うっす。初カキコミのココっす。フリーのライターやってるっす。
なんか、みなさん欲求不満がたまっているようで…。日常生活でいい目見てないのかな?
まあ、それはさておき。オレにも悪口言わせろ~。
あ~、まず管理人こと石井さんの「緒言」読んだけど…
>例えば、最近の田中芳樹の代表作「創竜伝」では、驚くべきことに小説の中にまるでエッセイまがいの政治評論が出てくるのである。小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。
わはは、なかなか挑発的な文だねこりゃ。
だけど、これ小説としては「アレはアレ」で「あり」だと思うぜ。だって、「小説は……でなくてはならない」ってかったりぃじゃん。視野狭いよ。
「俺はあいつの主張が気に食わない」と表明してんなら話わかるけど。(まあ、あんたのカキコからしてこれが本音だろうけど…)。
その小説の手法をことさらあげつらうと言うのも、おかど違いではないかい?
あんたの論法で行くと、パロディーや風刺も全部ダメってことになっちまうじゃん。まあ、田中のはパロディでも風刺でもないけどよ。小説家が自分の小説内で政治評論やっててもいいじゃん。それとも、どこぞの偉い文豪が「小説家は自分の小説内で政治評論やっちゃいかん!」とか言ってたの?
だ・か・ら…。「オレは田中の左翼的言動が気にくわねえ。だからこのページを立ち上げた」と最初から言ってりゃいいんだよ。
この掲示板。なかなか内容がヒートしていて気に入ったぜ。これからも色々好き放題書かせてもらうから、まあ、よろしく頼むわ。
う~す。ココっす。石井師のを見習って、オレもこの掲示板に「初心表明」をするぞ。石井師の「諸言 このホームページの意図について」と合わせて見るとおもしろいぞ。
角膜痛めるぐらい目の穴かっぽじって読んでくれい(できれば尻の穴も)
石井由助という男がいる。一応某格闘技で北海道大会優勝経験のある男だ(だからどうした?) おそらく、アンチ田中ファンの中でも尻の穴の狭さでは有数ではないだろうか?
尻の穴が狭いと書いた。その理由は、この男が元田中のミーハーファンであったが、オウム事件をきっかけに転向。昔の別れた女をなじるミジメったらしさで、田中の批判に回り出したからだ。
尻の穴が狭いと言う事は、それだけ視野狭窄で他人の欠点のアラさがしが上手いと言う事だ。すなわち、光学顕微鏡が微細なゴミを探しだすのに便利なのと同じ原理である。そして、視野狭窄である人間は、いきおい他者の長所を覆い隠し、その短所をことさら大きく見せてHPで公表することを喜びとする。ちょっと病的なアンチファンなら誰でも考え付きそうなことだ。
いま、私は何の脈絡もなく「視野狭窄」だとか「病的」なんて物言いをした。インターネット上で1個人を批判する言葉ではない。しかし、石井由助相手にならば、私はあえて使ってみたい。なぜならば、このHPの管理者である石井由助の田中批判は非常(異常)に「みみっちく」「尻の穴が狭い」からである。
勘違いされると困るので断っておくが、私は「HPで人気作家を批判してはいけない」などと言うつもりは毛頭ない。それどころか、人気作家のミーハーファンページが跋扈する一方、こう言ったHPを敢えて作ったことは、非常に高く評価したい(この意味で「反小林よしのり」のHPも高く評価している)。
だが、同時に「批判」だからとHPで表明しても、それを運営する管理人が高尚な人間であるわけがない。「創竜伝」を転載しようが、ヤンのセリフを孫引きしようが管理人のカキコミがクソだったら、それはクソである
先に、私は石井由助のことを「みみっちく」「尻の穴が狭い」と書いた。たとえば、このHPのTOPにある「諸言 このホームページの意図について」では、あろうことか、言うに事欠いて「小説の中で政治評論をするのがケシカラン」などとほざいている。表現自由の小説において「作品の中に作者の言葉が入ってはいけない」などとのたもうっているのだ。もとより、作家でも書評家でもないこのHPの管理人が、どこのお偉い文豪から孫引きしたセリフかは知らないが、嘲笑うべき虚言である。もし、この虚言を当てはめるならば、トマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」などの警世書は、もとより文学史から抹殺されてしまうであろう。小説に託した警世、批判書は別に田中が先鞭ではない。このような文学史の初歩の初歩を知らない石井由助が「小説の初歩の初歩として…」てなど能書きをたれるなどチャンチャラ可笑しいと言わざるを得ない。
とどのつまり、石井は田中芳樹の「小市民左翼的な言動が気に食わない」と正面きって言えないがために、姑息にも「作品の中に作者の言葉が入ってはいけない」などとさも高尚な論旨にすり替えて批判しているに過ぎないのだ。石井流の孫引きを使って言わせてもらえば、『本来酒屋で仲間を囲んで陰々滅々とやっているべき愚痴を、インターネットと言う文明の利器を介することで、さも高尚な言説をしていると錯覚している』とでもなろうか? しかも、その愚痴の卑小さが目立てば石井の「尻の穴の狭さ」はいよいよもって尋常ではない。
ここでは、いましてきたように石井由助平とそのお仲間たちのいかがわしさ、インチキぶりを立証していきたいと思う。
それでは、始めてみたい。この掲示板を見る石井とその卑小なお仲間たちが少しでも「オレの尻の穴は狭かった。実に申し訳ない」と悔悟し、彼らが自らの指でその菊座を「どうぞ」と押し開き、私の熱い肉棒をそこに打ち込めれば幸いである。
どう? 石井さん。できれば「諸言 このホームページの意図について」といっしょにTOPページに掲載して欲しいんだけど。ダメ?
頼むよ~。尻の穴の広いとこ見せてよ(笑)
書き込みやな。いきなり罵倒してくる貴公の方が余程ケツの穴が狭い気がするがの。それこそ現実世界での欲求不満が溜まっているんじゃないの?それに、「小説で政治評論」するのが絶対悪とまでは思わんが、創竜伝の場合は無意味な政治評論(??と思わせるものも多い)を挿入する事によって、ストーリー自体が破綻しておるとしか思えんが、それについては貴公はどう思われるのかの?まさかあれが素晴らしいものだ、なんて言うのか?
ちなみに言っておくが、私はここの管理人さんのように中道志向ではない。「田中芳樹の左翼的思考」は嫌いだな。アンタもそういう事を書きたいのなら、自分の志向くらい書いたらどうだい?
>うっす。初カキコミのココっす。フリーのライターやってるっす。
>まあ、それはさておき。オレにも悪口言わせろ~。
ちわっス。ウチの掲示板って、いままでこーゆー人が来ていそうで来てなかったからちょっとうれしかったりして。
>だけど、これ小説としては「アレはアレ」で「あり」だと思うぜ。だって、「小説は……でなくてはならない」ってかったりぃじゃん。視野狭いよ。
> あんたの論法で行くと、パロディーや風刺も全部ダメってことになっちまうじゃん。まあ、田中のはパロディでも風刺でもないけどよ。小説家が自分の小説内で政治評論やっててもいいじゃん。それとも、どこぞの偉い文豪が「小説家は自分の小説内で政治評論やっちゃいかん!」とか言ってたの?
>トマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」などの警世書は、もとより文学史から抹殺されてしまうであろう。
どういうところでライターやっているのか知らないですけど、一応プロなんだからさ、よく読んでくださいよ~。俺、パロディや諷刺や警世書がイカンなんて言ってないよ。もし、ここで俺がゴー宣を「横紙破り」として容認しているのが「小林の主張が右寄りだから気に入っている」という理由だと思っているのだったら、説明するだけ無駄だから何も言わないけど。あと、掲示板で「ドストエフスキーの『悪霊』は小説という技法によって社会評論以上に社会の真実を描いている」ってな内容のことを俺は言っているけど、このイミ、わかるかな?
>虚言 このカキコミの意図について
うふふふふ。俺は「アンチが騒がれれば騒がれるほどアンチの対象本体の凄さを証明することになる」っていうパラドックスを承知でこのサイトやってますよ。俺個人のアンチなんてうれしいなぁ。
>できれば「諸言 このホームページの意図について」といっしょにTOPページに掲載して欲しいんだけど。ダメ?
俺なんかが田中芳樹と同列だなんて過分な評価に過ぎるでしょ?気持ちはうれしいけどねぇ。
おっす石井さん。オレのおちょくりエッセイ第2弾だ。今度は「あえて問う、田中芳樹とアドルフ=ヒトラー、どこが違うのか?」といっしょに読んでくれ。
>俺なんかが田中芳樹と同列だなんて過分な評価に過ぎるでしょ?気持ちはうれしいけどねぇ。
喜んでもらえてうれしいっす。これからもずっとここでかかせてもらうよ。
「田中芳樹は、小説にエッセイを持ちこんだフトドキな作家だ」これは石井由助という男がもっとも好んだ台詞だった。
嫉妬は批判を生む大きな原因である。このこと自体に異論のある人は少ないだろう。現在のワイドショーによる有名人追っかけも大衆の嫉妬に立脚したものであるし、だからこそTV局は一方で大衆に批判を浴びても大衆受け(視聴率)を求めてリポーターを派遣するのである。
また、嫉妬による批判は、その原因が嫉妬というネガティブでいやらしい理由であることに起因していることを極力隠そうとし、一見建設的であり信念があるかのように装うから判断することが難しい。その隠蔽性ゆえ、多くのマスコミは「報道の自由」の美名の元にタレントのプライバシーを暴露し、やれ「広末は早稲田をなめてる」だの「サッチーはけしからん」などと、聖人君子、閻魔様のごとくすました顔で鬱積した想いを晴らすのだ。まさに、それは人間(石井)という存在の哀しさであり、善悪で割り切ることの出来ない矛盾であり、原罪でもある。
そして、その嫉妬による狂気は転向ファンと言う石井のような存在をも生み出す。それは、やはり善悪で割り切ることの出来ない不条理を孕んでいるのだ。
まず、『田中芳樹は、小説にエッセイを持ちこんだフトドキな作家だ』という言葉の意味から考える必要がある。
高校までの石井は、現在では想像もできないほど田中芳樹を信奉し、サイン会で本人を見かけるとガラにもなくドキドキしたりもした(笑)。そして、オウム事件をきっかけに、思想的に目覚め(?)反田中芳樹の転向ファンとなり、高校の文芸誌で田中批判を書くまでにいたった。
「元オウム信者がオウムを批判しうるように」と言えば聞こえがいいが、ようは、自分の思うようにならない女に「お前は不誠実だ」と泣き言を繰り返した挙句ストーカーになって追いまわす柔弱男にしか思えない。
それゆえ、その状況を無視して上記の言葉を抜き出しても、何の意味も持たない。ましてや、そのような人間が田中への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。
このような石井が田中に対して嫉妬の感情を抱くこと自体は悪いことではない。しかし、石井のように田中を「人気作家」で「売れてるん」だから何言ってもかまわないんだろう? 俺は一介の学生だし、懲らしめてやってもそれは悪ではない、と言うのは明らかに間違いだ。
石井のような「懲らしめ」を別に珍しいことではない。ワイドショーでサッチーを「ブタ」となじったタレントや、早稲田で広末の頭を小突いたストーカー学生も石井の「懲らしめ」の延長線上にあるのだ。
「現実と虚構のボーダーラインを使った卑怯な評論」などと言って、本来、自由な表現であるべき小説をこのような矮小で手前勝手な論理で「定義」し、批判の論拠とし過剰な罵詈雑言をほざく。このような石井の心情と「ずるして早稲田に入りやがって」と登校した広末の頭を小突いた早稲田学生の心情。
何が違うというのだろうか?
どう、気に入った。できればこれもベスト版に加えてくんないかな? ダメ?
あ、ところでオレ田中芳樹は「創竜伝」(五巻まで)と「銀英伝」(外伝読んでない)、「奔流」ぐらいかな~。一番好きな作家はマイケル=クライトンだけどね。
>書き込みやな。いきなり罵倒してくる貴公の方が余程ケツの穴が狭い気がするがの。
わはは、貴公だって! 「銀英」チック~。罵倒してるのはお互いさまさ。これからも仲良く罵倒していこう。田中でも石井でもココでもさ。
>「田中芳樹の左翼的思考」は嫌いだな。アンタもそういう事を書きたいのなら、自分の志向くらい書いたらどうだい?
おいおい、思想調査? 別にどうだっていいじゃん。
ただ、はっきり言えることは「お前らが嫌い」ってことだ。
>どう、気に入った。できればこれもベスト版に加えてくんないかな? ダメ?
「田中芳樹を撃つ!を撃つ!」か「石井由助を撃つ!」でもご自分でお作りになられたらいかがかな?ベストでも何でも勝手に作って好きに掲載すればよいでしょう。図々しい事夥しいの。はっきり言って鬱陶しいだけなのでこれが最後、以後はアンタの相手はやめるわ。荒らしを相手にしてもしゃあないですしな。
もちろん、こっちもアンタのような人間が気に入る訳はない。言うまでもない話だがの。
小説「掲示板のドラゴン」
「中先生を侮辱するとはとんでもない奴らだ!同じ分泌、いや文筆業者のはしくれとして、フリーライターの私、コケコッコがお前らを論破してくれるわ!
第一、こんな風に悪口をかくやつはな欲求不満がたまっていて、…。日常生活でいい目見てないやつらだ、そうに違いない。
何故なら私が悪口を書くときは、いつもそうだからな!」
「うーん、批判=日常生活で不幸、欲求不満という図式・・・なかなか理解しづらいが、そういう発想をするようになった人生、もあるのかな」と竜堂捨(すてる)はつぶやいた。
職業に貴賎はない、のは当然である。
しかしフリーライターと呼ばれる人の中には、自分の意見や感性で勝負することなく、編集部の望むように取材の事実を改変し、ひたすら上に気に入られるようなことだけ書くものもいることは事実である。
それだけならまだしも、広告を貰えるように「お宅を悪く書きますよ」とほのめかし、広告を入れたらベタほめの記事を書く。そういった雑誌に文章を書くライターもいた。この場合、一から九まで内容は編集部が決める。フリーライターは操り人形であり、いざという時に切り捨てるためのシッポでしかなかった。
ライターで、時たまでもそれに反発や良心の呵責を覚えるのはまだマシなほうで、最低の連中の中には取材中、企業に「お車代」を露骨に要求し、その多寡によっていくらでも事実に手を加えたりデマを流したりするのである。
目の前の「コケコッコ」はまさしくその、最低の一人であった。
「大体、お前らは中先生の革新思想が気にいらないのだろう!だから作中に整合性がないとか、連載中断が無責任とか、軍事知識が出鱈目だとか言うんだ!正しいけど。」
「じゃあ、あなたは中のファンなの?」
「アンタもそういう事を書きたいのなら、自分の志向くらい言ったらどうだい?」
質問の声が飛んだ。
「うっ・・・し、思想調査だ!」コケコッコはヒステリックな叫びを上げた。
もちろん、彼は夜ごと中先生の小説(それも同じ内容の文庫とノベルス両方)を読んでは、感涙にむせんでいたのだ。仕事では、まったく正義を実現しようという気はなかったが、いや、だからこそ想像の世界では強いものに歯向かい、徹底的に破壊する英雄と自己同一化をしていたのだ。
しかし、それは言いたくなかった。
さすがにHPをチェックする限り、中や自分の考えがツッコミどころだらけであることは薄々気付いていたのだ。
「別にどうだっていいじゃん。
ただ、はっきり言えることは「お前らが嫌い」ってことだ」
「はあ?別に俺たちが好きでも嫌いでもいいけどさ、そうじゃなくて貴方が中先生の社会評論に賛成か反対か、好きか嫌いかを聞いてるんですよ。何故言いたくないの??」
「竜創伝は読んでるんだろ?じゃあ、そこに書かれた社会評論に反対か賛成かだけでもいいよ」
「う、うるさい!お前らはこの前早稲田に入ったヒロスエにまとわりつくストーカーと同じだ!」
「・・・ごめんなさい、この小説内では早稲田は第3巻でドラゴンに大破壊されて、もう廃校になっているんです。
早稲田に入ったヒロスエが、少なくともこの話の中で出てきては世界の整合性がとれないんですよ」
「う、うるさい!無理やり時事ネタをいれたために世界観がぐちゃぐちゃになった小説もアリじゃないか!「悪夢物語」だって、「ポートピア」だって・・・・」
もはや、反論ではなかった。
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あっと忘れるところだった。
「この項は小説である。よって、この物語はあくまでフィクションであり、現実の事件・団体・個人などとは無関係であることを、とくにお断りしておく」
こう書いておけばすべてOK(笑)。
うーむ品がないなあ。これじゃフリーライター「にしか」なれない(笑)。
というのは冗談です。
もちろんさっき書いた小説も念を押しておいた通りフィクションでして、私フリーライダーをとっても尊敬しております。
もちろんお車代がどうとか広告がどうかという話はまあいろいろアルのでしょうが、それを一般化したり、ある特定の人がそれをやっているはずだ!などと断定するにはもっと厳密な調査や評価が必要です。
しかし、小説で書いておけば「あれはフィクションだから・・・」でごまかすことが可能になる。
そして上記のようなアンフェアな小説(アンフェアであることを認める。だから後で削除するかもしれん)が出来てしまう、というわけ。
世界観の整合性、については付け加えていうまでもないか。
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それから、ココ氏の田中芳樹に対する評価、を小説という形ではなく正式にお尋ねしたいですね。
やっぱこれも「思想調査」っすか(笑)?
じゃあ、さっさと終わらせましょう。
うーん、つまらないなぁ。芸のある罵倒ネタってのは難しいものだなと思った次第。
俺はあんたがメアドを明記してる(ホンモノか虚仮か確認してないしするつもりもないが)ってんで無視はしなかったし今までなかったタイプだから何か新しい流れが出来るか期待もしたが、ダメでした。
「田中芳樹を撃つ!を撃つ!」ってよりかは、俺のアンチでしょ。「ある意味」ファンでしょ(ぷぷぷ)。俺を撃ちたいんだったら、これじゃダメだなぁ。もう少し研究してください。ここはあくまでも「田中芳樹を撃つ!」ってコトを読めなきゃダメよ。
とりあえず、あんたがメアドを明記した意気に応えるということで、今、俺は自分の評判落とすことを承知で愚直な返事書いてるけど、こういう事書くのはこれが最後です。まあ、もう少し芸のある事が書けるようになったら考えないでもないけどな。
この場にふさわしくないことを書いています。申し訳ありません。気になるようでしたら読み飛ばしてください。
それと、私はココ氏がどんな事を書いても、他人に実害が発生しない限り削除することは致しません。
不快な気分になりたくない方は読み飛ばしてください。
わっはっは、みなさん色々反応してくれて嬉しいぜ。これでこそおちょくりがいがあるってもんだ。第3弾、楽しみにしてくれ!
ところで、石井師のこのカキコミ。
>俺なんかが田中芳樹と同列だなんて過分な評価に過ぎるでしょ?気持ちはうれしいけどねぇ。
>「ある意味」ファンでしょ(ぷぷぷ)
ギャハハハハ! オレのカキコミからここまでおのれ自身を錯覚できるとは、ホントあんたは幸せな人ですね。
はっきり言ってしまえば、オレはあんたを含めたこの掲示板で田中バッシングをやっている連中を、「英雄の骸にたかる青蝿」ぐらいにしか思ってねえよ。
どう言う意味か判る? 中国の成言で「英雄の死体にたかる青蝿は、自分では何も功績を立てていないし何もできないくせに、死体になった英雄を足蹴にして得意になっている」ということだ。まるで自分が英雄になったように錯覚してな。田中が英雄かどうかまでオレは知らんが、あんたらにとって田中は手の届かない男で、さぞタカリがいのある骸なんだろうよ。
オレがここの掲示板に飛び込んだのは、青蝿どものタカリっぷりにオレも混ぜてもらおうと思ったからさ。さしずめ、オレは田中の肩を持ってるからアカ蝿ってとこかな。でも、オレの目当ては田中の骸じゃねえよ。骸以上に子汚いあんたら田中バッシングの青蝿どもだ。と言う事だ。仲良くやろうぜ。青蝿さんたち。
石井師および、ほかの方々へ。
別に無視してくれちゃって構わないよ。オレはオレで楽しくやるからさ。
あ、それとオレが「フリーのライター」っつったのを自慢と受け取った人がいるみたいだけど、んなこたないよ。フリーライターなんて収入安定しないし、一般の会社以上に学歴社会の出版業界じゃヒエラルキーの最下層なんだから。年金も払ってないしね(笑)。
前に書きこんでた「日本の未来を考える」(うぷぷ)掲示板では、職業明示してる連中が多かったから、ここでも一応挨拶しといたのさ。別に他意はないよ。
>オレの目当ては田中の骸じゃねえよ。
いくらなんでも、殺しちゃ可哀想でしょう(笑)。
新Qちゃん、ありがとう。こう言うレスつけてくれたのあんただけですよ。私と一緒にここでおちょくり合戦しましょう。ダメ? ほかの人に怒られそうだしな~。
え~と、オレの思想調査、もとい田中に対する評価だっけ。いいよ。
オレの田中に対する認識は、ベストセラー作家であるマイケル=クライトン、シドニィ=シェルダンよりかなり下、ダニエル=キースといい勝負で、赤川次郎のちょっと上、宮部みゆきよりちょっと下ってとこかな。でも、この5人は売れてるってことで評価している。
マイケル=クライトン! すっげえいいじゃん。あの映像化権狙い見え見えで、ハリウッドプロデューサーに媚びを売りまくったストーリー運びと描写。シドニィ=シェルダンは、ストーリーのツギハギが絶品! あのジジイの小説って古今東西の演劇のシナリオや小説からおいしい設定やプロットをパクッてるのさ。間違いないよ。本人がインタビューでそう認めていたから。
あ、そうそう田中だったね。ベストセラー作家としての田中の人に本を読ませる才能は評価しているよ。日本人作家嫌いのオレにしっかり続きを読ませた数少ない作家だから。そんだけ…。
そんなオレが、なんでここで田中の肩を持っているかと言うと、前のカキコミでも書いたように、あんたらみたいな「青蝿」が嫌いだからだ。
いるんだ、俺の周りの自称「作家志望」のライター連中にも。世のベストセラー作家を軒並みこき下ろして自己満足の悦に入っているヤツが。それで、自分の作家としての力量が上がるわけでも、自分の人格が向上するわけでもないのにさ。こういう連中を徹底的にひやかし、おちょくるのがオレの楽しみなのさ。どう? 納得した?
あ、そうそう新Qちゃん。オレが「石井=広末ストーカー説」をフィクションとするなら、「田中=ヒトラー説」だってフィクションのはずだ。「懲らしめ」の気持ちは誰にでもある。ただ、それを「実際に実行した者」と「小説にした者」を同列に扱うなど、それこそあんたの言う「アンフェア」じゃないかな?
それと、あんたも含めたここの掲示板の青蝿たちは「田中は自衛隊員や政治家を差別している」とかほざいているみたいだが、さっきのカキコミであんたが「フリーライター」を「職業差別」したのは、まさに「語るにおちる」だと思うぞ。本当、他人に厳しく自分に甘い人たちだこと。あ! これもフィクションだっけ? じゃあ、今言ったことも全部フィクションだからね。ごめん!
毎度、仕立て屋です
いやーイカしてるやんココさん、わたし、チャメっけのあるこの手の人は結構すきなんやけどねぇ(心配せんでもそのけはないぞぉ)。
わたしが、他人の相手をする場合、その対象となる相手が、ただの感情的な奴なのか、それとも、自分と異なる見地を持つ者でも最低限論理を通す人なのか、によって罵倒モードと論破モードを使い分けるのですが、ざっと見たところ、ココさんは後者の部類と見ました。わたしの流儀を他の方に押し付けるようで申し訳ありませんが、この手の方に感情的に対応してもかみ合わないだけでなく、相手側も毛ほどのダメージを感じないでしょうから、止めましょう。こういう方には論理を通して、論破モードで対応したほうが良いかと存じます。そのほうが、相手も堪えますし、こちらも痛快です。一度、相手の土俵に立ち、足払いで転んでもらったほうが、このHPの理論武装も強化されますし、”比較的”有意義だと存じますが、どうでしょうか。
まず、小説という表現形式について。
小説にもいろいろありますが、小説形式を借りた警世書はもちろんのこと、それが巧みに構築された小説内世界観やストーリーを売りにしたものであっても、そこに作者の思想や価値観がまったく表現されていない、などということは果たして有りうるのでしょうか。いかなる人間にも、それぞれの立場性や日々思うことがあるのですから、そこに立脚した言葉の、しいては文章の端々に作者のバックボーンが現れるのは当然であります。逆にいえば、そうした作者の立場性が表現されていない小説は空虚なものとなりましょう。なぜなら、読者のシンパシーや感情移入、感動なるものが、作者の立場性から発せられた登場人物の言動や世界観に、作者の立場性と一部同様なものを有する読者の立場性が共鳴した結果、呼び起こされたものに他ならないからです。ですから、作者の立場性が独り善がりなものならば、それに共鳴する読者も偏ったものになるでしょうし、そこに普遍性があるのならば万人に受けるものとなりましょう。そういう意味で管理人さんは
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>いま、私は何の脈絡もなく「権力」だとか「政治学」なんて物言いをした。小説や作家の説明をしているときに出す言葉ではない。しかし、田中芳樹相手にならば、私はあえて使ってみたい。何故ならば、最近の田中芳樹の小説は非常(異常)に「政治評論臭い」からである。勘違いされると困るので断っておくが、私は「小説で政治を語ってはいけない」などと言うつもりは毛頭ない。それどころか、興味深い人間の有様である「政治」というテーマを、素晴らしく生かしている小説があれば、それは高く評価したいと思う(この意味で、私は初期の田中芳樹の代表作「銀河英雄伝説」を評価をしている)。だが、同時に「政治」をテーマにしたからといって、小説が高邁になるわけではない。「政治」をテーマにしようが「歴史」をテーマにしようが「哲学」をテーマにしようが、それが小説としてクソだったら、それはクソ小説である。
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や
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>例えば、最近の田中芳樹の代表作「創竜伝」では、驚くべきことに小説の中にまるでエッセイまがいの政治評論が出てくるのである。小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。
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と仰っているものと解釈されます。つまり、(1)「作者の主張が、普遍的に且つ必然的に構築され、登場人物なり、設定でもって、作品世界の中で統一的に反映されているのならば、それはそれで小説として評価されうる」ということではないでしょうか。で、(2)「小説として面白ければ尚のこと万人受けする」というものです。田中氏の場合、管理人さんやここの常連は(1)のことを批判しているわけで、また、(1)に対する田中氏のダメさ加減によって(2)も台無しになっている、というように認識しているのです。そりゃ、創竜伝を無邪気に評価している方々は(1)を問題にしていないのでしょうから、結果として(2)も是とされているのでしょうね。少なくとも、(1)、(2)に関して、創竜伝よりも銀英伝を評価されている人のほうが多いと存じます(数に関して証拠は?といわれても即答出来かねますが)。
上記のことを考慮に入れますと、ココさんの
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>あんたの論法で行くと、パロディーや風刺も全部ダメってことになっちまうじゃん。まあ、田中のはパロディでも風刺でもないけどよ。小説家が自分の小説内で政治評論やっててもいいじゃん。
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は、まことに言いづらいことですが、論理的に不連続です。パロディーや風刺というものが、表現する側にとって、その主張を統一的に表したものであり、受け手の側もそれをそういうものとして解釈する、という大前提の元で、成立しうるものであって、その中でこそ生まれるオモシロ味を堪能できるのです。一方、田中氏の創竜伝を”警世、批判書”と”認識”して読んでいる読者が果たしていくらぐらいいるのでしょうか?そんな人は奇特な方としか申し上げようがありません。警世”臭い”とか批評”臭い”と感じる読者はいるでしょうがね。それを認識しているかそうでないかは、大きな違いです。そこには刷り込みやイメージコントロールの効果の差も生まれます。したがって、これらココさんのご発言から導き出された
>だ・か・ら…。「オレは田中の左翼的言動が気にくわねえ。だからこのページを立ち上げた」と最初から言ってりゃいいんだよ。
という件は、道化としか言いようがありませんね。
さらに、ココさんは、上記主張の根拠の一部としてトマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」を引き合いに出されて、じゃ、これら名著が文学界から抹殺されてよいのか、云々とのご発言をされています。
まず、最初の指摘。ココさんの「小説に託した警世、批判書は別に田中が先鞭ではない。」という点ですが、あわせて、管理人さんが緒言の中で仰ってる言葉を参照してください。
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>先に、私は最近の田中芳樹の小説は「政治評論臭い」と書いた。「政治臭い」とは書かなかった。例えば、最近の田中芳樹の代表作「創竜伝」では、驚くべきことに小説の中にまるでエッセイまがいの政治評論が出てくるのである。小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。また、逆にエッセイの視点から見たときにもヤバさがある。例えば、創竜伝の評論に反論した場合「いや、これは小説の世界のことだから」と逃げをうてるからだ。
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先の(1)、(2)を考慮の上で、この管理人さんのご発言を読めば、創竜伝が「小説に託した警世、批判書」にさえなっていないことは自明であります(ココさん、創竜伝はちゃんと読んでますよね?)。また、情報の比較評価の面でも問題があります。トマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」をわたし自身、読んだことがありませんので、その内容にまで触れるつもりはありませんが(当然、ココさんは両著ともお読みなんですよね?夢物語ってどこから出版されているのですか?時間があれば、読んでみたいです)、内容以前に、江戸時代末期、表現の自由はもとより、フィクションだから訴えられない、とか、ノンフィクションだから、その言動に責任を持つべき、だとかいう認識自体あったのでしょうか。高野長英自身、この作品自体が直接の原因で投獄されたわけではありませんが、結局、脱獄の後、再度捕まった際には、この著書の反幕府的な内容もその理由になったと聞きます。当然、長英自身も政治運動的な組織に所属していましたし、この著書を書いているときにも、当然、幕府の反感を買うことは覚悟していたはずです。翻って、田中氏の創竜伝はどうでしょうか?今現在なら、表現の自由もある程度認められていますし、フィクションだから、という理由で言い逃れする余地も有しています。その覚悟の精神性の面で、雲泥の差があるのは、誰の目にも明らかであります。それこそ、トマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」を「創竜伝」ごときと一緒にされては、故人もあの世で泣いていることでしょうね。
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> はっきり言ってしまえば、オレはあんたを含めたこの掲示板で田中バッシングをやっている連中を、「英雄の骸にたかる青蝿」ぐらいにしか思ってねえよ。
どう言う意味か判る? 中国の成言で「英雄の死体にたかる青蝿は、自分では何も功績を立てていないし何もできないくせに、死体になった英雄を足蹴にして得意になっている」ということだ。まるで自分が英雄になったように錯覚してな。田中が英雄かどうかまでオレは知らんが、あんたらにとって田中は手の届かない男で、さぞタカリがいのある骸なんだろうよ。
オレがここの掲示板に飛び込んだのは、青蝿どものタカリっぷりにオレも混ぜてもらおうと思ったからさ。さしずめ、オレは田中の肩を持ってるからアカ蝿ってとこかな。でも、オレの目当ては田中の骸じゃねえよ。骸以上に子汚いあんたら田中バッシングの青蝿どもだ。と言う事だ。仲良くやろうぜ。青蝿さんたち。
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ココさんの論法から申しますと、評論家という職業は、卑しい職業ということになりますね。われわれ読者は、お金を出してその作者の作品を購入しているのですから、その作品に対して批判するくらいの権利はあるものと存じますが、どうですか。批判精神のないところに進歩もないかと存じますが、いかがでしょうか。うふふ、それから、ご大層に中国の成言「英雄の骸にたかる青蝿」を引き合いに出されていますが、ぜんぜんありがたみがありませんね。こういう借言にも、ココさんの言う「英雄の骸にたかる青蝿」は適用されないのでしょうか。
それから、最後に、ココさんはフリーライターでしたね。きっと、ココさんのようにプロのライターからすると、ここで書き込みする素人連中が、苦労して生み出されたプロの作品に対して、イッチョ前に批評家を気取って批判している様というのは、非常に苦々しい限りなんでしょうね。特に、ご苦労されてるココさんのようなフリーの方には。そのへんのプロの方の苦々しさには
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>マイケル=クライトン! すっげえいいじゃん。あの映像化権狙い見え見えで、ハリウッドプロデューサーに媚びを売りまくったストーリー運びと描写。シドニィ=シェルダンは、ストーリーのツギハギが絶品! あのジジイの小説って古今東西の演劇のシナリオや小説からおいしい設定やプロットをパクッてるのさ。間違いないよ。本人がインタビューでそう認めていたから。
あ、そうそう田中だったね。ベストセラー作家としての田中の人に本を読ませる才能は評価しているよ。日本人作家嫌いのオレにしっかり続きを読ませた数少ない作家だから。そんだけ…。
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という作品活動を生業とするプロの側から見た、評価基準のご発言から、なんとなく読み取れます。まあ、大目に見てくださいよ。われわれ読者は、ちゃんと金を払っているのですから(ひょっとすると、知らないうちにココさんの書物も購入しているかもよ)。一方、ここは金を払ってもらって運用されているわけではないので、そういう意味で素人ですね。虫唾が走るというのでしたら、どうか、覗かないようにしてください。無理して引きとめる方は、居られないでしょうから。しかし、だからといってここでの発言自体を拒否しているわけではありませんから、内容の是非のみで論議しましょうよ、素人だからとか、何もできないくせに、とか言うのではなくてね。じゃ、宜しくお願いします。
あんがと~、仕立て屋さん。もう、レス入りっぱなしで嬉しい悲鳴だ!
>翻って、田中氏の創竜伝はどうでしょうか?今現在なら、表現の自由もある程度認められていますし、フィクションだから、という理由で言い逃れする余地も有しています。その覚悟の精神性の面で、雲泥の差があるのは、誰の目にも明らかであります。それこそ、トマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」を「創竜伝」ごときと一緒にされては、故人もあの世で泣いていることでしょうね。
「創竜伝」ごときという言いまわしに、憎しみのパトスが蠢いていますな。まあ、オレも人のこと言えた義理ではないんだけどね。
ここらへんは、ハッキリとあんたと意見が噛み合わないところなんだけどな~。まず、あんたの警世書、批判書の定義がよくわからん。命を狙われる危険を犯して書かなければ、警世書でも批判書でもないの? そりゃ、悪く書かれた方は「フィクションだから」と逃げられたらたまらんだろう。でも、それで定義しちゃったら、批判書と警世書を書くやつはみんな命を狙われなければならないじゃん(笑)。それとも、あんたは「創竜伝」が原因で田中が右翼に刺し殺されでもしたら「創竜伝」を警世書、批判書と認めるのか? おいおいおい、それってもはや文学のジャンルわけじゃないよ。「こいつの本は殺されたから批判書。こいつまだ生きてるからダメ」ってか? ヒエ~!
>小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。
最初にこれ見てから疑問に思ってるんだけど、この定義、いったい誰が決めたんかな? 神様? ゲーテ? 夏目漱石? それとも石井? あんたらは、これを金科玉条のように崇め奉っているけど、だったら原典出してくんさいよ。前にも書いたけど、どっから孫引きしてきたの?
>ココさんの論法から申しますと、評論家という職業は、卑しい職業ということになりますね。われわれ読者は、お金を出してその作者の作品を購入しているのですから、その作品に対して批判するくらいの権利はあるものと存じますが、どうですか。批判精神のないところに進歩もないかと存じますが、いかがでしょうか。うふふ(気持ちワリィ…)、
おいおい、どうしてここの掲示板って職業差別的な言辞に走るかな。ひょっとして、職業差別好き? オレって批評の原稿の仕事もやってんだけどな(何の批評かはヒ・ミ・ツ)~。
でも、批評に名を借りた罵詈雑言と言うものがあることを、あんたも含めたここの青蝿さんたちは知らないようだね。ワイドショーのサッチー叩き(真実も含まれているが)や、石井の「田中とヒトラー、どこちゃうねん説」なんかその典型じゃん。
>それから、ご大層に中国の成言「英雄の骸にたかる青蝿」を引き合いに出されていますが、ぜんぜんありがたみがありませんね。こういう借言にも、ココさんの言う「英雄の骸にたかる青蝿」は適用されないのでしょうか
ギャハハ、ひょっとしてあんた「英雄の骸」? 大きく出たもんだ。蝿はどれだけ自分を大きく見せようと蝿だよ。別にありがたがってもらう必要はないよ。あんたたちの姿を鏡で見せてやろうと思ってやったまでさ。どう? 見えた?
>それから、最後に、ココさんはフリーライターでしたね。きっと、ココさんのようにプロのライターからすると、ここで書き込みする素人連中が、苦労して生み出されたプロの作品に対して、イッチョ前に批評家を気取って批判している様というのは、非常に苦々しい限りなんでしょうね。
特に、ご苦労されてるココさんのようなフリーの方には。そのへんのプロの方の苦々しさには
いや、オレ的には結構この掲示板評価してんだしね。みんなそれなりに研究して努力して書いている跡が見えるし、俺のおちょくりに冷静に対処(一部熱い人もいるが…)してるし。批評は大切よ。でも、罵倒はいかんよ。罵倒は。俺が言うのもなんだけど(笑)。
それと、なんか必要以上にフリーライターを貶めたり、持ち上げたりしているようだけど、そんなにフリーライターって珍しいかな? 出版社クビになった編集者だってフリーライターなんだよ。あ、オレ! オレは違うよ。ちゃんと円満退職だったもん。
PS
あんた、「夢物語」を読んだことないのか。この「夢物語」、批判書にしては抽象的すぎる代物なんだよね。俺は大学の授業のテキストで読んだんだけど、一読して「えらい弱腰な幕政批判書だな」と思った。なにせ、架空の世界を舞台にしたファンタジーで、しかも最後は「じつは夢だった」という夢落ちなんだから。田中の「フィクションだから」どころではない。夢落ちで全部「おじゃん」なのだから。ストーリーも破綻しまくっている。はっきり言って、小説としてはあまりいただけない。それでも、幕末の言論弾圧下でこれを書いた根性は見とめるが…。
毎度、仕立て屋です。
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>「創竜伝」ごときという言いまわしに、憎しみのパトスが蠢いていますな。まあ、オレも人のこと言えた義理ではないんだけどね。
ここらへんは、ハッキリとあんたと意見が噛み合わないところなんだけどな~。まず、あんたの警世書、批判書の定義がよくわからん。命を狙われる危険を犯して書かなければ、警世書でも批判書でもないの? そりゃ、悪く書かれた方は「フィクションだから」と逃げられたらたまらんだろう。でも、それで定義しちゃったら、批判書と警世書を書くやつはみんな命を狙われなければならないじゃん(笑)。それとも、あんたは「創竜伝」が原因で田中が右翼に刺し殺されでもしたら「創竜伝」を警世書、批判書と認めるのか? おいおいおい、それってもはや文学のジャンルわけじゃないよ。「こいつの本は殺されたから批判書。こいつまだ生きてるからダメ」ってか? ヒエ~!
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ワオーッ、こんなレトリックありでっか?ボルテッカァ!
憎しみのパトスが蠢いてかぁ、ん~、スマートォゥー、ってこれいただきぃ?
先ず、誤解を避けるために、簡単に定義付けしてみようかと存じます。
「警世書、批判書の定義」と仰られても、読んで字の如しとしか申し上げようがございません。そこで、「警世書、批判書の定義」をここでは二つに分けてみましょう。一つは(A)ノンフィクションとして自らの思想や批判精神でもって諸種の命題に関して論ずるもの。これは、読者の側がその内容を是とする、もしくは、それまでの考えを再考するようになる、ならば、書き手の意図は達成されるであろうし、否とする側にも、それに対して反論、批判する機会が与えられ、且つ、書き手もそれに対して答える義務が生ずるものだと、規定いたします。次に、(B)あくまで表現形式はフィクションの形で。しかし、そこには、わたしの投稿1536で述べたように、(1)「作者の主張が、普遍的に且つ必然的に構築され、登場人物なり、設定でもって、作品世界の中で統一的に反映されているのならば、それはそれで小説として評価されうる」且つ、(2)「小説として面白ければ万人受し、尚のこと良し」とします。
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>まず、あんたの警世書、批判書の定義がよくわからん。命を狙われる危険を犯して書かなければ、警世書でも批判書でもないの?
(中略)
>それとも、あんたは「創竜伝」が原因で田中が右翼に刺し殺されでもしたら「創竜伝」を警世書、批判書と認めるのか? おいおいおい、それってもはや文学のジャンルわけじゃないよ。「こいつの本は殺されたから批判書。こいつまだ生きてるからダメ」ってか? ヒエ~!
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意図されてなのかどうか不明ですが、ここには明らかな”すり替え”が存在します。まず、ココさんの「夢物語」に対するココさん自身の書評 <この「夢物語」、批判書にしては抽象的すぎる代物なんだよね。俺は大学の授業のテキストで読んだんだけど、一読して「えらい弱腰な幕政批判書だな」と思った。なにせ、架空の世界を舞台にしたファンタジーで、しかも最後は「じつは夢だった」という夢落ちなんだから。田中の「フィクションだから」どころではない。夢落ちで全部「おじゃん」なのだから。ストーリーも破綻しまくっている。はっきり言って、小説としてはあまりいただけない。それでも、幕末の言論弾圧下でこれを書いた根性は見とめるが…。> を考えて見ます。わたしは、先に述べたように「夢物語」を読んだことがございませんので、わたしの書評を申し上げることはかないませんが、ここはココさんの仰ることをそのまま使用したいと存じます。ところで、夢落ちってのは、まるで、ドラえもんに関するあの有名な都市伝説を連想しますねってこりゃ、話がずれましたね。
夢落ちにした長英の意図は不明ですが、幕末の言論弾圧下では、夢落ちにしようと幕府に睨まれると考えるのが自然ですから、おそらく、庶民受けするようにそのような形式を採ったものと想像いたします。ココさんの書評から、「夢物語」を上記(B)における(1)の資格ありと判断します。(B)の(2)に関しては”現在”の基準から申しますと、?ってとこでしょうか。いくら、夢落ちの形式を採っていようが、上記(A)のような作者の意図が前面に押し出されたもので、且つ、(B)の(1)を満たすのならば、その内容の正否を除いても、(A)における読み手の反論、批判の対象たりうる可能性を有します。しかしながら、当時、現在の基準から見れば、表現者の自由など保障されていないのですから、その時代の悲しいかな、”結果的”に幕府によって、反論の再反論を許されることもなく死を選ばされたわけです。このような事態は現在の基準と比べようがありませんから、現在の基準に照らし合わせて、長英の死を批判対象からの反論、批判の結果とわたしはみなし判断したわけです。したがって、何も 「 ”幕末の言論弾圧下” の状況を ”現在に当てはめ” て、表現者に死が伴わなければ、その作品を批判書とは認めない」、などと申し上げてるのでは決してございません。その為にわたしは投稿1536において、幕末当時の表現に関する一般的な認識について言及しているわけです。ここには、わたしの投稿1536に対して、そのみなし判断を、幕末の言論弾圧下の状況に現在の問題を適用させて「死を伴わない作品は批判書と呼べないのか、云々」と反論してみせるという論理のすり替えが見受けられます。また、歴史におけるその時々の作品に対する評価は現在の基準からその完成度自体に関するものもそれはそれでアリでありましょうが、それとは別個に、その時代時代におけるインパクトと申しましょうか、その作品の存在価値をも加味する必要があるものと存じます。そういう意味で、あの弾圧下でココさんが書評した、かような作品「夢物語」を世に出した長英は評価されるべきであり、「創竜伝」をして「小説に託した警世、批判書は別に田中が先鞭ではない」などとほぼ同位に序列せしめるココさんの情報比較適用の判断に問題ありとわたしは申し上げたのです。
以上の理由から上記ココさんのご発言にはすり替えのレトリックがあるものと判断いたします。よって、ココさんは「夢物語」を引き合いに出した事に関するわたしの投稿1536の問いに再度答える必要があるものと存じ上げます。
しっかし、ヒエ~?、ヒエ~~~~ッてあんたぁ、こっちゃがヒエーーーッ言いたなるぅゆうねん。
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>>小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。
最初にこれ見てから疑問に思ってるんだけど、この定義、いったい誰が決めたんかな? 神様? ゲーテ? 夏目漱石? それとも石井? あんたらは、これを金科玉条のように崇め奉っているけど、だったら原典出してくんさいよ。前にも書いたけど、どっから孫引きしてきたの?
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さあ? わたしにもわかりません。あっと、これは誰が言い出したのか、と言う点ですけどね。ところで、ココさんは、管理人さんの”作家が作中で己の主張を盛り込む場合のお約束”に関してそれを全面否定するものですか? それとも、一面の真理を認めるものですか? わたしは、その原典がどうであろうとも、そこに一面の真理を感じます。なぜなら、主張がキャラクターの言葉の中や作品のテーマに伏せて必然的且つ統一的に盛り込まれる以外に表現しうるとすれば、行間の突に隔絶された心理模写や状況描写、作中の場面場面での思想のモロ出しなどを行わないかぎり難しいでしょうし、そんな場合、小説という表現形式においては上記(B)の(1)の点で問題が生じます。故に、管理人さんの小説で主張する場合に関する言及には一面の真理を覚えます。
また、ココさんは、上記管理人さんのご発言に関して、その原典を示せ、と仰っていますが、仮に原典があろうとも、では、その原典の原典はどこなの?云々の同道巡りになりかねません。そんなことより大切なのは、そこに一面の真理を認められるか、否か、ということではないでしょうか。それとも、原典があれば、精神的安泰でも得られるのでしょうか。
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>>ココさんの論法から申しますと、評論家という職業は、卑しい職業ということになりますね。われわれ読者は、お金を出してその作者の作品を購入しているのですから、その作品に対して批判するくらいの権利はあるものと存じますが、どうですか。批判精神のないところに進歩もないかと存じますが、いかがでしょうか。うふふ(気持ちワリィ…)、
おいおい、どうしてここの掲示板って職業差別的な言辞に走るかな。ひょっとして、職業差別好き? オレって批評の原稿の仕事もやってんだけどな(何の批評かはヒ・ミ・ツ)~。
でも、批評に名を借りた罵詈雑言と言うものがあることを、あんたも含めたここの青蝿さんたちは知らないようだね。ワイドショーのサッチー叩き(真実も含まれているが)や、石井の「田中とヒトラー、どこちゃうねん説」なんかその典型じゃん。
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「うふふ(気持ちワリィ…)」
ハハハ、やっぱりぃ?これは別の掲示板で誰かが使っているのを見て、わたしも「気持ちワリィ」って思ったんですよ。で、一度、使ってみようってことでやってみたんですが、やっぱり、そう思いますよね、クックックゥ。
それから、「職業差別的発言に走るかな」って??? ココさんのご発言 <中国の成言で「英雄の死体にたかる青蝿は、自分では何も功績を立てていないし何もできないくせに、死体になった英雄を足蹴にして得意になっている」ということだ。まるで自分が英雄になったように錯覚してな。田中が英雄かどうかまでオレは知らんが、あんたらにとって田中は手の届かない男で、さぞタカリがいのある骸なんだろうよ。> すなわち、「なんの功績もない素人風情が自ら作品を生み出すこともなく、ただただ、他人さまの作品、ペンで生計立ててるプロの作品に寄りかかっていい気になってる様を糾弾すべし」 が、”概念的”に、「自ら作品を創作するでもなく他人様が苦労して創り出した作品に寄りかかって飯の種にしている自称批評家、評論家に対して苦々しい限りである」とするのと”同根”であるということにココさんは気付かないのでしょうか? ということです。別にわたし自信が批評家、評論家の方々を職業差別しているわけではありません。ココさんの論法を適用すると、評論家、批評家なる職業も卑しいってことになるのでは?と申し上げてるのですよ。もし、そんな適用はおかしいって仰るのでしたら、語るに落ちる、ということでしょうね。ココさんも批評の仕事を請け負うことがあるのですから。ご自分だけは上記ココさんの論法からは除外されるということになります。だとするなら、我々とココさんの間では、上記論法適用面での選択性が存在していることになりますね。ならば、その分岐はどこに求められるのでしょうか。我々の場合もココさんの場合でも批評の目的の点では変わりません。この二つの立場の違いは、とどのつまり、素人であるか、プロであるのかの違いしかありません。どのように言葉を飾ろうとも、結局はそこに行き着くということでしょうか。
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>批評に名を借りた罵詈雑言と言うものがあることを、あんたも含めたここの青蝿さんたちは知らないようだね。ワイドショーのサッチー叩き(真実も含まれているが)や、石井の「田中とヒトラー、どこちゃうねん説」なんかその典型じゃん。
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批評に名を借りた罵詈雑言ってココさんはどのような定義で言ってはるんでしょうか。わたしの方は、対象に何の根拠も持ち合わせず、事実でないことで非難する、ということだと考えます。サッチー叩きに関しては、何が真実か我々視聴者に開示されていないのですから、判断しかねます。田中とヒトラーの件は、どうでしょうか。ちょっと難しいとこですね。ココさんが仰るように、実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェアだということもまた道理であります。仮に、管理人さんが仰るように田中氏が精神性の面でヒトラーと同質なものを持っていて、且つ、同様な立場に立たされたとしても、やるかもしれませんし、やらないかもしれません。そんなことは、誰にも分からないでしょう。思っていてもやるかやらないかではその差は大きいです。人の心の中なんて他人からは覗けないし、行動にあらわれてはじめて他人に知覚可能なのですから。そういう意味で、作中にかいま見られる心中の思想が、ヒトラーと同根だからといって、その一面でもって非難するのは、どうかなぁ,とは存じます。
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>>それから、ご大層に中国の成言「英雄の骸にたかる青蝿」を引き合いに出されていますが、ぜんぜんありがたみがありませんね。こういう借言にも、ココさんの言う「英雄の骸にたかる青蝿」は適用されないのでしょうか
ギャハハ、ひょっとしてあんた「英雄の骸」? 大きく出たもんだ。蝿はどれだけ自分を大きく見せようと蝿だよ。別にありがたがってもらう必要はないよ。あんたたちの姿を鏡で見せてやろうと思ってやったまでさ。どう? 見えた?
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???意味不明です。何故、わたしが「英雄の骸」になるのでしょうか。
「あんたたちの姿を鏡で見せてやろうと思ってやったまで」をそれらしく飾るためにココさんにとって「英雄の骸」である「英雄の骸にたかる青蝿」という成言を引き合いに出されている様は、同様に、「英雄の骸にたかる青蝿」とは言えないのでしょうか、と申し上げているのです。使い方間違ってましたか? くだらないですけど。まあ、ココさんは、発言の根もとに先人の言葉が被されば、精神の安泰が得られるようですから。
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>それから、最後に、ココさんはフリーライターでしたね。きっと、ココさんのようにプロのライターからすると、ここで書き込みする素人連中が、苦労して生み出されたプロの作品に対して、イッチョ前に批評家を気取って批判している様というのは、非常に苦々しい限りなんでしょうね。特に、ご苦労されてるココさんのようなフリーの方には。そのへんのプロの方の苦々しさには
いや、オレ的には結構この掲示板評価してんだしね。みんなそれなりに研究して努力して書いている跡が見えるし、俺のおちょくりに冷静に対処(一部熱い人もいるが…)してるし。批評は大切よ。
でも、罵倒はいかんよ。罵倒は。俺が言うのもなんだけど(笑)。
それと、なんか必要以上にフリーライターを貶めたり、持ち上げたりしているようだけど、そんなにフリーライターって珍しいかな? 出版社クビになった編集者だってフリーライターなんだよ。あ、オレ! オレは違うよ。ちゃんと円満退職だったもん。
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???よくわかりませんねぇ。別にわたしはフリーライターの方を上げたり下げたりしておりませんよ。ココさん御自信がフリーライターの苦労を吐露されているのを見て、そのまま使ってるだけです。また、批評は大切って、特に言及されるまでもありません。わたしも批評のないところに進歩はない、と申し上げたところです。罵詈雑言がいけないのは、これまた、仰るとおりです。ただ、どんなものに対して罵詈雑言という言葉を適用するかは問題ですが。ココさんの適用基準をお聞きしたいものです。
それでは。
あ~あ、なんだか、白けちゃったなぁ。くだらない言説の数で流れちゃったよってココさんのことじゃないよ~ん、、フーゥ。
不沈戦艦さんのココへの書き込み読んで改めて思ったんですが。
>創竜伝の場合は無意味な政治評論(??と思わせるものも多い)を挿入する事によって、ストーリー自体が破綻しておるとしか思えん
このような意味のフレーズ、不沈戦艦さんに限らず皆さん創竜伝を批判する際によく使ってますよね。
揚げ足取りする気は無いんですが、これって具体的にはストーリーのどの辺が政治評論によって破綻させられてしまったんでしょう?
「政治評論が多すぎてつまんない」ってのはわかるんですが、「ストーリーを破綻させるから政治評論は邪魔」ってのはよくわかんないんですよ。ソ連が話の途中で無くなった事? アレは確かに矛盾した描写ではありますが「破綻」って程問題を生じさせてる訳じゃないし・・・。
同じように「創竜伝はストーリー自体つまんないからダメ」って批判もなんの気無しに使われるでしょ。思ったんですが、さすがにこれはワガママじゃないでしょうか? 皆さんが私に「自分を基準にして物を考えるな」と言われますが、「ストーリーがつまんないから嫌い」ってのは理屈でもなんでもなくて単なる個々人の感情でしょ。
「8巻とかから仙界とか出てきて訳わかんないしつまんない」ってのは単なる好き嫌いの問題で、封神演義好きとかは面白いと思うかも知れない。「荒唐無稽」みたいなケナシ言葉も見かけますが、「伝奇アクション」って本来そういうモンなんだし。
「主人公がすげー自分勝手な理屈ばっかりこねるから嫌い」とかはわかるんですが。
「架空歴史小説並の確立された世界観」を求めた結果が「伝奇アクションのなんでもアリの設定」によって裏切られたからと言って、それ自体を怒っちゃいかんと思うんですよ。「これは銀英伝とはそもそもジャンルが違うんだ」って事を念頭に置いておかないと、「伝奇アクションなら許されるご都合主義」まで目くじらを立てる事になってしまいますから、気をつけた方がいいのではないでしょうか。
> 批評に名を借りた罵詈雑言ってココさんはどのような定義で言ってはるんでしょうか。わたしの方は、対象に何の根拠も持ち合わせず、事実でないことで非難する、ということだと考えます。サッチー叩きに関しては、何が真実か我々視聴者に開示されていないのですから、判断しかねます。田中とヒトラーの件は、どうでしょうか。ちょっと難しいとこですね。ココさんが仰るように、実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェアだということもまた道理であります。仮に、管理人さんが仰るように田中氏が精神性の面でヒトラーと同質なものを持っていて、且つ、同様な立場に立たされたとしても、やるかもしれませんし、やらないかもしれません。そんなことは、誰にも分からないでしょう。思っていてもやるかやらないかではその差は大きいです。人の心の中なんて他人からは覗けないし、行動にあらわれてはじめて他人に知覚可能なのですから。そういう意味で、作中にかいま見られる心中の思想が、ヒトラーと同根だからといって、その一面でもって非難するのは、どうかなぁ,とは存じます。
これに関しては仕立て屋さんがいうような『実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェア』というのも認めてもイイですよ。わざわざタイトルに「あえて言う」なんて書いているとおり、ワザと挑発しとる部分がありますからね。ただ、田中氏はやっていなくても竜堂兄弟のやっていることやその行動原理がヒトラーと同根であるということを読みとってもらえれば、それでいいです。
田中芳樹と竜堂兄弟のパーソナリティが、どの面が違ってどの面が共通しているか、その辺も考えてみるとおもしろいかも知れませんね。
さて、単なる罵倒を越えてちょっとおもしろい展開になったので再び口を挟みましょうか。
仮に俺のパーソナリティがワセダのヒロスエヲタクと共通していて(わらぃ)、このヲタクちゃんが『石井のように田中を「人気作家」で「売れてるん」だから何言ってもかまわないんだろう? 俺は一介の学生だし、懲らしめてやってもそれは悪ではない』と思っていると定義しましょうか。
だからどうしたの? 俺やらヒロスエヲタクやらが極めてうじゃじゃけた気持ちの悪いコンプレックスを持っていたとしても、それゆえに俺の論がそのうじゃじゃけた気持ちから発しているモノだとしても、動機が気持ち悪いってだけで俺の論(『田中芳樹は、小説にエッセイを持ちこんだフトドキな作家だ』(苦笑))に対する何の打撃にもなってないんだぜ。
しかし、田中芳樹とヒトラーの場合は俺とヒロスエヲタクの場合と違うだろうが。田中芳樹とヒトラーのパーソナリティが共通(とまで書くとちょっと違うのだが便宜上こう書いときましょうか)だとすると、創竜伝に出てくる社会評論部分の大部分は大打撃を受けるし、下手をすると「ヴラド計画」なんてものをぶちあげている分ストーリーにもダメージをきたすかも知れん。
というように、形パクってるのに俺に対してちっともダメージになっていないからこの前は芸になってないって相手にせんかったんだわ。
ちなみに石井由助が広末ストーカーと同じだと思うか否かは、みなさんがそれぞれ判断してください。私が自分で否定すると格好悪いと思うので(笑)。
ココ氏の勘違いの最たるものは、「田中芳樹を撃つ!」の常連連中が、売れないライターや作家志望崩ればかり、と勝手に決めつけていることやろうな。莫迦言っているんじゃないよ。だいたいそういう人いるのかね?他人のことまでは詳しくは知らんが、少なくとも私は違うし、そんな願望もない。仕事が忙しくて何か書いて賞にでも応募する、などやっている暇はないし、そんな気もない。しかし何で、物書きを志したこともなく、当然やったこともなく、今後やろうとも思っていない人間が、「物書き」としての田中芳樹に嫉妬せねばならないのだろうか?「物書き」ってのは誰からも羨望の目で見られなければならない高貴なる職業なのだろうか?そこまで自意識過剰なんですかね。大して売れないようなライター風情でも。妙なことを主張する人間は面白いのぉ。もちろん、「珍獣」としての面白さだが。
例えば私は電気系の技術屋だけど、自分が世に出した製品が、仮にどこかの雑誌ででもケチョンケチョンに貶されたとして、「あいつらは、自分じゃそういう製品を作る能力がないから、妬んで言っているだけだ」などとは先ず思わないね。更に、「不沈戦艦様の作った製品を、作る能力のない青蠅のような連中が、妬んで貶しめているだけだ」などと言う輩がいたとしたら「馬鹿か貴様。下らない追従はやめんか」とはっきり言ってやる。「次はもっといい物を作って、高い評価を得るように頑張ろう」が普通だ。あるいは的外れな批判の場合、反論することはあるかも知れんが、「青蠅」呼ばわりして批判自体を罵倒し封じ込めよう、と考えることは先ずあり得ない。それに「全ての人間が技術屋を目指しているから、自分は誰からも羨望されており妬まれ足を引っ張ろうとする人間が多い」などど馬鹿なことを考える奴は、技術屋には先ずいないだろうと思う。ライターとは違ってね。いや、そんなことを考えるのはライターだけじゃないだろうか。じゃなかったらブンヤかテレビ屋、高級官僚くらいかな。これは偏見かも知れんがの。自分の仕事に誇りを持つことは大事だとは思うが、度が過ぎて増長までいくと滑稽じゃの。いつぞや失笑を買っていた田原俊彦の「俺はビッグだ」発言と似たようなものだろうか。そういうのは一般的に「身の程知らず」と言うと思う。
モノ作りの世界では「お客様は神様でございます」以外にはない。そもそも「批判を受け付けない精神」自体、田中芳樹がもっとも嫌っていた筈だがな。ココ氏は彼の作品から、その程度のことも読みとれないのだろうか。この読解力の無さで「ライター」と主張した自己紹介は本当かね?疑問に思えてくるの。
「こんな立派な製品に、グダグダケチをつける輩はクズだ」
こんな寝言を言ってどうするのだろうか。どうも、モノ書きの世界というのは、相当異常で世間知らずばかりがいるような気がする。ココ氏を見ていてそう思えてきたの。おっと、ココ氏は特殊例ではないと限らないか。偏見を持ってはいけないな。済まん済まん。
売れてはいるのは認めるが、「あそこが悪い、ここが悪い」と言いたくなる点は実際にあるのが現在の田中芳樹の作品だ。私は、銀英伝に関してどうのこうの言うことはあるが、作品全体を「下らない」とか「価値がない」とか言ったことはない。どっちかと言うと、「反銀英伝論」などはファンサイトに近い議論かも知れない。でも創竜伝に関しては、そうは思わない、というだけだ。現に「あれは面白くない」と言う人はいるのだがの。売れている製品は無条件に最大限賞賛しなきゃいかんとでも言うのかね。批判は全く許さない、と。自意識が肥大した朝日新聞記者か何か(朝日新聞批判を行う連中は、朝日の入社試験に失敗して妬んでいる輩だ、というのが朝日新聞社内での「常識」だそうだから)みたいだのぉ。それでは、単に品性下劣でみっともないだけではないだろうか。