二次元の日常のスピンアウト
星野くんと根岸さん
>居合、抜刀術の術者はまず見当たらないのが実状であろう。
現状居ないのでは「そういう立ち合いが有利不利」は計れないと思います。
>甲野善紀著「身体を通しての”学び”の原点 武術を語る」
甲野氏は武術探求家ではあるが術者としては実践の人ではない。 これは踏まえておかねばならない事であると思います。 彼の「術理」の探求と、その「紹介」の功績とは別問題。
>僕は、抜刀術の実用的意義は、抜刀術者と非抜刀術者がお互いに納刀状態で >戦闘を開始するという状況では、抜刀術者が圧倒的に有利というところにあったと考えます。
儂は居合いは江戸時代になってから発達したと聞いてます。戦国時代の戦(いくさ)場でお互いが鎧を着込んでいれば最初から抜刀して立ち会うでしょう。ですから江戸時代の江戸の町中であれば、仰ったような感じになるでしょう。無闇に武士が刀を抜けば、それだけで切腹モノだからです。
常磐城さん
>今の人間は、その術理を無くして出来なくなっている、との事です。
「満足に歩く事も出来てない」って奴ですね。
>古流の術理~『脳を騙す』~
空手の宇城さんだったかの「突きが当たらない」体捌きなんかもありますね。 これ「脳のホムンクルス」って番組で紹介されてましたが。
あと昔ここで話題になった手裏剣の打ち方なんかも 「人間は視線に対してまっすぐ迫る動きが見えない」という生理的弱点を突いたものだし、 中国武術の発勁という身体運用&発力は 「短距離では大きい威力が出せない」という経験則の裏をかくものです。
とかく生命がかかっていると「きれいごと」は言ってられないので日本刀で臑を払う、指を切り飛ばすなんてのは日常の事となる。 平和になって誰も鎧を着る事無く、刀は両手で使うのが普通になり、臑を払ったり、指を切るのは「卑怯」だという世の中になれば、それが「心理的抑圧」として行動に規制がかかる。
人間というのは「自分が思っている以外の事」について考えるのが苦手である。 考え方のメソッドがなかったりすると「日常」は簡単に「非日常」になる。 武術を全く知らない人間に「一瞬で間を詰める」歩法や「ゼロ距離で威力を叩きつける」発勁をやってみせると「こんな事は有り得ない」と理解し、武術家が研鑽した技術を「非日常」の事として処理してしまう。 (古代遺跡の「剃刀も通らない石組み」とかも非日常と思う)
「非日常」として脳が処理すると「日常」を優先する脳の基本から外れるので除外対象になる。「非日常」を体現する人は天狗様や神様になってしまうのである。 (幻覚を見た事の無い人間は幻覚を見せるだけで騙される>オウム真理教)
脳の規制というのは凄く強い。 トンデモを判断するのも脳が日常←→非日常を自在に行き交う事が出来なければ「出来ない」のだと思う。 |
No.17618 - 2004/03/12(Fri) 15:10 [zaqd3872093.zaq.ne.jp]
| ぺいりあんさん
>>今の人間は、その術理を無くして出来なくなっている、との事です。 >「満足に歩く事も出来てない」って奴ですね。
恥を忍んで。 私、中国武術教室に通いだして今年で四年になりますが、
『 い ま だ に 立 つ こ と す ら 出 来 ま せ ん (涙)』
どんな例えがわかりやすいかというと、 酔っぱらいが飲酒運転で捕まり、 酔っ払い「俺は酔ってない!」 警官 「立って見ろ!」 (酔っ払い、身体がぐらぐら‥‥あっちへよたよた‥‥‥こっちへよたよた) 警官 「立てて無いじゃないか!」 酔っ払い「立ててるでしょ!」
という状態です。 そんな酔っ払いが、ふらふらしながら殴りかかってきても怖くもなんともない。 (酔拳は除外してください)
初めて教えられたのは、2~3年目でした、 意味が分からずに悩んでいたら、 先生が「立ってろ」と言い、横に立ち、 私の肩に軽く手を置くと、だんだん‥‥‥身体がぐらぐら‥‥あっちへよたよた‥‥‥こっちへよたよた 「何ですか?、これ?」 「おまえのヨタヨタする方向に協力して、動きを増幅したの」
先生に誘導してもらって、『立たせてもらった』事がありましたが、 その時に、先輩に突いてもらったのですが、 いつもなら、こんなスピード、絶対避けられない!、間に合わない! って突きが、間に合うんですね。 (普通は、避けても、避けた方向を追いかけて来て当たってしまう) 一発避けて足を一歩踏むと、もうそれで『立てない』状態になってしまいますが、
自分で立っている(つもり)だと、絶対に間に合わない。 だから、セイバーキャッツでやってた『歩法』とかも、それまでは、 「そんなの本当にあるのか?、超能力で、一般人には体得できないんじゃないのか?」 とか思ってたんですけれど。
中国武術が、なんで最初に立ち方を練習しているのかがやっと解りました。 「立つことが出来る」だけでも全く違うみたいです。 『立てた』人間が『歩ける』ようになったらすごいのでしょう、まして『走れる』ようになったら‥‥‥
居合で、黒田師範が言っていた言葉、 『立って剣を抜くのが出来ないから、座った状態で抜く練習をする』 よくわかりました。身をもって。
先生からは、「はよ、立てるようになれ」と言われています。 |
No.17621 - 2004/03/12(Fri) 16:46 [ntaich085190.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]
| 常磐城様 > 先生に誘導してもらって、『立たせてもらった』事がありましたが、 > その時に、先輩に突いてもらったのですが、 > いつもなら、こんなスピード、絶対避けられない!、間に合わない! > って突きが、間に合うんですね。 『グラップラー刃牙』で勇次郎がやっていた、琉球唐手の、王家にだけ伝わる何とかって技は、要はそういうコトなんですかね? |
No.17622 - 2004/03/12(Fri) 17:01 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| ヨコヤマ様
>『グラップラー刃牙』で勇次郎がやっていた、琉球唐手の、王家にだけ伝わる何とかって技は、要はそういうコトなんですかね?
御殿手(うどんでぃー)でしょうかね。 刃牙は読んでいたんですが、勇次郎のその辺りの方は、 殆ど忘れてしまいましたので、 とりあえずそう言うことで話を進めます。
武術オタの私は、先生に聞いたことがあります。 一つには、私が書いた立ち方と通じる歩法があり、 もう一つは、ある『目付』の仕方による特殊なタイミングの取り方っていうのが有るようです。
先生のある手のタイミングでの捌き方の説明で、 やり方は教えてはもらえませんでしたが、 「この『目付』のノウハウを日本人で確実に知ってるのは、御殿手の人」 との事でした。 理由は、ビデオで見たら全く同じタイミングで動いてるから、だそうです。 「もう一人、可能性があるのは、合気道の開祖、植芝翁」 との事です。 『敵が攻撃してくる時、その直前に白い光が飛んでくる』 というのは、その『目付』のノウハウを、 わざと解らないようぼかして書いている様に思える、 との事でした。 |
No.17626 - 2004/03/12(Fri) 17:51 [ntaich085190.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]
| 常磐城さま。 近所の科学館に、二本足で立っている時にも体の重心が動いているのを 測ってくれる機械があります。:) そんな精度で地雷が作られた日には…。(^^;) |
No.17629 - 2004/03/12(Fri) 18:46 [pd30cdf.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]
| 冬雪さま
> 近所の科学館に、二本足で立っている時にも体の重心が動いているのを > 測ってくれる機械があります。:)
その機械、道場においといて欲しいです。
以前、先生が『沈墜勁』について説明してくれたときに、 「この姿勢で俺の重心のパワーはここにある」 と、伸ばした拳の先を示されて、 (え?、重心って体内にあるんじゃあ?) と思っていたのですが、
私が手の平を出してその上から先生が手の平で下に押す。 他の場所では何ともない、、 しかし先生が示した場所で下に押された瞬間、 膝ががっくりと抜けてしゃがみ込み、 「解ったか、重さが瞬間的に乗るからこうなる」 と言われたのですが、
「先生、空中浮揚でも出来るんですか?」 と聞いたら、 「アホかっ!、俺が言ってるのは重心の『パワー』だ!『重心』そのものは身体の中に有るのにきまっとるだろーが!」 と怒られました。
真面目に先生の重心の位置を計ってみたいです。 |
No.17640 - 2004/03/13(Sat) 21:26 [ntaich059153.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]
| お勝手エッセイ調。
大体、普通の人ってのは「人間の身体が無意識に動いている」という事をほとんど理解してないようです。 古武術の本を読んでいると「そういう事」が良く判る。
冬雪さんが紹介された測定器などは典型で、無造作に立っている状態では重心の揺らぎを無意識に調整しているんですね。普通の健康状態の人間だと半径数センチの円内に重心位置が収まる。常にユラユラと動いている訳だが、これには「同じ姿勢を取っていると筋肉が強ばる」という事が理由にあるように思う。
「こっくりさん」とか「エンジェルさん」なんてのは人間の身体が無意識に動く事を利用したものですが「そういう事」を判っていない人達は不思議だ不思議だと騒ぐ。 学校の教師まで「禁止だ」というばかりで「心霊現象」だと思っている人がいるくらいだ。
こういう無意識の反射行動を調律運用するのが「合気」である。 達人の掌に吸い付けられたように動かされるとか「不思議」だという訳ですが「こっくりさん」なんかで参加している全員が動かしているつもりがなくて指先が動いているのと同じ事なんですよね。
常磐城さんが仰る >ある『目付』の仕方による特殊なタイミングの取り方 なんかが相手の無意識を利用した行動抑制&行動助長に繋がるのだと思います。
ごく簡単には椅子に深く腰掛けた人の額を押すと立ち上がれなくなるというのと同じ。 無意識に重心を調節して立ち上がっているので意識すると何故、立ち上がれないのかが判らなくなる。 「意識」ってのは人間が自分の状態を認知して任意の行動プログラムを作成する為のメタ・プログラムだと思えば良いと思う。
武術家は格闘実戦に特化したアプリケーション・ソフトを、そのメタ・プログラムで組んで実装している人間であると言えるだろう。
>真面目に先生の重心の位置を計ってみたいです。
多分ですが、その先生でも重心が揺らいでいないという事はないでしょう。立身中正と言いますが、完全に重心位置が動かない事が良いのなら銅像が一番強い事になります。恐らく押されたりした時に特殊な動きをすると思いますね。是非、研究してみて欲しい。
>先生が『沈墜勁』について説明してくれたときに~略~ >先生が示した場所で下に押された瞬間~略~
多分ね、それは「やじろべえ」の理屈だと思います。左右対称の奴じゃなくて左右非対称の変形やじろべえの状態で「パワー」がかかっているのでしょう。先生は仮想力点や仮想重心を使っていると儂は思います。
その「パワー」を力点に使うと一撃で敵を砕く必殺技に。 支点に使うと不動になり、作用点に使うと軽身功になるのだと思う。 達人になると、その「パワー」をクルクル回して自在に扱えるのでしょう。 一度、この話をしてみて下さい。武術オタクである儂も興味あります。 実際に「使える」人ってのがほとんど居ませんからね。
「発勁なんか実戦では使えませんよ」って言う八極拳士に会ったりすると 凄ぇ萎えます。心の中で「李書文に謝れ」と思いながら話聞いてましたが。 |
No.17648 - 2004/03/14(Sun) 14:10 [zaqd3872135.zaq.ne.jp]
| こちらのトピではお初です。ちょっと失礼します。
別トピでの鰻田氏の書き込みに対する、単純な疑問なんですが。
> 最後に。竹刀剣道の試合で、二刀流を使う人はいます。下段の構えや、脇構えで闘う人もいるようです。しかし、左腰に竹刀をあてがい柄に右手をかけて敵と相対する選手なんて、見たことがありません。居合が実戦的なら、なんでそういう選手がいないんですかね。
単に、剣道のルールの問題ではないんですかね?いや、剣道のルールに詳しいわけではないんですが。 それに、竹刀と真剣はやっぱり違うと思うし、竹刀でも真剣でも、中段(正眼)から斬りつけるとき、普通は、いったん剣先を上げて打ち込みませんか?居合いは、そのまま斬りつけられるのだから、どちらが不利とか、有利とか、単純な比較はできないと思うのですが。 |
No.17666 - 2004/03/15(Mon) 01:59 [ntfkok038171.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| このスレッドが居合いについてのスレッドとは全然気付かずに新スレッドを立ててしまいました。あっちのスレッドは無かったことにして、同じ事をこちらに書きます。
ハル9800さんと同様、元スレッドへのレスですが。
>鰻田社会科雄さん > 最後に。竹刀剣道の試合で、二刀流を使う人はいます。下段の構えや、脇構えで闘う人もいるようです。しかし、左腰に竹刀をあてがい柄に右手をかけて敵と相対する選手なんて、見たことがありません。居合が実戦的なら、なんでそういう選手がいないんですかね。
私は剣道に詳しいわけでも居合いに詳しいわけでもないのですが、これだけはわかります。それは真剣と竹刀の最大の違いは、その重量だ、という事です。普通の真剣はだいたい約1kgあり、普通の竹刀は約500gと重さは倍違います。また、コントロールに必要な力となるとスピードが同じなら少なくとも倍の差が出てくると言うことですね。さらに重量のある長い物体の一方を持ってコントロールすることの難しさが加わってきます。
さて、普段から大刀小刀を腰につけて歩いているだけでも、武士は左足だけ余分に筋肉が付くほどであったそうです。つまり抜いていない状態で立っているだけなら普段歩いているだけの鍛錬で充分だということになりますね。
そこで、この重量のある真剣を抜いて構えます。こんな重いものを振り上げて対峙しているだけでどんどん疲れてきますよね。下段に構えればちょっとはマシかも知れませんけど、下段の構えって居合いより速く斬りつけられるでしょうか?
というわけで、これが真剣を使うなら居合いの方が抜刀よりも有利ではないかと、私が考える理由です。まあ、むしろ個人の力量の方が肝心な点のように思いますけれど。 |
No.17670 - 2004/03/15(Mon) 02:32 [cs14319.ppp.infoweb.ne.jp]
| 判りにくいスレタイで申し訳ない。いや「居合い」限定とかだと、ここの掲示板の趣旨と違いすぎると思いましてね。
ハル9800さん
>別トピでの鰻田氏の書き込みに対する、単純な疑問なんですが。 ~中略~ >単に、剣道のルールの問題ではないんですかね?
ルールによるとですね。「最初に抜き合わせをする」というのがあるだけなので試合開始の合図があってから居合い抜きの格好をするのはルール違反じゃ無いと思います。
>竹刀と真剣はやっぱり違うと思うし、竹刀でも真剣でも、中段(正眼)から斬りつけるとき、 >普通は、いったん剣先を上げて打ち込みませんか?
ん~。尋常の立ち合いの場合は普通な事はしなかったりします。 極端な話、剣先をちょっとだけ動かして相手の指が落とせたら、それで勝ちみたいなもんだし「突き」が超有効なのでそのまま突くんじゃないでしょうかね? 古文書なんかを見ると「もの凄い低い姿勢で刀をこれでもかと前方に突き出した」足軽なんかが見受けられます。
ジスさん
真剣を相手を殺す為に振るうのと剣道の試合では比較にならないんですよ。 剣道では打突して良い場所が決められています。剣道で居合い抜きが使えないのにはそういう理由もあるでしょう。
>下段の構えって居合いより速く斬りつけられるでしょうか?
地面を擦るように低く刀を使い、臑を斬るという流派があります。 また全身を使って下から跳ね上がるという方法を使えば・・・ 速度だけなら負けないと思います。繰り返しますが居合いが有利なのは 何をしてくるのか予測がつかないからです。 一足一刀の間合いでは「入れた」方が勝つ事になるでしょう。
間合いの距離感を狂わせる為に、いつもと違う長さの刀を使ったり、長い鞘に短い刀を入れたりと、それはそれは涙ぐましい努力(?)が立ち合いでは為されています。卑怯ではございません。物干し竿に船の櫂を削った木刀で挑むのと同じです。 |
No.17671 - 2004/03/15(Mon) 03:23 [zaqd3872135.zaq.ne.jp]
| すみません、剣道にも居合にもまったく無知ですが、議論を読んでいるうち、ちょっと思いついたことがあったもので。 ジスさんのおっしゃるように、真剣と竹刀の重量が2倍違うとすると、真剣勝負と剣道はまったく別物になってしまう気がします。単純に考えて、同じ力で加速しようとしても、真剣の加速度は竹刀の半分になるわけですから。 ということは、同じ力量で真剣と竹刀を持つ2人の剣士が立ち合った場合、竹刀の方が速いってことでしょうか?
荒れ野で対峙する2人の侍。 「ふふふ……我らの力量はほぼ互角。はたしてどちらが生き残るかな?」 しかし、2人の刀が同時に鞘走った次の瞬間、一方は手を強打され、刀を取り落としていた。 「何!?」 「すまん、わし、こないだから刀を質に入れておって、これは竹光なんじゃよ」 あっ、もしかして武蔵が小次郎に勝ったのも木刀だったから?
ぺいりあんさん、こんにちは。
>間合いの距離感を狂わせる為に、いつもと違う長さの刀を使ったり、長い鞘に短い刀を入れたりと、それはそれは涙ぐましい努力(?)が立ち合いでは為されています。卑怯ではございません。
先細りの刀を正眼に構えて、相手の遠近法を狂わせるってのはありでしょうか? 特に丹下左膳に対して有効じゃないかって気がするんですが(^^;)。 そんな刀を作ってくれる刀匠がいるかどうかは別として。 |
No.17678 - 2004/03/15(Mon) 10:51 [zaq3dc06b5a.zaq.ne.jp]
| はじめまして。一応、剣道・居合の経験者です。 剣道において居合の構えで戦う者がいない理由ですが・・・ 1、剣道のルールでは、鍔から先(刀身の部分)に手をかけると反則になります。居合の構えをとると左手で鍔元=刀身の部分を保持することになるため、ルール上、できません。 2、腰に差した刀を滑らかに抜刀するには、刀のような「反り」が必要です。反りの無い、まっすぐな竹刀では、居合の構えからでも、すばやく抜刀できません。 上記のことから、スタンダードである中段や上段の構えを捨ててまで、あえて居合の構えで試合に挑まないのだと思われます。 以上、失礼しました。 |
No.17683 - 2004/03/15(Mon) 13:00 [f4client241.across.or.jp]
| 先ずは市川さん
>剣道のルールでは、鍔から先(刀身の部分)に手をかけると反則になります。
そうなんですか。古いルールの本しか持ってないんで・・・ 相手の落とした竹刀、自分の落とした竹刀の鍔より先を握る事、相手の竹刀の鍔より先を押さえたり、脇に挟む事は反則ってのがあったんですけどね(昭和41年初版) 自分の身体に触れさせる事も反則なのかな? やっぱり。だとすると格好だけでも真似できないね。
>反りの無い、まっすぐな竹刀では~すばやく抜刀できません。
あぁ鰻田さんにも、そう書けば良かった。すいませんです。
山本先生
>先細りの刀を正眼に構えて、相手の遠近法を狂わせるってのはありでしょうか?
アリでしょうけど・・・有効かどうかは・・・
>そんな刀を作ってくれる刀匠がいるかどうかは別として。
頼めば細かい注文に応えてくれる筈です。日本刀というのは一本一本が同じ様で違うので。だから別の刀の鞘には他の刀は入らない。 刀匠が納得すれば逆刃刀でも打ってもらえる筈です。
>同じ力量で真剣と竹刀を持つ2人の剣士が立ち合った場合、竹刀の方が速いってことでしょうか?
速くても竹刀では死なない事が判ってますので・・・相手が余裕をもって真剣を振るって来るでしょう。
>もしかして武蔵が小次郎に勝ったのも木刀だったから?
それは違いますよ。長い長い刀を使って飛ぶツバメを落とす程の使い手に対し、長く重い専用木刀を用いる事で相対しました。実際の立ち合いで剣速というものが単純に作用しないという証左でしょう。
あと鰻田さんもそうですが「剣速が速い方が有利」と思っている人が多数だと思いますが、それはあくまでも相手の先を取った時に有利だという事で、虚を突かれれば意味はありません。
また、静止状態から一気にトップスピードまで加速すれば、その勢いは本人にも殺す事が出来なくなってしまい、太刀筋を読まれがちになり、かわされた後の反撃に不利です。
これからの話に秘密があります。かのブルース・リーは数メートル離れた人の掌に置いた物を苦もなく掴む事が出来たそうです。体験者は「リーは電光のように動いた」と言います。で空手家の宇城憲治氏が同じ事をテレビで披露していました。宇城氏はゆっくりと動いて相手の掌にある物を掴みとりました。体験者は「気が付いたら取られていた」と言いました。
これは「相手に知覚されない、知覚されても身体を動かせない動き」の為なのです。良く誤解される事に「居合いは猛スピードで抜き放つ」というのがあります。が、実際の居合いは「抜き放つ刃の軌道上の何処か一点で威力を放つモノ」ではなく、何処ででも斬る事が出来るように動いているのです。だから抜いている、いない。剣速が速い遅いは関係ないと言う訳です。
合気道の達人がゆっくり動いているのに常に相手の先を取り、攻撃を制するというのと同じです。術理を理解しようとしなければ、古武術の動きはペテンのようにしか見えないし、思えないでしょう。動きが速いから相手が対応出来なくて負けるのと、速い動きの中に術理があって相手が対応できないのは別なんですね。 |
No.17687 - 2004/03/15(Mon) 14:39 [zaqd3872135.zaq.ne.jp]
| 竹光というのは真刀に見せかけるのを目的としているため薄く削ってあり、殺傷力や耐久力は竹のモノサシ程度なので、よっぽどの名手でないと話にならないでしょう。
武蔵は初勝負(13歳)の有馬何某との戦いにおいて、真剣に対し木の棒を持って挑み見事これを殴り殺しているほか、巌流島以外にも幾度かの真剣勝負に対して木刀で勝利を収めているそうです。 巨漢大力の武蔵にとっては木刀でも十分な殺傷力を持っており、軽い分振り回しやすかったということらしいです。 |
No.17699 - 2004/03/15(Mon) 20:49 [m005233.ppp.asahi-net.or.jp]
| ぺいりあんさん
>多分ですが、その先生でも重心が揺らいでいないという事はないでしょう。 >立身中正と言いますが、完に重心位置が動かない事が良いのなら銅像が一番強い事になります。 >恐らく押されたりした時に特殊な動きをすると思いますね。是非、研究してみて欲しい。
その辺りは、既に『歩く』領域に入っています。
私の段階では「完全固定」の練習をします。 意外や意外、先生の話では、『完全固定から早く動くことが出来る』そうです。 人間の重心は、常に動こうとしており、完全固定するのに、非常な労力とパワーを要します。 つまり、『でこピン』を放つ直前に近い状態になっていて、 固定に使うパワーを瞬間的に切ると、非常に早く動けるそうです。
ぺいりあんさんの言う段階も一応、説明を受けてはいます、 (とういうか、上級者への指導を横で聞き耳立てていたんですが) まず、練習段階で、完全に重心位置を固定出来るようにします。 次いで、その固定された重心の位置を、自分の意志で把握できるようにします。 そして、把握できたら、自分の意志で動かせる様にします。 動いている位置を把握しないといけません。 (って、偉そうに書いてますけど、出来ないんです・涙)
これが無いと『歩けない』みたいです。 前に書きましたが、普段、私達一般人が止まって立っている『つもり』なのは、 上級者から見たら、『酔っ払いの千鳥足』と同じです。 つまり、これを逆に見ると、外見上立っているだけ、一歩も動いていないように見えても、 実は上級者は歩ける、歩いてるってことです。 これが出来ると、一歩も動かないで相手のパンチを当たらなくすることが出来ます。
>空手の宇城さんだったかの「突きが当たらない」体捌きなんかもありますね。 >これ「脳のホムンクルス」って番組で紹介されてましたが。
セイバーキャッツとは逆になりますが、 「ちょいと違うがカンフーにもあるぜ」って感じです。
私が練習で中腰で立っているのは、単なる『騎馬式』 先生がやっている中腰の姿勢は『馬歩』 立っているだけじゃなく、『歩ける』先生がやるから馬『歩』 みんな何にも考えないで『馬歩』って言ってますけど、本当は、『歩ける』人以外は馬『歩』じゃありません。
先輩が二人、これを『使える』ようになってしまいました。 塔手(ブルース・リーがやる、手と手をふれあう状態) ここから、スローモーションの組み手をやって、顔面にパンチを打っていくと、 同期生とやると届くはずの距離から打っているのに、届かない。 気が付くと、先輩の拳が腹に当たっている。 私のパンチが届いていないの状態なのにも関わらずです。(リーチの差ではない)
つい数ヶ月前までは、届いてたんですけど‥‥‥
>仮想力点や仮想重心
多分、これにあたるだろう技術についても説明を受けています。 ‥‥‥やってもできませんが。
「仮想の運動ポイント」は、 先生の話を聞いていると、勁の種類としては、むしろ、『次の段階』の纏絲勁等の方法論のようです。
えっとですね、ものすごくややこしい説明だったのですが。 私の理解の中では(ろくに理解できてませんが) 沈墜勁は、マテリアルであり、強大なカタマリであり、 ただ単に、そこにあるだけ。 そこにあるだけで、そこで殴ったら痛い、そこで押さえればそこに向かって崩れる、
>その「パワー」を力点に使うと一撃で敵を砕く必殺技に。 >支点に使うと不動になり、作用点に使うと軽身功になるのだと思う。 >達人になると、その「パワー」をクルクル回して自在に扱えるのでしょう。
その力は、既に『そこにあるだけ』ではなく、中心ポイントを持った回転力として、 統合した方向性と運動生を持っているので、纏絲勁になっています。 何度も書きますけれど、ここのところは、良く理解できてないです。
何せ私は『立てない』人間であり(自分の重心の把握すらまともに出来ない) まず沈墜勁が、重心を把握している人間じゃないと理解出来ません。 『立てた』ら、ようやく理解への『扉が開く』技術です。
そして回転運動が入ってくるのは『移動の力の発生する領域』‥‥つまり『歩く』段階に入っています。
良くわからないのですが、先生の動きを見ていると、 沈墜勁のあるだろう位置と、纏絲勁の発生している位置が違っていたりします。 でも、沈墜勁がないと、纏絲は効果を出さない。 しかし、沈墜勁とは別の位置から別の方法で発生しています。(????) 沈墜勁のある場所を、発生した纏絲勁で殴る、みたいな感じです。
物理的にあっているかは解りませんが、 沈墜勁=重力エネルギー 纏絲勁=移動する『質量』エネルギー みたいな関係にあるようです。
先生が「おもろい事をやってやる、肘だけの纏絲勁」 と言って、私に両手を出させ、拳を当て、肘だけを僅かに動かす、 したら、私が全力で押しても、動かない。 「たったこんだけの動きで、これだけのパワーが出る」 後で、同期生に聞いたら、先生の拳をねじった方向に、私の身体が、全身捻れていたそうです。 身体に入ってるのが、気づかなかったらしいです。
>「発勁なんか実戦では使えませんよ」って言う八極拳士に会ったりすると >凄ぇ萎えます。心の中で「李書文に謝れ」と思いながら話聞いてましたが。
その八極剣士と先生とは見解が違っています。 先生の話は、 「一番てっとりばやいのは、相手の頭髪ひっ掴んで発勁をかます。一瞬で頭皮ずる剥けになって、相手の戦闘意欲をそげる」 だそうです。 |
No.17711 - 2004/03/15(Mon) 22:45 [ntaich085092.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]
| とり急ぎ、以下についてだけ反論。あとは現在執筆中です。
市川様 >はじめまして。一応、剣道・居合の経験者です。 >剣道において居合の構えで戦う者がいない理由ですが・・・ > 1、剣道のルールでは、鍔から先(刀身の部分)に手をかけると反則に >なります。居合の構えをとると左手で鍔元=刀身の部分を保持することに >なるため、ルール上、できません。
私もいろいろ調べたのですが、竹刀の規格というものは、どうも長さや重さ、太さ、鍔の直径は決められていますが、柄の長さというものが明確に決められていないようですね? だったら話は簡単で、ほんの一握り分だけ柄を長く、その分刀身を短く作り、鍔に近い柄の部分を手で握って左腰の部分に当てればよいのです。
>2、腰に差した刀を滑らかに抜刀するには、刀のような「反り」が必要です。 >反りの無い、まっすぐな竹刀では、居合の構えからでも、すばやく抜刀できません。 >上記のことから、スタンダードである中段や上段の構えを捨ててまで、 >あえて居合の構えで試合に挑まないのだと思われます。
これはちょっとおかしいですよ。 まず、もしも「竹刀用の鞘」などというものがあり、竹刀がそこに納まっていたならば、真っ直ぐな竹刀は居合で抜けるものではないでしょう。それは賛成します。 しかし、剣道の試合に鞘などというものはありません。刀身にぶつかり、動きを妨害する物はないのですから、「抜く」動きをすることはできるでしょう。なぜできないんでしょうか? 剣道・居合の経験者ならば、ご自分で竹刀で試してみて下さい。
次に、竹刀稽古というものは江戸時代の初期からありました。居合も戦国時代に発祥したものであり、江戸時代には非常にポピュラーな武術でした。 竹刀稽古は、飽くまでも真剣による戦いのシミュレーションです。居合が実戦的であり、よく知られた武術であり、反りがない刀では居合ができにくいのならば、反りをつけた竹刀が発明され、試合で使われるはずなのでは? 竹なんですから、火で炙れば反りをつけることなど簡単でしょう。 繰り返します。竹刀稽古の方が実戦のシミュレーションなのです。竹刀だから居合ができない、なんて本末転倒でしょう。 |
No.17713 - 2004/03/15(Mon) 23:11 [pl908.nas911.n-yokohama.nttpc.ne.jp]
| >鰻田社会科雄様 > だったら話は簡単で、ほんの一握り分だけ柄を長く、その分刀身を短く作り、鍔に近い柄の部分を手で握って左腰の部分に当てればよいのです。
それでどうやって「抜け」と?(^^; 柄を鞘に見立てた左手で握ってしまえば、抜くときに鍔に当たりゃしませんか? 「抜く瞬間に左手を離せばいいのだ」ということですか? しかし……。
> しかし、剣道の試合に鞘などというものはありません。刀身にぶつかり、動きを妨害する物はないのですから、「抜く」動きをすることはできるでしょう。なぜできないんでしょうか?
鞘が「動きを妨害するもの」だと思ってるんですか? 鞘というレールがあるからこそ抜刀の際に刀に安定した加速を与えられるんです。 そう、鞘はレールなんです。 狙う部位によって鞘の角度を調節するという役目を左手に与えることで、右手は刀を抜くことに専念できます。 鰻田さんが言うようなただ単に「抜く」という動作をするだけでは、右手が抜く動作とコントロールの両方をいっぺんにやらねばならないんです。
> 竹刀稽古は、飽くまでも真剣による戦いのシミュレーションです。居合が実戦的であり、よく知られた武術であり、反りがない刀では居合ができにくいのならば、反りをつけた竹刀が発明され、試合で使われるはずなのでは? 竹なんですから、火で炙れば反りをつけることなど簡単でしょう。
というわけで、竹刀を反らせたからといって、それで「居合と同じことができる」ということにはなりません。 |
No.17716 - 2004/03/15(Mon) 23:50 [N044171.ppp.dion.ne.jp]
| はじめまして。とさまき、と申します。 いつも楽しく拝見しています。 ついていけそうな話題があったので、書き込み初チャレンジです。
鰻田様 最初から構えている場合と、居合とでどちらが速いかですが。 人差し指を刀に見立てるのはどうでしょう? 机の上に消しゴムでも置いていただいて、対戦相手とします。 消しゴムに人差し指を向けた状態が、抜刀して構えた状態です。 そこから切りかかるには、手首を上げて振りかぶり打ち下ろす。 動作が2回必要です。 居合の場合は、人差し指を曲げて親指で押さえてください。 そこからはじくようにすれば、1回の動作で消しゴムに切りかかれます。 必要な動作が少ない分、攻撃に関しては居合の方が速いと思われます。 ただし、防御に関しては最初から抜刀して待ってるほうが、対応が速いでしょう。 居合と構えの差はこんなところではないでしょうか? |
No.17721 - 2004/03/16(Tue) 00:13 [EAOcf-169p66.ppp15.odn.ne.jp]
| 鰻田社会科雄さんへ
>竹刀稽古の方が実戦のシミュレーションなのです。竹刀だから居合ができない、なんて本末転倒でしょう。 何故に?竹刀で出来て刀で出来ないなら本末転倒ですが、刀で出来る事全てが竹刀で出来るはずも、その必要も無いはずですが… プロがその職のシミュレーションゲームが苦手でも問題は無いでしょう?
>反りをつけた竹刀が発明され、試合で使われるはずなのでは? 真剣での立ち会いは幕末まで残ってましたし、中西派の始めた稽古法が流行ったにせよ全てだったわけでもありません 別に竹刀で勝つ必要なんか無かったわけでそんな発明不要だったんでしょう、なんというか、武術家と言うのは道場破りをして勝たないと駄目とか思ってませんか?「竹刀で勝つ」為の工夫なんかしたらそれこそ本末転倒な気がしますけども? |
No.17727 - 2004/03/16(Tue) 04:07 [PPPax170.tokyo-ip.dti.ne.jp]
| 常磐城さんへ >『歩ける』人以外は馬『歩』じゃありません。 こういう解釈は初めて聞きました 門派によっても解釈は違うでしょうから、へぇ~という感じで面白いですが、日本語で考えるのは無しなんじゃないか、と思わなくもないです 弓歩、虚歩だのと言ったものにも何式ってあるんですかね? 取りあえず馬歩=騎馬式、あるいは馬歩>足の形&騎馬式>腕など全体の姿勢という様な解釈しか知りませんでした、むしろ~式という方が一連の動作という印象が個人的には有ります
>同期生とやると届くはずの距離から打っているのに、届かない。 届かない、というのがどんな感じなのか教えていただけませんか? 1)触れてはいるが芯を打てない様な状態;勁力が届かない 2)相手の防御、もしくは攻撃が先まわりしてしまう:時間的に届かない 3)手同士もしくは相手が自分に触れている状態で、手を伸ばせない、あるいは手を伸ばしても触れない;相手の勁の長さに届かない 4)手を伸ばしても触れない;距離的に届かない>届くはずの距離から相手は動いていない? 5)それ以外 組み手のときの姿勢というのも気になりますので良かったら教えて下さいまし |
No.17728 - 2004/03/16(Tue) 06:27 [PPPax170.tokyo-ip.dti.ne.jp]
| 鉄人初号機様
>>しかし、剣道の試合に鞘などというものはありません。刀身にぶつかり、 >>動きを妨害する物はないのですから、「抜く」動きをすることはできるでしょう。 >>なぜできないんでしょうか?
>鞘が「動きを妨害するもの」だと思ってるんですか? >鞘というレールがあるからこそ抜刀の際に刀に安定した加速を与えられるんです。 >そう、鞘はレールなんです。 >狙う部位によって鞘の角度を調節するという役目を左手に与えることで、 >右手は刀を抜くことに専念できます。 >鰻田さんが言うようなただ単に「抜く」という動作をするだけでは、 >右手が抜く動作とコントロールの両方をいっぺんにやらねばならないんです。
このあたりは、なるほどと思います。肯けます。 …しかしやはり、居合が実戦的ならば「その程度のこと」で居合の構え・動きを誰もしない、というのは信じられないですね。 ここが、私の「竹刀稽古は実戦のシミュレーション」に繋がるのですよ。 たとえば、竹刀剣道では二刀流がルール上許可されています。これって、とんでもなく破天荒なルールだと思いませんか? テニスや卓球で「両手で2本ラケットを持っていい」フェンシングで「両手で2本剣を持っていい」なんてルールを提案したらどうなるか? まあ笑い者でしょう。 ではなぜ、剣道ではそんな不公平で変なルールがあるのか。それは、 (1)二刀流が闘法として有効、合理的である。 (2)二刀流は歴史も古く、使う剣士が日本全国に少なからずおり、「許可して欲しい」という要望がかなりあった。 この2点でしょう。だとしたら、居合だって歴史が古く、学ぶ剣士は二刀流よりもずっと数多くいたでしょうし、もし居合が闘法として有効、合理的であるならば、「居合で闘えるように、ルールを改正して欲しい」という要望が日本全国から剣道連盟に数多く寄せられたことでしょう。 いやいや、それ以前に、江戸時代から各地の剣術道場で「居合の試合稽古」が工夫され、普通に行なわれていたでしょうから、自然に最初からそれが剣道のルールに取り入れられたことでしょう。 たいしたことではないので、 (1)鍔元の刀身を手で持ち、左腰に当てる構えを許可。(左小手で丸○を作り、鞘の代わりに) (2)もしくは、短い筒(鞘代わり)をひもで腰に括り付けることを許可。 (3)反りをつけ、引っ掛かりが少ないように工夫した竹刀を許可。 これでいいんです。
さて、はたして、 ・「あ~~ッ、居合さえ使えれば俺が優勝して剣道日本一になれたのになあ。あああッ、悔しい!」と地団太踏む剣士が毎年毎年陰にいた。それが戦後だけでも50年以上続いていた。 ・ 居合を剣道の試合で使おうなどと考える剣士は一人もいなかった。なぜなら居合は(実用的だが)実戦的ではないから。 真相はどっち!? |
No.17731 - 2004/03/16(Tue) 07:26 [pl1001.nas911.n-yokohama.nttpc.ne.jp]
| >鰻田社会科雄さん
> ではなぜ、剣道ではそんな不公平で変なルールがあるのか。それは、 > (1)二刀流が闘法として有効、合理的である。 > (2)二刀流は歴史も古く、使う剣士が日本全国に少なからずおり、「許可して欲しい」という要望がかなりあった。
・二刀流の剣士が真剣勝負をして勝った例を一つでもあげられますか? ・二刀流が合理的であるという根拠はなんですか? ・剣道の試合で二刀流が許可された経緯について、いったい何を知っていますか?
実のところ、いわゆる剣道や剣術とはまったく別の技術として「小太刀二刀流」というものはあります。真剣を右手と左手に一本ずつ持ったりすれば、その真剣は相当短くないと一撃ではねとばされてしまいます。両手で1本の真剣を持った場合の把握力(保持する力)は片手で持った場合の倍どころではなく、数倍になるからです。片手で持てば握力しか使えませんからね。コントロールする能力は片手と両手では比較になりません。
鰻田社会科雄さんは、「剣道はあらゆる剣術の後継である」と思っていたりしませんか?
実態はごく一部の剣術のごく一部の流派の、さらに技量のごく一部を模したものでしかないのです。そして竹刀という真剣とはまったく別の道具を用いることにより、剣術とはまったく別の技術へと発展を遂げてしまっています。
「剣道」と「真剣での立ち会い」は、既にまったく別のものになっており、一方を引き合いにして他方を語るのは無理な状態になっていると思いますよ。使う道具の重さの違いだけでもそれだけの差を生むには充分です。
> ・「あ~~ッ、居合さえ使えれば俺が優勝して剣道日本一になれたのになあ。あああッ、悔しい!」と地団太踏む剣士が毎年毎年陰にいた。それが戦後だけでも50年以上続いていた。
ラグビー選手が「手を使っても良ければうちがJリーグで優勝できるのに」っていえば、笑われるでしょうに。それが100年続こうが200年続こうが、サッカーでキーパー以外の選手が手を使っても良いことにはなりますまい。
> ・ 居合を剣道の試合で使おうなどと考える剣士は一人もいなかった。なぜなら居合は(実用的だが)実戦的ではないから。
「居合いが剣道の試合で有効かどうか」と「居合いが実戦的かどうか」の間に、いったい何の関わりがあるというのでしょうか? 剣道って、殺し合いの実戦で勝つためにしてると思ってるんですか?
「剣道」と「真剣での立ち会い」は、道具の違いだけじゃなく、目的も、勝利条件も違いますよね。どうせ比べるなら「剣道」と「野球」を比べる方がまだ意味があると思いますけど。 |
No.17733 - 2004/03/16(Tue) 09:51 [AIRH03296017.ppp.infoweb.ne.jp]
| 総合格闘技が人気のある昨今、居合いと剣道の融合を測ろうとする人が現れないのは、おかしい!ってことでは?
ジャッキーチェンの「スパルタンX」でサモハンキンポーがフェンシングの剣を両手に持つシーンが ちらっとありましたが、二本とも長剣でしたっけ? マスターキートンで、長剣と短剣の二刀流もありました。
今の子供達は、三刀流が実在するって思ってるのかな。(^^;) |
No.17734 - 2004/03/16(Tue) 10:57 [p29f6d8.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]
| 鰻田氏は、本当に調べて書き込みをしてるんですか? 自分の希望的憶測を書いてるだけとしか読み取れないんですが・・・
私がちょっと検索して調べただけでも、居合いについて書かれているサイトは結構あったし、中には「剣道と居合いの違いの一つは、剣道は竹刀を使うが居合いは真剣か模造刀を使うことだ。」と書いてあるものもありました。(どこかは自分で調べて下さい)つまり、竹刀で居合いをやるなんて仮定は全く意味が無いってことですね。ルーツは同じでも、現在は全く別のものと考えた方がいいのでは・・・。そういった例は他の競技でもいくらでもあるでしょう。 |
No.17735 - 2004/03/16(Tue) 10:57 [Air1Abb130.ngn.mesh.ad.jp]
| 返信が遅れてしまい申し訳ありません。 鱒田社会科雄様の、私に対する質問はすでに鉄人初号機様やとさまき様、くむ様が、私以上にわかりやすく説明して下さっているので、「なぜ剣道では、二刀流のように居合ルールがないのか」に対する考察のみを。 真剣や真剣を模して作られた木刀と、四枚の竹を束ねて作られた竹刀は、使用してみた感じ、まったく別物です。 また、実戦及び実用的な状況を想定して構築された居合の技法と、ルール化された、誤解を招くことを覚悟で言えばスポーツ的なポイント競争である剣道の試合も、やはり別物です。 抜き打ちだけでなく、袈裟切り・逆袈裟・足に切りつける・胴を突く・柄や鞘で相手を突く、などの動作も剣道ではルール上、有効打になりえません。 両者は、前提からしてかなりの別物なのだと思います。 だから、「畑違いの」居合の技法を剣道の試合に持ってこようとする人間がいなかった。それが、剣道において居合的な戦い方をする選手のいない理由ではないでしょうか。
|
No.17736 - 2004/03/16(Tue) 11:02 [f4client241.across.or.jp]
| ぐはっ「剣道と居合い」になってる・・・
鰻田社会科雄さん
>「竹刀稽古は実戦のシミュレーション」
それは全然全く完全絶対違いますわな。シミュレーションの意味が判ってない。 そもそも道場の稽古で防具無しで木刀でやり合ってたら怪我が絶えないってので「怪我をしないように」開発されたのが竹刀と各種防具であって、その竹刀と防具は「真剣による斬り合い」を背景とした代替品のようなものです。
で「竹刀剣道」ってのは「形剣道」の為の発展練習だったのです。 木刀を使っての「形剣道」で打ち込み型を練習し「竹刀」で実際に打ち込んでみる。 初心者の打ち込みに上級者が足りない部分を教える。また形剣道をやる。 その繰り返しですわな。
今の剣道は、竹刀の競技として確立した「それだけ」のモノで格闘技であっても武術ではない。 古流の剣術では太刀、小太刀、小刀など「江戸時代」に個人が携帯出来た全ての刀剣類の扱いから無手の組み打ち術まで幅広く練習し、刀「だけ」を振る「だけ」の剣術などは存在しない。
剣道で二刀流が認められているのも、二刀流の流派が存在し形剣道から先の練習法が必要だからですよ。
>江戸時代から各地の剣術道場で「居合の試合稽古」が工夫され、普通に行なわれていたでしょう
有りもしない事を書かないように。頭おかしいと思われますよ。
繰り返しますが真剣の斬り合いの要素を抜き出したのが形剣道で、型が身に付いたかどうかを確かめるのが竹刀剣道です。 竹刀剣道は実戦のシミュレーションではありません。
現在でも剣術の大家が「剣道有段者は真剣を振るべきだ」って言っている意味が判りますかね? 剣道がシミュレーションとして確立してるなら、そういう事は言われない筈ですよね?
同じような事を別スレで書きましたがご理解出来なかったですか? |
No.17737 - 2004/03/16(Tue) 11:43 [zaqd3872156.zaq.ne.jp]
| くむさん
取り急ぎ、返事を(昼休みに家からです)
>日本語で考えるのは無しなんじゃないか、と思わなくもないです 一応、中国では『歩法』だと言うと思います。 『老師留一歩』 老師は肝心な歩き方の部分を教えない、という武術の言葉です。 うちの先生は比較的教えてくれる先生ですが。
××『式』は、××式で、それ相応の『重要な役割』があるようです。
居合の話ではありませんが、 本来、どれに、どの役割を持つか、というのを見極める必要があります。 (と言っている私を先生は『机上の空論』といつも笑いますが・涙)
質問について、
すいません、 『全部体験させられました』 しかもいろんな別々の術理で。 (命がかかってるんだから、トリックの数は多いに越したことはない、見破られそうだったら別のトリックに切り替える) どれが、なんの、どういった術理なのか、未だ見当突きません。 唯一、 1)だけはちょっとした相手なら私でもできるんですが。 相手とゆっくり同じスピードで顎をねらって突きを出すというやりかたですが。(やりかたそのものは口止めされてます‥‥私にもできるトリックなんで)
ここに書いているのは、 ほんの少し自分で理解できそうな部分のみだったりします。 |
No.17739 - 2004/03/16(Tue) 12:52 [ntaich092097.aich.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp]
| ぺいりあんさん、スズメさん、バカな質問にお答えいただき、ありがとうございました。
>竹光というのは真刀に見せかけるのを目的としているため薄く削ってあり、殺傷力や耐久力は竹のモノサシ程度なので、よっぽどの名手でないと話にならないでしょう。
子供の頃に竹のモノサシでしばかれたことがある者としては、「時代劇によく出てくる竹光も、手や顔をしばかれたらかなり痛いのでは?」と思っていました。もちろん殺傷目的には使えないでしょうが、戦意を喪失させることぐらいはできるんじゃないかと。
>これは「相手に知覚されない、知覚されても身体を動かせない動き」の為なのです。良く誤解される事に「居合いは猛スピードで抜き放つ」というのがあります。が、実際の居合いは「抜き放つ刃の軌道上の何処か一点で威力を放つモノ」ではなく、何処ででも斬る事が出来るように動いているのです。だから抜いている、いない。剣速が速い遅いは関係ないと言う訳です。
なるほど。いや、確かに誤解しておりました。 うーむ、このスレッド、勉強になりますね。小説でバトル・シーンを書く際の参考になりそうです。
それと、鰻田社会科雄さんへ。 剣道や居合に限らず、長い歴史のあるものに対して異議を唱える際には、もっと謙虚になられたほうがよろしいかと思います。素人が即興で思いつくようなアイデアは、とっくの昔に誰かが考えついて、答えを出しているはずですから。現代において採用されていないのなら、そのアイデアは結局ダメだったということなのでしょう。 「自分が最初にこれを思いついたはずがない」という謙虚な姿勢を見失うと、「相対性理論は間違っている」などと唱える人たちと同じ間違いを犯すことになりますよ。 |
No.17745 - 2004/03/16(Tue) 13:49 [zaq3dc0694f.zaq.ne.jp]
| まともな反論もあるものの、下らないイチャモンが多いなあ、と感じますなあ…。
現代剣道と真剣による勝負について。 確かに、現代スポーツ剣道と真剣勝負は違います。竹刀の軽さもありますが、それよりも竹刀にはたわみ・弾力がありますから、打ち込む→受けられる→跳ね返る→また打ち込む、を繰り返すことができます。受ける側も、刃筋も峰も鎬も竹刀の向きをほとんど考えずに受け止めます。その結果、「パンパンパンパンパパパンパン」というスピーディーな打ち合いが可能になるのです。真剣でそんなことをやったら、刃はボロボロに欠け、刀身は横にひん曲がり、あるいは二つに折れてしまうでしょう。それ以前に、腕が痺れて刀を取り落としてしまうでしょう。 しかし、江戸時代を通してそうだったわけではありません。竹刀稽古の歴史は非常に古く、江戸時代の初期には現代とほとんど変らない竹刀と防具が存在していました。初心の剣術家は、まずは木刀で正しい打ち込み、受け払いの型を学び、充分に身についてから竹刀の稽古に進むのです。そこでもし竹刀の弾力を利用しての「パパパパンパン」という打ち方をしたら、「コラッ、真剣でそんな打ち方ができるか! 基本からやり直せ!」などと師範代から怒鳴られてしまうでしょう。 この考え方は、現代剣道でだって消えたわけではありません。剣道試合審判規則第12条に、試合における一本とは「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」とあります。要は、こういう考え方が芯にはあるが、江戸時代には厳しく、現代では甘い、というだけのことなのです。 つまり、「竹刀剣道と真剣による勝負はまったく違う」のではないのです。剣士や審判がちゃんとわかっていて、「真剣ではあり得ない動き」はしない、一本と認めない、という意識で行なえば、竹刀稽古・試合はちゃんと真剣勝負のシミュレーションになるのですよ。 さて、居合が実戦的ならば、江戸時代の竹刀稽古・試合にもちゃんと取り入れられるはずです。そうでなくて、刃引き真剣で型だけ稽古するのでは、どうやって実戦の勘を掴むのですか? 止まっている巻藁を斬るだけで、動いて斬り込んでくる人間を斬るコツをどうやって修得するのですか? いえいえそれ以前に、「居合の方が強い」のになんで「試合で使ってみたい」と(江戸時代260年間を通じて)誰も思わなかったんですか? もし竹刀稽古に取り入れられていれば、現代剣道にも自然に引き継がれていたことでしょうね。そうならなかったということは、前提が間違っているということです。
それでも「竹刀剣道と真剣勝負は違う」と言う方には、次の2つの例を上げましょう。 ・グラブをつけたボクシングのパンチと、素手のパンチは全然違います。素手で顔面をボクシング式に殴れば、拳の骨が折れます。またボクシングはスポーツであって、選手は喧嘩のシミュレーションとして練習しているわけではありません。喧嘩では足蹴りも組討ちもありますからまるで違います。 では、そういう練習ばかりしているボクサー達は、路上の喧嘩に弱いんでしょうか? また「喧嘩に強くなりたい」という動機でボクシングジムに入門する人は多いでしょうが、まったく喧嘩に強くなれない(つまり喧嘩のシミュレーションとして役に立たない)んでしょうか? ・幕末の剣士集団、「新選組」。NHKのドラマは嘘ばっかりですが、彼等だって道場では竹刀での稽古をしていた、これは本当です。真剣で人を斬りまくっていた彼等が、なんで棒っ切れ遊びなんかしていたんでしょうね。近藤勇は「道場では弱いが真剣では強い」と言われていましたが、それはいわゆる「ブルペンエース」の反対であり、道場剣法が役に立たないということではありません。
私は、居合は実戦的ではないと思いますが、「実用的」な武術として最大の評価をしています。 背後からいきなり斬りかかられた、襖を開けたらいきなり斬りかかられた、という場合、どんな達人でも通常は100%“死”でしょう。しかし居合を学んでおけば、致命率を90%や80%に下げることができるでしょう。そういう意味で、武士なら誰でも修行するべき、必須の武術であったと思います。
最後に >剣道や居合に限らず、長い歴史のあるものに対して異議を唱える際には、 >もっと謙虚になられたほうがよろしいかと思います。素人が即興で思いつくようなアイデアは…… 私はなんら異議なんか唱えていない。「居合とはこういうものだ」ということを正しく伝えているだけですよ。皆さんの方が、居合に勝手な幻想を抱いて真実を歪めているのです。 どんな武術の達人であろうと、「物理的に不可能なことはできない」私が言いたいのはこれです。 鞘の中、という制約のある不自由な体勢から、しかも片手の抜きで、両手持ちの自然な構えからの打ち込みよりも、速く刀が振れるはずがないではありませんか。野球のバットスイングと比較したってわかるでしょう。この「常識」を理解するのに必要なのは、武術の知識ではなく物理の知識と感性です。 >「相対性理論は間違っている」などと唱える人たちと同じ間違いを犯すことになりますよ。 まあ、その喩でいくならば、相対性理論に過剰な期待を抱き「過去へのタイムトラベルだってできるんだ」と言っている無邪気なSFファンに、「そうじゃないよ」とたしなめているのが私、でしょうか。 |
No.17775 - 2004/03/17(Wed) 07:00 [pl562.nas911.n-yokohama.nttpc.ne.jp]
| 「教えてください」というのではなく、 「俺の意見を認めろ」という書き込みが出た人には、 これ以上の説明は不要ですね。 |
No.17776 - 2004/03/17(Wed) 09:50 [p29f6d8.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]
| ええっと、素人考えでごめんね。 >背後からいきなり斬りかかられた、襖を開けたらいきなり斬りかかられた、という場合、どんな達人でも通常は100%“死”でしょう。しかし居合を学んでおけば、致命率を90%や80%に下げることができるでしょう。そういう意味で、武士なら誰でも修行するべき、必須の武術であったと思います。
ここと、 >鞘の中、という制約のある不自由な体勢から、しかも片手の抜きで、両手持ちの自然な構えからの打ち込みよりも、速く刀が振れるはずがないではありませんか
ここって、なんか矛盾しているような印象を受けてしまうんですよね。「実戦的」と「実用的」の差なんですか? |
No.17778 - 2004/03/17(Wed) 11:36 [P061198138072.ppp.prin.ne.jp]
| すいません、鰻田氏に話が通じると考えた私が馬鹿だったようです。もう二度と彼の書き込みに反応するのはやめます。
彼のやってることって、昔懐かしい誰かさんにそっくりだと思うのって私だけかなあ・・・ |
No.17779 - 2004/03/17(Wed) 12:20 [Air1Abx073.ngn.mesh.ad.jp]
| >>「そうじゃないよ」とたしなめているのが私、でしょうか。
こういうのを馬脚を現すと云うんでしょうか。
面白いスレッドだったのになあ。 |
No.17782 - 2004/03/17(Wed) 13:23 [YahooBB219004176052.bbtec.net]
| 私も完璧には理解出来ていないのですが、(^^;) イメージとして
「ダーウィンの進化論を小耳に挟んで 人間の先祖は猿だったんだ、と変なふうに思い込んで 今動物園にいる猿も、何百世代か後にはヒトになるんだ という人」 の別バージョンを見ているような気がします。
これはこれで間違い?(^^;)>詳しい方々 |
No.17784 - 2004/03/17(Wed) 13:40 [p29f6d8.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp]
| 剣道の理念・・・ 「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」 剣道修練の心構え・・・ 「剣道を正しく真剣に学び 誠を尽くして 心身を錬磨して 常に自己の修養に努め 旺盛なる気力を養い 以って 剣道の特性を通じて 国家社会を愛して 礼節を尊び 広く人類の平和繁栄に 信義を重んじ 寄与するものである」
剣道手帳(段合格証明書)より。 詰まるところ、華道や茶道と同じ人間育成の場なんですね。 剣技を学ぶというよりは、武士の心構えを学ぶと言うべきでしょうか。 ですから、武術に直結する必要なんてないんです。 |
No.17785 - 2004/03/17(Wed) 14:04 [h219-110-066-159.catv01.itscom.jp]
| 鰻田氏は剣道(あるいは剣術)の経験がおありなんでしょうか?ずいぶんと断定的な書き込みをされていますが、ほとんど経験がないのに書きこまれているように感じます。何故かというと、
>確かに、現代スポーツ剣道と真剣勝負は違います。竹刀の軽さもありますが、それよりも竹刀にはたわみ・弾力がありますから、打ち込む→受けられる→跳ね返る→また打ち込む、を繰り返すことができます。受ける側も、刃筋も峰も鎬も竹刀の向きをほとんど考えずに受け止めます。
ここを読んで、「あぁ、剣道をやったことがない人が、頭の中だけで考えているんだなぁ」という印象を受けます。私は学生の頃にほんの少し剣道をかじっただけですが、「刃筋も峰も鎬も竹刀の向きをほとんど考えずに」受け止めた事なんてないです。また、そんな教わり方もしませんでした。もし、相手の剣をすりあげる場合のことを言っているなら、刃筋や峰を意識しているからこそ、峰の部分ですりあげるはずなんですけどね。
傍目八目さま。
>面白いスレッドだったのになあ。
全く同感です。で、提案なのですが、スレッドも長くなりましたし、新スレに移行するというのは如何でしょう?私、今月はまだスレ立て権を行使していないので、賛同いただけるなら僭越ながら新スレを立てますが? でも、スレッドの名前で悩みそうです。 |
No.17786 - 2004/03/17(Wed) 14:16 [ntfkok025109.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >私はなんら異議なんか唱えていない。「居合とはこういうものだ」ということを正しく伝えているだけですよ。
これだけはさすがに……。 何が悲しゅうて、居合いをやってない人に居合いを教わらなきゃならんのですか。 僕自身、剣道をやっていましたかたわら、居合術の先生とも話すことがありましたが「居合いとはこういうものだ」なんてそらおそろしいことを言う人はひとりもいませんでしたよ。
>鞘の中、という制約のある不自由な体勢から、しかも片手の抜きで、両手持ちの自然な構えからの打ち込みよりも、速く刀が振れるはずがないではありませんか。
単純に速いことが、実戦において速いことではない。相対的に相手より速く打ち込む技術なんだと、このスレッドで何度説明されたと思ってます? 咄嗟の防御も含めて相手に知覚させないための技術であればこそ、「鞘の内」で勝負が決するのです。
>もし竹刀稽古に取り入れられていれば、現代剣道にも自然に引き継がれていたことでしょうね。
竹刀稽古は万能シミュレーションじゃないというのも何度も説明されたと思いますが。 重量が変わってしまう時点でシミュレーションには限界があります。 たとえば、脛払いというのは、非常に有用な技術ですが竹刀稽古には使われません。これは竹刀の重さでは下半身を打突するのに向かないからです。腰より下のものを切るには、それなりの重さが必要なのです(まさか、竹刀に鉄芯をいれろとか言わないでしょうね)。 これを軽い竹刀で無理やりこなしたとしても、身体運用がまったく異なってしまうため、百害あって一利なしです。変な癖だけがついてしまいます。同様に居合いを竹刀でこなしても、まったく実戦への応用がききません。
つまるところ、 ・竹刀稽古で覚えるのが有用な技術 ・型稽古で覚えるのが有用な技術 のふたつがあるのです。試合も稽古のひとつにすぎません。 それなのに、「居合いを試合で使いたい」とか「脛払いを試合で使いたい」というのは、ただの阿呆です。 竹刀稽古で強いひとが実戦で強い可能性があるのと同然に、型稽古で強いひとは実戦で強い可能性があります。これはそれだけの話です。 |
No.17787 - 2004/03/17(Wed) 15:12 [p24052-adsao01daikai-acca.hyogo.ocn.ne.jp]
| 鰻田さん
>江戸時代には厳しく、現代では甘い、というだけのことなのです。
違います。個人のおかれている社会状況が違うからです。現在の日本で他人を殺す為に日本刀を振るう事を前提と出来ないからです。
>「真剣ではあり得ない動き」はしない、一本と認めない
現在の柔道の「一本」も相手を殺すだけの威力、間を前提として出しますが、柔術のそれとは全く違うのです。現代で十字背負いを出して相手の頭を地面に打ち付けるように投げ落とす事なんて出来ません。
>居合が実戦的ならば、江戸時代の竹刀稽古・試合にもちゃんと取り入れられるはずです。
多分、剣術の全流派が「上級者指導」として居合いを学んでいたと勘違いされてるのでは? 記録に残っているだけでも200流派ほどある、ほとんどの剣術で居合いなどしてません。有名どころの流派をいくつか挙げてみれば判るでしょう。柳生新陰流の裏には体術の柳生心眼流がありますが、表向きは出されていませんでした。
予め釘を刺しておきますが、やはり数ある柔術の中で「合気」を技術としていたのは数流派です。その中で合気による達人が出たのは大東流だけです。
>止まっている巻藁を斬るだけで~斬るコツをどうやって修得するのですか?
ボクシングでサンドバッグ叩くのと同じですよ。それに巻き藁を斬れないようでは人間は斬れません。巻き藁の練習は太刀筋を明確にし、刃筋を立てる為にしているのです。先ず、それが大前提。
>「居合の方が強い」のになんで~
儂は「居合いの方が有利」になるなら、その場で使える者が使うというようにお伝えしてきた筈です。絶対に居合いの方が強い事なんてありません。極真空手を学べば誰しもが大山氏になれるとでも思ってますか?
>前提が間違っているということです。
貴方の脳内現実が間違っています。正しい知識と考え方をインプットして下さい。
>素手で顔面をボクシング式に殴れば、拳の骨が折れます。
折れると判っていて技術を使う馬鹿はそうそういません。それに貴方ボクシングの事も脳内現実で考えてますね? 現在、総合格闘技の試合でボクシング技術がボクシングより薄いオープン・フィンガー・グローブで使われてますが?
>ボクサー達は、路上の喧嘩に弱いんでしょうか?
弱くはないが組み打ち系の格闘技術者のタックルをかわせなければ、それでお終い。 ボクシングは喧嘩のシミュレーションとしては全くではないが役には立たない。
>近藤勇は「道場では弱いが真剣では強い」と言われていましたが、
生死を賭けてない所では真剣になれなかっただけでしょ。
>武士なら誰でも修行するべき、必須の武術であったと思います。
普通の剣術でも他に漏らさないように奥義である技術を囲ってました。居合い技術などはその頂点みたいなモノで、江戸時代には「居合いという技がある」と噂される程度の認識だった事でしょう。 貴方の居合いってのは貴方の脳内だけの話です。
>どんな武術の達人であろうと、「物理的に不可能なことはできない」私が言いたいのはこれです。 >片手の抜きで、両手持ちの自然な構えからの打ち込みよりも、速く刀が振れるはずがないではありませんか。
速く振る必要はないんだと、儂が山本先生に説明したの読みました? それに居合いの抜く技術の中で一番重要なのは相手に錯覚を起こさせる技術です。速さはその次ぎ。儂が一番最初に「一足一刀の間合いで速度の差などそれほど関係ない」と書いてます。 それに「両手持ちの方が自然」だと言う根拠は? だとしたら二刀流って不自然の二乗ですか? だとしたら剣道の試合で勝てないのも道理ですよね? 貴方の前言がひっくり返ってますよ。
ハル9800さん
儂は新規立てられないので、よろしければお願いします。 |
No.17788 - 2004/03/17(Wed) 15:16 [zaqd3872032.zaq.ne.jp]
| 鰻田社会科雄さんへ 無論の事、どんな武術家も物理法則の反する事等行えません 物理法則に従っていても人間はいろんな動きをしているので、何か目的をしぼった場合、無駄な動きというのが出てきます また、構造の複雑な人間を物理の質点見たいに捉えると当然矛盾が出てきます
>野球のバットスイングと比較したってわかるでしょう。この「常識」を理解するのに必要なのは、武術の知識ではなく物理の知識と感性です。
鰻田さんはよくバットスイングを例えに出しますが、刀の振りとバットスイングは全く別の物理運動だと言う事は理解されておられますか? 刀で斬り方を練習している時に、バットスィングはそうじゃないよ、とたしなめられても、困るかと思いますが 武術の身法を理解せずに正しく運動モデルを想定出来ないのでは? 正しいモデルが無ければ「物理の知識と感性」も役に立たないでしょ? ところで、片手で振ったのと両手で振ったのとバットのヘッドスピードっでどのくらい違うんですか?参考までに教えていただけると嬉しいです
両手を使えば片手より重いものが扱えますが、手を振り回す速度は手を二本にしたからといって速くはなりません 重量負荷でどの程度、遅くなるかが問題でしょうが もとより刀を振るのは手だけで振っているわけではないのです 刀は重いといっても精々1kgちょっとしかありません、腕の重さの方が5倍は重いでしょう。身体の重さからすれば2%以下です。両手を使うという事は腕の重さも倍になります。腰や胸からしたら両手一緒を振る方が負担になるかもしれません。実際、世界的には剣は片手で扱うものであるのが一般的です。両手の利は否定しませんが、片手で扱う利もあるのです。
ぺいりあんさんらがおっしゃっている相対的速度がより重要で、居合というのは、そういう身法を効率よく修練し利用する事を重視した「流派」の一つと言えますがその上で抜刀の方が物理的にも有利、もしくは片手の不利を補える、と考えられる理由を考えてみます (ちなみに >それに居合いの抜く技術の中で一番重要なのは相手に錯覚を起こさせる技術です という考え方には賛成出来ません、錯覚は錯覚でしか無く、ネタ明かしがされたら役に立ちません。相対速度というのはそういうものでは無いです) ・鞘と刀の構造による。ちゃんと出来た鞘というのは、鯉口を切って、僅かでも水平より下向きに傾けると刀が滑り出してきます。 つまり前方に落ちている=重力加速度で前進速度を作り出しているわけで、同様に重力を利用出来るのは上段に類する構えだけです ・人間の筋肉はまっすぐ付いているわけでは無いので、まっすぐ振っているつもりでも実はそうなりません。鉄人初号機さんの仰っているレール効果ですが、余分な方向に力が分散せずに済み、抜刀に集力できます。無論の事、精妙な作りの刀と鞘があっての事で竹刀や筒で代用しようとすればコストが莫大なものになるはずです ・人間の筋力は収縮性筋力、等長性筋力、伸張性筋力があります。 この中で一番強いのは伸張性筋力ですが引っ張られないと発生しません 鞘と刀のわずかな摩擦抵抗が発生の助力になる可能性があります ・動きの対向性の問題、反動というか、逆向きの力があった方が効果的で安定的な運動が出来ます。空手の引き手等と同じ理屈だと思いますが両手を使うとこれがある程度限定されます(両手のコントロールで切っ先の速度を上げる事は出来ますが同様の操作は片手でも行えます)。ついでに言うと走り幅跳びや走り高跳びで両足そろえて踏み切る選手は居りません。鰻田さんの理屈では両足いっぺんに踏み切る方が記録が伸びるはずではありませんか?
どうでしょう?居合の方が圧倒的に有利という事でもありませんが、実戦的で無いという程不利でもないのでは無いですか? 実際、居合の祖、林崎甚助の逸話だったと思いますが抜き身の複数人を相手にしてその速度を示した(当然林崎の勝ち)というのがあります 当時から普通の構えの方が有利で居合なぞ抜刀がわずかに速くなるだけと考える人間は居ましたが、そういう連中を退けたからこそ現代まで伝わっているわけです 無外流などは本来の剣術は失伝し居合のみしか伝わっていません また、居合が万流に勝るなら誰も居合以外修行しません
結局のところ本人の体格、性格、嗜好等も含めて自分に合ったスタイルを選び、「上達した人が強い」のであって、どんなに合理的な技であってもそれを使うに向かない人はいますし、その人にとっては実戦的とは言えません 「剣道」の試合に全力をかけている人に居合は実戦的な技じゃないでしょうね 「居合」を学ぶ人には「剣道の試合」は実戦じゃありません
>どうやって実戦の勘を掴むのですか?(以下略)
居合だって木刀を使った練習は普通にしてますし、相手の打ち込みになれる為の練習を打ち太刀に竹刀を使わせる様な事はあるかもしれません。そういう練習をしている人は見た事があります 形稽古を動作を覚えるだけの稽古のように認識されているみたいですが、形稽古を全速で行えば、一つ一つの動作は実戦と変わりません、形稽古を繰り返し行いレベルを上げていき最終的には寸止めもしない本気の打ち込みに対処出来るように段階的に修行するんですよ あとは真剣での立ち会いを重ねる事になるでしょう。必ずしも斬って捨てる必要も無いです。真剣の立ち会いは幕末まできちんと残っていますし、試合形式の竹刀稽古が流行ったからと言って、竹刀での試合、が武士の名誉やステータスだったわけではありません。むしろ竹刀の試合で勝った等と喜んでいれば、軽蔑された事でしょう。 居合とは抜刀するだけの技術ではなく、当然いろんな刀法がある事はご存知ですよね?どうしても、「剣道」の勝利が欲しければ「剣道」を練習するでしょう。 中国武術家でボクシングのリングにあがりたいと思う人はまず居ないと思います。仮に居ても、ボクシングスタイルを練習してボクシングを遣るでしょう。それは中国武術が実戦的でない事を意味しません。
武術家というのは「戦って勝つ」なんて事を良しとしない人が多いんで畑違いの「試合」にまで出て行って、実力を示そう等という人はむしろごく少数だと思いますよ 「居合とは 人にきられず人きらず ただ受けとめて たいらかに勝つ」だそうなんで、こういう理念が反映されないものには手を出さないのが普通でしょう
私は竹刀試合が実戦のシミュレートだという意見には同意しますが、きわめて限定された要素でのシミュレートでしか有り得ません。 その要素を多く持つ人には意味がありますが、そうでない人には無意味です
> ハル9800さんへ >そんな教わり方もしませんでした 確かに教わる時はそうです。私も子供の頃ちょっと道場に通いましたが竹刀は刀、武士の魂、というので誤って跨いだりしようものならその日は終日正座で反省でした(^^;、 ただ、試合を見てるとやはり日本刀であれは無理というのが多いです もちろん、峰も刃も考えないなんて事は無いんですけどね
剣道、居合用品店のご主人が(自身で剣道も居合もやっている人)「剣道は剣道、竹刀の扱いと刀の扱いは別、刀を振りたいなら剣道(だけ)では無理」と断言しておりました |
No.17789 - 2004/03/17(Wed) 16:50 [PPPax170.tokyo-ip.dti.ne.jp]
| 興味深くこのスレッドを読ませてもらっているのですけど、相手が反応できないような動きで欺くから、攻撃が決まる。 特殊な立ち方、歩き方をマスターすることで攻撃が当たらないようになる。という話が、どうしてもピンときません。 体験談で語ってくださっているので、ウソではないのでしょうが、それほど劇的に効果の出るようなモノなのでしょうか? あとついでに質問なのですが、全身の力を抜き、殴られても痛くない(おそらく脱力して衝撃を逃がしている?)殴られ方があるという話を、どこかで聞いたことがありますが、ボクのような素人だと、格闘技の防御というのは、積極的に相手の攻撃を受けとめる。もしくは避ける。というイメージがあって、こういう攻撃があたるのを前提にした行動というのは、あまりしっくりきません。果たして格闘技の世界では、こういう「受け身」の技術ってどういう扱いなのでしょうか?(あそらく格闘技によって違うのでしょうが) |
No.17810 - 2004/03/18(Thu) 00:32 [dhcp-5111.nava21.ne.jp] |