田中芳樹著 創竜伝10巻 113ページより
>英国人のあつかましさに、中国人は呆然としたであろう。呼びもしないのに押しかけてきて、「皇帝に会わせろ」と騒ぎたてるのだから。「しようがない、遠くから来たのだから会わせてやる。そのかわり礼儀は守れよ」というと、「そんな礼儀はわが国にはない」と答えて、中国人なら誰でも守る礼儀を守らない。あきれて、「もう来なくていいぞ」というと、「傲慢な中国人は、我々に異常な礼法を要求し、あげくに追いはらった。何という野蛮な奴らだ。こらしめてやる」と喚きたて、軍艦に武器を積んで押し寄せ、砲撃を加える。
以上の記述で、当時の英国に好意を持つ人は、先ずいないでしょうね。
黄文雄著 中国・韓国の歴史歪曲 32ページより
>マカートニー伯爵一行は、1792年、イギリス国王ジョージ三世の特使として、乾隆帝に謁見した。(中略)はじめ清国側は、「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」(皇帝に対面するときの中国的儀礼。三回ひざまずき、そのつど地に頭を三回つけ、合計九回頭を地につける)の礼を要求したのに対し、マカートニーはていねいに(イギリス側の記録としては毅然たる態度で)断った。(中略)当時の乾隆帝は(中略)イギリス政府からの通商要求に対して「天朝にないものはない。もし英夷に何か欲しいものでもあれば、恵んでやる」と高姿勢で断った。(中略)イギリス政府は、それから二十年後(中略)再びアマースト卿を遣って、通商を要求した。清国政府は、到着した翌日、強引に百官列座の嘉慶帝の前につれだし、「三跪九叩頭」の礼を強制したが、アマースト卿はこれを断り、即座に追われた。
さて皆さん。これを続けて読んだらどう思いますか?
えー、前の二つの著書からの引用文、読んでみてどうでしょうか。私は「田中芳樹は情報操作を平気やる卑怯者だな」と思いました。「中国人なら誰でも守る礼儀」がどんなもんであるか創竜伝の方には全く記述がありません。一般的日本人の感覚で創竜伝を読むと「おそらく皇帝に頭を下げる程度の礼儀なのに、それすらしないとは英国人ってのは何と傲慢な連中だ」と思いますよね。「三跪九叩頭」の礼を知らなければ。創竜伝を読んでいるだけではそれは解りません。ところが実際は、信じられない程傲慢で思い上がっていた清国だったのです。一応イギリスは対等な通商を要求していただけなのに、「夷(野蛮人の意味)は従うのが当然」と乞食でも追い払うような扱いだった訳ですから、怒って攻めてきても不思議はありますまい。元々暴力的な帝国主義国なのですから。阿片戦争は清国の夷に対する態度が引き起こした一面もあるのです。創竜伝では、それを完全に覆い隠して、読者を中国=善、英国=悪という方向にミスリードしようという意図が見え見えでした。
私はこれを読んで、田中芳樹が嫌になったんですよ。銀英伝では随分卑怯者を嫌っていたのに、書いたご本人がどうしようもない卑怯者だったって解ったから。「三跪九叩頭」について、英国人じゃなくても「異常な礼法」だと思いませんか?しかも皇帝の前につれだして無理矢理やらせようとするし。もちろん、阿片戦争についてイギリスが一方的に正義だった訳はありませんが、田中芳樹の中国が一方的に善だったという解釈はなんぼなんでも無茶苦茶ではないでしょうか。彼が背景の事情を知らない筈はないんだし。当然全て知っていて書いているんですから。
不沈戦艦さま。
引用の件についてですが、僕は田中芳樹が、特に情報操作をしているとは感じませんでしたね。
歴史に単純な善悪二元論はほどほどにしておくべきでしょうが、アヘン戦争に関しては、帝国主義的侵略戦争を仕掛けた英国が「悪」であることは明白ではないかと思います。
田中芳樹はなるほど、英国に対して悪意を抱かせるような記述をしていますね。
けれども、『中国・韓国の歴史歪曲』と、タイトルからしてあからさまな反アジア本(なんですよね?)にしたって、中国に対して悪意を抱かせるように書いているわけですから。田中芳樹ほど感情的ではないにせよ。
少なくとも、あなたの引用だけでは、後者を正しいとする理由は僕には思い付きません。ま、前者にしてもそうなんですが。
それと、相手の風習が、こちらの常識と異なるからと言って、「信じられないほど傲慢で思い上がっていた」と判断する態度には、賛成しかねます。
>不沈戦艦様
英国人の紳士的とは「英国的価値観」での物で、清国人の信じられないほど傲慢で思い上がっていた態度というのはこれは「清国的価値観」での物なのでしょうか。
当時、英国と清国は、全くの異種の文化同志であったし、お互いがお互いの紳士的な対応を取った(または取らせようとした)のであるのでは?
異種文化のコンタクトは互いの風習と異なっているのだから、どちらかが折れなければ衝突(トラブル)を起こすのはあたり前ではないのでしょうか。そうすると「郷にいれば郷に従え」という言葉もあるし、また、通商を求めてきたのは英国なのだから折れるのは英国の方なのでは?
あまりいい例えではないのですが、「日本の家に英国人がやってきて、紳士的に挨拶し、土足で上がろうとして入室を拒まれたので、怒って殴り付けた」から英国人を批判するのは間違いなのでしょうか。日本人も悪いのにその事を述べていない!情報操作だ!というでしょうか。もっとも、このたとえは物事の一面しかたとえていないかもしれませんが。
結局、何が言いたいのかというと(まとめるのが下手で申し訳ないです)、英国人が本当に紳士的であるというのなら、相手の風習ぐらい学んでから交渉しようとするのでは?
自国の風習を押し通す、というのであれば、英国人も、信じられないほど傲慢で思い上がっていたのでは?と、僕は思うのだけれど。
お互いがお互いの流儀を崩さなかったので戦争になった、という文を入れても、より詳しい説明にはなるけど入れなかったからといって情報操作にはならないのでは?
あ、そうだ、相手の傲慢さに腹を立ててアヘンを相手国にばらまいたのは英国ですよね。それについては?清国は、英国に対して何をしたんでしょうか。不勉強なので知りません。知っている方教えてください。
「清国人が信じられないほど思い上がっていた」というのは私の個人的感想に過ぎません。「世界に国などない。中国人の唯一の中央政府が中原にあって、全世界を統治している。それ以外の辺境にすむ連中は全て野蛮人で、取るに足らないものに過ぎない」って考え方が中華思想では一般的なのですが、田中芳樹はそれについても何も言っていませんね。「それは違う。相手の風習に合わせるべきだ」という考え方に特に反論する気はありませんよ。「三跪九叩頭」をするのが当然と思う人はそう思っていればいいでしょう。
しかし、同時期の日本でそういったトラブルってありましたっけ?聞いたことがないんですけど。それと、誤解している人もいるかもしれませんが、私は「アヘン戦争は英国は正しく清国が悪かった」とは言っていませんぞ。帝国主義的戦争だったのは間違いありませんから。ただ、田中芳樹のやったように、清国側に一方的に肩入れした記述は歪んでいるんじゃないの?、と言っているだけです。
また「中国・韓国の歴史歪曲」は台湾人の黄文雄氏の著書です。「反アジア本」という類のものではありません。
不沈戦艦さんへ(No.88)
>清国側に一方的に肩入れした記述は歪んでいるんじゃないの?
とおっしゃっていますが、「小説」の中ではそれは当たり前じゃないでしょうか?いくつかの舞台となる時代、国が設定されている小説の場合、それとは敵対した国、時代を排除するのが当たり前だと思いますが。この場合、そもそも作者が「中国=善」として小説を書いているのですから対外的には歪んでいて当然です。もし、ここで清国の態度を英国よりに書いたら、竜堂兄弟らの立場はずいぶんおかしなものになるでしょう。例えば、太平洋戦争下の「日本=善」の価値観のもとに描かれた小説が、「鬼畜米英」を「たたえるべき先進国」として扱っているようなものでしょうか。作者の語り口が中国よりである以上、それはそれとして認めるべきではないでしょうか。
もちろん、これは私の考え方ですから、無視していただいてもいっこうに構いませんが。
よほど個人攻撃や、取るに足らないレベルでもない限り無視したりはしませんよ。それに、ちゃちゃちゃの方の「もず」氏(ったってここの人知っているかどうか)のように、相手を完全無視して自分の意見を述べるだけのつもりもありませんし。
さて、田中芳樹が「中国=善」として創竜伝を書いているんだ、というご指摘についてですが、それは確かにそうですね。彼が「中国=善、日本・欧米=悪」という価値観を持っていることは見え見えです。でもどうでしょう?田中芳樹は「自分はそういう偏った価値観で小説を書いているんだ」とはっきり公言していますか?そんなことはないですね。創竜伝の世界=田中芳樹の世界しか知らない読者は、多分「田中芳樹は公平で良心的なんだ」と思いこむんじゃないでしょうか。あなたのようにちゃんと「作者の語り口が中国より」と認識されている方はいいでしょうけど、そうじゃない人の方が多いと思いますけど。現にウチの妹などは「田中芳樹は公平で良心的」と信じているみたいですよ。一見公平と思わせて実は偏った思考を読者に刷り込もうとする姿勢は私にちょっと評価できません。「卑怯者」としか思えないですな。
一般的な日本人にとって、三跪九叩頭や中華思想、華夷秩序と朝貢によるさくほう(字が出ない)体制といったものは知らないものでしょう。実際、私も学校で習った憶えはありませんし。それらを抜きにして創竜伝だけ読めば、田中芳樹の意図通り日本・欧米には嫌悪感、中国には虐げられた者に対する同情心を持つこと間違いありません。それが評価できることですかね?私には詐欺を行っているようにしか見えませんが。ま、田中芳樹がそう考えているのは勝手ですけど、「それはおかしい。一方的な見方でしかない」と発言し異議を唱える事も大事だと思いますよ。そんなもんだから、管理人氏の「4.小説だったら許される?」の
>「評論なんか書いたらタカ派の奴に何言われるか判ったものじゃないよ。とにかく、小説って形で書けば、余計な文句を付けてくる奴らには『お前は小説と評論の区別もつかないのか』って言ってごまかせるし、評論なんか読まないような青少年にも、小説として読ませれば抵抗なく正しい社会認識に染めることが出来る。まさに一石二鳥だよね。」
の部分はバカうけして大笑いしたし、実際本人もこう考えているかも知れないなあ、と管理人氏の考え方に深く共感させられました。
不沈戦艦さんのご意見と多少は関係するかもしれませんが。
『銀河英雄伝説』は、民主主義と専制君主制と二つの立場に立って、それぞれのメリットデメリットを描いているので、とてもバランスが取れていたと思うのですよ。
それが『創竜伝』みたいに、正義は我にあり! とやってしまうと、どうも居心地が悪いです。
好意的に見ると、あれは「風刺」かなあと。実在の人物・組織を戯画化するのは別に否定されるべき手法ではないと思うのです。ただ技術的に問題があるというか、笑いもとらずに、ただ怒りをぶつけているだけなのが困るわけで。
不沈戦艦さん。No111でご返事いただきありがとうございます。
ちょっと忙しかったので書き込みを読むのが遅れてしまいました。
>でもどうでしょう?田中芳樹は「自分はそういう偏った価値観で小説を書いているんだ」とはっきり公言していますか?
小説の作者が、どこでそのようなことを言うというのですか?読者がそう感じればよいことに対して断りを入れるのは滑稽な気がするのですが。
>一見公平と思わせて実は偏った思考を読者に刷り込もうとする姿勢は私にちょっと評価できません。
>一般的な日本人にとって、三跪九叩頭や中華思想、華夷秩序と朝貢によるさくほう(字が出ない)体制といったものは知らないものでしょう。実際、私も学校で習った憶えはありませんし。それらを抜きにして創竜伝だけ読めば、田中芳樹の意図通り日本・欧米には嫌悪感、中国には虐げられた者に対する同情心を持つこと間違いありません。
田中氏は別に読者に偏った思考を「刷り込もう」としてるわけではないと思います。偏った思考、というものがどのようなものかちょっとわかりかねるのですが、「中国=善」云々に関してなら、作者がこのように考えているんだと読者が読みとって、共感したい人が共感すればいいわけです。現に管理者さんやあなたは共感してはいないわけですし。
確かに歴史に詳しくない人は、えらそうに歴史の知識が書いてあればよっぽど疑り深くない限り、そのときは「そうなのか」と思ってしまうでしょう。しかし、それを「作者の意見を刷り込んでる」と決めつけてしまうのはどうかと思いますが。「そうなのか」と思った人だって、後々違う意見を持つ可能性だってあるじゃないですか。そんなことを言ったら、物知りじゃない人は本を読めなくなってしまいますよ。あなたの主張にそって考えたら、一元的価値観に基づいて書かれた小説を読むときは、その小説のテーマについての豊富な知識と、確立された自分の価値観がないといけないのか、と思ってしまいます。
>「それはおかしい。一方的な見方でしかない」と発言し異議を唱える事も大事だと思いますよ。
はい、私も異議を唱えることの有効性に関してはまったくその通りだと思います。前にも言いましたが、あくまで私の考えを述べさせてもらっているだけで、決して「お前は間違っている!」というつもりはありません。考え方は人それぞれですからね。私があなたの考えに異議を唱えたのは、別にいちゃもんをつけたかったからではなく、こういう考え方もあるのでは?という提議にすぎません。
蛇足ですが、「偏った思考」が政治評論的記述も含むのでしょうか?
私は田中芳樹ファンですが、創竜伝内の政治評論記述の是非はともかく、「政治評論をしたいなら評論を書けばよいのだ」の意見には一部共感してます。創竜伝内で書くことが間違ってるとは思いませんけどね。(だから一部共感)
それでは
ちょっと他で忙しかったので遅れました。ご免なさい。
(1)先ずは、田中芳樹が「偏った価値観で小説を書いている」と公言しないのはおかしい、と私が考えたことに対して、あなたは「そんな断りはいらない」と言う訳ですね。まあ、偏った云々は私の印象なので、それはいいでしょう。でも、創竜伝は小説と言い切れますかね?また、言いたい事があるなら後書きで言えばいいでしょう。はっきり言って、小説に作者本人の後書きって必要不可欠のものでしょうか?創竜伝の後書きは結構長かったように思えましたが。文部省に対してキャラクターの言葉としてケチをつけていた事もありましたよね。後書きに関しては、田中芳樹だけに言えることではありませんが(荒巻義雄などもかなり長い後書きを書いてます)。少なくとも、創竜伝は世の中に対する批判じみた事を書きまくっているのだから、自分がよってたつ立場を説明してもいいと思いますが。
(2)田中芳樹が読者に偏った思考を刷り込もうとしているのでは、というのは私の印象です。と、言うのは創竜伝は十代くらいの読者が多かった(少なくとも最初の頃は。今はどうだか知りません)ですよね。自分の事を思い出してみても、十代の頃、色々な知識を持っていたとは到底言えません。そういう若い読者が、創竜伝に書いている世の中に対する批判を事実だと受け取ったとしても不思議はないじゃありませんか。言ってみれば田中芳樹教に染まってしまう訳です。そういう効果を狙って、創竜伝のようなものを書くのはいいことでしょうか。別に小説を読む場合には豊富な知識が必要だなどとは思いませんが、世の中の事がよく解っていない連中に、「中国=善、日本・欧米=悪」のような一元的な価値観を刷り込もうとするのはやめて欲しいと思っています。創竜伝を読んで政財界には右翼軍国主義者ばかりしかいないなどと誤解している中高生はいませんでしたか?
(3)多元的な価値観がある、という事には私も異論はありませんよ。民主主義である以上、良心の自由は当然の事です。悪魔崇拝でも認めなければならないのがその本質です。ただし、社会や公共の利益に損害を与えなければ、ですけど。田中芳樹の考え方を刷り込まれると、現在の日本社会を破壊する方向が正しいと思いこまないかな、と心配はしますが。実際に実行したりしなければ特に問題はありません。