今日初めてこのホームページを読みました。
そして、繰り返し議論されたであろう疑問を私も抱かざるを得ませんでした。
それは、このHPは、本当に田中芳樹氏の執筆態度、小説作法を改めるという目的で運営されているのかという点です。
作者は小説として作品を発表しています。その中に自分の政治的意見が混じっていたとしても、政治的意見を正しいものとして発表しているわけではなく、単に押さえきれない、政治の腐敗等に対する不平・愚痴がもれてしまっただけのような気がします。つまり、田中芳樹氏はミッターマイヤーの父親と同じく、単なる不平屋に過ぎないと思われます。
そしてそのことは、作品の巧拙に対する影響は兎も角として、それ以上の問題があるとは到底思えません。しかし、このHPはまさにそこを田中氏の執筆態度の問題としていますね。
管理人さんをはじめとする一部の方は、田中氏の小説に影響力があるとか、発表した以上責任をとらならければならない、小説であることを理由に逃げることは許されないと主張されていますが、どうしてそうなるか理解できません。田中氏は別に政治的意見を戦わせるために、作品を発表しているわけではないし、そもそも責任をとるというのはどういう行動を想定しているのでしょうか。田中氏にその政治的意見の正しさを証明しろとでも言うのでしょうか。
更に言えば、このHPの要求が通ると、田中氏は全く政治的言説を書かずに作品を書くことになるのでしょうか。そんな作品本当に読みたいですか。
結局のところ、管理人さんたちは、小説の中に自身の政治的言説が混じっていることについて、作家として許せないようなことが緒言に書いてありましたが、そのこと自体は本当は非難されることでもなんでもないと思います。問題はそのことにより、小説がつまらなくなっていること、これに尽きるのではないでしょうか。
そしてそうだとすれば、そのような小説を書く田中氏を攻撃するのではなく、作品自体を非難すれば済むのではないでしょうか。
私が書き込みをしたのは、作品自体の批評をすれば済むことを、小説の中に自身の政治的言説が混じっていることについて作家として許せないというスタンスを採ることにより、田中氏個人への攻撃がなされているように見受けられるからです。緒言やFAQもそうですが、特に鼻についたのは「小説だったら許される」のコンテンツで、刑事上の侮辱罪すら成立しかねない内容でした。余りにも下品な内容で、すぐに削除された方が良いのではないでしょうか。
このようなことを書き連ねたのは、このHPに十分な存在意義を感じたからです。実は私も田中氏の作品は自身の政治的意見が現れすぎていたり、いわゆる善玉キャラが余りにも同質的で気持ち悪かったりして、作品として不満がありました。
折角、充実したコンテンツがあるのに、つまらないことで訴訟やHPが削除になったら、それこそつまらないと思うので書き込ませていただきました。
特定個人を匿名(容易に特定可能)で、必要以上に卑小に描写した上で徹底的にこき下ろす、それを田中芳樹に適用すればどうなるか、どれだけ不愉快なものであるかを分かりやすく示したのが「小説だったら許される?」です。いくらなんでも、自分のことを棚に上げて訴訟を起こすほどの恥知らずではありますまい。
> 特定個人を匿名(容易に特定可能)で、必要以上に卑小に描写した上で徹底的にこき下ろす、それを田中芳樹に適用すればどうなるか、どれだけ不愉快なものであるかを分かりやすく示したのが「小説だったら許される?」です。いくらなんでも、自分のことを棚に上げて訴訟を起こすほどの恥知らずではありますまい。
意図はわかりますが、バーコードハゲはいい過ぎだと思います(笑)。
それは兎も角、私が言いたいのは、
1.作者のスタンスを正すという大義名分を隠れ蓑に、気に食わない言説の発表自体を叩いていないか。例えば、小説で吐露されている政治的言説が管理人さんの思想と一致していた場合でも同様の反応を示すかという問題。
2.かりに、そのような意図がなかったとしても、小説内で政治的意見を吐露することは作品を超えて作者自身が人格攻撃を受けるべきではないという問題。
です。とくに、「2」の点に何故HP上の主張から見受けることができる確信を抱けるのか疑問でなりません。
「1」については下世話な疑問かもしれませんが、さりとて「2」の点について明確な答えが出ない限り「1」の疑いは消えません。もっとはっきり言えば、近時流行のプチ右翼なのでは、との感想を禁じ得ません。無論どのような思想を抱かれようと自由ですが、仮に思想信条が田中氏と相容れないというのであれば、堂々とその旨の論陣を張ればよいのではないでしょうか。
繰り返すようですが、田中氏の作品内の政治的な信条の吐露が作品の質を落としていると感じるのは私も同様なのです。が、何故ここまで人格攻撃的な言説を繰り広げるのか(具体例は最初にあげた通り)、理解に苦しむところです。特に元々田中氏のファンであったのであれば、必要のない人格攻撃などせずに作品の批評を行うのが愛のある態度だとも思うのですがどうでしょう。
それともこれは「父殺し」なのかな?
> 意図はわかりますが、バーコードハゲはいい過ぎだと思います(笑)。
意図がお分かりになるのなら、どうしてそれが「言いすぎ」になるのかとんと分かりません。「言いすぎ」でなければ意図が達成できないのはお分かりいただけると思いますが。
私が常々不思議なのは、こうしたパロディのみならず、私たちの田中芳樹氏ならびに氏の作品への批判に対する批判をどうして「私たちの言説」を起点にして始められる方が多いことです。
田中芳樹氏は例えば貴殿の言う、人格的な攻撃を作中で、現実の人物に対して加えていますが、どうしてそこから問題提起を始めないのでしょうか。
あるいはそれを「フィクション」だ「ただの政治批判だ」というならば、管理人氏が田中芳樹氏を揶揄して書いたパロディだって「フィクション」であり「ただの政治批判」であり、前者と後者が違うのはただ固有名詞が違う、というだけです。
田中芳樹氏は何を書いてもアンタッチャブルであるべきだが、それに対する批判、批評はいっさいならないというお考えですか?
それはもう私には「信仰」としか見えないですが。
先日どこかの変わった方が、「気分よく読んでるものに水をさされるのは不快だ」と言っていましたが、どうして他人の感情で他人の行動を制限されなければならないのでしょうか。問われるべきは論理的妥当性であり、感情で言うならば「自分が嫌いなものを盲信している奴を見るのは不快だ」という逆向きの感情だって存在するわけです。自分の感情のみで、論理的妥当性も問わずに他人を規制しようとする考えこそ、独善である、とどうして気づかないのでしょうか。もっとも独善は自分が独善であることに気づかないからこそ独善でいられるのでしょうが。
> それは兎も角、私が言いたいのは、
>
> 1.作者のスタンスを正すという大義名分を隠れ蓑に、気に食わない言説の発表自体を叩いていないか。例えば、小説で吐露されている政治的言説が管理人さんの思想と一致していた場合でも同様の反応を示すかという問題。
> 2.かりに、そのような意図がなかったとしても、小説内で政治的意見を吐露することは作品を超えて作者自身が人格攻撃を受けるべきではないという問題。
これについてはまずあなたの言説そのものをこれでブラッシュアップされるべきでしょう。
田中芳樹批判が気に入らないからと言って、自分の政治的思想信条の党派性で物を言っていませんか?
あなたが軽く作中政治批判と片付けている中には、「爬虫類のような冷たい目」だの「民衆を虐殺した」だの、「自らの権力欲のために首相を暗殺しようとした」だのが含まれているのですよ。田中芳樹氏の人権を気にするならば、田中芳樹氏によって踏みにじられた人権についてはなぜ気にしないのでしょうか。
私は問題の起点をそこに置いているのです。
しっかりとした根拠に基づかない人格攻撃は慎むべきであるという考えが思想と呼べるならば、確かに私もその思想はもっており、その思想に基づいて書き込みをしていますが、同じ思想を主張している風に見える貴殿が、田中芳樹氏による他者への人格攻撃を不問にしているのはどういう訳ですか?
田中芳樹が田中芳樹だからですか?
そうした個人に対する盲信は理解できませんね。未だにヒトラーを盲信している人もいますが、それとどう違うんでしょうかね。ヒトラーを批判すると「俺たちが気分よくやっているのに批判するなんて何事だ!」なんて憤るネオナチはいるんでしょうか。同じことを言う田中芳樹信者は多いようですけどね。
そもそもこういうことがどうしても理解できない、敢えていいますけどおつむの程度の低い人たちがいらっしゃるので、管理人氏はあのパロディをお書きになったのだと思いますけどね。
政治論評をするなと言いたいけど,言いません。
それは作者の自由だからです。
でも,その論評が根本的に間違っているのなら(まして小説自体のストーリーとはまったく関係ないのなら)話は別で,小説の中の設定にけちをつけられても困るとかいって逃げるのは卑怯である。
とは思いませんか。
政治論評とそもそもの話の流れ、どちらが主でどちらが従か考えれば今現在の作品(特に創竜伝)の構成比はおかしい…というところだけで批判の対象になるとは思いませんか。
私見ですが、創竜伝の中で語られている政治論が(その内容の正誤はともかく)作品の流れを滞らせている部分はあると思います。
それを設定だからと大目に見て、結果的に内容が薄くなってしまうのは作家を甘やかしている事になりませんか。
> 田中芳樹氏は例えば貴殿の言う、人格的な攻撃を作中で、現実の人物に対して加えていますが、どうしてそこから問題提起を始めないのでしょうか。
子供を叱る時に「同様の行為だから」と瓦割りと同じ力で殴る空手家がいたらツッコミが入るのと同様、「同じ手法を使う」ってのはお互いが同じ程度の時に有効な手段なんですよねー。
政治家と小説家くらい上下に立場が違う場合、「双方に適用」するのは全然公平でも理性的でもねっす。
> 政治家と小説家くらい上下に立場が違う場合、「双方に適用」するのは全然公平でも理性的でもねっす。
またみょうちきりんな理屈を作られましたね。それで言うなら最強の言論強者は最弱の人間であり、黒人で先住民で女性で身体障害者であればどんなみょうちきりんなことを言っても一切批判してはならないということですね。
と言うか、相対的強者である政治家に対する批判はその根拠もまったく問われないでいいのだと言うならば(私は日本の政治家がさほど強者だとも思いませんが)、一読者である私は当然、田中芳樹氏よりははるかに地位も名誉もありませんので何を言ってもかまわないということになりませんかね。
> 私が常々不思議なのは、こうしたパロディのみならず、私たちの田中芳樹氏ならびに氏の作品への批判に対する批判をどうして「私たちの言説」を起点にして始められる方が多いことです。
> 田中芳樹氏は例えば貴殿の言う、人格的な攻撃を作中で、現実の人物に対して加えていますが、どうしてそこから問題提起を始めないのでしょうか。
これは当然そのような現象が起こると予想されて然るべきだと思いますが、本当に不思議なのですか。
なにかを批評する表現もその表現自体が批評に晒されることも当然あり得ます。そして、批評に対して、論理・価値観などに疑問を抱いた場合、問題提起を批評に対して直接行うことは何ら不思議なこととは思われません。とくに本HPのような、ある程度の攻撃的な批評については、その批評自体の価値観・論理について様々な疑問が呈されるのは当然予想されて然るべきだと思います。
> あるいはそれを「フィクション」だ「ただの政治批判だ」というならば、管理人氏が田中芳樹氏を揶揄して書いたパロディだって「フィクション」であり「ただの政治批判」であり、前者と後者が違うのはただ固有名詞が違う、というだけです。
> 田中芳樹氏は何を書いてもアンタッチャブルであるべきだが、それに対する批判、批評はいっさいならないというお考えですか?
> それはもう私には「信仰」としか見えないですが。
この点については、私は田中芳樹氏の著作のことは分かりませんが、このパロディ小説自体にいくつかの問題を感じたので書きこみました。
それは
1.明確な個人を対象としていることが明らかであるゆえに、法的(刑事民事ともに)に、名誉毀損が成立しうること(フィクションであると断っていることは、正当化理由になりません。また、同様に田中氏が名誉毀損行為を行っていたとしても、そのことは管理人氏の行為の正当化事由にはなり得ません。)。
2.田中氏の頭髪について「禿」と侮辱的表現を用いていること
法的問題もさることながら、この表現を用いることの社会的・道徳的な意味を考えたのでしょうか。また、田中氏はこのような肉体的・先天的要素について、人格攻撃を行ったのでしょうか。
実は私は創竜伝のあまりのつまらなさに1巻の途中で読まなくなってしまったので比較が出来ないのですが、田中氏の表現と比較する以前に、このパロディ小説の表現には疑問を感じます。
田中氏の著作と比較するとすれば、田中氏の著作は、管理人氏が思っておられるほど個人を特定し、先天的な外部的評価を下げるべき事実を摘示して他人の外部的評価を下げているのか、それと比較して、自分の表現に個人の特定・摘示すべき事実について問題はないのか検討されたのでしょうか。
まあ、田中氏との比較については私自身が行っていないので、これ以上えらそうなことを言う気はありませんが、人がやっているから、その人に同じことをしてよいという理屈は(法的には勿論、常識的にも)成り立たないと思うのです。管理人氏が指摘される田中氏の著作の問題点は、具体的な事実を摘示されれば、このような醜悪なパロディ小説を用いずとも十分に理解できます(ただし、新聞社社長「稲垣」の例が、読売新聞社社長に対する人格攻撃といえるかについては俄かに同意しかねます。塩野七海氏に対する人格攻撃というのについては、よく分かりませんので教えて頂くとあり難いと思います。)。
要するに、田中氏がアンタッチャブルというより、管理人氏の表現されたものを単体として検討したときに、内容に疑問を感じたということです。
さて、私自身が今までのやりとりを重ねてどうしても納得できないのは、小説の中に作者の政治的意見が表現されることが小説の作法や作家倫理的な観点から許されないという、このHPの基本的な態度です(なお、ここでいう政治的意見とは人格攻撃的な言説を含まないものと考えてください。一緒に議論すべきではないと思いますので)。どう考えても小説の良し悪しには影響しても、作家個人を攻撃する理由にはならないと思うのですが。
> 2.田中氏の頭髪について「禿」と侮辱的表現を用いていること
>
> 法的問題もさることながら、この表現を用いることの社会的・道徳的な意味を考えたのでしょうか。また、田中氏はこのような肉体的・先天的要素について、人格攻撃を行ったのでしょうか。
海部俊樹首相(当時)と思われる人物について、「目と目の間が蟹のように離れている男」と、「肉体的・先天的要素」を揶揄した表現が、創竜伝にあった筈です。十分「侮蔑的表現」だと思いますが。
> 1.明確な個人を対象としていることが明らかであるゆえに、法的(刑事民事ともに)に、名誉毀損が成立しうること(フィクションであると断っていることは、正当化理由になりません。また、同様に田中氏が名誉毀損行為を行っていたとしても、そのことは管理人氏の行為の正当化事由にはなり得ません。)。
「判例」はないはずですが?
どなたかがそのような学説を唱えておられるのですか?
フィクションなのに名誉毀損が成立したら、歴史小説家は大変ですね、(実在の)登場人物全員を史実よりも「いい人」に書かないと子孫から訴えられてしまいます。
はじめまして、はじめの一歩さん。
横レスですが、反論させていただきます。
>これは当然そのような現象が起こると予想されて然るべきだと思いますが、本当に不思議なのですか。
はい。本当に不思議です。なぜならIKさんは「このHP内の言説が批判されること」に対して不思議がっているわけではなく、「このHP内の言説が批判される論理が、田中芳樹氏に対しては使用されないこと」に対して不思議がっているわけですから。
「田中芳樹はこんなひどい小説を書いているんだぞ」ということをわかりやすく説明する為のパロディに対して
>田中芳樹氏の著作のことは分かりませんが~
などと開き直られても困ってしまいます。
この場合、このパロディを批判する立場には
1.同時に田中氏も批判する
2.田中氏と管理人氏の表現の差異を指摘する
3.この手法自体を批判する
という3種類の立場があると思いますが、はじめの一歩さんの立場が「1」でも「2」でもないことは明らかなのでおそらく「3」であると思います。
しかしこのような手法は特に珍しいものではなく、「ファンの意識に楔を打ち込む」という管理人氏の目的からすれば、有効かつ当然の手法といえるでしょう。田中氏と管理人氏の表現の差異を明確に指摘できない以上は、このパロディに対する批判はすべて田中氏にも跳ね返ることになり、それこそが管理人氏がこのパロディを書いた目的でしょうから。
ついでに。作家個人を攻撃するのに「小説の良し悪し」以上の理由があるのでしょうか?「駄目な小説を書いた小説家」が攻撃されることは当たり前で、それ以外の理由こそ副次的なものでしょうに。
ようするに、肝心の「創竜伝」をろくに読んでいなかったのですかあなたは。管理人さんにも、擁護しようとする田中芳樹氏に対しても失礼のきわみですね。まじめにレスを返して損をしました。
> これは当然そのような現象が起こると予想されて然るべきだと思いますが、本当に不思議なのですか。
田中芳樹氏の著作を読んでいないのならばそういう考えにもなるかと思われますが、読んでから言ってくださいね。
あなたがあのパロディを読んで感じたであろう不快は、ある意味当然でしょうが、「敢えて」そういう手法をとっているわけです。
あのパロディには創竜伝の手法を田中芳樹氏自身に応用したらどういうことになるかというロジックシミュレーションですので単体として「批評」したところで意味がないわけです。
> なにかを批評する表現もその表現自体が批評に晒されることも当然あり得ます。そして、批評に対して、論理・価値観などに疑問を抱いた場合、問題提起を批評に対して直接行うことは何ら不思議なこととは思われません。とくに本HPのような、ある程度の攻撃的な批評については、その批評自体の価値観・論理について様々な疑問が呈されるのは当然予想されて然るべきだと思います。
予想しておりますね。ですからこうしてお相手しているわけです。
私が不思議なのはそのダブルスタンダードぶりですね。これについては「創竜伝を読んでいない」ということですので、そもそもスタートラインにつかれていないようですので、多くを言いませんが、どうしても不快に思われるというならば、「田中芳樹氏と特定した箇所がありますか」と薄ら笑いを浮かべることも出来ます。
そもそもそうしたロジックで(フィクションだから)、田中芳樹批判に対して感情的な反発を示す人が多いわけです。それは多くはその人の単なる政治上の無知やらルサンチマンに由来していると私は見るわけですが、それがいかにご都合主義的かを明らかにするという目的があのパロディにはあります。
私はまるっきりパロディとは言い切れない、案外事実もあんなところではないだろうかと思っていますけど。
> この点については、私は田中芳樹氏の著作のことは分かりませんが、このパロディ小説自体にいくつかの問題を感じたので書きこみました。
>
> 1.明確な個人を対象としていることが明らかであるゆえに、法的(刑事民事ともに)に、名誉毀損が成立しうること(フィクションであると断っていることは、正当化理由になりません。また、同様に田中氏が名誉毀損行為を行っていたとしても、そのことは管理人氏の行為の正当化事由にはなり得ません。)。
これはまったく田中芳樹氏にこそ言うべき言葉です。正当化もなにも田中芳樹氏の手法が存在してよいならば管理人氏の手法が存在してもいいわけです。
現にライトノヴェルの大家としての田中芳樹氏が存在し、講談社という日本を代表する出版社が問題の著作を出版しているのですから、こうした手法の明確な違法性は確立されていないと見ることも出来ましょう。
急いで付け加えますが、それを問題視しているのは管理人氏や常連諸氏の方であって、「フィクションである」という錦の御旗のもとにあくまで田中芳樹氏を擁護しようとする信者の人たちに分かりやすく説明するためにあのパロディは存在するのです。
本来、その危険性は自分で気づいてしかるべきなんでしょうね。中学生くらいならばしょうがないでしょうが、あくまでそれは「大目に見られている」ということを自覚して欲しいものです。
もしこの件で管理人氏が責められるとすれば「親切すぎた」ことでしょうか。
> 2.田中氏の頭髪について「禿」と侮辱的表現を用いていること
>
> 法的問題もさることながら、この表現を用いることの社会的・道徳的な意味を考えたのでしょうか。また、田中氏はこのような肉体的・先天的要素について、人格攻撃を行ったのでしょうか。
> 実は私は創竜伝のあまりのつまらなさに1巻の途中で読まなくなってしまったので比較が出来ないのですが、田中氏の表現と比較する以前に、このパロディ小説の表現には疑問を感じます。
> 田中氏の著作と比較するとすれば、田中氏の著作は、管理人氏が思っておられるほど個人を特定し、先天的な外部的評価を下げるべき事実を摘示して他人の外部的評価を下げているのか、それと比較して、自分の表現に個人の特定・摘示すべき事実について問題はないのか検討されたのでしょうか。
こうしたことが行われているからこそ「問題視」しているわけです。何度も言いますがそれをノープロブレムと抗弁しているのは、田中芳樹擁護派ですよ。
> まあ、田中氏との比較については私自身が行っていないので、これ以上えらそうなことを言う気はありませんが、人がやっているから、その人に同じことをしてよいという理屈は(法的には勿論、常識的にも)成り立たないと思うのです。管理人氏が指摘される田中氏の著作の問題点は、具体的な事実を摘示されれば、このような醜悪なパロディ小説を用いずとも十分に理解できます
それが理解できない人が多いので困りものなのです。世の中の底辺はおそらくあなたが考えているよりもずっと深く広いのでしょうね。
> さて、私自身が今までのやりとりを重ねてどうしても納得できないのは、小説の中に作者の政治的意見が表現されることが小説の作法や作家倫理的な観点から許されないという、このHPの基本的な態度です(なお、ここでいう政治的意見とは人格攻撃的な言説を含まないものと考えてください。一緒に議論すべきではないと思いますので)。どう考えても小説の良し悪しには影響しても、作家個人を攻撃する理由にはならないと思うのですが。
一緒に議論すべきではないというならば一緒に議論すべきではないでしょう。また稿を改めて、それに絞って問題提起をされることをお勧めします。
> まあ、田中氏との比較については私自身が行っていないので、これ以上えらそうなことを言う気はありませんが、人がやっているから、その人に同じことをしてよいという理屈は(法的には勿論、常識的にも)成り立たないと思うのです。管理人氏が指摘される田中氏の著作の問題点は、具体的な事実を摘示されれば、このような醜悪なパロディ小説を用いずとも十分に理解できます
>
> それが理解できない人が多いので困りものなのです。世の中の底辺はおそらくあなたが考えているよりもずっと深く広いのでしょうね。
で、小理屈はともかく、それじゃ答えになってないでしょう?
一通り見て非常に理論武装はお上手ですが、
肝心な点では論点をずらして逃げておられることに、
ご自身で気付いておられますか?
私としては田中芳樹はどうでもよく、
このHP自体の言説の在りようが、
公の場に適しているように思えませんが。
まあ、そちら様がなんと反論するかは予想がつきますが…
> このHP自体の言説の在りようが、
> 公の場に適しているように思えませんが。
> まあ、そちら様がなんと反論するかは予想がつきますが…
こういう感情論は捨て置いて。
私は別にIKさんが論点をずらしているとは思いませんが。
管理人さんのあのパロディに噛み付いて「田中先生を侮辱するな!!(大意)」と言ってくる方々は、パロディの原型が田中芳樹の文章であるということをスルーしているわけですから「このような醜悪な小説を用いても」理解できていないということになりますよね? まず田中芳樹を批判した上でこちらも批判するというのであれば筋は通ってますがね。
>人がやっているから、その人に同じことをしてよいという理屈は(法的には勿論、常識的にも)成り立たないと思うのです。
論壇のほうでは成り立ってますね。相手と同じ論調でやり返すというのは、確かに高等であるとはいえませんが有効な手段です。
> で、小理屈はともかく、それじゃ答えになってないでしょう?
答えになっていないでしょう?といわれても答えているつもりなので困りますが。あなたの言う小理屈とそうでない理屈の定義はなんでしょうか。何を言ったところで、こちらのあずかり知らぬあなたの独自基準で後で断罪されるかも知れないとあってはうかうか物も言えません。
> 一通り見て非常に理論武装はお上手ですが、
> 肝心な点では論点をずらして逃げておられることに、
> ご自身で気付いておられますか?
いいえ、多分、あなたが解釈されたようには「気づいていません」。あからさまに書くと攻撃的過ぎるのでややぼかして書いたのがいけなかったのでしょうか。
世の中の深く広い底辺とはあなたのような方を指していると考えていただいて結構です。
直接あの文章を宛てた方にもあなたは実に分かりやすい実例となってくれるでしょう。
> 私としては田中芳樹はどうでもよく、
> このHP自体の言説の在りようが、
> 公の場に適しているように思えませんが。
> まあ、そちら様がなんと反論するかは予想がつきますが…
どうぞ予想していてください。今回の文はあなたの予想通りでしたか?
> どんなみょうちきりんなことを言っても
『「双方に適用」するのは全然公平でも理性的でもねっす』が
何ゆえ「一切批判してはならない」になるんで?
それぞれに合わせた別の角度、別の論理で詰めて行くのが本当の「公平かつ論理的」ってだけですよん。
> 『「双方に適用」するのは全然公平でも理性的でもねっす』が
> 何ゆえ「一切批判してはならない」になるんで?
>
> それぞれに合わせた別の角度、別の論理で詰めて行くのが本当の「公平かつ論理的」ってだけですよん。
ですよん、はいいですけど、それはつまりダブルスタンダード、トリプルスタンダードOKっていうことでしょうか?
あなたは自分の文章を他者に向けて書いているという意識がありますか?
自分の論理性のなさを道化てカバーしないで貰いたいものです。無駄だとは思いますが一応聞いてみますが、あなたのいう「公平かつ論理的」の根拠は何でしょうか。
そしてそれが田中芳樹の批判には適用されず田中芳樹批判に適用される根拠は何でしょうか。
少なくともそれくらいは言われる前にお書きなさい。
その自己中心主義が田中芳樹信者の顕著な特徴です。私はあなたの友達でも何でもないんですからね。
> ダブルスタンダード、トリプルスタンダードOK~
「人を見て法を説け」イコール「ダブスタ推奨」!
角度や論理を万人に読めるように、中心点を変えずに語る程度も出来ないんで?
> 「公平かつ論理的」の根拠は何でしょうか。
道化て言うなら、今の消費税が公平でも論理的でもないのと同じ理由ですよん。
> そしてそれが田中芳樹の批判には適用されず~
あらら、今は「田中芳樹を当人と同じ手段を使って批判するのはいかがなものか」のお時間と思ってたんですが、
何時の間に「田中芳樹の政治その他の批判の手段の是非」に写っちゃったんでしょーか。
> その自己中心主義が田中芳樹信者の顕著な特徴です。
すると最後っ屁にタワゴトを囀るのは何の特徴になるのでしょーか(笑)
横槍失礼致します。
IK氏及び、このサイトの賛同者の多くは、小説家→政治家 を批判す
るやり方を真似て 読者→小説家を批判することをよしとしています。
それに対してどーもさん氏は、
> 政治家と小説家くらい上下に立場が違う場合、「双方に適用」するのは全然公平でも理性的でもねっす。
と仰っています。
どーもさん氏の文面では何処から何処を見た場合かが抜けていますの
で、比較の対象が的外れではないでしょうか?
ですから
> > そしてそれが田中芳樹の批判には適用されず~
>
> あらら、今は「田中芳樹を当人と同じ手段を使って批判するのはいかがなものか」のお時間と思って>たんですが、
> 何時の間に「田中芳樹の政治その他の批判の手段の是非」に写っちゃったんでしょーか。
どーもさん氏にはそう写るのではないですか?
# IK氏とどーもさん氏との議論はまったくかみ合っていないように見
# えるのは私だけ?
# 「人を見て法を説け」と仰る方なのに、このチグハグは…。
はじめまして。國臣と申します。
えっとですね、多分最初の比喩から全然話がかみ合ってないと思うんですね。
>子供を叱る時に「同様の行為だから」と瓦割りと同じ力で殴る空手家がいたらツッコミが入るのと同様~
などと仰いますが、空手家は別に瓦を叱ろうとして割ったわけではありますまい。目的が違えば手段が違うのは当たり前ではないですか。
翻って「田中芳樹の政治家批判」と「このサイトの田中芳樹批判」はどうでしょうか。
管理人氏の緒言や本論で何度も触れられているように、まず田中氏を影響力のある権力者であると規定し、田中氏の政治家批判の多くが田中氏自身にも当てはまることを証明し、それによって田中氏の主張の欺瞞性を暴こうというのがこのHPの目的のひとつである、ように私は思います。
不特定多数の他者に影響を与える力を持っている、すなわち権力者であるという点で、現代日本の政治家と若年層に絶大な人気を誇る作家とを同列に置くことがそれほど奇異なこととは私は思えませんし、すくなくとも「同様の批判をするべきではない」とするほどこの両者が(影響力という点で)異なるというのであれば、その論拠くらいは明示するべきでしょう。
あなたの勝手な基準で、ある種の批判が「政治家には○」「田中芳樹には×」などと決め付けられても「はあそうですか」と言うしかなく、実りある議論にはならないと思うし、説得される方もいないと思いますよ。
> > ダブルスタンダード、トリプルスタンダードOK~
> 「人を見て法を説け」イコール「ダブスタ推奨」!
> 角度や論理を万人に読めるように、中心点を変えずに語る程度も出来ないんで?
他の人もおっしゃっていましたが、何をおっしゃりたいかさっぱり分かりません。要領よくまとめて整理して文を書くということは出来ないのでしょうか。
まず前提として言っておきたいのは、あなたが咀嚼している用語であっても私は咀嚼していないかも知れないし、別な風に咀嚼しているかもしれないということです。
文章で意思を疎通しようとする限り、避けがたいことですが、程度問題として自分の意見を比較的客観化することで、あなたの意見はあなただけのものではなく、ここで議論する上でのたたき台になり得ます。
正直、あなたの文章にはその懸念に対する努力のあとが見受けられません。議論に慣れていらっしゃらないのですか?
「~も出来ないんで?」とおっしゃいますが「~」の部分がさっぱり分かりませんので返答のしようもありません。
あなたは、
> > その自己中心主義が田中芳樹信者の顕著な特徴です。
という言葉を
> すると最後っ屁にタワゴトを囀るのは何の特徴になるのでしょーか(笑)
何をもってか知りませんが笑うことによって棚上げしているようですが、こうしたことを指しているのですよ。
残念ながら私にとってはたわごとではありませんし(罵倒するのが目的ではありません)、今回のレスをいただいてますます確信になりつつあります。
「まあ、いいや、恥をかいているのは俺じゃないし」
と脱力しながら嘯くことも出来ますが、あなたの意見がどうあれ、比較的客観化する努力をいま少し試みて欲しいものです。
これはあなたの意見に対する評価ではありません。それ以前の問題です。
取り敢えず以下の2点にお答えください。
・個々の事情に応じて斟酌をするというのは取り敢えずいいとしても(許容しているわけではありません、本筋ではないので話を避けているだけです)先に私が提示した読者が小説家を批評・批判するのがなぜいけないのか。
・「人を見て法を説け」というのがダブルスタンダードでないのだとしたら、何を意味するのか。