【今回の日記は全体に公開します。転載は自由です】
ブログを更新するために、東京都青少年問題協議会専門部会長の前田雅英氏の著書『少年犯罪』(東京大学出版会)を再読していたら、こんなページを発見。(74ページ)
強姦罪の検挙人員率のグラフの上に、石原慎太郎(現・東京都知事)原作の映画『太陽の季節』(1956年)のポスターが!(笑)
しかも映画の翌年の57年から、少年の強姦による認知件数が急増!
前田氏は本文中では『太陽の季節』にまったく触れてないんだけど、こうやってポスターとグラフを並べると、まるで『太陽の季節』のせいで強姦が増えたと言ってるように見えちゃうんだよなあ……。
まあ、創作物が犯罪を誘発する可能性は僕も否定はしないけど、このグラフから無理に因果関係を読み取ろうとしたら、「『太陽の季節』は『ハレンチ学園』よりはるかに有害」という結論になってしまいそうである。それは何かとまずかろう。(笑)
障子をペニスで突き破るシーンがあまりにも有名な『太陽の季節』。原作が書かれたのは1955年。
Wikipediaの解説によれば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%AD%A3%E7%AF%80
>高校生・津川竜哉はボクシングに熱中しながら仲間と酒・バクチ・女・喧嘩の自堕落な生活をしている。ある夜盛り場で知り合った少女英子と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉に惹かれていくが、竜哉は英子に付き纏われるのに嫌気がさし、英子に関心を示した兄道久に彼女を5千円で売りつける。それを知った英子は怒って道久に金を送り付け、3人の間で金の遣り取り(契約)が繰り返される。ところが英子が竜哉の子を身籠ったことがわかり、英子は妊娠中絶手術を受ける。手術は失敗し英子は腹膜炎を併発し死に、葬式で竜哉は英子の自分に対する命懸けの復讐を感じ、遺影に香炉を投げつけ、初めて涙を見せた。
僕の生まれる前だからよく知らないけど、当時は「太陽族」という流行語を生むほどの大ブームとなり、かなりの物議をかもしたらしい。そりゃこのストーリーじゃ当然か。
当時の大人たちにとっては、さぞかし「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく阻害するもの」に見えたことだろうなあ。
>これを皮切りにいわゆる「太陽族映画」が作られ、青少年に有害であるとして問題になり、映画業界以外の第三者を加えた現在の映倫管理委員会(映倫)が作られるきっかけとなった。
おおっ、映倫ができたのはこの映画がきっかけだったんだ!
その障子の場面があまりに有名になっているので無言のミスディレクションの一種として使われているのが門井慶喜氏の「おさがしの本は」中の一編でした。もっと荒々しい表現が石原氏より上の世代の有名作家にあると言われて、ううむと唸った50代以下の人は少なくないと思います。あれも、ひょっとしたら「イシハラなんてこの程度」という暗黙の揶揄なのかもしれません。
<前略,敗戦から十年後の一九九五年,石原慎太郎の作家デビュー作『太陽の季節』は「太陽族」ブームを巻き起こした。
慎太郎は,親に買ってもらったスポーツカーを乗り回し,ファッションにしか興味ない大学生のセックスと暴力の日々を描いた一連の「太陽族」小説で,消費社会に目覚めつつあった日本の若者を熱狂させた。「カッコいい」という言葉もそこから生まれたのである。
しかし,『処刑の部屋』をマネて睡眠薬を使ったレイプ事件が起こったせいで「太陽族」は社会問題になり,中略「太陽族」は日本だけの動きではなかった。五五年を境に,若者のたちのファッションとセックスとバイオレンスの暴動が世界中で爆発し始めたのだ。後略>
・・・・・・・・・・・・との事です。
つまりは若者文化の暴走で生まれた経緯があるんですね。
そういう連中が今規制してるのだから世の中というのはいやはやです。