はじめまして。
創竜伝2巻で、
「動物の擬人化は西洋文明の極めて気色悪い一面だ」
というような意味の文章があったと思うのですが、田中氏は「鳥獣戯画」も知らないでしょうか。
というか、文化の東西を問わずに動物の擬人化(神格化)は一般的なことだと思います。
氏のごひいきの中国の「西遊記」を例に挙げるまでもなく。
すでに既出でしたらすみません。
はじめまして、C。さん。
<創竜伝2巻で、
「動物の擬人化は西洋文明の極めて気色悪い一面だ」
というような意味の文章があったと思うのですが、田中氏は「鳥獣戯画」も知らないでしょうか。
というか、文化の東西を問わずに動物の擬人化(神格化)は一般的なことだと思います。
氏のごひいきの中国の「西遊記」を例に挙げるまでもなく。>
ご指摘の部分は、下記の文章の事ですね。
創竜伝2<摩天楼の四兄弟>(講談社ノベルズ)P17
<動物の擬人化、あるいは人間の擬動物化は、フェアリーランドに代表されるアメリカ文化の、きわめて気色わるい一面である。動物に人間の服を着せ、後肢だけで直立させてよろこぶという心理は、はっきりいって正常でない、と、始は思う。>
始は歴史の教師だったはずなのですが、本気でこんな事を考えているのでしょうか?ご指摘の通り、文化の東西を問わずに動物の擬人化(神格化)は一般的な事であり、歴史教師であった始が知らないはずはないと思うのですけどね。
始だけでなく、作者である田中氏自身も、氏の作品である「夏の魔術」シリーズ(徳間ノベルズ・講談社ノベルズ)を読んだ限りでは、擬人化された動物を嫌っている節があります。
例えば、「夏の魔術」では主人公達が豚人(ピッグマン)の集団に襲われるシーンがありますし、「窓辺には夜の歌」では主人公達が獣人達の世界に迷い込み、獣人達に襲われたり追いかけ回されたりします。また、「春の魔術」では悪役の一人がニワトリ人間になってしまうという場面もあります。
田中氏や竜堂始が「私は『動物の擬人化、あるいは人間の擬動物化』は好きじゃない」と思う事自体は個人の嗜好だと思いますが、それを基にして「動物に人間の服を着せ、後肢だけで直立させてよろこぶという心理は、はっきりいって正常でない」と、他人の嗜好や感性に無闇にケチをつけるのは不穏当と思います。
そもそも、田中氏が尊敬しているはずの故・手塚治虫氏がディズニーから多大な影響を受けていたのは有名な話ですし、手塚氏自身も擬人化された動物を漫画の中に、しばしば好意的に登場させている事は、田中氏も知っていると思うのですが……。
> 創竜伝2<摩天楼の四兄弟>(講談社ノベルズ)P17
>
> <動物の擬人化、あるいは人間の擬動物化は、フェアリーランドに代表されるアメリカ文化の、きわめて気色わるい一面である。動物に人間の服を着せ、後肢だけで直立させてよろこぶという心理は、はっきりいって正常でない、と、始は思う。>
フォローありがとうございます。
単行本ほとんど弟に譲ってしまって、うろ覚えだったので少し記憶違いがあったみたいですね。
それはともかく、田中氏的には「竜(とか狼・虎・熊・獅子)←→人」の変身は擬人化とは一線を画しているのでしょうか。
上記の部分を読んでいるときに、「竜の化身がそれを言うのかっ」と内心でツッコミを入れていたので、気になります。
<それはともかく、田中氏的には「竜(とか狼・虎・熊・獅子)←→人」の変身は擬人化とは一線を画しているのでしょうか。>
「狼・虎・熊・獅子」というのは田中氏の「KLAN」(集英社)に出て来る、獣に変身する登場人物たちの事ですね。
田中氏や竜堂始は、あくまで「動物に人間の服を着せ、後肢だけで直立させてよろこぶ」のが気に入らないみたいですので、おそらくは、おっしゃる通り田中氏は「人から(完全な)獣への変身」とは分けて考えていると思います。
田中氏は過激なまでに擬人化しているディズニーが気持ち悪いといいたいのでは?
エンターティメントとしてみた場合手塚治氏の絵は「可愛い」ですがディズニーのアレははっきり言って「気色悪い」し、擬人化の意味がありません。
アニメはあくまでエンターティメントであって「鳥獣戯画」のような文化ではありません。
エンターティメントとしての一面を持っているかどうかが鍵ではないでしょうか?
結局はアニメを見ていてキャラクターを「可愛い」と思うか「きもい」思うかです。所詮ディズニー、手塚作品は子供向けですから。
動画関係に携わっている者の素直な意見でした。
駄文、横レス失礼しました
はじめまして、審美じうむと申します。
些細な付け足しをば。
> 始だけでなく、作者である田中氏自身も、氏の作品である「夏の魔術」シリーズ(徳間ノベルズ・講談社ノベルズ)を読んだ限りでは、擬人化された動物を嫌っている節があります。
> 例えば、「夏の魔術」では主人公達が豚人(ピッグマン)の集団に襲われるシーンがありますし、「窓辺には夜の歌」では主人公達が獣人達の世界に迷い込み、獣人達に襲われたり追いかけ回されたりします。また、「春の魔術」では悪役の一人がニワトリ人間になってしまうという場面もあります。
「夏の魔術」の豚人には、ウィリアム・ホープ・ホジスンの怪奇小説「異次元を覗く家」という元ネタが存在します。
KLANや竜堂兄弟、「夜への旅立ち」の主人公は、素直に平井和正の「ウルフガイ」でしょう。
元ネタそのものが違うため、田中氏の中では別物、というくくりなのではないでしょうか。
寺沢武一氏の「コブラ」や、高橋留美子氏の「犬夜叉」なんかに影響を与えているウルフガイは、やはりディズニーあたりの動物擬人化系とは、別種のもの、という印象はあると思えます。
はじめまして。
<田中氏は過激なまでに擬人化しているディズニーが気持ち悪いといいたいのでは?>
それだったらそうと、その辺りをはっきりと詳しく描写すべきだったのではないでしょうか?竜堂始は、
<動物に人間の服を着せ、後肢だけで直立させてよろこぶという心理は、はっきりいって正常でない>
と、明確に考えており、これを見る限り「ディズニー的な動物の擬人化」のみに留まらず、「動物の擬人化全般」を否定するかのような考えを抱いているとしか思えないのですが…。
なお、動物の擬人化を嫌っているのがはっきりしているのは竜堂始のみであって、田中氏が嫌っているかどうかは断定は出来ません。
ただ、田中氏が動物の擬人化を嫌ってないとしたら、なぜ「柔軟で博識な元歴史教師」と設定されていると思われる竜堂始に、あのような考えを持たせたのか、その意図がよく分かりませんけど。
初めまして。
まずは田中氏がなぜフェアリーランドなどという紛らわしい舞台設定を作ったのか考えて見ましょうか。
単に、
>「動物の擬人化全般」を否定するかのような考えを抱いている
とするとフェアリーランドなどという某娯楽遊園地を想像させるような
設定をする必要はないわけです。単に西遊記やらハーメルンのバイオリン弾きやらの話を持ち出して批判させれば良いのです。あの舞台の露骨な設定ははっきりいって不要です。
なのになぜ持ち出したのか?私にはあの一言を言わせるために作った設定としか思えないのです。
>「動物の擬人化全般」を否定
させたいのであればあえてあそこで言わせる必要はなく、むしろ西欧で
グリム童話の本でも手に取りながら批判させればよいのです
それに
>始はフェアリーランドに代表されるアメリカ人のセンスがそれほど好きではない。<一部省略>その大部分は昔の童話や児童文学をアニメ化したものであり、自分で作品を世界を創造したわけではない。本当の生みの親は、グリム兄弟であったりアンデルセンであったりする。アニメという表現を生み出した点は偉大であるが、真の意味で創造的な内容のアニメは、アメリカには生まれていない<2巻9p14行目~10p上段6行目>
とアメリカの擬人化、アニメ体系の批判についての真理を示していますし、伏線としては十分で上記の意見には私も共感できます。
田中氏の意図はその辺りにあったと思うのですが。
駄文失礼しました。
マーブルコミックシリーズがあるじゃねえかって意見は却下です(笑
<田中氏の意図はその辺りにあったと思うのですが。>
だとすると、田中氏は「動物の擬人化全般」を否定していると「誤解」されないように、もう少し文章を推敲すべきだったのではないかと思います。
<動物の擬人化、あるいは人間の擬動物化は、フェアリーランドに代表されるアメリカ文化の、きわめて気色わるい一面である。動物に人間の服を着せ、後肢だけで直立させてよろこぶという心理は、はっきりいって正常でない、と、始は思う。>
上記の文章を見る限り、「竜堂始は『動物の擬人化全般』を自分の感性のみを根拠にして否定し、『ディズニー的な動物の擬人化』を楽しんでいる他の人達の心理を異常と断じている」と「誤解」されても仕方がないと思います。
田中氏や竜堂始が『動物の擬人化全般』や『ディズニー的な動物の擬人化』を否定ないし批判するのは自由ですが、行うならば今少し論理的かつ詳細に筆を進めるべきだったのではないかと。そうでなければ、「単なる誹謗・中傷」と受け取られかねません。
横レス失礼します。
私は単に「東=竜種=善」、「西=牛種=悪」の構図から
きていると思っていました。
田中氏の私情が混じっているように見えるのも事実ですが。