唐沢俊一P&G博覧会
2007年度版2-A


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唐沢俊一&岡田斗司夫の対談 前編


「創」2008年2月号「オタク論!」





「ニュースを疑わないという感性」
唐沢 いいめものクレームについての話はその後どうなったんですか。
岡田 あれについてオフィシャルな場所では全く何も発言してこなかったのは、今日のこの対談で話そうと思ってとっておいたの。
唐沢・
編集部
おおー。
岡田 いや、興味深かった。というのは、ぼくは自分のデビュー作から出版社の許可をとりつつ、かなりの内容をネットで公開している。つまり、著作権についてアレコレ言うだけでなく、行動で示してきたつもり。
そんなヤツが「アイデアに著作権がある」なんて本気で思ってるわけがないんですよね。なのでネットで的外れな非難されても、あんまり気にならなかった。
それより意外だったのは、「ブログの書き手というのは、ネットニュースを疑ってない」んですよね。いかにも怪しげなニュースサイトが一言書いただけで、みんなそれを「岡田が言ったことだ」と信じちゃう。それを元にブログを書く。
しかも、そのニュースサイトの書き方も、明らかに公正さを欠いた偏向っぽいというのは、ブログを書いた人たちだってわかっているのに。
唐沢 「ソースを確認しない」ということはありますね。私の、「新・UFO入門」関係の騒ぎについても、週刊誌はきちんと私の方の言い分を確認してきたけど、ネットでいろいろ論評していた人間で、「唐沢の見解はどうなのか」と尋ねてきた人は一人もいなかった。
私のメールアドレスを知ってるはずの人でもね。まず、唐沢が悪い、という前提から入る。中には「唐沢が言ってることは聞かない」と明言していた人までいた。
岡田 週刊誌もゼロだったし、どこかで記事を読んだ読者から個人的にメールが来るというのもゼロだったの。すごいよね。
唐沢 無名の読者ならともかくとして、著名な作家とか評論家とか名前がある人で今回の件に言及している人も、一切コンタクトしてこないし、そもそも私のサイトも見ない。
真偽を確かめようともせず、叩く側の文面をそのまま引っ張ってきて、それを見た人がまた別の記事を書く、というように拡大再生産している。それだけなんですよね。



「反証責任はヤツにあり」
岡田 どうしてこういうことになるのか、考えてみたんです。自分がここまで叩かれなかったら、こんなに真剣に考えなかったでしょうね。
その意味ではいい機会でした。わかったことはね、彼らは「反証責任は岡田にある」と思っているんですよ。
つまり、「疑いをかけられた」とか「今叩かれだした」とすると、「言われた人は反論するはずだ」と。
つまり、岡田斗司夫は叩かれた。「それじゃ岡田斗司夫のサイトを見に行こう。もし、やましいことがなかったら反論があるはずだ」「反論がないのはアイツの責任だから、叩かれても仕方ない」となる。
これは、面白い思考経路だな、と思ったの。おまけに、ぼくは自分が叩かれて、自分がついこの間まで同じ思考経路をたどっているのに気がついた。ぼくも含めて、「ネットをやっている人間はバカになる」なんですよ。
唐沢 確かに、一言で言うとそうなりますね。カゲキだけど(笑)
岡田 ぼくも含めてバカ。ネットはバカの感染力を高める。これが本当にぼくはショックで、しばらくネット断ちしたのはこれが原因なんですよ。
ネットをやっていると、あまりに情報がたやすく手に入るから、「情報が手に入らないのは、情報を出してくれないヤツの責任だ」と思っちゃう。
唐沢 もう本能的にそう思っちゃうんですよね。「自分に不便」とか「自分の欲しい情報がない」というのは「情報を出さないヤツが悪いんだ」となる。
あまりに簡単に情報が手に入ることに慣れきっちゃったせいでしょうが。
岡田 ぼくが、デビュー作からずっと書いている「自分の気持ち至上主義」というのが、ネットの側から解釈するとどうなるのか、というと、「自分がわからない、知らないのは、相手の責任だ」ということになる。
例えば「わからないのは向こうの説明が下手だからだ」「情報の出し方が悪いからだ」ということになって、「テレビのバラエティー番組はこんなにわかりやすく説明してくれているじゃないか」「学者の説明はわかりにくい、だから学者は頭が悪い」という発想になる。
これがね、ぼくにとってものすごく衝撃的な事実で、これで一冊本を書こうかと思ってる(笑)



「すべてが祭り」の構造
唐沢 とにかく彼らは、真実の追求だとか、相手の言い分がどうだとかそういうことはどうでもよくて、とにかく「今、その情報がどのような扱われ方をしているか」にしか興味がない。
そして、その扱われ方に乗ることだけを考える。
岡田 彼らは「新しいネタが欲しい」とか「新しい騒ぎが欲しい」「日頃の憂さを晴らす対象を欲しい」と言ってるだけ。
ぼくもこの騒ぎが起こったときに関係者からすぐ言われたのは、「一切情報を出さないのが一番いい」ということ。
それは何でかっていうと、ちゃんと説明して沈静化させることより、放っておいて冷めるほうが早いから、だと。
唐沢 何か言うと、また燃料投下したことになって燃え上がっちゃう。
これまさに私が幻冬舎の法務担当者に言われたのと同じで、「言い訳したところで何もならない。法律上やるべきことをやるだけがあなたの義務で、それ以外には何も義務はないですから」ということを再三言われましたね。
岡田 でも、僕がネットをやってる限りは、それを納得できない。だってぼくもブロガーの一人だから。
つまり、「でもそんなことを言っても、ネットをやっている人はもう何百万人も何千万人もいる」と。「その人たちの信頼を失ったらもうダメじゃないか」と思ってしまう。
唐沢 その恐怖はすごくありますね。逆に書き込む方は、相手のその感覚を利用して、まるで世間全体がこっちのバックについている、というような書き方をするのが常です。
匿名性というのが逆に、その匿名氏がありとあらゆるところに存在するかのような錯覚を起こさせますから。
岡田 ところがですね。ぼくがネットとの距離を置いた瞬間にわかったんですけれど、今、ブロガーと呼ばれているブログを書いている人たちと一般のネットをやっている人たちの間に、温度差がすごくある。



ネットはもはや最先端ではない
岡田 これが今回考えた仮説なんですけれど、5年前まではネットは世界の先端だったわけです。
つまり、ネットで起こることはいつか世界でも起こって、ネットで話されていることが何年かして世間では話されている。
だから、ネット住民たちはネットが世界で最先端だと思っている。この癖が10年くらい続いていて、この5年くらいは思考が完全にそうなっているんだけど。
だけど、それが最近そうでなくなってきた。そもそも、ネットが先進性を持っていたのは、いわゆるニフティのパソコン通信が最初だと思う。
それが「ネットによると」という言葉をマスコミが使うようになってきたのは3年から5年前。それで、その先進性が危うくなってきたのは2007年の夏。
「セカンドライフ」が日本では流行らなかった。つまり、ネットというのは世界の中の先進的な場所ではなく、「熱心なブロガー」がいるだけで、もしかして現実社会にあまり反映されないかもしれない。
去年の夏くらいから「ネットでの検索一位」というのがあまりCMとか広告に使われなくなった。「続きはネットでね」みたいなCMも増えているだけれど、それに対する批判も増えてきた。
今たぶん、ブロガーみたいな形で、意見を言ったり聞いたりするためにネットをやっている人よりも、通販とかオンラインチケット購入とか、ホテルの予約とかにネットを使っている人が増えている。
唐沢 そっちの利用が多いでしょうね。私なんかも今、ネットをつなぐ動機はまず、通販利用だもの。
岡田 ブログとかを読んだり書いたり、そういう欲望が人間にはあるんだけれど、それはどんどんケータイの方に移っていってる。
ついにグーグルが、ケータイをベースにしたシステムを作ってる。つまり、「パソコンのネット文化」が世間から遅れだしている。
だから、パソコンのブログを書く人たちの社会的影響力が急激に下がりつつある。
彼らがいる場所はすでに「世界の先端」ではなく「情報世界の最深層」なんです。



「情報的肥満」という病
岡田 ネットの情報というのは「速報性」と「誰でも発信できる」「確認がとりにくい」が特徴です。つまり「早い」「安い」「怪しい」であって、情報のジャンク・フードなんですよ。
ぼくがダイエットしたからこう考えるのかも知れないけれども、ジャンクフードみたいなジャンク情報を摂りすぎると、人間は「情報的に肥満」する。
そして、ネットに関してはみんな最新のモノを集めなければ気が済まなくなってくる。これは完全にネットによる「情報的肥満」。
その肥満症状はネットを断ったからわかったんであって、こんな騒動がなかったらまず気がつかなかった。
唐沢 思うのは、ブログや何かでも、結局世間にちゃんと出ている人間の記録や世間とのつながりでネットの外のことを書くんじゃなくて、ネットの中の情報をネットで書いている。
まさにセカンドライフなんですよ。ネットの中と世間の間には深くて暗い溝がある。しかしそれを、やっている方は気がつかないんですよね。
「ネットというセカンドライフ」が世界のすべてだと思ってしまう。すべての人間が何かをやるときはネットで検索をして、ネットで情報発信ということを求めている、というふうに思っているんだけれど。
これは前から私、考えていたんだけれど、自分でネットにブログとか書いてある程度評判になったとき、これは社会に自分を知らしめるツールだと思っていた。
けれども、それに反応してくれるのは本当にごく一部の、ネット界の住人だけであって、ネットの外の人たちに対しては大して影響がない。
やはりネットの外に伝えるには非ネットの、出版とかテレビに出るということの方が有効なんです。
元々ネットというのは外(現実世界)からの情報を取り込んで蓄積するはずのものだったのが、ネットの中で情報が生まれ、ネットの中で情報が消費されるという形になっちゃっているんですよね。
その情報がネットの中にあって、いろいろな人間から人間にコピペで伝達されていき、それが生きて動いている限りはそれはネットの中では「本当のこと」だということになってぐるぐる回る・・・・・・。考えてみれば面白い。



ネットといじめの構造は似ている
岡田 今のネットの最大の目的は何かっていうと、「みんなが何を考えているのか知ること」なんですよ。
『ぼくたちの洗脳社会』の中で書いたんですけれども、「情報社会の本質というのは、情報が流れるのではなくて、情報に対する解釈が流れる社会」、つまり「それをどう思うのか」が流れる。
だからこの場合、「岡田斗司夫は悪いに違いない」っていう解釈が流れるんです。したがって、ネットではネット住人たちが今、どう思っているのかをすぐ知ることができる。
それは「いじめの構造」に非常に似ている。まず、誰をハブにするのか、誰を仲間はずれにするのかっていう「場の雰囲気」つまり「空気」が決まる。
空気によって判断がクラスの中で早めに固まる。そのときに一斉にそいつをいじめ始める。
なぜそいつをいじめるのかという理由もなく、なぜそんなことをするのかという疑問もなく、ただ「みんなの空気」に合わせることが人生の最重要問題なんです。
おそらく2007年の本当の流行語大賞は「空気読めない」ですよね。
唐沢 本当に「KY」(空気読め)が重要視されましたよね。
岡田 だから、いつのまにか、「ネット社会の空気を読むこと」がネット住人たちの最大の目的になってしまった。
でも、それはネット住人だけの話ではなく、おそらく今の日本人の最大の関心事なんですよ。
唐沢 それは、外での人間関係が希薄だからネットの中だけは共有したいという空気なのかな・・・・・・山本七平じゃないけれど、みんなと同じ空気の中にいたいっていう・・・・・・。
しかもその空気を共有していることによって何かが生まれるかというと何もない。「みんなが共有していることが大事」なんであって、その経路であるとか、真実かどうかに関しては全く何も問題にしない。
これはUFO関係の掲示板にデバンカーの人間が否定意見を(もちろん証拠を含めて)書き入れたときの、奇妙に白けた感覚と一致しますね。
みんなが「ある」って意識を共有しているところに、どうして反対意見を書き込むんだ、お前はこの場を壊すのか、という感情ね。
ガセであろうと何であろうと、ネットの中だとそういうひとつの意見を元にした「場」が実現しちゃうわけですよ。
岡田 ぼくらも既にそういうふうになっているんですよ。だから、何か情報がある。
例えばグルメの情報があったり、映画の情報があったりネットで検索する。そうすると、公式サイトを見るんじゃなくて、「解釈の記事」を読んじゃう。
つまり「その店に行った人はどう思っているのか」、もしくは「その映画を観た人はどう思っているのか」とか。
ところが、ネットの中にある情報というのは、映画を観た人とか店に行った人じゃなくて、『「店に行った人の記事」を読んだ人』とか「『店に行った人の記事を読んだ感想の記事』を読んだ人」とかいうふうに、
どんどん「解釈」のほうが増えているから、その「解釈」のほうをみんな「正解」だと思う。
おまけに、それがもし「不正解」だった場合、「情報元の公式サイトがそれを訂正しないのはケシカラン」という話になっちゃう。
つまり客観的に見ると「訂正責任は被害者の側にある」ということにされちゃっている。
これは人間性が低いからとか、頭が悪いからではなく、「ネット社会が持つ本質的な欠陥」なんですよ。
こういう感性に、ネットに繋がっているといつのまにか伝染して、罹患してしまう。
ぼくは自分が叩かれたからブロガーやネット社会の悪口を言いたいんじゃない。
ネットというものの本質的な構造欠陥の話であり、情報的に肥満してる人というのはその被害者だと思うんです。



ネットというストレス解消システム
唐沢 問題の本質よりも、対応とかそういう方に注意が集まっちゃうんだね。
ケンタッキーフライドチキンでゴキブリを揚げたという話、これはその情報をネットに書き込んだヤツが悪いに決まっているんだけれども、今ネットで炎上しているのは、ケンタッキーの対応についてでしょ。
「あの対応はよくない」とか「問い合わせたときに応対した人間が非常に良くない対応をした」とかそういうことでフレーミングが起こってしまっている。
肝心の「ゴキブリを揚げた」という情報が本当だったのかウソだったのかはいわゆる"悪魔の証明"で、無かったことを証明するのはまず不可能に近い。
でも、みんなはその不可能なことを突きつけて相手が困ることを喜んでいる。
編集部 ケンタッキー自体には大した影響はないんですよね?株価は下がるかもしれませんけど。
岡田 株価は一時的に下がるかもしれないけれど、大した影響がないのはケンタッキーという会社にとってであって、担当の店長とかには影響がある。彼の人生には影響があるかもしれない。
つまり、「かわいそうな誰か一人を破滅させることによって、みんなに巨大な損は発生せずにストレスを解消できるシステム」として、ネットは存在している。
唐沢 自分たちがやった行為で、誰かが落ちぶれる、仕事をなくす、誰かが高い地位を失う、というのが、彼らの唯一の社会へのつながりなんですよね。
岡田 だって、吉野家のバイトが「テラ丼」(原文ママ)作った話だって、そいつが仕事を辞めなくちゃいけないほど悪いことかって言ったらそうじゃない。
それで、非難に対する反論責任も反証責任も本人にあって、それも1対100万だから、一人相手にきちんと反論したとしても、100万人が揚げ足取るんだからさ、揚げ足の取りようっていくらでもあるわけだ。
それで、ネットをする人はその構造に気がついていない。
唐沢 だから、今まで生まれてから一回も「食べ物を粗末にするな」ということを言ったことのないような人間、ドリフのコントを笑っていた人間が、今回の件では一斉にそういうことを言い出すわけね。
偶然だけど思想史研究の芹沢一也さんが新聞で言ってました。「自己満足感に浸りつつ非を唱えられる対象を、血眼になって探している」のが今の社会だ、って。


(次号に続く)





場外乱闘掲示板



No. 104
唐沢盗作問題の新たな動きとレス
冒険風ライダー(館長) 2007/12/29(土)20時50分42秒
 今年の私的ベストキチガイ大賞となった唐沢俊一の盗作問題で、また新たな動きがあったようです。
 今月出版された(らしい)唐沢俊一&村崎百郎の対談本「社会派くんがゆく! 復活編」にて、唐沢俊一はこんなコメントをのたまったのだそうで↓

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/25.html

 盗作をやらかしているのは他ならぬ唐沢俊一の方なのに、あたかも自分の方が漫棚通信氏の被害者であると言わんばかりの主張を展開している上、幻冬舎の名で出された文書を「私信」と定義したり、「今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例として相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない」などという、どこかのダイエット教祖と似たりよったりな発言をたたき出したりと、なかなかに笑えるコメントを残しておられます(爆)。
 で、それに対する漫棚通信氏の反応はこちら↓

http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_3df8.html

 それにしても、我らが偉大なる大将軍様は、こんな唐沢俊一のどこを見て「ケアレスミスという釈明を信じる」などというタワゴトを吹聴しているのでしょうか? これがアルマゲドンその他のエンターテイメント作品やトンデモ評論家などであれば、嬉々としてツッコミを入れまくっているでしょうに。
 こんなのと(すくなくとも喧嘩はしない)関係を維持しなければならない理由が一体どこにあるのか、私としては疑問を覚えずにはいられないのですが。


No. 106
いやはや
平松重之 2007/12/30(日)00時59分13秒
<唐沢盗作問題>

 唐沢氏は、まず自分の脇なり褌なり兜の緒なり締め直した方がいいのではないでしょうかね(本人は締めているつもりなのかもしれませんけど)。こんな対応しか出来ない人が他者の事を腐したりトンデモ認定したりしても笑い話すらならないでしょう。


No. 109
「創」という雑誌で
幽斎 2008/01/08(火)08時43分10秒
 「創」で岡田と唐沢がネットをやっている連中は馬鹿だ
とかいってましたね。自分たちが叩かれる側に立つととた
んにこれでから。
 岡田の問題も唐沢の問題も客観的に見て二人が悪いのだか
らちょっとは反省したら?と思いますね。というかか岡田は
ミクシィの会員ですし、唐沢はユーチュブをベタぼめしていた
くせに。


No. 110
自爆なんじゃ
不沈戦艦 2008/01/09(水)02時03分55秒
>岡田と唐沢がネットをやっている連中は馬鹿だ

>岡田はミクシィの会員ですし、唐沢はユーチュブをベタぼめしていた

 反省というより自爆なんでは?

「ネットをやっている連中」の中に、自分たちが入っていないつもりなんですかねぇ。自分で自分に罵声浴びせてどうするんだろか。


No. 111
「自分が悪い」とすら認識していない方々
冒険風ライダー(館長) 2008/01/10(木)21時55分59秒
<岡田の問題も唐沢の問題も客観的に見て二人が悪いのだか
らちょっとは反省したら?と思いますね。>
<反省というより自爆なんでは?>

 当のご本人方は、そもそも「自分達が悪い」などとは微塵も認識していないでしょう(爆)。
 何せ、問題となっている「創」2008年2月号に掲載されている唐沢俊一と岡田斗司夫の対談では、例の盗作問題についてこんなことが本人の口から語られているわけですし↓

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/39.html
<唐沢:「ソースを確認しない」ということはありますね。私の、「新・UFO入門」関係の騒ぎについても、週刊誌はきちんと私の方の言い分を確認してきたけど、ネットでいろいろ論評していた人間で、「唐沢の見解はどうなのか」と尋ねてきた人は一人もいなかった。私のメールアドレスを知ってるはずの人でもね。
まず、唐沢が悪い、という前提から入る。中には「唐沢が言ってることは聞かない」と明言していた人までいた。>

 「まず、唐沢が悪い、という前提から入る」も何も、例の盗作問題で唐沢俊一が悪くない、と考えられる「と学会」関係者以外の人間がどこにいるのかを是非とも教えて欲しいところなのですけどね~(苦笑)。もちろん、あのキチガイ会長を筆頭とする「と学会」関係者は「唐沢俊一は悪くない」と心から信じることができるのかもしれませんが、一般人相手にそんなものを押しつけられては困りますな。
 前回の「社会派くんがゆく! 復活編」でのタワゴトといい、今回の件といい、唐沢俊一は反省どころか、自分こそが被害者だと本気で信じているのではありませんかね?

 ところで、「創」の対談では、岡田斗司夫の「いいめも騒動」についても言及されているらしいのですが、どんな内容なのでしょうか? こちらはこちらで、なかなかに楽しいことを囀っているらしいのですが。


<岡田はミクシィの会員ですし、唐沢はユーチュブをベタぼめしていたくせに。>

 情報を追加すると、唐沢俊一も「mixi(ミクシィ)」の会員ですね。
 「mixi(ミクシィ)」内では「裏亭」というHNで活動しているようです。もちろん山本弘・岡田斗司夫ともマイミク関係。


No. 112
「創」2008年2月号の対談について
冒険風ライダー(館長) 2008/01/14(月)03時05分05秒
 問題となっている「創」2008年2月号掲載の、唐沢俊一と岡田斗司夫の対談がネット上に転載されているようですね。
 なかなかに笑えるシロモノですので、こちらでも取り上げてみようかと思います。

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/39.html
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1199865402/155-162

<唐沢 いいめものクレームについての話はその後どうなったんですか。
岡田 あれについてオフィシャルな場所では全く何も発言してこなかったのは、今日のこの対談で話そうと思ってとっておいたの。
唐沢・編集部 おおー。
岡田 いや、興味深かった。というのは、ぼくは自分のデビュー作から出版社の許可をとりつつ、かなりの内容をネットで公開している。つまり、著作権についてアレコレ言うだけでなく、行動で示してきたつもり。
そんなヤツが「アイデアに著作権がある」なんて本気で思ってるわけがないんですよね。なのでネットで的外れな非難されても、あんまり気にならなかった。
 それより意外だったのは、「ブログの書き手というのは、ネットニュースを疑ってない」んですよね。いかにも怪しげなニュースサイトが一言書いただけで、みんなそれを「岡田が言ったことだ」と信じちゃう。それを元にブログを書く。>

 【「アイデアに著作権がある」なんて本気で思ってるわけがない】のであれば、岡田斗司夫は一体何の権利と根拠をもって、非営利サイトの「いいめも」にサービス停止などという要求を突きつけたのですかね? すくなくとも「いいめも」側は「著作権の侵害に当たる可能性が極めて高いと思います」という岡田斗司夫からの抗議があったから閉鎖したと言っていますし、またそれを論拠にしているからこそ、件の問題を報道していた「いかにも怪しげなニュースサイト」ことITmediaも「アイデアに著作権がある」と岡田斗司夫が主張していると解釈したのでしょうに。
 いいめも問題は、「岡田斗司夫が【著作権侵害を口実に】非営利サイトの閉鎖を要求した」というところから全てが始まっているものなのですから、【「アイデアに著作権がある」なんて本気で思ってるわけがない】だけでは何の釈明にもなっていないのですけどね。まさか【「アイデアに著作権がある」なんて本気で思ってるわけがない】にもかかわらず「著作権の侵害に当たる可能性が極めて高いと思います」と抗議していたとでもいうのしょうか?


<しかも、そのニュースサイトの書き方も、明らかに公正さを欠いた偏向っぽいというのは、ブログを書いた人たちだってわかっているのに。>

 それでは、その「明らかに公正さを欠いた偏向っぽい」報道を「いかにも怪しげなニュースサイト」ことITmediaが行っていたという証明を行っては頂けませんかね?
 当然、これに関するソースはあるんですよね? 自分達はこんな偉そうなことをのたまっているわけですし↓


<唐沢 「ソースを確認しない」ということはありますね。私の、「新・UFO入門」関係の騒ぎについても、週刊誌はきちんと私の方の言い分を確認してきたけど、ネットでいろいろ論評していた人間で、「唐沢の見解はどうなのか」と尋ねてきた人は一人もいなかった。
私のメールアドレスを知ってるはずの人でもね。まず、唐沢が悪い、という前提から入る。中には「唐沢が言ってることは聞かない」と明言していた人までいた。
岡田 週刊誌もゼロだったし、どこかで記事を読んだ読者から個人的にメールが来るというのもゼロだったの。すごいよね。
唐沢 無名の読者ならともかくとして、著名な作家とか評論家とか名前がある人で今回の件に言及している人も、一切コンタクトしてこないし、そもそも私のサイトも見ない。
真偽を確かめようともせず、叩く側の文面をそのまま引っ張ってきて、それを見た人がまた別の記事を書く、というように拡大再生産している。それだけなんですよね。>

 盗作問題に関する「唐沢の見解」とやらは、唐沢俊一が自分のブログに掲載していたこれらの投稿で9割方分かるのですが↓

http://www.tobunken.com/news/news20070530155748.html
http://www.tobunken.com/news/news20070801103444.html
http://www.tobunken.com/news/news20070803110042.html

 他にも日々のブログで盗作問題について言及しているものもありましたし、普通はこれらを見れば「これが唐沢の見解なのだな」と誰もが判断するわけで、この上わざわざ唐沢俊一本人に何か尋ねなければいけないことがあるとでもいうのでしょうか。まさか、「ブログに掲載している文章は自分の本当の見解ではない」などとは、いくら恥知らずの唐沢俊一でも主張しないでしょうし(苦笑)。
 ちなみに、「きちんと私の方の言い分を確認してきた」と唐沢俊一が誉めていらっしゃる週刊新潮も、もう一方の当事者たる漫棚通信氏に関しては本人に直接会って見解を聞いてきたわけではなく、ネット上の文章を引用していただけだったのですが、唐沢俊一の論法ではそれは問題ではないのでしょうか(笑)。まさに「真偽を確かめようともせず、叩く側の文面をそのまま引っ張ってきて、それを見た人がまた別の記事を書く」そのものだと思うのですけど(爆)。


<岡田 どうしてこういうことになるのか、考えてみたんです。自分がここまで叩かれなかったら、こんなに真剣に考えなかったでしょうね。
その意味ではいい機会でした。わかったことはね、彼らは「反証責任は岡田にある」と思っているんですよ。
つまり、「疑いをかけられた」とか「今叩かれだした」とすると、「言われた人は反論するはずだ」と。
 つまり、岡田斗司夫は叩かれた。「それじゃ岡田斗司夫のサイトを見に行こう。もし、やましいことがなかったら反論があるはずだ」「反論がないのはアイツの責任だから、叩かれても仕方ない」となる。
 これは、面白い思考経路だな、と思ったの。おまけに、ぼくは自分が叩かれて、自分がついこの間まで同じ思考経路をたどっているのに気がついた。ぼくも含めて、「ネットをやっている人間はバカになる」なんですよ。
唐沢 確かに、一言で言うとそうなりますね。カゲキだけど(笑)>

 こういうことが「ネット特有の現象である」と考えられるとは、岡田斗司夫も唐沢俊一もなかなかにおめでたい頭の構造をしているようですな。そんな現象はネットから離れても見ることができるのですが。
 たとえば冤罪事件などでは、被疑者に対して「疑いをかけられた」「今叩かれだした」ということが行われるわけですが、不当な冤罪をかけられた被疑者は、自分の無実を証明するための「反論」をすることがしばしば発生します。それをしなければ、不当な冤罪によって自分の名誉およびその他の利益が傷つけられることになり、場合によっては一生を棒に振ることすらあるわけですから、これは当然のことです。
 「疑いをかけられたら【自分の名誉や利益を守るために】反論する」というのはネットが誕生するはるか以前から存在する概念ですし、「疑いに反論しなかったら、疑いを認めたことになる&そう周囲に解釈される」というのもまた、ネットの誕生とは無関係に成立している考えです。ネットとは全く無関係な考え方に対して「ネットをやっている人間はバカになる」などと断定するとは、この2人、頭がどうかしているのではありませんかね?


<岡田 ぼくも含めてバカ。ネットはバカの感染力を高める。これが本当にぼくはショックで、しばらくネット断ちしたのはこれが原因なんですよ。
 ネットをやっていると、あまりに情報がたやすく手に入るから、「情報が手に入らないのは、情報を出してくれないヤツの責任だ」と思っちゃう。
唐沢 もう本能的にそう思っちゃうんですよね。「自分に不便」とか「自分の欲しい情報がない」というのは「情報を出さないヤツが悪いんだ」となる。
あまりに簡単に情報が手に入ることに慣れきっちゃったせいでしょうが。>

 すくなくとも君ら2人が引き起こした事件の場合、問題となっているのは「情報が手に入らない」ことではなく、きちんとした釈明、場合によっては「相手の主張を覆すだけの証拠を揃えた上での反論」をしないことにこそあるのですけどね。具体的に言えば、唐沢俊一の事例では「盗作の事実を認めた上で謝罪する」、岡田斗司夫の方は「『いいめも』の著作権侵害云々の主張の正当性を、たとえばメールの公開等で覆した上で客観的な説得力を持つ真相を語る」といったことをやらないからこそ叩かれているわけで。
 前述しましたけど、「疑いをかけられたら【自分の名誉や利益を守るために】反論する」ことをしない人間は、周囲から「自分にかけられた疑いを認めている」と見做されても文句は言えないのですよ。それを無視して「情報が手に入らない」云々に話をスライドしようとしたところで無意味だと思いますけどね~。


<唐沢 とにかく彼らは、真実の追求だとか、相手の言い分がどうだとかそういうことはどうでもよくて、とにかく「今、その情報がどのような扱われ方をしているか」にしか興味がない。
そして、その扱われ方に乗ることだけを考える。
岡田 彼らは「新しいネタが欲しい」とか「新しい騒ぎが欲しい」「日頃の憂さを晴らす対象を欲しい」と言ってるだけ。
ぼくもこの騒ぎが起こったときに関係者からすぐ言われたのは、「一切情報を出さないのが一番いい」ということ。
それは何でかっていうと、ちゃんと説明して沈静化させることより、放っておいて冷めるほうが早いから、だと。
唐沢 何か言うと、また燃料投下したことになって燃え上がっちゃう。
これまさに私が幻冬舎の法務担当者に言われたのと同じで、「言い訳したところで何もならない。法律上やるべきことをやるだけがあなたの義務で、それ以外には何も義務はないですから」ということを再三言われましたね。>

 こんなバカげた対談を展開して燃料投下しまくっていることを棚に上げて「一切情報を出さないのが一番いい」も何もないでしょうに(苦笑)。唐沢俊一に至っては、「社会派くんがゆく! 復活編」でもタワゴトをほざきまくっていますし(>_<)。
 それに、「燃料投下で大炎上」は確かに見た目が派手で厄介なものではあるでしょうが、「放っておいて冷めるのを待つ」というのもそれはそれで間違った対処法としか言いようがないのですけどね。長期的には確実に信用が落ちますし、将来別の問題が発生した際にまた蒸し返され、より多くの人の目に止まる、という危険性も存在するのですから。なまじ目に見える変化ではないだけに傍目には分かりにくいでしょうが、時間が経てば経つほど、こちらの方が社会的な損害は大きくなります。
 私が以前に応対した「らいとすたっふ」もそうでしたけど、自分達の不祥事に対してひたすら沈黙を守る、ということがどれだけ長期的な己の信用を失墜させるのか、ということの恐ろしさが、この2人も全く分かっていないのではありませんかね? まあこの2人の場合、わざわざこの時期にしなくても良い燃料投下をやりまくることで、結局は自分達自身の「一切情報を出さないのが一番いい」という主張すらも打ち砕いているわけですが(笑)。


<岡田 今のネットの最大の目的は何かっていうと、「みんなが何を考えているのか知ること」なんですよ。
『ぼくたちの洗脳社会』の中で書いたんですけれども、「情報社会の本質というのは、情報が流れるのではなくて、情報に対する解釈が流れる社会」、つまり「それをどう思うのか」が流れる。
だからこの場合、「岡田斗司夫は悪いに違いない」っていう解釈が流れるんです。したがって、ネットではネット住人たちが今、どう思っているのかをすぐ知ることができる。
それは「いじめの構造」に非常に似ている。まず、誰をハブにするのか、誰を仲間はずれにするのかっていう「場の雰囲気」つまり「空気」が決まる。
空気によって判断がクラスの中で早めに固まる。そのときに一斉にそいつをいじめ始める。
なぜそいつをいじめるのかという理由もなく、なぜそんなことをするのかという疑問もなく、ただ「みんなの空気」に合わせることが人生の最重要問題なんです。
おそらく2007年の本当の流行語大賞は「空気読めない」ですよね。>

 これって、君ら2人が所属している「と学会」の中で日常茶飯事的に行われていることなのでは?
 まあ「と学会」内部では、自分達の利害が絡むかどうかで叩く対象を恣意的に決めている「みんなの空気」に合わせることが人生の最重要問題なのかもしれませんが、そんな得手勝手かつダブルスタンダードな「と学会」の連中がいつもやっていることをネットに投影しないで頂きたいですね。ネット世界は、すくなくともキチガイ会長と盗作評論家と著作権クレーマーなどよりははるかに利口にできていますので。
 それと、以前に私が岡田斗司夫のブログに遠征して、唐沢俊一の盗作問題について質問した投稿を速攻で削除したり、いいめも問題で抗議の投稿が殺到した際にブログのコメント欄を抹消したりしていたのは、俺達の不祥事を話題にするなという「空気」を読まずに「場」を乱したからなのでしょうか(苦笑)。


No. 113
詳しいことは
幽斎 2008/01/14(月)15時42分19秒
どうも次回に、いいめもについて詳しく話すみたい
ですよ。
 どんな言い訳をするかワクワクします。


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