コンピュータ・ウイルスのくだりが、『宇宙戦争』のパロディだということは充分承知しています。他にも、原爆を投下するのが全翼機であるB-2だ(『宇宙戦争』ではYB-49でした)というのも、明らかに『宇宙戦争』へのオマージュですよね。
ただ、『宇宙戦争』の場合、人類の科学が生んだ最強の兵器である原爆でさえも倒せなかった火星人を「神の創りたもうた最も小さなもの」が倒した、という逆説が感動的なんですよね。今の人類の技術で倒せちゃうんじゃダメじゃん(笑)。
『地球防衛軍』のように、地球側も超兵器を次々に投入して、超兵器同士の戦いになるというならまだ納得できるんだけど。
『ID4』のファンには2種類いると思います。第1のグループは、あれが確信犯的バカ映画であることを認識したうえで大笑いして楽しむ人。第2のグループは、あれを本当にシリアスで筋の通ったドラマだと思って感動している人。
僕は友人たちといっしょに見たんですが、見ている間、何度もゲラゲラ笑いましたし、見終わった後も「すっげーバカ!」とみんなでおおいに盛り上がりました。
嫌いかというと、そんなことはない。バカ映画の傑作だと思っています。
困っちゃうのが、第2のグループとの認識の落差なんですよね。
最近でもやっぱり『サイン』というバカ映画の傑作がありましたが、あれで真剣に怖がったり真剣に感動したりする人がいるというのを聞いて、「なんでー?」と疑問に思います。
どう考えたって笑うしかない話なのに、なんで笑わないの、と。
また「愛」の話になって恐縮です。
作品を愛するのはいっこうにかまわない。ただ、明らかに間違っている部分があることを知ったうえで、それを許容して楽しむのと、間違いに気づかないまま見るのとは、ぜんぜん違うと思うのです。
はっきり言って、後者は作品をぼんやりと見ているのだと思います。そんな人に「俺はこの作品を愛している」と言われても困っちゃうんです。
前に別のところで書いたことなんだけど、「惚れてしまえばアバタもエクボ」
という言葉があります。これは決して「惚れた人間にはアバタがエクボに見える」という意味ではない、と思うのです。
「この娘の顔にはアバタがある。それがどうした。俺はこの娘が好きなんだ。アバタだってかわいいじゃないか。そうだ、このアバタはエクボってことなしといてやるぜ!」
これが本当の「アバタもエクボ」じゃないかと思うのです。
僕は『トランスフォーマー』や『ようこそようこ』の大ファンです。LDボックスも持ってます。しかし同時に、これらの作品には重大な欠点がたくさんあることも知っています。
「第×話のあのシーンに作画ミスがある」とか「あのシーンの描写は矛盾してる」といったことも、いちいち指摘できます。
本当に熱心なファンというのは、そういうものなんじゃないでしょうか? 『ブレードランナー』のファンは、あの映画の中にある設定ミスや撮影ミスを熟知しています。ファンだからこそ欠点まで知り抜いているのです。
その作品の欠点がどこにあるか分かっていない人は、本当のファンではない、と僕は思います。