>優馬さん
<いえ、「怨霊信仰」の方です。
確か戯画的にですが、憂国騎士団とかが「英霊に申し訳ないと思わんか!」みたいなことを煎っていたような記憶があるもので。(手元にテキストがなくてすみません。)カリカチュアライズされていても、そういう発言が「正論」として「同盟」の社会ではまかり通っていたようですし。>
憂国騎士団が自己主張している個所と言えば、銀英伝1巻における慰霊祭でのヤンの態度についてのやり取りぐらいしか思いつかないのですが、同盟におけるそういう類の言動は「怨霊信仰」から生まれたものではありません。
「怨霊信仰」というのは「不慮の死を遂げた死者の祟り」を恐れる思想で、有名なものとしては、朝廷から追放(左遷?)された菅原道真の死後、彼の祟りを恐れた当時の朝廷が彼に高位の官位を与えたという事例があります。つまり「怨霊信仰」とは「死者それ自体」に対する恐れがあるからこそ成立しえるものであるわけです。
しかし同盟の場合は「死者の祟り」などよりも、戦争犠牲者が出る事によって発生する現世における利害関係によるものが大きいでしょう。戦争で大量の犠牲者を出しておきながら「和平」を求めるとなると、当然の事ながら「遺族の感情」が満足しませんし、時の政府と軍部は「間違った戦争」を遂行して大量の犠牲者を出した責任を取らされる事になります。それを恐れるために、大量の犠牲者に見合うだけの「何らかの成果」を挙げなければ「和平」ができないという心理的圧迫があるわけです。
これはギャンブルとよく似たところがあって、大損を取り戻すという「メンツ」と「損得感情」のために借金してさらに大損をするという悪循環と、構造的に同じものがあります。歴史的にもそういう発想で無用の戦争犠牲者が大量に発生した国は多いですね。戦前の日本とアメリカのベトナム戦争にその典型例が見られます。
井沢元彦氏が唱えている思想を同盟の当てはめて考えるのであれば、「怨霊信仰」よりも「言霊思想」の方が余程当てはまるのではないかと思うのですけどね。
>平松さん
<ヤンは権力や武力を軽蔑していたというより、それらを手に入れた人物が独善的または驕慢な心理に陥っていくという過程とそれによってもたらされる結果を恐れていたのだという事が分かります。ケガレ思想というよりも、こういった恐怖から生まれた自制心が、ヤンが個人的に政治に対して距離を置く要因の一つとなっていたのでしょう。>
しかしヤンは「自分が口を出さないと事態がさらに悪化する」という時ですら政治や軍事に口を出す事を拒否していましたよね? 末期の同盟は、政府と軍部の暴走のためにとても「民主主義」の名に値するような状況にはなかったのですから、むしろヤンが権力を握った方が却って「民主主義擁護」のためには良かったと思うのですけど。ヤンが暴走しなくとも、政府と軍部が暴走してしまったら結局は同じだったでしょうに。まさかヤンは自分さえ暴走しなければ民主主義が擁護できると本気で考えていたのでしょうか?
それに普通の民主主義国家においては、そのような「政府や軍部の暴走」を防ぐためにこそ議会の存在があるのです。だから同盟の民主主義におけるチェックシステムがまともに機能していたのであれば、ヤンがそのような心配をする必要は全くなかったはずなのですが。
本当に同盟ってまともな民主主義国家だったのでしょうか?
<ジョアン・レベロもヤンが権力・武力を手に入れて変貌を遂げ、第二のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムになるのではないか、というヤンと同じ懸念を持っていましたが、片や自制心、片や猜疑心と、まったくかみ合ってませんね。ヤンと政府との相互不信については、もしバーラトの和約後の最高評議会議長に愚直なレベロではなく、図太さを持ったホワン・ルイが就任していたら大部分は解決していたかも知れません(これは反銀英伝のネタになりそうですね)。>
確かにホワン・ルイが最高評議会議長に就任していたら、すくなくともあそこまで同盟政府が暴走する事もなかったでしょうね。彼はヤンに対してある程度の理解を示していましたし。
しかしレベロの猜疑心にしても、もしヤンがその手の内の全てとは言わずとも一部をレベロに明かし、「私を信用してくれ。これは同盟存続のために必要な策だ」とでも言ってレベロの信頼を取りつけておけば、事前に防止する事も充分に可能だったのではないかと思うのですけど。レベロの猜疑心は、ヤンの人柄と思想についてほとんど知らなかったのが最大の原因だったのですから、単に自分を理解させれば良いだけではないですか。利害関係や個人的感情などは何も絡んでいなかったのですから容易な事だったはずです。
しかしヤンはその手の猜疑心を抑える努力を全く何もしていません。民主主義を本当に存続させるつもりであったのならば、そしてシビリアン・コントロールに本当に忠実であろうとするのであれば、政治家との相互信頼関係を築く事は必要不可欠であったはずなのですが。
同盟の滅亡には、確実に「ヤンの政治不信」が原因のひとつに数えられるでしょう。しかしそのあたりの責任を、ヤンが全く自覚していないようにしか見えないのはどういうことなのでしょうか。
冒険風ライダーさん
> しかしヤンは「自分が口を出さないと事態がさらに悪化する」という時ですら政治や軍事に口を出す事を拒否していましたよね? 末期の同盟は、政府と軍部の暴走のためにとても「民主主義」の名に値するような状況にはなかったのですから、むしろヤンが権力を握った方が却って「民主主義擁護」のためには良かったと思うのですけど。ヤンが暴走しなくとも、政府と軍部が暴走してしまったら結局は同じだったでしょうに。まさかヤンは自分さえ暴走しなければ民主主義が擁護できると本気で考えていたのでしょうか?
同盟の組織的な腐敗は、少なくともヤンの時代の半世紀前位にはすでに始まっていたと思います。外伝の四巻には、宇宙暦728年に帝国から亡命してきたジークマイスター提督は同盟政府の腐敗と矛盾に失望した、と書かれていましたし。また、第二次ティアマト会戦で戦死した英雄ブルース・アッシュビー提督の死にも、彼の退役後の政界転出を恐れた同盟政府の陰謀説があります。こういった点から、ヤンは歴史家としての視点から同盟の未来に見切りをつけていたのではないでしょうか。「政府の腐敗はもはや何十年も前から続いており、もはや手がつけられない。どうせ国家はいつか滅びる。大事なのは国家ではなく、思想を守る事だ」
この諦観めいた認識と、ヤンの自制心・怠け根性が複雑にからまった結果として、ヤンは政治に口を出さなかったのでしょう。まあ、公人としては褒められた行動ではないでしょうが。
> それに普通の民主主義国家においては、そのような「政府や軍部の暴走」を防ぐためにこそ議会の存在があるのです。だから同盟の民主主義におけるチェックシステムがまともに機能していたのであれば、ヤンがそのような心配をする必要は全くなかったはずなのですが。
> 本当に同盟ってまともな民主主義国家だったのでしょうか?
これについては、同盟には立法府に相当する機関の記述がないのは確かですね。あるいは、ルドルフによる民主主義運動家の大量虐殺や焚書などで、議会制民主主義の定義が後世に精確に伝わらなかったのかもしれません。それによって、同盟は新しく民主主義の定義を定め直さなければならなかったのでは?いわば同盟の民主主義は「同盟型民主主義」とでも言える未知の民主主義思想なのかも…。(強引な論法ですみません(^_^;))
> 確かにホワン・ルイが最高評議会議長に就任していたら、すくなくともあそこまで同盟政府が暴走する事もなかったでしょうね。彼はヤンに対してある程度の理解を示していましたし。
> しかしレベロの猜疑心にしても、もしヤンがその手の内の全てとは言わずとも一部をレベロに明かし、「私を信用してくれ。これは同盟存続のために必要な策だ」とでも言ってレベロの信頼を取りつけておけば、事前に防止する事も充分に可能だったのではないかと思うのですけど。レベロの猜疑心は、ヤンの人柄と思想についてほとんど知らなかったのが最大の原因だったのですから、単に自分を理解させれば良いだけではないですか。利害関係や個人的感情などは何も絡んでいなかったのですから容易な事だったはずです。
> しかしヤンはその手の猜疑心を抑える努力を全く何もしていません。民主主義を本当に存続させるつもりであったのならば、そしてシビリアン・コントロールに本当に忠実であろうとするのであれば、政治家との相互信頼関係を築く事は必要不可欠であったはずなのですが。
> 同盟の滅亡には、確実に「ヤンの政治不信」が原因のひとつに数えられるでしょう。しかしそのあたりの責任を、ヤンが全く自覚していないようにしか見えないのはどういうことなのでしょうか。
銀河英雄伝説第六巻(トクマノベルズ)P71下段19~P72上段19行
ヤン・ウェンリーが武力によって権力を獲得しようとこころみるような人物でないであろうことは、レベロも承知している。この三年間に、それを実証する事例を何度も眼前に見てきた。だが、過去の実例が未来を全面的に保障するわけではない。(中略)人間とは変化するものだ。まだ三〇歳をこしたばかりの青年が、単調な引退生活に耐えられず、才能にふさわしい野心をよびさまされたとしたら……。
こうして、ヤン・ウェンリーは、彼が年金を受けとっている当の自国政府からも監視されるようになったのである(後略)。
この記述から見て、レベロがヤンの人柄についてある程度理解していた事が分かります。レベロの猜疑心は、ヤン個人の人柄を知らなかったからではなく、「巨大な才能と功績と人望を兼ね備えた軍人」に対して古今東西の政治家が抱く普遍的な心理から生まれたものではないでしょうか。それに加え、レベロはユーモア感覚に乏しいと友人のホワン・ルイに評されています。おそらくはこういった心理的な余裕の不足も、猜疑心の成長に一役買っていたのでしょう。
優馬さん
>うーん、私に言わせればヤンのこのセリフは彼の「モラトリアム性」の証拠そのものですね。だって数十万の軍隊を既に指揮している人間が、「権力や武力を手にしたとき」などと言うのは論理的にオカシイです。軍の指揮官ってのは、そのへんの大臣よりもよっぽど剥き出しの「権力者」ではないのでしょうか。「権力を手に入れて自分が変わる」ということを恐れるのは、モラトリアム青年特有の心性だと思います。
ヤンをモラトリアム青年と評価するのには異論はありません。ですが、だって数十万の軍隊を既に指揮している人間が、『「権力や武力を手にしたとき」などと言うのは論理的にオカシイです。』という点については、ヤンはイゼルローン後略の後、すでに一度辞表を提出しています。この辞表の提出の裏に権力・武力へ距離を置きたいと言う願望が働いているのは間違いないでしょう。ですが結局は辞表は却下されて、不本意ながらも中将に昇進して一個艦隊を預かる身となってしまったわけです。
<同盟の組織的な腐敗は、少なくともヤンの時代の半世紀前位にはすでに始まっていたと思います。外伝の四巻には、宇宙暦728年に帝国から亡命してきたジークマイスター提督は同盟政府の腐敗と矛盾に失望した、と書かれていましたし。また、第二次ティアマト会戦で戦死した英雄ブルース・アッシュビー提督の死にも、彼の退役後の政界転出を恐れた同盟政府の陰謀説があります。こういった点から、ヤンは歴史家としての視点から同盟の未来に見切りをつけていたのではないでしょうか。「政府の腐敗はもはや何十年も前から続いており、もはや手がつけられない。どうせ国家はいつか滅びる。大事なのは国家ではなく、思想を守る事だ」
この諦観めいた認識と、ヤンの自制心・怠け根性が複雑にからまった結果として、ヤンは政治に口を出さなかったのでしょう。まあ、公人としては褒められた行動ではないでしょうが。>
「同盟の組織的な腐敗」の内容がどういうものかという事が銀英伝にも全く書かれていないのですが、これが単に「汚職」だの「利権あさり」だのといったレベルでしかないのだとしたら、ヤンの観察眼は見当違いもいいところですね。そんなものは民主主義の総本山を自称するアメリカやEU諸国にだってすくなからずあるものです。しかしだからといって、ただそれだけの理由でアメリカやEU諸国の未来に見切りをつける人なんていないでしょう。
また、政治面で愚劣な政策が横行していたというのであれば、それを批判・是正していく事こそが民主主義の本領発揮ではありませんか。民主主義国家で言論・思想の自由が認められ、三権分立が確立しているのはまさにそのためなのです。それを生かさずしてどうするというのでしょうか。
それらのチェックシステムすらもまともに機能していないというのであれば、自分が率先して行動し、まともに機能するように働きかける事こそが民主主義国家における一国民としての義務でしょう。ましてやヤンは軍の要職についていた上、同盟市民の人望も厚かったのですから、その影響力は絶大なものがあります。ヤンがその地位にふさわしい行動を起こしていれば、同盟の滅亡どころか、民主主義の理念の崩壊ですらも防ぐ事ができたはずです。
自分のなすべき事を何もせず、ただ同盟の滅亡と民主主義の理念の崩壊をただ傍観していただけのヤンに、民主主義を語る資格も擁護する資格もないですね。いっそラインハルトに内通でもしてさっさと降伏した方が、平和のためにも民主主義のためにも良かったのかもしれません。同盟の滅亡と民主主義の理念の崩壊を「ヤンの降伏」に全て責任転嫁ができるのですし。
<同盟には立法府に相当する機関の記述がないのは確かですね。あるいは、ルドルフによる民主主義運動家の大量虐殺や焚書などで、議会制民主主義の定義が後世に精確に伝わらなかったのかもしれません。それによって、同盟は新しく民主主義の定義を定め直さなければならなかったのでは?いわば同盟の民主主義は「同盟型民主主義」とでも言える未知の民主主義思想なのかも…。(強引な論法ですみません(^_^;))>
だとすると、同盟の政治システムそれ自体が実は本来の民主主義から大きく逸脱している可能性が大きいですね。それを本来の姿に戻すためにもヤンは奔走すべきだったのでは?
まあいくら何でも「議会制民主主義の定義が後世に精確に伝わらなかった」ということはないでしょう。ルドルフが死んだ後も共和主義者による運動はあったのですし、ルドルフの死後の反乱で農奴階級に落とされた共和主義者の間でも「誇りある抵抗の歴史」として民主主義が語り継がれていた事は間違いないでしょう。何しろアーレ・ハイネセンをはじめとする「長征一万光年」を実行した人々がそのような農奴階級出身によって構成されていたのですから。
それに何よりも、銀英伝外伝4巻におけるジークマイスター提督の父親の家に民主主義に関する「禁書」が多く保管されていたというくらいですから、その手の本が完全に根絶されたということはありえませんね。
>銀河英雄伝説第六巻(トクマノベルズ)P71下段19?P72上段19行
<ヤン・ウェンリーが武力によって権力を獲得しようとこころみるような人物でないであろうことは、レベロも承知している。この三年間に、それを実証する事例を何度も眼前に見てきた。だが、過去の実例が未来を全面的に保障するわけではない。(中略)人間とは変化するものだ。まだ三〇歳をこしたばかりの青年が、単調な引退生活に耐えられず、才能にふさわしい野心をよびさまされたとしたら……。
こうして、ヤン・ウェンリーは、彼が年金を受けとっている当の自国政府からも監視されるようになったのである(後略)。>
これってレベロがヤンの事をきちんと理解して証拠になるのですか? むしろ後半の、
「人間とは変化するものだ。まだ三〇歳をこしたばかりの青年が、単調な引退生活に耐えられず、才能にふさわしい野心をよびさまされたとしたら……」
という考えは、レベロがヤンに対する理解を欠いているがために出てきたものであるとしか思えないのですが……。
ヤンが軍人という職業を嫌って隠居生活をしたがっていたという考えは、ヤン・ファミリーならば誰でも知っていました。しかしレベロはそういったヤンの思想を理解していた形跡が全くありません。だからこそヤンに対して不信の目を向けていたのではないでしょうか。もしヤンが自分の思想や考え方をレベロに理解させていたならば、ヤンに対する暴走行為は起こる前に消えてしまっていた事でしょう。
そもそも、銀英伝においてヤンとレベロが直接会って会話していた個所があるのは、銀英伝3巻と6巻の2つにしかありません。そして銀英伝6巻の方は、かの事後法を使ったヤン逮捕という愚劣な暴走行為を行ってヤンを逮捕した後の事ですから、その前にヤンとレベロとが話し合う機会があったのはたった一回のみです。たった一回、それもほんの少し話し合っただけでレベロがヤンの人柄や思想を正確に理解する事ができるのでしょうか? これはまず不可能でしょう。
したがって、レベロのヤンに対する理解は中途半端なものでしかなかったというべきでしょう。その中途半端さがヤンに対する不信感となり、かの暴走行為につながったわけです。ヤンはこのレベロの中途半端な理解を是正する必要があったのではないかと思うのですが。
平松さま、冒険風ライダーさま。
> 同盟の組織的な腐敗は、少なくともヤンの時代の半世紀前位にはすでに始まっていたと思います。外伝の四巻には、宇宙暦728年に帝国から亡命してきたジークマイスター提督は同盟政府の腐敗と矛盾に失望した、と書かれていましたし。また、第二次ティアマト会戦で戦死した英雄ブルース・アッシュビー提督の死にも、彼の退役後の政界転出を恐れた同盟政府の陰謀説があります。こういった点から、ヤンは歴史家としての視点から同盟の未来に見切りをつけていたのではないでしょうか。「政府の腐敗はもはや何十年も前から続いており、もはや手がつけられない。どうせ国家はいつか滅びる。大事なのは国家ではなく、思想を守る事だ」
> この諦観めいた認識と、ヤンの自制心・怠け根性が複雑にからまった結果として、ヤンは政治に口を出さなかったのでしょう。まあ、公人としては褒められた行動ではないでしょうが。>
>
> 「同盟の組織的な腐敗」の内容がどういうものかという事が銀英伝にも全く書かれていないのですが、これが単に「汚職」だの「利権あさり」だのといったレベルでしかないのだとしたら、ヤンの観察眼は見当違いもいいところですね。そんなものは民主主義の総本山を自称するアメリカやEU諸国にだってすくなからずあるものです。しかしだからといって、ただそれだけの理由でアメリカやEU諸国の未来に見切りをつける人なんていないでしょう。
> また、政治面で愚劣な政策が横行していたというのであれば、それを批判・是正していく事こそが民主主義の本領発揮ではありませんか。民主主義国家で言論・思想の自由が認められ、三権分立が確立しているのはまさにそのためなのです。それを生かさずしてどうするというのでしょうか。
冒険風ライダーさんのご指摘に、まったく同感です。
田中芳樹氏の「民主主義観」は、非常に脆弱です。戦前の日本の「腐敗した政党政治嫌い→清廉な軍人が好き!」というのとほとんど変わらない感じがします。実際、「銀英伝」を通して、ラインハルトのような「すぐれた独裁政治」に対峙するところの、「民主政治」の正統性や優位性は、ほとんど説得力を与えられていません。ヤンは、教科書的な民主主義イデオロギーに殉じて死んだ、というような描き方をされていて、素直に読めば、「民主主義は、すぐれた独裁政治には劣る」というメッセージが伝わってきます。実際、彼の中においては、「皇帝親政」の中華王朝が、一番正統性のある政治形態のようですし・・。
でもほんと、「同盟」の「民主主義」ってどんな形態になってたんでしょうね? 素直に考えると、戦時下の日本のように「非常事態」のもとに立法府の活動が制限されていたと考えるのが一番妥当ではありますが。「戒厳令」が常態化している政府というのは、ありえます。ひと昔前のの韓国や台湾のように。「同盟」って、建国以来「帝国」と戦争状態にあったんではなかったでしょうか? だとしたら正常な「民主主義」が機能している方がむしろ不思議ですよね。
でも確か「選挙目当て」で無謀な戦争を仕掛けるような人たちだものな~。行政府が直接選挙で選ばれるのでしょうか。「同盟の政治は複雑怪奇」ですね。
※言い訳※
実は、現在私はアメリカに在住しております。そのため、「創竜伝」はおろか「銀英伝」についてもテキストが身のまわりにありません。すべて、記憶に頼って書いておりますので、記憶違い、勘違い等を多々起こすと思います。そういう場合は、笑ってビシバシご指摘ください。
冒険風ライダーさん
> 「同盟の組織的な腐敗」の内容がどういうものかという事が銀英伝にも全く書かれていないのですが、これが単に「汚職」だの「利権あさり」だのといったレベルでしかないのだとしたら、ヤンの観察眼は見当違いもいいところですね。そんなものは民主主義の総本山を自称するアメリカやEU諸国にだってすくなからずあるものです。しかしだからといって、ただそれだけの理由でアメリカやEU諸国の未来に見切りをつける人なんていないでしょう。
> また、政治面で愚劣な政策が横行していたというのであれば、それを批判・是正していく事こそが民主主義の本領発揮ではありませんか。民主主義国家で言論・思想の自由が認められ、三権分立が確立しているのはまさにそのためなのです。それを生かさずしてどうするというのでしょうか。
> それらのチェックシステムすらもまともに機能していないというのであれば、自分が率先して行動し、まともに機能するように働きかける事こそが民主主義国家における一国民としての義務でしょう。ましてやヤンは軍の要職についていた上、同盟市民の人望も厚かったのですから、その影響力は絶大なものがあります。ヤンがその地位にふさわしい行動を起こしていれば、同盟の滅亡どころか、民主主義の理念の崩壊ですらも防ぐ事ができたはずです。
> 自分のなすべき事を何もせず、ただ同盟の滅亡と民主主義の理念の崩壊をただ傍観していただけのヤンに、民主主義を語る資格も擁護する資格もないですね。いっそラインハルトに内通でもしてさっさと降伏した方が、平和のためにも民主主義のためにも良かったのかもしれません。同盟の滅亡と民主主義の理念の崩壊を「ヤンの降伏」に全て責任転嫁ができるのですし。
これについては、「軍人は政治に口を出さない」というヤンのシビリアン・コントロールの認識は、実は成立してから二世紀半程度の「同盟型民主主義」では正しい認識なのかもしれません(;_;)。だとしたら何とトリューニヒト一派に都合のいい民主主義でしょうか(^_^;)。
> だとすると、同盟の政治システムそれ自体が実は本来の民主主義から大きく逸脱している可能性が大きいですね。それを本来の姿に戻すためにもヤンは奔走すべきだったのでは?
> まあいくら何でも「議会制民主主義の定義が後世に精確に伝わらなかった」ということはないでしょう。ルドルフが死んだ後も共和主義者による運動はあったのですし、ルドルフの死後の反乱で農奴階級に落とされた共和主義者の間でも「誇りある抵抗の歴史」として民主主義が語り継がれていた事は間違いないでしょう。何しろアーレ・ハイネセンをはじめとする「長征一万光年」を実行した人々がそのような農奴階級出身によって構成されていたのですから。
> それに何よりも、銀英伝外伝4巻におけるジークマイスター提督の父親の家に民主主義に関する「禁書」が多く保管されていたというくらいですから、その手の本が完全に根絶されたということはありえませんね。
ルドルフの死後も共和主義者による運動があったのは確かですけど、ルドルフの死の直後に起こった大規模な共和主義者の反乱ががルドルフの娘婿であるノイエ=シュタウフェン公ヨアヒムよって弾圧されて以降、大規模な活動についての記述はありません。帝国内での共和主義者の勢力は地下運動にとどまる程度の規模でしかなかったのだと思います。また、農奴に落とされた共和主義者が民主主義に関する資料を持つ事を許されていたとは思えず、大部分は伝聞による所が大きかったでしょう。それで精確な民主主義の理念が伝えられるとは考えにくいと思うのですが。で、うろ覚えの民主主義の理念で同盟を建国してしまったのかも(^^;)。
ジークマイスターの父親が多くの禁書を研究のために所持していたのは確かですが、それらは果たして良質なものであったのでしょうか?帝国の共和主義者たちの運動は上に書いた通り小規模なものでしかなかったと思われますが、その彼らが良質な資料を大量に有していたかという点には疑問が残ります。そもそもジークマイスターの父親は同僚からも「行き過ぎだ」と陰口を叩かれるほど熱心に共和主義者を弾圧し、研究のために禁書を調べていたといいますから、彼が禁書を大量に保有していたのは例外的なケースだったのではないでしょうか。
> これってレベロがヤンの事をきちんと理解して証拠になるのですか? むしろ後半の、
> 「人間とは変化するものだ。まだ三〇歳をこしたばかりの青年が、単調な引退生活に耐えられず、才能にふさわしい野心をよびさまされたとしたら……」
> という考えは、レベロがヤンに対する理解を欠いているがために出てきたものであるとしか思えないのですが……。
> ヤンが軍人という職業を嫌って隠居生活をしたがっていたという考えは、ヤン・ファミリーならば誰でも知っていました。しかしレベロはそういったヤンの思想を理解していた形跡が全くありません。だからこそヤンに対して不信の目を向けていたのではないでしょうか。もしヤンが自分の思想や考え方をレベロに理解させていたならば、ヤンに対する暴走行為は起こる前に消えてしまっていた事でしょう。
> そもそも、銀英伝においてヤンとレベロが直接会って会話していた個所があるのは、銀英伝3巻と6巻の2つにしかありません。そして銀英伝6巻の方は、かの事後法を使ったヤン逮捕という愚劣な暴走行為を行ってヤンを逮捕した後の事ですから、その前にヤンとレベロとが話し合う機会があったのはたった一回のみです。たった一回、それもほんの少し話し合っただけでレベロがヤンの人柄や思想を正確に理解する事ができるのでしょうか? これはまず不可能でしょう。
> したがって、レベロのヤンに対する理解は中途半端なものでしかなかったというべきでしょう。その中途半端さがヤンに対する不信感となり、かの暴走行為につながったわけです。ヤンはこのレベロの中途半端な理解を是正する必要があったのではないかと思うのですが。
無論レベロがヤンを完全に理解していたとは自分も思っていません。ですが、レベロもヤンと話し合う機会は少なかったにしろ、ヤンの公的な場の行動などである程度のヤンへの理解は出来ていたと思います。
その点についてはホワン・ルイも同様です。彼にいたってはヤンと一対一で話し合った事は一度もなく、トリューニヒトがヤンへの嫌がらせのために開いた査問会に査問官の一人として参加しただけです。にもかかわらずホワンはヤンのそれまでの行動から「ヤン・ウェンリーは独裁者になれない」とレベロに対して断言しています。この両者の認識の違いははレベロとホワンの心理的余裕の差でしょう。
自分としては、ただでさえ心理的余裕の乏しいレベロが国家の命運という重責を背負い込んで「ヤン一個人」への信頼よりも「才能・実績・人望を兼ね備えた退役軍人」への猜疑心に重きをおいてしまったのだと考えています。その点でいえば、誤解を解く努力をヤンがしなかったと言うよりは、レベロの余裕のなさが必要以上の被害妄想を生んでしまったという印象があるのですが。
それにしても議論が長くなってしまいましたね(冒険風ライダーさんや優馬さんの書き込みはともかく、自分の書き込みが議論と呼ぶに値するかどうかは自信がありませんが…)。そろそろ本当にまとめに入った方がいいのではないでしょうか。
>優馬さん
<田中芳樹氏の「民主主義観」は、非常に脆弱です。戦前の日本の「腐敗した政党政治嫌い→清廉な軍人が好き!」というのとほとんど変わらない感じがします。実際、「銀英伝」を通して、ラインハルトのような「すぐれた独裁政治」に対峙するところの、「民主政治」の正統性や優位性は、ほとんど説得力を与えられていません。ヤンは、教科書的な民主主義イデオロギーに殉じて死んだ、というような描き方をされていて、素直に読めば、「民主主義は、すぐれた独裁政治には劣る」というメッセージが伝わってきます。実際、彼の中においては、「皇帝親政」の中華王朝が、一番正統性のある政治形態のようですし・・。>
「民主主義は、すぐれた独裁政治には劣る」というのは、銀英伝の場合、政治の結果論から言っても間違いなくそうなるでしょうね。実際、ラインハルトがそのような性格の持ち主ですし。
そもそもヤンないしは田中芳樹の民主主義観というのは非常に間違ったシロモノで、ただ民衆に政治の責任を負わせられるから素晴らしいという考えでしかありません。いくら民衆に政治の責任を負わせたところで、肝心の政治が暴走してしまったら意味がないというのに。
民主主義の真髄とは、政策のチェック機能と是正システムが国民ひとりひとりに委ねられているところにあるのであって、だからこそ「国民ひとりひとりの責任」が重要になるという考え方が、ヤンや田中芳樹の民主主義思想には根本から抜けているとしか思えませんね(創竜伝に至っては故意に削除すらしている)。「国民ひとりひとりの責任論」という考え方は、実は民主主義の考え方としては従属的なものでしかなく、チェックシステムと是正システムこそが本当に重要なものなのです。
この考え方を披露していけば、ラインハルトの専制政治に対するアンチテーゼとしてもかなり有効に機能したのではないかとも思うのですけどね。実際、ラインハルトも銀英伝後半では自らの個人的感情に基づく無為無用な戦争ばかり行い、しかも本来自分が嫌悪していたはずの「ルドルフや門閥貴族的な浪費」(皇帝の感情に基づいて無為無用の犠牲者と財政負担を強いた事)までやっているのですから、このアンチテーゼを振りまわされたら、ラインハルトの政治観に対する相当な大ダメージとなったことは間違いないでしょう。
ヤンは銀英伝5巻におけるラインハルトの会談で「選挙でルドルフやトリューニヒトを選んだ事が民衆の責任になるから民主主義は素晴らしいのだ」といった主旨の事を主張していますけど、ただ単に「選挙で指導者を選ぶ」というだけで民主主義に重要なチェックシステムと是正システムが生かされるはずがないではありませんか。まさか選挙で指導者を選んだら後は野放しなのですか?
結局のところ、ヤンも田中芳樹も、民主主義の「一部分」だけ見て礼賛していただけだとしか思えません。彼らの主張や行動が支離滅裂になるわけですね。
<「同盟」の「民主主義」ってどんな形態になってたんでしょうね? 素直に考えると、戦時下の日本のように「非常事態」のもとに立法府の活動が制限されていたと考えるのが一番妥当ではありますが。「戒厳令」が常態化している政府というのは、ありえます。ひと昔前のの韓国や台湾のように。「同盟」って、建国以来「帝国」と戦争状態にあったんではなかったでしょうか? だとしたら正常な「民主主義」が機能している方がむしろ不思議ですよね。
でも確か「選挙目当て」で無謀な戦争を仕掛けるような人たちだものな~。行政府が直接選挙で選ばれるのでしょうか。「同盟の政治は複雑怪奇」ですね。>
同盟の建国は宇宙歴527年、帝国と初めて軍事衝突したのは宇宙歴640年で、建国から戦争に至るまで100年以上も開いています。そしてその間は爆発的な発展をしていたのですから、この間に民主主義の制度を整備する事は充分に可能だったはずです。
また同盟には、ほとんど活動してはいなかったようですが、一応ながら議会の存在が確認されていて、銀英伝1巻でジェシカ・エドワーズがテルヌーゼン惑星選挙区から代議員に選出されています。もっとも、議会派でまともに政府を批判するために動いていたのは彼女だけですし、議会それ自体は行政府に対するチェックシステムとしてロクに機能していませんでしたから、同盟における権力機構としては話にならないほどに無為無力だったのは間違いないでしょうけど。
あるいは同盟では、議会の与党と野党とが一致団結して政治を運営する「挙国一致体制」を130年以上も続けていたために、まともなチェックシステムが働かなくなったのかもしれません。戦争時の民主主義国家における議会が一致団結して「挙国一致体制」を取り、国民を統制するという事自体はありえる事です。「挙国一致体制」は民主主義の起源ともなった古代ローマの元老院にもありましたし、近代のイギリスやアメリカなどでさえも、戦争や大不況の際に議会が「挙国一致体制」を敷いていた時期があります。
「挙国一致体制」自体は民主主義の精神に背くものではありません。有事の際に議会が長々と討論をしていたのでは、いざという時に対処する事ができず、民主主義を構成する国家それ自体が転覆する事すらも起こりえるからです。つまり「非常事態」に対処するために「挙国一致体制」は敷かれるわけです。
ただ、一方で「挙国一致体制」というものは、それを運営するための明確な目的意識がなければ暴走してしまう危険性のあるシロモノでもあるのです。同盟にそんなものがあったとは思えず、そのために与党と野党とが目的意識もないままに一体化してしまった可能性がかなり高いのではないでしょうか。
これならば同盟におけるチェックシステムがまともに機能しなかった理由も説明できますし、同盟において野党の存在感がほとんどなかった理由もまた説明可能です。
しかしそうなると、その硬直した体制を打破するためにも、ますますヤンが積極的に政治に介入していく必要があったわけで、その点でヤンの怠慢ぶりはホントにどうしようもないシロモノであると言えますね。
それから同盟における行政府にあたる「最高評議会」は11名の評議員によって構成され、その座のトップである「最高評議会議長」が選挙で選出されるという設定になっているようです。そして「最高評議会議長」はその他の10名の人事権を掌握しています。
同盟の政治システムはどうもアメリカ大統領制がモデルのようですから、議会の勢力が弱いという一点を除いて、それとほぼ同じであると考えて良いでしょう。
>平松さん
<「軍人は政治に口を出さない」というヤンのシビリアン・コントロールの認識は、実は成立してから二世紀半程度の「同盟型民主主義」では正しい認識なのかもしれません(;_;)。だとしたら何とトリューニヒト一派に都合のいい民主主義でしょうか(^_^;)。>
一応同盟の政治システムはアメリカとほぼ同じシステムになっているようですから、それはまず考えられないでしょう。「軍政」と「軍令」の長がそれぞれ対等で、「軍令」の長が最高司令官たる行政のトップを補佐するという形で実際上の軍事指揮を行っているというアメリカ方式(というよりこれが普通なんだけど)を同盟は取っていますから。
日本や末期同盟のように、政治家が軍部に対して細かい事まで色々と口出しをする方がシビリアン・コントロールとしては異常なのですし、そのような運営がどんな悪影響を与えるかという事を、歴史に詳しいはずのヤンが知らないはずがありません(知らなかったら「歴史に詳しい」とは言えない)。にもかかわらずあのような解釈をする事が、私には不思議でならないのですが。
<ルドルフの死後も共和主義者による運動があったのは確かですけど、ルドルフの死の直後に起こった大規模な共和主義者の反乱ががルドルフの娘婿であるノイエ=シュタウフェン公ヨアヒムよって弾圧されて以降、大規模な活動についての記述はありません。帝国内での共和主義者の勢力は地下運動にとどまる程度の規模でしかなかったのだと思います。また、農奴に落とされた共和主義者が民主主義に関する資料を持つ事を許されていたとは思えず、大部分は伝聞による所が大きかったでしょう。それで精確な民主主義の理念が伝えられるとは考えにくいと思うのですが。で、うろ覚えの民主主義の理念で同盟を建国してしまったのかも(^^;)。>
別にうろ覚えなレベルでも良いのですよ。要はどのような「民主主義の理念」を築いていくかという「グランドデザイン」の問題です。
アメリカがイギリスと独立戦争を戦い抜き、大統領制民主主義を確立した時だって、別に確固たる「民主主義の理念」に基づいて法律やシステムを作ったりしたわけではありません。アメリカの建国者たちは、ただ次の一点、
「この幼い共和国をシーザーから守る」
という命題について考えただけです。
「シーザー」とは古代ローマの民主制に終止符を打った独裁者カエサルの事で、彼のような独裁者が現れ、国民の権利が侵害される事を防ぐという、ただそれだけのために様々な制度を考え、それが積み重なって今のアメリカの政治システムが完成したのです。
同盟だって、銀河連邦がルドルフに乗っ取られ、自分達が塗炭の苦しみを受けたという至近な例があるではありませんか。だから同盟がその政治システムを構築する際に考えるべきだった事は、
「いかにすれば制度的にルドルフ(独裁者)の出現を止められるか」
であったはずです。その「グランドデザイン」さえあれば、別に「民主主義の理念」が精確に伝わらなくても、思考錯誤を重ねていった上で少しずつ「民主主義の理念」が構築されていき、三権分立やチェックシステムなどもおのずと確立されていくはずではないですか。現にアメリカの「民主主義の理念」だってそのように作られていったのですから。
しかし同盟の政治システムは行政権が異常なまでに強い権限を行使できるようになっている上、まともなチェックシステムが確立していないため、構造的に独裁者が出現しやすくなっているのです。おそらく議会が確固たる地位を確保していた銀河連邦の頃よりも独裁者が現れやすくなっているでしょう。それから見ると、どうも同盟は歴史上のルドルフの事例から何も学んではいないのではないかという疑問すら出てきます。
このような同盟から一度も独裁者が出現しなかった事自体、私には不思議でなりませんね。まあルドルフに対する嫌悪感もあったのでしょうけど。
<ジークマイスターの父親が多くの禁書を研究のために所持していたのは確かですが、それらは果たして良質なものであったのでしょうか?帝国の共和主義者たちの運動は上に書いた通り小規模なものでしかなかったと思われますが、その彼らが良質な資料を大量に有していたかという点には疑問が残ります。そもそもジークマイスターの父親は同僚からも「行き過ぎだ」と陰口を叩かれるほど熱心に共和主義者を弾圧し、研究のために禁書を調べていたといいますから、彼が禁書を大量に保有していたのは例外的なケースだったのではないでしょうか。>
私が言いたかったのは「禁書を帝国が保有していた」という事ではなく、「禁書」を押収する立場にいる帝国政府の一官僚でさえ大量の「禁書」を所持できたのだから、実際はそれよりもはるかに多い数と種類の「禁書」が(押収されることもなく)影で出回っていたであろう、という事です。
現実問題として、帝国が全ての「禁書」を押収することは物理的に不可能ですし、私的に書いて一切公開されないものまで制圧はできないでしょう。要は「禁書」が一冊でも生きていればそれで良いわけです。そこから民主主義思想が語り継がれる事になりますから。
そしてその「禁書」の内容が良質であるか否かについては、民主主義を語り継ぐ際に何の関係もありません。「禁書」の中には良質なものもあれば粗悪なものもあったでしょう。要はそれらに基づいて語り継がれた教えをどう生かすかということこそが重要なのです。仮に書物が良質な内容で構成されたものばかりであったとしても、それらを現実の政治に生かさなければ話になりません。逆に粗悪な内容の書物であっても、そこから考えを広げる事によって立派な「グランドデザイン」を作る事は充分に可能です。
それに何も読むべき「禁書」がたったの一冊であったわけがありませんから、複数の「禁書」から「民主主義の理念」を抽出する事もそれほど困難な事ではないでしょう。
というわけで、「禁書の質」というものはあまり問題にならないと思いますが。
<無論レベロがヤンを完全に理解していたとは自分も思っていません。ですが、レベロもヤンと話し合う機会は少なかったにしろ、ヤンの公的な場の行動などである程度のヤンへの理解は出来ていたと思います。
その点についてはホワン・ルイも同様です。彼にいたってはヤンと一対一で話し合った事は一度もなく、トリューニヒトがヤンへの嫌がらせのために開いた査問会に査問官の一人として参加しただけです。にもかかわらずホワンはヤンのそれまでの行動から「ヤン・ウェンリーは独裁者になれない」とレベロに対して断言しています。この両者の認識の違いははレベロとホワンの心理的余裕の差でしょう。
自分としては、ただでさえ心理的余裕の乏しいレベロが国家の命運という重責を背負い込んで「ヤン一個人」への信頼よりも「才能・実績・人望を兼ね備えた退役軍人」への猜疑心に重きをおいてしまったのだと考えています。その点でいえば、誤解を解く努力をヤンがしなかったと言うよりは、レベロの余裕のなさが必要以上の被害妄想を生んでしまったという印象があるのですが。>
それも大きな一要素としてあるでしょうけど、レベロとホワンのヤンに対する理解の違いは、ヤンの査問会を「伝聞で聞いた」のと「実際に見聞した」事による差にもあるのではないでしょうか。昔から「百聞は一見にしかず」とも言いますし。
ホワンは確かに一度もヤンと話した事はありませんが、ヤンに対して行われた査問会を何度もじっくり見る事ができた立場にあり、そのためにヤンの性格を把握しやすい立場にいました。そしてレベロにはそういった機会がついに訪れず、ホワンを介して査問会の内容を「伝聞」で聞いただけです。ホワンがレベロよりもヤンの性格を把握していた理由はその辺りにもあったのではないでしょうか。「伝聞」だけではやはり「完全な理解」を得るには不充分なものです。
それからヤン的解釈ではない本当に正しい意味でのシビリアン・コントロールの観点から見ても、ヤンが政治家との相互信頼関係を築く事は必要不可欠な事であったはずではありませんか。相手が誰であろうとヤンはそれに関する労力を惜しんではならなかったはずです。ましてや、本気で民主主義を擁護するつもりだったのならばなおの事です。
この点で同盟滅亡におけるヤンの責任は非常に大きかったと思いますが、いかがでしょうか。
レスが遅れました。申し訳ありません。m(__)m
冒険風ライダーさんは書きました
> 別にうろ覚えなレベルでも良いのですよ。要はどのような「民主主義の理念」を築いていくかという「グランドデザイン」の問題です。
> アメリカがイギリスと独立戦争を戦い抜き、大統領制民主主義を確立した時だって、別に確固たる「民主主義の理念」に基づいて法律やシステムを作ったりしたわけではありません。アメリカの建国者たちは、ただ次の一点、
> 「この幼い共和国をシーザーから守る」
> という命題について考えただけです。
> 「シーザー」とは古代ローマの民主制に終止符を打った独裁者カエサルの事で、彼のような独裁者が現れ、国民の権利が侵害される事を防ぐという、ただそれだけのために様々な制度を考え、それが積み重なって今のアメリカの政治システムが完成したのです。
> 同盟だって、銀河連邦がルドルフに乗っ取られ、自分達が塗炭の苦しみを受けたという至近な例があるではありませんか。だから同盟がその政治システムを構築する際に考えるべきだった事は、
> 「いかにすれば制度的にルドルフ(独裁者)の出現を止められるか」
> であったはずです。その「グランドデザイン」さえあれば、別に「民主主義の理念」が精確に伝わらなくても、思考錯誤を重ねていった上で少しずつ「民主主義の理念」が構築されていき、三権分立やチェックシステムなどもおのずと確立されていくはずではないですか。現にアメリカの「民主主義の理念」だってそのように作られていったのですから。
> しかし同盟の政治システムは行政権が異常なまでに強い権限を行使できるようになっている上、まともなチェックシステムが確立していないため、構造的に独裁者が出現しやすくなっているのです。おそらく議会が確固たる地位を確保していた銀河連邦の頃よりも独裁者が現れやすくなっているでしょう。それから見ると、どうも同盟は歴史上のルドルフの事例から何も学んではいないのではないかという疑問すら出てきます。
> このような同盟から一度も独裁者が出現しなかった事自体、私には不思議でなりませんね。まあルドルフに対する嫌悪感もあったのでしょうけど。
いや、自分はうろ覚えだから悪いという事を言っていた訳ではなく、単に理念がうろ覚えだったから同盟は建国当初から新たに民主主義の定義を定め直さなくてはならなかったのではないか、と言いたかったのですが。
> 私が言いたかったのは「禁書を帝国が保有していた」という事ではなく、「禁書」を押収する立場にいる帝国政府の一官僚でさえ大量の「禁書」を所持できたのだから、実際はそれよりもはるかに多い数と種類の「禁書」が(押収されることもなく)影で出回っていたであろう、という事です。
> 現実問題として、帝国が全ての「禁書」を押収することは物理的に不可能ですし、私的に書いて一切公開されないものまで制圧はできないでしょう。要は「禁書」が一冊でも生きていればそれで良いわけです。そこから民主主義思想が語り継がれる事になりますから。
> そしてその「禁書」の内容が良質であるか否かについては、民主主義を語り継ぐ際に何の関係もありません。「禁書」の中には良質なものもあれば粗悪なものもあったでしょう。要はそれらに基づいて語り継がれた教えをどう生かすかということこそが重要なのです。仮に書物が良質な内容で構成されたものばかりであったとしても、それらを現実の政治に生かさなければ話になりません。逆に粗悪な内容の書物であっても、そこから考えを広げる事によって立派な「グランドデザイン」を作る事は充分に可能です。
> それに何も読むべき「禁書」がたったの一冊であったわけがありませんから、複数の「禁書」から「民主主義の理念」を抽出する事もそれほど困難な事ではないでしょう。
> というわけで、「禁書の質」というものはあまり問題にならないと思いますが。
これは自分の書き方が悪かったです。自分も「禁書の質」自体は大して問題にしていません。ただそれらを継承し、新たな解釈を付け加えていく義務を有しているはずの帝国内の共和主義勢力があまりにも小勢力だった事が少しひっかかったのです。ルドルフの登極以来ゴールデンバウム王朝は約500年ほど続きましたが、その間に帝国内の共和主義勢力はゴールデンバウム王朝を脅かす勢力にまでは成長できませんでした。(カール・ブラッケやオイゲン・リヒターなどの開明派も存在しましたが、彼らも思想的影響力ではなく、ラインハルトの勢力を背景にようやく改革を推進出来ています。)これはおそらくは社会秩序維持局の活動や密告の奨励などが大きな要因であろうと考えられますが、彼ら共和主義勢力の主張や思想が帝国の一般市民に対して共感を得られなかった点もあると思います(前の二つの要因を考慮に入れたとしても)。それを考えれば、彼ら帝国内の共和主義勢力は理念や組織力という点においてはあまり高い評価を与えられないと思います。だから、彼らがゴールデンバウム朝の思想弾圧を逃れた禁書の優劣を見分け、新たな注釈を加えて後世に伝えていくなどという芸当が出来るとは思えず、精確な民主主義のシステムや理念が帝国内でひそかに継承され、発展していったとは考えにくいと思います。
> それも大きな一要素としてあるでしょうけど、レベロとホワンのヤンに対する理解の違いは、ヤンの査問会を「伝聞で聞いた」のと「実際に見聞した」事による差にもあるのではないでしょうか。昔から「百聞は一見にしかず」とも言いますし。
> ホワンは確かに一度もヤンと話した事はありませんが、ヤンに対して行われた査問会を何度もじっくり見る事ができた立場にあり、そのためにヤンの性格を把握しやすい立場にいました。そしてレベロにはそういった機会がついに訪れず、ホワンを介して査問会の内容を「伝聞」で聞いただけです。ホワンがレベロよりもヤンの性格を把握していた理由はその辺りにもあったのではないでしょうか。「伝聞」だけではやはり「完全な理解」を得るには不充分なものです。
> それからヤン的解釈ではない本当に正しい意味でのシビリアン・コントロールの観点から見ても、ヤンが政治家との相互信頼関係を築く事は必要不可欠な事であったはずではありませんか。相手が誰であろうとヤンはそれに関する労力を惜しんではならなかったはずです。ましてや、本気で民主主義を擁護するつもりだったのならばなおの事です。
> この点で同盟滅亡におけるヤンの責任は非常に大きかったと思いますが、いかがでしょうか。
完全な理解とまではいかなくとも、伝聞だけでヤンの人柄を大筋として理解する事は可能だと思います。現にヒルデガルド・フォン・マリーンドルフなどは七巻などでヤンの志向や行動理念などを伝聞だけで精確に推察していますし。ヒルダに比べ感性の点ではともかく知性や認識力ではレベロもそう劣っているはずはありませんし、やはりこれは立場や生来の性格による心理的余裕の差によって、導き出したヤンへの評価がおのおの異なったと考えるべきだと思うのですが。
それと、ヤンは高級軍人として政治家との信頼関係を築くべきだったという冒険風ライダーさんの主張は確かにそうだと思います。ですが、ヤンが政治家と距離を置くのは、極力政治に関わりたくないと言う心理と、政治家への子供めいた偏見が根強くあるので、おそらくはレベロやホワンとすらそういう関係を結ぶのは困難だったでしょう。ましてやトリューニヒトやその手下達となど(^^;)。本来観察者でありたかったヤンが被観察者として振る舞わざるを得なかったせいでその行動に徹底を欠き、同盟崩壊を食い止めるためにあらゆる手を打たなかったのは批判されて然るべきでしょうね。同盟の不幸は、その末期にレベロが元首に、レンネンカンプが高等弁務官に、ヤンが軍事的英雄に、ラインハルトが大帝国の皇帝にそれぞれなってしまった事でしょうが、さて、誰が最も同盟崩壊について責任があるのでしょうか(まあ、これは意見が分かれると思いますし、厳密に検討してもあまり意味はないと思いますが)。
<いや、自分はうろ覚えだから悪いという事を言っていた訳ではなく、単に理念がうろ覚えだったから同盟は建国当初から新たに民主主義の定義を定め直さなくてはならなかったのではないか、と言いたかったのですが。>
しかし仮に「理念がうろ覚え」で、同盟が民主主義の定義を定め直さなければならなかったとしても、そこから現代的な民主主義に近い考え方をはじき出すのはそんなに難しい事ではないのでは? 「いかにしてルドルフの出現を食い止めるか」という明確な目的意識があれば、それを防ぐための手段を考える事できちんとした「民主主義の定義」がおのずと確立していくはずなのですから。
しばしば独裁者の出現に悩まされてきたフランスやドイツなどでは、その出現を防ぐために様々な方法を考えてきています。一番代表的な例としては、国民投票によって選ばれる大統領と、議会から選出される首相の両方を同じ行政府においている事です。これによって行政府に強大な権限が集中するのを防ぎ、独裁者が現れるのを制度的に防止しようというわけです。
銀英伝においても、ルドルフが乗っ取った銀河連邦が同じような制度を採用しており、独裁者が出現するのを防止するシステムが確立されていました。ただ、銀河連邦の場合は「国家元首(大統領)と首相の両方の兼任を禁止する」という肝心要な事が法律で明確に規定されていなかったため、そこをルドルフに突けこまれる形になったわけですけど。
そのルドルフの悪例を手本にして「独裁者の出現を防ぎ、国民の諸権利が侵害されないシステム」というものを確立していけば、別に民主主義が精確に伝わっていようがいまいが、それがおのずと「民主主義の定義」に近づいていったはずなのです。現にアメリカにしてもEU諸国にしてもそうやって少しずつ民主主義思想を確立していったのですから。
にもかからわず、同盟の建国者やその子孫達が「ルドルフの出現防止の方法論」について全く考えず、そのシステムを確立しようとすらしなかったというのは少しおかしいのではないでしょうか。
<これは自分の書き方が悪かったです。自分も「禁書の質」自体は大して問題にしていません。ただそれらを継承し、新たな解釈を付け加えていく義務を有しているはずの帝国内の共和主義勢力があまりにも小勢力だった事が少しひっかかったのです。ルドルフの登極以来ゴールデンバウム王朝は約500年ほど続きましたが、その間に帝国内の共和主義勢力はゴールデンバウム王朝を脅かす勢力にまでは成長できませんでした。(カール・ブラッケやオイゲン・リヒターなどの開明派も存在しましたが、彼らも思想的影響力ではなく、ラインハルトの勢力を背景にようやく改革を推進出来ています。)これはおそらくは社会秩序維持局の活動や密告の奨励などが大きな要因であろうと考えられますが、彼ら共和主義勢力の主張や思想が帝国の一般市民に対して共感を得られなかった点もあると思います(前の二つの要因を考慮に入れたとしても)。それを考えれば、彼ら帝国内の共和主義勢力は理念や組織力という点においてはあまり高い評価を与えられないと思います。>
組織力があまり充実していなかったという点は同感です。彼らは結局、ゴールデンバウム王朝の専制支配に対して何も成しえず、ただ影に隠れて不平をならしていただけだったようですから、民衆の共感を得られなかったのは当然でしょう。
しかしそれと、
<だから、彼らがゴールデンバウム朝の思想弾圧を逃れた禁書の優劣を見分け、新たな注釈を加えて後世に伝えていくなどという芸当が出来るとは思えず、精確な民主主義のシステムや理念が帝国内でひそかに継承され、発展していったとは考えにくいと思います。>
というのはちょっと結びつかないのではないでしょうか。
帝国内の共和主義者たちがまともな政治勢力たりえなかった理由は、民衆の共感が得られるような現実的な政治・戦略・謀略構想が全くできていなかったからであって、それと「禁書の優劣」というのは全く関係ないでしょう。むしろ、なまじ彼らが「優れた禁書」に従って民主主義の理想論を唱えすぎたがために、却って民衆から「現実遊離」と見られ、支持を失っていったのかもしれないではありませんか。
理論が優れているにもかかわらず現実の政治活動では無為無力、という事はよくあることです。特に帝国の場合は帝国政府と門閥貴族以外の内部勢力がまともな政治力や武力を持つ事は難しかったでしょうからね。帝国において共和主義勢力が台頭しなかった理由はそのあたりにあるのではないでしょうか。
<完全な理解とまではいかなくとも、伝聞だけでヤンの人柄を大筋として理解する事は可能だと思います。現にヒルデガルド・フォン・マリーンドルフなどは七巻などでヤンの志向や行動理念などを伝聞だけで精確に推察していますし。ヒルダに比べ感性の点ではともかく知性や認識力ではレベロもそう劣っているはずはありませんし、やはりこれは立場や生来の性格による心理的余裕の差によって、導き出したヤンへの評価がおのおの異なったと考えるべきだと思うのですが。>
ヒルダのように異常なまでに傑出した人間観察眼を持っているような人間であればともかく、そこまで優れていない普通の凡人が「伝聞」だけでヤンの人柄や思想を精確に把握する事ができるのでしょうか? ましてや、ヤンは一般人には到底理解できないような様々な思想的矛盾を抱え込んでいるのですから、「伝聞」や「表面的な行動」などだけから普通の人間がヤンの人柄や思想を理解するのはほとんど不可能に近いのではないでしょうか。
それとヒルダは別にヤンと付き合っていく必要がなかったからこそ、比較的客観的にヤンを評価できたという事情もあるでしょうね。それに対して、レベロは立場上どうしてもヤンを意識せざるをえなかったし、「同盟を何が何でも存続させなければならない」という任務の重圧に押しつぶされそうになってもいましたから、それがヤンの評価を曇らせたということもあるかもしれません。
まあ私の主張の眼目は「レベロがどのような理由でヤンを誤解していたにせよ、誤解があるのであればそれを是正していく義務がヤンにはあった」というものですから、「レベロがヤンを誤解した理由」というのはあまり重要な事ではないのですけど。
<ヤンは高級軍人として政治家との信頼関係を築くべきだったという冒険風ライダーさんの主張は確かにそうだと思います。ですが、ヤンが政治家と距離を置くのは、極力政治に関わりたくないと言う心理と、政治家への子供めいた偏見が根強くあるので、おそらくはレベロやホワンとすらそういう関係を結ぶのは困難だったでしょう。ましてやトリューニヒトやその手下達となど(^^;)。>
全くその通りで、まさにそれだからこそヤンにシビリアン・コントロールを論じる資格などないわけです。単なる個人的感情で嫌いだからなどという理由で自分の軍人としての義務を怠り、その結果、同盟を滅亡に追いやる原因を作ってしまったわけなのですから。
それにしても、ヤンが本当にトリューニヒトを「危険人物」だと考えていたのならば、そのトリューニヒトを排除するためにもレベロやホワンと手を組むべきであったと思うのですけど。ヤンの「ケガレ思想」的な感情論はホントに救いようがないですね。
<同盟の不幸は、その末期にレベロが元首に、レンネンカンプが高等弁務官に、ヤンが軍事的英雄に、ラインハルトが大帝国の皇帝にそれぞれなってしまった事でしょうが、さて、誰が最も同盟崩壊について責任があるのでしょうか(まあ、これは意見が分かれると思いますし、厳密に検討してもあまり意味はないと思いますが)。>
あの銀英伝6巻における暴走行為は、登場人物の誰が欠けても成立しようがなかったのですから、結果的に見れば「主要人物全てに責任がある」とか言いようがないですね。レベロの暴走行為にも、レンネンカンプの独走にも、ラインハルトの高等弁務官の人事と性格にも、その一局面においては責任が問えますが、決定打とはなりえまえんし。
ただ、その中で「ヤンの責任」というものにも結構重要な責任があるように思えるわけですよ。何しろ「ヤンに対するレベロの不信感」を破局レベルに至るまで放置し、しかも「事の発端(シビリアン・コントロールに背いてまでメルカッツ提督を逃がした事)」を作り上げたのは他ならぬヤン自身です。しかしヤンは同盟の滅亡の原因が自分にもあるという自覚も、自分の行動が実はシビリアン・コントロールに明白に背くものであったという自覚も全くなかったというのですからね。無責任ぶりもここまでくればいっそ見事なほどであると褒め称えるべきなのでしょうか。
冒険風ライダーさんのシビリアンコントロールについての考察、凄いです。
どうやってもヤン弁護は無理でしょう。
むしろ私自身がヤンに感じていたある種の胡散臭さを明確にしてくれたと感じたくらいでして。(^^;;
>理論が優れているにもかかわらず現実の政治活動では無為無力、
>という事はよくあることです。特に帝国の場合は帝国政府と門閥貴族以外の
>内部勢力がまともな政治力や武力を持つ事は難しかったでしょうからね。
>帝国において共和主義勢力が台頭しなかった理由はそのあたりにあるのではないでしょうか。
これなら私にも説明が付きそうなので少しばかり。
原作にはないですが、OVA版ではクラインゲルトという辺境の領主が出てきます。
領民のことを考える優しい領主で、民に慕われているのですが、
同盟の帝国領侵攻の前に民を苦しめたくないとの理由で早期に降伏します。
推測するにこのような「良き領主」というのは辺境には結構居たのではないでしょうか。
つまり、ゴールデンバウム朝の中枢は陰謀と腐敗が蔓延していたかもしれませんが、
そのような政治闘争とは縁の薄い辺境では、割合のんびりとしていたのではないでしょうか。
「圧政」とやらが広大な帝国領の隅々まで行き渡っていたのなら、
その不満は必ず共和主義者の支持となったはずです。
むしろ帝国全体としてはそこそこバランスのとれた体制であったからこそ、
民の不満もそれほど大きなものではなかったのではないでしょうか。
門閥貴族の争いにしたって、民衆の生活に直接打撃を与えない限り、
「身分のお高い人がなんかやってるな」という程度のことでしかない。
「餓えさせないこと」という基本は出来ていたから、共和主義者の台頭する余地があまりなかったのではと思います。
冒険風ライダーさん
> しかし仮に「理念がうろ覚え」で、同盟が民主主義の定義を定め直さなければならなかったとしても、そこから現代的な民主主義に近い考え方をはじき出すのはそんなに難しい事ではないのでは? 「いかにしてルドルフの出現を食い止めるか」という明確な目的意識があれば、それを防ぐための手段を考える事できちんとした「民主主義の定義」がおのずと確立していくはずなのですから。
> しばしば独裁者の出現に悩まされてきたフランスやドイツなどでは、その出現を防ぐために様々な方法を考えてきています。一番代表的な例としては、国民投票によって選ばれる大統領と、議会から選出される首相の両方を同じ行政府においている事です。これによって行政府に強大な権限が集中するのを防ぎ、独裁者が現れるのを制度的に防止しようというわけです。
> 銀英伝においても、ルドルフが乗っ取った銀河連邦が同じような制度を採用しており、独裁者が出現するのを防止するシステムが確立されていました。ただ、銀河連邦の場合は「国家元首(大統領)と首相の両方の兼任を禁止する」という肝心要な事が法律で明確に規定されていなかったため、そこをルドルフに突けこまれる形になったわけですけど。
> そのルドルフの悪例を手本にして「独裁者の出現を防ぎ、国民の諸権利が侵害されないシステム」というものを確立していけば、別に民主主義が精確に伝わっていようがいまいが、それがおのずと「民主主義の定義」に近づいていったはずなのです。現にアメリカにしてもEU諸国にしてもそうやって少しずつ民主主義思想を確立していったのですから。
> にもかからわず、同盟の建国者やその子孫達が「ルドルフの出現防止の方法論」について全く考えず、そのシステムを確立しようとすらしなかったというのは少しおかしいのではないでしょうか。
銀河英雄伝説第五巻(トクマノベルズ)P22下段19~P23上段6行
国防委員長ウォルター・アイランズは、平和な時代にあってはヨブ・トリューニヒトの子分にあったにすぎず、しかも必ずしも信任あつい同志と看なされてはいなかった。トリューニヒトが彼を国防委員長の座につけていたのは、独裁者の出現を危惧した同盟の先人たちが、評議会議長と各委員会委員長との兼職を例外なく禁止し、法によって厳しくそれを定めたからである(後略)。
「ルドルフの出現防止の方法」については、一応のシステムを確立してはいたみたいです。まあ、ネグロポンティやアイランズみたいな露骨なトリューニヒトの子分が国防委員長という重要なポストを得ていたのでは、独裁者は出現しなくとも、健全な政治が行えたはずもないでしょうが。いずれにせよ、銀河連邦成立以前のシリウスと地球の紛争や、ルドルフによる思想弾圧などで民主主義のノウハウが部分的に失われ、それを補完していく段階である程度の民主主義のシステムや制度の変質があったという仮説は成り立つのではないでしょうか。
> 組織力があまり充実していなかったという点は同感です。彼らは結局、ゴールデンバウム王朝の専制支配に対して何も成しえず、ただ影に隠れて不平をならしていただけだったようですから、民衆の共感を得られなかったのは当然でしょう。
> しかしそれと、
>
> <だから、彼らがゴールデンバウム朝の思想弾圧を逃れた禁書の優劣を見分け、新たな注釈を加えて後世に伝えていくなどという芸当が出来るとは思えず、精確な民主主義のシステムや理念が帝国内でひそかに継承され、発展していったとは考えにくいと思います。>
>
> というのはちょっと結びつかないのではないでしょうか。
> 帝国内の共和主義者たちがまともな政治勢力たりえなかった理由は、民衆の共感が得られるような現実的な政治・戦略・謀略構想が全くできていなかったからであって、それと「禁書の優劣」というのは全く関係ないでしょう。むしろ、なまじ彼らが「優れた禁書」に従って民主主義の理想論を唱えすぎたがために、却って民衆から「現実遊離」と見られ、支持を失っていったのかもしれないではありませんか。
> 理論が優れているにもかかわらず現実の政治活動では無為無力、という事はよくあることです。特に帝国の場合は帝国政府と門閥貴族以外の内部勢力がまともな政治力や武力を持つ事は難しかったでしょうからね。帝国において共和主義勢力が台頭しなかった理由はそのあたりにあるのではないでしょうか。
自分が言いたかったのは、「禁書を継承し、新たな解釈を加えるだけの能力と識見が帝国内の共和主義勢力にあっただろうか」という事だったのですが、なるほど、民主主義の理想論を唱えすぎたために民衆から支持されなかったというのはあるかも知れません。まあ、そもそも帝国内の共和主義勢力についての記述自体が至って少ないので、彼らについて論じるにしても限界がありますけど。
あるいは、帝国内の優れた共和主義勢力の指導者達は、孫文やド・ゴールの様に自由惑星同盟やフェザーンに亡命し、そこで彼らは資金調達やコネクションを確立するなどの活動を行っていて、帝国内にはカリスマ性を持った人材が残っていなかったのかも知れません。
> ヒルダのように異常なまでに傑出した人間観察眼を持っているような人間であればともかく、そこまで優れていない普通の凡人が「伝聞」だけでヤンの人柄や思想を精確に把握する事ができるのでしょうか? ましてや、ヤンは一般人には到底理解できないような様々な思想的矛盾を抱え込んでいるのですから、「伝聞」や「表面的な行動」などだけから普通の人間がヤンの人柄や思想を理解するのはほとんど不可能に近いのではないでしょうか。
> それとヒルダは別にヤンと付き合っていく必要がなかったからこそ、比較的客観的にヤンを評価できたという事情もあるでしょうね。それに対して、レベロは立場上どうしてもヤンを意識せざるをえなかったし、「同盟を何が何でも存続させなければならない」という任務の重圧に押しつぶされそうになってもいましたから、それがヤンの評価を曇らせたということもあるかもしれません。
七巻には、ヒルダ以外の帝国大本営の幕僚達も、ヒルダに及ばないにしてもヤンの行動限界をある程度把握していたとありますから、レベロも能力・識見的にはヤンの政治的な行動限界を把握する事は可能だったと思います。そう考えれば、やはり猜疑心がレベロにヤンの予想を上回る行動を取らせたのが要因と考えるのが妥当だと思うのですが。
> まあ私の主張の眼目は「レベロがどのような理由でヤンを誤解していたにせよ、誤解があるのであればそれを是正していく義務がヤンにはあった」というものですから、「レベロがヤンを誤解した理由」というのはあまり重要な事ではないのですけど。
仮にヤンが誤解を解こうとしたとして、果たしてレベロはそれによって誤解を解いたでしょうか。正直な所、「巨大な才能と功績と人望を兼ね備えた軍人」への猜疑心は、大部分の政治家にとって普遍的なものであり、それを消し去るのは不可能に近いのでは?まあ、ヤンに「自分がレベロにそこまで強い疑惑を抱かれるとは思っていなかった」という甘さがあったのは確かでしょうけど。
> <ヤンは高級軍人として政治家との信頼関係を築くべきだったという冒険風ライダーさんの主張は確かにそうだと思います。ですが、ヤンが政治家と距離を置くのは、極力政治に関わりたくないと言う心理と、政治家への子供めいた偏見が根強くあるので、おそらくはレベロやホワンとすらそういう関係を結ぶのは困難だったでしょう。ましてやトリューニヒトやその手下達となど(^^;)。>
>
> 全くその通りで、まさにそれだからこそヤンにシビリアン・コントロールを論じる資格などないわけです。単なる個人的感情で嫌いだからなどという理由で自分の軍人としての義務を怠り、その結果、同盟を滅亡に追いやる原因を作ってしまったわけなのですから。
> それにしても、ヤンが本当にトリューニヒトを「危険人物」だと考えていたのならば、そのトリューニヒトを排除するためにもレベロやホワンと手を組むべきであったと思うのですけど。ヤンの「ケガレ思想」的な感情論はホントに救いようがないですね。
>
> <同盟の不幸は、その末期にレベロが元首に、レンネンカンプが高等弁務官に、ヤンが軍事的英雄に、ラインハルトが大帝国の皇帝にそれぞれなってしまった事でしょうが、さて、誰が最も同盟崩壊について責任があるのでしょうか(まあ、これは意見が分かれると思いますし、厳密に検討してもあまり意味はないと思いますが)。>
>
> あの銀英伝6巻における暴走行為は、登場人物の誰が欠けても成立しようがなかったのですから、結果的に見れば「主要人物全てに責任がある」とか言いようがないですね。レベロの暴走行為にも、レンネンカンプの独走にも、ラインハルトの高等弁務官の人事と性格にも、その一局面においては責任が問えますが、決定打とはなりえまえんし。
> ただ、その中で「ヤンの責任」というものにも結構重要な責任があるように思えるわけですよ。何しろ「ヤンに対するレベロの不信感」を破局レベルに至るまで放置し、しかも「事の発端(シビリアン・コントロールに背いてまでメルカッツ提督を逃がした事)」を作り上げたのは他ならぬヤン自身です。しかしヤンは同盟の滅亡の原因が自分にもあるという自覚も、自分の行動が実はシビリアン・コントロールに明白に背くものであったという自覚も全くなかったというのですからね。無責任ぶりもここまでくればいっそ見事なほどであると褒め称えるべきなのでしょうか。
同盟におけるシビリアン・コントロールの定義云々をおいても、確かにヤンに帰せられる同盟崩壊の責任は大きいですね。ヤンは観察者願望や「国家は必ず滅ぶ」などの個人的な認識をを優先させ、高級軍人としての行動が徹底しませんでしたが、軍の要職についた人間がそういった認識にとらわれ過ぎては、他者に対して与える影響も大きいでしょう。ヤンはその点をあまり考慮していなかった様に思えますね。ヤンはやはり気質的に「気まぐれな芸術家」だったのでしょうか。
>Merkatzさん
<原作にはないですが、OVA版ではクラインゲルトという辺境の領主が出てきます。
領民のことを考える優しい領主で、民に慕われているのですが、
同盟の帝国領侵攻の前に民を苦しめたくないとの理由で早期に降伏します。
推測するにこのような「良き領主」というのは辺境には結構居たのではないでしょうか。
つまり、ゴールデンバウム朝の中枢は陰謀と腐敗が蔓延していたかもしれませんが、
そのような政治闘争とは縁の薄い辺境では、割合のんびりとしていたのではないでしょうか。
「圧政」とやらが広大な帝国領の隅々まで行き渡っていたのなら、
その不満は必ず共和主義者の支持となったはずです。
むしろ帝国全体としてはそこそこバランスのとれた体制であったからこそ、
民の不満もそれほど大きなものではなかったのではないでしょうか。>
しかしリップシュタット戦役の時、平民階級は貴族階級に対して怒りを爆発させ、貴族に対する報復行為を行っていましたよね? それもひとつやふたつなどではなく、大々的に発生しています。いくらラインハルトの台頭によって自分達が貴族階級の支配から解放されるという事が見えてきていたからとはいえ、このような報復行為は平民階級が貴族階級の圧政と暴政にひたすら耐え忍んでいた事に対する潜在的な不満と憎しみを抱え込んでいたという、何よりの証拠なのではないでしょうか。何も怨みがなかったのであれば、貴族階級に対する報復行為など発生しようがないのですから。
もちろん貴族階級の全てが圧政と暴政を展開していたわけではないでしょうが、善政を行っていた貴族というのは、全体の貴族の数から言えばかなりの少数派なのではないでしょうか。
帝国内で共和主義者がなかなか台頭しなかった理由は、やはり彼らがラインハルトのような圧倒的な武力をもたず、明確な目的意識も、それを実現させる政治・戦略・謀略構想がまともに構築されていなかったため、平民が期待をかけようもなかったほどに弱小な勢力でしかなかったからなのではないでしょうか。特に「まともな武力を持てなかった」というのが一番大きかったのではないかと思います。
何しろ宇宙艦隊を使って戦っているような時代ですからね。銀英伝のようなSF世界でまともな武力を持つためには、戦艦や駆逐艦などの艦船を建造するための資源と、それらを運用するためのノウハウが必要不可欠です。しかしそれらは帝国政府や門閥貴族にほとんど独占され、一般の平民には触れる機会すらめったになかったのです。これでは構造的にまともな武力を持つことすら難しいでしょう。
アーレ・ハイネセンや彼らの同志達が自由惑星同盟を建国するのに成功したのも、巨大なドライアイスを使用した宇宙船建造などという奇抜なアイデアで上記の命題を克服したからです。そして彼らの場合は「酷寒のアルタイル第7惑星」という恵まれた条件もありましたから、そうでない惑星の住人がこれを真似る事は不可能だったのです。それに帝国当局も、この事件以降はさらに宇宙船の建造に厳しい規制をかけた事でしょうから、ますます共和主義者がまともな武力を持つ事が困難になったというわけです。
このようなSF世界特有の事情によって彼らがまともな武力を持つ事ができず、しかもそれを打破するための明確な戦略構想を持つ事すらもできなかったために、平民階級は不満を抱きつつも仕方なく貴族階級に従わざるをえなかったのではないか、と考えるのですが、いかがでしょうか。
<むしろ帝国全体としてはそこそこバランスのとれた体制であったからこそ、
民の不満もそれほど大きなものではなかったのではないでしょうか。
門閥貴族の争いにしたって、民衆の生活に直接打撃を与えない限り、
「身分のお高い人がなんかやってるな」という程度のことでしかない。
「餓えさせないこと」という基本は出来ていたから、共和主義者の台頭する余地があまりなかったのではと思います。>
しかし銀河帝国の人口は、銀河連邦崩壊から約500年の間に3000億→250億にまで減少していますよね? 9割以上も人口が激減しているのに、帝国政府や門閥貴族は善政の基礎である「餓えさせないこと」という項目をきちんと守っていたのでしょうか? アレだけ「門閥貴族は、平民を搾取の対象とか考えていない」といった描写ばかり見ていると、とても彼らが「下賎な平民」のための政治をやったとは思えないのですけど。
まあ人口の激減については、出生率の低下や大量処刑という事情もあるのかもしれませんが。
>平松さん
<「ルドルフの出現防止の方法」については、一応のシステムを確立してはいたみたいです。まあ、ネグロポンティやアイランズみたいな露骨なトリューニヒトの子分が国防委員長という重要なポストを得ていたのでは、独裁者は出現しなくとも、健全な政治が行えたはずもないでしょうが。いずれにせよ、銀河連邦成立以前のシリウスと地球の紛争や、ルドルフによる思想弾圧などで民主主義のノウハウが部分的に失われ、それを補完していく段階である程度の民主主義のシステムや制度の変質があったという仮説は成り立つのではないでしょうか。>
考えられない事はありませんが、しかしそれでも「チェックシステム」や「3権分立による相互牽制作用」といったものまで変わってしまったら、民主主義それ自体がまともに機能しなくなってしまうのではないかと思うのですけどね。民主主義の自浄作用が全く働かなくなってしまいますし。
変質があるのならば、それに代わるシステムが現実においてどのように機能するかについて考えなければ話にならないのではないでしょうか。同盟のような政治システムでは、独裁者の誕生を未然に防ぎ、政府による国民の権利の侵害を防止するには不充分過ぎます。
別に民主主義国家に限らず、権力というものは何重にもわたる「チェックシステム」と「相互牽制作用」がなければ暴走するものなのであって(ルドルフがその好例)、それがまともに機能していなかったからこそ同盟は破局に至ったのです。「権力とは常に暴走しやすいものであり、権力から国民を守るためのシステムを確立しなければならない」という認識を、同盟の建国者たちは持つ事ができなかったのでしょうか。
<あるいは、帝国内の優れた共和主義勢力の指導者達は、孫文やド・ゴールの様に自由惑星同盟やフェザーンに亡命し、そこで彼らは資金調達やコネクションを確立するなどの活動を行っていて、帝国内にはカリスマ性を持った人材が残っていなかったのかも知れません。>
これについてはMerkatzさんの返答とダブりますのでそちらを見てもらいたいのですが、ひとつだけ聞きたい事があります。
上記の解釈の場合、同盟やフェザーンが建国される前の帝国で、なぜ共和主義勢力が台頭しなかったのでしょうか?
<七巻には、ヒルダ以外の帝国大本営の幕僚達も、ヒルダに及ばないにしてもヤンの行動限界をある程度把握していたとありますから、レベロも能力・識見的にはヤンの政治的な行動限界を把握する事は可能だったと思います。そう考えれば、やはり猜疑心がレベロにヤンの予想を上回る行動を取らせたのが要因と考えるのが妥当だと思うのですが。>
う~ん、ちょっと論点がズレてきていますね。
私が言いたい事は「レベロがヤンを完全に理解していなかったから、ヤンを誤解していたのではないか」という事ですから、私はその「無理解の理由」というものを色々と挙げていたわけで、レベロの暴走がヤンに対する誤解と猜疑心に基づいていたという点に関しては異論はないのです。
それに私が「レベロがヤンを理解していない」と言うその「理解」とは「政治的な行動限界」の事ではなく、「ヤンの思想や考え方」についてなんです。たとえばレベロは「ヤンが軍隊という職業を否定し、隠居生活にあこがれていた」という考え方を「理解」していたのでしょうか? またヤンがシビリアン・コントロールを頑迷なまでに守っていたその思想の原点を「理解」していたのでしょうか? ヤンのこういった思想や考え方をレベロがきちんと理解していたならば、ヤンに対する誤解と猜疑心はすくなくとも破局レベルに至るまで深刻なものにはならなかったでしょうし、それどころか、むしろヤンが描くような理想的な政治運営すらできたかもしれないのです。
だからこそヤンは、レベロの自分に対する誤解を是正し、自分の思想や考え方を、すくなくともヤン・ファミリーの理解度の半分程度のレベルくらいは理解させる必要性が絶対にあったと考えるわけです。
<仮にヤンが誤解を解こうとしたとして、果たしてレベロはそれによって誤解を解いたでしょうか。正直な所、「巨大な才能と功績と人望を兼ね備えた軍人」への猜疑心は、大部分の政治家にとって普遍的なものであり、それを消し去るのは不可能に近いのでは?まあ、ヤンに「自分がレベロにそこまで強い疑惑を抱かれるとは思っていなかった」という甘さがあったのは確かでしょうけど。>
もちろんすぐには無理でしょう。しかしもともと信頼関係というシロモノは一朝一夕に築けるものではありません。ましてや考え方や立場が違う人間であればなおの事です。
だからこそヤンは、常日頃から政治家と信頼関係を築くための活動をしていなければならなかったわけです。どうしてもレベロがヤンを理解しないというのであれば、別に本心からの信頼関係でなくとも、「あいつを失うと自分が損をする」という利害によって結ばれた打算的な関係でも良かったわけですよ。それでもヤンのように不信の目を向けられているよりはるかにマシですから。
そこまでやって、それでもレベロがヤンを理解せず、猜疑の目を向けるというのであれば、それはレベロがその程度の器量しか持っていなかったというだけの事です。色々と手を使って政治の座から追ってしまったほうが同盟のためでもあるでしょう。そしてホワン辺りを最高評議会議長に据えてしまえば良いのです。
本気で「民主主義を擁護する」というのであればここまでやらなければ話になりません。ヤンにはそれを行うだけの覚悟もなければ努力も全くやっていないのですから、ヤンの政治的怠慢ぶりは批判されて然るべきなのではないでしょうか。
冒険風ライダーさん
> 「地球軍の暴虐」って、地球軍の独走的な行動によるものでしたっけ? 軍による植民地星系に対する弾圧は地球政府の命令によるものでしたし、その背景には「地球資本の権益を擁護する」という目的がありましたから、むしろ地球政府自身が植民地星系の弾圧に熱心だったみたいなのですけど。実際、地球政府の行政官自身が植民地星に対する蔑視発言をしたりしています(銀英伝6巻 P17)。
六巻(トクマノベルズ)のP16には、軍部はすでに議会内にも言論界にも充分な数の代弁者を獲得していたとありますので、ある意味軍部は政府よりも影響力を有していたのではないでしょうか。また、P20には、
この事件(地球軍がシリウスの主星ロンドリーナで蛮行を働いて報道記者の告発を受けたが一方的な裁判で無罪になった事)で、地球軍は味をしめた。(中略)軍部は、もはや軍人というより盗賊集団の目つきで、つぎなる理想的な戦場を探し求めた。
と書かれていますので、これは政府が軍部の蛮行を追認していたという事であり、地球軍は政府のコントロールから半ば離れた、「国家の中の国家」と化していたと言えるのではないでしょうか。
> それに銀英伝世界においても、地球軍の異常な肥大化に対する批判を主張していたのも統一議会の軍縮・軍備管理部会でしたし、時代が下って、ルドルフの劣悪遺伝子排除法に対して民意を代表した非難を浴びせたのもまた議会の一部勢力です。こんな歴史があるにもかかわらず、同盟では立法府の権限を弱めてしまったのですか? だとすると、同盟の建国者やその子孫達は歴史から一体何を学んでいたというのでしょうか?
> それに行政府の権限を強化するというのであれば、なおのこと「行政に対するチェックシステム」の役目を担う立法府の権限を強化する必要性があるではないですか。「人間の自制心」なんてそんなにアテになるシロモノではありません。それは銀河連邦の将来を憂い、より良い政治をめざしていたはずのルドルフが銀河帝国皇帝になった途端、自己神格化の権化になってしまった事でも証明されているでしょう。もともとが暴走しやすい行政府の権限を強化するのであれば、それとともにそれを掣肘できる立場にある立法府の権限もまた強化しなければならないはずです。
> アメリカがその良い例でしょう。アメリカは行政府の権限も強いのですけど、それ以上に大統領を掣肘する立場にある議会もまたかなりの権限をもっています。大統領が決定した政策を議会が否決したなんて例はたくさんあります。日本の総理大臣と比べて強大な権限が行使できると言われているアメリカ大統領ですら議会の意思には背けないのです。そしてこれが本当の民主主義というものでしょう。
> だから民主主義国家において、まともな「チェックシステム」がないというのは論外なのです。
>
> それから「行政府の権限の強化」自体は、実は民主主義を維持していくためにも必要不可欠なものなのであって、別に「戦時」だけでなく「平時」においても、行政府の権限は強い方が望ましいのです。むしろ行政府の権限が弱いと、それが却って独裁者を出現させる土壌になってしまうことすらあるのです。
> なぜナポレオンやヒトラーのような独裁者が民主主義国家から現れたかという命題があるのですが、その理由のひとつに、
> 「行政府の権限が著しく弱かったために対外有事や大不況に中央政府がまともに対処する事ができず、それに嫌気がさした民衆が、問題を速く解決できるだけの強大な権限を持つ独裁者の出現を望んだ」
> というものがあります。政府が右往左往するだけで何もできない状況下で「民主主義の意義」を唱えたところで何の意味もありません。よほどの教条主義者でもない限り「民主主義」よりも「自分の生活」の方が大事に決まっています。だから民主主義を実行するためにも、まずは国民の生活を守る事から始めなければならず、そのためには行政府に強大な権限を持ってもらい、その権限を使って迅速に有事に対処してもらった方が民主主義存続のためにも良いわけです。
> そして行政府が強大な権限を持つ事が求められるからこそ、その強大な権限によって行政府が暴走する事を防ぎ、行政府に効率の良い政治を運営させるために、立法府や裁判所による「チェックシステム」や「3権分立による相互牽制作用」が必要不可欠になるわけです。
> これから考えれば、同盟政府のチェックシステムなき強大な権力がいかに民主主義にとって有害なものであるかがお分かりいただけるでしょう。だからこそ同盟はまともな民主主義国家であるとは到底言えないわけです。ましてやエル・ファシル独立政府やイゼルローン共和政府に至ってはゴールデンバウム王朝銀河帝国以下の独裁体制であるとすら言っても過言ではないでしょう。
> こんなシロモノを守るためにヤンとヤン・ファミリー一党はラインハルトと戦っていたわけです。無意味な戦いなど止めてさっさとラインハルトに降伏してくれれば、平和と繁栄が招来したというのに。彼らは自分たちの自己満足のために戦っていたとでもいうのでしょうかね。
これらの民主主義は、戦時下における非常の策だったのかもしれません。同盟が立法府の権限を弱めたのも、行政が下した決断に歯止めをかけさせない為とも考えられます。無論これは民主国家のチェックシステムとしては失格でしょうが、強い指導制と即断即決を駆使して帝国に対抗しようと考えての結果で、帝国を倒して後に立法府の権限を回復させようとしていたのかも知れません(でもこれだと救国軍事会議のエベンス大佐の主張とまったく同じですね。まあ、軍人と国民に選ばれた政治家による運営の差、という事にしておきましょう。このあたりの反論はもう苦しいです(^_^;))。
> それではジギスムント痴愚帝やアウグスト流血帝の時代になぜ共和主義者が台頭しなかったかという理由は説明できますか? 彼らの時代は民衆から相当な不信を抱かれていましたし、彼らの時代にも同盟は存在しなかったのですけど。
> 彼らの時代には共和主義者台頭の余地が十二分にあったのではないでしょうか?
ジギスムント痴愚帝の治世は十五年、アウグスト流血帝の治世は六年に及びましたが、それぞれオトフリート二世、エーリッヒ二世によって終止符を打たれています。彼らの事後処理が見事であったので、暴君の治世時に台頭しかけていた共和主義勢力も暴君の後の名君の登場により機会を失ってしまったという事なのでしょう。また、
銀河英雄伝説外伝第一巻(トクマノベルズ)P146上段
ひとつの曲折点は、自由惑星同盟という「外敵」の出現であった。幾世代にもわたって専制主義しか知らずに生まれ育った人々の前に、民主共和政治という「危険な」病原菌があらわれたのだ。
この文章から考えると、帝国内の共和主義勢力は、帝国と同盟が接触した時期に至っても弱小で、民衆にその存在をあまり認知されていなかったのではないかと思われます。だから、暴君が登場してもそれに乗じるだけの力がなかったのでは?ノイエ・シュタウフェン公による大弾圧による被害が、300年以上かけても回復出来なかったのでしょうか。だとしたら何ともはや…。むしろ帝国内の共和主義勢力は、同盟の登場以降に勇気づけられ活性化したのかも知れませんね。
> 同盟という「逃げ場」ができた共和主義者たちは、帝国政府から目をつけられるとすぐに同盟に亡命するようになってしまい、危険な帝国で民主運動をする意義がなくなってしまった、という理由で説明できるのでは? 同盟に行けば(実物とはかけ離れたシロモノであるとはいえ)民主主義が「一応」存在するのですから、危険を侵してまで民主運動などする理由がありませんわな。
銀河帝国の領域はかつての銀河連邦の支配地域であったのですから、その領域に対しての愛着心もあったでしょうし、帝国内の共和主義者がそんな大量に同盟やフェザーンに亡命出来たとは考えにくいと思うのですが、やはり優れた帝国内の運動家は同盟やフェザーンに流れていってしまっていたのでしょうか。
> そして同盟政府もまた、帝国国内にいる共和主義勢力を利用しようともしなかったのでしょう。彼らと連携を組んだという形跡もありませんし。そのため彼らの運動はますますもって孤立無援なものとならざるをえなくなるわけです。同盟政府もつくづく無能な連中ばかりだと言いたくなりますが。
なにしろ帝国内の共和主義勢力の描写が至って少ないですから、同盟との連携があったかどうかハッキリとは分かりませんね。ジークマイスターとミヒャールゼンによるスパイ網の提供などは連携と言えるでしょうが、これは二人が積極的に活動した結果で、同盟が能動的に成立させた訳ではないですし。
> レベロの事例と漢の高祖や明の洪武帝の事例というのは、猜疑心の背景が全く違うのではないでしょうか。
> 漢の高祖や明の洪武帝の場合は、敵も一応片づけて国家体制がそれなりに安定したため、もはや「必要がなくなった」武将達に「こいつは叛逆を企んでいるのではないか」という猜疑の目を向けて処分していったのに対し、レベロの場合は、国家体制が傾く寸前にあり、それを維持していくだけですでに精一杯だったのです。だから同盟の場合はむしろヤンの力が「必要とされていた」はずなのです。
実際はヤンも同盟政府から「必要がなくなった」と思われたからこそ退役できたのではないでしょうか。帝国と和平を結んだ以上、ヤンには活躍の機会はありませんし、デスクワークでは役に立たない(^^;)。フィッシャー、ムライ、パトリチェフなどの軍に残留した幕僚達は利用価値がなくなったと見なされて辺境に飛ばされていますし(キャゼルヌは和平締結後の事後処理のため、後方勤務本部長代理に就任していますけど)。
「帝国とは圧倒的な兵力差があり、ヤンでも最終的な勝利は望めない」とは、おそらくは同盟政府の高官達の認識ではなかったでしょうか(エル・ファシル独立政府の高官の一人はそう考え、ロムスキーにヤンを帝国に引き渡す事を進言しています)。六巻(トクマノベルズ)のP128からP130には、ヤンを帝国に売り渡して身の安全を得ようと考えていた権力者達の描写がありますが、彼らにとってヤンはもはや「軍人」としての価値がなかったという事であり、レベロがヤンを排除する決断を下したのも、ヤンの存在を危険視したのと同時に、帝国が上位の存在となった以上、ヤンはもう軍人としての利用価値はないと考えたからではないでしょうか。
> だからレベロは「国家体制を存続させる」という目的から言っても、ヤンを「処分」ではなく「懐柔」する必要があったのではないかとすら思うのですが、それにもかかわらず無用な猜疑心を向けているんですね。これはやはりレベロがヤンに対して「ヤンは何かをしかねない」という誤解を抱いていて、その誤解の大元に「レベロがヤンの表層的な行動しか見ておらず、その思想や考え方を全く理解していない」という原因があるからだと考えたからこそ、「ヤンはレベロの誤解を修正し、自分を理解させる必要性が絶対にあった」と主張していたわけです。
レベロにとって、抱いている猜疑心が無用なものであるとは思えなかったでしょう。レベロが疑っていたのは現在における「ヤン個人」というより、変貌を遂げた「架空のヤン」だったのでは?原子力発電所がどんなに安全性を示しても地域住民の不安をぬぐう事が出来ないのと同じで、ヤンが絶対に変貌を遂げないと言う保証は誰にも出来ない訳ですから、ヤン自身が「自分は絶対変貌しません」とレベロに誓約しても、自分の思想を細かに語っても、それは「未来においてのヤン」の安全性を確約する事にはならないとレベロは考えたのではないでしょうか。
> そもそもレベロとヤンには共に「民主主義を存続させる」という共通目的があったのですから、個人的な仲がどうであろうと、その共通目的のために互いに手を取り合って政治を運営する事はそれほど困難な事ではなかったと思うのですけど、両者とも互いに歩み寄った形跡すらありません。同盟が崩壊寸前であるというのに、体面だの感情だのに拘ってどうするというのでしょうか。そんなことに拘っている場合ではなかったでしょうに。
> ヤンが民主主義国家における軍人として失格であると同時に、レベロもまた民主主義国家における政治家として失格であるというわけですか。どうりで同盟が滅亡するわけですね。政治的連携よりも個人の体面や感情が優先されるというのでは。
> まあ同じような事情は帝国の方でも見られ、ラインハルトの個人的感情に基づいて無為無用な戦争が幾度も起こっていますから、「感情に基づいて行動していた」という点においては帝国側もあまり誉められたものではないのですけどね。何で銀英伝にはこうも感情に基づいて行動するキャラクターばかりいるのか、私は理解に苦しむのですけど。
トリューニヒトという濁流とレベロという清流。何とも極端ですね。もう少し「清濁を併せ呑む」という人材が同盟にはいなかったのでしょうか。ホワンもどちらかと言えば清流に属していたみたいですし。