既出かもしれない話題を一つ
「銀英伝」の一方の主役であるヤン・ウェンリーは歴史研究家志望と書かれていますが、はっきり言って資料も読めない無能モノに過ぎません。
なぜなら、歴史の教訓をまったく生かしていないからです。
某ヨシキ・タナカのお得意の古代中国史に限定しても、前線軍人が政治に無関心不干渉だったとは言えません。
「史記」を読んで分かる通り、「秦」の宿将ですら自らの保身の為にこまめに自分がいかに小物であるかの書簡を始皇帝に送ってます。
ヤン・ウェンリー氏はこの程度の事すら歴史書から読みとれなかったのでしょうか?
はじめまして、菅根さん。よろしくお願いします。
< 「銀英伝」の一方の主役であるヤン・ウェンリーは歴史研究家志望と書かれていますが、はっきり言って資料も読めない無能モノに過ぎません。
なぜなら、歴史の教訓をまったく生かしていないからです。
(中略)
ヤン・ウェンリー氏はこの程度の事すら歴史書から読みとれなかったのでしょうか? >
菅根さんは、銀英伝の作中のどこの箇所・記述、あるいはヤン・ウェンリーの思想・発言・行動を指して「資料も読めない無能モノ」とか、「歴史の教訓をまったく生かしていない」とか、「この程度の事すら歴史書から読みとれなかった」とおっしゃってるのでしょうか?
何を前提として菅根さんはおっしゃってるのか、私には分からないものですから教えていただけませんでしょうか。
*「部下の心得」について
< 某ヨシキ・タナカのお得意の古代中国史に限定しても、前線軍人が政治に無関心不干渉だったとは言えません。
「史記」を読んで分かる通り、「秦」の宿将ですら自らの保身の為にこまめに自分がいかに小物であるかの書簡を始皇帝に送ってます。 >
将軍という立場の人間が君主の心理(嫉妬心や猜疑心)に無頓着・無関心・無神経ではやってられない、自分がいかに小物かと君主に主張するのは、菅根さんもおっしゃっるように「自らの保身の為」だとは私も同意します。
上記の裏付けとなるデータとして、マキャベリの『政略論』の記述から引用します。
<「君主は将軍の名声を喜ばない」
君主とは疑い深く、自分の地位が部下に脅かされるのではないかと常に心配しているものである。
戦地に派遣した将軍が大勝を博すると、君主はまず喜び、次に不安を感じる。
そして、いったん芽生えたこの猜疑心は、戦勝将軍の思い上がった言動によって刺激されるようなことにでもなれば、いよいよ高まるばかりになる。
元来、君主というものは、自分の地位の安泰ということを第一に考え、その為には手段を選ばないという共通性がある。
したがって猜疑心が高騰すると、感謝の対象となるべき戦勝将軍を殺したり、その名声を地に落とす策謀までしかねない。
(中略)
このような、常識や良識では考えられないような君主の猜疑心は、どんな人物でも君主になれば心の底に持つようになる。
これはいわば君主に備わった本性であり、いかに自戒してもこの悪徳からは逃れることはできない。
それに功績に報いることは大変な負担になるが、功績ある者を罰することは楽であり、費用が掛からないばかりか財産没収による利益すら見込まれる。
君主の為に大きな働きをした名将たちが、意外に不幸な末路をたどることが多いのはこういう事情によるのだ。
「将軍の取るべき保身術は功に驕らないこと」
出征将軍を信じ功績に報いることのできない愚かな君主の部下たる出征将軍の取るべき方法は二つある。
一、勝利を得たらすぐ戦列を離れて君主のもとに帰り、挙動を慎み、功績を誇るような素振りも見せないこと。
二、戦勝によって得たものの一切を自分のものにして君主に渡さず、独立自衛の策を立てる。
しかし多くの将軍は、この二つの方法のどちらにも徹し切れず、中途半端な行動に出て自滅する。 >
要は、「君主(上役)の心理・心情に敏感であれ」ということと、「君主(上役)に服従するか反逆するか、どっちにしろ徹底してやれ」ということですね。
それは私も納得できるのですけど、それと菅根さんの< 「銀英伝」の一方の主役であるヤン・ウェンリーは歴史研究家志望と書かれていますが、はっきり言って資料も読めない無能モノに過ぎません。なぜなら、歴史の教訓をまったく生かしていないからです。 >というご主張とのつながりが私にはよく解らないので、お手数かけて申し訳ないのですけどご説明をお願いします。
[余談]
「ヤンやアルスラーンみたいに“部下の才能や功績に嫉妬や猜疑しない上役”の方が小数例なんだから、ヤンやアルスラーンを基準に上役というものを考えるのは危険だ。部下たる立場の者の心得は、上役の余計な嫉妬や猜疑を避ける為に常日頃は謙虚で無欲に振る舞って見せるが、状況や必要に応じて闘争や逃走もできなければ、いつどこで罠に陥れられるか分かったもんじゃない、と弁えておくことだ」って、前にななえさんも言ってましたっけ。
(ちなみに、マキャベリの『政略論』は、ななえさんから借りてる本です。
今、塩野七生女史の『わが友マキャヴェッリ』を読んでるところで、参考資料にと『君主論』『兵術論』と一緒に貸してもらいました。
まさか、こんなことで役立つと思わなかったです(^-^;))
それでは失礼します。
こんばんわ、恵です。
はじめまして、菅根さん。お相手よろしくお願いいたしますね。
<「銀英伝」の一方の主役であるヤン・ウェンリーは歴史研究家志望と書かれていますが、はっきり言って資料も読めない無能モノに過ぎません。
なぜなら、歴史の教訓をまったく生かしていないからです。
某ヨシキ・タナカのお得意の古代中国史に限定しても、前線軍人が政治に無関心不干渉だったとは言えません。
「史記」を読んで分かる通り、「秦」の宿将ですら自らの保身の為にこまめに自分がいかに小物であるかの書簡を始皇帝に送ってます。
ヤン・ウェンリー氏はこの程度の事すら歴史書から読みとれなかったのでしょうか?>
つまり、菅根さんがおっしゃりたいのは
「歴史研究家志望というわりには、軍人と政治家との付き合い方というものを過去の歴史から読みとることができなかったヤン・ウェンリーは(歴史研究家としては)資料も読めない無能モノに過ぎない」
ということでしょうか?(違っていたらご遠慮なくご指摘ください)
(こういったご感想を持たれた菅根さんのお気持ちがまったく理解できないわけでもないのですけど)これはちょっと乱暴すぎるご意見のようにわたしは思います。
まず、「研究者」と「実践者」の隔たり(または相違)を指摘させていただきます。
評論家・研究家という職種の人々は、必ずしも評論(研究)対象に対する優秀な実践者ではない、とわたしは考えています。
たとえば、最近テレビでよく拝見する軍事評論家という方々は、=(イコール)実戦において優秀な戦略家(または戦術家)と呼べるのでしょうか?また、近代政治学研究家は=(イコール)必然的に有能な政治家なのでしょうか?はたまた、経済学者は=(イコール)必ず辣腕経営者になれるのでしょうか?
答えは自明のことだと思われますけど、ある分野を学問として研究することと、その分野で実際に実績をあげて活躍することは似て非なる活動のはずです。それがわたしの言う研究者と実践者の違いです。
歴史研究家志望だったヤンが過去の歴史を知っていることと、その知識を現実に実践しなかったことは明らかに別問題ではありませんか?(仮にヤンが著名な歴史資料をまったく知らなかった、という類のことならヤンに歴史研究家志望としての資質を疑うところですけどね)
今回のような場合、
「歴史研究家志望として当然知っていたであろうはずの歴史知識(軍人と政治家の関係)を、軍人として活用することがなかったヤンの行動は問題では?」
という批判は問題ないと思うのですけど。(ただし、この批判はあなたのご想像通り既出だったはずです)
さらに言えば、ヤンが政治に対して不干渉を最後まで貫いたのは、彼の性格上の問題と、彼の考える「民主主義おける軍人のあり方」を徹底した結果であり、決して歴史書から過去の教訓を読みとれなかったことが原因などではなかったはずです。(このヤンの誤った民主主義に対する考え方の批判も、既に過去にこちらで議論されています)
わたしなりの銀英伝の感想では、ヤンが歴史研究家志望だった自分の膨大な歴史知識を、戦争における戦略・戦術にしか生かせなかったという皮肉な矛盾(自分の想いとは常に裏腹な結果に自嘲するヤン)こそが、逆に今作品の魅力になっていたのではないかと思います。そこを否定されてしまっては、作品そのものの否定につながる恐れあるんですけど、菅根さんはそこまでお考えになって今回お話になっておられるのでしょうか?もしそうだとしたら、
<何か殺伐した書き込みしかにないようなので既出かもしれない話題を一つ>
↑こちらのご発言は、まさかとは思いますけどスレッドが荒れるこを見越した確信犯ではありませんよね?
一応最後にもう一度書いておきますけど、歴史から教訓を読みとれないことと、知っている知識を生かさないこと(それもヤンなりの理由があってのことです)は別次元の批判だとわたしは思います。
では、乱文失礼いたしました。ご反論あればお待ちしております。
ヤンやアルスラーンが部下の才能や功績に嫉妬や猜疑しない理由は「自分の地位や立場に執着していないから」ではないかと私は考えています。
マキャベリの『政略論』での記述は、君主の側であれ将軍の側であれ「地位や立場に対する執着と地位や立場(最悪の場合は生命も)を奪われるかも知れない」という『喪失する事への恐怖や嫌悪』が大前提にあると私は見ているのですが、ヤンやアルスラーンの場合『地位や立場の執着と喪失する事への恐怖や嫌悪』自体が無い。
自分より人間的にも能力的にも上だと評価できて尚かつ意欲あふれる人物が現れたならば、生命はともかく地位や立場は喜んで譲るぞ、と考えているフシがありますからねぇ…。(悠々自適の年金生活を理想とするヤンは特に…)
ですから、その辺りがヤンやアルスラーンの場合とマキャベリの『政略論』の記述と、大前提から違うのではないかと私は思っています。
< (ちなみに、マキャベリの『政略論』は、ななえさんから借りてる本です。
今、塩野七生女史の『わが友マキャヴェッリ』を読んでるところで、参考資料にと『君主論』『兵術論』と一緒に貸してもらいました。
まさか、こんなことで役立つと思わなかったです(^-^;)) >
マキャベリを引っ張り出すのはともかく…どうして一々律儀に楽屋裏についてバラすんでしょうね…。
というか、ヤンウェンリーよりも、田中芳樹氏自体の歴史認識感が偏ってるといったほうが正解でしょうな。
ヤンウェンリーは、あくまでも田中芳樹氏の創作上の人物ですから、彼の歴史観を恣意として持ってるに過ぎないでしょう。
それに、スペースオペラ(SF?)である銀英伝において、ヤンウェンリーの歴史観だけを紙面をさいて書くのは不可能でしょうね。
さらにいうなら、歴史研究家志望であって、歴史研究家であったとは書いてありません。
つまり、ヤンが歴史研究家になれるかどうかというのは、全く
別問題なので、管根さんの問題提起は不可能問題であると思います。
更にいうなら、このヤンの歴史研究家というのが非常に曖昧な提議でもあるからです。
これに関しては田中芳樹氏の書き方がおかしかったと思います。
なぜなら、実際に大学院等の研究機関に所属すればわかりますが、研究家というのは自分の専門分野にかんして勉強するものであり、他の知識については、広く浅くの知識しかありません。
ヤンがどの専門分野の歴史研究家になるかは知りませんが、中国史なんていう曖昧な提議の歴史研究家は世の中には存在しません。範囲が広すぎるからです。
まあ、言いたいことは
①田中芳樹氏の書き方がまずかった。>修士をでたにしては、研究職についてしらなすぎ。
②ヤンウェンリーは歴史研究家志望であって、歴史研究家ではない。よってこの問題提起はおかしい。
③歴史研究家といっても、たとえば中国史でも専門分野があるのだから、ヤンがその知識について知らなくても不思議ではない。
ただし、ヤンが歴史研究家を目指すにしては勉強が足りないと思う。(私は歴史という研究分野ではありませんが、同じ研究職にいる立場から、そう思います、)
④田中芳樹氏は、色々な歴史から様々な事例をいろいろ取り出しているが、書き方や言われていることに関しては確かに、ヤンは歴史研究家とはいえないと思います。
研究職は、自分の主観よりも証拠や既存の論理を通じて学説をたて、新たな論理、成果を発見するのが研究職です。
ヤンは歴史研究といっていますが、彼がやりたいのは歴史研究には思えないのが私見です。
まあ、大学院に入学したり、研究職、専門職につけばこれはわかると思います。
よりこさん、並びに恵さん、遅レス失礼致しました。
>よりこさん
的確にどれを差しているという指摘は出来ません。
不勉強で申し訳ありません。
10巻を通読しての、あまりの政治家などへ対応の無頓着振りからの感想でした。
>恵さん
恵さんが言われた通り
>「銀英伝」の一方の主役であるヤン・ウェンリーは歴史研究家志望と書かれていますが、はっきり言って資料も読めない無能モノに過ぎません。
と言うのは
「歴史研究家志望というわりには、軍人と政治家との付き合い方というものを過去の歴史から読みとることができなかったヤン・ウェンリーは(歴史研究家としては)資料も読めない無能モノに過ぎない」
という意味でほぼ間違いないです。
暴論であると思われるのもしかたないかもしれませんね。
ですが、なぜそう私が思ったのかだけは、述べてみたいと思います。
さて、
>資料も読めない無能モノ
(これを書き込んだ時の私の精神状態はあまり良好ではなかったようですね。これにつきましてはお詫びしたいと思います)
上の乱暴な表現で私が言いたかった事についてですが、
私の考える「歴史研究家」に必要とされる能力とは「無味乾燥な文字などの羅列でしかない歴史資料から何かを引き出し、まとめ、咀嚼して、自らのモノとして、それから何かを導き出していく」能力であり、ヤン・ウェンリー氏はこのうち「咀嚼して、自らのモノとする」能力に欠けた人物ではなかったかという事です。
(「資料を読む」とは文字通りの意味だけでなく、「咀嚼して、自らのモノとする」事だと私は考えております)
適切な例とは言えないかもしれませんが、一つ例を挙げて、ヤン・ウェンリー氏について考えみました。
1.ヤン氏は歴史を学ぶ中で『前線指揮官と中央』の関係がどうだったかという史実を知りました。
2.当然、その史実の中には、中央側の心理についても述べられていたはずです。
3.後に軍人として敵将の心理を利用して武勲を挙げた、ヤン氏には人の心理を洞察する能力に欠けていたとは考えられません。
4.しかし、それを是正する為の、何の働きかけも結局為さぬままでした。
5.つまり、ヤン氏の中では、その史実は単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかったという事になります。
ヤン氏の性格や、民主主義下の軍人のあり方についての幻想があるにしても、分かっていたのなら中央への働きかけについては遣り用はあったと思います。
(たとえば、非トリューニヒト派の政治家と自分の考えについてじっくり話し合い、自分の代弁者になって貰うとか)
ヤン氏の名言にこういうのがあります。『言葉では伝わらない事は確かにある。でも、それは言葉を言い尽くした者だけが言える事だ』
はたしてヤン氏のこの言葉は自らを振り返っていった言葉なのでしょうかね?
以上答えになっていないと思いますが、思うところだけ書かせて頂きました。
乱文申し訳ありませんでした。
妄言を一つ。
同盟の成り立ちから言って、きちんとした資料が存在していなかったという事実があったのかもしれません。
そうなると、いくらヤン氏が歴史を学ぼうとしても出来なかった訳で、ヤン氏の責任ではないのでしょうが、さすがにそれはないでしょうね
こんにちわ、恵です。
菅根さん、お忙しい中お返事ありがとうございます。
<恵さんが言われた通り
>「銀英伝」の一方の主役であるヤン・ウェンリーは歴史研究家志望と書かれていますが、はっきり言って資料も読めない無能モノに過ぎません。
と言うのは
「歴史研究家志望というわりには、軍人と政治家との付き合い方というものを過去の歴史から読みとることができなかったヤン・ウェンリーは(歴史研究家としては)資料も読めない無能モノに過ぎない」
という意味でほぼ間違いないです。
暴論であると思われるのもしかたないかもしれませんね。>
<ですが、なぜそう私が思ったのかだけは、述べてみたいと思います。
さて、
>資料も読めない無能モノ
(これを書き込んだ時の私の精神状態はあまり良好ではなかったようですね。これにつきましてはお詫びしたいと思います)
上の乱暴な表現で私が言いたかった事についてですが、
私の考える「歴史研究家」に必要とされる能力とは「無味乾燥な文字などの羅列でしかない歴史資料から何かを引き出し、まとめ、咀嚼して、自らのモノとして、それから何かを導き出していく」能力であり、ヤン・ウェンリー氏はこのうち「咀嚼して、自らのモノとする」能力に欠けた人物ではなかったかという事です。
(「資料を読む」とは文字通りの意味だけでなく、「咀嚼して、自らのモノとする」事だと私は考えております)>
<適切な例とは言えないかもしれませんが、一つ例を挙げて、ヤン・ウェンリー氏について考えみました。
1.ヤン氏は歴史を学ぶ中で『前線指揮官と中央』の関係がどうだったかという史実を知りました。
2.当然、その史実の中には、中央側の心理についても述べられていたはずです。
3.後に軍人として敵将の心理を利用して武勲を挙げた、ヤン氏には人の心理を洞察する能力に欠けていたとは考えられません。
4.しかし、それを是正する為の、何の働きかけも結局為さぬままでした。
5.つまり、ヤン氏の中では、その史実は単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかったという事になります。
ヤン氏の性格や、民主主義下の軍人のあり方についての幻想があるにしても、分かっていたのなら中央への働きかけについては遣り用はあったと思います。
(たとえば、非トリューニヒト派の政治家と自分の考えについてじっくり話し合い、自分の代弁者になって貰うとかとか)>
…論点が多少ごちゃまぜになってきているように思いますので、少し整理させてください。
わたしが前回最も言いたかったのは、
<歴史から教訓を読みとれないことと、知っている知識を生かさないこと(それもヤンなりの理由があってのことです)は別次元の批判だとわたしは思います。>
ということでした。
菅根さんがおっしゃる、
<ヤン氏の性格や、民主主義下の軍人のあり方についての幻想があるにしても、分かっていたのなら中央への働きかけについては遣り用はあったと思います。>
に関しては、
<歴史研究家志望として当然知っていたであろうはずの歴史知識(軍人と政治家の関係)を、軍人として活用することがなかったヤンの行動は問題では?」
という批判は問題ないと思うのですけど。(ただし、この批判はあなたのご想像通り既出だったはずです)>
と、書かせていただいております。
これだけでは論点のずれがわかりにくいでしょうし、これ以上お互いの認識に溝ができないように論点をできるだけ簡単に整理させていただきます。
5495番で菅根さんは
「歴史研究家志望というわりには、軍人と政治家との付き合い方というものを過去の歴史から読みとることができなかったヤン・ウェンリーは(歴史研究家としては)資料も読めない無能モノに過ぎない」
と、歴史を学ばない軍人・ヤンの行動に「歴史研究家としてダメ(無能)」の烙印を押されました。
それに対し、わたしは5497番で
「研究家と実践者の相違」と「歴史研究家として歴史から教訓を読みとれないことと、軍人として知っている知識(歴史)を生かさないこと(それもヤンなりの理由があってのこと)は別次元の批判」
と、反論いたしました。
(※ここでご留意いただきたいのは、「軍人と政治家との付き合い方」をヤンが上手に実践できなかったことそのものは批判としてわたしも認めていて(ただしそれは過去ログで既出ですけど、という注意付きで)、問題はそれがヤンの「歴史研究家」としての評価に直結するのかどうかということです。)
次に菅根さんは、わたしの反論を受けて5526番において
<1.ヤン氏は歴史を学ぶ中で『前線指揮官と中央』の関係がどうだったかという史実を知りました。
2.当然、その史実の中には、中央側の心理についても述べられていたはずです。
3.後に軍人として敵将の心理を利用して武勲を挙げた、ヤン氏には人の心理を洞察する能力に欠けていたとは考えられません。
4.しかし、それを是正する為の、何の働きかけも結局為さぬままでした。
5.つまり、ヤン氏の中では、その史実は単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかったという事になります。>
と、5つの例を挙げられて、自説(ヤンが歴史研究家としてダメ)を補強されました。
ここでわたしと菅根さんの論の同意点と相違点を挙げてみます。
☆同意点
「ヤンは軍人として政治家との付き合い方が上手くなかった」
☆相違点
・菅根さん「ヤンは軍人として政治家との付き合い方が上手くなかった」=「歴史から学ばないヤンは歴史研究家としてダメ」
・わたし「ヤンは軍人として政治家との付き合い方が上手くなかった」≠「歴史から学ばないヤンは歴史研究家としてダメ」(←ちなみに、これはヤンが歴史研究家として「有能」という論では決してありません。念のため)」
わたしが、菅根さんが補強されたご意見で特に納得できないのは、5.の
<つまり、ヤン氏の中では、その史実は単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかった>
という部分です。そもそも、菅根さんが定義する「歴史研究家に必要とされる能力」=「咀嚼して、自らのモノとして、それから何かを導き出していく」というのは、明らかにフィールドワークや論文等を実践する「学問上」のことであり(何かを導き出すというのは、それ以外の違うものですか?)、実生活における活動──というより、軍人としてのヤンの活動──とは、一線を画すべきではないのですか?
菅根さんの論では、まるで
「歴史を研究する(した)者ならば、現実社会においても歴史の教訓を踏まえて行動すべきである。それが実践できない者(ヤン)は『研究家』としてダメ(無能)な証」
↑とでも結論づけておられるようで、あまりにも乱暴ではないか、と思うのです。
わたしは銀英伝における歴史研究家としてのヤンの評価は未知数で、採点のつけようがないのでは、と思います。実際、作品内でも彼は純粋な歴史研究家としてではなく(ただ志望していただけ)、「民主主義社会における軍人」としてしか行動できなかった(しなかった)のは事実で、軍人として自分がもともと持っていた歴史知識を生かさなかったことに罪はあれど(前線指揮官として政治家との付き合い方がダメだったということでしょう)、それをもって
<『研究家』としてダメ(無能)な証>
と結論づけるのは納得できなかったのです。菅根さんの論を逆説的に言えば、
「優秀な歴史研究家は過去の教訓を倣うことができるので、現実においても常に的確な政治的・軍事的判断を下すことができる(できなければ無能)」
となるのでしょうか?
あまりくどくど申し上げるのは好みではありませんけど、ヤンを批判される上で彼を軍人としての立場で批判する分には構わないと思うのです。民主主義の捉え方も誤っていたと、わたしも思いますし。ただし、歴史研究家として行動したわけでもないヤンを「単なる知識でしかなく、十分に咀嚼し理解出来ていなかったという事になる」と断言するまではできないのではないでしょうか(その可能性がゼロとまで申しませんけど)。そういうことは、彼の「歴史研究家としての」論文なり考察文なりを紐解いて行うべき評価であり(そういったものは断片でしか残っておらず、後にユリアンが編纂することになっていたはずですよね、確か)、結局最後まで軍人の立場を貫いたヤンに対しての評価としては、わたしには妥当とは思われないのです。
菅根さん、わたしが主張しているのは、そういうことなのです。おわかりになりましたでしょうか?また、この「ヤンの歴史研究家として評価(←本当は評価しようがないことだと思われます)」の点さえ同意出来れば、お互い意見の相違点がなくなるのですけど、どう思われますか?
<ヤン氏の名言にこういうのがあります。『言葉では伝わらない事は確かにある。でも、それは言葉を言い尽くした者だけが言える事だ』
はたしてヤン氏のこの言葉は自らを振り返っていった言葉なのでしょうかね?>
確かに、これは菅根さんのおっしゃる通りヤン本人にとっては耳の痛い言葉ですよね。政治家に対して言葉を尽くさなかったヤンに非があるとわたしも思います。まさに、自分の批判が自分に返ってきた好例ではないでしょうか。ヤン本人も「そうかもしれないなぁ」とボサボサの頭をかいて苦笑いしているかも(笑)
<以上答えになっていないと思いますが、思うところだけ書かせて頂きました。
乱文申し訳ありませんでした。>
いえいえ、とんでもありません。ご丁寧にお返事をありがとうございました。
わたしとしては、菅根さんのご意見をある程度までは同意できるのですけど、「ヤンの歴史研究家として評価」の部分だけ、上記の理由で同意できないことを述べさせていただいています。わたし自身も、こちらになかなか書き込めない身なので、お返事のほうは気長に待っておりますので、あまり気負わずにゆっくり書き込んでくださいね。
では、こちらこそ乱文・長文いたしました。
恵さんへ
恵さんの言われる事は十分に理解しました。
確かに、「小説」の中で「歴史研究家」として動く事が出来なかったヤン氏を、少年時代の願望とその後の行動のみから、「歴史研究家」としての評価をしようとした事は些か早計だったと思います。
批判は快くお受け致します。この後も私の意見がどこかおかしいと感じられましたら、遠慮無く批判をお願い致します。