佐藤大輔の『銀河連邦の興亡』シリーズをお読みの方も多いと思いますが、あの作品の中では恒星間文明の時代だと言うのに、民族国家が存続しています。日本人ばかりが住んでいる惑星群は「N-1星系」で星系自衛隊まであるんですな。おまけに、各星系には一家族づつ皇族(天皇家の分家)まである。
きっと佐藤大輔は、国家を粗大ゴミ扱いする田中芳樹に対して「国家や民族がなくなるわけないやんけ」と、皮肉に満ちたせせら笑いを向けたくてこういう世界を構築したのだとしか思えません。
>平成の一軍人さん
> 佐藤大輔の『銀河連邦の興亡』シリーズをお読みの方も多いと思いますが、あの作品の中では恒星間文明の時代だと言うのに、民族国家が存続しています。日本人ばかりが住んでいる惑星群は「N-1星系」で星系自衛隊まであるんですな。おまけに、各星系には一家族づつ皇族(天皇家の分家)まである。
きっと佐藤大輔は、国家を粗大ゴミ扱いする田中芳樹に対して「国家や民族がなくなるわけないやんけ」と、皮肉に満ちたせせら笑いを向けたくてこういう世界を構築したのだとしか思えません。
「銀河」連邦ではなく、「地球」連邦ですね(笑)私も読者ですが。
これは、銀英伝に限らず、過去のSF作品では未来においては国家や民族が消え去るのは自明のこととされている、それに対するアンチテーゼだと思いますね。
銀英伝世界では帝国公用語のことを考えると、ドイツ語系民族とその言語が保存されていたようですが。
いずれにせよ、銀英伝を見て感じるのは、銀河帝国なる専制国家の誕生の原因は、そもそも銀河連邦なる人類統一政府などというものを作ったからじゃないか、ということ。専制を防止する最大の手だては権力を分散すること、ならばいっそのこと統一政府などなければいいじゃん、専制政治の弊害に比べればちょっとやそっとの民族紛争など・・・と思うわけです。
田中氏自身もその辺はふまえてると思いますけどね。「夏の魔術シリーズ」の悪役(の娘)の台詞で、「逃亡先としての外国」が有るがゆえ「人類統一政府でなくてよかった」という皮肉な表現してましたし。
田中氏は一定の留保付きで国民国家を認めてると思いますよ。少なくとも「地球市民」などと恥ずかしげもなく語るサヨクさんとは違いますよ。「国家は道具に過ぎない」って言葉は国家を自明のこととしている人へ向けた言葉であって、道具としての有用性は認識していると思います。だから「粗大ゴミ扱いする」はちょっと言い過じゃないかと・・・うーん思わず擁護しちまった。創竜伝見ると自信がなくなりますが。
ただ、「地球連邦の興亡」はその他いろんな意味で田中作品のアンチになってますね。
なにしろ、大増殖した日本人の恒星系N-1~3の通称は「Nシスターズ」
そして、「染血の夢」が実行に移されていて、中国人の数が激減しています(^^;
<いずれにせよ、銀英伝を見て感じるのは、銀河帝国なる専制国家の誕生の原因は、そもそも銀河連邦なる人類統一政府などというものを作ったからじゃないか、ということ。専制を防止する最大の手だては権力を分散すること、ならばいっそのこと統一政府などなければいいじゃん、専制政治の弊害に比べればちょっとやそっとの民族紛争など・・・と思うわけです。>
銀英伝で「地球統一政府」や「銀河連邦」が成立した背景に、「国家間紛争による大いなる災厄はうんざりだ」という当時の人々の思惑があったのですから、それを無視して統一国家論を論じても仕方がないのではないかと思いますが……。国家間紛争による大被害にさらされた人達にして見れば、あの統一国家の成立は当然にして唯一の選択であったわけで、「ちょっとやそっとの民族紛争」よりも戦争をなくす事の方が優先されたわけですから。
それに「権力の分散=民主主義」というのは違うのではないでしょうか。アメリカは大統領がかなり強大な権限を持っていますが、それではアメリカは民主主義国ではないのでしょうか。逆に日本は有事の際に自衛隊に対してまともに命令が出せないほど首相の権限が弱いのですが、これが「理想的な民主主義」なのでしょうか。
民主主義も国によっていろいろなものがありますが、「権力が弱いから民主主義」という定義は当てはまらないと思います。
銀英伝の民族問題については、もちろん統一国家成立当初は民族問題や民族紛争も頻発していたでしょうが、互いに統一国家の一員であるという意識を植えつける教育や、アメリカのような「国旗・国歌に忠誠を誓う」というような愛国心教育を数百年単位で行った事、それに長い年月にわたる巧妙な移民政策・民族間の混血などが、民族対立を消していったのではないかと私は考えているのですが。
まあ、かなり都合の良い解釈ではありますが(^^;;)。
<田中氏自身もその辺はふまえてると思いますけどね。「夏の魔術シリーズ」の悪役(の娘)の台詞で、「逃亡先としての外国」が有るがゆえ「人類統一政府でなくてよかった」という皮肉な表現してましたし。
田中氏は一定の留保付きで国民国家を認めてると思いますよ。少なくとも「地球市民」などと恥ずかしげもなく語るサヨクさんとは違いますよ。「国家は道具に過ぎない」って言葉は国家を自明のこととしている人へ向けた言葉であって、道具としての有用性は認識していると思います。だから「粗大ゴミ扱いする」はちょっと言い過じゃないかと・・・うーん思わず擁護しちまった。創竜伝見ると自信がなくなりますが。>
七都市物語 P223
<七都市分立の体制は、それほど悪いものでもないようだ、と、ギルフォードは思う。ひとつの都市にいられなくなっても、他都市に逃れて再出発できる。人類社会が単一の政体によって支配され、同一の政治的価値観を全員が共有しなければならないというのも、うっとうしい話である。>
創竜伝と銀英伝以外では確かにこのような論調になっていますから、まあ田中芳樹も「国家の有用性」については認めてはいるのでしょう。
しかし創竜伝と銀英伝になると話は別で、
歴史上、多くの国家が常に滅んできた―→国家はいつか必ず滅ぶものだ
という思考になっているのはまあいいのですが、そこから、
国家はいつか必ず滅ぶものだ―→今の国家は滅びるべきだ
という論理の飛躍を展開していますからね。上記の2つの間には無限の距離があるという事に田中芳樹は気づいているのでしょうか。国家は滅ぶものであるからこそ、国家の存続のために努力しなければならないのではないか、と私が田中芳樹を尊敬していた頃でさえ疑問に思ったものです。銀英伝ではさすがにそこまではっきりとは言っていませんが(滅びてもかまわない、という論調ではありますが)、創竜伝では露骨ですからな~(>_<)。アルスラーン戦記やタイタニアなどではちゃんと書いてあるのですが。
この論理が成立するのならば、
人間はいつか死ぬものだ→今の人間は滅びるべきだ
と、このような論理だって成立できるではありませんか。これはオウムのポア思想あたりと全く同じ思考であると思うのですが。そういえば過去ログによると、創竜伝がオウムに何らかの影響を与えているらしいとのことでしたね。
そんなわけで田中芳樹は、こと日本に対しては明らかに「粗大ゴミ」か「有害な放射性廃棄物」扱いしていると思います。それに比べて、中国のあの愛情に満ちた態度は何なのだろうかと常々思うのですが。
> 銀英伝で「地球統一政府」や「銀河連邦」が成立した背景に、「国家間紛争による大いなる災厄はうんざりだ」という当時の人々の思惑があったのですから、それを無視して統一国家論を論じても仕方がないのではないかと思いますが……。国家間紛争による大被害にさらされた人達にして見れば、あの統一国家の成立は当然にして唯一の選択であったわけで、「ちょっとやそっとの民族紛争」よりも戦争をなくす事の方が優先されたわけですから。
全くその通りだと思います。ただ、ここでは銀英伝の世界設定としての「銀河連邦」が成立した背景がおかしい、と言っているのではなくて、権力が腐敗するのが必然である以上、世界政府が登場した時点で世界を統べる専制が出現するのも必然。そういう意味でも多数の国民国家が小競り合いを繰り返す世界の方がましかも、という表現で、恒星間世界の国民国家を肯定して見せたわけです。
そもそも、銀英伝世界では「銀河帝国」なる専制国家が誕生しているわけですから、先の文章ははじめから銀英伝への批評は意図していません。例えば「核戦争や異星人との接触のあとに、人類は統合されユートピア」などというスタートレックのような作品で有れば、それこそ佐藤大輔作品を引き合いに出して批評したくなりますが。
本題はそのあとの「田中氏自身もその辺はふまえてると思います」についてですが、その前に、
> それに「権力の分散=民主主義」というのは違うのではないでしょうか。
私の表現では「専制を防止する最大の手だては権力を分散すること」ですが、「専制の防止」とは「民主主義」と同じではありません。むしろ「多数者による専制」の弊害を生み出す民主制は君主制以上に専制を生み出す危険をはらんでいます。
説明するならば君主による専制すなわち、少数者による専制はその他大勢の力で是正することも可能ですが、ファシズムすなわち、多数者による専制はもはやその他の少数者では是正することが難しい。それを全世界規模に広げれば、例えばプリンスハラルドに独裁政権が誕生しても、その他の国で叩きつぶせるが、世界政府が独裁政権になっちゃったらどうしようもない。そういうことです。
というわけで、
> アメリカは大統領がかなり強大な権限を持っていますが、それではアメリカは民主主義国ではないのでしょうか。
については、アメリカは日本にくらべて民主的ではない、と思いますが逆にそこを評価します。
> 日本は有事の際に自衛隊に対してまともに命令が出せないほど首相の権限が弱いのですが、これが「理想的な民主主義」なのでしょうか。
については、「すごく民主的」だと思いますが「理想的」政治だどは思いません。アメリカ合衆国創立時の政治家たちはデモクラシーに対して大きな懐疑を抱いていて、自らの理想とする「共和政」と、「民主政」という言葉をわけて説明しています。「首相の権限」に関して言えば次のような言葉があります。
<強固にして効率的な政府を熱望する一見厳しい外見よりも、むしろ人民の諸権利を標榜するもっともらしい仮面のかげに、かえって危険な野心が潜んでいることが、同じく忘れられることになろう。歴史の教えるところでは、後者のほうが、前者よりも、専制主義を導入するのにより確実な道であった。(A.ハミルトン)>
> 民主主義も国によっていろいろなものがありますが、「権力が弱いから民主主義」という定義は当てはまらないと思います。
民主主義の言葉の意味合いが、「専制でない状態」であるならば、そのとおりです。私の理解する意味合いであれば、繰り返しになりますが、指導者の権限が弱いのは民主的だが、それは理想ではない、と思います。
> 銀英伝の民族問題については、もちろん統一国家成立当初は民族問題や民族紛争も頻発していたでしょうが、互いに統一国家の一員であるという意識を植えつける教育や、アメリカのような「国旗・国歌に忠誠を誓う」というような愛国心教育を数百年単位で行った事、それに長い年月にわたる巧妙な移民政策・民族間の混血などが、民族対立を消していったのではないかと私は考えているのですが。
まあ、かなり都合の良い解釈ではありますが(^^;;)。
余談ですが「連邦」といっても別に民族までも統合させる必要はなくて、各民族国家から軍事と外交を取り上げるだけでも十分なはずなんですけど、過去の多数のSFでおなじみの「地球連邦」では「連邦」を構成してるはずの各「邦」がどうなっているのかは不明で、完全に単一国家になってる気がします。
やっと本題に入りますが、
> 創竜伝と銀英伝以外では確かにこのような論調になっていますから、まあ田中芳樹も「国家の有用性」については認めてはいるのでしょう。
しかし創竜伝と銀英伝になると話は別で、
これについて、まず銀英伝では、ヤンというキャラクターの台詞、と受け止めてかまわないかと思います。銀英伝ではこのキャラを相対化する数多くのキャラクターが存在しますし、なにより「テロで歴史は動かない」とする当人をテロの犠牲者にするようなこともやっています。
しかし、創竜伝については・・・うーんとりあえず返す言葉はないです。あの作品はもうどんどん撃っちゃってください。
ただ、あれが田中氏の本音であるかどうかについては、私はまだ疑問を持っているところです。根拠は?と問われれば弱いですけど、例えば次の文章、
晴れた空から突然に・・・より
<「とにかく日本人て奴は、円といっしょにトラブルを持ち込んでくるなあ。困ったもんだ。ちっとは自分の国でおとなしくしてくれればいいのに」
本気でそう思っていたわけではなく、このとき警部補は何の気なしに社会派を気どってみただけのことであった。だが、実際、日本人が自分の国でおとなしくしていれば、ブリティッシュ・コロンビア州の経済は破綻してしまうのが残念な現実である。>
田中氏はこの警部補のように創竜伝で「何の気なしに社会派を気どってみただけ」である、いや、であるだろう、いや、であったらいいなー・・・。とにかく「日本に対しては明らかに「粗大ゴミ」か「有害な放射性廃棄物」扱いしている」にしてもその日本人がいなければ田中芳樹の経済は破綻してしまうのが残念な現実である。
<君主による専制すなわち、少数者による専制はその他大勢の力で是正することも可能ですが、ファシズムすなわち、多数者による専制はもはやその他の少数者では是正することが難しい。それを全世界規模に広げれば、例えばプリンスハラルドに独裁政権が誕生しても、その他の国で叩きつぶせるが、世界政府が独裁政権になっちゃったらどうしようもない。そういうことです。>
これは結構難しい問題なんですよね。「統一国家がおかしくなった時の混乱」と「複数の国家の抗争」を天秤にかけて「どっちがより最善であるか」というのですから。銀英伝の「地球統一政府」や「銀河連邦」は前者を選んだわけですが、次第に内的矛盾が表れてきて混乱していましたからね。しかし「複数の国家」の方も、銀河帝国と自由惑星同盟の100年以上にわたる抗争で両国とも疲弊してしまったり、七都市間の抗争で慢性的な戦争状態が続いたりという例もありますし、「完全な解答」は出せないと思いますね。
「平和第一ならば統一国家、複数の価値観の共有をめざすならば複数の国家」ということになるのでしょうが、実現できるのならば私は前者を選びたいですね。現状ではよほどの事がない限りまず無理だと思いますから、いやでも後者の世界の対処を考えなければならないのでしょうけど。
>民主主義
ナポレオンやヒトラーがなぜ現れたか、という命題について面白い解答があったんですよね。曰く
「首相ないしは大統領の権限があまりにも弱く、対外・対内の国家的規模の有事に対して有効に対処できなかったために、民衆が強大な権限を持つ独裁者の出現を求めたのだ」
テルミドールのクーデター後のフランス政府も、ドイツのワイマール共和国も、ともに「行政府の権限が弱い」という点では共通していますし、多くの有事(大不況や対外戦争など)を抱えていたのに、それらをうまく対処できなかったからこそ「独裁者の出現」を民衆が求めたというわけです。やはり究極的には「民主主義よりも平和と食事が大事」となるのですから。
こんな事態を避けるためにも、政府ないしは首相・大統領がある程度の強い権限を持つことはやはり重要なのではないかと私は思うのです。やはり民主主義以前に、安全に食っていかなければなりませんからね(笑)。
>SF世界の民族問題
旧ユーゴスラビアや中国の例を見れば分かる通り、統一国家にとって民族問題とは非常に厄介な問題です。軍事や外交の権限を奪ったくらいで統一が維持しつづけられるものでしょうか? もしそうであるならばクロアチアやスロベニアの独立はありえなかったでしょう。いや、それ以前に第一次世界大戦後にオーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊して多くの国が独立するという事もなかったことでしょう。
ましてや「SF世界の統一国家」ともなれば、何百~何千もの「異民族」と共存しなければなりません。今の数十という単位の民族問題でさえあれほどの問題が生じているというのに、その何十倍ともなればその問題の大きさは想像もつきません。
だからこそSF世界の統一国家は、まず自らの統一を維持するためにも民族問題に着手しなければなりません。その際一番確実な方法は、やはり「民族統合」でしょう。争いの元を根元から断つわけです。もちろん簡単にいくわけではなく、何十年・下手すると100年単位の年月が必要でしょう。
しかし「統一国家」の場合は、「全員同じ国家の一員」という意識と、統一された教育とがあるのですから、時間をかけていけばうまくいくのではないかと考えるのは、少し楽観的すぎますかね(^^;;)。
>創竜伝の国家認識
あれは敵味方全てのキャラクター、そして地の文を問わず、ひたすら日本罵倒や日本断罪を展開しているものですからどうしようもありませんね(日本の政治家も罵倒材料でしかないし)。その一貫した態度には、いっそ敬意を払いたいものですが(笑)。
>田中芳樹の本音
すくなくとも日本罵倒は、ほとんど全ての現代物に共通していますし、あとがきや対談などでまで同じようなことを主張していますので、やはりあれは「本音」とみなすのが自然でしょう。
仮に本音でないとしたら、田中芳樹は一貫して読者を欺いているということになりますから、これはこれで批判の対象になるような気もしますが(^^;;)。
それにあれが本音であれ何であれ、自分の発言にはそれなりの責任を取ってもらわなければならないでしょう。
「言論を主張するのは自由だが、同時にそれに対する責任を伴う」
それこそが田中芳樹の大好きな「言論の自由」というものですから。
創竜伝をはじめ、田中芳樹の現代物だと「民主主義」というと何やっても許されてしまう(それこそ戦前における錦の御旗の如く)傾向があるので、結構この議論は重要だと思うのですよ。
> > アメリカは大統領がかなり強大な権限を持っていますが、それではアメリカは民主主義国ではないのでしょうか。
> については、アメリカは日本にくらべて民主的ではない、と思いますが逆にそこを評価します。
> > 日本は有事の際に自衛隊に対してまともに命令が出せないほど首相の権限が弱いのですが、これが「理想的な民主主義」なのでしょうか。
> については、「すごく民主的」だと思いますが「理想的」政治だどは思いません。アメリカ合衆国創立時の政治家たちはデモクラシーに対して大きな懐疑を抱いていて、自らの理想とする「共和政」と、「民主政」という言葉をわけて説明しています。「首相の権限」に関して言えば次のような言葉があります。
> <強固にして効率的な政府を熱望する一見厳しい外見よりも、むしろ人民の諸権利を標榜するもっともらしい仮面のかげに、かえって危険な野心が潜んでいることが、同じく忘れられることになろう。歴史の教えるところでは、後者のほうが、前者よりも、専制主義を導入するのにより確実な道であった。(A.ハミルトン)>
C・D・ラミスの本にあったのですが、アメリカ建国の際、「大統領」という制度を作るかどうかで相当揉めたらしいんですよね。つまり、ようやく新世界に来てヨーロッパの封建制のもとから逃れ出て全員が平等な民主社会を作れるはずなのに、ここで再び強大な権力を持つ大統領という名の「王」を作ってしまうのか、と。結局のところ、上記の主張の「民主派」が僅差で破れて大統領制が成立するわけですが、興味深い話であると思います。
>ナポレオンやヒトラーがなぜ現れたか、という命題について面白い解答があったんですよね。曰く
>「首相ないしは大統領の権限があまりにも弱く、対外・対内の国家的規模の有事に対して有効に対処できなかったために、民衆が強大な権限を持つ独裁者の出現を求めたのだ」
> 民主主義の言葉の意味合いが、「専制でない状態」であるならば、そのとおりです。私の理解する意味合いであれば、繰り返しになりますが、指導者の権限が弱いのは民主的だが、それは理想ではない、と思います。
この点に関してはカール・シュミット「独裁」が興味深いと思います。彼は、例外状況(簡単に言えば有事)で政治の本質が現れるとし、そこでの議会制民主主義の脆弱さを批判し、強力な独裁制民主主義(!)を提唱します。つまり、独裁とは悪の代名詞ではなく、政治の本質的な一形態に過ぎないということであり、レールを外れてしまった(有事の)場合の議会制の脆さともども考えさせられます。阪神大震災という例外状況の際に求められたものも「首相のリーダーシップ」という独裁の要素であり、議会制の手続きではありませんでした。逆に法律を遵守して災害救助犬に検疫検査の待機を要求した極めて議会民主的な厚生省は散々批判を浴びました(「近代国家というのは、元首だって最高権力者だって、きちんと法律を守らなきゃならない、そういう国のことを言うんですよ! いちばん日本の法律を守らなきゃならない人が超法規ですって! あなたはいったい、近代の人間なんですか。ぼくたちを大新聞の政治部記者と同列に見ないでいただきたい(創竜伝4巻P121)」と言った続くんは是非ともこの厚生省の役人を褒めてあげていただきたい。それにしても、泥棒が万引きに道徳について説教しているみたいなものだな、ここのセリフ…)。
ちなみに、シュミットはナチスの独裁に理論的根拠を与えた政治学者なんですよね。世の中、一筋縄ではいかないわ……
> 「平和第一ならば統一国家、複数の価値観の共有をめざすならば複数の国家」ということになるのでしょうが、実現できるのならば私は前者を選びたいですね。現状ではよほどの事がない限りまず無理だと思いますから、いやでも後者の世界の対処を考えなければならないのでしょうけど。
私も今のまま、複数の主権国家がただ並立している状態のままでいい、とは思いません。何らかの形の世界政府が必要だと思いますよ。でもこれは、必ずしも二者択一とはならないと思います。先にも書いたように、現在の国家はそのままで、主権の一部を世界政府に譲渡した形での世界連邦っていうのもアリ、っていうかこちらの方が自然だと思いますけど。具体的なイメージはこのスレッドの頭で紹介されている「地球連邦の興亡」みたく天皇家も英国王室も植民惑星政府も強力な連邦政府も併存している状態。
> こんな事態を避けるためにも、政府ないしは首相・大統領がある程度の強い権限を持つことはやはり重要なのではないかと私は思うのです。やはり民主主義以前に、安全に食っていかなければなりませんからね(笑)。
戦争など対外的な危機への対応は強い権限をもった指導者の方が有利。ただし独裁の危険もあり。この辺は難しいところですが、ここでモンテスキュー「法の精神」から引用。
<もし、人間が、共和政体の持つ対内的な利点のすべてと君主政体の持つ対外的な力とを兼ね備えているようなある種の国制を考えつかなかったならば、人間は、結局、あるひとりの人物の統治のもとに常に生きざるをえないでいたということは十分に考えられる。わたしがのべているのは、連合共和国のことである。>
というわけで、再び連邦制の話です。
> だからこそSF世界の統一国家は、まず自らの統一を維持するためにも民族問題に着手しなければなりません。その際一番確実な方法は、やはり「民族統合」でしょう。争いの元を根元から断つわけです。もちろん簡単にいくわけではなく、何十年・下手すると100年単位の年月が必要でしょう。
しかし「統一国家」の場合は、「全員同じ国家の一員」という意識と、統一された教育とがあるのですから、時間をかけていけばうまくいくのではないかと考えるのは、少し楽観的すぎますかね(^^;;)。
楽観的というか危険ではないですか。<「全員同じ国家の一員」という意識と、統一された教育>これって、中国がチベットでやってることと同じじゃないですか(ちょっと挑発気味)。
EUという実例がありますが、まず各民族が確固たる主権国家を確立した上で、主権の一部を上位の連邦に委譲する、という形か一番平穏だと思いますし、それ以上の「民族の統合」は自然に進むのならともかく、「教育」などという積極的な政策はとるべきでないと思います。
しかし「現実の民族問題はどうするの?」といわれれば弱い。「対処療法」でやるしかない、というのが今のところの結論です。
(前述の「地球連邦の興亡」は異星人との戦争のために統合を保ってきた人類が、戦争終結にともないおなじみの同族争いを始める、という話です。だから、民族を全肯定しているものではありません)
・・・やっぱ、「完全な解答」は出せません。
> それにあれが本音であれ何であれ、自分の発言にはそれなりの責任を取ってもらわなければならないでしょう。
「言論を主張するのは自由だが、同時にそれに対する責任を伴う」
それこそが田中芳樹の大好きな「言論の自由」というものですから。
当然ですね。こんな作品を書いて本人も後悔するかもしれない(それはない?)。
> 創竜伝をはじめ、田中芳樹の現代物だと「民主主義」というと何やっても許されてしまう(それこそ戦前における錦の御旗の如く)傾向があるので、結構この議論は重要だと思うのですよ。
・・・「連邦制」の議論はひろーい意味での反銀英伝ってことでご容赦ください(^^;
> C・D・ラミスの本にあったのですが、アメリカ建国の際、「大統領」という制度を作るかどうかで相当揉めたらしいんですよね。つまり、ようやく新世界に来てヨーロッパの封建制のもとから逃れ出て全員が平等な民主社会を作れるはずなのに、ここで再び強大な権力を持つ大統領という名の「王」を作ってしまうのか、と。結局のところ、上記の主張の「民主派」が僅差で破れて大統領制が成立するわけですが、興味深い話であると思います。
建国時の議論の主題は、連邦政府の権限を重視するか、各邦の独立を重視するか、で、平等な民主社会云々の表現は違和感があるのですが、大統領制が選挙による君主政になるのでは、という危惧は持たれていたらしい。いずれにせよ指導者の権限と人民の権利という問題に関わってくるものですね。
> この点に関してはカール・シュミット「独裁」が興味深いと思います。彼は、例外状況(簡単に言えば有事)で政治の本質が現れるとし、そこでの議会制民主主義の脆弱さを批判し、強力な独裁制民主主義(!)を提唱します。つまり、独裁とは悪の代名詞ではなく、政治の本質的な一形態に過ぎないということであり、レールを外れてしまった(有事の)場合の議会制の脆さともども考えさせられます。阪神大震災という例外状況の際に求められたものも「首相のリーダーシップ」という独裁の要素であり、議会制の手続きではありませんでした。逆に法律を遵守して災害救助犬に検疫検査の待機を要求した極めて議会民主的な厚生省は散々批判を浴びました(「近代国家というのは、元首だって最高権力者だって、きちんと法律を守らなきゃならない、そういう国のことを言うんですよ! いちばん日本の法律を守らなきゃならない人が超法規ですって! あなたはいったい、近代の人間なんですか。ぼくたちを大新聞の政治部記者と同列に見ないでいただきたい(創竜伝4巻P121)」と言った続くんは是非ともこの厚生省の役人を褒めてあげていただきたい。それにしても、泥棒が万引きに道徳について説教しているみたいなものだな、ここのセリフ…)。
ちなみに、シュミットはナチスの独裁に理論的根拠を与えた政治学者なんですよね。世の中、一筋縄ではいかないわ……
イタリアンマフィアに近代の人間がどーのいわれてもねぇ・・・。でも法の支配に例外を設けすぎるのは確かに危険です。
レールをはずれてしまった場合の対応は独裁の要素が必要ってのもある。でもなるべくなら法に則ってやるべし。っていうとこから「有事法制」てなものがでてきますね。議会の対応が間に合わないような非常事態の時の行動も、事後に議会の承認を必要とする、ってことで制約を持たせておけばいい。このへんは「経験者」のドイツの憲法(基本法)がよい見本です。
戦後補償をドイツに見習えって人がドイツ基本法の有事法制や徴兵制を無視してることは、もう定型のようにいわれてるけど、「有事法制」はむしろ権力者の行動を制約し、人民の権利を守るためにこそ制定する、ってことは今一度おさえておきたい。
<私も今のまま、複数の主権国家がただ並立している状態のままでいい、とは思いません。何らかの形の世界政府が必要だと思いますよ。でもこれは、必ずしも二者択一とはならないと思います。先にも書いたように、現在の国家はそのままで、主権の一部を世界政府に譲渡した形での世界連邦っていうのもアリ、っていうかこちらの方が自然だと思いますけど。>
国際連合成立の構想の中にそういう「世界連邦」的なものがあったらしいのですが(確か軍隊の拠出による国連軍を創設する、という構想でした)、結局実現しなかったんですよね。東西冷戦が始まってしまいましたし。
現在実現できそうな構想がEUのような「連合」なのですけど、これも結構民族主義的な色彩がかなりありまして、文化や歴史で比較的共通したものがあったヨーロッパ諸国だからこそああいう「連合形態」ができたといえます。逆に共通項がほとんどないアジア諸国やアフリカではEUのような構想はほとんど出てきません。様々な諸問題で対立していますしね。
アジアの方では「中国の脅威」という共通項がないこともないのですが、ASEAN諸国間の内部対立もかなりのものがあるようですから、軍事同盟を締結する事も容易ではないでしょう。ましてやEUのような「連合形態」は、何らかの利害調整が行われない限りまず無理ですね。
連邦形態にせよ、統一国家にせよ、その国家の構成員の利害調整がうまくいかないかぎり、統一の維持は難しいですからね。この観点から見ると、統一国家に「内部の主権国家」とか「民族意識」などはかなり邪魔になるのではないでしょうか。現に民族問題で崩壊したユーゴスラビアやオーストリア・ハンガリー二重帝国の例もあるのですから。
その前提で民族問題を述べますが
<楽観的というか危険ではないですか。<「全員同じ国家の一員」という意識と、統一された教育>これって、中国がチベットでやってることと同じじゃないですか(ちょっと挑発気味)。
EUという実例がありますが、まず各民族が確固たる主権国家を確立した上で、主権の一部を上位の連邦に委譲する、という形か一番平穏だと思いますし、それ以上の「民族の統合」は自然に進むのならともかく、「教育」などという積極的な政策はとるべきでないと思います。>
私は一応多民族国家であるアメリカを例にとって説明したつもりだったのですが。まあそのアメリカにしても「白人が力で支配していった」という歴史がありますから、経緯は似たり寄ったりかもしれませんが(^^;;)、最初から「多民族国家」として出発したアメリカについては、この点で学ぶ点が多いと思いますよ。どのような形で成立するにせよ、「統一国家」もまた「多民族国家」となるのですから。
まず私が言った「全員同じ国家の一員」という意識と、民族意識とは全く矛盾しません。両者は両立可能です。「全員同じ国家の一員」というのは「同じ国籍を持つ」ということであり、民族意識を消滅させる事ではありません。アメリカでは「プエルトリコ系」とか「華僑系」とか言った異なる民族の「アメリカ国民」がいますが、独自の民族意識を持っていながら、同じ国籍を持つ事で「全員同じ国家の一員」という意識をもっています。この「共存」を100年単位で続けていれば、民族間の違和感もなくなって「民族意識」も自然消滅するというわけです。もちろんその過程で様々な問題も発生するでしょうし、容易な道ではないという前提は承知の上ですが。
そして「統一された教育」というのは、主に上記の「国籍意識」を持たせる事と、統一言語を教える事に重点が置かれます。
前者は「国旗・国歌を敬い、国家に対して忠誠を誓う」という「愛国心教育」で「国籍意識」を植えつけます。現に日本を除くほとんど全ての国ではこのような教育が行われており、特別異常な教育というわけではありません(田中芳樹作品ではほとんど異常あつかいですが)。アメリカで公民権運動が行われた時、「同じアメリカ国民である黒人を差別してはならない」というのがスローガンとして挙げられていましたが、これが理想形態です。
そして後者は民族問題を解決するのに特に重要なキーワードです。民族問題の対立原因のひとつに、言語の違いによる意思疎通の問題がありますから、これが解消されれば民族問題における大きな障害のひとつが消滅します。そしてこれは「統一国家」であればこそ可能な教育と言えるでしょう。実際問題としても、「統一国家」を維持するのに言語が乱立しているのでは統治にも支障をきたしますから、「統一言語」の教育は極めて重要な課題であると言えます。
ただ、言語教育の方は「統一言語」を「第1国語」とした上で、それ以外の民族の言葉も「第2国語群」として分類し、同時に教育していく必要があります。つまり「民族自決の原則は認める」というポーズをとっておくのです。こうすれば民族問題はすくなくとも当面の間は沈静化させることができます。「国家公用語」が2つ以上ある例は、カナダの英語とフランス語の例を挙げておけばよいでしょう。「第2国語」は地方・民族によって当然異なります。
そしてその上で、世界に存在する書物や公式文書をほとんど全て「統一言語」に翻訳し、公式の場や商取引などでは主に「統一言語」を使用させるなど、「統一言語」を使う方が便利であるという環境を整えなければなりません。膨大な翻訳作業については、今よりもはるかに発展した翻訳専用のコンピュータでも使用させれば大丈夫でしょう。秦の始皇帝のような「焚書」による文字の統一などする必要はありません。
これらの事を忠実に実行していけば、世代交代が4~5回ほど行われた頃には「民族問題」はすくなくとも「統一国家」を揺るがすような大きな問題ではなくなっている事でしょう。やたらと時間がかかる上に手間暇かかりますし、これ以外にもまだ多くの問題があるとは思いますが、「統一国家」を運営するのならばこれぐらいやらなければまず統一を維持できないでしょうし、「統一国家」における内戦を未然に防ぐためにも、民族問題を問題にならないレベルにまで自然消滅させることはどの道やっていかなければなりません。
そしてその過程で教育というのは絶大な力を発揮する事でしょう。教育というものは使い方によって毒にも薬にもなりますが、まずはその影響力を直視した上でうまく使いこなすことこそ、民族問題を解決する第一歩となりえるのではないでしょうか。
ちなみに中国のチベット支配や少数民族の支配は一方的な価値観の押しつけであり、しかも漢民族の人海戦術で少数民族の支配地域を埋め尽くしていこうという政策ですから、アメリカと違って反発を買うのは当たり前ですね。中国で「同じ中国人だから民族差別はやめよう」と言った人の話は聞いた事がありませんが(笑)。
これが私なりの「解答」です。すこしはましになったかな?
<イタリアンマフィアに近代の人間がどーのいわれてもねぇ・・・。でも法の支配に例外を設けすぎるのは確かに危険です。
レールをはずれてしまった場合の対応は独裁の要素が必要ってのもある。でもなるべくなら法に則ってやるべし。っていうとこから「有事法制」てなものがでてきますね。議会の対応が間に合わないような非常事態の時の行動も、事後に議会の承認を必要とする、ってことで制約を持たせておけばいい。このへんは「経験者」のドイツの憲法(基本法)がよい見本です。
戦後補償をドイツに見習えって人がドイツ基本法の有事法制や徴兵制を無視してることは、もう定型のようにいわれてるけど、「有事法制」はむしろ権力者の行動を制約し、人民の権利を守るためにこそ制定する、ってことは今一度おさえておきたい。>
日本でもようやく今国会で有事法制が議論される事になったそうですが、やはり有事の際に自衛隊の車輌が赤信号で停車しなければならないとか、正当防衛以外では発砲できないとか、「軍国主義」以前にそもそもまともな軍事行動ができないほどの法的制約があるのでは、安全は保障できませんからね。
またシビリアン・コントロールの観点から見ても、有事の際にどう対処するかや、自衛隊がどう行動できるかを規定する事は理にかなったことです。むしろ今のような法体系では却って危険です。今の状況では自衛隊は「法律を守って殉職するか、法律を破って暴発するか」のどちらかを迫られる事になるのですから。
<「近代国家というのは、元首だって最高権力者だって、きちんと法律を守らなきゃならない、そういう国のことを言うんですよ! いちばん日本の法律を守らなきゃならない人が超法規ですって! あなたはいったい、近代の人間なんですか。ぼくたちを大新聞の政治部記者と同列に見ないでいただきたい(創竜伝4巻P121)」と言った続くんは是非ともこの厚生省の役人を褒めてあげていただきたい。それにしても、泥棒が万引きに道徳について説教しているみたいなものだな、ここのセリフ…>
阪神大震災の時の自衛隊の行動も、法的に言えばかなり問題な部分があったんですよね。神戸の王子運動公園に自衛隊のヘリコプターが着陸許可なしで下り、救助活動を行ったのですが、あれは明らかに航空法79条違反です。また自衛隊は、有事の際でも都道府県知事の要請がないと出動できないという非常識な体制を取っているのですが、阪神大震災の時はほとんど見切り発車で出動していましたからね(一応兵庫県庁の一担当者の電話をもって出動要請としてはいましたが)。
当然ながら竜堂続くんは、神戸で救助活動をおこなった自衛隊に対し「救助活動をするためだからと言って法律を破ってもいいと思っているのですか。とても民主主義国家の軍隊とは思えませんね。恥を知りなさい、恥を」とでも言ったのでしょうね(笑)。私は創竜伝10巻で自衛隊の救助活動を誉めている描写に出会った時、正直非常に面食らったのですが(笑)。
こういうマヌケな事がないように、有事法制は整備しておかなければならないのですがね~。
<この点に関してはカール・シュミット「独裁」が興味深いと思います。彼は、例外状況(簡単に言えば有事)で政治の本質が現れるとし、そこでの議会制民主主義の脆弱さを批判し、強力な独裁制民主主義(!)を提唱します。つまり、独裁とは悪の代名詞ではなく、政治の本質的な一形態に過ぎないということであり、レールを外れてしまった(有事の)場合の議会制の脆さともども考えさせられます。阪神大震災という例外状況の際に求められたものも「首相のリーダーシップ」という独裁の要素であり、議会制の手続きではありませんでした。逆に法律を遵守して災害救助犬に検疫検査の待機を要求した極めて議会民主的な厚生省は散々批判を浴びました>
古代ギリシア・ローマの民主制には、任期一年の「独裁官(ディクタトル)」という官職があったとか。有事の際に任命され、強大な権力を振るうのだそうです。
平時はともかく、有事の際にはやはりそれが一番の形態であると判断しての事だったのでしょう。「任期一年」という制限がついているところが、今の有事法制に当てはまります。
いざという時に強大な権力がなければ民主制を維持できない、というのは一種のパラドックスでしょうな。
>これらの事を忠実に実行していけば、世代交代が4~5回ほど行われた頃には「民族問題」はすくなくとも「統一国家」を揺るがすような大きな問題ではなくなっている事でしょう。
例えるなら、民族意識を県人意識程度に引き下げてしまおうってことですかね。
大阪人は東京人を悪く言いますが、だからといって「東京人を皆殺しにせよ!」なんて考えているわけじゃない。民族意識もその程度のものになってしまえば、民族紛争なるものも無くせるのではと思います。
>古代ギリシア・ローマの民主制には、任期一年の「独裁官(ディクタトル)」という官職があったとか。
あれは半年だったような・・・。私が知っているのはカルタゴのハンニバルとローマの戦いでの絡みなんで、詳しくは知らないんですが、ローマは任期一年の「執政官(コンスル)」二名によって運営されており、そのため軍が二分されてハンニバルになかなか勝てませんでした。そこで緊急時の役職として定められていた「独裁官」(任期は半年だが、国家のほぼ全権を一手に握る強力な役職)によって、やっとハンニバルをやっつけたとか。また、のちにカエサルが「終身独裁官」になり、ローマ共和制に幕を引いています。
<例えるなら、民族意識を県人意識程度に引き下げてしまおうってことですかね。
大阪人は東京人を悪く言いますが、だからといって「東京人を皆殺しにせよ!」なんて考えているわけじゃない。民族意識もその程度のものになってしまえば、民族紛争なるものも無くせるのではと思います。>
例えはその通りですね。そしてアメリカの「西部開拓時代」の再現ともなるであろう「宇宙開拓時代」を利用して民族間の混血・移民政策を奨励し、またオリンピックのような「一大イベント」を多数開催する事によって民族間の相互理解を深めていく方法などとも併用していけば、次第に「確固たる民族意識」それ自体も薄らいでいくのではないかと思います。ただ、異星人のいない銀英伝ならともかく、それがいるであろう他の作品で「宇宙開拓時代」というものが実現できるかは疑問ですが。
銀英伝などのSF世界では「民族意識」などなくなってしまっていますからね。自分でもずいぶん都合の良い解釈ではないかと思うのですが(^^;;)、まあこれで説明できないこともないのではないかと。
しかし時間もかかるし(何しろ数十年~100年単位で行う政策ですから)、解決の過程で非常に多くの問題を抱える事も確かです。「ローマは一日にして成らず」を合言葉にやって行かないと実現できないでしょうね。
<あれは半年だったような・・・。私が知っているのはカルタゴのハンニバルとローマの戦いでの絡みなんで、詳しくは知らないんですが、ローマは任期一年の「執政官(コンスル)」二名によって運営されており、そのため軍が二分されてハンニバルになかなか勝てませんでした。そこで緊急時の役職として定められていた「独裁官」(任期は半年だが、国家のほぼ全権を一手に握る強力な役職)によって、やっとハンニバルをやっつけたとか。また、のちにカエサルが「終身独裁官」になり、ローマ共和制に幕を引いています。>
すいません、こちらは完全にうろ覚えでした<m(__)m>。調べてみたら、「独裁官」の制度があったのはローマのみでしたし、任期もMerkatzさんが仰る半年が正解です。いかんいかん(>_<)。
ローマの「独裁官」は「執政官(コンスル)」から元老院によって選出され、任期半年・再任は不可という制度です。当時の民主制としてはかなりうまく機能していたのではないかと思われます。カエサルによって民主制が覆されたのも、その前のマリウスの兵制改革(将軍によって運営される傭兵制度が採用された)によって、カエサルが自分の意のままに動く独自の軍隊をもって強大になった事が大きな原因と考えられます。もっとも、マリウスの兵制改革がなければローマ軍自体が弱体化していたでしょうから、その一事だけで「悪」とは断定できないのが、歴史の面白い所なのでしょうが。
> 古代ギリシア・ローマの民主制には、任期一年の「独裁官(ディクタトル)」という官職があったとか。有事の際に任命され、強大な権力を振るうのだそうです。
> 平時はともかく、有事の際にはやはりそれが一番の形態であると判断しての事だったのでしょう。「任期一年」という制限がついているところが、今の有事法制に当てはまります。
> いざという時に強大な権力がなければ民主制を維持できない、というのは一種のパラドックスでしょうな。
古代ギリシャ・ローマの民主制(と言っていいか。共和制)と近代民主制は全く別のものと捉えるべきでしょうね。
奴隷制を前提にしたギリシャ・ローマ共和制と、人権がア・プリオリに付与される近代民主制は、似ていますが方向性が全く違います。
アメリカにも奴隷制がありましたが、近代民主主義を押し進めていくと必然的にこれは消滅する運命にありました。ifで南軍が勝とうとも、歴史の流れの大勢は変わらなかったでしょう(現代の病的平等志向はその流れの行きすぎですが)。
しかし、古代共和制は、ifあのまま共和大勢が続いたとしても、奴隷制度が無くなることはなかったでしょう。
もちろん、冒険風ライダーさんの文脈に影響を与えるものではないのですが、ここらあたりで民主制と共和制の区別をはっきり表しておこうと思いました。
━‐せい【共和制】 国家の意思が複数の人々によって決定される政治形態。直接民主制、貴族制、寡頭制(かとうせい)などがあるが、一般には間接民主制をいい、最高機関は大統領制あるいは合議体制をとる。共和制度。
━‐しゅぎ【民主主義】 人民が権力を所有するとともに、権力をみずから行使する政治形態。権力が単独の人間に属する君主政治や少数者に属する貴族政治と区別される。狭義には、フランス革命以後に私有財産制を前提とした上で、個人の自由と万人の平等を法的に確定した政治原理をさす。現代では、政治の原理や形態についてだけでなく、社会集団の諸活動のあり方や人間の生活態度についてもいう。デモクラシー。
国語大辞典(新装版)小学館 1988.
連邦制についてのレスを書こうとしたのですが、あまりにも長文になってしまい、また田中芳樹からもどんどん離れていってしまったので、ここでは一点だけ指摘するにとどめておきます。
> ちなみに中国のチベット支配や少数民族の支配は一方的な価値観の押しつけであり、しかも漢民族の人海戦術で少数民族の支配地域を埋め尽くしていこうという政策ですから、アメリカと違って反発を買うのは当たり前ですね。中国で「同じ中国人だから民族差別はやめよう」と言った人の話は聞いた事がありませんが(笑)。
中華人民共和国憲法前文より抜粋
<中華人民共和国は、全国の各民族人民が共同でつくりあげた統一した多民族国家である。平等、団結、相互援助の社会主義的民族関係はすでに確立しており、引き続き強化されるであろう。民族の団結を守る闘争のなかでは、大民族主義、とりわけ大漢族主義に反対し、また地方民族主義にも反対しなければならない。国家は、全力をあげて、全国各民族の共同の繁栄を促進する。>
このように口先だけならどんな国家も言っていることです。それが実態をともなっているか判断し、評価を下せるのは、我々が「外国人」であるからではないでしょうか。
それからNo.153の民主主義を錦の御旗にしている、というのもちょっと違和感ありますね。「民主主義の国である、にもかかわらず…」のような皮肉な表現は多用されてますが、民主的であるか否かを問うた表現はなかったような気がします。
>184 管理人さん
<古代ギリシャ・ローマの民主制(と言っていいか。共和制)と近代民主制は全く別のものと捉えるべきでしょうね。
奴隷制を前提にしたギリシャ・ローマ共和制と、人権がア・プリオリに付与される近代民主制は、似ていますが方向性が全く違います。
アメリカにも奴隷制がありましたが、近代民主主義を押し進めていくと必然的にこれは消滅する運命にありました。ifで南軍が勝とうとも、歴史の流れの大勢は変わらなかったでしょう(現代の病的平等志向はその流れの行きすぎですが)。
しかし、古代共和制は、ifあのまま共和大勢が続いたとしても、奴隷制度が無くなることはなかったでしょう。>
私は田中芳樹が民主主義論を語るとき、古代ギリシア・ローマを念頭においているのではないかと思いますね。何しろこの2つはキリスト教と何の関係もありませんし(笑)、案外、民主主義の起源をここに求めているのかもしれません。
それに古代ギリシア・ローマの「民主主義」ならば、民主主義の平等思想と竜堂兄弟の特殊な力の矛盾も説明できますし、あの「有権者」を貶める姿勢も「奴隷を見た主人の視点から論じている」と解釈する事で説明ができます。
まあ、あまりにも自虐的な論理ですが(笑)。
>202 heinkelさん
<このように口先だけならどんな国家も言っていることです。それが実態をともなっているか判断し、評価を下せるのは、我々が「外国人」であるからではないでしょうか。>
アメリカの公民権運動では、黒人も白人も「自分達自身の問題」と受け止めていましたし、民主主義国家であるならば様々な主張や意見交換などを通じて、自分達の問題に評価を下す事ができるのではないでしょうか? そしてそれこそが「他力本願に陥らない」民主主義の理想形態であると思うのですが。
それに中華人民共和国憲法前文とやらの文言には問題がありますね。
「民族の団結を守る闘争のなかでは、大民族主義、とりわけ大漢族主義に反対し、また地方民族主義にも反対しなければならない」
これは民族弾圧を正当化している文言です。これでは却って民族独立運動を煽るようなものです。
アメリカも中国も共に多民族国家ではありますが、国民意識があるか否かで、民族問題の格差は歴然たるものでしょう。これだけでも、アメリカから学ぶべきものは多いのではないでしょうか。
<それからNo.153の民主主義を錦の御旗にしている、というのもちょっと違和感ありますね。「民主主義の国である、にもかかわらず…」のような皮肉な表現は多用されてますが、民主的であるか否かを問うた表現はなかったような気がします。>
「民主主義を錦の御旗にしている」というのは、田中芳樹が日本を批判する際にやたらと「民主主義的ではない」という文言を持ち出す事に対する皮肉なのではないでしょうか。民主主義の概念も理解せずに「民主主義的ではないからあれはイカン、これはイカン」とのたまっている田中芳樹の態度を指していると私は解釈しましたが。
>「民族の団結を守る闘争のなかでは、大民族主義、とりわけ大漢族主義に反対し、また地方民族主義にも反対しなければならない」
これは民族弾圧を正当化している文言です。
・・・私も引用していて、思いましたよ。中国憲法の前文はかなり笑えるので、御一読をおすすめします(やたら長いけど)。
> 「民主主義を錦の御旗にしている」というのは、田中芳樹が日本を批判する際にやたらと「民主主義的ではない」という文言を持ち出す事に対する皮肉なのではないでしょうか。民主主義の概念も理解せずに「民主主義的ではないからあれはイカン、これはイカン」とのたまっている田中芳樹の態度を指していると私は解釈しましたが。
そういう解釈ならば納得しますけどね。創竜伝の「民主主義」なんて、日本罵倒の手段にしか使われてないから。
>それからNo.153の民主主義を錦の御旗にしている、というのもちょっと違和感ありますね。「民主主義の国である、にもかかわらず…」のような皮肉な表現は多用されてますが、民主的であるか否かを問うた表現はなかったような気がします
私は田中芳樹と違って人間には正義が不可欠だと思っていますが、それには正義に対する検証が常に必要だと思います。しかるに、田中芳樹は現代物において、その検証をしているでしょうか? 私には、「民主主義」という言葉を、逆らうことの許されない正義の代名詞として使っているとしか思えません(しかも表面的に俺達は正義ではない、ということでその内容を検証しようなどと思いもしないですし)。その様は彼が嫌っているはずの狂信的キリスト教徒が、神の御名という反論を許さない正義を振りかざしている様と同じではないでしょうか。
> 私は田中芳樹と違って人間には正義が不可欠だと思っていますが、それには正義に対する検証が常に必要だと思います。しかるに、田中芳樹は現代物において、その検証をしているでしょうか? 私には、「民主主義」という言葉を、逆らうことの許されない正義の代名詞として使っているとしか思えません(しかも表面的に俺達は正義ではない、ということでその内容を検証しようなどと思いもしないですし)。その様は彼が嫌っているはずの狂信的キリスト教徒が、神の御名という反論を許さない正義を振りかざしている様と同じではないでしょうか。
検証は全くせずに、「善」の言葉として使用している。そういう意味では正義の代名詞としている、といえるでしょうね。
どうやら、言葉の解釈の問題のみのようです。了解しました。