これは読んでいないので(今更読む気も起きません。創竜伝と同じで、金を払うのも勿体ない)、内容について深く突っ込むつもりもないですけど、冒険風ライダー氏が紹介しているような内容であれば、
「魔都・東京に巣喰う魑魅魍魎どもをやっつける、陰陽師の末裔の美人警視」
というような設定に最初からしておいて「オカルト全肯定」にした場合、一体何が問題なんですかね?そうすりゃ、術者やら異能力者やら、妖怪やら何やら出したい放題ですし。創竜伝でも妖怪やら化け物がうじゃうじゃ出てきている(そもそも主人公たちが化け物の一員だし)くらいなんだから、ミステリーを書きたい訳でもなかったのであれば、オカルト否定の内容なんぞ盛り込む必要が全くないではありませんか。
そうすると、GS美神あたりとあまりにかぶってしまうので、拙いとでも思ったんですかね?
<「魔都・東京に巣喰う魑魅魍魎どもをやっつける、陰陽師の末裔の美人警視」
というような設定に最初からしておいて「オカルト全肯定」にした場合、一体何が問題なんですかね?>
作中のオカルト描写に対して、作者である田中芳樹個人の思想信条が拒絶反応を起こしているため、そのガス抜きとして入れなければならなかった、というのが最大の理由なのでしょうね。
田中芳樹は、アルスラーン戦記のインタビュー記事でもこんなことを述べていましたし↓
アルスラーン戦記読本 P18~P20
<――:
『アルスラーン戦記』も、物語の作り方自体はむしろオーソドックスなのではないかという気もしますが。
田中:
……と、ぼくも思ってるんですけど。はたからは「違うね」と言われることはよくあるんです。
ぼくは、そういった点からも、魔法というものは極力排除しようとしたわけです。ですから出てくるのはせいぜい忍法ていどのものですね。
――:
……忍法……
田中:
ナルサスのセリフとして書きましたけども、要するに「魔術で国が滅びた例はあっても、魔術で国が興った例はない」というのが基本コンセプトなので。だからぼくの場合、「歴史の中で、人間の営みを多少撹乱する」というていどの役割しか、魔術に期待してないわけです。「田中さんは魔術に否定的なんですか」と言われたこともありますが、『アルスラーン戦記』の世界では確かにそうですね。あんまりそれに頼るよりは、やっぱり魔術なんか使えない人間が、つまずいたり、転んだりしながら前進していくほうに、ぼくはひかれるようでして。
――:
ただ、その魔術という要素によって、作品世界に広がりが出てくるということも確かですね。
田中:
ええ、ですから要するに調味料……香辛料という役割ですね。とりあえずアルスラーンの部下で、魔術めいたものに接点があるのというのはファランギースくらいですけど、あの人もだいたい主な武器は、剣と弓と口ですから(笑)。>
実際にはアルスラーン戦記どころか、オカルト描写なくしては成立しえないはずの創竜伝や薬師寺シリーズですらオカルト否定が存在するわけですから、田中芳樹のオカルト嫌いは相当なものなのでしょう。たとえオカルトや魔術がバリバリに出てくるフィクションの世界であってさえも、田中芳樹はオカルト否定を何が何でもぶちこまなくては気がすまないわけです。
一般的な使われ方とは逆の意味で、田中芳樹は現実とフィクションの区別がついていない、としか言いようがないのですけどね。もちろん、これはオカルト否定だけでなく、作中の社会評論全てに対して言えることですが。
<ミステリーを書きたい訳でもなかったのであれば、オカルト否定の内容なんぞ盛り込む必要が全くないではありませんか。>
しかも、支離滅裂ながらホラー路線が決定したにも関わらず、何と2巻以降もオカルト否定論が出てくる始末ですからね。作品の自己否定などをやらかして、田中芳樹は一体何が楽しいのでしょうか?
まあひょっとすると、オカルト作品でオカルト否定を展開する、という手法こそが、田中芳樹にとっては「ストレス解消」の一種であるのかもしれませんが(苦笑)。
> 今回より、薬師寺シリーズを1巻から順に論評していく新企画を展開していきたいと思います。
「コミック版は嫌いではない」といった手前、それなりに思うところを検証させていただきます。
> この内容から考えると、薬師寺シリーズで田中芳樹が当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした【ミステリー小説】」だったのではないかと思われます。
> 「ミステリー」の定義については、辞書によると、
>
> (1)神秘的なこと。不可思議。なぞ
> (2)怪奇・幻想小説を含む、広い意味での推理小説
>
> ということになっているのですが、これでは下手をすれば創竜伝なども「ミステリー小説」と定義しなければならなくなりますので、ここでは以下に提示してある「田中芳樹自身によるミステリー(およびSF・ホラー)の定義」をベースにした推理探偵物、ということで話を進めていきます。
「白い顔」という短編は割りと傑作だったと思っています。
> 「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」だの「風水学」だのといったオカルト的要素を、主人公たる薬師寺涼子が「ばかばかしい」「茶飲み話の種以上のものじゃないわね」と「一刀両断してのけた」という描写を、それも作品の序盤に持ってきているわけです。これから考えれば、薬師寺シリーズが「(オカルト的要素を完全排除した)現実世界に立脚した合理的な説明を要する」ミステリー系の推理小説を志向している、と考えるのは自然な流れというものでしょう。
> また、ストーリーの流れを見ても、物語中盤付近までは「一見非合理的に見えるトラブル」が多数多発していても、終盤で探偵役が「現実世界に立脚した合理的な理論」で全て説明してしまえれば「ミステリー系推理小説の一情景」として処理することも不可能ではない描写が続いていたため、「一体どうやって合理的に説明するんだ?」というミステリー系推理小説的な期待を抱かせる構成になっているわけです。
> これらのことから考えると、薬師寺シリーズがすくなくとも当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした、【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」だった、ということになるのではないでしょうか。
思うに薬師寺涼子はあれなりに「スーパーヒロイン」なんだと思います。
「常識で測れる事は全てわきまえていて知識として非常識までフォローする、そしてこの全知の知性と卓越した判断力、行動力で『怪事件』の原因の最も妥当性の高いもの、それが妖魔であろうとも、を探り当て仕留める万能のアタクシ」なんだろうと。
だから
> 目の前の現場が混乱を極める中、突然「架空のオカルト本」を探し出すという、「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」とは到底相容れないことをおっぱじめる薬師寺涼子。ちなみにここで出てきた「幻獣妖虫大全」なる本は、ここまでの描写で伏線として登場してすらおりません。
などは「あの非常識な女なら知ってて不思議は無いいかがわしい稀覯本」なんでしょう。
「デウス・エクス・マキナ」「マジックアイテム」は大概「なんじゃそりゃあ!」と絶叫されて当たり前な物件ですし。
> ……何と言うか、他ならぬ薬師寺涼子自身がつい70ページほど前で全否定的なまでに一刀両断していた、「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」だの「風水学」だのの話は一体どこにいってしまったのですか、と思わず言いたくなるようなシロモノですね、ここの文章って。「現代科学の常識が通用しないこと」が薬師寺涼子の周囲で起こっているのであれば、「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」や「風水学」だって、別にあっても不思議ではなくなりますし、バカバカしいことでもなくなってしまうでしょうに。
「薬師寺涼子はバカバカしい女である、いろんな意味で」という意味は通じるかと。
> それに、この文章って「なぜドラキュラなどという名が引きあいに出されるのか」と言う理由の説明にすら全くなってはいないのですけどね。「現代科学の常識が通用しないこと」「良識ある人々に忌避され、神秘主義者やオカルト業者や自称超能力者たちに喜ばれるようなこと」から、どのような論理と過程を経て「ドラキュラ」という名が導かれるのか、という説明が完全に欠如しているのですから。別にドラキュラでなくても、「ドラゴンもまたいで通る」から「ドラまたお涼」でも一向に構わないのではありませんかね(爆)。
> どうせ元ネタは誰の目にも一目瞭然なわけなのですから、素直に「スレイヤーズからパクリました」と表記するか、そこまで露骨かつ正直でなくても、「某ライトファンタジー小説の女主人公の呼び名からトレースして……」といった類の文章でごまかす、くらいの工夫をこらして説明しておいた方が、ここでは却って良かったのではないかと思うのですけどね~。
これはその通りなんですが、一応オカルトネタ小説ですから恐れてくれる相手はドラキュラの方が、「神か怪獣」の両極端なドラゴンよりは妥当でしょう。
> ちょっとちょっと泉田君、アンタは同じ日のほんの少し前に薬師寺涼子が、どこからどう見てもオカルトに属するであろう「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」「風水学」に対して「ばかばかしい」と全否定かつ一刀両断していた様を眼前で見ていたはずでしょう。にもかかわらず、突然「架空のオカルト本」の中にある架空の虫が今回の事件の犯人(?)であると喚きだした挙句、「どう、怪物の存在を信じる?」などと自分に迫ってくる超劣化コピーロボットに対して、少しは疑問を抱くとか、「ついさっき他ならぬあなた自身がオカルトを全否定していたのでは?」とツッコミを入れようとは考えられなかったのですかね?
一応現代劇で化物は天災みたいなものですが薬師寺涼子は「今ここにある脅威」です。
「返答次第で私は殺される、いや、より酷い目に合う」という自己保身くらいは許してやっても良いのでは?
> かくして、せっかく当初はミステリー系推理小説を志向し、そのためのお膳立ても整えていたにもかかわらず、作者たる田中芳樹がプロ作家としてはおよそ考えられないほどに安直な解決法に突っ走ってしまったがために、薬師寺シリーズはひとつの可能性を自ら閉ざしてしまうこととなったわけです。
いや、No.7922の不沈戦艦さんじゃありませんが、これ菊地秀行とか夢枕獏系伝奇アクション田中芳樹風味なんじゃないんでしょうか。
> 前述の泉田準一郎もそうなのですが、その導き出された過程からして突発的かつ不自然でツッコミどころ満載な薬師寺涼子の電波理論が、何故ここまですんなりと周囲に受け入れられてしまうのでしょうか。ただひとり、かろうじて室町由紀子が「根拠のない妄想」という至極妥当な評価を薬師寺涼子に叩きつけておりますが、所詮は元作品でも影の薄い小笠原エミのクローン人形に過ぎない彼女の主張は、ストーリーの都合によるものなのか、あっさりとスルーされて終わりですし。
> 考えてもみてください。いくら現実世界で大規模かつ原因不明なトラブルが発生しているとはいえ、何の脈絡もなく「これは妖怪や怪物の仕業だ!」などと大真面目に語る人間がいたら、それに対する周囲の大多数の反応は「こいつ頭がおかしいんじゃないか?」「気でも狂ったのか?」といった類のものになるのが普通ではないでしょうか。ましてや、薬師寺シリーズの世界観は、スレイヤーズや極楽大作戦のような「妖怪・怪物および怪奇現象が日常的に出現・発生することが常識とされている世界」などではないのですから、特殊なオカルト信奉者ならばともかく、普通一般の人達は、非常識なオカルト的現象に対してまず懐疑の目を向けざるをえないはずでしょうに。
> オカルトが(すくなくとも公的には)否定されている世界であくまでもオカルト的な主張を行い、その主張を万人に認めさせようというのであれば、まずはそれ相応の客観的に認められる証拠を提示し、筋の通った説得力のある論を展開することが必須条件なのではないかと思うのですけどね。そういうある意味「王道」的な描写を抜きにして薬師寺涼子の突拍子もない推理話が展開され、しかもそれを周囲も現実も何の疑いを持つことなく受け入れてしまうから、ホラー話として見てさえ理解に苦しむ描写になってしまうのですが。
> この辺り、どうも薬師寺シリーズには全体的に「手抜き描写」が目立つんですよね。まあ、「ストレス解消のためにこんな作品を書いてみました」などと作者本人が公言しているだけあって、薬師寺シリーズでは「1+1=2」以上に難しいことを田中芳樹は考えたくなかったのかもしれませんけどね(笑)。
室町由紀子には「唯一常識の範疇内の事象で薬師寺涼子に匹敵する人材」というのが役割と考えますので、異常現象で無力なのは仕方ない所かと。
そして彼女を含めた脇役については
「超人を表現する二つの方法:1.ちゃんと超人を描写する
2.周囲を『超人』に指定した人物より果てしなくしょうもなくする」
の2番を採用してるんでしょう。
余談ですがかの山本弘先生もよく2番を愛用する傾向にあります。
> 薬師寺涼子の言う「今夜の事件」というのは、壁や床の中を自由に移動できる怪物がビルの中を暴れ回り、美術品を破壊したり、多数の人々を殺傷したりした、というものです。これに対する最も合理的な説明というのは、怪物の存在と被害を証明する客観的な証拠を明示した上で、事実をありのままに話す、ということであるはずです。事実関係から言っても、警察の存在意義および保身の観点から見ても、これに勝る選択肢があるとは考えられません。
これはどうでしょう?
漫画デビルマン終盤の『悪魔狩り』や人間の模倣犯、悪意の冤罪の妄想領域への拡大化を防ぐという側面は評価してもいいのでは?
(同種の)化物の仕業は何百年に1回あるかなしかでしょうが人間の悪意は24時間無休ですし、『あの』薬師寺涼子以外に非常識の領域を、例えば普通の警官などに任せるというのは無謀ですし誰も幸せにならないのでは。
> そして、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、現実の前に破綻した意味不明な建前にこだわるあまり、他人の罪を勝手にでっち上げるに至ってはもう笑うしかありませんね。
> そもそも、ここで話が上がっている高市理事長とやらが今回の事件と密接に関わっている、という証拠どころか証言すら、「魔天楼」作中のどこにも見出すことはできないのですけどね。講談社文庫版P178で、薬師寺涼子が高市に対して怪物の件について直接問い質した際にも、高市は怪物について何ひとつ言及していませんし、その後はビルがクレーン車の鉄球で破壊されようとした際に、それを命じた警視総監に逆上して襲いかかり、暴行障害・公務執行妨害の現行犯で逮捕されてお終いだったのですから。現行犯についてはともかく、怪物の件については、彼はすくなくとも完全なクロではない、と判定するしかないわけです。
> その高市を、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという破綻した名目のために、「高市理事長の妄想とコンピューターの暴走という線で話をつくる」ことで事件の黒幕に仕立て上げる、などということが、刑事捜査の観点から見て許されることなのでしょうか。これは全てを承知の上での確信犯であるという点で誤認捜査や誤認逮捕などよりもはるかに悪質なものであり、警察権の乱用と見做されるものですらあるのです。
> オカルトに依存しながらオカルトを全否定するという、「魔天楼」のみならず薬師寺シリーズ全体を蝕む病理を、この問題はこれ以上ないほど醜悪かつグロテスクに象徴していると言えるでしょう。
デタラメです。
しかし時にデタラメというのは一種の爽快感を伴うものでもあります。
「破壊の快感」というところですか。
> 田中芳樹は結局、薬師寺シリーズで一体何がしたかったのでしょうか?
気楽に小説を書きたくて、あれが田中先生の「気楽」なんでしょう。
それはそれで良いと思いますよ、私は苦笑しますが。
> さて次回は、薬師寺シリーズ2巻「東京ナイトメア」について論じてみたいと思います。
久しぶりの冒険風ライダーさんの一刀両断、期待してます。
<これはその通りなんですが、一応オカルトネタ小説ですから
恐れてくれる相手はドラキュラの方が、「神か怪獣」の両極端
なドラゴンよりは妥当でしょう。>
いや、問題なのはドラゴンと同じくらいにドラキュラにも何ら妥当性がないということなのですが。
あの説明でドラキュラに妥当性があるというのであれば、たとえば「ゲゲゲの鬼太郎も避けて通る(キタよけ?)」とか「ぬらりひょんもまたいで通る(ぬらまた?)」でも良いはずですし、日本妖怪のみならず、ギリシャ神話や北欧神話その他の物語にも、その手のメジャーな妖怪は腐るほどいると思いますが(苦笑)。
<一応現代劇で化物は天災みたいなものですが薬師寺涼子は
「今ここにある脅威」です。
「返答次第で私は殺される、いや、より酷い目に合う」という
自己保身くらいは許してやっても良いのでは?>
薬師寺シリーズの語り部である泉田準一郎の心のモノローグとして語る、という手があると思いますけどね。実際、警察の上役相手には、語り部の内心披露という形で悪口ばかり並べている描写があちこちにありますし。
面と向かって言えればそれはそれで面白いと思いますが、まあ「あの」泉田準一郎では無理な話でしょうね。
<いや、No.7922の不沈戦艦さんじゃありませんが、
これ菊地秀行とか夢枕獏系伝奇アクション田中芳樹風味
なんじゃないんでしょうか。>
結論だけを見ればまさにその通りでしょうが、「魔天楼」序盤のオカルト否定および中盤までのストーリー進行、それに田中芳樹のインタビュー記事を読む限りでは「すくなくとも当初はミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」と考える方が色々と辻褄が合うんですよね。特にオカルト否定などは「ホラーアクション系」として見た場合、明らかに不要どころか、作品の存在意義にすら抵触しかねないほどの邪魔なシロモノですし。
そんなわけで、すくなくとも薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」については、「ミステリー系推理小説」としての観点からもあえて検証する必要があるのではないかと私は考えたわけです。
まあ、路線が確定した2巻以降は「ホラーアクション系」としてのみ見ても良いでしょうけど。
<これはどうでしょう?
漫画デビルマン終盤の『悪魔狩り』や人間の模倣犯、悪意の冤罪の
妄想領域への拡大化を防ぐという側面は評価してもいいのでは?
(同種の)化物の仕業は何百年に1回あるかなしかでしょうが
人間の悪意は24時間無休ですし、『あの』薬師寺涼子以外に非常識
の領域を、例えば普通の警官などに任せるというのは無謀ですし
誰も幸せにならないのでは。>
普通の警官に対しても妖怪に関する知識を与え、ある程度の対処法が取れるようにしておく、というのは極めて合理的な選択肢ですし、そもそも薬師寺シリーズの場合、妖怪の存在を隠蔽しても、妖怪を使った犯罪は起こる可能性が十二分にあるわけですよね。少数の犯罪であっても一般人が全く対処できない、というのはかなり危険な状態なのではないでしょうか。
妖怪の存在を知った人間が同種の模倣犯罪に走る、という可能性も確かに存在するでしょうが、全員が知っていれば対策も作りやすくなりますし、警察全体が対妖怪の対処能力を身につけることによって、むしろその犯罪を抑制できる方向に行くのではないかと思うのですが。
それに、妖怪の存在を隠蔽するために、すくなくとも犯罪が完全には立証されていない人間に無実の罪を着せることが、オカルト云々を抜きにして妥当だと思いますか? もちろん、これはあらゆる法的観点どころか人道的・道徳的見地から見てさえ到底許されることではありませんし、隠蔽の事実が明らかになれば、それこそが世間からの非難の対象になりかねないのですが。
<久しぶりの冒険風ライダーさんの一刀両断、期待してます。>
ありがとうございます。
今回のシリーズは比較的スローペースで進行することになりそうですが、気長にお待ち頂ければ幸いです。
まあ、どこぞの遅筆作家のように3~5年に一度の刊行、などというレベルにはさすがになりたくはないですが(苦笑)。
> いや、問題なのはドラゴンと同じくらいにドラキュラにも何ら妥当性がないということなのですが。
> あの説明でドラキュラに妥当性があるというのであれば、たとえば「ゲゲゲの鬼太郎も避けて通る(キタよけ?)」とか「ぬらりひょんもまたいで通る(ぬらまた?)」でも良いはずですし、日本妖怪のみならず、ギリシャ神話や北欧神話その他の物語にも、その手のメジャーな妖怪は腐るほどいると思いますが(苦笑)。
一応ドラキュラ、と言いますかヴァンパイアといえばホラー系モンスターの王様格でしたので。
ただ「何でもいい」と言うのは確かにそうで、実は「悪魔(デーモン)もよりつかない」『デモよけお涼』というのは結構官憲らしくて悪くない気がしてます。
>今回のシリーズは比較的スローペースで進行することになりそうですが、気長にお待ち頂ければ幸いです。
>まあ、どこぞの遅筆作家のように3~5年に一度の刊行、などというレベルにはさすがになりたくはないですが(苦笑)。
その遅筆作家が珍しく好ペースなのがアレですが何であれ楽しみにお待ちしてます。
何せ巻数の分ネタも増えてる訳ですし。
<いや、問題なのはドラゴンと同じくらいにドラキュラにも何ら妥当性がないということなのですが。
あの説明でドラキュラに妥当性があるというのであれば、たとえば「ゲゲゲの鬼太郎も避けて通る(キタよけ?)」とか「ぬらりひょんもまたいで通る(ぬらまた?)」でも良いはずですし、日本妖怪のみならず、ギリシャ神話や北欧神話その他の物語にも、その手のメジャーな妖怪は腐るほどいると思いますが(苦笑)。>
<一応ドラキュラ、と言いますかヴァンパイアといえば
ホラー系モンスターの王様格でしたので。
ただ「何でもいい」と言うのは確かにそうで、実は
「悪魔(デーモン)もよりつかない」『デモよけお涼』
というのは結構官憲らしくて悪くない気がしてます。>
うーん、「吸血鬼ドラキュラ」と言うと「美女の生き血を好む」というのが一般的なイメージであり、美女であると同時にしばしば周りに怪奇な事件が起こる薬師寺涼子の異名「ドラよけお涼」は「美女好みのドラキュラすらよけて通るほどに厄介で異質な美女」という意味がこめられているのだと思われます。
<うーん、「吸血鬼ドラキュラ」と言うと「美女の生き血を好む」というのが一般的なイメージであり、美女であると同時にしばしば周りに怪奇な事件が起こる薬師寺涼子の異名「ドラよけお涼」は「美女好みのドラキュラすらよけて通るほどに厄介で異質な美女」という意味がこめられているのだと思われます。>
田中芳樹がそんな意味を込めて「ドラよけお涼」なるネーミングを考えたとは思えませんね。
例の元文では、ドラキュラとの対比で「切り裂きジャック」と「怪人二十面相」が挙げられているのですが、どちらも日本では一般的にはかなりマイナーなシロモノですし、「怪人二十面相」に至っては「美女を好む」という設定自体が存在しません。つまり、「美女を好む」というのはネーミングの必須条件ではないということになるわけです。
また、「美女を好む」系の妖怪だって、別にドラキュラしか存在しないわけではないでしょう。たとえば男性型夢魔のインキュバスなどはまさにドラキュラと同じくらい「美女を好む」という条件に該当しますし、「一般的なイメージ」だけで採用されても良いのであれば、やたらと女性を襲うイメージがある狼男や「13日の金曜日」の殺人鬼ジェイソンなどが候補に挙がっても良いはずでしょう。あの例の説明に「美女を好む」という設定を追加しても、まだまだドラキュラ「だけ」が特定されるには至らないわけです。
やはりここは「ドラまたリナ」からパクリましたと、素直に認めてしまった方が却って良かったのではないかと思うのですがね~。
<田中芳樹がそんな意味を込めて「ドラよけお涼」なるネーミングを考えたとは思えませんね。
例の元文では、ドラキュラとの対比で「切り裂きジャック」と「怪人二十面相」が挙げられているのですが、どちらも日本では一般的にはかなりマイナーなシロモノですし、「怪人二十面相」に至っては「美女を好む」という設定自体が存在しません。つまり、「美女を好む」というのはネーミングの必須条件ではないということになるわけです。>
逆に考えれば「美女を好む」という要素がない事も「切り裂きジャック」と「怪人二十面相」が異名の候補からはずされた一因かもしれません。
「切り裂きジャック」と「怪人二十面相」は「人間の仕業で説明可能な存在」の例えであり、「ドラキュラ」は「人間の仕業で説明困難な存在」の例えという違いという事なのではないかと思います。
<また、「美女を好む」系の妖怪だって、別にドラキュラしか存在しないわけではないでしょう。たとえば男性型夢魔のインキュバスなどはまさにドラキュラと同じくらい「美女を好む」という条件に該当しますし、「一般的なイメージ」だけで採用されても良いのであれば、やたらと女性を襲うイメージがある狼男や「13日の金曜日」の殺人鬼ジェイソンなどが候補に挙がっても良いはずでしょう。あの例の説明に「美女を好む」という設定を追加しても、まだまだドラキュラ「だけ」が特定されるには至らないわけです。
やはりここは「ドラまたリナ」からパクリましたと、素直に認めてしまった方が却って良かったのではないかと思うのですがね~。>
うーん、この辺りはやはり日本における「吸血鬼ドラキュラ」という名の知名度の大きさがものを言っているのかもしれません。
ひとつの例としては、グーグル検索で“ドラキュラ”“吸血鬼”“狼男”“インキュバス”“夢魔”“13日の金曜日”“殺人鬼ジェイソン”などを検索してみますと、
“ドラキュラ” に一致する日本語のページ 約 2,060,000 件中 1 - 10 件目 (0.04 秒)
“吸血鬼” に一致する日本語のページ 約 1,030,000 件中 1 - 10 件目 (0.03 秒)
“狼男” に一致する日本語のページ 約 439,000 件中 1 - 10 件目 (0.17 秒)
“インキュバス” に一致する日本語のページ 約 106,000 件中 1 - 10 件目 (0.20 秒)
“夢魔” に一致する日本語のページ 約 335,000 件中 1 - 10 件目 (0.22 秒)
“13日の金曜日” に一致する日本語のページ 約 697,000 件中 1 - 10 件目 (0.21 秒)
“殺人鬼ジェイソン” に一致する日本語のページ 約 4,790 件中 1 - 10 件目 (0.19 秒)
といったような結果が出ます。他のいくつかの検索エンジンでも試してみた所、程度の差こそはあれ、「ドラキュラ」や「吸血鬼」のヒット数が一番多かったですね。少なくとも日本では美女好みの妖怪・怪物の中で「吸血鬼」「ドラキュラ」のネームバリューは一般的にも結構大きなものという証拠の一つになるのではないかと。作者である田中氏も吸血鬼を主人公とした「ウェディング・ドレスに紅いバラ」の中で、
「ウェディング・ドレスに紅いバラ」(トクマノベルズ・1989年)P70
<吸血鬼の存在を、警官たちは知っていた。映画や怪奇小説の登場人物としての吸血鬼を、である。吸血鬼、狼男、フランケンシュタインの怪物、ミイラ男。大半の日本人に知られている怪奇スターだ。>
と、吸血鬼を筆頭に書いていますので、「吸血鬼」「ドラキュラ」のイメージは絶大だと田中氏も認識していたのも「ドラキュラ」を薬師寺涼子の異名に取り入れた理由の一つかも知れません。
あと、自分もさすがに「ドラよけお涼」が「ドラまたリナ」のパクリ(或いはインスパイアないしリスペクト?)であろう事までは否定しません。「ウェディング・ドレスに紅いバラ」といった吸血鬼を題材にした作品を執筆したり、「創竜伝」の中でも吸血鬼論を述べた事のある田中氏としては、「ドラまたリナ」をもじって、それなりに造詣のある「ドラキュラ」の名を使って自分の作品に採り入れたという事なのかも(確かにひねりがいささか足りないとは思いますけど)。
<逆に考えれば「美女を好む」という要素がない事も「切り裂きジャック」と「怪人二十面相」が異名の候補からはずされた一因かもしれません。>
「美女を好む」という観点から見ると、そのチョイスはかなり中途半端なものに思えてならないのですけどね。「切り裂きジャック」は女性のみを狙った連続殺人犯ですからむしろ「美女(というより女性)を好む」という条件に合致しそうなのに対して、「怪人二十面相」は男女を問わず殺人が嫌いな性格をしているそうですから、全く条件に該当しませんし。
この両者が比較対象として選ばれたのは、やはり、
<「切り裂きジャック」と「怪人二十面相」は「人間の仕業で説明可能な存在」の例えであり、「ドラキュラ」は「人間の仕業で説明困難な存在」の例えという違い>
というところからでしょう。例の元文を読んでもそうとしか解釈のしようがありませんでしたし。
<あと、自分もさすがに「ドラよけお涼」が「ドラまたリナ」のパクリ(或いはインスパイアないしリスペクト?)であろう事までは否定しません。「ウェディング・ドレスに紅いバラ」といった吸血鬼を題材にした作品を執筆したり、「創竜伝」の中でも吸血鬼論を述べた事のある田中氏としては、「ドラまたリナ」をもじって、それなりに造詣のある「ドラキュラ」の名を使って自分の作品に採り入れたという事なのかも(確かにひねりがいささか足りないとは思いますけど)。>
作者である田中芳樹の考えとしてはそうなのでしょうけど、問題なのは「作品中でそのネーミングの必然性がない」ということですね。例の元文でも、「ドラよけお涼」のネーミングの由来としては「現代科学の常識が通用しないこと」ばかりが強調されていて、美女という言葉すら全く出てきていませんし。だからこそ私は「ならドラゴンでも良いんじゃないの? 元ネタなんだし(笑)」と言えるわけです。
せめて、薬師寺シリーズのストーリー上における「ドラよけお涼」のネーミングの由来となる何らかの外伝的エピソードでもあれば、もう少し作品中の必然性も出てくるのでしょうけど、そんな途中経過を抜きにして突然取ってつけたかのようにスレイヤーズネタを持ってくるわけですからね~。この辺り、作家としては手抜きも良いところなのではないかと思えてならないのですが (>_<)。
<作者である田中芳樹の考えとしてはそうなのでしょうけど、問題なのは「作品中でそのネーミングの必然性がない」ということですね。例の元文でも、「ドラよけお涼」のネーミングの由来としては「現代科学の常識が通用しないこと」ばかりが強調されていて、美女という言葉すら全く出てきていませんし。だからこそ私は「ならドラゴンでも良いんじゃないの? 元ネタなんだし(笑)」と言えるわけです。>
まあ、「ドラキュラと美女の取り合わせはごく一般的なイメージ」という思いが田中氏にはあり、それ故に説明を省略した可能性もあるかもしれません。
<せめて、薬師寺シリーズのストーリー上における「ドラよけお涼」のネーミングの由来となる何らかの外伝的エピソードでもあれば、もう少し作品中の必然性も出てくるのでしょうけど、そんな途中経過を抜きにして突然取ってつけたかのようにスレイヤーズネタを持ってくるわけですからね~。この辺り、作家としては手抜きも良いところなのではないかと思えてならないのですが (>_<)。>
まあ、他作品のパロディやオマージュを自作品に持ち込むのはマンガやアニメなどでも珍しくはないのですが、それを「上手い」と見る側に思わせるのはなかなか難しいでしょう。確かに「ドラよけお涼」は、今の所あまり「上手い」とは思えないですね。この先「外伝的エピソード」で異名の由来について詳しい事が明らかになれば、評価も変わるかもしれませんけど。
はじめまして。ダボと申します。
「薬師寺シリーズ」は『夜光曲』までは読みましたが、あまりの社会評論以前のお話としての出来の悪さにとうとう我慢出来なくなり投げてしまいました。
冒険風ライダーさんがメッタメタに斬って下さるのを楽しみにしております。
『魔天楼』については講談社ノベルズ版しか持ってないのでひょっとしたら訂正がしてあったのかもしれませんが、少々気になりましたので。
> 薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P95~P96
> <「ドラよけお涼」に関する噂のひとつを、私は思い出した。「ドラキュラもよけて通る」。なぜドラキュラなどという名が引きあいに出されるのか。
以下の引用(ノベルズ版ではP66)についてですが、ノベルズ版のP12に、
<「どうも彼女がからむ事件は妙なことになる」
という評判であった。妙なこと、というのは未解決という意味ではない。犯人は逮捕されるか自殺するかして法的に決着するのだが、警察内部で首をかしげる者が多いのである。口が裂けても公認するわけにはいかないのだが、何やら超自然的な要因がからんでいる、と思われる節が多々あるのだった。それで閉口して、いったん国外に追い出したともいわれている。>
という描写があります。
> 薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P25~P26
> <「お気に召していただけましたか」
以下の引用部分はノベルズ版ではP20~21にあることから考えても、単にこの世界に怪物はいても幽霊や占いは存在しない(正確にはお涼は信じていない)というだけではないでしょうか。オカルトといっても範囲は広いですから全てのジャンルが同一世界に存在しないといけないという訳ではないと思いますが。(ちなみに今作の犯人(?)である怪物はノベルズ版P14で一応の登場はしています)
ダボさん、はじめまして。
<『魔天楼』については講談社ノベルズ版しか持ってないのでひょっとしたら訂正がしてあったのかもしれませんが>
薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」のみは、何か特殊な事情とやらがあったらしく、講談社文庫が初出で、その後に講談社ノベルズで再販される、という流れになっています。その際、足りないページ数の埋め合わせをするために、ノベルズ版には書き下ろし短編「さわらぬ女神にタタリなし」が追加収録されています。
ですので、こと「魔天楼」に関しては、文庫版の方でノベルズ版の訂正が発生する、ということはありえません。2巻以降は「ノベルズ形態で初出版→講談社文庫の再販」の流れになっていますが。
<以下の引用部分はノベルズ版ではP20~21にあることから考えても、単にこの世界に怪物はいても幽霊や占いは存在しない(正確にはお涼は信じていない)というだけではないでしょうか。オカルトといっても範囲は広いですから全てのジャンルが同一世界に存在しないといけないという訳ではないと思いますが。>
その場合、怪物と幽霊・占いの間に明確な区別をつけた上で、作中で相応の説明文を挿入する必要があるのではないでしょうか。たとえば「怪物の存在および特殊能力は科学的・合理的に説明できるが、幽霊や占いはそれができない」とか。
しかし、実際には「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」と薬師寺涼子自らが明言しているように、薬師寺シリーズにおける怪物は幽霊や占いと全く同じカテゴリーで扱われています。また、作中で怪物が駆使していた「壁や床をすり抜けられる能力」についても、科学的・合理的な説明は作中でも何ら付加されておりません。こういう状態で、怪物と幽霊・占いの間に一体どのような区別をつければ良いというのでしょうか?
また、薬師寺シリーズ2巻「東京ナイトメア」には、陰陽師の子孫を名乗るラスボスが登場しますが、陰陽道には風水関係の占術もあれば、対怨霊対策としての呪術も存在します。そして彼は作中で、陰陽道に海外留学で学んだという黒魔術をブレンドして怪物を作り出していたりしたわけですが、その陰陽道と怪物との間に明確な区別をつけることはできるのでしょうか? ここで陰陽道が否定されると、それを元に創られた怪物の存在自体もまた否定されてしまうことになるのですが。
薬師寺シリーズも、その世界観を作成した田中芳樹自身も、オカルトの中に明確な区別などつけていないと思いますけどね。創竜伝でも、輪廻転生を前提に成立しているキャラクターが輪廻転生を否定するという支離滅裂な描写がある上、未だその主張は撤回されていない始末ですし(苦笑)。
<(ちなみに今作の犯人(?)である怪物はノベルズ版P14で一応の登場はしています)>
「ミステリー系推理小説における犯人候補のひとりとしての登場」では全くありませんので、「ノックスの十戒」の条件に抵触することには変わりないですね(ちなみに講談社文庫版ではP16~P17)。「他の犯人役の犯行を明らかにするための証拠ないしは伏線」としてならばそれなりに意味のあった描写だったでしょうけど。
冒険風ライダーさん、初めまして。
いつも興味をもって拝見しております。
薬師寺シリーズに関して自分なりの意見を述べたいと思います。
>ドラよけお涼の妥当性
残念ながら私もないと思います。
涼子が関わると奇妙な事が起こるという意味ではむしろ「ドラよせお涼」の方が良いんじゃないかと思った事もあります。
「魔女王」という呼び方もされてますし、こちらの方が妥当性がまだあるのではないかと。
あまりの性格の悪さにインキュバスも逃げ出す「インにげお涼」が一番だと思ってますが(笑)。
>泉田警部補
この人、自分基準での「善良な納税者」に危害が及ばないならば知らん顔決め込んでるのではないかと。
最近では改悪されつつある気がしますけど。
>世界観
呪いや幽霊の類は存在しないけれど怪物は存在するんでしょう。
怪物を倒すのに超常的な力が必要ならオカルト、違うので問題なしというのが作者の考えではないかと推測しています。
>薬師寺シリーズも、その世界観を作成した田中芳樹自身も、オカルトの中に明確な区別などつけていないと思いますけどね。
これはその通りだと思います。
実在する怪物をペット感覚で使役していたならまだしも、自ら怪物を生み出すのは科学の範疇ではないと思います。
>怪物の存在を認めない警察
これは仕方ないかと思います。
興味本位で探してみたり、作り出そうとしてみたりする輩が必ず現れるでしょう。
対処はしやすくなるかもしれませんが、いつ・誰が・どこで・どんな怪物を作り出すか分かりませんよね。
どうせ分からないなら作ったり使役したりする人間が少ない方がマシではないでしょうか?
たかしさん、はじめまして。
<呪いや幽霊の類は存在しないけれど怪物は存在するんでしょう。
怪物を倒すのに超常的な力が必要ならオカルト、違うので問題なしというのが作者の考えではないかと推測しています。>
ですから、それを言いたいのであれば、怪物と幽霊・呪いの間に明確な区別をつけた上での説明が必ず必要と私は前の投稿でも述べているのですけどね。普通に考えれば「超常的な能力を使う怪物は存在するのだから、幽霊や呪いがこの世界にあっても不思議ではない」という流れになるのは自然なことですし、前の投稿でも挙げていた陰陽道や黒魔術のように、怪物を作る能力と占術・呪術を全て兼ね備えているものも存在するのですから。
第一、オカルトを扱っている作品で、何故わざわざオカルトに対してそんな細かい区分けを行わなければならないのでしょうか? しかも読者に対する詳細な説明もなしに。
<これは仕方ないかと思います。
興味本位で探してみたり、作り出そうとしてみたりする輩が必ず現れるでしょう。
対処はしやすくなるかもしれませんが、いつ・誰が・どこで・どんな怪物を作り出すか分かりませんよね。
どうせ分からないなら作ったり使役したりする人間が少ない方がマシではないでしょうか?>
別にオカルトがらみの事件に限らず、ひとつの犯罪は常に模倣犯を生み出す危険があるものですし、「いつ・誰が・どこで・どんな」形で起こすか分からないものなのですが、オカルトがらみの事件に対してのみ特例を認めなければならない理由がどこにあるのでしょうか?
地下鉄サリン事件などは前代未聞のカルト事件として大々的に報道され、社会的にも大きな影響を与えましたが、ではこれは模倣犯を生み出す危険性があるから存在自体を隠蔽すべき事件だったのでしょうか? また、少年犯罪や猟奇的大量殺人事件などは起こるたびに大々的に報道され、そのセンセーショナルな報道による模倣犯の懸念が囁かれることも珍しくないのですが、これらの事件も全て隠蔽すべきなのでしょうか?
しかも薬師寺シリーズの場合、巻毎に毎回オカルトな事件が勃発していますし、全国TVに放送されるような騒動にまで発展している事件すら発生しています。そんな環境で「事件の隠蔽による模倣犯の抑止」などというシロモノが、一体どれほどの効果を上げることができるというのでしょうか?
模倣犯を生むから事件を公開すべきではない、などという考え方は、警察にとっても国民にとっても、自分で自分の首を絞める結果に繋がりかねないと思いますけどね。
それと、何度も言っているように薬師寺シリーズでは「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という大義名分の元に、すくなくとも犯罪を立証する証拠も証言もない人物に対して無実の罪を着せるという所業が公然と行われているのですが、それは問題ではないのでしょうか?
早速のレスありがとうございます。
<ですので、こと「魔天楼」に関しては、文庫版の方でノベルズ版の訂正が発生する、ということはありえません。>
すみません。ノベルズ版にした時、文庫版から加筆訂正があったのではという話でした。
私の力不足でうまく説明できませんが、「薬師寺シリーズ」を【ミステリー小説】に類するものとすることに違和感を感じます。
副題が「怪奇事件簿」とあるように(ちなみにノベル版の裏表紙の紹介には「警察ホラー」とあります)私はむしろ昔の『仮面ライダー』のような単純な怪物退治の話だと思うのですが。
まず「書物の森でつまずいて……」の対談についてですが、
<薬師寺シリーズで田中芳樹が当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした【ミステリー小説】」だったのではないかと思われます。>
とありますが、【ミステリー小説】というより「屈託しない主人公」の方が重要なのではないでしょうか。
着想段階では「犯人と探偵」の関係になっていますが、「屈託しない主人公」をメインに考えれば何も【ミステリー小説】に限定される話ではないと思います。
「薬師寺シリーズ」は【ミステリー小説】ではないですが、「屈託しない主人公」の物語ではあると思いますが。
次に「幽霊・占いの否定」についても、前の私のレスにあるようにオカルトを肯定している記述が先にある以上、それをもって
<薬師寺シリーズが「(オカルト的要素を完全排除した)現実世界に立脚した合理的な説明を要する」ミステリー系の推理小説を志向している、と考えるのは自然な流れというものでしょう。>
とは言えないと思います。
また、
<その場合、怪物と幽霊・占いの間に明確な区別をつけた上で、作中で相応の説明文を挿入する必要があるのではないでしょうか。>
とありますが、確かに「薬師寺シリーズ」を【ミステリー小説】とするならそこまで気を配らないとアンフェアかもしれませんが、単純な怪物退治の話ならそこまで気を使う話でもないと思います。(「東京ナイトメア」にしても次作の話ですし)
あの場面で言えば、涼子は単純に「幽霊や占いを信じていなかった」ともとれますし、逆に例え涼子自身は存在を知っていたとしても公的にはオカルトは否定されている世界観からみれば「あえて罵倒する為に否定した」という可能性もあるでしょう。
つまり冒険風ライダーさんは【ミステリー小説】であることを前提に見ているのでおかしいと感じられるかもしれませんが、その前提をなくせば許容できる描写であり、また【ミステリー小説】ではないと解釈することは可能ではということです。
見事に一刀両断されてしまいました。
このシリーズを冒険風ライダーさん相手に擁護するというのはやっぱり無謀だったかなぁ・・・
> ですから、それを言いたいのであれば、怪物と幽霊・呪いの間に明確な区別をつけた上での説明が必ず必要と私は前の投稿でも述べているのですけどね。普通に考えれば「超常的な能力を使う怪物は存在するのだから、幽霊や呪いがこの世界にあっても不思議ではない」という流れになるのは自然なことですし、前の投稿でも挙げていた陰陽道や黒魔術のように、怪物を作る能力と占術・呪術を全て兼ね備えているものも存在するのですから。
> 第一、オカルトを扱っている作品で、何故わざわざオカルトに対してそんな細かい区分けを行わなければならないのでしょうか? しかも読者に対する詳細な説明もなしに。
その通りなんですよね。
読者への説明がないというのが問題です。
これは擁護のしようがありません。
> 別にオカルトがらみの事件に限らず、ひとつの犯罪は常に模倣犯を生み出す危険があるものですし、「いつ・誰が・どこで・どんな」形で起こすか分からないものなのですが、オカルトがらみの事件に対してのみ特例を認めなければならない理由がどこにあるのでしょうか?
> 地下鉄サリン事件などは前代未聞のカルト事件として大々的に報道され、社会的にも大きな影響を与えましたが、ではこれは模倣犯を生み出す危険性があるから存在自体を隠蔽すべき事件だったのでしょうか? また、少年犯罪や猟奇的大量殺人事件などは起こるたびに大々的に報道され、そのセンセーショナルな報道による模倣犯の懸念が囁かれることも珍しくないのですが、これらの事件も全て隠蔽すべきなのでしょうか?
> しかも薬師寺シリーズの場合、巻毎に毎回オカルトな事件が勃発していますし、全国TVに放送されるような騒動にまで発展している事件すら発生しています。そんな環境で「事件の隠蔽による模倣犯の抑止」などというシロモノが、一体どれほどの効果を上げることができるというのでしょうか?
> 模倣犯を生むから事件を公開すべきではない、などという考え方は、警察にとっても国民にとっても、自分で自分の首を絞める結果に繋がりかねないと思いますけどね。
確かに事件を隠蔽すればいいというものではありませんね。
仰るとおりです。
怪物とは運次第で遭遇できるから・・・ならなおさら情報を公開すべきだとなりますよね。
ダメだ、自分で突っ込むような考えしか浮かんできません。
素直に兜を脱ぎます。
> それと、何度も言っているように薬師寺シリーズでは「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という大義名分の元に、すくなくとも犯罪を立証する証拠も証言もない人物に対して無実の罪を着せるという所業が公然と行われているのですが、それは問題ではないのでしょうか?
法的証拠って何一つあがってませんでしたっけ?
・・・見事に術中にはまってますね、私。
もう一度きちんと読み直します。
議論と言うより指摘されただけでしたね。
どうもありがとうございました。
一応、こちらにもレスしておきます。
> ですから、それを言いたいのであれば、怪物と幽霊・呪いの間に明確な区別をつけた上での説明が必ず必要と私は前の投稿でも述べているのですけどね。
これについては、7986でも書きましたが【ミステリー小説】でなければそこまで厳密に書く必要は無いと思います。
> 第一、オカルトを扱っている作品で、何故わざわざオカルトに対してそんな細かい区分けを行わなければならないのでしょうか? しかも読者に対する詳細な説明もなしに。
おそらく作者は何も考えてなかったでしょうが、とりあえず罵倒する為にあえて言ったのではないかとか理由付けは可能かと。
> それと、何度も言っているように薬師寺シリーズでは「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という大義名分の元に、すくなくとも犯罪を立証する証拠も証言もない人物に対して無実の罪を着せるという所業が公然と行われているのですが、それは問題ではないのでしょうか?
別にこれは【ミステリー小説】だからダメという問題ではないですし、私もこれについては全くその通りと思うので言及しませんでした。
あと7904で、
<薬師寺シリーズが「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」との決別を宣言する決定打となります。>
として、
>薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P161~P162
以下の薬師寺涼子が「架空のオカルト本」を探し出すシーンを挙げていますが、この直前に涼子達は実際に化け物の影を目撃しています。
もちろん現実世界の我々がそれを目撃しても理解不能でしょうが、化け物が存在することを知っていてその化け物について知識を持っていれば、そもそも「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」の登場人物『ではない』とすれば涼子の行動としてはそれほど無茶ではないと思いますが。
<すみません。ノベルズ版にした時、文庫版から加筆訂正があったのではという話でした。>
これは私の早とちりだったようですね。失礼しましたm(__)m。
<つまり冒険風ライダーさんは【ミステリー小説】であることを前提に見ているのでおかしいと感じられるかもしれませんが、その前提をなくせば許容できる描写であり、また【ミステリー小説】ではないと解釈することは可能ではということです。>
これは薬師寺シリーズ考察本編でも書いていることですが、私が薬師寺シリーズを「ミステリー系推理小説」という観点から検証しているのは、薬師寺涼子の突発的な電波推理によって妖怪が犯人であると断定されるところまでです。
そこまでで私は、
<かくして、せっかく当初はミステリー系推理小説を志向し、そのためのお膳立ても整えていたにもかかわらず、作者たる田中芳樹がプロ作家としてはおよそ考えられないほどに安直な解決法に突っ走ってしまったがために、薬師寺シリーズはひとつの可能性を自ら閉ざしてしまうこととなったわけです。>
と主張していますし、それ以降はミステリー系推理小説としての要素を除外した上で作品検証を行っております。そして、むしろその観点で見ているからこそ、作中のオカルト否定描写は大問題になるわけです。
ミステリー系推理小説としての観点から見れば、私が再三問題にしているオカルト否定描写はむしろ作品テーマと合致したものになるのです。「ノックスの十戒」などを持ち出すまでもなく、ミステリー系推理小説では、怪物だろうが風水学だろうが呪いだろうが、科学的・合理的な説明を不可能にするオカルト的要素は全て一緒くたにして全面的に否定されるべきシロモノなのですから。
にもかかわらず、途中でホラーアクションへと路線変更を行った挙句、例のオカルト否定だけは相変わらず保持し続け、その挙句に「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという、薬師寺シリーズの世界では破綻だらけの支離滅裂なタワゴトをほざきだしたがために、
<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない、というのでは、それこそ宗教的な狂信者やオカルト信奉者とどこが違うというのでしょうか。>
と私は主張するに至ったわけです。
オカルト否定は、薬師寺シリーズがホラーアクション小説だからこそ問題となるものなのであって、ミステリー系推理小説ならば積極評価することすらできるものである、ということを、まずは理解して頂きたいですね。
<まず「書物の森でつまずいて……」の対談についてですが、
<薬師寺シリーズで田中芳樹が当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした【ミステリー小説】」だったのではないかと思われます。>
とありますが、【ミステリー小説】というより「屈託しない主人公」の方が重要なのではないでしょうか。
着想段階では「犯人と探偵」の関係になっていますが、「屈託しない主人公」をメインに考えれば何も【ミステリー小説】に限定される話ではないと思います。
「薬師寺シリーズ」は【ミステリー小説】ではないですが、「屈託しない主人公」の物語ではあると思いますが。>
これは薬師寺シリーズ考察本編だけでなく、以前の「検証!薬師寺シリーズ」でも述べていたことなのですが、「魔天楼」の序盤のストーリーだけを見ると、ホラーアクションよりもミステリー系推理小説に近いものがあるんですよね。序盤は推理描写がたくさん存在する上に、妖怪が直裁的に暴れている描写がなかったのですから。
「夏の魔術」や「夢幻都市」などは、薬師寺シリーズと同じく怪物が暴れまわる作品ですが、これらの作品は序盤から怪物の存在を明示し、ホラーアクションであることをアピールしていますが、「魔天楼」では怪物が登場するのは中盤付近になってからですし、それ以前は推理描写モドキな記載が結構存在します。ですので、私は「魔天楼」を最初に読んでいた際、「これは推理物だろう」という第一印象を受けていたものです。突然妖怪が出現して路線が変更されてしまったのには驚かされましたし(苦笑)。
この第一印象に加えて、作中にはオカルト否定があるものですし、例の対談でも「昨今のミステリー作品に対する反発から作った」と本人が明言していたので、すくなくとも「魔天楼」に関して「だけ」は「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」という観点からもあえて検証する必要があるのではないか、と私は考えた次第です。
「屈託しない主人公」については、私は「当初志向していたものの中で唯一残った残骸」であろうと見ています(笑)。まあ、アレだけ強大な権力と財力を振り回すことができるのであれば、誰でも「屈託しない主人公」にはなれるだろう、と私は冷笑的に見ていますけどね。
<次に「幽霊・占いの否定」についても、前の私のレスにあるようにオカルトを肯定している記述が先にある以上、それをもって
<薬師寺シリーズが「(オカルト的要素を完全排除した)現実世界に立脚した合理的な説明を要する」ミステリー系の推理小説を志向している、と考えるのは自然な流れというものでしょう。>
とは言えないと思います。>
記載が先にあるか後にあるかで是非を判断するというやり方は、こと田中作品に関する限り有効な手段とは言えません。
田中芳樹はこんなやり方で作品を書いているみたいですので↓
書物の森でつまずいて…… P107
(ぼくら"超能力義兄弟" 対談×連城三紀彦)
<連城:
原稿のところどころを空白に抜いて書き進めていくやり方は今も?
田中:
ますますひどくなってます。
連城:
あれは書きにくいところを抜くんですか。それとも書きやすいところ?
田中:
書けるところをとにかく先に書いちゃうんです。あとでストーリーの展開に応じて場面を組みあわせるわけです。
連城:
風景描写や凝りたいところは、あとへ回すということですか。そのときもう少し考えたほうがいいところはあけたまま結末までいくんですね。
田中:
だいたい冒頭部分ができるのは、あとのほうですね。ラストシーンのほうが先にできちゃいます。>
上記にあるように、小説をブロック工法で執筆している田中芳樹ですから、冒頭の記載だからと言って、その記載が一番最初に書かれているという保証はどこにもありません。その記載はミステリー系推理小説からホラーアクションへの路線変更の際に後付けで追加されたものであるかもしれないわけです。
また、薬師寺シリーズのオカルト否定は、後先の是非を問わず矛盾として成立します。どちらが先であろうと、オカルト肯定とオカルト否定の描写は、一方が他方を否定する関係にあるわけですから。両者が本来両立し得ないという考えなど、作品のプロットを作成する段階で簡単に気づけそうなものなのですけどね~。
それに、ミステリー系推理小説で、あえてホラー的な描写を持ってきたり、傍目にはオカルティックにしか見えない殺人描写が展開される、といった手法はそれなりに存在します。もちろん、それらの描写は最終的に名探偵の名推理によって全て合理的に説明されることになるわけですが、「魔天楼」もまた、序盤の時点ではそういう解釈が成立してもおかしくはないのではありませんか?
<確かに「薬師寺シリーズ」を【ミステリー小説】とするならそこまで気を配らないとアンフェアかもしれませんが、単純な怪物退治の話ならそこまで気を使う話でもないと思います。(「東京ナイトメア」にしても次作の話ですし)>
上でも言いましたが、ミステリー系推理小説であれば、科学的・合理的な説明を不可能にするオカルトは一律に全否定しても問題ありませんので、逆にオカルトにいちいち区別をつける必要はありません。
しかし、ホラーアクション小説の場合は、「自分で自分のやっていることを否定している」「超常的な能力を使う怪物は存在するのだから、幽霊や呪いがこの(作品中の)世界にあっても不思議ではない」という印象を読者および作中キャラクターに与えないようにするためにも、オカルトを否定する場合は明確な基準に基づいた区別が必要になるのです。
単純な怪物退治「だからこそ」、その世界でのオカルト否定には慎重に慎重を期すべきなのではありませんか? しかも、そもそもそんなことをしなければならない「作品上の理由」自体が、薬師寺シリーズの場合は全く不明なのですけど。
<以下の薬師寺涼子が「架空のオカルト本」を探し出すシーンを挙げていますが、この直前に涼子達は実際に化け物の影を目撃しています。
もちろん現実世界の我々がそれを目撃しても理解不能でしょうが、化け物が存在することを知っていてその化け物について知識を持っていれば、そもそも「【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」の登場人物『ではない』とすれば涼子の行動としてはそれほど無茶ではないと思いますが。>
その時点ではその描写も、最後に何らかの合理的なトリックとして説明することができれば、「まだ」ミステリー系の推理小説としての体裁をかろうじて整えられないこともなかったんですよね。上でも述べたように、ミステリー系推理小説にも、最終的に合理的な説明がつけられるべきホラー的な描写が存在するものもあるわけですし。
その構図を最終的にぶち壊したのは、その合理的な説明を担うべき探偵役が電波な論理で妖怪犯人説をのたまったまさにその瞬間だったのです。だからこそ、私はあの描写を「ミステリー系推理小説路線崩壊の象徴」として持ってくることにしたわけです。
第一、それまでミステリー的な推理描写を撒き散らしながらオカルト否定までのたまっていた薬師寺涼子が、突然得体の知れないオカルト本を持ち出して妖怪犯人説をぶちまける、などというストーリー展開は、あまりに電波で突発的かつ読者を置いてきぼりにするシロモノではありませんか? 例のオカルト本も、それまでのストーリーで伏線として登場してすらいませんし。
こんばんは。新参もいいところですがちょうど薬師寺シリーズで初期から違和感を覚えていた部分が見事に挙げられていましたので、読んだ当時の記憶をたどりつつ、その違和感の分析を自分なりに。書いているうちにスレッドでの議論が進んでしまいましたので、脱線または的はずれな横やりになっているかもしれませんがご容赦下さい。
・ドラよけお涼というネーミング
これは私、スレイヤーズが元ネタだとは存じませんでした。作品タイトルと表紙イラストらしい登場人物たちのビジュアルを、書店その他で目にしていたのみです。ですので突然出てきた時は、「なんでドラキュラ?」と目が点でした。座りが悪いというかあだ名にしても略し方にセンスがない。「ドラ」から連想したのはまずドラえもんでしたし(笑)。
また、この時点での説明で、
・彼女は奇妙な事件によく出くわす、彼女の行くところに怪奇現象ありという状態らしい
・彼女だけにあだ名がたてまつられたということは、他の警察官は、そういった事件や現象に縁がないか、あっても一度きり程度。彼女の手がけた事件ばかり不思議が起こる。
という論理が導き出されます。
よって、むしろドラキュラに象徴されるものが、よけて通るというより殺到しているのでは? という疑問が湧きます。誘蛾灯のように、怪奇や不思議を呼び寄せているように見えるはずなのに、それなら「ドラまねき」って感じだよな、よけて通るならドラキュラや怪物が暴れまくる世界の中、彼女のところだけ平穏てイメージから名付けられるのではないか、と。
さらに読了しシリーズが進むにつれ、ドラキュラである必然性が分からなくなりました。何故なら、1巻の犯人は蠍の亜種です。ドラキュラからイメージされるのは、人と同じかよく似た外観を持ち、知能もあり、彼らなりの論理に基づいて人を襲う、それも生存のためやむを得ず襲う場合もあり悲哀を感じさせる、といったものがないでしょうか?
つまり、彼女がこれまで関わったと噂される事件でも、明らかに知能ある怪物的犯人が目的をもって人を害している、ただ手段が通常の人間のものではない、または被害者の血液や遺体の一部が異様な状況で損失していた、などといった印象を、一度ならず関係者に強く残している必要があるのではないかと想像されるのです。
単に謎の凶暴生物に襲われたような事件、超自然現象に見舞われたような事件であれば、ゴジラやジョーズ、新種のキメラ、竜巻や地震といった連想が働くのではないでしょうか。
まあ蠍と言っても電光表示板に文字を出す知能はあったわけですが、しかし普通の(?)霊現象なら停電させるか点滅させるくらいが限度ですよね。知能があるわりに愉快犯じみてますし、目的不明の行為です。遠い国からきた大理石の中にいたのに日本語かよ、とか。この辺りも、犯人役の能力などの設定がその場の思いつきで「こういう演出したらホラーっぽくね?」程度で筆が滑ったんちゃうか、という疑念を呼ぶのですが。脱線。
一読した際はここまで考えたわけではなく、ただ据わりの悪さと唐突さに違和感だけがありました。どこから名付けたんだろ、気の利いたネーミングだと思ってるのかなあ、何かどっか変だよなあ、と小さく引っかかっていたので、元ネタがあったと分かったら何で引っかかっていたのか自分で説明がつけられてすっきりしました(笑)。逆に言えば、この元ネタを使いたいがために、不自然さも論理的不整合もものともせず使ってしまった、ということが証明できてしまったような。
もう一つ。
・世界観、あるいは本作品のジャンル分けについて。
読者としてはどうしても、読む前からも、読みながらも、無意識のうちにその作品世界に慣れようとします。帯のアオリから、地の文での解説から、その作品世界では幽霊は「あり」な世界なのか、異星人は、魔法は、超能力は、と推測します。
先述した「ドラよけというネーミング」からも、「ドラキュラを連想させるような怪奇事件が一度ならず起き、警察関係者はそういった事件が過去にも何度かあったことを共通の知識として持っている」と考え、その前提に立って登場人物とともに事件に立ち向かうことになります。
しかし、その前提条件だけでは
「事件が起きている最中に本屋に駆け込み、とある本をいきなり題名指定で探す」
という行為はやはり説明がつきません。
「ドラよけ」とあだ名がつくほどこの世界で怪奇事件の解決・迷宮入り実績があるのなら、「もしやこの事件もドラよけお涼の管轄するような事件では」と考える人間が多数いても不思議ではありません。通常の事件なのか、特殊な事件なのか、両方の線から捜査するという体制が出来ていたり、わざわざ本屋に走らずともその手のデータベースをひそかに蓄積している部署がある、そういった世界である方が自然です。
あるいは、警察体制がそこまで追いついていなくとも、他の誰でもない涼子や幾人かの関係者は「世界観が変わりつつあることに気づいている」という設定でもいいのです。実は怪物や魔法使いは存在していたのだ、これからはその可能性も頭に入れて捜査した方が良い、そう考えて無理解な上層部と対立したり、ひそかに独自捜査を進める。
この設定の場合、どういった経緯で怪奇の存在に気づいたのか、といった詳細は、シリーズ序盤のうちは匂わせるだけでも良いのです。過去のとある事件で怪物の影を見た、表向きはこう決着したが自分はずっと疑念を抱いていた、だから警察官になったんだ、てな裏設定をちらちら小出しにすれば、読者もキャラクターの過去に好奇心を抱くと同時に、「これは怪物のしわざだ」と考える主人公に違和感なく共感できます。涼子と泉田、双方にそんな体験があれば、2人の共闘にもうひとつ美味しい味付けができます。
どうも、作品世界の設定そのものを書きながら適当に後付けしていったんじゃないか、と疑ってしまうのは、こういった綻びが気になってしょうがないためです。
比較対象として思い起こすのは、この「作品世界の設定」を逆手に取って読者を翻弄する作家もいるという事です。独断ですが、小野不由美氏。
(あらすじそのものがネタバレになりかねないので気をつけて筆を進めるつもりですが、以下未読の方はご注意下さい)
新潮文庫の「魔性の子」では、まさに人間が起こしたとは思えない事件が続発します。
不思議な雰囲気を持った少年、彼にまつわる暗い噂、そして彼を中心に起きる事件。
もちろん最初は皆、不幸な事件だと考えます。警察が捜査し、表向きは決着がつく。ただ偶然とは思えない件数や、説明のつかない奇妙な部分に人は怯え、少年が原因ではないかと後ろ指を指します。
主人公はそんな少年に同情し、自分と重なる部分に共感します。奇怪な現象にもどうにか現実的な理由をつけようと考え、彼のアリバイが証明できて安堵します(このアリバイ証明が非常にミステリ的な論理の積み重ねで行われる)。
読者は主人公とともに怪奇現象に恐怖し、「もしや本当に化け物とか超能力とかのしわざか」「いやそんなことあり得ない」という二つの気持ちの間を行き来させられます。
この作品がホラーたる所以は、「もし今自分がいるこの現実世界でも、こんな現象が起きたら?」というリアリティにあると考えました。そう簡単に「怪物の仕業だ」と思いこめない、でも通常のミステリ的な決着がつくのか全然わからない。ミステリなのかファンタジーなのか、はっきりしてくれないから怖いし読んでて気持ち悪い。その気持ちの悪さこそ、作中で主人公が感じている葛藤そのものではないか、と気づくとまた背筋の温度が急降下。
同じ手法は、同じく新潮文庫「屍鬼」でも発揮されます。
少しずつ死者の増える村。最初はたまたま猛暑で高齢者の多い村だから、と自分たちを納得させる。奇妙な気になる事がないではないが、村の迷信をこの現代に信じ込むのは良くないと理性で説き伏せる。超常現象ではなく、新種の奇病や偶然で説明がつけばいい。
じわじわ増え続ける死者と一見平穏な、でも閉塞した村の日常、いう事実をどんどん目の前に積み上げられて、読者は村人たちとシンクロするように、不安と理性の板挟みにされます。村人以上に、読者視点では「ミステリなのにホラーだと思いこんで無実の人を吊し上げたら、パニックものかスプラッタになっちゃうのでは」などと心配もします。
両作品とも、いわゆる「犯人はお前だ!」とでも言うべき山場で「あ、この作品の世界観では、こういうルールでOK…?」と種明かしをされ、呆然としているうちに怒濤のクライマックスに突き飛ばされるような構成です。
作者は小説を書く際にミステリの手法を学んだそうで、怪奇現象にも一種のアリバイを持たせています。アリバイというより法則でしょうか。
それを理性や知識、論理で解明して、「なんだ、やっぱり怪物じゃなくてこういう理屈で起きた事件か」と思わせたり、逆に「こういう条件下でこういう怪現象を起こす怪物である」と綺麗に証明してみせたりします。ラノベな上に「幽霊がいるという前提」である「ゴーストハント」シリーズでも、徹底的に科学調査(のようなこと)をし、関係者のアリバイも調べ上げ、論理や推理で「あの人がこの事件を起こすのは不可能だ」と判明したり、証拠の発見から「実はこの事件とあの現象はこういう方法であいつが犯人でした」と途中で暴露される場面が何度も出てきます。
つまり、いきなり前触れもなく「怪物が犯人だ!」と直感してそれが大当たり、という展開とは対極にあるのです。
こうした記憶があったため、魔天楼を読み終えて、世界観の曖昧さそのものをどんでん返しのキーにするでなく、怪物に相対する登場人物たちの立ち位置もよく分からない、といった不満が残ったのでした。
長々と述べましたが
>その構図を最終的にぶち壊したのは、その合理的な説明を担うべき探偵役が電波な論理で妖怪犯人説をのたまったまさにその瞬間だったのです。だからこそ、私はあの描写を「ミステリー系推理小説路線崩壊の象徴」として持ってくることにしたわけです。
これに持ち票全部。
とりあえずなんとか私の考えを整理してまとめとしたいと思います。
反論ばかりになっていますが、冒険風ライダーさんの仰っていることは分かりましたので。
まず私の意見は、『「魔天楼」は一貫して「屈託しない主人公」によるホラーアクションという形に(一応)なっている』ということになります。
この手のホラーには、いきなり怪物が出てきて大暴れするものもあれば、謎の事件は次々起きてもなかなか怪物は現れないものもあり、いろいろなパターンがあります。今回はたまたま後者だったというだけであり、(<途中でホラーアクションへと路線変更を行った>かどうかは分からないので)とりあえずホラーアクションということを前提にして批判すれば良い(十分批判できる)。ということですね。
> これは薬師寺シリーズ考察本編だけでなく、以前の「検証!薬師寺シリーズ」でも述べていたことなのですが、「魔天楼」の序盤のストーリーだけを見ると、ホラーアクションよりもミステリー系推理小説に近いものがあるんですよね。序盤は推理描写がたくさん存在する上に、妖怪が直裁的に暴れている描写がなかったのですから。
確かに妖怪が直裁的に暴れている描写は無かった訳ですが、
ノベルズ版P37
<「落下したシャンデリアは一トン弱、青銅のライオンは一〇トンはありますわ。多くの目撃者の前でどうやってそれを動かしたのか。最近、過激派はさっぱり活動してませんけど、地下で重力制御のテクノロジーでも開発していたのでしょうか。」>
ノベルズ版P46
<「今回の件はコンピューターが暴走した、と考えるのが妥当でしょう」>
<青銅のライオン像までコンピューターに制御されていたわけじゃないでしょ。まさか、ロボットだったとも思えないしね」>
ノベルズ版P48
<そのオブジェが突然、宙に浮いた。重い無機物が空を飛ぶのを、私の両眼はたしかに見た。
巨大なオブジェがパトカーをたたきつぶした。>
ノベルズ版P66
<青銅のライオンが倒れた件については、ホールに何百人もの目撃者がいたのだが、頼りになる証言はひとつとしてない。
「いきなりぐらりと揺れて倒れた。誰もライオン像にさわっていない」
というのが最大多数の証言だった。>
といった形で、犯罪の不可能性には何度か言及されていますし、
ノベルズ版P11-12
<「どうも彼女がからむ事件は妙なことになる」>
<何やら超自然的な要因がからんでいる、と思われる節が多々あるのだった。>
ノベルズ版P14
<大理石の壁面に、何やら昆虫らしい大きな赤褐色の影が描かれている。クモとサソリの中間にあるような形で、頭部には太い角が二本、節だらけの胴に足は八本、尾は二本あった。>
<「誰かが描いた壁画ということではないと聞いております。この巨大な大理石を採掘しましたときに、最初から模様がありましたそうで、消すのも惜しいということでそのままにしてあります。」>
ノベルズ版P54-55
<ああ、そうだ、赤褐色の変な影があったのに、それが消えているんですよ……」>
ノベルズ版P66
<「ドラよけお涼」に関する噂のひとつを、私は思い出した。「ドラキュラもよけて通る」。なぜドラキュラなどという名が引きあいに出されるのか。
「どうも彼女がかかわると変なことがおこるんだ」
変なこと、とは、現代科学の常識が通用しないことだ。良識ある人々に忌避され、神秘主義者やオカルト業者や自称超能力者たちに喜ばれるようなこと。涼子がかかわると、なぜかそういったことがおこる。>
といった形で、妖怪の存在や怪異事件である可能性にも触れられています。
> この第一印象に加えて、作中にはオカルト否定があるものですし、例の対談でも「昨今のミステリー作品に対する反発から作った」と本人が明言していたので、すくなくとも「魔天楼」に関して「だけ」は「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」という観点からもあえて検証する必要があるのではないか、と私は考えた次第です。
> 「屈託しない主人公」については、私は「当初志向していたものの中で唯一残った残骸」であろうと見ています(笑)。まあ、アレだけ強大な権力と財力を振り回すことができるのであれば、誰でも「屈託しない主人公」にはなれるだろう、と私は冷笑的に見ていますけどね。
「昨今のミステリー作品に対する反発から作った」←そんなこと言ってたのですか。弱ったな(笑)
まあ、私は例え「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していた」としても出来あがったものがホラーアクションならそれで評価すべきという立場なので。
> 上記にあるように、小説をブロック工法で執筆している田中芳樹ですから、冒頭の記載だからと言って、その記載が一番最初に書かれているという保証はどこにもありません。その記載はミステリー系推理小説からホラーアクションへの路線変更の際に後付けで追加されたものであるかもしれないわけです。
そうですね。ただ最初にホラー部分があって「警察ホラー」として肉付け(水増し?)するために推理部分を付け加えたかもしれません。
結局どのように作ったのかは文章を読んだだけでは分からないのですから、出来あがった文章がどうなのかという方が優先されるのではと思いますが。
> また、薬師寺シリーズのオカルト否定は、後先の是非を問わず矛盾として成立します。どちらが先であろうと、オカルト肯定とオカルト否定の描写は、一方が他方を否定する関係にあるわけですから。両者が本来両立し得ないという考えなど、作品のプロットを作成する段階で簡単に気づけそうなものなのですけどね~。
ミステリー系推理小説を作る意図をもってオカルト否定を書いたのなら、本来ならホラーアクションへの路線変更の時点で削らなきゃならないでしょう。別にどうしてもあれがないといけないという描写ではないですし。なので結局(例によって)「何も考えずに書いていた」としか思えないのですよ。
というのが、オカルト否定があってもミステリー系推理小説を意図して書かれたものだとは言い切れない理由です。
> それに、ミステリー系推理小説で、あえてホラー的な描写を持ってきたり、傍目にはオカルティックにしか見えない殺人描写が展開される、といった手法はそれなりに存在します。もちろん、それらの描写は最終的に名探偵の名推理によって全て合理的に説明されることになるわけですが、「魔天楼」もまた、序盤の時点ではそういう解釈が成立してもおかしくはないのではありませんか?
もちろんそうです。ただ素直にホラーと読むことも可能ではないですか。
> 上でも言いましたが、ミステリー系推理小説であれば、科学的・合理的な説明を不可能にするオカルトは一律に全否定しても問題ありませんので、逆にオカルトにいちいち区別をつける必要はありません。
> しかし、ホラーアクション小説の場合は、「自分で自分のやっていることを否定している」「超常的な能力を使う怪物は存在するのだから、幽霊や呪いがこの(作品中の)世界にあっても不思議ではない」という印象を読者および作中キャラクターに与えないようにするためにも、オカルトを否定する場合は明確な基準に基づいた区別が必要になるのです。
> 単純な怪物退治「だからこそ」、その世界でのオカルト否定には慎重に慎重を期すべきなのではありませんか? しかも、そもそもそんなことをしなければならない「作品上の理由」自体が、薬師寺シリーズの場合は全く不明なのですけど。
ミステリーなら読者が推理をする材料をきちんと提示しなければアンフェアです。ミステリ系ホラーであっても(あるいはだからこそ)その世界観をきっちり説明するために区別は明確にしないといけないでしょう。ただホラーアクションとなればそこまで厳密さが必要かとなるとやはり疑問です。
作品世界では現実世界と同様に一応公的にはオカルトの類は否定されています。ですから涼子がそれを利用してただ罵倒する為に幽霊・占いを否定したとしても、そのような理不尽なことを涼子はしかねないことは繰り返し言われていることと、「怪物」は否定していないことで正直かなり苦しいですが首の皮一枚ぐらいで説明可能と思います。
どちらにしても上にもあるように、例え当初ミステリー小説を志向していたとしても完成した作品にオカルト否定が残っているということは「何も考えてなかった証拠」です。ならばホラーアクション小説にオカルト否定があったとしても「何も考えてなかった証拠」として作品の出来に対する大きな減点材料であり、わざわざ不確定要素のある「当初ミステリー小説を志向していた」というのを持ち出さなくても十分批判は可能であるというのが私の立場です。
> その時点ではその描写も、最後に何らかの合理的なトリックとして説明することができれば、「まだ」ミステリー系の推理小説としての体裁をかろうじて整えられないこともなかったんですよね。上でも述べたように、ミステリー系推理小説にも、最終的に合理的な説明がつけられるべきホラー的な描写が存在するものもあるわけですし。
上にも書きましたが、まず最終的に出来あがった作品はホラーアクションですし、怪物の登場にしても一応の伏線が張られている、と私は考えます。冒険風ライダーさんの期待には応えられなかったかもしれませんが、この作品がミステリー系の推理小説でなければならない(ミステリー系の推理小説として完成させなければならない)必然性は無い訳ですし。
> その構図を最終的にぶち壊したのは、その合理的な説明を担うべき探偵役が電波な論理で妖怪犯人説をのたまったまさにその瞬間だったのです。だからこそ、私はあの描写を「ミステリー系推理小説路線崩壊の象徴」として持ってくることにしたわけです。
> 第一、それまでミステリー的な推理描写を撒き散らしながらオカルト否定までのたまっていた薬師寺涼子が、突然得体の知れないオカルト本を持ち出して妖怪犯人説をぶちまける、などというストーリー展開は、あまりに電波で突発的かつ読者を置いてきぼりにするシロモノではありませんか? 例のオカルト本も、それまでのストーリーで伏線として登場してすらいませんし。
ん~確かにミステリーとしては犯人は突飛でしたね。ただ繰り返しますが作中に怪物が犯人である伏線は一応貼られていたと思います。
また完全な空想で作られたモンスターとは違い、この作品世界では歴史上の人物が関わったという伝説があるような怪物であり、涼子がそういったオカルトに対する知識を持っていると仮定するなら(本当はどこかでそんな描写が欲しかったですが)、ホラーとしては許容レベルだったと思います。
あとオカルト本については泉田に説明するために必要だっただけで、実際問題としては無くても良い物なんですよね。
実際に涼子は、
ノベルズ版P87
<「(前略)このビルの大理石は、どこで採掘されたの?」
「たしかトルコから最高級の石を輸入したと聞いております」
(中略)
「トルコの北のほう?」>
と言っていた時には既に犯虫の見当はつけていたでしょう。
むしろ、
<「私のよく行く近所の書店は、けっこう大きいんですが、店員が不勉強でしてね」
「何をいいたいの」
「コナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』がペット本の棚に置いてあったのですよ。ここの店員も似たようなレベルらしい」>
これが言いたかっただけのような気がします。
私はけしてこの作品を擁護する気はありません。冒険風ライダーさんをはじめ皆さんが書いているように、この作品の出来についての減点材料などいくらでもあります。
だからこそ不確定要素がある(と私が思う)「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」という観点に基づく批判のウェイトが大きいことに違和感を感じました。
あと、疑問なんですがガソリンならともかくオリーブオイルをぶちまけた程度で簡単に勢いよく燃え出すものなのですかね?
つっくんです。初めまして。
昔からこのサイト楽しみにしています。
> 薬師寺シリーズは、田中作品の中では「現代世界を舞台にしている」「ストーリーとは何の関係もない【現実世界向けの社会評論】が、作中に不必要かつ大量に挿入されている」という点において創竜伝と双璧をなすシロモノなのですが、タナウツでは不思議と話題になることが少なく、(略)創竜伝と同様にストーリー・社会評論の両観点から一度徹底的に検証し、叩き潰す必要があると判断するに至ったわけです。
> 今回の新企画で、薬師寺シリーズが抱える様々な問題点を明確にし、田中芳樹およびファンに対して何らかの楔を打ち込むことができれば幸いです。
私はいい年こいたおっさんですが、ご多分に漏れず「銀英伝」にはまって(はまりまくって、田中氏が嫌悪する二次創作「性奴ヒルダ」を書いたくらい)、一通り田中本は読みまくりました。もっとも、「創竜伝」だけは腐臭wが漂っていたのでパスしたのでしたが幸いだったようです。
で、ですね、実は「銀英伝」の次に好きなのは「涼子シリーズ」なのですよ。これがwww
このシリーズは冒険風ライダーさんのような生真面目な人が読むものじゃないです。はっきり言ってキャラ萌えする人だけが読む物です。どういうのが好きなのかと言うと、「どういう女性かというと、スーパーモデルも裸足で逃げ出す抜群なスタイル、通る人が思わず振り返る超絶美貌、頭脳明晰・あふれ出す知性(飛び級で大学を出ているとか)、めくるめく華麗な血統、図抜けた運動神経と驚異的な格闘戦能力プラスタフな体力、極めつけはこれらの長所を全て帳消しにする性格の悪さというものである。」がいいんです。
私が好きなのは、エヴァのアスカ、「楽園の向こう側」シリーズのダナティア、「星界の紋章」のラフィール、「サクラ大戦」の神埼すみれ、今だと「idol@master」の水瀬伊織というところですか。(もっとも、フツー愚民扱いされたい人は春香閣下と言うのでしょうが このシリーズは、あずさwが一番好きで矛盾してますが)
なので、まともに批判しても読者には絶対に届かないですね。
それに、「ストーリーとは何の関係もない【現実世界向けの社会評論】」は「創竜伝」はどうだか知りませんが、ワトソン役の主人公である泉田センセの主観として語られるわけです。
つまり、ノンキャリの小市民たる泉田センセは凡庸な社会認識しかしてませんよとしか捕らえられません。もっとも、この認識巻を追うにつれ過激になっていくのですが、本人も「お涼に毒された」と自覚があるしいいのではないでしょうか。
> さて、薬師寺シリーズというのはそもそもどのような経緯で誕生したものなのでしょうか?
> もちろん、その根底には本人自ら「魔天楼」講談社文庫版のあとがきで明言しているように「ストレス解消のため」というのがあることは疑いの余地がないのですが(笑)、それはとりあえず今は横に置いておくとして、より詳細かつ具体的な動機としては、田中芳樹の対談や評論・インタビュー記事をかき集めた著書「書物の森でつまずいて……」の中で本人が熱く語り倒しています。
この内容から考えると、薬師寺シリーズで田中芳樹が当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした【ミステリー小説】」だったのではないかと思われます。
ライダーさんは読んではいないでしょうが、「女王陛下のえんま帳」という涼子ハンドブックがあって、大体同じことが書かれていますが決定的に違う分があります。
P7「人間だけが相手だとものたりないから、お化けの出る話にして。」最初からお化け前提ですね。何故かと言うと「東京ナイトメア」は最初、「メフィスト」という雑誌に書き下ろしだったんですが、この雑誌がミステリーなんだけど化け物も超能力もなんでもありのトンデモ推理雑誌だったんですね。まあだから好き勝手にやったんでしょ。それと僕が気に入った垣野内さんにイラスト書いて欲しいと言うのが延々と書いてあって、垣野内じゃなきゃ筆が止まると担当を脅して「命がけで取りました」と言われて、取れなきゃそれを言い訳に書かないですんだのに仕方なく執筆したと書いているわけですよ。完璧に悪役と言うかお涼そのもので爆笑しましたが。
要は田中がお涼を執筆するに当たって一番力を入れて検討したのがイラストレータ選びwそりゃまともな話にならんてwww
でも、この絵で買った僕がいるわけだし、漫画、アニメ化したわけだから一番売るために力を入れるところがわかってた訳ですよ田中は。
天野絵のお涼だったら絶対買わないもん。(アルスラーンは天野で正解です)
> さて、そう定義しますと、「田中芳樹が【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説を書くのか?」という疑問を抱く人もいるかと思いますが、
というわけで書くわけが無い。
今の田中センセに「銀英伝」クラスを望むのは、ジャンプの富樫センセに「レベルE」の続き書いてくれと望むのと同じ。金が入って堕落する奴はゴマンといます。
> また、薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」の序盤には、こんな文章も書かれております↓
>
> 薬師寺シリーズ1巻「魔天楼」 講談社文庫版P25~P26
> <「お気に召していただけましたか」
> 暇をもてあましているとも思えないが、支配人が私たちのテーブルにやってきた。よほど涼子がこわいらしい。私にもその気持ちはよくわかる。
> 「旧日本軍に人体実験で殺された死者の呪い」だの「風水学」だのといったオカルト的要素を、主人公たる薬師寺涼子が「ばかばかしい」「茶飲み話の種以上のものじゃないわね」と「一刀両断してのけた」という描写を、それも作品の序盤に持ってきているわけです。これから考えれば、薬師寺シリーズが「(オカルト的要素を完全排除した)現実世界に立脚した合理的な説明を要する」ミステリー系の推理小説を志向している、と考えるのは自然な流れというものでしょう。
P18にこの支配人の銀座の店で奇妙な事件が起きたのをお涼が表ざたにせず解決したので感謝している。とあるので、オカルトがらみの事件を解決してネタフリしたのをメンドくさいから適当にあしらっただけと分かります。
なにせP24に「自分自身に関しないことについては、涼子はよく正論を吐くのである」と泉田もいってることですし。涼子を田中に変えればあら不思議、このHPは全て無駄になりますなあw
> これらのことから考えると、薬師寺シリーズがすくなくとも当初志向していたのは「元気で周囲を振り回す女性探偵を主人公とした、【現実世界に立脚した合理的な説明を要する】ミステリー系の推理小説」だった、ということになるのではないでしょうか。
まさにライダーさんのような真面目な読者をミスリードするために田中センセの悪ふざけが爆裂していただけのような気がします。
> 薬師寺涼子の言う「今夜の事件」というのは、壁や床の中を自由に移動できる怪物がビルの中を暴れ回り、美術品を破壊したり、多数の人々を殺傷したりした、というものです。これに対する最も合理的な説明というのは、怪物の存在と被害を証明する客観的な証拠を明示した上で、事実をありのままに話す、ということであるはずです。事実関係から言っても、警察の存在意義および保身の観点から見ても、これに勝る選択肢があるとは考えられません。
> ところが、薬師寺涼子が総監に求めた「合理的な説明」はそうではないのです。こともあろうに、あの美神令子の出来損ないは、怪物の存在そのものを隠蔽することを最優先にするよう要求したのです。
<ふと気がつくと、室町由紀子が私たちの前に立っていた。私を見て「ご苦労さま」というと、すぐ身体ごと涼子に向かって話しかける。ごく事務的な口調で説明したのは、高市理事長の妄想とコンピューターの暴走という線で話をつくる、怪物の存在は絶対に認められない、基本となる報告書は彼女がまとめる、というようなことであった。それらを話し終えると、由紀子は、やはり事務的にあいさつして背を向けた。彼女を見送って、私は上司に視線を転じた。
> 「あれでいいんですか」
> 「いいのよ。警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの。あたしも外部に対しては自分の功績をフイチョウする気はないわ。全部、総監にゆずってあげてよ。オホホホ」
> つまり総監が全責任をとらされるわけだ。気の毒ではあるが、もともと涼子を採用したほうが悪い。自分自身の管理能力を再確認するためにも、何とか無難にこの一件を処理してもらうとしよう。>
> 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという目的のために真相を隠蔽した挙句、他人の罪を勝手にでっち上げる、ということを、薬師寺涼子は警視総監に要求していたわけです。オカルト否定もここまでくると病気ですね。
うわぁ真面目ですねぇ。こりゃそんな代物じゃないんです。お涼はオカルト認めてますよ。ただ、お涼は化け物にかこつけて暴れられればそれでいいんです。後片付けは面倒くさいからお由紀に押し付けただけで理由はなんでもいいのです。
で、由紀子は四角四面の堅物と言う設定なので、意地でもオカルトを認められない(この巻ではですね、後になると認めてますが)で、冤罪やっても常識的な線でまとめています。
で、そうやって真実から目を逸らしている警察組織をバカにして「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの」と言って高笑いしているわけです。
実際、これと似たような状況で泉田は言ってます(「黒蜘蛛島」P103)「いま警察に通報すると、好き勝手ができない。だから知らん顔で、まずカタをつけた上で、後始末だけ警察にさせる気ですね」
そういう女です。いやだから大好きなんですがねw
> 妨害の現行犯で逮捕されてお終いだったのですから。現行犯についてはともかく、怪物の件については、彼はすくなくとも完全なクロではない、と判定するしかないわけです。
> その高市を、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという破綻した名目のために、「高市理事長の妄想とコンピューターの暴走という線で話をつくる」ことで事件の黒幕に仕立て上げる、などということが、刑事捜査の観点から見て許されることなのでしょうか。これは全てを承知の上での確信犯であるという点で誤認捜査や誤認逮捕などよりもはるかに悪質なものであり、警察権の乱用と見做されるものですらあるのです。
お涼にとっては大いに許されます。P70でお涼は売り言葉に買い言葉ですがこう言ってます。「うるさいわね。警察官が憲法をきちんと守っていたら、冤罪事件なんておこるわけがないでしょ!法を捻じ曲げ、無実の人間を牢獄に放り込む。これこそ権力者で無ければ出来ない楽しみじゃなくって?」う~む有言実行、珍しく伏線が生きているなあw
> 田中芳樹は結局、薬師寺シリーズで一体何がしたかったのでしょうか?
> まあ、本人が明言し、私も何度も強調しているように、田中芳樹が薬師寺シリーズを書きたかった唯一絶対にして最大の動機は「ストレス解消のため」なのですから、田中芳樹以外には誰も理解できない楽しみというものが存在するのかもしれないのですけど(笑)。
ギャルゲーと同じでしょ。何のとりえも無い(と本人が勝手に思っている)冴えない独身ノンキャリが「何故か」モテモテw。
ツンデレで遠まわしにしか言わないけど一途熱烈な純愛を仕掛ける性悪美女と彼女の気持ちを知っているから最近控えめだけど、やっぱりノンキャリに気がある、「イインチョ」タイプの眼鏡美女。
更には、ミレディに忠実と言いつつ、やっぱりノンキャリに優しいメイド服のパツ金と黒髪の戦闘美少女、チャイナ狂いのロリロリ婦警とどんなニーズにも対応可能です。
一応、垣野内さんはムックでは田中センセを立てて(これが大人と言うもの)「女性が好む」とか言ってますけど、こりゃヲタ用ですよ。だから「レオタード戦士ルン」とか出してくるんだから。
そうそう、HPに「田中センセが焼きまわしバッカしている作家をバカにしたことがあるんですか」と息巻いていた人がいましたが、
P138でこんなこと書いてますな「たしか昨年、「愛の真実」という本を出して100万部売り、今年は「真実の愛」と言う本をやはり100万部売った。たぶん来年は「愛の愛」か「真実の真実」を出すのだろう。」
志村~後ろ、後ろですなあ。でもいいのです。
なにせ「「どらよけお涼」は自分には甘いが、警察組織全体に対しては厳しいのだ」P140
あ!そうだった、これは全て小市民の泉田君が言ったことで田中センセの思想とは全く違うのでありました。失礼しました田中センセw
まあ、こんなもの鼻くそほじりながら、(お涼のイラストいいなあ、泉田鈍いなあ、マリアンヌとリュシエンヌの水着イラスト見たいなあ)と読み潰して放り投げるのが正しい読み方だと思いますよ。息抜きには持って来いですし、今のセンセにこれ以上求めても無駄のような気がするので、この程度でいいから量産して欲しいなあ。(皆さんと違って、私は田中センセに全く期待してませんw)
>ダボさん
<確かに妖怪が直裁的に暴れている描写は無かった訳ですが、
(中略)
といった形で、犯罪の不可能性には何度か言及されていますし、
(中略)
といった形で、妖怪の存在や怪異事件である可能性にも触れられています。>
その手の描写って、ミステリー系推理小説にもそれなりに存在するものではありませんか? 密室殺人等に見られるような犯罪の不可能性などは、事件がいかに難解なものであるかを強調するために登場人物が口にしまくるものですし、妖怪の存在や怪異事件である可能性にしても、物語序盤では「これは○○の祟りじゃ!」「怪物の仕業だ!」などと大声で主張するピエロ役がいたりするものです。
そういう「犯罪の不可能性」や「妖怪の存在や怪異事件である可能性」を全て合理的に説明して事件を解決し、読者に爽快感を与えるのがミステリー系推理小説の醍醐味なのですから、序盤にその手の描写がたくさんあっても、ただそれだけでは「これはミステリー系推理小説ではない」と断定するには至らないですね。ミステリー系推理小説の場合、名探偵の最後の説明こそが最も重要なものなのですから。
その名探偵役の推理理論があんな電波な妖怪犯人説でしかないのではねぇ……(>_<)。これならば、最初から妖怪の存在を前面に押し出してその存在を大々的にアピールし、ホラーアクションであることを明示しておいた方がはるかにマシだったと思うのですが。
<もちろんそうです。ただ素直にホラーと読むことも可能ではないですか。>
もちろん、ただ素直にホラーと読むことも充分に可能ですよ。実際、私も第一印象が無残に崩壊させられた後は、素直にホラーアクションとして薬師寺シリーズを読んでいるわけですし。
この辺りは、「魔天楼」序盤の描写から第一印象でミステリー系推理小説として見た場合でも、そう見えるだけの妥当性はある、という話ですね。上の主張も含めて。
<ミステリーなら読者が推理をする材料をきちんと提示しなければアンフェアです。ミステリ系ホラーであっても(あるいはだからこそ)その世界観をきっちり説明するために区別は明確にしないといけないでしょう。ただホラーアクションとなればそこまで厳密さが必要かとなるとやはり疑問です。
作品世界では現実世界と同様に一応公的にはオカルトの類は否定されています。ですから涼子がそれを利用してただ罵倒する為に幽霊・占いを否定したとしても、そのような理不尽なことを涼子はしかねないことは繰り返し言われていることと、「怪物」は否定していないことで正直かなり苦しいですが首の皮一枚ぐらいで説明可能と思います。>
では例の冤罪問題についてはどう説明します? 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などというタワゴトを理由に高市理事長に無実の罪をなすりつけた件は。
ここでいうオカルトというのは、疑問の余地なく例の怪物のことを指しているのですし、この描写は薬師寺涼子の傍若無人な性格の発露として書かれたものですらないのです。警視総監は、事件の詳細を全て公開して怪物に事件の全ての責任を負わせてしまえれば己の地位と名誉を保つことができたにもかかわらず、自分の地位を棒にふってまでこのタワゴトを実行したわけですし、堅物として描かれているはずの室町由紀子ですら、しかも法律違反のオンパレードであるにもかかわらず、この薬師寺涼子のタワゴト理論には当然のように従っている始末なのですから。ここでも、「ホラーアクションとなればそこまで厳密さが必要かとなるとやはり疑問です」となるのでしょうか?
というか、厳密さ云々以前の問題として、そもそも、薬師寺シリーズの世界では怪物の存在が実際に確認されているにもかかわらず、それでもなお「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」としなければならない合理的な理由が一体どこにあるのか、それ自体が作中では全く説明されていないのですけど。
<どちらにしても上にもあるように、例え当初ミステリー小説を志向していたとしても完成した作品にオカルト否定が残っているということは「何も考えてなかった証拠」です。ならばホラーアクション小説にオカルト否定があったとしても「何も考えてなかった証拠」として作品の出来に対する大きな減点材料であり、わざわざ不確定要素のある「当初ミステリー小説を志向していた」というのを持ち出さなくても十分批判は可能であるというのが私の立場です。>
<上にも書きましたが、まず最終的に出来あがった作品はホラーアクションですし、怪物の登場にしても一応の伏線が張られている、と私は考えます。冒険風ライダーさんの期待には応えられなかったかもしれませんが、この作品がミステリー系の推理小説でなければならない(ミステリー系の推理小説として完成させなければならない)必然性は無い訳ですし。>
実のところ、私はミステリー系推理小説として以上に、ホラーアクションとして見た薬師寺シリーズを全く評価していないものでしてね(苦笑)。
何故私がミステリー系推理小説としての観点から見た検証を行っていたのかについては、前の投稿でも述べていた通りですが、それとは別に、作中のオカルト否定の醜悪さを強調する手法として、「ミステリー系推理小説としての薬師寺シリーズは論外だが、ホラーアクションの観点から見た薬師寺シリーズはさらにダメダメである」という論理展開をやってみたかった、というのもあります。その方が「何も考えてなかった証拠」としての批判に+αの効果を加えることができると考えたものでして。
薬師寺シリーズのオカルト否定は、路線が確定しているはずの2巻以降にも相変わらず存在する始末ですからね~(>_<)。今後展開されるであろう薬師寺シリーズ考察でも、「オカルトに依存しながらオカルトを否定する滑稽な図式」は大きなテーマのひとつになるでしょうね。
>つっくんさん
タナウツでは珍しいタイプな方の登場ですね(笑)。
薬師寺シリーズが銀英伝に次いで好きだ、という人を、私はタナウツで初めて見たような気がしますが(^^;;)。
<それに、「ストーリーとは何の関係もない【現実世界向けの社会評論】」は「創竜伝」はどうだか知りませんが、ワトソン役の主人公である泉田センセの主観として語られるわけです。
つまり、ノンキャリの小市民たる泉田センセは凡庸な社会認識しかしてませんよとしか捕らえられません。もっとも、この認識巻を追うにつれ過激になっていくのですが、本人も「お涼に毒された」と自覚があるしいいのではないでしょうか。>
タナウツではすっかり手垢まみれになってしまっている感が否めないスタンダードな主張ですが、それに対する私の反論はこんなものですね↓
1.作中キャラクターの主張はあくまでも作中キャラクターの主張とした上で、その内容についての批判を行い、その作中キャラクターの矛盾と破綻を明らかにすることによって、そのような作中キャラクターおよび作品の破綻を作り出してしまった田中芳樹の作家責任を追及することができる。
2.小説外の対談やインタビュー記事等で、田中芳樹が作中キャラクターと同じ主張を展開していた場合、作中キャラクターの主張=田中芳樹の主張の図式は成立する。
泉田準一郎の語り部などを責任回避の盾にしたところで、私の手法には全く通用しないと思いますよ。
<ライダーさんは読んではいないでしょうが、「女王陛下のえんま帳」という涼子ハンドブックがあって、大体同じことが書かれていますが決定的に違う分があります。
P7「人間だけが相手だとものたりないから、お化けの出る話にして。」最初からお化け前提ですね。何故かと言うと「東京ナイトメア」は最初、「メフィスト」という雑誌に書き下ろしだったんですが、この雑誌がミステリーなんだけど化け物も超能力もなんでもありのトンデモ推理雑誌だったんですね。まあだから好き勝手にやったんでしょ。>
「女王陛下のえんま帳」は持っていますけどね(苦笑)。
ちなみに同じページで田中芳樹は「ぜんぜん悪びれない探偵役を出そうか?」などと主張していますし、「メフィスト」ってトンデモであるにしても「推理」雑誌なわけですよね? しかも「東京ナイトメア」は「魔天楼」よりも後、つまりホラーアクション路線が確定した後に作られた話なのに、それでさえ「推理」雑誌に載るということであれば、「薬師寺シリーズは、すくなくとも当初はミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」という私の推論はそれなりの妥当性がある、ということにもなるのではありませんかね?
<うわぁ真面目ですねぇ。こりゃそんな代物じゃないんです。お涼はオカルト認めてますよ。ただ、お涼は化け物にかこつけて暴れられればそれでいいんです。後片付けは面倒くさいからお由紀に押し付けただけで理由はなんでもいいのです。
で、由紀子は四角四面の堅物と言う設定なので、意地でもオカルトを認められない(この巻ではですね、後になると認めてますが)で、冤罪やっても常識的な線でまとめています。
で、そうやって真実から目を逸らしている警察組織をバカにして「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの」と言って高笑いしているわけです。>
「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけないの」的な対応を警視総監に迫っていた張本人はどこの誰でしたっけ? しかも警視総監は、怪物の存在を公にして事実を公表していれば辞任せずに済んだにもかかわらず。
それに「四角四面の堅物」ならば、警察官としてはオカルト云々よりも先に法律違反についてこそ目くじらを立てるべきだと思うのですけどね。自分達がやっていることは冤罪行為そのものである、ということを、まさか自覚できていなかったわけではないでしょうに。
自分の目の前にオカルトが存在するにもかかわらず「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などという固定観念を頑固に持ち続けた挙句、警察に冤罪のススメなどを促している真のバカこそが、薬師寺涼子に他ならないのですがね。あの美神令子の出来損ないが余計なことをしなければ、警察はすくなくとも支離滅裂な理由で冤罪行為をやらかすことはなかったというのに。