はじめまして。以後お見知り置きを。
本文→過去ログと読み終わったら#6がアップされてたので驚きました。
で、楽しく読ませていただきました。
>・共産主義は一党独裁だから嫌だ。俺は万年野党が好きだ。
万年野党が好きだなんて変わったお方(笑)。
「与党=権力=腐敗=悪」なんですよね、田中さん。
#少なくともストレス発散の場である創竜伝では。
俺的には「政権とってやろう」っていう野心(理想)がない政党なんてのはクズだと思いますけどね。
それにしても、ここ読んだら創竜伝読みたくなってきました。9巻で挫折(匙を投げる)しちゃってたんですけどね。買っちゃおうかなぁ?
#古本屋で。(^^;
万年野党とやらについて.そもそも権力のない国家なんて有るかなあ.国家の意味がなくなるンじゃあ.そもそもどんな権力も腐敗し得るし,日本の政治屋や官僚がざけてるっつったって独裁権力のスハルトファミリーよりましだし,そもそも人間平等を訴えたソ連はレーニンの理想とは似ても似つかぬ"帝国"人になったし,"万年野党"はバランスをとるのに良くても,政党本来の目的が果たせず本末転倒なのでは?
>はじめまして。以後お見知り置きを。
>本文→過去ログと読み終わったら#6がアップされてたので驚きました。
>で、楽しく読ませていただきました。
こんにちわ。いいタイミングでしたね。
>>・共産主義は一党独裁だから嫌だ。俺は万年野党が好きだ。
>万年野党が好きだなんて変わったお方(笑)。
>「与党=権力=腐敗=悪」なんですよね、田中さん。
>#少なくともストレス発散の場である創竜伝では。
>
>俺的には「政権とってやろう」っていう野心(理想)がない政党なんてのはクズだと思いますけどね。
"万年野党"はバランスをとるのに良くても,政党本来の目的が果たせず本末転倒なのでは?
まあ、本文にはさすがに堂々と「俺は万年野党だぁぁっ!」とは書いてはいませんが(ただちゃんと根拠はありますよ)、そのくせ、万年野党に甘んじて政権取れないことを前提とした野党が与党を駄目にしたと野党(当時の社会党か?)を批判していますよね。なんじゃらほい。
>万年野党とやらについて.そもそも権力のない国家なんて有るかなあ.
政治学の基礎的認識として、政治の本質は権力です。
>そもそもどんな権力も腐敗し得るし,日本の政治屋や官僚がざけてるっつったって独裁権力のスハルトファミリーよりましだし,そもそも人間平等を訴えたソ連はレーニンの理想とは似ても似つかぬ"帝国"人になったし
自然力学で「反力」が「力」と正反対のベクトルを持つ「力」の一種であるように、政治学的に「反権力」も「権力」の一種です。ただ、往々にして「反権力」の人々が、自分が影響力のある「権力」だという自覚はないわけで。(ぶっちゃけていうと、これがファシズムの構造。当然ながら、ファシズムっていうのは政治学の用語であって、田中芳樹の使うような悪の代名詞ではない)、
権力者は、自分が「人を意のままに出来る力を持っている」と自覚することによって初めて自分の権力を自制することが出来るのであって(いわゆる中華皇帝における徳のように)、自覚のない権力は歯止めの要素がないのでタチが悪いですよねぇ。
皆さんこんにちは。
最近の掲示板での論争のこともあり、改めて過去LOGやTOPページの石井さんの
文を読み返していて、ちょっと気になったところがありました。
6.「田中芳樹の認識」の中の、竜堂始の「俺は万年野党が好きだ。」という発言内容についてです。
本来であれば、小説の原文を引用すべきなのでしょうが、仕事で引っ越す際に
創竜伝は「持って行く価値のないもの」として実家に置いてきてしまったので、間接的な引用となってしまいました。
(ここを知って俄然再読意欲が湧いてきたので、持ってくりゃよかったと思ってます。さすがに中古でもあんな本を2冊同じ物を買う気にはなれませんし)
さて、本題に入りますが、「野党(精神)が好き」という考え方は理解できます。
意地悪な言い方をすれば、少数派であること、その他大勢とは違うという意識がプライドを刺激してくれるという面もあるでしょうし、
単に相手を攻撃するだけの表面野党であれば、(特に精神的に)これほど楽なポジションもないでしょうから。
しかし、本来野党というものは単に一般人への訴求力で負けている、もしくは政界でのパワーゲームの敗者というだけで、
結党理念や政策理念といった、一本通った筋とでも言うべきものを持っていると思います。
(それを失ったがゆえに消滅した、旧社会党のような例もありますが)
では、「万年野党」とは何ぞや?
今は野党であっても、いずれは与党となり自らの理念を実現すべく、現状の歪みを指摘・批判し、代替案を考え主張していくのが
野党のあるべき姿というものでしょう。(イギリスの影の内閣とか)
「万年野党」とは、要するに「与党=多数派=悪」「野党=少数派=善」という単純な価値観の下に、主張すべき理念もなく
ただ単に時流に乗っかって「反対反対」と喚くだけの逆風見鶏のようなものではないか?と思えます。
創竜伝の世界では、与党はその暗部のみを抽出精製したかのような描かれ方で矮小化してあり論外ですが、
現実社会での与党は、確かに政権党であるがゆえに付きまとう利権や汚職といった暗部はあるものの、政権を担い国の舵取りをするということは
相当の重責・激務ですし、政権党として国民の批判を浴びつつも国政を滞りなく運営していくことは精神的にも大変なことだと思います。
(だからといって、その見返りに多少の不正くらい目をつぶれ、という気はありません)
つまり、竜堂始のあの発言は、私にとっては「与党・多数派として批判される苦労も知らず、またその度胸もないくせに、ずっと批判するだけの立場に
とどまり続けたいとは、ガキ以下の考えだね」ということで、単なるエゴの発露にしか思えません。
(こんな時だけ、竜王だから人間の政治や未来に責任はないってのはナシね)
この長兄は、生徒の個性を大切にする教師の鏡のような描かれ方をしていましたが、あんな一面的な考え方しかできず(っていうのはとーちゃんのせいでしょうが)、
万年野党でいたいなんてことを臆面もなく言ってのける精神年齢の未熟さから察するに、実在したら減点方式の教師にしかなれない気がしますね。
キャラのセリフ一つを取って何を大袈裟な、と思われるかもしれません。しかし、キャラの主張=田中氏の思想そのままという訳ではないにせよ、
やはり主役の発言には作者の考えが色濃く反映されていると思います。特に創竜伝のような批評マガイの場合。
創竜伝を読むと、田中氏は前述の「少数派=善」思想、衆愚思想(日本限定っぽいですが)を強めているのかなという気がします。
(私にはむしろ左傾化よりもこちらの方が気になります。)
田中氏自身がそういう方向に傾倒するのは個人の勝手というものですが、それが創竜伝を通して一方的なイメージを読者に植え付けて「田中氏の負の子供達」
を世に輩出し、その子供達に偏った目で判断され、脳と精神に比べて分不相応に発達した口と語彙で攻撃されるのは勘弁してほしいところです。
個人の能力と今の世の中の価値観の多様性、社会の複雑さを比較して考えると、思想や価値観に終着点はないと思います。
また、田中氏が敬愛すべき人格者であるならばなおさら、少なくともあのヤン・ウェンリーの生みの親であるならば、田中氏個人の思想を石版に刻まれた十戒の如く
奉り盲信することは望んでいないと思うのですが。
今の田中氏の描く世界を星に例えると白色矮星(巨星の残骸)みたいなもんだと思います。
まだキャラの描写力とかはありますし、なかなかの引力を維持しており、スウィング・バイで遠くへ行ける可能性もある反面、その重力に囚われると
周りの像は歪み、かえって視野狭さくになる恐れがあるのではないでしょうか。
私としては、放出し尽くした感のある勤勉さと作品に対する誠実さをかき集めて、「タイタニア」と「七都市物語」の続きを書いてほしいんですが。
とまあ、上の書き込みであれだけ吠えたあとにアレですが、私自身それを実践しているかというとそうでもなく、
やはりいろいろなものに囚われて生きているんですね。
未だに抜け出せないのが日本の芸能界。思春期におニャン子クラブに衝撃を受け、以来芸能界に対する不信感を拭い切れないまま現在に至る。(笑)
10年以上もその呪縛から逃れられないということは、ひょっとして人生に与えた影響って銀英伝より上か?
>竜堂始の「俺は万年野党が好きだ。」という発言内容について
いわずもがなのことをあえて断らせてもらえば、これは私の「意訳」であり、いくらあの兄弟でもこのようなことを口走っているわけではありません。ただ、彼らの内容が「万年野党が好き」であることは自信を持って断言します。
>現実社会での与党は、確かに政権党であるがゆえに付きまとう利権や汚職といった暗部はあるものの、政権を担い国の舵取りをするということは
>相当の重責・激務ですし、政権党として国民の批判を浴びつつも国政を滞りなく運営していくことは精神的にも大変なことだと思います。
との事なんですが、彼らはまがりなりにも「竜王」なんですから、与党精神を持っていなくてはならないはずなんですよね。だいたい、竜王の部下に、彼らみたいな「野党精神」の持ち主が皆無で、与党である竜王に嬉々と従っている「(むしろダメな意味での)与党精神」の持ち主ばかり(としか思えない)のは少々ズルいと思います。