映画『デビルマン』専用スレです。 先週の土曜日、友人といっしょに観てきました。この映画について書きはじめたら長くなりすぎて、掲示板には書ききれないので、新たに感想ページを作りました。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/devilmaneiga.htm
日本映画界の抱える体質……とかいうとテーマがでかくなりすぎて収拾がつかなくなりますが、とりあえず「バカ」を連呼するのはやめにして、「どうすりゃ良かったんだろう」という反省とか(いや、反省すべきは作り手なんですが(^^;))、これから僕らを何を日本映画に望むのか、といった建設的なテーマで話を続けていきたいと思います。
和「ところで、山本さんの掲示板見てたら、なんか俺、架空の人物みたいに思われてません?」 山「ああ、思われてるやろなあ。これだけ趣味や性格が似てて、名前までそっくりなんて、そんな偶然ありえへん(笑)」 和「それは俺が昔、『ファンロード』読んでて思ったことですよ(笑)。同人誌の通販コーナーで、やおい同人誌とか並んでる中で、なんでこの人『トランスフォーマー』の同人誌出してるんやろうと(笑)」 山「わはははは!」 |
No.21981 - 2004/10/18(Mon) 17:38 [zaqdb72edcb.zaq.ne.jp]
| 山本先生 『デ』評、読ませていただきました。 さて、 >これから僕らを何を日本映画に望むのか、といった建設的なテーマで話を続けていきたいと思います。 そういうことでしたら、とりあえずこちらを紹介致します。 ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=topics&board=1834562&type=r&sid=1834562 Yahoo掲示板のSF・ファンタジーカテゴリです。ここに邦画の問題点について語るトピがあります(念の為、直リンは避けます。お手数ですが、探してください)。トピ主がけっこうな映画マニアで、昔の映画から業界裏話まで濃いネタを振っています。邦画の問題点についても、けっこう深い意見を持っていて、面白いです。 最近は、やはり『デ』についての感想がチラホラと。同じカテゴリに『デ』トピも立っているので、こんなものでしょうか(無論、こちらも酷評ばかりw)。
>「どうすりゃ良かったんだろう」という反省 観ていて思ったのが、ストーリー構成の改変部分がほとんど滑っていることから、素直に原作どおりの展開を踏めばよかったんではないかというコト。ラリラリパーティでデーモン降ろしって辺りなどは、それなりに今風に改変が必要かなと思いますが(W)。あそこまでネタバレ&空中分解構成にしてしまう理由がわかりません(重要なキーパーソンであるはずの飛鳥涼が、なぜ早々にネタバレされた上に、あんなにも存在意義が希薄なんでしょう? ) あと、やはり全部まとめてダイジェストでやってしまったのは大失敗でしょう。後半駆け足気味になっていく原作を2時間に再構成ってのはムチャ以外、何物でもないです。かつてのOVA版のように「誕生編」「シレーヌ編」などと三、四部構成ぐらいにしてやれば、1本辺りの中身も充実し、見応えのある物に出来たでしょうに(5年くらい、それで商売できただろうに……)。 |
No.21983 - 2004/10/18(Mon) 19:25 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| ヨコヤマさん、こんにちは。 僕も3部作か、せめて前後編にすべきだったと思います。ただ、フルバージョンで1本の映画にするというのは、原作者の意向だったらしいんですよ。
> さっそく原作者の永井氏に映画化権許諾をお願いした。すると、こんな返答があった。「フルバージョンで、1本の映画にまとめること」。那須監督は『デビルマン』に関する解説本を読みあさった。そして、「フルバージョンをまともに作ったら8時間になる。これを以下に省略するか」を検討した。 ――『映画「デビルマン」公式完全バイブル』
永井先生も無茶なことを言う(^^;)。しかし、「8時間になる」と気がついてるなら、原作者がどう言おうが「それは無理です。せめて3部作に」と交渉するのが見識ってもんじゃないでしょうか。
ところでYahoo!映画レビューで面白いことが。10月10日の20時44分から20時58分までのわずか14分間に、星4~5個をつけてる人が5人もいる! 同様の現象が、13日の20時56分から21時4分、14日の22時0分から22時5分の間にも起こっています。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=319020
ありえねー! そりゃあ2人ぐらいなら偶然に同じ時間帯に書きこむってこともあるだろうけど、4人も5人も重なるなんて考えられない。無論、ほとんどの人が星1個しかつけてないんで、まったく焼け石に水なんですが。 当然、バカにされまくっております。
ちなみに現在の平均点は2.7ですが、これは18日の14時56分(発言番号2851)からはじまったすさまじい荒らしのせいで、本当は1.4というYahoo!映画レビューはじまって以来の数値らしいです。 |
No.21990 - 2004/10/19(Tue) 15:38 [zaqdb72ed5a.zaq.ne.jp]
| んーむ・・・・・・、邦画業界の問題点云々に関しては分岐前スレでのSHADO工作員様の意見(個人的にはこっちで書き込んでもらいたかった)とほぼ同じですねぇ。 一応、大学で経済学を学んでおりましたし、市場原理やら完全競争やらも素人以上専門家より下程度に理解しておりますので大体は察しておりましたが、あまり意見提示しても良いような雰囲気じゃありませんでしたので黙っていました。 映画業界でまともに市場原理が働いた近年の例は、せいぜいスクウェアの業績悪化の要因の一つとなった映画版FFでしょうか? でも、純正邦画じゃありませんからねぇ・・・・・・。 それにしても、近所に新しい店を開くスーパーですら、既存のライバル店に対抗するために某大手書店と共同開店して客数確保の努力をしていると言うのに・・・・・・。
で、本題の悪魔の映画ですが・・・・・・、ぜってぇ原作ファンに喧嘩売っていますね、アレはw 残念な、そして悲惨なことに前評判をほとんど知らずに『期待して』見に行った友達に至ってはショックの余り寝込んでしまいましたよ(苦笑 言いたいことはまだまだありますが、既に先達の方が言っている事なので省きますが、ひょっとしたら某宗教団体の宣伝アニメ映画の方がマシなのかもしれないとヒシヒシと感じられましたw とりあえず、これから話の種に見ようとされておられる方々への助言は、 『この映画に限っては常に最悪の事態を想定しろ、コレは必ずその斜め上を行く』 ・・・・・・ですね。 まぁ、美男子な役者目当てに見に行かれる方には、『目の保養をしてね』としか言えませんが・・・・・・(苦笑 |
No.21991 - 2004/10/19(Tue) 15:46 [i222-150-160-184.s02.a034.ap.plala.or.jp]
| 山本先生 > > さっそく原作者の永井氏に映画化権許諾をお願いした。すると、こんな返答があった。「フルバージョンで、1本の映画にまとめること」。那須監督は『デビルマン』に関する解説本を読みあさった。そして、「フルバージョンをまともに作ったら8時間になる。これを以下に省略するか」を検討した。 > ――『映画「デビルマン」公式完全バイブル』 > > 永井先生も無茶なことを言う(^^;)。しかし、「8時間になる」と気がついてるなら、原作者がどう言おうが「それは無理です。せめて3部作に」と交渉するのが見識ってもんじゃないでしょうか。 > これは……もしかして、暗に断っていたんじゃないですか? よくあるじゃないですか。ストレートに断ると角が立つから(単に意地悪という場合もありますが)、ムチャな条件つけて断ろうというのが。まあ、往々にして、その条件を呑まれてしまって、断るに断れなくなったという例もまた、よくありますが(w 例:昨年の紅白に出演した中島みゆき)。 |
No.21995 - 2004/10/19(Tue) 19:17 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| それにしても時間が足りないだろうとは公開前から思ってたんですが。 いざふたを開けてみると、むしろ無駄なエピソードの方が多い気がしました。 とりあえず誕生編で30分、シレーヌ編で30分~40分、残り1持間ほどで終わらせれば、 早足ですが、それとなくまとまった気もします。 むしろ劇場版のグダグダな流れをみてるとアグウェル、ゲルマーのシーンとか ミーコのエピソードとか、木刀の政達とかヒンズー僧とか入らないところ削っていけば、 十分原作の流れが入るんじゃないかって気になりました(^^;。
映画「デビルマン」公式完全バイブルは直接、読んでないんですが疑問点として。 http://homepage3.nifty.com/hirorin/devilmaneiga.htm >「一昨年の夏、約20人のシナリオライターの卵に、映画『デビルマン』のシノプシス(あらすじ)を >注文しました。若い才能が30年前の漫画をどう料理するか、楽しみにしていたんです。ある者は >環境問題を扱っていましたし、またある者は明と了をコンビにした事件ものにしていました。しかし、 >残念ながら、僕を満足させるものはありませんでした。(後略)」
なんで最初に集めたのがライターの『卵』なんでしょうか? だったら本物のシナリオライターに頼めばいいのに・・。 本職のライター達に注文すると最初にイイモノを書かれてしまい、奥さんの出番がなくなってしまうからと邪推してしまいます…。 |
No.21996 - 2004/10/19(Tue) 20:50 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| せっかくですので、ちょっと続きを(あくまでも健全に、のつもりです)
山本先生の「デビルマン評」は大変感服いたしました。そう、こんなふうにきちんろ「どこがダメ」かを言ってこそ、モヤモヤした苛立ちが次の「だったら・・」というステップに進めると思います。 で、まだ誰もおっしゃっておられないので、あげおきますが今月号の「サイゾー」という雑誌にデビルマンの製作事情についての記事がありました。うまくまとめてあって特に東映本社と東映アニメーションの確執は「なるほど、それであの那須監督が演出に抜擢されたのか」とかなんとなくうなずかされました。 もちろん記事を全部鵜呑みにするわけではありませんが、非常に参考にはなると思いますので、是非御一読をお勧めします。
ちなみに同じ号で『キャシャーン』の紀里谷監督のインタビューもあり、これもまた色々な意味で面白かったです。 |
No.21999 - 2004/10/19(Tue) 22:15 [ntcwest010020.west.dup.ppp.infoweb.ne.jp]
| >>これから僕らを何を日本映画に望むのか、といった建設的なテーマ
もうひとつ気になったのは「SFセンスの欠如」。監督、脚本家ともにSFセンスがないゆえに「人類と異種の生物の闘争」という壮大なテーマが理解できずに結局デーモンを新興宗教みたいにしか描けなかったことを考えても少なくともきちっとSFを理解できる監督に演出をして欲しかったです。
これは同じ東映の春の作品『ゼブラーマン』でも思いましたが、途中まではすごい傑作だったのに、クライマックス近くからSFセンスがないために、ワヤになり、最後は白けきった駄作になってしまったのが非常に残念でした。クドカンの脚本も三池監督の演出力も確かなのに「変身ヒーロー」を形でしか描いていないのにかなりがっかりしました。 この作品だって同じ東映なんだからライダー班とかアバレンジャー班を演出スタッフに加えればもっとまともなクライマックスとか脚本になったと思うのですが、やはりそういったところにも東映本社と東映アニメーションの確執の影響が?と変に勘ぐってしまいました。 |
No.22000 - 2004/10/19(Tue) 22:25 [ntcwest010020.west.dup.ppp.infoweb.ne.jp]
| 『スウィングガールズ』『SURVIVE STYLE5+』『くりいむレモン』『感染・予言』『オーバードライブ』『お父さんのバックドロップ』… と、結構な量の邦画が上映中で、そのうちの1・2本は傑作といってもいいくらいの出来なんだけど、デビルマン一本で日本映画が全て駄目みたいに言われてしまうというのも、現象としては面白いかも。地域格差を無くして、地方でも色々な映画を観られるようにする必要は多分あるんだろうけど、黒船(シネコン)も来たし、ある程度は変わっていくとは思います。 が、SFはやっぱり辛いとは思いますね。市場自体が狭いというのもあるし。そもそもデビルマンの原作の設定を全て説明しても、大半の観客には理解できないんじゃないかな。 |
No.22003 - 2004/10/20(Wed) 02:21 [eatkyo232214.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >デビルマン一本で日本映画が全て駄目みたいに言われてしまうというのも
ウンウン。
システムの問題とかいう言及にはちょっとハテナ? です。劇場アニメだって同じシステムの上で製作されてるわけだし、他良質な作品を無視するのはちょっと。
ただ、今年はキャシャーン、ハットリ君、デビルマンときて28号もやばげでゴジラもドキドキものとなると、こりゃあナンカおかしくないか、と、問題提起がでてきてしまうのもいたしかたない話かなあとも思います。 |
No.22010 - 2004/10/20(Wed) 13:37 [p62f80b.tokynt01.ap.so-net.ne.jp]
| デビルマン見ました。 実にひどい映画でしたね。 私は大阪の映画館で見たのですが、たまたま監督と主役の兄弟の舞台挨拶のある回でした。 そこで言っていたのは彼等が「一年も時間をかけて練習をつんだということ」。 それで、あの演技? 本当に信じられません。
ちなみにその時、最初はどっちがどっちをやるかも決まっておらず、撮影間近になって決まったなどという話もしておりました。 |
No.22013 - 2004/10/20(Wed) 14:57 [p29c438.osakac00.ap.so-net.ne.jp]
| 那須監督が『デビルマン』を熱っぽく、すんごく薄っぺらい事を喋ってます・ http://cinemawave.jp/pc/review/0410/04100601.asp
くれぐれも熱く語らないでください(笑) |
No.22014 - 2004/10/20(Wed) 15:28 [SSJfa-06p4-237.ppp11.odn.ad.jp]
| 皆様、こんにちは。
仮面ニャンダー 様
>なんで最初に集めたのがライターの『卵』なんでしょうか? >だったら本物のシナリオライターに頼めばいいのに・・。 >本職のライター達に注文すると最初にイイモノを書かれてしまい、奥さんの出番がなくなってしまうからと邪推してしまいます…。
あらかじめ言っておきますが、以下に書くことはあくまで私個人がふと思ったことであり、ほんのこれっぽっちも真実性があるわけではございません。誤解なきようお願いします。
とたっぷり予防線を張っておいて(笑)、これ、悪く考えるとローコストのアイデア集めじゃないんですかね。無名のシナリオライターに書かせておいて、使えるアイデアをちょっと変えてこそっと横取り・・・、あわわわわ、だから、これ、私がふと考えたことだってば。あるいはもうちょっと良心的に、使えるアイデアには「あなた、スタッフクレジットには乗せられないけど、アイデア料払うから、これ」なんてやってたりして・・・。
実際にこんなことしてたなんて、私は一言もいっちゃいませんからね!
|
No.22015 - 2004/10/20(Wed) 16:10 [ntfkok010240.fkok.nt.isdn.ppp.infoweb.ne.jp]
| > なんで最初に集めたのがライターの『卵』なんでしょうか? > だったら本物のシナリオライターに頼めばいいのに・・。
おそらく、監督が講師として勤めているどこかの映画学校か何かのシナリオ科に在籍している生徒に課題としてやらせたのではないかと思います。
>そこで言っていたのは彼等が「一年も時間をかけて練習をつんだということ」。
「スウィングガールズ」の出演者17人はクランクイン前に4ヶ月特訓やって、撮影中も練習を続けていた筈ですが・・・どこで違いが出てくるのかな。 |
No.22020 - 2004/10/20(Wed) 18:57 [acykhm013091.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 台風の中、WPCEXPOに行ってきました。hpのブースで抽選があり、ひょっとして景品はhx4700!?と心臓をばくばくさせていたら、司会のオネーサンが「景品は大人気公開中の映画デビルマンの劇場招待券です」…嫌がらせをしたい人もいないのでそれは要らないですー。
> ただ、今年はキャシャーン、ハットリ君、デビルマンときて28号もやばげでゴジラもドキドキものとなると、こりゃあナンカおかしくないか、と、問題提起がでてきてしまうのもいたしかたない話かなあとも思います。
『月光仮面(1981)』とか『怪傑ハリマオ(1989)』とか『エイトマン・全ての寂しい夜のために(1992)』とか、まあ、鈴木則文監督ののカバ丸だのコータローだのは仕方ないとしても、結局のところ、原因は企画力の低下にあって、こうしたジゴクノハイウェイガセカイノモエツキルヒニナル現象はむしろ当然の結果なのでは? まー、デビルマンはちょっと破格にひどいけど。アレが東映という利益集団のあるべき姿で、その他ではスタッフという個人が頑張ってなんとかしているんでしょう。 もちろんそうした努力が実を結ぶのは作品に自由度があっての話。映画のことなんか何もわからないドクセンキギョーのジューヤクがデカイ面していることは、やっぱりシステム上の問題点ではあると思います。 東映・東宝は総合レジャー産業を志向しているので、映画は副業みたいなもんですし。『田宮模型を作った人々』に、模型専業で取り扱いメーカーの少ないディーラーは一生懸命売ってくれるといったようなことが書いてありますが、そんな感じですかね。
日本映画の製作サイドでも危機感を持っている人はいて、例えば今ユーロスペースでやっているホラー番長なんかは、新しい日本映画を生み出そうという実験なわけでしょ。(地の底から正体不明のシャンブ…美少女を拾ってくる『希人』は結構面白かったッスよ。) 机上の空論よりは、こうした実験を個人的には支持していきたいです。
デーモンと合体する前の不動明は小倉一郎で、合体後は竹内力とかにすれば、単純に面白くはなるかも。あ、でもデビルマン勝つな。 |
No.22026 - 2004/10/21(Thu) 00:27 [eatkyo232214.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| エロの冒険者さま、カンタベリーさま
まあ、真相はともかく下手な改変は極力押さえ、原作やOVAを参考に切り詰めた脚本にしてくれればよかったんですよね・・。 原作から30年もたって古くからのファンでない限り、内容を知ってる人間も少ないわけですから。
しかしなんでオリジナル設定を盛り込もうとするのやら。 改悪した上で、原作のネタ晴らしまでされてるのはたまりません。 |
No.22027 - 2004/10/21(Thu) 01:00 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| 仮面ニャンダー様
予算が無尽蔵にあるのならそうかも知れませんが、そうではないわけだし、東映の特撮があてにしてきた親子連れの客も入らないことがわかっている状況で、まともな経営者でもその選択は早期に捨てるのではないでしょうか。もともと女性層狙いが今の邦画界だし。
アメリカではスパイダーマンが出来たのにという人もいますが、キャメロン版から数えて何年かかったと思っているのかとか、そもそもバットマンやXMEN無しで(コミックの映画化がある程度成功するという前提がなかったとして)、スパイダーマンが出来たと思っているのなら、むしろそういう認識こそが日本のSF映画を駄目にしているとは考えられないでしょうか。何でスパイダーマンが出来たのかをちゃんと分析せずに、日本人には大和魂があるのでとか言われても、そんなものはないし。 ある程度時間をかけてちゃんとした映画が作られるような土台を作る必要があるのに、ネームバリューのある物以外は無視するということなら、じゃあネームバリューだけでとはなりませんか?
お怒りはごもっとも。でも観客の立場で建設的であることを考えるなら、良作を支持していくことしかないんじゃないですか? |
No.22028 - 2004/10/21(Thu) 07:25 [eatkyo232214.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >仮面ニャンダーさん
>しかしなんでオリジナル設定を盛り込もうとするのやら。 >改悪した上で、原作のネタ晴らしまでされてるのはたまりません。
それは制作者の創造性やオリジナリティを否定することになるのでは。 クリエイターには自由に作品を作る権利があるわけですし、 そもそも漫画作品が映画に置き換わった時点で、 原作とはまるっきり別物になるわけですから。
これは「面白ければ認める」という問題でもないと思います。 原作を改変したことで良作になるか駄作になるかは、 それこそ出来上がってみなければわからないことですから。
僕は映画版『デビルマン』の失敗が、 「オリジナル設定を盛り込んだこと」にあるとは思いません。 演技が下手なのは役者の問題だし、 演出がヘンなのは監督のセンスのなさが原因だし、 ストーリーが滅茶苦茶なのは脚本家の力不足だし。
観客の側にも自由に作品を鑑賞する権利があるわけですが、 それならそれで、問題の本質をきちんと捉えるべきだと思いますね。 「原作と違うから間違い」というのは、原作至上主義に陥りかねないので要注意。 |
No.22030 - 2004/10/21(Thu) 08:10 [i218-47-202-218.s01.a012.ap.plala.or.jp]
| SHADO工作員様 >親子連れの客も入らないことがわかっている状況で、まともな経営者でもその選択は早期に捨てるのではないでしょうか。もともと女性層狙いが今の邦画界だし。 > つまり、この企画が立ったこと自体が間違いだったということですよね。「まともな経営者」は、その判断はできなかったのでしょうか? 内容に関係なくイケメン(w)で女性客が呼べると考えるなら、まだ実績のある『ライダー』に『デ』の分の予算を投入していればよかったかもしれない。
> アメリカではスパイダーマンが出来たのにという人もいますが、 なんか暗に批難されているような気が……(いや、気のせいなら、別にいいですが)。 無論、『スパイダーマン』単品を取り出しての話じゃないですよ。最近の成果として挙げただけで、その背景やそこに至るまでの歴史も理解はしてますよ。 それを踏まえて、なんでこういろいろと月とスッポンなんだろう?(負けてない部分もありますが) 別に及ばないなら及ばないでもいいんだけど、それだったら「ハリウッド・ヒット作の上っ面だけマネして、やってみました」みたいな身のほど知らずなコトをするねん! 及ばんまでも、やるならやるで徹底してやらんかい!! ヘタレが中途半端なマネしていちゃ、キャリアもあって徹底して出来るヤツと比較にもならんだろうに―そう思い知らされ続けて、二十ン年……。
>むしろそういう認識こそが日本のSF映画を駄目にしているとは考えられないでしょうか。 そういった甘い認識を持って、ダメにしてきたのは、邦画業界じゃないですか? 『スパイダーマン』などが出来た、ヒットした背景や理由をちゃんと分析しているんですか? その結果が『デ』他ですか? ファンは基本的に受身でしかいられないのだから、せめて駄作には声を大にして文句を言わないといけないんでは? 「不良品」に苦情を言うのは消費者の権利であり、よりよい「商品」を得るためにすべきコトでしょう?
木馬様 原作至上主義に陥るべきではないというのは、大いに同意です。映画化となれば、それにともなった改変も必要です。ただ、原作の完成度が高いほど、改変できる範囲も自ずと決まってくるでしょうから、やたらと弄ってもいいものでもないと思います。 で、『デ』の場合、そもそも尺が絶対的に足らないという問題を抱えていたのですから、オリジナル設定を入れる必要があったのかという疑問があります。デビルマン軍団が出てこず、不動明とも合流しないのならば、ミーコとススム関連はまるで必要ないでしょ。そんな入れる余裕もない展開を押し込んだ結果、力のない脚本家が処理できずにストーリーが滅茶苦茶になってしまったと言えるのでは?(「単なる名場面集にしかならないから、オリジナル要素を軸にして根本的に再構成する」って意図だったかもしれませんが) ほぼ原作どおりのOVA版は『誕生編』『シレーヌ編』で108分。切り詰めて再構成すれば、一時間くらいには出来るんじゃないですかね。根本から展開を変える理由は、あまりないと思います。後半、ハルマゲドンに至るまでがやはり駆け足になってしまいますが、サタンとして目覚めた了がデーモンの存在を明らかにして、人類自滅の引き金を引く辺りや他のデビルマンが誕生していること、牧村一家虐殺のシーンがしっかり描けていれば、デーモン軍団対デビルマン軍団の決戦まですっ飛ばしてもいいと思います(それでも時間足りないなぁ)。 原作やSF・ファンタジーを分かっている人(原作者が一番なんですが……orz)が、原作各要素を整理して「映画用原案」を作っていれば、もっとマシになったかも。 |
No.22032 - 2004/10/21(Thu) 11:18 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| 『デビルマン』関係で検索してたら、こんなのが…… キャストのところに注目。
http://www.shochiku-eigakan.com/east/movie/y_04108.html
わざとやってるんじゃないだろうけど、横のコメントと妙にシンクロしてるのがおかしくて(^^;)。 おそらくすぐに訂正されると思われるので、お早めに。 |
No.22034 - 2004/10/21(Thu) 12:09 [zaqdb72ed5a.zaq.ne.jp]
| 「エサ不足で山を降りてきた熊を撃ち殺すのは忍びないが……」
先週には観に行っていたのですが、感想を書き込める雰囲気ではなかったので、しばらく生還していました。……もとい、静観していました。
正直、観終った当初は「金返せじゃなくて、『なんだぁ? みやげもんはねぇのか?』というくらい酷かった」とか、「『キャシャーン』は10分くらいに編集してくれればプロモーションビデオとして観れるけど、『デビルマン』は30秒CMでも苦痛」などと友人には吹聴していたんですが、なるほど確かに落ち着いて考えてみれば、業界の問題点とか、作品としての改善策はあったかなと思います。
山本先生は冗談めかして“吹き替え”をすればと書いていましたが、私は本気でそう思いました。 伊崎兄弟の表情自体は悪くなかったと思いますし、『1999年の夏休み』という前例もある事ですから、声優が吹き替えても良いのではないかと。 実際、顔も良くて演技力もあって歌唱力もあってアンションもできてなんて、マルチな才能のある人の方が稀有なんですから。 しかもパンフレットによると、本編でもシレーヌの体はCGで冨永愛の顔を合成したとか書いてあるし。(モデルを起用した意味無いやん(^_^;) それと、やけにデビルマンなんかの動きがカクカクしてると思ったら、モーションキャプチャーを使用しないで、アニメ的な手法に拘ったらしいので、実は“実写作品”じゃなくてアニメと合成した『アイゼンボーグ』や『タンサー5』みたいな作品だったんだなと。アニメをCGで描いただけって事で。 そう思うと、“初の実写作品化”という宣伝の仕方がそもそも間違いで、観る方もCGというのを“絵”だと思えば、チャチに観える戦闘シーンなんかも納得がいきます。 個人的には「CGっぽいCGが好き」なので、正直にそう言ってくれれば良かったのにと思ったり。 どうも“CG=リアルな特撮技術”という刷り込みが業界にも世間にもあるようで、“リアルにもできる絵”なんだというのが忘れられている気がします。 「CGを駆使して」と言うのなら、現在のテレビアニメもほとんどCGな訳だし(笑) なので、パンチが決まる瞬間に挿入される劇画タッチな止め絵は嫌いではありませんでした。
脚本に関しては、あくまで今回の作品ならばという前提で言えば、ダイジェストでも良いから原作をなぞって欲しかったなと思います。 これは“原作至上主義”ではなくて、原作と別作品としても面白い、あるいは別解釈で描く事に意味がある作品にできないのならばという事です。 例えば先に庵野監督によって製作された『キューティーハニー』(そういえば“ハニメーション”と称していましたね)は、敵の幹部に男がいるというのは、「原作の“女vs女”の構図を変えるなんて!!」と腹も立ちましたが、原作ではそれほど描かれなかった“生後(?)まもない女性型アンドロイドの成長モノ”として思えば、楽しませてもらったと思っています。 今回の作品では、なんと言っても新解釈の設定が生かされていないというのが、余計に不満になりました。 観ている時にも「デーモン同士は戦わない」とか、「飛鳥はいつからサタンの自覚があったのか」と疑問だったのですが、監督のインタビュー動画を観たら、ますます大混乱。 飛鳥は天使に乗り移られたというような事を発言しているんですよね。 その天使というのがサタンの事だとは分かるとして、飛鳥自身がサタンだったのではなく、サタンと合体したのだとしたら、人間だった不動の事を好きになったサタンが飛鳥を利用したのか、不動を好きだった飛鳥がサタンと合体して不動にも合体させる事を思いついたのか。 でも、2人の子供の頃の描写からすると、飛鳥は子供の頃から「普通じゃなかった」そうだから、すでにサタンに合体されていたのかとか、訳が分からなくなります。(私だけ?) 最後の戦いにしても、不動が飛鳥に対して「滅びろ!」と言うのは当然としても、飛鳥が戦う理由が思いつかないし。 美樹の性格にしても謎で、冒頭で飛鳥の事を不動に「あんな人間と付き合うのやめたら」というような人が、中盤でデーモンに合体されたミーコを「同じ人間よ」と無条件に受け入れるのかと観てて気になりました。 脚本書いてて自分で訳が分からなくなってるのなら、原作の物語を追えば良かったじゃないかと。 原作にも“闘争心のみで愛が無い”はずのデーモンなのに、シレーヌに対してカムイが愛情を持つという矛盾があったりするから、新解釈ならばそういうのを取り上げて欲しかったと思います。
とりとめがなくなってきたので、いったん終わらせます。 書き込む前にメモをしていて、論点をまとめようと思ったのですが、なんだか混乱したままで(^_^;) お目汚し、失礼しました。
あっ、往生際の悪い一言。 パンフレットで演劇の『不動を待ちながら』という作品が紹介されていたけれど、あれを前半でやって最後に予算を全部つぎ込んで最終戦争ってのはどうでしょうか。 予算配分もおかしかったよなと思いまして。 |
No.22038 - 2004/10/21(Thu) 13:52 [229.119.111.219.dy.bbexcite.jp]
| 皆様、こんにちは。
ボブ・×××のカメオという絶妙なツボの外し具合に笑っちゃいました。
「こげな映画は有名人ば出さんと客入らんぜ」 (有名人をカメオ出演させましょう。観客動員がまるで違ってきますよ)
「ボブ・×××はどげんな」 (格闘家のボブ・×××はどうでしょう)
「おお、そらよか、若か奴ががば来るたい」 (グッドアイデアです。若者にアピールしますね)
「さっそく交渉ばしてみまっしょ」 (出演交渉をしてみます)
そうして出演が決まって映画作っている間にボブ・×××自身の旬が過ぎちゃったという・・・(笑)。
84年『ゴジラ』の武田鉄矢に匹敵するスットコカメオですね。 |
No.22040 - 2004/10/21(Thu) 18:02 [ntfkok011012.fkok.nt.isdn.ppp.infoweb.ne.jp]
| 原作至上主義というは、どうしても付いてまわる因縁みたいなものですからねぇ。 多少、畑違いですが『Kanon』もアニメ化されて評価が芳しくなかったようですし、ある意味仕方ないことかと。 ちなみにウチの父親がちょうどデビルマン世代の人で、熱烈的なファンであります。 その父親に「デビルマンを見に行かないの?」と尋ねたら行かないとの返事。 「あれ? もしかして映画雑誌からも酷評される最低映画だって知っていたの?」と聞き返したところ、「そんな事は知らん。 俺の持っているイメージを壊されたくないからだ」と答えてくれました。 まぁ、その行動指針は今回に限って言えば大正解でした(苦笑 原作至上主義に陥りやすい傾向にある人は、このような立場に立って無視するのも一つの選択かと思います。
蛇足ながら、私の体験も一つ。 『スレイヤーズ』がアニメ化したとき、原作に沿っていた『無印』と『NEXT』はどうしても好きになれずに途中で見るのを止めましたが、主人公キャラクターと世界観(の一部)以外アニメオリジナルの『TRY』には妙に熱中してしまい最後まで見続けました。 ちなみにその後の『ロスト・ユニバース』も何故か気に入ることが出来ませんでしたので、やはり原作に沿う形でストーリーを再構築するのは人による好き嫌いが出やすいのだと思います。
>エロの冒険者様
>84年『ゴジラ』の武田鉄矢に匹敵するスットコカメオですね。
そーいえば、『ゴジラVSビオランテ』の時にもデーモン小暮閣下が出ておられましたねぇ ^^; あまり有名人とかに興味が無いので詳しくは知りませんが、閣下は思いっきり衝撃的な方でしたので子供心に刻み込まれましたw |
No.22043 - 2004/10/21(Thu) 18:38 [i222-150-163-190.s02.a034.ap.plala.or.jp]
| エロの冒険者様、D猫6番艦様 > > >84年『ゴジラ』の武田鉄矢に匹敵するスットコカメオですね。 > > そーいえば、『ゴジラVSビオランテ』の時にもデーモン小暮閣下が出ておられましたねぇ ^^;
邦画の、特に特撮系のカメオ出演って、ロクなのがないって記憶しかないのですが、どういう目算があって出しているんでしょうねぇ。たとえば『ゴジラ』ファンは、ケント・ギルバートとかチャック・ウィルソンが出てきても喜びはしなかっただろうし、さりとて角田師範が出たところでK1ファンが大挙して観にいったとも考えにくい。そして、大体が演技シロウトなので、観ていて辛い場合が多々ある(平成ゴジラの場合、それ以前に脚本レベルで滑っているという感じも)。映画の完成度に対する貢献がないどころか、足引っ張ってるとしか思えないのですが、マニアやオタでもない一般人には、それを上回る話題性とか集客能力とかが期待できるとマジで考えているのでしょうか? そんな物を見せるのは、一般人に「やっぱり特撮映画は、子供向けのダメな物だ」と思わせるだけでは? と、心配してしまうのですが…(劇場で凍りつくのも、もう嫌)。 |
No.22044 - 2004/10/21(Thu) 19:18 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| >木馬様 >それは制作者の創造性やオリジナリティを否定することになるのでは。 >クリエイターには自由に作品を作る権利があるわけですし、 >そもそも漫画作品が映画に置き換わった時点で、 >原作とはまるっきり別物になるわけですから。
正直、ここは賛同しかねます。元々の自分の意見が・・
>下手な改変~ 改悪した上で、原作のネタ晴らしまでされてるのはたまりません。
と、あらかじめ『下手な、改悪した上でのネタ晴らし」と前置きしておいたのですが…とりあえずそれはおいといて…。 クリエイターは自由に作品を作れるとおっしゃられますが原作があるのなら、 その原作に準拠すべきところは準拠しなければならないと思います。 (それに、この映画自体が「完全実写化」がうたい文句だったはず・・)
ストーリーも違う、キャラの持ち味も違う、空気や世界観、背景も違う、根底のテーマまで 違えば、それはもう原作とは無関係の代物です。 それで、なお原作の名前を宣伝に使用するのなら、原作からただ名義を借りただけにすぎません。
今回のデビルマンはまさにそれに近いと思いました。根底のテーマ、その他をほとんど排除した上、原作のオチだけは あっけなくバラしてしまう。 とても原作を尊重してるとも思えません。
たとえば、原作の「お前らこそ悪魔だ」の台詞を劇場版は登場するシチュエーションを変えただけでなく、 その後にくる言葉が意味する動機までそっくり変えてしまってます。 劇場版のでは単に追い掛け回された悪役にパワーアップして逆転勝ちするだけの陳腐なシチュエーションとしか思えません。 デビルマンを象徴するもっとも重要なシーンにも関わらず。
それにクリエイターだから自由になに作っていいとも思えないのです。 原作至上主義というのがどんなものかは知りませんが(どちらかというと自分はそれほどうるさくない方ですし)、 クリエイター至上主義でなにを作ってもいいいわけではないでしょう。 原作付きを扱うのなら原作に対する最低限の責任は付きまといますし、内容が原作とまったく違う上、 さらに面白くすらなくていいのなら、それはただのクリエイターの自己満足です。 ジョジョの絵柄で、おジャ魔女どれみを描けば面白いだろうとやってみて、はずしたのに。 それはクリエイターの自由と、原作ファンが文句言えない状況では困ります。
監督の思い付きで撮るのなら、完全オリジナル作品か同人活動でやるべきものと思います。 クリエイター至上主義が原作至上主義より尊ばれるなら最低限、ある程度のファンが 納得できる面白さがないといけないといけないと思います。
>SHADO工作員 う~、でも予算これ以上に低い作品いっぱいあると思うんですよね…。 カメオ除けば、ライダー1話分のがすべてにおいてよっぽどよくできてるし。 (飛鳥邸だかエネルギー研究所だかの地下セットの安っぽさなんて近年まれに見るものだと思いました) 脚本にしても、一般のライターでこれよりよっぽどいい脚本書ける人がいるはず…普通の料金で。あげく金を使ってるのが意味のないカメオ陣なわけですから救われがたいです…。 本当にどこに資金が消えたんだろう・・オンブズマンでを使って徹底的に調べるべきかと思います(^^;。 |
No.22045 - 2004/10/21(Thu) 20:32 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| 特番でしか見てないので、内容について発言するつもりは無いんですが・・・
CGや実写の素材をアニメのように動かすというのは、今は亡きバブルの申し子、デジタルエンジンの送り出した超絶映像作品、押井監督の『G.R.M.』じゃないですか?
・・・ちなみに、バブル崩壊や三十億以上の制作費が必要という試算から、『G.R.M』のパイロットフィルム、技術プロモ短編の『実写版パトレイバー』、敗戦処理のオマケ作品『アヴァロン』を残し、デジタルエンジン構想は消滅しました。
>TOSHIさん 一応モーションキャプチャーっぽく、実際に黒子をセットで戦わせて撮影し、それを元にCGにしている部分もあります。 四本腕のデーモン(カイム?)は二人羽織のような感じで、折り重なった黒子が別々にパンチしていました(ここは興味深かった)。 |
No.22054 - 2004/10/22(Fri) 00:43 [user011.ehm.enjoy.ne.jp]
| 仮面ニャンダーさま
> >SHADO工作員
あ、私だけ敬称略だ(笑)
> う~、でも予算これ以上に低い作品いっぱいあると思うんですよね…。
いや、一般的な予算の話をしているのではなくて、ハルマゲドンを描く映画の予算として。最近観ていないけど、最近のライダーは一話ごとにハルマゲドンをやっているのでしたらごめんなさい。私の感覚では、船が沈んだりマンハッタンでイグアナが暴れたりする映画より、ハルマゲドンの映画はお金がかかるような気がするのですが、間違っていたらごめんなさい。 総制作費220億円のスパイダーマン2はデビルマンの一巻分程度のエピソードだから、単純計算では同じクォリティのものを作ろうとしたら、1100億円(^^;)。(本当は、役者の出演料が違うので、300億くらいかもっと安いかも)
ヨコヤマ様
いや、スパイダーマンとLOTRが映像化不可能を克服した例として雑誌などで取り上げられていたので、ヨコヤマ様の書き込みについて批判したつもりはありません。なぜLOTRにしなかったかというと、読もうとして結構な回数挫折しているので、最後まで読んだだけでなく、最後まで映画化したピーター・ジャクソンはもう既によくわからないのです。
コアなSFにしてしまうと、SFファンが20万人いたとして、映画を観るSFファンが5万人とすると、パンフレットの売り上げなんかを考えても、興行収入が1億くらいにしかならないわけで、制作費どころか劇場への興行保証すらままならない。十分にSFで、かつエポックメーキングであることを目指したであろう日本映画の『ゼイラム』や『タオの月』なんかはそんな感じだったんでしょう。
あ、いい手を思いついた!東映の偉い人とかは『IZO』を観ていないだろうから、中山一也に斬ってもらっちゃうという秘宝祭りに行かなかった人には意味不明の方法はどう? |
No.22055 - 2004/10/22(Fri) 01:23 [eatkyo232214.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >SHADO工作員さま >あ、私だけ敬称略だ(笑)
すいません。書き忘れてしまいました(^^;。 しかも、あれ書いた後すぐに寝いってしまったんで、こんな時間に・・。
>ハルマゲドンの映画はお金がかかるような気がするのですが、
ハルマゲドンのシーンって、映画では最後の荒涼とした世界にCGの人間の柱がそそりたち・・のところだと思うんですが。 それでもそこまで凝ったシーンだとは思えません。 なにより原作のデビルマンもハルマゲドンが物語の主軸ではないんです。 あくまで結果としてハルマゲドンが最後にあるんであって、そこにいたる物語こそがメインです。
それにたとえ画面からは見えなくても人類の荒廃を伺わせる手立ても あるはずです(いえ、ボブサップのナレーションの事でなく)。 いかに資金を使わず、それらしく見せるかが製作者、本来の技量かと思います。
カメオに無駄金使ってる時点で予算不足を言い訳にはできないかと。 |
No.22057 - 2004/10/22(Fri) 02:49 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| >仮面ニャンダーさん
>(それに、この映画自体が「完全実写化」がうたい文句だったはず・・)
「完全実写化」というのは、 戦闘シーンやキャラクターの造形といった、 ヴィジュアル面のことを指しているんじゃないですか? (まぁ、それすら成功しているとは言い難いですけどね)
>根底のテーマ、その他をほとんど排除した上、原作のオチだけは あっけなくバラしてしまう。
すみません、これは意味がわからないです。 そもそも「オチがばれる」のがいやなら、 原作も読まずに映画版なんか観に行くべきではないでしょう。 それは観客の側の責任です。
>ストーリーも違う、キャラの持ち味も違う、空気や世界観、背景も違う、根底のテーマまで違えば、それはもう原作とは無関係の代物です。 それで、なお原作の名前を宣伝に使用するのなら、原作からただ名義を借りただけにすぎません。
これに関しては、仮面ニャンダーさん自身の言葉をお借りしますが、
>原作から30年もたって古くからのファンでない限り、内容を知ってる人間も少ないわけですから。
原作の内容を知らない人たちは、 「まったく新しいもの」として、この映画を体験するわけですよね。 彼らにとっては、映画版が原作に忠実であろうとなかろうと、 なんの関係もないのです。
>たとえば、原作の「お前らこそ悪魔だ」の台詞を劇場版は登場するシチュエーションを変えただけでなく、 その後にくる言葉が意味する動機までそっくり変えてしまってます。 劇場版のでは単に追い掛け回された悪役にパワーアップして逆転勝ちするだけの陳腐なシチュエーションとしか思えません。 デビルマンを象徴するもっとも重要なシーンにも関わらず。
じつのところ、 僕が映画版『デビルマン』で唯一楽しめた部分が、 その「不要」とされている「ミーコとススム」のエピソードなんですねぇ。 二人の演技が巧いという理由もありますが。
何年か前に読んだきりなので、 原作で件のセリフがどういうシチュエーションで使われたのかは、 お恥ずかしいことに覚えていないのですが、 少なくとも「あの映画の中では」(←ここが重要)、 それなりのカタルシスを生み出していたと思います。
もちろん、それだけをもってあの映画を傑作とするつもりは毛頭ありません。 むしろ「不良品」であることには同意です。
しかし、あのシーンを抜いてしまったら、 「まったく別の作品」になってしまいます。 それは、あの映画の存在そのものを否定することになります。 まぁ、お気持ちはわかりますが、 正直、建設的な意見とは言えませんね。
じゃあ、制作者の目指していたものは何なのか?と問われると、 返答に困るのですけれども。 しかし、いずれにせよ、 その答えが「原作に忠実に作る」というのは、 安易な道に逃げることになると思います。 この映画は、「永井豪の漫画の実写化」という以前に、 「那須博之監督の映画」なのですから。 どうしても前者にこだわりたいのなら、別の機会を待ちましょう。
好きな漫画が映画化されるとしたら、 僕なら、原作とは違った、その監督独自の解釈を見たいです。 そうでなければ、原作だけ読んでいればいいということになりますから。
とは言え、原作に忠実な映画版があったって構わないとも思います。 ようするに、作り手の自由ということです。
>内容が原作とまったく違う上、さらに面白くすらなくていいのなら、それはただのクリエイターの自己満足です。
「面白くない」のは問題ですが、 「内容が原作とまったく違う」ことが悪いとは思えません。
言い換えれば、 「原作に忠実であるか否か」を、 作品の優劣を計る基準に含めることに疑問を感じるのです。
上述の「オチのネタばれ」についてもそうですが、 的確に問題点を把握せずに、 思いつくままけなしているような印象を受けます。 批判するなら「正しい根拠」で批判しないと、 作品のためになりませんし、 評者自身の品位を落とすことにもなります。
>監督の思い付きで撮るのなら、完全オリジナル作品か同人活動でやるべきものと思います。
では、「監督の思い付き」で撮られたものが、 たとえ「面白かった」としても、 「原作に準拠」していなければ失敗作とみなす、 というのが仮面ニャンダーさんのスタンスなのですか?
>クリエイター至上主義が原作至上主義より尊ばれるなら最低限、ある程度のファンが 納得できる面白さがないといけないといけないと思います。
問題は、漫画をベースにクオリティの高い作品を作ったところで、 かならずしも「ファンが納得」するとは限らないということですね。 一口にファンと言っても、 「原作のどういうところが好きなのか」は十人十色ですから。
逆に、コアなファンの期待を裏切ろうと、 自分の理想とする作品を世に残したい、という姿勢のほうが、 クリエイターとして真摯であると僕は考えます。
もちろん、那須博之がそういうクリエイターなのだ、と主張したいわけではありません。 しかし、いくら駄作とは言え、 その大前提を揺るがしてしまうのはアンフェアだと思います。 それは、『デビルマン』に限定した話ではなく、 漫画原作の映像化作品すべてに当てはまることだからです。
>TOSHIさん
> 美樹の性格にしても謎で、冒頭で飛鳥の事を不動に「あんな人間と付き合うのやめたら」というような人が、中盤でデーモンに合体されたミーコを「同じ人間よ」と無条件に受け入れるのかと観てて気になりました。
他の部分に関しては概ね同意ですが、 そこに関しては、べつに不自然ではないと思います。 美樹は、飛鳥が「デーモン」だということを知らないはずですから。 ましてや、飛鳥が「デーモンだから」嫌っているわけでもないですし。 |
No.22058 - 2004/10/22(Fri) 08:05 [i218-47-204-183.s01.a012.ap.plala.or.jp]
| 仮面ニャンダーさま
> ハルマゲドンのシーンって、映画では最後の荒涼とした世界にCGの人間の柱がそそりたち・・のところだと思うんですが。 > それでもそこまで凝ったシーンだとは思えません。
そうですよね。ちゃんとしようと思ったら、もっとお金がかかるんですよ。仮面ニャンダーさんが言ったように、OVAシナリオをベースにする場合、例えばシレーヌが核爆発を起こすシーンとかはデーモンの超能力を示すのにかなり効果的でしたが、実写で等価のシーンをやろうとすると、スケールダウンせざるを得ない。
> なにより原作のデビルマンもハルマゲドンが物語の主軸ではないんです。 > あくまで結果としてハルマゲドンが最後にあるんであって、そこにいたる物語こそがメインです。
ハルマゲドンという言葉を使ったのが悪かったですね。結果的に全人類が滅びるというプロセスをちゃんと描くとしたら、お金はかかるだろうと。
> カメオに無駄金使ってる時点で予算不足を言い訳にはできないかと。
『IZO』は観ましたか?洋泉社の『底抜け超大作』(だったかな)でも触れられていましたが、カメオというのは拘束時間が短いのであまりお金はかかりませんよ。特にボブ・サップは他のキャラクターと絡むシーンは全くと言っていいほど無いので、いきなり楽屋に行って、「はいこれ読んで、笑って、オッケー、撤収ーっ」でもいいような感じだったし。 小林幸子もえーっと、サイコジェニーの役でしたっけ(^^;)現場に呼ぶ必要はあるけど、拘束時間は2時間くらいじゃないですか?
スレッドの目的である建設的なテーマということを念頭に置くなら、デビルマンをこうすればいいということと、それを商売として成り立たせることは両立しづらい(いいものであれば皆観に行くとはとてもじゃないけど言えない。で、目的はいいものを作ることではない(T_T))と思います。極端な話、現代日本でSFを十億百億の商売として成立させる方法についての話し合いがどこかでなされることが必要なんじゃないでしょうか(これはちょっとマジ)。SFは恋愛より面白いんだという大宇宙普遍の真理(^^;)をより多くの人が認識していれば、平手美樹もあのようなセリフを言ったりしなかったのでは(^^;) |
No.22061 - 2004/10/22(Fri) 09:32 [eatkyo232214.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >ストーリーも違う、キャラの持ち味も違う、空気や世界観、背景も違う、 >根底のテーマまで違えば、それはもう原作とは無関係の代物です。 >それで、なお原作の名前を宣伝に使用するのなら、原作からただ名義を借りただけにすぎません。
あぁ~………って…ことはぁ…だっ……… TVアニメ版「デビルマン」は『原作』とは 「ストーリーも違う」「キャラの持ち味も違う」 「空気や世界観、背景も違う」「根底のテーマも違う」のですから 『原作とは無関係』であり『原作から名義を借りただけ』の代物ですね(苦笑)
ただ、多くの一般視聴者が「デビルマン」と聞いて思い浮かべる姿は TVアニメ版の緑の体色のヒーローの方だと思うけどね。
『「原作に準拠」していなければ失敗作とみなす』と言うのなら TVアニメ版デビルマンは『失敗作』だね。
あれ?違う?君たちの言っている事はそう言う事だよ? |
No.22067 - 2004/10/22(Fri) 15:18 [U176137.ppp.dion.ne.jp]
| ニル・プフェルト様 はじめまして、モーグラ博士と申します。 以後お見知りおきを。
デビルマンに付きましては、そもそもがアニメの企画としてスタート したもので御座います。 永井豪氏が、それと同時期にアニメとは別に書き上げられたのが漫画版デビルマンです。 つまり、アニメと漫画は永井豪氏と言う母体から生まれた双子とも言えるもので、 それぞれが原作と言える物になります。 拠りまして、アニメのデビルマンが漫画のデビルマンに準拠している必要はありません。 ですので、原作に準拠していなければ失敗作とするのは可笑しくないか。 を指摘する為の例としましては、有効では御座いません。 ただ、漫画終了後、アニメのプロデューサが “こっち(漫画)のがずっと面白い。こっちでやりたかった” と言う意味合いの発言を永井豪氏にされたそうですので、 プロデューサ視点からすると、 漫画>アニメ とはなりそうですが。 |
No.22068 - 2004/10/22(Fri) 16:32 [E218222205056.ec-userreverse.dion.ne.jp]
| >ニル・プフェルト様
>『「原作に準拠」していなければ失敗作とみなす』と言うのなら >TVアニメ版デビルマンは『失敗作』だね。
その辺はどうなんでしょうねぇ?(w 実を言えば、私もつい先ほど思いついて書き込もうとした矢先に書き込んでくれましたので、何となく感謝の意を贈りますw
・・・・・・と書き込んでいる間にモーグラ博士様の書き込みがありました(苦笑 とりあえず、私はこれで納得しました。 一つの発想から生まれて別方向に成長した双生児的な作品なら、優劣を決めたりするのは無粋すぎますね。
>あれ?違う?君たちの言っている事はそう言う事だよ?
一応、この見解の場合、私は『君たち』の範疇から外れると思ってもいいですよね? 原作に準拠したしていないことが、好き嫌いの判断価値の全てでは無いという趣旨の発言をしていますし。 ああ、勘違いされるかもしれないので一応は説明しておきますが、前に書いた『原作ファンに喧嘩売っていますね』という趣旨の文は、自分が原作至上主義者という意味ではありませんのであしからず。 ・・・・・・うちの父親とかが、そう言った事に敏感でしたので、何となく分っちゃいまして・・・・・・(汗 さてっと・・・・・・、前置きが長くなったので本題を。 私はニル・プフェルト様の今回のデビルマンに関する見解と批評のスタンスを知りたいと思っています。 前スレから、デビルマンについては何も語らず、他の人の論点の欠点を挑発的かつ見下す言い方で指摘してばかりでしたので、流石に気になって仕方がありません。 あ、答えたく無いというのでありましたら、それでも結構ですので、一文でもお願いします。
あ、それともう一つ。 心配事の現実化の可能性が格段に跳ね上がりましたので、そろそろ傍観者に徹することになると思います。 では、そろそろ収束に向けた動きを期待しつつ筆を置きます。 |
No.22069 - 2004/10/22(Fri) 16:37 [i218-47-134-209.s02.a034.ap.plala.or.jp]
| 皆様、こんにちは。
カメオ出演は せめて、博多の屋台でラーメン食っているとか(老婆心ながら付け加えておきますと、屋台で美味いラーメンを食うのは至難の業です。屋台情緒を楽しみたいということでなければ、一般のお店に行った方が安全です)、警察官に扮して蛍雪次郎を投げ飛ばすとかその程度に留めておいてください。
役者でもない人に余計な芝居をさせたって、誰も嬉しくありません。映画館の暗闇の中でそっと顔を赤らめるだけです。
この手のカメオで優れていたのは「ゴジラ」のどの映画であったか、コンサート会場で斉藤由貴の声だけが観客にゴジラ出現を知らせて避難を促すというアイデアでした。ここまでやれとは言いませんが、ちょっとは見習ったらどうか、と思うのです。
ボブ・×××(この伏字にもう何の意味もありませんが)の台詞だけで世界滅亡を済ませちゃう。テレビのニュースで喋らせただけ。
これにはこんな先例もあります。
『The Slime People』 (1963) http://homepage3.nifty.com/housei/TheSlimePeople.htm
ロサンゼルスが地底人間に占領された過程をただのニュースフィルムで済ませちゃう。しかもニュースフィルムにでてくるのはたったの三人。
那須監督、意外なところからパクりましたな。
(くれぐれも言っときますが、これはネタですからね。本気で監督がパクったとか思っちゃいませんからね)
|
No.22072 - 2004/10/22(Fri) 17:39 [ntfkok009150.fkok.nt.isdn.ppp.infoweb.ne.jp]
| 『デビルマンに付きましては、そもそもがアニメの企画としてスタートしたもので御座います。 永井豪氏が、それと同時期にアニメとは別に書き上げられたのが漫画版デビルマンです。 つまり、アニメと漫画は永井豪氏と言う母体から生まれた双子とも言えるもので、それぞれが原作と言える物になります。』
「デビルマン」は、東映が永井豪に「新番組のアニメ用原作」を依頼して企画された作品で、基本設定のみ漫画版もアニメ版も一緒です。で、漫画版は永井豪が、アニメ版は辻真先が自由に物語を作った結果、あーなった訳です。「仮面ライダー」とかの石森作品と同じですな。
『「完全実写化」というのは、 戦闘シーンやキャラクターの造形といった、 ヴィジュアル面のことを指しているんじゃないですか? (まぁ、それすら成功しているとは言い難いですけどね)』
ストーリーや設定を含む「デビルマン」の全てを実写化しなけりゃ、「デビルマン」の「完全実写化」とは言えない。(←別に「完全に同じ話じゃなきゃダメ」と言ってる訳じゃないぞ。) つーか、ヴィジュアル面だけ完全実写化してどーすんだよ? |
No.22075 - 2004/10/22(Fri) 21:34 [156M21.rivo.mediatti.net]
| 「デビルマン」は今から30年前の作品なのですから、携帯電話やインターネットがある現代から見れば色々と古びてしまった部分とかがあるので、それをそのまま現代で映像化したのではというのはちょっと通用しないでしょう。風俗も古いし。 だから、原作そのままかどうかを、作品の出来の尺度にするのはどうかと思います。 むしろこういう昔の作品を実写化するときには、「ファン待望」という以前に、「今この時代に対してデビルマンが持つ意義」というものを(金儲けするという商業的な目的とは別に)作り手がきちんと考察したうえで、それに沿って原作からエッセンスを抽出して再構成すれば、原作をダイジェストしただけではない作品として成立したと思います。 その点,「X-Men2」は良くできていたと思います。なんと言っても最後は「大統領、本当に戦争しか手段がないのか考えてください」ですから。
ところが、「デビルマン」の場合は、監督はデーモンを「オウム真理教」のメタファとしてしか捉えられなかったようです。そこらへんが、まず第一のつまづきではないかと思います。 |
No.22076 - 2004/10/22(Fri) 23:38 [acykhm029188.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 『デ』スレッドで原作云々の話をするからややこしくなるんじゃないですか。『デ』スレッドの中では「素晴らしい原作を改悪しやがってボゲェ」で良いと思います。単純に。
関係ないけど、「漂流街」は原作を完全に壊してたけど面白かったなあ。 |
No.22079 - 2004/10/23(Sat) 00:19 [eatkyo10009.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >木馬さま >戦闘シーンやキャラクターの造形といった、
あそこはCGアニメですから…実写というべきではないかと・・。 それに原作のデビルマンも、本来ああいったゴテゴテした造詣ではありません。もっと人間に近いものなんです。 http://www.mazingerz.com/DM/DV4B.GIF
>原作の内容を知らない人たちは、「まったく新しいもの」として、この映画を体験するわけですよね。 >彼らにとっては、映画版が原作に忠実であろうとなかろうと、 なんの関係もないのです。
いえ、だからこそつらいのです。 名作という噂のデビルマンが『完全実写化』されたそうなので 見に来たお客さんがいたとします。 でもこんな出来じゃ「なんだ名作と噂のデビルマンってのはこんなもんだったのか」と思われてしまうことでしょう。 名作の名前だけ借りて駄作を見せられたのでは初見のお客さんもかわいそうだし。往年の原作ファンも悲しいことです。
「ミーコとススム」の話は、確かにあの映画の中で、唯一といってもいいぐらい「映画になってるシーン」でしょう。 ああいうエピソードを付け足すのもありとは思います。 しかし、それはあくまでその他のシーンがちゃんとできてるのが前提です。 また、あの二人を描いた事で、人間とデビルマンが手を取り合って生きていける可能性を 示してたのかも知れませんが矛盾も多いです。 崩壊した世界でどうやって二人は生きていくのか? それにミーコは、ススムが近くにいるにも関わらず人間を悪魔扱いし殺してしまいました。 それを聞いたススムの感情なんか一切に気にせず。 このあたりも原作のテーマを軽視して単にうわべの台詞回しだけ使ったように思えます。
ちなみに原作では、あの台詞と同じような台詞をいうのは明です。明は、あの台詞とともに人間を見限ります。
注意、こっからちょっと原作ネタバレです。 原作では、おじさんとおばさんは特捜隊に連れて行かれ拷問され死にます。 しかし、その拷問係り達は、押し入った明に命乞いをします。 自分達が殺したのは人間だった。悪魔じゃなかった。だから俺達を助けてくれと。それへ明が・・ 「外道!貴様らこそ悪魔だ!俺は身体は悪魔になった…だが人間の心を失わなかった!貴様らは人間の身体を持ちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!これが!これが!俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か!地獄へ堕ちろ人間ども!」
…こう言って拷問係り達を殺したのでした。自分のつたない言い回しでうまく伝わるか不安ですが、劇場版では、とてもこういった覚悟や重みがあったように思えません。
ネタバレについてですが、ショックのあるバラしが、あるならともかく、始まって1分程度で了が俺は悪魔だといってしまうのは…。 原作では本当に最後まで明かされません。 見続けた上での大どんでん返しにショックを受けるのならいいですが、バラすにしても下手すぎるのです。 (ついでに言うとどうも監督達は了の設定を本当に悪魔だと思ってるふしがあるのも問題なんです。バラす上に間違ってる…)。
>ニル・プフェルトさま
他の方も、おっしゃられてますが漫画とアニメは同時企画ものでした。先に終了したのもアニメでしたらしいですし。 「おともだち」に連載していたおジャ魔女どれみがアニメとは別物のようにこれらは厳密に原作とアニメというつながりではありません。 |
No.22081 - 2004/10/23(Sat) 01:24 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| >仮面ニャンダーさん
>あそこはCGアニメですから…実写というべきではないかと・・。 >それに原作のデビルマンも、本来ああいったゴテゴテした造詣ではありません。もっと人間に近いものなんです。
そうですね。 自分たちで謳い文句にしていたのにそれを果たさないのは、 観客への裏切りと言われてもしかたないかもしれませんね。
もっとも僕の場合は、 『コア』の監督が「この映画はサイエンス・ファクション」とか言ってたのと同じニュアンスで受け止めていたので、 はなから期待していませんでしたが。 自分たちで「完全」とか言ってたってアテにならないです。
>「ミーコとススム」の話は、確かにあの映画の中で、唯一といってもいいぐらい「映画になってるシーン」でしょう。 ああいうエピソードを付け足すのもありとは思います。 しかし、それはあくまでその他のシーンがちゃんとできてるのが前提です。
たしかに。 部分だけが良くても、全体が破綻していたら、 やはり失敗作と言わざるをえないですよね。 それに関して異論はないです。
>また、あの二人を描いた事で、 人間とデビルマンが手を取り合って生きていける可能性を 示してたのかも知れませんが矛盾も多いです。 崩壊した世界でどうやって二人は生きていくのか?
それは制作者が作中で説明することではなく、 観た人が各々想像すればいいことだと思います。 「描かれていない」ことを「不足」と捉えるのは、 かえって作品を理屈っぽくて窮屈なものにしてしまうのではないでしょうか。
>それにミーコは、ススムが近くにいるにも関わらず人間を悪魔扱いし殺してしまいました。 それを聞いたススムの感情なんか一切に気にせず。 このあたりも原作のテーマを軽視して単にうわべの台詞回しだけ使ったように思えます。
自分たちが殺されそうになっているのに、 綺麗事を言ってる場合じゃないと思うんですが。 そもそも、登場人物が聖人君子である必要はないのです。 人間としての未熟さをあえてさらけ出すからこそ、 作品にリアリティが生まれるわけですから。
なんか、『必殺仕事人』を観て「人殺しはいけない。悪党にだって人権はあるんだ」と言っているのと変わらない気がします。
>ネタバレについてですが、ショックのあるバラしが、あるならともかく、始まって1分程度で了が俺は悪魔だといってしまうのは…。
それって、幼少の頃の了と明が絵本を読んでいるシーンのことですか? う~ん、でも子供が言うことを本気で受け止める人はいないと思いますよ。
その後、了が「俺は本当は悪魔なんだ」と言いながら牛久の指を切り落とすシーンだって、 文字通りの意味での「悪魔」ではなく、 いわゆる「電波系」の誇大妄想というニュアンスに聞こえましたし。 いずれにせよ、「ネタバレ」というほどでもないのでは?
>原作では本当に最後まで明かされません。
でも、それはそれで、ドンデン返しというよりも、 「取って付けたようなオチ」と受け止められてしまう危険性がありますね。 原作で成功したとしても、映画版では失敗するかもしれませんし。 |
No.22083 - 2004/10/23(Sat) 03:05 [i218-47-202-116.s01.a012.ap.plala.or.jp]
| >>木馬さん
> その後、了が「俺は本当は悪魔なんだ」と言いながら牛久の指を切り落とすシーンだって、 > 文字通りの意味での「悪魔」ではなく、 > いわゆる「電波系」の誇大妄想というニュアンスに聞こえましたし。 > いずれにせよ、「ネタバレ」というほどでもないのでは?
了は眉目秀麗で、明の羨望の的で、かつ信頼している親友なんですから、それを開巻早々電波系にしてしまっては、彼の物語中で担う役割が変わってしまいます。親友だからこそ最後のどんでん返しが生きる訳で。 役割を変えるなら変える理由が無ければならないけど、どうも無さそうだし、了が担っていた役割を別の人物に振り替えるか、ストーリー構成を変えて了の位置づけを全く変えてしまうべきですが、そうすると明と了の対立軸を変更して、シレーヌVS明にシフトするとかしなければならないでしょうが、そうした配慮も見られません。 脚本を各段階で、それぞれのキャラクター性をブラッシュアップして明確化(要するにそいつはどんな奴で、この映画ではどんな役割を果たすのか)する必要があるのですが、それすらしていないんじゃ、原作からどれだけ離れているか以前の問題(映画をちゃんと作ってない)ではないかと思います。 |
No.22084 - 2004/10/23(Sat) 10:47 [acykhm010238.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >木馬さま すみません、ここのところ幾分感情的になっていて、失礼な物言いになっていたかもしれません。
了が悪魔と説明している場面は、脚本が破綻しているのでその真意がなんともいえないのですが。 幼年時代、自分から悪魔とバラす。電波系の行動。 明がデビルマンになったシーンでサタンの姿をさらしてる。 「生きてたのか、了!?」「ああサタンだからな」の台詞。 この流れで見てると、最初に会った電波な行動も悪魔だったからで説明されてる気がします。 言い換えると、所詮悪魔は残酷なんだ、という印象しか与えません。
ともかく破綻してるので矛盾がおおく了の真意はわからないのですがいくつか箇条書きにしてみても。 ・了が最初から悪魔なら、悪魔に取り付かれた飛鳥博士はなんだったのか・・? ・なぜ明をデビルマンにしたのか・・? ・屋敷突入時はどうしてサタンにならずマシンガンだったのか・・? ・笑わない了が「明が笑った」と喜ぶ(明なら美樹ちゃんの登場シーンから笑ってたのに)。
と、ともかくわけのわからない所だらけなんです。 脚本家が了の設定を理解できてなかったんじゃないのか、と本当にいぶかります。 結局、サタンが堕天使だという重要な設定もまったくでてこないし。 (それでいて唐突に言い出す「神はいたか?」。申し訳程度に協会の地下ににあった神の神殿。強引に神の痕跡を 出すことで原作に歩み寄らせようとしたんでしょう)。
ともかく、これでこの作品のもっとも肝となるサタンの設定をバラされるのは非常に残念なんです・・。
ところで永井先生が神父役で何度か登場してますが。 もしかしてあの神父は、ぜんぶ飛鳥了の変装だったと思うのですが、どうでしょ? 明が最後にやってきた教会で了は神父の衣装を脱ぎ捨てたと思いますし。 あの教会だけ廃墟になってなかった事も、あそこをデーモン達が守ってたからかも…(地下に神の遺跡があったからとかで)。 神の遺跡を神がきたとき神に使わせないようにするためか、もしくは何か霊的に重要な場所なので、 了が神父に化けてマークしてたとか。
たしか神父が新聞をいぶかしげに読むシーンもあったと思います。 もしかしてあそこで飛鳥了が人間通し同士討ちしてると初めて気づいた(原作と違って同士討ちは偶然なんですよね…)、 なんてこともあるんじゃないでしょうか。 |
No.22086 - 2004/10/23(Sat) 11:04 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| カンタベリー さま > 「デビルマン」は今から30年前の作品なのですから、携帯電話やインターネットがある現代から見れば色々と古びてしまった部分とかがあるので、それをそのまま現代で映像化したのではというのはちょっと通用しないでしょう。風俗も古いし。 > だから、原作そのままかどうかを、作品の出来の尺度にするのはどうかと思います。
なるほど!デビルマンの時代には安保闘争も記憶に新しかったし、デモや暴動というシチュエーションもリアリティにおいては現代とは差があったでしょうね。人間社会に入り込んでくる人間と合体する知的生命体という設定でも、現代人にとっては、破壊するのではなく、入り込んで適応する『寄生獣』のほうがリアリティがあるかも。冷戦時代と同時多発テロの時代の差は、終わりを恐れるか、始まりを恐れるかだという点では、原作そのままが今の観客に訴えかけるものも違ってきそうですし。
何年か前に『京都買います』を母校のSF研の人間と観たんですが、「あの女は間違ってる」とかいわれて散々でした。『京都買います』はテーマからしてそうですが、70年代の作品には、高度成長期に都会で過ごした記憶のある人間でないとわからない部分はあるみたいです。 |
No.22088 - 2004/10/23(Sat) 12:35 [eatkyo232214.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| D猫6番艦氏 >一応、この見解の場合、私は『君たち』の範疇から外れると思ってもいいですよね?
まぁ、お好きな様に受け取って下さい。(苦笑)
>私はニル・プフェルト様の今回のデビルマンに関する見解と批評のスタンスを知りたいと思っています。
映画版「デビルマン」については、特に何も言うつもりはないなぁ だって、まだ見ていないし…もし、見ていたにしても 言う事は『俺にとっては』(面白かった/つまらなかった)としか 言うつもりは無い。
もし俺が「面白い」と感じているのに、この板の人が全て「つまらない」と言っていたとしても 『それが只の感想にとどまっている限り』 その発言に対し、怒りを覚える事は無い。
それが只の「感想の域を超え」自分の不満、鬱憤の赴くまま 映画そのものや、製作者に対する『悪口雑言となった時は』 その言動に怒りを覚えますね。 まさに今がその時だ…
>他の人の論点の欠点を挑発的かつ見下す言い方で指摘してばかりでしたので、
「論点」………?論点ねぇ(苦笑) 俺は、あれが「論」だとは露程も思えないんでね。
『欠点を挑発的かつ見下す言い方』なのは郷にいっては郷に従え。 と言う事で、「馬鹿を馬鹿と言って、何が悪い?」と言う事ですね。 つまり、この板の「殆どの方」を「馬鹿だと思っている」から『馬鹿にしている(見下している)』のですね。
あなた方が『柳田氏』や『555監督』『デビルマン監督』『アルマゲドン監督』etc、etc に対して行っている所業と『全く同じ事です』(微笑み)。
仮面ニャンダー氏 >「おともだち」に連載していたおジャ魔女どれみがアニメとは別物のように
えっと………意味が判りませんが……… その漫画版「どれみ」は『TVアニメ版を原作とした』漫画作品って事なんじゃ無いの? ってか「どれみ」や「アニメ版デビルマン」は 『漫画版とアニメ版はつながりの無い別物』と思えるのに
今回の「デビルマン」はつながりの無い「別物」と思えないの?
この二つの『違い』はどこにあると言うのさ?
G3氏 >ストーリーや設定を含む「デビルマン」の全てを実写化しなけりゃ、「デビルマン」の「完全実写化」とは言えない。
ストーリーってのは「永井豪版」と「辻真先版」どちらに殉じればOKなのでしょう? どちらも「同じストーリー」って訳では無いですよね。
>基本設定のみ漫画版もアニメ版も一緒です。 >で、漫画版は永井豪が、アニメ版は辻真先が自由に物語を作った結果
同じ様に“基本設定のみ”同じで後は“映画版の監督が自由に(実写で)物語を作った”のなら 『デビルマンの完全実写化』と言えるのでは?
別に「ストーリーや設定」を原作(永井豪版)に準じなければ『完全映画化とは言えない』と言う訳では無いよね。
『デビルマンは永井豪氏“だけ”の作品』では無いのだから。
幾人かは「永井豪版を踏襲せよ」と受け取れる発言をしている様ですが…ね。
あぁ…ちなみに一応補足しておくと 「映画版」が『“デビルマン”の基本設定』を全て踏襲している。 と主張している訳じゃぁないぞ、俺は(苦笑) |
No.22089 - 2004/10/23(Sat) 13:26 [Y138049.ppp.dion.ne.jp]
| 『ストーリーってのは「永井豪版」と「辻真先版」どちらに殉じればOKなのでしょう?』
何を勘違いしてるのか知りませんが、今回の「デビルマン」は永井豪の漫画版デビルマンの「完全実写化」なんですが。アニメ版は最初から関係ナッシングです。
『同じ様に“基本設定のみ”同じで後は“映画版の監督が自由に(実写で)物語を作った”のなら『デビルマンの完全実写化』と言えるのでは?』
言えません。 だって「実写化不可能と言われた永井豪のコミック」を「完全実写化」したって謳い文句ですから。企画がもともと「漫画版の映画化」。基本設定のみ同じで監督が好き勝手に作った作品は永井豪コミックを映画化した事にはならんでしょ? |
No.22092 - 2004/10/23(Sat) 15:23 [156M21.rivo.mediatti.net]
| 「ん~、一応サタンは堕天使で、天使は両性具有だから同性愛といっていいものか……」
◆木馬さん
>美樹は、飛鳥が「デーモン」だということを知らないはずですから。 >ましてや、飛鳥が「デーモンだから」嫌っているわけでもないですし。
レスありがとうございます。 おそらく私が考えている事とは違うと思います。 美樹の「あんな人間と付き合うのやめたら」という台詞は、明の「あいつは笑う事ができないんだ」という台詞を受けてのものです。 私としては、映画版での美樹の性格からすれば「可哀想」とか、そういう台詞が出るのではないかと思いました。漫画版の美樹ならば「苦手」とか「暗いねー」とかくらいは言うかな? つまり、デーモンだとは知らない、同じ人間として認識していながら、随分と冷たい事を言う女だなーというのが最初の印象でした。 了に対する美樹なりの“嫉妬”という解釈もできるのだけれど、了と美樹が関わるシーンが他に無いから、それも変かなと。
◆仮面ニャンダーさん
>・笑わない了が「明が笑った」と喜ぶ(明なら美樹ちゃんの登場シーンから笑ってたのに)。
上記に了に対する美樹の嫉妬があったのではないかと書きましたが、冒頭のシーンで了が美樹と楽しそうな明に「なんで笑ってるんだ」と言っているので、了の方も美樹に対して嫉妬があって、自分に笑ってくれたと喜んだのかもしれません。 ……にしても、それは3人の絡みがあってこそ成り立つ話ですよねぇ。
◆ニル・プフェルトさん 書き込みタイトルの“取り敢えずこのスレではこれで最後”と、
> 映画版「デビルマン」については、特に何も言うつもりはないなぁ > だって、まだ見ていないし…もし、見ていたにしても > 言う事は『俺にとっては』(面白かった/つまらなかった)としか言うつもりは無い。
この発言は、スレッドの主旨にそぐわないのではないですか? 厳密に規定されている訳ではありませんが、実際に観た人たちが感想を出し合っている訳ですし。
> 『欠点を挑発的かつ見下す言い方』なのは郷にいっては郷に従え。 > あなた方が『柳田氏』や『555監督』『デビルマン監督』『アルマゲドン監督』etc、etc > に対して行っている所業と『全く同じ事です』(微笑み)。
まったく違います。 山本先生は作家としての立場から“許せない”と表明していますが、殆どの参加者は“消費者”の立場からのはずです。(中には観もしないで便乗している人もいるかもしれませんが) 消費者が商品の質やコンセプトに疑問を投げかけたり、製作者や提供者に文句を言う事自体は当然の権利でしょう。 時に悪口めいた事になるのは確かですが、極めて個人的な攻撃、例えば「あいつは借金ばかりしている」とか「あいつは女癖が悪い」とか、それこそ製作に関係の無い話でなければ、仕事上に関する“馬鹿”発言くらいは感想のうちでしょう。(本人に直接言うとしたら、それはまた別ですが) 少なくともニル・プフェルトさんに何を提供している訳でも売っている訳でもない参加者が、心の中で「こいつら馬鹿」と思われるとしても、言われる謂れは無いと思います。
> 『デビルマンは永井豪氏“だけ”の作品』では無いのだから。 > 幾人かは「永井豪版を踏襲せよ」と受け取れる発言をしている様ですが…ね。
デビルマンが永井先生だけの作品ではないのは勿論だと思います。 他の方は分かりませんが、私が漫画版を踏襲すればと言ったのは、自分のアイデアが漫画版と張り合えるものなのか考えて欲しかったという“感想”です。
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別スレッドに分岐させるべきなのか迷ったので、以下について私見を……。
【原作論】 “最初に発表された作品”とした場合と、『デビルマン』や『仮面ライダー』などのようにメディアミックスとして“最初に提示された設定”という場合では、【原作】という意味が違いますよね。 私は最近、“歴史モノ”みたいになものと捉えています。 歴史小説などは、史実は史実としてあったのだけれど、詳細は誰も知りえない。だから、同じ人物とは思えないほど造詣が違う場合もありえる。 それを当てはめてみると、漫画版とアニメ版は同じ史実(アイデア)に基づいた物でも、別物と言ってもいいくらいの作品となっても、「××と違う」という思い込みからは抜けられるかなと。 あとは、純粋にどちらが自分にとって面白いモノとして捉える事が……できるつもりなんだけど、やっぱり“自分が”最初に観た作品のイメージに引きずられるんですよねぇ(^_^;) 『デビルマン』の漫画版も、実のところアニメ版を先に観た私は中学生になる頃まで受け入れられませんでした。 でも、“面白い”というか“スゲー”と感銘は受けたので、今回の映画版が後で受け入れられるかは微妙です。
【予算とクオリティ】 世界が崩壊するというだけであれば、今回の『デビルマン』でも一応はビル群が吹き飛ばされていくシーンなどを挿入しており、できない事はないと思います。 それこそ、CGでも見せ方や秒数を工夫すれば、肩透かしになる事はないのではないでしょうか。 ただ、『デビルマン』では変にミサイルを市街地に飛び込ませたりして、肝心の登場人物たちに危機感が無かったので、これは純粋に脚本と演出が悪かったのではないかと思います。 テレビから刻一刻と流れてくる情報で危機感を高める事は、せめてできたのではないかと……。 |
No.22093 - 2004/10/23(Sat) 16:13 [239.119.111.219.dy.bbexcite.jp]
| 山本さん、こんにちは。
デビルマンの感想ページ読ませていただきました。 そこで疑問なんですが何で当時、映画館などでしゃべったことが正確に書かれているのでしょう?メモやテープ取ってたのですか? |
No.22095 - 2004/10/23(Sat) 18:02 [dhcp185-247.ztv.ne.jp]
| >カンタベリーさん
> 了は眉目秀麗で、明の羨望の的で、かつ信頼している親友なんですから、それを開巻早々電波系にしてしまっては、彼の物語中で担う役割が変わってしまいます。親友だからこそ最後のどんでん返しが生きる訳で。
そもそも制作者は、 原作のような「どんでん返し」を狙っていなかったと思うんですよ。 時間の制約もあることですし、 あえてストーリーを簡略化したのでしょう。
まぁ、それでもなお、 あれほどまでに支離滅裂な内容になってしまったわけですが・・・
斬新なストーリーを作る必要はないわけですから、 陳腐になってしまったとしても、 せめて破綻なくまとめるべきだったと思います。
>仮面ニャンダーさん
>・なぜ明をデビルマンにしたのか・・?
人類が滅亡した後も、デーモンである自分と一緒に生き残ってほしかったからでしょう。
その他の部分は、たしかにフォローしようがないです。 ほんと、ヘンなところ挙げていったらキリがないですね。
>TOSHIさん
> 美樹の「あんな人間と付き合うのやめたら」という台詞は、明の「あいつは笑う事ができないんだ」という台詞を受けてのものです。 私としては、映画版での美樹の性格からすれば「可哀想」とか、そういう台詞が出るのではないかと思いました。漫画版の美樹ならば「苦手」とか「暗いねー」とかくらいは言うかな? つまり、デーモンだとは知らない、同じ人間として認識していながら、随分と冷たい事を言う女だなーというのが最初の印象でした。
上述の「ミーコ」にしてもそうですけど、 善玉のキャラクターだからといって聖人君子である必要はないわけで、 人を嫌うことがあったとしてもべつに不自然ではないと思います。 >了に対する美樹なりの“嫉妬”という解釈もできるのだけれど、了と美樹が関わるシーンが他に無いから、それも変かなと。
いっそのこと、あの三人の三角関係を軸に据えて、 「ラブ・ストーリー」として仕上げたら面白かったかもしれませんね。 |
No.22096 - 2004/10/23(Sat) 18:55 [i218-47-234-181.s01.a012.ap.plala.or.jp]
| ラチェットさんwrote: > デビルマンの感想ページ読ませていただきました。 > そこで疑問なんですが何で当時、映画館などでしゃべったことが正確に書かれているのでしょう?メモやテープ取ってたのですか?
まさかこういうツッコミ入れる人がいるとは思わなんだ・・・(笑)
ところで、あちこちのWebサイトで「デビルマン映画版」を批判している人たちは、たぶんそのほとんどが「もともとマンガ版が好きで、その映画化だというので観にいったら幻滅させられた」ということですよね。
やっぱりマンガ版のファン(というより、愛している人)の思い入れは相当激しいものがあると思いますし、いくら同時進行の企画だとはいっても「アニメ版は設定だけ似ている完全な別物だ」と捉えている人は多いでしょうね。以前、「マンガ夜話」のデビルマンの回でも、岡田斗司夫氏が「ここにアイドル歌手か何かが来て、嬉々としてアニメ版の話なんかし始めたらどうしようかと思いましたよ!」というようなことをおっしゃってましたし。
たとえば、アニメ版しか知らない人や、そもそもデビルマン自体を知らなかった若い人が今回の映画版を観たらどういう感想を持つんでしょうかね。案外「悪く無かったよ」とか「普通に面白かった」だったりして・・・ |
No.22097 - 2004/10/23(Sat) 19:31 [44.pool9.ftthtokyo.att.ne.jp]
| ニえーと、とりあえず・・。 ニル・プフェルトさまにレスを。
>今回の「デビルマン」はつながりの無い「別物」と思えないの?
正直、思えません。製作者がはっきりと永井先生の原作5巻の完全実写化とののたまっておられますから。 ソース http://cs-tv.net/movie2/newspress/interview_contents/dvmn.html >32年前に書かれた永井先生の「デビルマン」、それをそのままフルバージョンでやるってことが一番でした。 >いわゆる二次創作っつうか、部分的にキャラを借りてやるんじゃなくて、永井先生の原作5巻をそのまま映画化する。 >それで初めて「デビルマン」の真髄が出てくるだろうと
原作がアニメとほぼ同時に進行していますし。厳密にはそれを(アニメの)原作と呼ぶのは定義的にはおかしいです。 一般的に同時企画モノの原作は本来の「原作」という単語の意味とは異なるのが お約束だと心得てます(当然、そうでないものも中にはあるでしょうが)。ただし後年になって原作と言うと漫画版をさすのも通例だと思います。
あと別の方へのレスをとりあげて申し訳ありませんが。
>それが只の「感想の域を超え」自分の不満、鬱憤の赴くまま 映画そのものや、 >製作者に対する『悪口雑言となった時は』その言動に怒りを覚えますね。まさに今がその時だ…
不満、鬱憤の赴くまま映画や製作者を悪く言っていけないのでしょうか? むしろそれを含めたものが「映画の感想」だと思うのですが…。 とりあえず、劇場版デイルマンを鑑賞してみることをお勧めします。 もしかしたらあまりの酷さに怒りを覆えるかも知れません。 |
No.22101 - 2004/10/23(Sat) 22:26 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| >不満、鬱憤の赴くまま映画や製作者を悪く言っていけないのでしょうか? >むしろそれを含めたものが「映画の感想」だと思うのですが…。
自分の感情を露わにした感想を書くなら、逆の感情的な意見も許さなければなりませんよ? 感情的な意見のぶつかり合いでこの場が満たされても責任をもってそれを収拾できる人なら、そういう意見をいってもよいと思いますよ。 |
No.22103 - 2004/10/24(Sun) 01:37 [h172.p049.iij4u.or.jp]
| >ニル・プフェルト様
了解、最後なのですね。 では、それを前提に文章を推敲しておきます。 とりあえずスタンスについては納得しました。 そして、自分の価値観を相手に押し付けたり勝手に相手の審査基準にすることを是としつつ、他の人が同じことを行うと不愉快に思われていることも察しました。
>「論点」………?論点ねぇ(苦笑) >俺は、あれが「論」だとは露程も思えないんでね。
この辺は見解の相違ですね(苦笑 とりあえず、私はそれらの文を一言で表わして、かつ不必要に相手を苛立たせないように単語として、そう言い方が一番適していると判断しましたが、『論点』であることに変わりありませんと思います。 まぁ、別にそちらの見解が間違っている、なんて露ほどにも考えておりませんので、あしからず。
>『欠点を挑発的かつ見下す言い方』なのは郷にいっては郷に従え。 >と言う事で、「馬鹿を馬鹿と言って、何が悪い?」と言う事ですね。 >つまり、この板の「殆どの方」を「馬鹿だと思っている」から『馬鹿にしている(見下している)』のですね。
まぁ、私も昔はそういった攻撃方法(相手の論拠や主張方法を逆手に取る)を取りますが、ねぇ(苦笑 とりあえず、自己満足を得るくらいしか使い道が無いと気付いたので今は出来ないです、バカらしくて ^^; しかも現実世界で使えば、確実に評判を悪くするという結果しか出ませんしw
>あなた方が『柳田氏』や『555監督』『デビルマン監督』『アルマゲドン監督』etc、etc >に対して行っている所業と『全く同じ事です』(微笑み)。
んー・・・・・・、そこまでして自己弁護されなくても、別に私は貴方様を弾劾しているわけじゃないのですが ^^; ついでに、私以外の方がこの発言の反論に熱中してもらっても、どうリアクションすればいいのやら、困惑の限りです ^^; 心理学の本か何かで、『自己弁護に必要以上に熱中する人は自分が正しくないと知っているから正しいように見せかけるための努力をしているだけだ』という話を見たことがある・・・・・・ようなですね、ちょっと記憶があやふやなので。 まぁ、ともかく何回も同じような自己正当化を言われ続けられると、そういった邪推も浮かんでしまいました。 あくまで『邪推』ですから、正しいと思っていませんけど、そのように受け取られることもあると忠告しておきます。 特に貴方様に敵対的な方は、それを『正しい』と信じ込んでしまうかもしれませんし。
最後に残念に思っていることを。 邦画業界問題点論が幾つか提示されたのに、それに対する感想も意見も何も言ってくれなかったこと。 私も正確な説明を行ってくれない方々への不満を持っていただけに、問題点論に対して私の視点以外からの鋭い指摘をしてくれるものと思っていましたのに、結局は『見下すため』だけの道具でしかなく、『問題点論』などどうてもよかったようですね。 では、ちょっと語気を荒めにしますのでご容赦を、
だったら言い出すなよボケが!! 今すぐ、真面目に問題点論を提示した方々に土下座して謝れ!!
・・・・・・失礼しました。 この書き込み以降、私は貴方様への対応を、『ある方』と全く同じようにします。 まぁ、『ある方』が誰なのか勝手に想像してください。
追記。
>ゆきパパ様
>自分の感情を露わにした感想を書くなら、逆の感情的な意見も許さなければなりませんよ? >感情的な意見のぶつかり合いでこの場が満たされても責任をもってそれを収拾できる人なら、そういう意見をいってもよいと思いますよ。
その通りです。 もっとも・・・・・・、昨今の議論を見る限り収拾できておりませんので、この辺も今後の課題として考えていくべき事例でしょうね。 実に素晴らしい見解を聞きましたので、最後の最後で心が救われた思いです。 |
No.22104 - 2004/10/24(Sun) 01:41 [i220-221-25-81.s02.a034.ap.plala.or.jp]
| > ファンは基本的に受身でしかいられないのだから、せめて駄作には声を大にして文句を言わないといけないんでは? 「不良品」に苦情を言うのは消費者の権利であり、よりよい「商品」を得るためにすべきコトでしょう?
というヨコヤマさんに対して
> もし俺が「面白い」と感じているのに、この板の人が全て「つまらない」と言っていたとしても > 『それが只の感想にとどまっている限り』 > その発言に対し、怒りを覚える事は無い。 > > それが只の「感想の域を超え」自分の不満、鬱憤の赴くまま > 映画そのものや、製作者に対する『悪口雑言となった時は』 > その言動に怒りを覚えますね。 > まさに今がその時だ…
ニル・プフェルトさんのスタンスがどう違うかというと、一方は消費者であり、一方は権利・名誉といったものの擁護者という事ですか。ただし、一般的にはネットでボンクラ連中に何を書かれても名誉は毀損されないということになっているらしいので、独自の正義観を元に言論の自由を圧殺しようとしているともとれますね。「感想の域」を明確にしないと、ちょっと独りよがりっぽいかも。人によっては「死んでしまえ」もただの感想だしね。 結果的に感想に域を超えた(と何らかの基準によって判断した)人に、その人に対する感想をぶつけても、言い方によっては逆に感想の域を超えたと判断されるかもしれず、発言者に対する感想が感想の域を超えたという感想が感想の域を超えたという感想が感想の域を超えたという感想が感想の域を…という明日はどっちだ。
と、しばらくスレッドを読んでいて、コンビニで立ち読みを注意した会社員が刺されて死んでしまう昨今、はたして自分は本当に「完全無欠のデビルマン」を観たいのか、疑問に感じてきました。それに、出来てしまった映画をこうすれば良かったというのは、本当に建設的なんでしょうか?こうしている間にも、○×製作委員会が次の獲物を狙って舌なめずりをしているかもしれないのに… |
No.22105 - 2004/10/24(Sun) 01:44 [eatkyo185238.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >>仮面ニャンダーさん http://cs-tv.net/movie2/newspress/interview_contents/dvmn.html にある奈須監督の >で、たまたまジュノン・スーパーボーイのコンテストの余興で「FLAME」がダンスやってたんです。それを観たとき、直感で、 >あの双子の兄弟が不動明と飛鳥了を演じると面白いなと思ったわけです。
の言葉が正しいとすると、そのときジュノン・スーパーボーイに選ばれたのは「スウィングガールズ」で平岡祐太を演じた中村拓雄では? かたや、気の弱いボンボン吹奏学部員を好演して、かたや「ほわーあ」で、この違いはどこから来るんでしょう? 奈須監督はオーディションやらなかったみたいだし。矢口監督は何百人とオーディションして決めているし(中村拓雄が選ばれたのは一番オドオドした目をしていたからだそうで、すごく納得)キャスティングの段階にかなり問題がありそうです。映画や芝居ってキャスティングで、役柄にぴったりの役者を見つけられるかどうかが重要なんだと思うんですけどね。
|
No.22106 - 2004/10/24(Sun) 10:04 [acykhm013234.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| >カンタベリーさま
実際、監督は配役を思いつきで押し通しちゃった感があるんですよね・・。 http://cs-tv.net/movie2/newspress/interview_contents/dvmn.html >あの双子の兄弟が不動明と飛鳥了を演じると面白いなと思ったわけです。マンガの印象だと、 >顔はソックリだけど髪の色だけちがうっていう印象があるじゃないですか。
>彼女はモデルだから、交渉も普通の役者と比べて大変だったんですが、2年ぐらい交渉し続けて、 >最後に愛ちゃんがシレーヌは私しかいませんねって言ってくれたんです。 >彼女はすごくプロフェッショナルなんで、お芝居は正確ですよ。日本の同じレベルの俳優よりもプロですね」
うーん、これらの発言にはとても同意できない・・。
ところで、こんなものが・・(笑)。 http://up2d.unsymmetry.org/files/1098535023800.jpg |
No.22107 - 2004/10/24(Sun) 10:13 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| ラチェットさん、こんにちは。
>デビルマンの感想ページ読ませていただきました。 >そこで疑問なんですが何で当時、映画館などでしゃべったことが正確に書かれているのでしょう?メモやテープ取ってたのですか?
いや別に正確に書いてるわけじゃなく(^^;)、あの場で話した内容を記憶に基づいて再構成してるだけです。その際、順序を分かりやすく入れ替えたり、後で思いついたことを追加したりしていますので、実際の会話の忠実な再現なんかでは、決してありません。 なお友人には、別れる際に「さっきの会話、載せていい?」と許可を取ってあります。
さて、僕としては、映画が原作に忠実であるべきとはちっとも思いません。原作者自ら『デビルマンレディー』なんて描いてるぐらいだから、それこそ2次創作ものであってもかまわなかったはず。 ただし……
「原作の精神を尊重せよ!」 「変えるんなら原作より面白く変えろ!」
と言いたい。 たとえばアニメ版『プラネテス』。あれは原作とずいぶん設定やストーリーが違うんだけど、ちゃんと原作の精神は引き継いでいるし、随所に「ここをこう変えたか!?」と驚かされる場面があって、原作ファンの僕でも納得できる内容でした。 『ブレードランナー』が原作と違うからって、怒る人はあまりいなはずです。 逆に、原作に忠実でもつまんないアニメ化・実写化なんて山ほどあるじゃないですか。原作どおりならいいってもんじゃないでしょう。
1970年代の作品を21世紀に映画化するなら、改変しなきゃならない点はたくさんあるでしょう。原作を現代の観客により受け入れやすく、より面白くする改変なら、じゃんじゃんやるべきだと思います。 ただ、『漂流教室』とか『少年ケニヤ』とか『月光仮面』とか『レンズマン』とかの失敗を繰り返すのは、もういいかげんかんべんしていただきたい(^^;)。 (まあ、アメリカ人も『世界が燃えつきる日』とか作ってたりするんですが……) |
No.22109 - 2004/10/24(Sun) 14:50 [zaqdb72ebd4.zaq.ne.jp]
| SFマガジン12月号を読んでいます。
《今月の執筆者紹介》で、風野春樹(かざの・はるき)氏が、次のように発言しています。
> デビルマンを見た。この映画の記憶だけサイコジェニーに消してもらいたいと思った。
・・・・・・だそうです。 |
No.22148 - 2004/10/27(Wed) 00:23 [B009154.ppp.dion.ne.jp]
| 『デビルマン』スペシャルサイトにある初期のイメージ映像です。 これでも当時の原作ファンの間では不評だったんですが、本編がああなってしまった以上ものすごくよく見えます。 CGの見せ方も本編よりいいような…なんでこれが、ああなっちゃったんだろう。 http://theater.nifty.com/meta/preview/2003/1106/devilman_1M.asx
『デビルマン』スペシャルサイト http://theater.nifty.com/devilman/main.htm |
No.22152 - 2004/10/27(Wed) 18:48 [i220-221-1-246.s05.a013.ap.plala.or.jp]
| > > デビルマンを見た。この映画の記憶だけサイコジェニーに消してもらいたいと思った。 > > ・・・・・・だそうです。
記憶を消すと、また観てしまうのでは(^^)。原作の記憶も消してもらえばOK。 |
No.22153 - 2004/10/27(Wed) 19:44 [eatkyo185238.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 僕も今日映画の1000円デーだったので観にきました。
うわ(涙 ここまで改悪されるとますます東映のイメージがますます悪くなっていきます
ここに製作過程が露骨に表示されるとスタッフに同情してきてきます↓ http://www.okabe.tv/zakki/200410.htm |
No.22166 - 2004/11/01(Mon) 23:22 [SSJfa-06p4-108.ppp11.odn.ad.jp]
| > 『怪傑ハリマオ(1989)』 どうでもいいことなんですが、この『ハリマオ』という映画は昭和30年代にTV放映された『怪傑ハリマオ』とは、同じモデルの人物がいるというだけの全く別の原作モノなんでお間違いなきよう。念の為。こんな映画の企画が通ったのが企画力の低下のせいなのかどうかは、よく分かりません(苦笑) |
No.22176 - 2004/11/02(Tue) 15:12 [usen-221x251x251x202.ap-US01.usen.ad.jp]
| ロヒキアさんこんばんは。
> > 『怪傑ハリマオ(1989)』 > > どうでもいいことなんですが、この『ハリマオ』という映画は昭和30年代にTV放映された『怪傑ハリマオ』とは、同じモデルの人物がいるというだけの全く別の原作モノなんでお間違いなきよう。念の為。こんな映画の企画が通ったのが企画力の低下のせいなのかどうかは、よく分かりません(苦笑)
そうそう、当時、陣内孝則がプロモーションでTVシリーズの扮装をしてTV出演していて、実際映画が公開されると…タチ悪いなぁと思ったのを憶えています。ひょっとしてロヒキアさんも引っかかった口ですか?(苦笑) 製作の経緯については、和田勉が、陣内孝則にインスピレーションを得たと言っていたような…
ところで、キャシャーンにしろデビルマンにしろ、原作の方は、主人公が自分の意志で進んでデーモンと合体したり新造人間になることを選ぶというくだりがあるじゃないですか。それが実写映画化されると、徹頭徹尾巻き込まれ型になってしまっていますよね。この辺の改変って、意図的に為されているものなのでしょうか。(不動明は人間を守るためにデビルマンになったキャラクターであるからこそ、デビルマン軍団を組織してデーモンに立ち向かおうとするキャラクターだと思うのですが、映画版の、転んでTシャツにデーモンがへばりついたキャラクターがデビルマン軍団を組織してデーモンに立ち向かうのは変ですよね。) 自ら進んで悪と戦ったり、平和を守ったりするというのが70年代のヒーローにはよく見られたのですが、80年代以降は巻き込まれたので仕方なくというのが多いような気がします。
考えてみれば、ヒーローを戦いに駆り立てたものが何かについて、描写されるシリーズって少ないですね。バットマンもスパイダーマンもエグゼビア教授もその辺はちゃんと設定されているので、ひょっとしたら日本人のメンタリティの根幹には巻き込まれ型があるのかも。 |
No.22182 - 2004/11/02(Tue) 19:34 [eatkyo183002.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| SHADO工作員さま、どうも。
当時のボクは映画の無料券が手に入る環境だったので、自分の地元でかかった映画は極力見に行ってたものです。この『ハリマオ』を見た小屋も、いまはありませんが・・・。それで思い出しましたが、あの当時は『めぞん一刻』や『ア・ホーマンス』や『愛しのチィパッパ』等、やたらコミックスの実写化が多かったことが思い出されます。どれも面白かったですが。 > Tシャツにデーモンがへばりついたキャラクター 平面デーモン?
> ひょっとしたら日本人のメンタリティの根幹には巻き込まれ型があるのかも。
この辺は単に作り手のメンタリティと思います。国内でも近年では『ゼブラーマン』が、その辺りはしっかり描けていた(というかテーマそのものであった)と思いますから。
ということで、次回は北村監督で『魔王ダンテ』を是非、(ウソウソ) |
No.22184 - 2004/11/02(Tue) 20:30 [usen-221x251x251x202.ap-US01.usen.ad.jp]
| ロヒキア様 > > ひょっとしたら日本人のメンタリティの根幹には巻き込まれ型があるのかも。 > > この辺は単に作り手のメンタリティと思います。
主役というのは観客の感情移入の対象であり、イコール観客本人であるのですが、どうも最近の客は「ヒーローとしてチヤホヤされても、悲壮な決意とか、スーパーパワーの代償にシャレにならない重荷を背負うとか、戦うことの責任とかダメージとかは真っ平ゴメン」という傾向が強いそうで(その証左が『ポケモン』などモンスター、ロボなどを「操って」戦わせる、いわゆる使役系のヒット・定着)。 昔のような積極型ヒーローが廃れ気味で、「主人公に責任が発生しない」巻き込まれ型ヒーローが多いのは、そんなところが関係しているのかなと思ったり、思わなかったり。 |
No.22185 - 2004/11/02(Tue) 22:07 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| ロヒキア様
> この辺は単に作り手のメンタリティと思います。国内でも近年では『ゼブラーマン』が、その辺りはしっかり描けていた(というかテーマそのものであった)と思いますから。 >
いやー、哀川翔主体の企画は一般化できませんよ。(^^;)
今の日本人は当事者意識に欠ける、まあ、自分でもたまに、自覚することもあるから類は友を呼ぶということかも知れませんが、そんな感じがします。そんなことはどうでもいいのですが。
随分昔に、たしかアニメージュの読者投稿欄で、長浜監督作品(ボルテスVとか)のような路線が廃れた分析として、シラケ世代になって、政治家になって社会を良くしようとか、医師になって病に苦しむ人を救いたいとかいうのがダサイことになってしまったという投稿を読んだことがあって、そのときはふんふんなるほどと思っただけだったのですが、自分で状況を変えようとする人間を主人公にしないとなると、巻き込まれ型のストーリーになるのは必然という気も。 普通に考えると、例えば戦隊ものでは、異星人の侵略をいち早く察知し、戦いを覚悟して対抗する組織を作り上げた人間(要するに長官?)が物語の主人公だと思うのですが、実際の主人公は言われた仕事を手際よくやる美男美女(10歳で謎の事故で孤児となった少年が30年かけて侵略者に対抗する組織を作り上げる物語とかは、ひょっとすると面白いのかも知れないけど、受け皿はないですな)。 極端な話、原作のデビルマンでは、デーモンと合体してデーモンに対抗する、これは力を手に入れて力に対抗する、ある意味では武装テロリズムに通じる考え方で、映画版が、主人公が自ら合体を望むという部分をバッサリとやったのは、ビッグブラザーに都合の悪い何らかのタブーに触れるからで、我々は飼い慣らされた子羊でラムジーラムジーかわいこちゃん。
ヨコヤマ様 > 昔のような積極型ヒーローが廃れ気味で、「主人公に責任が発生しない」巻き込まれ型ヒーローが多いのは、そんなところが関係しているのかなと思ったり、思わなかったり。
責任が発生するシーンもあんまり見ませんよね。 例えば、『風雲ライオン丸』で、主人公がジムシ忍者を斬ると、斬りすてた死体が村人に変わり、そこに村人(死体)の子供が現れて、「父ちゃんの仇」と叫んで主人公に向かってくるとか、そーいうシーン。なんか70年代の脚本家は子供にトラウマを残そうと躍起になっていたのでは(^^;)。キャシャーンで一番記憶に残っている話は、村人がキャシャーンに爆弾をくくりつけて特攻させようとする話だし。 |
No.22203 - 2004/11/04(Thu) 01:21 [eatkyo183002.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| SHADO工作員様
>いやー、哀川翔主体の企画は一般化できませんよ。(^^;)
それは何故なのでしょうか?この映画は今年度製作された邦画中でも、かなり真っ当に作られた一般ユーザーをターゲットにしたヒーロー映画なのですが・・・。
>シラケ世代になって、政治家になって社会を良くしようとか、~とかいうのがダサイことになってしまった。
確かに、そういう世代より後の価値観が、作り手にも受け手にも容認されている状況は分かりますが、やはり“自己犠牲の精神”を崇高に描くこと自体が困難な世の中になっている御時世というのも考慮するべきだとは思います。(その極端な例が仮面ライダータイガでしょう)
また余談ですが、「父の仇ライオン丸」では、錠之助は“責任の所在を明確にさせる”という大人の立場をとる反面、“到底適わない仇討ち”を子供にさせているという点で、決して手放しで誉められない脚本の詰めの甘さがあると思います(『風雲ライオン丸』はそういう話が多い)
更に余談となりますが、アメコミの場合、伊達に息の長いキャラクターで商売していなくて、自己犠牲ヒーローの最右翼であるキャプテン・アメリカの場合だと、不変の理想と正義を持ち続けているばかりに、いつも時代の価値観というものとぶつかることを余儀なくされるという形になっていますね(それでも9.11以降は微妙な描写が多くなっているのですが)
ヨコヤマ様
ヨコヤマ様の意見には同意出来る部分も多いのですが、使役型のヒーローは昔からありますし、ポケモンのヒットと、そのパターンにあやかった他作品の増加は、必ずしも 「主人公に責任が発生しない」巻き込まれ型ヒーローの増加にイコール出来ないと思います(逆に、その要素が必ずしも無関係ともいえないのだけれども)。 |
No.22206 - 2004/11/04(Thu) 14:49 [usen-221x251x251x202.ap-US01.usen.ad.jp]
| ロヒキア様 > ヨコヤマ様の意見には同意出来る部分も多いのですが、使役型のヒーローは昔からありますし、ポケモンのヒットと、そのパターンにあやかった他作品の増加は、必ずしも 「主人公に責任が発生しない」巻き込まれ型ヒーローの増加にイコール出来ないと思います(逆に、その要素が必ずしも無関係ともいえないのだけれども)。 えぇまあ、こちらとしても「これだ!」と思っているわけでもないので。 ただ、以前某所で「最近のヒーロー像(主にアニメ)」に関する議論になった際、「最初から主人公にゲタ履かせて自尊心を満足させる一方で、リスクをスポイルしなければ、現在の若い視聴層はついてこない」という話になり、その証左として「『ポケモン』をはじめとする使役系(本人が傷つくことはなく、バトルにDOAなシリアスさが薄いゲーム的なものが多い)」「主人公が差別されていると設定されながらも、実際はその気配は薄く、甘やかされまくりだった『種』のヒット」「(ちょいと変形になるけど)モテる要素のない主人公が不思議と女の子にモテるハーレム系萌え作品」などが、近年のトレンドではないか! と展開していったのが、なかなか説得力を感じたもので(実際のところは、わかりませんが)。 で、それが正しい分析であれば、ヒーロー像も努力したり、責任を背負うことを厭わない「積極型」より、「仕方なく、いやいや」という立場で「眠っていた才能開花で一挙に成長(w)」「なるべくリスクは回避して、旨味だけはいただき」という、いささか虫がよすぎの現代的「巻き込まれ型」というものが望まれている一面はあるんだろうなぁと思うわけです。 |
No.22208 - 2004/11/04(Thu) 17:26 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| ロヒキア様
サブタイトルの「 どこにでもある『正義』 」を読んでハタと思ったのですが、どうやら私、物語上の概念と一般社会の概念をごっちゃにしてますね。なるほど、両者に独立性があれば、デビルマンやキャシャーンの巻き込まれ型への改変も、物語の本質にとって何らの影響も与えないかも知れない。しかしそうすると、いい歳してその辺の区別が付いていない私って、いわゆる「イタいやつ」じゃないですか。
うわー、なんか今顔が猛烈に暑いですよ。
私はいわゆるSF研OBなんで、友人関係にアニメファンとか多いんですが、大体そういう人って、社会人をしながらアニメを週に十数時間見なけりゃならないんで、ニュースとか見ないと言っているんです。そういう話を聞く度に、正義の味方とかが好きだった人間が、成長すると社会のことはどうでも良いというのが腑に落ちなかったんですが、何のことはない、私がその辺の切り分けが出来ていないヒトだっただけなんですね。確かに、作品の芸術性は教訓やら教育性やらとは無縁だとしてもおかしくはない。
あれやらこれやら、全くもう。恥ずかしいったらありゃあしない。
そんなわけで、書きかけた反論は事実上根拠が無くなりましたのですが、恥かきついでに。
> >いやー、哀川翔主体の企画は一般化できませんよ。(^^;) > > それは何故なのでしょうか?この映画は今年度製作された邦画中でも、かなり真っ当に作られた一般ユーザーをターゲットにしたヒーロー映画なのですが・・・。
私もあの映画は好きなので、あまり酷評はしたくないのですが、哀川翔の存在感が作品を水準以上に高めてはいるものの、一般的には、『ゼブラーマン』は『ギャラクエ』の出来損ないで、『ギャラクエ』は主人公サイド(ティム・アレン側)の困難に立ち向かうことにより本当の仲間となるというとストーリーと、オタクの人たちの物語を一緒にしてしまったことによって中途半端になったということみたいですよ。そもそも、ギャラクエにしても、仮に宇宙人がいなかったとしたら、オタクの人たちのやって来たことは無意味だという前提を持ったストーリーで、それは、ピカード船長が現実にはいないので、ピカード船長の同義観や考え方、作品にちりばめられた主義主張には意味がないと言っているようなものです。それって違うと思いませんか? 仮に、ゼブラーマンが、主人公が誰彼かまわず昔の特撮ヒーローの話をする迷惑な大人、例えば教職に就いたショッカー大野さんみたいなイメージの主人公が、他人にバカにされながらも、特撮ヒーローから学んだ精神で、何かをやり遂げて周囲に認められていくという話の方が感動を呼んだのではないでしょうか。CGなんかでまとめずに。 つうか、巻き込まれ云々に対する反証なら、「氷川誠として戦いなさい」のProjectG4なのでは?「一度も逃げたことのない男」こそ、巻き込まれ云々に対しては有効な気も。
> >シラケ世代になって、政治家になって社会を良くしようとか、~とかいうのがダサイことになってしまった。 > > 確かに、そういう世代より後の価値観が、作り手にも受け手にも容認されている状況は分かりますが、やはり“自己犠牲の精神”を崇高に描くこと自体が困難な世の中になっている御時世というのも考慮するべきだとは思います。(その極端な例が仮面ライダータイガでしょう) >
何年も前に、友人らと『リリカSOS』というアニメの最終回をみていたのですが、なんか、世界を救うためには主人公の命が必要だみたいなことを多分重要なキャラクターと思われるあんちゃんが言うわけですよ。何の根拠も示さずに。私はそれを観て「うわー、オ○ムの思想だ」とか思って、茶化していたんです。「古代、お前の命だ(笑)」みたいな感じで。ふと周りをみると、他の友人はみんな泣いているんですよ。感動して。えーと、何を言いたいかというと、尊い自己犠牲とかは、今でも有効なんじゃないですか? むしろ、「社会を良くしよう」=「社会の犠牲」という考え方になったということの方が、大きな問題かも。他人のためになっても、それがすなわち犠牲になることではないはずですし。
> 更に余談となりますが、アメコミの場合、伊達に息の長いキャラクターで商売していなくて、自己犠牲ヒーローの最右翼であるキャプテン・アメリカの場合だと、不変の理想と正義を持ち続けているばかりに、いつも時代の価値観というものとぶつかることを余儀なくされるという形になっていますね(それでも9.11以降は微妙な描写が多くなっているのですが)
キャプテンアメリカというと、最近の超人血清にまつわるタスキギー事件ネタがあまりに鮮烈なので、キャラクターとして論じるのは難しい気もしますが、むしろアメコミヒーローの問題点って別のところにあるみたいですよ。彼らの大半はクライムファイターで、その行動は現実の犯罪に対する考え方に繋がっているので。ちょっと昔(でもないけど)にヒーローイラストレイテッド誌の読者投稿で、PPはなぜVENOMに向かってカーネイジを殺すなと言ったのかという質問が来ていて、それに対して編集者は「私はこの投稿を読んで時代が変わったことを感じている」みたいに返答してました。パニシャーの時も結構もめてたし。 |
No.22210 - 2004/11/04(Thu) 20:49 [eatkyo183002.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 正義の味方が好きの延長上に社会的意識があると思っていた私は「切り分けが出来ていない」ですが、もちろん、いい歳してアニメを理由にニュースを見ないアニメファンは当然「問題」。
ピカード船長:「はてな」に「※厳密には「艦長」ではなく「船長」だが、語感が良いのと翻訳が全て「艦長」で統一されているので問わないものとする」と書いてあるので、気がついたけど直しません。 |
No.22211 - 2004/11/04(Thu) 21:37 [eatkyo183002.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| ヨコヤマ様
了解しました(笑)
SHADO工作員様
そろそろスレ違いになってきてるんで、ほどほどにしておきますが、自分もこの作品、中年の『ウイングマン』かな~とも思いますけど、
>一般的には、『ゼブラーマン』は『ギャラクエ』の出来損ないで~ >人にバカにされながらも、特撮ヒーローから学んだ精神で、何かをやり遂げて~
って、よく判らないんですけど(汗)。
『ゼブラーマン』という作品の素晴らしさは、【運命を選び出す一歩を踏んだ市川】とそれに対する【ヒーローへの賞賛】が生んだ奇跡だと思いますから。だからこそ、市川は【仮面の男】なのでしょうね。ということで、SHADO工作員様とは随分違ったところを 見ていたようです。だからこそ、他人の意見に耳を傾けるのは面白いのですが(笑)んで「PROJECT G4」の氷川誠は、TV版主題歌にもあるとおり“君のままで変わればいい”の如く、仮面を被る必要がないのです(それが平成ライダーの長所であり、短所でもあるわけですが)むしろ自己を犠牲にするせよ、しないにせよ、まず“己”が確立され無くてはならないというのが、現在のヒーローに(限ったことではないが)課せられた命題なのでしょう。
また『ゼブラーマン』を例に出したのは巻きこまれ型の反証としてではなく、あくまで今年度の邦画ヒーロー作品で、“戦う理由”としての例です(理由は上記に)。誤解なきよう。
>尊い自己犠牲とかは、今でも有効なんじゃないですか?
有効だと思います。そして、巻きこまれ型もあれば、そうでないのもある。(そうすると一般的という言葉が弊害になるわけですが)もちろん、自己犠牲のヒロイズムがあってもいい。しかし描写には慎重を要します。当然のことですよね?
>キャプテンアメリカというと、最近の超人血清にまつわるタスキギー事件ネタがあまりに鮮烈なので、
この辺のネタは実は随分前から既にやっていて、大戦前のヒーロー、ドミニク・フォーチュンが超人血清の被験者候補に挙がっていた(もちろんドミニクは肉体的には普通の人間)というエピソードがあり、最近のライターや編集者はその辺のリサーチを怠って、場当たり的な問題提議ばかりしてますから、正直薄っぺらいなと(苦笑)。また別のエピソードでは、ナチに支配されたパラレル・ワールドで4人(!)のキャプテン・アメリカの一人スティーブ・ロジャースはこう叫びます。“キャプテン・アメリカは超人血清の力でもこの星条旗のコスチュームでもない。自由を愛する人間のだ!” だからこそ、『キャプテン・アメリカ』は現在でも魅力的なコミックスなわけです。最近でもキャプテン・アメリカになり損なった男ジョン・ウォーカーに、“現在はアンタが思ってる程、単純な世の中じゃないんだ!”と批判されてますし(この台詞はスティーブ自身が、70年代に復活した【朝鮮戦争時代のキャプテン・アメリカ】に向けて言った台詞でもある)、正にスタン・リーのヒーロー再生計画の賜物でしょう。スタン・リーはコミックスに現実の社会問題を取り入れた先駆者でもあり、分かり易い例として『キャプテン・アメリカ』を挙げてみましたが、それはアメコミヒーローの問題点というよりは魅力というべき部分であり、そういったことは、小野耕世氏が『グリーンランタン&グリーンアロー』を日本に紹介していた時分からあるのですが、何故か日本に浸透し難い部分なんですよね。むしろ、そこが問題かと(苦笑)。 |
No.22220 - 2004/11/05(Fri) 15:06 [usen-221x251x251x202.ap-US01.usen.ad.jp]
| 自由を愛する人間のだ!→自由を愛する人間の心だ!
でした。一番肝心なところで脱字してしまうとは…(恥) |
No.22221 - 2004/11/05(Fri) 15:12 [usen-221x251x251x202.ap-US01.usen.ad.jp]
| 自分も本日、見てきました。 ほんとは「キャットウーマン」見ようかと思ってたんですが、そろそろ公開終了するとの事なので、まあ話のネタにと思って。
……甘かった。 皆さんが騒いでる理由、よーく理解できました。確かにこれは、熱烈な永井豪ファン、デビルマンファンにとっては、トンデモどころか冒涜以外の何物でもない…って言っても言いすぎじゃあないですね。 いやもう、これじゃあ一言文句言いたくなって当然かと。
>「どうすりゃ良かったんだろう」という反省
二時間で、明がデーモンと合体し、ハルマゲドンで世界が終わるまでを描くなんて、どうやったって無理。シチュエーションを繋げただけじゃあ、ダイジェストにしかならないし。 むしろ、三部作に分けて、デビルマンワールドを映像化していく……ってやっても良かったんじゃないかな。他のマイナーな作品ならともかく、「デビルマン」っつービッグネームなら、それくらいじっくり見せるようにしても良いと思うんだが。 1作目で、デーモン登場・デビルマン誕生編。2作目でデーモン暗躍、サタン登場編。3作目でデビルマン軍団対デーモン、アモンとサタンの最終決戦・ハルマゲドン編……ってのが理想かなあ。
この映画で気になった点はいくらもあるのですが、デーモン側のキャラクターがまるっきり魅力的じゃあないとこが、まず気になりました。 サタン=了はちょいとおいといて、シレーヌやジンメン、こいつら一体何のために出てきたんじゃーっと突っ込んじゃいましたね。 シレーヌはデビルマンと空中戦しただけだし(決着ついたかどうかもわからんし)、ジンメンはパンチ一発食らうためだけにしか出てこないし。 時間かければ良いってもんじゃあないけど、まず最初に「デーモンとは何者か、デビルマンとは何だ」ってのをちゃんと説明する必要あるんじゃあないでしょうか。 で、デーモンがとてつもなく危険で凶悪な連中であるって事を知り、彼らから人間を守るためには、デーモンと合体してその力を手に入れるしかない。決意した明と了は、サバトを行い、明はデビルマンに。 そして彼らは人間社会に巣食うデーモンを狩り続け、クライマックスにシレーヌと対決……と。 これだけでも、一本の映画としては十分面白くなったんじゃないかな。 これ以降の話は、次回作にまわすって事で。
それと、この映画のデーモンのデザイン。アモンとサタン以外、なんかデーモンの持つ獰猛さや凶悪さ、醜さや美しさってのが無かったのが残念でした。 まだアモン=デビルマンは良いです。サタンも、最終決戦時はデーモンの長であり天使っぽく見える感じで、こちらも悪くはありません(冒頭のアレはちょっと…(汗))。 しかし、その他のデーモンがちょっとなあ。シレーヌはただ単なるコスプレだし、ジンメンは暗くて全然わからんし。 シレーヌなんて、「残忍でありながら美しい」ってデーモンなんだから、もっと気を入れて欲しかったです。顔だって、人間のままで変わらずですし(冨永愛の顔も、正直のっぺりして表情が無く、シレーヌらしからぬ印象でした)。 牙をかっとむき出し、獣性をあらわした表情になっても、シレーヌの美しさは損なわれなかったんじゃないか? っつーか、そういうシレーヌを実写で見られないかとちょっと期待してたんだけど……。 ミーコと合体したトゥルグ(だよね? あれ)もちょいと不満。腕に腫瘍がついただけ(更に後には、光るだけ)では、あんまりです。 トゥルグと合体し、乳房と股間が醜くケロイド状になって、それでも人間としての意識が残ってしまってる。そこに彼女の、ひいてはデーモンと合体してしまい意識が残ってる人間の悲劇性が感じられると思うんだけど。 デーモンってのは、醜悪であると同時に淫猥であり、そして奇妙なことに、中には哀しみや美しさをも感じさせる者もいる……って魅力があると思います。シレーヌはまさにその代表だし、トゥルグも自分の中ではそうでした。
やはり、人外の存在を魅力的に表現するってのは、かなりテクニックが必要なんでしょうね。 あと、チョイ役っつーかバックにちらっと出てるだけでよかったから、ザンやゼノン、サイコジェニーやボンズオブヒンズーの実写版を見てみたかったッスね。
色々な意味で残念です、「デビルマン」。 |
No.22224 - 2004/11/05(Fri) 18:05 [p22240-adsau14honb7-acca.tokyo.ocn.ne.jp]
| > 1作目で、デーモン登場・デビルマン誕生編。2作目でデーモン暗躍、サタン登場編。3作目でデビルマン軍団対デーモン、アモンとサタンの最終決戦・ハルマゲドン編……ってのが理想かなあ。
上の方でも言われてますが、これは原作者自らダメだししてます。 OVA版の二番煎じを嫌ったのかな? ヨコヤマさんが言う、婉曲的に断りたかったんではないかとの意見も、ものすげー説得力あるんですが。w
真面目に、かつ希望的発想をすれば、永井豪先生は、これだけの厳しい制限を付けた上で、「それでも、この中から良い物を作って見せろ!」と活を入れていたのではないかと。
先生ご自身が、かつて多くの制約、規制と戦い、そしてなおかつ数々の名作(と迷作w)を生み出して来られた方ですから、単なる「原作者のワガママ」では無かったと思います。
少なくとも、製作会社と監督が熱意を持って説得すれば、三部作化くらいは認めてくれたと思いますけどねぇ。 |
No.22225 - 2004/11/05(Fri) 18:42 [i220-99-151-56.s02.a013.ap.plala.or.jp]
| >たぬき様
>上の方でも言われてますが、これは原作者自らダメだししてます。 OVA版の二番煎じを嫌ったのかな? ヨコヤマさんが言う、婉曲的に断りたかったんではないかとの意見も、ものすげー説得力あるんですが。w
あ、ほんとだ。読みそこねてました。ご指摘に感謝します。
でも、ハルマゲドンまでやる必要あったんかいなって、改めて思いますね。OVAの二番煎じを避けたかったってのはわかるけど(でも、あのシレーヌとカイムはスゴかったなー。とくにカイムがかっこよかった。サイなのに(笑))。
そういや、新田五郎さんとこのHPで「デビルマンは、80年代的ヤンキー世界観で描かれたビーバップ・ハイスクールでないか」って意見を読んだのですが、非常に納得してしまいました。なるほどー、確かにそんなとこがあるなーって。やっぱヤンキーものって嫌いや(笑)。(で、「かえってヤンキー度を高めたほうが良かったんでないか」とのこと)
それはともかく。 配給的にはどうなんでしょうね、デビルマンって。 どんなに出来の悪い作品でも、儲かったらOK!ってのはあるでしょうし。 デビルマンが収益上げて、東映が「もっと別のマンガも実写化しよう。マジンガーZとかどうだ?」なんて言い出さないように切に祈りたいです。 はー、鉄人実写版が激しく不安だ(っつーか、今川版鉄人の劇場版アニメってのはどうなったんだろ)。 |
No.22226 - 2004/11/05(Fri) 19:40 [p22240-adsau14honb7-acca.tokyo.ocn.ne.jp]
| 塩田多弾砲様
> 二時間で、明がデーモンと合体し、ハルマゲドンで世界が終わるまでを描くなんて、どうやったって無理。シチュエーションを繋げただけじゃあ、ダイジェストにしかならないし。
なんか、皆さんそういいますけど、それほど大変なことじゃないんじゃないですか?むしろ3部作はかなりの演出技量がないと間延びしますよ。一本の映画に納めるとなると、ある程度プロットの組み替えは必要ですが。たとえば。
プロローグ(どこかの氷山みたいなところで地球温暖化かなんかの調査団がデーモンに接触して全滅とか?安っぽくなるけど原作のトラック運転手の部分をそのまま使ってもいいかも)
タイトル
女子更衣室で着替えながらクラスメートと話す美樹。 「聞いたぁ?変身病の噂」「B組の○子、まだ見つからないんだって」というように、会話でデーモンの侵略が既に始まっていることを示す。2時間ならこのプロットの組み替えは避けて通れないのでは?短くまとめるのに事件を先行させるのは良くある手。
美樹、窓から明を見つけて呼びかける。
美樹、明と下校(東小のサイレンとか部活はやらないのかとか、出来る限り原作のセリフを)
不良絡む。(いらんかも)
了登場。不良を鉄砲で追い払う。
車で飛鳥邸へ。その途中、飛鳥車に襲いかかるシレーヌ。
了&明、なんとか飛鳥邸へ。
説明。了パパの死の真相。変身病や相次ぐ失踪の説明&デーモン像かぶれ。
シレーヌ侵入。逃げる了&明。
地下室。サバト。合体。
シレーヌ飛鳥邸内へ。デビルマン、シレーヌを倒す。
了ぐったり。「リョー」F0
ここまで、色々つめてだいたい50分。
あとは、悪魔は不満のある人間だというのを切って、明合体ビデオをTVに出す了を起点にして悪魔狩りを持ってくるとか、デビルマン軍団はあのチベットラマ僧ズから来てもらうとかすれば、なんとか2時間から3時間の間には。原作で省略されているハルマゲドンは難しいけど。 多分、ビデオ版ブラックジャックでかなりの手際を見せた小中和哉なら、もっとうまくまとめると思います。
で、こうしてみると、映画版デビルマンには、デビルマンを2時間の映画に納めようとした努力が全く見られないんですよ。また、原作を改変した部分を見ると、全部それが目立つようになっている。これはどういうことかというと、ナス監督は映画デビルマンを自分の映画として撮ろうとしたんですな。原作永井豪より上に自分の名前が来るようなつもりで。これだけで十分許されないことのような気もしますが。
清水崇監督がホラーしか撮らないと言っていたのは有名ですが、多分、SFや伝奇にもそうしたジャンル愛に充ち満ちている才能のある監督が必要なんでしょうねぇ。というわけで『終戦のローレライ』を狂ったように絶賛して何度も何度も何度も何度も観に行く準備をしておくのがいいんじゃないでしょうか。
といっても、何をしようと原作より面白くなることはないですけどね。 |
No.22229 - 2004/11/05(Fri) 21:24 [eatkyo183002.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| ロヒキア様 > そろそろスレ違いになってきてるんで、ほどほどにしておきますが、自分もこの作品、中年の『ウイングマン』かな~とも思いますけど、
元の話は、デビルマンやキャシャーンが巻き込まれ型のプロットになっているのは何故か、もしくはそれによる影響とはで、自分としては、そこから離れないようにはしていたんですけどね。満足のいく映画化というのが『ピンポン』や『殺し屋1』のレベルだとすると、キャラクターの改変は不可で、細部のストーリーは変更可能なのかと。
ロヒキアさんの書かれた「どこにでもある『正義』」というのも、今現在の私には違和感のある言葉だったのですが、特撮は既に歌舞伎やシェイクスピアのように立派な文化で、現実に対しては独立した存在だというのは納得がいきました。文化としての成熟は、市場としての確立と、この場合は同義でしょうから、多分日本のアニメや特撮はテロや戦争ではその存在価値が揺らぐこともないでしょう。
しかし、そうすると、例えばアトム今昔物語やサイボーグ009でベトナム戦争が描かれていた60年代末や70年代初期とは製作者も受け手も今とは感覚が異なることになるので(さすがにあれらに反戦のメッセージがないとは思えないし)、やはり当時の文化的に未熟だった時代の作品を原作のイメージをそのままスクリーンに持ってくるのは、不可能という印象を強くしました。
やっぱり、『ピンポン』や『殺し屋1』が作品的に成功しているのは、原作の映画化賞味期限が切れていないせいなのか。 |
No.22231 - 2004/11/05(Fri) 22:09 [eatkyo183002.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 唐沢俊一先生のデビルマン評がきました。 http://www.shakaihakun.com/data/ >この作品は、そのストーリィ、演技、画面センスの全てにおいて、凡庸さを突き抜けた新奇さの域に達している。そんな新奇が千八百円で手に入る。ああ、これを夢の二十一世紀と言わずして何を夢の時代と言うか。
「ガンドレス」を見たときに同じような心境になりましたです。
見ていた途中は憤怒していたが、だんだんと「許そう」という気分に・・・。 |
No.22236 - 2004/11/05(Fri) 23:16 [218.33.181.138.eo.eaccess.ne.jp]
| >名無しさん様
うわー、唐沢氏。ほめてるようでものすごい皮肉を言ってるなあ。 っていうか、正直「こんなもんのためにこうやって書き込みしてる」って行為そのものも無駄……って一瞬思っちゃいましたね。はい。
>SHADO工作員様
>なんか、皆さんそういいますけど、それほど大変なことじゃないんじゃないですか?むしろ3部作はかなりの演出技量がないと間延びしますよ。
そうですね。長けりゃ良いってもんでもないし、かえって三部作にしたらぶつ切り的な印象になるかもしれないですしね。 ただ、あまりにデビルマン世界での日常、もしくは「デーモン」というファクターがないがしろにされてて、それをじっくり見たいと思ったため「三部作はどうか」って思いまして。 でも、やっぱり二時間で全てまとめるのは、三部作にするのと同じくらい大変と思いますけどね。
>こうしてみると、映画版デビルマンには、デビルマンを2時間の映画に納めようとした努力が全く見られないんですよ。また、原作を改変した部分を見ると、全部それが目立つようになっている。これはどういうことかというと、ナス監督は映画デビルマンを自分の映画として撮ろうとしたんですな。原作永井豪より上に自分の名前が来るようなつもりで。これだけで十分許されないことのような気もしますが。
うーむ、もしこれが本当だとしたら、ちょいと問題ですね。 原作ものをてがける時には、あくまで原作への尊重を忘れずに…ってのが基本だと思うんだけど。 原作を咀嚼して、自分のものとした上で……ってわけでもなさそうだし。っつーか那須監督、唐沢氏の言うとおり、本当にデビルマンを確信犯的に支離滅裂なものとして作ったとでもいうのか? (そういえば、自分も好きになれんアニメ「○○○○○○○」の脚本にも、「改変部が目立つ」ってとこがあったなあ)
>清水崇監督がホラーしか撮らないと言っていたのは有名ですが、多分、SFや伝奇にもそうしたジャンル愛に充ち満ちている才能のある監督が必要なんでしょうねぇ
同感ですね。 こないだ見た「ヘルボーイ」。ギレルモ・デル・トロ監督の作風は個人的にはイマイチですけど、それでも「原作に対する愛情」ってのは強烈に感じられましたから。 ある意味、「原作やそのジャンルと心中しても惜しくない」って人が、那須監督と同じか、やや厳しい条件で「デビルマン」を作れといわれたら、より映画として面白いものが作れただろう事はまず間違いないですし(原作より面白くなるとは言えないけど)。 |
No.22238 - 2004/11/06(Sat) 01:39 [p22240-adsau14honb7-acca.tokyo.ocn.ne.jp]
| やっと遅ればせながら「デ」見てきました。 内容に関する書き込みはもう言いたい事は出尽くしてる感が あるので割愛しますが、エンドロールを見ていて 「あの程度のハンドボールシーンで指導者3人も使ってる」 「阿木耀子だけ専属ヘアメイクかー」 「的場浩司ってどこ出てた!?」 予算10億あってもこれじゃあすぐ無くなるよなぁと 思う事しきりでした。 職場の上司と3人一緒に見に行ったのですが、 終了後3人とも無言で別れました…。 |
No.22241 - 2004/11/06(Sat) 07:15 [i222-151-43-87.s02.a013.ap.plala.or.jp]
| http://howaan.hp.infoseek.co.jp/ 2ch『デ』スレのポータルサイトですが…なんか、いろいろとスゴイことが出ています。話半分としても、これが邦画業界の現状とすると、やはり斜陽産業になるだけはあるなぁと思わざる得ません。 塩田様 >原作ものをてがける時には、あくまで原作への尊重を忘れずに…ってのが基本だと思うんだけど。 ↑にある『デ』の企画成立の流れが正しければ、そりゃあ「原作へのリスペクト」も何もないでしょうなぁ。元から『デビルマン』を作りたかったわけじゃなかったようですから(モー娘で『セーラームーン』ねぇ…これもこれでダメダメ感、漂ってますが)。 |
No.22242 - 2004/11/06(Sat) 09:49 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| デビル尿もれパンツは保水力♪(by片桐姫子「ぱにぽに」)
いえ、今ちょいと読み直してたら出てきたんで(笑)。
ちなみに、「ぱにぽに」一巻92Pにて。
だらけてる天才少女にして担任のベッキーに、生徒の玲子が 「今朝も遅刻して、早乙女先生に怒られていただろう。先生が先生に怒られてどーするよ」
それに対しベッキー。 「いいんだよー。先生とか警察官とか政治家とかなんて、怒ってくれる人がいないから傲慢な馬鹿になっちゃうんだよー。特に日本はなー」 この台詞、
:先生とか警察官とか政治家とかなんて
を
:監督とか脚本家とかプロデューサーとか配給会社とかなんて
ってしたら、なんとなく今回のデビルマンに関しても当てはまりそうな感じがするのは自分だけですかそうですか。マホ
>ヨコヤマ様
>↑にある『デ』の企画成立の流れが正しければ、そりゃあ「原作へのリスペクト」も何もないでしょうなぁ。元から『デビルマン』を作りたかったわけじゃなかったようですから(モー娘で『セーラームーン』ねぇ…これもこれでダメダメ感、漂ってますが)。 うーん、モー娘でセラムン……。ミュージカルや実写版がそれなりにうまくいったから、「モー娘でやったら、セラムンファンとモーオタと、さらにアニメファンも取り込めて儲かる事間違いなし!」って皮算用してたのか? なんだか「月曜ドラマランド」とレベルが同じじゃあないか? これって。 まあ、あれはまだ低予算だし、アイドルの売り出しさえ出来ればいいっていうようなとこありましたからね。それに、現在の目で見たら、トンデモという点で突っ込んで笑えるものもあるだろうし。
原作と違う映像化ってのは、自分もどっちかっつうと推奨派です。「同変えられたか」ってのを見るのが好きなたちで。 ただ、それはあくまで「原作に対する礼儀」を踏まえたものでないとならんです。上っ面を真似ただけとか、中途半端に変えただけなんてのは言うまでもなく。 監督や脚本もそうだけど、さらなる上、上層部の人間たちは、こういう礼儀なんてのはないんだろうな……と、思わず暴言めいた事を吐きたくなっちゃいますね。あうー。
モー娘にセラムンやらせたいなら、主演の子らにセラムン無印~SSまで全話、及び劇場作品、及び原作、及びミュージカルと実写版、そして二次創作やパロディ含むセラムン関係の書物や映像媒体などを徹底的に見せて、身も心もセラムンを演じられるようにしろっ! っと、まーこれは半分冗談だけど。でも、できるだけ原作に対する知識や敬意、そして自分の演じるキャラはどういう存在なのか。そういうのを徹底しない・させないことには、「アイドルの宣伝」ってだけの薄っぺら作品しか出来んぞ(東映はそれで構わないのだろうが)。 PDたちは、そのあたりにまだ気づかんのか。あるいは、気づいてても出来ないのか。 でも、このあたりを改善しない事には、今回の悲劇(喜劇といおうか)はまだまだ続くだろうなあ。
「これが最後のデビルマンとは思えない……このまま続けば、第二、第三のデビルマンが出ないとは限らない」
などと言ってみたりする罠。
でもまあ、ひとつだけいいことが。デビルマンのおかげで、鉄人がどんなに駄作でも許せるような気になってきました。マホーン。
PS:関係ないけど、以前ちょいと噂で「『あずまんが大王』実写化!」ってのを小耳に挟みました。 当然、ガセだったんですが。 でも当時は「出来るわけねーだろ! アニメであんなだし! でも、ちょっと見てみたいな」って思ってましたが、デビルマンのおかげで「実現するな、頼む!」という風に心境が変化しました。ありがとうデビルマン!(爆) |
No.22244 - 2004/11/06(Sat) 15:59 [p22240-adsau14honb7-acca.tokyo.ocn.ne.jp]
| 塩田多弾砲様
> 同感ですね。 > こないだ見た「ヘルボーイ」。ギレルモ・デル・トロ監督の作風は個人的にはイマイチですけど、それでも「原作に対する愛情」ってのは強烈に感じられましたから。
結構評判いいのがちょっと腑に落ちないんですけどね。神話的スケールの原作をただのアクションものにしてしまっているのに、何で原作ファンが褒めるのか。『クロノス』の虫とカラクリのハイブリッドデバイスというガジェットは面白かったけど、あの映画も気が付いたら寝ていたし。
> ある意味、「原作やそのジャンルと心中しても惜しくない」って人が、那須監督と同じか、やや厳しい条件で「デビルマン」を作れといわれたら、より映画として面白いものが作れただろう事はまず間違いないですし(原作より面白くなるとは言えないけど)。
まあ、ボクシングのセコンドだけどトレーナーではないヒト(何じゃそりゃ)の映画を観るというのは貴重な体験でしたけどね。パート2は当然『バイオレンスジャック』だろうから、四肢を切られた双子の片割れや、監督自演でスラムキングに殺される人とかが観られるかも。それなら、誰かがFLASHで作ればいいような。
ところで、ユーロスペースで『希人』上映後に小中千昭×高橋洋×宮下ともみのトークショーがあったので行ったら、たまたま帰国していた清水崇監督が急遽出席されてました。といっても、ハリウッドの話は色々としがらみがあってできないとかだったけど。 11/19にロフトでイベントをやるそうです。高橋洋は最近出た『映画の魔』という本の中で、色々とジャンルについて分析を行っているので、結構面白い話が聞けるかも知れません。 |
No.22274 - 2004/11/08(Mon) 00:24 [eatkyo183002.adsl.ppp.infoweb.ne.jp]
| 初めまして。 私、インターネットを始めたばかりで、このような掲示板に書き込ませてもらうのも初めてなので、マナーを失したことを書くかもしれませんが、どうかご容赦ください。 「と学会」のサイトから数日前にこちらに迷い込んできまして、毎日少しずつ拝見しているうちにこの板にたどり着き、皆さんの意見を興味深く読ませていただきました。私も一応嗜好の守備範囲は狭いものの、マンガとか特撮とかのファンですので、ひとこと発言してみたくなり、一番最初に山本さんが建設的なテーマでとおっしゃっていますから、その線でできればと思います。
いきなり一般論で恐縮ですが、原作があり、そのファンをも満足させる映画は、それを作る能力と志がある人が多数結集しなければ実現しないということが、何十回目か知りませんが、この映画でも証明されたというだけのことだと思います(それにしてもこれは特にヒドいということでこのような場が有るのでしょうが)。 どんなに優れた原作や脚本があっても、どんなに力のあるプロデューサーや監督、役者、スタッフがいても、どれかの要素一つや二つだけではだめで、そのすべてが(たとえ偶然でも)そろわないと傑作は生まれない。どなたかが言われていましたが、大変有名な原作で、そのファンも多く観に来ると考えたから実行されたであろう企画なのにこのありさまとは……あまりにも外れまくっているということでしょうか。
ではどうすれば良いのか。私のような一観客としてのファンが実行でき、かつ映画の制作者に最もダメージを与えられることはなにかと考えると、〈そういった作品に金を払わない〉ということしかない。つまり映画館に見に行かない、レンタルビデオやDVDを見ない、買わない。 どれだけひどい作品か金を払って観て、批判する権利を得ようというような意見もありますが、それはシャレというか詭弁というか。制作者にとっては売り上げが伸びるということだし、悪口も声援のうちで、話題にしてもらえるということだし。口コミにもなるというものだ。また、金を払って観たからといって、無限に批判や悪口を言う権利が得られるわけでもない。 ひどい映画について酒場のヨタ話として盛り上がるのが趣味だという人は別です。それもファンというもののありようでしょう。どんなに負け続けてもひいきのチームの試合を悪態をつきながら見に行く野球ファンのように。そういう人は十分楽しみの種を得られて、モトがとれるでしょう。かくいう私だって『宇宙からのメッセージ』とか『さよならジュピター』などはさんざんそうやって楽しみました。『ゴジラ』とか『ウルトラマン』も新作が出るたびに「大きなお友達」が難癖付けていると聞きますし。
そもそもこの映画は那須監督の作品ではないですか。私は映画に詳しくないし、那須監督作品は『ビーバップハイスクール』と『新宿純愛物語』しか見たことはありませんが、それだけでも、多分この人は、『デビルマン』と聞いて観に来る人が期待するであろう「永井豪」「SF」「特撮」「魔物」「残酷」(もっといろいろあげられるのでしょうが)といったツボを心地よく押してくれることはないだろうと予想しました。全然マンガや特撮に対してマニアックな感性を持っているとは思われないので。実は、ほんの少しはもしかしてすごい作品になるかもという期待も無きにしもあらずでしたが、ここで皆さんの意見に触れて、「やっぱりか」と思っている次第です。
白状しますと、私は映画『デビルマン』は見ていません。皆さんのおかげで無駄なお金を使わずにすみました。皮肉ではなく感謝します。古い話ですが大林とかいう人が監督した『漂流教室』もあまりの評判の悪さに見に行かなくて正解でした。しかしながらこういった〈金を払わない〉といった手段ではいっこうに私にとって面白いSF映画なり特撮映画なりは現れない。私ひとり映画を見に行かなくても何の影響もない。
結局は私にとって面白いと思えるSF、特撮映画の作り手が現れるのをじっと黙って待つしかない。映像業界は華やかに見えて経済的には報われない世界だと聞きます。現に大ヒット映画の監督でも老後まで楽に暮らせるような金はなかなか得られない。まして末端の役者やスタッフは…夜昼なく仕事して、遊ぶ余裕もなく、肉体と精神をすり減らす。志半ばで消えていく人も大勢いる。そういった中から10年、20年かけて、時には意にそわない仕事もしながら志を腐らせないで実力をつけ、権限を持ち、資金を動かせるようになり、なおかつ才能が有るという人がいつか面白い映画を作って見せてくれる。自分で書いていてなんとワガママで勝手な期待を他人様にしているのだろうと思いますが、そういった人が多数現れ、なおかつ興行的に成功しつづけない限り、面白い映画は出来ないと考えます。そしてそういう人が今の我が国の映像業界に必ず潜伏していて、もうすぐ次々に現れるだろうことも期待します(SF、特撮もの以外では何人も優れた方がいらっしゃるようですし)。
なんだかへたな感想文のようになってしまいましたが、身もふたもなく言えば、若き才能よ、映像業界に入ってSFと特撮を変革してくれ、俺はなんにもできないけどな!といったところですね。
どうも失礼しました。 |
No.22290 - 2004/11/08(Mon) 22:00 [z193.220-213-54.ppp.wakwak.ne.jp]
| こんにちわ、やわらかいものがすきさん。 「デビルマン」の話はもういいや、と思っていたのですが、やわらかいものがすきさんの素直な感想と言うか、あまりに実直な意見を読んで、最後に自分の考える「建設的な」意見を述べておきたいと思います。
>>映画の制作者に最もダメージを与えられることはなにかと考える>>と、〈そういった作品に金を払わない〉ということしかない。つ>>まり映画館に見に行かない、レンタルビデオやDVDを見ない、買>>わない。
この意見に反対なのは「だったら、評判の悪い映画は見ないことが相手への損害なら、あなたの意見はどこにあるのか?」ということです。この場合、万人が見て駄作だと認める「デビルマン」であるからこそ成立しますが、例えば「キャシャーン」(僕は結構好きです)「キューティーハニー」など、毀誉褒貶のある映画の場合、一体どうやって「罰として見に行かない」ということを決定できるのか?ということです。
>>どれだけひどい作品か金を払って観て、批判する権利を得ようと>>いうような意見もありますが、それはシャレというか詭弁とい >>か。
いえ、どんな映画でも見ずには批判できない、といことです。だったら、世間で評判の良い純愛映画を「ヒットしていて、ワイドショーで誉めていた」という理由で見に行く人と「ネットで悪口が多かったから見に行かない」というのは結局同じ事になってしまいます。
>>『漂流教室』もあまりの評判の悪さに見に行かなくて正解でし >>た。
ここで問題は「正解だった」とどうやって判断するのか?ということです。「皆が駄作だと言ったので、見に行かなかった自分が正解」なのか、「駄作だと言われたけど、自分なりには色々発見もあったし、助演の女の子が可愛かったのでハラはたたなかった」という可能性を無視して「映画の出来は皆の評判だけで判断します」という思考停止に陥らないか?ということです。
>>結局は私にとって面白いと思えるSF、特撮映画の作り手が現れる>>のをじっと黙って待つしかない。
僕がたとえ駄作の評判でもSF映画を見に行くのはそうやって観客として存在する限り、また新しいSF映画が作られることを期待してです。たとえ「待つ」にしても、自分で劇場で待つのと、世間の評判を待つのでは僕は前者をとります。
>>そういった人が多数現れ、なおかつ興行的に成功しつづけない限>>り、面白い映画は出来ないと考えます。
いや、そんなことはありえません。山本先生もおっしゃたことがありますがスタージョンの法則でいくと、駄作が9割あって初めて傑作が生まれうるのです。素晴らしい映画が興行的に成功しつづけた例などどこにもないのでは? 僕は「駄作けっこう。どんどん作ってくれ。ちゃんと見続けてやるから。その代わりにいつか傑作を見せてくれよ」というつもりで今日も駄作でもいいから劇場に行くつもりです。 |
No.22294 - 2004/11/08(Mon) 23:43 [ntcwest014158.west.dup.ppp.infoweb.ne.jp]
| このスレも長大化しましたし、そろそろ別スレにするかお開きにする頃かと。
>SHADO工作員様
>結構評判いいのがちょっと腑に落ちないんですけどね。神話的スケールの原作をただのアクションものにしてしまっているのに、何で原作ファンが褒めるのか。『クロノス』の虫とカラクリのハイブリッドデバイスというガジェットは面白かったけど、あの映画も気が付いたら寝ていたし。
うーん、やっぱりギレルモ監督の、ミニョーラ好きってとこが節々に感じられたからなんじゃないですかね。部分的にも、ミニョーラの魅力を再現してましたし。それに、僕も好きか嫌いかの二択だったら、好きと言える作品ですし(満足はしないけど)。 スレ違いなので、ここまでで。
>まあ、ボクシングのセコンドだけどトレーナーではないヒト(何じゃそりゃ)の映画を観るというのは貴重な体験でしたけどね。パート2は当然『バイオレンスジャック』だろうから、四肢を切られた双子の片割れや、監督自演でスラムキングに殺される人とかが観られるかも。
っつーか、「ヤンキーものテイストバリバリで、『バイオレンスジャック』はどうよ」とちょいと思ったりしました(笑)。 ただ、那須監督。デビルマン見た限りでは、本家ヤンキーもの映画の出来もどうかなー…と思ってしまったり(笑)。 それはおいといて。ダイナミックプロとしては、この映画をどういう風にとらえてるのかな。ネット上でここまで最低よばわりされてて、なんも反応無しっつーのはないと思うんだが。
>やわらかいものが好き様
初めまして。 自分も平城京氏と同じく、「どんな映画でも見ずには批判できない」と言いたいです。 見ないという事は、その作品に対して周囲の評判や噂を聞くだけで判断することであり、それでは正確な感想を述べたり、判断したりはできません。 ある絵を見ず、見た者の評判だけでその絵がうまいか下手かを判断できますか? こればかりは、実際見てみない事には個人個人での正確な判断は出来ないのではないでしょうか。 でないと、
「月9のトレンディドラマは一般的に評判いいから、面白い作品。特撮とかアニメなんて、評判悪いから駄作」
見ない人がこう言っても、通っちゃいますよ。
それに、
>そういった人が多数現れ、なおかつ興行的に成功しつづけない限り、面白い映画は出来ないと考えます
とおっしゃいますが、面白いの基準ってのは十人十色ですからね。ある人にとって面白いものが、他の人にとってはつまらんって事はよくあることです。 とどのつまり、スタージョンの法則にあるように、映画も「製作されているのは、多数の駄作と、わずかな傑作」って言えるかと。 (そういやゲームも、数多くでてるのは駄ゲーで、わずかに優ゲーがある……って言えるとこがあるかな?)
もっとも、特撮に関しては「駄作すらも作れない」って状況は打破しなければならないですけどね。こういった作品そのものの絶対数が少ないため、駄作に当たる確立が大きくなるってのがあるのかもしれません。
ではでは。 |
No.22302 - 2004/11/09(Tue) 02:10 [p45178-adsau14honb7-acca.tokyo.ocn.ne.jp]
| 平城京さん。塩田多弾頭さん。 早速にご意見をいただきありがとうございました。初めてインターネットによるコミュニケーションを(今時になって)経験し、少々興奮しております。 みなさんのご指摘をうかがい、私は自分がかなり偏った人間であると思い知らされました。SF、特撮が好きといっても、私は内外の作品を、映画に限らず、まんべんなく大量に見ているわけではなく、ほとんど素人(というのもなにかへんですが)なうえに、自分が満足できそうなものにしか金を使いたくないケチだということもわかりました。駄作かもしれないと思いつつお金を払って観にいくのが、傑作を育てる道であるというのは目からウロコでした。なるほど作者も作品もファンに育ててもらうのだなと膝を打ちました。でも、私貧乏なもので、なかなか映画にお金を使えないのです(冗談ではなく本当です)。オタクだったらメシ抜いてでも趣味にカネ使わんかいと怒られそうですが(笑)これ以上メシを抜いたら生きていけません。 とはいえ私は世間で評判の映画だから見に行ってみっか、とか、評判が悪いから見に行かないでおこうということはありません。当たり前すぎますが、ただ自分の趣味嗜好に合いそうかどうかで決めます。『デビルマン』の場合はその琴線にふれたので興味を持ったわけです。でも…まあ…テレビ放映でタダでみられるとしても…みなさんの評判を伺うと見ない方がよさそうな気がするなあ。『漂流教室』に関しては、ビデオが出てしばらくしてから中古\300で売られていたのを買って初めて見たわけです。そこで劇場に見に行かなくて正解だったと思った次第で。説明不足ですみません。また、『キャシャーン』『キューティーハニー』は私の興味の対象外なのでやはり見に行っていませんが、別に罰を与えるために金を払いに行かないわけではありません。誤解なきよう付け加えますが、私は両作品を価値がないなどというつもりも毛頭ありません。 なにせ私は日本SF映画で一番のお好みは『ブルークリスマス』(古いねどうも これも興行的には全然だめだったそうですね)ですから。70年代で意識が止まってしまっているのかもしれません。誤解なきようまた付け加えますが、『ブルークリスマス』が最高の、100点満点の映画だというつもりもありません。あくまで「お好み」です。 また、実作品を見ずに批判することなどできないというのは全くその通りと思いますが、私は『デビルマン』の内容に関して批判したり断定したりするつもりはなかったのです。見てはいないけれども皆さんの意見はおおむね肯定できると感じられると言いたかったわけで…少々傲慢な書き方だったですかね。 私は要は、俺が面白いと思える映画を作るやつ出てこい、と言っているだけで、ちっとも建設的ではありませんね。大反省。もっと視野を大きく持てと。 誰かが言っていましたが、商品を買うということは、それを作った人や売っている人に投票するのと同じことだと。その投票が、ものによって違いはあるにせよ、ある一定数以上あればその商品とそれを作った人はこの社会に存在を許され、少なければ消えていくのだと。私はこのささやかな投票行為を、もう少し興味の範囲を広げて行なっていくことにしましょう。それが一ファンのできる、面白い映画を引き寄せる道ですね。
ありがとうございました。 |
No.22303 - 2004/11/09(Tue) 02:21 [z193.220-213-54.ppp.wakwak.ne.jp]
| 今週末までの公開なので遅ればせながら観にいきましたが・・・、 すいません!私、この映画オッケーです!しっかり楽しめちゃいました。以下、私がなぜ楽しめたか説明することにします。
1.前評判を知っていたので免疫ができていた。 「デビルマン」に関しては素晴らしい批評が目白押しで、本編をわざわざ見なくてもお腹いっぱいになってしまいました。どうして悪口というのはこんなにも面白いのだろうか?個人的には唐沢俊一さんとm@stervisionさんの批評が面白かったです。ttp://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/devilman.html 2.那須博之監督について一通りの知識があった。 なんといっても、子供時分には「ビーバップ・ハイスクール」シリーズには楽しませてもらったもんです。伊崎兄弟の演技がアレだという人にはぜひ那須監督の前作である「ピンチランナー」を見てほしいと思います。モーニング娘。の演技スゴいっすよー。話も「デビルマン」に負けず劣らずムチャクチャで楽しいです(今チェックしてみたら、脚本家が五人もいる・・・)。DVDではどうなってるか知りませんが、エンディングロールが終わった後で再び東映の三角マークが出て新メンバー(辻ちゃんとか加護ちゃんとか)の紹介が流れるという珍趣向には、劇場まで出かけた物好きたちの間で公開当時語り草になったものです。あれを見たからこそ伊崎くんの気の抜けた叫び声も微笑ましく受け止めることができたわけです。 (ただし、「ピンチランナー」には唯一の見所として、後藤真希が漫画から抜け出してきたかのような美少女っぷりを披露しているシーンがあるので、そのスジの人は必見)。 ま、那須監督にはさぞかし大変な仕事だったろうなと同情しないでもないです。 3.東映のマンガ映画路線についても一通りの知識があった。 前に誰かお書きになっていましたが、例えば鈴木則文監督の「伊賀野カバ丸」だったり、山口和彦監督の「サーキットの狼」など東映はマンガの実写化を積極的に行ってきた過去があって、それがことごとくミョ~な味わいになってきたわけです。なぜそうなってしまうのかというと、東映にはどんな話だろうとことごとく自分の色に染めてしまわなくては気がすまない性分があるらしく、不幸にも今回の「デビルマン」もご多分にもれなかったわけです(ジンメンとのバトルなんて「仮面ライダー」そのまんまだもん。しかも昭和の)。この掲示板向けに言うならば、「スターウオーズ」を「宇宙からのメッセージ」にしてしまうのが東映という会社なのです。それを知っていたから、 “東映も伝統をきっちり守っているなぁ”と思ってしまったわけで。 だから、「デビルマン」をスカパーの東映チャンネルで放映する際には、「ドカベン」や「こち亀」を一緒に流してくれれば、視聴者も納得できるのではなかろうかと・・・いや、正直自分が見たいだけなんですが。
あとは「酒井彩名が良かった」とか。でも、自分でもなぜ面白かったのか不思議なんですが。岡田斗司夫さんの言葉をモジるなら、 「お前あれ許されへんのに、なんでこれ許せるねん?」 とでも言うべき心境。ある意味「デビルマン」に自分の映画観に対して挑戦されていると言えるのかも。コワい映画だねぇ。
原作ファンが怒るのは当然だと思います(ただ、完全映画化された「デビルマン」って「火垂るの墓」並みにヘコむ映画のような気が・・・。そうでなくても劇場版「エヴァ」並みに疲れそう)。私にも作り手がわけのわからぬままに作っているのが感じられましたし(ただ、「デビルマン」って実はなかなか難しい話だよね・・・)。 ただ、この壮大なる失敗ひとつをもって、「邦画の問題点」うんぬんを論じるのはちと難しいと思います。日本映画界は依然として面白い作品を輩出し続けていますし、「デビルマン」が大赤字を出したとしてもそれは観客にとってはあまり関係の無いことです(映画をいかにしてヒットさせるか?というテーマについては映画作品の面白さとは別の面白さがあることは確かですが)。観客の立場からはただ単純に、 「こういう映画を見たい!」「こんな映画は見たくない!」 と訴えるのが一番だと思いますよ。
先日、GEOにDVDを借りに行った時のこと、日本映画の棚にあの「幻の湖」があるのをみてかなり驚きました(しかもレンタル中だった!俺以外の誰があの映画を借りるというのか?と真剣に困惑)。落ち着いて考えてみると、「幻の湖」のような大コケしたアレな映画でもちゃんとソフト化され、誰にでも見られるようになったということは実に喜ばしいことであって、これこそ文化の成熟とでもいうべき現象ではないかと思ったのです(裏返して言えば、カルト作品がだんだんなくなってくるということでもありますが)。そんな成熟した世の中だからこそ、たとえ「デビルマン」でも楽しんでしまったらいいのにな、と思うのですがどうでしょう? ただ、受け手は成熟していても、作り手が成熟してないのがツラいところです。・・・いっそもっと未熟な方がいいのかも。
長々と書いてしまい恐縮至極です。それだけ語りたくなってしまうほど「デビルマン」がある意味魅力的な映画なのだということで諒解していただきたい。未見の方には早めに観にいくことをおすすめします。もちろん怒るためでも邦画の将来を憂うためでもなく、笑って楽しむために観にいきましょう。
以上、前回間違ったことを書いてしまい、今回も内心ビクビクものの、れがりあ=みながお届けしました。 |
No.22313 - 2004/11/09(Tue) 19:26 [YahooBB220057043083.bbtec.net]
| れがりあ=みな様 最後に綺麗にまとめられようとしているのを見て、ちょっと賛同したくなりました。 どーも、今回の荒れるわけでもなく、なんかちぐはぐな温度差はおそらく”原作ファンの怒り”をちゃんと理解するかそうでないかというところでしょうか。僕はそれほどの原作ファンでないので、なかなかついて行き辛かったですが。
>>東映にはどんな話だろうとことごとく自分の色に染めてしまわな>>くては気がすまない性分があるらしく、
そうそう、それが大事ですよね。はっきり言って東映に「デビルマン」は似合わないような気がします。これが石川賢の諸作品だったら、もろ手をあげて賛成するのですが。しかし、なんで東映は石川賢を映画化しない?
>>「スターウオーズ」を「宇宙からのメッセージ」にしてしまう >>が東映という会社なのです。
東映の「宇宙からのメッセージ」は恥知らずながらも破天荒な魅力があり、後にTVシリーズ化されるだけのパワーがありました。 これが東宝となると、「スターウォーズ」を「惑星大戦争」にしてしまい、SF的にはまあ、まとまってはいるけれども失笑だけで後に振りかえられることもないようです。 そう言えば、「唐獅子株式会社」を東映が映画化すると聞いて「一見似合いそうで、結局は東映カラーに縛られるんじゃないかな」と思ってたらその通りで、「これはむしろ無責任を作った東宝向きに企画じゃないかな」などと思ったものでした。 |
No.22332 - 2004/11/10(Wed) 22:33 [ntcwest002100.west.dup.ppp.infoweb.ne.jp]
| ttp://moe2.homelinux.net/src/200411/20041103755422.jpg 某画像掲示板でみつけたモノです。 ちよちゃんの精神に傷を負わせた『デ』。榊さんバージョンも見てみたい(w) ま、これを笑えるうちは、まだ余裕ありますか…ねぇ? |
No.22334 - 2004/11/10(Wed) 22:49 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| 平城京さん、お返事ありがとうございます。
>これが石川賢の諸作品だったら、もろ手をあげて賛成するのですが。
ああ~、なるほど。「魔獣戦線」とか「極道兵器」とか楽しそう。でも、もし「ゲッターロボ」が「デビルマン」級に実写化されたら、私キレてしまうかも。そういう意味では今回お怒りのみなさんには心から同情しています。ケン・イシカワも「神州纐纈城」を漫画化したりしてお元気でなにより(「超護流符伝ハルカ」も楽しかったなぁ)。
さて、“どうすれば「デビルマン」は面白くなったか?”という問題について思いついたことがあるので書いてみます。 簡単にいえば、「デビルマン」と「キューティーハニー」の監督をチェンジすれば良かったのではないかと。 つまり、那須博之の「キューティーハニー」と庵野秀明の「デビルマン」。これならまだしっくりくるのでは? 前者はストーリーは有って無いようなものだけれどエロは充実させてくれそうですし、後者は劇場版「エヴァ」をもう一度やればいいだけのことですから。 ま、平城京さんがおっしゃる通り、東映が「デビルマン」を作ること自体無茶な話だとも言えるので、あくまで“こうした方がまだマシになるんじゃないの?”というレベルの話でしかないのですが。 (ちなみに、ハリウッドで「デビルマン」を作るとしたら、ギレルモ・デル・トロ監督が一番向いてると思う。)
以上、スティーブン・サマーズが作った大味な「デビルマン」も見てみたい、れがりあ=みながお届けしました。 |
No.22341 - 2004/11/11(Thu) 12:32 [YahooBB220057043083.bbtec.net]
| >れがりあ=みな 様
今回の「キューティーハニー」は製作サイドからファミリー映画だからエロ厳禁ってお達しがあったそうですよ。 「Reキューティーハニー地の巻」で庵野監督がインタビューにそう答えてました。 |
No.22345 - 2004/11/11(Thu) 20:40 [218.231.75.33.eo.eaccess.ne.jp]
| 東映はまだ那須監督を見限ってないですね。。今度彼でタイガーマスクを映画化するようです。 http://park1.aeonnet.ne.jp/~saigou/cgi-bin/notebook.cgi この撮影風景は見てみたいんですけどね。だって佐山が出るんですぜ。監督が「どのように演技指導するか」も実際に確かめたいし(笑)。
また原作ファンの怒号が飛び交う様子が今から目に浮かびます |
No.22361 - 2004/11/13(Sat) 00:30 [R213044.ppp.dion.ne.jp]
| えふてぃーえる様 > 東映はまだ那須監督を見限ってないですね。。今度彼でタイガーマスクを映画化するようです。
つか、内容以前に、あのマスクがちゃんと立体化できるのでしょうか? 現実のタイガーマスクのようなのではキャラ物としてダメでしょうし、ヘタな物を作ってしまったら、タイガーはタイガーでも『タイガーセブン』になってしまいます。 とりあえず、あの立体的に虎の顔になっているマスクがちゃんと納得できる造形で再現されれば、観れる物にはなると思います(試合シーンは本職のレスラーさんたちがやるんだろうし)。
あ、ダメだ…グレートゼブラ(w)がもう亡くなっている……。 |
No.22362 - 2004/11/13(Sat) 00:53 [cassiopeia.aitai.ne.jp]
| >実写版タイガーマスク
確か近年、アメリカで映画化されたはずです。 っても、「北斗の拳」「ストリートファイター」みたいな感じにされちゃってましたが(早い話が、ほとんど別物)。 何かで予告編みたいなのを見ただけですが、プロレスというよりカンフーのように敵と戦ってました。
肝心のマスクは……ヨコヤマさんの危惧されてるとおり、イマイチな造型でしたね。 自分が見た限りでは、現実のレスラーのマスクのそれでなく、本物の虎と同じ立体的なマスクでした。が、「タイガーセブン」と同じような「虎の顔そのまんま」って感じの造型で、正直野暮ったかったです。
思うのだけど、やはりタイガーマスクは二次元だからこそかっこよく決まるんじゃないかと。あれを立体に起こすのなら、ガレキを作るのと同様にかなりうまくバランス配分しないことには、単なる「虎の頭をかぶったレスラー」にしかならんので、注意が必要ですね。はい。
しかし、那須監督でかよ。はー、なんだかなあ。 「ゴジラ2000ミレニアム」が映画化されるって聞いた時、脚本がスペゴジと同じって聞いて落胆したのを、なんとなく思い出したりして。 |
No.22363 - 2004/11/13(Sat) 01:11 [p45178-adsau14honb7-acca.tokyo.ocn.ne.jp]
| ヨコヤマさんwrote: >あ、ダメだ…グレートゼブラ(w)がもう亡くなっている……。
そうですよねぇ・・・ ぜひ御本人の出演で「さよう、りっぱなしまうま!」が聞きたかった・・・ |
No.22364 - 2004/11/13(Sat) 01:17 [66.pool9.ftthtokyo.att.ne.jp]
| ●真説タイガーマスク
正確には映画ではなく「Vシネ」ですね。 それと梶原先生のタイガーマスクではなく、これの映像化ではないでしょうか。
「真説タイガーマスク三つの顔」 高森真士スーパー格闘小説シリーズ
http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=819094&rbx=X |
No.22370 - 2004/11/13(Sat) 09:47 [218.231.65.53.eo.eaccess.ne.jp]
| >極気楽堂様
>正確には映画ではなく「Vシネ」ですね
失礼しました、Vシネマでしたか。 以前に映画情報番組かなんかで(ショウビズ・カウントダウンだったと)、一部を見たことあったんで、洋画と思ってました。 カキコする前にググッたんですけど、見つからんわけです。はうー。
でも、「タイガーマスク 実写」でググると、「新宿の、新聞配達の名物おっさん」もヒットしますね。 あのおっさん、OVA「メガゾーン23」の1作目にもモブで出てたけど、今も元気なんだろーか。 |
No.22372 - 2004/11/13(Sat) 10:41 [p45178-adsau14honb7-acca.tokyo.ocn.ne.jp] |