映画版スレッドに変なちょっかいが入り始めましたので、555専用スレッドを立てさせていただきます。 番組は今が旬でしょうし、終ったあとでは、すぐ忘れ去られそうな気もしますので。(笑) みんなで大いに褒めたり、貶したりしあいましょう。
私的には、まず最近の海堂君の扱いが気に入りません。 最初は韜晦しているだけかと思ったんですけどねえ。 あと、いのちを狙い、狙われているような状況の中で、みんなそろってスイカを食いあわにゃいかんのだ。リアリティが無さすぎるにも程がある。ああいうのは、緊張と緩和とはいわんだろ。 でも、捨てがたい所もあるんだよね。脚本以外のスタッフが頑張っているからかな。 |
No.13824 - 2003/08/28(Thu) 19:09 [P061204002098.ppp.prin.ne.jp]
| 俺、レンタルビデオ店の店員なんだけど、555は子供の人気がない。 前作の龍騎も回転が悪いので、555は入荷するべきか微妙なところです。 むしろその予算を使って、最初のライダーとかをそろえたいなという衝動に駆られてしまう。 |
No.13828 - 2003/08/28(Thu) 20:40 [zaq3dc058e9.zaq.ne.jp]
| うちの子供たちは555に着いていけなくなってるんですけど 皆様のところのお子様はいかがですか?
子供が引いてしまうような作品を作った時点で失敗だと言いたい
売れそうな記号を入れれば売れるという感じの 作り方に見えて全体としてのシナリオもテーマも見えない。
作品の内容がいつもマイナス方向に向いていて 映画の終わり方がまったく解決になっていない 話が暗すぎて気持ちが悪い。
私としては駄作認定したいんですけど。 |
No.13830 - 2003/08/28(Thu) 21:01 [AIRH03225023.ppp.infoweb.ne.jp]
| 私も亜留間次郎様の意見に近いです。 愚息はドラマを見ずに、「変身」以降はちゃんと座ってみてます。まあ、まだ7歳だから複雑な人間関係とかは理解できないでしょうけど。でも、去年の龍騎はだいたい人間関係を理解していたようだなあ。 ちなみに愚息は劇場版の予告編に違和感と恐怖を覚えたらしく、『映画は見ない』そうです。どうも彼の感覚では、1万人もライダーが出たり、スタジアムで戦うのは『違う』らしい。おかげで私もまだ劇場に行けない(涙)。 そのアホ親父は、バラバラのストーリー展開を把握するのに日曜日は朝から難儀してます。 「555」って、脈絡もないブツ切りの話を寄せ合わせているだけのように感じます。リアリティーのないトレンディードラマのよう、と思っていたら、トレンディーが好きなカミさんにも受けない。彼女は「アギト」が面白かったそうで、イケメン俳優を並べるにしても、「555」は感情移入できるキャラがいなくてダメらしい。 アクションと特撮シーンは説得力があって面白いんだけど。例えば、ファイズは適正があれば誰でも変身できちゃうけど、巧が変身しているときはやや前屈みで右手を振る癖があったりとか、ちゃんと本人の特徴をつけて、見分けがつく工夫がされている。 こういうきちんとした演出が人間ドラマにはほとんど見られない。ギャクだかシリアスだか分からないシーンも多すぎるし。 最終回まで結論を出してはいけないんでしょうが、今のところ、駄作になる可能性が極めて高いと思います。 |
No.13831 - 2003/08/28(Thu) 22:04 [pppo033.oit-net.jp]
| まあ、このあたりのクウガ以降のライダーに関する問題と、それに付きまとうある種のパターンの感想に関しては、クウガ最終回直後に、NIFTY-SERVEのオタクアミーゴスで、唐沢俊一氏が決定的に的を得た論評をしていました。
製作者側への批判でもあるのですけど、同時に、「子供のために」というありがちな意見への皮肉にもなっていたのですが。
できれば、そのまま引用したいのですけど、どうしましょう? |
No.13832 - 2003/08/28(Thu) 23:16 [YahooBB218123198050.bbtec.net]
| 仕立屋雅楽氏 >みんなで大いに褒めたり、貶したりしあいましょう。
………貶すの?…………… 馬鹿ですか?
けな・す 【貶す】 ことさら欠点を取り上げて悪く言う。
>映画版スレッドに変なちょっかいが入り始めましたので
と言ってわざわざ立ち上げたこのスレッドですが 貴方の言う『変なちょっかい』こそが、すなわち『貶す』と言う事ですよ?
そんな普通の人が見て気分が悪くなるだけの物を推奨するとは…………… …………馬鹿ですか?
アルマゲドン論争やガンダムSEED論争の二の舞いを踏みたいのですか? もう一度、あの醜い論争が見たいと? |
No.13836 - 2003/08/29(Fri) 02:04 [U176096.ppp.dion.ne.jp]
No.13838 - 2003/08/29(Fri) 03:29 [nwproxy11.nw.ccc.co.jp]
| >宇津見様 その評論は大変興味深いですね。もしお手間でなければ、拝見させていただきたく思います。
>二ル・プフェルト様 今の555という作品を対して、「毀誉褒貶」という言葉はぴったりだと思ったのですが、お気に召さなかったようですね。 「毀誉褒貶」という言葉に引っ掛けて、「批判してください」というのを「貶しあいましょう」と表現したのも、まずかったかもしれません。これは調子に乗りすぎたと、反省します。 、 >貴方の言う『変なちょっかい』こそが、すなわち『貶す』と言う事ですよ? そうですか?私の言う「変なちょっかい」とは、スレッドの主旨と違うレスの事ですよ。(どれだかお分かりになりますよね) 正しく批判なり批評なりが、行われていたのなら、わざわざスレッドは立てません。 あのままだと、あなたのお嫌いな「醜い論争」に発展するんじゃないかと思ったんで、話題を矯正する意味もあったのですが、ひとりよがりでしたか?
あとね、二ル・プフェルト様が「褒」の部分をまるっきり無視して批判していらっしゃるのは、少し残念ですね。 肯定派、否定派、自由に意見を出していただければ思ったのですが、考えが甘かったですか? それと、このスレッドで論争になるとして、「醜い」ものになるか「綺麗」なものになるかは、どこで判断できるのでしょうか。 論争そのものがお嫌いなら、仕方ない事ですけどね。
あまりカッコの良いことじゃありませんが、誤解をされたままなのも嫌なので、弁明をさせていただきました。「醜い論争」にならないためにも、この件(私がこのスレッドを立てた主旨のみ、555の事は別)では、もう発言はしません。 私の浅慮が原因で、このままこのスレッドが沈んでいくのも、皆様の判断に任せます。 付け加えますと、私個人的には今の時点では、色々問題もあるけど、555は嫌いじゃありません。
最後に、私は馬鹿ですけど、「貶す」の意味を教えていただくほど馬鹿じゃありませんので、念のため。(笑) |
No.13844 - 2003/08/29(Fri) 08:21 [P061198140106.ppp.prin.ne.jp]
| >子供がひいてしまうような作品は失敗。
こういう、「子供に理解出来ないような特撮作品は失敗」 みたいな意見、良く耳にしますけど、本当にそうでしょうか?
私達が子供の頃、ウルトラセブンの各話のテーマや、キカイダーで描かれるジローの苦悩なんかを、全部理解しながら見ていたでしょうか?
正直、アクション等、表面的なカッコ良さに引かれて見てましたよね。ストーリーの深い部分なんかは、インパクト(へたをするとトラウマ)として残っていて、だいぶ歳をとってから、初めて理解できて感動したりしませんでした? |
No.13848 - 2003/08/29(Fri) 12:29 [FLA1Aaf249.osk.mesh.ad.jp]
| あっ、仕事場でレスしたらハンドルうちそこなっていた。上の「t」はT2です。
>こういう、「子供に理解出来ないような特撮作品は失敗」 みたいな意見、良く耳にしますけど、本当にそうでしょうか?
そうだと思いますよ。 子供って自分でお金もっておもちゃを買えないから、その時一番欲しいものを親に買ってもらう事になるじゃないですか。 その時一番欲しいおもちゃは、その子の中で一番いけてるキャラなんですよ。おもちゃ屋で子供に駄々こねさせて親を困らせている作品は子供にとって魅力的なんでしょう。
>私達が子供の頃、ウルトラセブンの各話のテーマや、キカイダーで描かれるジローの苦悩なんかを、全部理解しながら見ていたでしょうか? >正直、アクション等、表面的なカッコ良さに引かれて見てましたよね。ストーリーの深い部分なんかは、インパクト(へたをするとトラウマ)として残っていて、だいぶ歳をとってから、初めて理解できて感動したりしませんでした?
今、子供にウケて上の条件兼ね備えたら名作、子供にウケないでオタやマニアが語るのが迷作。
俺の専門はアニメの方だけど、子供だましよりオタクだましの方が簡単だと思う。 |
No.13849 - 2003/08/29(Fri) 13:19 [zaq3dc058e9.zaq.ne.jp]
| はじめまして~
そう言えば自分がガンダムを初めて見たのは小学生の1,2年の頃。 プラモデルブームでの再放送だったかな。 正直内容は全然分かりませんでした。 ガンダムが動いていない話の部分・・・つまりは人間ドラマの部分とかですが、 意味分からないし面白くもないので、買ったガンダムのプラモデルを自前効果音で遊んでいました。 あのころは連邦が正義の味方で、ジオンは悪と思っていましたし。
で、今。 息子と一緒に日曜日555を見たりしますけど・・・ ガンダムを見ていた自分と同じ様なことをしています、息子(笑) ファイズやカイザの人形片手に自前効果音で遊んでいます。 正味見ているのは冒頭部分の先週の引きと、ラストのバトル部分程度。
>おもちゃ屋で子供に駄々こねさせて親を困らせている作品は子供にとって魅力的なんでしょう。 だとすると、うちの息子にとってはカイザはかなり魅力的なキャラのようです。 カイザ関連の商品を見つけるとじっとそこから動かなくなりますので。 (泣いたり大声を出して駄々をこねるのは、クウガアギトの2年間のしつけによりしなくなりました。) (そのかわり無言で駄々をこねますが(笑)) |
No.13852 - 2003/08/29(Fri) 14:16 [C081H009.home01.cable.mecha.ne.jp]
| 仕立屋雅楽さん、こんにちは。 >あと、いのちを狙い、狙われているような状況の中で、みんなそろってスイカを食いあわにゃいかんのだ。リアリティが無さすぎるにも程がある。ああいうのは、緊張と緩和とはいわんだろ。
僕なんかそういう所が面白くッて見ているようなものです。お前ら情報交換しろよ、とは思っていましたが(真里と草加が必死で探している沙耶が洗濯屋にいても気づかないし)、まさかこんなシチュエーションになるとは。それで共闘か、と思ったら馬くんは悪のカイザにころっとだまされるし。毎週見てないと何が起こるか不安でたまりません(^^;。 シャンゼリオンで井上さんの脚本を「いいなあ」と思ったので、555はとても楽しめます。逆に、アギトや龍騎はいまいちで、途中で見るのをやめてしまいました。毎回ちゃんと盛り上げて、次回を見ようと言う気にさせるというのは、連続ものでは大切だと思います。
ぜろさん、こんにちは。 息子さん、カイザがお好きなんですね。カイザが正義の味方なんだと思って番組を見ていると、将来見返したときにショックを受けるかもしれませんね。まさかあんなヤツだとは(笑)。 僕自身の経験で言うと、『バイオマン』を人間ドラマとして夢中になって見ていた記憶があります(小学生の頃です)。今となってはほとんど内容を覚えていないので、見返すとショックを受けるかもしれません。そんな機会もないのが悲しいですが(T_T)<『バイオマン』。 そういえば、劇場でも、アクションシーン以外での子ども達の集中はいまいちだったと思います。 |
No.13856 - 2003/08/29(Fri) 15:01 [P219108014219.ppp.prin.ne.jp]
| 皆様の意見を拝見をしていると、やっぱりキーワードは子供達なんだと思いますね。 十年後に残る作品を作るというのも、大事でしょうけど、おもちゃを売るのが先決ですもんね。 私らはそのおこぼれをもらっているようなものですね。
特にT2様の>子供だましよりオタクだましの方が簡単だと思う は、言い得て妙ですね。
>尾崎晃仁様こんにちわ どなたかがおっしゃっておられたように、井上敏樹氏は小さな山場をいくつも作って、物語を引っ張る方なんですね。 ジェットマンの頃はそれが斬新に見えたんですけど、別の作品でも同じパターンで書いていらっしゃるのを見ると、「またこれかよ」と思ってしまうんですね。逆にファンの方は、それが楽しいんだというのもわかります。
バイオマンは私見ではありますが、「人と機械」「父と子」の関係をモチーフとして、戦隊シリーズに始めてドラマの要素を持ち込んだ傑作だと思っています。ただ正義の味方のキャラクターがターボレンジャーの次くらいに地味かなっと。(特にグリーンツー・笑)
>劇場でも、アクションシーン以外での子ども達の集中はいまいちだったと思います。 でも確実にその中の何割かは、私らみたいになっちゃうんだろうな。(苦笑) |
No.13858 - 2003/08/29(Fri) 15:51 [P061198140238.ppp.prin.ne.jp]
| イスラファエル様 >私達が子供の頃、ウルトラセブンの各話のテーマや、キカイダーで描かれるジローの苦悩なんかを、全部理解しながら見ていたでしょうか? おっしゃることも分かりますが、555の対象は子供ですから(まさかオタクお父さん向けに作ってるわけじゃ……完全に否定できないのが辛い)、やはり子供に受けないとしたら問題でしょう。 ええと、ウルトラセブンは小学校に上がるかぐらいで見た再放送の印象が強いんですが、「ノンマルトの使者」とか、衝撃を受けました。『ウルトラ警備隊のバカやろう!』とか。 もちろん、アメリカ軍や自衛隊に置き換えられる深いテーマはまったくわかってませんでしたが、面白いことはわかりました。 私だけかもしれませんが、4才の頃に見たはずの「12話」のストーリーを明快に記憶していてたりしますし。 ウルトラホーク1号が航空力学的に(空想科学の範囲ではあるけれど)考えられたデザインであることは理解できなくても、格好いい飛行機だとは感じていました。 逆に見ていたはずの「キャプテンウルトラ」は、その頃の記憶はほとんどないです。(あれはあれで、一概にバカにしちゃいけない作品なんでしょうが) 子供の判断力って、侮れないと思います。 |
No.13864 - 2003/08/29(Fri) 23:42 [p1141-ipad02oomichi.oita.ocn.ne.jp]
| やっと映画版を見て来れたので、話題に加わらせていただきます。
基本的には、2000円近いお金を払うに見合った映画だったと思います。派手なCGやバイク・アクション、ラストでの決闘。十二分に盛り上がりました。 特に、冒頭の見せ方。武装したテロリストには全く反応を示さなかった周りの人々が、カイザの出現と同時に逃げ惑う。まるで怪人が出たように。 ここは凄いと思いました。世界観が端的に示されていましたから。
ですが、前半部分にはかなりチクハグな印象を受けました。
まず、真理がなんであの状況で、仮面舞踏会なんて突拍子もないことを考えるのか、ということ。ほとんど見せ場もなく死んでいった草加や水原(解放軍リーダー)。
そしてこれは多くの方が指摘されていますが、巧生存の謎。 ①量産型ライダー部隊に555敗北。 ②パワーUPアイテムと一緒に倒れていた。 これを見ると、スマートブレインがわざわざパワーUPアイテムを持たせて解放した、としか思えないのですが。
何よりも、山本様はじめ多くの方が指摘されている靴屋の少女、ミナ。 同じように、ほとんど本筋に関係ないサイドストーリーを演じたキャラに、龍騎の霧島美穂(仮面ライダーファム)がいます。ですが、彼女の死には心に響くものがありました。 それは多分、丁寧に描写されていたからです。もともとエピソーードファイナルは、登場人物のほとんどが既にテレビに登場しているため、映画のみの美穂をじっくり描けたのでしょう。
それに比べ、今回はあまりに新登場人物が多かったのです。さらに今までとはかなり違う世界観、成長したキャラを見せなければならなかった。どうしてもミナに割ける時間は少なくなったのではないでしょうか。 今回は人死にの連続でしたが、あまり心に響かなかったのは、おそらく一人一人がゆっくり描写されなかったからだと思います。もし丁寧に描写されていたら、物語中でも重要な意味を持てたのではないか、と思います。
最後に論理と物語の関係性ですが。 基本的に、物語は論理より感情だと思います。ヒトを描く物語であれば、ヒトは感情の動物なのですから自然の道理です。事実、純文学や名作と呼ばれる類のものでは、明らかに非論理的なものも数多くあります(有名な『赤い繭』とか)。 ですが、人口に膾炙するべき娯楽作品としては、論理性も無視できないと思います。それは、論理性が無さ過ぎる物語には、感情移入し辛いからです。 つまり、感情を描くには論理性もないと共感されにくい、と言うことです。
ですが、全てに整合させることは難しいわけで、作者は時として受け手を騙します。ですが、それに受け手が違和感を抱かなかったならば、別に問題はないと思います。論理性は、物語を成立させる道具にすぎないのですから。 逆説的に言えば、こうやって多くの人が「おかしい」と気付いてしまったと言うことは、作者(この場合は井上氏?)が我々を騙しきれなかった、ということです。 結論として、私は「今回の映画は、嘘をつくのが下手だった」という事を提示します。もしもう少し嘘をつくのが上手だったならば、もっと面白い映画になっただろうと。
それでも娯楽作品としては、充分だったと思いますが。 そう思いつつも、目の前の席に座っていた、5歳くらいの女の子が言った言葉が妙に耳に焼きついています。 「アバレンジャーの方が面白かったよ」 |
No.13868 - 2003/08/30(Sat) 01:47 [ntibrk030248.ibrk.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >流星さん 議論の対象になってるのは、論理性ではなく、作劇のセオリーだと思います。
非論理的なお話、展開にも、それはそれで作劇のセオリーがあります。 併映のアバレンジャーは、論理が飛んでるところもありますが、そこを含めて娯楽作品のセオリーに基づいているので楽しめるわけです。
555は、既存のセオリーを無視しているので、つまらない(もちろん既存のセオリーに当てはまらない、新しい面白さ、というのもあるわけですが、そういうものでもなかった)。
例えば、ファムに比べてミナの死がダメな理由は、二つほどあります。
一つ目は、三角関係の決着をきちんとつけなかったこと。 ミナと真理は、三角関係を背負って登場するわけで、見る側としては、それがどうなるか期待します。そのへんが何の解決もなくミナが殺されるので、冷めるわけです。
二つ目は、ミナが主人公(巧)に関わる人間であること。 巧にすれば、ミナは命の恩人であり、一緒に長い時を過ごした親友である。にもかかわらず、お話の後半、巧は、彼女のことを一度も思い出さず、何のフォローもない。 これによって、巧が冷たい人間に見えてしまい、お話全体のテーマである彼の夢も、薄っぺらなものに見えてしまいます。
このへんは、尺があれば、あるいは解決したのかもしれません。 けれど、説明するポイントを理解していなければ、どれほど尺があっても収まりません。 ミナに関しては「三角関係を決着させる」「巧が最後に戦う時、ミナのことも思い出す描写を入れる」の2点を入れる。 入れたくていれられなかったのか、そもそも、そんな基本のことを分かってなかったのか、普段の井上脚本を見ると心配になるのです。 |
No.13870 - 2003/08/30(Sat) 08:21 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| 『エヴァンゲリオン』の悪影響なのかもしれませんが、ここ数年、日本の特撮やアニメにおいて、謎を放り出したまま、納得のいかない終わり方をする作品がしばしば見られます。 実際にはちゃんとした設定があって、それを故意に隠すならまだしも(いや、それもあまり良くないんだけど……)、明らかに製作者側が何も考えてないものがある。「理屈を考えるのが面倒臭いから、あんたたちでてきとーに脳内補完してちょ」みたいな。 それって「手抜き」と、普通は言いますよね。
まあ、『バトル・ロワイヤル』や『ドラゴンヘッド』で「なぜこんな世界ができたのか」をいちいち説明すべきとは思いません。ファンタジーもので、異世界が成立した由来を説明しなくてもいいのと同じで、そういう世界なんだと納得すればいい。 ただ、それがテーマやストーリーに深く関わってくるとなると、話は別。 前に書いたことのくり返しになるので省略しますが、娯楽作品では、話の構造が観客に明示されなければなりません。「このキャラクターは物語の上でどんな役割なのか」「この戦いに何の意味があるのか」「勝利したらどうなるのか」……それらを明示するのは、基本中の基本です。 基本を守らないというのは、風呂の底が抜けてるようなもの。根本的にダメなんです。
厄介なのは、そうした作り方を肯定するファンも少なからずいることです。 浴槽の底が抜けていることに気づかず、自分が理想とする浴槽の底を想像して、「底はきっとこうなっているに違いない」と主張する人とか。 あるいは「浴槽に底が必要かどうかは主観の相違にすぎない」と言い切る人とか。 あるいは、それが浴槽であることすら認めず、「浴槽ではないのだから底は必要ない」と言う人とか。 あるいは、「お前は他人の作る浴槽に文句をつけたいだけなんだろう」と、見当違いのことを言う人とか(^^;)。
そこまで作り手を甘やかす必要はないんじゃないかと思うのです。甘やかしたら連中はいっそうつけあがって、底の抜けた浴槽を量産し続けますよ。 僕としては、ちゃんと底のある浴槽に安心して浸かりたいです。 |
No.13871 - 2003/08/30(Sat) 12:35 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| 風呂作ったとは誰も言って無いよ? 流水プールのつもりかもしんないし。
そんなに安心して風呂に入りたいなら別の工務店に頼めば? その工務店は信用出来ない、手抜きと分かりきってるんでしょ? なのに頼むなんて自分があほなんじゃないの? |
No.13874 - 2003/08/30(Sat) 17:51 [sbcjciptv3425.sbcjc.cc.ms.us]
| 山本先生へ
すいません、私が言ってきた事の繰り返しになりますが、やはり、今回の山本先生の批評は、「悲恋映画を見て、主人公とヒロインはどうして幸せにならないんだと、見当違いな事を言っている」ようにしか、私は見えません。 (私の映画555自体の評価は、No.13805 No.13808の投稿にあります。念のため)
「客層を考えると悲恋映画はふさわしくない」とか「悲恋映画としても脚本などに問題がある」と言われるのなら、まだ、一つの意見として納得がいくのですけど。 しかし山本先生の言われている事は、「この映画は娯楽映画で恋愛映画なのだから、悲恋映画ではありえない。だから二人の愛情が報われ結ばれて、周囲に祝福されるように、人物造形やプロットが組まれていないないのはおかしい。だからあちらこちら破綻している」と、無茶苦茶な事を言っているようにしか見えないのです。
とはいえ、映画の感想程度の事で、自分の意見を一通り言ってなお、他人の自分にしつこく同意させようとも、私は思っていませんし、そんな筋合いも無い事もわかっています。念のため。
余談 「プロなら自分と同じように正しく評価できるはずだ」とも言われていますが、『アルマゲドン』みたいに上映されてから何年もたって評価が確定しているものならともかく、上映されて日が浅い映画についてなら、そのプロの多くが山本先生と違った評価をする可能性も高いので、そのような言い様は避けるべきでしょう。 現段階でも、私がよく見ている、プロの映画批評家や、その他の創作に仕事として関わる立場の人などのサイトを見ても、脚本的な評価は中の上から中の下ぐらいで、終始暗く重い世界観やストーリーに好意的な評価も複数見受けられます。少なくとも山本先生ぐらい酷評しているところは、私の見た範囲では無いのです(山本先生の周辺の方々の評価は、また、違うかもしれませんが)。
「プロなら自分と同じように正しく評価できるはずだ」なとという物言いは、迂闊にすべきではないと、忠告させていただきます。 |
No.13876 - 2003/08/30(Sat) 18:32 [YahooBB218123198050.bbtec.net]
| 『そんなに嫌ならどうして観に行った』か……。
555じゃなくてアバレンの為に行った、とは思いもしないんですなあ(笑)。 |
No.13877 - 2003/08/30(Sat) 19:07 [oska1539.ppp.infoweb.ne.jp]
| >>余談 (以下略)
まあ仕事の人間関係やなんやらあるから、こんな所で公開中やリリース前後の作品について本音をぶちまけるのは迂闊すぎますね。 |
No.13878 - 2003/08/30(Sat) 19:14 [zaq3dc058e9.zaq.ne.jp]
| 「子供に理解出来ないような特撮作品は失敗」とは思いませんが 「子供が楽しめないような特撮作品は失敗」とは思います。
アクション等、表面的なカッコ良さがあれば子供は喜びますけど そのカッコ良いシーンが出てくるまで面白くもないドラマを 見ないといけないのはたまりません。 子供はそこで飽きちゃって後を見ませんよ。
子供映画なんだから、ハッピーエンドで終わらせて欲しい。 教育上良くなさすぎます。 |
No.13881 - 2003/08/30(Sat) 19:37 [PPPa447.saitama-ip.dti.ne.jp]
| >555じゃなくてアバレンの為に行った、とは思いもしないんですなあ(笑)。
嫌なら観なければ良いんだよ、俺はファイブスター物語を見に行った時に 宇宙の皇子を観ずに帰ったから。
それ以後、2本立てや3本立ての映画の途中で出るのを「うつのみこする」と 定着してしまった。
>子供映画なんだから、ハッピーエンドで終わらせて欲しい。 >教育上良くなさすぎます
なるほど、火垂るの墓 は教育上良くなさすぎ、と。 |
No.13882 - 2003/08/30(Sat) 21:06 [pl380.nas922.d-osaka.nttpc.ne.jp]
| >宇津見様
555劇場版が、勧善懲悪の健全娯楽路線でないことは賛成です。 また、山本氏のこれまでの批評の中に、単純な娯楽作品を前提として書かれているように見える箇所があることも同意します。
しかしながら、13871における「底が抜けた脚本は駄目だ」というのは、まっとうな論で、劇場版555のような「徒花」路線にも十分当てはまると思いますが、いかがでしょう?
>話の構造が観客に明示されなければなりません。 >「このキャラクターは物語の上でどんな役割なのか」 >「この戦いに何の意味があるのか」 >「勝利したらどうなるのか」
上記は山本氏の言葉ですが、徒花作品なら徒花作品として、上記の設問は、きちんと伝わるように作る必要があります。
キャラの役割でいえば人類軍。彼らの役割は、「徒花」解釈でいくと、敵の強さ、状況の絶望さ加減を示すことにあるわけです。
しかし、映画の脚本では最初っから最後までビジョンのないガキが内ゲバしてるだけだと、絶望的というよりリアリティがない。 「もっとマシなリーダーがでてくれば、なんとかなるんじゃないの?」って思ってしまうからです。 有能な人間もいて、善意の人もいて、それなのにその行動が、内ゲバで台無しにされる、というような描写があってはじめて、人間のあさましさ、状況の悲惨さが伝わるというものでしょう。
次に戦う意味。勇治の「共生の夢」です。 共生が実現不可能だというなら、なぜ、どのように実現不可能かという構造を描かないといけない。 なぜ、あの3人だけは、人間と共生したいと思うのか? どうして大多数のオルフェノクは、人間を軽蔑しているのか? そこが描かれてない以上、どう絶望的なのかどうか、わからない。
最後に「勝つとどうなるか」。 「徒花」パターンだと、二つ手があります。 一つは、状況を一気に打開する希望を示しておいて、あとでそれが失われるパターン。 もう一つは、最初から希望がないことを分かって、特攻するパターン。
現在の脚本だと、描写がどっちつかずで、不明確です。 「帝王のベルト」というアイテムが、「状況を打開する希望」として何度か言及されてるにも関わらず、特に何もなく終わってしまう。
そしてエンディング。 最強の敵を倒して、一万人オルフェノクをびびらせたんだから、何か成し遂げたような気もしますが、かといって具体的に何かが起きたわけじゃない。 シニカルでダークなエンディングなら、もっと徹底的に虚無的にすべきです。 「絶望の中の希望」「ほんの少し何かが変わった」系のエンディングを狙っているなら、それが具体的に示されてません。
もし、そのへんの問題全てを「徒花作品だから」ということで説明できると考えておられるのであれば、宇津見さんの解釈を教えていただきたいです。 |
No.13884 - 2003/08/30(Sat) 22:06 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| >金平様 リアリティが無い、というのは同意しますが、 >「もっとマシなリーダーがでてくれば、なんとかなるんじゃないの?」 というのには同意しかねます。 あの作品内において、登場する人間の大半は「デビルマン」の悪魔狩りのように、人間側に立とうとする木場達を迫害す立場や 自分達を守る為に全ての他者を攻撃する立場にあるのですから。 リーダーだった水原の死後も真理の意見に耳を貸さずに木場を処刑しようとする描写や、 ファイズである巧すら疫病神呼ばわりする描写からも、彼らの独善的な部分が見て取れます。 もちろん、彼らの行動が生き残りの人間の全てとは思いません。 しかし、作品内で描かれる人間がそんな連中ばかりでは、とてもじゃありませんが変わる事は期待できません。 変化を期待できる描写がないのですから。
また、帝王のベルトに関しては、人間側がこれを奪う事で状況を打破する希望にできると思っているだけで、作品内ではスマートブレイン側は強力な兵器と位置付けているようでした。 TV版ではファイズ達のベルトは「王の為に作られた」と言われていますが、帝王のベルトはそれらとは又違う位置付けがされている物と思えます。 作品内で帝王のベルトは破壊されましたが、これは人類抹殺兵器を破壊した、というミッションを行なったと考えられないでしょうか。
あと、エンディングの件ですが >具体的に示されていません と言われていますが、具体的な何かと言うと、例えば 「立ち去る巧の後に彼に共感を抱いたオルフェノクの市民がついて行く」、みたいなものでしょうか? しかし、あの戦いの時点で彼の真意を市民が理解しているとは思えません。 例えば、巧達の理想(木場の理想だったもの)をあの処刑場で語った訳ではありません。 あの時点で、市民にしてみれば巧は映画冒頭の武器振り回して市外で暴れ回るカイザとなんら変わらない、テロリストなのではないでしょうか? 戦いの中で流れ弾(光ですが)で市民が灰になる描写もあります。 そんな危険な存在をそう簡単に信用できると思えますか? 「俺はあんた達を殺すつもりは無い、スマートブレインを潰したいだけだ」と言うような感じで、 巧が自分の意見を述べていない以上、あの時点で市民にとっては巧は驚異でしかないと思います。
駄文を長々と書いてしまい、申し訳ありません。 |
No.13891 - 2003/08/31(Sun) 01:02 [m196.tr5.kct.ne.jp]
| >肉さん
人間軍、帝王のベルト、エンディングの3つとも、作品内で、そのように書かれてるのは同意します。 ただし作者は設定を自由に作れるわけで、プロットが破綻するダメな設定も、首尾一貫した面白い設定も選べるわけです。
「この設定だから、こんなお話にならざるをえない」というなら、「じゃぁ、なんでそんな設定にしたのよ?」と批判できるわけです。
>人間軍について 劇中、出てくる人間が独善的な連中ばかりなのは同意します。 私の主張は、独善的な連中ばかりだと、リアリティに欠けるということです。
馬鹿な人達が馬鹿なことをして失敗するよりも、有能な人が頑張って失敗するほうが、状況の困難さが伝わりますよね。 人間が残酷で愚かなところを強調したい場合、善意で有能な人を出して、それが堕落するところとか踏みにじられるところを出すのが常道だろう、ということです。
>帝王のベルトについて 設定として、帝王のベルトが状況を打破する力がないのはわかっています。 問題としてるのは、プロットの欠如です。 例えば帝王のベルトに、本当にオルフェノクを支配する力があることにして、人間側がそれを手に入れようと頑張る話にしてもいい。 あるいは、手に入れようと頑張って大きな犠牲を払ったものの、それはスマートブレイン側の偽情報で、罠でした、というのでもいい。
例えば、そういうプロットを踏まえることで、戦いの意義が出てくるということです。
>エンディング 今のストーリーに、オルフェノク市民が賛同するようなお話をくっつけたら不自然になることは、もちろんです。
希望が芽生えるエンディングにしたければ、もっと前のほうから伏線を入れる必要があると思います。例えば新キャラでスマートブレインを信じていたオルフェノクを出して、彼がだんだん心変わりしていく過程を入れるとか。
もちろん、希望が芽生えるエンディングでなくても構いません。 > シニカルでダークなエンディングなら、もっと徹底的に >虚無的にすべきです。 と書いた通りです。 |
No.13892 - 2003/08/31(Sun) 01:38 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| 3つのライダーベルト←3つのユニットG ファイズ←ガイバー1 カイザ←ガイバー3 デルタ←ガイバー2 オルフェノク←ゾアノイド ラッキークローバー←クロノス12神将 草加雅人←巻島顎人 村上←ギュオー 馬蛇鶴←ロストナンバーズ パラダイスロスト←この地球は今日から我々クロノスの以下略
・・・オマージュって範疇か? |
No.13895 - 2003/08/31(Sun) 06:22 [24-148-48-92.na.21stcentury.net]
| えるみなさん > ・・・オマージュって範疇か? まあ、元々ガイバー自体が仮面ライダーのオマージュみたいなものですから 卵が先か鶏が先かレベルの話になっちゃいそうですね。面白そうですけど。
個人的には、555の世界はX-MEN的なところもあると思います。 まあ、人間の中に突如出現したミュータント(オルフェノク)の苦悩を描くという意味では 似てるんじゃないかと。
555キャラを無理矢理X-MENキャラに当てはめていくと。
馬→サイクロプス(こう書くと馬の人がものすごい偽善者に見える(笑)) 鶴→ローグ(但し劇場版) 蛇→ガンビット(偽悪的な振る舞いとか)
で、主人公の巧がひねくれもののウルヴァリン属性ですからね。
X-MENで話を締めるキャラ(プロフェッサーXとかマグニトー、アポカリプスあたり)が居ないので 迷走しまくってる感じが強いんだと思います。555は。
劇場版の扱いは、X-MENならエイジ・オブ・アポカリプス(以下AOA)になるのかなあ。 元々のAOAは本来とは違う時間軸の話という、ある意味リセットが前提の世界だからこそ 成立した話を何の考えもなく555でやっちゃったら、すっきりしなくなっちゃったんじゃないかなあ。と いうのが私個人の感想ですね。ではでは。 |
No.13897 - 2003/08/31(Sun) 09:18 [eatkyo261133.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 怪人:オルフェノク←ゾアノイド 幹部:ラッキークローバー←クロノス12神将 大幹部:村上←ギュオー 組織を抜けた怪人:馬蛇鶴←ロストナンバーズ 変身ユニット:3つのライダーベルト←3つのユニットG 逆転世界:パラダイスロスト←この地球は今日から我々クロノスの以下略
怪人、幹部、大幹部の存在は、特撮ヒーロー系の全てに共通しますね。 他に共通点があればともかく、村上とギュオーは全然似てないし、ラッキークローバーズと12神将もしかり。 ガイバーのゾアノイドの場合、わりと合理的な設定で、同じタイプが量産されたり、バージョンアップしたりするのが特徴ですが、オルフェノクは「動物をモチーフに一体一体違う」という怪人パターンを踏襲しています。
ロストナンバーズと馬蛇鶴も、設定を含めて全然違う。組織を抜けた敵怪人というのも、そこそこよくある設定です。
Gユニットとベルト。これも変身ユニットが3つあるというだけです。 ファイズの場合、装着者が固定しておらず、わりと頻繁にベルトと装着者が変わるところが独特ですが、ガイバーはそうじゃない。
オマージュと言えるのは、せいぜい「パラダイス・ロスト」の設定くらいでしょうか。これにしたって「悪の組織が世界征服した世界」ってのも、昔から何度も考えられてますしね。ENDさんの挙げられてる「エイジ・オブ・アポカリプス」とか。
555とガイバーは、パクりどころかオマージュとすら言えないと思います。 |
No.13903 - 2003/08/31(Sun) 12:24 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| >北長さま えー、ちょっと歪んで伝わってるみたいなので、、、
555は子供向け作品としての制約を受けています。 NO.13848で私が例に挙げた作品も、子供向け娯楽作品としての制約を受けながら、いろいろと小難しいテーマを語っていました。 その小難しいテーマが語られている場面で、当時子供だった私達はやっぱり退屈しましたよね。 でも、子供ながらに興味を引かれるおもしろい部分が有るために見つづけ、大きくなって、語られていたテーマがわかるようになってから、2度美味しい思いをする。 そんな風じゃ無かったですか?
555劇場版のアクションシーンは、山本先生他もおっしゃっている様に、十分楽しめる物でしたよね?
>底が抜けてる話 仮面ライダー555劇場版という作品は、いくつもの縛りの上でで作られています。
1:子供向け作品である為、低年齢の子供達にも楽しめる要素を多く盛りこまなければならない。 2:商業作品であるが故、観客動員、新作おもちゃやグッズの販売も考慮に入れた作品作りをしなければならない 3:現在放映中の番組であるが為に、設定その他について多くを語ることが出来ない。
これらの制約の中で作られていることを考慮に入れ、私は555劇場版はよく出来ていると思いますし、だからこそ、テレビシリーズ終了後の再評価が楽しみなんです。
目の前にある、湯の溜まった風呂槽。手で触ったらチャプチャプするし、その暖かさを楽しんでいる人も大勢いるにもかかわらず、 自分に底が見えないからといって、 「この風呂桶は底が抜けてるし、湯も溜まってない」 と断言してしまうのはいかがなものかと思うのですが、、、^^;
今のせちがらい世の中、山本先生の様に、好きな仕事だけしてお商売になっているような幸せなクリエーターばかりじゃないと思いますよ? |
No.13907 - 2003/08/31(Sun) 15:00 [FLA1Aaf249.osk.mesh.ad.jp]
| 宇津見さんへ。
> すいません、私が言ってきた事の繰り返しになりますが、やはり、今回の山本先生の批評は、「悲恋映画を見て、主人公とヒロインはどうして幸せにならないんだと、見当違いな事を言っている」ようにしか、私は見えません。
悲恋映画を作りたいのなら、悲恋映画としてちゃんと作るべきじゃないですか? 『明日に向かって撃て』みたいな映画にしたいなら、ちゃんとそういう映画にすべきなんじゃありませんか? 『明日に向かって撃て』って、『555』みたいな映画でしたか? あなたが例に挙げられた『用心棒』や『椿三十郎』にしても、そのジャンルにおいて、ちゃんと映画として成立してるじゃありませんか。きちんとしたプロットがあり、キャラクターの配置は適切で、戦いの意味は明瞭で、ラストにはカタルシスがあるじゃありませんか。 『555』の欠陥はそんなことじゃない。僕は「子供向け映画だったらこう作るべき」と論じましたが、「悲劇的な映画ならこう作るべき」という原則も守られていない。ジャンルを超越して、「映画」として根本的に間違っているのです。 この掲示板でもいろんな代案が出ていますが、素人がちょっと頭をひねっただけで、もっとましなプロットがいくつも出てくるんですよ。映画を作る前には企画会議などもやっただろうに、プロが集まって素人以下のプロットしか作れないって、おかしいじゃないですか。
宇津見さんの主張は「これは銭湯じゃなく家庭用の風呂だから底は必要ないんだ」と言っているのと同じです。銭湯だろうと家庭用の風呂だろうと温水プールだろうと、底(映画を支える基本的要素)は必要なんです! あなたが欠陥のある風呂で満足されたことを否定はしません。何をよしとするかは主観の問題ですから。しかし、風呂に底があるかどうかは客観的な問題です。 底はないよりある方がいいに決まってるでしょう? それに、風呂に入るのはあなただけじゃない。日本中で大勢の人が同じ風呂に入るんですよ。 僕が問題にしているのは、欠陥のある作品を作って平然としているスタッフの行為であって、あなたが作品を見てどう思われたかはまったく無関係です。その点をお間違えなく。 |
No.13908 - 2003/08/31(Sun) 15:12 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| 映画の話で盛り上がっている所、TVの話に戻してごめんなさいね。 今日もTV見ながら思ったんですけど、平成ライダーシリーズの一番の不幸は、なんと言っても、フィルムからビデオに変わった事じゃないでしょうか。 井上敏樹氏のカリカチュアされた人物を、リアルなビデオの画質で見るのは凄くつらい。
評判の良い「アバレンジャー」も、もしビデオで同じノリなら、絶対に受け入れられないでしょう?そういう意味で、戦隊シリーズは最後の牙城やね。
生まれた時から、ビデオの映像を見慣れた若い人たちは、あまり違和感が無いんでしょうね。 SFドラマや時代劇のような虚構性の強いものほど、フィルムじゃないと、お話が浮いちゃいますもんね。唯一クウガが面白かったのは、そこら辺にも原因があるんじゃないかな。
あっと、映画はフィルムか!?(墓穴) |
No.13910 - 2003/08/31(Sun) 16:15 [P061198163005.ppp.prin.ne.jp]
| 山本先生
> そこまで作り手を甘やかす必要はないんじゃないかと思うのです。甘やかしたら連中はいっそうつけあがって、底の抜けた浴槽を量産し続けますよ。
なるほど、山本先生はこうお考えなのですね。 作り手に対しては、受け取り手は甘やかした言動を示すべきではないと。 当然の事として、受け取った人達から上がった意見につき、作り手は虚心に耳を傾けるべきですよね? 作り手が意見を無視したり、あまつさえ失礼な態度を持って答えるなどした場合、せっかくの受け取り手の気持ちが踏みにじられてしまう訳ですから、作り手としては最低の態度だとしか言い様がありませんよね? ところで、
> 山本先生に聞いてみたいことがあります。 > 戦慄のミレニアムについてです。 > とても楽しく読ませていただきました。 > でも、不満な点がひとつ。 > 神が一柱も出てきませんでした。 > ちょっとさみしく思えました。 (急展開過ぎて突っ込みいれたくなった作品スレッド・No.13265・どーぶつさん)
という非常に好意的な感想と、疑問に対して、 > えー、いっぱい出てきたはずですけど? > 悪いですけど、あなたのおっしゃってること、意味不明です。 (No.13278・山本先生)
と答えてしまった事についてはどうお考えでしょうか?(後に、どーぶつさんの真意は示されています) また、次の例として、この方も好意的であり、作中の人物への思い入れを語って下さった後に、
> 流とかなたのカップルは意外に面白い…もといお似合いに思います。 (No.13274・長谷さん)
という感想を述べたところが、 > そういう「このキャラとこのキャラをくっつけたら面白い」というのは、あくまで読者の発想であって、作者がそれに従わなくてはいけない義務はない。 (略) > まあ、これは極端な例ですが、「読者の期待通りにストーリーを進める」というのが、決していいわけではないことがお分かりでしょう。 (No.13278・山本先生)
と答えた事については?
これら例に倣うと、 「お風呂に底がありませんでした。 ちょっとさみしく思えました。」 に対する井上敏樹氏(作り手側)の答えは、 「えー、底ならありましたけど?悪いですけど、あなたのおっしゃってること、意味不明です。」 となり。 「素人がちょっと頭をひねっただけで、もっとましなプロットがいくつも出てくるんですよ。プロが集まって素人以下のプロットしか作れないって、おかしいじゃないですか」 には、 「そういう素人のプロットは、あくまで素人の発想であって、作者がそれに従わなくてはいけない義務はない。「素人の期待通りにストーリーを進める」というのが、決していいわけではないことがお分かりでしょう」 で良い事になりますね。
それから、山本先生の「風呂が底抜け」の例は、余りにも適切ではなくイメージの誘導性が高いと考えられます。 用をなさない、底が抜けた風呂でも喜んでいる人達って、要するに「バカ」って事でしょう?既に趣味嗜好の問題ですらない。それとも、御自分の思考に沿わない人達を、本心として「バカ」と呼んでやりたいと思っておられるのですか? せめて「大きく作りすぎた風呂であり、通常のお湯の量では一杯にならない」「深すぎて子供が溺れる恐れがある」「自分には浅すぎて、思い切り寝そべらないと全身がお湯につかれない」程度に問題性を含ませた例えにするのが宜しいかと。
もう一つ。 空想科学研究室掲示板(http://freebbs.around.ne.jp/article/w/wnova/index.html)での山本先生の御発言、「脳内補完にご注意(http://freebbs.around.ne.jp/article/w/wnova/10/qflrdb/qflrdb.html) 」は、先生御自身の掲示板であるこちらに移転させるのが良いのではないかと愚考致します。 あちらは先生が管理する掲示板ではありませんし、既に参加者の方から迷惑である旨の意見が出されておりますので。 構わないのであれば、自分が移動させますが? |
No.13913 - 2003/08/31(Sun) 17:42 [210-20-132-201.home.ne.jp]
| まあ風呂だの、料理だのと言うとイメージや取り方であーだ、こーだといってしまいますね。 すっぱりと、作劇や脚本がなっていないと言った方が、プロットや構成について議論できるので良かったんじゃないかな。 |
No.13914 - 2003/08/31(Sun) 17:51 [zaq3dc058e9.zaq.ne.jp]
| スレッドを立てさせてもらった者として一言。 >犬様 >構わないのであれば、自分が移動させますが?
どうぞご遠慮なく新しいスレッドをお立てになって下さい。 というより、山本先生に質問があるのなら、こんなレスをつけるより、ハナッから新しいスレッドを立てるのが、礼儀ってもんでしょうが。
555の作品について語られるおつもりが無いのなら、はっきり言ってここじゃ「邪魔」ですから。 |
No.13915 - 2003/08/31(Sun) 18:02 [P061204002103.ppp.prin.ne.jp]
| またぞろレトリックに噛み付いている方が散見されますが… 明らかな構造的欠陥の理由を作品ジャンルに還元できると本気でお考えなのでしょうか? まぁ、上記の件は山本先生が言い尽くしておられるので重複は避けますが、個人的に付け加えるなら、物語というのは重層的な構造を持っているものです。表面的なストーリー展開の下には、登場人物の心境の変化等々、幾層もの物語を律する原理が隠されているのが普通で、時にそれらがやや強引な形で表面の事象を歪めてしまう事もあります。これは通常ご都合主義と受け取られ、作品にとって減点対象となるのは当然です。 それをいかにさりげなく、観客にとって納得のいく形で見せるかが送り手の腕の見せ所でしょう。しかし最近は「作品の趣向は見えた(と思う)ので、展開が少々強引なのも許容する」という観客が増えつつあるようで。FT隆盛の悪影響だとしたら、ファンとしては複雑な気分です。 「こんにゃく問答」の野狐禅師のような鑑賞態度にしか見えないのですが… |
No.13917 - 2003/08/31(Sun) 19:16 [a245.spacelan.ne.jp]
| >イスラファエル様
えーと、肯定派の方々にお答えいただけない「瑣末な出来事」を再度書かせていただきますが、
>新作おもちゃやグッズの販売も考慮に入れた作品作りをしなければならない
その結果が劇中でのファイズブラスターですか? 販売に考慮するなら、露骨に「ストーリーに組み込めないのでこのあたりで出しとこう」 なんて、マヌケな展開にはならないと思うんですが。
それともナニですか?あのアイテムは、「脚本もほぼ上がったあとで、突然前触れも無く バンダイに『このアイテムを出せ』と強要され、ストーリーの流れ上、不自然ではあっても あのシーンで登場させざるを得なかった」とでも言われるのでしょうか? こんなこと、映画の企画時期から考えてもおかしいと思いません? アレは、はじめから「登場前提」でシナリオが作られていると考えるのが普通でしょう?
それとも、「その程度のミスはたいした問題ではない。瑣末なミスに付け込むな」 と、言われるのでしょうか?
「映画のプロットについて」と言っている人たちが、アレを「瑣末なミス」など言うはず は無いと思っているのですが…。
それとも、この程度のことも「脳内補完」しないとダメですか? |
No.13923 - 2003/08/31(Sun) 21:18 [flets-a-west-9-252.dsn.jp]
| イスラファエル様 >NO.13848で私が例に挙げた作品も、子供向け娯楽作品としての制約を受けながら、いろいろと小難しいテーマを語っていました。 >その小難しいテーマが語られている場面で、当時子供だった私達はやっぱり退屈しましたよね。 これはもう、捉え方の違いで、あなたの仰ることも分からなくもないし、これ以上議論しても目一杯不毛になりそうなのでここまでにさせていただけると有り難いのですが、返答だけさせて下さい。 「当時子供だった私はウルトラセブン「超兵器R1号」は退屈しませんでした。」「「キカイダー」は原作の方が断然面白かったです。」「愚息(当時6才)は「仮面ライダー龍騎」のドラマ部分もちゃんと見てたが、現在「555」はアクションシーンしか見ていません」とお答えしておきます。 >大きくなって、語られていたテーマがわかるようになってから、2度美味しい思いをする。 これは同意できます。けど、ファンの方には申し訳ないんだけれど、「555」にそんな大層なテーマが、少なくともこれまでの放送ではあるとは思えないです。 まあ、私ら親子は一般的でないと云われたらそれまでですが。 |
No.13925 - 2003/08/31(Sun) 22:23 [p5048-ipad01oomichi.oita.ocn.ne.jp]
| どうにも気になる点がいくつかあるのですが。
1、555は子供向け番組である
別にそれにこだわる必要はないのでは? アクションシーンしか理解できない子供もいるでしょうし、それゆえに離れてしまう子供さんもいるでしょうが、逆にそういった展開に魅力を感じている人間もいるでしょう(私はそうです)。 まず子供ありき、で製作しなければならない理由は特にないと思うのですが・・・。
2、555がなぜ助かったかと新アイテムの入手経路
わざわざ説明するのも野暮というか、冗長と感じていたので、問題視する方が多いのに驚きました。 物語開始時点ですでに終わった出来事である手前、説明を入れるとしたら復帰後すぐに回想シーンを入れて、という形ででしょうけど・・・鬱陶しくありませんか? さらに(おそらく脱出時に起こったであろう巧の)オルフェノク化を終盤まで伏せておく形にすると、ラストシーンでまた回想シーン追加? テンポを犠牲にしてまで入れるほどのシーンでもないように思いますが。
3、ミナの存在意義
これが非常に微妙であることには同意です。 「記憶を埋め込んだ」などというトンデモ発言をさらっとするなと。 |
No.13926 - 2003/08/31(Sun) 23:20 [161-50.yomogi.or.jp]
| >それともナニですか?あのアイテムは、「脚本もほぼ上がったあとで、突然前触れも無く >バンダイに『このアイテムを出せ』と強要され、ストーリーの流れ上、不自然ではあっても >あのシーンで登場させざるを得なかった」とでも言われるのでしょうか? >こんなこと、映画の企画時期から考えてもおかしいと思いません? >アレは、はじめから「登場前提」でシナリオが作られていると考えるのが普通でしょう?
わたしがある所で、ある特撮番組関係者の方とお話ししたときに、まさにそのような「天からの声」で新兵器を唐突に番組中に出さなければならなくなったので困ったという愚痴を聞かされました。 累が及ぶといけねいので、番組名と関係者のお名前を出すことはできませんが、実話です。 |
No.13927 - 2003/08/31(Sun) 23:40 [acykhm032027.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 仕立屋雅楽さん、こんにちは。
ビデオの予約を忘れて今週見られませんでした・・・・・・(T_T)
>井上敏樹氏のカリカチュアされた人物を、リアルなビデオの画質で見るのは凄くつらい。
シャンゼリオンの初期はかなり辛かったですね。おかげでしばらく観るのをやめてしまい、『サバじゃねぇ!』『ごめんね、ジロウ』などの名作を見逃す羽目に・・・・・・。 シャンゼリオンに比べるとファイズは全然問題ないです。しばらくの間に、ビデオにも慣れたんだなぁ、という感じです。 |
No.13929 - 2003/09/01(Mon) 00:31 [ngy2007n080.ppp.infoweb.ne.jp]
| >蓮っ葉さん >2、555がなぜ助かったかと新アイテムの入手経路
どう考えても勝てる見込みがないところから主人公が生還して、かつ、なぜかパワーアップアイテムまで持って帰り、そこに何のフォローもない、というのは、ご都合主義の極致でしょう。
気にならない人もいるかもしれませんが、これはどう考えても脚本の穴です。
今のストーリーのまま説明を増やすと、回想シーンに頼ることになってテンポが殺がれる、というなら、そもそもストーリー自体を変えればいいわけです。
例えば、「ベルトを無くして絶体絶命の状態で連行されてく巧」にするから、どうして生還したかが気になるのであって、これが例えば「最後の力を振り絞って特攻するファイズ。戦闘の中で、真理と離ればなれになる」だったら、実は生還していたが、重傷で記憶を失った、でも納得いきやすいわけです。ベルトはミナが隠してるわけですね。
ブラスターだって巧が持ち帰るから変なので、例えば冒頭の戦闘で、人間レジスタンスが開発中の兵器を持ち帰った、から始まって、色々な登場エピソードを作れるでしょう。
脚本というのは、あちらを立てればこちらが立たずというもので、実際に作ってみれば上の案にも穴はあると思います。 ただ、そこを何とかするのが脚本家の力量でしょう。
「このストーリーだと、テンポが殺がれるから説明を増やせない」というのは的はずれな指摘で、テンポが殺がれないよう、穴をなくした脚本を、最初から作るべきなのです。 |
No.13931 - 2003/09/01(Mon) 01:46 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| 皆様の御意見、拝見させて頂きました。 作劇のセオリー、と言うのも難しい問題だと思います。そのまま乱用すると、「二次元世界の日常」の集大成みたいな話になってしまうでしょうから。 「セオリーを破るのは構わないが、それに見合った効果を出すべき。今回はそれができなかったから失敗」ということでしょうか。だとすると、「論理性」もその「セオリー」の一部に過ぎないのかもしれません。
今回私が素直に見ておかしいと思ったのは、やはり仮面舞踏会付近です。 何でこの状況で、という不自然さ。声を聞いても相手が巧だと気付かない真理。唐突に出てくるライオトルーパー(前の襲撃からずっと隠れてたのか?)。
それ以外はさして疑問に思いませんでしたが。まあ、細かい所にツッコミ入れ出すとキリがないですし。
ただ、ブラスターフォームについては確かに不自然ですね。 今までの映画なら、アギトのシャイニングフォームはTVSPの後、龍騎のサバイブカードは「最終回」なので持ってて当然、となります。 しかし、今回は違います。もちろん、「パラレルワールド」というのを「最終回の後の未来の可能性の一つ」とか解釈する事はできます。しかし、ライオトルーパーに捕まった段階で、巧はベルトを失っているんです(真理が保管していた描写から)。 となると、ファイズにもなれない人間が、パワーアップアイテムのみを手に倒れていた事になる。これは不自然でしょう。 「捕まった巧はオルフェノク化して脱出。その時ブラスターも強奪」とか説明を付ける事は出来ますが、それこそ山本先生のおっしゃる「脳内補完」という奴になってしまいますし。
ちなみにブラスターモードの不自然な登場についてですが、玩具云々より単純な考え方も出来ると思います。それは、 「客引き」 です。 去年サバイブに期待して行って、「これだけか!」と思った経験があります。それに比べれば、きちんと戦闘まで見せてくれた今回は良心的だったのではないでしょうか。
閑話休題。
この中で、小説版をお読みになった方はいらっしゃるでしょうか。私は読ませて頂きましたが、練りなおされている、と言う印象を受けました。 雅人の死にざまや、水原の物語的意味。真理の解放軍の中での役割や、「仮面舞踏会」をやろうと思った理由。 あるいは「帝王のベルト」の位置付けや木場の戦う理由。などなど、ここで批判された多くのことに答えを出しています。 スニーカー文庫の倍以上と値段は少し高いですが、一読をおすすめいたします。面白いですよ。
>金平 様 丁寧な解説、ありがとうございました。感謝いたします。 |
No.13933 - 2003/09/01(Mon) 03:30 [ntibrk030248.ibrk.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >北長さま 貴重なご返答ありがとうございました^^ 私もこれに関しては、主観の違いもありますし、議論するようなことではないと思ってますので、ここまでということで。
>ロボの人さま カンタベリー様が実例を挙げてくださってますが、特撮等、くりえいてぃぶな現場に限らず、一般社会において、このような理不尽な要求っていうのは良くあるものなんですよ^^;
>小説版 私も読みました。 ちなみにこちらには、ファイズブラスターも、サイガもまったく出てきませんし、巧の生還に関しても、金平様が書かれたものに近い形になっています。
今回の映画版の本来のプロットは、じつはこれじゃなかったのかな、、と思ったり^^;
>蓮っ葉様 子供向け番組として作らなければ行けない理由は、もちろん、おもちゃや関連商品を販売するスポンサーの意向です。
後、記憶操作云々に関しては、本編でも、流星塾生に対して同じことがなされてることは、ほぼ間違い無さそうなので、さらっと流せるのではないかと、、、w |
No.13934 - 2003/09/01(Mon) 04:30 [FLA1Aaf249.osk.mesh.ad.jp]
| 別に555の劇場版を擁護するつもりはありません。 先にこれだけは言っておきます。
例年通りのことを考えると、 今回もDC版発売のために20分ほどドラマ部分をカットして居るんでしょうね。 龍騎の時に劇場版を見に行って、ファム役の人の唐突な登場とか、 真司との交流もあんまり無いなぁとか思っていましたが DC版ではファム役の人の出番がだいぶ増えていました。 そうするとミナの話も・・・ DC版を作ることも最初から前提って言うのもアレですが。 ただ、龍騎DC版を見ているとそう思えてしまいまして。
また、1つの映画として見れるように作った割に、 TVの方を見ていないと説明されないことも多いですね。 オルフェノクが人を滅ぼそうとしている理由も、 TVの方で木場達を教育するオルフェノクが語っていたり、 北崎のように面白いことを求めた結果人間狩りを楽しんだのもいるでしょうし。 新武器のことも、どうやって手に入れるかはTVの方で明らかにてな感じかも。
取り敢えず劇場版の方ではTVを見ている人前提の話を作り、 見ていれば説明の要らないことと判断した部分は説明無し。 そして劇場版を見た人には『何で?』と思わせることで 今後TVの方を見て貰えるように『新武器』とか『巧オルフェノク』とかを唐突に出した。
劇場版だけでなく、TV、おもちゃ、ビデオ販売とかを全部含めた 『555』を1つの商売と考えるとこの辺でしょうかネェ。 |
No.13935 - 2003/09/01(Mon) 05:01 [C080H022.home00.cable.mecha.ne.jp]
| >カンタベリー様が実例を挙げてくださってますが、特撮等、くりえいてぃぶな現場に限らず、一般社会において、このような理不尽な要求っていうのは良くあるものなんですよ^^;
自分は建築設計業を行っているのですが、 役所の方に申請をし終わった建物で さぁ、後は建てるだけって状態で どこをどう変更してくれと言ってくるお客さんがよくいたりします(笑)。
しかも通し柱の位置を変更しなきゃならない要望だったり、 部屋を仕切る壁とかを無くしてくれとか言われても 建築上壁の量は必要量が計算してあったり、 タンスとかを置きたいので窓を無くして欲しいとか言われても 排煙採光の関係で窓の大きさとかは決められていますし。
それでもどうにか出来るだけ要望を取り入れなきゃならないのが 客商売の辛いところ。
いや、愚痴なんですけどね(笑) |
No.13936 - 2003/09/01(Mon) 05:08 [C080H022.home00.cable.mecha.ne.jp]
| 劇場版観てきました。
意外と誰も言ってないみたいなんで。
「ギガノイド(違)いらねえ」
あれがやった事は、全部サイガがやっても別に困らないというか、むしろサイガにやらせた方が、サイガの見せ場も増えるしキャラも立つのに、とか思いました。 で、ファイズ対サイガの場外乱闘中、真理を襲うのはオーガっつーことで。 どーしてもあれを出したかったんなら、サイガがファイズに負けた後で、サイガの中身の人(オルフェノクか)による最後の悪あがきにでもすりゃよかったろうに。 #「ベルト壊されてブチ切れて激情体に変化」ってやつ←ベタベタだけど
で、総合的な感想。 ここの掲示板で突っ込まれてるような点のいくつかは「?」と思った上で、それらによる違和感や不満より、「派手でかっちょいいアクションシーンが観られたこと」による満足の方が(一応)上回ったので、自分的には「なんだか知らんがとにかくよし」ってトコでしょうか。 #子供の感想だよそれ(苦笑)
無理やり風呂の話に例えるとしたら。
シャワーでどんどんお湯を注がれている浴槽。 その浴槽は、風呂桶の底にいくつも大きな穴が空いているので、お湯がちっとも溜まらず、肩までつかってゆっくりすることはできない。 中に入ってる方としても、「穴が空いてるなぁ、この穴がなけりゃもっといいのになぁ」とは思う。 でも、とりあえずシャワーを浴びて、体を洗ってそこそこ温まることはできたから、ほんとは物足りないけどまぁいいか。 ……って感じですか、だいたい。
ついでにテレビ版の方。 ……とにかく毎回毎回、戦闘シーンの途中で次回に引っ張って、次の回の頭で決着つけるのをやめて欲しいんだけどなぁ。 毎回毎回消化不良な感じで終わってしまう、この辺がうちのせがれに受けない最大の理由って気がするんで。 #3歳児に1週間前の話を覚えてろって方が無理だよ |
No.13949 - 2003/09/01(Mon) 13:12 [101.suba401.attnet.ne.jp]
| >イスラファエル様 >特撮等、くりえいてぃぶな現場に限らず、一般社会において、このような理不尽な要求っていうのは 良くあるものなんですよ^^;
それでもブラスターのあの処理は「言い訳」にもなりませんでしょ。 そもそも「ブラスター登場は土壇場で強要された」ッテー前提自体、現時点では 「好意的な脳内補完」にすぎないんですから。
あと、ついでにブラスター絡みでもう一つ。 オーガとのラストバトル、なにゆえファイズはブラスター化した後、ブラスター本体を その場に放置→使用時に取りに戻るなんてーまだるっこしいマネをなさいますか? ブラスター後そのまま携帯し、オーガのオーガストランザーとの殺陣に使用する事 もできたはず。と、いうより折角の新武器をあの局面で使用しないなんてバカでしょう。
どーも、「馬の人が真理を捨て身で庇う」シーンを作りたいがために、ファイズから 「サイの人」を止める手段を奪っておいた様にしかみえませんですねえ。
そういえば、宣伝にあった「一万人ライダー」ってーのも登場しませんでしたねえ。 冒頭のトルーパー部隊もそんなに居ませんでしたし、最後の観客たちも オルフェノク ではあっても「全員ライダーだった」なんて説明、劇中ではありませんでしたからね(笑)。
……とか友人と話していると、
「その問題はガマスで解決済み」
…ガマスかよッ(笑)!! |
No.13951 - 2003/09/01(Mon) 13:24 [flets-a-west-9-252.dsn.jp]
| こちらでは、お久しぶりです。
ええと、平成ライダーの劇場版ですが、ストーリーにきちんと決着をつけたのは、「アギト」だけですね。 最悪なのは、「龍騎」のラスト。まあ、TV版のラストを見れば、違った印象もあるわけですが、一本の作品としてはまとまっていない。 「555」は正直、詰め込みすぎ(死亡キャラ数も「龍騎」以上)で、細かいところには粗が目立つけど、 当面のストーリーには決着がついた、と言える分、「龍騎」よりはマシと言えるでしょうか。 (ただ、TV版のキャラの死に様の方が印象的で、劇場版のキャラについては、登場の必然性が薄かったかと)
あと、山本さんの井上脚本評価として、以下の点が挙げられていましたが、
>主観の相違かもしれませんが、僕は井上氏の脚本が「上手い」なんて思ったことは一度もありません。不自然なキャラクター造形、偶然に頼りすぎのプロット、説明不足、リアリティのない台詞などなど、欠点を挙げはじめたらきりがない。
これについては、もう少し具体的な指摘が欲しいところですが、山本さんの出した欠点は、すべて長所と見なすこともできます。
・不自然なキャラクター造形 ⇒ 一風変わった特徴を持ち、性格のメリハリがついたキャラクター
・偶然に頼りすぎのプロット ⇒ 予測できないストーリー展開
・説明不足 ⇒ 視聴者の想像力を喚起
・リアリティのないセリフ ⇒ ケレン味を重視したセリフ
自分自身は、井上脚本の醍醐味は、「極端な性格のキャラクター」が「偶然の事件に巻き込まれながら、ドタバタと決めゼリフとかアクションを示しながら、ジェットコースターみたいな勢いで突っ走るドラマ」と考えています。 ストーリー全体の流れをきちんとプロット立てるよりも、キャラ重視、シチュエーション重視で、そこに突発的な事件を引き起こしてやる。 映画の作法よりは、TRPGの作法に近いノリを感じます(それもアドリブ重視のゲームマスター)。
きちんと作法にのっとった料理はもちろんおいしいわけですが、そうでない料理スタイルもあるということで。 劇場版ファイズは、肉(アクション部分やインパクトある場面)が中心で、野菜(ドラマ的整合性)の少ない、栄養価の偏った(味付けは悪くなく、クセになる)料理かと。
あと、過去に掲示板で、ハリウッドの「パターン通りのストーリー展開」を否定していた山本さんが、「パターンを崩している」ことで、ファイズを非難しているのは、どうも納得がいかないです。 評価基準が個人的な好き嫌いに基づいていて、一本、筋が通っていないようにも思えてきて。
PS:じっさいのところ、「龍騎」にしても「ファイズ」にしても、安心して子供に見せてあげたい映画とは思いません。戦隊ものに比べて、展開が暗すぎて。ただ、「子供向けの明朗快活ヒーロー路線」以外のスタイルがあること自体は、否定したくないです。
PS2:もしかすると、こういう評価って、世代差が出るのかもしれません。70年代生まれだと、幼少時から暗い作品も見てきた気がするから……。 |
No.13953 - 2003/09/01(Mon) 14:24 [cwa011215.bai.ne.jp]
| 脳内補完って言葉が多用されているので、 いっちょ脳内補完やってみます。
まず、オルフェノクに支配された世界。 これはTVの方で 『自分たちは、もう人間じゃない。待ち受けているのは人間対オルフェノクの戦い。』 と言う発言をスクィッドオルフェノクがしているのと、 社長の言っていた戯れ言『人を襲うのは愛故に』を真に受けたオルフェノク達の結果。
オルフェノクの発生率は非常に低いことから、 あの世界にいるのはあの街に存在するオルフェノクで全部。 だからこそ圧倒的な力が有れば何とかなるんじゃないか?と妄想する人間達も出てくる。 そんなわけでレジスタンスのうちの一部は帝王のベルトを求める。
1万人ライダーはファイズ抹殺の時に出ていた奴らのこと。
ファイズが負け、連れさらわれた巧はどうやって助かったか? ベルトがない以上オルフェノクになって、脱出。 オーガとの闘いを見るとスピードがかなり速いので。 その際にブラスターを盗む。 しかしファイズの時にひどくやられていたので途中で倒れる。 その後ミナとその父親に拾われ、別の記憶を。 何故脱出風景が語られないかは、最後の戦闘シーンでオルフェノク化を見せるため。 一応巧がオルフェノクだったという伏線は555になれるのと、 水原が『お前オルフェノクじゃないのか?』と言ったシーンで見せた表情。
唐突な仮面舞踏会は公式アルバムに 『みんなの希望になればと開いた』とあるので、 そう言う発言した部分は劇場版ではカットされている。
最終決戦でブラスターをオーガに対し使わなかったのは 巧にはやっぱり木場を殺したくないと言う思いがあったから。 あんなブラスターを使えば即死ですから。
好意的に脳内補完するとこういう感じかな。 私としては昔の仮面ライダーの頃から話し云々よりも戦闘シーンが好きなので すばらしいバトルさえ見せてもらえれば後は目を閉じることが出来るんですけどネェ。 |
No.13956 - 2003/09/01(Mon) 17:51 [C081H012.home01.cable.mecha.ne.jp]
| 皆さんの御意見を拝見していて思ったのですが、「物語」というものをどう捉えるか、というところで評価が分かれているように思います。
山本先生はじめ、批判されている方々は、「物語のテーマ」というのを重視されています。つまり、その表面的には繋がりのないように見えて、奥で一つの軸でつながっている。そういう作劇をお望みなのではないかと思います。
ですがその一方で、「そういう物は関係なし、ノリが全て」といった作品の作り方の作品も増えてきています。ライトノベルスをお読みになっておられる方なら、それが良くお分かりではないかと思います。
それに対して、 >厄介なのは、そうした作り方を肯定するファンも少なからずいることです。(山本先生) >しかし最近は「作品の趣向は見えた(と思う)ので、展開が少々強引なのも許容する」という観客が増えつつあるようで。( 真鳥X 様) というように懸念の念を表明されておられる方もいらっしゃると。
自分は……というと、「それもアリ」ではないかと思っています。前に「セオリー」の話をしましたが、最近ではそれも「一つのセオリー」になってきつつあると思うからです。 ただ、娯楽として違和感なく楽しめる程度の「最低限の論理性」は欲しいです。その「最低限」がどこまでかは人によって違うので難しいのですが。 その上で欲を言うなら、と言うことで最初の書き込みの「もっと人物描写があれば云々」の感想になるわけです。
>ロボの人 様 > そういえば、宣伝にあった「一万人ライダー」ってーのも登場しませんでしたねえ。 >冒頭のトルーパー部隊もそんなに居ませんでしたし、最後の観客たちも オルフェノクではあっても「全員ライダーだった」なんて説明、劇中ではありませんでしたからね(笑)。
ライオトルーパーに変身する「スマートブレイン社SWAT部隊」が1万人だそうです(パンフより)。まあ、「アレがライダーかよ、オルフェノクになってからのほうが強そうだぞ!」とは言いたくなりますが。 結局は「一万人ライダー募集」と引っ掛けたブラフだったんでしょうね。あの募集は結局「オルフェノク募集」だったわけですが。
>White NOVA 様 >これについては、もう少し具体的な指摘が欲しいところですが、山本さんの出した欠点は、すべて長所と見なすこともできます。
NOVA様が挙げられたうち、 ・不自然なキャラクター造形 ⇒ 一風変わった特徴を持ち、性格のメリハリがついたキャラクター ・リアリティのないセリフ ⇒ ケレン味を重視したセリフ の2つは完全に同意出来るのですが、
・偶然に頼りすぎのプロット ⇒ 予測できないストーリー展開 ・説明不足 ⇒ 視聴者の想像力を喚起 はどうも。 前者は「予測できない」というより「御都合主義」のようですし(龍騎の時はあまり感じなかったのですが、今回は……)、後者も、やはりきちんと説明してほしいところです。 特に、どうしてここまで誤解しあえるのか、の木場と巧。「なぜファイズアクセラーを草加が巧に渡したのか(これは後で説明がされればいいのですが)」の疑問。これが代表格として上げられると思います。 ちなみに今のはTVの話ですが、映画では前者が「いきなり巧を襲うライオトルーパー」、後者が「ブラスター入手経路」でしょうか。 |
No.13960 - 2003/09/01(Mon) 18:46 [ntibrk030248.ibrk.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 今日、『HERO』とハシゴして観てきました。 やはり、尺の関係で全体的に説明不足という感じですが、SW風に長いOPナレーション入れたら、済んだことじゃないですかね? まあ、話題の部分はあえて外して気になったところを。 クライマックスシーン。ファイズ・ブラスターを繰り返し拾うなど、流れが悪い。大切なモノ、落とすなよと気になって仕方なかった。ファイズ・エッジにしても、サイガとの決着時に真理から受け取るというシチュをやりたかったんでしょうが、「なんで捨てるねん!? 持っとれよ」とツッコミたくなった。あと、サイガと言えば、アクセル・フォームのファイズのスピードにタメ張ってましたが、なんかスピード感がなかった。サイガが早いというより、ファイズが遅いという感じ。超スピード対決にしたいなら、それらしくしてくれないと。 そうそう、バジン様に合掌。 後は、『HERO』で忘れてしまいました(w) |
No.13961 - 2003/09/01(Mon) 18:59 [gw1.aitai.ne.jp]
| >White NOVA 様
井上さんの脚本に、山本さんの指摘が当てはまるかどうかは、具体例が必要でしょうが、White NOVAさんの言ってる言い換えは、おおむね成立しないと考えます。
>・不自然なキャラクター造形 ⇒ > 一風変わった特徴を持ち、性格のメリハリがついたキャラクター
不自然なキャラクター造形というのは、一風変わったキャラとは違います。
不自然なキャラというのは、性格、行動に一貫性がないキャラです。そのキャラが、どうしてそういう性格で、どうしてそういう行動をするかが理解できず、行動内容に納得いかないものです。
一風変わったキャラ……つまり、通常と違う、読者の予想を裏切るキャラを立てる場合、性格、行動の一貫性を、特に注意深く裏付ける必要があります。 そうしないとそれは、キャラクターではなく、単なる意味不明のイベントになってしまうからです。
よくわからんキャラが、変なことをする、というだけでは、「一風変わった特徴のあるキャラ」にはならんのです。
>・リアリティのないセリフ ⇒ ケレン味を重視したセリフ
これもキャラと同じことが言えます。
聞いた時は突拍子もない言葉だけど、聞いた後では、どうしてそいつがそういうことを言うのか、すごく伝わってくるセリフ、というのがケレン味のあるセリフです。
唐突に変なことを言って、何のフォローもない、というのがリアリティのないセリフです。
ケレン味を重視したセリフこそ、リアリティに注意する必要があります。
>・偶然に頼りすぎのプロット ⇒ 予測できないストーリー展開
「予測できないこと」自体に意味はありません。主人公がバナナの皮ですべって転んで死んだら「予測できないストーリー展開」ですが、別にそんなのは誰も見たくない。
「予測できないこと」に意味があるのは、それが心地よい驚きにつながる場合です。「なるほど。気づかなかったが、確かにそうなってしかるべきだ。一本取られた」というのが、心地よい驚きです。
偶然に頼りすぎのプロットでは、心地よい驚きは味わえません。単に納得いかなかったり、あきれたりするだけです。
>・説明不足 ⇒ 視聴者の想像力を喚起
「想像力を喚起」するためには、提示する情報、隠す情報を、きちんと計画しておく必要があります。 ある一定の枠を作ることで、読者の想像力を働かせる余地ができるわけです。 枠自体がいい加減な場合、それは想像力の喚起にはなりません。単なるよくわからんプロットになります。
この4つは要するに同じことです。 White NOVAさんは、「きちんとプロットを立てる」ことと「シチュエーション重視、キャラ重視」とを対立させているようですが、そうではありません。
意外なキャラや、展開を作りたいのであればあるほど、緻密な計画、前準備が重要になってくる、ということです。 TRPGでも、アドリブマスターであればあるほど、シチュエーションを作り込んでおくものだ、と俺は思ってます。
そもそもTRPGの場合、視聴者=プレイヤーの意見を拾い上げながら展開できる点が、映像作品と異なっています。 複数の意志を合わせて物語を作る快感は、あらかじめ用意したプロットをなぞることに優先するわけです。
映像作品の場合、そうじゃないんですから、いきあたりばったりのアドリブは、視聴者にとって何の価値もありません。
>過去に掲示板で、ハリウッドの「パターン通りのストーリー展開」 >を否定していた山本さんが、「パターンを崩している」ことで、 >ファイズを非難しているのは、どうも納得がいかないです。
セオリーとパターンは別物です。
セオリーというのは、例えば「お話の最後にカタルシスを作る」ということです。 パターンというのは、例えばハリウッド映画なら、「最後、大爆発で悪人が滅ぶことでカタルシスになる」というものです。
つまり、パターンというのは、セオリーの一例です。
この場合、カタルシスを与える方法は沢山あり、映画ごとにどれがふさわしいか考える必要がありますが、それを怠った脚本家が、いいかげんに爆発パターンを使い回すのが問題なわけです。
「大爆発オチは安易だからやめよう」というのは、「じゃぁ最後にカタルシスはなくていいんだね」ということにはなりません。
それぞれの映画には、その映画にあったカタルシスが必要なのです。 「大爆発でお茶を濁そう」というのも「カタルシスなんかいらない」というのも、両方、問題ある思考停止で、批判の対象になります。 |
No.13969 - 2003/09/02(Tue) 00:37 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| >流星様 > ですがその一方で、「そういう物は関係なし、ノリが全て」と >いった作品の作り方の作品も増えてきています。ライトノベルスを >お読みになっておられる方なら、それが良くお分かりではないかと >思います。
ライトノベルは読んでるつもりですが、人気が出ている作品の中で、そんな作品は見たことがありません。
人気の出ている作品は、各イベントの起きる順番。各キャラの行動。各キャラの心情変化。それらが一本にまとまり、全体を通して、読者に対して一定の印象を与えるように組み上げられています。
これは、いわゆる「ノリ重視」の作品、コメディ色の強い作品でも同じです。
White NOVAさんのレスにも書きましたが、癖の強いキャラが沢山登場して、片っ端から場を引っかき回して、てんやわんやの大騒ぎになるようなストーリーであればあるほど、上記の構造はしっかりしてなきゃいけません。売れてる作品は、しっかりしています。
許容限界の最低線が人によって違う、というのは確かです。 ただ、大きな穴か小さな穴かで意見が分かれても、穴は穴、というのもまた確かなことだと思います。
穴は、ないに越したことはないのです。 |
No.13970 - 2003/09/02(Tue) 00:48 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| ・・・ 穴 ミ ニ マ ム す ぎ !
え?どこのって? そりゃ貴方のketsuの。
>許容限界の最低線が人によって違う、というのは確かです。 >ただ、大きな穴か小さな穴かで意見が分かれても、 >穴は穴、というのもまた確かなことだと思います。
>穴は、ないに越したことはないのです。
一般に穴の大小にかかわらず穴の存在自体に我慢できない 人のことを
「ketsuの穴の小さい人」
と言います。OK?
「アラを探すことが目的なら行くな、来るな、迷惑だ」
初めから悪意を持ってる粘着君を満足させるために 映画が作られてるわけじゃないっつー。 ちなみに別に悪意を最初から持ってるわけでなくて 探すまでもなく眼につくんだyo!って言い訳は却下します。 探すまでもなく貴方の悪意が鼻につくのと 同じくらい無意味な言い訳ですから。OK? 貴方の性格の問題です。 ベクトル違うだけで例の男と変わりゃしねえ。 |
No.13978 - 2003/09/02(Tue) 02:34 [d53-64-18-163.nap.wideopenwest.com]
| >金平さん
>どう考えても勝てる見込みがないところから主人公が生還して、かつ、なぜかパワーアップアイテムまで持って帰り、そこに何のフォローもない、というのは、ご都合主義の極致でしょう。
なんのひねりもなくストレートに考えれば「オルフェノク化し逃げ出した」という答えはすぐに出てくるでしょう。 オルフェノク化の条件が「オルフェノクに殺される」or「精神的に追い詰められる」であることを考えたり、ライオトルーパーが変身解除された後、オルフェノク化して立ち上がって来る様子に示唆されるまでもなく。 これ以外の方法で助かったのであれば描写する必要があると思いますが、誰でも簡単に類推できることをわざわざ説明する必要は感じませんね。
>ブラスターだって巧が持ち帰るから変なので、例えば冒頭の戦闘で、人間レジスタンスが開発中の兵器を持ち帰った、から始まって、色々な登場エピソードを作れるでしょう。
襲撃が成功してしまうと、「圧倒的戦力差」の描写が薄れてしまいますね。 結局、トレードオフで今のシナリオのほうが納得はいきます。
>イスラファエルさん
>子供向け番組として作らなければ行けない理由は、もちろん、おもちゃや関連商品を販売するスポンサーの意向です。
以前、バンダイの方とお話したことがあるんですが、子供の絶対数が減ってることもあって単純な子供向けでは立ち行かないようです。 まぁ、結局おもちゃを買うのは親ですから、子供だけでなく親もファンとして取り込めたほうが売れ行き的には効果的なんでしょう。
>ぜろさん
> 脳内補完って言葉が多用されているので、 > いっちょ脳内補完やってみます。
私もおおむね同じ展開を予想していました。 脳内補完とおっしゃられてますけど、これって常識的な「読み取り」の範疇だと思うんですよね。 一から十まで説明されないと満足しない、直接描写のない部分はないものと同じってのは視野が狭いというか、思考停止しているというか・・・。 |
No.13979 - 2003/09/02(Tue) 02:50 [161-50.yomogi.or.jp]
| >蓮っ葉さん >襲撃が成功してしまうと、「圧倒的戦力差」の描写が薄れて >しまいますね。 >結局、トレードオフで今のシナリオのほうが納得はいきます。
じゃぁ「真の帝王だけがブラスターを使える」という情報を出しておいて、自信過剰のサイガがブラスターを持ち出すが、使いこなせずにファイズに奪われる、とか。
別の、この案が最良だと言っているわけではありません。考えろというなら、あと100個くらいは考えつきます。 このシーンだけでなく、あらゆるシーンで、100個以上アイディアを出して、一番バランスのよい組み合わせを選ぶのが、脚本家という仕事です。
前に書いたとおり、脚本はあちらを立てればこちらが立たずというもので、様々な矛盾する情報を、どううまく詰め込むか、というものです。 15パズルや、ルービックキューブを揃えるようなものです。
でも、それを揃えるのが脚本家の腕であり、資格です。
その結果、最終的に「パワーアップアイテムの出所」という重要な点を詰め込めていないのは、それはプロとして問題です。
前に蓮っ葉さんは理由として「回想シーンで説明するとたるくなる」というのを挙げておりました。 その程度の理由で、重要な伏線を説明しなくていいなら、世の脚本家の苦労は報われません。
>一から十まで説明されないと満足しない、直接描写のない部分は >ないものと同じってのは視野が狭いというか、思考停止していると >いうか・・・。
一見何気な句見落とすような、普通の描写。しかし、あとでよくよく考えると、実は重要な伏線になっている、というようなパターン。 こういうのは、蓮っ葉さんのおっしゃる通り、いちいち全部説明せず、観客が自分で発見するのに任せてもいいタイプの伏線です。
一方、「巧脱出の謎」は、それとは違います。 これは、謎を提示することで一定のストレスを与えています。このストレスが、後に解消されることで大きなカタルシスになるわけです。
こういう場合、謎は、明示的に解決しないといけません。さもないと、ストレスばかりが残るからです。
蓮っ葉さんは、もしかしたら、最後に巧がオルフェノク化するシーンで、「なるほど、だから巧はライダーの攻撃から脱出したわけだ!」と気づいて快感を得られたかもしれませんが、あのシーンの演出は、そういう誘導をしていません。 大半の人は、クライマックスを見守っているだけで、最初のシーンの謎まで思いをはせてる余裕はなかったでしょう。 それではストレスしか残らないのです。
もう一つ問題なのは、伏線の説明能力です。
「巧が実はオルフェノクだった」ということで、説明できる点は2つ。
1つは、巧が生還したこと。 もう1つは、巧がベルトをつけられることです。
一方、それによって新たに出てくる疑問は、以下の通り。
オルフェノク化したからといって、ライダー化して強化したオルフェノク一万人から逃げられるものなのか? オルフェノク化して逃げ出すと、なぜパワーアップアイテムが手に入るのか? また、そんな重要なアイテムを奪われたまま、なぜスマートブレイン社は何年も放っておいたのか? あとで555が出てきた時に「おまえはオルフェノクだ。我らの同胞だ」くらい言わなかったのか?
ご覧の通り、説明した点よりも、増やした疑問のほうが多くなっています。 こういうのは、伏線としてダメなものです。 |
No.13980 - 2003/09/02(Tue) 03:42 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| > 『エヴァンゲリオン』の悪影響なのかもしれませんが、ここ数年、日本の特撮やアニメにおいて、謎を放り出したまま、納得のいかない終わり方をする作品がしばしば見られます。 > 実際にはちゃんとした設定があって、それを故意に隠すならまだしも(いや、それもあまり良くないんだけど……)、明らかに製作者側が何も考えてないものがある。「理屈を考えるのが面倒臭いから、あんたたちでてきとーに脳内補完してちょ」みたいな。 > それって「手抜き」と、普通は言いますよね。
「エヴァ」で思い出したんですが、「井上純弌の世界」(ゲーム・フィールド刊)に載っている井上氏と庵野氏の会話によると、 「「エヴァンゲリオン」で「矛盾がたくさんありますねぇ」って言ったら。「そうだろうね、意図的に矛盾を創ったから」って言い返されたんですよ。(中略)庵野さんが言うには、「オタクはツッコみたがるんだ、だから隙間を作らなければならない」と。」 とあるので確信犯なんでしょうね、あの終わり方は。 |
No.13985 - 2003/09/02(Tue) 08:05 [fa04-79B960.tokyo.flets.isao.net]
| >ぜろ様 >最終決戦でブラスターをオーガに対し使わなかったのは巧にはやっぱり木場を殺したくないと言う思いがあったから。 >あんなブラスターを使えば即死ですから。
… … … … えーと、ファイズブラスターには劇中に登場した「フォトンブラスター・モード」 の他に、斬撃用の「フォトンブレイカー・モード」(ファイズエッジみたいな)が あるんですが……、ご存じない?
じゃあ補足で、
「ブラスターを『ブレイカーモード』にすれば、オーガのオーガストランザーとの殺陣に使用する事 もできたはず。と、いうより折角の新武器をあの局面で使用しないなんてバカでしょう。」
と、いう感じに訂正しておきます。 |
No.13993 - 2003/09/02(Tue) 13:08 [flets-a-west-9-252.dsn.jp]
| とりあえず、自分の発言に対して、反論が出ているので、少しずつ解消を試みてみます。
●流星さま
>・偶然に頼りすぎのプロット ⇒ 予測できないストーリー展開 >・説明不足 ⇒ 視聴者の想像力を喚起 > はどうも。 > 前者は「予測できない」というより「御都合主義」のようですし(龍騎の時はあまり感じなかったのですが、今回は……)、後者も、やはりきちんと説明してほしいところです。
ん~と、前者ですが、1話1話見ていると、「何が起こるか分からない」んですが、ある程度まとめてみると、一本の筋が見えてくる感じなんですよ。 その過程で、「ご都合主義」は確かにありますが、一定の方向に基づいていて、デタラメをやっているわけでもないかと。
後者は、自分も説明してほしいと思いますね。「大事な描写に時間をかけて、細かい説明を端折った」なら、フォローもできますが、「大事な説明を端折っておいて、細かい描写(海堂のバカっぷりとか)をていねいにしてる」点は多々見られます。 視聴者が無理に想像力(妄想力?)を働かせないといけないのは、完成された作品としてはどうか? とも思うんですが、「ファイズという番組を中心にした、視聴者を巻き込む大イベント」と考えれば、未完成な部分に視聴者参加の余地を残している、とも言えます。 要するに、ネットや同人活動その他へ、ネタを提供できる作品が、今風なのでは? との考え。
>特に、どうしてここまで誤解しあえるのか、の木場と巧。
はは、視聴者が呆れるほど、つまらない理由で、誤解し合ってくれます。TVであれだけ「おバカなだまされ方をする勇治」を見ていると、劇場版での心変わりぶりも納得できます、ホント。 巧は、元々、人とのコミュニケーションが苦手、っていう設定ですしね。 一応、キャラの性格には則っているんだけど、極端すぎるかと。 NOVAは、一種の「誇張されたお約束ギャグ」と思ってます。「カレーばかり食べるキレンジャー」と同レベルの。
>「なぜファイズアクセラーを草加が巧に渡したのか(これは後で説明がされればいいのですが)」の疑問。
これについては、草加がどうやって入手したのか? 琢磨さんとの戦いはどうだったのかなど、いろいろ不満がありました。 過程を描かずに結果だけ示して、展開を早くしたい、という意図かも知れませんが、その割には、キャラ同士の噛み合いの悪さで展開がゆっくりだし、不満は残ります。 う、これも「脳内補完ネタとして、あえて描写していない」と言えるのか?
> ちなみに今のはTVの話ですが、映画では前者が「いきなり巧を襲うライオトルーパー」、後者が「ブラスター入手経路」でしょうか。
で、劇場版では説明していない謎をいろいろ用意して、「ディレクターズカット版」で答えを示す……ってことなら、卑怯な(でも賢い)商売と言えるんですがね(苦笑)。
わざと未完成品を作って、アラは視聴者に補修させる。そういう作品が増えているのは、風潮としてはどうか、という山本先生の危惧は確かに分かるんですよ。 「プラモデル」や「TRPGのシナリオ」じゃあるまいし、って感じ。 でも、それを喜び肯定するファンも確実にいるんだし、そういう人をただ否定しても始まらないかなあ、とも考えます。
フォローになったかどうかは分かりませんが、以上が「流星さま」へのレスです。 「金平さま」へのレスは、また今夜にでも。では。 |
No.13995 - 2003/09/02(Tue) 14:32 [cwa011215.bai.ne.jp]
| えー、日曜日に放映された分、ビデオでたった今見たんですが……。 今週はツッコミどころ多すぎ!
木場くん、なぜわざわざ伝言なんて頼むの!? しかもよりによって海堂に(笑)。 巧に電話ででも話をすれば、 「俺、そんなの知らねーよ」 って、一発で草加の策略だってバレちゃうのに! つーか、草加もそんなバレる危険性が高いこと、なぜするかな。バレたら自分の方がまずい立場になるだろうに。
巧もなぜ草加の言うことを信じる!? 初登場時のあいつの態度を覚えてるなら、信用できない奴だって分かりそうなもんだが。 いつぞやベルトを海堂たちに奪われた時もそうだったけど、なんでこう騙されやすいんだ、この主人公は? (そう言えば、なんで海堂は、ファイズの正体が巧だってことを木場に教えなかったんだろ?)
真理ちゃん、バイクにまたがった状態でオルフェノクに遭遇して、どうしてバイクを降りて逃げるの!? あと、「やめて!」って言うのが遅すぎ! 草加が変身する前に止めてれば、厄介なことにならずに済んだのに。 なんか登場人物たちが、自らのドジによって窮地に追いこまれてる気がするんですが……。
いつものことだけど、「たっくん、オルフェノクだ!」と啓太郎が電話してから、巧が駆けつけるのが早すぎ! まるで車の後をバイクで追いかけてたように見えちゃうよ。 あんな道の真ん中で人を殺すのに、何分もかけてたのか?
あと、カイザの必殺キック(ゴルドスマッシュ)って、ジャンプしてから命中するまでに、真理があれだけの距離を駆け寄れるだけの時間が実際にかかってたんですね。ちょっとびっくり。 あの円錐がターゲットにロックオンしてたわけじゃないというのも意外だったけど。(女性が体当たりするぐらいの速さで横に動けばよけられるものだったのか……) |
No.13997 - 2003/09/02(Tue) 15:55 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| ラッキークローバーの北崎は、本人が登場するまでは「さん」付けじゃなかったですか? 今は「北崎くん」… 同窓会で何があったか?まだ考えて無かったりしてね。(笑)
ラッキークローバーとか、木場君チーム、たっくんチームが確立してから、キャラクターがますます記号化しているような気がします。 そこが楽しみなファンの方も、大勢いらっしゃるんでしょうね。 でもやっぱりビデオじゃなくて、フィルムかアニメなら良かったのにね、と思ってしまいます。
>尾崎晃仁様 私もシャンゼリオンは楽しく見ておりました。 思い入れの問題かな。とも思います。シャンゼリオンは、井上脚本でも、あまり気にならなかったのにな。何故だろう? でも東映のスタッフは頑張っていますよね。たとえばオルフェノクの造型にしても、ビデオの画質に耐えられるような素材になってますし、アクションシーンも迫力あります。グリッドマンはどうしても見てられなかった。 まァセイラさんじゃないけど、「人は慣れていくのね」でしょうね。 |
No.14000 - 2003/09/02(Tue) 16:57 [P061198130079.ppp.prin.ne.jp]
| 仕立屋雅楽さんへ
>ラッキークローバーの北崎は、本人が登場するまでは「さん」付けじゃなかったですか? >今は「北崎くん」…
ところどころ見逃した部分もあるので一つお尋ねしたいのですが、その「北崎くん」と呼んでいたのは、今まで「北崎さん」と呼んでいた琢磨(メガネポエーマー北條)か村上社長でしょうか? 影山(女性バーテンダー)なら、登場当初から誰でも「くん」付けで呼んでいて(琢磨くん、村上くん)、北崎も「北崎くん」と呼んでいました。 |
No.14009 - 2003/09/02(Tue) 21:35 [YahooBB218123198050.bbtec.net]
| 映画観てないのですが、この前TVの奴観たんで。
脚本とか演出とか構成とか色々言われてるんですが、自分が思ったのは役者サンの演技があんまりじゃないの...です。 別にアカデミーで認められるような、リアル演技しろってことではなく、誇張された、んな奴ぁいねよ!ってキャラなら それなりのやり方あるでしょう、と。 大袈裟なバカ演技にだって品質の高低はあるんですから。 どうも観てて恥ずかしくなってしまって。トレンディドラマ呼ばわりもされてるみたいですが、その要因の一つに演技の 問題もあるんじゃないですかね。いや、脇役に大御所を配してることがある分、演技の平均値は月9ドラマとかの方が 上な気もします。
実は10数年ぶりに特撮もの観たんですが、長い間見なかった理由にクサイ演技ってのありまして。 ネタは良くても、ノレないし笑えない。なんでかって考えると、演技がねえ(笑)となったので。
そんな所はポイントじゃねーよ!と言う人もいるでしょうけど、特撮ものであれ「お芝居」ですから。 |
No.14019 - 2003/09/02(Tue) 23:30 [ymgc-adsl-1325.enjoy.ne.jp]
| ●金平さま
>White NOVAさんの言ってる言い換えは、おおむね成立しないと考えます。
ん~、こういうことを言われると、気になっちゃうもので、少し検証してみましょう。
①不自然なキャラクター造形 ⇒ 一風変わった特徴を持ち、性格のメリハリがついたキャラクター
>不自然なキャラクター造形というのは、一風変わったキャラとは違います。
>不自然なキャラというのは、性格、行動に一貫性がないキャラです。そのキャラが、どうしてそういう性格で、どうしてそういう行動をするかが理解できず、行動内容に納得いかないものです。
まず、「不自然なキャラ」という表現は、山本氏が井上脚本のキャラを称して言われたことなので、金平さんの解釈が正しいとは思えないのですが。
現に、ファイズのキャラは、「性格、行動に一貫性がある」と考えられます。 「不自然なほど人間関係に不器用な巧」や、「不自然なほど人に騙されやすい勇治」など極端すぎるくらい一貫性があるわけです。
>一風変わったキャラ……つまり、通常と違う、読者の予想を裏切るキャラを立てる場合、性格、行動の一貫性を、特に注意深く裏付ける必要があります。 そうしないとそれは、キャラクターではなく、単なる意味不明のイベントになってしまうからです。
それは一般論では、確かにその通りでしょう。 でも、ファイズのキャラクターには当てはまりません。 性格・行動の一貫性という観点では、彼らは「愚かしいほど一途な行動をとりがち」です。NOVA自身は、TRPGの「GURPS」に見られる「不利な特徴」を取っている、ぐらいに考えています。
まあ、あえて「一貫性のない行動をとる」と言えば、「海堂くん」でしょうか?(「人間として生きる」と言ったり、「オルフェノクとして生きる」と言ったり……でも、結局、人間を捨て切れないんだよね^^) NOVAは彼を、「物語世界をかき回すトリックスター的存在」と認識しています。
②・リアリティのないセリフ ⇒ ケレン味を重視したセリフ
>聞いた時は突拍子もない言葉だけど、聞いた後では、どうしてそいつがそういうことを言うのか、すごく伝わってくるセリフ、というのがケレン味のあるセリフです。
>唐突に変なことを言って、何のフォローもない、というのがリアリティのないセリフです。
そうなんですか? NOVAから見ると、例えば、ファイズ17話の「オレはもう迷わない。迷っているうちに人が死ぬなら、戦うことが罪なら、オレが背負ってやる!」は、十分、ケレン味のあるセリフですが。 そして、「リアリティがないセリフ」でもあり、十分両立します。
ファイズでは、結構、キャラのセリフには伏線が張ってあって、「唐突に変なことを言って、何のフォローもない」なんてことは、少ないように思います。
……どうも、金平さんの今回のツッコミって、「一般論としては正しいことを言っていても、ファイズという番組には当てはまらない点を突いている」ように思えますが。 それに、山本氏の表現を「歪めて解釈している」ように見受けられます。
NOVAは、山本氏の指摘した井上脚本の4つの欠点を、事実、その通りだと受け止めています。その上で、「でも、それを欠点と見なすのは一面的で、長所と見なす見方もあるのでは?」と、論じているわけです。 金平さんが山本氏の表現を正しく解釈しているとするならば、山本氏が「ファイズという作品を正しく理解していない」ことになるのですが、そうではないとNOVAは考えます。 少なくとも、山本氏は「ファイズのキャラが一貫性のない行動をとる」「ファイズでのセリフが、唐突に変なことを言って、何のフォローもない」とは述べていないので、この点は金平さんの解釈ちがいかと考えます。
③④については、すでに流星さまにツッコまれていることもあり、NOVAとしては別に擁護したい見解でもないので、省いておきます(あえて言うなら、「主観の相違」という言葉で、逃げておきましょう^^;)。
指摘の後半部については、学べる点も見受けられますので、つづきを書いてみます。 |
No.14034 - 2003/09/03(Wed) 02:33 [cwa011215.bai.ne.jp]
| ●金平さま
前の書き込みでは、「山本さんの表現」絡みで、少々、キツイ言葉にもなりましたが、今度は少し緩やかに。
>White NOVAさんは、「きちんとプロットを立てる」ことと「シチュエーション重視、キャラ重視」とを対立させているようですが、
いやあ、そうではなくて、この二つは両立できると考えていますよ。と言うか、「プロットをきちんと立てるなら、不要なシーンや不要なキャラを削ればいい」と考えています。 でも、ファイズという作品では、キャラの数が多く、毎週の放送では、「ストーリー上、重要な情報を示すこと」よりも、「キャラのお遊びシーン」に時間を費やすことが多い、という実情を示しているわけです。 つまり、「井上脚本では、プロットの流れを崩してまでも、キャラ描写にかける時間が多い」ってことです(アギトでは、番組の終盤でそんなことをするから、不満足な終わり方になった(xx))。
>TRPGでも、アドリブマスターであればあるほど、シチュエーションを作り込んでおくものだ、と俺は思ってます。 >そもそもTRPGの場合、視聴者=プレイヤーの意見を拾い上げながら展開できる点が、映像作品と異なっています。 >複数の意志を合わせて物語を作る快感は、あらかじめ用意したプロットをなぞることに優先するわけです。
これは同意です。
>映像作品の場合、そうじゃないんですから、いきあたりばったりのアドリブは、視聴者にとって何の価値もありません。
でも、昨年の「龍騎スペシャル」や「劇場版ファイズの1万人ライダー(オルフェノク)イベント」では、視聴者参加を目指してますよね。 製作者サイドでは、今の平成ライダーを、「過去の映像作品から飛躍した壮大な実験作」としてとらえているのではないでしょうか? だったら、「既存の映像作品として評価する」だけでなく、「違った観点からの評価」もあって良いのでは、と考えたりします。
>セオリーとパターンは別物です。
>セオリーというのは、例えば「お話の最後にカタルシスを作る」ということです。 >パターンというのは、例えばハリウッド映画なら、「最後、大爆発で悪人が滅ぶことでカタルシスになる」というものです。
つまり、「セオリーを崩すのはいけないけれど、パターンを崩すのはOK」「NOVAは、セオリーとパターンを混同している」ということですか?
>「大爆発オチは安易だからやめよう」というのは、「じゃぁ最後にカタルシスはなくていいんだね」ということにはなりません。 >それぞれの映画には、その映画にあったカタルシスが必要なのです。 >「大爆発でお茶を濁そう」というのも「カタルシスなんかいらない」というのも、両方、問題ある思考停止で、批判の対象になります。
これは、喩えの出し方が、ファイズから離れているんですね。 劇場版ファイズに「カタルシスがなかった」かと言えば、そんなことはなくて、ただヒーロー物のセオリーからすれば、明朗快活とは言いがたいものだった、と言うことで、要は「カタルシスの質が異なっている」ということでしょう。
とりあえず、金平さんの解釈どおりですと、 「アルマゲドンに代表されるB級ハリウッド映画は、セオリーに則っているけれど、細部の描写がパターン通りだからダメ」で、 「ファイズは、セオリーから外れているからダメ」ということになるのですが、 あえて順位を付けるとすれば、どちらの方が評価は高くなるのでしょうか? NOVAとしては、「あえてセオリーを外して冒険しているファイズ」に高い点をあげたくなるのですが。
PS:セオリーとパターンに分けてみる解釈は、金平さま独自のもので、NOVAはまだ納得していないわけですが、熟考の余地はありそうですので、一先ず、ツツくのは止めにします。
PS2:個人的には、今回の山本氏の「ファイズ評論」は感情が先立ったもので、「作品への愛」が感じられません。氏が「ファイズ」よりは「アバレンジャー」の方が好きなのは明らかですが、「嫌いだから貶す」だけでは、「公正な評論」とは言えません。 「あえて嫌いなものの長所を探してフォローしてみるのも、科学的・合理的な態度では?」というのが、NOVAの今回の書き込みの動機です。 「冷静に長所と欠点を並べてみて、それでもファイズはこういう理由で嫌い」と言うのであれば、ファイズファンの人も納得できるのでは? と思ったり。 余計なお世話なら、申し訳ありませんでした(m0m) |
No.14036 - 2003/09/03(Wed) 03:31 [cwa011215.bai.ne.jp]
| >White Novaさん > ……どうも、金平さんの今回のツッコミって、「一般論としては正しいことを >言っていても、ファイズという番組には当てはまらない点を突いている」ように >思えますが。 > それに、山本氏の表現を「歪めて解釈している」ように見受けられます。
これについてですが、「井上さんの脚本に、山本さんの指摘が当てはまるかどうかは、具体例が必要でしょうが」と書いた通りです。 あくまで一般論として書いています。
井上さんの脚本に、不自然なキャラが多いかどうか、リアリティのないセリフが多いかどうか、偶然に頼りすぎのプロットが多いかどうか、説明不足かどうかは、前の記事では特定していません。 それを議論するには、細かく例を挙げる必要があるでしょう。
ちなみに私自身がどう考えているかというと、TV版555についてはまだ終わっていないし、あんまり細かく検討してないので断言できませんが、これまでの井上作品の多くおよび、劇場版については、上記は言えると思います。
> 金平さんが山本氏の表現を正しく解釈しているとするならば、山本氏が >ファイズという作品を正しく理解していない」ことになるのですが、そうでは >ないとNOVAは考えます。
山本さんの表現を勝手に解釈したこと自体、掲示板のルール破りなので、謝罪します。 山本さんの解釈について、どちらが正しいかは、不毛になりそうなのでここで終えようと思います(問題がありましたらご連絡ください)。
>>映像作品の場合、そうじゃないんですから、いきあたりばったりのアドリブは、 >>視聴者にとって何の価値もありません。
> でも、昨年の「龍騎スペシャル」や「劇場版ファイズの1万人ライダー(オル >フェノク)イベント」では、視聴者参加を目指してますよね。
龍騎スペシャルの場合、選択肢が二つあるので、両方に対応できるように、緻密な脚本が必要ですね。まさか、いきあたりばったりで展開を決めたわけではないでしょう。 劇場版555ですが、観客数は、百万くらいの桁ですよね。その中で、1万人の客だけのためにプロットを歪めたり、いきあたりばったりのアドリブを入れるのはメリットがないでしょう。
この二つの場合、視聴者参加があったからといって、プロットをアドリブにするメリットはありませんね。
> 製作者サイドでは、今の平成ライダーを、「過去の映像作品から飛躍した壮大な >実験作」としてとらえているのではないでしょうか? だったら、「既存の映像 >作品として評価する」だけでなく、「違った観点からの評価」もあって良いの >では、と考えたりします。
当然ながら、実験作ならなにやってもいいというわけではありません。 何を目的とした実験で、それは成功したのか、失敗したのか。 普段と違った観点で評価するとしたら、その観点は何か、という検討が必要になるでしょう。
私からすると、劇場版555のように、「絶望的な世界であがく主人公」というのは、十分に確立されたお話のパターンだと思いますから、そうしたお話に対する既存の評価基準がそのまま使えると思います。
> つまり、「セオリーを崩すのはいけないけれど、パターンを崩すのはOK」 >「NOVAは、セオリーとパターンを混同している」ということですか?
そういうことです。 NOVAさんが、「山本さんはハリウッド映画のパターン重視を批判しつつ、555はパターンを守ってないと言うのはおかしい」とおっしゃったので、それは違うということの説明です。 もちろん、劇場版555がセオリーを守っているかどうか、という点でNOVAさんと山本さんの意見は食い違っていますが。
> これは、喩えの出し方が、ファイズから離れているんですね。 > 劇場版ファイズに「カタルシスがなかった」かと言えば、そんなことはなくて、 >ただヒーロー物のセオリーからすれば、明朗快活とは言いがたいものだった、 >と言うことで、要は「カタルシスの質が異なっている」ということでしょう。
私は、カタルシスの質が異なっているだけだ、とは思いません。 悲劇的なストーリーには、悲劇を盛り上げるために、守るべき構造、セオリーがあります。 劇場版555に関しては、その構造を守っていないが故に、悲劇的な物語としてもつまらないものになっている、というのは、金平(13884)および、山本さん(13908)の主張です。
>「ファイズは、セオリーから外れているからダメ」ということになるのですが、 > あえて順位を付けるとすれば、どちらの方が評価は高くなるのでしょうか?
アルマゲドンと555ですか? 好き嫌いでいえば555です。 脚本の穴に関しては、どっちもどっち。となると、メロドラマとして盛り上げる手段を熟知しているアルマゲドンのほうが「よくできている」ということになるでしょうか。 |
No.14037 - 2003/09/03(Wed) 04:20 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| >宇津見様 >影山(女性バーテンダー)なら、登場当初から誰でも「くん」付けで呼んでいて(琢磨くん、村上くん)、北崎も「北崎くん」と呼んでいました。
いやぁ、そうでした。 村上社長あたりが、「北崎さん」と呼んでいたので、私が勝手に中年男性のキャラを、それこそ「脳内補完」しておりました。 名前だけで、キャラクター造型は後付だなんて、大変失礼な思い込みをしておりました。反省。 |
No.14046 - 2003/09/03(Wed) 13:48 [P061204002252.ppp.prin.ne.jp]
| 山本弘様 今週の放送で、また熱くなられているようですね。概ね同感です。リアリティーのないのもあんまりじゃないかと。 けど、 >真理ちゃん、バイクにまたがった状態でオルフェノクに遭遇して、どうしてバイクを降りて逃げるの!? これは説明できます。 バイクに乗る人は分かると思うのですが、アクセルターンとかのテクでも使わないと、直前の障害物を避けてUターンして逃げるってのは、けっこう時間がかかります。小回りもきかないし。その間に捕まってしまうのが普通でしょう。 したがって、真理がバイクを捨てて逃げたのは正しい判断です。けど、オルフェノクって非常識なまでに行動が遅いときがあるから、そういう一般論が通用するかどうかは……。 >いつものことだけど、「たっくん、オルフェノクだ!」と啓太郎が電話してから、巧が駆けつけるのが早すぎ! それを言ったら、毎回、啓太郎に携帯を使う時間があることの方が不思議だと思います。強敵ファイズを呼ぼうとしているんだから、連絡を邪魔しそうなもんだけど。 やはりオルフェノクの行動って、人間より遅いんだろうか? いずれにせよ、強力な脳内補完をかけないと説明できそうにないです。 >カイザの必殺キック(ゴルドスマッシュ)って、ジャンプしてから命中するまでに、真理があれだけの距離を駆け寄れるだけの時間が実際にかかってたんですね。 これまで、アクションシーンは概ね説得力があった555ですが、これは私も引きました。 前から疑問に思っているんですが、555の場合、アクションシーンもやはり脚本家が内容を考えているんでしょうか? ドラマ部分と戦闘シーンで雰囲気が違いすぎると思うんです。 |
No.14049 - 2003/09/03(Wed) 18:31 [pppo026.oit-net.jp]
| しかしファイズのテーマというのはなんなのでしょう。 確か最初、夢がどうのこうの言っていったと思うのですが、いつの間にか「夢」という話は無くなって(真理が理容師目指していたとかの設定って最近まで忘れていたし) それから恋愛モノに走ったと思ったら、これが盛り上がるワケでなし…。 そういえば海堂って最初、巧のライバルっぽい雰囲気出してませんでしたっけ(オルフェノクとヒトの間で苦悩したり、敵としてファイズに変身したり) もしかして脚本家のヒトってファイズをただの戦闘アクションモノじゃなくて、もっと別な(それも高尚な)テーマを与えたくて、こうも一貫性なくコロコロいろんな要素を付け加えるンじゃないでしょうか?(実は言っていてあんまり自信ないのですけど) ところでファイズギアとカイザギアってちゃんと電話として機能してるケド、通話料はドコに払ってるンだろ? あと木場さんがホースオルフェノクなのは、木場と騎馬をかけているとか?うーんどうでも良い疑問だなぁ我ながら。 |
No.14057 - 2003/09/03(Wed) 22:59 [n21srv4.nava21.ne.jp]
| ●金平さま
>これについてですが、「井上さんの脚本に、山本さんの指摘が当てはまるかどうかは、具体例が必要でしょうが」と書いた通りです。 >あくまで一般論として書いています。
ファイズではなく、一般論と言うことなら、 「性格、行動に一貫性がないという意味での不自然なキャラ」も、「後のフォローのない、リアリティのないセリフ」が続出する作品は確かに、ありますね。 ただし、NOVAはそういうキャラやセリフを称して、「メリハリついた」とか「ケレン味重視」とは言いません。
最初から違う題材を語っているなら、「言い換えが、おおむね成立しない」のも当然です。
>これまでの井上作品の多くおよび、劇場版については、上記は言えると思います。
これまでの井上作品については、具体例が欲しいところですね。 ただ、劇場版の新キャラ「水原」や「ミナ」のキャラ立ちの薄さについては、納得しています。 劇場版については、TV版のキャラに比べて、きちんと描写すべき劇場オリジナルキャラの存在意義の弱さが、NOVAには不満でした。よって、この点に関しては、金平さん、ひいては山本氏の評価を否定するものではありません。
>映像作品の場合、そうじゃないんですから、いきあたりばったりのアドリブは、視聴者にとって何の価値もありません。
>この二つの場合、視聴者参加があったからといって、プロットをアドリブにするメリットはありませんね。
どうも、私の出した「(TRPGの)アドリブ(マスター)」という言葉が、一人歩きしているようです(私の引用の仕方も、まずかったかも^^;)。
金平さんは、「アドリブマスターであればあるほど、シチュエーションを作り込んでおくものだ」とおっしゃっており、私もそれに同意しています。 そして、私は「井上脚本は、緻密なプロットよりも、キャラ重視、シチュエーション重視で成り立っている」という趣旨を挙げています。
私が言いたいのは、「緻密なプロット立て」より、「キャラの個性をオーバーに描くことに時間をかけ、そのために時にはプロットが破綻することすらある」のが井上脚本の特徴ということです。 金平さんは、「プロットをアドリブにする(のにメリットはない)」と言われていますが、それは映像作品では実質、不可能ですので、無意味な仮定かと思います。 「緻密なプロットを軽視する」と「プロットをアドリブにする」は全く異なる概念です。
まあ、私も無理に「TRPGとの比較論」を持ち出したわけですから、この点でこだわることはやめておきます。
>当然ながら、実験作ならなにやってもいいというわけではありません。
これ以降の文は、おおむね同意です。
>もちろん、劇場版555がセオリーを守っているかどうか、という点でNOVAさんと山本さんの意見は食い違っていますが。
これは誤解です。 私は、「井上脚本の短所を長所として見ることも可能」という話をしただけで、劇場版ファイズをとりたてて擁護してはいません。劇場版がセオリーを守っているとも、守っていないとも言っていないので、「食い違っていると判断することは不可能」でしょう。
>アルマゲドンと555ですか? >好き嫌いでいえば555です。 >脚本の穴に関しては、どっちもどっち。となると、メロドラマとして盛り上げる手段を熟知しているアルマゲドンのほうが「よくできている」ということになるでしょうか。
ファイズファンにも、アルマゲドンファンにも配慮した、巧みな返答と拝します。その点では、好印象だと思います。
では、今夜はこれにて。 |
No.14066 - 2003/09/04(Thu) 02:08 [cwa011215.bai.ne.jp]
| >White NOVAさん
> 私が言いたいのは、「緻密なプロット立て」より、「キャラの個性をオーバーに >描くことに時間をかけ、そのために時にはプロットが破綻することすらある」のが >井上脚本の特徴ということです。
重箱つつきになりますが、キャラを立てるため、シチュエーションを面白くするためにこそ、プロットは細かく練り上げる必要がある、と考えています。 「キャラの個性をオーバーに描く」ためには、オーバーに見せるためのプロットが必要ですよね。
ここでNOVAさんがおっしゃってるのは、プロットの内、細かいイベント、設定とかの辻褄合わせの部分を軽視して、他に比重を置いている、ということで、よろしいでしょうか?
そういうのは、やりかたによっては「アリ」だと思います。省略と強調は、演出の基本です。
もちろん、つじつまが合わなすぎると、かえってキャラの演技を楽しめなくなったりするわけで、井上氏が、うまくやっているかどうかは……まぁ、作品それぞれですね(例えばアギトの後半については、納得済みでしょうし)。
> 金平さんは、「プロットをアドリブにする(のにメリットはない)」と言われ >ていますが、それは映像作品では実質、不可能ですので、無意味な仮定かと思います。
アドリブと聞いたので、プロットや設定をきちんと決めないで撮りはじめ、途中で思いついたことを適当にぶちこむような作り方を想定していました。 ま、そういうのが、あまり意味がないことは共通認識ということでよろしいですよね。
>>もちろん、劇場版555がセオリーを守っているかどうか、という点でNOVAさん >>と山本さんの意見は食い違っていますが。 > これは誤解です。
了解です。 元々山本さんの、劇場版555に対する批判から始まったところなので、てっきり擁護していると思ったのですが、必ずしもそうではないわけですね。
> ファイズファンにも、アルマゲドンファンにも配慮した、巧みな返答と拝します。 >その点では、好印象だと思います。
そういうつもりじゃなかったので客観評価じゃない感想も書いておきますと、私はアルマゲドンは、大っ嫌いです。555は脚本以外の部分が好きです。 |
No.14068 - 2003/09/04(Thu) 02:47 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| >White NOVAさん > 私が言いたいのは、「緻密なプロット立て」より、「キャラの >個性をオーバーに描くことに時間をかけ、そのために時にはプロット >が破綻することすらある」のが井上脚本の特徴ということです。
最初からキャラの個性をオーバーに描くことを中心に置きたいなら、その邪魔になるような細かい設定とかを作らなければいいわけですよね?
お話全体を、できるだけわかりやすい、簡単な構造にして、説明の手間を減らし、その中で、かっこいいシチュエーションや、オーバーなキャラを追及すればいい。
もちろん、何がなんでも簡単にしろ、という話じゃなくて、謎やら伏線やらが説明しきれる範囲に収まるように準備しておけばいい、ということです。
もし、そういう準備を怠って、結果的に設定や事実関係の説明をおざなりにすることを、「「緻密なプロット立て」より、「キャラの個性をオーバーに描くことに時間をかけ」ると表現されているなら、それは特徴ではなく、単なる欠点だと思います。
劇場版555をNOVAさんが擁護していると考えた理由は、以下の発言(13953)です。
> きちんと作法にのっとった料理はもちろんおいしいわけですが、 >そうでない料理スタイルもあるということで。 > 劇場版ファイズは、肉(アクション部分やインパクトある場面) >が中心で、野菜(ドラマ的整合性)の少ない、栄養価の偏った >(味付けは悪くなく、クセになる)料理かと。
例え話なので微妙ですが、私は焼き肉やステーキは、栄養価は偏っていても立派な料理として認めます。 ただ、劇場版555の場合、ドラマ的整合性が失われたのは、単に脚本の穴であって、料理の違い、スタイルの違い、観点の違いには還元できない、と考えています。 |
No.14069 - 2003/09/04(Thu) 03:15 [j124165.ppp.asahi-net.or.jp]
| 映画版『555』に限らず、娯楽作品というもの全般について考えてみます。(「娯楽作品」と限定するのは、観客や読者を楽しませることを目的としない作品には、以下の論旨は当てはまらないからです) まず、作品の出来。独創性はあるか、プロットは練られているか、テーマは明解か、キャラクターの表現や役割は的確か、カメラワークや俳優の演技はどうか……そういった要素をひっくるめて、ここでは「完成度」と呼びます。 次に、その作品が観客や読者から支持されたかどうか。これを「人気」と呼びます。 完成度と人気は必ずしも比例しません。ヘッポコな作品が大人気になることもあれば、完成度は高いのに話題にならない作品もたくさんある。(『カリオトストロの城』や『ターミネーター』の日本初公開時の興行成績は、かなりひどいものでした) そこで、娯楽作品を次の4つのカテゴリーに分類してみます。
完成度 人気 A 高 高 B 高 低 C 低 高 D 低 低
BとCのどちらがいいかは、議論の分かれるところでしょう。 作品の完成度が低いことを指摘されて、 「そんなことはどうでもいい。俺はこれが好きなんだからそれでいいじゃないか」 と主張する人がいることを、僕は非難しません。僕だって、完成度が低いけど好きな作品はいくつもありますから。 しかし、BCよりはAの方がいいし、DよりはBCの方がいいことは、みなさんも同意していただけると思います。
確かに観客の立場からすると、AでもCでもかまわない。面白ければ、それでいい。 しかし、僕はどうしても作り手の立場から見てしまうんです。 観客がCで満足してるからといって、「じゃあCを作り続ければいい」という態度は、やはり「志が低い」と言いたくなる。どうしてAを目指さないのか? もちろん、予算の問題やスポンサーのご意向など、大きな壁はいくつもあります。しかし、ほんのちょっとした工夫(台詞をつけ加える、設定を少し変える、など)で完成度を高くできるなら、そうすべきだと思うのです。 同じヒットするにしても、Aでヒットする方がCでヒットするよりいいんじゃありませんか? |
No.14072 - 2003/09/04(Thu) 09:48 [zaq3dc0692b.zaq.ne.jp]
| 今回の件、山本先生の(こういってはなんですが)ヒステリックな批評とその後の一連の言動に、「そんなにヒステリーを起こしてまで否定するのはおかしいのでは」と異論、反論が出ただけの話と思います。 |
No.14077 - 2003/09/04(Thu) 13:21 [YahooBB218123198050.bbtec.net]
| こう考えてみてはどうでしょう。 絵が二枚あったとします。 何が芸術かわからないような二枚。 どう見ても落書き以上には見えない絵。 でもそれは、片方は芸術。もう片方は本当に落書き。 では、その二つの違いは何か? それは、デッサンのしっかりできる著名な画家が書いたかそうでないか。 同じに見えても違うんです。 プロが見ればデッサンをやってきた人間の書いたものか、そうでないかがわかるって事です。 世間で、もしもこの二つが同じように評価されたとしても、やはりこの二つには歴然とした違いが有るんです。
これはシナリオにだって言えるわけです。 十分な考証をした上であえてそれを崩しているのか。それともはじめからでたらめなのか。 555にしてもアルマゲドンにしても十分な考証をしたようには見えなかった。 そういうことなのでしょう。 |
No.14079 - 2003/09/04(Thu) 13:57 [proxy01rc.so-net.ne.jp]
| せっかく新スレが立っているのに、まだみんなコッチに書くよう(呆)。
>山本先生 >今週はツッコミどころ多すぎ!
私が気になったのは、木場が傷を負って部屋に帰ってきたシーンでした。
>巧に裏切られたと思い込み、海堂に伝言を頼む…、「このままでは戦うことになる…」
ちょっと待てよ!「木場の目の前にいる」鶴の人っ!あんた、先週 巧に 「木場さんは悪い人じゃあない」旨の話をしながら、木場の「たたかうことに」発言には ノーリアクションかよっ!!セリフどころかフォローのカット一つありゃしねえのは可笑しくない? それとも、鶴の人的には、
「巧に、「木場さんは悪い人じゃあない」とは言ったものの、木場が勝手に、巧と戦うことを決意 するのには、特に興味はございません」
か?
普通、先週ああいったシーンが有ったなら、あのシーンで鶴の人は「何か誤解があったのでは?」 とか、「もう一度確かめてみては?」とか言ってもオカしくないでしょう。
ってーか、ノーリアクションなんて有り得ないでしょ。普通。
もっとも、「一般論ならおかしいがファイズという作品にはあてはまらない」と言われれば それまでなんですけどね…。(無敵の論理ですから)
とりあえず、このスレはここまでにして、あとは多分2ページ 目辺りに埋まっている 新スレに移行してください。 |
No.14082 - 2003/09/04(Thu) 14:49 [flets-a-west-9-252.dsn.jp]
| それと、この掲示板の山本先生が定めたルール(特に「掲示板利用のエチケット」)を、山本先生が自身が率先して破っているような状況も、話題の混乱に拍車をかけていると思います。
私も、SEED問題のときに破ってしまい、大変もうしわけない事をしました。
山本先生ご自身が、ご自身の定められたルールを読み返し、なおかつ、そのルールを定めた理由を思い返していただければ幸いです。
とにかく、いまはただ、山本先生に、落ち着いてくださいとお願いするのみです。 |
No.14086 - 2003/09/04(Thu) 17:41 [YahooBB218123198050.bbtec.net]
| ●金平さま
No.14068の書き込みは、おおむね快く受け取りました。
でも、補足の部分で、ミスをされてます。
>もし、そういう準備を怠って、結果的に設定や事実関係の説明をおざなりにすることを、「「緻密なプロット立て」より、「キャラの個性をオーバーに描くことに時間をかけ」ると表現されているなら、それは特徴ではなく、単なる欠点だと思います。
どうやら、金平さまは「特長」と「特徴」を混同されているようです。 「特長」は長所ですが、 「特徴」は「長所も短所も含めた、目立つ性質」です。
私自身、井上脚本には長所もあれば、粗もあると考えています。粗そのものを無理に擁護するつもりはございません。 ただ、考えるのは「粗だけなんだろうか?」という部分です。 私は、井上脚本を「手堅くまとまった作り」というよりも、「個性的な手法で、ほころびも多いがクセのある味で、他では味わえない」と考えています。 ただ、それには、好き嫌いが多く付きまとうようですし、私自身、「好きになれ」とか、「欠点はすべて長所だ!」と無理に主張するつもりもありません。
では、何が言いたかったかと言うと、宇津見さんも指摘しているとおりなのですが、 「山本先生のファイズ批評があまりにも偏ったもので、公正さを欠いているのでは?」と危惧したため、「こういう見方もあるのでは?」と提案したわけです。
●山本先生
自分としては、山本先生が「否定的意見」に偏らず、ファイズファンの気持ちをフォローする姿勢を示してもらえれば、特に申し上げることはなかったです。
元より、ファイズという作品には、多くの欠点があります。 そして、ここで示された欠点も話の流れから、井上脚本にすべて責任がかぶせられているのかも知れませんが、 もしかすると「脚本には書かれていたけれど、監督の意向でカットされた可能性」も考えられます。
誰に責任があるかはともかく、「欠点は欠点として追及する姿勢は当然、必要」でしょう。ただ、「アラ探しに夢中になりすぎて、見えなくなるものもある」ことは指摘しておきます。
山本先生の指摘した欠点の多くは、その通りだと考えます。でも、納得できない部分もあります。 「木場の心変わりが理解できない」というのは、どうして? と正直、思いました。もしかして、山本先生は「TV版のファイズ」で、木場の性格をつかんでいないのでしょうか?
彼は「人を信じやすく、一方で簡単に裏切られたと思い込み、その途端に絶望して暴走してしまうキャラ」として、第1話から描かれています。 劇場版では、仲間の二人を失った衝撃で、まともな精神状態ではなくなって自暴自棄になった、とNOVAは考えています。もちろん、「真理の裏切り」という理由(誤解)に、後押しされてですが。自分が「人間との共存という不可能な夢」を二人を巻き込んだために、死に追いやってしまい、自分一人がのうのうと生きている現状。ここまで追い詰められて、なおも以前と変わらぬ自分の意志を保ちつづけることができるでしょうか? どちらかと言えば、容易にスマートブレインの洗脳さえ受けてしまいそうな精神状態ではなかったでしょうか? これぐらいの想像が脳内補完と言われるのなら、ファイズに関しては、自分自身、ここで語らない方がいいのかもしれません。
先生の辛口批評はおおむね興味深く読んでますが、「欠点でない部分」にまで欠点に見えてしまうのは、作品に対するバイアスかな? と今回、思えました。 今後とも、論者としては冷静に、管理者としては公正な態度で、ここを平穏に運営されることを願っています。
自分もいろいろ言い過ぎましたので、少し引き下がりたいと思います。 では、今回の論争では、自分はこれにて。 |
No.14100 - 2003/09/05(Fri) 03:57 [cwa011215.bai.ne.jp]
| 555スレッド・9月(劇場版ネタばれあり)スレが立ってます 。
このスレ長すぎですそちらに移動して下さい。 |
No.14102 - 2003/09/05(Fri) 06:32 [nwproxy11.nw.ccc.co.jp] |