管理人さんのコンテンツ見て、思ったこと書きます。
コンテンツ自体に対する批判も思ったより少ないみたいですので。以下その内容です。
これは、誰かのいってたことと重複しますが、やっぱ小説の中に評論入れることってそんなにだめですか?江戸時代ほどでないにしても、今の日本でもそれほど言論の自由があるとも思えないし、まして管理人さんが例に出してた小林よしのり氏なんか命がけでしょう。田中氏が自分の得意な小説の中に自分の評論ぶちまけても、そのこと自体は許容してやってもいんじゃないかって思いますね。手法は自由な方がいろんな言説が聞けていいんじゃないかと思いますし。
むろんその評論内容がおかしいと思えば批判すればいいのですけど。
そしてコンテンツの「4.小説だったら許される?」についてなんですけど、これはひどい。田中氏が社会批評をフィクションとして逃げをうっているのは事実にしても、ある特定の人物を、全くの創作によって貶めるようなことをしてましたっけ?「保守党」の議員の一人を悪辣な人間として描き出すのとは訳が違うと思いますけど。
管理人さんも今忙しそうなので、お暇なときにでもお考えを聞かせていただければうれしいです。
>これは、誰かのいってたことと重複しますが、やっぱ小説の中に評論入れることってそんなにだめですか?江戸時代ほどでないにしても、今の日本でもそれほど言論の自由があるとも思えないし、まして管理人さんが例に出してた小林よしのり氏なんか命がけでしょう。田中氏が自分の得意な小説の中に自分の評論ぶちまけても、そのこと自体は許容してやってもいんじゃないかって思いますね。手法は自由な方がいろんな言説が聞けていいんじゃないかと思いますし。
覚悟がないなら評論なんてするものじゃないと思いますけどね。小説の物語を壊してまでするのならなおさら。私はこの掲示板でドストエフスキーをたびたび評価していますけど、それは小説として、物語として、評論よりも鋭く社会を描いているからです。評論を入れなければ社会を描けないのはレベルが低い証拠でしょう。
そもそも「今の日本でもそれほど言論の自由があるとも思えない」という、覚悟のなさからイレギュラーOKといったら、まるで花井夫人ではないですか。
>そしてコンテンツの「4.小説だったら許される?」についてなんですけど、これはひどい。田中氏が社会批評をフィクションとして逃げをうっているのは事実にしても、ある特定の人物を、全くの創作によって貶めるようなことをしてましたっけ?「保守党」の議員の一人を悪辣な人間として描き出すのとは訳が違うと思いますけど。
ひどいのは当然です。そういう風に書いているのですから(「諷刺」「フィクション」と言っておけば田中芳樹理論的にOKかな(笑))。問題は「ある特定の人物」というところにあるのではないですよ。
>管理人さん
レスありがとうございます。それから私もコンテンツについて書く前にまず自らのスタンス、というか田中歴を書いておくべきでした。
田中作品といえば、アルスラーンが最初で、銀英伝にはまり、創竜伝で・・・買うのをやめました(人から借りて10巻まではなんとか読みましたが)。
ですから、ことさら田中氏を擁護する気もありませんし、管理人さんの言ってることにもあらかた同意できます。が、それだけにコンテンツの一部に気になるところもあり、まずそれを書いてみました。
> 覚悟がないなら評論なんてするものじゃないと思いますけどね。小説の物語を壊してまでするのならなおさら。私はこの掲示板でドストエフスキーをたびたび評価していますけど、それは小説として、物語として、評論よりも鋭く社会を描いているからです。評論を入れなければ社会を描けないのはレベルが低い証拠でしょう。
そもそも「今の日本でもそれほど言論の自由があるとも思えない」という、覚悟のなさからイレギュラーOKといったら、まるで花井夫人ではないですか。
イレギュラーOKとは言ってません。イレギュラーする田中氏のようなチキン野郎がいてもいいじゃないか、という主旨だったのですが、管理人さんの目的が「田中芳樹を撃つ!」である以上、この問いかけは的はずれでした。
それからドストエフスキーってたしかシベリアに流刑されたんですよね。今の日本ほど言論の自由がある国はない、ってことも留意すべきことでした。
> ひどいのは当然です。そういう風に書いているのですから(「諷刺」「フィクション」と言っておけば田中芳樹理論的にOKかな(笑))。問題は「ある特定の人物」というところにあるのではないですよ。
田中氏に関してはことの大小にすぎないかもしれません。でも管理人さんのコンテンツが、田中氏もやっていないような方法で田中氏を貶めてることが問題だと思うのです。管理人さんが「これ、ひどいでしょ。田中氏がやってることって、こんなひどいことなんですよ」という手法で批判を展開してるのはわかりますが、目的で手段が正当化されるわけでもない。コンテンツ「4.」は批判の枠を越えて誹謗中傷の域に達してるのではありませんか?(あ、前のチキン野郎って言葉、訂正します。>覚悟のない人へ変更(笑))
・・・覚悟の上でやってるんだ、と言われれば返す言葉はありませんが。
方法論としてもまずくないですか?これを見た田中ファン(管理人さんの定義の)は「そうかー田中芳樹ってこんなひどいことしてたのね」とは思わずに「石井由助ってひどいこと書く奴だな。ゆるせん!」って思うんじゃないかな(笑)
まだコンテンツについて書きたいこともありますが、次にします。
>heinkelさん
<管理人さんのコンテンツが、田中氏もやっていないような方法で田中氏を貶めてることが問題だと思うのです。管理人さんが「これ、ひどいでしょ。田中氏がやってることって、こんなひどいことなんですよ」という手法で批判を展開してるのはわかりますが、目的で手段が正当化されるわけでもない。コンテンツ「4.」は批判の枠を越えて誹謗中傷の域に達してるのではありませんか?>
これは田中芳樹が「ある特定の人物を、全くの創作によって貶めるようなことをしているか」ということでしょうか?
それなら立派にやっております(^^)。
創竜伝9 P160上段
<安楽椅子に身を沈めた男が笑った。小森と同年輩で、銀髪に黒縁眼鏡をかけ、りっぱな顔だちをしている。だがその立派な顔が身体に較べて大きすぎるので、全体のバランスはとれていなかった。彼は発行部数一〇〇〇万部を誇る国民新聞の社長で、稲垣という名だった。国民テレビの会長でもあり、プロ野球とプロサッカーのチームを持ち、「マスコミの帝王」とか「プロ・スポーツ界の首領」とか呼ばれている。保守党の政治家や巨大な宗教団体の教祖などと親しく、つねに超タカ派の論陣を張り、保守党の宣伝機関をつとめていた。>
↑上記の文章は、どう考えてもモデルは読売新聞の某社長でしょう。それに「保守党の政治家や巨大な宗教団体の教祖などと親しく」とか「つねに超タカ派の論陣を張り、保守党の宣伝機関をつとめていた」というのはどうも創作としか思えないのですが。
他にも小沢一郎や中曽根元総理、それから社会評論で塩野七生氏など、「明らかに特定の人物がモデルで、しかも全くの創作で貶められているキャラクター」は創竜伝にはかなりいますよ。
だから管理人さんの「本論4」の手法は管理人さんの創作ではなく、完全に田中芳樹からの引用です。ちなみに私が見たところ、「本論4」の元ネタは主に9巻から取っているようです(^-^)。
> いえいえ、しているか、ってことに対しては「田中氏に関してはことの大小にすぎないかもしれません」と書いたとおりで、創竜伝の記述のひどさは私も認めるところなので、そのひどさの程度問題を論じたいわけではありません。
> 「完全に田中芳樹からの引用」にすぎなくとも、管理人さんがそのやり口を真似ることもないんじゃないか、と思ったわけです。なんかミイラ取りがミイラにって感じがしたんです。
私もあれがイレギュラーであることは重々認識しています。また、出来るだけ乱用しないようにとも思っています。しかし、イレギュラーであることを承知の上で、確信犯としてああいうことはやっておかなければならないと思っています。あの「小説だったら許される?」を読んで私に対して怒ってもらって結構。問題は、その怒りの内容をどう考え、どう推敲するかです。よく考えれば、私に対する怒りがそのまま田中芳樹に返ることはリアルにわかるはずですから。
>冒険風ライダーさん
>これは田中芳樹が「ある特定の人物を、全くの創作によって貶めるようなことをしているか」ということでしょうか?
それなら立派にやっております(^^)。
いえいえ、しているか、ってことに対しては「田中氏に関してはことの大小にすぎないかもしれません」と書いたとおりで、創竜伝の記述のひどさは私も認めるところなので、そのひどさの程度問題を論じたいわけではありません。
「完全に田中芳樹からの引用」にすぎなくとも、管理人さんがそのやり口を真似ることもないんじゃないか、と思ったわけです。なんかミイラ取りがミイラにって感じがしたんです。
田中氏の批評が主眼なので、そのための有効な方法ではあるんですけど、一応の節度は必要じゃないですか。過去ログを見ていてコンテンツ4.の手法が他の人にいろいろ「応用」されてるのを見て、ちょっと痛いな~、と思った次第です。冒険風ライダーさんは直球勝負で、見ていてすがすがしいですけどね。
とはいえ、せっかくですので引用された創竜伝の描写に対する私の感想など書いてみます。
>創竜伝9 P160上段
<安楽椅子に身を沈めた男が笑った。小森と同年輩で、銀髪に黒縁眼鏡をかけ、りっぱな顔だちをしている。だがその立派な顔が身体に較べて大きすぎるので、全体のバランスはとれていなかった。彼は発行部数一〇〇〇万部を誇る国民新聞の社長で、稲垣という名だった。国民テレビの会長でもあり、プロ野球とプロサッカーのチームを持ち、「マスコミの帝王」とか「プロ・スポーツ界の首領」とか呼ばれている。保守党の政治家や巨大な宗教団体の教祖などと親しく、つねに超タカ派の論陣を張り、保守党の宣伝機関をつとめていた。>
> ↑上記の文章は、どう考えてもモデルは読売新聞の某社長でしょう。それに「保守党の政治家や巨大な宗教団体の教祖などと親しく」とか「つねに超タカ派の論陣を張り、保守党の宣伝機関をつとめていた」というのはどうも創作としか思えないのですが。
他にも小沢一郎や中曽根元総理、それから社会評論で塩野七生氏など、「明らかに特定の人物がモデルで、しかも全くの創作で貶められているキャラクター」は創竜伝にはかなりいますよ。
ん~、国民新聞社長。これは創作と言うより、サヨクさんやアンチ巨人が抱くナベツネに対するイメージの寄せ集めって感じがしましたね。読んだ当時は、阪急ファンの情念が書かせたものであろうと想像しました(笑)。これはむしろ風評をおりまぜて小説中でイメージ操作してる分、よけいにたちが悪い。
さらにひどいのが塩野七生氏のところですね。これは創作でなく事実を論評してたと思いますが、だからこそ、名前を出さずに(ある女性作家、でしたっけ?)、小説中で論評するなどまさにチキ、いや姑息なやり方ですな。
それから小沢一郎ですが、うーこれは「醜悪な顔の保守党幹事長」ですか?これは読んでた当時もモデルだとは思わなかったなー、だってひどすぎるもの(笑)
小沢氏は、こないだの民主党党首選で護憲派の横路さんにほめられてるくらいリベラルですし(笑)いわく、小沢氏はこの50年間の憲法論議をちゃんとふまえている、と。
あれが小沢氏がモデルだとすると、小沢氏が野党の党首から「あんたの憲法改正案はなまぬるい」と言われるような世紀末に、田中氏はどんな感想を抱いていることでしょう。
<田中氏の批評が主眼なので、そのための有効な方法ではあるんですけど、一応の節度は必要じゃないですか。過去ログを見ていてコンテンツ4.の手法が他の人にいろいろ「応用」されてるのを見て、ちょっと痛いな~、と思った次第です。>
あの「本論4」は管理人さんも仰っている通り、確信犯的に書かれているものですから「誹謗中傷」のように見えても不思議ではないでしょうが、そもそも最初に「一応の節度」というものを何らわきまえず、愚劣な社会評論やストーリーを創竜伝に書いているのは田中芳樹の方です。
さらに田中芳樹は、いろいろな作品中で「礼儀を守らない奴に礼儀を守る必要はない」などと、散々「自己投影されたような」キャラクターたちに言わせております。
この2つから総合すると、創竜伝であれほど「礼儀をわきまえず」好き勝手にやっている田中芳樹は、当然同じことをされても文句は言えないわけです。「礼儀を守らない奴に礼儀を守る必要はない」という自らの言動に、責任をとってもらわなければならないでしょう。
だから私は、ファンだけでなく、田中芳樹自身に自らの醜悪さを思い知らせるためにも、あのテの描写もアリだと思っています。私も「軍事関連特集」で「田中芳樹的こき下ろし」を田中芳樹自身に返していましたしね。
<それから小沢一郎ですが、うーこれは「醜悪な顔の保守党幹事長」ですか?これは読んでた当時もモデルだとは思わなかったなー、だってひどすぎるもの(笑)>
創竜伝の「保守党幹事長」というのは2人いまして、4巻と5巻とでは別人なんですよね。小沢一郎がモデルの幹事長は5巻のほうです。
<小沢氏は、こないだの民主党党首選で護憲派の横路さんにほめられてるくらいリベラルですし(笑)いわく、小沢氏はこの50年間の憲法論議をちゃんとふまえている、と。
あれが小沢氏がモデルだとすると、小沢氏が野党の党首から「あんたの憲法改正案はなまぬるい」と言われるような世紀末に、田中氏はどんな感想を抱いていることでしょう。>
散々後悔していると思いますよ(笑)。さすがに社会評論はまずいと思ったのか、創竜伝11と「東京ナイトメア」では、ロクに社会評論を論じていませんでしたからね~(^-^)。
もっとも、さして改心しているわけでもないらしいというのは、創竜伝文庫本の対談と座談会を見れば一目瞭然ですが。
>冒険風ライダーさん
>「礼儀を守らない奴に礼儀を守る必要はない」という自らの言動に、責任をとってもらわなければならないでしょう。
>だから私は、ファンだけでなく、田中芳樹自身に自らの醜悪さを思い知らせるためにも、あのテの描写もアリだと思っています。私も「軍事関連特集」で「田中芳樹的こき下ろし」を田中芳樹自身に返していましたしね。
私的には管理人さんの認識も聞けたので、本論4も「アリ」かもね、と認めてしまいます。でも、竜堂家と違って、「礼儀を守らない奴にも礼儀を守る」を家訓としようではありませんか(笑)
>もっとも、さして改心しているわけでもないらしいというのは、創竜伝文庫本の対談と座談会を見れば一目瞭然ですが。
評判の?文庫版創竜伝10の対談を読んでみました。改心してるどころか、ますます・・・。
>竜堂家と違って、「礼儀を守らない奴にも礼儀を守る」を家訓としようではありませんか(笑)
その通りですね。竜堂兄弟の「相互主義」とやらを突き詰めていくと無制限の暴力になることは歴史が証明しているところです。ナチズムやスターリニズムを「歴史に学」んでいるのならば、こんなバカげた事は言えないはずなんですけどね。
というか、「迫害されたものが迫害されたが故に最後に報われる」という創竜伝の構造は、牛種の聖典である「旧約聖書」の構造そのものじゃないですか。
>こんなバカげた事は言えないはずなんですけどね。
あの台詞も竜堂兄弟じゃなければまだいいんですけどね。彼らが言うと、管理人さんのような感想を抱いてしまいます。
「降りかかる火の粉は払わねばならぬ」もケンシロウのみOK。
>牛種の聖典である「旧約聖書」の構造そのものじゃないですか。
旧約聖書の構造まで牛種に託しているわけではないでしょうから、敵の聖典の構造にはまっていても問題はないのでは。・・・しかしこの辺、かなりヤバめのネタですね。「キリスト教徒(及びユダヤ教徒、イスラム教徒)さん、あんたらの拝んでるのは牛のバケモノです」って設定でしょ。
田中氏分かってやってんのかなあ。長銀買収の陰にユダヤ資本あり、と書いた週刊誌が早速ユダヤ人団体の抗議を受けてましたが、創竜伝なんて抗議どころの話ではないのに・・・フィクションでも許されない?
それはさておき、田中氏の、西洋の侵略的性格の陰に一神教あり?っていう単純な見解もどうかと思う。
アルスラーンもその筋で書かれてるけど、そこを問題とする人は少ないようですね。
> >牛種の聖典である「旧約聖書」の構造そのものじゃないですか。
> 旧約聖書の構造まで牛種に託しているわけではないでしょうから、敵の聖典の構造にはまっていても問題はないのでは。
よく、田中作品に「全知全能の神なのに敵を改心させることも出来ずに殺す」とか、そういうキリスト教(というかセム系宗教全部だが)の矛盾を突くような批判が出てきますよね。
私はセム系宗教信者ではありませんから、聖書は妄想体系だと思います。矛盾だらけです。そもそも唯一絶対の存在であるはずの神に「エホバ」なんて固有名詞があること自体、論理的に変です(余談ですが、アラブ人はさすがにこのあたり論理的で、神に固有名詞はありませんね。アラーというのは英語にすればザ・ゴッドですから、本来「アラーの神」という言い回しはおかしいわけです。世界の宗教を寄せ集めたような変な新興宗教がアラーとエホバを別の神として同列にあがめている様については、いわずもがな)。ですが、その妄想の上にいくつもの思想が築かれ、その中で数千年にわたって何億もの人が暮らし、それがヨーロッパ世界を構築してきたのです。田中芳樹が大好きな民主主義も個人思想もそこから派生してきたものです。
まあ、この部分に関してはどちらかといえば評論というより小説ですから、あまり批判するのも大人げないですが、キリスト教に対する評価があまりに偏っているように思えますね。極端に言えば、キリスト教を全否定するのであれば、民主主義を含む西洋文明を全否定しなければならないわけですが… 民主主義や個人主義の病的信者である竜堂兄弟は戦わずして牛種に負けている?(笑)
・・・しかしこの辺、かなりヤバめのネタですね。「キリスト教徒(及びユダヤ教徒、イスラム教徒)さん、あんたらの拝んでるのは牛のバケモノです」って設定でしょ。
絶対小渕氏が言い返せない立場なのを良いことにわざとらしくイヤミをとばすセンセですが、これも同じじゃないですか。西洋の覇権主義を批判するためにキリスト教を選んでいる側面もあるでしょうが、それよりもキリスト教が「金持ち喧嘩せず」的な良識宗教化している足元を見て、絶対おかしな事をされないと踏んで書いているんでしょう。主敵はイスラム教でも良いようなものですが、ほら、あそこはヤバイから……
民主主義だ言論の自由だ人権だと言ってどうせ反体制を気取るなら、フィクションでも良いから筑波大の五十嵐先生(悪魔の詩訳者)殺害の犯人を推理するとか、実行犯を操っている黒幕(イランでしょうな)と対決するとかしてくださいよ。