初めて書き込みします。
ごく最近に「田中芳樹」で検索してこの頁を知りました。
あまりに面白すぎて何の目的で検索を試みたのかすっかり忘れてしまいました。
いま手元にないので引用が正確に出来ないのですが、
銀英伝でヤンが権力を握ったとき自分が変わってしまう事を怖がっている旨の発言をしていたと思います。
銀英伝で流行作家になってしまった田中芳樹はこのヤンの危惧を地でいっているのではないでしょうか。
二度目です。
「銀英伝」も「アル戦」もそこそこには好きですが、
一番面白かったのは「ウェディングドレスに紅いバラ」でした。
基本構造は「創竜伝」とほぼ同じなのに余計なモノが無い所為で非常にすっきりとした完成度ですね。
雑誌掲載の短編二編を一冊の本として出すために足りない分を中編で書き下ろすと言う、今では考えられない勤勉振りです。
こちらがきちんと売れていれば、こんな頁で”撃たれる”事もなかっただろうに。
> 一番面白かったのは「ウェディングドレスに紅いバラ」でした。
> 基本構造は「創竜伝」とほぼ同じなのに余計なモノが無い所為で非常にすっきりとした完成度ですね。
氷室冴子さんの「少女小説家は死なない!」を思い出しました。
確か普段は装飾過剰で不評な作家が、書く時間が足りなかったら、装飾過剰なところがないすばらしい作品になったって言う^^;
田中芳樹さんも、「創竜伝」は、時間や枚数がある程度わがまま効くから、余計な部分が多いのかも?
あきさん
先ずははじめまして。
> 氷室冴子さんの「少女小説家は死なない!」を思い出しました。
> 確か普段は装飾過剰で不評な作家が、書く時間が足りなかったら、装飾過剰なところがないすばらしい作品になったって言う^^;
>
> 田中芳樹さんも、「創竜伝」は、時間や枚数がある程度わがまま効くから、余計な部分が多いのかも?
有りそうな話です。
本題に入ります。
「創竜伝」と「ウェディングドレスに紅いバラ」(以下「バラ」と略します)を比較すると、問題点が見えてきます。
「バラ」の主人公達は先天性吸血鬼です。
彼らは人類を糧として生きているので人類社会から見れば明確に敵と見なせる存在なのですが、彼らにしてみれば
<吸血鬼がいなくても人類社会はやっていけるが、人類社会が存在しなければ吸血鬼はいけていけない。(P152)>
ので、自己保存と人類社会の安定と言う二つの命題が無理なく一致します。
また、その活動も人類との共存を危うくする後天性吸血鬼(一般的にイメージされる吸血鬼)の排除という一点に絞られます。
対して「創竜伝」では、竜堂兄弟があまりに人類社会から孤立しすぎていて共存が望めそうもない。と言うか、共存なんて発想がそもそも見られない。
更に、彼らの能力が強力すぎて自己保存のための戦いが必然的に人類社会にダメージを与えずに置かないと言うのも問題です。
極めつけが、戦うべき敵が明確でないと言う点です。より正確には彼らの敵は権力という実体の無いものでした。
権力という”社会的な力”を”物理的な力”で粉砕すると言うのは派手で見栄えがするかも知れませんが、やはり収拾がつきません。力の質が違うので妥協点が見出し得ないのです。
どの様に設定すれば良かったのか、自分なりの答えはあるのですが今回はこの辺にしておきます。
最近の田中先生の作品について、友人と話していたら、それは作家の夢だと言われました。
つまり売上などその他の制約に関係なく、自己の作品を自由に表現できることは、まさに作家の夢だということらしいです。
なんとなく、納得してしまいましたが、それは出来ることなら同人誌でやってほしいことだと思います。
それにしても、作家の夢はこういうものなのでしょうか?
随分と間が空いてしまいましたが、
結論を書かせて戴きます。
> どの様に設定すれば良かったのか、自分なりの答えはあるのですが今回はこの辺にしておきます。
私意見は、「創竜伝」の社会批評云々以前に、竜堂兄弟の能力設定それ自体に問題があると言う事です。
彼らは人類社会に恩も義理も有りませんから、それを守って戦うと言うスタンスを取り得ません。
彼らと人類とを結ぶ細い糸が鳥羽家の人々であった筈なのです。
鳥羽の叔父さんとの対立は有る程度は仕方がないでしょうが、私が非常に違和感を覚えたのは竜堂家の血筋であるはずの叔母さんの方です。
この方がもっと積極的に夫と甥っ子達との間を取り持っていれば、
兄弟があそこまで人類社会から浮き上がらずに済んだのではないでしょうか。
昔読んだとき、鳥羽家は父子家庭なのだと何となく思っていました。
彼女、一巻から登場していましたっけ?
もしかすると鳥羽の叔母さんは一巻で終わらなかったために追加された(銀英伝のアッテンボローのような)キャラクターなのでしょうか。
以前反銀英伝関係で何度か書き込みをした僧侶T改め、和尚その2です。以後もよろしくお願いします。
> 彼女、一巻から登場していましたっけ?
> もしかすると鳥羽の叔母さんは一巻で終わらなかったために追加された(銀英伝のアッテンボローのような)キャラクターなのでしょうか。
いえ、鳥羽冴子氏は1巻から登場しています。ただ彼女、いかにも竜堂兄弟の叔母だ、と思えるような言動のキャラの上、どう読んでも夫である鳥羽靖一郎氏を小馬鹿にしているとしか思えません。彼女に橋渡し役を期待するのは無理でしょう。
> 以前反銀英伝関係で何度か書き込みをした僧侶T改め、和尚その2です。以後もよろしくお願いします。
こちらこそ宜しく。
> いえ、鳥羽冴子氏は1巻から登場しています。ただ彼女、いかにも竜堂兄弟の叔母だ、と思えるような言動のキャラの上、どう読んでも夫である鳥羽靖一郎氏を小馬鹿にしているとしか思えません。彼女に橋渡し役を期待するのは無理でしょう。
あくまでも私の曖昧な記憶によるモノですが、
一巻の段階では兄弟に敵対的だった印象があるのです。
兄弟を追い出すところまでは夫に同調していませんでしたか?
そのあと一転して兄弟に同情的になっても余り説得力がない様な。
役割的には夫を小馬鹿にする小賢しい妻という辺りなのでしょうけど。
鳥羽家にはどうせ女の子一人しか居ないんですから、
「戦いが済んだら戻ってらっしゃい。家の娘と結婚すれば全ての権利が回復出来るのだから」
くらいの発言をしてくれれば良いんですけど。
こうして戻るべき場所を造っておけば兄弟の無制限な破壊活動に多少なりともブレーキが掛かったでしょうに。
”橋渡し役”というのは、狭義には鳥羽叔父と竜堂兄弟をですが、
広い意味では人類社会と竜種という意味を含んでいます。
まあ、今更言ってもしょうがないですけどねえ。
> あくまでも私の曖昧な記憶によるモノですが、
> 一巻の段階では兄弟に敵対的だった印象があるのです。
> 兄弟を追い出すところまでは夫に同調していませんでしたか?
> そのあと一転して兄弟に同情的になっても余り説得力がない様な。
> 役割的には夫を小馬鹿にする小賢しい妻という辺りなのでしょうけど。
私も曖昧なことしか言えませんが、文庫本の巻末対談で、「鳥羽の叔母さんは予定外に成長したキャラ」という発言があったように記憶しています。つまり、最初は靖一郎氏のコピーみたいなキャラだったはずが、靖一郎氏の卑小さを表すためと、作者自身の趣味のために今のようなキャラになったということでしょう。どちらにせよ彼女に橋渡し役を期待するのは問題があると思いますし、そもそも靖一郎氏が卑俗な小人なだけならともかく、竜堂兄弟の祖父である共和学院の創設者の理念を捻じ曲げて大規模化と校風の保守化をもくろんでいる人物である以上、竜堂兄弟と靖一郎氏が何らかの妥協に達するとは思えません。
竜堂兄弟と人類社会の橋渡し役というのなら、鳥羽の叔母さんよりも、共和学院そのもののほうが適切ではないでしょうか。共和学院こそは、あの兄弟が最も尊敬し、影響を受けた人物であろう祖父が創設し、その心血と理想とを注ぎ込んできた学校です。竜堂家という意識があれほどに強烈である以上、竜堂兄弟(特に始)が共和学院に何らかの執着を抱くことはおかしなことではないですし、靖一郎氏が共和学院を横領している、という表現が1巻にあったので、少なくとも始は共和学院は本来自分たちのものであると感じているのでしょう。教育事業をやろうという以上、社会と断絶するわけには行かないので、竜堂兄弟と人類社会とのつながりは保てるはずです。
取り敢えず前半部分について。
> 私も曖昧なことしか言えませんが、文庫本の巻末対談で、「鳥羽の叔母さんは予定外に成長したキャラ」という発言があったように記憶しています。つまり、最初は靖一郎氏のコピーみたいなキャラだったはずが、靖一郎氏の卑小さを表すためと、作者自身の趣味のために今のようなキャラになったということでしょう。どちらにせよ彼女に橋渡し役を期待するのは問題があると思いますし、そもそも靖一郎氏が卑俗な小人なだけならともかく、竜堂兄弟の祖父である共和学院の創設者の理念を捻じ曲げて大規模化と校風の保守化をもくろんでいる人物である以上、竜堂兄弟と靖一郎氏が何らかの妥協に達するとは思えません。
鳥羽の叔父本当に卑俗な小人なのでしょうか?
彼はただ岳父より受け継いだ学園を守りたかっただけだと思います。
靖一郎氏は確かに教育者では無いと思いますがそれなりに優秀な経営者であったと思います。
恐らく竜堂祖父が孫に始に欠けている部分を補う意味で起用したのでしょう。
はっきり言って叔父側が負けていたら、あの学園は長く持たないですよ。
以下は想像でしか有りませんが、
靖一郎氏と甥達の対立が人事問題にまで発展したのは財産分与に不満を抱いていた妻の煽動が有ったのではないでしょうか。
彼女は「本来の権利を取り戻しただけ」と言うニュアンスの発言をしていましよね。
さて私は
>鳥羽家は父子家庭なのだと何となく思っていました。
と書きましたが、
金持の家の一人娘(家付き娘)って何となく家庭的になり得ない様なイメージがあったのです。
抹理嬢も幼い頃終を子分にして「悪女になる」とか言っていましたし、
あれがそのまま真っ直ぐ育つとお涼さんになりますね。
では後半部について。
> 竜堂兄弟と人類社会の橋渡し役というのなら、鳥羽の叔母さんよりも、共和学院そのもののほうが適切ではないでしょうか。共和学院こそは、あの兄弟が最も尊敬し、影響を受けた人物であろう祖父が創設し、その心血と理想とを注ぎ込んできた学校です。竜堂家という意識があれほどに強烈である以上、竜堂兄弟(特に始)が共和学院に何らかの執着を抱くことはおかしなことではないですし、靖一郎氏が共和学院を横領している、という表現が1巻にあったので、少なくとも始は共和学院は本来自分たちのものであると感じているのでしょう。教育事業をやろうという以上、社会と断絶するわけには行かないので、竜堂兄弟と人類社会とのつながりは保てるはずです。
始が本当に学園に執着を抱いていたなら、叔父と本気で権力闘争をやるべきでした。
確か彼を止めさせるかどうか一票差だったはずです。
何もしていない状態でこの僅差なのでしょうから本気で運動すれば充分にひっくり返せると思うのですけど。
恐らく、彼はその手の活動が嫌いなのでしょう。
始と叔父の関係はヤンとレベロに似ている様に思えます。
恐らく「創竜伝」は終ら(れ)ないと思いますが、もし終らせることが出来るとすれば、
始が叔父がお互いに歩み寄って和解出来た場合のみだと思います。
と言う辺りで私の意見を終りたいと思います。
> 始が本当に学園に執着を抱いていたなら、叔父と本気で権力闘争をやるべきでした。
> 確か彼を止めさせるかどうか一票差だったはずです。
> 何もしていない状態でこの僅差なのでしょうから本気で運動すれば充分にひっくり返せると思うのですけど。
> 恐らく、彼はその手の活動が嫌いなのでしょう。
始が権力闘争が嫌いだ、というのはその通りだと思います。しかし、彼の作中での言動を見るに、共和学院の保守化と妥協するというのはありえないことではないでしょうか。
私は、daggerさんの、竜堂兄弟と人類社会の架け橋となりうるものがなく、そのために人類社会を守って戦う、というスタンスを取りえないことが創竜伝の構造的な問題である、という指摘には積極的に合意します。
しかし、その架け橋の役割を鳥羽家の人々に期待して「竜堂兄弟は靖一郎氏と妥協し、共和学院の保守化を容認することができる人物である」と設定を変更するよりも、祖父の理念とその具体的な現れである共和学院を架け橋として、「竜堂兄弟は権力闘争を行うこともできる人物である」と設定を変更するほうが、より自然であり、元の作品設定を最大限保つという観点からも優れている、と私には感じられるのです。何しろ、作中での竜堂兄弟の「社会評論」を見る限り、彼らが保守化と妥協できるとは思えないので。
> 始が権力闘争が嫌いだ、というのはその通りだと思います。しかし、彼の作中での言動を見るに、共和学院の保守化と妥協するというのはありえないことではないでしょうか。
始君はまだ可能性があると思います。
あと終君はこの手の話にほとんど拘らないでしょう。
問題は兄にしか従わないと広言する毒舌家の次男坊と、
兄弟への批判を一切受け付けない末っ子ですね。
ベストでも指摘されていたと思いますが、
兄弟が2対2に割れることが打開策のひとつだと思います。
> 私は、daggerさんの、竜堂兄弟と人類社会の架け橋となりうるものがなく、そのために人類社会を守って戦う、というスタンスを取りえないことが創竜伝の構造的な問題である、という指摘には積極的に合意します。
ありがとう御座います。
> しかし、その架け橋の役割を鳥羽家の人々に期待して「竜堂兄弟は靖一郎氏と妥協し、共和学院の保守化を容認することができる人物である」と設定を変更するよりも、祖父の理念とその具体的な現れである共和学院を架け橋として、「竜堂兄弟は権力闘争を行うこともできる人物である」と設定を変更するほうが、より自然であり、元の作品設定を最大限保つという観点からも優れている、と私には感じられるのです。何しろ、作中での竜堂兄弟の「社会評論」を見る限り、彼らが保守化と妥協できるとは思えないので。
一番身近な親戚とも妥協できないようでは人類社会との共存など不可能でしょうね。
だとすれば、唯一の結末は牛種と差し違えることでしょうけど、
これは愛読者が納得しないんでしょうねえ。
> 一番身近な親戚とも妥協できないようでは人類社会との共存など不可能でしょうね。
身近な親戚だから妥協が容易だ、ということはいえないと思います。親戚ならではの親近感があることは確かですが、それが逆に妥協を難しくさせることもあるでしょう。遺産相続という赤の他人同士では生じないような争いの火種もあります。(竜堂家と鳥羽家の対立には少なからず遺産相続争いという面がありますし)
それに、親戚同士でも意見が合わないとか、お互いに気に食わないとかで仲が険悪だったり口も利かないとかいったことは結構あることですが、だからといってそういうトラブルを抱えている人は社会と共存したり適応したりできない、というわけではないでしょう。
> 身近な親戚だから妥協が容易だ、ということはいえないと思います。親戚ならではの親近感があることは確かですが、それが逆に妥協を難しくさせることもあるでしょう。遺産相続という赤の他人同士では生じないような争いの火種もあります。(竜堂家と鳥羽家の対立には少なからず遺産相続争いという面がありますし)
「妥協が容易だ」とは言っていません。
必要だと言っているのです。
人類全体から敵意を集めかねない状況下にあって、
せめて身内ぐらい味方に出来ない様ではどうしようもないと思うのですが。
> それに、親戚同士でも意見が合わないとか、お互いに気に食わないとかで仲が険悪だったり口も利かないとかいったことは結構あることですが、だからといってそういうトラブルを抱えている人は社会と共存したり適応したりできない、というわけではないでしょう。
彼らが”普通の人間”なら仰る通りなんですが、
利害関係が絡まない他人となら巧く行っていると言う訳でも有りませんしね。
> 人類全体から敵意を集めかねない状況下にあって、
> せめて身内ぐらい味方に出来ない様ではどうしようもないと思うのですが。
確かに常人にはない特殊な力を持っている以上、人類全体から敵意を受ける可能性は存在します。しかし、創竜伝においてはそれはあくまで可能性に過ぎず、竜堂兄弟が人類社会から迫害されるような描写はなかったように思えます。竜堂兄弟を敵視していたのは花井夫人ぐらいなものでしたが、明らかに彼女の方が異端として描かれていますし。
である以上、「せめて身内だけでも」と考える必要はないように思えるのですが。
> 確かに常人にはない特殊な力を持っている以上、人類全体から敵意を受ける可能性は存在します。しかし、創竜伝においてはそれはあくまで可能性に過ぎず、竜堂兄弟が人類社会から迫害されるような描写はなかったように思えます。竜堂兄弟を敵視していたのは花井夫人ぐらいなものでしたが、明らかに彼女の方が異端として描かれていますし。
> である以上、「せめて身内だけでも」と考える必要はないように思えるのですが。
あれだけ破壊の限りを尽くせば、敵意を抱かれない方がおかしいと思います。
実際問題として、彼らが近くに住んでいたら落ち着かない気分になると思いますよ。
5巻に出てきたあの日本海側の町。
あれのモデルは私の生まれ育った辺りなんです。
私に「創竜伝」を勧めた友人(当時高校生だったかな?)は単純に面白がっていましたけど、
私はアレでそれ以降のシリーズを読む気がしなくなりました。
再読したのはごく最近ですけど、文庫にしたら生物の部分が風化して笑えなくなっていましたね。
彼らの行動は人間の姿の時ですら過剰防衛の傾向があります。
その挙げ句に生まれた国を追われて放浪する羽目に陥っているのですから。
> あれだけ破壊の限りを尽くせば、敵意を抱かれない方がおかしいと思います。
> 実際問題として、彼らが近くに住んでいたら落ち着かない気分になると思いますよ。
> 彼らの行動は人間の姿の時ですら過剰防衛の傾向があります。
> その挙げ句に生まれた国を追われて放浪する羽目に陥っているのですから。
「常人にはない特殊な力を持つことそれ自体を恐れられ、迫害されること」と、「過剰防衛のために破壊の限りを尽くし、そのために恐れられ、敵意を抱かれること」とは、別物だと思うのですが。敵意を抱かれる理由が過剰防衛による破壊にあるのなら、「まずは身内だけでも」などと考えるより前に、力の使い方について考えるべきだと思うのですが。
ところで、この議論も長引くうちにすっかり横道に入り込んでしまったように思えます。もうそろそろ打ち切ったほうが良いと思うのですが、どうでしょうか。
> ところで、この議論も長引くうちにすっかり横道に入り込んでしまったように思えます。もうそろそろ打ち切ったほうが良いと思うのですが、どうでしょうか。
5309において
> 私は、daggerさんの、竜堂兄弟と人類社会の架け橋となりうるものがなく、そのために人類社会を守って戦う、というスタンスを取りえないことが創竜伝の構造的な問題である、という指摘には積極的に合意します。
と書かれた時点で話は終っています。
それ以降の応答は突き詰めれば好みの違いでしか有りませんね。
さて、順番が逆になりましたが、蛇足として。
> 「常人にはない特殊な力を持つことそれ自体を恐れられ、迫害されること」と、「過剰防衛のために破壊の限りを尽くし、そのために恐れられ、敵意を抱かれること」とは、別物だと思うのですが。敵意を抱かれる理由が過剰防衛による破壊にあるのなら、「まずは身内だけでも」などと考えるより前に、力の使い方について考えるべきだと思うのですが。
「常人にはない特殊な力」ではなく「人間の手に余るほど強大な力」と言うべきでしょう。
また「迫害」ではなく「敵視」です。
自分に都合の良い言葉に言い換えないでください。
また「過剰防衛」ですむのは人間形態の時のみで、竜の状態では只の「暴走」だと言うことを付け加えておきます。
古いスレッドを引っ張り上げてしまって申し訳ないのですが、
対になるタイトルを思いついたモノですから。
私は田中芳樹を「常識の逆転」をテーマとして持つ作家だと評価していたのです。
「銀英伝」では帝位を簒奪する宰相を主人公にして、
「簒奪」と言うモノの是非を問うています。
「アル戦」もほぼ同テーマですが、あれは簒奪者の息子を主人公にして捻りを加えています。
これとは別の視点で「人類の敵」である怪物を主人公に据えたシリーズが「創竜伝」であり「~薔薇」に成ります。
確か「クラン」も(連載で読んだだけなので記憶が曖昧なのですが)この系統の話だったと思います。
ご意見、ご感想をお待ちしています。
反応がないままにまとめます。
田中芳樹は「反常識」の作家であった。
すなわち常識という名の偏見をひっくり返す手法で一世を風靡した。
だが、売れっ子になって今度は己が攻撃されるべき常識に成ってしまうとそのスタンスに縒れが生じてきた。
優れた革命家が政権を取った途端に、今までと異なる新たな役割を演じきれずに滅んでいく様に。
旧秩序の破壊と新秩序の構築には自ずと異なる能力が必要となるのである。
加えて、彼の模倣者たちがその手法を用いて追従してくる。
そして彼は「非常識」へと足を踏み入れることになった。
と言うのが田中芳樹に対する私なりの総評です。
これだけのことを書くのに随分と時間が掛かってしまいましたが、
初めからこの結論が有った訳ではなく、ここでの議論の過程で纏まったモノです。
一部不毛なモノも有りましたが、やはり意見は議論を経て洗練されていくモノだと痛感しました。
5306より
>金持の家の一人娘(家付き娘)って何となく家庭的になり得ない様なイメージがあったのです。
>抹理嬢も幼い頃終を子分にして「悪女になる」とか言っていましたし、あれがそのまま真っ直ぐ育つとお涼さんになりますね。
今更という感もありますが、最近「女王陛下のえんま帳」を入手(ちなみに古本です。今のところ新刊を買って田中芳樹に印税を稼がせる気にはなりませんし)しましたので、前に言いかけて止めた話の続きです。
前の投稿にレスしても良かったんですが、あのかたまりを持ち上げるのは気が進まないのと、テーマが「創竜伝」でなく「薬師寺涼子」になるので。
私にこのシリーズを紹介した友人は、
美人の「小早川奈津子」が大暴れする話だと説明してくれました。
間違いとは言えませんが、私の感想としては前回のスレッドで散々こき下ろした鳥羽の叔母さんがより醜悪になったキャラだと感じました。
この感想はここへの書き込みに際して「創竜伝」を読み直した後で持ったモノですけどね。
薬師寺涼子は美貌・才知・財力の三拍子揃った女性です。(鳥羽の叔母さんにはこのうち才知が欠けています)
その彼女の何処が醜悪かというと、警察内にあっては実家(JACES)の権力を背景に、外では警察の力を背景に好き放題やっているという点です。
彼女の行動規範が善悪と言うより快不快原則で動いているのが更に問題です。
そんな訳で彼女がどんな正論を吐いても、「お前には言われたくない」と感じてしまいます。
こうなると、年齢を27才で固定というのは逆に問題ありです。
年を食わないと言うのは、言い換えれば成長しないと言うことですから。
私は今まで薬師寺涼子を漠然と「家付き娘」と考えていましたが、これによると彼女には実は姉がいたらしいのです。
これだと彼女跡継ぎから外される可能性も皆無ではない訳です。
また後付の設定で自爆したのかと初めは思ったのですが、廃嫡されれば私の主張する薬師寺涼子の醜悪さが解消される事になりますね。
多分あり得ないけど。
下手に時間を掛けて推敲すると却ってとりとめが無くなるな。反省。
私もあの作品は嫌いですね。
パクリもひどいけど何より涼子のキャラクターが嫌です。
前にも同じこと書きましたけどとある本の書評を読んで気づいたんですが。
涼子の基本的な設定って悪役と同じなんですよね。
あの人の立場の大部分は親の力で得たものです。
親の力を利用して警察内部で好き勝手なことをしているエリートキャリア警官なんて創竜伝に出てきたら間違いなく悪役です。
そういう意味で涼子が美人のなっちゃんというのも間違いではありません。
追伸、
ちなみにこれも前に書いたことですけどパクリ元といわれるリナにしろ美神にしろ彼女たちの力は才能もありますが純粋に自分の力で得た力です。
涼子とはそこが違います。
涼子が自分の力で得たものはキャリア警官の地位と多数の外国語を話せる能力です。
でもキャリア警官なんて警察にはたくさんいます。
その中で涼子だけが好き勝手を許されるのは親の力です。
実際に涼子がそばにいたら嫌でしょうね。
そういう意味で私は室町由紀子さんを尊敬します。
付き合うだけでも大変なのに涼子を批判するなんて私にはとてもできません。
私でしたら君子危うきに近づかずを決め込んでなるべく関わらないようにするでしょうね。
室町由紀子さんこそ涼子の唯一人の親友と言えるでしょうね。
正面から批判するということは相手に良くなって欲しいと相手のことを思っての行動ですから。
本当に嫌いな人間にはそんなことはしません。
なるべく関わらないようにして陰口を叩くでしょうね。
倉本さん、まずは初めまして。
> 涼子の基本的な設定って悪役と同じなんですよね。
以前に書きましたが、田中芳樹の小説は通常は悪役として扱われる立場の人間(でないのも一部いますが)を主人公として書くという手法で一貫しています。
問題はその手法が今回は全く成功していないと言うことですね。
はっきり言って主人公側に全く共感出来ません。むしろ倒される怪物の方に同情したくなるような。
「彼らだって生きるためにやっているんだ」
> あの人の立場の大部分は親の力で得たものです。
> 涼子が自分の力で得たものはキャリア警官の地位と多数の外国語を話せる能力です。
はい。これこそまさに私が言わんとした”醜悪”な部分です。
失敗した、のは涼子ではなく作者です。
> パクリ元といわれるリナにしろ美神にしろ
取り敢えず、パクリかどうかは置きます。
パクリでも上手く出来ていればありというのが私の意見ですから。
結論から言えば、勿論上手く行っていない、ですね。
で、実際にリナや美神と涼子の何が違うのか。
1)前者は金に汚く、後者はそれがない。
2)前者には怖いあるいは苦手な人(リナ→姉ちゃん、美神→六道冥子だっけ)がいるのに、涼子にはそれがない。
要するに涼子というのは欠点や弱点を取り除いたリナ・美神なんですね。
これは明らかに改悪です。
ただし、「女王陛下のえんま帳」において涼子の姉が登場しました。
涼子は明らかにこの姉を苦手にしているようです。
またしてもリナに似てきてしまったという気もしますが、涼子廃嫡の可能性も含めて改良の可能性も僅かながら見えます。
とフォローしておきましょう。
> 以前に書きましたが、田中芳樹の小説は通常は悪役として扱われる立場の人間(でないのも一部いますが)を主人公として書くという手法で一貫しています。
> 問題はその手法が今回は全く成功していないと言うことですね。
> はっきり言って主人公側に全く共感出来ません。むしろ倒される怪物の方に同情したくなるような。
> 「彼らだって生きるためにやっているんだ」
そうですかね。
私はいまいち涼子以外のそういう主人公が思い浮かばないのですが。
できれば他にどういう主人公がそうなのか具体例を挙げてください。
> で、実際にリナや美神と涼子の何が違うのか。
> 1)前者は金に汚く、後者はそれがない。
> 2)前者には怖いあるいは苦手な人(リナ→姉ちゃん、美神→六道冥子だっけ)がいるのに、涼子にはそれがない。
> 要するに涼子というのは欠点や弱点を取り除いたリナ・美神なんですね。
> これは明らかに改悪です。
リナの姉ちゃんの場合は小説内には出てきませんのでふさわしくないと思います。
リナの回想シーンでは出てきますが具体的な登場人物として出てきてるわけではありません。
むしろ白蛇のナーガの方が例としてあげるにはふさわしいと思います。
そう考えると室町由紀子さんがもう少し強かったらよかったんではないでしょうか。
涼子が唯一人苦手とする人間で室町由紀子さんのいるところでは涼子は好き勝手なことはできない。
そういう存在としてなら室町由紀子さんにも存在意義があったでしょうし話の幅も広がったと思います。
> 私はいまいち涼子以外のそういう主人公が思い浮かばないのですが。
> できれば他にどういう主人公がそうなのか具体例を挙げてください。
「銀英伝」のラインハルトは帝位を簒奪する宰相、
これは敵役のヤンが上手く動いたので大成功。
「アル戦」のアルスラーンは兄の子を殺して王位を奪った王弟の息子でしかも彼自身は替え玉で王家の血を引いていない。
これは敵役のヒルメス王子側がやや駒不足で主人公側があまりに有利すぎる気がします。
そして「創竜伝」は人類の敵。
これは敵役となるべき人類側が弱すぎて破綻した為に大失敗ですね。
いずれも本来なら敵役に配される側が主役に抜擢されていますが、本来の主役の”生き死に”が作品の正否を分けているように思えます。
> リナの姉ちゃんの場合は小説内には出てきませんのでふさわしくないと思います。
> リナの回想シーンでは出てきますが具体的な登場人物として出てきてるわけではありません。
> むしろ白蛇のナーガの方が例としてあげるにはふさわしいと思います。
わたしは「スレイヤーズ」には余り詳しくないんですが、ナーガはスペシャルの方のキャラでしたよね。
私は涼子+泉田警部補とリナ+ガウリィの対比で考えていたので、ガウリィ君のでてこないスペシャルだと対比関係が弱くなってしまう気がしますが。
> そう考えると室町由紀子さんがもう少し強かったらよかったんではないでしょうか。
> 涼子が唯一人苦手とする人間で室町由紀子さんのいるところでは涼子は好き勝手なことはできない。
> そういう存在としてなら室町由紀子さんにも存在意義があったでしょうし話の幅も広がったと思います。
私は室町警視の方が好きです。
それはさておき、この方は常識的な路線でもやはり敵役に成りやすい主役向きでないキャラだと思いますね。
別の所でも書きましたが、泉田警部補を巡って三角関係が発生すると少しは使えるんですけど、
やはり設定ミスですね。
まあ最大の問題は、冒険風ライダーさんの検証にもあった
「泉田準一郎の不幸ぶりが伝わって」こない点に有るのだと思います。
上司の悪事の尻ぬぐいをする訳でもなく、むしろそれに荷担している泉田警部補が「不幸だ」などと吐くのは納得出来ませんね。
薬師寺涼子は上司としては良い部類だと思いますよ。部下に責任を押しつけたりしないし。
と言う訳でこの枝をまだ続けるなら三人の部下(あるいは相方)達の対比を検証してみませんか?
> 「銀英伝」のラインハルトは帝位を簒奪する宰相、
> これは敵役のヤンが上手く動いたので大成功。
> 「アル戦」のアルスラーンは兄の子を殺して王位を奪った王弟の息子でしかも彼自身は替え玉で王家の血を引いていない。
> これは敵役のヒルメス王子側がやや駒不足で主人公側があまりに有利すぎる気がします。
> そして「創竜伝」は人類の敵。
> これは敵役となるべき人類側が弱すぎて破綻した為に大失敗ですね。
>
> いずれも本来なら敵役に配される側が主役に抜擢されていますが、本来の主役の”生き死に”が作品の正否を分けているように思えます。
私はどれも違うような気がするんですが。
ラインハルトは微妙なんですが腐った大国を立て直す英雄としてみればよくある話だと思いますし。
アルスラーンは言ってることが矛盾してませんか。
王家の血を引いていないなら王弟の息子ではないでしょう。
だから兄の子を殺したことに関しては無罪です。
そもそもヒルメス王子が実は兄の血を引いていないし殺すことを望んだのが兄本人ですし。
大体アルスラーン以外にあの国の統治者としてふさわしい人間がいないんですから彼が王になって何の問題もないと思います。
ヒルメスは本編にも書かれてるようにアルスラーン即位の時点で異議を唱えずに国外に退去してますから即位を認めたことになります。
唯一の王家の人間が認めてるんですから問題ないと思います。
だからアルスラーンもやはり違うと思います。
創竜伝については人類の敵とは言えないと思います。
少なくとも連中は自衛しかしてませんから。
少しばかり過剰防衛気味ではありますけど。
そもそも人類の敵って自分で言ってるだけだし。
自分で言うだけでなれるなら誰も苦労しませんね。
> わたしは「スレイヤーズ」には余り詳しくないんですが、ナーガはスペシャルの方のキャラでしたよね。
> 私は涼子+泉田警部補とリナ+ガウリィの対比で考えていたので、ガウリィ君のでてこないスペシャルだと対比関係が弱くなってしまう気がしますが。
でもやはり出てこない姉ちゃんはふさわしくないと思いますよ。
まだ本編キャラならそれこそガウリィの方がふさわしいと思いますよ。
出てこないんだから評価のしようがありませんから。
出てくるキャラから選ばないと対比以前の問題だと思います。
> と言う訳でこの枝をまだ続けるなら三人の部下(あるいは相方)達の対比を検証してみませんか?
それも面白いかもしれませんね。
それではやってみますか。
ただ私は涼子の奴は一巻しか持っていないのでこれについては詳しくありません。
それでもよろしいですか。
取り敢えず固有名詞は外して考えて下さい。
「銀英伝」や「アル戦」は簒奪者を主人公とした話ですし、「創竜伝は」人類社会の脅威となる怪物を主人公とした話です。
単純化しすぎてますか?
「アル戦」については、以前の書き込み(No. 5382 常識と偏見)で「捻りを加えています」と言いました。
>ヒルメスは本編にも書かれてるようにアルスラーン即位の時点で異議を唱えずに国外に退去してますから即位を認めたことになります。
あの状況で異議を唱えても殺されるだけですよ。ヒルメスには彼を支持してくれる味方がいないんですから。
だから「敵役のヒルメス王子側がやや駒不足で主人公側があまりに有利すぎる」と言ったんです。
> でもやはり出てこない姉ちゃんはふさわしくないと思いますよ。
> まだ本編キャラならそれこそガウリィの方がふさわしいと思いますよ。
> 出てこないんだから評価のしようがありませんから。
> 出てくるキャラから選ばないと対比以前の問題だと思います。
主人公より強い人間が作中に設定されているか否かと言う話なんですが。
まあ、涼子の姉がでてきた時点でこの主張が覆っている可能性が高いので、これ以上の深追いはしませんけど。
「泉田君とガウリィはどちらが不幸か」
と言うテーマで知り合いと論じたことがあるんです。
もし興味があったら考えてみて下さい。
> 取り敢えず固有名詞は外して考えて下さい。
> 「銀英伝」や「アル戦」は簒奪者を主人公とした話ですし、「創竜伝は」人類社会の脅威となる怪物を主人公とした話です。
> 単純化しすぎてますか?
はい単純化しすぎだと思います。
そういうくくりでいいならそういう作品は田中芳樹以外の作家の作品にも多数存在しています。
ですから田中芳樹の作品だけが特にそういう傾向にあるとはいえないと思います。
> 「アル戦」については、以前の書き込み(No. 5382 常識と偏見)で「捻りを加えています」と言いました。
> >ヒルメスは本編にも書かれてるようにアルスラーン即位の時点で異議を唱えずに国外に退去してますから即位を認めたことになります。
> あの状況で異議を唱えても殺されるだけですよ。ヒルメスには彼を支持してくれる味方がいないんですから。
> だから「敵役のヒルメス王子側がやや駒不足で主人公側があまりに有利すぎる」と言ったんです。
順序が逆です。
ヒルメスが支持を求めないから支持する人間が出てこないだけであって支持する人間がいないから支持されないわけではありません。
それにヒルメスを殺せばその時点でアルスラーンは完全な簒奪者になります。
そもそも何故アルスラーンのいるところで異議を唱える必要があるんですか。
国内の反アルスラーン派の貴族のところにでもいてアルスラーン即位と同時に異議を唱えればよろしい。
そうすればヒルメス側につく人間も出るだろうし。
そもそもアルスラーンが本当の簒奪者ならヒルメスは殺します。
この時点で自分の対抗者となる唯一の存在なんですから。
そうしないことからもアルスラーンは簒奪者ではないという事になります。
> 主人公より強い人間が作中に設定されているか否かと言う話なんですが。
> まあ、涼子の姉がでてきた時点でこの主張が覆っている可能性が高いので、これ以上の深追いはしませんけど。
姉ちゃんがだめな理由は出てこないからリナの行動の歯止めにならないことです。
リナが姉ちゃんの存在を理由に何か行動を変えましたか。
例えばガウリィが姉ちゃんに言いつけるとか言ってリナの行動を変更させていたりすれば出てこなくても例に挙げるのにふさわしいと思いますけど。
姉ちゃんはいてもいなくてもリナの行動に変化はないのです。
そこが美神の六道冥子ちゃんと違うところです。
彼女は少なくとも存在が美神の行動を変化させていますもの。
> 「泉田君とガウリィはどちらが不幸か」
> と言うテーマで知り合いと論じたことがあるんです。
> もし興味があったら考えてみて下さい。
どっちもどっちじゃないですかね。
私はこの二人は全然違うと思いますけど。
ガウリィはリナの保護者(自称)で泉田君は涼子の被保護者。
ちょうど立場が正反対な気がします。
> はい単純化しすぎだと思います。
> そういうくくりでいいならそういう作品は田中芳樹以外の作家の作品にも多数存在しています。
> ですから田中芳樹の作品だけが特にそういう傾向にあるとはいえないと思います。
出来れば、具体的な反証を挙げてください。
私の狭い知識で見つけられないだけかも知れませんから。
「アル戦」についての反論は場所を改めて行いたいと思います。
> 姉ちゃんがだめな理由は出てこないからリナの行動の歯止めにならないことです。
> リナが姉ちゃんの存在を理由に何か行動を変えましたか。
> 例えばガウリィが姉ちゃんに言いつけるとか言ってリナの行動を変更させていたりすれば出てこなくても例に挙げるのにふさわしいと思いますけど。
> 姉ちゃんはいてもいなくてもリナの行動に変化はないのです。
> そこが美神の六道冥子ちゃんと違うところです。
> 彼女は少なくとも存在が美神の行動を変化させていますもの。
街一つを魔法で破壊出来るリナがそれでも社会秩序の中に収まっているのは(作品上には登場しないけど)姉という抑制弁が存在するから。
だと思うのですが。
まあここの主旨から外れるのでこの話はこれで止めます。
> > 「泉田君とガウリィはどちらが不幸か」
>
> どっちもどっちじゃないですかね。
> 私はこの二人は全然違うと思いますけど。
> ガウリィはリナの保護者(自称)で泉田君は涼子の被保護者。
> ちょうど立場が正反対な気がします。
その程度の答えじゃネタを振った意味はないですね。
それにこの二人が似ていないとすれば類似性が薄れるんですが。
取り敢えず私が得た結論を簡潔に挙げて終わりにします。
横島=客観的には不幸だが、彼自身の主観では不幸とは言えない。
ガウリィ=そもそも不幸と感じる頭がない。よって幸福である。
泉田=本人が言い訳のように不幸を連呼しているが周囲の誰もそれを認めない。恐らく三人の中では彼が一番恵まれていると思う。
ご静聴ありがとう御座いました。
> 出来れば、具体的な反証を挙げてください。
> 私の狭い知識で見つけられないだけかも知れませんから。
パッとすぐに出てくるところですとこんなのがあります。
幻想水滸伝(簒奪者)
ファイアーエムブレム(簒奪者)
ゴルゴ13(犯罪者)
ルパン三世(犯罪者)
仮面ライダー(モンスター)
ときめきトゥナイト(モンスター)
あれ気づいたけど小説が一つもない。
小説ですと聖刻群龍伝(簒奪者)とかウルフガイ(モンスター)なんかがあると思います。
パッと浮かぶだけでもこんなにあります。
調べればまだまだ出ると思います。
ですからそういった人間を主人公にするのはありきたりな手法であって田中芳樹特有ということはないと思います。
どうやら説明が不足でしたね。
私の主張は「主役と敵役」の逆転と言う点にありますので、主人公側だけを羅列されても判断出来ません。
それに私は「田中芳樹特有」とは言っていません。その点を誤解無きように。
他に、パクリとまでは言わないまでも、田中芳樹登場以降の作品に付いては田中芳樹の影響を考慮する必要があります。
だから、時系列を明記してください。
~でないことの証明は確実な判例を一つあげれば充分です。
それと、これは皆さんにお願いですが、田中芳樹の作品でこの定型に嵌らないと言う作品があったら教えてください。
その方が反証としては早いでしょうね。