわからん」と怒って読むのをやめる人であり、「エヴァンゲリオン」の「わけわからん」設定を楽しんでいても、本当に「わけがわからなくなる」と、これは駄作だと決め付ける人たちのことです。
確かにこういう人が大きな割合を占めていますが、それに勝るとも劣らない割合で沈黙の艦隊の政治思想を読んで賢くなった気分を味わってみたり、エヴァンゲリオンの不完全な故の謎の解釈を楽しむ人もいるでしょう。現に、エヴァを精神医学や哲学のタームに引きつけて解釈したような小難しい本がヒットしましたし(小難しくても内容空疎なのは言うまでもないことですが)。
>銀英伝のように、「自分が正しいのかあいつが正しいのか、断定することはできません」という読者まかせの小説よりも、近年ヒットした「不夜城」「賭博黙示録カイジ」みたいな、「違う、俺の方が正しい。なら、勝った方が正しいことにしよう」という読者に押し付けるもののほうが考える手間が省けていいのかもしれません。(両作品とも好きですが)
カイジについてはちょっと違うと思います。カイジでの説教や人生論は確かに大きな目玉ではありますが、これはあくまでも命を懸けた博打という極限状況を盛り上げるためのスパイスにすぎません(ちなみにあるとないとで作品全体に大きく関わってくるところが創竜伝とまったく違う)。カイジが人気がある理由は、単純に勝負の駆け引きと心理描写が絶妙だからです。
利根川の説教に賛成するにしろ反対するにしろ、カイジは限定ジャンケンやEカードの勝負に手に汗握るため、を主目的に読む人が圧倒的多数であって、説教部分を主目的に読む人はほとんどいないでしょう。副目的の説教部分も面白いから、世間で話題にもなっていますが、だからといって逆ではありません。
不夜城については、そもそも正しいもへったくれも無いことがテーマなんじゃないかと思いますが…
> はじめまして。私も銀英伝にはまって、自動的に創竜伝も
> 読んでましたが、ハッキリ言って3巻以降は不愉快になりました。
> 作者の信念も結構ですけど、話をとっとと進めて欲しい。
> でも、創竜伝売れてますね。何ででしょう?
銀英伝第一巻。ヤンと父親の会話のパロディとして。
「田中芳樹を撃つ」のHPではあらゆる角度から創竜伝を批判していたが、過去ログを読んでいるうちに少年は疑問に思った。創竜伝がそれほどの駄作であるならば、なぜ、人々は創竜伝を支持し、ベストセラーの勲章を与えたのか?
「そりゃあ、キャラがかっこいいからさ。美形多いし」
「美形キャラが出てくる作品なら腐るほどありますけど」
「・・とにかく、美形、SF、オカルトと何でもござれだったからさ」
こういう問答は少年を納得させなかったが、父親の見解は他の人々と多少、異なっていた。息子の質問にこう答えた。
「読者が楽をしたかったからさ」
「楽をしたがる?」
「そうとも。自分達で苦労してテーマを考察するよりも、どこからか竜堂兄弟
や小早川奈津子みたいなのが現れて、思想や主義を押し付けてくれるのを待っていたんだ。そこを作者につけこまれた。いいか、覚えておくんだ。駄作は出版させる方により多くの責任がある。黙ってみていれば同罪だ。しかしだな、お前、そんなことよりももっと有益なものに関心をもて・・・」
ヤン・タイロンだったらこう言うかも・・・
田中芳樹の売れ行きを支えるのは、暇つぶしにノベルスを買う不特定多数の人々なのか?
過去、新刊を店頭で見つけるたびに速攻ゲットを決めていた過去の自分自身を振り返るにつけ、また、無数のファンサイトが立ち上がっている現状から考えても、私にはそう思えません。
発売と同時に、瞬間風速的にベストセラー1位となり、半月も経たず圏外へ消えるパターンからして、創竜伝ほか田中作品を買っているのは、長年に渡って作品を追いかけている固定層が中心であることは間違いありません。そして創竜伝(あるいは田中芳樹の新作、あるいは田中芳樹自身)と読者のありようは、以前も書きましたが、宗教団体出版物と、それを買い支える信者の関係そのもの。
ただ、宗教団体の場合は、教団維持のための運営資金確保、信者獲得のための布教活動という明確な目的があり、当事者(教祖と信者)もその事を自覚しているのだから、その限りにおいて、別に私はどうこう言うつもりはありません(そこから先はイロイロ言いたいこともあるが、ここで語ることではないのでこの際置く)。田中芳樹とファンの場合、まず作者は己の影響力にあまりにも無頓着であり、次に読者も「自分は田中芳樹信者じゃない。作品から読み取れる田中の思想が正しいと判断したから、”自分の意志”で買いつづけているのだ」と、影響されていることに無自覚であることに、危険を感じます。
これは私も常々疑問に思う点ですね。
銀英伝と創竜伝を比べると、あきらかに創竜伝は駄作であるのに、馬鹿売れする。
具体的数字は知らないが、見た感じ同じくらい売っているんじゃないかと思える。
今までもいろんな人が「何故売れるのか?」を検討してきたけど、
それでも疑問は尽きないですね。
ストレス解消というのもあるかもしれませんが、これだけ遅筆な作者なのに売れ続けるというのは、
やはりそれ以外の要素を考えるのが妥当と思います。
ストレス解消なら、こんなにも新刊が出るのが遅いんじゃ、それが「ストレス」になってしまいますから。(^^;;
驚異的なのは新しい信者が次から次へと入ってくることでしょうね。
一時期熱中した人も、やがてはその矛盾に気付いてファンを辞めてしまう。
でも、それと入れ替わりで、若い新規ファンが入ってくる。
創竜伝文庫版の挿し絵がCLAMPだということは、それを如実に物語っていると思います。
若者に対する伝染力こそ田中芳樹最大の強み!?
最初は、多くの作品で社会的弱者にされる超能力者が、持ち前の能力でしぶとく生き残ったり、竜の能力といった秘密が魅力になるのではないでしょうか?
しかし、これらは回を重ねるたびに面白くなくなっていくと思います。(俺は思いました)
が、竜堂兄弟のマンザイトークは大抵面白いです。
創竜伝はこの部分で下支えされているのではないでしょうか?
そのためには、現実との数々の矛盾なども、竜堂兄弟のキャラクター性を引き立てる単なる材料となるのでしょう。
田中芳樹作品の魅力について
優馬です。前にも似たようなことを書いてますけど・・・
田中芳樹は善人である。
善人とは、自らの「正しさ」について疑う能力を欠落させた人物を言う。
自我が脆弱であるので、「(絶対的に)正しい思想」に拠らないと生きていくことが難しいのです。
田中芳樹的には「戦後民主主義思想」というのは、世の中の大勢であり、絶対の安全パイであったはず。それが、時代の急転によって批判に曝されることになろうとは。
「理不尽な。僕は何も悪いことしていないのに。」
竜種という「人間界の外」の絶対安全圏から、聞いた風な社会批判をする。
それは、自我が確立できていない、思春期前期の人間には魅力的に映ることでしょう。また「世の中を斜めに見たい」人たちにもアピールすることでしょう。
そのため、時代は変わっても「創竜伝」は一定のファンがつくのです・・。
読者を悪く言いたくはないですが、「アレ」を読んで楽しいと思う人たちとはあまりお話をしたくないです。
竜堂家の漫才がそれなりに面白いのは、田中さんの「芸」ですけどね。
> それは、自我が確立できていない、思春期前期の人間には魅力的に映ることでしょう。また「世の中を斜めに見たい」人たちにもアピールすることでしょう。
> そのため、時代は変わっても「創竜伝」は一定のファンがつくのです・・。
>
> 読者を悪く言いたくはないですが、「アレ」を読んで楽しいと思う人たちとはあまりお話をしたくないです。
この書き方はまずいでしょう。
創竜伝のファンがあなたに迷惑でもかけたんですか?単に創竜伝が好きというだけで、会話を拒むという姿勢が理解できません。このHPは田中氏を批判する人間だけではなく、ファンにも門戸を開いていると書いてあるじゃないですか。にも、関わらず、創竜伝ファンとは話をしたくないなどと書き込みをしたら、ファンは皆逃げてしまいますよ。それとも、自分と意見の合うもの同士だけで、交流を楽しみたいのですか?
もし、そうだったら、あなたが批判している「田中氏」と何ら変わりはないですよ。
この書き込みに限りませんが、もう少し行間を読む訓練を積んだ方がいいですよ。
優馬です。
> この書き方はまずいでしょう。
すいません、ご指摘のとおり。
正確には、「創竜伝の社会評論と同じことを言っているような連中とは議論
したくない」という意味です。読者一般を貶める意図はありません。
実は、私自身が創竜伝にアンビバレントな感情を持ってしまっているので、
ついついこういう不様を晒してしまいます。
創竜伝にしたって、田中芳樹の文体や語り口は、決して嫌いではないのです。
むしろ依然として好き。でも、書かれていること(特に「社会評論的」部分)
については、ひとっかけらも賛同できない。
なんというかなぁ、「絶対に間違ったことを、えらく健全に語られている」と
いうような感じ。
社会評論の出てこない作品は、今でも好きなんですよ。
田中芳樹の「善人性」という部分は、ジョブナイル作品には必須な、本質的に
魅力的な要素だと思うのです。悪人は卑小・滑稽で、人間性に対する本源的な
疑問や絶望を招来することのないレベルに留めてある。きわめて健全かつ安全
にできあがっています。加えて、豊富な歴史知識に由来する豊かな挿話と、
ちょいと斜に構えたユーモア。
告白します。
私はやっぱり「社会評論」以外の部分の田中芳樹は大好きです。
で、「社会評論」以外の部分の田中芳樹には、ベストセラー作家となるだけの
理由があるんじゃないかと思います。
管理人さん、常連のみなさん、このへんのこと、どう思われますか?
創竜伝は客観的に見て、偏っていて、間違っている個所も多いとされていますが、この作者の思想、批評等の「偏り」こそが、今の熱狂的な創竜伝ファンを生み出し続けている秘訣ではないでしょうか。創竜伝を中高生向きの娯楽小説と仮定した場合、同世代の主人公たちを無謬の正義として、対する、大人を悪の権化にする物語は、世間に対して反感を持っている中高生に支持されるのは、当然かもしれません。子供の主観的な正義が、大人を負かす少年漫画が中高生に広く読まれている状況を考えれば、創竜伝が特定の層に支持されるのも、なるほどなあと思います。
もちろん、作中ではやられっばなしの大人は、創竜伝を読んで不快に思うでしょう。ですが、この客観的にみて不平等な偏りというのは、「娯楽作品」を形成するにあたって、必須なものなのかもしれません。
このように、以前に少年漫画の偏りを書いたことがありましたが、サラリーマンが読むような漫画にも偏りがないわけではありません。
漫画を読むサラリーマン世代は当然、若いで世代ですから、主人公は理想に燃える平社員で、いつも、物分りの悪い上司や、私利私欲のために会社を食い物にする役員に対して悪戦苦闘します。しかし、いつかは主人公は何らかの形で勝利します。
サラリーマン漫画の上司や役員はたいてい、意地が悪く、腹黒い人間に、描かれています。現実は必ずしも、そうではありませんが、娯楽として成立させるためには、このような偏りも必要でしょう。
同じサラリーマン物でも、女性を主人公とする場合は、当然、キャリア志向の女性読者をターゲットにするわけですから、作中では、意図的に男性社員をだらしなく描きます。
これらの点は、ゲームの世界でもいえるわけで、美少女ものの恋愛ゲームでは、どうみても冴えない男が、大勢の美少女と交際できるのは、客観的にみて、あまりにも現実離れしていますし、男に都合のいい、偏った世界観が描かれています。
しかし、このことに対して、目くじら立てる人間は少ないでしょう。
少年漫画は少年が読むから少年が活躍しなければならないし、サラリーマンものはサラリーマンが、キャリアウーマンものはキャリアウーマン(女性)が現実とは異なっているとしても生き生きと描かれなくてならない。
そして、美少女恋愛ゲームでは、主人公はモテモテでなくてはならない「常識」がある程度、確立されているからです。
ここで、創竜伝の話が出てくるんですが、仮に創竜伝が、小説ではなく、作・田中芳樹・絵(誰でもいいや)で、アクション色を強くして、少年漫画に連載されていたら、あきらかな偏りも間違いも、上記の理由で許容範囲内として許されていたかもしれませんが、いかんせん、創竜伝という小説は、キャラが美形で、アクション、オカルト、政治評論、歴史と雑多に詰め込んであるので、本当に老若男女問わず、思わず手にとって読んでしまう間口の広さがあるのですが、それにも関わらず、「偏り」が激しいために、多くの読者が読んでいる最中に拒否反応を起こすのかもしれません。
つまり、創竜伝というものが、どういうジャンルで、どのような読者層をターゲットにしているのかが曖昧なため、「読めばかならず面白いとは思わない」層まで、巻き込んでしまうという弊害があり、これは、娯楽作品が明確なジャンル分けをされている現代では、異端の作品と言えるのではないでしょうか。
たしかにさせゆうさんの言うことも一理あるのですが、他方、かかる型ばまり
な作品は最近人気が低下する傾向があります。簡単な話、編集者や作家(文芸
だけではなく漫画やアニメ、実写などの方も含みます)が安易に人気取りしよ
うとしたり、実績つくりをしようとしたため、型ばまりな作品が乱造されて飽
きられているからです。おそらく今創竜伝が新たに書かれても1巻で終わりで
しょう(作者がコネで強引に予定どうり出版させる可能性はありますが)。た
とえ少年漫画でもおそらく人気はさほど出なかったかと思います(10週打ち
切りかも)。特に少年漫画はブランドよりも内容ですので。
> つまり、創竜伝というものが、どういうジャンルで、どのような読者層をターゲットにしているのかが曖昧なため、
>「読めばかならず面白いとは思わない」層まで、巻き込んでしまうという弊害があり、
>これは、娯楽作品が明確なジャンル分けをされている現代では、異端の作品と言えるのではないでしょうか。
そうですか?
私にはターゲットが明確なように思えるんですけど。
従来の田中芳樹ファン+中高生じゃないんですか?
創竜伝単行本が、CLAMPの挿し絵であることは、そのことを如実に物語っているのではないでしょうか。
物語の「型」があることは認めますけど、余計な社会評論で本編を壊しているのが創竜伝の欠陥であることは、
冒険風ライダーさんを始めとした皆さんが既に言及しているところですよ。