●感動その1
先日、帰りの新幹線の中で読んだ有川浩『図書館革命』(メディアワークス)の一節。
>「例えば片手落ちという言葉を使うと身障者差別だと投書が来る。辞書を引けば身体的な特徴を示す言葉ではなく、二つの事案のうち片一方しか考えていないような不公平な処置やえこひいきを現す言葉だとはっきり書いてあるにも関わらずね。前後の文脈を考えればそれが差別のために使われた言葉ではないとはっきり分かるにも関わらず、色んな言葉に対してしたり顔でそういう指摘をする人々が当時からいたのです。これにまず校閲が屈する。差別と解釈される恐れがあるから望ましくない、という指摘がくる。盲撃ち、盲船、按摩、乞食……物語の状況や時代背景も考えず、読者の圧力で出版内部から単語レベルでの自主規制が始まる」
おお、有川さんは戦ってくれているぞ!
「盲撃ち、盲船、按摩、乞食」の4連発、角川じゃ許してくれません(笑)。有川さんもそうだけど、これを許したメディアワークスの快挙に拍手を送りたい。
物語の方は『図書館戦争』シリーズの最終巻。原発テロが日本で起き、かつてその手口に酷似した小説を書いたことのある作家にメディア良化委員会の弾圧の手が迫り、言論の自由を守るために彼を保護する図書館隊……というお話。例によって恋と笑いとアクションがぎっしり詰まってて、最後まで楽しませていただきました。
アニメ化されるそうなんだが、上の台詞とかどうするんだろう。カットしたらただじゃおかない。
●感動その2
短編集『まだ見ぬ冬の悲しみも』が『シュレディンガーのチョコパフェ』と改題されて文庫化されることになったのだが、前島賢氏の書いてくれた解説がものすごく熱い。
タイトルからしてこうだ。
「SFとオタクに必要なものの半分くらいは、山本弘に教わった」
> 大作『神は沈黙せず』が日本SF大賞の候補作になったのがきっかけだろう、山本弘に「日本SFの新たな旗手として注目される」との枕言葉が付くようになった。それはもちろん正しい。だけどそれはどこかで山本弘が新人のような、あるいは最近まで山本弘がSFを書いていなかったような印象を与えていないだろうか。本当はSFが書きたかったのに運悪く「SF冬の時代」だったので、長らくライトノベル書いてました、みたいな。もし読者諸氏がそう思っているとしたら、大いなる誤解だ。山本弘を読んでSF者になった僕が言うんだから間違いない。
>「私に教えてもらおうとするのは間違いだ。私には君たちの幸福を定義する権利などない。それは君たち自身が苦しみながら答えを出すべき問題だ」
> 少なくない読者諸氏が、これを「バイオシップ・ハンター」からの引用だと思ったはずだ。
すみません、僕も一瞬、そう思いました(笑)。そうだよ、『サイバーナイト』のメンターナの台詞だよな。忘れてた。
>本書は、ライトノベルレーベル・角川スニーカー文庫から出版された、紛れもないハードSFだ。あの『GOTH~リストカット事件』の乙一を始め、しばしばオタク第三世代とも呼ばれる八〇年前後生まれの人間には、本書が人生初めてのSF、という人間が多い。当然、僕もそのうちの一人だ。
調べてみたら、前島氏は1982年生まれ。10歳で『サイバーナイト』読んだのか。
> ライトノベルだろうとどこであろうと、山本弘はずっとSFを書き続けていたし、同じを問題を形を変えて問い続けてきた。人は異種族と共存できるのか。「この私」とは何か。真実の愛とは何か。もっと正確に言えば、山本弘はいつでもどこでも山本弘だった。人間が、いかに自らの偏見に閉じこめられた存在かを描き、にもかかわらず、前掲引用部のとおり、神という超越者に頼らず、自分の意志で決断する人間の賛歌を描き続けてきた(そして、ついでに言えば、美少女も脱がし続けてきた――『時の果てのフェブラリー――赤方偏移世界』でフェブラリー・11歳がレイプされかかったり、『妖魔夜行』のヒロイン・摩耶の抑圧された性欲が妖怪を生み出すなんて展開に、眠れなくなった小中学生は多いはずだ)のだから。
すみません、確かに小中学生にはちと刺激強かったかもしれない(笑)。
> 山本弘は手加減のできぬ男である。空気を読めない男といってもいい。「人類は異質の知性を受け入れなければならない」と語る山本弘の信念は、ジャンルが違ったくらいでは揺るがない。
「手加減のできぬ男」ってのは最高の褒め言葉だな。
この他にも『ソード・ワールドRPGリプレイ』やら『サーラの冒険』やらを例に引きつつ、こう論じる。
> そして、だからこそ、山本弘は、日本に住む異種族であるオタクの実存を一貫して描き続けてきた。自らがメインとなって世界設定を行ったシェアード・ワールド『妖魔夜行』は、特にそれが顕著だ。特撮オタクの元に悪役俳優の妖怪が現れる「さようなら、地獄博士」(『深紅の闇』所収)、あるいはドール・オタクの実存を描き(これもまた『アイの物語』の原型だろう。山本弘は本当にいつでも山本弘である)「水色の髪のチャイカ」(同名短編集所収)などはもちろんのこと、本編のメインヒロイン・守崎摩耶自身が、典型的なライトノベルのヒロインとは異なる、内気なオタク少女である。「『ラムネ&40』のポスターと、中学の修学旅行で買ってきたペナントが貼ってある」(『真夜中の翼』)のが彼女の部屋であり、机の奥にはやおい同人誌が隠されていることが後に判明する(たぶん史上初の腐女子ヒロインじゃないだろうか。ついでに筆を滑らせれば摩耶の家に押しかけて『絶対無敵ライジンオー』の主題歌を歌ったりするタヌキ少女の井神かなたは、『らき☆すた』の泉こなたの遠い先祖なのだ。たぶん)。
「史上初の腐女子ヒロイン」! そうか、それは気がつかなかったよ。
まあ、かなたとこなたの類似は偶然だろうと思うけど……いや、『キノの旅』の例もあるから分からんな。
>些細なことで、クラスメートから孤立し、にもかかわらず親は「十六にもなってアニメやゲームにうつつ抜かしてるなんて!」とあまりに無理解。それどころか「悪魔がささやく」(同名短編集所収)では、「更正」のために、キリスト教原理主義者に捕らわれ、大事なマンガや本の価値を理解してもらえずに燃やされてしまう。美少女と見ればいじめたくなる(それは本書「闇からの衝動」でもいかんなく発揮されている)山本弘の癖を差し引いても、おそらく、山本自信がかつて味わった苦労が相当に投影されているのは間違いない。そしてそれはまた、オタクとしてスクールカーストの最底辺で鬱屈した日々を過ごしていた中学生の僕の現実でもあった。摩耶の姿は、痛々しかったけれど、少なくとも、自分のような環境にある人間が(たとえフィクションの中の世界でも!)一人はいる。そんな認識は、ファンタジーの世界に耽溺するのとは少しだけ違った形で、僕に現実を生き抜く力を与えてくれた。そういう意味で、山本弘は僕にとって恩人でもある。
てな調子で、熱い文章がえんえんと続くのである。うるうる。
これまでに書かれた中で最高の「山本弘論」。ありがとう、前島さん。