『神は沈黙せず』はファンなので以前読みましたが、該当箇所がヒロインの勘違いだというのは盲点でした。
そもそも何が異常で何が正常かなんてそのときのパラダイムで変わってしまうんですよね。「そもそもあらゆる思想は危険である」という呉智英の言葉はそういったことを上手く表わしてると思います。
神様は善い霊で悪魔は悪い霊みたいな身勝手で形而上的な決め付けは排除される側にとってはたまったもんじゃないです。
私はその迫害で後遺症に苦しんでます
反対者が一致団結し非実在青年少年規制を審議延長に持ち込めてた一方で、
ザル法案かつ、どう考えても将来の子供たちに負担を強いる子供手当てに対して纏まった反対の声が上がらず(黙殺されて?)可決・執行されそうなのは、業が深いですねー
いや、まぁ個々人の興味の範疇なんてそんなもんですし、人間万能じゃないから仕方ありませんよね。ああ、きっと仕方が無いにありませんよ。
そもそも、この二つの話は、直接関係ない話ですしね。お目汚し、あいすみません。
山本先生初めまして。
チョムスキーといえば「ナチスによるユダヤ人虐殺はなかった」と主張したフランス人歴史家を擁護する署名活動に参加したことでも知られていますね。彼自身ユダヤ系アメリカ人であるにもかかわらず。
確かニコ動にもアップされていたと思いますが、『チョムスキーとメディア』というドキュメンタリーの中で、上記の歴史家を擁護する署名活動に参加したのは、彼自身が行っている「表現の自由を守る活動の一貫に過ぎない」と言っていたのが印象に残っています。
これですが、石原都知事がこの後悔してこの作品の撤回と絶版回収を表明したらどうなるんでしょうねえ。
アメリカではポルノは解禁されていないのだと聞いたことがあります。でも、その作品に芸術性があるかないかという裁判になると面倒なので既成事実化しているとか。でも、レイプとか未成年とかはかなりきつく排除されているのが捻れを感じます。
社会モラルを保つのは、規制ではなく教育だと思いますが、一歩間違えば(大元が間違えなくても)偏見とレッテル張りを押し付ける大衆を増やしかねませんね。
昔よんだ児童向けの恋愛に対する本で解らなかった話が有りますが、ある女学校の教育に関しての物です。
「男はみんなオオカミである。だが理性で欲望を抑えられる人とそうでない人がいるので、注意しなければならない。」
と教えていると言うんですが、著者はこれは問題だという。
読んだ当時は解らなかったんですが、
「基本的に男性に対する過度の警戒感を煽っている」
「理性的な男性と、そうでない男性というレッテルを貼って差別している」
「男性の欲望を汚らしい物という立場から一歩も出てない純血教育である」
と、いうことなのかなと思います。
ここまで来と言いがかりような気がしますが、現場じゃそういう方向に行きがちという話も解ります。
一連のトンデモ本シリーズの中でも一貫して「表現の自由」について同じことを述べられてますね 「自分の権利や自由」は主張しても「敵の」それを認めようとする人は哀しいかな現実的には少ないのでしょうね 全ての争いはそこからくるのでしょう 「敵を対等に認めること」 と学会の存在を知り山本会長のことを知り、とくにと学会シリーズは買いあさって(笑)読まさせていただいてます
> Fラン大学生さん
チョムスキーだけじゃなく、確かホフスタッターの本のどれかにも同様のくだりがあったような……今ちょっと、原典が出てないんですが。
ドイツではホロコースト否定論を唱えることは違法とされているそうです。さすがに世間に与える害が大きすぎるってことなんでしょう。本当はこれも言論弾圧だから、良くないことなんですが……。
その点、バカバカしい陰謀論やトンデモ思想も出版できる日本は、自由でいい国だと思います。
>こころに棚を作れさん
『トンデモ本の世界R』でも書きましたけど、世の中には「白雪姫」や「浦島太郎」まで差別的だと主張する団体もあるんですよね。そんな基準でレッテルを貼っていったら、この世のあらゆる本が排斥の対象になってしまいます。ゼロリスクの幻想というやつで、少しでも悪影響のありそうなものを全否定していくと、そうしたバカバカしい極論になってしまうんです。
だから「悪影響があるかも」という程度のことで否定しちゃいかんと思うんですよ。民話や名作童話が読めなくなることの方が、よっぽど悪影響ですからね。