> 薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」は、「キリスト教狂信者のアメリカ人富豪家」がラスボスとして設定されていることもあってか、これまでで一番アメリカ批判が頻出しまくる巻となっています。
まあファンダメンタリストがタチの悪いキ印なのは事実なので、ラスボスとしては悪くない選択だとは思います。
ただし主人公がもっとタチの悪いキ印でなければ。
> 薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P8上段~下段
> <やたらと大きな文字が視界をかすめた。「東京で二回目のオリンピックを!」という政府と東京都の広報広告だ。
> それにしても、お役所の考えていることは、よくわからない。「東京はまもなく大地震にみまわれる。都民は災害にそなえろ」と騒ぎたてながら、一方でオリンピックを誘致しようというのだから。いつ大地震が来るかわからない危険な都市で、オリンピックを開く気なのだろうか。
> とまあ、ケチをつけたくなるには理由がある。つい先週、大地震対策と称して、警視庁あげての訓練がおこなわれ、私は練馬区の官舎から警視庁まで徒歩で通勤させられたのだ。大地震であらゆる交通機関がストップし、自動車も使えなくなった事態を想定してのことだが、地下鉄を使えば直行で二〇分のところ、三時間かかった。たしかにいい運動にはなったが、警視庁の全員がクタクタになったところで大地震が発生していたら、どうなっていたことやら。>
昨今オリンピックも相当胡散臭くて生臭い祭典なので、否定的見解を肯定できなくもないですが、「いつ大地震が来るかわからない危険な都市」で危機管理に努める姿勢は「(薬師寺シリーズ世界における)現在の東京都知事」は立派であり、むしろ「疲れたから危急の際働けるかわからない」的姿勢の泉田警部補は反省して見習うべきでしょうね。
> 創竜伝10巻 P211上段~下段
> <静かにふけゆく京都の夜に全身でひたっていると、平穏そのものに思われた。だが、日本国内にかぎっても、京都に近い神戸で大地震がおこり、東海大地震に富士山大噴火と、暴走する地殻エネルギーの前に数万人の市民が生命を失っているはずだ。そもそも政府というものは、個人の力で対処しようのない巨大な大災害から市民を守るために存在するのだが、
> 「どうせ現場の努力を無にするようなことばかりしているでしょうよ」
> と、続が無情に評価を下した。蜃海は苦笑する。大災害時における日本政府の無策ぶりは世界各国の失笑を買っているのだった。>
>
> 創竜伝13巻 P84下段
> <一九九五年、阪神・淡路大震災の直後、アメリカ軍は病院船マーシーを派遣したいと日本政府に申しこんだ。マーシーは最新式の手術室一二とベッド一〇〇〇以上をそなえていたが、日本政府はなぜかせっかくの厚意を拒絶した。そのため、多くの被災者が緊急治療を受けることができず、死に至った。>
で、その「現場で頑張って被災者に多大な感謝を受けた自衛隊」は褒めるどころか言及すらしてくれませんよね(笑)。
> もし仮にイエス・キリストが生き返ったとして、そう名乗る人物が本物だと、どうやって証明するのだろう。イエス・キリストの写真など存在しないし、指紋も歯型もDNAも残されていない。>
宗教に野暮を言ってる無粋は置くとして、「イエス・キリストが生き返ったとして、そう名乗る人物」が所謂「イエスの奇跡」を全部やってのければ、それは充分「イエス・キリスト」と言って差し支えないんじゃないでしょうかね、泉田警部補。
そもそも真っ先に「証明」を求めるのはまず「信者」だと思いますし。
> 他人の作家および作品について見当外れなタワゴトをほざく前に、田中芳樹も作家なのですから、少しは「物語としてはおもしろい」作品を「自分が」執筆するように努めては頂けないものなのですかね。創竜伝や薬師寺シリーズは、「ナルニア国物語」などよりもはるかに「指輪物語」の作者トールキンからボロクソに罵られかねない超駄作なシロモノでしかないのですから(苦笑)。
こういう話では、実際スタジオジブリのアニメ映画版「ゲド戦記」に
「私の作品でよくここまで愚作にスピンオフできましたね」
と監督に言ってのけた「正しい事しか言わない怖いオバサン」アーシュラ・K・ル=グウィン女史がダントツに恐ろしいでしょうね。
> イラクの大量破壊兵器ネタなどというシロモノが効果的なアメリカ批判になりえるなどと、いつまでも考えることができるその貧相な知識と想像力が、私には哀れに思えてしかたがありませんね。そんなものにこだわるよりも、たとえばイラクやアフガニスタンに対するアメリカ軍の軍事介入が、現地のゲリラ組織の活動やテロ行為ために泥沼化していることを「多大な犠牲を出しただけ」「見通しが甘い」などとして指摘する方が、国際政治の常識やアメリカの国益事情などとも合致して、はるかに効果的なアメリカ批判となりえるでしょうに。
まあそれだって、前に冒険風ライダーさんが言われた通り、ベトナム戦争よりは遥かに上手にやってますし、「強いアメリカ」「テロに屈しないアメリカ」というのは、少なくともアメリカという国にとっては国益あるアピールでしょう、出費や兵士・国民のモチベーションをさしあたり置けば。
> <何といってもアメリカは世界一の押し売り国家だ。牛肉からミサイルから民主主義まで、何でもかんでも、むりやり売りつける。「買ってください」とは絶対にいわない。「買うべきだ」とお説教し、「買わないのはまちがっている」と息まき、「買わないと両国の信頼関係がそこなわれるだろう」と脅す。誰でもいいから、彼らに、まっとうな商売のしかたを教えてやってほしいものだ。>
むしろアメリカは商売が下手なんですけどね、第二次世界大戦のヨーロッパ連合国へのレンドリース返済で50年ローンとか待ってやったり、件の牛肉も我らが日本が「売って欲しいのでBSE検査させてくれ、費用日本持ちで」と言い、アメリカの畜産家もそうさせてやってくれと要求するのを「我が国の牛肉は安全だったら安全なのだ」と国が無駄にゴネて輸入再開を延期させてしまったり。
> 薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P83上段
> <どんな状況にあっても真相を追究するジャーナリストや政治家が存在するというのは、アメリカ社会のあきらかな美点だ。ただ、彼らの努力や勇気がつねに報われるとはかぎらない。J・F・ケネディ大統領の暗殺事件ひとつとっても、あれほど疑惑を公言されながら、政府の態度は変わらないのだ。>
>
> そして、ここで挙げられているJ・F・ケネディ大統領の暗殺事件にしても、実際にはアメリカ政府は2039年に全ての情報を公開すると明言していますし、また湾岸戦争を推進したブッシュ(父)大統領およびイラク戦争を遂行したブッシュJr大統領も常に批判の嵐に晒されていたのですから、「新聞が堂々と【政府および大統領】の悪口を書きたてて」の要素は立派に備えていると言えるでしょう。
ついでにこれも物凄いブーメランで、J・F・ケネディ大統領の暗殺事件で黒幕疑惑の最筆頭はかの薬師寺涼子が「尊敬している」と公言したFBI長官ジョン・エドガー・フーバーなのを田中センセイと泉田クン知らないんですかね?
> 薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P104上段
> <「現実世界は、ハリウッド製アクション映画の世界と、すこしばかりちがうからです」
> 「どうちがうのさ」
> 「ハリウッド映画では正しい者が勝ちますが、現実世界では強い者が勝つんです」
> だからこそ、イラクやイランが国際ルールを破れば制裁されるが、アメリカを制裁できる者など存在しない。各国軍隊の戦争犯罪をさばくために国際刑事裁判所というものが存在するが、アメリカは参加していないのだ。わが祖国はといえば、もちろん親分にさからうはずもない。>
ハリウッド映画バカにしてますね。
なら「プログラムに逆らえない苦悩を持ち、なお人間の尊厳と警官の誇りを傷だらけで保ち続けるロボコップ」や「悪党と同じフリークスの孤独を味わいながらクライムハンターであり続けるバットマン」「子供に慕われても平和を乱さないため一人去るシェーン」を「勝った」の一言で済ませるつもりかと小一時間問い詰めたいですね。
ついでにそもそも「911事件」を筆頭とする対アメリカテロは、テロリストサイドにしてみれば「アメリカへの制裁」ではないのかと。
無論テロが正しいとは思いませんがアメリカとて「蹂躙」しているのではなく「戦って」いるのだと思うのですよね。
<で、その「現場で頑張って被災者に多大な感謝を受けた自衛隊」
は褒めるどころか言及すらしてくれませんよね(笑)。>
言及すらしていない方が却ってまだ良かったのですけどね。田中芳樹の過去の言動から考えれば、「現場で頑張って被災者に多大な感謝を受けた自衛隊」を賞賛することすらも本来なら許されないことなのですから↓
創竜伝4巻 P173上段~下段
<ところで、世の中には、こういうタイプの人がいる。責任感や使命感が過剰で、自分がやらねば誰がやる、と思いこみ、他人のやることに口を出し、手も出し、結果として事態を悪化させるタイプだ。国家にもときどきあるタイプだが、それはともかく、終に集団KOをくらったレインジャーのひとりが、このタイプだった。彼は浅い失神からさめて、顔に吹きつける強風の存在を知った。降下扉があいて、そこにテロリストの若者が背中を見せて立っているのを見たとき、彼の責任感と使命感がショートした。
「逃がさんぞ、テロリスト!」>
田中芳樹の論法からすれば、阪神大震災の被災者を迅速に救出するための出動準備を「国からの命令もないのに」せっせと行い、当時の現行法ギリギリのラインで被災者の救出活動に勤しんでいた阪神大震災時の自衛隊は「責任感や使命感が過剰で、自分がやらねば誰がやる、と思いこみ、他人のやることに口を出し、手も出し、結果として事態を悪化させるタイプ」のはずであり、対する村山富一率いる社会党政権は「有事の際にも平時の法律をきちんと守り、自衛隊の暴走を抑制した政府」ということになるわけですから、田中芳樹にしてみれば、阪神大震災時の自衛隊は本来大いに罵倒されて然るべき存在でしかないはずでしてね。
にもかかわらず、実際には己の主義主張に反するこんなヘタれたタワゴトを口走っているわけです↓
創竜伝10巻 P145上段
<第一線に立つ中間以下の公務員たちはよくやっているのだ。大震災やトンネル事故のとき活動した自衛隊員、東京の地下鉄で兇悪な集団がサリンをばらまいたときには、サリンを車外へ運び出して多くの乗客を救い、自分は亡くなった職員もいた。そういったモラルの高さが、組織の上へ行くほど、反比例して低くなる。罪なき人を何百人も死なせておきながら、薄笑いを浮かべて平然と「記憶にありませんね」と言い放つ厚生省の高級官僚たちの表情は爬虫類めいていて、一般市民を慄然とさせる。おそらく、もっとも慄然としたのは、上司の正体を知った職員たちだろうが。>
例の地震関連の発言もそうですが、過去の己の言動に対する反省・総括を全く行おうともせず、その場その場のストレス解消発言に終始する田中芳樹が、どのツラ下げて日本を批判できるのか、是非とも知りたいところではあるのですけどね。
<宗教に野暮を言ってる無粋は置くとして、「イエス・キリストが
生き返ったとして、そう名乗る人物」が所謂「イエスの奇跡」を
全部やってのければ、それは充分「イエス・キリスト」と言って
差し支えないんじゃないでしょうかね、泉田警部補。
そもそも真っ先に「証明」を求めるのはまず「信者」だと思いますし。>
というか、その「イエスの奇跡」に相当する「非科学的」な現象を、泉田準一郎はこれまで何回も実体験しているはずなんですよね。「妖怪や怪物がいることはすでに証明されているのだから、神だって存在するし、神の奇跡があっても不思議ではないのでは?」とその手の信者から問われた時、泉田準一郎はどう答えるつもりなのでしょうか?
すくなくとも薬師寺シリーズの世界において、泉田準一郎が信奉してやまない「科学」とやらは、その問いに何ひとつ有効な解答を与えることはないのですけどね~(苦笑)。
<ついでにこれも物凄いブーメランで、J・F・ケネディ大統領の
暗殺事件で黒幕疑惑の最筆頭はかの薬師寺涼子が「尊敬している」
と公言したFBI長官ジョン・エドガー・フーバーなのを田中
センセイと泉田クン知らないんですかね?>
知ってはいると思いますよ。その薬師寺涼子がJ・E・フーバーを持ち上げている際の人物紹介説明に「J・F・ケネディ大統領やキング牧師の暗殺にかかわった疑惑さえある」という記述がありますし(2巻「東京ナイトメア」P12)。
ただ、その手のアメリカの暗部を非難する一方で、その暗部を担う人物を「それと承知で」尊敬し、かつそれ以上の醜悪な言動に終始している薬師寺涼子を絶賛するのは、確かにブーメランそのものではありますね。田中芳樹も泉田準一郎も、身体中に大量のブーメランが突き刺さりまくっている薬師寺涼子の滑稽な惨状が何故理解できないのか、私も以前から不思議で仕方がないのですが。
ちなみに薬師寺涼子が推奨するJ・E・フーバー氏は、田中小説版キング・コングでも「ジャック・ドリスコルに高圧的な態度で脅しをかけるFBI職員を束ねるボス」として友情出演しております。田中小説版刊行と同時期に公開されたリメイク映画版には、彼もFBIも作中に登場すらしていないにも関わらず(笑)。
<ハリウッド映画バカにしてますね。
なら「プログラムに逆らえない苦悩を持ち、なお人間の尊厳と
警官の誇りを傷だらけで保ち続けるロボコップ」や「悪党と同じ
フリークスの孤独を味わいながらクライムハンターであり続ける
バットマン」「子供に慕われても平和を乱さないため一人去る
シェーン」を「勝った」の一言で済ませるつもりかと小一時間
問い詰めたいですね。>
他にも、「ベトナム戦争を遂行するアメリカ軍首脳部の方針に反する行動を行い、味方と戦った挙句人間不信に陥ったランボー(第一作目)」とか「核戦争勃発の暗い未来が常にのしかかっているターミネーター1~3」などがありますし、アクション映画に限定しなければ、「悲劇的な結末を迎えるタイタニック」「致死性の高い伝染病によるパンデミックの発生と、街ごとウィルスを抹殺しようと画策する軍首脳部との対立を描いたアウトブレイク」などといったものも、ハリウッド映画にはありますね。
第一、「正しい者が勝つ」などというスローガンは何もハリウッド映画に限定されるものではなく、往年の週刊少年ジャンプのバトル路線漫画などは出版社を挙げて軒並みその路線を踏襲していましたし、そもそも創竜伝や薬師寺シリーズにしてからが「正しい者」に理不尽なまでの圧倒的な力を付与して勝たせるというスタンスで成り立っているのですから、「創竜伝や薬師寺シリーズでは(作者的に)正しい者が勝ちますが、現実世界では強い者が勝つんです」と言い換えても充分に通用してしまうのですが(苦笑)。
田中芳樹のハリウッド映画に対する理解というのは、どうもインディペンデンス・ディ辺りで止まってしまっているのではないかと私は思うのですけどね。「イギリス病のすすめ」でもこんなことを述べていましたし↓
イギリス病のすすめ・文庫版 P185
<田中:
政権交代があることを当然と思ってるところと、現実にないところではね、意識が全然違う。ぼくは映画の「インディペンデンス・デイ」に見られるようなアメリカ人のセンスをなにかと言うと笑い話のネタにしてるけども……。(笑)
土屋:
うん、ぼくもそうだから。(笑)>
アメリカ人のセンスとやらを嘲笑う前に、読者に嘲笑われかつウザがられている「小説中にストーリーとは全く関係のない評論を大量にぶち込む」「過去の言動やストーリー設定を全く顧みない」己の小説執筆スタンスをどうにかしろよ、とハリウッド映画ファンのひとりとして私は言いたいですね。「ナルニア国物語」に関する評論についても言えることですが「人のことを言っている場合か!」と(>_<)。