管理人殿へ 御無沙汰しております。
若干、貴HPとは主旨が異なりますが、他に妥当と思われる場所ありませんでしたので、少々、お借りします。
読者の皆さまへ
註1 えーっと、本文に関するレスは、完結してからお願いします(予定は3から5)。
註2 レスは絶対に遅れます。
今週から、検査入院しますので……。
註3 完結しなかった場合は、「遺書」と思って下さい(かなり引きつった笑い)。
これは冗談ですが、実際、悪いんですよ。
一昨日まで三日間寝たきりで、食事がとれなかったのですから。
註4 古い話もあるので、一部記憶違い。
また、実名を出せない人もいますので、若干のモザイクはかけています。
御了承下さい。
註5 一部架空戦記サイト系で、「小生の本名探し」をやっているようですが、
若干の経歴については、最終稿(まで行けたら)で書きます。
さて……。
皆さん、持ち込みって、やってことがありますか?
出版社に自分の原稿を持って、編集者に見てもらうってことです。
えーっと、私が最初にやったのは、一〇年ぐらい前かなぁ。
「若かりし過ち」(シャア調で)だったかも。
最初に行ったのは、超大手のS社。
そこの編集部長と、サシで会ってきました。
で、数日後に呼び出されました。
部長さん、すごく困った顔でこう切り出しました。
「プロット、展開、伏線はプロ級。描写は及第点。でも……。キミ、人生経験が浅いだろ。心理描写が、甘いよ。ここで書き直しをさせてデビューさせるって手もあるけど、もしそれをやると、キミの才能を潰しかねない。だから残念だけど、今回は見送らせてくれ」
で、その後、こう続けました。
「出せなかったからといって、オレを恨んでもいいよ。でもその気持ちを、自分にぶつけるんだよな。キミなら、この悔しさをバネに、もっといいのが書ける。オレはそう信じているからな」
いやぁーっ、正直、悔しかったですよ。
部長さんには恨みは抱かなかったけど、むしろ感謝しましたね。
「よーし、次は絶対、この人が納得できるものを書いてやろう」って。
で、その後、二回ほどその人に別の作品を出したのですが、「まだまだ」「もっとキミなら書ける」
返事はほとんど、アントニオ猪木状態(笑)。
倒しがいのある相手っていうか、壁でしたよね。
この人を乗り越えないと、私には未来がないんだから。
それが何回か続いた頃、部長さんは別の部署に異動。
その時、その会社の雑誌の編集長を紹介してもらったのでした。
「コイツ、小説を書きたいそうなんだ。才能はあるんだけど、お坊ちゃん育ちなのか、世の中の暗い部分から目を背けてしまうクセがある。そこで、コイツを鍛えてやってくれないか」
そんなことで、ライターとしての私が誕生したわけです。
いやぁ、しごかれたのなんの。
原稿が甘いと、フロア全体に響きわたる声で怒鳴られたこともありましたね。
でも、部長さんの言っていた、「世の中の暗部」は、しっかりと、イヤになるほど見てきましたよ。
慣れてくると、軍事関係や戦史に関する取材とかを回してもらうようになってきました。
すると……。
編集長の言っていた意味が、本当に理解できましたよ。
世の中の暗い部分ということが。
「書けないネタ」が多すぎる。
一つは、「機密的」なこと。
もうひとつは、「人道的、倫理的」なことで。
後者は、たとえば、太平洋戦史に必ず出てくる某氏が、信じられない言葉を部下に吐いていたとかですね。
「ちょっと、これまずいよーっ」
としか、心のなかでしか言えませんでしたもの。
で、その頃ですか。
架空戦記に新人が参入しだしたのは。
ま、人様のことなんか、ほんとはどーでもいーんですが。
一読すると、「なにこれ」。
オレが編集長に鍛えられる前の文章じゃねーか?
誰が何を書こうが、何を読んで楽しもうが、それは自由です。
でもね、なんか数年間の自分に科した修行が否定されたみたいで、ショックでしたね。
少なくとも、私は編集長であり、読者が納得できるものを書こうと努力してきたつもりだったのに、それが全部覆されたというか。
その頃ですね。
時間を作って原稿を書き、架空戦記の持ち込みを某社にしました。
架空戦記を出していた、中堅出版社ですね。
そこであった編集者からの感想。
「あなた、巧すぎますよ。それに軍事知識がありすぎる。ウチの読者は、こんなものは求めていません。ストーリーにしても、軍事知識にしても、複雑なものなんかいらないんです。奴ら(註 ホント)には、『複雑に見えるもの』がちょうど良いんですよ」
で、原稿を手渡しではなく、投げて寄越して、とどめの一撃。
「もっと質を落としてくれたら、出してもいいですよ。貴方には、才能があるから」
これを聞いて、ショックでしたね。
一週間、寝込みました。
「自分が下手」なら直しがいもありますけど、「巧いからダメ」って……。
こっちが寝込むうちに、次から次へと新人がデビューしてきた。
実力で「抜かれた」のなら諦めもつくけど、実力以前のもので勝負が決まっていたのが、どーも納得いかない。
ま、このことは、読者には関係のないことですが……。
で、そいつらは、さっきの編集者の言っていたとおりのことを、忠実に守っている。
軍事知識にせよ、ストーリー性にせよ、それほどあるわけではない。
むしろ「あるように見せる」ところに技法を凝らしている。
そしてその巧緻を、競っているだけ。
彼らは……はっきり名前を出しちゃえば、霧島那智であれ、荒巻義雄であれ、佐藤大輔であれ、横山信義であれ……全員、やっていることは同じ。
ただそれが、巧いか下手かというだけのことですな。
それで喜ぶ読者も悪いんだけど、そのことはまた別の場所で。
結局、彼ら「作家サイド」にしてみれば、読者のことなんか考えていない。
いや、厳密に表現すると、これも「考えているように見せる」テクニックに長けているだけのはなし。
買ってくれればそれでいいんで、読者が間違えた知識を得ようが、おかしな価値観を植え付けようが、知ったことではない。
いざとなれば、伝家の宝刀がありますからね。
「私の書いているのは小説です(おかしく解釈すれば読者が悪い)」
そう言いながら、
「いやぁ、私の小説を買ってくれるなんて、貴方は目が高い。素晴らしい」
本音と建て前を使い分けている。
自分の逃げ道だけは、しっかり作っているんだよな。
で、「読者は安易に間違えたりしない」と煽てる。
ま、本当に自分の身が危なくなったら、読者なんか見捨てて逃げるんだよ、きっと。
まぁそれも、生きるためには仕方がないと言えばそこまでだけど……。
でもオレは、それは違うと思うな。
というか、これは倫理の問題かも知れんが、少なくともそんなことはできない。
さっき名前を挙げた作家の読者たちがどれだけバカであっても、そういう金儲けはやっちゃいけないよ。
アニメのパロディとか、派手派手の戦闘シーンなんかより、当たり前のことが、「作家の誠意」であり、能力だったはずなんだけどなぁ。
そんなこんなで、架空戦記なんか相手にすることがなくなっていたら、霧島の「なっちゃん」との抗争勃発(笑)。
あの後、自分にけじめを付ける意味で、久しぶりに小説を書いてみた。
今の自分が、どれだけの力があるのか。
そして「なつちゃん」とかと、どれだけの力の差があるのかを試したかったからね。
で、その結果。
一〇数社持ち込んで、とくにいい反応があったのは二社。
そこの編集者とは、直接会ってきた。
さて、そのうちの一社。
これは「芳樹」さんが出しているところです。
最初は訝しがっていた編集者氏。
ここへの持ち込みは、珍しいらしい。
「読んで脈がなかったら、すぐ返しますよ」と言っていたけど、二ヶ月たっても原稿を送り返してこない。
こちらもしびれを切らして、
「どーなってんだぁー」
と訊ねると、
「すいません。いま、編集部長のところに行っていますので」
また一ヶ月後。今度は
「いやぁ、いまは局長のところなんですよ」
こっちは、ちょっと待てぇーの状態。
で、その後一ヶ月ほどしたら、編集者が謝罪の手紙を送ってきた。
内容は、
「小説は最高に面白かったが、あまりにも斬新すぎて、ウチでは出せません。でもアンタには才能があるから、第二作はこうこうこういうタイプの小説を書いて欲しい。それならすぐに出せますから。ともかく、アンタみたいなタイプの小説を書ける作家は、日本にいないので、これは出せなかったけど、頑張ってくれ」(無茶苦茶な要約)
もう一社は中堅どころ。
ここは読み終わったらしい編集が呼び出してきた。
「いやぁ、面白いですよ」と言って、具体的な値段設定や初版部数まで切り出してきた。
これはかなりびっくり。
デビュー作としては、破格の待遇といってもいいぐらいの数字。
「でも多少難があるから、一部書き直しをして下さい」
何度かこっちも書き直しをして持って行くと、編集は色々アドバイスをしてきた。
「ここはこうしたほうが面白いですよ」
「こうしたほうが、読者は喜びますよ」
いちいち言っていることは正論。
しかしどこか、毎回、微妙にずれている。
それにそのアドバイス通りの作品を書いていたら、読者は喜ぶかも知れないが、「私の書きたい作品」じゃなくなる可能性が出てきた。
極端な言い方をすれば、技量さえあれば、誰が書いても同じ出来の作品になってしまう。
つまり、オレじゃなくてもいいってことになる。
それに文句を付けると、ちょっと居直ってきた。
「皆さん、デビューするには、このぐらいの書き直しは当然ですよ。そちらがイヤなら、出さないだけの話です」
そんで、また寝込んでしまった。
で、出した結論が……。
「原稿引き上げ」
原稿が売れなかったのも、その間、仕事をセーブしまくって、経済危機になったのも辛かったけど、この持ち込みの結果には満足はできましたな。
少なくとも既成の作家野郎どもと、私とでは技量的に遜色がないのがわかった、という意味で。
そして私の求めている方向性が、現在の流れとは異なっているということも、あらためて理解できたし。
しかしまぁ、つくづく考えされられたのは、最近の読者は、実は「小説」に、「小説性」を求めていないってことですか。
なんというか、私を含めて(笑)小説を書く連中なんて、立派な社会不適合者(爆)で、なおかつ精神病かサイコパスか、どっちかですから(超爆)。
そんな奴が、社会との接点で苦しみ、悩んだものを小説として表現し、それで社会からオゼゼを頂く。
これは別に、文学だけじゃなく、娯楽小説も含めてだけど。
でも八〇年代ぐらいから、「小説講座」なんかができるようになった。
この是非はともかく、普通の人でも作家になれるようになってしまった。
この頃から、小説の方向性がおかしくなってきた。
まず第一が、作家と読者のボーダーレス化がはじまった。
普通の人が、「ちょっと、小説でも」なんて、気楽に書けるものになった。
明治の頃なんて、「作家になる」と言っただけで、勘当ものだったんだけどなぁ。
第二に、それと関連して、それまでは作品のなかでは作家と読者との間で健康的な価値観の対立があったのに、それがなくなった。
むしろ正反対で、作家と読者が価値観を共用化するようになった。
つまり読者にとっていい作家とは、自分の価値観に近い作家であることになったわけ。
たしかこの頃から、「価値観の多様化」なんて言葉が使われるようになっていたけど、実は大半の大衆=読者は、自分の価値観を最優先するようになったような気がする。
それで自分が負けそうになると、「価値観は、多様化だからなぁ」って、捨て台詞を言ってたんだな。
ともかくいまの読者は、すごく保守的になっている。
これは私感じゃなくて、出入りする出版社の社員が、みんな口にしていること。
ま、それはそれで別にいいと思っている。
ただね。
それを客扱いに長けた作家は、上手く利用している。
「私の小説を読んでくれた読者は、想像力のある人だ」ってね。
こうやって、読者を煽てる。
こう言われれば、読者だって悪い気はしない。
よほどひどい作品じゃない限り、「また買おう」って気になる。
でもこれ、なんかおかしい。
私が親しくしてもらっている作家の先生によく言われたのは、
「小説家は、小説のなかで読者を騙すことは許されるが、小説の外で読者を騙すことは許されない。それは小説家ではなく、詐欺師だ」
って言葉でしたな。
でもこれ、田中信者をはじめとする、熱狂的なファンに言っても、理解してくれんかも知れんが。
そりゃ、ずっと、騙されているほうが気楽だろうから。
ただ少なくとも、これだけは理解してもらいたいな。
田中信者に限らず、バカ架空戦記ファンどもをオレは軽蔑しているけど、いつも考えているのは、「彼らでも納得でき、読んで損のない小説を書こう」としていること。
そして「小説の外では、絶対にああいう騙し方は読者はしたくない」ってこと。
だってオレも、昔は熱狂的な読者だったんだから、痛いほど気持ちはわかるよ。
わかるからこそ、こっちも辛いし、いいものを書きたいから苦しんでるだよ。
それぐらいは、理解できるだろ?
小村損三郎氏でしたか。
霧島那智批判のサイトを教えて下さったのは。
あそこに限らず他にもありますが、どうもイヤですね、みるのが。
指摘はいちいち正解なんですが、茶化しや悪口で止まっている。
全然、踏み込みが足らない。
それを、一般の読者に求めるのは酷ですけどね。
それに一番勘違いしているのは、「霧島那智(若桜木虔)は才能がない」という書き方。
これは甘すぎる考え。
おそらくあの種の小説しか見ていないから、そう言うんでしょうけど。
『公募ガイド』に連載されていた「作家養成塾」(だったかな)は、すごいよ、ほんとに。
わかりやすいし、適切だったのは大評価している。
彼の小説講座から、何人もデビューしているのは、むべなるかな。
ただ、「名選手、名監督に非ず」の喩え通り、「名講師、名作家に非ず」と言うべきなのかな。
うーん。
妥当な表現が思い付かないけど、『貧乏脱出』とかって番組、あるじゃないですか。
そこそこの店で修行したはずのシェフの店に、どうして客が集まらないかと思ってみていたら、技術がないんじゃなくて、全部、負の方向に使っていたんですな。
つまり、「どれだけうまい料理を作るか」というベクトルのほうに向かうものを、「いかに手を抜いて客に出すか」というほうに。
だから若桜木も、技量がまったくないわけじゃない。
むしろ溢れるぐらい、技量は持っている。
そうじゃなけりゃ、注文どころか、講師なんかできんよ。
ただ彼は、その技量を、全部、悪いほうへ使っているだけですよ。
で、どうしてそうなったかというと、たしかあそこでのやり取りで本人が書いていたと思うんだけど、「注文が途切れるのが怖い」っていう、メンタルの部分が問題だと思う。
「絶えず注文がないと不安→しかし量をこなすのは難しい→だから手を抜く」という悪循環に陥っているし、それを断ち切ろうともしない。
無論、これは本人の問題だから、深くは書かかんが……。
だから、「架空戦記が潰れれば、書きたい時代小説が書ける」なんて言っていても、無理無理。
というか、あれだけ荒稼ぎしているんだから、二,三ヶ月仕事を断って、書きたい小説を書けばいいのに。
時代小説だって、年に若干でも、若手がデビューしているんだから。
それをしないってことは、やっぱり書けないだけのことでしょ?
「なっちゃん」の話はそこまでにして、「なっちゃん非難系」(爆)の話。
先に書いたけど、読者に踏み込みは期待できないのは仕方ないこと。
でも本当に、「架空戦記」というジャンルを愛していたら、「なっちゃん」とか「トンデモ戦記」を叩いても仕方ないんだけどね。
だってそういうものは、いわゆる大御所たちの負の部分が全部集まってできたものなんだから。
そこに目を向けるのができないから、「なっちゃん」叩きをやって、自己満足に浸っているだけっしょ。
架空戦記 まだ出ている。
もう、関わり合いになるのもイヤ。
ある読者系のサイトに、「新しいタイプの話が出ない」と愚痴っていたけど、内幕、ゲロしちゃいましょ。
出せないんです。
なぜって?
新しいタイプの話を出せば、読者が食いつかない=売れないだけの話。
読者は新しいものを求めているようで、本当はすごく保守的。
で、その顔色を見ているバカ編集者ども、それに輪をかけたような保守的な考えを持っている。
だって売れなかったら、始末書ものだもん。
そんな編集者に買われている作家も、保守的なものを書かざろうえない、という悪循環。
ま、それは営業的なことだし、致し方ないと言ったらそこまで。
しかぁーし、最近許せんのは、別の部分。
作家にせよ、読者にせよ、
「なぜ昔の日本は、リスクをおかした作戦をしなかったのか。していれば、勝てたかも知れないのに」
と言っていること。
足下見ろよ。
自分たちはリスクをおかして「新しいタイプの小説」を書け(出せ、読め)ないくせに、昔のことは非難するなって。
> ようやく最後
・持ち込み必勝法(笑)
さて、私が体験した持ち込みから、必勝法を伝授しましょうか(爆)。
0 心得 「作家になること」が第一。
「作家になって、なにかを表現してみたい」とか、「作家はクリエーターである」という邪念は捨てる。
1 出版社のリサーチ ノベルズだったら、古株とか大手より、新参会社を狙う。
で、そこで出している小説を全部買い、方向性などを研究する。
2 執筆 小説のパターンを研究すると、そこの編集者が喜びそうなことが理解できる(余談だが、某ティーンズ向けの文庫は「何ページに一回ベッドシーン」という規程があるほど)。
その分析を基にストーリーを組み上げ、執筆する。
間違っても、「私にしか書けない」という思い上がりは捨てる。
「誰でも書け、誰でも読める」ものがいい。
無論、「読者はバカである」ということを忘れてはならない。
また、長編は不可。
何があっても「一話完結」であること。
しかし主人公は絶対に殺してはならない。
なぜなら、シリーズ化ができなくなるから。
3 売り込み ターゲットにした出版社から出ている本のあとがきに、編集者の名前があればグー。
その人を名指しで指名して電話をかける(もしなければ、編集部直通でも可)。
その際、第一声ではとにかく編集者を煽てまくる。
例「いやぁーっ、新刊の○○、最高っすねーっ」
4 交渉 編集者が「郵送でもいいですよ」と言っても、可能な限り自分で足を運んだほうがいい。
その時も、煽てまくるのは忘れずに。
5-1 原稿返却 運が悪かった人は、一週間で原稿が返ってくる。
再トライだ!
5-2 売り込み成功 見込みのある原稿ほど、多少時間がかかる。
OKが出たら、また足を運んだほうがいい。
6 書き直し とにかく編集者に媚びまくりましょう。
「ここが足らないね」
「はいはい、そうさせてございますだ、お代官様」
編集者の前では卑屈になり続けるのが、デビューへの近道だぞ!
7 祝デビュー デビューと同時に、HPを開設しましょう。
もちろん、掲示板は忘れずに。
読者からの反応がダイレクトに届くと同時に、いいマーケットリサーチ源になる。
当然、応対は親切に、そして彼らからの要求は、全部二巻で反映させましょう。
ま、それをやれば誰でも適当に売れるけど、その後の人生が幸せになるかどうかは、ワシは保証せんぞ。
もっとも真に受けてもらうと困るけど、これは反面教師的なデビュー法だ。
たとえこれでデビューできても、ワシは絶対にせん。
履歴 前の投稿で予告してきたように、ちょいとだけ履歴を書く。
全部ホンマの話よ。
・最近の仕事 週刊新潮でアフガン分析を担当(無記名)。
その他週刊誌、週刊漫画誌でも執筆
・歴史雑誌、スポーツ雑誌にも寄稿(休業中)
・現在、書き下ろしの予定が五冊。共著の企画も数冊あり
・年に二,三回は、ヨーロッパ、中東、アフリカ系の大使館から招待を受ける
・交友関係は、やたら広い。
先日、プライベートで話す機会のあったJリーグの監督から、「コーチライセンスを取りなさい」と真剣に勧められた。
・ボランティア1 米海軍からのお誘いで、キティフォークの艦長室まで入ってきた。
ノーギャラだが、艦長やエアボスとかとも会話できたのがラッキー。
・ボランティア2 ヨーロッパの某空軍の幹部候補生用のプログラムに、なぜかワシが撮ってきた写真が使われている。
これもノーギャラだが、ま、いいか。
この関係で、外国からの出版オファーもある。
・ボランティア3 ヨーロッパの陸海空軍には、知人が結構いる。
どちらかというと、日本より向こうのほうが、評価高かったりして。
あのぅ、ワシの正体を探している人たち。
これでヒントになったかな?
ということで、今日から体調を整えるので、当分レスはできまへん。
その点は私を嫌っているヒトも、理解してね(笑)。
すぐ生命に危険というわけじゃないけど、一生治らない病気だから(アタマは別にして←自虐ギャグ)。
最後に田中芳樹とは関係のないことかも知れませんが、管理人様、長々と書いて御免なさい。
追伸 しかし一度、管理人氏とは格闘技の話をしたいなぁ。
たいへん面白かったのですが、同時に運命の不思議というのを感じました。
というのは、もし最初の持込が、二回目の持込み先だったら、最初の薄っぺらい?処女作が「うちのニーズに合ってる」となって逆に順風満帆にデビューされていたのかもしれないわけですから。
まことに人の世の中、何がどうなるかわからないですねえ
面白かったです。「上手過ぎると相手にされない」というのも、酷い話ですねぇ。それでちょいと思ったのは、O石E司氏あたりはどういう評価なんでしょうか?「新世紀日米決戦」は、あまりにパロディだらけなのと陰々滅々とした未来図に付き合う気が起きなかったので、買っていませんけど、他は大概読んでるもんで。あの人も「いい加減な知識で書いている」という類なんでしょうか?
> たいへん面白かったのですが、同時に運命の不思議というのを感じました。
>
> というのは、もし最初の持込が、二回目の持込み先だったら、最初の薄っぺらい?処女作が「うちのニーズに合ってる」となって逆に順風満帆にデビューされていたのかもしれないわけですから。
>
> まことに人の世の中、何がどうなるかわからないですねえ
お久しぶりです。
うーん。そんなことは、考えてもみなかった(笑)。
ちょぃと、架空戦記風にシミュレートしてみましょうか。
もしもワタクシが、順風満帆にデビューしていたら(あらら。
これじゃ、『ドリフ大爆笑』だよ)。
現在よりも、生活が安定していたのは確実。適度の読者も
ついて、一定の量はこなす中堅作家になっていたでしょう。
しかぁーし。きっと芳樹ちゃんみたいに、テクだけで引き
伸ばす作家になる可能性も充分あった、ということですな。
そして確実なのは、飽きた読者から『○○○○を撃つ!』
というホームページが出来ていた(超猛爆!)。これは
冗談ではなく、ここのHPに書かれていることは理解でき
なかったでしょうね。まず確実に、「芳樹ちゃん擁護」を
していたと思います。
うーん、どーなんでしょー。現在とどっちが幸せかって、
簡単に言えないでしょうね。
それこそもし私の目的が、「小説家になる」だけだったら、
順風満帆なデビューのほうがよかったのでしょう。しかし
「小説を書いてなにかを訴えたい」だったから、現在のよう
にデビューが遅れているのでしょうね。
正直言ってかなり辛い(とくに生活の安定と精神面)ですが、
それなりに現在も幸せだと思ってますよ。
なにか偉そうにふんぞりかえって小説を書いているだけより、
この数年間で、絶対に会えないような人たちとも交際できる
ようになれましたし。その意味で、こっちのほうがはるか
に良かったのは断言できます。
しかしそうなると、その得たものを、「小説」にフィード・
バックできない(厳密に書くなら、書けてもニーズがない)
ことがいちばん辛いことですかねぇ。
> 面白かったです。
お久しぶりです。ここの論客二人に、「面白かった」と書かれるのは、なにか変な気分ですね(笑)。
いっそのこと、「私生活切り売り」の純ブンガク作家にでも、転身しますか(爆)。
>「上手過ぎると相手にされない」というのも、酷い話ですねぇ。
ちょっと、言葉不足でしたか。現在の小説(とくにノベルズ)界では、技量はさほど問われない、ということですね。あり過ぎると、まずそこのレーベルの先輩作家が嫉妬するんですよ。
とくにどのレーベルにも、エース級作家がいますよね? その人の器量にも左右されると。その作家の器量が狭いと、それ以上のものを新人が書いても、編集者が認めてくれないみたいですな。
結局、先輩作家は優れた新人を叩くどころか、才能の目まで摘み取ろうとしてしまう。自分の生活までかかっていますからね。彼らには、読者のことなんか考えていないんですよ、本音は。
>それでちょいと思ったのは、O石E司氏あたりはどういう評価なんでしょうか?「新世紀日米決戦」は、あまりにパロディだらけなのと陰々滅々とした未来図に付き合う気が起きなかったので、買っていませんけど、他は大概読んでるもんで。あの人も「いい加減な知識で書いている」という類なんでしょうか?
えーっと、これを書くとワタクシの立場がヒジョーにマズクなりますが、書いちゃいますか。
・学歴にはニ説あり。ひとつは、「慶応大学法学部(通信)政治学専攻」。もうひとつは「防衛大学校中退」。無論、ふたつとも正解ということもありうるのですが。
・「いい加減な知識で書いている」ことは、ありえません。博識ですよ、皮肉抜きで。近現代戦ものを書く作家のなかでは、抜けています。
・ただ私の経験上から述べさせてもらうと、「近現代戦もの」は非常に書くのが難しい。実は私にもよく(強調!)注文は来るのですが、理由をつけて断っています。
まず第一に、「取材」した段階で、現実より遅れてしまいます。そして「執筆」段階で、さらに遅れると。つまり「二段階」遅れてしまうので、「売り」に出る段階で読者が飽きてしまう可能性がある。
第二に、「どうしてそれを、小説にしなければならないのか」という
理由が希薄になってしまう。「著者がしたいから、した」だけのもの
では、プロじゃありません(誰のことかなぁ)。
とくに冷戦が崩壊して以降、「近現代もの」作家は苦労していると思いますよ。ネタはあっても、地域紛争ばかりで派手さがないから。一にも二にも、読者は目先の「派手さ」で買いますからね。
・初期のO石作品は、高く評価していたんですよ。技量はいまと比較するまでもなく稚拙だったのですが、「いったい、どこに連れていくんだぁー」というほどの迫力が全面に出ていましたから。しかし現在では、
手馴れたというか、こじんまりしてきましたな。『対地制圧機』ぐらいからは、読んでいません。
・そぉーかぁー。O石E司も、ついにパロディに走るようになったのかぁー。パロディというのも難しいのですねよ、書いてみると。
理解できる一定の読者は買ってくれる。しかしその読者は、次の作品で「それ以上のもの」を要求してくる。その要求に応じるうちに、作品は自分の手を離れてしまう。そしてそうするうちに、飽きた読者が離れていく可能性が高い。
作家にとって、「禁断の実」のようなものだと思っています。
O石E司かそれに手を出したとなると、ある意味で今後が見物というか、なんというか。
この辺で、勘弁して下さい(っーか、充分だろ!)
O石E司について、ある人から聞いた話。
某所で会ったとき、彼の作品のなかの記述について訂正を求めた。それは(どの作品化は不明)米海軍作戦部長のことを、「米海軍司令長官」とかなにか書いていたらしい。
それについての返答(これもどちらか忘れた)。
「作戦部長より、司令長官のほうが格好いいじゃないですか」
「編集者が『作戦部長より、司令長官のほうがいい』と言っていたので、変えました」
だったとか。
知識に対する考え方にも、個人差というものがあるのでしょうね?
とにかく、量的なものはすごいことは間違いないです。
> ・そぉーかぁー。O石E司も、ついにパロディに走るようになったのかぁー。パロディというのも難しいのですねよ、書いてみると。
> 理解できる一定の読者は買ってくれる。しかしその読者は、次の作品で「それ以上のもの」を要求してくる。その要求に応じるうちに、作品は自分の手を離れてしまう。そしてそうするうちに、飽きた読者が離れていく可能性が高い。
> 作家にとって、「禁断の実」のようなものだと思っています。
> O石E司かそれに手を出したとなると、ある意味で今後が見物というか、なんというか。
>
> この辺で、勘弁して下さい(っーか、充分だろ!)
日米のステルス艦「ゆきかぜ」Vs「ルー・ゲーリッグ」の戦いで、艦長の名前が、アメリカがジミー・カーク、日本が湖醍鎮(こだいまもる)ですから、こりゃ「スタートレック」VS「宇宙戦艦ヤマト」以外の何でもないですわな。湖醍の上官に、技術者肌の真田弘彦一佐(「お約束」の「こんなこともあろうかと」あり)も出てくるそうですし。また、おしまいの方に出てくる量子コンピューター(日本側)の製作者が、まるっきりエヴァンゲリオンの赤木リツコ博士のようです。
> ・そぉーかぁー。O石E司も、ついにパロディに走るようになったのかぁー。
>
> 日米のステルス艦「ゆきかぜ」Vs「ルー・ゲーリッグ」の戦いで、艦長の名前が、アメリカがジミー・カーク、日本が湖醍鎮(こだいまもる)ですから、こりゃ「スタートレック」VS「宇宙戦艦ヤマト」以外の何でもないですわな。湖醍の上官に、技術者肌の真田弘彦一佐(「お約束」の「こんなこともあろうかと」あり)も出てくるそうですし。また、おしまいの方に出てくる量子コンピューター(日本側)の製作者が、まるっきりエヴァンゲリオンの赤木リツコ博士のようです。
確認してきました。悲しかった、が正直な感想ですね。
作家サイドからは、「陰々滅々とした世界だから、バランスを取るためにやった」と言えますが、それにしては稚拙ですよ。こういう遊びは、本来、気付いた人だけクスリとできるものでよかったのですがねぇ。
この程度で楽しめるという読者を持つのは羨ましい部分もありますが、裏を返せば、この種の読者は小説に、「作家がなにを描きたいか」などは求めていないということです。彼らにとって、作家なんか「飽きたらポイ」の存在ですよ。
O石E司ほど「戦略が云々」と書いていたら、こんな読者を相手にすることこそ、彼自身の「作家としての戦略=今後、なにを書いていくか」の意味がここで問われると思うのですが。
追伸 せめて「カーク」艦長にするなら、愛称に「ダグ」ぐらい入れて欲しかったものです。なぜって? 「ルー・ゲーリック」の伝記映画の主演が、「カーク・ダグラス」だったのです(出身地がニュー・ヨークなら最高! ゲーリックはヤンキースでしたからね)。
さらに通読はしていませんが、「ルー・ゲーリック」の最後は「コンピューター・ウィルス」による無力化なのでしょうかね。これも史実のゲーリックの死因が、「菌=筋、無力=萎縮症」だったからですけど。
パロディ、パロディとはしゃぎ騒ぐ読者が多いのですが、所詮、彼らが反応できるのは、80年代以降の「サブカル」についてだけでしょう?
こんにちは。
なかなか書き込めずにいて、すみません。
>現在よりも、生活が安定していたのは確実。適度の読者も
>ついて、一定の量はこなす中堅作家になっていたでしょう。
>しかぁーし。きっと芳樹ちゃんみたいに、テクだけで引き
>伸ばす作家になる可能性も充分あった、ということですな。
>そして確実なのは、飽きた読者から『○○○○を撃つ!』
>というホームページが出来ていた(超猛爆!)。これは
>冗談ではなく、ここのHPに書かれていることは理解でき
>なかったでしょうね。まず確実に、「芳樹ちゃん擁護」を
>していたと思います。
作品の完成度と売り物としての一般性と言うことを考えれば、速水さんのおっしゃっていることは一つのカタチなんですよね。例えば、ノベルスの作家等は、その延長線上に良心と実力があれば良いんですよ。
問題は、売れているのをいい事に自分の心地よい妄想世界を延々展開しているだけになりがち、ということなんですけれど。
そういえば、ちょっと話は変わるんですが、最近作家がオフィシャルなサイトを持つ例が増えてますね。
BBSなどがあると、作家とファンが直で交流できたりするわけで、昔からすると夢のようなことが現実になっているわけです。…が、どうもそれが良い方向に働いているのを見たことがないですね。折角、生の意見がぶつけられる場なのに、最終的には信仰告白と異端審問の場になってしまうという…
作家と読者の間には厳然な線があって良いように思えます。
#くれぐれもお身体にお気をつけ下さい。
お元気になられたら格闘技の話でもしましょう。
> こんにちは。
> なかなか書き込めずにいて、すみません。
どーもです。
> 作品の完成度と売り物としての一般性と言うことを考えれば、速水さんのおっしゃっていることは一つのカタチなんですよね。例えば、ノベルスの作家等は、その延長線上に良心と実力があれば良いんですよ。
> 問題は、売れているのをいい事に自分の心地よい妄想世界を延々展開しているだけになりがち、ということなんですけれど。
以前ここで見かけたことだと思いますけど、ノベルズ作家の扱いは「イヌ・ネコ級」ですよ。しかし作家と編集者の内面には、ブンガクや(本格派の)ミステリーや歴史(作家であり、担当者になれなかったこと)への劣等感があるようですね。
そんな劣等感を昇華するために、「オレはこれだけ売れた」という商業主義に走ってしまう。さらに売れるから、作家と読者に都合のよい世界の構築が出来ると、みています。
> そういえば、ちょっと話は変わるんですが、最近作家がオフィシャルなサイトを持つ例が増えてますね。
> BBSなどがあると、作家とファンが直で交流できたりするわけで、昔からすると夢ようなことが現実になっているわけです。…が、どうもそれが良い方向に働いているのを見たことがないですね。折角、生の意見がぶつけられる場なのに、最終的には信仰告白と異端審問の場になってしまうという…
> 作家と読者の間には厳然な線があって良いように思えます。
「厳然な線」が崩壊したのは、八〇年代後半からでしょう。
前記した「作家セミナー」(書き手と読み手のボーダーレス化)であり、「読書離れ」、「出版社の乱立」などが理由にあると思います。
そしてバブル崩壊とともに「加速し過ぎた出版ラッシュ」、「郊外書店の閉鎖による書籍の逆流」、そして「さらなる読書離れ」が起こった。
出版界全体を含む問題だと思います(この辺り、もう少し調べられたら、ここに発表させて下さいな)。
「作家のオフィシャルサイト」の原型は、荒巻義雄の「作品読者参加」だと思いますが、それ以前に、アメリカでもあったということです。体のいいことを言いながら、あれは「読者囲い込み」戦略に過ぎないのですがね。
作家も読者も、所詮は人間。都合の悪いことには「目を閉じたい」という心理はわからんでもないのですが。しかし「自分たちの都合」で作品が動けば、それは立派に「作品への冒涜」なのですけど……。
それがわからんほど、いまの作家や読者の質的低下が進んでいるということですか。
> #くれぐれもお身体にお気をつけ下さい。
> お元気になられたら格闘技の話でもしましょう。
ひとこと エンセン、復帰なんかすんな!
芳樹ちゃんって、大学出て、すぐ作家になったのでしたっけ?
ちょっと気になったので、質問します。
ところでこのHPの冒頭に「田中芳樹の基礎知識」みたいなことを入れておいてくれると、色々な意味で助かりますな。
何年生まれで御尊父の職業から家族構成。学歴、職歴、そして現在の家族に至るまで……。プライバシー侵害にならない程度=本人が明らかにしていることを限度に、まとめられないものでしょうかね。
> 芳樹ちゃんって、大学出て、すぐ作家になったのでしたっけ?
> ちょっと気になったので、質問します。
>
> ところでこのHPの冒頭に「田中芳樹の基礎知識」みたいなことを入れておいてくれると、色々な意味で助かりますな。
> 何年生まれで御尊父の職業から家族構成。学歴、職歴、そして現在の家族に至るまで……。プライバシー侵害にならない程度=本人が明らかにしていることを限度に、まとめられないものでしょうかね。
僕も細かいことは知らないのですが、確かデビューして10年(?)くらい不遇の時代があったと思います(違っていたら誰か訂正して!)。
計算すると20代でデビュー、30代で銀英伝発表だったと思います。
職歴はないはずです。
幸田露伴を研究していた「学者さんの卵」だったと思います。
大学で研究しながら今はなき「幻影城」でSF小説を発表していて、本人曰く「修行所みたいなことろだった」とのこと(原稿料でなかったらしい)。
いわゆる「李家豊」時代です。
その後、徳間に移籍(っていうか、幻影城が潰れたらしい)、やはり李家豊で発表し「やっと作家になったと思った」と言うことです(原稿料でたらしい)。
冒険小説に興味があったのか、「白夜の弔鐘」を発表したのもこのころだったかな?
「あの」北上次郎氏がこの作品を評論したことがあり「作品的には評価は低いが一気に読ませる筆力は見事。得意な素材を得たら、大化けする可能性がある」と書いてあるのを見て仰天したことがあります。
その後、筆名を「田中芳樹」に変え、銀英伝を書き始めます。
変えた理由は「中国人に間違われる(笑)からとか」
この頃から「中国好き」だったのね。
中国文学の翻訳に異常な情熱を燃やすのは「学者さん」だった頃の名残かもしれませんね。
まぁ、少しずれた事、書いてしまいましたが、これをたたき台にもっと詳しい方に田中芳樹プロフィールを作ってもらいましょ!
GO! GO!
おおむねはやっちさんが書かれているとおりですね。
ただ、地方紙や雑誌などのインタビューというのが結構多く、それらを集めるのは個人レベルでは相当むずかしいと思われます。
というわけで、このスレッドに情報を持ち寄るのはどうでしょうか?
#もちろん、「プライバシー侵害にならない程度」というのは最優先事項と言うことにします。
御丁寧な返信、有り難うございます。
いや、少しだけ時間ができて、久しぶりに自作に取りかかったところ、ふと、この疑問が頭をよぎったのです。
同じ小説を書く者として、彼の作品(というか、最近の小説全般)に出てくる人間関係(の描写)って、どこかわざとらしいというか、リアリティがないように感じられたのですよ。作家自身が体験していない、「ヴァーチャルな人付き合い」を描いたとでもいうのでしょうかね。
ですから彼の作品に驚喜できる読者は、自分でそれほど人生経験をしていないモラトリアム世代か、あるいは現実の人付き合いからの逃避行動として読んでいるのではないか、と思いまして。
彼らからは「面白ければ、なんでもいいじゃないか」と言い返されそうですし、それもまた一つの正論なのですが、あの程度の作品で楽しめるというのは、それだけ読者の人生が「つまらない」ことでもあるんですが…ね。
しかし、芳樹ちゃん的なもののほうが売れるのは間違いないのですが、
ワタクシとしては、「面白い人生」を送ってきた人に「面白い」と評価されるような作品を書きたいものですよ、やっぱり。
> しかし、芳樹ちゃん的なもののほうが売れるのは間違いないのですが、
> ワタクシとしては、「面白い人生」を送ってきた人に「面白い」と評価されるような作品を書きたいものですよ、やっぱり。
田中氏の作品に出てくる人物は、どことなく芝居かかった感じの台詞回しだと思うのは自分だけでしょうか?
逆に、それが作品の味になるのかな、なんて思ったりもしたりするし・・・
まとめて書かせて頂きます(同じ作家さんと言うことでご勘弁を)。
> 御丁寧な返信、有り難うございます。
> いや、少しだけ時間ができて、久しぶりに自作に取りかかったところ、ふと、この疑問が頭をよぎったのです。
>
> 同じ小説を書く者として、彼の作品(というか、最近の小説全般)に出てくる人間関係(の描写)って、どこかわざとらしいというか、リアリティがないように感じられたのですよ。作家自身が体験していない、「ヴァーチャルな人付き合い」を描いたとでもいうのでしょうかね。
> ですから彼の作品に驚喜できる読者は、自分でそれほど人生経験をしていないモラトリアム世代か、あるいは現実の人付き合いからの逃避行動として読んでいるのではないか、と思いまして。
エンターテェメントの基本は「現実逃避」ですからねぇ(笑)。
「それをいっちゃぁ~、おしまいよ」って気もします。
実際、速水さんは気を悪くされるかも知れませんが、インテリ層は別にして、そういう人生をおくっている人が一番楽しみにしているのが、テレビの時代劇であり、赤川次郎氏であり、西村京太郎氏なわけです(ダイナミックジュコーこと西村寿行とか、大藪春彦大好きって人もいますが)。
松本清張さん(そう言えばこの人の作品、ほとんど読んでないな)も森村誠一さんも一時ブームになりましたが、前記二人ほど、今、本屋で手に入りません(図書館は凄いけど!)。
実際、現実苦しんでいる人間が作品の中で苦しんでいる人を見て感情移入するより、ストーリーもキャラクターも単純明快な「正義は勝つ!」って作品の方が喜ばれると思うんです(要するに頭使わない話)。
そう言う意味ではその手の作品はある意味、進化だと僕は思っています。
退化と思うのは僕らに代表される本好きのいわゆる『おたく』でしょう。
> 彼らからは「面白ければ、なんでもいいじゃないか」と言い返されそうですし、それもまた一つの正論なのですが、あの程度の作品で楽しめるというのは、それだけ読者の人生が「つまらない」ことでもあるんですが…ね。
速水さん、そういうのは誤解されると思いますよ。
人間、無理して波瀾万丈の人生を送る必要はありませんし、「つまらない」人生も送っていいと思います。
それが充実した人生かどうか別ですが、人にはそれぞれの人生を自由におくる権利があります。
無駄に生きるのもまた楽しいものです。
というか「つまらなくない」人生を送っている人が大多数の社会って、ある意味不健全だと僕は思っています。
> しかし、芳樹ちゃん的なもののほうが売れるのは間違いないのですが、
> ワタクシとしては、「面白い人生」を送ってきた人に「面白い」と評価されるような作品を書きたいものですよ、やっぱり。
僕はつまらない人生を送っている人に「もう少し生きてみるか、これ面白かったし。また、何か、面白いことあるかも」って言われる作品を書きたいですね(アマチュアですが)。
さて……………匿名希望さんへ
> 田中氏の作品に出てくる人物は、どことなく芝居かかった感じの台詞回しだと思うのは自分だけでしょうか?
> 逆に、それが作品の味になるのかな、なんて思ったりもしたりするし・・・
架空歴史小説や中国歴史小説の場合、「歴史物(時代物ではなく)」はシェークスピアの影響を色濃く受けているので、あらゆる作家は多かれ少なかれ芝居かかっています。
ドラマツルギーとして自然に芝居かかってくるのではないでしょうか。
それ以外の場合は学者の卵時代に読みまくった漫画の影響でしょう。
要するに「芝居かかっている」のではなく「ふきだしセリフ」って事では?
確か福島なんたら氏(すみません、フルネーム忘れました)の「亡国のイージス」を読んだときも、えらく漫画ちっくなストーリー展開と田中氏以上の「漫画セリフ」にびっくりしたものです。
あの人も確か、いわゆる「おたく」でしょう?
「面白いけど、これが大藪春彦賞か?」
とは思いましたが、現在は漫画の影響を無視できないのかなと思っています。
すみません、上のレスに何も書いていませんでした。
実は話のついでに佐藤氏の「カエサルを撃て!」をお薦めしようかな、と思ったんですよ(ただ、肩すかしになるかなと思って書かなかったのですが、タイトルを消すのを忘れてしまった)。
田中ファンの僕が本ページに求めるのは、まさにあの作品なんですよ。
もちろん僕も田中氏を殴りに行き「禿げ親父」と言ってやります!(もちろん、冗談です。読んだ人にはわかるギャグ)。
本当にあんな風になったらうれしいなぁ~。
実際、小説で人間同士の会話を描くのは難しいものなのでしょうか?
登場人物は複数いるけど、書き手は一人です。
一人で複数の人間の会話を考えるわけですから、素人考えでいけば、かなりシンドイ仕事になりそうです。
> まとめて書かせて頂きます(同じ作家さんと言うことでご勘弁を)。
どーもでございます。
> エンターテェメントの基本は「現実逃避」ですからねぇ(笑)。
> 「それをいっちゃぁ~、おしまいよ」って気もします。
> 実際、速水さんは気を悪くされるかも知れませんが、インテリ層は別にして、そういう人生をおくっている人が一番楽しみにしているのが、テレビの時代劇であり、赤川次郎氏であり、西村京太郎氏なわけです(ダイナミックジュコーこと西村寿行とか、大藪春彦大好きって人もいますが)。
> 松本清張さん(そう言えばこの人の作品、ほとんど読んでないな)も森村誠一さんも一時ブームになりましたが、前記二人ほど、今、本屋で手に入りません(図書館は凄いけど!)。
> 実際、現実苦しんでいる人間が作品の中で苦しんでいる人を見て感情移入するより、ストーリーもキャラクターも単純明快な「正義は勝つ!」って作品の方が喜ばれると思うんです(要するに頭使わない話)。
> そう言う意味ではその手の作品はある意味、進化だと僕は思っています。
> 退化と思うのは僕らに代表される本好きのいわゆる『おたく』でしょう。
無論、おっしゃることは充分わかります。
しかしこれは、前回の『持ち込み体験記』にて大喧嘩したある編集者とのやりとりなのですが、一方では「もっとリアルに書け」。他方では、「そんなにリアルな描写はいらない」と、正反対なことを言ってくるのに辟易しました。
これは人間ドラマの部分だけではなく、兵器や戦術などに関してもですけど。編集者=読者が求めているものは、「非現実的なリアリズム」とでもいうのでしょうかね……。
たしかに「頭を使わないのがエンターティメント」ですけど、そのくせ最近は作家も読者も、その作品に関係していることで「自分たちの頭の良さを誇示したい」という欲求が見え隠れしているのが、どーも気に食わんのですよ。
ですから貴兄のおっしゃる、現状を「退化」と考えるのは「古いタイプのオタク」で、現状を肯定できるのは「新しいタイプのオタク」という存在に過ぎないのではないか、と思っております。
ところである程度のインテリ層ぐらいになると、『水戸黄門』なんかで逆に楽しめるようですよ。
見方もかなり屈折していて、大河ドラマの時代考証が間違っているとえらく怒る反面、『水戸黄門』の無茶苦茶ぶりになると、「これはしょうがないんだよなぁ」と割り切っているのです。なにか大河ドラマのような、「擬似インテリ」的なものが一番お気に召さないようですね。
そうなると、昨今のエンターティメントも「擬似インテリ化」が進んでいるように思います。これは別項に書きましたが、現在の読者は「複雑なストーリー」ではなく、「複雑に見えるストーリー」のほうを求めているようですし。
しかしこんなののために描写技術が使われるのは、あまり進化とは思えませんけどねぇ。
また個人的な話ですと、ワタクシも以前は、落合信彦を読んで「すごいなぁ」と感心していましたが、自分の足で戦場なんか歩いたりすると、読めなくなっちゃいましたが。
だって描写なんか、誇張ばっかだもん(笑)。
> 速水さん、そういうのは誤解されると思いますよ。
> 人間、無理して波瀾万丈の人生を送る必要はありませんし、「つまらない」人生も送っていいと思います。
> それが充実した人生かどうか別ですが、人にはそれぞれの人生を自由におくる権利があります。
> 無駄に生きるのもまた楽しいものです。
> というか「つまらなくない」人生を送っている人が大多数の社会って、ある意味不健全だと僕は思っています。
まことにごもっともな意見です。なぜなら一番、無為に人生を過ごしているのが、作家という人種なのですから(おいおい←自爆)。
「無駄に生きることにも楽しみを見出せる」のが作家の感性というものなのでしょうが、昨今のエンターティメント界は、「無駄に生きることに楽しみを見出せない」人でも、一定の技術さえあれば作家になれてしまうようになった。これは描写の技術的な部分が進化したために、作家にとって不利な要素までもが隠せるようになり、また読者も見破れないほど低下しているからのだと見ています。
> 僕はつまらない人生を送っている人に「もう少し生きてみるか、これ面白かったし。また、何か、面白いことあるかも」って言われる作品を書きたいですね(アマチュアですが)。
これもまた、正論ですね。
しかし貴兄のおっしゃる作品になると、やはり「面白い人生を過ごした人」が真っ先に評価すると思います。その評判を聞いて、そうじゃない人が読み出して、貴兄のおっしゃる心境を抱くのではないかと。
もっともこの議論を続けると、「ニワトリと卵」になるので、この辺りで止めておきますが。
やっちでございます。
個人的な感情をぶつけたような文章に返信いただき本当にありがとうございます。
実は「持ち込み体験記」を読んでからずっと、気にかかっていたんです。
僕は典型的な「とにかく作家になりたい」タイプだったものですから。
元々、作家には「なれればいいな」程度だったのですが、諸般の事情から、親、親戚、友人、知人の手前「とにかく作家にならなければならない」状況になってしまったんです。
まぁ、作家といっても「小説家」ではありませんが………。
頑張っている知人たちから速水さんと似たような話を聞き、落ち込んだこともあります。
それでも作家にならなければならない。
どこまでやっていけるかわかりませんが………。
さて、暗い話はここまで!(僕のキャラクターじゃないし)
前々から思っていたのですが、なんで日本には架空戦記ではなく、本物の太平洋戦争(大東亜戦争よりも、やっぱりこっちの呼称の方が好き)を舞台にした海洋冒険小説がないんでしょう。
海外には英国ではフォレスターの「駆逐艦キーリング」、マクリーンの「女王陛下のユリシーズ」等いくらでもありますし、米国にも映画「眼下の敵」(って小説じゃないじゃん!)などがあります。
だいたい、英米海軍に一方的に押しまくられて、群狼作戦に持ち込まざる得ないほど弱い独海軍が悪役の小説に、あれほどの名作があるんですよ。
世界最強最大のアメリカ海軍を相手に戦った日本海軍を主人公にすれば、どれほど「泣ける」海洋冒険小説が書けることか!
という事で、後は専門家の速水さんに任せます。
専門知識のない福田(今、書いているらしい)なんかに負けるな!
ちなみに落合信彦といったらなんと言っても「スパイゲーム」でしょう。
基本的にルポルタージュとしてではなく、冒険小説として読んでいました。
色々読んだけど、やっぱり、落合信彦作品は本人が主人公の作品がいっちゃん面白いです。
最後に「疑似インテリ」ですが…………。
僕も「疑似インテリ」なのでなんとも言いようがない。
「おっしゃるとおり!」としか言えません。
彼らに最大に受け入れられたのは、やはり、数々の謎本を世に送り出した「エヴァンゲリオン」でしょう。
なんか、あれが出てから、おかしくなりましたね(アニメもその手の小説も)。
そう言えば、今、思ったのですが、庵野氏と田中氏って妙に共通点がありますね。
作品全体が巨大なパロディ(オマージュとは違うよな……?)であること。
「非現実的リアリティ」を得意とすること。
「複雑に見せるストーリー」の名手であること。
パロディ作家なのに、下手なオリジナリティのある作家よりも遙かに他の作家への影響力が強いこと。
どっちも正当なファンから「帰ってこい!」と言われていること(笑)。
創竜伝を実写に変えると、そのまま、庵野氏になりますな。
電波な思想をまき散らさないだけ、ましかもしれませんが…………。
っていうか、庵野氏も相当やばいか!(笑)
どうもやっちです。
> 実際、小説で人間同士の会話を描くのは難しいものなのでしょうか?
> 登場人物は複数いるけど、書き手は一人です。
> 一人で複数の人間の会話を考えるわけですから、素人考えでいけば、かなりシンドイ仕事になりそうです。
どうなんでしょうねぇ…………
僕自身、専門は脚本なんですが、それまでは小説書いてました。
その時は僕自身うんざりするくらい、キャラクターのかき分けができませんでした。
特に会話部分は本当にうまくかけませんでした。
その後、シナリオを勉強したのですが、その時はびっくりしましたね。
自分でも驚くほど、キャラクターが生き生きとしゃべり始めるんです。
これは僕だけではなく知人には、まず一回シナリオにしてから、小説にするという人もいます。
その事から考えると小説という形式自体が、「キャラクター」がしゃべるという事に関して言えば、不得意なのではないかと思います。
やっぱり、そういうものですか
多分、シナリオの場合は会話シーンを重点に書けるからではないからですか
小説の場合であれば、会話をかいてその流れで風景やキャラクターのとった行動を書き上げなくてはならないのに対し、シナリオの場合、会話は会話としてかいて、場景はト書きで書き表すから書きやすいと思うのですが、いかがなものですか?
> やっちでございます。
毎度でございます。
> 個人的な感情をぶつけたような文章に返信いただき本当にありがとうございます。
こちらこそつたない文章にお付き合い下さり、有り難うございます。
> 実は「持ち込み体験記」を読んでからずっと、気にかかっていたんです。
>
> 僕は典型的な「とにかく作家になりたい」タイプだったものですから。
>
> 元々、作家には「なれればいいな」程度だったのですが、諸般の事情から、親、親戚、友人、知人の手前「とにかく作家にならなければならない」状況になってしまったんです。
> まぁ、作家といっても「小説家」ではありませんが………。
> 頑張っている知人たちから速水さんと似たような話を聞き、落ち込んだこともあります。
> それでも作家にならなければならない。
> どこまでやっていけるかわかりませんが………。
変な激励ですが、無理してなる必要もないのでは……。だって、作家には免許も国家試験もいらないのですから(核爆)。
最終的にはクリエーターとしての「作家」になりたいか、ただ「作家」の肩書きが欲しいだけか、の違いだと思います。
あけすけに言えば、自分の納得できる作品を書けるか、それとも「とにかく食えるのなら、なんでも書けばいい」と考えるか、ですね。
少なくともワタクシは、自分が心のなかで「つまらない」と考える作品を何冊、何万部売ったって、意味がないと思いますけどねぇ。
> さて、暗い話はここまで!(僕のキャラクターじゃないし)
> 前々から思っていたのですが、なんで日本には架空戦記ではなく、本物の太平洋戦争(大東亜戦争よりも、やっぱりこっちの呼称の方が好き)を舞台にした海洋冒険小説がないんでしょう。
> 海外には英国ではフォレスターの「駆逐艦キーリング」、マクリーンの「女王陛下のユリシーズ」等いくらでもありますし、米国にも映画「眼下の敵」(って小説じゃないじゃん!)などがあります。
> だいたい、英米海軍に一方的に押しまくられて、群狼作戦に持ち込まざる得ないほど弱い独海軍が悪役の小説に、あれほどの名作があるんですよ。
> 世界最強最大のアメリカ海軍を相手に戦った日本海軍を主人公にすれば、どれほど「泣ける」海洋冒険小説が書けることか!
>
> という事で、後は専門家の速水さんに任せます。
> 専門知識のない福田(今、書いているらしい)なんかに負けるな!
結局架空戦記が売れるのは、「負けた腹いせ」なんでしょうねぇ。内容以上に、その根性が許せません。
それこそただの「エンターティメント」なら、おっしゃる通りの海洋冒険もののほうが遙かに良質でしょう。しかし日本では、冒険ものやSFとかの社会的認知が低い。それで、架空戦記ごときが生まれた、と。
なにかあれに関わっている人たちは、二重三重のひねくれた精神構造だと思いますよ。
ちなみにワタクシ、某大手編集者から、「イギリスでデビューしろ」と言われました。「絶対にベストセラーになるから、逆輸入で帰ってこい」。ワシャ、鮭か(爆)。
それから、「眼下の敵」には、ノベライズか原作があったのでは。
> ちなみに落合信彦といったらなんと言っても「スパイゲーム」でしょう。
> 基本的にルポルタージュとしてではなく、冒険小説として読んでいました。
> 色々読んだけど、やっぱり、落合信彦作品は本人が主人公の作品がいっちゃん面白いです。
ノーコメント(爆)。
> 最後に「疑似インテリ」ですが…………。
> 僕も「疑似インテリ」なのでなんとも言いようがない。
> 「おっしゃるとおり!」としか言えません。
別に、それは落ち込むことではないと思います。ただ「インテリ」とは知識量ではなく、知識に対する取り組み方、心構えの問題に過ぎないのではないのでしょうか。
そんな正統的な「インテリ」になれなかった恨みで「擬似インテリ」と名乗る人たちの胡散臭さが、どうしても鼻につくのですよ。とくに九〇年代から、一般の読者にまで増殖してしまったみたいですね。
> 彼らに最大に受け入れられたのは、やはり、数々の謎本を世に送り出した「エヴァンゲリオン」でしょう。
> なんか、あれが出てから、おかしくなりましたね(アニメもその手の小説も)。
> そう言えば、今、思ったのですが、庵野氏と田中氏って妙に共通点がありますね。
>
> 作品全体が巨大なパロディ(オマージュとは違うよな……?)であること。
> 「非現実的リアリティ」を得意とすること。
> 「複雑に見せるストーリー」の名手であること。
> パロディ作家なのに、下手なオリジナリティのある作家よりも遙かに他の作家への影響力が強いこと。
> どっちも正当なファンから「帰ってこい!」と言われていること(笑)。
>
> 創竜伝を実写に変えると、そのまま、庵野氏になりますな。
> 電波な思想をまき散らさないだけ、ましかもしれませんが…………。
> っていうか、庵野氏も相当やばいか!(笑)
すいません。『エヴァ』は一度も見ていないので、コメントできませんが……。ただバカ話で、『エヴァ』のストーリーを『バカボン』のキャスティングでやってみる(「パロディの再パロディ」という、かなり高度な技法ですな)、というのは聞いたことがあります。
内輪ネタを書けば、どちらも間接的にお仕事をしたことがありますが、どっちも個人的に好きになれそうではないパーソナリティーと聞きました。
どーせなら、『創竜伝』実写板を、庵野に撮ってもらいましょう!
どうもやっちです。
速水さんも色々忙しい(笑)のでこれで最後にします(以後、ここに速水さん宛のレスは致しません)。
> 変な激励ですが、無理してなる必要もないのでは……。だって、作家には免許も国家試験もいらないのですから(核爆)。
> 最終的にはクリエーターとしての「作家」になりたいか、ただ「作家」の肩書きが欲しいだけか、の違いだと思います。
> あけすけに言えば、自分の納得できる作品を書けるか、それとも「とにかく食えるのなら、なんでも書けばいい」と考えるか、ですね。
> 少なくともワタクシは、自分が心のなかで「つまらない」と考える作品を何冊、何万部売ったって、意味がないと思いますけどねぇ。
確かにその通りだと思います。
ただ、甘い考えですが、ともかく「登ってみなければ本当の事はわからない」とも思うのです。
とにかく登ってみます。
もしかしたら挫折するかもしれませんし、今以上に苦しむかもしれませんが、僕は「愛している」ので登らずにはいられないんですよね。
個人的には「とにかく成功してからが勝負だ」とも思っています。
これには速水さんの言葉も届きません!
ごめんなさい。
> 結局架空戦記が売れるのは、「負けた腹いせ」なんでしょうねぇ。内容以上に、その根性が許せません。
> それこそただの「エンターティメント」なら、おっしゃる通りの海洋冒険もののほうが遙かに良質でしょう。しかし日本では、冒険ものやSFとかの社会的認知が低い。それで、架空戦記ごときが生まれた、と。
> なにかあれに関わっている人たちは、二重三重のひねくれた精神構造だと思いますよ。
その通り!
本来、平家物語を筆頭に判官贔屓の日の本の国で「よく頑張った敗者」を賞賛するのではなく、妄想世界で勝利したことにするなんてタイガ(ピー)ファンじゃないんだから!!
まぁ面白ければいいけど(笑)。
この頃、面白いのが少ないからなぁ………。
> ちなみにワタクシ、某大手編集者から、「イギリスでデビューしろ」と言われました。「絶対にベストセラーになるから、逆輸入で帰ってこい」。ワシャ、鮭か(爆)。
江戸川乱歩賞という線もありますな。
> それから、「眼下の敵」には、ノベライズか原作があったのでは。
はい、読んでます!
つまんなかったです!!
あれを他の名作と同列に扱えなかったんです!
> 別に、それは落ち込むことではないと思います。ただ「インテリ」とは知識量ではなく、知識に対する取り組み方、心構えの問題に過ぎないのではないのでしょうか。
> そんな正統的な「インテリ」になれなかった恨みで「擬似インテリ」と名乗る人たちの胡散臭さが、どうしても鼻につくのですよ。とくに九〇年代から、一般の読者にまで増殖してしまったみたいですね。
僕自身「自称インテリ」はいいと思うんですけどね。
人生一生勉強ですし。
速水さんのおっしゃる「似非インテリ」の本質的な問題は「好奇心の欠如」のように思います。
作家の垂れ流す情報を素直に受け入れ、他を受け入れようとしない。
話は変わりますが(たぶん、速水さんの文章の繰り返しになると思いますが)内田康夫ファンの人を二人ほど知っていますが、彼ら本当に内田康夫の著作しか読んでいない。
内田康夫の本を100冊以上持っているのに他の著作を全く読んでいないんです。
例えば他のミステリーを読んでみる。
あるいは参考文献を読んでみる。
そういう「知識を数珠繋ぎにする」という思考が見事に欠けているんです。
「自分のミステリーは最高で、他は読む必要がない(というかこの人、人のを本当に読んでないみたいです)」
という、作者の戯言を本気で信じてるんです。
そう言う意味で、おっかない読者が増えましたね。
> すいません。『エヴァ』は一度も見ていないので、コメントできませんが……。ただバカ話で、『エヴァ』のストーリーを『バカボン』のキャスティングでやってみる(「パロディの再パロディ」という、かなり高度な技法ですな)、というのは聞いたことがあります。
> 内輪ネタを書けば、どちらも間接的にお仕事をしたことがありますが、どっちも個人的に好きになれそうではないパーソナリティーと聞きました。
> どーせなら、『創竜伝』実写板を、庵野に撮ってもらいましょう!
殴り合いの喧嘩にならないことを祈ります(笑)。
では別のスレでお会いしましょう!
やっちでございます。
> やっぱり、そういうものですか
> 多分、シナリオの場合は会話シーンを重点に書けるからではないからですか
> 小説の場合であれば、会話をかいてその流れで風景やキャラクターのとった行動を書き上げなくてはならないのに対し、シナリオの場合、会話は会話としてかいて、場景はト書きで書き表すから書きやすいと思うのですが、いかがなものですか?
おっしゃるとおりです。
余計な猥雑物がない分、シナリオは楽です。
もう一つ付け加えるならば、『絵』というものを意識しないと、シナリオは書けないんですよね。
実際、先生に添削されたとき、最初に言われたのが「絵になっていない」でした。
シナリオは「映像化を前提とした」著作物なので、演出家、プロデューサー、出演者が読んでいて「絵」にならないと話にならない、というのです。
僕は会話のシーンを書いた時、会話部分に集中していて、どういう風に(どんな服装など)会話してるかまで細かく考えていませんでした。
小説ほど書き込みませんが、書き手が相当細かいところまで想像してから書かないと、映像化しようとした段階で矛盾が生まれるのだそうです。
今、考えるとそこまで細かく想像してから書く癖がついたのでキャラクターの事が良く理解できたのかもしれません(頭ではなく、生理として)。
ただ、矛盾したいい方になりますが、一部の例外を除いて、基本的に脚本家の書いた小説にろくなのがないとは思っています。
ただ、まともな文章力を持った方が書けば、例えば池宮章一郎氏がそうであるように、この「絵」意識した文章が大きな武器なると思います。
っていうか、こんな事、このHPの掲示板で書いていいんですかね?
> 確かにその通りだと思います。
> ただ、甘い考えですが、ともかく「登ってみなければ本当の事はわからない」とも思うのです。
> とにかく登ってみます。
> もしかしたら挫折するかもしれませんし、今以上に苦しむかもしれませんが、僕は「愛している」ので登らずにはいられないんですよね。
> 個人的には「とにかく成功してからが勝負だ」とも思っています。
> これには速水さんの言葉も届きません!
> ごめんなさい。
健闘を祈る!
> その通り!
> 本来、平家物語を筆頭に判官贔屓の日の本の国で「よく頑張った敗者」を賞賛するのではなく、妄想世界で勝利したことにするなんてタイガ(ピー)ファンじゃないんだから!!
> まぁ面白ければいいけど(笑)。
> この頃、面白いのが少ないからなぁ………。
ちなみに、個人的に(ピー)のファンです。
(ピー)の人たちは、あれはあれで楽しんでいるんだから、健康的な屈折ですよ。
(中略)
> 僕自身「自称インテリ」はいいと思うんですけどね。
> 人生一生勉強ですし。
> 速水さんのおっしゃる「似非インテリ」の本質的な問題は「好奇心の欠如」のように思います。
そーですね。好奇心さえあれば、どんな些細な日常からでも「楽しみ、おかしさ」を見つけられますし、またそれが「クリエーター」の感性にもなったのですが。
しかし、変に表現技術が発達したため、感性の乏しい人でも「作家」の肩書きだけは持てるようになったんでしょうねぇ。
> 作家の垂れ流す情報を素直に受け入れ、他を受け入れようとしない。
> 話は変わりますが(たぶん、速水さんの文章の繰り返しになると思いますが)内田康夫ファンの人を二人ほど知っていますが、彼ら本当に内田康夫の著作しか読んでいない。
> 内田康夫の本を100冊以上持っているのに他の著作を全く読んでいないんです。
> 例えば他のミステリーを読んでみる。
> あるいは参考文献を読んでみる。
> そういう「知識を数珠繋ぎにする」という思考が見事に欠けているんです。
> 「自分のミステリーは最高で、他は読む必要がない(というかこの人、人のを本当に読んでないみたいです)」
> という、作者の戯言を本気で信じてるんです。
> そう言う意味で、おっかない読者が増えましたね。
いますねぇ、そういう人。
「モーニング娘。」が好きなのは自由だけど、「自分が好き=うまい」と解釈してしまうタイプですね。
> 殴り合いの喧嘩にならないことを祈ります(笑)。
>
> では別のスレでお会いしましょう!
再度、健闘を祈る!